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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年08月22日(火) 健康診断 健康診断にいってきました。「生活習慣病予防診断」という名前が付いてます。
検便提出、採尿、視力、血圧、採血、聴力、問診、胸部レントゲン、心電図、胃カメラ、栄養指導。これで2万数千円。2/3は公費で、残りの1/3は個人負担ですが、これは会社が肩代わりしてくれます。
幸いなことに、りーまんをやっているこの十年余り、ほぼ毎年健康診断を受けています。残念なことに(いや幸いなことに、か)何か病気が見つかったことは一度もありません。ただ、一度胸部レントゲンで肺に影が写ったことがあり、念のため病院でCTスキャンを受けました。CTの結果を待つ間に、内科医に「タバコやめたほうが良いですよ」と強く勧められたのでした。なんか肺が病気だったらどうしようと、すっかり気弱になっていた僕は、言われるままに禁煙外来の診察予約をしてしまいました。
もちろん、CTの結果は問題なしでした。
前の日に問診票を書いていて、ふと検便を取っていないことに気が付きました。しかも容器は二日分もあります。うーん、ヴィレッジ安曇野に容器持参で行かなければならなかったのか。しかし、今さらこんな容器に出てきてもらっても困るのであります。どんなにがんばっても、出ないものは出ないし。
こういう場合に「出なかった」と言って提出しないでおこうとすると、「じゃあ出たら改めて持ってきなさい」と面倒なことを言われます。
自宅の近くならそれも良いのですが、なにせ会社よりさらに遠いところです。朝、仕事に遅刻した言い訳に、「検便出してきました」というのは、どうでありましょう。
最善の策は、容器に名前だけ書いて出してしまうことです。どうせ潜血の検査だけなんだから・・・。
結果は(γじゃないほうの)GPTが高かったです。酒をやめてすぐにγは下がり、高かったGOTも3年後には下がりました。その後肝臓の異常値はなかったのですが、昨年からGPTが高止まりです。
アルコールで弱った肝臓は、あたかも良くなったように見えても、服薬と労働という二重の負荷を課せば馬脚を現してしまうのでありましょうか。
去年は平常値だった中性脂肪が高くなっていました。「食べ過ぎに気をつけてください」と言われてしまいました。最近痩せてきてるんですけどと訴えてみたものの、栄養指導の看護婦さんは、「量は少なくても栄養過多ってことはありますから」とにべもないのでありました。
まあ、どちらも治療の必要はない程度の数字なので、来週には忘れてしまっているでしょうが。
2006年08月20日(日) 終わった あいにく安曇野はこの夏一番の暑さでありました。
準備不足が祟って、どたばたの二日間でありました。
大量の汗をかいていました。暑かったのも理由かも知れませんが、館内は冷房が効いているのにであります。最近発汗量が増えたのかも知れません。
脱水症状を起こさないように、自動販売機のペットボトル飲料を買って飲んでいました。何本買ったか覚えていません。烏龍茶、炭酸ジュース、ミネラルウォーター、緑茶、スポーツドリンク・・・。
緊張していたのでしょう。でも、汗をかくほど緊張していても、それで物事がうまく運ぶわけでもありません。
あまりゆっくり話はできなかったのですが、それで構わないという気がします。
「共通の解決方法」という紐帯で結ばれているならば、多くの言葉を聞くことも、多くの言葉を話すこともオプションに過ぎないと思います。だから、残念だったとは思いません。
自分はまだまだ回復していない、というか「回復したいと望んでいない」部分がたっぷりあることに気付かされます。それで当たり前だという思いもあります。だって、なんとなく飲まないでいることが、これまで続いて来れてしまったのですから。
これまでの延長線上でいいじゃないか、それで大丈夫だと。今さら何を始める必要がある?
自分のことを考えている時は、その理屈はしごく真っ当に思えます。
しかし同じ事を誰かがしゃべっているのを聞くと、こいつは言い訳をしてやがると感じるわけです。まだ飲みたい人が「自分は酒をやめる必要がない。だってこれまでだって、自分は十分うまくやって来れたんだから」と言っているのと、同じ類の言い訳なのだと。
自分の理屈も言い訳に聞こえているでしょう。
自分が受け取りそこねている物を、誰かに贈り物として差し出すことはできない。実に耳の痛い話です。
今後もなかなか進歩はできないでしょうが、回復したいという願いは持ち続けたいです。それにしても「直感とか、虫の知らせ」ですか? うーん、それはちょっと馴染めないですねぇ(6章)。
ひとつ終われば、次の企画の話が始まっていますが、僕の役目は今回で一段落です。
来てくれた皆に感謝。
2006年08月18日(金) 養生 お昼まで寝ていたので、午後も遅くなってから眼科へでかけました。
緑内障がみつかったのは、ほんの偶然からでした。メガネを作り直しても、なかなかよく見えるようにならない時期がありました。視力の検査(レンズの選定)は、それまでメガネ屋でやってもらっていたのですが、そういう所で測っても不正確なんじゃないかと疑って、眼科で測ってもらうことにしたのでした。
検査だけしてもらって、メガネの処方箋をもらって帰るつもりだったのですが、診察室に呼ばれ、眼圧が高いから緑内障の疑いがあるから、視野検査を予約するように言われました。
視野検査をしてみると、視野の中に「見えない」部分があることがわかりました。完全に緑内障になっていたのです。それまで「見えない」ことすら気付いていなくて、ただなんとなく見えにくいのが加齢のせいだったら嫌だなと、思っていたくらいでした。
東京のアパートで連続飲酒をしている頃、いくら目をこすっても、部屋のカーテンの模様がぼやけてはっきり見えないことがありました。虫の行列が見えたり、ピンクの象が見えたりすることはなかったものの、物が変な風に見えることは珍しくなかったので、ぼやけたとしてもそれほど気になりませんでした。
思えばその頃、緑内障が進行していたのでしょう。アルコールの症状が激しかったので、それも異常だとは思わなかっただけの話です。
診断をもらってからは、2ヶ月に一回眼科に行って、眼圧を測り、目薬をもらって朝晩差しています。半年にいっぺん視野検査をして、病気が進行していないか確認しています。
緑内障も、他の多くの病気と同じように、元に戻す(治癒する)ことはできません。ただ、進行を食い止めることができるだけです。
はたして自分が受けている治療が、本当に意味があるのかどうかも分かりません。目薬を差すのをサボって、眼圧が高くなってくると、頭が痛くなったり、肩が凝ったりします。しかし、例え眼圧が低くても、頭痛や肩こりと無縁なわけじゃありません。
僕の緑内障が、飲んでいた頃から着々と進行して今の状態になったのか、それともあの頃に急速に進行して、その後はあまり進まずに来たのか、それも分かりません。もし後者だとすると、今の治療にはそれほど意味はないのかも知れません。
放っておいても、それほど進行しないというケースもあると聞きます。
しかし、治療を中断して確かめてみようとは思いませんね。運が悪ければ目が見えなくなります。治療に意味があるのかどうか、失明という代償を支払ってまで、確かめなくてはならないとは思いません。
「病気になって知る健康のありがたみ」という話は多くの人から聞きます。
失明してから目の見えるありがたみを知っても、後悔するばかりでしょう。
同じように再飲酒してからAAのありがたみを知る、ってことにはなりたくないです。人生の終わりに、「AAのために使った時間を、もっと他に使えば良かった」と後悔するかも知れません。しかし、精神病院の保護室で、「もっとAAに時間を使っていれば、ここにいなくて済んだのに」と後悔するのは、二度としたくないというだけのことです。
2006年08月17日(木) かくれんぼ 娘たちが、かくれんぼで遊んでいます。
しかし、この狭い我が家の中、隠れる場所にも限りがあります。
飽きたらしくルールに変更があった模様です。
隠れるのは人間ではなく猫です。じゃんけんで勝った方が、猫を隠しに行きます。負けた方が制限時間以内に発見できれば勝利です。猫は意志を持った生き物なので、探している途中で「にゃー」といって出てきてしまうこともしばしば。もちろん、その場合でもゲームは続行です。
ヤクルト破れる。石川の5年連続二桁勝利はなるのでしょうか。ちょっと心配になってきました。それにしても成長著しいのは米野です。古田監督の隣に座って話を聞いている様は、野村監督と古田捕手の組み合わせを思い出します。
閑話休題。
病院メッセージへ。今月はミーティング3、メッセージ1。
「仕事にかまけてミーティングをないがしろにするなと言っている本人が、ミーティングに出てこないんですよ」という話を聞きました。
俺はもう大丈夫だけれど、お前はまだ危ないから○○しなさい、と平気で言えるぐらい鉄面皮になると、AAの中でも「先ゆく仲間」という称号をもらったりするのでしょうね。
よそ向けに書いた文章なんですが、結局使わないことにしました。でも、捨てるのももったいないので、ここに書いておきましょう。
・・・
僕は少々競馬をたしなみますが、もし競馬ができなくなったとしても、人生を損しているとは思わないでしょうね。コカインはまったくたしなまないけれど、一生試さなくても、人生を損をしているとは思わないでしょう。
僕の場合は、アル中を認めるまでに10年かかりました。認めた後も、アル中であったのは最近2〜3年だけだと思っていました。まさか10年前から自分の酒がトラブルの元だったとは、もっと認めたくないことでした。
自分から進んで酒をやめたわけではありません。ただ断酒しろという圧力に負けただけでした。今ではその圧力が善意であったことを信じられるのですが、当時は運命の犠牲者になったような気がして、実に嫌でした。要するに最後まで抵抗したということです。
昔の自分を思い起こさせる誰かに接すると、実にもどかしい思いがします。ただ、断酒に対して抵抗するのはこの病気の特徴ですから、それを責めてみても始まりません。
2006年08月15日(火) 体重計 最初に買った体重計は、ディジタル式で0.5Kg単位のものでありました。
0.5Kg単位だなんて全く知らずに、「アナログよりディジタルのほうが良いよね」という気楽な気持ちで購入したのですが、一番安いものを選んだ結果でありました。生まれたばかりの赤ん坊の体重増加をグラフにしようと思っていたのに、0.5Kg単位だなんてあんまりです。アナログ式の体重計なら、目分量で0.1Kgまで計れるというのに。
電力消費も激しく、乾電池をしょっちゅう交換する必要もありました。
2〜3年のうちに、まったく表示が出なくなってしまいました。
製品寿命だと思って買い換えることにし、懲りずに「一番安いの」を選んだのですが、それでも0.2Kg単位で計ることができました。が、本当に0.2Kg単位で計れているか、疑問であります。
なにしろ乗っている間、最後の桁は激しく数値が変わるのです。アナログ式で、小刻みに目盛りが震えているのと同じ現象でしょう。それをそのままA/D変換してるだけのようです。
だいたい体重計の原理って、どうなっているのかよく分かりません。てこの原理で力を減らし、バネのたわみ量を計っていることは想像が付きます。が、どんなセンサーを使って?
ともかく、乗って静かにしていると、そのうち数値が安定してきます。それでも最後の桁が動くのを、真ん中へんの値を採用して計測終了です。本当は、5回計測してメディアン値を取るべきかと思うこともありますが、面倒なのでそこまでしません。
この体重計も、なかなかの粗悪品で、ゴム足が取れてしまうのです。ゴム足が取れると体重計が傾き、力が分散するのか、数字が小さくなります。
「おお、なんか最近痩せたかなぁ」
という期待は毎度空振りで終わり、床にはいつくばって紛失したゴム足を探す羽目になります。これがなかなか苛立たしいのであります。
そのゴム足がついに見つからなくなりました。きっと猫が持ち去ったのでしょう。
というわけで、3台目の体重計を購入しました。
今度のやつは、いままでの倍以上の価格(4千円)だけあって、0.1Kg単位で計れ、おまけに体脂肪率測定までできます。といっても、例によって電気抵抗を計っているだけでしょう。そりゃ「測定」じゃなくて「推定」じゃないかって気もするんですが、抵抗値を表示されても困りますか。
「最近自分は電気抵抗が下がってきたんですよ」
という喜び方はできませんもんね。
どういう処理をしているのか、体重の数字もふらつきません。500mlのペットボトルを飲み干したら、体重も0.5Kg増えていました。
2006年08月13日(日) 雑記 秋の資格試験の申し込みをしました。
参考書代もいれると、1万円以上かかっているので、これで受けに行かなかったら大損です。いや、過去には当日風邪をひいて行けなかったことも一度ありました。
今回受験する資格は、実は5年ほど前に一度取得しています。じゃあ、なんで再度取る必要があるのか。日進月歩のこの業界、試験の内容も毎年変わっていきます。それなのに(例えば)10年前に取った資格と、去年取った資格が同じ価値であっていいはずがない、という流れであります。
以前はそんなことは言いませんでした。しかし、資格受験者が減ってきたので、この試験を管理している団体(経産省の天下り先)が、突然「古い資格には意味がない」と言い出したわけです。その尻馬に乗っている自分であります(シリウマライダー)。
この業界の技術者であれば、この資格に仕事での意味が無いことは知っています。でも、技術者でない人が、技術者の技能を評価しなくちゃならない時に、資格の有無はひとつの判断基準になるという話であります。
「幸せが指針」ブータン
たとえば、日本の国勢調査に「あなたは今幸せですか?」という設問を設けたとしたら、とてもこんな数字にはならないでしょう。
空腹感が好みの女性のタイプを決める
腹が減ってくると「それどころ」じゃありません、僕の場合。
「女性は食欲が満たされると性欲は減退する」という話も出ています。そうか、食事を先に済ませるのは、デートの戦略としては失敗なのか。
光源氏も原作(?)ではでっぷりと太っているのに、現代の日本で描かれるのは・・・。
今年も、ペルセウス座流星群の時期がやってきました。いやもう極大は過ぎてますが。
月曜・火曜と実家に泊まってきます。パソコンは持って行きますが。
2006年08月12日(土) 花火 久しぶりに土曜日のAAミーティングに行きました。
ここのところ仕事が忙しく、いつものミーティングにも行けずじまいが多かったのですが、一段落付いたので「ミーティング数だけは帳尻あわせしておこう」と考えました。
ひさしぶりに見る仲間の顔もありました。土曜日に行っていなかったら、会えなかったかも知れません。
夏の間は、8時40分から20分間、湖面から花火が上がります。15日の夜はずっと盛大なのですが、すごく混むので見に行ったことはありません。ミーティングの終わりにささやかな20分の花火を見るだけです。
教会の表の階段に陣取って、花火を見上げていました。
そういえば、初めてAAにつながった年だったか、その次の年だったか、何年か先ゆく仲間と一緒に階段で花火を眺めた記憶があります。
何を話したのか、憶えていませんが、一緒に花火を見たことだけは良く憶えています。夏場に顔を合わせると、あの花火を一緒に見たことをお互いに思い出したりします。会う機会も少なくなりました。もとより、あの時、あそこで会ったのが、偶然を越えた何かだったのかも知れません。
日系ブラジル人の人たちが、教会のホールで集会をやっていました。おかげで、花火が終わっても、僕の車は駐車場から出せませんでした。ともかく集会が終わるまで待ってみることにしました。何しろ信徒の人たちは、教会を金銭的に支えています。僕らAAの人間は、その好意にあずかって、部屋を安く貸してもらっているわけであります。だから、あまり権利の主張をするのはどうかと思うのです。
集会が終わっても、出てきた人たちは、外で楽しげに談笑を続け、なかなか車を動かしてくれそうにありません。
仕方ないので、車をどかしてもらえませんか、と頼みに行きました。
リーダー役らしい女性の人が出てきて、どの車をどければいいか確認してくれました。
「教会の関係の人ですか?」と聞かれたので、「あの部屋を週2回お借りして、AAをやらせてもらってます」と言ってみたのですが、残念ながらその人はAAのことを知らないようでありました。
花火の間は、湖畔の駐車場が閉鎖されるので、教会の駐車場を無断利用する人がいます。そういう輩だと疑われたのかも知れません。
一緒にお菓子とお茶でもどうかと誘われたのですが、これから何か話を始めるにはあまりにも遅すぎたので、お断りして帰りました。
今月は、これでやっと3回目のミーティングであります。
2006年08月11日(金) 一緒にやること ステップ12は「他の人と一緒にやること Working with others」であります。
もしAAプログラムが、本を読んで、それを実践することだけだったなら、おそらくAAミーティングは不要になるでしょう。一緒にやることは、AAプログラムの核心なんだと思います。
AAメンバーは、お互いに仲がよいから一緒にやっているわけじゃありません。一緒にやることがAAプログラムだからこそ、一緒にやっているのでしょう。一緒に活動していれば、いずれ信頼関係が生まれることもあります。が、それは結果です。
信頼できる人でなければ(尊敬できる人でなければ、安心できる人でなければ)、一緒にやれない、というのなら、自分の回復に自分で上限を決めているのでしょう。友人を選んでいるのとは、わけが違うのですから。
でも「こいつとは一緒にやれないな」と思う時も正直あります(しょっちゅう)。一緒にやることがストレスという感じです。そういう時に自分は、一緒に出来ない理由を「相手の性格的欠点が原因」という形で、相手に押しつけて終わりにすることも、ままあります。相手も霊的な病気なんだからと、祈って許してお終いってわけです。
でもよく考えれば、一緒に出来ないのは、自分に「一緒にやる能力が欠如している」ことが真の原因であって、それで良しとしていたら、やっぱり自分で回復の上限を決めていることになるのでしょう。
AAは上意下達の意志決定システムは持ちません。規則もありません。物事をひとつ決めるにも手間がかかります。そんな中で一緒にやるのは面倒です。相手の話に耳を傾けること、自分の意見が通らないからとスネないこと。そういうことが大切なのは、なにもAAに限りません。
面倒なことは嫌なので「自分一人でやり始める」人もいます。そういう人はAAの中で一匹狼になります。場合によっては、人を惹きつけて何人かの集まりになっていることもあるでしょう。
そういう人の話を聞くと、別に間違った話はしていないのであります。それどころか、たいてい「正しい」意見を持っています。そして、自分の正しい意見を曲げてまで、人と一緒にやるのは嫌だったのだろう、と僕には思えます。やっぱりそれも、「一緒にやる能力が欠如」なんでしょう。
正しいと言っても、それはその人の考える正しさにすぎません。もしくは、その人の仲良しの賛成できる正しさと言いましょうか。その正しさにこだわってしまうところに誤謬があるはずです。
最近、自分の力が及ぶ範囲のことだけやって満足している自分がいます。もっと「ままならないもの」とつきあわなければならないと思います。回復の上限を決めているのはたいてい自分自身なのでしょう。
2006年08月10日(木) occupied 心の家路のサイトを開設した時は、JANISという長野県の農協のやっているプロバイダーのサーバーにページを置いていました。そのうちJANISを解約することにしました。当然別のプロバイダーと契約したんですが、そこへ移転するというのはちょっとためらわれました。
そうやってプロバイダーを乗り換えるたびに、ページのURLも毎度変えていくのは、どんなもんだろう、と思ったわけです。
そこで、独自ドメインを取得しました。jpドメインは高かったので、ieji.com と ieji.org を取得しました。そのうち、ieji.org のほうは今でも使っていて、.com のほうは、一年でリリースしてしまいました。
なんで ieji.com を使わなかったのか。
ひとつには、「家路どっと混む」というと、なんだか満員の通勤電車を思い起こしてやな感じしたからです。もしくはお盆の高速道路とか。
もうひとつは .com ドメインは営利企業が使うドメインだという感覚がまだ残っていました。今ではそうした傾向はすっかり薄れていますが、会社でも結社でもない個人サイトが .com を名乗るのは気が引けたのです。
その後、ieji.com は空いていたのですが、先日「誰かが使っているのかなー」と確かめたら、こんな感じ になっていました。
意味のあるサイトではなく、たんにドメイン名を占有しているだけなんでしょう。
そして、そのドメイン名を使いたいという人が現れたら、高く売りつけるという商売だと思われます。
.com ドメインの占有はお金がかかるんじゃないの? と思われるかも知れません。けれど、悪名高き(つまり高い)Verisignでも、9年ぶん前払いすれば2万円ですみます。その9年の間に、そのドメインが欲しいといった人間が出てくればもうけものなんでしょう。
一応 .com ドメインも確保しておこうかと思ったのですが、法外な金を支払うつもりはありません。彼らがそれを手放した時のために、ドメインの予約は入れてありますが、需要があることを示しておけば、彼らも手放さないでしょう(商売のチャンスがあるわけだから)。
本名の名字+.com ドメインも、すぐに使わないドメインに金を払うのがもったいないと思って取らないでいたら、いつのまにか人に取られていました。.netも.orgもです。全部料亭ですが。仕方ないので、.name ドメインを占有することにしました(使わないのに)。だって、おなじ名字の人はたくさんいるんだから、という理屈です。
2006年08月09日(水) お金の話 精神病院への入院費用は、非常に大雑把に計算して、一日一万円というところでしょうか。30日だと30万円。自己負担分が3割だと、およそ9万円。これに食費がプラスされます。点滴だとか保護室を使うと、もっと高くなるはずですが。
収入にもよりますが、高額医療費の対象になるでしょう。
僕が入院した頃は本人負担率は1割でしたが、食費1万8千円が自己負担になっただけでも「高けーよ」と文句をたれていました。大体一月5万円ぐらいだったはずですが、貯金は底をついていて、払う金もなかったので、親に借りました。
退院した月は前の月働いてないので給料がありません。おまけに妻の妊娠がわかったりして、この先どうなっちゃうんだという心境でした。
「金がないんですよ〜」とスポンサーに相談したら、「家計簿を付けろ」というご託宣をいただきました。収入は増やせない、だから家計簿を付けて、無駄な出費を抑えろと言うわけです。
子供の頃からお小遣い帳すら満足に付けたことない僕が、毎日家計簿を付けました。
集計項目の中に、「AA関係の出費」という項目がありました。
たとえばAAミーティングへの往復のガソリン代、高速道路を使えばハイウェイカード代。会場献金。イベントの参加費用。宿泊費。それに交通費。
そういったものを合計すると、毎月4万円を越えていました。もちろん会場献金なんて、その一割以下です。
それが収入の何割だったかという数字は、ちょっと(情けなくて)ここには書けませんが、食費に次ぐ、いやときには食費より大きな項目でした。
「これさえ無ければねぇ」と文句を言われたものですが、僕にとっては必要欠くべからざる治療費でした。飲んでしまって、また入院することを考えれば、そう高くはない保険であります。
今、同じだけの時間と金銭をつぎ込もうとすれば、それは単なる横紙破りにしかならないでしょう。あの時だからこそ出来たのだと思っています。
将来時間とお金に余裕が出来たら、もっといろんなAAに行ってみたいという抱負を語る人は多いです。しかし実際にはそれは難しいようです。
あの時は貯金は出来なかったけれど、お金では買えないものをもらったのでしょう。その時の(霊的な)貯金を食いつぶして生きている。そんな気がします。
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