無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年09月19日(日) 大掃除大パーティ/『かりん』2・3巻

 早朝3時、仕事から帰ってきたしげ、舞台中継『ミッドサマー・キャロル』を見たいというので、録画したDVDをかける。けど、今日はよしひと嬢のお宅に焼香に行く予定であるし、そのあと何やらパーティもするとか言ってるのに、寝る時間が全くなくなってしまうが大丈夫なのだろうか。
 私の方は早々に落ちて、9時過ぎまで眠る。その間にしげは出かけて行ったようだった。……部屋の片付け全然済んでないんだけど、どうするつもりなんだよ。


 昨日は雨時々曇りで、玄武亀代と竜宮亀太郎に日向ぼっこをさせてあげられなかったので、今日はベランダに出してやる。
 食欲旺盛な玄武に食餌を取られて、竜宮の方が食が細くなってしまっていたので、一時期、二人を別居させていたのだが、それまで与えていたレプトミン(ビタミン・ミネラルフーズ)をガマルス(ヨコエビ)に変えたら、竜宮も一所懸命食べるようになった。大きさはやっぱり玄武の方がひと回り以上もデカいのだが、竜宮がイジメられている様子はないようである。
 その間に風呂場で水槽を洗う。浄水ポンプのおかげで水自体は澄んでいるように見えるが、洗うとやはりかなりカメ臭い。週一のこの水槽洗いが習慣になっているが、二人がもっとデカくなって水槽も大きいのに買い替えないといけなくなったら、この作業、かなりひと苦労になりそうである。


 休日のうちに未見のDVDを片付けようと、映画『切腹』を見る。
 映画自体は随分前に見ているのだが、これはずっとDVD化を待っていた一本だった。なんとなれば個人的にちょっと思い出があるのである。
 生前の母はこの『切腹』について、「見てられないくらい残酷!」と、まるで怪談話をするかのように身振り手ぶりを交えて、聞かせてくれたものだった。それはもちろん、石浜朗が竹光で自分の腹をかっさばくシーンの再現なのであるが、普段は豪胆で肝っ玉かあさんな母が「竹光だから腹を刺しても切れなくて、もう何度も何度も突き刺してね。背筋がぞっとして『早く映画が終われ!』って思っとったよ」なんて眉を顰めて言うものだから、それはいったいどれほどオソロシイ映画なのかと、小学生の私は見てもいないうちからそのグロテスクな描写を想像して怖れおののいていたのだ。けれどあまりに「残酷さ」ばかりを強調するものだから、詰まるところ映画として面白かったのかどうか、母の話だけではよくわからなかった。
 実際にこの映画を見ることができたのは20代に入ってからだった。監督が小林正樹だから、映画の底流にはどうしたって社会主義思想、反権力と言ったものが流れているのだが、殺陣を初めとした描写そのものに迫力があるので、そのあたりのイデオロギーがさほど鼻につかない。例の竹光での切腹シーンであるが、今の目で見るとそんなに「残酷」という印象はしない。けれどそれは私の方が数多の残酷描写に慣れきっているためであって、40年前にはこれは充分、目を背けたくなるほどの悲惨なシーンとして大多数の観客には受け止められていたのだろう。母の受けた衝撃も、やはり初見のインパクトの強さゆえだと思われる。
 シャワー中の惨殺シーンで観客に失神者も出たというヒッチコックの『サイコ』の公開が1960年、時代劇にそのリアル描写でショックを与えた黒澤明の『用心棒』が1961年、そして血飛沫の決闘を描いた続編『椿三十郎』が1962年。そしてこれまた大ブームを起こしたヤコペッティの『世界残酷物語』が同じ1962年。『切腹』の公開も1962年だから、まさしくこの映画は「残酷描写ブーム」の流れの上にある。けれど、もともとリアル志向の強かった小林監督にとってはこのブームは渡りに船だったのではないか。東映時代劇がただ残酷であればいいと、不必要なまでのグロ描写を持ちこんで失敗作を量産していたのに対し、『切腹』の残酷描写は物語が求めた必然である。そういう流れを意識せずに見ることのできる現代の方が、この映画を真に評価するのには適しているのではなかろうか。
 1962年公開ということは、母は私の妊娠中にこの映画を見に行っていたことになる。……なんかすげえ胎教に悪いことしてないか? 当時、「胎教」なんて知識はあまり普及してなかったから仕方がないけれども。もっとも胎児の私には武満徹の音楽だけしか聞こえちゃいなかっただろう。……いや、武満さんの音楽だけで充分、赤ちゃんにはよくないかもなあ。もしかしてこの映画のせいで私は……。いやいやいや。


 昼から映画を見に行こうかと思っていたのだが、とっちらかったままの部屋を放置しておくわけにもいかず、しげが出かけている間に少しでも片付けておこうとまずは山積みのDVDから手を付ける。しげも全く部屋の片付けをほったらかしていたわけではなくて、私にせっつかれて床面積だけは空けていたので、本棚の隙間を見つけながらとりあえずDVDをぶちこんでいく。けどもうスペース自体か殆どないので、本当は読まなくなった本などダンボールに入れて押し入れにでも突っ込むしかないのだが、そこまでの時間的余裕はない。なんとかDVDだけ片付けた時点で、しげたちが北九州から帰ってくる。
 本日のお客さんは鴉丸嬢、其ノ他君、カトウ君、圭To嬢(通称ヒゲちゃん)、細川嬢(通称ボインちゃん)。部屋の中に入るなり、鴉丸嬢が「部屋が一つつぶれてる〜!」と泣き笑い。しげが適当に積んだ山積みの本が背丈を越えるほどになっていて、部屋の入口が埋まって中には入れなくなっているのである。隙間をうまく使うことができないというか、大きさも合わせずにただ本を積み重ねているだけなので、バランスは頗る悪く、これもいつ雪崩れを起こすか分からない。こちらはとても手をつけられないので、掃除の対象は主に台所、寝室、居間になる。
 居間は特にパーティ会場を作らなきゃならないので、ゴミを拾い集め、掃除機をかけて特に念入りに。総出で季節外れの大掃除であるが、もうゴミが出ること出ること。バケツリレーのようにゴミを外に出して捨てて行くが、ゴミ出し日は本当は明日である。……まあ、1日くらい早いのはいいか。紙ゴミばかりで生ゴミ類は殆どないし。
 寝室の本はほとんどしげが持ちこんだもので、枕元に重ねた本が雪崩れを起こしていたのを私が分類して積み重ねていたのを、鴉丸嬢がやっぱりバケツリレーの要領でヒゲちゃんボインちゃんの二人に手渡していったん居間に出して、それからスペースを作り、もう一度崩れないように積み戻して行くという作業。
 ときどき鴉丸嬢の悲鳴と笑いが聞こえてくるが、どうやらダニに噛まれているらしい。しげは掃除機をかけることを全然しないまま万年床なので、そりゃダニくらいわいているだろう。つか、しげだって寝てるときダニに噛まれてるはずなんだが、鈍獣だから気が付いていないのだろう。
 「掃除機の替えのフィルターはどこっ!?」
 「えーと、どこだっけ?」
 「そこの引き出しの中でしょっ!?  こないだ片付けに来た時、私が片付けたんだからっ!」
 「すごーい、オレよりウチの中のことよく知ってるー」
 「そんなこと言われても、ぜんっぜん嬉しくないっ!」
 鴉丸嬢としげの会話を端で見ていると、まるでボケとツッコミの漫才コンビである。この雰囲気のままに今回の芝居の台本を書いたのだが、自然体の二人のほうがはるかに面白い。いや、鴉丸嬢にとってみれば「なんで自分たちで家の中のことくらいできないのだ」ということになるのだが。いやね、私は今、鴉丸嬢が感じているのと同じ疲労感を結構当初から数年、散々味わって、もう疲れてしまったのですよ。
 台所担当は主にカトウ君、其ノ他君だが、カトウ君は今日の待ち合わせに寝坊して遅れたとかで、一番大変な場所を割り当てられている。ゴミ溜めと化している流しを片付けながら、「虫が涌いてないだけマシですよ」と言っていたが、もちろん虫は涌いていたのをさすがにこれは、と私が掃除しておいたのだ。もちろんしげには何度も「片付けとけ」と言っといたのだが、いつも通り無視されてしまっていた。
 結局掃除に3時間ほどかかってしまったが、終わったあと、みんなの手は真っ黒に汚れていた。日頃の掃除がちゃんとされてれば、こんなことはないんだけどねえ。

 食材を買ってきて、いよいよ鍋パーティ。名目は9月生まれが多いので、合同誕生会である。具は鶏肉、豆腐、春菊、白菜、人参、えのきだけ、なめたけ、とオーソドックスだが、なぜか豚しゃぶまで用意されているのは、しげの好みだろう。鶏と豚、普通は一緒にしないけど、「味がかち合って相殺される」というのは『美味しんぼ』がこじつけた俗説で、美味いもんは美味い。
 ご飯は手巻き寿司をめいめい勝手に。刺身に卵焼き、キュウリにシーチキンサラダをご飯と一緒に巻いて食べるのだが、ここでもしげ、口に頬張りきれないほどの具を海苔の上に乗せて、食いきれずに天を仰ぎながら無理やり手で押し込んでいる。おかげでしげの手や顔は海苔の粉だらけだ。全く幼稚園児と一緒に食事してるような気分になる。
 食材は相当量があったと思うが、ほとんどみんなで平らげる。其ノ他君が一括して食材を買ってきたのだが、費用を聞いてみると驚くほど安い。居酒屋とかに行くよりも、こういうホームパーティーの方が食えるものは食えるし、いいかもしれない。もっともウチでパーティやると、食事よりも掃除の方がメインになるので、落ちつかなくてよくない。今度こういう催しをやるなら、誰かもっと広い部屋持ってる人のうちでやろうよ。

 しげがヒゲちゃんボインちゃんを車で送っている間、カトウ君、其ノ他君とDVDなどを見る。其ノ他君は仕事疲れもあって早々に寝てしまったが、カトウ君には『サムライチャンプルー』や『DAICON版帰ってきたウルトラマン』『八岐之大蛇の逆襲』などを見せる。うちに遊びに来る人はちょっとでもオタク臭が漂ってると、こういうものを見せられてしまうので覚悟が要るのである。『八岐之大蛇』はつまんないので飛ばし見だけど。
 カトウ君、書架のDVD群を見ながら、「ここは『夢の島』ですねえ」と言い間違える。それ、「ゴミの山」って意味だって。
 しげと鴉丸嬢が帰宅してきてからは、今度は『幻想水滸伝』ほかのゲーム話。こちらの話題にはあまり付いてけないので、私は傍観。みんなで『ダンスダンスレボリューション』を始めたので、私は一足先に寝た。……みんな体力有り余ってるわ(-_-;)。

 読んだマンガ、影崎由那『かりん』2、3巻。これも大掃除の最中に山の中から発掘。こんなふうに買ったはいいけど読み忘れてる本がまだ山とあるのである。
 吸血鬼とか増血鬼とか(^o^)、普通、主人公の正体が人間にバレてからの展開はつまんなくなりやすいけど、これは「なぜ、かりんだけが増血するのか」というもう一つ奥の謎を取っといてるので、まだまだ先が読めない。実は私は、高一の子持ちにはトテモ見えない(セーラー服のコスプレに違和感がないというのはなあ)文緒母さんの行く末の方が気になってるのだが。

2003年09月19日(金) 回想の妻/『にっちもさっちも 人生は五十一から』(小林信彦)
2002年09月19日(木) 騒ぎどころが違うぜ/『仮面ライダー龍騎 13RYDERS』/映画『恐怖の火星探検』/『ロケットマン』3巻(加藤元浩)
2001年09月19日(水) ヤンキーたちの好きな戦争/『日露戦争物語』1巻(江川達也)/『探偵学園Q』1巻(さとうふみや)
2000年09月19日(火) 塩浦さん、今度はご夫妻で遊びに来てね


2004年09月18日(土) アナリストたちの誤算/『毎日かあさん カニ母編』

 昨日の日記が字数オーバーしてしまったので、書けなかったこと。
 しげの通院がそろそろ一年になるというので、病院の先生が「一度ご主人にも来てもらえませんか」と仰ったとか。家事がまともにできない、物忘れがひどい、罪悪感がない、すぐヒステリーを起こす、そのあたりの状況がどれだけ変わったか、話を聞こうというのだろう。私の感触としては、最初の三つはたいして変化がないが、ヒステリーだけはあまり起こさなくなってきたように思うのである。これはやはりクスリの効果なのだろう。今後も通院して治療を続けるかどうか、という相談もあろうとは思うが、10年かかって殆ど進歩のなかったしげが少しは落ち付くようにはなったのだから、効果は微々たるものでも、やはり今後もお願いしたいところである。
 それよりも私の方が「だいぶ神経やられてますね。入院治療が必要です」とか言われなきゃいいが(^_^;)。


 しげは今晩が仕事、明日はパーティだというので、クスリを飲んで爆睡している。部屋の片付けもまだ残っているというのに気楽なことで、少し広くなった居間で、仰向けになってバンザイ、足はガニマタという実にみっともない格好でイビキをかいている。
 見てるとなんだかむかっ腹が立ってきたので、携帯カメラで写真を撮ってやった。あとでしげに見せて笑ってやろうと思ったのだが、夕方になって起きてきたしげ、写真を見てひとこと。
 「こんなのに惚れるアンタっておかしいよ」
 なんか、肉を切らせて骨を断たれたような。


 WOWOWで舞台『ミッドサマー・キャロル ガマ王子対ザリガニ魔人』の中継。
 7月にPARCO劇場で録画したものだが、やはり舞台を映像で見るのはかなり魅力が減殺されてしまうことを痛感。役者の対話を切り返しで見せるだけでもカメラが自由に動けるわけでもないからかなり違和感が生まれているし、芝居の流れを無視した編集もあちこちに見受けられた。これで初めて後藤ひろひとの作品を見たという人には、「ホンモノの舞台はこんなもんじゃない」と言っておきたいところである。
 役者さんたちの演技も、私が見た千秋楽の時の方がはるかに上達していた。福岡での客の笑いなどの反応がよかったこともあるのだろうが、例えば伊藤英明が「安達祐実……ジョディ・フォスター、ドリュー・バリモア!」と叫んで泣くシーンなど、放送版よりも千秋楽の方が客の反応を見つつ、かなり間がよくなっていた。長谷川京子も放送版ではただ「突っ立ってる」だけの演技がまま見受けられ、なんだかハラハラしてしまったのだが、それが千秋楽では立っているだけに見えても相手の役者とちゃんと対峙するようになるまで上達していたのだから、大したものなのである。記録に残すんなら福岡版流せ、と言いたくなるくらい「差」があったのだ(伊藤さんが1ヶ所だけ吹いてたけど、放送版でも木場さんが1ヶ所トチってたからトントンだろう)。
 芝居のチケットは確かに高い。けれどやっぱり舞台はナマで見ないとその真価はわからないのである。

 読んだマンガ、西原理恵子『毎日かあさん カニ母編』。
 オビの「家庭円満マンガを描いていたら、連載中に離婚してしまいました(笑)」という作者談が全てを物語っているな。家庭や子どものことをネタにしてマンガを描く作家さんは多いけれど、子供が長じてそれを見るとたいてい、「なんでこんな恥ずかしいことまで描くんだよ」と怒ってグレたりする。でも西原さんとこの子どもは相当なこと描かれちゃいるけどあんまり怒んないんじゃないかなあ。こんなにいい母さん、ちょっといないから。
 こしのりょう『Ns‘あおい』1巻。
 こうしょっちゅう入退院を繰り返していると、医者ものマンガに惹かれてつい買ってしまうのだが、正直、これはいい! というものは少ない。リアルっぽく見せかけて結局お涙頂戴で締める『ブラック・ジャックによろしく』とか読んでて腹立ってくるし。このマンガも構図やら展開やら『よろしく』の影響をモロに受けてるんだけど、まだ嫌悪感が少ないのは主人公がナースだからかな。

 おかずが尽きているので、朝食はそば、昼と夜はスパゲティに、それぞれネギだの千切りキャベツを混ぜるだけで肉ナシ。
 しげが「給料入ったら親子丼ね?」と言うが、こないだまでは給料入ったら「肉肉肉」とうるさかったのだが、親子丼なら安上がりで重宝する。しげが二食分食ったって、300円くらいしかかからないもんな。


 映画『ホーム・アローン』シリーズに主演した元名子役のマコーレー・カルキンが、17日に、規制薬物とマリフアナ所持の疑いでアメリカ・オクラホマ州の警察に逮捕。
 莫大な出演料を巡っての両親の確執、離婚とか、本人の17歳での結婚、破局とか、まあ、これまで散々アメリカの子役が辿ってきたスキャンダルの歴史を、見事になぞってきたカルキン君だったけれども、その期待に答えるようにクスリに手を出しちゃいました。あとは服役後の自伝執筆と来るかな。
 それこそ散々言われ尽くしている「子役の大成は難しい」だけれども、本当は全然難しくないのである。大成する前に引退すりゃいいんだから。5歳やそこらで「将来は役者になりたい」という大志を抱く子どもというのもそう多くはなかろうから、子どもが映画に出演するというのにはやはり何らかの形で親が関与しているわけで、単に子供時代の思い出として学芸界のお遊戯感覚で演技をさせたいのか、それとも本気で演技者の道を歩ませたいのか、そこで子役の運命ははっきり分かれてしまうと言える。なんかカルキン君の場合は前者で出発してヘタに大金が親のフトコロに入っちゃったんで、トチ狂っちゃったって感じがしてならないね。
 子どもが主人公の映画がヒットすれば、雑誌の見出しにすぐ「天才子役」の文字が踊るけれども、本当に子供の頃から内面の表現としての演技力を評価できるような子役なんてのはそんなにいるもんじゃない。たとえ子どもであっても、「どう、ボクってお芝居うまいでしょ?」って感じの「鼻につく」演技をする子は、かわいらしさで一時的な人気は得るものの、じきに化けの皮が剥げる。カルキン君に関しては、やはり子役時代のイライジャ・“フロド・バギンス”・ウッドと共演した『危険な遊び』でかなり“臭く”なっていたので、ちょっと心配してはいたのだが、案の定じきに失速した。現代版「魔少年」という役どころで、親としては『ホーム・アローン』のイメージを払拭しようとあえてスキャンダラスな役に挑ませたのだろうが、当時は「あんなヒドイ役をやらせるなんて!」という批判の声の方が強かった。イライジャ・ウッドとの明暗の差は明らかで、親が欲をかいて失敗したというお定まりのパターンである。
 『E.T.』のヘンリー・トーマスもスキャンダルこそないものの、役柄に恵まれず(『サイコ4』ではなんと若き日のノーマン・ベイツ!……だもんねえ)、地味な脇役になっていった。『シックス・センス』のハーレイ・ジョエル・オスメントが、『A.I.』の興行的失敗にも関わらず“まだ”失速していないのは、イメージを裏切るような役を演じていないからだろう。『ウォルター少年と、夏の休日』以降の活躍も期待されるところで、子役の生き残りにいかに役の性質が深く関与しているかが分かる。『ダウンタウン物語』『タクシー・ドライバー』のジョディ・フォスターや、『アダムス・ファミリー』のクリスティーナ・リッチとかは、もともとヨゴレ役が多かったからもう何を演じても平気、という感じで見事に生き残っている。女の子の場合はかなり真剣な演技を要求される例が多いので、生き残りやすいという面はあるのだろう。なんせあのドリュー・バリモアですら復活できたのだ。ダヴェイ・チェイスもダコタ・ファニングも、多分大丈夫だ。
 カルキン君の場合、『ホーム・アローン』というその後の“期待される”役柄のイメージを強く持ち過ぎてしまったのが敗因だったのだなあと思う。もう24歳だが、今の写真を見てもただのとっぽい兄ちゃんにしか見えず、今後浮上することはかなり難しかろう。もうムリに役者するんじゃなくて、転職した方がまだ傷は少なくてすむよ、きっと。なんせオトナになって人殺しまでしちゃった子役だっているものなあ。


 ここんとこあちこちで話題になっている野村総合研究所(NRI)の「国内のマニア消費者(オタク)主要4分野(アニメ・アイドル・コミック・ゲーム)の市場規模は約2600億円」報告。
 オタクが分散化の一途を辿っているのに、それをいっしょくたにして大市場のごとく語るのはどうかという気もするのだが、この数字の大きさに惑わされてか、どうも「バブル」のときと同じように有頂天になっちゃってるギョーカイの方もいらっしゃるようで、なんかあまり騙されない方がいいんじゃないですか、と他人事ながらお節介なヒトコトも言いたくなるのである。
 先日、森永卓郎氏はこの「2600億円」という数字に疑義を申し立てて、『夕刊フジ』の「森永卓郎サラリーマン塾」で、「1,メディアの融合化」「2,消費者と供給者の融合化」「3,新品と中古の融合化」の3点を挙げ、「オタク市場は現時点ですでに数兆円の規模に達しているだろう」と結論付けていた。
 その分析自体にそう間違いはないと思うけれども、だからと言ってオタク産業の全てが成功するわけではないのは、先日のトワーニの解散も象徴していることである。映画、アニメ、コミック、フィギュア、トレーディングカードなどなど、それこそメディアミックスを駆使しまくった映画『キューティーハニー』が見事にコケたのは、まさに「笛吹けど踊らず」だったのではないか。だいたい『ハニー』は、昔ながらのオタクの間では『CASSHERN』よりは“少なくとも”評価が高かったのに、ヒットはしなかったのである。『ハニー』は『フラッシュ』で少女マンガになったことでも判るように、本来の読者である男の子だけでなく「女の子にも」受けたマンガではあったが、だからと言って女の子がファンになるメインストリームの作品ではない。『ハニー』の公開中、ちょくちょく映画館に足を運んではいたが、ともかく女の子が入る様子がなかった。
 先日も日記に書いたが、男女間、世代間のオタク同士の断層はかなり深くなっていて、我々の世代のオタクにターゲットを絞ったところで「売れない」という法則がもうできあがりつつあるのだろう。

 msnの「インテリジェンスの業界レポート」では、
 「『otaku』はいまや、『shogun』『karate』『sushi』と並んで世界に通用する日本語だ。かつては『暗い』と同じ意味で、否定的に使われたが、そのイメージも変わってきた。また、オタクは重要な存在として注目されるようになっている」
 「知財立国を目指す日本にとって、まさにオタクは“国の宝”ということになるかもしれない」
 と、なんだか手放しの誉めようである。でも、この手のプロパガンダはこれまでにもしょっちゅう語られてきていて、その最たるものは岡田斗司夫さんの「オタクエリート論」であるのだが、それを真に受けてイタイ目に合ってきたオタクも決して少なくはないのである。
 実際に周囲を見回してみて、オタクに対する世間の反応をよく見てみればよろしい。本当に「イメージ」は好転しているのであろうか。少なくとも私が知っている男性のオタクは若いヤツから中年に至るまで何10人何100人といるが(一応、顔だけは広いのである)、明るくて女性にもモテる、なんてやつは殆どいない。もっとも、女性が好きになるタイプの男性は殆ど一点集中なので、オタクであるなしに関わらずモテないヤツはとことんモテないのであるが。
 しかし、興味のない相手にまで押し付けがましくオタクな話を熱心にするキモオタ男が男性女性を問わず嫌われているのは厳然とした事実である。

 この二つのレポートにケツラクしているのはそもそも「オタクとは何か」という捉え方がおおざっぱな点だ。
 「オタク=特定の趣味分野に時間や所得をかける人たち」と簡単に言うが、その「特定の」ってのが現実には、分野どころかかなり狭く限定された作品やキャラクターレベルにまで絞られている場合も多い。必ずしも作品同士のファンの相互乗り入れが行われているとは言えない状況もあるってことを、キチンと把握してはいない。
 例えばテニプリファンの腐女子が、テニプリ以外のアニメ作品のグッズ収集などにどれだけ金をかけるというのか。そんなことをすれば、仲間うちからヘタをしたら「浮気したな!」と捉えられ、阻害されかねない。なんつーか、キャラクターの誰が受けで誰が責めかとか、その解釈の違いだけで反目しあう世界だからねえ(-_-;)。
 ファンは一つの作品に飽きるまではあまりヨソの作品にまで真剣に興味を移したりはしないものである。「いいえ、私は複数の作品が好きですよ」と仰る方も、好きな作品は『SEED』と『ハガレン』と『最遊記』とか、やっぱり明らかに「そっち」方面に偏っているので、間違ってもこういう方は『クレヨンしんちゃん』や『あたしんち』のDVDを買ったりはしない。描いてる同人マンガもみんな似たり寄ったりで、誰かしんちゃんとカザマくんのボーイズラブくらい描いてみたらどうだ、と言いたくなる(「もうある」というウワサは聞いたことはあるが「主流」じゃないよな)。
 「アニメなら片っ端から見る」なんて昔ながらのファンなんてのは殆ど絶滅しているのだ。興味関心が分散化しているだけではなく、マンガアニメ全般に時間やお金をかける余裕がないのも大きな原因の一つなので、だから「オタク受けを狙おう」と思って、「狙いどころを絞り損なう」と、砂漠に水を注ぐがごとく「誰も買い手がいない」という悲惨な結末を迎えることになる。
 40代を過ぎた古株のオタクはいかにもインテリ然とした態度で宮崎駿作品を「あれはオタク心をそそられる作品ではない」とこき下ろす。しかし、毎日毎日『となりのトトロ』を繰り返し見て、部屋中をジブリグッズで埋め尽くすような子供をオタクでないとどうして言えようか(ここでは作品に対する分析批評ができるかどうかという質的な意味での「オタク」を述べているのではないので誤解なきよう)。当然、宮崎作品の収益は、全国津々浦々にまで拡散した「老若男女のオタクたち」によって支えられている。単純に「特定の趣味分野に時間や所得をかける」という特徴を挙げるのなら、既に日本人の殆どは「オタク化」しているのであり、そりゃ何10兆円だろうが市場が存在しているのは当たり前で、そんな分析には何の意味もないのだ。2600億とか数兆とか、こんなとんでもない数字は、それこそ200円のガチャポンを買い集めるガキンチョまで含めた数字だということを考慮に入れないといけない。
 だからオタクをあくまで「市場」として考えるのならば、作品の訴求力がどの世代、どの階層、男女のいずれに偏るものなのか、2600億とかそんなユメみたいな数字に惑わされずに分析し、どの程度の資本投資が可能なのか冷静に判断することが必要なのである。それしなきゃ、みんなトワーニの二の舞だ。
 ……まあ、だからこの手のニュースを見て、「オタクにも日の光が当たってきたんだ!」とか、「ボクももしかしてモテルようになるかも!」とか期待しているそこのキモオタのキミ、それはキミのことではないから勘違いするとかえって傷ついちゃうよ(^o^)。

2003年09月18日(木) めんどくさいのは私も好かんけど/『少女たちの「かわいい」天皇 サブカルチャー天皇論』(大塚英志)
2002年09月18日(水) 復讐するは誰にある?/映画『恐怖のワニ人間』/『Q.E.D. 証明終了』13巻(加藤元浩)
2001年09月18日(火) 声だけ美少女/『スタジアム 虹の事件簿』(青井夏海)ほか
2000年09月18日(月) ゴキブリと音痴娘と構造記憶と/『僕らは虚空に夜を視る』(上遠野浩平)ほか


2004年09月17日(金) 爆発120%!/『カミヤドリ』1巻

 書くだけでムカムカしてくるので、もう簡単に書くけれど、トンガリさんがまた難癖をつけてくる。昨日の会議で決まったこと、やっぱりよく分かってなくて、全然仕事に手を付けようとしてないばかりか、「昨日の会議の内容がよくわかんなかったから、まとめて書類にして出してくれ」と言うのである。出ても出なくても結局一緒かあんたは。
 「わかんないわかんないって、そりゃ仕事できないってことじゃないですか!」
 「あなたは私を無能呼ばわりするんですか! 大概にしてくださいよ!」
 「実際その通りじゃないですか! あなたがここにいたらそれだけで迷惑です!」
 「あなたも最近は元気だからそんなこと言うんでしょうけど去年までは病気で仕事もロクにできなかったじゃないですか!」
 ……ああ、この人、こないだまで私が入院してたことも知らないのである。もちろん自室に閉じこもって外に出てこないからそれも当然なのだが。
 なんかもう、どうしようもない応酬をしたあと私がどうしたかと言うと。
 ……資料作ってトンガリさんに渡したのである。だって仕事してもらうことが目的なんであって仕事やめさせようってわけじゃないんだから。
 ああ、でもハラワタが煮え繰り返ると言うか、血管ぶち切れると言うか、なんとも腹の虫が収まらない。いやホントにこのヒト自分からやめてくれた方がどれだけの人が胸をなでおろすことだろう。けれど心臓だけは毛が生えてる感じだもんなあやめろったってやめないよなあ。
 一連のやりとりを上司に報告したら、「藤原さんには悪いけど、笑っちゃうね。挨拶一つできない、礼儀も知らない、仕事もしてない人からしてないだろうって言われるのは。あの人の代わりに資料作ってあげてるのはどこの誰なんだろうね」と言って慰労されたのだが、心が慰められた気分には全然ならないのである。


 いやなことは二つも書きたくはないのだが、帰宅したら父から電話がかかってきた。
 いや、電話自体は私の病後を心配してかけてきたのだが、あとの話題がどうにも腹が立つ内容だったのである。
 父の幼馴染の友人で、私も子供のころからかわいがってもらっていたある方がいらっしゃるのだが、どうもしげのことを気に入らなく思っているらしい。どこでどういう話を仕入れてきたのか分からないのだが、しげの育ちが悪いだの何だのと父に告げて、「なんで別れさせないのか」とか談判したと言うのだ。
 思わず電話口で「はあ?」と言ってしまったが、父の親友と言っても私とは赤の他人である。何の義理があってそんな余計な口を叩くのかワケが分らない。しげとその人とは顔を合わせたことだってそう多くはない。まだしもしげの家事ほったらかしぶりをよく知ってる劇団の連中から言われるほうがリクツは通るというものだ。
 しかも我々夫婦を別れさせたい理由が「しげの育ちが悪いから」とはいったい何なのだ。ついそばにいたしげに「お前、育ちが悪かったのか?」と聞いてしまった(^_^;)。しげは笑って「よくはないぞ」と威張っていた(威張るなよ)。
 そもそも「育ちがいいか悪いか」なんてこと、客観的な線引きができるものでもない。「あんたは育ちがいいかね?」と聞かれて「いいよ」と答える人間は大馬鹿だろう。結局は「自分の方が格上である」という差別意識があるからこんな発言が平気で出るのである。時代錯誤も甚だしい。
 「でもどうしてわかったの?」としげは自分が蔑まれたことよりもそちらの方を不思議がっていたが、確かにそれが謎である。単に当てずっぽうでそんな中傷をしてるだけのような気もするが。
 当然父も怒ってその方とはかなりな口喧嘩になったそうなのだが、父はこれまでにもその方とは何度となくこの手の話題で口論を繰り返してきているのである。今後、その人の性格が改まることはまずあるまい。
 世の中には親切ごかしでこんなことを言う人がたまにいる。自分では「この人のために何かしてあげなければならない」「この人に意見ができるのは自分だけだ」と思いこんでいるのだろうが、そんなのはただの思いあがりで、実際は「そういう『親切な自分』を演じる」のが好きなだけなのである。自意識の塊のようなこういう人種にからまれると、全く鬱陶しくて仕方がないのだが、こういう手合いは天災のように忘れたころにやって来るので、関わり合いにならないでいることはなかなか難しい。私的な付き合いなら縁を切るだけですむのだが、仕事上でこんなのに関わった日には逃げることも叶わないからもう胃に穴が空くのも仕方がないのである。
 さらに悲しいのは、たまに私がそういう連中と同一視されることがあることである。私の言動を見たり、この日記の文などを読んでいれば、そういう「余計なお世話」の類が大嫌いだということが分かりそうなものなのだが。読解力がないというか、人を見る力に著しく欠けているというか、何か意見を言われただけで「干渉」だとか「強制」だとかヒステリックにがなりたてるのがそういった連中のパターンなのだが、これもそもそも自分自身が他人に意見を押しつけたいタイプだから、他人の意見が全て「干渉」にしか見えないのである。まず自分の姿を鏡で見ろってば(-_-;)。
 全く、世の中は自意識過剰と被害妄想の二種類の人間しかいないのだろうか。タメイキ。
 父は「どこでそんなウワサ聞きつけたか問い詰めてみようと思う」と言っていたが、「余計なことはしなくていいよ」と言っておく。ウワサが本人のところに届いている時点で、そのウワサはかなり広範囲に広まっていると判断して間違いはない。そんなもんのルーツをいちいち探るだけ労力のムダだし、知ったところで何がどうなるものでもない。人を蔑みたいやつは相手がどういう人間かということより蔑む行為自体を楽しみたいのである。具体的に商売上の不利益を被るとか、そういう被害がない限りは、ほっといたらいいのである。
 もっとも、そのお節介な父のお友達にはかなり本気で腹が立っているので、父はいざ知らず、私の方では今後お付き合いをすることはなかろうと思う。昔の恩義(といってもたいしたこっちゃない)と今の不快感を天秤にかけたら、やっぱ今の不快感の方が大きいのである。


 夕食は昨晩と同じで親子丼。しげは当然ドンブリめし山盛りを米ひと粒残さずに食い尽くす。4日分くらい買いこんでいた材料が二日で尽きてしまった。恐るべしビッグ・ストマック。明日のおかず、何もなくなったぞ。
 テレビで『ザ・ジャッジ 2時間スペシャル』を見る。
 叶姉妹のネタのところで「いくら姉妹でも許せないことがある」とかいうセリフがあったが、それ見て「おいおい、あんたら『叶姉妹』ってユニットで、ホントの姉妹じゃないだろう」と突っ込んだ人、多かったろうなあ。
 森光子が80歳にして白髪が全くないというのはちょっと信じられない話だが、あの舞台での活躍ぶりを見ていると、それもなんだか納得できてしまうのである。

 読んだマンガ、三部けい『カミヤドリ』1巻。
 感染症により怪物化した人間をハントするってのは基本的にゾンビものの変形であまり新味は感じられないけれど、絵柄とヴィヴィのキャラクターはなかなか好み。やっぱハードな設定の中でコミュニケーション不全の少女が人間らしい心を取り戻して……というパターンが好きなのだな。ただ、ヴィヴィはともかく、他のキャラまで表情の付け方が固いのは絵としてはやや読みにくい印象を受けた。


 早いとこ単行本になってくれないかと毎号楽しみにしている『言語』の斎藤美奈子さんのエッセイ、『斎藤美奈子のピンポンダッシュ』であるが、10月号の第22回、『信長か秀吉か家康か』と題して、小学校6年生の「社会」の授業の内容が紹介されている。
 それによると、いわゆる「ゆとり教育」の一環として、「もしなれるなら信長、秀吉、家康の誰になりたいですか」という問題があるという。斎藤さんの知人の息子さんは、その三人の誰にもなりたくなくて困ったとか(^o^)。
 ほかにも「なぜ頼朝は弟である義経を追いつめて殺したのか」「タイムマシンに乗って杉田玄白にインタビューするとしたら」とかいう問題もあって、かつての知育偏重を反省し、歴史をただ知識として覚えるのではなく、その「人間性」にまで迫ろう、というのが主旨であるようだ。斎藤さんはそれを「だれそれの気持ちになって考えるのがそんなに大切?」「『人間性』を主軸にしたら、必然的に『気性』を云々しなければならなくなる」と言って疑義を提しているのである。
 でもこの「三人のうち誰に」っての、私も小学校のころに先生から聞かれたことがあるな。やっぱり5年か6年のころで、今時の若い人はよく知らないかもしれないが、例の「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス(信長)」「鳴かぬなら鳴かしてみしょうホトトギス(秀吉)」「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス(家康)」の三つの俳句を引いて、「あなたならどのタイプになりたいですか?」という質問をされたのである。
 小学生も高学年となればチエも付いてくるし、先生が「どんな答えをほしがっているか」くらいは見当がつく。間違っても「信長」と答える子はいなくて、たいていは秀吉か家康タイプに分かれる。内心では「でも好きなのは真田幸村なんだけど」とは決して言わないのである(NHK人形劇『真田十勇士』なんかを見てたらそりゃ秀吉のファンにも家康のファンにもなりようがない)。けどそうやって「教師の気に入るように慮って」答えた解答にどんな「教育的成果」があるんかな、と疑問に思うのは斎藤さん一人ではあるまい(まあ媚の売り方は覚えるだろうがね)。だいたいそんな「俗説」のイメージを歴史の真実であるかのように語るというのは、それこそ「歴史の捏造」ではないのだろうか。それは私も小学生の時分から疑問に思ってはいたのだが、なんだかそのあたりの現代教育、どんどん妙な方向に歪んでいっているように見える。
 思うに現代の教育界、「ゆとり」どころか「あせって」いるのだ。犯罪の低年齢化が進むにつれて、学校は何をしているんだ、子供の心をちゃんと見ているのか、などなどと突き上げられる。何か事件が起きてしまえばいったい誰の責任なのか、校長か担任か親なのか、スケープゴート捜しに奔走し、誰かの一瞬の油断が責められババを引かされる。おかげで教育界はノイローゼ寸前、これではトチ狂った先生たちによって「なんだかなあ」と言いたくなるような授業方法が生み出されても仕方がない。ともかく求められるのは「即効性のクスリ」なのだから、副作用まで考慮する余裕はなくなっているのだ。いや、もしかすると即効性すらない気休めを与えられているに過ぎない場合もあるかもしれない。結局、彼ら教師たちは、子供の心に「思いやり」と「優しさ」を取り戻すことができれば犯罪を防止することができるという極めて短絡的でノーテンキな思考しかできなくなっているのである。
 別に「世の中が悪い」と言いたいわけではないが、犯罪の低年齢化は社会の必然である。共同体がとうの昔に解体し、高度な情報化社会と化している現代においては、人間もまた一つの情報にすぎず、「ワン・オブ・ゼム」としてしか機能しない。現代では本当に必要な人間など誰一人存在していないのである。にも関わらず、学校では先生対生徒、生徒間においてさえも一人一人が互いに必要としあっているような擬似関係をムリヤリ作らされている。目端の利いた生徒なら、その欺瞞を何年も続けさせられていればいい加減で嫌気がさすのは当然で、中には堪え性なくぶち切れるガキが出てくることもあり得ようというものである。そこに「思いやり」なんてキレイゴトを投げかけるのは火に油を注ぐようなものだ。別にこんなことは私一人が語ってることじゃなくて、これまで何万編も語り尽くされてることなのだが、そういうことが分かっていてもなお「生きる力」云々のキレイゴトを語り続けなければならないところに現代教育の一番の病根があるんだろう。
 でもみんなどうして「今の教育はダメだ」とか「おかしい」とか言いながら子供を学校にやるかね。行き先を見失ってるバスと知ってて乗っかる乗客も所詮はバカだと思うけど。「だって他に交通手段がないじゃないか」と言うのなら、そもそも今の教育界を安易に批判する資格はあるまい。
 それに、“本当に”学校に通わせること以外に教育方法の選択肢がないのかどうか、世の親がどれだけ考えたというのだろう。いったい今の学校の授業の中で、社会に出たときに真に役に立つ勉強がどれだけあるというのか、子供にキチンと説明している親がいるのだろうか? 小学生の親はただ託児所がわりに子供を学校に追いやり、中高生の親は自分の見栄のために通わせているだけではないのか? そこが生徒間のいじめや暴力、教師の手前勝手な思想の押しつけ、あるいは下らぬ校則での管理など、社会の理不尽な現実のミニチュアであることを知った上で子供を送り込んでいるのだろうか? もし「それこそが社会勉強だ」と主張するのなら、もう私には何も言うことはないけれども。
 映画『誰も知らない』で、YOUが演じていた母親が「学校なんか行かなくてもえらくなった人はいっぱいいる」と言い放つシーンがある。アレを見て「なんて無責任な母親なんだ」と憤る人はいるだろうが、実は一昔前の親というものはどこでも同じセリフを吐いていたのである。だって本当に「学校に通わせるだけ時間のムダ」と思っていた親が多かったから。現代だって、「学校以外の選択肢」を選ばせた方がいい子供は本当は何万人、何十万人という単位でいると思う。


 レイモンド・ベンスンによるOO7・ジェームズ・ボンドシリーズの最新小説『赤い刺青の男』は、ご存知の方も多かろうが“あの”『OO7は二度死ぬ』の「直接の」続編で、日本を舞台にしている。
 このほど映画化とロケ誘致の実現を目指す署名活動が、北海道登別市で始まったそうな(同じく小説に登場する香川県でも既に署名活動を開始)。
 けれどもここんとこOO7シリーズの映画は殆ど映画オリジナルとして作られており、原作は存在していない。巷に流れている小説版はあくまでノベライズなのである。
 ジョン・ガードナー、ベンスンと、イアン・フレミングの衣鉢を継ぐ形で書かれてきた小説オリジナルシリーズは、これまでただの一本も映画化されたことはなかった。フレミングの原作があったころにはたとえ原作をかなり逸脱した内容であろうと原作のネームバリューは無視できず、タイトルはあくまで原作を踏襲してはいたのだが(第15作『リビング・デイライツ』まで)、映画製作会社であるイオン・プロダクションとしては「別にガードナーやベンスンの小説をムリに映画化しなくても、映画オリジナルの方が、客が集まるし」といった判断でもあるのだろう。スペクター再登場の話などもあって、決してつまらなくはないのだが。
 だから、北海道や香川県がいくら署名運動を展開したところで、映画化はかなり難しいと思うのだが、『赤い刺青の男』をお読みの方はご承知の通り、あれにはなんと『二度死ぬ』のタイガー田中が再登場しているのである。タイガーと言えばもうこれは丹波哲郎以外の役者は考えられないので、もしも映画化されるのなら、丹波さんには失礼ながら、時間的な余裕はそんなにないと思うのである(^_^;)。OO7シリーズでボンド以外のゲストキャラが同一同俳優で再登場した例はリチャード・キールのジョーズなど、数えるほどしか例がない。それを考えると、これは確かに映画化してもらえんものかという気はしてくる。
 ピアース・ブロスナンのOO7降板は決定して、次作のボンドはどうやら『エバー・アフター』『ミッション・インポッシブル2』のダグレー・スコットになるらしいが、もしも『赤い刺青の男』が映像化されるとすれば、“若返ったボンド”(スコットは来年40歳)と、トシを取ったタイガー(丹波さんは現在82歳)との共演になるわけで、いくら「ボンドはトシを取らない」ことが暗黙の了解だからと言っても、どうしたって「同一人物の再会」と言い張るにはムリがあるのである。やっぱり映画化はムリですかねえ。
 豆知識だけれど、丹波さん、『二度死ぬ』の中では「グッモーニン、ミスター・ボンド」と発音もアクセントも実に見事な英語を披露している。丹波さんのプロフィールを覗いてみると「戦後GHQの通訳をしていた」というこりゃまたビックリな経歴も記載されているので、丹波さんの英語はホンモノだ、と思っている人も多いと思うのである。けれどこれ、真っ赤なウソで、ご本人が「全く喋れない」ことを『笑っていいとも』にゲスト出演したときに告白しているのだね。
 それで通訳なんかできたんか、とビックリされるだろうけれど、まあ戦後すぐのことだからいくらでも嘘八百がまかり通った時代だったというか、そこにいただけで何も仕事しなくてもしたフリするくらいの演技力は丹波さんにとってはおちゃのこさいさいだったというか(^_^;)。ともかく『二度死ぬ』の英語はあれ、外人さんの吹替えで丹波さんの生声じゃないんである。ちょっと聞いただけだと丹波さんの声に似てるんでウッカリダマされちゃうんだけれども(私も昔は本人の声だと思いこんでました)。

2003年09月17日(水) そう言や久しぶりのカラオケだったな/『雑多なアルファベット』(エドワード・ゴーリー)
2002年09月17日(火) 放生会の掘り出し物/『博多の心』(朝日新聞福岡総局)/『魁!! クロマティ高校』5巻(野中英次)
2001年09月17日(月) 祝日には旗を。私は出さんが/『クラダルマ』1・2巻(柴田昌弘)ほか
2000年09月17日(日) クウガと絶叫としゃぶしゃぶと/『少年探偵虹北恭助の冒険』(はやみねかおる)ほか


2004年09月16日(木) 小田部通麿氏ご逝去/あさりよしとお『まんがサイエンス�宗�

 やりたくないけどやらなきゃなんないトンガリさんを囲んでの会議。
 もともと今日は会議の予定はなかったのだが、当初予定していた会議の日と、トンガリさんの出張が重なったので、ほかのメンバーの方々との時間の調整等、四苦八苦してようやく今日の時間が設定できたのである。
 でもやっぱりトンガリさん、予定の時間に遅刻してくる。いや、ほかにも遅刻してきた方はいらっしゃるのだが、「みなさんが遅刻されるので私も遅刻していいと思いました」と、こう言い訳する。なんだよ、その言い草。
 今回に限ったことではないが、この人はいつも「○○さんがこれこれこうだから私もズルしていいと思いました」と言い訳して自己正当化を図ろうとする。なんか小学生の「だって○○君もイタズラしてたんだもん。ボクだけじゃないもん」と同レベルであるが、もちろん「そんなの言い訳にもなりませんよ」と言っても、「ああ、そうですか」と言ってプイと横を向かれるだけなのだ。
 当然、列席のみなさん、ムッとされているのだが、もう「この人には何を言ってもムダ」と諦めきっているので、ただ沈鬱な空気が漂うばかりである。
 けれども会議の進行役は私なので、内容によってはトンガリさんにネタを振るしかない場合もある。でまあ、懸案のちょっとおかしなお金の流れについて質問をしたのだが、「そこはこれこれこのように処理をしております」と、平然と言う。処理していないことはこちらの調べでハッキリしているので聞いたのだが、よくもいけしゃあしゃあとウソをつけたものだ。でもこれがウソではなくて自分では本当に仕事をしたように思いこんでいる可能性もあるから始末に悪い。
 「処理なんかしてないですよ。こちらでちゃんと調べてますから」
 「そんなはずはありません、そちらの勘違いじゃないんですか?」
 「現実に未処理のままです。処理をしたのなら、どこにそれが記録されてますか?」
 そんなに強い口調で問い詰めはしなかったのだが、トンガリさん、突然席を立つと、無言でバタバタと部屋を出て行ってしまった。残された私たちは呆気に取られた。またヒステリーを起こしてどこぞに雲隠れしたのか? と溜め息をついて、仕方なく残りの議題について話を進めることにした。
 ややあって、なぜか涼しい顔で戻ってきたトンガリさん、屈託もなく「ああ、私の勘違いでした。未処理のままでした」と言って、全くナニゴトもなかったかのように椅子に座った。いや、「勘違いしてました」ってそれだけか。「すみませんでした」の一言もなしか。
 列席のみなさんも、憮然とした顔で押し黙っているが、この空気の重さにも気がつかんのかアンタは。
 「……じゃあ、これから処理していただけるんですね」と声をかけたが、トンガリさん、無言のままである。やる気あるのかないのか。はらわたが煮え繰り返りそうになるが、なんとか抑える。でも抑えると胃に悪いのかなあ。かと言ってここで怒鳴ったってやっぱり胃に悪そうなんだよなあ。だからどうすりゃいいのよ。
 会議が終わったあとで上司が「今日のトンガリさんはちゃんと出席したしわりと協力的だったね」とニコニコ笑いながら言っていたが、あっちこっちから圧力かけてムリヤリ出席させただけじゃん。トンガリさんのナカミはまるで変わってないのである。これからだってどうせまたミスをやらかして、それを誰かの責任に転嫁して、自分はのほほんとしてるに決まっているのである。そう予測がつくだけに、今からもう胃がキリキリと……。
 ああもう、これ以上は何も書きたくない。


 夕食は昨日買ってきた材料で親子丼。
 鶏の胸肉、千切りキャベツにエノキ茸、卵は二つ、片方は黄身のみで味を濃くして、つゆは焼肉のタレにマヨネーズを混ぜてお湯割り。これでつゆだくの親子丼のできあがり。3人分作って、しげには二人分をどんぶりに山盛り割り当てたのだが、これをやっぱりペロリと平らげた。で、最後に言ったセリフが「おかわりないと?」
 ……ないよ(~_~;)。

 帰宅はちょうど6時。WOWOWの『青銅の魔人』放送にギリギリ間に合う。
  前編の『怪人二十面相』の方は昔見たことあったんだけど、今回のこの続編は初見。
 魔人の中に二十面相が入ってるにしろ(ネタバレだけどこのトリックがわからんやつなんてまずいないから書いたって構うまい)、その能力は殆どロボットだからこれはもうSFっていうしかないんじゃないかね。もちろんこの場合、誉め言葉としては使ってない。何がイヤって、明智小五郎がなにやら分けの分からん液体の瓶を取り出して、魔人に向かって「これをかけると機械の継ぎ目から入ってお前のからだを溶かしてしまうぞ!」とすごむところ。で、実際にかけてるし。明智がそんな芸のない脅しをするかい。……いやまあ、低予算の添えもの映画に文句つけたってしょうがないんだけどね。

 マンガ、あさりよしとお『まんがサイエンス�宗戞�
 もう9巻。連載は10年越えてると思うんだけれど、これだけ続いてネタギレしないというのもまさに世に科学のタネは尽きまじ。と言いながら巻末付録の専門家一覧見ると、ドクター脳とかミスター脳とか似たようなキャラがしょっちゅう出てきてるけど。学年誌連載だからこの程度のダブリは仕方ないか。ウンコの話なんかは「学校でウンコをしよう」運動があってたころの話なのかな? 胃弱になっちゃった身としては実にタメになります。


 俳優の小田部通麿氏が、8月29日、再生不良性貧血のために死去していたことが判明。享年77。
 「おたべ・みちまろ」と聞いて、はて、どんな俳優さんだったかとパッと思い出せない方もおられるだろうが、特撮オタクにとっては、いや、悪役俳優ファンにとっては忘れようったって忘れられない方である。たとえ名前は知らなくても、そのいかにも悪役然とした目つきに獅子鼻の異相、あれは一度見たら決して忘れられるものではない。出演したドラマは思い出せなくても、あの時代劇この時代劇と、脇役で散々ヤクザとかをされていたから、40代以上の人間なら、小田部さんを見たことがない人はまずいないだろう。写真を見れば、「ああ、この人!」と言ってきっとポンと手を叩くに違いないくらい印象深い方なのである。あのご面相で本職はお寺のご住職だったのだから、まさに鬼神も三舎を避けるといった雰囲気だったのではなかろうか。
 私にとって小田部さんと言えば、何と言っても往年の特撮時代劇ドラマ『仮面の忍者赤影』第2部「卍党編」で演じた不知火天馬役が極め付けである。
 いきなり「ファイヤー!」と叫んで火炎攻撃、火柱と爆発で赤影を散々苦しめたあのド迫力! 時代劇なのに英語? という文句は『赤影』に関しては付けてはいけないのである。
 東映時代劇の役者さんにはこういう豪快な悪役さんが多かったが、小田部さんはその中でも特に郡を抜いた迫力であった(『赤影』には第3部「根来編」にも魔風刑部役で続けて登場)。
 『燃えよ剣』では珍しく善人役で最後まで土方歳三に付いていく壬生の伝蔵役を演じておられたが、やはりその本領は悪役にあったと思う。『赤影』の悪役さんはもうかなりの方が物故されてしまっているが、もともと甲賀幻妖斎の天津敏さんを初め、阿波地大輔、汐路章、二見忠男といった諸氏も小田部さんも、みな大部屋出身で脇役専門、日の当たる主役を演じる機会はないに等しかった。それでいて自らの立場を卑下することもなく、かえってその強烈な個性を持って役を全うし、時には主役をも食うほどの存在感を見せておられたのだ。今、若手でそんな役者がどれだけいるというのだろう。寂しい。

2003年09月16日(火) 狂熱の一夜/映画『南の島に雪が降る』/『C級さらりーまん講座 付和雷同編』(山科けいすけ)
2001年09月16日(日) オタクの輪ッ!……古い(^_^;)/『(週)少年アカツカ/おまわりさんを追いかけろ!号』(赤塚不二夫)ほか
2000年09月16日(土) 電波とスケルトンと二人乗りと/アニメ『バットマン マスク・オブ・ファンタズム』


2004年09月15日(水) みんなゴミの山に踏みこむ覚悟はあるのか/『武装錬金』4巻

 早朝出勤が続いてるせいで、やや寝不足の毎日。
 職場でウトウトすることも少し多くなってきたけれど、これは糖尿の薬のせいもあるようである。何にせよ、居眠りしていたのでは仕事は捗らないので、頑張って目を開けていようとするのだが、そうするとアタマが重くなってきて、仕事にならない。
 どうすりゃいいのか、と悩んでいたら、鼻水がズズズと垂れてきた。なんだ、アタマが重かったのはカゼのせいか。
 先週からこっち、しげが鼻水をズルズルさせていたので、それが移ったものらしい。病み上がりで体力ないところに持ってきて、風邪まで引いたのではまた寝こんでしまうことになりかねない。定時に退出して、近所の内科に行くことにする。

 迎えに来たしげに「おまえの風邪が移ったぞ」と言ったら、「オレもアンタから移されたんやけん。おあいこやん」と言い返される。
 「同じ風邪が移るか。オレはお前が風邪になる前は胃痛で入院してたんで、風邪じゃないの!」
 私がなぜ入院したのかも、もう忘れているのだ。いったい誰のせいでストレス溜まったと思ってるのか。胃に、胃に、穴まで開いたのだぞ。記憶力のあるないを云々するどころの話じゃない、しげのやろうはひとでなしの糞ったれである。
 ふと、気になって、「お前、今日『そして誰もいなくなった』の先行予約の日だけど、頼んでおいたの、忘れてないだろうな?」と聞いてみた。
 しげはケロリとした顔でこう言った。
 「ネット予約だから今日中にやらなくてもいいんだよ」
 ああ、やっぱりしげは大馬鹿だ。
 「『ピクニック』からハガキで案内が来たんだから、ネット予約とは関係ないよ! 電話で予約しなきゃならないんだよ!」
 モノ忘れだけならまだしも、記憶まで勝手に捏造して頼まれごともサボっていたのだ。チケット取れなかったらどうしてくれる。ああ、また胃痛がぶり返して来そうだ。
 
 診療時間終了間際に滑り込むように診察をしてもらう。熱は7度。これからどうやら熱が上がり始めそうな気配なので、風邪薬のほかに解熱剤も頂く。
 具合は悪かったが、食料が尽きかけていたので、「レッドキャベツ」に回る。水のボトルをぶら下げるだけでダルくなるが、水ももうないので、イヤでも汲んで帰らなきゃならない。しげはこの間作ってやった親子丼が美味かったらしく、「親子丼親子丼」と連呼しているが、普通、私の方が具合が悪いってのに、看病する気もなく、メシまで作らせようというのは人として……。
 そうなんだよ、ヒトじゃないんだよしげは(T.T)。
 料理を作る元気はないので、ほか弁によってハンバーグなどおかずのみを買って帰る。一応、今日がしげの本当の誕生日なのでイチゴのショートケーキをデザートに。


 しげ、今度の日曜日にP.P.P.のメンバーで集まってパーティを開くとか言っている。9月生まれの人間が多いので、誕生会だということなのだが、会場を何とウチにするという。
 「パーティって、いったい何人来るんだよ」
 「うーん、5、6人?」
 居間はビデオと本の山でとっちらかったまま、横になって寝る空間すらないというのに、そんな人数が入るわけがないのである。それなのに、しげは少しも片付けようとする気配がない。というかそれ以前に、ウチがそういう状態だということはP.P.P.のみんなも知ってるはずなのに、なんでウチで開くことに賛同したのか。意地悪かイヤガラセか。
 私に怒鳴られて、しげは渋々部屋を片付け始めたが、果たして明々後日までにこの腐海と化した部屋が片付くかどうか、どうにも心許ないのである。


 昨日に引き続き、『コナン・ドイルの事件簿/死者の声』。
 本物のドイルは死ぬまで霊魂の存在を信じていたけど、その辺史実とちょっと変えられてるのは仕方がないところか。
 マンガ、和月伸宏『武装錬金』4巻。
 敵方の生徒会長コンビ、『るろうに剣心』でもやってた「姉と弟」パターンで新味がない。さらに言えば、『るろうに』のころと比べると、和月さんの線がかなり「固く」「直線的に」なっているので、キャラクターの深みまでなくなってしまっている。普通マンガ家さんは画力も作劇力も上達して行くものだけれど、この人の場合、どんどんヘタになってるのがフシギだ。ギャグもワザとらしくなりすぎて白けるし、自己弁護の解説がまた鬱陶しくてねえ。

 熱は収まったが薬のせいか急激な睡魔に襲われる。
 ホームページのプロフィールの部分を更新していたら、ふと意識が消えた。こりゃ危ないと思ったので、日記も書かないまま就寝。
いちいちホームページのトップに飛ばなくてもプロフィールが覗けるようになりましたので、おヒマなお客さまはどうぞご笑覧下さい。



 NHKが、来年3月末から放送する朝の連続テレビ小説『ファイト』のヒロインに『スウィングガールズ』で一番“萌え”要素が高かっただろうと思われる眼鏡ッ娘(^o^)を演じていた本仮屋ユイカちゃんを抜擢。平成生まれのヒロインはこれが初めてだそうな。
 うーん、各キャラクターの描き分けがはっきりしていた「スウィングガールズ」だからこそあの眼鏡ッ娘は目立ってたのだけれど、単体だと地味過ぎやしないかなあ。かわいいことはかわいいんだけど、すごく平均的な顔してて、ポートレイトをしげしげと見ても次見た時には忘れてるんじゃないかって印象なんだけど。もっともアクがない方が朝ドラ好きの奥様方には受けやすいかもしれない。
 でもどうせ勤務時間の関係で、私は殆ど見られないんだよ。……ああ、いかん、映画自体はイマイチと思いながら、出演者の女の子たちにはしっかりハマッてしまっているぞ(^_^;)。

2003年09月15日(月) 西手新九郎は「心の遊び」に留めておこうね/『アレクサンドロス 〜世界帝国への夢〜』(安彦良和)
2001年09月15日(土) オタクなばーすでぃ/映画?『スペースカッタ2001』in「山口きらら博」ほか
2000年09月15日(金) ネパールとサウスパークとおだてブタと/『ブタもおだてりゃ木にのぼる』(笹川ひろし)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)