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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年02月29日(金) 一段落 僕の仕事にも納期があり、その日までに納品するのが基本です。
ただ、コンピュータープログラムは「一日に何個作れる」という計算の立つものではありませんし、そもそも総量がどれぐらいなのか作る前から正確にわかる仕事でもありません。似たようなプログラムを書き続けていれば、作業量の見積もりもだんだん正確にできるようになるのでしょうが、毎回新しい物を作るのですから予想の根拠がありません。
それでも仕事の計画は立てねばなりませんし、「いつ頃できますか?」というお客さんの質問にも答えねばなりません。
そこでなんとなく区切りの良い「月末まで」と答えてしまったりして、予想が間違っていたりすると月末忙しくなったりします。
今週は朝4時に寝て、8時台に起きる生活を続けていたので、ちょっとへばってきました。僕は外食の時にはお腹が一杯でも残すことができないので、つい食べ過ぎてしまって、この間に2Kg太りました。まあ過労で腸の働きが鈍って、出る物が出ていないせいもあるでしょう。
幸い仕事は木曜の深夜に仕上がって、今日金曜は「何か問題があったときのため」の待機出勤でありました。来週の仕事を前倒しでする気力もないので、机に座っているだけが仕事です。雑記も書いたのですが、脳が半分寝ていたので、脈略がない文章になってしまいました(いつものことか)。
せっかくだから小淵沢のミーティングに出ようかと思ったのですが、体のことも考えてやめておきました。会場から国道まで戻ったところに「一品香」(いっぴんこう)という名の中華料理店があり、そこの海鮮おかき980円が気に入ったのですが、残念ながら今日は諦めました。
ネットで探してみるとこの「一品香」という店はたくさんあるようです。けれどチェーン店というわけでもなさそうです。中華料理の店が多いようです。いーぴんしゃんとカナを振ってあるところもあります。何か中国語で意味のある言葉なのでしょうか。焼き肉の店に「南大門」が多いのと似たような事情でしょうか。そう言えば南大門は燃えちゃったんですね。
ドラッグストアと電器店とユニクロに寄り、吉野家で牛丼とけんちん汁を食べて、セルフでガソリンを入れて帰りました。吉野家のメニューにけんちん汁と豚汁が登場しましたが、この二つはどう違うのでしょう?
妻に言わせれば「どちらも同じもの」なんだそうですが、それでは30円の価格差を説明できません。
いただいているメールに個別に返事できていませんが、この週末に書きたいと思います。一品香の意味、けんちん汁vs豚汁について、掲示板の方ででもご教示頂ければありがたいです。
2008年02月28日(木) 最初の一回 さすがに月末はちょっと忙しくて、雑記を書いている暇がありませんでした。
さて、ビッグブックを使ったスポンサーシップ。僕はスポンシーと向かい合って、この本を1ページずつ読んでいくことから始めています。
まず最初に「初版に寄せて」を読みます。そこを読めばこの本が、AAの最初の100人が「どのように回復したかを、まさにそれがあったとおりに伝えること」を目的として書かれたことがわかります。
原書の中では文章の一部をイタリックで強調しており、日本語版ではその部分をゴシック体で目立たせています。けれど、なぜか「初版に寄せて」の precisely how we have recovered に対応する部分は明朝体のままです。どうしてなんでしょうね?
それはともかく、これから始まるスポンサーシップでは、この本を基本テキスト(つまり教科書)として、最初の百人と同じやり方でステップに取り組んでいくことをはっきりとさせます。スポンシーを導くのは僕ではなく、この本です。だから、もし僕の言っていることと、この本に書かれていることが矛盾してたなら、ぜひ本のほうを信用して欲しいとも伝えます。
当然そのステップには、「自分なりに理解した神」を求めること、棚卸しの表を書き、性格上の欠点を探し、埋め合わせを実行し、日々の棚卸しと祈りと黙想という作業が含まれます。
スポンシーの選択肢は、最後までやり通すか、途中でやめるかのふたつです。残念ながら僕もまだまだ未経験で、きちんとこなせたスポンシーを持った経験がありませんが、それもこれから解消していくでしょう。
ステップを始めるのは、早ければ早いほど良いと思います。なにぶんスポンシーは苦しんでいるのです。かろうじて酒は止まったものの、またいつ飲み出すか分からないという不安を抱えています。酒を飲まなくても、別の依存対象に手を出してしまうかもしれませんし、それさえ自分に禁じれば死にたくなってしまうかも知れません。だから早くステップをやって、それを解消した方がいいと思います。
もちろん、その前に入院が必要な場合だってあるし、ステップが効いてくる前にまた飲んでしまっては話にならないので、ミーティングに通い続け、仲間の中にいることが最も安全な方法でもあります。
ビッグブックの使い方も人それぞれで、1ページずつ読んでいく面倒な方法は取らず、事前に読んできて話だけする人もいます。最終的にビッグブックの中に書かれた考え方・やり方が、スポンシーの頭の中に移るのであれば、途中どんなやり方でもかまわないと思います。
2008年02月26日(火) 対応策 地球温暖化という言葉がよく使われるようになりました。
その中でもよく使われる理屈は、産業革命以降の人間生活の工業化によって、化石燃料を大量に燃やした結果、二酸化炭素排出量が増え、そのCO2の温室ガス効果によって地球が暖まっているという説です。
確かに僕の子供の頃に比べれば、気温は高くなっています。気象庁が気温に使う「平年」とは過去30年の気温の平均値ですが、この平年値がだんだん上がってきています。
人間が化石燃料を使うようになったのは事実ですし、焼き畑農業などによって森林の砂漠化が進んでいるのも本当でしょう。空気中の二酸化炭素の量が増えているのも事実です。
でも、人間の活動と、二酸化炭素の増加あるいは気候温暖化が、結びついているのかどうか、本当のところは分かりません。大きな地球の変動の一部であって、人間の活動とは無関係だという人もいます。真剣になって研究している人たちもいますが、結論は容易にはでないでしょう。
原因が何かに関わりなく、気温が上がっていってしまうと困ります。長野県内でも、気温が上がったせいで、低温を好むリンゴが不作になったりしています。より標高の高い畑へ移ろうという人たちもいます。
これが続けば、北半球の人間は北へ北へと移住していかなければならなくなるでしょう。そして、赤道付近は住むには暑くなりすぎて無人の帯となり・・。
まあ、そうなると決まったわけではありませんが、そうならないためにできることと言ったら「CO2の排出量削減」でしょう。誰が原因を作ったかとは関わりなく、策は行っていかなければならないということです。
同じように、「なぜ自分は依存症になってしまったのか」というのは、酒が十分止まってから考えればいいことで、飲みながら考えても仕方ありません。ステップだと言う前に、まず入院して酒を切ってこなくては話にならない、とビッグブックにも書かれているわけです。「飲んでいる人と酒のやめ方について話しても仕方ない」とビルも書いています。
2008年02月25日(月) コミック 小学生の頃は、親にねだってごくたまに買ってもらった「小学○年生」を大事に大事に読んでいました。中学生になって、自分の小遣いで週刊少年チャンピオンを買うようになりました。当時のチャンピオンには、山上たつひこの『がきデカ』や鴨川つばめの『マカロニほうれん荘』が載っていました。もちろん「あの方」の『ブラックジャック』もあったし、萩尾望都(光瀬龍原作の『百億の昼と千億の夜』もあり、吾妻ひでおも描いていました。
しばらく後に週刊少年サンデーにスイッチしました。
富士スピードウェイでF1をやっていた時期で、村上もとかの『赤いペガサス』が連載されていました。中学生のお小遣いでは、チャンピオンとサンデーを両方買うことはできず、なくなくチャンピオンを諦めたのでした。
高校生の頃に、週刊少年ジャンプにスイッチした時期がありました。鳥山明の『Dr.スランプ』、江口寿史の『ストップ!! ひばりくん!』、北条司の『キャッツ?アイ』などの時代です。
大学生になった頃は、少年マンガ・少女マンガ・レディースコミック手当たり次第に、ひと月に30冊以上マンガ雑誌を買っていました。そりゃもう読むだけでも大変でした。当時はまだ古紙の価格が高く、ちり紙交換古紙回収業のトラックが定期的に町内を回っていたので、読んだ雑誌の処分には困りませんでした。が、月に一回の資源物の日にまとめて出さなければいけなくなると、とたんに辛くなりました。
今では購入する雑誌も減り、週刊誌が一冊と、月に2回出るのが2冊だけです。これだけでも、妻からはマンガばっかりと責められています(これに子供たちのりぼんとちゃおが加わります)。
これだけ長い間マンガを読み続けていても、気がついていなかったことがあります。それは、「吹き出しの書体は、ひらがなが明朝で、漢字がゴシック」というお約束です。少年誌はほぼこうなっています。大人向けのルビ(ふりがな)のない雑誌では書体がひとつのものもあります。でも、言われるまで気がつきませんでしたね。
三十数年マンガを読み続けていても、気がつかないぐらい些細なことなんですよ・・。
2008年02月24日(日) 普通の日曜日 スポンシーAのお母さんから電話があったものの、寝ていたので出られず、起きてから折り返しかけました。教えられたとおり「愛情を持って手放して下さい」という話をしました。
ステップ4の作業がちょっと停滞しているのじゃないかと心配になってスポンシーBに電話。ステップはドミノ倒しのようなもので、1のドミノが2を倒し、それが次に3を倒しと次々と進んでいくのが一番簡単です。途中で足踏みをしてしまうと、先へ進めなくなり、結局最初から倒し直さなければならなくなります。最初の表の話をする日程を決めました。
スポンシーCに電話。こちらは表の前に、一生を思い起こすライフ・ストーリーのタイプの棚卸しを先にやりましょうという話になっていて、もう一部は郵送で届いているので、こちらも話を聞く日程を決めました。
さて、次女は将来「ぱてしえ」になるのが夢だというのですが、いままでケーキを作ったことがありません。とりあえず一個作ってみなくちゃ始まらない・・のですが、スポンジを焼く技量はまだありません。そこで次女はケーキスポンジを買ってくることを決めたのですが、ママは「ツルヤにはね、特別な季節じゃないとスポンジは置いてないのよ」とにべもない、と泣きつかれました。
じゃあパパと一緒にツルヤに買い物に行ってみよう、という話になって出かけましたが、やっぱりツルヤにスポンジは売っていませんでした。代わりにロールケーキを一個買わされました。ロールケーキを切って並べて成形すれば、スポンジの代わりにならないだろうか・・というアイデアなんですが・・。それとパパは夜食用の200円のカップ焼きそば、次女はおやつ用の麦チョコ。
もう一軒、西友にも寄ってみることにしました。やっぱりスポンジはなく、かわりに生クリームを買わされました。
帰りに混んだ道を避けようと、回り道をしたら、そこにアップルランドという地元系の小さなスーパーがありました。「ツルヤや西友にないものが、ここにあるわけないよね」と言いながら寄ってみると、ちゃんとそこにあるではありませんか! さらにパイナップルの缶詰も買わされました。
こうして僕ら二人は、ずいぶん回り道をしながらもケーキスポンジへと導かれました。いや回り道した手間や時間より、いろいろ余計な出費が痛いような気がするんですが。その後も、やれクリームが泡立たない、やれ缶詰が開かない、と呼ばれることしきりでした。
夕方スポンシーCから電話があり、近くまで来たので一緒に晩飯を食おうと誘われ、2時間ほど出かけてきました。
返ってくる頃にはケーキが完成していました。まあ、そんな日曜日です。
2008年02月23日(土) さぶう 昨日は暖かかったというのに、今日は一転して寒さが戻ってきています。木造の教会をお借りしているミーティング会場は寒く、ラッシュガードを着込んでいけば良かったと少し後悔をしました。
以前は「長野のAAは冬はメンバーが減る」と言われていました。寒くなって道の状態が悪くなると、無理してミーティングに通おうとしなくなる人が増え、結果的に飲んで消えていってしまうのだと・・・。最近は、それほど顕著な差を感じません。
精神病院も、正月明け・ゴールデンウィーク明け・お盆明けはアル中さんで混み合うのが通例でした。まとまった休みに連続飲酒に陥って、家族が入院させるというパターンが多かったのでしょう。こちらも今ではそれほどでもありません。
アル中さんはやっぱり年中無休なのであります。
さて、ギャンブルについてもアルコールと同じことが言えます。
いったん飲み始めたアルコホーリクが、もうどうしようもなく「次の一杯」を追い求めるように、ギャンブルに手を出した強迫的ギャンブラーは「さらなるギャンブル」を追い求めます。この強迫性(渇望)はどちらの依存にも共通です。
そして、飲み過ぎてトラブルを起こしたアルコホーリクが「もう二度と飲まない」という後悔と決心をするように、大負けに負けた強迫的ギャンブラーは「もう二度とギャンブルはしない」という決心をします。
だが、酒をやめただけのアルコホーリクがなんとなくイライラして落ち着かないのと同じで、ギャンブルを断っただけの強迫的ギャンブラーもそわそわと落ち着かない日々を送ります。
強迫性(渇望)は、依存対象を断ってさえいれば次第に収まっていくもののようです。だからアルコール依存症の人が「もう私には飲酒欲求がない。飲もうとは思わない」と言い出したりします。だが、その人がまた酒に手を出す日が来ます。ギャンブルの人も同じです。それは意志の力を越えたところにあるのです。
たまたま依存の対象が異なっていただけで、おそらく脳の中で起きている現象は同じでしょう。だがその共通性に気がつくためには、自分の持っている依存の本質を、きちんと見つめることが欠かせないと思います。
2008年02月21日(木) アイデンティフィケーション AAミーティングで話をする前に「アルコホーリクの○○です」と名乗るのが通例です。アルコホーリクという言葉の代わりに、アルコール中毒者とかアル中とかアルコール依存症という言葉を使う人がいますが、表現の違いは大きな問題ではありません。
これはもともと、"My name is ○○. I'm an alcoholic." という言葉を日本語にしたものだそうです。「これから私はアルコホーリクとして話をしますよ」という宣言だとも言えます。
これはアイデンティフィケーション(身元確認)と呼ばれ、とても大切なことだそうです。自分はアルコールに問題があるのだ、と自ら認めるのはステップの基盤になることです。それから話を聞く人に対して、どんな立場から話をするのか明確にすることで、グループの「唯一の目的」を果たす手段のひとつにもなります。
もちろんアイデンティフィケーションはAAメンバーの義務ではありませんから、かならずそう名乗らなければならないわけではありません。ただ、アイデンティフィケーションをきちんとやりたいと思ったなら、お勧めなのは「少なくともアルコールに問題があることははっきりする言い方が良い」と思います。
複数の依存を抱える人が、たとえば「アルコールと薬物依存の○○です」と名乗るのは良くないと考える人たちもいます。AAの唯一の目的はアルコールなのだから、薬物のことが出てくるのはおかしいという理由だそうです。僕の個人的考えは、そこまで厳しくはありません。他の依存のことも一緒にアイデンティファイするのはその人の勝手だと思っています。
ただ、アルコールに問題があるのかはっきりしない言い方は良くないと思っています。たとえば「依存症の○○」とか「コントロール喪失の○○」とか「クロスアディクションの」などのように、アルコールに問題があるのかどうかはっきりしない表現はいただけません。クローズドミーティングに参加の可否、オープンでも話をしてもらえるのかどうか、そういうことを他の人が判断するのに、必要な情報が含まれていないと困ります。自分のグループではそれで通じても、他を訪れた時にどうなんでしょう?
もちろん、アルコールの問題を抱えていない、他の依存だけの人がアルコールのアイデンティファイをすることはないはずですし、そういう人がミーティングに参加して話をするかどうかは、個々のグループの選択でしょうから、この話題とは別のことです。
僕はミーティングでは「アルコール中毒者のひいらぎです」で始めています。なぜ「アルコール中毒者」という言葉なのか、というこだわりはまたの機会に。
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