心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年02月07日(火) 曇り空の向うはいつも晴れている

地上波デジタル放送が長野でも始まろうとしています。
といっても始まるのは長野県の中でも広域を対象とした中継局だけです。山の多い長野県は、細かな地域ごとに中継局が張り巡らされておりそのすべてがディジタル化されるには、かなりの年月がかかるでしょう(といってもアナログ停波までには完了するのでしょうが)。

テレビ番組をベータのテープに録画することに喜びを感じていた20年前ならいざしらず、今はあまりテレビを見ないので、いずれ家のテレビも、パソコンのチューナーボードも買い換えねばならないというのは、ちょっと面倒な感じです。
ただ、ゴースト受信がなくなるというのは良い話かも知れません。

期待しているのは、「ワンセグ・モバイル」と呼ばれる移動端末向けのテレビ放送が同時に始まることです。いままでアナログのポータブルテレビがちょっと流行ったこともありましたが、所詮一過性のブームにすぎませんでした。理由は映像の悪さでしょうか。移動体で安定してアナログ波を受信するのは難しいことであります。
とりあえずは携帯電話に「ワンセグ対応」のモデルが登場して、通勤電車の中でテレビを見るといった用途が一般化するのかも知れません。「おまえは自動車通勤だから関係ないだろう」と言われれば確かにそうなのですが、SONYからワンセグ対応のVAIOが発売されていたりするようなので、いずれはパソコンのUSB端子につなぐワンセグチューナーが登場したりなんかして、会社のパソコンで(昼休みにだ)テレビを見るなんてことも可能になるんじゃないかと思っているわけです。

もっとも最近仕事が完全に煮詰まっていて、「このままでは会社にいつまでいられるのか」ということが不安でありました。実は今日は部長にプロジェクトの進捗を報告する日で、なんと言われるか戦々恐々という心境でありまして、とても雑記なんか書いている心の余裕はありませんでした。
ただひとつ決めていたことは、虚飾をせず正直に現状を報告しようということだけでした。その結果がどうであれ受け入れようと。

「半年や一年で結果が出るとは思っていないよ」

なんだそんなものか。一人で悩んでいるのが一番良くないのかも知れません。
この苦しみがまだ半年も一年も続くのか。やれやれ。それがあなたの意志ならば、ここで働いていろと言うことなのでしょう。

iPod nanoに1GBの新モデルが登場して、ちょっと欲しかったりして。でも、新しくした携帯電話だってまだ使いこなせていません。ソフトバンクがブログに引用して良いニュースの配信を始めるそうです。mixiでもニュース配信が始まるとか。今年はmixiにデビューしたいなぁ。

しばらくうつで沈んでみたり、イライラしてみたり(これもうつの症状か)していましたが、少し晴れたようです。


2006年02月06日(月) enumeration of facts

鼻風邪を引きました。マスクをして会社に行ったのは、他の人への感染予防ではありません。鼻が詰まっていると、口で息をします。するとのどが渇くのです。それを癒すために水分(ジュースだ)をのべつ幕なしに飲みます。水分過多で下痢をします。脱水症状で熱が出ます。この連鎖をなんとか止めるために、湿気を含んだ空気が鼻を覆ってくれるように、3枚200円という高価な立体マスクを買ったのでありました。
なぜか人と話すときにはマスクを取るので、同僚にいぶかしがられてしまいました。

体調が悪いのでAAミーティングは早引け。

アイロンかける気力なし。洗濯物はたまったまま。でも新たに洗濯する。

低気圧が本州南岸を通ったおかげで「南雪」になり、僕の住んでいるあたりでも雪に。
夜中に2回雪をかきました。深夜にやる理由は、朝になると氷の表面が凍ってより力が必要なのと、単に朝起きて肉体労働をするのが辛いからです。

うつの状態が良くありません。3日ほどで良いから休養のための休暇をもらおうと思うのですが、あいにく上司が出張で誰もいません。まあいいや、そのうち良くなるかもしれないし。


2006年02月02日(木) 世界が終わるわけではない

どうも最近調子が悪く、今日(金曜日)も休むことにしました。
昔は春から夏にかけて病院に入院している時期が多かったりしましたが、近年は1月〜2月ぐらいが底のようであります。

仕事がそんなにキツいのかと言われれば、そんなにキツくはありません。ただ若干疲れるのであります。じゃあ家でのんびり休めばいいのですが、ジジババとの関係もあって、こちらでも若干疲れるのであります。人間関係は得意ではないので・・・。
家でも会社でも少しずつ疲れて、実はAAに行っているときが一番休まったりして。

一昨日も休んだばかりだし、休みが増えると会社員としては少々立場が悪くなります。が、そのことを気に病んでいると、休む意味がなくなります。

ちょうど昨日の記事で、たとえ失敗しても、世界は終わらない というのがありました。

それに倣って、論理療法的アプローチをやってみることにしましょう。

1.〜に越したことはない。
「欠勤せずに仕事を進めるに越したことはない」

2.〜だからといって人生が終わりというわけではない。
「欠勤して仕事が進まないからといって、人生が終わりというわけではない」

3.永遠に〜と決まっているわけでもない。
「永遠に休むことが続いて仕事が進まないと決まっているわけではない」

4.〜の状況に耐えるのは苦痛だろう。それでも耐えられないわけではない。
「仕事が進まず周囲の期待に応えられない状況に耐えるのは苦痛だろう。それでも耐えられないわけではない」

5.〜を失敗したからといって、私の価値が下がるわけではない。
「仕事を失敗したからといって、私の価値が下がるわけではない」

6.〜は残念だ。でもこの世が終わるわけではない。
「仕事を休んで周囲の期待に応えられないのは残念だ。でもこの世が終わるわけではない」

7.〜されたい。しかし、〜ねばならないというわけではない。
「期待に応えて賞賛されたい(悪い評価は受けたくない)。しかし、賞賛されねばならない(失敗してはならない)というわけではない。」

体も疲れているが、脳も疲れています。脳疲労とうつと両方同時におきているのかもしれません。昼間午前中寝るというのはあまり脳が休まらないないのだそうです。もちろん夜寝るのが一番なのですがね。でも、昼間寝る必要がある場合には、午前中は眠いのを我慢して起きていて、午後寝るのが良いのだそうです。これについてはまた別の機会に書いてみたいです。

というわけで、午前中起きているために、こんな文章を書いてみました。
努力できないときは休むのだ。


2006年02月01日(水) ちょっと一休み

風邪をひいていると言うほど体調は悪くなかったのですが、なんとなく疲れがたまってしまっていました。2週間に一度の精神科への通院日でもありますし、車の保険の更新もしないといけません。仕事に大幅に遅れていくのもうっとうしいので、思い切って休みをもらってしまいました。

精神保健福祉法の改正(?) のおかげで第32条そのものがなくなり、別の法律によって通院医療費の補助を受けることになりました。その申請は市の窓口でもできるのですが、結局は前の法律と同じでひとつの医療機関でしか使うことができません。というわけでかかりつけの精神科医で申請を代行してもらうわけですが、前回は印鑑を忘れ、今回は障害者手帳のコピーを忘れました(診断書がいらなくなるので診断書代が不要になる、ただし障害者手帳の申請にはもっと高額な診断書が必要)。また次回の診察の際までおあずけであります。

それにしても医者が混んでいて、午前中一杯かかってしまいました。世の中がストレスフルになっているのか、精神科医のしきいが低くなっているのか・・・。

農協で自動車共済(保険)の更新手続きをする。農協は安くて助かるのですが、一般の保険会社と違って外交の人が更新の手続きをやりに家まで来てくれたりせず、こちらから出向いていかないといけません(組合員の家になら来てくれるけど)。ちなみに農家でなくても共済に加入はできます。ただ農協という金融保険機関の財務体質がどれぐらい良いのかはわかりません。少なくとも郵便局よりは体力がないでしょう。一生ものの生命保険なんかを頼むには不安がありますが、一年更新の自動車保険ならいつでも逃げ出せます。
「搭乗者傷害」の特約をなんか総合特約に変えるように勧められて、支払いが済んだ後にパンフレットをよく読んだら、いままでの特約なら同乗者死亡の際には一千万まで支払われたのが、300万円までになっています。通院医療日もかならずしもお得になるとは限りません。あれだけ熱心に勧めたと言うことは、「搭乗者傷害」の特約がさして有効に使われないのか、それとも特約事項のせいで赤字になっているか・・・。

ブログのほうには書いたのですが、携帯電話を買い換えてしまいました。

帰って布団をひいて寝ました。

会社員をやっていて良いと思うことは、自分が休んでいても物事が止まらないということであります。
逆に言うとフリーランサーの頃は、体調を崩して仕事を休むと、それだけ確実に仕事が止まってしまったと言うことです。20代の頃は、連続飲酒にすぐに陥るようになり、確実に仕事ができなくなっていました。仕事をするためには酒を切るしかないわけで、なんとか酒を切って納期に遅れても仕事を納品し、納品が終わるとまた浴びるように酒を飲んでいました。
「飲み過ぎる」か「まったく飲まない」かどちらかしかできないのに、「いつでも止めようとおもえば止められるのだから」とまったく問題視しませんでした。
しかし、やがて仕事があっても酒を止めるのが困難になり、酔って仕事ができないでいるのに、催促だけは矢のようにやってくる・・・という苦しみを味わいました。

組織に属して仕事をするのはしんどいこともあるのですが、助けられている側面もたくさんあります。というかそれがないとやってられない。


2006年01月30日(月) 成功?

「勝ち組」「いいこと」「スリップ」というのが最近の掲示板の話題でしょうか。

楽天ゴールデンイーグルスの野村監督が、ヤクルトスワローズの監督時代に言っていた言葉に「プロセスを大事にしなさい」ということがありました。野球というのは結果がだいじなスポーツであります。勝つか負けるか(引き分けか)という結果が出るものです。ピッチャーにしてもバッターにしても、アウトになる(する)かセーフになる(する)かという成否が出ます。優勝したかしなかったか。Aクラス入りしたか、Bクラスに沈んだか。普通のビジネスの世界よりも、もっと結果がはっきり出る世界であるにもかかわらず「結果ではなく、プロセス(過程)を大事に」と説くのでありました。

例えばイチローのような強打者がいます。ストライクゾーンどこに投げても打たれてしまう。ピッチャーもどこに投げて良いか悩む。キャッチャーもどうリードして良いか悩む。困った挙げ句に開き直ってど真ん中に投げてみる。しかしどんな強打者も絶好球を必ずヒットに出来るとは限らないのが野球です。打った球がたまたま野手の正面を突くという場合もあります。結果は内野ゴロゲッツーかもしれません。結果 All Right であります。
だが、そういう幸運は1年を通して続かないわけで、成功からも失敗からも学ばなければいけないというのがプロセス論でしょう。

飲まないアルコホリック業界でも、飲まないでいるのと、飲んでしまうのとでは、その間に明確な線が引かれてしまうものであります。それを成功と失敗と言い換えても良いかもしれません。
「勝ちに不思議の勝ちあり」であります。なぜだか知らないけれど(おそらく主に幸運によって)「飲まない」が続くことがあります。ボールが野手の正面を突き続けることが、人生には不思議とあったりするものです。
一方「負けに不思議の負けなし」でもあります。スリップに不思議のスリップは、まあほとんどないわけで、未だターニングポイントを迎えていないとか、ミーティングの出席だけで満足ししまうとか、もしくは周回遅れのランナーなのにトップに追いつこうと無茶な努力に夢中になったとか・・・。アルコールは巧妙で強力な敵であります。
前と同じ努力をしているのに、なぜか今回は酒が止まらない。謎でも何でもないわけであります。

飲まないでいることが簡単でないからこそ、1年のバースディをお祝いするのでありましょう。でも、「飲まない」という結果に囚われてしまうと本質が見えなくなります。

関西の大学の精神科医のお言葉に、「酒が止まらなくても、懸命に酒を止めようとした親として死んでいけ」というのがあったそうです。直接聞いたわけではないので、伝聞ですが。人間結果が伴わない努力にはうんざりしてしまうものです。
しかし、野球で言えば3割打てば強打者です。逆に7割は打てないわけです。一試合に一本もヒットが出ないことが続くことだってあるわけです。でもいつかヒットは出るわけで、今回スリップしてしまったからと努力をやめてしまうのではなくて、失敗から学んで努力をすれば、いつかソーバーの日々にたどり着ける日がやってくるのでありましょう。
そしてもし本当に酒が止まらなかったとしても、努力に価値はあるというのが、前の言葉の真意ではないかと思う次第です。

ビル・Wにメッセージを伝えたエビーは、その後再び酒に戻ってしまいます。AA第3の男は、飲まなかったものの、借金をかかえ、ビル夫妻の財産を売った挙げ句に自殺します。幸運が私たちに届けてくれたメッセージも、結果にばかり目を取られていれば、手元から失ってしまうという警告だと思っています。

「俺はアル中というレッテルを貼られてしまった。人生の途中でつまずいてしまって、もう二度と人がうらやむような暮らしは出来ないに違いない」という考えは実はアルコホーリクにはありふれたもののようです。自分と他人を比べる病気であります。そして、自己憐憫というお茶はいつも甘くて美味しいのであります。
だが幸せかどうかは自分で決められることであります。人からうらやましいと思ってもらうことに幸福があるわけでも、人に見下されることに不幸があるわけでもない Live and Let Live です。

「神は私たちに成功することを求めてはいません。ただ私たちが努力することだけを求めているのです」『ビルはこう思う』より。

ソーバーであることがAAのメンバーシップなのではなく、ソーバーになりたい、ソーバーであり続けたいと思うことがAAのメンバーシップなのは、今も昔も変わりありません。

どれだけやめられたかが大切ではなく、今日一日やめることが大切な大切なことに違いありません。努力できていれば胸を張ればいいし、できていないなら一休みしてじっくり取り組んだほうが良いかも。


2006年01月29日(日) ライブドアショック

雨が降っています。久しぶりであります。
外気温も8℃と高く、春の足音も遠くないことを感じさせます。

さて、世間を騒がせているライブドア事件でありますが、僕としては冷めた目で見ております。
そもそもなんであんなに株価が高騰したのか未だに理解に苦しむのであります。株式を100分割するという手法が一時的な高騰を生むのは今回の報道で初めて知ったわけでありますが、仮に粉飾決算が本当であったとしても、そんなにありがたがって株を買うほどの会社ではないだろうと思っていたわけであります。
「そもそも株価なんて人気投票みたいなものにすぎない」
というご意見も聞いたことがあって、なるほど警察捜査以降の株価の低落を見ると、そんなものなのかなと思うのであります。

NTT株の初回公開の時に、実兄は購買の権利を抽選で当てたわけでありますが、その権利を5万で売ってしまって大後悔していました。僕は借金してでも買う価値のある株があることを初めて知るわけであります。しかし、第3次公開あたりになると、期待値ばかりが高くて損をした人も多かったとか。

Yahoo!の日本法人が店頭公開したときも、70万円の公募価格に対して、初値が200万円。それが一時一億円まで上がるという、素人にはどうしてそうなるのか分からないという状態でありました。もちろん70万の借金をして株を買おうにも、信用がゼロの自分でありました。

そのヤフーを買ったソフトバンク。今回のライブドア事件でも、楽天と並んでライブドアと比較されることの多い会社です。ライブドアと比較すればいかに両社の財務がいかに健全であるか(ライブドアが不健全であるか)ということが言われている訳ですが、はたしてそうなのか疑問であります。

楽天については興味もないので大して調べていないのですが、ソフトバンクについては多少興味があります。
そもそもYahoo!BBサービスが同社の知名度を一般に浸透させるきっかけになったのでした。確かに同社のADSLサービスは(NTTに比べて)安かったです。街角でADSLモデムを押しつけるという販売手法が強引であったにしても、加入者をどんどん伸ばしていったのは間違いありません。
加入者が増えている間は、将来の収益が見込めるので投資価値があると判断されるのでしょう。しかし、廉価販売をした同社のARPU(ユーザーあたりの売り上げ)は低迷を続けます。ただ、加入者増加のニュースだけが華々しく報道されていたわけであります。
しかし、設備を全国の電話局に展開するには莫大な設備投資資金が必要で、さらにADSLサービスの相次ぐ高度化にともなって何度も設備更新が必要になり、それほど収益体質がよいとも思われない状況が続いていました。気がついてみると同社のサービスが他社と比べて安いわけではない(高い)ことになっているのであります。それと同時に加入者も頭打ちになります。そしてその情報は投資家情報の目立たないところに移動することになるわけです。
今後光ファイバーへの転換が進むに従って、どれだけのユーザーをつなぎ止めることができるのか、まあお手並み拝見であります。他の会社が加入電話と同じ番号体系のIP電話をセットにして販売するようになっているのに、日本テレコムを買収したのに「おとく電話」とのセット販売をしないのも不思議であります。単に両方セットにして割引すると、ARPUが低下するだけの話なのかも知れませんが。

もうしばらくすればソフトバンクの携帯電話サービスも開始されることになります。さすがに使ってみようとは思いませんが、Yahoo!BBの時と同じように競合他社の料金値下げに結びつくのは間違いないでしょう。携帯電話ユーザーとしては歓迎であります。

最近ではYahoo!関連のニュースもネットオークションの手数料収入の増加などに入れ替わって、通信サービス関連のニュースは少なくなっています。
ネットオークションもいつの間にか有料化されています。

実は昨日、ネットオークションで800円で2個入札するはずが、間違えて8,002円で2個入札してしまいました。よく確認しなかったのがいけないのですが、さして欲しくもないものに1万5千円以上払うことになりそうです。「ネットオークションには慣れているから」と慢心していた自分を戒めるには十分なミスでありました。くっそー。
実は、腹立ちまみれでこれを書いているのであります。


2006年01月27日(金) 心が痛いぞ

うつ病が悪化して休職したのが1年前です。「あなたは依存症だから安定剤を出すのはなるべく避けたい」と言っていた医者も、経過が思わしくなかったので仕方ないとばかりに精神安定剤を処方に混ぜてくれました。こうして数年ぶりに安定剤を飲むことになったわけです。
最初は朝昼晩3回飲んでいたのを、朝晩に、夜だけに、そして量を減らし、さらに種類を変え、また半分に減らし、そしてゼロにしてもらったのが先週です。

先週から午前中の勤務が復活したので、なるべく朝すっきり起きられるようなりたいという希望で切ってもらったわけです。
半減期が100時間という薬ですから、変化が訪れたのは今週になってからでした。泥沼の底からはい出してくるような寝起きが、楽に起きられるようになりました。しかしそれは、眠りが浅くなっただけなのかもしれません。
昨日の晩はいきなり胃の痛みがやってきて驚きました。この懐かしい痛みは、ストレス性の胃酸過多による胃炎のようです。何のことはないストレスをダイレクトに受けるようになって、さっそく体調に変化が起きたというわけです。
今日も出勤したのですが、まったく仕事に手が付かず、定時になったら逃げるように帰ってきてしまいました。出際に、来年度の開発計画と予算請求を出してくれと言われました。「私達は感情の上では今日一日の生活を送るのであるが、生きていくためには計画を立てねばならない」。ううう、しかしまだ仕事に完全復帰もしていないのに、一年先まで考えられるかってーの。

しかし、つくづく自分はストレスに弱いです。自分が周りの人より多くのストレスを受けているというコンセプトは「甘くて美味しい」のですが、その現実認識は間違っている上に、現実問題に対処するのに何の役にも立ちません。
実際は、自分がストレスに弱く、溜まったストレスの発散が下手な人間なのであります。アルコホーリクの病前性格としては典型的なのだそうです。
疲れているのなら早く寝ればいいのにと、自分でも思うのですが、休みの前の日はこんな時間まで夜更かしして、パソコンに向かってこんな文章を書いているのであります。やれやれ。まったく困ったやつであります。

さて、皆さんは携帯電話を持って歩くときに、どこにしまっておくのでしょうか?
アンケートによれば、男性は「身に付け」女性は「バッグ内蔵」 だそうであります。
男性の4割はズボンの脇ポケット。女性は実に9割以上が「バッグの中」。

僕もまあ多数派の一人で、左の脇ポケットにハンカチと一緒に入れておくのが習慣です。仕事中もずっとポケットに入れっぱなしです。音がうるさい場所にいるときや、高速道路を運転しているときには、着信音に気づかないときがあるので、音と同時にバイブレーターが発振するようにしてあります。ちなみに、夜7時半から9時の間は、曜日を問わずマナーモードに自動的にはいるように設定してあります。これは、ミーティング中に鳴り出すのを防止するのに(僕にとっては)一番確実な手段であります。

最近の女性向け携帯電話って「何でこんなにでかいんだろう」と思っていたのですが、ポケットの中じゃなくて、バッグの中に入れて持ち歩くのなら、うなずける話であります。

Bluetoothのヘッドセットをいろいろ買っている中に、携帯電話のイヤホン端子につなげるBluetoothアダプターも手に入ってしまいました。これがあれば、携帯電話はアタッシュケースの中でも、ヘッドセットさえポケットに入れておけば着信できるなと思ったのですが、「メールの着信はヘッドセットでは分からない」という欠点に気づいてしまったのでありました。

「ひかり電話(NTTのIP電話サービス)」で時報(117)にかけようとしたらつながりませんでした。IP電話だと音声に遅延が起きるので、時報として役に立たないということかもしれません。
それから、いままで無線で結んでいた3階と2階のあいだを、モジュラーケーブルで結んだら、それがアンテナになってしまったらしくて、電話をかけるとAM放送がバックに流れてしまいます。そういう現象が起きることがあるとは聞いたことがありますが、実際に体験してみるとなんだか不思議であります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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