心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年07月09日(土) ラッキー・ドラゴン

8時に起きて朝食を食べ、9時半のバスハイクの集合時間に間に合うように家を出ました。
子供たちは二十数人。付き添いは(バーベキューの火の管理ために呼ばれたトクベツなお父さんを除けば)全員お母さんばかり。父親は僕ひとりというわけで、なんだか浮いた感じでありました。

心の中で願っていたことは、早く時間が過ぎて午後3時40分の解散時間になってくれないかということでした。でも実際に時間はとても早く過ぎてくれました。
午前中の工作教室は天然の木の素材を集めてキーホルダーを作るというものでした。子供たちが作ったものは、キーホルダーには使えないほど大きな物でした。素材ののこぎりをひいてあげたり、ハンドドリルで穴を開けてあげたり忙しくしているうちに、あっという間に1時間半が過ぎてしまいました。男の子たちは、ハンドドリルで穴を開けまくって、ムシキングだとかいろいろ独創的なものを作っていました。うん、男の子がいるのもうらやましいなぁ。

お昼のバーベキューは、最初に自分たちの食べる分の肉を焼いたぐらいで、火おこしもしなかったし、片づけの洗い物もお母さんたちがやってくれちゃって、僕は役立たずに立ってばかりいたのですが、これもあっという間に1時間半が過ぎてしまいました。お肉も十分食べられて、満足でありました。皆さんが僕の名前を呼んでくださるのですが、僕はお母さんたちの名前はほとんど覚えられずじまいでした。

午後は飛行場の周囲の公園へ移動(スカイパーク・略してスカパー)。おもしろ自転車広場というのがあって、奇妙な自転車に乗って遊ぶコーナーなのですが、ふだんは30分100円なのですが、この日は何かのイベントがあって無料開放されていました。そのイベントのあまりものでポップコーンを山ほどもらいましたが、二十数人の子供たちのお腹の中にすぐに消えてしまいました。同じ公園の中のラベンダー畑が、今日からつみ取り放題とあって、雨の中になりましたが、30分ほどラベンダーを収穫(?)しました。
実は大人の中でラベンダー採りに賛成したのは僕だけで、お母さんたちは疲れたなか雨の中に出かけていくことは反対だったようですが、ラベンダーの濃い香りの中でリラックスしたのでしょうか、終わりには笑顔が浮かんでいました。

そんな感じで「良いお父さん」を演じて帰宅したのですが、妻からは感謝の言葉は一言もなしでした。でもまあ、半年仕事を休んだ埋め合わせにもならないかと思うと腹も立ちませんでした。

夜の地区委員会まで仮眠を取っている間に、amazon.co.jpに中古出品していた専門書が売れました。厚くて大きな本ですが、古書店に持って行っても買い取ってくれないだろうし、捨てるのももったいないのでダメもとで出品していたのですが、売れるとなんだかうれしいです。1万円の本がおよそ半額で売れるなんて、夢のようであります。ああこんなことなら、ウェーブレット変換の本も捨てずに取っておくのでした。

副業のほうは、不良在庫の処分が進んでいます。日曜は午前中だけ郵便局の本局が開いているので、発送に行くつもりです。

送品用にクッション封筒を買ってから地区委員会へ。帰ってきた頃には子供たちは昼間の疲れで寝ていました。全般的にラッキーなことばかりあった一日で、不運なことと言えば手の指の皮をすりむいたことぐらい。たまにはこういう一日もあるのだなと思った次第であります。

でも体が疲れた中、委員会に出席するのは少々しんどかったです。土曜日には子供につきあって一日過ごした後に委員会に出てくる人もいるのですが、そのしんどさを初めて実感した機会でした。「その人の靴を履いて長い距離を歩いてみなさい」とはAAの言葉ではないけれど、AAの本のどこかに載っていた言葉であります。


2005年07月08日(金) やれやれと金曜日に到着

午前中はネットオークションの品の発送に、クロネコの営業所までママチャリででかけました。クロネコメール便には「厚さ2cmまで」という規定があり、僕の扱っている品はクッション材を入れるとどうしても厚さ3cmぐらいにはなってしまうので、扱いを断られるのではないかと毎度冷や冷やしているのですが、断られたことは一度もありません。

障子の張り替えも4枚目が終わり、これで電車側から見られる面はすべてきれいに張り直されたことになりました。居間のは貼り替えないことにしているので、あとは長女の机の前の2枚だけです。しかし長女はストレスが溜まると、机の下の障子を足で蹴破ってストレス発散をする癖があるので、貼り替えても無駄かもしれません。
オークションでポイントが溜まっているので、ポリエステル100%の障子紙 を試してみようかとも思っています。
でも、障子紙が破れなくなって、子供にストレスが溜まっても困ってしまうな。

午後はこんどは郵便局へ発送に。相変わらず赤字基調ですが、収支は改善しつつあります。

昨日からConturaにネットワークカードのドライバーをインストールしようと、何度もWindows 95をインストールしているのですがなかなかうまくいきませんでした。古いマシンだから、枯れた古いカードを使ったほうが良いだろうと10Mbpsのカードを使っていたのですが、どうやらそれのドライバーがいけなかったらしいです。100Mbpsのカードに換えたら、すぐに動き出しました。

CPUのクロックは25MHzで、今使っているデスクトップ機の1/100の速度です。メモリ容量12MBというのもほぼ1/100。ハードディスク容量700MBというのも1/100以上の差です。
そうなると使い勝手も100倍違うかというとそうでもありません。
数字ばっかり大きくなっていくけど、なかなか進歩しないのがパソコンであります。

明日は児童センター主催の子供バスハイクにつきあう予定です。朝9時30分集合。午後3時まで6時間つきあわされることになっていて、いまからうんざりという感じですが、まあ子供はとても楽しみにしているのであります。


2005年07月07日(木) やっと

なんとか一日一回の睡眠にまとまってきたかなという感じです。この間3週間あまりかかったでしょうか。

申立書の清書ですっかり右腕が疲れてしまったので、サロンパス貼りまくりであります。

いちおう診断書には「午前中はなにもできない」と書かれているので、申請は午後に行った方が良いだろうと思い、お昼過ぎに社会保険事務所に行きました。歩いていった方がよいのでは、という提案もあったのですが、屋内からは駐車場は見えないので、別に関係ないだろうということで車で行きました。

年金相談の窓口はすいていて、番号札を取って待つ間もなく係員に呼ばれました。
書類に不備がないかどうか確かめて、認め印をついて、受付が終わるのに5分とかかりませんでした。「裁定請求書の受付控え」という書類をもらいました。それには、今年の4月から社会保険庁では、「お客様」が実際にサービスを受けられるまでの所要日数を「サービススタンダード」として設定することになっていると書かれています。このケースでは年金証書が届けられるまでが「3ヶ月半」が目安であり、それ以上かかる場合には連絡があるとあります。

「質問事項がある場合には自宅に電話か書面で問い合わせがあります」と言われ、実際に問い合わせを受けた事例も聞いているので、帰宅後に妻に「復職後に、仕事中に社会保険庁から電話があっても、仕事に行っているとは言わないように」と念を押しておきました。

3月下旬に東京のクリニックに問い合わせの電話をかけるところから初めて3ヶ月あまり、やっと申請にこぎつけてほっとしました。これから3ヶ月半というと10月下旬になります。申請が通って年金証書が来ても、実際に年金が振り込まれるまで2〜3ヶ月必要だということですから、お金を手にすることができるのは来年になるでしょうか。長い道のりであります。
あらかじめ予告しておきますが、申請が通ったかどうかは報告しませんので、あしからず。

ちなみに妻も障害者年金の申請の手続きを進めています。そこで話し合ったのですが、個々に年金を手にすることがあっても、それを「夫婦の共同形成財産とはしない」という約束をしました。どうせ金が入れば家計の維持のためにそれを回さなければならないのははっきりしているのですが、あくまでそれは「夫の財産」「妻の財産」を融通しているのであって、年金を共同財産とはせず、それぞれの銀行口座に振り込まれるようにすることにしました。

雨が降っていたのですが、体を動かしていないと寝てしまいそうなので、障子張りをしました。

それから会社の総務とメールで連絡をしあって、復職後の給与体系がきまりました。「時間給のパートさん」というのが7月19日からの僕の立場であります。体調が悪くて休んでも、有給休暇を消化するのではなく、単に時給が支払われないだけということになります。勤務時間は午後1時〜5時30分。もちろん、AAミーティングに出られる時間であるのですが、しばらくは体を慣らすまでホームグループのミーティングに絞ることにします。

夜中にConturaにWindows 95をセットアップしている途中で寝てしまい、朝に子供の笑い声で起きました。なんだか健康的ですが、やっぱり午前中はぼうっとしてしまいます。


2005年07月06日(水) もっと

午前中に起きる生活も定着してきました。
障子の張り替えも2枚目を無事終えました。

副業はもうすっかり仕入れをやめてしまいました。とりあえず不良在庫の処分をすすめています。順調にいっても在庫が払底するのは8月後半になるのではないかと思います。

水曜日は精神科の診察日であります。月曜日にソーシャルワーカーさんに渡しておいた、障害者年金の申立書に、添削をしていただいたものをもらいました。そうです、あのA4版5枚という文章は下書きで、これから本当の用紙に手書きしなければならないのであります。

毎日2回寝てしまうという話も、主治医にするのが3回目になりました。まあ、我慢して起きていて1回にするしかないのであります。「レスリンを1錠増やしてみますか。・・・前にもあなたは2錠飲んでいたことがありますね。何で減らしたのかな・・・。ああ、テトラミドを増やした時に、そんなに抗うつ薬ばっかり飲んでもしかたないだろうという理由だけで減らしたんだ。じゃあ2錠に戻してみよう」。まあ、診察室の会話はそんな感じであります。

2回寝てしまうおかげで、このところ2週間ほど、体はAAミーティングに行っていても、心は行っていない(寝ている)ということが続いていましたが、午後コーヒーを飲んだおかげで、なんとかひさしぶりに分かち合いに参加できました。
アフター・ミーティングは公民館の前で仲間と談笑。

ひさしぶりに給油しました。満タン法で燃費を計ってみました。8.4L/Km。1Kmあたり16.2円という計算になります。高速道路を走っていないことを考えると、これぐらいが普通か良い状態でしょうか。ちなみに夏になると燃費は悪くなります。エアコンなどの補機類の負荷が増えることと、空気密度が薄くなるために酸素量が減るせいです。冬になると、今度はスタッドレスタイヤのせいで燃費が悪くなります。なので、「いわゆる燃費向上グッズ」のたぐいは、春と秋が売り時なのですね。この時期は自然と燃費が良くなるから。世の中には、アーシングだとか磁石だとか添加剤とか・・・謎の燃費向上グッズがあふれています。

深夜までかかって申立書の清書を終えました。(今日でなくて未来のいつかでも)もしこの文章を読んでいる人の中に、うつ病で障害年金の申請をしようとする人がいて、申立書の書き方がわからないという人がいたら、メールで連絡をください。下書き前のワードファイルを送ってあげますから。


2005年07月05日(火) あと少し

復職の日までカウントダウンが始まっている感じです。
思えばこの「日々雑記」も、前の休職の時の最後のあたりから始まっているわけです。当時の雑記を読むと、「医者の許可が出たから」と書いてありますが、許可といっても不承不承で、反対を押し切ってというほうが正しかったかもしれません。
あのときは、会社が「すぐにでも出てこい」というのを2週間のばしたのでした。休職するといって放り出した機械は、復職後に取り組んでみてもどうにもならなくて、結局スクラップになりました。間に入った商社はかわいそうだったかな。

障子の張り替えを始めました。これも休職中にはすませたいと思っていたことのひとつです。冬のうちは寒いからという理由で先延ばしにしていました。同じくウツで依存症で休職中の仲間が、4月頃に「障子の張り替えもすんで」という話をしていたので、僕もそろそろと思いながら、結局「夏休みの宿題」状態で、時間がなくなってようやく取り組んでいるという状態です。

ツルヤでノリと剥離剤を買ってきました。なぜ剥離剤を必要とするかというと、破れた部分の補修に妻は、障子紙用のノリではなく、普通のノリ(フエキ糊とか)を使うのであります。そうすると、そのぶぶんだけガビガビになってしまって、剥離剤がないとだんだん障子の桟が厚くなってしまうのであります。

火曜は授業参観の日でした。妻は学校行事というとウツが悪化する(心因反応という)ので、今後は全部僕が出ることにしているのであります。張りかけの障子を放り出して学校へかけつけました。

次女の一年生の教室は、お母さんたちであふれかえっていましたが、長女の3年生のほうは(クラスの人数が少ないこともあるのですが)お母さんも少なめであります。授業後は、懇親会という名前のPTAであります。3年生のほうのクラスの出席者は先生を含めて8人だけでありました。初めてなので自己紹介をしました。
話題も少なくって一時間で終わりでありました。先生も経験豊富で、熱心でというタイプであります。昨年養護学校から転任してきて、普通学級になじめずにウツになってしまった先生は、いまだに自宅療養中だそうであります。すこしかわいそうな話であります。

1年生のほうのPTAは「父兄どおし知り合えるような催し」をするということで、にぎやかに続いていましたが、精神的にも肉体的にも疲れてしまったので、帰って障子張りの続きをしました。

そして夕方7時半ごろになると眠くなってまた寝てしまい。10時に起きて、まだ子供たちが風呂に入っていなかったので入れて、今度はパソコンの前の椅子に座って午前2時まで寝てしまいました。何とかならないか、この生活リズム。


2005年07月04日(月) すこし・たくさん

ここのところひと月あまり、病院からミーティング場に送迎している患者さんの退院が決まったという話を聞きました。閉鎖病棟に監禁同然の状態から、いきなり退院へという大きな変化の背後には、AAにまた通いだしたことも影響しているのではないかと思ってみたりします。

家賃が3万7千5百円以下なら生活保護で面倒を見てくれるものの、それ以上だと自分で持ち出しだそうであります。そうなると実質的に県営住宅か市営住宅しかありません。市内の団地で空いているのは2ヶ所で、そのうち交通の便の良いほうに応募して、抽選があたって入居の権利を得れば、いつでも退院できそうであります。

彼との付き合いは断続的に九年になります。初めてミーティング場を開いたときに、市内の精神病院に勤めていたケースワーカーさんが熱心な人で、患者さんにAAに通うことを薦めてくれました。半分いやいやながらでありましょうが、病院の外へ出るチャンスと思って、通ってきてくれていた4人の患者さんのうちの一人が彼であります。

そのケースワーカーさんは歌の上手な人で、いきなり病院を止めるというので、理由を聞いてみると「歌手を志す」という話でありました。一度きりの人生でありますから、そういうのもありでありましょう。その後どうなったのか、クラシック音楽に興味の薄い僕にはわかりません。

会場として借りている公民館には会議室が4つあります。そのうち第1会議室と第2会議室は間をパーティションで区切っただけのものなので、相互に会話は筒抜けであります。第3会議室と第4会議室は独立した部屋なのですが、どちらもちと広い部屋であります。
AAミーティングは最初は人数が少なかったので、第1か第2を割り当てられたのですが、話が聞こえてくるのも聞こえちゃうのも困るので、公民館に頼み込んで大きな会議室を借りられるようにしました。第4会議室は在日外国人のための日本語講座がずっと使っていたので、空いているのは第3だけでした。でも、第3は使い勝手が良い部屋なので、他の団体と取り合いになりました。
取り合いに負けると、音楽室や視聴覚室へ追いやられました。時には100人以上入る大会議室の片隅でミーティングをしたこともありました。それでも辛抱強く第3会議室を予約し続けたおかげでしょうか、他の団体は別の曜日に移ったり、別の施設へ移ったり、はたまた寿命を迎えてしまったりで、ついには「月曜の第4が日本語教室」であるのとおなじように、「月曜の第3はAA」という地位を確保するにいったのです(と思う)。

それでも、第3会議室はAAには広すぎるなといつも思っていました。いつかは、この会議室のテーブルをぐるっと皆で囲んでミーティングをする日が来るといいな、と思っていました。

最近のように人数の多いのが安定し、「ぐるっと皆で囲んで」という夢が実現すると、人間は不思議なもので「自分の話す時間が短くなる」などというみみっちい不満を持つものであります。まあ最近は体調不良でミーティング中に寝てることが多い僕ですが。

一つの夢が実現したからには、もっと大きな夢を見ることにしましょう。100人入る大会議室で人があふれんばかりのAAミーティングが毎週開かれる夢を。そして別室ではアラノンのミーティングが開かれて、また別の部屋では子供のある夫婦のためにAAとアラノンが共同で雇ったアルバイトのベビーシッターが子供たちの面倒を見ている・・・。子供たちはもう少し大きくなったら、アラティーンのミーティングをひらくのだろうか。

僕が生きている間にかなわなくてもいいから、そんなことが現実になって欲しいと思ったりするのであります。


2005年07月03日(日) 申立書

障害者年金の申立書というのを書いています。これは医者の書いてくれる診断書とは別に、「自分ではこうである」というのを書く必要があるのであります。
前回やっつけ仕事で書いて、かかっているクリニックのソーシャルワーカーさんに預けておいたのですが、「これでは話にならない」と言われて書き直しとなりました。

裁定者は、診断書と申立書だけから判定するわけだから、申立書の記述が不十分ならば申請が通らなくても不思議はないのだそうです。東京ですでに年金を手にしている知り合いに電話してアドバイスを求めたところ、
「診断書と整合性が取れること」
「仕事や私生活に支障をきたしていることが文面から読み取れること」
「欄からあふれるぐらいに克明にびっしりと書くこと」
という例をあげてくれました。

僕としても金は欲しいです。でも年金で暮らせる訳じゃないので、どうしても申請が通らないと困るというわけでもありません。しかし、これまでずいぶん手間ヒマも金もかかっています。ここで手を抜いたがために通らなかったとしたら、間抜けな話であります。

そこで僕は書きました。手書きは苦手なので、ワープロでA4版に5枚。これを東京の知り合いにFAXして添削してもらって、手直しして再度FAXして・・・第3稿まで作りました。しかし、申請書はワープロで出すわけにはいきません。もちろんA3版の打てるプリンターを所有していればそれも考えたかもしれませんが、ワープロで出す時点で「実務能力高そう」な印象を与える不利もあるでしょう。
まあともかく、申請書のコピーに下書きとしてボールペンで細かい字を半日書きました。手元が暗いので980円で蛍光灯まで買ってきました。

こんなにたくさん字を書いたのは、大学時代のレポート提出か、コミ○ットで売った同人誌の原稿以来でありましょうか。20年以上ワープロを使い続け、ラブレターでさえワープロで出して「あなたの手元にはこのファイルが残っているのね」などと言われた自分でありますから、すっかり字が汚くなって、ミミズがのたくったような字が並びました。
そしてとても疲れました。

とりあえず月曜にまたこれをソーシャルワーカーさんに見てもらいに提出に行き、今週中には申請をすませたいところです。

これから障害者年金を申請する人がこのページを読んでいるかどうかはわかりませんが、参考までにいままでにかかった経費を並べてみましょう。診断書などは健康保険の適用外なので、各医療機関が独自の値段をつけています。これより高いことも安いこともあるでしょう。

まず、東京で最初にかかったクリニックの受診状況証明書(いわゆる初診証明)3,000円。診断書が遡及申請のための1枚が8,400円。事後重症のための1枚が5,000円。戸籍謄本が450円。住民票が300円。妻の所得証明が二通で600円。このほかに各医療機関に問い合わせの手紙や、返信用封筒の切手、現金書留で送金の手数料などが計数百円でしょうか。
合計で一万五千円強かな。
診断書はもっと高い医療機関もあるそうなので、安く済んだほうなのかもしれません。
アルコール依存症という病名では通らないし、うつ病でもなかなか通らないと聞きます。一万五千円をどぶに捨てているのかもしれませんが、なにもしないではいられず、内にこもった怒りをどこかにぶつける場所が欲しかったのが本当のところなのかもしれません。

最後に請求書という事務的な書類を書く(というかこの書類が主で、他が副なんだけど)のですが、いままで勤めた会社の住所を書く欄があります(厚生年金)。10年前、20年前となると、さすがに記憶も曖昧です。

生まれて初めて勤めた会社は地味ながらもまだ存在していました(でも住所は変わっているので今日電話します)。そこからスピンアウトした人たちが作った会社は、しばらくは泣かず飛ばすだったので、消息も調べなかったのですが、調べてみると資本金も億単位となり、昨年野球界をにぎわせた会社とも絡んで大きくなっていました。ホームページ上の取締役たちの顔は、記憶より老けたけれど立派そうであります。
一方、昨年8月に僕が無職だった頃、埋め合わせのチャンスでもと思って訪れた会社は、もうその場所からなくなっていました。どこか家賃の安いところに引っ越したかなと思っていたのですが、某掲示板のログでは2000年か2001年に倒産しているという噂でした。

どうしようもない飲んだくれの僕の面倒を見てくれた人たち。でも、前者よりも後者に埋め合わせのチャンスをください、と思ってしまうのはなぜでしょう。

そういえばこの休職期間中に、一度は親友と呼んだ同級生の死も知りました。彼もビル・ゲイツより成功したいひとりでした。

技術屋の僕には、どんな社長が成功して、どんな社長が失敗するのか、本当のところはわかりません。ただひとつ確かなことは、物事は変わり続けていて、決して元には戻らないということです。そんな世の中で変わらずにいようとすれば、すぐに泳ぎ疲れて沈んでしまいます。僕自身も変わり続けていて、そして「決して元には戻らない」ということなのでありましょう。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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