心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年01月17日(日) 閑話

発達障害の話はまだ続ける予定ですが、ちょっと脇にそれます。

回復前の自分を振り返って、思うことの一つに「人に甘えるのが下手だった」というのがあります。

基本的に自己喪失した淋しい人間だったわけです。

人は淋しいときにどうするか? 淋しければ人と交わるしかありません。人の集まるところへ出かけていって、声を掛け、話をし、一緒に食事をしたり遊んだりすればいいわけです。しかし人に声を掛けるのは怖かったし、どんな話をしたらいいかもわかりませんでした。

例えば立食パーティーでは初対面どうしが話をするわけですが、その場合にはまず相手を褒めることから始めるのだそうです。といっても初対面の人のことはよく知らないので、ネクタイの柄でもなんでも褒めればいいのだとか。しかし、僕は人を褒めるのがたいそう苦手でした。
子供と話をしたいお父さんのための会話法というのがあります。お父さんは子供のことが知りたいので、「学校はどうだ?」「勉強は進んでいるのか?」「友だちはいるか?」という尋問になってしまいがちですが、これをやると子供は頑なになってしまいます。逆にお父さんが「会社で一緒に働いている人でこんな人がいて、お父さんはその人との間でこんな苦労があって」という話をすれば、子供も友達との間のトラブルを話す気になってくれる、といった類です。
つまり人と親しくなるには自分を打ち明ける必要があるのに、僕はそれも苦手で、やれ学歴がどうとか、仕事の専門性がどうこうという自慢話ぐらいしかできなかったのです。

AAに来た頃、ある仲間が電話番号を教えてくれました。

僕は淋しかったので、大変勇気は必要でしたが、その人に電話を掛けてみました。するとその人は気持ちよく話し相手になってくれました。僕は、今後電話するなら何時頃がよいかと尋ねると、ミーティングのない晩の9時過ぎなら良いという返事でした。
「すごい良い人だなぁ」と、僕の中でその人の評価はうなぎ登りです。僕はやがてしょっちゅうその人に電話を掛けるようになります。電話しても良いと言われた時間帯とはいえ、その人の生活時間を浸食している、ってことは少し頭をよぎりましたが、それで行動のコントロールが効いたわけじゃありません。やがて「度が過ぎるのではないか」とその人に叱られる羽目になりました。それは僕が悪いのですが、叱られた途端に僕の中でその人の評価が急降下してしまいました。
アル中さんの対人関係は、賞賛とこき下ろしの両極端だと言いますが、まさに僕もそれをやっていたわけです。赤ん坊が親に甘えるようにべったりもたれかかり、それを叱られると「僕なんか大事じゃないんだぁ〜」といじけてしまう、という構図です。

人間関係、まったく甘えを排除するわけにもいきません。歯車の間に遊びがなければ機械が壊れてしまうのと同じです。しかし、誰かをべったり甘えさせるほど許容量の大きな人はいません。結局、少し甘えを許し、少し厳しいことを言う、そのバランスが取れているあたりがちょうど良いのでしょう。

AAのキャリアも長くなってくると、しだいに逆の立場に移ることになります。ちょっと親切にすれば良い人だと言われ、ちょっと厳しいアドバイスをすれば嫌なヤツだと言われ、それに振り回されていたらこっちの身が持ちません。良い人だと言われるのも、嫌なヤツだと言われるのも、「相手の病気の症状である」と割り切ってゆかなくては。

断酒系掲示板では、さんざん悪態をついて出て行った人が、前回の詫びもなくしゃあしゃあと戻ってくるわけです。おそらく世間では許容されない行いでしょうが、そこはメンヘル系掲示板ゆえに許されるべきことなのでしょう。自助グループも同じようなものです。そうした人が、少しずつ人間関係を学び、社会性を身につけていくのも回復の一部なのだと思います。

先日ミーティングの後でスポンシーとマクドでコーヒーを飲んでいました。僕の離婚前後は、ちょうど彼にプログラムを渡している最中で、一緒に食事したりしていました。一人暮らしになった後は淋しかったし、お茶に夜遅くまで付き合わせたこともありました。一応スポンサーとしてのお話がメインという建て前ですが、従としてグチその他を聞いてもらいたい部分もあったわけです(そっちが主だったりして)。
それで先日彼はコーヒーを飲みながら、その頃の話をして「あんときゃスポンサーとしての立場を濫用してさ」と僕をからかいたかったのでしょう。僕としては「話に付き合ってくれて、ありがとね」と笑うしかありません。
自分を振り返って、少しは昔より人に甘えるのが上手になったかな、と思ったりします。まあ、もう少しスマートに甘えられるようになりたいものです。

ま、君もスポンサーになったら、適度にスポンシーの時間を搾取してくれぃ。(という冗談がアスペの人には通じないわけだ)。


2010年01月15日(金) 発達障害について(その10)

では少し脇道にそれて、AAに来たアスペルガーの人に対して、こちらはどんな対応ができるか、アイデアだけでも書いてみます。

例えば、接触を嫌がること。
グループによっては、握手やハグをしているところもありますが、アスペルガーの人にはこれが大きな心理的負担になることを考えるべきだと思います。

自分の話に夢中になりがちなことを考えると、ミーティングでの分かち合いを一人最大何分までと決めておいてもいいでしょう。アスペルガーの人はハッキリとしたルールを守るのは得意なので、時間が来たら終わりにするのであれば、話の途中で止めても感情が傷つかずにすむと思われます。

臨機応変が苦手ということを考えてみます。
ミーティングでは分かち合いのトピックス(テーマ)を決めることがありますが、そのトピックスはミーティングが始まってから司会者から提示されるのがほとんどだと思います。多くの人にとって、これは負担にはなりません。最初に話をする人はちょっと大変ですが、人の話を聞きながら、自分の番が来たら何を話すか考えておけばいいわけですから。
しかしアスペルガーの人が「二つのことを同時にこなすのが苦手」だということを思い出してください。「人の話を聞く」、「自分の番で話すことを考える」というのは別のことですから、これを同時にこなすのが難しいでしょう。結果として彼らはミーティングで自分の話をするのが苦手になりかねません。

そこで、ミーティングのトピックス(テーマ)は一週間前などにあらかじめ決めておき、何を話すか事前に考えてきてもらいます。また、書面に書いてきたものを読み上げるのもオーケーということにします。予定通り物事を進めるのは得意なのですから。(自閉症グループ全体に、話すことより書くことが得意と言える)。

この「事前に分かち合いのテーマを出しておく」「書面を読むのもオーケー」という対応を、ギャンブルの施設での発達障害クローズドのミーティングで試してうまくいっているという話が紹介されていました。

こうして考えてみると、とりあえず必要なこと、できることは、発達障害の人のダブル・クローズドのミーティングではないかと思います。ミーティングの数が少ない田舎では難しいでしょうが、都市部ではダブル・クローズドを開催する余地もあるでしょう。

そして、発達障害の人をそうしたダブル・クローズドにうまく誘導できるような周知も必要になってくるのでしょう。

発達障害においては「人間性を直そうとせず受け入れる」ことが大事だとされます。しかしそれは、とりもなおさず、周りの人に対してその人のやり方に合わせる負担を強いることにもつながります。例えば上に書いたようなことを、すべてのAAミーティングで実施しようとすれば、きっと大騒ぎになるでしょう。

だからといって発達障害の人をダブル・クローズドに隔離する発想になってはいけませんが、彼らが回復できる場所を担保するためにも、そうした会場が必ず必要なはずです。

またビッグブックを読んでみると、たくさんの慣用句や修辞がちりばめられています。しかし、それに気を取られてしまうアスペルガーの人たちを考えると、「足をなくした人」に例えるような修辞を一切廃し、直球勝負の文章だけ(しかも平易な言葉)だけで編集されたテキストがあっても良いと思います。

基本テキストは安易に改変しないという合意がAAの中にありますし、著作権によっても守られています。けれど視覚障害者のためにオーディオCDを作ったり、弱視の人のために大判の印刷を作ったわけです。そうした対応をもう一歩進めて、発達障害の人のためにシンプル版のビッグブックというものを作っても良いのではないか、と思うのです。
僕は以前から、ビッグブックを総ルビにすべきだという話をしています。漢字に全部ふりがなをふるわけです。これですら実現しないのですから、文章そのものを改変したものを作るとなると簡単ではないのは確かでしょうけど。

障壁を越える、というのは何も文化や言語に限らないと思うのです。

(つづく)


2010年01月14日(木) 発達障害について(その9)

ADHDとされた人の中に、相当数アスペルガーが混じっているのではないか、という話をもう少ししておきます。

社会性の障害に注目したのがアスペルガーであり、行動の傷害に焦点を当てたのがADHDです。だから、一人の人がアスペルガーとADHDの両方の診断基準を満たすことはあり得ます。その場合は併記せず、アスペルガー(社会性の障害)を優先させるという決まりがあります。なので、アスペルガーかつADHDという診断にはなりません。(アスペルガー+LD、ADHD+LDはあり得る)。

アスペルガーの本を図書館から借りたまま、忙しがっている間にろくに読まずに返さなくてはならなくなったので、箇条書きで抜き書きしていきます。

・言いたいことを一方的に話す

話したいことを夢中で話してしまい、相手の反応を見たり、相手にあわせることが苦手なので、周りが困っていても、お構いなしに話し続け、止めると機嫌が悪くなる。→周りから孤立しやすい。

・興味の幅が狭く一点に集中しやすい

シングル・フォーカスあるいはモノトラックと呼ばれ、周囲の反応に無関心になる。限定された趣味にのめり込む。→人にあわせることの大切さを教える必要。

・人の気持ちが読み取れない

顔の表情、口調、ボディーランゲージ(肩をすくめるなど)が読み取れない。言外の意味や場の雰囲気(空気)を読み取れない。素直ではあるのだが直接的な物言いが人を傷つける。→遠回しの言い方や表情で伝えずに、言葉でハッキリ伝えるようにする。

・慣用句や冗談、敬語が理解できない

冗談を真に受けてしまう。間違いを笑うと傷ついたり、逆にそれを喜んでいつまでもはしゃぐことも→一緒になって騒がず、間違いは直す。場の雰囲気が読み取れないため、不必要に丁寧な敬語を使ってしまう。

・触られることを嫌がる

知覚過敏。音に敏感(聴覚)、シャワーや服が苦手(触覚)。触られるとパニックになる。そのほか、偏食(味覚)。一つのものを食べ続けてもなかなか栄養障害にならない。

・同じ道順、同じ手順にこだわる

通る道、一日の予定などにこだわる。朝乗る電車の座席を決めていたりする。想像力や認知の障害があるため、予定が突然変更になるとパニックになってしまう。また、いつも通りの手順を(相手の気持ちを読まずに)押しつけると、人とトラブルになる。

・記憶力はよい。想像するのは苦手。

自由課題や課題作文が苦手。

・スポーツが苦手

体を動かすことが元々苦手。ルールは覚えられるが、それを状況に合わせて応用するのが苦手で混乱してしまう。周りの人の動きや複数の指示にあわせるのが苦手なので、集団スポーツを避ける(ボウリングなどは得意)。

・二つのことを同時にこなせない

複数の情報を同時に処理できないので、「話を聞きながら要点をメモに取る」、「話の重要性を判断しながら資料にマークをつけていく」ということができない。一対一の会話はできるが、複数人数での会話に参加できない。

(つづく)


2010年01月10日(日) 発達障害について(その8)

自閉症グループには、ウィングの三症状があります。

・社会性の障害
・言語とコミュニケーションの障害
・想像力の障害とそれに基づく行動の傷害

このうち言語とコミュニケーションの障害が軽微なのが「アスペルガー症候群」です。

幼児期は、母親と視線を合わせない、呼ばれても応えない、母親が去っても後追い行動をしない、興味のあるものに向かってしまい迷子になる、などカナー自閉症と同様です(愛着の障害)。

知覚過敏があるのは4割ほどですが、やはり痛いのでシャワーが浴びられない、触られることを嫌がるということもあるようです。明らかな言語の遅れはないところがカナー自閉症と違っています(遅れがある場合は高機能自閉症)。

社会性や想像力の障害は、幼稚園保育園や小学校に入ると目立ってきます。場の雰囲気や人の気持ちを読み取ることが不得手なので、ともかく集団行動が苦手になります。

授業では落ち着いて椅子に座っていられない、先生の話を聞いていない、他の子にちょっかいを出すなど勝手なことをする、興味のない授業では床に寝そべったり外へ飛び出していってしまう・・などという授業妨害をして嫌われる原因となります。

さらに、(ルールを守ることには真面目なのですが)遊びやスポーツのルールがなかなか憶えられないこと、他の子の動きや状況に合わせて判断することが難しく、また体を動かすことが生来苦手(運動音痴)なこともあって、集団による遊びやスポーツが苦手です。

このような授業中に落ち着いていられない、集団で人と同じことが出来ないという学童期の記述だけを見ると、「おや、これはADHD(注意欠損多動症)のことではないのか?」と思った人もいるかもしれません。脇道に逸れますが、それについて少し書きます。

日本の教育分野では、まずLD(学習障害)が注目されました。LDとは読む・書く・計算するという能力に問題を抱え学習が進まない障害です。
これとは別に、能力に問題がない(医学的な意味では学習障害ではない)のに、授業中に落ち着いていられないために学習に取り組めない多動児が増えてきていることが問題となりました。これによりADHDが注目されました。

ADHDへの対応が進んでいくと、これはリタリンという薬が効くことが分かってきました。薬に加えて適切な対応をすることにより不注意や多動の問題がおさまり、学習の遅れは児童期に取りもどせ、(二次障害や虐待などの背景がなければ)青年期を過ぎれば困った問題はあまりなくなってしまいます。これによりADHDに限って言えば、なにも児童精神科医が出てこなくても、町の小児科医で十分対応出来ることがわかってきたのです。

となると、薬があまり効かなかったり、大人になっても問題を抱えているADHDの人は何なのか。子供のころに虐待を受けた可能性がまず一つ。そして、ADHDではなくアスペルガーが誤診されたという可能性です。ADHDとアスペルガーでは対応の枠組みが違うので、誤診があると正しい対応が出来なくなってしまいます。

このように、専門家の注目がLD→ADHD→アスペルガーと広がってきているため、過去にLDもしくはADHDという診断を受けていても、実はアスペルガーという可能性を疑ってみなければなりません。

ADHDもアスペルガーも「場にそぐわない行動」を取る点は同じです(例えば興味のない授業だと外へ出て行ってしまう)。しかしADHDでは怒りや好奇心によって生まれた衝動を制御できず「何が正しい行動か分かっていても、それができない」のに対し、アスペルガーでは社会性や想像力の障害があるために「何が正しい行動か分からずそぐわない行動をとってしまう」という違いがあります。

また対人関係では、ADHDは人なつこく、人にからかわれることも基本的に好みますが、アスペルガーの場合には孤立を好み、からかわれることを嫌います。積極的に人に関わるにしても、あくまでも自分中心的な関わり方となります。

(つづく)


2010年01月08日(金) 発達障害について(その7)

カナー自閉症の8割には知的障害があります。しかし、本当に知能が低いのかどうかは疑問が残ります。「状態としての知能」が低いのは言語とコミュニケーションの障害に阻まれて能力が発揮できないためで、「素質としての知能」はもっと高いのではないかと思わせるエピソードも紹介されています。

子供は想像力が豊かで、丸めた新聞紙をボールやバットや刀や拳銃など、様々なものに見立てて遊ぶことが出来ます。自閉症児は現実にとらわれるためこれが苦手です。ルールを守ることは得意なのですが、ルールを逸脱して自由な発想をすることができません。(視点を変えて相手の気持ちをくみ取るのが苦手なのもうなずける話です)。

そのかわり「こだわり行動」を示します。同じ動作を続ける自己刺激行動、好きな趣味に没頭する興味の限定、学校や買い物に行く道順やものの置き方などへ強いこだわりを見せます。例えば、本棚に本を並べる順序にこだわり、他の並べ方をすると怒ります。人の気持ちや場の雰囲気を読む力の弱さに加えて、自分の興味やこだわりを優先し人に強要してしまうため、対人関係のトラブル(子供同士であればイジメ)に発展しがちです。

心の理論のところでふれましたが、過去の記憶と現在の事実を区別する能力が低いことと、おまけに記憶力が良いため、頻繁に過去の記憶を再体験するフラッシュバックを起こします。何年も前にいじめられた体験を思い出し、それを現在と区別できないため、相手に仕返しをしてしまったり、あるいは小さい頃に社会適応させようと無理な訓練を強いられた記憶が蘇ってパニックに陥るケースもあるそうです。
知覚過敏性とフラッシュバックが結びつくと、些細な刺激で過去を思いだしパニックを起こすようになってしまいます。カナー自閉症にしても、アスペルガー症候群にしても、イジメからの保護が課題となります。

知的障害のある広汎性発達障害(カナー自閉症)の出現率は0.6〜0.8%。一方、高機能広汎性発達障害(アスペルガー)の出現率は最も新しい調査では1.5%だといいます。

自閉症は、社会性の障害、コミュニケーションの障害、想像力の障害(それに基づく行動の障害)の3つの症状です。アスペルガー症候群は基本的にこの3つの症状を持ちつつ、コミュニケーションの障害が軽微なものです。言語の遅れがなく、知的にも正常が多くなります。カナー自閉症のうち知的障害を持たない高機能グループと、アスペルガーとの違いは発語の遅れがあるかどうかで、質的な差はないとされます。

いつだったか、施設に入っているカナー自閉症の中年男性が、酒を手に入れて飲むようになって依存症を疑われ、精神病院に送られて、そこからAAに来たことがありました。女性の看護師の同伴で、言葉はしゃべらず、一回だけの参加でした。おそらく病院側のアリバイ作りのような参加だったのでしょう。

このような例外を除けば、知的障害を持った自閉症の人がAAにやってくることは、まずないだろうと思われます。自助グループの人間が出会うのは、アスペルガーを含む高機能PDDのグループでしょう。というわけで、次からは本題のアスペルガーについて書いていきます。実はこれまでのすべてはアスペルガーを書くための前ふりでした。

知的には正常、時にはもっと高い知能を持ち、コミュニケーションに問題はないながらも、社会性や想像力に障害を持ち、曖昧で大まかな概念が把握できず、場の雰囲気や相手の気持ちが読めず、一度に一つのことしかできず、融通が利かなくて他の視点が持てず、話をしているとこちらが疲れてしまう人たちについてです。

(続くとも、もちろん)


2010年01月07日(木) 発達障害について(その6)

自閉症グループの子供は、驚くほど記憶力がよいことが知られています。

例えば子供の頃にお母さんに「お前なんかいらない」と言われると、大人になっても言われた日付まで含めてしっかり覚えていたりします。施設に預けられた子供が、そこでの職員との会話を忠実に再現したおかげで、施設スタッフの言葉の暴力が明らかになったという話もあります。
興味を持ったことは覚えるので、天気の週間予報を全部覚えていたり、ポケモンのキャラクターの名前を全部言えたりします。しかし、暗記が得意というわけではないようで、興味のないことに記憶力は発揮されないようです。

記憶力はすぐれているけれど、想像すること、応用することは苦手です。

標準誤信課題というテストがあります。

「A君はチョコレートを後で食べようと<机の中>にしまって遊びに出かけました。A君がいないあいだに、お母さんがそのチョコレートを<戸棚>にしまいました。その後で、A君が帰ってきました。A君はチョコがどこに入っていると思いますか?」

A君はお母さんの行動を知らないので、正解は<机の中>です。けれど、3歳児の多くは<戸棚>と答えてしまうのだそうです。人の気持ちよりも、事実に引きずられてしまうのです。これが4才になるとほとんどの子が正解できるようになります。

最初にチョコレートの箱を見せ「何が入っていると思う?」と聞くと、答えは「チョコ」です。でも開けてみせると中には鉛筆が入っています。そこで、「最初に見たとき、何が入っていると思った?」と聞くと、3歳児は「鉛筆」と答えてしまいます。過去の自分の気持ちより、現在の事実に引きずられてしまいます。
「他の子はこの箱を見て、何が入っていると思うかな?」と聞いても、やっぱり「鉛筆」と答えてしまいます。これが4才になると正解を答えられるようになります。

つまり健常な子は3才から4才になるあたりで、「人の気持ちを想像し理解する能力」や「過去と現在の自分の気持ちを区別する能力」を手に入れます。相手の気持ちを想像して嘘をつく能力も手に入れます。こうした能力を「心の理論」と呼びます。

いつも挨拶をする人が、今日は挨拶をしてくれない。あれ、なにか気分を害してしまっただろうか、と心配するのも「心の理論」が獲得されているからで、これがなければ極めてマイペースな人になります。

知能の遅れがあるダウン症児でも「心の理論」の獲得に問題がないことが分かっています。一方、自閉症児は心の理論の獲得がないことが知られています。

アスペルガーのような知能の遅れがない高機能群では、9〜10才ごろにこの課題をクリアすることが知られています(つまり普通の子の4〜5年遅れ)。しかし普通の人のように直感的に相手の気持ちを読むのではなく、推論を重ねて人の気持ちを理解していることが確かめられています(つまり心の理論そのものの獲得ではない)。
例えば、相手のほほの筋肉が動かず低い声でしゃべっていれば「不機嫌」、目が大きく開かれ口の角があがっていれば「喜んでいる」。おそらく、持ち前の記憶力の良さが発揮され、状況ごとに辞書が作られていくのでしょう。やはり新しい状況は苦手なようです。

このように「心の理論」の獲得がないために、人の気持ちをおもんぱかる、場の雰囲気を読んで正しい行動を選択する、ということが苦手になってしまうのです。

(続きますよ)


2010年01月06日(水) 発達障害について(その5)

自閉症の特徴の一つは、情報の選択ができないことです。
人間の五感には様々な情報が流れ込んできますが、必要な情報を注意選択する機能があります。例えば赤ちゃんは目の前の扇風機の音がうるさくても、その向こうから聞こえてくるお母さんの声に注意を固定します。ところが自閉症の場合には、この注意選択の機能が働かないため、情報の洪水の中で立ち往生してしまいます。

成長するにつれ注意を固定することができるようになりますが、それには意識的な集中が必要なため、しばしば過剰な選択が働いてしまい、必要な情報がすっぽり抜け落ちてしまう、ということが起こります。

こうした情報の洪水に対抗するために、自閉症児は自分で一定のリズムを持った刺激を作り出して、外からの不快な情報を遮断します。目の前で手のひらをひらひら振る、座りながら体を前後左右に振り子のように振る、目も回さずにくるくる回る、など。

また成長すると「解離」を使うことで、外からの情報を遮断するテクニックを使う人もいるそうです。

知覚の過敏性もあります。
普通の赤ちゃんはだっこやおんぶを喜びますが、自閉症児を抱きしめようとするとパニックになり、おんぶすれば母親の背中から離れようとのけぞります。これは皮膚の感覚が過敏なため「触られると痛い」からです。シャワーも痛がって嫌がる子が多く、入浴が嫌いになったりします。服が肌を刺激することを好まないため、服を着たがらず、靴を履いたり帽子をかぶるのがひどく苦手な子もいます。音に対しても敏感で、音楽などの大きな音を嫌がります。

こうした過敏性がある一方で、やけどや怪我の痛みには鈍感だったりします。寒さに対して鈍感であると(服への過敏性もあいまって)他の人が厚着をするようになっても、薄着で寒がらないこともあります。

知覚過敏と過剰選択があるため、例えば手を握りながら話しかけると、握られた手の感覚で頭がいっぱいになってしまい、話が無視されてしまいます。このため、後述するアスペルガーの人も含めてPDDの人に話かけるとき、話の中身に注意を向けてもらいたければ、こちらの顔の表情を変えず、声のイントネーションも抑えて平板に話すことが必要になります。

蛍光灯の細かなチカチカが気になる、白地に黒い字の印刷ではコントラストが強すぎるなどとも書かれていました。

(つづく)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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