心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年02月18日(木) 自閉症スペクトラム指数(AQ)日本語版

「この自閉症スペクトラムという概念の妥当性を検討するためには、成人の高機能自閉症者やアスペルガー症候群の人が一般健常人に比べて明らかに高得点を示すような、自閉性障害の症状の特徴とされるような社会的・コミュニケーションに関する問題からなる尺度を構成し、その尺度(すなわちそれが自閉症スペクトラム次元となる)上に、健常な知能を持つ一般成人もその傾向の程度に従って一定の分布をすることを示すことが求められる」

「以上のように、日本語版AQは成人のアスペルガー症候群や高機能自閉症をスクリーニングするための簡便な診断ツールとして有効であるとともに、健常者の自閉症傾向の個人差を測定することが可能な尺度である。また心理学的測定尺度としても、再検査法や内的一貫性、さらには他者評定と自己評定の結果の比較などから高い信頼性が確認されている」

自閉症スペクトラム指数(AQ)自己診断テスト
http://www.the-fortuneteller.com/asperger/aq-j.html

以下はひいらぎの結果。

> 自己診断テスト得点計算結果
>
> あなたの得点は14点です。
> 社会的スキル
>  3点
> 注意の切り替え
>  6点
> 細部への注意
>  0点
> コミュニケーション
>  1点
> 想像力
>  4点
>
> 閾値内に収まっています。

平均点を大きく上回っているのは、注意の切り替えか。実際日常生活でも不便を感じていることがそのままスコアに出ました。あとは、社会的スキルと想像力が平均を少し越えています。
(これらはいずれも「〜の欠如」という意味なので得点が高いほど良くないわけです)

健常者の平均点は20前後、標準偏差6程度の正規分布となります。カットオフは33点。


2010年02月13日(土) 前向きに見捨てる

第7章の文章に疑問があります。

日本語版だとp.139、英語版ならp.96。

One of our Fellowship failed entirely with his first half dozen prospects.
「私たちの仲間の一人は、かかわりをもった最初の六人全員に見事に失敗した」

この人物とはビル・Wその人なのだそうです。

He often says that if he had continued to work on them, he might have deprived many others, who have since recovered, of their chance.
「彼は、もし自分がそのまま彼らにかかりっきりになっていたら、ほかの多くの人たちの回復のチャンスを奪ってしまっていたかもしれないと言う。幸い、彼らはその後回復している」

この文章だと、最初の六人もその後には回復したとも読めてしまいます。そうなると、すぐに回復する見込みがなさそうだからといって、苦しんでいるアルコホーリクを見捨ててはいけない、という教訓になってしまいます。

けれど、原文の意味は、最初の六人を追いかけ回して時間を無駄にせず、彼らを見捨てたからこそ、他の人たちを助ける余裕が生まれたと言っているわけです。

日本語版初版(P神父の訳)ではこうなっています。
「もしも彼がこの人たちへの働きかけを続けていたら、それ以後回復したたくさんの他の人たちから、チャンスを奪うことになったろう、と彼はしばしば語っている」

それが単なる「時間の無駄」なら、被害を被るのは助けようとした自分だけです。けれど、自分の持っているエネルギーや時間には限りがあるのですから、それを無駄にすることは、他の仲間の回復のチャンスを減らしてしまうことになります。

前向きな反応の見られない人は積極的に見捨てていくことが必要なのでしょう。「一人にしておけば、そのうち一人では回復できないことを納得するはずだ」というのが真理なのですから。

結局最初の六人がその後助かったのかどうかはビッグブックの文章からはわかりません。きっと助からなかったのだろうな、とは思うのですけれど。


2010年02月12日(金) 「酒をやめる」の意味

伝統3によれば、AAメンバーになるための資格は「飲酒をやめたいという願い(a desire to stop drinking)」だけだそうです。序文にも同じ言葉が書かれています。

AAの本を読むときに気をつけなければならないのは、「酒をやめる」という言葉の意味です。

例えば、この文章を読んでいる人のほとんどは、今日は朝から酒を飲んでいないに違いありません。今日一日は酒を飲んでいないのですから、今日は酒をやめられているのです。すでに実現できていることを、願望として持つ人はいません。つまり、あなたはAAに参加する資格を失っています。

でも、そうではない。AAには酒を飲んでいない人がたくさんいます。となると、つまり(AAでは)酒を飲んでいないだけでは、「酒をやめた」ことにならないのです。例え何ヶ月、何年飲んでいなかろうと、それだけでは「まだやめてない人」なわけです。

十年ほど前に、十三年間飲んでいなかったAAメンバーが再飲酒しAAを去りました。それを聞いた人たちはこう言いました。

「彼は酒をやめられていなかったからね」

そう言われたのは、彼が十三年やめていても最後に飲んでしまったからではありません。いつ飲んでもおかしくない危険な状態がずっと続いていたからです。

AAの言う「酒をやめる」は、再飲酒の危険がない状態が実現し、それが維持されていることを意味しています。recovering(回復中)ではなくrecovered(回復した)、あるいはex-alcoholic(元アルコホーリック)という言葉を使いたがる人たちがいるのも、そのせいでしょう。僕は回復が完了したという考え方には賛成できませんが、そういう考え方を否定しようとは思いません。

その状態を維持する努力を怠れば、やがては元の危険な状態に戻り、最終的には再飲酒ってことにもなりかねません。つまり厳密な意味で「酒をやめられた」人はAAにだっていないわけです。だからこそ、やめた人にもAAへの参加資格があります。
けれど、実用上の意味で「酒をやめられた人」はAAにたくさんいます。

となると、AAには

・酒をやめられた人
・酒を飲んでいないけれど、まだやめられてない人
・飲みながらAAに来ている人

が混じっていることになります。


2010年02月10日(水) 自然とのつながり

正月明けから寒い天気が続いていたものの、一月後半は少し暖かい日が続き、そのまま暖かくなるのかと思ったら、先週後半から週末にかけてずいぶん寒い日々でした。

スポンシーから毎日電話をもらっています。
大したことは話していません。ミーティングや例会に行ったかどうか。そこでどんな話をしたか。体調や心の調子。ちょっとした相談など。たいてい数分、長くても10分ほどでしょう。

面白い(?)ことに、「今日は調子が悪いです」と言われるときは、天気図で前線が通過している日が多いのです。雨や雪が降ったか、降らないまでもどんよりと曇っている日です。体調というのは、ずいぶん天気に左右されやすいんですね。

僕自身も、天気の悪い日は体調も何となく悪く、朝起きたときに布団から出づらかったり、仕事のノリが悪かったり、かといってサボってどこかに遊びに行きたい気分でもなし、なんとなく頑張れないままに一日終わってしまうこともあります。

ところが安定剤を多めに使っていた頃は、気分が天候にあまり左右されませんでした。(それどころか雨の日の方が気分が落ち着いた気もします)。おそらく、安定剤の作用によって感覚が鈍麻していたのでしょう。もちろん酒を飲んでいた頃は、外が晴れていようが雨が降っていようが気にもなりませんでした。睡眠薬や安定剤、それになによりアルコールという「ダウナー系薬物」ってのは、人間の内部と、外とのつながりを遮断してしまうのかもしれません(だからこそ、気分が落ち着く)。

これから春になっていく季節、暖かい日と寒い日が繰り返されます。こうした寒暖の差によって体調や心の調子を崩してしまう人も珍しくありません。だがそれも「しらふだからこそ」です。スポンシーはそれになかなか気づかないようで、調子を崩すのは何か悪いことではないかと心配しがちなのです。酒も薬も断ったがゆえに乱調がやってくる。大いに結構なことです。だんだんその波も治まっていくので、心配することはありません。


2010年02月09日(火) スポンサーの言うこと

AAにはスポンサーシップという仕組みがあり、経験の長い人がスポンサーとして、新しく来た人(スポンシー)の面倒を見ていきます。

スポンサーの与えるアドバイスの質が、スポンシーのソブラエティの質を決めているのは間違いありません。だから、スポンサーはなるべく良いアドバイスを与えねばならないのは当然です。AAメンバーの話を聞いていると、ときどきスポンサーからとんでもないアドバイスを受けている、としか思えない時もあります。

けれど、僕は他の人のスポンサーシップに口を挟むことは滅多にありません。誰がどんなアドバイスをしていようと、僕に迷惑が及んでくることは滅多にありません。逆に言うと、スポンシーがよそへ行って余計なアドバイスをもらってくると面倒なことになる場合もあります。あまり誰かのスポンサーに(間接的にはそのスポンシーの回復に)迷惑をかけたくないのです。何かを言いたければ、スポンサーの方に言えばいいわけですし。

僕も回復が足りなかった頃には、共依存的に境界線を越えて人のスポンサーシップに口をはさんだこともしばしばありましたが、何度か痛い思いをして学んだわけです。

AAスポンサーがスポンシーに間違ったアドバイスをすることも、当然あります。けれど、「それは間違ったアドバイスだ」と思っている僕が間違っているのかも知れません。

それに何よりも大切なことは、正しかろうと間違っていようと、スポンサーのアドバイスに従うことです。というのも、回復は新しい考えを身につけることだからです。そのためには、自分の古い考えを捨て、新しい(他からの)考えを自分に入れる習慣を身につけねばなりません。

新しい考え方は、古い自分の考え方からすればしばしば「間違っている」ように感じられます。そう思えても、自分の中に入れてみることが大切で、スポンサーのアドバイスが本当に正しいか間違っているかは、回復にとってそれほど重要なことではありません。

とは言うものの、現実に例外はありますから、スポンサーの方に「ちょっとそれはマズいんではないか」と伝えなければならないこともあるでしょう。だから、スポンシーの人にとって重要なのは、「自分のスポンサーが誰か」ということを明らかにしておくことです。言うのが恥ずかしいスポンサーってこともないでしょう。

自分のスポンシーに「スポンサーが誰か」を伏せるようにアドバイスするスポンサーというのは、僕としては疑問の残るやり方なのですが、だからといって口を挟むこともしないわけです。

ひさしぶりに更新をしました。


2010年02月07日(日) RDPワークショップ参加

ジョー・マキュー(Joe McQ)はアメリカのアーカンソー州リトルロックのAAメンバーでした(州で最初に回復した黒人のAAメンバーだそうです)。彼は1973年にアラノンのコンベンションにスピーカーとして招かれたチャーリー・Pと出会います。ちなみにチャーリーは白人のAAメンバーです。

お互いにビッグブックに関心を持っていることがわかると、二人は親しい友人になり、225マイル(360Km)離れていたにもかかわらずお互いの家を訪問しあい、ビッグブックについて自分が学んだことのメモを持ち寄り、理解を深めていきました。

彼らは各地で行われるAAのカンファレンスに参加する際にも、ホテルの一室で分かち合いを続けたのですが、ある時トニーというメンバーがそこに加わりました。そして次第に加わるメンバーが増え、カンファレンスのたびにホテルの一室でビッグブックを使った非公式のステップミーティングが行われるようになりました。

この「ジョー・アンド・チャーリーのビッグブック・スタディ」というスピーカーミーティングは年に約8回行われていましたが、1977年にこれがテープに録音されました。1980年にウェスレイという人が、このテープをAAの国際コンベンションで配ったところ、これが実に好評で、あっという間に全米に広がりました。

もともとAAイベントのスピーカーとして招かれることの多かったジョーですが、これ以降チャーリーと二人に「ビッグブック・スタディ」の依頼が全米から来るようになります。彼らは以降二十数年間に渡ってこれを続け、アメリカとカナダのすべての州、オーストラリア・ニュージーランド・イングランド・スコットランド・アイルランド・ドイツ・スイス・オランダ・アイスランドで週末のビッグブック・スタディを行いました。

これがAA共同体に与えたインパクトは強烈で、英語圏のAAメンバーに「あなたはどんなふうに12ステップをやったか?」と尋ねると、「ジョー・アンド・チャーリーのやり方で」という答えがしばしば返ってくるのです。

この二人のビッグブック・スタディは1999年が最後になり、しかもジョーは2007年に亡くなってしまったのですが、「もう一人のジョー(Joe McC)」というやっぱり黒人のメンバーによって、今でもジョー・アンド・チャーリーは続けられているそうです。

この二人は本も書いており、ジョーの書いた本のうち2冊はすでに日本で出版されています。

さて、ジョーはリトルロックにあった治療施設に1970年代から関わるようになり、そこでもジョー・アンド・チャーリーのやり方を応用していくのですが、施設という制約の中で12ステップをクライアントに効率的に伝える方法として「リカバリー・ダイナミクス(RDP)」という治療プログラムを開発します。

今回奈良ダルクの招きでジョーの後継者のラリー所長が来日し、RDPの講習会が行われたので参加してきました。土曜朝からだったので、金曜晩のミーティングを済ませてから車で移動し車中泊、という中年には無茶なことをしてしまい、疲れが取れず居眠りをするかも、と心配だったのですが、大変に中身が濃く、二日間集中を続けてぐったり疲れて帰ってきました。

大学ノートにこんなにたくさんメモを取ったのは何年ぶりだよ、と自分でもビックリです(それだけ勉強嫌いなんです)。それにしてもあれだけ金を払ったのにメモのひとつも取らない人って、何を考えているんだろうね。

それと英語だと通訳の品質が心配だったのですが、今回通訳をしてくださった方は回復の用語にも詳しくてとてもわかりく、本当に助かりました。

宿舎では国内の回復施設のスタッフの方と一緒になり、一時間ほど話を聞かせて頂きました。当然施設のスタッフ向けのプログラムだったのですが、いろんなグループから自分のスポンサーシップの参考にしたいというメンバーが参加していました。

得がたい機会を作ってくださった皆さんに感謝。僕は今後とも回復の分野で仕事をする予定はありませんが、今回得た知識を自分の回復と、スポンサーとしての活動に生かして経験を積み重ねていきたいと思います。

ともかくこの業界(?)は、知識と経験の少ない者が、より多く持つ者からそれを渡してもらうことで動いています。5年経ち、10年経てばもう学ぶべきことがなくなるわけじゃなくて、ますます得るべきもの、やるべきことが増えてくる感じです。回復を始めたばかりは万能感に満ちていますが、年を経るごとにいかに自分の知ることが少ないかを知っていくわけです。

いままでのスポンシーにも、改めて機会を作って今回僕が得たものを渡し直さなくてはと思っています(が、どうせずるずると先に延びるんでしょうな)。


2010年02月05日(金) ネットのabuseとうつ

ブログに載せたこの記事について

インターネットの過剰使用とうつに関連性
http://www.ieji.org/dilemma/2010/02/post-241.html

どういう基準でインターネット依存症(IA)と診断しているのかは不明ですが、ネットの過剰使用とうつの間には密接な関係があるという話です。

自分のうつ病の経験からすれば、うつの酷い時にはネットどころかパソコンの電源を入れる気にもなれず、携帯電話をいじる気にもなれませんでした。しかし、そういうメランコリー型のうつばかりではなく、非定型のうつもあれば、他の病気のうつ症状もあり、先日まで書いていた発達障害に起因するうつもあります。当然、アルコールその他の依存症によるうつ症状もあるわけです。

そして、そうしたうつの中には、(メランコリー型と違って)うつの症状が酷くてもパソコンでインターネットができたり、携帯でネットにアクセスできる人もいるわけです。精神科医のブログには、精神状態が悪化するとネットのアクセス量が増える(例えば携帯のパケット代が増える)例が書かれていました。

とすれば、ブログや掲示板で「うつだ」と書いている人の中にも、実際に重いうつ状態の人がいても不思議じゃありません。けれどその人たちが(定型の)うつ病だとはちょっと信じられません。その人たちはネットや本で調べた「うつへの対処法」を実践して、仕事を休んだりしているのでしょうが、その割には何年経っても良くなっていません。遷延性のうつがそんなに大量に存在するとは思えないのです。

ともかくヘビーなインターネットユーザーには精神を病んだ人が多い、ってことは分かりました。断酒板も含めたメンヘル系掲示板では、ともかく具合の悪そうな人が多いわけです。どう見ても、ネットの掲示板にいる人たちよりも、断酒会やAAに通っている人の方が精神的の健康度が高いのは確かです。それは、具合の悪い人は人と接したがらず、でも寂しいからブログや掲示板には出てくる、ってことを考えれば当然なのかも知れません。

ネットで対人トラブルを起こしている人も、リアルで接すれば「悪い人じゃない」こともあります。けれど、それは期待される社会的役割を「演じて」いるので、人間関係が苦手だったり、人と接すると疲れてしまうわけです。だとすれば、ネットでトラブルを起こしている姿が、その人の「仮面の下の本当の姿」なのだと思われます。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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