無責任賛歌
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| 2004年07月16日(金) |
トンガリさん、絶体絶命……でもなかった(ーー;)。 |
今日もまたまた会議であるが、今日こそは何としてでもトンガリさんをひっ捕まえようと、虎視眈々。会議があることを事前に教えりゃ逃げるし、教えなかったら(教えなかったことなどないのだが)「急に言われてもムリです」と言い訳するので、面倒なことこの上ない。ようやく職場に顔を出したと思うと、定時には帰るから、長話ができない。こちらが昼間は忙しくてなかなか顔を出せないと知っていて、勤務時間をタテに取っているのだ。このあたりの卑怯さも、トンガリさんの立場をどんどん悪くしている。 今日も会議の開始時間が遅れて、結局、就業時間ギリギリになってしまったのだが、なんとか、トンガリさんを掴まえて、不明瞭な経理について、資料を見せて問い質した。 「そんなものをいきなり見せられてもわかりません」 「いきなりじゃありません。一月前にもお渡ししてますし、先週も再度お渡ししました。御覧になってると、こないだあなたご自身が仰ったじゃありませんか。本当は全然目を通してないでしょう?」 「それは私が勝手にやったことじゃありません」 「あなたしか担当者がいないのに、誰がやったというんですか? 私たちはあなたがやったことを責めてるんじゃないんです。やったらやったで事後処理は何とかしますから、経理を明瞭にするために資料を提示してほしい、と言ってるんです。『出す出す』と言って、いっぺんも出したことがないでしょう」 「ここにこうやって資料が出てるんならそれでいいじゃないですか」 「あなたが出さないから調べたんですよ! これはもともとあなたの仕事ですよ。それにこれで全部かどうかわかりません。今後も不明な経理が出てくるんじゃないですか? 仕事はちゃんとしてくださいよ」 「それはお互様でしょう」 「お互様じゃないです! 仕事をしてないのをそんな言葉でごまかさないで下さい」 「それはどうもすみませんでした。時間になりましたので帰ります」 ……仕事が出来ない人間というのもこれまで腐るほど見てきたけれども、ここまでひどいのは滅多にいない。 会議のあと、ほかの同僚たちから、「なぜあんなのをクビに出来ないのだ」「頭がおかしい。病院に入れろ」と罵詈雑言が飛びまくる。私はさすがにそこまで言うのは躊躇した。頭がおかしかろうがなんだろうが、仕事さえちゃんとしていればそれは何ら問題にはならないからだ。ここまですべきことをしないでいて、なおかつクビにならないから妙なのである。 ……前々から感じていたことなのだが、なにか簡単にはクビに出来ないウラ事情でもあるのではないだろうか。これではますますそのあたりのことを勘繰りたくなるのである。
週末で、しげと映画でも見に行きたいところだが、今日はしげも仕事で一緒に行動で来ない。一人で行くしかないか、と、博多駅のシネ・リーブルに行ってみたが、いつもはやってるレイトショーが、今週は早仕舞いでないとか。もうちょっと早く来ていれば7時台の回に間に合ったのだが、同僚とトンガリさんのワルクチで時間を潰してしまっていた(^_^;)。 しかも、『ラブド・ガン』を見るつもりだったのだが、映画館の受け付けで聞いてみると、これの公開も今週までだという。ということは連休中、昼間見に行くしかないということになる。今年は見たい映画が目白押しなのはありがたいのだが、見る時間を捻出するのがひと苦労、というのは困りものである。 『下妻物語』も結局見にいけなかったが、あのカラクチ評論家の小林信彦ですら「『ニッポン無責任時代』以来のコメディの傑作」と絶賛しているのである。小林さんもトシでボケてる可能性もあるが(失礼)、実際、私の「嗅覚」にも引っかかっちゃいるのである。カトウくんも誉めちぎってることではあるし、これはもうDVDが出たら即買いするしかないかも。 シネ・リーブルはこれから連続して見たいのを上映してくれるので、もう思い切って前売券を買い込むことにする。『クレヨンしんちゃん』の湯浅政明監督によるキッチュなアニメ『マインド・ゲーム』、山中貞雄監督の名作のリメイク、主役に不安はあるけどともかく見るぞの『丹下左膳・百万両の壷』、そして例のカンヌ映画祭最年少助演男優賞受賞の『誰も知らない』の3本。……出来不出来に差があろうとも、ともかくこれだけ心が踊らされる年もない。何度も言ってるが、今年2004年は間違いなく新世代オタク(20代まで)にとってのベル・エポックとなるだろう。 オタクのことを変態だのロリコンだの、犯罪者予備軍のように謗るやつは多いし、多分この日記読んでる人の中でも「あ、キモいヤツがいる」って思ってる方もいるだろうけどね、チカンだの人殺しだのでムショに入っちまっちゃ、こんな楽しみは味わえないのだよ。だいたい二次元の女にしか興味を持てないなら、何の事件も犯しようがなかろう(^o^)。オタクは一生独身を貫き通してこそ正しい。だから某君、彼女できなくても気にしなくていいんだよ。『げんしけん』の班目も言ってるじゃないか、脳内妄想こそが真実の恋人さ♪ ……言ってないか。 となると、結婚してる私はやっぱりオタクの規格からは外れちゃうことになる。やっぱ、生身の女性との触れ合いの方が好きだし。でもチカンはしないからね(年を取った相手とも付き合えることが条件なんで、肉体のみに興味があるわけじゃないのよ。……それがフツーってことだと思うんだけどねえ)。
せっかく博多駅まで足を運んで、ムダに帰るのも何なので、紀伊國屋でDVD『イノセンス』『キル・ビルvol.2』の予約をする。『イノセンス』は4種類もバージョンが出る予定だが、ン万もするコレクターズボックスは諦めた。メイキングとアートブックはほしいけど、フィギュアが要らないから。台本付きのスタッフボックスの方を予約。『キル・ビル』はvol.1との揃いを考えるとTシャツ付きのボックスを買うしかない。嵩張るけど、一応2巻並べりゃキレイだろう(T∇T)。
読んだ本、『江戸川乱歩全集第1巻 屋根裏の散歩者』。 マンガ、石ノ森章太郎『サイボーグ009別巻 009アラ“カルト”』。 メディアファクトリーの『完全版』にも収録されていなかった、モノクロアニメ版『009』の原作エピソードとなった『金色の目の少女』や『怪人同盟』、009や007がスピンオフした別短編などを収録。今や入手困難な作品もあり、マニア垂涎の1冊であった。
2003年07月16日(水) トリビアン・トレビアン!/『濃爆おたく大統領』1巻(徳光康之)/『壁際の名言』(唐沢俊一) 2002年07月16日(火) 乱れる話いろいろ/『ぴたテン』1・2巻(コゲどんぼ)/『桃色サバス』1巻(中津賢也) 2001年07月16日(月) 私のマスコミ嫌いも根が深い/『雪が降る』(藤原伊織)/『新ゴーマニズム宣言』(小林よしのり)ほか
今日も残業で帰宅は9時過ぎ。 残業自体は前からわかっちゃいたのだが、実はもちっとだけ早目に帰宅するつもりではあったのだ。ところが昨日の日記に書いた、『スパイダーマン』好きの同僚にとっつかまって、『スパイダーマン2』の感想を聞かれて、延々と喋っていたのである。いや、喋っていたのは殆どアチラで、私ではない。 日記にこれだけばかすか書いてるものだから、私が私生活でもお喋りだと思ってるヒトもいるだろうが、そうでもないのである。確かに、「ここは喋らないといけないな」というときには喋りもするが、そうでないときは、挨拶以外、何日間黙っていても平気で、ヒトリゴトのクセも殆どないから、どっちかと言うと「周囲に壁を作っている」と思われても仕方がない面すらあるのだ。 でも、別に同僚を敬遠してるわけじゃなくて、ただ単に話題が特にないからってだけなので、話かけられれば受け答えはする。しかし、こちらと趣味も信条も同じ、という人は滅多にいないから、積極的に世間話をしかけることは殆どしないのである。ひょんなことからその同僚とはお喋りをするようになって、こちらが映画好きということもバレてしまったのだが、おかげでやたらと映画の感想を聞かれるようになってしまったのにはいささか往生している。 仕事関係者とはトラブルを起こせないので、ネットや私生活のときのように「あの映画はダメ」「この映画はダメ」とアケスケには言えない。ひたすら相手の「『スパイダーマン』はここがよかった」話をフンフンと頷いて聞いているだけなのだが、それだけで結構時間が経ってしまった。いや、後半は殆どトンガリさんへのワルクチであったが。当然のごとく、居残って仕事したにも関わらず、作業は明日にまで持ち越されちゃったのであった。
帰宅した途端に、父から電話。 今帰り着いたところだ、と言うと、驚かれるが、その声になんだか張りがない。用事を聞くと、「俺もそろそろ引退しようと思いようと」とのこと。 父の糖尿も年を取るごとに悪化して来ているので、床屋を続けるのにもそのうち限界が来るだろうとは予測していたことだ。しかし昔気質の職人である父に、私が引退を勧めたところで、首をタテに振ることは到底考えられることではなく、かえって意固地になる可能性だってあった。本人がそうと決意しない限り、周囲で何を言ってもムダなので、ほったらかしていたのである。 「俺も段々指が自由に動かんごとなってきよるしな。もともと8月いっぱいでやめようと思いよったと。……今度の誕生日で、いくつになるや? 69か」 普通の定年退職より9年も余計に働いてるわけだし、母の死んだ年もとうに越している。 「いいっちゃない? 扶養家族になるなら、手続きしちゃあよ」 「うん、それはよかばってん……」 どうも父の口調の歯切れが悪い。 「なんね、なんかあったとね」 「最近、姉ちゃんの愛想が悪いったい」 「なんで?」 「……あまり考えとうはなかばってん、店ば乗っ取るつもりやなかろうか」 「……はあ? 何のことね」 乗っ取るも何も、店は姉に継がせる約束をしていたのである。父がいったい何を言い出したのか、私はとっさに意味が分らず、思わず問い質していた。ところがそこで今度は父の方が怒り出した。 「何のことて……お前が前に言いだしたことやないか」 ……ますます「はあ?」である。どうも父は何か大きな勘違いをしているらしい。 「姉」と呼んではいるが、私と血が繋がっているわけではなくて、40年来の父の弟子である。もっとも、私が物心ついてからずっと住み込みで暮らしてきたので、私にとって「姉」は、まさしく「姉」以外のナニモノでもない。父の店の権利も全て姉に譲渡することにしていたし、実の息子としての主張をする気など、私にはサラサラないのだ。当然、「姉が店を乗っ取るつもりではないか」なんて考えたことなど一度もない。いったい、父がなぜそのような思い込みをしてしまったのか、理解に苦しんだ。 どうやら、以前、姉が店を継ぐ時に、姉自身が「親戚の人に、店ば乗っ取ったって言われんやろうか」と気にしていたのを、私が「別にいいやん。言わしときぃよ。何なら店の権利だけやなくて、土地の権利も姉ちゃんに譲渡しとけばいいっちゃない? 僕は要らんから」と言っていたのを勘違いしているらしいと思い当たった。父もだいぶボケてきているのである。 「別に姉ちゃんになら、乗っ取られても構わんめぇもん。もともと店ば譲る気でおったっちゃろうが」 「ばってんが、お前に少しくらい財産ば残しちゃりたいけん」 「要らん。自分の財産は自分が生きてるうちに使いきりゃよかと。ぼくに残せるおカネがあるなら、旅行でも遊びでもお父さんの好きなことに使いい。棺桶の中までおカネ持ってっても、しゃあなかろうもん。葬式代だけ残しといてくれりゃそれでよかて」 「葬式代も残しきるかどうか分からんぞ」 「だったら職場から借金するけん、気にせんでよか。だいたい自分の死んだあとのことまで心配したっちゃ、どんこんならんめぇもん」 「……そりゃそうたい」 「仮に姉ちゃんが騙して店ば乗っ取ろうとしとったとしても、それで何が困るね? お母さんとか、親戚にずっと騙されて騙されて、騙されとうてわかっとってもわざと騙されてやって、それでもよかて思ってやっとったやない。馬鹿でよかて、それがうちの血筋やろうもん」 「……わかった。俺も年やな。こげん気が弱くなるとは思うとらんやった」 「年取って気が弱くならんわけなかろうもん。ぼくも病気のときは仕事なんてしとうもない、世の中どうなったってかまわんて思うもん」 「そうやな。お前と話して気が楽になった。今度またゆっくり話そうや」 父の気持ちが吹っ切れたのかどうだかはよく分らないが、電話はともかくそれで切れた。姉が父の疑心暗鬼通り、本当に店の土地の権利まで狙っていたとしても、私にしてみれば相続税だの固定資産税だの、面倒な手続きや支払いをする手間が省けて助かるくらいのものである。でも、姉のほうはどっちかと言うと、資産税だけ私に払わせて、店の経営を続けていった方が楽なんじゃなかろうか。まあどっちでも姉の好きなように決めればよいことである。 しかし、父と話していて自分でもつくづく感じたことだが、私は根っからペシミストであるようだ。土地とか遺産とか、いや、親子の絆そのものを一切信用していない。というか、嫌っているのだ。父はこれが私からの事実上の「縁切り」であることに気付いていたかどうか。
久方ぶりに、小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言』に関する話題。 例の『脱ゴーマニズム宣言』を著した関西大講師の上杉聡が、「作品の引用をドロボー扱いされた」として名誉毀損で小林・小学館双方に約720万円の損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決である。 本日、最高裁第一小法廷では、名誉棄損の成立を認めて250万円の支払いと謝罪広告の掲載を命じた二審判決を破棄して、上杉さんの請求を退ける再逆転判決を言い渡し、これが確定した。 以前、上杉さんの『脱ゴーマニズム宣言』を著作権侵害だと小林さんが訴えた別の訴訟では、マンガを引用したこと自体は適法、との判断が下され、カット1点の配置変更のみが著作権侵害と認められた。そのため旧版の出版差し止めと慰謝料20万円の支払いは行われたが、「改変のない原典のままの引用」に改訂された『脱ゴーマニズム』の再発行は行われた。形の上は小林さんの勝訴ではあるが、「マンガの引用権そのものが認められた」点では、実質的に上杉さんの勝利である(おかげで、このHPも各種作品の引用を“そのまんま”行えてるのである)。 となれば、上杉さんには改めて小林さんを訴えなけりゃならない理由はないはずなので、いったいなんでまた「名誉毀損」なんて訴訟を起こしたのか、理解に苦しんでいたのである。結局は、「訴えられたんだから訴え返してやれ」っていう幼稚な発想だったんだろうけれど。第一「名誉毀損」を持ち出すなら、上杉さんの『脱ゴーマニズム』だって小林さんへの「中傷」と見なすことだってできる。そうではなくて、あくまで「引用による批評」と見なされたからこそ、上杉さんは勝利することができたのではなかったか。小林さんが上杉さんを「ドロボー」呼ばわりしたのだって、『脱ゴーマニズム』の「引用」が行われた上での「批評」の範疇内にあり、それを訴えることは、上杉さんが自分で自分の首を締めているのと変わらない。小林さんは常に馬鹿を自認しているが、上杉さんは自分が馬鹿であることに気付いていない馬鹿だった、ということである。この論争については上杉さんの方にまだ理がある、と思っていただけに、上杉さんが自滅してしまったことは残念なことであった。 今回の判決で重要なのは、「(盗作だなどとする)法的な見解の表明には、特定の事実の摘示を含む場合があることは否定できないが、判決で結論が示される事項だとしても、法的見解自体が事実の摘示とは言えない。小林氏の表現は意見や論評で、互いに著作の中で批判し合っていた経緯から人身攻撃に及ぶとまでは言えない」と結論づけた部分である。 つまり、「ドロボーって言い方がどんなにひどくっても、それが『意見』である以上は認められなきゃならず、事実に合致してるかしてないかは関係ないし、傷つけたことにもならない」ということなんである。 だから、「『ゴジラ×メカゴジラ』って『エヴァ』のパクリだよな」と言っても、名誉毀損には当たらない……って、そんなの当たり前で、裁判にかける方がどうかしてるよなあ。上杉さん、よっぽど血が上ってたんだろう。上杉さんは、「ドロボー」って言われて怒ったのなら、それをまた再反論するか、無視すればよかったのである。それだったら敗訴してアタマの中身疑われずにすんだと思うんだけど、やっぱり根っからの馬鹿はしょうがないってことか。
読んだ本。 ロバート・アーリック『トンデモ科学の見破り方』、 戯曲、ケラリーノ・サンドロビッチ『カメレオンズ・リップ』、 雑誌、『言語』8月号、 雑誌、『キネマ旬報』7月下旬号、 マンガ、青山剛昌『名探偵コナン』46巻。
2003年07月15日(火) それはそれなんだってば/『プラネットガーディアン』1〜3巻(高坂りと)/『サトラレ』4巻(佐藤マコト) 2002年07月15日(月) 開高健よりは痩せてると思う/『新ゴーマニズム宣言 テロリアンナイト』11巻(小林よしのり) 2001年07月15日(日) 演劇は愛だ! ……ってホント?/『バトルホーク』(永井豪・石川賢)ほか
| 2004年07月14日(水) |
カメの名前……ってこれだけじゃ『薔薇の名前』のパロだってわかんないな。 |
水曜日で、博多の映画館はレディース・デイ、女性は千円のサービス興行。しげに連絡取ったら、「今日は仕事ない」と言うので、一緒にキャナルシティに。 ふと、思ったのだが、この手のサービスって、地方によってどの程度違いがあるのだろうか。ほかにも毎月1日は「映画の日」で千円とか、平日の9時以降のレイトショーは千円とか(ワーナーマイカルは1200円)、金曜日の1回目は1300円とか、いろいろあるんだけど。夫婦の片方が50歳だと、二人で千円、というサービスも始まるそうである。映画が安く見られるのは嬉しいことなのだが、シネコンができる以前、福岡じゃそんなサービスはカケラもやってくれなかったんだからね。てことはそれまではボリまくってたってことじゃねーかよ。地元民でありながら、外資系の映画館ばかりに行くのは、かつてのウラミもちょっとだけあったりするのである。
映画は『スパイダーマン2』。職場の同僚にやはり映画好きの方がいて、『1』をいたく気に入っていて、「御覧になったら感想を教えてくださいね」と言われていたので、早晩、見にいかねばなあと思っていたのである。見た感想はと言えば特に新味はなくて、しげも私も「まあまあ」なのだが、『3』への「引き」もあったし、今回は「つなぎ」の話で若干コツブ感がするのも致し方がないところだろう。マーベルコミックス初の「苦悩するヒーロー」っつったって、日本人ならその程度のキャラクター、文学でもマンガでも腐るほど見てきてるだろうから、どうしても「この程度のことが苦悩?」と思っちゃうのである。つか、あの程度の女に振り回されたり、執着したりして悩むヒーローの心情って、共感しにくいよなあ。でも、ドック・オクのアルフレッド・モリーナは好きな俳優さんなので、今回は一応、可。しかし、クモとタコが戦うって、アチラさんのセンスはよくわかんないね。クモンガ対スダールか。
キャナルのペットショップで、カメの岩山を買う。最初に買った浮島がちょっとデカ過ぎて、今一つカメが水槽の中で泳ぎにくそうだったからだ。しげは「カメにそこまでしてやるか」と恨めしそうだったが、更に実は『カメの飼い方』本も一緒に買っていたのであった。これも読書のうちか(^o^)。 ……しかし、今の今まで知らなかったのだが、「ミドリガメ」って俗称だったんだね。「アカミミガメ」が正式名称。言われてみると、顔の横の部分だけに赤い筋が入っている。学名は「Trachemys scripta」。ラテン語はよく知らないけど、語感からすると「シマガメ」ってとこなのかね。 こないだしげが乱暴を働いて以来、ウチのカメはすっかり臆病になってしまった。顔を覗かせると、ヒョヒョヒョヒョ〜ッ!と、エラい勢いで逃げる。岩山には空洞があって、そこに逃げこむことができるのだが、「新参者」には気を付けているのか、手をかけはしても中を覗こうとまではしない。一匹はモーターポンプの裏に隠れようとするのだが、もう一匹は水槽に付いてた水草の間に隠れて、自分もハッパのふりをして動かないのである。……いや、どう見てもハッパとカメとじゃ、厚さが違うんですけど(^_^;)。こういうアタマの悪いところがカメ好きにはたまらないのである。よしよし、ヒトもカメも苛められて育つのである。がんばれ。 携帯で写真もバチバチ撮りまくっているのだが、日記へどうアップしたらいいかよく分らないので、今のところ画像はなし。そんなもん見せられ続けたらたまらん、と仰る方もおられようから、私に技術がないことに感謝して頂きたい(^o^)。でもそのうちやるけどね。 カメにつける名字の件であるが、あっちこっちでいろんなスゴイのを考えてくれてるので、どれにしようか迷っている。グータロウくんちの息子さんは、私の本名の名字でいいじゃないか、と言ってるそうだが、それだとネットに書き込めないので、申し訳ないけど却下。まあ、もう一、二週間は決定しないので、一人いくつまででもいいから、掲示板かメールでご応募いただきたいのである。 さあて、いつになったら回転ジェットで空飛んでくれるようになるかな♪
2003年07月14日(月) 「心ある」ということ/『GUNSLINGER GIRL』1・2巻(相田裕)ほか 2002年07月14日(日) 劇団始動……か?/『電人ザボーガー』1・2巻(一峰大二)/『カムナガラ』4巻(やまむらはじめ)ほか 2001年07月14日(土) シナリオ完成!/『クレヨンしんちゃん』30巻(臼井儀人)ほか
| 2004年07月13日(火) |
オタクでなくとも旧作は見よう。 |
こないだダイヤモンドシティに行った時に、冷風機を買ったのだが、しげの寝部屋に設置されたそいつの恩恵に未だあずかっていない。居間にも一応、クーラーがあることはあるのだが、長年フル稼動させてきたせいで、「効き」がイマイチなのである。
今日も残業。予定されてた居残りで、トンガリさんとも関係がない仕事なので特に文句はないのだが、昨年よりいくつかの役職から解放されているというのに(別に降格されたわけではない)、仕事自体は増えて残業する日が連日、というのは納得がいかないのである。ともかく雑事が増えたね。私の仕事は基本的に立ち仕事なのだが、ここんとこ、パソコンに向かって座ってる時間の方が長いのである。そのうち本業が何か忘れちゃうんじゃないか。……ちょっと忘れたいかな(T∇T)。
『特撮エース』No.4、実はそんなに熱心に読んでるわけじゃないんだけど、もう4冊目も買ってしまいました(^_^;)。『ウルトラマン THE FIRST』もどうもねえ。 どっちかと言うとコラムとか記事が楽しみで読んでるところがあって、とり・みきさんの『とりが見た!』なんか、実にイイコトを言ってくれている。「2004年というのは、後年、語り継がれる年になるかもしれない」というのは今現在でも強く感じるところである。特撮系で『CASSHERN』『キューティーハニー』『ハットリくん』『ローレライ』『鉄人28号』『デビルマン』『ゴジラFINALWARS』、アニメで『イノセンス』『スチームボーイ』『ハウルの動く城』と大作、話題作がつるべ打ち、なんて年は空前絶後だ。もちろん、その出来云々について、「ちょっとどうもな」と思う面がないわけではないが、『CASSHERN』や『ハニー』にしたところで、映画スノッブや自称「濃いオタク」が貶すほどヒドイ出来、というほどのものではない。『ハニー』はともかく(^_^;)、『CASSHERN』のヒットが「宇多田夫効果」だけではないことは確かだ。 とりさんが書かれている通り、じゃあ、我々がかつて見てきた特撮、アニメが現在の作品よりはるかに優れていたかというと、そんなことはない。『ゴジラ』第1作にしたところで、人間ドラマ部分の絵作りは、旧来の日本映画に多かった単調で古色蒼然とした正面バストアップの切り返しが多く(小津安二郎かい)、特撮部分と比較した時の違和感は拭えない。バストアップは「人間」を描くには効果的だが、怪獣映画は基本的に「世界」を描くものであるから、「人間」はジャマになることがしばしばなのだ。宝田明と河内桃子と平田昭彦の三角関係は要らなかったと思う。芹沢博士が犠牲になる理由はそれがなくても成立するし。 「怪獣映画にも人間ドラマを」というのは、オタクのくせに一般作品だのゲージュツ作品だのに対するコンプレックスがあるものだから、自分の好きな作品であるにもかかわらず、堂々と誇りを主張することのできない根性なしのタワゴトに過ぎない。怪獣映画だからと言って、人間描写が不自然であってはならないのだが、人間をドラマの中であえて機能させる必要はないのである。他のシリーズとは一線を画する第1作にすら、その「腰砕け」は見受けられるから始末に悪いのである。 シネマスコープになってからはそのあたりの違和感は軽減したが、今度は脚本自体がどんどんおちゃらけていった。『三大怪獣』もなあ、あのラストのゴジラ・モスラ・ラドンの会話さえなけりゃあなあ(~_~;)。正直な話、ゴジラシリーズを、今まで全く怪獣モノを見たことがない普通の若い人に「見ろよ!」と勧める勇気は私にはない。恥ずかしいからではなくて、マトモな感覚の持ち主ならばあんなのがツマラナイのは当然だからである。馬鹿馬鹿しさ、つまらなさの楽しさを喜ぶ感覚(馬鹿にして楽しむのではないぞ)がなけりゃ、怪獣映画のようなイロモノ・ゲテモノを楽しめるはずがないのである。 平成シリーズ以降は、またぞろ沢口靖子や峰岸徹や土屋嘉男や阿部寛に(この役者さんたち自体は好きなのだが)ヘボな演技をさせて、せっかくの怪獣映画をだいなしにしてくれていたが、怪獣だけでドラマを作ることができない製作者たちの力不足なのである。人間はせいぜい怪獣バトルをお膳立てする程度のただの傍観者でいいんだってば。 こんな具体例を挙げていけばキリがないのだが、いつの時代でも珠玉の作品よりもクズの方が圧倒的に多いのは事実なので、昔の作品を若い人に見せたいと思うときには、「面白いところもあるけれど、今見ると古臭くてつまらないところは当然ある。けれど、だからといって、今見ても面白いところを無視していいことにはならない」と注意することが必要だと思うのである。その上で「妥当な評価」というものを求めたい。それが、とりさんの書いてる「『バット・グッディーズ』(=過去を全く知らない若い人たちが聞いても感銘できる曲)は確実にある」という言葉に繋がっていくことだと思うからである。 『ゴジラ』シリーズは確かにかなり「イタイ」。けれどあの、怪獣たちが街を破壊し、全ての希望を蹂躙していく悪魔の所業とも言える行為に、我々は人間の浅墓な知恵を越えた絶対的な運命の力を見出し、喝采を送ってはいなかったか。我々はなぜ恐竜型、爬虫類型、昆虫類型の怪獣たちにより心惹かれるものを感じていたのか。植物や哺乳類より、原初的な暴力と性を体現した存在として、我々が無意識のウチに怪獣たちに「その形」を求めていたからではなかったか。怪獣映画の「見所」は決して少なくはないのである。 だから、若い人には「古い」というだけで旧作を敬遠しないでほしいのである。『ウルトラシリーズ』が、『怪奇大作戦』が、『ゴジラ』も『ガメラ』も、みなDVDで見られる時代になっているんだから。 だいたい、我々だって、親から聞いて「面白いぞ!」と言われた映画なんかを後追いで見て、感動してきたクチなんだから。クロサワだって、MGMミュージカルだって、親の薫陶を受けてなきゃ見ようって気にはなっていない。中村獅堂の『丹下左膳』の新作が面白かったのなら、ぜひとも大河内伝次郎の左膳や大友`柳太朗の左膳も見てほしいのである。チャップリン、キートン、マルクス兄弟は、今見たらまるで見るに堪えないか? もしそう断言する若い人がいたら、そりゃ人間として何かがケツラクしてるとしか私には思えないのである。
連日のDVD三昧、今日は『みんなのうた』を9集まで。実はこいつも一曲ずつコメント付けてコンテンツに挙げたいと思っているのだが、いったいそんなことが可能なものなのか、見当もつかないのである。
既に2億ドル(約215億円)の予算を注ぎ込んでいて、未だに制作開始の目途も立っていない映画『スーパーマン5』、一度は監督を引き受けた『チャーリーズエンジェル』のMcG監督が降りてしまった。ティム・バートンやら、ブレット・ラトナーやら、いずれも製作開始までこぎつけての降板ばかりだから、ムダガネがここまで膨らんだのも当然なのである。映画が公開された時はこのムダガネ分も当然のように計上されて「製作費○億ドルの超大作!」とか宣伝されるものだから(『スタートレック』第一作の時がそうでしたね)、みなさん、騙されないように(^o^)。 McG監督が降りた理由は、予算削減のためにニューヨークでの撮影を拒否されて、オーストラリアで撮れ、と製作元のワーナー・ブラザースに命令されたからだ、と説明しているそうだが、確かにこれだけ待たされた新作スーパーマンが、お膝元のアメリカを舞台にしているのではなく「オーストラリア出張編」では、あちらのお客さんは拍子抜けだろう。日本出張編だったら完全にイロモノになるな。「製作費○億ドルのイロモノ」ってのも見てみたい気はするが。 ワーナーは、次の監督に『アルマゲドン』のマイケル・ベイ監督や、『X‐MEN』のブライアン・シンガー監督に打診しているというウワサである。けれど、まあマトモな感覚の持ち主っつーか、リコウな監督ならば、普通、こんな自分のキャリアを下げることが分かりきってるような「ババ」は引かないものだ。逆を言えば、この期に及んでもなおコイツならババでも平気で引くだろうって思われてる監督ってのが、アチラの業界でどんな見られ方をされているのかが分かる、ということでもある。……『X‐MEN』は1も2も好きなんだけどねえ。実力が買われてアプローチされてるってわけでもなさそうなのがどうにもねえ。つか、シンガー監督が候補に挙がってるってことは、ハル・ベリーが出る出ないでモメてた『X―MEN3』はやっぱり頓挫したってことなのか? どうもウワサに踊らされてやたらヤキモキさせられるのは居心地が悪いのである。もういっそのこと『ジャスティス・リーグ』を実写化しちゃってよって。
2003年07月13日(日) 虚構に生きる人々/DVD『プリンセスチュチュ 雛の章』/『Go West!』1巻(矢上裕)ほか 2002年07月13日(土) 病院への長い道/『エンジェル・ハート』4巻(北条司)ほか 2001年07月13日(金) ふ、ふ、ふ、ふ○こせんせぇぇぇぇぇ!/『悪魔が来りて笛を吹く』(横溝正史・野上龍雄・影丸穣也)ほか
| 2004年07月12日(月) |
「似て非なるもの」の休止 |
休日明け、いきなり世間は夏である。と言うのも、先週末までは鳴き声ひとつ聞こえなかったセミの野郎がいきなりワシャワシャ鳴き出したからだ。なんかねえ、セミは成虫になって2週間で死ぬってえからねえ、言ってみりゃ、毎年我々は「断末魔」の合唱を聞かされてることになるのだけれども、だからって涼しくなるどころか、ひたすら暑苦しく感じるだけなんだから、なんだかもう、サッサとくたばって欲しいって気になってくるのである。中にゃ、10月近くまで鳴いていて越冬するんじゃないかってくらいしぶといセミもいるからね。 岩波文庫の『イソップ寓話集』を読むと、巷間知られているところの『アリとキリギリス』の話は『蝉と蟻たち』となっている。『伊曽保物語』でもそうで、もともとは「セミ」が正しい。 原話の母国であるギリシアにはセミがいたのだが、これがフランス、ドイツに伝播した時に、コオロギやキリギリスに変更されたものだとか。(詳細は右サイトを参照のこと→http://www.geocities.co.jp/Bookend/9563/grasshopper/Grashopper.html ロシアじゃ「トンボ」だってえけど、トンボって鳴くのかよ。いやまあ、羽音なんだろうけど。日本とロシアとじゃ、トンボの種類も違うんだろうか。トンボならまだしも、蟻とセンチコガネ、蚊とミツバチ、雌鶏と狐になってる例もあるらしいが、センチコガネは働き者じゃないってことなのか。よく分からん感覚なのである。 日本にはコオロギもキリギリスもいるけれど、もともとセミだっているわけだから、「蝉と蟻」でもよかったような気がするが、「遊び人」のイメージはセミよりキリギリスだったんだろうかね。美しい音色を聞かせてくれるキリギリスより、クソやかましいセミが懲らしめられる方が日本人としては溜飲が下がる気がするのだが。
気がついたら、曽我さん家族が再会してて、選挙も終わっちゃってたけど、なんだか全く何の感慨も浮かばないのである。 「事件」には興味を引かれても、もともと「政治」にはとんと目が向かないタチではあったが、もう拉致云々については、何がどう動こうと政治屋さんたちの稼ぎのネタにしかならないんじゃないかとシラケちゃってるのである。 曽我さんとジェンキンスさんの熱烈キッスの写真がデカデカと載ってる新聞を、車の中で読んでそのままフロントにほったらかしにしてたのだが、しげがイラつくこと。 「運転してたら、ジェンキンスさんの顔が真正面にあるんだよ。どけてよ」 なんだか、新聞がジャマっていうより、曽我さんジェンキンスさん二人がジャマって言ってるように聞こえて、随分シツレイな話である。
さて、本日もまた会議だったのだが、トンガリさん、出勤自体しなかった。やっぱり連絡はナシの無断欠勤である。 前回に引き続き、トンガリさんの仕事の不始末をいかにして解消するか、というのが議題であったのだが、ひととおり資料はまとめて、トンガリさんにも事前に渡してある。トンガリさんがどれだけいい加減な仕事をしてきたのかという資料だから、それに目を通していれば確かにとても顔を出せた義理ではない、というのも当然なのだが、どうせ、目を通さないままただ逃げてるだけに違いないのである。仮に目を通していたとしても、ナカミはケロッと忘れてしまっているだろう。いや、これは私の憶測ではなく、これまでにも資料を渡すたびに説明をしているのだが、次にそのことについて問い質すと、何一つ覚えていなかったこともしばしばなのである。 なに一つ、自分のしでかしたことについては反省してはいないし、ただその場限りのウソをついてゴマカそうとするばかりなのだが、そうやっていつまで逃げ回っていれば気がすむのだろうか。いや、逃げているという意識すらないのか。 私も、疲れてるのを通りこして、いい加減イヤ気が差してきているのだが、上司はいつまでこのイカレたすっとこどっこいを放置しておくつもりなのだろうか。私はもうそろそろ手を引きたいんだけれど。
それでも今日は定時に帰れそうだったので、迎えに来てもらえるかどうか、しげに連絡を入れる。 どうしたものか、電話の向こうでは、しげが妙に上ずった、ラリった声をあげている。「きゃあ」とか「へへへ」とか、心ここにあらずみたいな感じなので、家でも外でも既知外に絡まれるのはちょっとカンベンだぞ、と思いながら、何があったのかと「いったいどうした?」と聞いてみると。 「なんでもないよ、カメにエサやろうとしたら、フタを中に落としただけ」 「……誰がお前にエサやっていいと言った!」 「だって、オレだって、エサやってみたかったんだもん」 「まさかお前な、『うりゃあ!』って思いっきりエサやって、水濁らせたりしてないだろうな」 「してないしてない」 「……ホントだな?」 「ホントホント♪」 帰宅して、溶けたエサですっかり濁った水の入れ替えに、私が苦労させられることになったことは言うまでもない。 帰宅してからはずっと、輸入版CDの『Monty Python Sings』と『Eric Idle Sings Monty Python』を聞く。今度の芝居に『Always Look on the Bright Side of Life』と『Sit on My Face』を使うことは決まっているのだが、本当はもう一曲、『Galaxy Song』も使いたかった。しげに「雰囲気合わないよ」と反対されて断念したのだが、私はどっちかというとラスト近くは『Galaxy Song』の気分で書いていたのだけれども。 CD三昧だったので、読んだ本は寺沢大介『ミスター味っ子�供截唄�だけ。もうアニメ化になることはないと思うけれども、もしなったら、大人になった陽一はやっぱり高山みなみが演じるんだろうか。それとも子供の陽太か?
春休み恒例の『ドラえもん』劇場版が、「充電」のため来年は休止とか。ちょっと気になるのは、その発表を行ったのが配給元の小学館と東宝で、実際に制作に携わっているシンエイ動画ではないことである。「今春の25本目を節目に1回休み、製作スタッフも入れ替えたい。平成18年には、さらに内容の濃いものを届けたい」と小学館は説明しているそうだが、まさか、他のプロダクションに作らせる、という意味じゃあるまいな。 確かに、藤子アニメはシンエイ動画の専売特許というわけではない。これまでにもスタジオぎゃろっぷやマジックバスが『キテレツ大百科』や『SF短編シアター』をアニメ化している。『ドラえもん』のアニメ自体、旧版は「日本テレビ動画」の制作である(覚えてる? 富田耕生や丸山裕子の声の「ドラえもん」)。東宝と小学館が他のプロダクションに制作を発注する可能性がゼロだとは言えないのだ。 ……オトナになったことの何がイヤかってね、「休養」とか「充電」とか聞くと、「裏に何かがあるんじゃないか」って、すぐ勘繰りたくなるとこなんだよねえ。で、実際にそーゆーことがあったりするし。シンエイ動画と東宝とがトラブったんじゃないかとかね。 まあ、テレビアニメはこれまで通り放送されるということだから、多分それは私の妄想なのだろうけれども、毎年『ドラえもん』と『クレヨンしんちゃん』の連続2本の映画興行がどれだけタイトなスケジュールでなされているかは聞き及んでいるので、それでいてあれだけ上質の映画を作り続けているのは驚異であると同時に「息切れ」も止む無しか、とも納得してしまうのである。正直な話、もう「ネタ切れ」だろうと思う。ドラえもんとのび太たちは、宇宙も、空も、海も、地底も、密林も、魔界も、過去も、未来も、ありとあらゆる時空を冒険し尽くしてしまった。これから先、どこへ行こうと大同小異だ。映画上映は旧作のリバイバルでいいから、そろそろドラえもんを「原作通りに」未来に返してあげて、のび太を本当に「成長」させてあげてもいいのではないだろうか。マンガ家を変え、スタッフを変え、声優も変え、アメコミじゃあるまいし、『ドラえもん』がそうやって延々と受け継がれていくマンガであっていいのだろうか。 もちろんこんな感慨は『ドラえもん』を「昭和の遺産」と見る(それどころか私は、劇場版シリーズ自体、もともと「余燼」としか見ていない)いち読者のタワゴトに過ぎない。これからも『ドラえもん』は21世紀のマンガとして描き継がれていくのだろう。オトナの事情も介在させながら。……けれどねえ、『ドラえもん』の短編を膨らまして長編に仕立てたり、他の藤子作品を「翻案」したり、そういう小手先の「水増し」が続いている状況を悲しんで見ている観客だって結構いると思うんだよなあ。言ったって仕方ないとわかっちゃいるけど、あえて言いたい。 「藤子さんが生きてたらなあ」 ……終わりどころを間違えて、老残を晒しているアニメの例を、我々は腐るほど知ってるはずなんだけれど。
2003年07月12日(土) AIQ(オタク・アミーゴス・in・九州)始末/DVD『ノストラダムスの大予言』 2002年07月12日(金) ある事件の記憶/DVD『アベノ橋魔法☆商店街』vol.1/『奇妙な論理�機Ν供戞複諭Ε�ードナー)ほか 2001年07月12日(木) 怨念がおんねん(古)/『平成十三年度版 九州怨念地図』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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