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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年02月16日(水) ホームグループ ホームグループのミーティングへ。
遅刻しそうだったので、高速道路を使ってしまいました。休職中だというのによい身分であります。にもかかわらず、やっぱり遅刻してしまいました。
人数9人というのは、新記録更新なのではないのかな。
遠くの県からやってきてくれたAAメンバーが参加してくれていました。彼は地元ではグループのチェアマンもしているのだとか。
僕らのグループは昨年12月から開催曜日を変えたのですが、それを反映させた新しい案内地図はまだ用意していませんでした。こんな田舎のミーティングへ来る人は滅多にいないから、しばらく放っておいても大丈夫だろうと油断していました。
が、天網恢々疎にして漏らさずでありましょう。
やっぱり地図の更新をさぼってはいけないのね。
彼は、古い地図に従って前の曜日に病院へ行き、そこで「今は村の公民館でやっている」と聞いてそこへ行き、そこで「曜日が変わった」と聞いて、やっと本日ミーティング場にたどり着いてくれたのでした。
が、彼の持っていた地図を見て僕はびっくりしてしまいました。それは、ピンク色の紙にオフセットで印刷された半端じゃなく古い版の地図で、たしか長野オリンピック以前の地図であったからです。
このにぎやかな雰囲気が続いてくれますように。
2005年02月14日(月) そういえばバレンタインディだったんですね 結局のところ入院したものかどうか、自分では決められないので、医者に決めてもらうことにして出かけました。
僕は、日内変動が激しいタイプで、うつの時には昼間は何もする気になれずに寝ています。夜になると多少ましになって活動するので、昼夜逆転になりがちです。今朝は、そのまま寝ずに出かけました。
銀行に寄ったついでに、ジャンボ宝くじを買いました。最近僕が買うのは一枚だけです。そりゃ一等前後賞のことを考えれば、最低でも3枚買うのがベターだと思っています。しかし高額当選なんて所詮ppmオーダーです。「ひょっとしたら当たるかもしれない」という当選日までの夢を買うだけなら1枚で十分というのが信条です。
医者に相談すると、「入院させた方がいい場合」は以下の5通りだそうです。
a) 自殺の恐れが強いとき
b) 環境から離したいとき
c) 家族の方が疲れ切っているとき
d) 患者が仕事で長く休んでいるとき
e) 外来治療でなかなか改善しないとき
うつ病だからa)の希死念慮はないわけじゃありませんが、それほど強くはありません。b)の環境から離すといっても、もう仕事は休んでいるわけです。それももう一ヶ月経ちましたが、うつ病の休業としてはd)にあてはまるほど長くはありません。
僕が毎日家にいることに、妻はうんざりしていたようですが、先週・先々週とくらべれば落ち着いてきていて、c)を理由に入院という希望は取り下げました。
抗うつ薬をだいぶ増やしたのが原因でしょう、副作用が出てきました。僕はたいていどの抗うつ薬でも量を増やすと「鼻の粘膜が乾く」という症状が出ます。おかげで一日に何回か鼻血混じりの鼻くそをほじくる羽目になります(汚くてすんません)。これはこれで、ずいぶんうんざりさせられる症状です。しかし、副作用が出てきたので主作用のほうも効いてきている気がしないでもありません。
「あと一ヶ月このまま様子を見て、投薬治療がはかばかしくないようなら入院することにしましょう」
という結論になりました。
ちなみに、大学病院への入院は最長35日。費用は20万円ほどだそうです。
帰宅後、ディジカメを持って散歩に出ました。
2005年02月12日(土) ニックネーム 僕のAAスポンサーが、今の僕と同じぐらいの長さのソブラエティの頃でした。
彼は長年慣れ親しんできたAAニックネームを、本名に変えました。
理由はライバル心とかいろいろあったのだろうと思います。
名前を呼ぶときに、新しい名前がすぐに出てこなくて、古いニックネームで呼んでしまうこともしばしばでしたが、やがて慣れました。
しかし、彼は一年もしないうちに「ニックネームを元に戻す」と宣言しました。
理由は「新しい名前にしてから、ろくなことがなかったから」だそうでありました。
肝炎での入院、うつでの入院、失業、人間関係の悩み、新しく始めたAAグループの行き詰まり・・・。たしかに端から見ていても、難儀なことが続いていました。
「だからって名前にこだわってみても」と思ったのですが、それは本人の自由であります。
去年の5月、僕は自分のニックネームを本名にすることに決めたとき、頭に思い浮かんだのが、このスポンサーのニックネーム騒動でした。「自分も元に戻す羽目になったりするのは嫌だな」とは思っていたのです。
しかし、この一年の不調はいかばかりでありましょうか。僕はやっぱりあのスポンサーのベイビーであったということでありましょうか。
というわけで、ニックネームを元の「ひいらぎ」に戻そうと思っている今日この頃です。
(あ、そういえばバースディ用に色紙を回してくれるって言っていたから、伝えとかないとな)。
いろいろお騒がせして申し訳ないです。
2005年02月11日(金) 安穏 猫にはトイレの場所をしつけることができます。が、ネズミはどうもそうできないようです。
ハムスターはなぜかえさ箱の中にフンをします。モルモットはケージのなかで好きな場所にフンも小便もします。当然したのすのこが汚れます。すのこの下に敷いた新聞紙は、飼い主であるところの妻が2〜3日に一回は取り替えています。しかしすのこは、ここしばらく取り外して洗うことをしませんでした。
するとすのこの汚れがモルモットの腹部に移り、モルモットをケージから出して散歩させようとすると部屋が汚れてしまうことになりました。
そこで、すのこを洗い、モルモットは入浴されることになりました。もっとも、その詳細は僕が昼間寝ている間に、妻と娘たちによって行われたので、よくわかりません。
モルモットは色は白くなったけれど、なんとなくボサボサであります。
吉野家が一日限りの牛丼復活をするというので、一家で食べに行きました。が、夕刻だったので、すでに売り切れでした。しかたなく、ラーメン屋に行くことにしたのですが、鰹だしのラーメンは皆に不評でありました。
入院するかどうかは、まだ決めていません。
2005年02月09日(水) 低調 精神科医へ。
「デプロメールを一日300mgに増やしてみようか? でもまだ200mgにして5日しかたってないから、次回にしましょう」
「300mgにして一ヶ月たっても改善していなかったら、入院治療しましょう。今すぐでもいいけど」
この医院にかかってもう10年が経とうとしています。三環系の薬はおおかた試したはずですし、SSRI/SNRIも一巡してしまいました。デプロメールから始めて、それがいまいちぱっとしなかったのでトレドミンに変え、トレドミンで焦燥感が強く出たのでパキシルに変え、パキシルで下半身に影響が出たのと、今回の休職騒ぎでまたデプロメールに戻し、それも次回には限界まで増量することになります。
「入院してじっくりウツの治療をしてみませんか?」と医者はききました。
「それは薬物療法以外のことをするということですね」
「ええ、電気けいれん療法を試してみる価値はあるとおもいますよ」
大学病院の精神科で電気けいれん療法(ECT)を試してみるというのは、それなりに魅力的ではあります。
いつ入院してもいいように、AAミーティングのバスケットは仲間に預けました。あとは決断するだけか・・・。
2005年02月07日(月) 読んだ本と見たアニメ ・阿佐田哲也『東一局五十二本場』。
6才年上の兄が高校生だったときに、兄の本棚から借りて読んで以来なので、実に30年ぶりぐらいの読書でした。やっと本を読む気力はできたものの、中の牌譜を眺めて手の内を想像したりするところまで頭が回りません。
そういえば、阿佐田哲也を読んだのは麻雀を覚える前で、麻雀を覚えた後は阿佐田哲也を読んだことはないのでありました。この間にすでに亡き人になっているとは。
「朝だ、また徹夜だ」というのがペンネームの元になったという話は本当でしょうか?
・『ちょびっツ』
以前見たものをもう一度見る。アニメはアニメでそれなりに楽しい。
・『魔女の宅急便』
ジブリのアニメがテレビで放映されるのは見たのですが、テレビ版は結構カットされているのですね。原作が福音館書店出版だとは知りませんでした。
・『新世紀エヴァンゲリオン』
最初から見直しているのですが、今回こそは最後まで見ようと思っています。
・『serial experiments lain』
妙に間延びしたストーリィ。思わず「日本でスリラー仕立てのものを作るとまたこれだよ」と言いたくなってしまいます。
・『PERFECT BLUE』
古いけど佳作。佳作だけど古い。
2005年02月06日(日) PHS NTTとDDIがPHSのサービスを開始したのが1995年の7月でした。
翌96年の4月には、僕の住んでいる街でもPHSのサービスが始まっています。もっとも僕はそのころ病院の中でしたが。
当時は携帯電話がアナログからディジタルに切り替わる頃で、具体的にどれくらいの金額だったかは覚えていないのですが、携帯電話の料金は趣味で持つには高すぎるものでした。
たとえば当時NTTの携帯電話には「ドニーチョ」という料金プランがありました。これは土日と夜をもじった名前で、その名の通り土日は全日使えるものの、平日は夜だけ(夕7時から翌朝8時まで)しか使えないプランであります。平日昼間は電話をかけることも受けることもできないという不便なものでしたが、基本料金が手頃だったために、これで契約している友人も多かったのです。
それだけ全日使える料金プランが高価だったということでしょう。
そこへ登場したPHSは、基本料金が2700円、通話が1分10円と手頃な値段でした。当時の我が家の家計にとっては基本料金もバカにならない金額でしたが、「仕事にも使うから」とか「会社でケータイとか持ってないの俺だけ」という論法で家人を説得して、手に入れました。
当時は周囲にPHSを使う人も多かったのですが、携帯電話の料金の値下げが繰り返されるのにつれて、次第に携帯に切り替える人も増えていきました。そんななかでも僕はかたくなにPHSを使い続けました。4台買い換えて、そのたびに電話番号も変わり、そのたびに「女性関係のトラブルでは?」と周囲に揶揄されるはめになりました。
しかし、自動車運転中の通話でハンドオーバーに失敗して切れてしまうとか、メールの料金が携帯電話にくらべて何倍かであったとか、細かな不満がたまって、結局僕も携帯電話に乗り換えてしましました(2000年頃かな)。
しかし今でもノートパソコンの通信用には、カード型のPHSを契約してあって、出先でインターネットにつなぐ場合には重宝しています(携帯電話でつなぐとパケット代で大変なことになってしまうのです)。
まあ、結局PHSマニアなんですけど。
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