無責任賛歌
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| 2005年03月23日(水) |
心に残る余震/『新・吼えろペン』1巻(島本和彦) |
昨日あたりから降り続いていた雨、今日も名残のようにしとしとと。 新聞で「こんな地震が来ると思っていたか」「地震保険など、事前に対策を取っていたか」なんてアンケートを福岡市民に対して取っていたが、答えは80パーセント以上が「何も対策していなかった」というもの。 メディアの馬鹿さ加減がよく分かるのがこういう「アンケート」というやつで、意図としては恐らくは「天災に対する油断」を指摘したいのだろうけれど、残念ながら、こんな指摘は何の意味もない。一年経って、更にまた一年経ってと、繰り返し福岡市民に対して「何か地震対策を取っているか」と質問していけば結果は出ると思うのだが、来年は少しは「地震保険に入った」といった類の回答が増えるかもしれないが、それも年を重ねるにつれ、徐々に低下していくだろう。喉元過ぎれば何とやらであるが、掛け捨ての保険に入るなんてもったいない、「また地震が来るかも」と戦々恐々としながら日々を暮らすよりも、「もう地震は来ないだろう」という根拠のない思い込みに依存して、地震前と変わらない生活を送っていくことのほうが自然なのである。いや、地震後四日を経た今日、避難中の被災者を除けば、殆どの福岡市民が何事もなかったかのような顔をして普通の生活に戻っている。 それがいけないとか、被災者の気持ちを考えろと言いたいのではない。マスコミの不穏な「煽り」に乗せられてビクビクして暮らすより、地震なんかどこ吹く風と鼻歌歌いながら毎日を過ごしていくほうがよっぽど健全だろう。私が不快に感じるのは、実態として、たくさんの“無事だった”福岡市民が、この地震を言わば一つの“イベント”として「楽しんでいた」くせに、とんでもない目に遭ったとでも言いたげにいかにもな「被害者面」をしていることなのである。 私のうちの本の山を見たことのある人は、決まって「地震が来たらどうすると?」と聞いてくる。あんまり同じことを聞かれるもので、いい加減うんざりして、「地震なんてそうそう来ねえよ」と言い放ってしまうこともしばしばであったのだが、それを聞くと相手はこれも決まって、「いや、分からないよ」と答えるのであった。しかし、このとき、「地震なんて来ない」と言った私は実は地震保険に入っており(最近はやめた)、「油断するな」と言ってくれた御仁はまず保険には入っていなかったのである。 私は昨日から今日にかけて、職場で何人かの同僚にわざと「これだけでかい地震があれば,もう当分福岡には地震は来ないでしょうねえ」と“振って”みた。それに対する彼らの返事はどうであったか。みんながみんな、狙い済ましたように「いや、分かりませんよ」と答えたのである。彼らが本気で地震の心配をしているとはとても思えない。賭けてもいいが、彼らの中でこれから地震保険に入ろうとするものは誰もいないに違いないのだ。彼らが地震で味わったのは「恐怖」ではない。恐怖だったら、こんな「他人事」なモノイイができるはずがない。みんな、あの地震が「楽しかった」のである。 私は、あのとき、本当に「死ぬかも」と思った。自分が助かったと分かった後も、父が倒れた戸棚の下敷きになって血まみれになっているビジョンが脳裏に浮かんで離れなかった。電話がいくら掛けても通じなくて、父のマンションまで駆けつけようかとも思った。けれど父は休日にはたいてい外出していることを思い出して気持ちを落ち着け、もう一度電話を掛けてようやく通じた。実際に父は山口に旅行していて無事だった。 自分が死の恐怖を感じたから言うのではないが、「ちょっとびっくりした」程度の人間が、あるいは楽しい“イベント”に遭遇できて「今の地震すごかったね!」と友達にメール送りまくってたような人間が、改めて「地震はどうでしたか?」と聞かれたときに、どうして簡単に「いやもう、恐ろしくて震えがとまりませんでした!」などと「地震の恐怖」をまことしやかに語れるのか、ということなのだ。もちろん、そこには“世間”を想定した“常識”が介在しているのだろう。家を無くし、避難生活をしている“本当の”被災者たちに対する配慮である。そういう方々のことを思えば、軽々しく「今の地震楽しかったね」とはなかなか言えるものではない。 しかし、自分が死の恐怖を感じたからこそ言うのだが、「まさかこんな目に遭うとは」とか「福岡の安全神話が崩れた」とか、大仰に騒ぐ連中よりも、素直に「楽しかったね」と喜んでいる人間のほうが私はよっぽど“人間として”信頼できるのである。……いや、しげの場合はちょっと楽しみすぎだが。 楽しんでるんなら楽しんでるって素直に言えや。バレバレの演技なんかされたって、こちとら嬉しくもなんともねえんだよ。 地震や台風といった天災に限らない、人生の苦悩だの不安だの、病気や重症だのをことさらに訴えて他人の同情を図ろうとする類の人間は、ちょっと“つついて”やれば、実は自分の悲惨な境遇を「楽しんで」いることを露呈してしまう。本当に苦しんでいる人間は、自分の苦しみなどおくびにも出さないで笑っている。「苦しんでなどいられない」現実を否が応にも実感せざるを得ないからだ。 あー、それでですね、私が病気のこととか地震のせいで不安神経症になってるとか書くのはですね、これ、皆さんに同情を求めているわけではなくて、単なる露悪趣味です。かえって心配をかけるから書くなとお叱りを受けそうですが、だからと言って日記に現在の心情を書かないで「隠しておく」なんてのは、それはそれでただのカッコつけだなと思うので、思ったことは何でもまんま書くようにしてるんです。いやもう、「全然心配なんかしてませんでした」と言ってくださるほうが私も気がラクですし、お見舞いなどもお返しとかがめんどくさいので要りません。私の書く文章をあまり真面目に受け取らないようにお願いいたします。
地震関連のニュースで言えばもう一つ、「マリノアシティ福岡」に隣接し、世界第二位の高さを誇る「エバーグリーンマリノア」の大観覧車(高さ120メートル、直径112メートル)のゴンドラ2基(あるいはもっと)が、地震当時に誤作動して、乗客を乗せたままの状態で自動扉が開いちゃったそうだ。観覧車は数分間停止した後で動きだし、地上に着くまで約20分ほどかかったが、その間、乗客が非常連絡用のボタンで係員を呼び出し、「手動で扉が閉まらないのか」と聞いたところ、係員は「閉まりません。すいません」と言うばかりだったとか。何とも暢気な対応であるが、確かに手動で動かすことが不可能なら、「降りるまでがんばって落ちないように」としか言いようはないわな。アニメとかだとこういうぎりぎりの瀬戸際になった場合はたいてい「機械よりも人間の力」を優位に置く展開になるものだが、現実にはもう、機械は人間の力を拒む存在として確立してしまっているのである。つか、これだけ機械にかかわらずにはいられない時代、人間の力だけで出来ることって、なにがあるんだろうか? で、この乗客さんたちは地震保険に入るようになるだろうかね。
しげの体調すぐれず、迎えには来れない。 バスで帰ったので、定時に退出しても帰宅は七時過ぎ。転勤になれば、交通機関を使っても六時台には帰れるだろう。四月からは少しは自分の時間が増えそうである。 しげは最近、睡眠薬の量が増えていて、ちょっと危険な状態である。眠れないのは要するに心のバランスが崩れているからなんだが、結局は規定以上の量を飲んで眠りこけてしまっているので、眠れていないわけではない。それなら精神安定剤か抗鬱剤だけ飲んでりゃ、落ち着いて寝られそうなものなのだが、もうしげは「睡眠薬がないと眠れない」という思い込みに支配されてしまっている。でも神経科に通う以前から「眠れん眠れん」とうるさかったしげは、いったん眠ると12時間以上も眠りこけていた。だ・か・ら、後で眠れなくなるのであるのであって、睡眠を普通に六、七時間にとどめておれば、早く眠れるようになるのだ。 今日の日記に、しげは「怒られた」と書いていたが、これは医者から「薬の飲みすぎ」を注意されたのである。つか、これでもう二度目か三度目。そりゃ、一週間分の薬を三日か四日で飲みきってしまえば叱られるのは当たり前だ。服用し始める前とその後とで、トータルな睡眠時間が結局は変わってないのなら、もう飲むだけ無駄なのは歴然としているから、睡眠薬はもう必要ないと思うんだけれど、注意したって私の目をかすめて飲まれちゃもう、どうしようもないのである。何でここまで意志が弱いかね。
テレビで『愛のエプロン』、『相棒』最終回など。高橋由美子が二役を演じるが、片方は「元男」の役。性転換のことを今どきゃ「トランスジェンダー」って言うのな。意味は分かるが「性転換」って言葉をわざわざ英語にしなきゃならない必然性ってあるんだろうか。
マンガ、島本和彦『新・吼えろペン』1巻。 なんかもう、島本和彦のライフワークになりつつある「炎尾燃(ホノオ・モユル)」シリーズ。いやあまさか「新」まで続くとは思ってなかった。一見、熱血、でも結構卑怯で軟弱なとこもあるという島本ヒーローを作者自身が演じているわけだから、これが面白くならないわけはない。作者がたとえどんなに「炎尾燃と島本和彦は別人です」と主張しても、読者は両者をイコールとして見て面白がっているのである。イコールじゃなきゃつまらないじゃないか(笑)。 今回は殆どが『逆境ナイン』(作品中では『逆上ナイン』)映画化のエピソードなんだけれど、いったいどこからどこまでが本当で、どこから先が脚色なのかが気になって仕方がない。島本さんのホームページを見る限りでは、マンガに描かれているほどまで撮影現場に入り浸っていたわけではなさそうだが。映画の演出を変えたくて、原作マンガの結末自体を描き換えてしまうとか、エキストラ出演することになって「自分はヒーローの演技しか出来ん!」とゴネたりとか、こういうのはかな誇張が入っていると思うが、「藤岡弘、はアドリブで燃える台詞を言う」というのは一切誇張がないかもしれない。 気になるのはサカキバラ・ゴウ役のココリコ田中直樹だけれども、日記では誉めているのに、マンガのほうには全く出番がない。もしかしたらこれがやっぱり映画のネックになってしまうのかも……。って、ロードショー、福岡まで来るんかいな。
愛知万博(愛・地球博)がいよいよ3月25日に開幕。 1970年の大阪万博が精神形成の根っこにある世代としては、こりゃぜひともいっぺんは行っときたい、できれば最低三日は滞在して隅々まで見て回りたいと思うんだけれど、大阪万博の大混雑も体験している身としては、土・日に行くのはイヤだなあ、といささか気後れもしてしまうのである。かと言って平日に休みを取るのはムチャクチャ難しい。比較的休みが取りやすいのは夏場の盆あたりだろうが、炎天下に広い会場を歩き回りゃあ死ぬ目に遭うだろうことも容易に予測が付く。気候的には秋口、閉会間際が一番いいように思うんだが、そんなに都合よく行くわきゃないのである。ああ、押井守総合演出の『めざめの方舟(はこぶね)』、ムチャクチャ興味があるんだが。 しかし今回の愛知万博、大阪万博に比べるとどうもイマイチ盛り上がってないように思えてならない。分かりやすい例で言えば、万博のメインテーマだ。これが殆どと言っていいくらい、世間に浸透してないんじゃなかろうか。我々の世代で大阪万博のメインテーマ「人類の進歩と調和」を答えられない人間はまずいないのだが、愛知万博のテーマは? と質問されて、すぐに答えが出てくる人は、今現在で日本人の何パーセントいるだろう。正解は「自然の叡智」。若い人だって、答えられない人、多いんじゃないか。つか、愛知万博自体に興味がないのかもしれない。 愛知県は、開会前から「“自然の叡智”を謳う万博が自然を切り開いて会場設営するのは矛盾ではないか」という批判を浴びて、会場の規模を縮小せざるを得なかったというとんだ不手際を晒してしまっている。実際に客が目当てにしているのは「自然」でも「環境」でもなく、ロボットやらスタジオジブリの出店やら、自然とは何の関係もないものばかり(アニメーションという自然と最もかけ離れた技術によって表現される「環境保全」とやらがいかに偽善的であるか、ジブリ信者はもちっと自覚したらいかがか)。世界各国のメディアも、注目しているのは科学技術や未来を表現したパビリオンやイベントの煌びやかさなどで、「自然との共存」なんて見向きもしていない。表の顔と内実との乖離が激しすぎるのである。 だいたいやねえ、企業宣伝と地域振興が目的の癖に、そこにむりやり「自然に優しい印」のふりかけをまぶして誤魔化して客に食わせてやろうというのは、場末の食堂のチキンライスと称したケチャップライスのようで、なんとも姑息でお寒いとは思わないかね? 愛知県は観客動員数に自信を持っているようだけれども、当てた褌が向こうから外れる危険性は充分あると思う。 それでもこれだけのイベントならば、たとえ予測を下回ったとしてもかなりの客がウンカのごとく押しかけることは間違いなかろうから、できるだけ暇な時期を選んで行ってみたいのである。
2004年03月23日(火) だからって私はホモじゃないから。 2003年03月23日(日) メモ日記�� 2001年03月23日(金) ストレス解消!/映画『サトラレ』/『犬夜叉』20巻(高橋留美子)ほか
| 2005年03月22日(火) |
PTSD?/映画『鉄人28号』 |
夕べのうちに細川嬢の無事も確認。次の芝居で一番頼りにしていると言っても過言ではないスタッフなので、胸をなでおろしている。 これでどうやら、身内や知り合いでケガした人は殆どいないようで一安心……。 と考えていて、ふと、親戚の安否を一切気にかけてなかったことに今になって気づいた。でも、私のことを金ヅルだとしか思ってない連中のことなんぞ、眼中にあるはずがないのである。少なくとも、たとえ血は繋がっていようとも、ハイエナかハゲタカみたいな親戚よりははるかに心配をしているのだから、加藤君、メールが遅れた程度のことでひがんだりしないように。
目覚めて、心臓の音に驚く。「揺れ」に対してすっかり敏感になってしまっているので、ちょっとした眩暈や、静かに寝ているときの自分の心臓の音ですら、地震の予兆かと錯覚してしまうのである。ああ、これがPTSDというやつか、と思わず頷いてしまったが、てことはこの「不安感」、そんなに簡単に治らないんじゃないかと考えてまた不安になる。 もともと「目覚めたときの心臓の鼓動」は、私にとっては何よりの「生の証」であった。 小学一年生の時に転落事故に遭い、頭蓋骨の複雑骨折を起こし、奇跡的に生還はしたものの、それ以降、私は今でもたまに目の前の風景を認識できなくなる後遺症に悩まされている。医者からは十年生きられる保証はないと言われ、十代のころは頭痛がするたびに自分は死ぬのではないかという恐怖に苛まれていた。だから、私にとって「眠り」とは「次の日に目覚めることはないのではないか、このまま眠るように死んでしまうのではないか」という恐怖と表裏一体の関係にあった。 それから三十年以上が経っているのだが、この恐怖感、決して薄らいでいるわけではない。眠るのは今でも怖いのだが、かといって眠らないでいるわけにはいかない。だから私は、寝るときはある意味「もう死んだって構わないや」と開き直って、“意図的に意識を消す”ようにしているのである。しげには「三秒で眠る男」と言われているが、私の寝付きがやたらいいのはそのせいなのだ。だいたい、自棄になってるんじゃなきゃ、どうして寝相が極端に悪い人間爆弾のしげの隣でのんびり寝てられるものか。 だからこれまでは、朝起きて、自分の心臓が動いていることを確認すると、「ああ、オレ、まだ生きてるんだなあ、生きててもいいんだろうなあ」と思ってホッとしていたのだが、地震の後はそれすらも安心の要素にならなくなってしまった。 目覚めたばかりの意識がまだ朦朧としている状態では、めまいや鼓動と、地震の区別がつかない。こういう不安感から開放される日が来るのだろうか。
地震後初出勤。 昨日のうちに職場は一応無事と、電話での確認はしていたのだが、実際にどんな状況だったかは足を踏み入れてみなければ分からない。 休日出勤の同僚もかなりいたようで、いろいろ対応に追われていたようである。お手伝いができなくて申し訳ないが、やっぱり親との連絡の方が大事になるのが人情というものなので、カンベンしてもらいたい。 水道管が破裂して、便所がいくつか使えなくなっていることを除けば中はそんなに乱れた様子はない……と思っていたら、私の机の上の書類ファイルなどが、連休前はブックエンドに立てかけられていたのが、今はぐちゃまらと平積みになっている。どうやら床に散乱していたのを、どなたかが重ねて置いて下さったものらしい。 ありがたい話ではあるが、すぐに必要な書類がどこに行ったか見つけられずにちょっと慌てた。
転勤の内示が出ているので、残務整理でおおわらわ。 その最中にまた「グラッ」と来る。しかも、今度は一度「ゆらっ」と来て、一呼吸置いてやや大きいのが「ぐらっ」と来たものだから、もしかしたらまた……とつい身構えてしまった。幸い揺れはそれだけで収まったが、余震にしてはかなり大きい。もしかしたらまたすぐに次のが来るかも、と思って腰が立たない。かと言って、物が落ちるほどではなかったにもかかわらず、すっかり臆病になってしまっているのである。 慌ててしげに「無事か?」とメールを打ったが、返事は「何が?」と何のことか見当がつかない様子。「地震だよ!」とまた送ると、「小さかったよ?」と暢気な返事。 何が小さいものか、このときの地震は後で報道されたところによると、「本震以降では最大の余震」だったのである。震度は福岡市西区・玄界島、福岡県前原市、志摩町、新宮町で震度4を観測。震源の深さ約10キロ、地震の規模はマグニチュード5・1。 しげは本震のときには私以上の本の山崩れに遭って、身動きできなくなっていたというのに、生来の鈍感のせいか、うらやましいくらいに恐怖を感じていない。気象庁の観測によれば、20日以降の余震の累計はこの時点で147回。震度3以上の余震は8回も起きているのだが、しげはこのうちせいぜい二、三回しか感じていない。ニューロンがホントにどこかでハザードを起こしてるんじゃないかと勘ぐりたくなるくらいのニブさだ。 こういう幸せな人間のそばにいると、どうしたって運命の不公平というものを実感せざるを得ない。ソクラテスは絶対運命論者であったと思うのである。
夜、「ダイヤモンドシティ」で、しげはカルチャースクール「ボクシングエクササイズ」の見学。こないだまでの「太極拳」は「ぬるい」ので、こちらに切り替えるつもりだそうだ。その間、私は「フタバ図書」で本を物色。しげの見学が終わるまでフードコートで本を読む。 横山光輝『狼の星座』1巻。 諸事情でこれまでずっと絶版だったものがようやく復刊。どうしてこれまで再刊されなかったのかは、連載時にこのマンガを読んでいた人には見当がつくことだろう。要するに「日本人馬賊」の伝記マンガなので、お隣さんの国情に配慮してたってことなんである。 主人公・大日向健作のモデルとなっている実在の小日向白朗、これは馬賊とは言っても流浪する自警団のようなもので、弱きを助け強気をくじく、中国民衆のために尽くした日本人の誇りのような人物である。 こういう人が実在していたというのも驚きだが、「中国人を助ける日本人」が少なからずいたという事実は、日本に対する敵視政策を続けるアチラさんにとっては極めて都合が悪いわけである。おそらく横山さん自身も生前はそのあたりを鑑みて、『狼の星座』の再刊は許してこなかったのだろうが、こんなふうに「作者が死なないと日の目を見ない」マンガがあるような状況は決して正常とは言えない。いや、作者が死んでもなお封印され続けているマンガがいかに多いことか。 たいていの人間が「人権擁護」の美名のもとに「人間の自由(表現の自由どころではない)」を圧殺していることに気づいていながら手をこまねいているのはどういうわけか。ネットの便所の落書き化が進むのはそれらの圧迫に対する反発も大きい。モラルの低下を嘆くのであれば、まずはメディアが「自主規制」などという下らない差別を撤廃し、圧力をかけてくる似非人権団体(たいていの人権団体が似非であるが)を黙殺するくらいの勇気を持たなきゃしょうがないんだが、どうせそんなことできっこないんだろうねえ。 それならもう私は、「ネット万歳、便所の落書き万歳、悪口陰口大歓迎」と唱えるしかないのである。社会がモラルを無くしているのに個人にモラルを求めるのは本末転倒というものだ。……てなことはもう40年以上前に青島幸男が言ってんですね。はい。
しげと待ち合わせて、「ワーナーマイカル福岡ルクル」で、映画『鉄人28号』。 予告編をご覧になっておられる方はお分かりの通り、鉄人もブラックオックスも、CGによって描かれていて、その出来はもう、アレである。しげが「……プレステ2?」と思わず口走ってしまったが、まあ、そんなもんだ。アングルに凝ってよ、タイミングに凝ってよ、音響に凝ってよ、なんとか「それらしく」見せようとがんばってるけどさ、どう贔屓目に見たって鉄人もオックスもその質感は「食玩」に、その動きは「ポリゴン」にしか見えんのよ。殴り合ったって、表面は全然傷も負わなきゃヘコミもしねえし(へこまないのは超合金だからだ!なんて言い訳ですむ問題ではない)、倒れても「重み」はねえしよう。視覚効果は『ゼイラム』の松本肇。ああ、この人はついにこういうところに行っちゃったのだねえ。 じゃあこの映画つまんないかというと、これが困ったことにすっげえ面白いんだよ(涙)。実写版『デビルマン』とどちらが下か、なんて、『鉄人』に対して失礼だ。比べ物にならないくらい『鉄人』のほうが映画としての完成度は高い。いや、製作者たちの人間としての底の浅さがそのまま弱点となっていた『ローレライ』よりもよっぽどエンタテインメントしているのである。 CGにさえ目をつぶれば、脚本は実にドラマツルギーのツボを押さえていて素晴らしい。金田正太郎の「成長」が、そのままドラマとなってカタルシスを生んでいるのである。辛気臭いままでいっかな前に進んで行かないアニメ版『鉄人』の今川泰宏監督は、脚本の斉藤ひろし・山田耕大両氏と監督の冨樫森氏の爪の垢を煎じて飲むがいい。人生の「苦悩」とは、そこで足踏みし、誰かの同情を引くために行うものではない。「前に進む」ためにあるのである。 CGにさえ目をつぶれば、キャスティングも実にドラマに有効に機能している。CMではなんかしょぼい感じに見えた正太郎役の池松壮亮くん、これがだんだんと「正太郎らしく」見えてくるのには感心。もっとも「ショタコン」の対象となるかどうかは関知しないが。原作の不乱拳博士に当たる宅見零児を演じる香川照之も、いかにもなマッドサイエンティストぶりを好演している。敷島博士を「立花真美」という美少女キャラに変更して蒼井優に演じさせたのは賛否が分かれると思うが、まあ、水辺での「好きよ」シーンがなければまだ許せたかと思う。……別に「淡い初恋」ドラマじゃねえんだから、アレは要らねえだろ。ああ、ハズカシ。 CGにさえ目をつぶれば……いや、ともかく見ていただいたほうが早いでしょう。ドラマ版『ジャイアントロボ』に対するオマージュをこういう形でハッキリと見せてくれたおかげで、『アイアン・ジャイアント』の何がダメだったかも見えてくると思います。 ああ、あと、正太郎君の半ズボンにも目をつぶってください(笑)。
2004年03月22日(月) エロだってアニメ。 2003年03月22日(土) メモ日記�� 2001年03月22日(木) DO YOU REMEMBER?/『梶原一騎伝』(斎藤貴男)ほか
| 2005年03月21日(月) |
福岡・佐賀地震続報。泣いてたまるか(ToT)/ドラマ『青春の門 筑豊篇第一夜』 |
〔昨日の日記の続き〕 ずっと地震のニュースばかりだったNHK、夕方五時過ぎにはさすがに大相撲中継に切り替わる。これだけはさすがに放送中止にできまいが、地震速報のテロップだけは流れ続けた。『名探偵ポワロとマープル』『義経』も同様。NHKに対して、もしかしたら痛いアニメファンから「画面に余計なテロップ入れるな!」とか苦情が来てるかもなと一瞬思うが、『ポワロとマープル』じゃそれはないか。ヒロインのグエンダの声が田中美里だったが、まあ悪くはない印象。
父に博多に帰ってきたら連絡を入れてくれるように頼んでおいたのだが、九時を過ぎても全く音沙汰がない。しげがまた心配をし始めたので連絡を入れてみると、夕方帰着の予定が大渋滞に巻き込まれてバスが全く動かなかったそうだ。今ようやく博多駅に着いたというので、店で待ち合わせをして、車で迎えに行くことにする。 店に到着してみると、父は仕事の準備をしていた。姉とはさっきようやく連絡が付いたとのこと。父もバスの中で身動きできずにイライラしていたものらしい。「山口の土産だ」と言って、ふぐの「かまぼこ」と「ちくわ」と、「イチゴ大福」をくれたのが状況にそぐわなくてなんだか暢気である。 続いて父のマンションに回る。部屋の中はどんな惨状になっているかと気になっていたが、寝室のドアが落下物で開かなくなっていたり、居間のビデオが落ちていたり、台所にパックが散らばっていたり、洗面所のラックが倒れていたりしているが、一番心配していたワイングラスのコレクションは、いくつか傾いているものがありはしたものの、割れているものは見当たらなかった。ガラス戸の前に荷物を置いていたので、揺れで飛び出すようなことがなかったのだろう。ウイスキーの空ボトルが一瓶、床で割れていたくらいである。 仏壇間では雪洞が倒れていて壁時計が落ちていたが、これも割れてはいない。父が「お母さんがあんまり部屋ば片付けんから、腹かいて(=怒って)地震起こしたんかな」なんて言ってるが、そんなことでこんな大地震を起こしたんだったら、母は菅原道真以上の大悪霊である。 心配していたほどの被害ではなかったので、破片だけを片付けて、「びっくりドンキー」で三人で食事をする。「明日はゆっくりしいよ」と父に言い残して帰宅。10時を回っていたが、東京のグータロウ君のところに無事の連絡を入れる。彼も私の身を心配してメールを入れてくれていたようなのだが、夕方になるまで届かなかったのだ。その後、もう一度ネットで書き込み。
>親父がようやくバスハイクから帰ってきたので、店とマンションとに行って来ました。寝室がぐちゃまらになってましたが、一番心配していた店の鏡と、マンションのワイングラスコレクションはほぼ無事。マンションと言ってもどちらも一階だから、揺れもさほどひどくなくて済んだようです。 >簡単に片付けて、帰宅したらまた余震で山崩れが起きてました。 >しげも、あちこちに「切り傷ができてた」のに今しがた気づいたのですが、これは地震でパニックに陥って気が付いてなかったというより、日ごろの鈍感のせいでしょう(笑)。 >震度が一番ひどいところに住んでる烏丸嬢が一番心配でしたが、先ほどようやく連絡が付きました。ご家族揃って無事で、棚の上に置いてたのも軽いものばかりだったので、ケガはなくてすんだそうです。でもトイレが逆流したとかいう話だけれど、確かアパートの五階なのに、逆流って、大変なんじゃなかろうか。
また慌てていたので、「烏丸嬢」なんて書いている。これは「鴉丸」が正しい。今日は全く誤植だらけで申し訳ない。「トイレが逆流した」というのはしげの誤情報で、単に貯水タンクが揺れてこぼれただけだそうである。しげはこういう緊急時ですら話を面白くすることしか考えていないから、始末に困る。 「びっくりドンキー」で食事中のことだったが、父が突然「土地を買って三人で一緒に住まんや」と言い出した。思わず「そんなお金あるんね?」と聞いてしまったが、「それがないとたい」と言うのでズッコケる。「マンション売ってもたいして金にならんしなあ」と言ってため息をつくのだが、要するに父は「お前、金はないか」と私に持ちかけているのである。 私自身は母が急死したとき、父に「一緒に住もうか」と持ちかけたことがあるので、親との同居にはなんら抵抗はないのだが、これまで「だらしない息子との同居はいやだ」と拒んできたのは父のほうなのに、どういう心境の変化か。別に地震のせいで急に気弱になったとも思えないので、これは年を取ってきて次第に「血は水よりも濃し」と思うようになっていたということなのだろう。 しかしこういうときの返事が一番困るのである。ここで「金なんてない」と正直に言ったら、「一緒に住みたくないからそんなこと言ってるのだろう」と勘繰られかねない。「住んでもいいけど、ただしお金はそっち持ちでね」とはひどい息子であるが、それ以外に答えようはないのだ。 しげは「一緒に住んで困るのは父ちゃんのほうやろ」と言うのだが、確かに「自分が迷惑をかけるのを前提で住んでくれ」という意識の持ち主と暮らすことくらい、大変なことはあるまい。
ネットで劇団の連中の日記を見てみたが、ハカセ(穂稀嬢)、らぶきっつぁん(桜雅嬢)の消息は未だ知れず。電話を何度かかけたのだが全く通じない。劇団ホームページの掲示板には状況報告をするように書き込みしていたのだが、見ていないのかもしれない。地震から十時間経っても何の状況報告もないと、実際ちょっと心配になる。ハカセとか、もしもダーリンのとこにしけこんでたとしたら、震度のいっちゃん高いところなのである。 加藤くんが「PP関連でメールくれたのは加藤さんだけだった」(この「加藤さん」は草野さんのこと)と書いてるのを見て、なんじゃいなと首をひねる。もちろん私もしげも加藤君には何度も電話をかけたりメール送ったりしてるのだが、全然不通だったのだ。よしひと嬢と連絡が付いたのもかなり遅くだったし、これだけの地震があれば連絡が付きにくくなるのもちょっと考えてみれば当然見当がつきそうなものなのだが。 だからこそこちらは、長いこと更新してなかった自分の日記にも掲示板にも、早い段階で状況を書き込んでおいたし、劇団の掲示板にもみんなに向けて無事なら無事だと状況を知らせるように書き込みをしておいたのだが、どうも加藤君は自分が心配されているということの意味がよく分かっていないようだ。軽いユーモアのつもりかもしれないが、こういう事態の最中では、卑下はただの悪ふざけにしかならない。地震速報でアニメや特撮番組が潰れることを憤る腐女子とたいしてレベルが違わず、彼女たちを笑えないのである。 そのあたりの感覚がイマイチないのが加藤君のおっちょこちょいなところで、本人は冷静なつもりでも、やはり浮き足立っているのだろう。
寝る間際に、マラッカ海峡で海賊に拉致されていた韋駄天の乗組員が無事解放されたとのニュース。まあ、少しは明るいニュースと言えるか。身代金の話がどうなったのか、不透明ではあるけれども。 全く今日は、一日でいろいろ波乱万丈なことであった。
〔これより3月21日の日記〕 夕べは興奮していたのか「寝付けない」と言っていたしげ、朝っぱらからイビキをかいて寝ている。最近とみに顎の下に肉が付きつつあるので、その騒音は弥増す一方である。 一夜明けて、テレビを点けてみると、昨日は放映されていなかった地震当時の映像がいくつか増えている。戦没者慰霊会の様子やら、昨日とは別の保育園の卒園式の様子やら。いつもいつも思ってることなんだけれど、こういう映像ってどうやって入手しているのかね。局のほうから「そちらに映像はありませんか?」って尋ねに行っているのだろうか。素材がそこまで必要なのかよと、これもいつもながらマスコミに対する不快感は晴れない。あとは九電記念体育館に避難している玄海島の人々の様子を紹介。これも一時避難でしかないわけで、先行きが見えない様子は見ていて胸が痛む。私はまだ運がいいほうだ。 yahooの掲示板を覗いてみたが、「前日に地震雲を見た」だの「飼ってた動物が暴れていた」だの、お前ら江戸時代の人間か、と言いたくなるくらい非科学的な書き込みが跳梁している。断層が電磁波起こして電離層に影響を与えて変な形の雲を作るとか言ってるのだが、別に断層が生じなくても電磁波は空を飛びまくっているし、変な形の雲なんてしょっちゅう見かける。「地震雲」と称するものの形が一定していない以上は、地震と雲との間に明確な関連性はないと断定するのが常識的な判断というものだ。「動物が騒ぐ」に至っては何をか言わんやで、ケダモノはいつだって騒いでいる。うちの近所の犬は逆に昨日のんびり昼寝してたがこれはどうなるのかね。 そんなのは何の科学的根拠もないことはとうの昔に証明されてるんだが、未だに平然とこういうデマを流している御仁が多いということは、ネット社会の情報伝達能力なんて、日常においては屁の役にも立ってない面も大きいということだ。結局、人は自分の信じたいことしか信じない。占いだの血液型などにかぶれる能天気な連中が途絶えないのもムベなるかなだ。
ハカセ(穂稀嬢)から携帯のアドレス変更のメールが来たので、これで劇団の連中で消息が知れないのは、らぶやん(桜雅嬢)だけになった。けれどハカセが元気なら、らぶきっつぁんもきっと大丈夫だろうから(^o^)、多分、仲間うちで大きな被害にあった者はいなかったろうと思われる。暢気な彼女の性格からすると、無事ゆえに連絡する気も起こらなかったというところだろう。 結局、地震で一番被害を受けたのはウチか。震度五弱の余震の危険はまだ数日は続きそうだと言うし、散乱した部屋を片付ける気にはまだなれない。台所を片付けようと足を踏み入れてみたら、サラダ油がこぼれていて、滑って転んだ。左肘を打って、ちょっとすりむいたくらいだが、これも一応二次災害と言えるか。 しげの部屋に入るとき、割れた食器を踏んで足の裏をすりむいたが、これは食べた後で食器を片付けずに放っといたしげの仕業なので、天災ではなく人災である。しげのだらしなさがこういうときでも被害を増大させているのである。
ニュースでは、地震の負傷者は七百人を越えたと伝えた(グータロウ君のお子さんが、この数字の中にしげも含まれているのかと心配していたようですが、病院にかかるほどの傷ではありません)。それでもこれは震度を考えると比較的被害が少なかったと言えるらしい。筑紫平野の岩盤は、かなり頑丈だったのである。 それでも、中央区では倒壊の危険のある四階建てのビル付近から、住民が避難したというニュースを伝えている。映像を見ると、そこは支柱の二本が折れていて、なるほどピサの斜塔ほどではないが建物が傾いているのは見て取れるので、これは危ないとすぐに分かるのだが、ほかにも目に見えないところに亀裂やら破損やらが生じている建物も多いのではなかろうか。福岡・佐賀の住人は、これからはちょっとした“家鳴り”があってもそういう不安に苛まれる日々が来るのである。PTSDとはこういうものかと実感する人も多かろう。 こうした災害時に、行政の対策の出遅れが指摘されるのは常であるが、はっきり言って大規模災害に際しての対応のノウハウなどあってなきがごとくであるということをこそ今回は実感した。 「まさかこんな事態が起こるとは」と被災者が口々に言っているのは全て「嘘」で、一応考えてみたことがあるけれども、何一つ対応を取らないでいることで現実から目を逸らしていただけなのである。 まさしく誰もが「現実よりも虚構」の中で生きているようなもので、極端に言えば、小松左京の『日本沈没』に描かれているように、どんなに事前に警告が行われようと、「なすすべもない」部分はどうしても生じるのだから、“初めから対策を放棄している”のである。そのくらい、人間は、あるいは日本人は、不慮の災害に対して事前に何かを想定することなど出来ない。「事故を考えまいとする文化」の中で育てられてきている以上、どんなに優秀な人材が行政に関わっていようと、結果としては不手際しか生じないようになっているのである。 さびしい事実ではあるが、人生はやはり「運次第」だと諦観するよりほかはない。
今日は国際会議場で阿佐ヶ谷スパイダースの舞台『悪魔の唄』の公演が行われる予定で、運良く前から二番目の席が取れていて楽しみにしていた。 しげは昨日の今日なので、公演が無事行われるかどうか心配していたのだが、これは実際に出かけて見なければ状況がわかるものではない。気になるのは、会場が博多埠頭の近くで、地震、津波の影響を受けやすい場所であることだ。祈るような気持ちで会場に行ってみたのだが、会場の前で係員の方がメガホンを持って「公演は中止です」と怒鳴っていたので、ああ、と天を仰いだ。 「会場が使用できない状態になった」という説明だが、具体的なことは分からない。会場前のアスファルトの道路を見ると、排水溝から溢れたと見られる「潮」の跡が白く乱れて広がっている。報道では「津波は来なかった」とのことであるが、実際にはある程度の波は来たのだろう。配線がイカレたか、天井から照明器具が落ちてきでもしたか。もしそうなら、『オペラ座の怪人』のまんまである。会場の向こうを救急車がぱーぽーぱーぽーと走っていく。まだ「何か」が起こっているのだろうか。 会場の入り口ではチケットの払い戻しの手続きとともに、作・演出の長塚圭史さんほか三名の方が、お詫びを兼ねてであろう、急遽サイン会を開いていた。 長塚さんは、役者としては以前『奇跡の人』であまり印象のない役を演じられていたが、演出家としては『ピローマン』などで素晴らしく濃密かつ緊張感溢れる舞台作りをされている。しかし、考えてみれば長塚さん、まだ20代なのである! 私自身、最近は自分がとみに頑固ジジイ化していると実感しているので、若い人で、しかもこの人は才能があると見込んでしまったというのは自分でも驚いている。 長塚さんは、先日、第55回芸術選奨文部科学大臣新人賞演劇部門を『はたらくおとこ』『ピローマン』で受賞。また、第4回朝日舞台芸術賞でも舞台芸術賞を受賞している。サインを頂きながら、ちょっと緊張してしまったが、「『ピローマン』が素晴らしかったので楽しみにしていたのですが」「受賞おめでとうございます」と声をおかけすると、逆に「残念です」「とんでもないです」と頭を下げられた。頂いたサインを見ると、今しがた仰った「残念です」という言葉がそのまま書かれてある。多分、長塚さんも、何とか公演が出来ないものかと、ギリギリまで粘られたのだろう。しかし、もしも公演中にまた余震が来たらどうするか。お客さんのことを考えれば、中止もいたし方がない。こういう不慮の事故で公演が出来ない心境というのは痛いほどに感じるので、こちらも「残念です」というしかない。 シアターチャンネルでの放送はあるようだが、DVD発売の予定はないとのこと。うち、シアターは入らないんだってば(泣)。
「せっかく出てきたのにい。地震のやつめ」と愚痴りまくるしげを宥めながら、せめて食事でもと「バーミアン」で奮発してコース料理。と言ってもチェーン店のコースだから1500円しかしない(笑)。 やけ食いして帰宅、そのままフテ寝。 小一時間して起き、映画にでも行こうかとしげを誘うが、「いい、もう」と布団をかぶったまま。しげのショックを考えれば、これはもうどうしようもない。ちょうどよしひと嬢が日記に「ROSSO」のライブで博多に来たことが書いてあって、こちらは地震をものともせずに予定通り実行するとのことなので、しげの悔しさは弥増しているのである。
ネットを見ていたら、中田秀夫監督のリメイク版『ザ・リング2』が、20日発表された週末の北米興行成績で、推定3600万ドル(約38億円)の1位に輝いたとのこと。もちろんこれは、昨年10月の清水崇監督の『THE JUON/呪怨』に続く、日本人監督としては史上2度目の快挙である。 クロサワもたけしもゴジラも成し得なかったことを清水・中田の両監督は成し遂げたわけで、これはもっと喜んでいいことだと思うのだが、なんか日本人の反応は今一つ鈍い。 私も基本的にはセオリーだけで作ってるようなハリウッド映画はつまらないと思っているし、『呪怨』については作品として本当に評価できるのかどうかという点では疑問を抱く部分もなくはないのだが、かと言って黙殺すべき映画だとも思わない。『ザ・リング2』についてもせめて「期待」くらいは持ってもいいのではないか。
竹島問題について、本日21日、韓国の俳優、ペ・ヨンジュンが自分のホームページで「韓国の領土であり、だからこそ理性的に対処すべきだ。私に与えられた役割は、領土に線を引く一言より、アジアの家族の、心と心の線をつなげていくことではないかと思う」という見解を述べたとか。 何でまた「ヨン様」がわざわざそんなことを、と思っていたら、先日の新作映画の記者会見で、記者から竹島問題の立場を問われたけれどもそのときは回答を避けていたので、インターネットの掲示板などで批判を受けていたということである。一介の役者に政治的立場を明確にするよう求めるというのは、やっぱりあの国も所詮は自由のない「軍国主義」の国なんだねえと思わざるを得ない。日本も戦時中はこういう「非国民探し」が横行していたのである。 結局、ぺさんは「竹島は韓国領」と言わざるを得なかったわけだが、韓国人ならそう主張することは別におかしなことでもない。それをあえてはっきり言わせようというのは、親日的な役者を苛めてやろうとする記者たちのいやらしさでしかあるまい。ぺさんは「だれの領土かという一言で実際に変わることは何か、真の解決のためにどんな役に立つのか、冷静に考える必要がある」と述べて、踏み絵を強要し、感情対立をエスカレートさせる現状に懸念を示したという。 私は別に『冬ソナ』にもたいして関心は持っていなかったし(何回か見た程度)、日本人のおばさんたちがヨン様ヨン様とキャーキャー言ってるのを見ていても、好きにしてれば、としか思わなかったのだが、なんという「オトナ」な態度であることか。それこそ「冷静」に考えれば、竹島が日本領土か韓国領土かというのは、双方の言い分にそれぞれ根拠があることなので、日本人だろうと韓国人だろうと断定したモノイイはできないはずなのである。要は行政のサボリが根底にあるわけで、本気で「日韓友好」とやらを考えているのなら、別に深く関わる必要もない「庶民」が立場を明確にするよう強要させられるような事態は、はやいとこ解決してほしいものだと思う。
テレビで『青春の門 筑豊篇第一夜』。 原作読んだのも映画見たのもかなり昔なので、こんな話だったかいなと首を傾げながら見る。東宝版と東映版があるわけだが、吉永小百合ないしは松坂慶子、大竹しのぶないしは杉田かおるのエッチシーンしか覚えてないぞ(笑)。 鈴木京香の熱演は光るが、全体的にはドラマのポイントが親子の情愛にあるのか朝鮮人問題にあるのか筑豊の人間の直情さを肯定的に見たいのか少年の性の目覚めにあるのか、それぞれ突っ込みが甘く、やや散漫な印象。映画の方も長ったらしかったけどね。 ベストセラー小説の映画化と言ってる割りにはどちらのシリーズも途中で終わっちゃってるので、今回はぜひ最後まで続けていただいて、「で、『青春の門』って何の話なの?」ってとこをはっきりさせてほしいのだけれど。 それにしても今回のドラマ化、筑豊弁が板についてないレベルでは近年稀に見るほどにひどかったな(笑)。
ああ、23時59分にまた震度3の地震。救急車もまた走ってる。 部屋、全然片付けられないってば(泣)。
2004年03月21日(日) だらだらしてたんでたいした内容がない。 2003年03月21日(金) 何だかクレームがついたゾ/『ネコの王』4巻(小野敏洋)/DVD『プリンプリン物語 友永詔三の世界』 2001年03月21日(水) 『GQ』余燼/映画『アンブレイカブル』/『さすらいエマノン』(梶尾真治)ほか
| 2005年03月20日(日) |
じじじじじじじじ地震!(追加アリ) |
えーっと、サボってた分の日記を更新しようとがんばって書いてたところだったんですが、いきなり震度5〜6程度の地震が襲って、福岡市内はえらいことになっとります。とりあえず、崩れ落ちてきた本の山の間に埋もれはしましたが、しげも私もたいしたケガはありませんでしたので、無事のご報告だけしております。 地震発生が10時50分ほど。それから一時間ほど経ちましたが、まだ余震は何度も続いています。津波警報は出たまま解除されません。電話回線がパンク状態なので、知り合いとの連絡も付きません。外は救急車が走り回っていて、ニュースだと電車も新幹線も止まっているそうです。掲示板やチャットのほうにも状況を書き込んでいきますので、その時も生きていたらお会いいたしましょう(笑)。
しげが『鋼の錬金術師』のDVDをずいぶん見損なっていると言うので、夕べから27話あたりから一気に見る。と言っても、私はもうとうに見ているので、ウツラウツラしながら見ていた。 私は原作もアニメも別物としてどっちも面白いと思ってるのだが、しげはハッキリ原作派なので、特に原作との乖離が激しい3クール目以降は、全然面白くないらしい。「なんでみんなバカばっかなんだよ!」と怒っている。つまんないのを12話くらい続けて見たので、かなり気分を悪くしたらしくフテ寝してしまう。 だもんで、日曜朝の恒例、特撮・アニメ三昧は今日も一人で見ることに。『響鬼』だけは録画を忘れずにしげに後で見せねばならないので、それまでは私も眠るわけにはいかない。
『仮面ライダー響鬼』八の巻「叫ぶ風」。 前回に引き続いて、イブキの初活躍編。太鼓に続いてトランペットだから、打楽器、管楽器と来たわけで、この分だと次は鍵盤楽器か弦楽器か。でもピアノはちょっと持ち歩きに不便だからなあ。ギターならありえるねえ、渡り鳥かキカイダーかって感じで印象がダブっちゃうのはいささかヨワイけれども。 明日夢と、イブキの弟子のあきらとの葛藤がもう一つの今回のモチーフ。最初は対立ムードだったのが最後はちょっと“イイ感じ”になって、これがひとみとの三角関係に発展して行くのか行かないのか、ってあたりが、これからの展開のキモになってくような予感。 まあ、ラブコメの要素が入っても構わないくらい、今回のシリーズは“懐が深く”なってるんで、そういうのもアリだとは思うのだけれども、せっかく新機軸を打ち出して面白くなってきてるところなんだから、ありきたりの展開でドラマの足を引っ張るような悪い方向には行かないでほしいところである。 これから先、ドラマを構築していくにはやはり敵さんの存在をもっと強化していく必要があるわけで、単に似たような妖怪が登場してきて(「マカモウ」ってネーミングはいささか凝り過ぎだが)そいつらを散発的に倒していくだけじゃ、到底一年間の長丁場は持たせられまい。かと言って「ぬらりひょん」みたいな「妖怪大統領」的なキャラを出してくるとか、「実は妖怪こそが人類以前の先住民族」とか、未だにノンマルトな設定を持ち出してこられたりするのも、いい加減飽き飽きしているので、それこそ視聴者が予測できないような「新機軸」を打ち出してくれたら、と大きな願いを持ってしまうのである。そういう期待にも今度のスタッフは答えられるんじゃないかなと思いたいんだけどね。
『二人はプリキュア マックスハート』を見た後、昨日買ってきたDVDを続けて見る。 一本目は『泣いてたまるか』第一巻。 これは例のディアゴスティーニのシリーズで、もとは昭和41年から43年にかけてテレビ放映された渥美清、青島幸男、中村嘉葎雄主演による一話完結式の人情コメディドラマシリーズである。今回は、そのうち、渥美清編だけを抜き出して27巻で発売しようという趣向。このドラマの何がすごいって、脚本家に野村芳太郎、山田洋次、森崎東、橋田寿賀子、橋本忍、木下恵介、家城巳代治、早坂暁、関沢新一、笠原良三、深作欣二、清水邦夫、佐藤純彌、山中恒(!)という、テレビ畑に留まらず映画会社も乗り越えた超党派の錚々たる面子が集まっていて、これが当時としてもかなりなビッグネームばかりだったことなのだ。 にもかかわらず、意外に見ていた人が少なくて、これが知る人ぞ知るシリーズになっているのは、当時の裏番組がNHK大河ドラマの『源義経』だったせいが大きいと思う。視聴率が10%半ばというのは、当時としては決して高い数字ではない。、客商売だったうちでも、多分ずっとチャンネルはNHKに合っていたはずで、私も『泣いてたまるか』は一本も見たことがないのである。そういうライバルに苦戦した番組ではあったが、二年半の長期に渡って続いたのは、やはり「渥美清」という役者の魅力をテレビ局も制作スタッフも買っていたからに他ならないだろう。全54話、渥美清が全て違うキャラを演じ分けるというとてつもないシリーズで、彼が決して「寅さんだけの役者でない」ことを知ることができる。つか、知れよみんな。いやホント、私は『寅さん』だけで渥美清を語る人とは、ファンであろうとなかろうと口を利きたくないくらいである。 第一巻は、第一話『ラッパの善さん』と第三話『ビフテキ子守唄』の二話を収録(収録順は必ずしも放映順ではない)。善さんが「戦時中のラッパ兵だった」というのは、昭和40年代だったら特に説明しなくても、戦時中、彼が新兵としてこき使われていたことを意味するのだとすぐに理解される設定であった。善さんは今はタクシー会社の下っ端、というキャラクターだけれども、この時代、学園ものの用務員さんなど、ドラマや映画にはやたら「元ラッパ兵」が登場していたのである。「戦中も戦後も一介の庶民」を象徴するのに「元ラッパ兵」の設定は適切であった。酔っ払って泣きながら、真夜中にラッパを吹き鳴らす迷惑至極な善さんに対して、視聴者が決して腹を立てることがないのはまさに「ラッパ兵」に対する同情と共感をこの時代の人々が持っていたことの証左であろう(このとき怒ったミスター珍に追いかけられて「身をかわす」渥美清の敏捷かつキレのいい体技を見よ!)。 脚本家はもう説明するのも野暮な、『張込み』以下の松本清張作品で有名な野村芳太郎、監督は『ウルトラQ』で『カネゴンの繭』『育てよカメ』『鳥を見た!』など、ファンタジー色豊かでありながら生活感とナンセンスも同時に表現するという稀有な作品群を残した中川晴之助。解説書には脚本家や監督のフィルモグラフィーなどが書かれていないが、これもきちんとフォローしてほしいところである。 昨年DVDボックスが出たばかりだが、いきなりこんな形で発売というのは、ボックスがあまり売れなかったということなのだろうか。だとしたらこんな残念なことはない。隔週刊だから、一月四千円弱でシリーズが揃えられるのである。かなりお得なお値段だと思うのだが。
続けて居間で寝っ転がったまま、DVD『鉄人28号』を見ていたのだが、その最中に地震が来たのである。 はじめ少しグラッとしたな、と思ったのが途端に強い縦揺れが来た。天井の蛍光灯が大きく揺れ、積み上げていた本の山が両脇から雪崩を起こして私の上に降ってくる。棚の上からはビデオや本が本棚から吐き出されるように飛び出してくる。その様子をしっかり目の当たりにしながら、揺れが激しくて立ち上がることもできない。動けはしないが、動けないと分かるとかえって肝は座るもので、「この程度の揺れで収まるなら、何とか命は助かるな」「これ以上揺れが激しくなってドンと来るようなら、もう諦めて死ぬしかないな」という境界線も見えてくる。だもんで、本やビデオ、CDの類の一部は、目の前をかすめて落ちてくるのだが、それをよける程度の心の余裕は生まれるのである。 隣室でどだだだだと山崩れの音がして、しげの「きゃー」という悲鳴も聞こえるが、助けに行ける状況ではない。ケガをしていないことを祈るだけである。 時間にすれば一分ほども経っていないだろうが、揺れが一段落したな、と思われるころ、隣室からしげの私の名を呼ぶ声が聞こえてきた。続けて「助けて〜」という気の抜けた声も。その気の抜け具合から、とりあえず悲惨な状況になっていないことは分かったが、部屋の中は完全に足の踏み場をなくしている。私の体の上にもビデオと本の山が積み重なっていて、すぐには動けない。腹のところから足元にかけての本を脇にどけて、足を引き出してようやく立ち上がれる。隣室に行く道はCDがかなり落ちているので、これを踏まないように横に積み重ねていく。ほんの少しだけ隙間を作って、足を差し込み、隣室を覗いたら、やはりしげは本の布団を着て顔だけがその間に見えている。 「何でオレ、こんな格好で寝とるとー? 横向いて寝てたはずなのに、上向いてこんな格好してるー」 どうも地震が起こった瞬間はまだ寝ぼけていて、無意識のうちに崩れてくる山をよけながら、それでもよけきれずに山の中に埋まってしまったものらしい。「動けんー、重いー」と唸っているが、泣いてはいないのでひどいケガはしていないようだ。「今助けてやるからちょっと待て」と声をかけて、本をどけながらなんとかしげの頭の後ろに回る。それからさっき自分が抜け出したのと同じ要領でしげの体の上の本を脇にどけていく。「立てるか?」と聞くが、しげは「足に力が入らーん」と寝惚けた声で答える。睡眠薬もまだ効いているので、実際、足が痺れたままなのだろう。「足に力入れなくていい。ケツを引け。引き出してやるから」と言いながら、しげの体を上に引き上げる。尻でずずっ、ずずっと後ろにずりながら、ようやくしげも山の中から抜け出した。 しげにもようやく地震でこんな目にあったのだということが自覚できたようだが、地震の被害がどうかということよりも、眠りを妨げられたことのほうが腹立ちの種であるようで、「寝た気がせん」「夜まで寝れんと?」とぶつくさと文句を言う。あまつさえ、「地震が『響鬼』のあとでよかったね。『響鬼』の最中だったら番組が中止になってたよね」なんてことを言う。その気持ちも分からんではないが、真っ先に心配あるいは安心することはそれじゃなかろう。しげは日頃は“痛い”オタク嫌いを標榜しているのだが、こういう非常識なところは痛いオタクそのものである。覗く気になれんが、あっちこっちのオタクサイト、しげと同じようなこと言いまくってんだろうなあ。
外は救急車のサイレンが喧しいが、こちらはようやく落ち着いてきたので、一息ついてテレビを点けてみることにする。 地震発生は午前10時53分、マグニチュード7.0で、福岡での震度は5から6。津波注意報も発令されていた。天神での地震が起きた瞬間の映像ももう流れていたが、福ビルの被害が一番ひどく、窓ガラスが一斉に割れて街路に降り注いでいる。休日だし路上にいた人も結構いたはずで、破片を浴びてしまった人もいたのではなかろうか。 最もひどい被害を受けた地域はどうやら玄海島のようで、ヘリコプターからの映像では、崖崩れを起こし、全壊している家屋は一つや二つではない。未だ救助の手が差し伸べられている様子も見えず、死者が出てはいないか心配である。
連絡が通じない可能性もあるかと思いながら、父に携帯から電話を入れてみる。 予想通り、呼び出し音すら鳴らず、全くの不通。しげは「外に出てるのかなあ。天神とか行ってるかも」と落ち着かない様子だが、状況が分からないものをどうにかできるものでもない。最悪の場合、マンションで倒れてきた棚の下敷きになって気絶しているということだってありえなくはないが、慌てて父のマンションまで駆けつけていったところで、携帯が繋がらない現在、もしも別の場所にいたらかえって連絡が付かなくなる。少し時間を置いてもう一度連絡を取ってみるべきだろうと、とりあえず、ひと心地つけることにする。 ネットを開いてみると、こちらは書き込みができるようであったので、心配してホームページを覗いている人もあろうかと、命に別状はないことは書き込んでおく。
>うはあ、思いっきり来ました。地震。本棚崩れまくり、私もしげも、山の中に埋もれましたが、とりあえずかすり傷ですんでいます。どの部屋も足の踏み場がない常態ですが、片付けできるかどうか先が見えません。 >今現在、電話回線がパンク状態で知り合いと全く連絡が付かないので、知り合いの被害状況は分かりません。分かり次第、掲示板に書き込んでいきます。
「状態」が「常態」になってる誤植はもう慌ててるんでお気になさらぬよう。 チャットも開いてみたが、すぐに書き込み不可能になる。やっぱジャバチャット、ものの役に立たんわ。 もう一度父に自宅電話から携帯に電話をかけてみると、今度は通じた。 「今どこ?」 「山口や」 「山口!? 何でそんなとこへ?」 「バスハイク。昨日、急に思い立って空きを探して行くことにしたと」 「じゃあ、地震のことは知らんとね」 「それは運転手さんから聞いた。お前んとこはどげんや?」 「本の山に埋もれたよ。この分だと店もマンションもひどいことになっとるんやないかな」 「それはしょんなかろう。ケガしとらんならよかたい」 「お父さんも外に出とってよかったね。じゃあ、地震は全然感じ取らんとね?」 「バスに乗っとっちゃもん。何が感じるもんか。お客さんに『地震はどげんでしたか』て聞かれたっちゃ、『知りまっしぇん』としか答えられんとたい」 しげと言い、父と言い、なんだか随分暢気だが、ともかく命に別状がなかったことは幸いであった。
知り合い連中とはほとんど連絡が付かない状態なので、とりあえず食料を調達しに出かけることにする。近所も食事どころの話ではないらしく、出前の寿司屋が走り回っている。逆にこういうときにはお店屋さんも大変だろうから休ませてあげたらどうかという気もするのだが。近所の「COCO一番屋」は、地震時には開店直前だったはずだが、電気を落として休業状態であった。 帰宅してみると、早速掲示板に書き込みがあったり、知り合いの何人かから何人か心配のメールが入っていた。履歴の時間を見ると、メールは地震直後に打たれていたのだが、やはりこちらに届くのに時間がかかっているのである。内容はもちろん、我々夫婦が「本棚の下敷きになってないか」、それを心配しているもの。誰も考えることは同じである。 特に加藤君のそれは、「藤原家の本棚は大丈夫ですか?!」というものだったが、これでは我々の安否より、本棚の安否を心配しているようである。加藤君もよっぽど慌てていたようだ。 以降の事情も、掲示板に書き込みをする。
>食料調達に外に出てきましたが、近所の店は臨時弊店のところが多い。 >でもセブンイレブンはあっという間に営業再開。根性あるなあ。ひっきりなしにお客さんが訪れて食料買い込んで行ってます。家の中が大変で大人が外に出られないらしく、カード持ったお子さんとかも来ている。 >私ら夫婦は何とか「けもの道」を作ったところで果てて昼寝。地震から五時間経ってるけれど、今もまだ余震が続いています。テレビを見ると、けが人が少なくとも福岡・佐賀で259人とか。住宅全壊が10棟、一部損壊が200棟以上。でも、鉄道バスの運転は何とか再開しつつある模様。 >劇団の連中の安否は、加藤君からメールがあったのみ、ほかの連中とは未だに携帯が不通なので分かりません。みんな大変な状況だろうけれど、無事なら劇団のホームページに早いとこ書き込みしてくれ。
「閉店」がやっぱり「弊店」と誤植されているなあ(笑)。 けが人はこの時点では200人台であったが、すぐに300人を越し、夜には400人を越すことになる。 続けての掲示板書き込み。
>JRは六時過ぎに全面復旧。けれど死亡者はついに出た。75歳のおばあさんが倒れてきたブロック塀の下敷きになって亡くなったらしい。福岡で震度五以上の地震が観測されたのは、大正十二年に観測が始まって以来、初めてだということだ。つまりは「全く地震なんて起こったことがなかった」というのと同じことで、それくらい、福岡という土地は地震に縁がなかったのである(昔、上京したとき、東京はなんて地震が多い土地だと驚いた記憶がある)。 >津波は来なかったけれど、福岡タワーのある百道浜のあたりは、地面が液状化しているとか。落下物のある道も多く、復旧にはしばらくかかりそうだ。 >職場との連絡は通じず終い。何かあれば緊急連絡が入ることになってるのだが、連絡網自体途絶えてる可能性が高いからどうなってることか。まあ、誰かが駆けつけて対応してるとは思うけれども。 >よしひとさんとは電話が通じた。ご無事で何よりだが、なんと今日が誕生日だったそうで、10年前にも三月二十日に例の地下鉄サリン事件が起きていたとか。全く、狙い済ましているようで、お気の毒なことである。 >しげは今疲れ果てて寝ているが、寝ぼけて「そうなの?」とか意味不明なうわごとを言っている。まあしげが寝ぼけるのはいつものことなので、地震のせいではないかもしれないが。
私も暢気に書き込みしているようであるが、この間もずっと余震は続いているのである。広島の友人に無事の連絡を入れたら、「新潟みたいに余震の後に本震がまた来る場合もあるから気をつけろよ」と言われる。しかし、本震がまた来ちゃったら、助かるか助からないかは本当に運でしかないのだ。もともと私は事故だの病気だの手術の失敗だので死にそうな目にあったことが何度となくあって、そのせいですっかり運命論者になっていたのだが、また「人生は運だけ」ってのを実感することになった。
2004年03月20日(土) 『座頭市』と『フイチンさん』と、長さんの死 2003年03月20日(木) ヨッパライがいたゾ/DVD『サイボーグ009 第2章 地上より永遠に2』/『帰ってきたウルトラマン』vol.6 2001年03月20日(火) オタクの花道/映画『ギャラクシー・クエスト』/『Q.E.D.』9巻(加藤元浩)ほか
| 2005年02月21日(月) |
あ〜んあんあ、驚いた日記4 |
パソコンクラッシュ、金曜日に業者が来てくれるとの連絡。 説明書というものがいかに役に立たんかということである。
「TOHOシネマズトリアス久山」で、映画『ステップフォード・ワイフ』。 以前は「ヴァージンシネマズ」だったのが、去年から東宝系になった。『マトリックス・リローデッド』を見て以来だから、1年以上、見に来ていない。だって、遠いし、他に寄る所もないし。でも「天神東宝」ではこの映画やってないから、ここまで足を運ぶしかないのである。平日の夜だから仕方ないのかもしれないが、ただっ広い駐車場がガラ透き。他の映画館との差別化を図っているのは、THX、SRD-EX、DTS、SRDスナック付き、飲食テーブル、リクライニングシート設置のプレミアスクリーンなんだけれども、別に食ったり寝たりしたいわけじゃないのでたいした魅力ではない。今や通常料金の1800円という値段が普通の生活送ってる庶民にとってはもう大贅沢なのである。それを2400円というのはなんかもう庶民は映画見るなといってるようなものだ。……って久山でそれやってどうする(久山を知らない他地方の方へ。名前どおり、周りはただ山しかないとこです)。こんな商売の仕方して、存続していけるのかいな、と余計な心配。 でも、遠出までしたってのに、映画はおかなり寒い出来。『死の接吻』のアイラ・レヴィン原作だし、『ダーク・クリスタル』のフランク・オズ監督だし、と、ちょっと期待はしてたのだが、考えてみれば、オズ監督、『おつむて・ん・て・んクリニック』の人でもあったのだ。コメディの監督としてはまあ中の下くらい。「ステップフォードの女たちには秘密がある」ったって、どんな“秘密”かは物語の中盤で早々にバラされる。まあ、ラストまで持ってけるほどの謎でもないから、その判断は間違っちゃいないのだが、もともと原作のモチーフが「ウーマンリブに対抗する男たちの反逆」という、1960〜70年代にしか成立しないものだったので、それをウーマンリブ運動自体がお笑いになってしまった今、映画にしたところで、時代錯誤というよりもかなり悪趣味なものにしかならない。それをどうクリアするかがポイントだったと思うんだけれども、オズ監督が物語をコメディにシフトさせた結果、ミステリーなんだかSFなんだかコメディなんだか、どうにもどっちつかずのふやけた映画になってしまった。 ニコール・キッドマン、マシュー・ブロデリック、ベット・ミドラー、グレン・クローズ、クリストファー・ウォーケン(さらにはわれらがジョン・ロヴィッツも!)と、役者をこれだけ集めといて、持ち味を生かしきれているとは言い難い。つか、既成のイメージをなぞりすぎていて、かえってつまんなくなっているのである。知性派のキャリアウーマンだがケンのあるキッドマン、優柔不断の夫のブロデリック、ガサツで家事ひとつこなせない「殺したい女」なミドラー、上流志向で権威主義的なクローズ、そして正体がアレなウォーケン、どの役も以前、この人同じ役やってなかった? という印象なのである。これじゃただの“なぞり”で、パロディにも何にもなってないよ。 しげは見終わった後、「マシュー・ブロデリックって、グータロウさんに似てない? 顔じゃなくて雰囲気が」とか言ってたが、最後にはまあいい役になるけれど、途中はかなり軟弱だから、あまり誉め言葉になってないと思う。
19日に発表された第55回ベルリン国際映画祭、最優秀作品賞の金熊賞は南アフリカ映画の『U−カルメン・イン・カエリージャ』(マーク・ドーンフォードメイ監督)が受賞。見ちゃいない映画については何ともコメントのしようはないけれども、少なくとも日本から出品された『隠し剣 鬼の爪』(山田洋次監督)が受賞するほどベルリン映画祭のレベルは低くなかろうと思っていたので、順当な結果かもしれない。いや、『隠し剣』もそれなりにいい映画じゃあるけれど、感情的かつ説明的な台詞が多すぎて、とても世界に出せるほどのものとは言えなかったので、落ちてくれてホッとしているくらいである。先年金熊賞を受賞した宮崎監督の『千と千尋』だって、いつものエコロジーに説教臭いところなど、決してよい出来だとは言えない面があったけれども、全体としては人間の本質を聖俗ともに包括的に描いていた点で現代ファンタジーとして十分評価に値したと思うし、そのあたりを「投げ」ちゃった『ハウル』の体たらくを見ると、やはりグランプリにはふさわしかったなと思うのである。なんかね、いまさらなこと言っちゃうけどね、映画の「完成度」って、たとえエンタテインメントであろうとそういう「人間」が描けててるってことなんだよ。半可通なオタクは「人間が描けてなくたっていいじゃないか」とかすぐ言い出すけど、「人間は描けてないけど面白い」作品なんて存在しない。そういうものです。 『隠し剣』よりも気になるのは、落選したことでまた輸入が危ぶまれるんじゃないかと心配の『太陽』(アレクサンドル・ソクーロフ監督)だけれども、本気で日本が「民主主義の国」であると主張するのであるならば、どこかの会社、ちゃんと買い付けろよと言いたい。多分、昭和天皇を演じたイッセー尾形さんも、出演するに際しては極右翼に「命」狙われるくらいの覚悟はしてるはずだ。その意気に答えられないってんなら、日本の映画人は口が裂けても「映画に平和へのメッセージを込めた」なんて言うべきじゃないだろうよ。
2004年02月21日(土) 退院後のばたばた 2003年02月21日(金) しげ、テレビ出演!/『江戸川乱歩と少年探偵団』(堀江あき子編)/『クイーンフェニックス』上・下(横山光輝) 2002年02月21日(木) アホがアホを教育したってねえ/アニメ『七人のナナ』第7話/『鉄鋼無敵科学大魔號改』(唐沢なをき)ほか 2001年02月21日(水) 買い物ブギ/『ブギーポップは笑わない』第1巻(緒方剛志)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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