心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年11月20日(木) 不安になるのは信仰が足りないのか?

朝いったん起きて会社に電話を入れ、休むことを伝えて、午前中は寝ていました。
朝刊を読みながら食事を済ませると、何をしたらいいのかなかなか決断がつかなかったので、昨日の日記の例にあげた携帯電話のメモリ編集をすることにしました。PIMソフトの情報も更新しました。あまりパソコンのCRTばかり見ているのも良くなかろうと、テレビをみることにしました。ツタヤで借りてまだ見ていない「ルパン三世カリオストロの城」を途中まで見たら眠くなったので、夕方までまた寝ました。

夕方から病院メッセージへ。悪いことに雨が降り出してきました。市内を早く抜けようと住宅地のわき道へ入ったのですが、途中で曲がるところを間違えたみたいで、山地の上にあるゴルフ場へつながる道へ迷い込んでしまいました。以前地図で見たときには、その道は山の反対側までつながっていました。そして、それはメッセージへ向う病院と同じ方向だったのです。「その記憶は正しいのか」「ひょっとして行き止まりになってしまうのではないか」「引き返していたら遅れてしまう」。松の葉を散らしたスリッピーな下り坂を降りていくと、無事に国道に出ました。
テーマは「行動に移す」。

せっかく仕事を休んでいたのに、メールチェックをしたら仕事のメールアカウントに納期トラブルのメールが2本も入っていました。すっかり休日をエンジョイした気分だったのに、明日の仕事のことを考えるとブルーになってしまうのです。メールなんか目を通すんじゃなかった、ちぇ。


2003年11月19日(水) 1/f(えふぶんのいち)ゆらぎ

いろいろと、やら「ねばならない」こともあれば、「やりたい」こともあります。何に取り組んでも中途半端な状態が続いていました。ごく些細なことにイライラするわけです。
例えば、そろそろ携帯電話のメモリ編集をしたいのですが、それだけのことだって始めれば1時間くらいはかかってしまうものです。でも忙しいからそれをやらないでいると、いざ電話をかけたいときに相手の電話番号が携帯電話に入っていなかったり、古いのだったり・・・。そうなると、どこに番号を記録しておいたのか探さないといけなくて、それで1時間使ってしまったりするわけです。
このイライラが焦燥感に変わると、うつの前駆症状です。そして案の定、朝起きてみると、すっかり「仕事したくない病」にかかっているのでした。こんなときは、ギアをローにいれて「会社に出勤した時点で今日の仕事はお終い」と目標設定を低くひくーくします。定時になったらすばやく職場を離脱して、コンビニで甘いものを買って帰り、それを食べたら、昼間ずっとしたかったこと=布団で寝ることをします。明日の朝起きた時点で、今朝より悪くなっているようだったら、(幸い仕事もヒマだし)休んでしまうことにしましょう。

もともと自分はそんなに能力が高いほうではないのです。そりゃ、ちょっとがんばった時には、そこそこの能力を発揮して見せることもあるのですが、そんなのは風で言えば瞬間最大風速みたいなものです。ずーっとがんばり続けられる前提で自分を評価すると、どうしたって過大評価になってしまいます。1/f(えふぶんのいち)で揺らいでいるのが僕の能力です。
まあ、世の中は平均的な能力を持続できて、しかもある一定以下には落ちないタイプ。つまり信頼性の高いタイプが高く評価される仕組みになっています。僕だって部下にはそういうタイプが欲しいです。
でも、自分はそういうタイプではないし、無理にそれを演じることはできません。
まあ、等身大の自分の姿というのは、正確な預金残高と同じで、あまり心地よいものではないのだけれど、幻想に酔うと、結局苦しいのは自分です。


2003年11月17日(月) 教えてください

僕はドコモの携帯を使ったことがありません。ただメールについては、送信できるのも、受信できるのも全角250文字までだというのは知っています。だから、相手のメールアドレスがdocomo.ne.jpで終わっているときは、とても注意して尻切れトンボにならないように慎重にメールを書いていました。ところが、最近聞いたところによれば、受信だけは全角2000文字までできるようになった、というではありませんか!
しかし、調べてみると「初期設定では、受信文字数は全角250字です」と書かれています。しかも、どうやったら2000文字受信できるようになるのか書いてありません。だから、「こうすれば長いメールも受け取れるようになるよ」と教えてあげることができません。だから、相変わらず文字数を気にしながらメールを書いているのです。誰か2000文字受信へ切り替える方法とやらを教えてください(ドコモに聞けってか)。

地元のAAミーティング。色紙を受け取ったので、これを届けに明日も別の会場に行かなければなりません。最近フットワークが重くなっている自分にはちょうどいいことです。今度の日曜日も東京へ行きたかったのですが、たまには三連休を家族サービスに使わないとバランスを欠いてしまうかもしれません。

「仕事・家族・AAのバランスが大切だ」

というのが、スポンサーからもらった最後の提案です。アルコホーリクなので、どれかに夢中になっているほうが簡単で、バランスを取るのは難しいのです。
そういえば先日、クリニックの玄関でスポンサーとすれ違いました。「たまにしかミーティングに行かなくなってしまって、そのうち飲むぞと家内から脅されていますよ」と笑っていました。僕にもそんな日々が来るのかもしれないし、来ないのかもしれない。ただ、いつかはAAと距離を置かねばならない時が来るはずです。今は、そんなことは心配しなくていいのだけれど。


2003年11月16日(日) 日曜日の過ごし方

朝5時起床。バスで東京へ。家を出たときには雨が降っていたので、傘をさして出たのですが、雨はすぐにやんでしまい、一日不要な傘を持ち歩くはめになりました。

集会は定足数に足りず、成立しないまま4時間続きました。僕は今まで集会に議決権を持って出席したことはないのですが、定足数に足りない集会は初めてです。AA内部で起きた犯罪行為についての報告がありました。AAの中には統治機関がないので、裁くことはできないのですが、予防についてはなにか行動する余地があるでしょう。

集会のほかに連絡会議があるという話でしたので、念には念を入れて午後6時50分新宿発のバスを予約していたのですが、連絡会議は昼休みに済んでしまうし、集会も3時前には終わり、長い時間を持て余すはめになりました。セントラルオフィスによってパンフレットを買ったのはいいのですが、それっきりすることがありません。(王子から大塚まで都電に乗ってみればよかったかな)。

いつものことなのですが、日曜日午後ののくだりの高速バスは全席売り切れです。だから早い便に切符を変えてもらうというわけにもいきません。でも、新宿で3時間半待って、それからバスで3時間半移動することを考えると、なんだか気が遠くなってしまいそうでした。思い切ってバスの切符を払い戻して、特急電車の自由席の切符を買いました。3,750円の余分な出費ですが、イナカ者が新宿に3時間半もぶらぶらしていたら、それぐらい使ってしまうだろうなどと自分に言い訳をしました。書店とヨドバシカメラが危険個所。

特急「あずさ」では、間違えて喫煙車両を選んで座ってしまい、2時間半ほど臭い空間で我慢していました。自分も昔はヘビースモーカーだったので、タバコ臭は気にならないつもりだったのですが、なんだか頭痛がしてしまいました。といっても禁煙車両に避難しようとは思わなかったですけどね。


2003年11月15日(土) 土曜日の過ごし方

実はAAメンバー個人のホームページをいくつか知っているのですが、リンク集に収めようとは思いません。なぜかというと、AAのことを取り扱っていないか、取り扱っていても全体に対するその比率があまり高くないようなサイトはリンクしないポリシーなのです。また、そうしたサイトからリンクの依頼が来たこともありません。
実を言うと、僕は「心の家路」のほかにもウェブサイトを持っていて、そちらでは趣味(英語とかパソコン道楽とか)を扱っています。最近まったく更新していないので、ビジター数は微動だにしませんが。

昼に風の強い中、障子の張替えをしました。小さい子供のいる家ですから、障子を全部はがしてきれいに張りなおすなんてことをしても無駄です。すぐに穴を開けられてしまうのがオチです。ですから、穴の開いている升目だけ、障子紙をカッターナイフで切り取って除去しまして、同じサイズの新しい紙を張るのです。升によって紙の黄ばみ具合が違うので、「外から見るととっても変」なのですが、やむを得ません。
僕のパソコンを置いてある部屋でも、障子紙の破れ目から風が吹き込んで寒くてたまらなかったのですが、張替えの結果、室内温度は約3℃上昇しました(目分量)。

緑内障の治療で眼科へ。点眼薬のおかげで眼圧は低く保たれているのですが、最近は眼圧が低くても緑内障が進行して視野が狭くなる例が多いそうで、半年に一度の視野検査を薦められます。仕事が忙しいと言って延期してきたのですが、そろそろヒマになったので来週の火曜日の朝に予約を入れました。

本日締め切りのレポートがあったのですが、提出せずじまいでした。世の中には二種類の人間がいるのです。それは締め切りを守る人間と、守らない人間です。明日はひさしぶりに早朝からバスで東京へ。


2003年11月14日(金) 反応の変遷

DVD-R/RAMドライブを買ったので、メディアも10枚ほど買ってきたのですが、悲しいかな本棚にそれを収めるだけの空きスペースがありません。今度の資源ゴミの日には、忘れずに雑誌や本を捨てるようにしないといけません。破砕ゴミの日にも、不要になったプリンターやらパソコンの部品を捨てないと、暖房器具を置くスペースがありません。

ところで、形式はともかく、ある病院にAAのメッセージを運びつづけてもう6年半になります。最初の1〜2年は、まさに「死にかけた」人々しか入院していなかったように憶えています。病気に対する否認もとても強くて、「誰が何と言おうと、退院したら酒を飲む」とか「ともかく節酒というのをもう一度試してる」とか「こんなところに放り込みやがって」などという話が患者さんの口から飛び出すのが当たり前でした。でも、とにもかくにもそれが正直な気持ちだったのでしょう。建前ではなく本音の話ができるという意味では一種の爽やかさがありました。
そのうちに、病院の位置付けも変わったせいか、それほど酷くない人々が増えてきました。内科も含めて初めての入院で、内科病棟から移されてきたような人も混じっていました。彼らはAAメンバーの経験を聞くと、「なるほどあなた達の話は本当でしょう、でも自分はそれほど酷いとは思えない」と言い、「酒を止めるためにそこまでする必要はないと思う」という感想をたくさん聞きました。これもまた、正直な感想だと思いました。
最近では、何度かの入院を繰り返す人が増えてきていて、「今は病院の中にいるからいいけれど、退院したあとも、本当に飲まないでいられるか、いつまで飲まないでいられるか、そして飲んでしまったらまた入院するしかないのか」という不安を語る人々が増えてきた気がします。これもまた偽りのない意見だと思うのです。こうした話をする人々は、以前のような何もかも失う寸前の「死にかけ」の人々とは違い、まだ失うものがたくさんあるからこそ不安も大きいのでしょう。
こうした不安に対して、「AAのプログラムをやっていれば大丈夫です」と強く言い切るだけの自身が自分にはまだありません。それだけの実績があるわけじゃないし。僕のやってきたことは、「ともかくミーティングに出ること」が中心です。ところがそれだけでは失敗していく例のほうが多いわけです。もっと具体的な回復のプログラムを手に携えられれば、不安の話を聞いても、自分も不安にならずにすむと思うのですが・・・。


2003年11月13日(木) 狂気

ホームグループのミーティング。基本テキストから2章の「肉体と精神のアレルギー」を輪読。テーマはステップ1。

lives had became umanageable。思い通りに生きていけなくなった(手におえなくなった)のは、過去のことなのか、それともそれは今も続いているのか? (別にそんなことをミーティングで話しているわけじゃないですが)。考えて悩むほどの事はではないのでしょうが、考えてみたりします。

もっと簡単な話としては、ステップ2で「正気に戻してくれると信じるようになった」。はたして、飲んでいないアルコホーリクは正気なのかどうか? こちらは答えは簡単で「No」ですね。飲まないアル中が、一見望んだように生きているように見えても、皮一枚下には狂気が剥き出しになります。人生を楽むには「飲まないでいれば」という条件がついていて、「飲まないでいる」には生きた信仰が必要だとステップは説くのです。

僕のソブラエティ1年目に、突然あるAAメンバーが現れました。彼は過去に熱心なAAメンバーだったことがあるのですが、仕事が忙しくなったことを理由にミーティングを去りました。そして仕事で彼は成功を収め、経済的に豊かになるのですが・・・必然的な帰結として彼はまた飲んでしまい、仕事も金銭も失ってふたたびAAに戻ってきたのでした。「物質的な豊かさは霊的な成長の次にやってくるのであって、逆ではない」とテキストにも書いてあります。彼はそのとおりの経験をして、それを皆に伝えるため(かな?)に、あちこちへと飛び回っている途中なのでした。
その後、彼がどうなったのかは知りませんが、彼の分けてくれた経験が僕のその後に大きな影響を与えたことは確かです。

飲んでいなければ正気なのだ、と頑迷に信じていたほうが楽なのかもしれません。でも、アルコホーリクの中に潜む依存症は、いつも発病の機会をうかがっているのです。

もっとも最大の狂気は、繰り返し繰り返しステップを踏んでいれば、だんだん回復していくという思い込みでしょう。人間はそう簡単に変わるものじゃありません。経験の長さだけで聖人ぶっていたら笑われるだけです。ソブラエティの長い仲間は、ちっとも回復していないのだけれど、でも謙虚になって経験を共有している姿を見ると安心します。回復しているように見せようとしてしまうのが、人間の弱さなのでしょうが。
僕だって、自分が回復しているんだと盲目に信じていたいクチです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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