ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年02月22日(日) 愛に値札を バスに乗って東京へ。日本海に低気圧が入ったのか、暖かい南風が吹いていました。
3週連続で、週末はAAの奉仕(サービス)活動で東京へ。まさに「とち狂っている」状態であります。好きでやっているわけではないし、誰かがやらなくてはならないからやっているだけ・・・だったはずなのに、評議員などという肩書きを背負って2年目ともなると、なんとなく親分風を吹かせてしまったりする自分が情けない。謙虚でありたいと願います。
自分のことだけやっているときには、自分のことしか見えなくて当たり前です。グループのことをやっているときにはグループのこと、地区なら地区のこと、地域なら地域、そして全国へと。領域が広がれば、視野は当然のように広がっていきます。視野は広いに越したことはないけれど、しょせん人間のやることなどフラクタル図形のようなもので、ミクロ的視野でもマクロ的視野でも、さして見栄えに変わりはありません。
財務の委員などやっていてつくづく思うことは、やっぱり世の中はお金が無いと動いていけないのではあるのですが、それでも「お金よりも大切なものもある」ということでしょうか。AAの中には金銭でもって購えないものがたくさんあります。メンバーが出してくれた貴重な献金ですから、無駄遣いに厳しい目を配らなくてはなりません。でも、何が無駄遣いで、何が有益な使途なのか、それは簡単には判断ができません。
単純に、黒字だから良くて、赤字は悪いと決め付けてしまえれば楽な話です。だが、真実は数字の赤・黒には宿りはしません。なぜならAAは営利団体ではないからです。
そうは言っても赤字だと困っちゃうわけですよね。例えばグループが赤字ならミーティング会場が借りられないわけですから。どこに良心の礎を置くかが難しい。
常任理事になりたい人たちは、その意思が明確なようであります。幸いなことに、僕にその役をやれという人はいません。ともかく今月は疲れました。立候補だ、選挙だ、投票だなんて手続きで選出しても、結局誰が貧乏くじを引くのか決めているだけという気がしなくもありません。
帰りのバスを降りたら、やはり雨になっていました。駅前のピ○○ロが8千円から9千円に値上げになっていました。どうして値上げするのか経営者に聞いてみたい気分になりましたが、別に店に入りはしませんでしたよ。
2004年02月21日(土) DVDコピー 出張から戻ってきて、車のエンジンをかけ、社外気温計を見ると18度を表示していました。長い間洗車をしていなかったのは、気温が低かったからです。零度以下だとボディについた水が凍ってしまいますし、4度以下だと水は蒸発しません。
いつもの洗車場に車を乗り入れ、洗車機に千円札を突っ込もうとしたら、五千円札しか持っていませんでした。両替に出かけて戻ってくるのも面倒なので、そのままガソリンスタンドに行って、給油と洗車を頼んでしまいました。
いままで汚れきった車に乗っていた人たちも、車を洗ったのでしょう。街にはきれいな車が多かったようです。春の近さを感じます。
レンタルでDVDを借りてきて、DVD-Rにコピーしています。念のため述べておきますと「合法行為」です。DVDはレンタルされるごとに著作権者に利用料が入ります。DVD-R for Videoには複製補償金が上乗せされており、この補償金も著作権者に分配されることになっています。著作権法で認められた私的複製です。
でも、コピーしたのも見ている暇がないんだよね。
2004年02月20日(金) 頭脳ではなく、体の頑丈さ ビジネスホテルの隣の部屋の前に、焼酎のビンが出されていました。その隣にはワンカップや缶チューハイの空き缶の入ったコンビニ袋。焼酎を割るために使われたのか、烏龍茶のPETボトルがなんだか悲しげであります。
夜遅くまで働いてホテルに帰ってきても、工場の町には夜遊ぶところなどありません。しかも翌朝は早いわけですから、手っ取り早いストレスの発散方法として、ホテルの部屋で酒を呷るという手段を選択するのも理解できなくはありません。
その道を歩んでいると必ずアル中になるというわけじゃありませんが、多くのアル中がその道を歩んだことも確かです。
今回の景気の回復は本物なのか? という話題でもしようかとおもったら、複数の新聞で一面記事になっております。企業はリストラクチャリングが一通り終わって、成長が望めない局面でも利益が出せるようになってきています。僕の会社の顧客は製造業の会社なのですが、いままで間接部門にいた人たちが、部門縮小にあい、製造部門に移って働いている話はよく聞きます。辞めさせられた人々も苦しいのでしょうが、残った人々も労働強化で厳しそうです。
みなが厳しい局面に立たされながらも景気は回復していき、しかもデフレ局面での景気回復は人々に豊かさを感じさせないという、素人には不思議な話であります。
同僚二人は、今回の出張とは別件の仕事を、ホテルの一室でまだ続けています。もうすぐ3時だというのに・・・締め切りは朝8時のようであります。ITエンジニアに求められるのは、頭脳ではなく、体の頑丈さであります。
2004年02月19日(木) 「善良なる管理者の注意義務」 本当は一泊二日で出張に行っているはずなのですが、こうして自宅にいます。
単純に相手の会社の段取りが悪くて、行っても作業にならないので、出かけずにいたのです。仕事の予定がない一日になってしまいました。仕事は作ればあるのですが、作ってほど仕事するほどワーカホリックでもありません。
明日から一泊二日で出かけると、土曜日はつぶれてしまうわけです。日曜日はAAの委員会です。そろそろ髪が伸びてきたので、切りたいのですが、いったいいつ切ったらいいのでしょうか。
出張で行けなかった(はず)なので、仲間に頼んでおいた病院メッセージに、急遽自分で行くことにしました。この病院にAAメッセージに通いだして、もうすぐ7年になります。最近では2回目・3回目の入院という人と出会う機会が増えてきました。1回目の入院の時に「自力で酒を止めるのは難しい」という考えに納得できる人はとても少ないです。多くの人の場合、退院後飲まない期間があり、飲み始めたもののそれなりにコントロールを保っている期間があり、そしてコントロール喪失の期間を経て、病院に戻ってきます。そのスパンは2〜3年という人が多いように感じられます。アルコール依存症の進行はゆっくりの場合が多いようです。
ところで昨日書いた「自由にリンクする権利」には責任も伴うわけです。リンク集に収録するということは紹介を意味するのですから、暗黙の保証が含まれているのです。リンク先のサイトの内容を(ある程度は)推薦しているとも解釈されます。
だから、リンク先が突如変貌して違法なマルチレベル商法のサイトになってしまい、リンクを手繰っていった人が、だまされて数十万円の被害にあってしまったとしたら、そのサイトをリンクという形式で紹介した僕にも、責任の一端があるということになります。法的に賠償の責任が発生するかはともかく、社会的に責められることは避けられません。
だから、僕は「善良なる管理者の注意義務」でもって、リンク先のサイトを定期的に巡回するはめになっているわけです。
2004年02月18日(水) アドワーズは宣伝か? AAのJSOのサイトを アドワーズ に載せようという計画があります。これは伝統11(AAの広報活動は、プロモーション宣伝よりも、アトラクションひきつける魅力に基づく)に反しないのでしょうか?
インターネット業界での分類としては、アドワーズは「広告」であることは間違いがありません。Google社の最大の収入源は、Googleの検索機能をインターネット接続プロバイダーに提供することで得られているそうです。アドワーズはGoogleの新しい収入源として、大いに期待できるだろうというのがアナリストの見解でもあります。
そもそもAAが広告を出すこと自体は悪いことではないでしょう。例えば僕の地元の新聞に、個人やグループが3行まで無料で載せられる掲示板コーナーがあります。何万部と出ているこのローカル紙に「飲酒のトラブル抱えていませんか? 一緒に解決しましょう。毎週○曜日○時から○○でミーティングをしています。AA○○グループ」という文字を載せることは、悪いことではないはずです。プロモーションとは違いますから。
Googleで「アルコール依存症」と検索すると、AA JSOのサイトが紹介される・・・微妙なところだがセーフであるというのが、僕の感想です。
しかし、JSOのサイトが「ひきつける魅力」にあふれているかというと、少し疑問が残るのも事実です。AAが何を目的とした集まりなのか、メンバーになったら具体的に何をするのか、どれぐらいの実績があるのか、そして実際にAAで回復した人の物語は? 多くを語るサイトでないのは事実です。せっかく1クリック何円かで招き入れた人たちも、ブラウザの「戻る」ボタンを押して帰っていってしまうのでは意味がありません。
ホームページのカウンターばっかり増えても、その次のページまで読んでもらっているかは解析してみなければわからないのです。
そういえば、関東甲信越セントラルオフィスのサイトは、原則リンク禁止なのだとか。理由を聞いてみたら、個人のサイトから勝手に「リンクされる」ことによって、あたかもオフィスがその個人を支持しているように解釈されると困るから、だそうです。
僕ですか? 許可はもらってませんよ。「自由にリンクする権利」を行使しているだけです。ただ、リンクするということは、「相手のサイトを支持している」ことを暗に意味しているわけですが・・・
2004年02月16日(月) 気取ることは良くないことなのだ 何もかも嫌になってしまって、自分が何を目指しているのかも判らない。心が疲れてしまっていて、理想が素晴らしくも思えなくなり、努力にはうんざりし、良い言葉を聞いても空々しく響くだけ。そんな気分になることが、ときどきあります。
そういう時は実は、心が着飾っているのだそうです。ドンキ・ホーテの言葉の「率直に行こう、率直に。気取ることは良くないことなのだ」に従ったほうがいいのでしょう。僕は自分が人格的にも大したことは無いし、霊的成長という点でもろくなもんじゃないということは、よーくわかっているわけです。であるのに、分不相応な自己犠牲を自分に課したりするものだから、歩いていくべき方向すら見失ってしまうことがあるのです。
正当化なんて必要なくて、ミもフタもない自分の心の情動をそのまま受け入れることが必要なんだと思います。少なくともそういう時期が人には必要なときがあるんだと。そうすれば、山の頂きの雪が、まぶしく美しく見える日もまたふたたびやってくるだろうと。
「率直に行こう、率直に。気取ることは良くないことなのだ」
2004年02月15日(日) 「事実上の満場一致」 私たちの集まり(AA)は、「事実上の満場一致」ということをとても大切にしています。でもそれは、例えば100人のうち九十何人が賛成できるような案が出るまで、議論に議論を重ね、問題を先延ばしにしてでも、説得工作を行うことを意味しているわけではありません。
結局のところ、私たちも「賛成・反対」のいずれか(もしくは保留か棄権)を選ぶ投票行動をすることになります。AAでは、拘束力を持った決定をするには、過半数では十分でないと考えられていて、3分の2が必要とされています。そして賛成・反対のどちらかが3分の2に達した段階で物事が決まります。そう、文字通り決まってしまうのです。
敗れた少数派には「アピール」のチャンスが与えられます。もし望むなら、自らの意見をもう一度皆に訴えることができます。それは文字通り最後のチャンスなのです。そして、それに耳を傾けた多数派が「もう一度投票をやり直そう」と言ってくれないならば、それ以上時間が無駄にされることはないはずです。
少数派は、多数派を「説得しよう」とする努力を止め、自らの意見は胸にしまいこみ、下された決定が実行に移されるよう、快く協力するのです。
このように少数派が自ら存在をやめることによって「事実上の満場一致」が実現されるのです。そうでなければ、私たちはばらばらになって酒の海に放り出されるだけなのですから。
僕のような「自分の意見が正しい」と思い込みがちな人間にとって、少数派でありがちであるという事実は恩恵そのものです。少数派であることは、恥辱に満ちた敗北を意味するのではなく、思い上がりを捨て、他者との協力関係を築く練習の機会を与えられることを意味するからです。そして少々の謙虚さを身に着けることも。
今では僕はだらだらと討論することを好みません。投票という民主的な手段を好みます。私たちは誰も裁かないし、誰も罰しない。政府の役割はしない。だからこそ敗北がすがすがしくあるのですから。ステップ9のamendsは埋め合わせと訳されているけれど、それは謝罪でもあり賠償でもあります。私たちは誰に対しても、ステップ9の具体的なやり方を強要したりはできません。
「納得できない」という感情の棍棒を振り回すとき、私たちは常に神から遠ざかる。
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