心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年09月21日(水) 宙ぶらりん

大学病院に電話してみたものの、まだ空きベッドはできていないそうであります。これで妻の入院は来週以降が確定しました。入院するわけでもなく、かといって軽快するでもなく、宙ぶらりんの状態です。

会社に出てきてみたら、来週の会議の予定がもう入っていました。いつもだったら入っているはずのメンバーが一人かけているのでたずねてみたら、10月から部署を移動になる(物理的には移動しないけど)そうで、来期向けの会議には出席しないのだとか。そいつが移っていく部署は、僕が入社時に希望していた部署ですが、物理的な問題が壁になって、別部署(長野の事業所にある部署)に配属されたのです。僕が休んでいる間に結果を出して、希望の部署へ異動した人間がもう2人です。
なんだか自分だけが置いてきぼりをくらっているようで寂しいです。かといって、フルタイムに移行して猛チャージをかけるわけにもいかず、どうしたものか宙ぶらりんであります。

フルタイムに移行するタイミングとして「自分で勝手に」決めている時期は、妻が入院して、退院してきてきたら、それから障害年金の申請の結果が出たら。の二つがそろった時期というのを考えています。

年金の審査はまだまだ時間がかかりそうで宙ぶらりんであります。

いつものメンタルクリニックに行きまして、さんざん待ったあげくに3分診療。先週安定剤を半分に減らした影響が出ていないことを報告します。「この薬も<そのうち>切りましょう」というわけで、薬漬けの身体から抜け出せるのはまだ先になりそうです。これも宙ぶらりんであります。

子供の病気も治癒して「もうこなくていいです」と医者に言われることもなく、いったいいつまで医者通いが続くやら・・・。これも宙ぶらりんであります。

お金のことも、見通しがつくでもなく、つかないでもなく、宙ぶらりんです。

AAの関係でも宙ぶらりんのことはいっぱいあります。

どれをとっても、宙ぶらりんのことというのは苦手なのであります。「はやいところ白黒はっきりつけてくれぃ」と言いたくなってしまうわけであります。仲間を見ていても、自分の過去を振り返っても、この宙ぶらりんの状態に耐えきれなくなって極端に走ると、たいてい悪い結果がまっているようであります。だから、こつこつやるしかないわけであります。

こつこつやる。なんて苦手な言葉でありましょうか。


2005年09月20日(火) 娘の部屋

仕事の内容はもう普通の勤務並みに戻っているような気がするのですが、定時になると切り上げないといけないという難点があります。どんなに気分が乗っていても、そこで打ち切らなければならないし、どんなに気分が乗らなくても、夕方以降に調子が出てくることに期待をかけてサボることもできず、こつこつやらねばなりません。

明け渡した部屋に長女が、机と椅子と本棚、布団などなどを持ち込んで「自分の部屋」を作りました。ママの本棚代わりのカラーボックスがひとつ、パパのサニタリ関係のものを納めたカラーボックスがひとつ、それぞれスペースを占めていますが、そこは完全に「娘の部屋」であります。
もっとも、扉は開きっぱなしに固定してしまってあり、娘の方もまだ「プライバシー」などということにこだわりを持つよりも、孤立してしまうことに寂しさを覚えるようで、キッチンから部屋の中身は丸見えで平気であります。

今後も僕はその部屋で、風呂上がりの髪を乾かしたり、薬を飲んだり、朝は髭を剃ったりするつもりであるのですが、全体的にピンクに仕上がったその部屋は「男が用もなく立ち入ることを禁ず」という雰囲気を立ち上らせています。

3階に僕のために確保されているスペースといえば、「こたつテーブルの上にパソコンを置くスペースとその前の座布団」、「食事をする椅子」、前述の「カラーボックスひとつ」、それと衣料品を入れたタンスだけであり、残り物はすべて2階に移動してしまいました。

前の休みに、娘たちが2階に下りてきて、「パパはご飯とお風呂の時にしか上がってこない」と文句を言われてしまいました。面倒くさがらずに上がっていって、話をする時間を意識的に作っていかないと、3+1家族になってしまいそうです。

大学病院からの連絡はまだ来ません。


2005年09月19日(月) 引っ越し完了

あと本棚とCD棚だけになっていた引っ越しを終わらせました。
3階と2階をひたすら往復する作業は疲れましたが、うつには「頭を使わず身体を使う作業が一番いい」ということもあって、なんとなく頭がさっぱりした気分です。

2階に引っ越し始めた頃には、2階の荷物は少なくて「まるで客間にいるみたい」な気分でしたが、同じだけの荷物が運び込まれた部屋は、元通りの狭さに戻っています。

これで長女は「自分の部屋」を手に入れたというわけであります。

引っ越しのついでに片づけもするわけで、それで出てくるだろうと思われていたものがいくつかありました。出てきたものも、出てこなかったものもありました。

出てこなかったものは、新婚旅行の写真アルバムであります。それと、子供を撮影したビデオのうち8ミリでとったテープが数巻行方不明のままです。

出てきたものは愛用のペーパーナイフであります。このペーパーナイフであければ、便りの中身はよい知らせであり、別の手段であけるとたとえその時点ではよい知らせであっても、たちどころに悪い知らせに返信してしまう、というジンクスを持っているのであります。

結局今日はミーティングには行きませんでした。


2005年09月18日(日) ドア・クローザー

なんか、昨日の雑記に、別のブログ用のネタが混じってしまいましたが、そのままにしておきます。

3階から2階に引っ越して、3階のドアを開け閉めする回数が増えました。しかし、ドアの開閉装置(って言うのか?)がダメになっていて、ドアが毎回勢いよく閉まるおかげで「ドカーン」という音が近所中に響き渡ります。宵っ張りの朝寝坊の僕が、夜中に気を抜いてドアを閉めると、寝静まった町内に「ドカーン」という音がコダマしていくという次第です。

これではいけない、ということでホームセンターに買い物に行きました。でも、どこに置いてあるのかわかりません。しかたなく、店員さんに聞きました。
「ドアの上についているあれ、どこですか?」
相手も何のことかは理解したらしいです。
「引き戸じゃなくて、開き戸に付いている、あれですね」
先輩の店員に聞きに行ってました。
「ドアの上についているあれ、どこですか?」

製品名はドア・クローザーと言うらしいです。6,500円でした。
古いドア・クローザーの撤去に1時間以上かかりました。義父がDIYでつけたらしいのですが、ねじ山がバカになっていて外れなかったのです。
作業が終わると、すでに夕方でした。
今日は本棚の引っ越しを済ませる予定でしたが、明日に繰り越しです。

さて、先日ラジオで団塊世代が60才に到達するという話をしていました。その数1,200万人。これからその人たちが順次年金生活に入るわけであります。それを聞いていた時には、「ふーん、たくさんの人が年金生活になる前に、僕の障害年金の申請が通って欲しいなぁ」ぐらいのことしか考えていませんでした。

別の日にテレビを付けると、NEETの特集をしていました。仕事をしていなくて、学校にも、職業訓練の場にもいない15才〜35才の若者を指す言葉だそうです。その数80万人。
いままでNEETといっても、「働いたら負けだと思っている」というニート君のことぐらいしか関心がありませんでした。
NEETの生活を支えているのが、団塊世代の親たちであって、NEETの生活は親にパラサイトすることによって成り立っていることが多いのだそうです。その親たちが退職して年金生活に入れば、当然子供たちの生活まで面倒は見られない。あり得るパターンとして、世帯分離して親は年金生活、子供は生活保護というケースが大量発生することも考えられる・・・というのがニュースの内容でした。

「いままでなら優秀な工場労働者になれた層が、製造業の空洞化で行き場を失っている」と就職担当者が言えば、当事者たちは「道から外れた人間の、道への戻り方を教えてくれる場所がない」と訴えていました。

時代はフリーター問題なんかを超えて、ずっと先に行っていたのですね。
であるのに、「小さな政府」を訴える首相の党が圧勝したりしている不思議であります。
長野県人は理屈っぽいから、こういうことを語らせたら長いよ。

「一億総中流」で中間所得層が最大だった時代は終わりを告げるでしょう。日本も「普通の国」と同じように、豊かな層と、貧しい層に別れていくことになるでしょう。そして、僕はどうやらこのままでは貧しい層の方に入ることが確定しているようですが、まあそれは仕方がないとしましょう。

貧富の差が激しくなれば犯罪が増えるでしょう。今も実家のあたりでは、戸締まりしないで寝て、戸締まりしないで出かけています。それは田舎の濃密な人間関係の中で、見知らぬ顔が歩いていただけでもニュースになるようなローカリティと、どんなに貧しくても人のものを盗んで暮らすことを良しとしない古い道徳観念がまだ生き残っているからでしょう。

しかし次第にそうしたものも失われつつあります。アメリカの今回のハリケーンで被害が拡大したのは、被害地域が黒人の低所得者層が住んでいる地域だったせいで、救助活動が熱心に行われなかったからだという話がありました。それが事実かどうかともかく、当事者(黒人貧困層)は、もし被害地域が白人の富裕層の住む土地だったら、もっと迅速に救助活動が進んだはずだと考えているのは事実だそうです。

人々が、自分が豊かな日本の恩恵を受けられない層にいることを発見した頃には、政府の福祉策は縮小一方ということになるのかもしれません。


2005年09月17日(土) 運動会

小学生の子供の運動会に行きました。
二人とも「かけっこ」があって、「ダンス」があって、「綱引き」があります。
ハンディー・カムコーダーには興味がないので、自分で機種選定したわけではないのですが、すごいズームで、遠くにいる子供も、まるで近くにいるかのように引き寄せてくれます。
が、慣れていないので、映している子供が本当に自分の子供か自信がありません。ときどきファインダーから目を離して目視で確認しようとするのですが、近視の目には遠すぎてわかりません。
そして、ファインダーから目を離すたびに、カメラがお辞儀をして(下を向いて)しまうので、帰ってから見てみると地面を撮影していたりします。
思えば、こんなふうにフルに運動会に参加するのは初めてかも。
いつも、ちょっと顔を出しているぐらいだからね。

実家では稲刈りが行われていたみたいですが、大学生になった甥が活躍してくれたおかげで、おおかた済んだと母から電話がありました。

眠いです。いくら寝ても眠い。こんなに眠れるもんかと思うぐらい眠いです。
運動会から帰ってきた子供と昼寝して、これからまた寝るんであります。

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通勤しながら昼のFM放送を聞いている。
今日もしのじゅんが葉書を読んでいた。
「女性に、今度食事に誘ってくださいって言われたんだけど、僕に気があるのかな? ねえ、しのじゅん、女性の立場から教えて」
「うーん、8割は脈なしだねー。でもね、10割、いや9.9にしとくか、9.9割、君は彼女のことが好きになる」

そうかもしんない。「今度食事に誘ってください」って女性に言われたら、やっぱり「僕に気があるのかな」って気になって、気になってしまうともう好きになってしまって・・・。数少ない例外を除けば、きっと好きになってしまうんだろう。

女性の、「今度食事に誘ってください」は、すごい武器だと思う。


2005年09月16日(金) 4連休

寝る前にお祈りをしなかったせいでしょうか。
起きてみるとふらふらでした。
といわけで、お休みであります。

7月半ばに復職して、最初の一ヶ月は休みなしに行ったものの、次の1ヶ月は休みが2回。今回はもう3回目であります。しかも、3連休とくっつけちゃったから、4連休であります。

正直しんどいのですが、しんどいからと言って、医者に頼んでなんとかなるというものでもありません。「仕事しないで休みなさい」と言われるのがオチでありましょう。

夕方まで寝ました。

ニュース検索のスクリプトをいじりました。
毎日新聞の検索フォーマットが変わっていたので、その部分は作り直しです。日刊ゲンダイを検索対象に加えました。春にはまだ日刊ゲンダイのサイトに検索フォームが残っていたと思うのですが、すでにないのでMSNサーチの結果を使っています。
固い新聞ばかりではなくしてみようという意図であります。

アルコール依存薬物依存ギャンブル依存摂食障害関連 と4ジャンルに分けてみました。

重複している記事や、リンク先がなくなっている記事、まったく無関係な記事、いろいろあると思いますが、自動検索の限界ですので、ごかんべんください。

明日は子供たちの運動会。朝からビデオカメラとディジカメと弁当とレジャーシートを持っておでかけであります。午後までみっちりあるので、倒れないか不安であります。

自分自身の調子が悪いので、会社に電話かけたりするのにかまけていて、妻にアラノンに行ってくれるように頼むのを忘れていました。また、来週です。

マット・スカダーシリーズの最初の2冊が届いているのですが、読むのはかなり先になりそうです。かお君のブログを読んでます。

ねむい。


2005年09月15日(木) 睡眠

本当は毎週水曜日の診察のはずなのですが、一日遅れでいつものメンタルクリニックへ。

「特に変わったことはありませんでしたが、この前は夜寝る前の薬を飲まないで寝てしまいました。僕の睡眠中枢も少しは回復してきたみたいです。でも、一緒に飲んでいる安定剤も飲まなかったせいでしょうか、翌日の夕方にはリバウンドでも来たのかイライラしました」

という僕の報告に、主治医は「○○○という薬の半減期が100時間。○○○という薬が12時間。だからその薬の効果が残っていて翌日眠れたとしても、ちっとも不思議ではないし、イライラはおそらくセパゾンのリバウンドというのは正解だろう」と答えたのでありました。

薬に頼らずに寝ることができた、なんて内心喜んでいたのですが、実はどっぷり薬に浸かっていることを再認識させられた一件でした。

セパゾンの前はメイラックスを使っていました。「あなたはアルコール依存があるから、安定剤は使いたくない」という主治医を説き伏せて2月に出してもらった薬であります。確かにその時は楽になったのですが、今度は切るのに苦労しています。メイラックスを、8月にセパゾン2mgに変えて、今日からセパゾン1mgと半分にします。このセパゾンを0にするときは、ちょっと辛い時期が待っているだろうなと予想しています。

あらためて、自分が医者の反対を押し切って働いていることの insanity に気が付かされます。
そういえば、社会保険業務センターにまた書類を出さないと行けません。なんかもう「加入要件」のところを集中的に攻められているので、年金の件は諦め気味であります。まあ、もう変えられないものは受け入れるしかないという「落ち着き」というより「諦念」に包まれております。

ニュース記事の検索スクリプトをまたいじっています。いつの間にか毎日新聞がごっそり抜けています。この機会に、アルコール依存以外に、薬物依存・ギャンブル依存・摂食障害の項目も設けるつもりでいます。

仕事もしてるけど、息抜きの合間に仕事をしているぐらいです。

最近の目標は、寝る前にお祈りをすることです。

ねむねむ。


2005年09月14日(水) もろもろ

Windowsには「アクティブデスクトップ」という機能があります。Win98のときに、鳴り物入りで登場したにも関わらず「単なるトラブルの元」だったために、Windowsマシンを供給されるたびに、真っ先にやる作業のひとつとして「アクティブデスクトップの機能を切る」というのがありました。

長野県内のライブカメラ というページを作ってあるのですが、俯瞰的に天気を把握するにはあんまり向いていないデザインになっています。そこで、アクティブデスクトップの機能を使い、デスクトップ上に、長野県内あちこちのライブカメラの映像と、気象協会のサイトからアメダスや気象レーダーのイメージを取ってきて貼り付けることにしました。
2分ごとに更新される僕のデスクトップは、天候を把握・予想するのに最適です(自画自賛)。名付けて「気象デスクトップ」というのを社内に自慢して歩きました。
「なかなかいいね、コピーしてくれないか。でも一週間ノートラブルだったらその後でいいや」と、過去にアクティブデスクトップに痛めつけられた連中は慎重であります。
おまけに、そんなにヒマなら仕事してくれと、仕事を押しつけられてしまいました。
気象デスクトップは1280x1024のサイズ向けに作られたHTMLファイルです。欲しい人はメールをください。添付ファイルで送ってあげますから。そのかわり、何が起きても知りませんよ。

さて、今日も定時退社する前に気象デスクトップを眺めると、県内ではちらほらと雨が降っています。長野県の西部には大きな山脈があり、正式名称は飛騨山脈というのですが、長野県人は間違ってもその名前は使いません。「北アルプス」と呼びます。富山県人が立山連峰と呼ぶ山脈も、長野県人にとっては「北アルプス」の一部に過ぎません。
その北アルプスの西側と北側には雨が降っています。こういう天候になっていることは結構多いものです。偏西風の影響ってやつでしょうか。

外へ出て夕方の高速道路を走っていくと、北アルプスを乗り越えた雲がこちらへとはみ出してきています。そうやって乗り越えてきた雲が県内に雨を降らせているのです。そして、水曜日のミーティング会場のあたりは、その影響を受けやすいところでもあります。
「いやー、間に合いましたよ」というのは、雨が降り出す前にオートバイで会場にたどり着いた仲間の言葉です。
(君に僕の気象デスクトップをあげよう)と思ったが黙っておきました。

仲間とビッグ・フット・フォーマットの続きをやりまして、今日はステップ2。「臨時のスポンサー」だと思っていたら、「そんなことはないよ」と否定されてしまいました。行方不明になっていた、マーカーがいっぱいついている文庫版のビッグ・ブックの所在がわかりました。でも大切に使ってもらっているみたいなので、そのままにしておきましょう。

テレビでNEETの特集をやっていました。僕も大学を中退して、入った会社も1年あまりで辞めて、フリーランスでも食い詰めて、学校にも・職場にも・職業訓練にもいない、という状態が続いた時期がありました。
母に飯を食わせてもらいながら、7月に線香を上げに行った同級生のことを話しました。


2005年09月13日(火) 10 years ago (3) 〜 手遅れだと言われても、口笛...

10 years ago (3) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃

土日を挟んで5日ぶりに仕事へ。
復帰後初めてまともな仕事をまかされました。まあ、腕試しといったところでしょうか。
ただVB6.0は僕の嫌いな言語のひとつで、そしてコメントもなく1万行をゆうに突破しているプロジェクトは「書いた本人にもわからない」泥沼化している可能性があって、前途は多難そうであります。
クリームさんノブログの7月分を読み終わりました。軽妙洒脱な文章であっというまに一月分を読み終わってしまいました(本当に褒めているのかこれ)。

さて、10年前。

サントリー・オールドの水割りでだんだん酔ってきた僕は、週刊文春や少年サンデーといった雑誌を読むだけの集中力を切らして来ました。
仙台で隣り座った人が、車内販売から弁当と酒を買いました。僕も同じ弁当を買い、それをきっかけに会話が始まりました。酒好きの人のようでした。会話ははずんでいたのですが、僕の記憶は途中でブラックアウトします。もうすぐ東京駅というところから、記憶を取り戻すのですが、その時は相手はすっかり機嫌を悪くしていて、到着とともに捨てぜりふを吐いて去っていきました。
何か悪いことをしてしまったのに、それが何かすらわからない不安。しかもそれが前夜のことではなく、つい数十分前の寝てもいない時間のことなのです。
飲んでいた頃の自分はしょっちゅうこうした記憶の喪失(ブラック・アウト)に悩まされていました。

意気消沈して新宿駅に着いた僕を待っていたのは、「あずさ」の指定席は本日はすべて売り切れという案内と、自由席に並ぶ人の長い列でした。
(このぶんでは甲府まで座れないな)
と思うと、長い列の後ろの方で待っているのが嫌になりました。
(次の電車にしよう)
と決めて、ふたたびオールドの水割りを買い直すと、駅のベンチに座り、少年サンデーを読み直しました。ふと気が着くと、次の列車の自由席待ちの列も、もうずいぶん長く伸びていました。
(もう一本次にしよう)
そう思って再びマンガに戻りました。そして例の不思議な記憶の空白がまた訪れました。

いつの間にか長野県まで行く特急電車は案内板から消え、甲府止まりだけになっていました。記憶が飛んでいる間に、ぜんぶの列車に乗り過ごしたようでした。どうやらまた大きな失敗をしでかしたようです。

選択肢はいくつかありました。
甲府止まりの特急列車に乗っていって、そこから各駅停車で長野県まで行く手段があります。ただ、甲府から長野行きがあるかどうか・・・もう遅い時間ですでにないような不安がありました。
深夜12時すぎに、長野へ向かう夜行の急行がありました。ただ、こいつのボックスシートは固く、とても寝られたものじゃないし、通路スペースは山登りをする連中が寝袋で占領してしまいます。
カプセルホテルで翌朝まで過ごしても手段もありました。とりあえず、カプセルホテルでも、ビジネスホテルでもいいから泊まろうか・・・。そう考えて無駄にしたキップで西口の改札をでて、新宿駅西口地下を歩いていると、タクシー待ちの列がありました。

(そうだタクシーがあるじゃん)
列に付いた時には、いくらかかるかなんて考えもしませんでした。タクシーは多く、客は少なく、僕の番はあっという間に来ました。
「長野の○○まで行けますか? いくらぐらいかかりますか?」
答えは長距離客は歓迎、たぶん3〜4万円ぐらいだけど行ってみないとわからないという返答でした。懐には会社から預かった十数万円が眠っています。
「酒を買いたいので、高速に乗る前に、コンビニに寄ってください」

自宅(実家)まで帰るつもりだったのですが、長野で高速道路から離れてあまり遠くまで行くと、帰り道がわからなくなると、タクシードライバーの泣き言を言い始めたので、会社の近くの駅へ向かうことにしました。そこからまた自宅までタクシーを拾えばいいや・・・。
でも、もう体が疲れていた僕は妙案(と思えたもの)を思いつきました。

先日結婚の挨拶に行った妻(になる人)の家に泊めてもらおう。
タクシーのメーターがはき出したレシートは7万円を超えていました。無駄だとは思ったのですが、会社宛に領収書をもらっておきました。
突然訪れたにもかからず、人の良い義父(になる人)は僕を快く迎え入れ、座敷に布団を引いてくれました。「酒を飲むんだねぇ」と驚いた様子でありました。
布団を出してもらって、ついでに日本酒とビールも出してもらって、飲んで寝ました。

翌日起きてみると、もう昼でした。かなりひどい二日酔いで、残っていたビールで迎え酒をすると、タクシーで会社に向かいました。「タクシー代は今月の給料日まで待ってください」と頼んだら、温情で半分会社でみてくれることになりました。そのかわり、「危なくてとても一人では出張にやれないヤツ」という評判をいただくことになりました。

でも実を言うと、まだまだ困ったトラブルは始まったばかりなのでありました。

(この項終わり)


2005年09月12日(月) 10 years ago (2) 〜 手遅れだと言われても、口笛...

10 years ago (2) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃

病院メッセージで会ったAAスポンサーに妻の入院の話をしたら、「3年・4年・5年の頃のソブラエティのまぶしい輝きも、7年・8年・9年とくりゃ薄れてくるもんだよ」と言われました。単に「人生に浮沈は当然」という事実を示しているに過ぎないのですが、ちょうどそのころに苦労したスポンサーの言葉には不思議な重みがあります。
それと、もう病院メッセージでしか会うことがなくなっても、やっぱりこの人は僕のスポンサーであり「先ゆく」経験ある仲間であるなぁ感じ直した次第です。

さて、大学病院の精神科の外来に、なんとか今日の最後の患者として受付をしてもらって、診察を受けました。自分が本人じゃなくて、家族の立場で診察室に座っているのは妙な気分です。「入院して休息を取りましょう」ということと「入院して薬をいろいろと変えて試して見ましょう」という納得できる診断でありました。当日から入院できる準備を整えていったのですが、ベッドが満床で1〜2週間待つ羽目になりました。
今日から主婦のいない生活を覚悟していただけに拍子抜けであります。

そういうことなら午後から仕事に行っても良かったのですが、ガストで食事を済ませたら無性に眠くなってしまい、夕方までぐっすり寝てしまいました。このように疲れがたまればぐっすり眠れるようになったので、そろそろ睡眠薬は抜いてもいい頃だと思うのですが、無事に復職が済んで、生活が安定を取り戻すまでは、医者もうんとは言わないだろうと思われるのです。

さて、10年前。

角館の街に唯一あるホテルに投宿した僕らは、さっそく夕食へと向かいました。
場所は居酒屋であります。メーカーの設備担当の3人は、仕事の話に夢中で僕にはさっぱりついていけず、一人でピッチ早く飲んでいました。30代だと思った有名な二人は、聞いてみるとすでに40代だそうで、確かに顔をよく見てみると、若そうではあるものの、目尻にしわが深く刻まれているのでありました。「家のことは妻に任せっきりで、近所に誰が住んでいるかも知らないよ」という言葉が印象に残りました。まあ、メーカーの設備担当で、しょっちゅうあっちへこっちへと飛び回っている仕事人間とはそういうものかもしれません。
その居酒屋の支払いを社費で済ませて、宿へ戻りました。
ホテルの自動販売機で缶ビールを買うのは僕だけでした。

翌朝、目覚ましをふたつかけたのにもかかわらず、僕は寝過ごしてしまい、1階のロビーに集合時間に現れない僕を心配して、ホテルの内線電話を鳴らされてやっと起きることができました。ですが、酷い二日酔いでバスルームに閉じこもらずを得ず、1階にいる3人を30分以上待たせてしまいました。
「今日は場所がわかんないだろうから置いていかなかったけど、明日は自分でタクシーで来てね」と皮肉を言われ、それはまさにそのとおりになるのでした。

高速道路の事故で遅れたはずの日通のトラックは、運ちゃんが驚異的な努力で時間を取り戻し、昼には機械が到着しました。

設置して通電し、あっちこっちのシステムのテストを済ませ、テストランを終わらせると、僕の本来の仕事はもう終わってしまいました。
あとは、こっちの下請けの社員に、この生産設備の使い方をトレーニングすれば、全員の仕事が終わって、翌日は角館観光を楽しむことだって考えられました。

昼食に行ったファミリーレストランのランチは、お米が「あきたこまち」でした。
「さすがに本場のお米はおいしいですね」と言うと、農家もやっているというそちらの社員は、「2年前の大不作の時には、あきたこまちは全部農協に供出してしまって、地元の農家はタイ米を食っていたもんだよ」と教えてくれました。
確かその年は僕の家(実家である農家)も限界まで供出させられ、翌年は増産のために休耕田を田んぼに戻すという作業を、禁断症状でぶるぶる震えながらやったことが思い出されました。でこぼこになった田んぼを平らにするために、田植え長靴を履き、鋤簾を持って、泥田の中をはい回った悪夢でした。

さて、何事もそう順調でないのは良くある話です。生産材の納入業者が長野と秋田では違うわけであります。そうすると生産設備に投入する材料も微妙に異なって、そのほんのわずかな違いのおかげで、機械が順調に動いてくれないという「良くあるパターン」にはまることになりました。

僕以外の3人は調整作業に忙しく働いていたのですが、僕は手持ちぶさたに工場の中をぶらぶら歩き回っていました。
「先に帰っていてもいいよ」と声をかけてくれたのですが、この3人に晩飯を食わせるというのも仕事のうちであります。待っていると調整が終わったのが、夜の2時半でありました。
夕食は一日前と同じ居酒屋に落ち着きました。
「俺たちは、どんなに遅くなっても一杯やる」というのが彼らのポリシーでありました。(他にも「禁煙車では移動しない」というポリシーもありました)。
そして僕は、酒にありつけさえすれば、何でも良かったのです。

翌朝、予定通り僕はホテルに置き去りにされ、タクシーで工場に駆けつけたのはお昼頃でした。機械は順調に動き始めていました。
「もう帰っていいよ」
と言われて、一日早く予定を切り上げて、一人先に帰ることになりました。
下請けの社長に角館の名所に寄ってから駅まで送ってもらいました。帰りの切符を買っても、まだ十数万円が僕の財布の中に残っていました。

内容的にはさんざんでしたが、一日早く帰れるのはうれしくてたまりませんでした。
サントリー・オールドの水割りの缶をいくつか買い込むと、秋の陽に照らされる東北の風景を見ながらちびりちびりと飲みました。なんだか多幸感につつまれて、何もかもがうまくいくような気がしたものです。

盛岡で新幹線に乗り換えるまでは、何の問題もありませんでした。仙台までは乗客も少なく、マンガ雑誌を読みながらゆったりと時間を過ごしていきました。

(明日へ続く)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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