無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年09月19日(木) 騒ぎどころが違うぜ/『仮面ライダー龍騎 13RYDERS』/映画『恐怖の火星探検』/『ロケットマン』3巻(加藤元浩)

 18日付の唐沢俊一さんの『裏モノ日記』のタイトル、「2020年の朝鮮」は笑えました。
 今更唐沢さんは何の注釈もつけはしないけれど、もちろんこれは『ウルトラQ』、ケムール人登場の名エピソード『2020年の挑戦』のモジリですね。確かにアレも拉致の話でした(^^)。
 ……わあ、もう18年後じゃねえか。

 唐沢さんご自身はできるだけタイトルは無意味にされたい御意向のようだが、たまにこういう「意味」のあるネタをサラリとされてしまう。
 で、その「意味ありげ」なほうを面白いと感じてしまうのは、私がやはり「感覚」よりも「リクツ」でギャグを解するタイプだからなのだろうな、と思う。
 感覚的な人間は、時にとんでもなく面白いギャグを生み出すことがあるが、自分の中でそのメカニズムを整理できないために、一発屋で終わってしまう傾向がある。流行語をはやらせ、ブームを起こした芸人やマンガ家にこのタイプは多い。一般人でも、学生のころはやたら面白いギャグを連発して楽しかったヤツなのに、年取って同窓会で会ってみると、何かただの下卑た親父になってる友人がいたとかいう経験、みなさんにはないかな。
 リクツでギャグを考える人間というのは、実はそんなに面白いギャグは作れない。ここをこうしてこう作ってこうイジれば笑いが取れるな、というのはわかるのだけれど、もう一つ、突き抜けたものが作れないのだ。ナンセンスにしようとすればするほど、どこか「作りもの」めいた雰囲気が漂い、笑いを押し殺してしまう。とり・みきの『遠くへ行きたい』なんかその最たる例であって、一見意味不明に見えながら、実は作者の意図が何なのかがウスウス感じられるために、ニヤリとウス笑いを浮かべることはできても、ワッハッハと腹を抱えて笑えはしない。
 ダジャレ、というのは、短歌における掛詞が元になっているように、実は極めて技巧的でリクツに基づいたものだ。だから本来、「笑い」を取る手段としては理に勝ちすぎている面があり、そんなに笑えるものではない。全くかけ離れた二つのものを結びつける意外性、とは言っても、もとは周知の同音異義語なのだから、そんなに突拍子のない意外なシャレを提示してみせることは至難のワザなのである。博多にわかのオチはほとんどシャレだが、爺さん婆さんはともかく、若者で大笑いできるヤツがいたら、そいつはとんでもなく奇特な人間だと思う。
 「挑戦」と「朝鮮」のシャレも誰もが思いつくであろう。
 と言うか、「朝鮮の挑戦」というシャレを思い浮かべたことのない人間などまずいないと思う。少なくともみなもと太郎は思い浮かべたことがあると思うが、マンガの中にはさすがに使えなかったんじゃなかろうか。唐沢さんのギャグも実は「突き抜けて」はいないのだが、今やメジャーであったはずの『ウルトラQ』もすっかりオタクなネタにしかならなくなってしまった。忘れたころに時事ネタと絡めて、似ても似つかぬケムール人と金正日の顔をダブらせ、蘇えらせたところに、このシャレの「意外性」は生まれているのだが、でもやっぱり一般の人には「どこが面白いの?」ということになっちゃうのだろうなあ。

 ダジャレ一つに何を「考察」してるんだか(^_^;)。
 でも、相変わらず社民党をからかってたり、唐沢さんの日記とネタがかぶっちゃうことが多い。自分だけが物事を裏ヨミしてるわけじゃないのだな、と思ってホッとすることはするのだけれど、読者のみなさんの中で、私のことを唐沢さんシンパだと思ってる人はいないだろうか。
 まあ、ファンであることは間違いないのだけれど、単に発想が似ることが多いってだけで、マネしてるわけじゃありません。更新が遅れると、どうしても後追いで同じようなこと書くことが多くなるんで、いい加減、トバして更新し始めたんだけど、先に書いてもやっぱり似る(^_^;)。これも西手新九郎のシワザか。

 拉致事件の続報、前日とうって変わって朝刊での扱いが随分小さくなっていたので、マスコミも早いとここういう扱いに困る事件は忘れたいのかなあ、と思っていたら、夕刊でまたデカデカと「外務省、死亡日隠す」の大見だし。
 なんだかまた外務省がどえらいミスをやらかしたのかと思って記事をよく読んでみたら、八人の被害者の死亡年月日を非公式に伝えられていたのを、北朝鮮から受け取った正式なリストでは記載がなかったために、発表を見合わせた、というだけのもの。
 なんだかなあ、外務省に不手際がないとは言わないが(記載を求めりゃいいだけの話である)、「重大な情報隠し」というのはどんなもんだか。非公式な情報を垂れ流して、その期日にミスがあったら、また「外務省の勇み足」って糾弾すつもりだろうが。どっちに転んだって、外務省を責められちゃうのである。これがダブルスタンダードってやつだね。
 だいたいこれ、北朝鮮側のミスじゃないのかよ。
 国交正常化が進む中、余計なことで北朝鮮を責めても損、って判断が既にマスコミの中に生まれて来てはいないかね。「日本はなぜもっと強く抗議しないんだ」って、日本の弱腰外交は相変わらず責めてるけどよ、直接北朝鮮を責める言質は巧妙に避けてるんだよなあ。北朝鮮に対して弱腰になってるのはマスコミの方じゃないか。
 そんなことしてるから、間接的に在日朝鮮人に対する差別や迫害を影で横行させることになるんである。

 在日三世のプロボクシング世界王者、徳山昌守選手のホームページの掲示板が、「北へ帰れ」などイヤガラセの書きこみがあったために閉鎖されたそうである。何が腹が立つってよ、まるで荒らしの加害者が『ウルトラセブン』のファンであるかのような偽装を行うとは、なんたることか(怒ってるのってそっちかい)。
 いや、もちろんそれは冗談なのだけれども、北朝鮮に対する感情に溺れるのではない理性的な批判は、マスコミはやっぱり堂々とやってかなきゃならんのじゃないか。それに便乗して差別的な言質を振りまく輩が出てきたら、どうするんだ、という批判もあろうが、そこが逆転の発想ってやつである。調子に乗って公然と差別的な態度を露にしたら、それこそ思うツボ、表舞台でそいつらを堂々と糾弾できるのだ。今こそ、これまで影に隠れてコソコソと女子学生のチマ・チョゴリを切り裂いてたようなクソ野郎どもを燻し出すチャンスではないのか。
 ……でもそんな自分の首を絞めるようなキャンペーン、マスコミが張るわけないよな。なんたって、これまでそういった差別を黙認して来たのがマスコミだったんだからさ。
 マスコミはまた外務省をスケープゴートにして、自らの差別的体質、「臭いものにフタ」する行為から世間の目を逸らそうとしている。みんな、騙されてるんじゃないよ。


 仕事帰りの車の中、しげが突然「ねえ、アンタ結婚したい人いる?」と聞いてくる。
 こういう意味不明な質問は日常茶飯事なんで、マトモに返事するのも億劫なのだが、怒るのも大人げない。
 「どういう意味だよ?」
 と問い返す。
 「そのまんまの意味だよ」
 全然説明になってない。言葉足らずなのはいつものことなんだが、きちんとした対応ができないのに開きなおってるのはナマイキなので、あえて「そのまんま」に受け取ってやる。
 「……つまり、おまえと別れて結婚したいヤツはいるか? って聞きたいんだな?」
 しげ、慌ててカラダでイヤイヤする(運転中にアホなことしてんじゃないよ)。
 「ちがうと! そういうときはオレの名前を言えばいいと!」
 「……もう結婚してるじゃん」
 「なんどしてもいいと!」
 四十も目前だってのに、私はこういう会話をまだ続けてかなきゃならないんだろうか。

 晩飯は、またもや「めしや丼」で夕食。しげも飽きないねえ。
 新発売の野菜炒め定食ってのがあったので、それを注文。給料日前なので今日はしげのオゴリである。
 ここの店、どうしてイマイチに感じてたかっていうと、どの料理も妙に甘ったるかったせいだが、これはごく普通で悪くない。コロッケと冷奴も付いて、栄養バランスも悪くなさそうである。
 これならしょっちゅう来ても不満はないな。しげよ喜べ。

 一昨日の放生会の話をしていて、ふいに「ナシもカキも放生会」と口にしたら、「何それ?」と聞き返される。
 「何それ」と言われても、たいして何か意味のある言葉ではない。
 「……まあ、『猫も杓子』もってとこかな」
 「どういうこと?」
 「『ちゃっちゃくちゃら』ってことだよ」
 「はあ?」
 「だから『わやくちゃ』って言うか、『なんでんかんでん』って言うか、……ええい、普通に使ってる博多弁をいちいち解説なんかできるか!」
 「……アンタ、オレの夫なんだから、説明する義務があるとよ?」
 「ねえよ!」
 でも、確かに、「ナシもカキも放生会」って、どういう意味か説明しろと言われたら適切な言葉が出て来ない。やたらごった返してるようだけれど、どこか整然としてる面もあると言うか、肯定的なニュアンスも否定的なニュアンスもどっちも含んでるような言葉だと思う。うまい共通語を思いついた人、いませんか。


 7時から『仮面ライダー龍騎スペシャル 13RYDERS』。
 「もう一つの『龍騎』」というナレーション通り、本編シリーズとはドラマとしてのつながりはなく、一話完結のリメイクといった趣き。
 アレだね、一時期テレビアニメの映画版で流行った、「劇場版完全新作!」みたいなもんか。アイデアとしては悪くはない。日曜の朝も早から起き出して、子供をダシにして、年がいもなくテレビの中のヒーローに目を輝かせてかじりつくような野原みさえのような主婦ならばともかく、普通のオトナはこれが『龍騎』の初見ってこともあるだろうからね。
 こういうのは本編シリーズとの微妙な違いを確認して行くのが楽しいんだろうけれど、最近はほとんどマジメに見てないからなあ。それにしても1時間スペシャルとは言え、ドラマを展開させるにはやはりなんとしても短すぎる。13人のライダーをムリヤリ詰め込んだものだから、後半はみんないきなり現れて乱闘になるし。仮面ライダーファムの加藤夏希なんか、「あなたたち、それでもライダーなの!?」のセリフ以外は「ヤア!」とか「オウ!」なんて気合いしかなかったぞ(^_^;)。そのクセやっぱり無駄なギャグシーンはありやがるし。
 実際、画面のウスさがやたら目立つのがどうにも気になる。
 役者のヘタさも原因だし(黒田アーサー、最年長者なのにアレは何なんだ)、ありきたり過ぎるセリフもどうにかならんかだが、基本的に演出がドラマに厚みを持たせる手段をまるで知らんのだ。カメラが全くと言っていいほど芝居をしていない。素人が撮った方がよっぽど躍動感が生まれるんじゃないかってほどに平凡なのである。
 それが端的に現れてるのが、視聴者に電話させて、「戦う」「戦わない」の二つの結末のどちらかを選ばせるってインタラクティブな趣向。以前、WOWOWとかで一時期流行ったけど、どっちを選んでもたいして面白くないってことがわかってすぐに廃れた。それを今更またやってんだものなあ。
 結果は以下の通り。
 戦いをつづける : 319583 票
 戦いをとめる : 229564 票
 感心するなあ、みんなよく投票したよ(私も昔こんなのに参加したことあるから人のことは言えないんだが)。
 まあねー、平和主義のライダーなんて、あまり見たかないってのはわかっちゃいるけど、みんな、期待大きすぎないかねえ。こんな単発のドラマで、しかも時間も予算もないってことが解りきってるのに、「戦いのカタストロフ」なんて描けるわけないじゃん。案の定、「戦う」が選ばれたにもかかわらず、結末は戦う寸前で終わりで尻切れトンボ。こういうのが『明日に向かって撃て!』の稚拙な模倣と言うんである。
 ドラマを舐めんじゃねーぞ(`‐´≠)凸。
 ……それとさあ、もういい加減で『羊たちの沈黙』まんまマネるのやめようよ(-_-;)。
 まあ、あんまり貶してもなんなんで、ちょっとだけ面白かったところを。
 城戸真司が秋山蓮からカードを受け取って、龍騎じゃなくてナイトに変身するアイデアはシメとして悪くはない。ライダーには別に「ご指名」はないわけね(^o^)。っつーことは、城戸がファムのカードで変身したら、ナイスバディになるのか。そういうギャグ編、番外で作ってみたらどうか。


 WOWOWで映画『恐怖の火星探検(It! The Terror From Beyond Space)』(1958・米)。
 ああ、これ、エロの冒険者さんが以前、「『エイリアン』のもとネタ」と紹介してたやつだな、と見終わってから気づいた(^_^;)。もとネタどころか、ほとんどマンマやん。こういうパクリは許してるのか、あっちでは。
 もちろん、映画としての見せ方はレベルが格段に違うのだけれど、初めからB級と思って見れば、これはこれでモノクロの宇宙は意外に深淵なムードだったりして、悪くはないよ。『キャプテンウルトラ』も宇宙を青いスクリーンにしたりしないで、モノクロで撮りゃよかったかもって思ったし(ウソウソ)。
 筋はエロさんとこのサイトを見てもらえりゃいいんで(っつーか『エイリアン』知ってりゃそれで充分かも)、ところどころの印象だけ。
 何と言っても、トホホなのは怪物のデザインなんだけれど、なんつーか、西洋甲冑かぶったその上にゴリラのマスクかぶせたような……って、もしかしたらホントにそうなんじゃないか(^_^;)。なんで向こうの怪物は昔から今に至るまでとことんダサイんだ。でも日本にも「ブラックホール第3惑星人」ってのがあるからなあ(-_-;)。
 怪物(せめて名前付けてやれってば。「It」じゃアンマリだ)を演じているのは、元B級西部劇スタ−のレイ・コリガンという人らしい。なんとあの『超人対火星人』(最初の『フラッシュ・ゴードン』ですな)でも似たようなエイリアンを演じているとか。零落しつつも名声を勝ち得たベラ・ルゴシやロン・チャニィなんかと比較しちゃ悪いかも知れないけれど、演技に怪物としての華がない。こんな役ばかりやってたら忘れられちゃうのも仕方ないよなあ。
 ラストはやっぱりハッチから宇宙空間にすっ飛ばされそうになって死ぬんだけれど、怪物さん、カラダがでかくて途中で詰まっちゃうのが哀れでした。酸素が宇宙空間に放出されてるはずなのに、大扇風機で紙吹雪起こしてるようにしか見えないのはご愛嬌(^^)。


 マンガ、加藤元浩『ロケットマン』3巻(講談社/KCGM・410円)。
 失われた水無葉の記憶、結構引くんじゃないかと思ってたけど、3巻目にしてもう蘇える。いささか早い印象はあるけれど、このマンガは「R」の遺志(さて、ホントに死んだのかどうか)を継いで、葉がロケットを完成させる話の方にメインが置かれるのだろうから、伏線をそのままほっといて、ストーリーが複雑になりすぎるのを避けたんだろう。ここまでが長い前フリだったってわけだ。
 もちろんまだまだ残された謎は多くて、果たして葉の母親が生きて何をしているのか、とか、アイエネスは葉を「組織」の中でどう利用していくのか、とか、結構ハードな展開がこれから待ちうけてるような予感はあるのだが、全てはまだベールに包まれている。
 この「組織」が「冷戦終結後に再編成されたスパイ組織」であるという設定は決して荒唐無稽なものではない。というか、これって、白土三平の『忍者武芸帳』なんだよね。スパイたちの「能力」を、それが不必要とされて行く時代の中で、いかにして活用させ、彼らを救っていくか。つまり影丸がアイエネスお姉さまなわけで(^o^)。畢竟、彼らは「自分たちが生きられる」社会を作ろうと画策する。これはもちろん、世界の運命そのものを一変させかねない。
 これだけのスケールの物語を、どう収集させて行くのか、これもまた注目のシリーズなんである。

2001年09月19日(水) ヤンキーたちの好きな戦争/『日露戦争物語』1巻(江川達也)/『探偵学園Q』1巻(さとうふみや)
2000年09月19日(火) 塩浦さん、今度はご夫妻で遊びに来てね



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藤原敬之(ふじわら・けいし)