心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年12月18日(木) 病気を進行させるサイクル

昼/焼き肉弁当(コンビニ398)
夕/キハダマグロの刺身・しそ昆布の佃煮・ツルヤのレタスサラダ・インスタントみそ汁・ごはん一膳
夜/ミニカップラーメン
53.4Kg, 11.0%

朝/コーヒー・トースト1枚・レタスサラダの残り・ヨーグルト・チーズ

浮腫がとれたようです。
普段はコーヒーは朝の一杯と、夕方AAミーティングがあるときはそこで1杯飲むだけなのですが、仕事でテンションをあげる必要もあって、午前中に職場で1杯。カフェインの利尿作用のせいか、トイレに行く回数が増えました。

受験の季節がやってきました。
自分の場合はどうだったのか、思い出してみました。年末の模試で国語が半分取れなかったので、焦って古文・漢文・現代文漬けの年末でした。
共通一次(センター試験の前身)前夜は緊張して落ち着かず、ワンカップを2本買って近所の友人のところで1本飲み、寝る前にもう一本飲みました。翌日の試験は軽い二日酔いで、体調悪くて緊張している余裕もなかったせいか、それまでに受けたどんな模試よりも高得点を叩きだしてしまいました。
二次試験前夜は、新宿駅西口のビジネスホテルに泊まりました。受験生用に夕食付きの宿泊プランだったのですが、やっぱり緊張で少ししか食べられず、寝る前にホテル内の自動販売機で缶ビールを買って飲んで寝ました。翌朝は全く食べられず、やはり缶ビールを朝食にして、受験会場へ。トイレに行きたくて困りました。
ともかくそれでも受かってしまったから結果オーライなんですけど、「酒を飲みながらでも何とかなる」という誤った信念を十八で身につけたのが、後のアル中人生につながったと思われます。

さて、表ブログ で二回取り上げた記事をまだひっぱります。

日経新聞「甘いものにも依存性のあることが判明」
http://health.nikkei.co.jp/hsn/hl.cfm?i=20081218hk000hk

ここで注目したのが、「××をしばらく断った後に大量に与える、ということを交互に繰り返す」ということが依存を形成するというくだりです。

「AAにくる前はそれなりにマトモに飲めていたのに、AAにきてから急に病気がひどくなった」という話を聞くことがあります。たいていのケースは「それまで普通に飲めていた」という自己認識が間違っているのでしょうが、中には病気が急に進んだ印象を与える人もいます。
もちろん、AAにくる時点ですでに立派な依存症になっているわけですが、それまで断酒した経験のない人が、比較的短期間に断酒→再飲酒→断酒→再飲酒というサイクルを繰り返すことによって、病気が進んで重症化していくケースもありそうな気がします。

ただ、それが悪いことだとは限りません。その過程で仕事を失ったり、家族が愛想を尽かせて離れていったりするかもしれません。でも、悪い酒飲みとしてこの先10年20年だらだら飲み続けてしまうよりも、短期間で沈没して恒久的な断酒に早くたどり着いた方が良いでしょう。仕事を失っても肉体的に痛まないから稼得能力は温存されるし、家族を失っても埋め合わせのチャンスは長く残されるし。
仕事・家族・財産・社会的地位などを尺度にすれば「ショートで沈没」は底上げにはならないのですが、長い目で見れば、何を失っても人生の早い時期に酒をやめる以上の「底上げ」はないと思います。

日経の記事の元の英文記事には、OAのサイトへのリンクがあり food addiction and eating disorders についてより詳しい情報が得られると記述があるのですが、日経では削除されてしまっています。残念なことです。

今夜は職場の忘年会、明日は朝から東京というハードスケジュールなので、雑記を更新する余裕はなさそうです。なので、二日分まとめて書いた、ということで。かんべんしてね。


2008年12月17日(水) どの伝統も等しく重要

朝/コーヒー・トースト・ヨーグルト・野菜サラダ
昼/明太子パスタ・チーズパン(コンビニ)
夕/豚トロ角煮丼・みそ汁・サラダ(すき家)
夜/ミックスナッツ少々・栄養ドリンク
54.2Kg, 13.8%

朝/コーヒー・普通のトースト・ヨーグルト・チーズ

うーむ、浮腫みました。

以下は某所に送ったメールで、個人的なことは伏せて書き換えてあります。これを元に雑記に形を整え直そうと思ったのですが、面倒なので、そのまま使います。

−−−−−−−−

「現状では」あくまでも「現状では」という但し書き付きで、彼には去ってもらって良かったと思っています。

それは伝統3の「私たちの共同体は、アルコホリズムに苦しむ人すべてを含むべきであり、回復したいと願っている人はどんな人であっても拒んではならない」に反するのではないか、という意見も当然あるでしょう。

しかし、僕は伝統3が、他の11個の伝統に対して飛び抜けて優先されるべきだとは思っていません。伝統1の「私たちの全体の福利がまず優先される。しかし個人の福利がすぐそのあとに続く」ということも、同じように大事であると思っています。

あるグループでは、ニューカマーの3ヶ月以内のスリップはグループの責任、1年以内スリップはスポンサーの責任、それ以降は本人の責任と言っているそうです。スリップに限らず、グループとして責任というものも考えていった方が良いでしょう。

回復も共同体あってこそ、自分が回復したければ、全体の福利を尊重してもらわなければならない。それが出来ない人にはお引き取り願わねばならないと思っています。その厳しさをふまえた上での伝統3だと思います。
バランスが必要で、参加する権利だけが偏重されるのは伝統の精神にそぐわないと、考えています。

一連のトラブルで彼だけを責めるわけにはいかないと思います。こうしたトラブルは、どちらか一方が加害者で、他方が被害者ということはあり得ない。誰もが「自分は被害者だ」と言っているように聞こえますけどね。ともかく彼だけを責めるわけにはいかない。

しかし、やはり複数のトラブルの真ん中に彼がいて、それを改めることができないのなら、伝統1と3の間で難しい判断をしなければならない。その難しい判断から逃げないのが、責任ではないかと思います。

神さまならぬ人間の判断はいつも間違える危険がありますが、それでも判断から逃げるべきではないと思います。伝統は常に僕たちに厳しい選択を強いているように感じます。


2008年12月16日(火) 順調に製造中

夜/レンジでチンする高菜チャーハン

朝/コーヒー・トースト・ヨーグルト・バナナ・野菜サラダ
昼/ミニ明太高菜ごはん・おにぎり×1(コンビニ)
夕/牛丼並・野菜サラダ(吉野屋)
夜/エビせんべい×5
53.4Kg, 12.0%

つくづく、生きることとは食べることであると思います。

はたして、生きる意味とは何でありましょうか。
人間は、何の目的があってこの世に生まれてくるのでしょうか。
毎日うんこを製造することでしょうか。
(食事中の方、すみません)
結果的にはそうなるかも知れません。

「無力」とは、それについて私の出来ることが「何もない」ということでしょう。
「アルコールに対して無力」とは、再飲酒に対して私が出来ることは「何もない」ということです。

いや、そんなことはない、できることがある。とおっしゃるかも知れません。抗酒剤を飲んだり、酒のある場所を避けたり、自助グループに通ったり・・・。
それは確かに断酒の確率を上げてくれます。
でも、抗酒剤を飲んでもまた飲んでしまう人も、自助グループに通いながらまた病院に戻る人もいます。それは、その人が「だらしがない」からでしょうか?
それも病気のうちなんですよ。

つまり人間のすることで、100%の断酒成功を保証してくれることなんてないのです。しっかり目を見開いて歩いているつもりでも、落とし穴に落ちる危険は一生続きます。

無力は幸せな状態ではありません。ウンザリするような嫌なことが続き、不安からずっと解放されないということです。無力は「心の落ち着き」とか平安を与えてはくれません。だから人は、まだ自分がコントロールできる程度の「無力」を認めて済ませようとします。でもそれは認めたことにはなりません。

では深く無力を認めていくとどうなるか。誰かに助けてもらいたくなるでしょう。しかし他の人に頼ってみても、相手も無力なので救われません。そこで、有限な人間ではなく、人間以上の無限の存在を信じてみたくなります。何でも100%できる存在に、自分の断酒のこともお願いできれば、不安から解放されるわけです。

人はいろんなことに無力です。
例えば僕は、会社との雇用関係が安定していません。良い方向に向かって進んでいると信じたいのですが、この経済情勢では不安になってしまいます。雇用関係には会社という「相手」があり、その相手には「気持ち」があります。相手の気持ちは、僕にはコントロールできません。である以上、僕の雇用を100%保証するすべはありません。
ここでも無力であり、「大きな力」に任せるしかありません。

とはいえ、何もしないで「おまかせ」と言っているわけにもいきません。今夜もAA会場に行かねばならないし、それまでは働かないといけません。AAに行かないとソーバーが危ないし、働かないとクビになります。

人生の意味についても、僕は無力です。考えても何もわかりません。でも、何もしないわけにもいきませんから、とりあえず今日の食料を確保しなくてはね。

ジョージ秋山氏の描く浮浪雲のせりふ、「おねえちゃん、いいうんこしてますか?」は含蓄のある言葉に思えます。


2008年12月15日(月) 生活

夕/煮イカのわさび和え・ぶなしめじのみそ汁・ジャスコの100円サラダ
夜/ちっちゃいカップラーメン

朝/コーヒー・トースト・ヨーグルト・サラダ
昼/カキフライ定食
おやつ/あんまん
夕/インスタントラーメン(ぶなしめじの残り)
53.2Kg, 10.8%

やっぱりチューブのワサビではなく、生ワサビでないとダメなのか。味がいまいちでありました。あんまんは「濡れたふきんをかけて」チンしろと指示があったのに、それを省略したら乾燥してしまいました。

最近の電子レンジは「チン」などと言わないのに、チンするという言葉だけが残っている不思議。

スズキもWRCから撤退。


2008年12月13日(土) 恨み酒乱

夕/ジャスコのギョーザ・インスタントみそ汁・ごはん一膳
夜/カップきつねそば
53.0Kg, 9.8%
朝/コーヒー
昼/GooTaのチャーシューメン

生野菜サラダは買ってあるのですが、ドレッシングが切れています。
美容院に行ってみました。「確かに最近は男性のボブも流行ってますが、これだと絶対的に長さが足りませんね」と言われ、襟をカットし、横は左右の長さが違っていたのを整えてお終いでした。にしぇんえん。

F1からホンダが撤退。金がかかりすぎるのが理由だそうです。
FIAもF1の開発資金を抑えようと、エンジンやタイヤを一つのメーカーに作らせ、それを全チームが使うルールになりそうです。やがてトランスミッションもそうなるとか。
WRCのほうは今期からすでにコントロールタイヤ制が始まっています。いままでスバルが勝てなくなったのは、採用しているピレリのタイヤが、他のチームの使うミシュランより性能が劣っているから・・・と言われていたのですが、全チームが同じタイヤを使った今期も勝てませんでした。とほほ。

ところで、なぜタイヤメーカーであるミシュランが、レストランガイドを売っているのか? これはタイヤを売るためだったそうです。
三つ星★★★というのは「それを味わう為に旅行する価値がある」という店、二つ星★★は「遠回りをしてでも訪れる価値がある」。自動車でその店まで移動してもらえれば、タイヤが減って商売のチャンスが広がるというもの。
ところが、無料で配布していたガイドブックが粗末な扱いを受けていたことにショックを受け、有料化した後はタイヤとはあんまり関係なくなっていきました。

東京版のレストランガイドは「★を与えすぎ」という話があります。特に東京版の後で発行された香港版で少なかったせいで、余計に言われるようです。しかし、分母となるレストランの総数がパリやニューヨークや香港と比べて一桁多い事情があるのだそうです。
逆に、日本のレストランはそれだけ「はずれが多い」とも言えます。日本人はレストランに辛口の評価を与えるのが苦手なのかも。

レストランガイド以外に、旅行ガイドも発行されていて、日本国内の観光ガイドも出ています。観光地ごとに★がついていたりします。
ミシュラン三つ星観光地
三つ星がついた高尾山は、外交人観光客が急増したとか。

西原理恵子の『恨ミシュラン』のほうが面白い?
人の財布で飯を食っておいて、あれだけこき下ろせるのは才能かも。それだけ自分を信じられるということか。こっちの本のほうがアテになると言う話です。


2008年12月12日(金) 仲間のバースディ

夕/バースディMのケーキ・かき揚げ温玉うどん・ドリンクバー(ガスト626円)。
夜/菓子パンの残り
53.1Kg, 11.1%

朝/なし
昼/コーヒー・レンジでチンするビビンバ・ツルヤの99円サラダ

定期の診察。このごろ朝7時〜7時半に起きて、ちゃんと朝ご飯を食べて、9時までに遅刻せずに出社できるようになっています。これが当たり前のことなんですけどね。その当たり前のことが、うつで休職後何年も出来なかったのです。加えて休職前も順調だったわけではありません。それが、最近は順調に薬も減っています。
その好調の理由は・・・こう言っちゃなんですが、離婚したからでしょうね。ええ、キッパリ。

仲間のバースディミーティングでした。司会はいつもどおりの僕。
始まる前に携帯に届いたメールを読み、その内容に「がっくん」というポーズを取っていたら、隣の今夜の主役から、

「どうした、また女に食いつかれたか?」

と言われました。「また」って何だよ。
これから序文を読んで黙想をしなけりゃならないタイミングだったので、彼のセリフにツッコンでいる場合ではありませんでした。

その主役は、かなり年上の女性から「素直さがあってかわいい」と言われて驚いていたようでした。この人は短気な欠点がどうしても目立っちゃうのですが、その陰に素直さがあるからこそ恩恵を受け取れたのだと思います。

終わって駐車場で別れるときに、「ミーティングが始まる前に言ってたあれは、何の意味?」と尋ねてみると(ドキドキ)、何のことはない、僕が首筋に白い薬を塗っていたのをからかわれただけでした。

実はニキビをつぶしたら痕が酷く腫れてしまいました。この年になるとお肌の回復力も衰えており、ニキビ痕を残すと半年も1年も消えません。恥を忍んでビフナイトを厚塗りして仕事していたのですが、それを忘れてAA会場に来てしまいました。
その薬を、首筋のケガを隠すために塗っているとからかわれたのが真相。

「また女に首筋に噛みつかれたのかと思ってさ」

だから「また」って何だよ。
だいたい首筋にキスマークじゃなくて、噛みつく女ってどんな女?

こんなふうに、男所帯のグループは雑談でさえ下世話であります。


2008年12月11日(木) 砂糖依存

昼/ミニ高菜明太ごはん・貝柱のおにぎり(コンビニ)
夕/広島産大カキフライ×3・インスタントのみそ汁・ゴボウのきんぴら・ツルヤの99円サラダ
53.4Kg, 11.1%
朝/コーヒー・菓子パン・ヨーグルト・チーズ
昼/ミニ五目炊き込みごはん・カラシ明太子おにぎり(コンビニ)・野菜ジュース(ヤクルト)

[ロイター] 砂糖に依存性あり、ラットで証明=米研究
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-35380420081211

11月27日の雑記にも書いたのですが、
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20081127

甘いものにはかなり強い習慣性があると実感しています。

映画『酒とバラの日々』で、妻のカースティン(リー・レミック)は最初から「チョコレートが好き」という設定で、夫ジョー(ジャック・レモン)が彼女に最初に勧める酒はチョコレートのカクテルです。
やがて妻はすっかりアル中になってしまい、ジョーは「どうしてこうなってしまったのか」と嘆くのですが、そんな彼にAAスポンサーはこう言うのであります。

「もともと彼女はチョコレートが好きだと言ったな。そんな彼女は酒にも親和性があったんだよ」

チョコを食べた誰もがチョコホーリックになるわけではありませんが、砂糖の依存に親和性の強い人は、(飲める体質なら)アルコールの依存にも親和性が高いのでしょう。それは、酒の依存が、薬の依存に移行しやすいのと同じでしょう。

酒好きは酒を飲んでいればご機嫌です。でもアル中になると、いつも飲んでいなければ不機嫌になってしまいます。甘いものを食べればご機嫌でいられるうちはいいのですが、いつも甘いものが食べられないと不機嫌になってしまうようでは、これも困ります。

甘いものが一切食べられなくなっても嫌なので、普段はなるべく節制することにしています。とはいえ、ホイップクリームの誘惑にはなかなか勝てないんですけどね。


2008年12月10日(水) 髪の色とペド犯罪(とりあえず自己正当化)

昼/たらこスパゲティ(コンビニ)
夕/たからじゃラーメン
夜/バナナ
53.9Kg, 11.6%
朝/コーヒー・バナナ・ヨーグルト・チーズ・レタス

紛れもなく太ったようです。お腹周りにお肉が・・・。

以前、小学生の子供を持つお母さんたちが「黒髪の男って子供を狙う性犯罪者みたいでアブない」と感じている、という雑記を書きました。
はたしてそれは事実に基づいた話なのか? デマゴーグを流してはマズいよな。
何事も「実績を見てみよう」(A.A. p.74)であります。
そこで、データを集計してみることにしました。

黒髪・長髪 x
黒髪・短髪 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
茶髪・長髪 xxx
茶髪・短髪 xx
白髪・短髪 xxxx
坊主頭(毛がない人含む) xxxxxxx

データの元は「ライポくん安心メール」という長野県警が配信しているメールです。これは、子供につきまとったり、連れ去ろうとしたり、下半身を露出したりという「不審者」の情報を未遂犯も含めて提供するメールで、手元に届いた半年分から髪の色と長さを集計しました。

このように子供をターゲットにする(性)犯罪者には、圧倒的に黒髪短髪の男が多いわけです。その次が坊主頭(か髪の毛がない)。
世の中を見てみれば、中年以下では髪の毛が黒いヤツの方が少ないというのに、ここでは飛び抜けて多い。さらには、坊主頭は世間では珍しいというのに、ライポくんでの多さは何ということか。

やはりお母さんたちの印象には根拠があったのだと言えます。

ということから、小学校に出入りするにあたって、髪の毛は染めた方が安心感を与え、ま、髪の毛は無くならないように気をつけなければならない・・・という結論になるわけです。

というふうに、髪の毛を染めたことが、僕の中では合理化されているわけです。


2008年12月09日(火) うつに関する散漫な話

夕/牛丼並・みそ汁(吉野屋)
夜/ミニカップうどん生タイプ
朝/コーヒー・トースト・チーズ・レタス

DSM-IVの診断基準の普及で、うつ病と診断される人が増えてきました。
診断基準では原因は問わず、症状さえあれば「うつ」と診断されます。その結果、以前は別の病気(あるいは病気ではない)とされていたものも「うつ」の範疇に入ってくることになりました。

詳述するのは面倒なので、参考リンク。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20081003-OYT8T00169.htm

精神科が出していた薬をやめたら調子が良くなった(うつ病が治った)という話がありますが、これは元来のうつ病ではなく、気分の変調に過ぎなかったのかもしれません。うつじゃないのにうつの薬を飲めば調子が悪くなっても不思議じゃありませんから。
また、「うつだ」と言いながらも、旅行に行くと気分が良くなったり、セックスがしたい、おいしいものが食べたいと思うのは「うつ」とは違うのでしょう。うつ状態なら、性欲も食欲も減退し、眠れなくなるものです(過食過眠もなくはないけど)。

いままで「うつ」の治療を受けずに苦しんでいた多くの人が救われる一方で、性格や考え方の偏りに対しても無用な薬が処方されてしまい、処方薬依存や副作用などの健康被害が出ていることもあるでしょう。

ただ「無用な薬が処方されている」という言葉を強調しすぎるのも問題です。

うつ病の人たちには病識がありません(自分を病気だと思っていません)。本来自分は薬を飲まなくて済むはずだとか、治療だって不要なはずだと思っていますから、勝手に薬をやめたり、減らしたり、治療を中断してしまったりして、半年か1年ぐらいで症状がぶり返すのを繰り返したあげくに難治化してしまうと悲惨です(僕のことですけど)。

元来のうつ病が根治して治療が不要になったという実例にお会いしたことがありません。(人づてに聞いたことはありますけど)。「私は治った」と言っている人も、薬を飲まなくなってたかだか数年でしかなかったりして、せめて10年の期間は欲しいところです。また、根治したという話を聞いても、よくよく「うつ時代」の話を聞いてみると、それはうつとは違ったんじゃないかな、と思う例ばかりです(たとえば依存症の残遺症状とか)。

「心の風邪」程度だったらともかく、こじらせてしまうと、なかなか根治は難しいのかな、と思うこのごろです。

長期間うつの症状をぶり返さずに無事に暮らしている人の話はうかがったことがあります。診察や服薬こそしていないものの、サプリメントや食べ物に気を遣い、ハーブやアロマでリラックスすることを習慣づけ、そこそこ体を動かし、考え方の偏りを早めに修正することを心がける・・などなど、「なにかというとうつに落ち込みたがる脳」を健康な状態に引き戻し続けるには、それなりのケアは欠かせない様子です。

お腹を壊しやすいとか、血圧が上がりやすいなどと同じように、うつになりやすいのも体質であります。


2008年12月08日(月) 悩め悩め〜

朝/コーヒー・トースト・生野菜サラダ・ヨーグルト・チーズ
昼/サバみそ弁当・野菜ジュース
夕/マグロのたたき丼・けんちん汁(すかいらーく)
夜/カップうどん
53.9Kg, 10.4%

朝/コーヒー・生野菜サラダ・ヨーグルト・バナナ・チーズ
昼/中華丼(コンビニ)

腸内の滞留量が増えているみたい(要は便秘)。

県外のAAメンバーが、こんな話をしてくれたことがありました。

酒がなかなかやめられない。せっかく施設に行って酒をやめても、帰ってくるとまた飲んでしまう。嫌になって家を逃げ出し、隣県の知り合いを訪ねようとしたものの、飲んでいるせいで自分がどこにいるのか分からなくなってしまった。
さまよい歩くうちに、何の偶然かたまたまたどり着いた家の主が神父さんだった。
その神父さん相手に「自分の人生は、こんなんで、あんなんで、とても苦しい」という涙の訴えをした。すると、神父さんはこう答えたそうです。

「良かったですねぇ。あなた、もうすぐ神さま見つかりますよ」

苦しみの果てに神さまが見つかったのかどうか、そのメンバーは話してくれませんでしたけどね。

夜明け前が一番暗いのです。実際明るさがどうであれ、精神的に暗く感じるのです。

神さまを見つけるのに、必ず苦しみを経ねばならないのかどうか。それは僕は知りません。でも、僕の知る限りハイヤー・パワーを見つけた人たちは「なんで俺はこんな人生を生きているのだろう」とか「私の辛い人生に何の意味があるのか」と悩む時代を経ているようです。

ビル・Wも

「夜が明ける前は何と暗いことか」 (A.A. p.12)

と書いています。エビーが福音を持って訪れる前のビル自身の精神状態の描写です。

悩むべき時には、徹底的に悩まねばならないのだと思います。悩みを脇にそらしたり、飛び越えてしまったりしては悩むことが出来なくなってしまいます。

悩むのは「この問題をなんとか自力で解決できないだろうか(解決したい)」「自分の望む方に事態を持って行きたい」と思うからこそです。要は無力になりたくない、無力を認めたくない。

じゃあ無力を認めれば楽になれるのか。なれないでしょうね。余計情けなくなるだけです。情けないのは嫌だから、また「自分は事態をコントロールできるはずだ」という幻想に舞い戻りたくなります。せっかく認めかけた無力もどこへやら。こうしてステップ1が抜けていきます。

徹底的に悩んで、徹底的に無力を認め、徹底的に惨めになってこそ、この問題を解決してくれる「自分より大きな力」ってやつが、「いて欲しい」「いてくんなきゃヤダ、困るよ」「絶対いてくれ〜」と思えるようになれるわけです。

ステップ1だけは100%できてないと・・と言われますが、ステップ1だけが出来ている状態なんてあり得ないわけで、1がちゃんと出来ていればステップ2に進まないと惨めでたまりません。だから2以降に進んでいる状態か、1の無力すら抜けてステップ0の段階に戻っている状態か、どちらかになります。

悩むときは徹底的に悩むといいんであって、周りは気晴らしの手段とか提供せずに、じっくり惨めに悩める環境を提供してあげてほしいものです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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