無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年04月02日(金) 初めての……。

 昨日のホラ話で思い出したこと。
 何年か前のことだが、まだ私が劇団のホームページでブウブウ言わせていた(^o^)ころのことである(今また復帰してるけどね)。やんちゃんこと、うずめ劇場の下村ミサト嬢から、「『雪の降る夜は楽しいペチカ〜♪』の『ペチカ』って何ですか?」と掲示板で聞かれたことがあった。もちろん「ペチカ」とは、“ロシア式の暖炉”のことである。そんなことも知らんのか、それくらい辞書引け辞書、と思った私は、イタズラ心を起こして適当なことをでっち上げてレスした。
 「『ペチカ』というのは、ロシアに出没する妖怪の名前です。冬のさなか、ロシアの子供たちが、寒がってお母さんのお手伝いをしなかったり、イタズラをしたりすると、この妖怪が『ぺ〜チカ〜、ペ〜チカ〜』と声を上げながらやってきて、子供たちをさらっていくのです」
 まあ、『なまはげ』ですな。こんなアホなでっちあげ、信じるわきゃない、やんちゃんもすぐにからかわれてるんだなと気がつくだろうと思っていたのだが、なんと信じちゃったんですね(-_-;)。……これだから、ヘタな冗談は言うものではない。
 この手のホラ話で私が好きなのは、ゆうきまさみが『究極超人あ〜る』の中で紹介していた「バレンタインデーは、戦後、進駐軍のバレンタイン少佐が飢えた日本の子供たちにチョコレートを配ったのが始まり」というやつである。いそうだよな、バレンタイン少佐。


 職場の周りを運動療法で歩いてることは前にも書いたが、ぐるりと回る途中に団地がある。団地にはたいてい小さな公園がついてて、砂場や滑り台があるものだが、春休みで、昼間から子供たちが遊んでいる。
 ちょうどそこを通りかかった時に、なんだか妙に間延びした声が聞こえてきた。
 「……ぽが痛いと〜」
 最初は何と言ってたのか聞き取れなかったのだが、幸いにもその声の主は、同じ言葉を3度も4度も繰り返してくれた。
 「ちん○が痛いと〜、ちん○が痛いと〜、ちん○が痛いと〜」
 何なんだいったい、と思って声のほうに眼を向けると、5階か6階か、小学4、5年生くらいの男の子がベランダに立っていて、ズボンの真ん中をギュッと握ってモミモミしながら、件のセリフを公園の方に向かって投げかけていたのである。
 想像するに、その子はちょっと前まで遅目の朝寝をしていたのだ。ふと、公園で遊んでいる友達の声が聞こえてきて、ハッと目覚め、外に飛び出した。友達もその子を見つけて、「一緒に遊ぼうよ!」とか声をかけたのだろう。もちろんその子はすぐにでも公園に向かおうと思った。けれど、ふと、自分のズボンの中が突っ張ってることに気がついた。
 どうして? どうして? 今までこんなこと一度もなかったのに。狼狽したその子は、どうしたらいいかわからずに、「ちん○が痛いと〜、ちん○が痛いと〜、ちん○が痛いと〜」とつぶやき続けるしかなかったのだ。
 わあ、今「その」瞬間に立ちあったんだなあ。男の子って、こういう反応するものなんだなあ。言ってることは間抜けだけど、これはちょっとした感動である。男の子は、こうしてオトナの階段を登っていくものなんだからね。……女の子にはこの感覚は分らないだろうなあ。ちなみに私の過去のその瞬間は親戚んちに泊まりに行ったときに起こったので、やっぱりすごく焦ったのであった(^_^;)。
 もちろん、その子のちん○がイタかった理由はソレではなかった可能性もありはするけど、寝てる間にイタズラ好きのお母さんが先っちょにカラシ塗ったとか。ないか。


 夜、『ドラえもんスベシャル』を見ていたら、映画に出てくるひみつ道具が25作全部で253個、というクイズがあった。今朝方、どこぞの教授さんが原作マンガの方を調べて1963個、と書いてたけど、アニメも全部含めて調べた人はまだいないだろう。誰かこれ、『トリビアの種』に送らないか。これを調べきれるようだったら、あの番組のスタッフもさすがなものと感心してあげてもいいけれど。


 大阪で警察にとっつかまった暴走族の中に、エンジンの爆音で「ドラえもん」や「メリーさんの羊」を演奏しながら暴走していたやつがいたとか。さすが、別名、珍走団と呼ばれるだけのことはある(^o^)。
 暴走行為自体のバカさ加減は今更言うまでもないんだけれど、「ドラえもん」鳴らすバカっぷりはまた一つ上を行っている。バカに対して、スタイルとか、ありようとか、そういうものを求めたってムダだということはわかっちゃいるつもりだけれども、仮にも反体制、反社会的行為を標榜する暴走族が、そんな軟弱なことして、みっともないとか、ダサイとか、全然感じなかったのか。仲間の誰も「何鳴らしてやがんだ、ふざけんな」とか言わなかったのか。
 この「似合わなさ」に本人たちが気付いてないってのが何だかなあ、なんであるが、既に現代の暴走族は、一昔前の行き場のない若さの情熱の爆発とか、そんなイメージとは無縁になってるのだ。「だってオレ、ドラえもん好きだも〜ん」ってなノリなんだろうね。やっぱ「珍走団」と呼んであげるのがヤツラにゃ「似合ってる」んじゃないか。


 こう立て続けだと、気が滅入ってかなりイヤになってくるのである。
 俳優の中谷一郎さんが、昨1日、咽頭がんのため死去。享年73。
 『水戸黄門』の風車の弥七のイメージが強すぎるようになってしまったが、まず俳優座の舞台役者であり、映画ではこの人もまた岡本喜八組の一員であり、その役の幅は広い。ついこの間もCSで『いのちぼうにふろう』に出演していたのを見たが、卑劣な同心役で弥七のカッコよさとは似ても似つかない。もちろん「名優」と呼んではばかることのない一人である。渥美清を「寅さん」としてしか認識しなかったのと同じように、こういう人を「弥七」としてしか見ようとしないエセ映画ファンが、日本の映画・演劇シーンをダメにしていったのである。もちろん、イメージでしか役者を見ようとしないマスコミの愚劣さも輪をかけて悪い。訃報も全部、「弥七死す」ばかりだ。弥七は死んでないだろうが(`´)。
 中谷さんの印象深い映画の出演作を挙げていくと、たいていが岡本監督作品ばかりになる。『独立愚連隊』の石井軍曹、『戦国野郎』の銅子播磨、『ああ爆弾』の矢東弥三郎……挙げていけばキリがない。遺作も岡本監督の『大誘拐』だった。

2003年04月02日(水) ハカセ暴走!/『漫画アクション増刊 9人の宮本武蔵』/『手塚治虫マガジン』5月創刊号
2002年04月02日(火) だから仮病じゃないってば/DVD『京極夏彦・怪 隠神だぬき』ほか
2001年04月02日(月) 桜の森の満開の下/『イギリス人はおかしい』(高尾慶子)ほか


2004年04月01日(木) 四月馬鹿さ。

 エイプリル・フールだけれど、粋なウソってのが思いつかないから正直に行く。
 で、正直な話、日本人に四月馬鹿は不必要なんじゃないかと、昔から思っている。それは日本人にマジメ人間が多くて、ジョークを解さないから、ということではなくて、本人はジョークのつもりでホラ吹いても、センスのないやつが圧倒的に多いから、寒くていたいオヤジギャグにしかならないからである。
 ……あのさ、「今日、あの山んとこにUFO飛んでたの見たよ」って真顔で嘘つくやつ、ホントにいるんだよ。これがジョークになってると思い込んでる神経がもう、私には信じられませんがね。それから、○○というスターのファンに向かって「○○が死んだよ」とウソつくやつ。もう、根性が心から腐ってるよな。藤子さんの『帰ってきたドラえもん』の「ドラえもんを見かけたよ」並にゲスな冗談で、一瞬ではあるけれど、そいつの脳天をぶち砕いてやりたくなる。
 ブラックなギャグは好きだけれど、こういうのはブラックでも何でもなくて、ただの品性下劣な悪ふざけにすぎないのである。

 で、思い出したんだけど、ン十年ほど前の四月馬鹿んときに、こんなウソをついて、ある女の子(って、当時の彼女だが)を騙したことがある。
 「……ニュースで聞いたんだけど、魂の存在が科学的に証明されたんだってね」
 「え? うそ! ホント?」(どうやら今日が四月一日だとは気付いてないらしい)
 「マサチューセッツ工科大の研究チームがさ、ある種の電気抵抗が死んだ人の体外でも検出できるメーターの開発に成功したんだって」
 「ふーん、すごい。じゃあ、やっぱり死後の世界はあるんだ!」
 「……うーん、それがどうもちょっと違うらしいんだ。あまり喜んでもいられないみたいなんだよ」
 「……どういうこと?」
 「魂の実在は確認されたけれど、それは空中を漂ってるだけでさ。つまり人は死んだら浮遊霊になるんだけど、これって、天国にも地獄にも行かないってことじゃない?」
 「ああ、そうか……」
 「大変だよ、これ。天国も極楽も存在してないってことも同時に証明されちゃったんだから。キリスト教も仏教もウソだったってことになるんだからさ。ヘタすりゃ宗教戦争が起こるよ」
 「……やだなあ、そんなの」
 「さっき、アメリカ大統領が全世界に向けて『冷静になるように』ってメッセージを出してたよ。ローマ法王もなんかコメント出す準備してるらしいけど、ドタバタしてて明日にずれこむみたい。……ホント、戦争にならなきゃいいけどな」(と、ここで遠い眼をする)
 「怖いよ、そんなの……」(と、私に寄り沿ってくる彼女)
 「……大丈夫だよ、何があったって、僕は君を守るから……」
 これからあとの展開は詳しく語るつもりはないが(^_^;)、“しばらくして”、ちゃんと正直に「さっきのはウソだよ」と言いました。結構怒られたけど、嫌われることはなかった。まあ、こういう“手”もあるということで。f(^^;)
 しげにはこの手のウソは絶対に禁物である。それこそ「UFO見たよ」と言ったって騙されるくらい単純なやつだから、パニックにでも陥られたらあとのフォローが大変なのである。


 年度初めの会議があったのだが、例のトンデモさん、もう初手からトンガリまくっている。最初の会議くらいは出てくれないことには話にならないから、ともかく席に着いてもらいはしたものの、そのあとがいけない。
 「ご挨拶だけはいたしますけれども、私にも仕事がありますし、みなさんのお仕事は私にはわかりませんから、この席におりましても意味がありません」
 そう言い捨てて会釈もせずに席を立ってしまった。仕事が分からないって、それじゃ、あなたはなぜこの部署にいるの。もうみなさん憮然とした表情で腕組みをしている。ああ、こんなんじゃほかの人には喧嘩を打ってるとしか思われないやんか(+_;)。
 会議が終わって、“取り成し”に行ったのだが、ますますトンガッてて、「もう許してください、私これ以上頭を悩ましたら病院に行きそうです」。そりゃ、みんなあなたに病院に行ってほしがってますがな、とは口が裂けても言えない。だからまた「まあまあ」と適当になだめるのだが、全く、どうしていいトシをしたオトナを子供みたいにあやさにゃならんのか。
 今思いついたが、この人のことはこれからトンガリさんと呼ぼう。多分、この一年は、このトンガリさんが私の胃に穴を空けていく一年となろう。ううううう((((T∇T) 。


 ようやく、劇団の公演の会場予約ができたようである。
 先月はアクロスのカチョーだかカイチョーだかがインケツで抽選に外れたとかボヤイていたしげだったが、今日は競合する相手もなく、すんなりと決まったようである。ただし取れた日は12/25,12/26。んな、クリスマスの直後の年の瀬も押し迫ったころに客が来るのか(--;)。

2003年04月01日(火) K嬢のえっちな絵/『戦国秘帖 黒の獅子』vol.1(永井豪)/『20世紀少年』12巻(浦沢直樹)
2002年04月01日(月) 心機一転?/映画『ビューティフル・マインド』ほか
2001年04月01日(日) 四月バカ/『ブンカザツロン』(唐沢俊一・鶴岡法斎)ほか


2004年03月31日(水) 人の噂は何十年。

 早朝、仕事から帰ってきたしげが鴉丸嬢と電話している声で目が覚める。
 どうやら私について何だかんだと話のタネにして笑いモノにしているようである。人が寝ていると思って、好き勝手してくれるものだ。
 ホームページにアップした鴉丸嬢のイラストの色が濃過ぎるとか言ってるが、色弱の人間に色の調整をしろと言われても無理な話である。私の眼には特に濃いとも見えないんだもん。パソコン任せのオートでやってるんだが、手動で調整したらもっとヒドイ色になりかねない。多少の色ムラとかはカンベンしてもらいたいのである。
 昔、ヨレヨレのスーツにコート、ちょうど刑事コロンボみたいな格好でホームセンターの中をうろついていたら、浮浪者と間違えられて警察に通報されそうになったことがあるが、そんな話まで嬉々として鴉丸嬢に喋っていた。いったいいつの話だ、もう十年以上昔じゃないか。
 ……とか言いながら、実は今も当時とたいして違った格好はしていないのである。こんなホームレスもどきの格好では、幼稚園とか小学校をふと覗いたりしたら(いや、覗かないけど)通報されかねないよなあ、と自分でも思うのだが、手元にあるのは着崩れたスーツばかりで、パリッとしたものは一着も持っていないのである。日頃、しげがスーツやズボンにアイロンかけてくれるくらいのサービスをしてくれりゃ助かるんだが、いったいあのバカがアイロンをどこに仕舞いこんだものか、どこを探してもいっこうに見つからないのだ。
 だもんで、自分でもアイロンがかけられない。クリーニングに出すしかしようがないのであるが、代金がもったいなくてようせん。という訳で私のスタイルは十年一日、いつまで経ってもヨレヨレのままなのである。
 ……陰口叩いてるヒマがあったら、家事しろ、くそ(ーー;)。


 本日も休みなので、間に昼寝を挟んで、一日、ホームページの更新にいそしむ。けれど、ここのところ映画を立て続けに見たので、その感想を書くのに追われて、マンガや小説の感想が全く書けなくなっている。
 そちらを楽しみに読んでくださってる方も、数は少ないながらいらっしゃるようなので、誠に申し訳ない限りである。

 
 今日で3月も終わりだなあ、とか考えていたら、もうすぐホームページ立ち上げて丸1年経つことに気がついた。何かイベントでもやったらいいのかとも思うが、何も思いつかない。「こういうことやってほしい」というリクエストがありましたらどうぞ。
 今日はまた短いが、明日からまた出勤なので、早めに寝るのである。悪しからず。

2003年03月31日(月) メモ日記��
2001年03月31日(土) 藤村俊二はよかったけれど/舞台『ラ・テラス』ほか


2004年03月30日(火) ポエムは人生を語る。

 昨日、アクロスとかでも回転扉の事故が起こってたんじゃないかと書いたけど、やっぱりその通りだった。平成9年からこっち、“少なくとも”4件の事故があったとか。……絶対、そんなもんじゃ済んでないよな。挟まれたり転んだり、被害者はたいてい子供か老人らしいが、そういう事故が起こってもずっと放置してたってことが、この社会の「子供と老人は邪魔者」感覚が蔓延してることの証拠なわけである。どこがバリアフリーだ。
 若いことやカラダが頑健なことを絶対の価値のように思ってる人間って多いけど、それってただの傲慢だし、健康なことがそんなにえらいんかい、と文句の一つくらいつけたくなる。人間みんなトシ取るし、一生健康でいられる人間なんて稀だろう。その程度の想像力もケツラクしてる人間がモノ作ってるってのが腹立たしいんだけど、「そういう人間しかいない」んじゃ、どうしようもないのである。
 シーホークはもっと被害者が出てたらしい。多分、今後しばらくは回転扉は激減して行くと思うけれども、こういう時こそ「回転扉を発明したのは誰か」みたいなトリビアを誰かが披露してくれないものかな。どんな理由であんなイカレたものを開発したのか、知りたいものである。


 文部科学省が、来春から使用する小学校教科書の検定結果を発表。
 前回の改訂では「ゆとり教育」の一環として、その内容が大巾に削減されて物議を呼んだのだが、「学力が低下する」との批判を受けて今回はそれらの内容が「発展的内容」として掲載されることになった。具体的には、「台形の面積を求める公式」(5年算数)などが復活、「食物連鎖」(6年理科)、「縄文時代」(6年社会)などの中学レベルの内容も許容されている。
 受験競争華やかなりし頃は「もっとゆとりを」と文部省の「積めこみ教育」を批判してたくせに、いざ、ゆとり教育が実施されると「学力低下」を訴える世間の身勝手さには呆れ返るしかないが、実際、昔も今も親バカのレベルに変化はない。学校に教育を依存してる時点で自分がダメ親であることを自覚したほうがいいと思う。
 だいたい、「ゆとり教育」の目的は生徒をのんびりさせることが目的なんじゃなくて、空いた時間を使って勉強したいヤツは自分でどんどん勉強するように、という意図で導入されたものだ。ところがフタを開けてみたら殆どの生徒が土曜の休業日に勉強なんかしなかった。結局、教育なんて押しつけられ、強制されなきゃ大多数の人間がやらんということが分かったのである。リベラリストはすぐに自由にさせりゃ人は自分から知識を求めるようになると主張するけれども、そんなのは幻想にすぎない。子供の90%はただのバカで、いくら時間を与えたって、遊ぶことしか考えないものだ。そんなことにも気づかなかったバカ親が世の中に蔓延してるから、教育改革がいつまで経っても進まないのである。
 文科省もせっかく批判されてるんだから堂々と「積めこみ教育を復活させる」と言い切っちゃえばいいのだ。でもって、勉強に付いてけない「落ちこぼれ」は切り捨てて、どんどん落第、退学させる。世の中は中学浪人、高校浪人やプータロウで溢れかえるだろうが、無視すりゃいい。「自分たちが主張してること」がどんな意味を持っているのか、ちっとは世間のバカ親どもに思い知らせてやればいいのである。いいじゃん子供が遊び呆けたって。
「積めこみ教育」をしようが「ゆとり教育」をしようが、自分のバカガキはバカガキのままで勉強なんかしないって事実を思い知らせてやればよろしい。


 今日明日は仕事休み。またすぐに忙しくなるからちょっとしたひと休憩にしかならないのだが、その間に少しでもホームページを更新させようとするのだけれど、資料をちょいと見返したりするだけで時間が怒涛のごとく過ぎ去って行く。つか資料を本の山の中から探し出し、引っ張り出すだけで時間かかってる気がする。
 本棚に納まりきれない本や荷物はダンボールにぶちこんでいるのだけれど、それを開けたり、その奥にある本を取ろうとしてどけたりしているうちに、いつのまにか部屋の奥地へと入りこんで今度は自分が出られなくなってしまうのである。自分ちで遭難してんじゃねーよって。
 けど、押入れやクローゼットの中をあさっていると、こんなところにこんなモノが、とビックリするモノを見つけてしまう。例えばそれは学生時代に書いた昔の原稿だったりするのだが、まあ、読み返してこんなに恥ずかしいものはない。もっと恥ずかしいのは、文章技術のレベルが当時と今と見比べてみてもあまり向上してないことなのだな。この二十年、何やってたんだ、オレ。

 今、若い人たちがこぞって個人ホームページを開いて、小説だの詩だのを披露している状況は実に楽しい。そういうのを十年後二十年後に本人が見たら、果たしてどんな気持ちになるものだろうかと今からワクワクしてしまうのである。
 劇団の連中も自分でホームページを開いてるやつが結構いるのだが、これがまあ、何つ〜かどいつもこいつも若さ大爆発、オジサンの感覚で理解可能なものが一つとしてないのが素晴らしい。
 らぶきっつぁんこと、桜雅充さんとこのサイトなど、テニプリ小説もさることながら、脳天に鉄槌食らわされたような衝撃を与えてくれたのが「ポエム」のコーナーであった。これはもう、ぜひともみなさんにご紹介せざるをえまいということで、勝手に引用させていただくが、一つめの「ポエム」がいきなりこうである(行間もそのまま)。


> わたしはただ・・・・

> あなたをあいしていただけ・・・・。



> 愛してほしいの。


 注目すべきは、最初の「あい」がひらがなで、次の「愛」が漢字だってとこですね(^o^)。桜雅さんの限りない優しさが前者には込められているし、後者には相手への抑えきれない情熱がほとばしってます。プロの技法ですね。最後が句点で留められてるとこもポイント高いです。
 次はこれ。


> 涙は、あなたの優しさの証

> 笑顔は強さの証


 合い言葉は勇気! いやあ、小田和正か山下達郎が書いた詩かと思っちゃいました(^o^)。これを裏読みなんかしちゃいけません。相手への絶対的な信頼が二人の愛を築き上げるのですよ。


> 疑うよりも

> 信じることのほうが難しい


 人生の真理です。頭脳明晰であるがゆえに相手のウソを見破ってしまう人は等しくこう感じているでしょうね。


> 恋することは

> 自らを成長させる


 どんどん成長してください!


> あなたは

> 誰かを本気で好きになることができますか?


 できなきゃ、人間じゃないですよね!


> 人は時として

> 悪魔にも天使にもなりうる


 いや、あなたは天使だ!
 ……いやもう、読んでてクラクラしました。目くるめく体験って、こういうのを言うんでしょうかね(^.^;)。続きはもっとあるんですが、今日はこのくらいで。もっと読みたい方はウチの劇団のホームページからリンク貼ってますんで、よろしゅうに。
 桜雅さん、次作を期待していますよ♪☆\(^0^\) ♪(/^−^)/☆♪


 今日も飯はうどん……の予定だったが、2人前作って一杯のどんぶりに入れ、しげに渡したら、全部ペロリと平らげた。
 「二人で一杯って言ったろ!? 何で全部食うんだよ!」
 「あ、ごめん、気がつかんやった」
 昼またうどんを作る。やっぱり2人前作って一杯のどんぶりに入れ、しげに渡したら、また全部ペロリと平らげられた。
 「今朝も二人で一杯って言ったろ!? 何で全部食うんだよ!」
 「あ、ごめん、気がつかんやった」
 しげの記憶力がない原因の一つに、「食欲の前には全ての理性がすっ飛ぶ」ということがあるのかもしれない。

2003年03月30日(日) メモ日記��
2001年03月30日(金) シラフでも酔える夜/『怪奇探偵小説傑作選2 横溝正史集/面影双紙』


2004年03月29日(月) また訃報。立て続けだとちょっとツライ。

 六本木ヒルズの回転扉による児童死亡事故を受けて、アクロス福岡でも回転扉を畳んで停止したとか。畳めるものだったのか、あれ。
 誰か死者が出ない限り、何の対策も取らないというのは、一般常識から考えれば無責任極まりないわけだけれども、費用のことを考えれば、「事故が起きない限り何もしない」というのは企業でも官公庁でも変わらないもう一つの「一般常識」であるわけである。ためしにどこぞの会社に「おたくの会社のここのドアの建付けが悪くなってて危険だから新品と取り替えなさい」とクレームつけてごらんなさい。馬鹿正直にそんなことする会社はほぼ皆無でしょう。
 「常識」の怖さというのは、我々の本能を鈍らせるというか、分析と総合の力、もっと簡単に言えば、「考える力」を奪ってしまう点にある。全ての物事についていちいち考えなきゃならんというのも面倒臭くて仕方がないから、我々はそれを放棄し、代わりに「常識」を身に付けることで雑事にアタマを悩ますことから解放されているわけである。だから一概に「常識」の存在を否定するわけにもいかない。けれど、「そんなの常識でしょ!?」と主張する人間に、「どこが?」と問い質すと、たいてい絶句して答えられなくなるのは、それだけモノを考える習慣を人が嫌っていることの何よりの証拠でもある。
 そういう状況に人はみな慣れきっているから、一方の「常識」と、もう一方の「常識」がぶつかり合うということも世間にはよくあることである。そういう場合、片方、あるいは双方に「常識の再構築」が強いられることになるのだけれど、そこでモノワカレになって、結局「考えなしの常識」が放置されたまま、という事態に陥ることもしばしばだ。
 今回の回転扉の事故はまさにそれで、「回転扉は危険じゃない」という「常識」が極めて強固で、ちょっとやそっとの怪我人が出た程度じゃビクともしなかったということだ。これまでにも事故があるたびに、森ビル側には回転扉の問題点の指摘はされていたらしいが、結局撤去はなされなかった。「どうしてなのか?」という疑問は我々の常識であって、彼らの常識ではない。常識に理屈はないのだから、疑問を抱いてもムダである。彼らは「何も考えていなかった」のだから。
 マスコミが今回の事故をあれだけ大々的に報道しなけりゃ、「ヨソはヨソ」で、アクロスだって撤去しようとはしなかっただろう。詳しく報道されちゃいないが、アクロスでも絶対事故は起こってたと思う。悲しいのは、人は、「人死に」が出るくらいのことがないと自分の常識を疑えない、ということだろう。「常識」というか、「自分の作り上げた虚構の物語」にしがみつかないと生きていけない人間のサガの悲しさというやつである。
 ……ま、「人死に」が出たって自分の「常識」の方を優先するやからだって世の中にはいるので、今回の件は「まだマシだった」と言えるのかもしれないけれどね。


 最近、とみに外人さんからのメールが増えて、日に三十通、四十通来ることも珍しくなくなった。半年前は一ヶ月でその程度の量だったから、30倍くらいに増えた計算になる。最初のころはどんな外人さんが来るものやらと面白がってはいたけれども、こう増えるといちいちチェックするわけにもいかない。ウィルス含まれてるやつだってあるだろうと思ってウィルスチェックにかけると、ドンピシャで「感染してる可能性があります」と出る。もう面倒臭くなったので、開きもせずに片っ端から削除してたのだが、つい先日、「迷惑メールフォルダー」というサービスがあることに気がついた。細かい仕組みは分らないけれど、「ユーザーの承諾を得ずに一方的に送信される電子メールであって、その内容が出会い系サイトの広告やアダルトコンテンツサービスの利用料金の架空請求等のように、一般に受領者に不快感ないし、不安感を抱かせることが多いもの(迷惑メール)を、その時点で妥当と判断する基準に基づいて自動的にフィルタリングし、ユーザーへの配送を防止する」んだそうな。早速ためしにやってみると、見事に外人さんからのメールが全てフィルターの中に寄せられてしまった。うーん、やっぱり個人的にお近づきになりたいという外人さんはいなかったのだなあ。もしいたとしても日本語でメールくれるものだろうけどね。
 そういうわけで、もし本気で私に挨拶したい外人さんがいたら、今後はアルファベットじゃなくて、カタカナでメール下さいな。あと、「メールを送ったのに、受信拒否された」という人は、迷惑メールと解釈された可能性がありますから、自分のメールアドレスに問題がなかったかどうか、チェックしてみてください。


 今日は仕事を休んで病院のハシゴ。
 久しぶりにかかりつけの主治医と面談、検査の結果、「糖も蛋白も出てませんね」と言われて誉められる。糖尿になって以来、医者に誉められたのは初めてじゃないか。これで油断しちゃしょうがないんだよなと思いながらも、やはり安堵感で気分は晴れやかになる。
 「やっぱり一番の原因はストレスでしょう。どうも相当ストレスが溜まるご職業のようですから、それを緩和するようにされては」と言われたが、それができりゃ苦労はしない。第一、ストレスの原因は職場ばかりじゃないからなあ。
 こういうことをチラッとでも言うとしげはすぐに「私がいなけりゃいいんでしょ」と拗ねるが、そんなのは当たり前のことである。人は出会わなければ無関係な他人のままなんだから。出会った以上は「どのように関わるか」ということを考えるのが人間なんであって、それをしげがまるで考えてないところがヒトデナシと誹謗される理由なんである。飯食らうだけ食らって、片付けしようって気をまるで起こさない、それどころか一切家事を拒否してるってのはいったいどういう神経をしてるんだか。無いのか神経。
 だから私は「自分がいなけりゃいいなんて絶対に言うな、バカをやめる努力をしろ」と百万回言ってるのだが、しげは翌日にはそれを忘れて百万回バカを繰り返しているのである。これでストレス溜めるなというのは無理なんだって(-_-;)。

 その足で眼科に回る。最近とみに右眼がかすんできているので、視力が落ちて来てるか白内障にでもなりかけてるんじゃないかと心配してたんだけれど、医者の見立ては特に変化はないとのこと。でも以前もこの医者、写真撮影で網膜裂傷が起こりかけてたのを見逃してるから、あまり当てにはならないのである。別の病院に変わった方がいいかなと感じちゃいるんだが、近くで通いやすい眼科がないんだよねえ。


 博多駅に回って、5月に北九州で公演のある『バナナがすきな人』のチケットを買う。今のところ月に一本は舞台を見にいっているが、本当は2、3本は見たいところなのだ。十年前に比べると、福岡で公演される芝居の数も格段に増えているし。ただ映画に比べて5倍は高額だし、当たり外れがデカいのがなかなか本数を増やせない恨みになっているのである。『バナナ』も近藤芳正演出というただ一点でチケット買いしたのだが、果たして吉と出るか凶と出るか。
 しげは今日もダイソーでダン・エイクロイドのシールを貼るプレートを探しているが、手頃なのが見つからない様子。プレート求めて○○里の遍歴、いったいいつまで続くやら。
 帰りに立ち食いうどんでコロッケうどんを食べる。ふと気づいたけれど、二人で立ち食いしたのって初めてじゃないかな。


 また淋しい訃報が連続して二つ。
 漫画家で、もとPプロダクションのプロデューサーうしおそうじ氏が、28日に急性心不全のため死去、享年82。喪主は長男で作曲家の鷺巣詩郎氏。
 漫画家として見開きのモブシーンを細密に描いていたのは手塚治虫と鷺巣富雄(うしお氏の本名。漫画家としてこの名前を使っていたこともある)だけだと指摘していたのはみなもと太郎だったか、本人だったか。
 インタビュー記事や自伝の漫画などを読むと、ラッパ吹きと言うか、相当に自己宣伝色の強い人で、そのあたりが後年の不遇にも繋がっていったのだろうと思われる。未だに『マグマ大使』のギャラを岡田眞澄ほか出演者に払ってないというのはどうもデマではないようだが、悪意からではなく、ラッパ吹いてるうちについ次の仕事の資金に使っちゃったのだろう。仕事にルーズな人ではあったが、その大らかな人柄は結構好かれていたように思う。三船敏郎、円谷英二、手塚治虫らとの交友を限りない憧憬をもって嬉々として語る様子を見ていると、この人は基本的に「モノを作る人」ではなく、どこまでもファンの延長線上でプロデューサーになっただけなのだろうなあと感じられる。その意味でうしお氏に一番近い存在は、エド・ウッドだろう。氏のことを「日本のエド・ウッド」と呼んでも怒る人は、うしお氏のファンにはいないと思う。
 Pプロダクションの製作作品群は、お世辞にも一級とは言いきれない。後年に至るほどその出来はどんどんひどくなっていくが、それでもリアルタイムでその殆どを見ていた。見るものがなくて仕方なくではない。本気で好きで見続けていたのだ(見損なってるのは多分福岡では放映が遅れた『鉄人タイガーセブン』くらいのものだ)。でなきゃ当時のコミックスで『宇宙猿人ゴリ』や『快傑ライオン丸』『風雲ライオン丸』まで集めたりするか(復刻版まで買っちまったよ)。円谷の『ウルトラ』シリーズですら当時はあまり買っていなかったと言うのに。
 特撮やセットがチャチだの、脚本がいい加減だの、パクリが多いだの、テコ入れのたびに設定が変わるだの、欠点をあげつらい、チープと呼ぶのは簡単だが、それはうしお氏にとっては決して手抜きではなかったと思う。ほかに表現のしようもないので言い切ってしまうが、うしお氏ほど、当時「愛」をもって特撮ドラマを送り出していた人はいないのだ。
 『ゴリ』も『ライオン丸』も『電人ザボーガー』ですら、今見返すと、私は涙ぐみそうになる。困難に立ち向かう勇気を、逆境に負けない根性を、悪に打ち勝つ正義を、愛を、うしお氏は語った。若い人にとって、それらのものはただのきれいごとにしか見えないかもしれない。けれど、うしお氏の稀有なところは、それを語る時、決して自分に酔ってはいなかったということだ。
 うしお氏の主人公たちはよく涙を流す。蒲生譲二も獅子丸も大門豊も泣いた。けれど彼らは泣いて終わったわけではない。彼らは決して涙に流されることはなかった。感情を越えた強い意志がそこに流れていたからこそ、涙の先に道があることが訴えられていたからこそ、我々はうしお氏の作品群に魅せられていたのではないか。
 うしお氏のそういった思想の背景には、やはり一兵卒として敗戦を迎えた戦争体験が大きく影響しているように思う。こういう形で語り継がれる「戦争」もあるのだ。説教するばかりが能ではないことを知るためにも、今一度、うしお氏の作品が復活してもいいと思うのだが、往年の特撮・アニメのリメイクが流行る今日、『マグマ大使』以外のリメイクがないというのは淋しいことである。


 イギリスの俳優、ピーター・ユスティノフが28日、スイスで死去。こちらも享年82。
 役者としてのピークはアカデミー助演賞を受賞した『スパルタカス』(1960)、『トプカピ』(1964)のころだったのだろうが、我々の世代だと、アルバート・フィニーの跡を継いで、『ナイル殺人事件』(1978)以降、映画で三本、テレビスペシャルで三本、計6本で私立探偵エルキュール・ポアロを演じていたのが印象深い(ロイター通信、「『名探偵ポワロ』シリーズでエルキュール・ポワロ役を演じた」って紹介してるけど、これ翻訳ミスだろうな。デヴィッド・スーシェととっちがえているのである)。
 もっとも原作のポアロのイメージ(小男)とは似ても似つかぬ大兵肥満ぶりに、原作ファンは「あんなのポアロじゃない!」と怒っていたのだが。テレビ版『エッジウェア卿殺人事件』(1985)でワトソン役のヘイスティングスを演じたジョナサン・セシルが痩せた小男だったために、ユスティノフの太りぶりは一層強調されていた。
 ユスティノフがポアロに起用されたのは、語学に堪能であった点が買われたのだろう。フランス語訛りの英語を喋るポアロを演じられる役者自体がそもそも少なかったのだと思われる。もともとユスティノフはロシア人を両親に持っているが、ベルギー人といっても通用する風貌だとあちらのプロデューサーたちには考えられたのだろう。日本人である我々には西洋人はみんな一緒に見えるのだけれど。
 しかし、いくら名優とは言え、明らかに体形の違うミスキャストを続けられてもファンは困惑するばかりであった。デヴィッド・スーシェのポアロが登場すると、当然のようにユスティノフにポアロの声はかからなくなった。そうなるとあのイヤミったらしかったユスティノフ・ポアロももう一度見てみたくなる気持ちも湧いてくるのであるから、ファンとはつくづく勝手なものだ。
 名探偵、ということであれば、ユスティノフはもう一本、高名な探偵に扮している。『オリエンタル探偵殺人事件』(1981)でのチャーリー・チャンだ。中国人に扮するのはいくらなんでもムリがあったが、もともとワーナー・オーランドにチャーリー・チャンを演じさせて平然としていたクニだから、「同じ外人ならオッケー」くらいの感覚でいるのだろう。このあたりのどうしようもない出来の映画にもユスティノフは何の衒いもなく出演して、しかも思い切り手抜きの演技をしていたから、果たしてこの人は名優と言っていいのかどうかと首を傾げたくなったものである。
 遺作はマルティン・ルターの伝記映画『Luther』 (2003)。共演者に同じくポアロ役者の一人であるアルフレッド・モリーナがいるのは奇縁であろうか。

2003年03月29日(土) メモ日記��
2001年03月29日(木) 血の収穫/ドラマ『六番目の小夜子』ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)