無責任賛歌
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| 2003年06月09日(月) |
いや、落ちこんでるわけじゃないんだが/『なんてっ探偵▽アイドル』12巻(北崎拓)ほか |
ちょっと書こうかどうしようか迷ったのだが、いずれそうなることを予測はしていたので、一応書いておく。 先日の健康診断の結果が出たのだが、ついに眼底に出血が表れた。明日すぐ失明ということではないのだが、もうそんなに長く持つものでもなさそうである。食生活も改善できないし、仕方がないと言えば仕方がないのだが、体重が減り加減であったので、自分としては少しはマシな状況になってるんじゃないかと油断していた。あとどれくらい本が読めて映画が見られるのかなあと思うと、ちょっと寂しい。 もともと私の視力は極端に悪い。数メートル先の人の顔の区別もつかないし(つかなくても生活に支障は来たさないのだが)、とうに人の顔を覚えようという気はなくしている。そんなんで本や映画をよく見られるなと思われるかもしれないが、だから劇場の大画面で映画を見るのが好きなんである。活字は大きいに越したことはないが、多少つぶれたように見えていても、慣れでどんな字か見当はつく。それでも出血がひどくなって、目が霞むようになれば、本も映画も見るのを諦める日が来るのだろう。数ヶ月先か、数年後か、10年後か。でも、最初に失明宣告を受けたのは小学生のときだったから、よくここまで持ってくれた、と言った方が正しいかもしれない。 とは言え、何せ救われぬ煩悩の徒であるから、潔く諦めきれるかどうかは自信がない。メクラの癇癪モチの因業ジジイになりゃしないかと心配である。 このサイトも、どれだけ長く運営できるかしらないが、できればしげに口述筆記で日記くらいは書き綴ってほしいなあと甘えたことを考えている。でも一日10行以上は絶対いやがりそうなんだよなあ(^_^;)。 週末はとりあえず眼科に行って、精密検査を受けるつもりである。それでまた結果がどう出るか、今後はいったいどうなるのか、世は全て“Que sera sera”。
ショックの余り、我知らず神経のバランスが崩れたりはしないだろうかとかなんとか不安に思うが、そういう思考をしていること自体、既にバランスを欠いている証拠である。 仕事が手につかないというほどではないが、ふと、廊下を歩いていて、目的の部屋を通り過ぎている。これがココロ、ココニアラズ、という状態なんだろうか、ああ、意外とオレも脆いなあ、と苦笑する。 帰宅途中、博多駅に寄って、近くに今年のトンデモ本大賞の例の歯医者があるんだよなあ、ちょっくら寄って、パンフでも貰って来ようかと考えて、「今、夜じゃん」と気がつく。焼きソバ屋に寄って、マヨネーズをかけていてふと気がつくと一本使い切っている。目の前の焼きソバはマヨネーズのこんもりとした山に埋もれている。でもってそれをまたヤケになって食うのだ。 自分で自分がおかしくなってるなあ、と理解はしているのだが、では、そのおかしくなってる自分を見ているもう一人の自分は誰なのだろう? どうもこう調子が悪いと、しげの情緒不安定を笑えない。
帰宅すると、まだしげが寝ている。検査結果のことを言おうかどうしようか迷ったが、どうせ日記を読むんだしなあ、と思って黙っている。一日経てば私ももう少し落ちつくだろうから、それからでも話して悪くはない。だいたい、私が失明しそうだからと言って、いきなりかいがいしくなるような人間ではないのだ(だったらとうの昔になっている)。 しげが仕事に出て行ったあと、日記をほとほとと綴って、チャットを開く。いつもより一割増しくらい、露悪的な書き込みになることが多い。やっぱり神経が高ぶっているのである。ヨナさん鍋屋さんには、いったいどうしたのかと心配なされたことであろう。実はこういうわけだったのである。いや、申し訳ない。
録画しておいたCSアニマックスの『ジャックと豆の木』を見る。前にも感想を書いた気がするので、詳しいことは繰り返さないが、『銀河鉄道の夜』や『源氏物語』のような幻想世界を見事に描いた杉井ギサブローの、スラップスティック感覚が横溢したもう一つの代表作。音楽がBGM的な働きしかしておらず、今一つミュージカルになりきれてないのがウラミだが。 しかし声優陣は豪華だ。市村正親・山本リンダ・西村 晃・悠木千帆(樹木希林)・日下武史・水島 弘・一谷伸江・麻生美代子・上村一夫・左とん平。今だったら、キャストだけで製作費が吹っ飛びはしないか(劇場公開は1974年)。 樹木希林と麻生美代子の声質がよく似ているので、麻生さんがいつもよりやや甲高い声で当てているのがおかしい。
マンガ、北崎拓『なんてっ探偵▽アイドル』12巻(小学館/ヤングサンデーコミックス・530円)。 えー、「闇のドッキリ番組編」「青い目の逃亡者編」「アキラ拉致問題編」「ゆかりん視姦編」「リスト対テロリスト編」を収録だそうです。 なんかもー、どの話もとことんトホホな展開で、確かに私自身なんで未だにこれを買ってるのかよくわからないのだが、やっぱこの作品、基本的に「ハレンチ学園」モノだからなのかもなあ。これが「刷り込み」なのであろう(そう言えば『ハレンチ学園』もコンビニで発売されましたね。なぜか第1話から収録されてませんが)。 だって、アレですよ、アキラが誘拐される話なんか、自分の居所を清春と片岡に知らせるために、アキラがプラジャーやパンツを落としていくんですよ。こーゆーマンガをどう評価すればいいというのか。……だから自分でもなぜ買ってるか説明がつかないんですってば。
2002年06月09日(日) チキュウは狂気で回ってる。/『全日本妹選手権!!』1・2巻(堂高しげる)/『おごってジャンケン隊』5巻(完結/現代洋子)ほか 2001年06月09日(土) イカレポンチ天国/映画『大菩薩峠 第一部』(1957東映)ほか
| 2003年06月08日(日) |
別れの予感/DVD『八つ墓村』/『HUNTER×HUNTER』��17(冨樫義博)ほか |
アニメ『鉄腕アトム』第10話「金星ロボット襲来!」。 20年前、金星開発のために大量生産されたが、宇宙開発が木星の衛星群に移行したために、使われることなく海底に廃棄された金星ロボットがトロール船の電磁網に引っかかる。彼らは未だに稼動しているのか? 強力な冷却装置を持つ金星ロボットの危険性を心配したお茶の水博士は、アトムに海底の探査を命じる。驚いたことに、彼らは自己進化を遂げ、海底で町を作り、使命を与えてくれるキャプテンが再びやって来るのを待っていた。 アトムのあとを追って広大な都市を発見した天馬博士は、自らキャプテンと名乗り、金星ロボットを操り、彼らの持つ冷却装置で、メトロシティを凍らせようと企む。 ベースになってる原作は『ロボット爆弾(□□□□から来た男)』か。天馬博士を登場させた分、メイスンも丸首ブーンも出番がなくなってしまったが、手塚キャラクターシステムファンとしてはちょっと寂しい。ヒゲオヤジもレギュラーじゃないからなあ。 天馬博士が「私は神だ!」って叫ぶのもキャラクターを安っぽくしてしまっている。それにラストのモニュメントのデザインがお茶の水博士を支えるアトムって……なんかベタ過ぎるぞ(^_^;)。 だいたい、アトラスをアトムと戦わせたのが「試練」のためだったとしたら、金星ロボットでメトロシティを凍らせようとする天馬博士の目的は何だったのか。ロボットの独立を図らせるのにはまだまだ時期尚早だろう。特にアトムを「ロボットの王」に本気でしたいのなら。「今の」アトムがロボットたちの暴走を止めようとするのは分りきっている。仮にメトロシティが破壊され、ロボット王国が築かれ、事後承諾で(おいおい)アトムを王位につかせようとしたとしても、さて、アトムが納得するはずがない。アトムにもっと人間に対する不信感を抱かせてからでないと、金星ロボットを操るだけでは結局、目先の破壊しかできはしないし、体制の転覆までは無理な話だろう。 なんだか天馬博士がバカに見えちゃうんだけど、そういうのって、よかないよなあ。シリーズ構成がちょっと甘いのではないかとも思う。 あっ、けど、アトムのコブシを握ったおなじみの飛行ポーズが出て来たの、今回が始めてではないかな。
よしひと嬢としげ、練習に出かける。 14日にシネリーブル博多駅で友成純一さんのトークショー&『死霊のはらわた』の上映会があるのでお誘いしたのだが、今週は都合がつかぬとのこと。残念である。
ともかく見ないまま溜まってるDVDを見ねばと、まずは松竹版の『八つ墓村』を鑑賞。 横溝正史ファンとしてはまあまあ濃い方だろうと自認している私ではあるが、実はこの映画を公開当時劇場では見ていない。なんでかって、もう休日となるとスゴイ長蛇の列で、何回行っても人が多くて入れなかったのよ。 でもって、当時の福岡の松竹ピカデリーってさ、映画館としては最低な部類だったので(客席が急勾配で、映画がマトモに見られる角度がほんのちょっとしかないし、スピーカーが古くて声が割れてて聞こえない)、ええい、もう見なくたっていいや! とパンフレットだけ買って帰っちゃったのだ。あとでテレビで見て、これはやっぱり「いい条件の」大画面で見たかったなあとつくづく思ったことである。 特典で「シネマ紀行」ってのが収録されてるのだけれど、これが単に「ロケ地は今どうなってるか」ってだけのもので、つまらない。 まだ、予告編5パターンが全部収録されてるが、こちらのほうがよっぽどメイキングとしての価値がある。原作者横溝正史と野村芳太郎監督との打ち合わせの様子とか、津山30人殺しの現地を訪ねる渥美清の映像とか、こりゃスゲエ貴重だよ。街頭インタビューは明かにヤラセのアフレコだったけど(^_^;)。 予告編でやたらと「『砂の器』のスタッフが再結集」と紹介されているのは、1977年当時の状況を知るものでないとピンと来ないだろう。1974年公開の松本清張原作による『砂の器』は、松竹映画史上最大のヒットを飛ばし、ロングランに継ぐロングラン、映画賞も次々に受賞し、この『八つ墓村』の前年にもリバイバル公開されやっぱりヒットを飛ばすという、とんでもない状況を生んでいたのである(その記録を『八つ墓村』が破ることになるのだが)。 当時の総製作費7億円(現在の金額に換算すると15億円程度)、キャストも松竹定連だけでなく、もと東宝の役者さんでフリーになっている人たちも総動員して、実に厚みのある演技陣。 下準備に6年をかけ(実は最初は角川との共同提携であった。角川春樹と松竹が揉めて袂を分かち、角川映画第一作として『犬神家の一族』が前年に公開されたのは周知の通り。これがかえって『八つ墓村』を宣伝する結果になった)、音楽は『砂の器』の汚名返上、起死回生を狙う芥川也寸志(実は『砂の器』のテーマ音楽『宿命』を作曲したのは芥川さんではない。弟子の菅野光亮さんである。でもあれを芥川さん作曲だと勘違いしている人は当時から多く、芥川さんにとっては忸怩たるものがあったろう)、脚本は黒澤組の橋本忍、撮影は松竹生え抜きの川又昂、監督は横溝「文学」の映像化を長年夢見ていた野村芳太郎。既に『張込み』『ゼロの焦点』『背徳のメス』『五辨の椿』『影の車』『砂の器』などの作品で、ミステリの映像化に関しては第一人者と見られていた。これだけの大作感のある映画は当時はそうそうなかった。 同時期に『スター・ウォーズ』第一作(今はエピソード4『新たなる希望』って呼ばれてるやつね)が公開されているが、その前年からの宣伝攻勢でSFファンはともかく一般観客は食傷気味になっており、興行自体はたいしたことはなかった。前年からの横溝ブームの方が世間的には圧倒的に上、という状況だったのである。 では、映画として、完成度は高いかと言うと、そこが微妙な評価になってしまうのである。原作は随分改変され、里村慎太郎・典子(原作のヒロインなのに)の兄妹がカット、重要な役を担う僧侶英泉も同じくカット、いくつかの人物に習合されている。映画的に2時間にまとめる必要があったという事情もわかりはするのだが、ミステリとしての深みが薄まってしまった印象は否めない。 何より、都筑道夫も「これは推理映画ではなくオカルト映画だ」と嘆いたラスト、詳細は省くが、「あれはないよなあ」なんである。脚本の橋本忍、考えてみたら『幻の湖』の人だものなあ(^_^;)。何のことか映画見てない人にはよく分らないと思うが、ネタバレに属するので、この程度の表現でカンベンしていただきたい。 それでもこの映画は、私の「横溝正史映像化作品」の中では市川崑の全作を抜いてベスト2になる(1は高林陽一監督作『本陣殺人事件』)。それはたとえ風貌が原作通りでなくても、金田一耕助の内面を見事に表現した渥美清の名演にかかっている。 金田一耕助は怖い人である。 人間の心の深淵を覗き、そこでのたうち回り、帰ってきた人間である。かつて麻薬中毒患者でもあった過去までも感じさせる演技を披露してくれた役者さんは渥美さん以外にはいない。 渥美清の金田一に、「怖さ」を感じた人ならば、私のこの意見にも首肯していただけると思うのだが。
帰宅したしげと、久しぶりに一緒に外食。 「焼肉のさかい」へ。「焼き肉」と言うとしげの方から誘ったように思われるかもしれないが、珍しく私の方からである。私もたまには肉に飢えることもあるんで。 しげ、なんだか情緒不安定。人の悪口がやたらと口を突いて出るが、そんな自分がまた嫌いになるらしい。果てはいきなり別れ話を切り出される。 「別れたいなら別れてもいいけど、なんで?」 「最近会ってないから。会ってないと忘れるし」 「つまり、『夫婦のすれ違いってシチュエーションがあるから、別れなきゃいけない』ってこと? 別れたい理由があるわけじゃなくて?」 「うん」 「それって、ムリヤリ『別れのドラマ』作ろうとしてないか?」 「だって、ドラマ作るの好きだって知ってるやん」 「……何度も言うけどさ、オノレの作った夢(=妄想)に人を巻きこむなよ(by諸星あたる)」 でも、しげにはこういういい加減な理由で別れちゃいそうなところはあるんだよなあ。例えばしげはやたら「ラブラブなムード」を形で示してくれるよう私に望むことが多い。私にとっては、必ずしねベタベタなラブシーンを演じなくても、「今のこの形で」充分それを表しているのだ。ところがしげはそれではとても物足りない。それこそ、「うふゥ〜ん、君ってなんでそんなに素敵なのぉ?」「いやァ〜ん、アナタこそどうしてそんなにカッコイイのォ〜ん?」ってな臭過ぎるくらいの語り合いをしないと満足しないのである。でも、それは実は「恐怖心」の裏返しだ。 「形あるもの」、それもベッタベタに象徴化・具象化されたものにしか信頼が置けない、というのは、そうでもしないと二人の関係を保てないかもしれない、と恐れているからである。私がどんなに口で「お前を嫌いになることはない」といってもムダである。 じゃあ、実際に愛している様子を見せたらしげは本当に安心するのか。それもまた望み薄だな、と私は感じているのである。そのときはそのときで、「怖がり」なしげは心のどこかで「これはウソだ」と思うだろう。結局、自らの心から「恐怖」を追い出さない限り、しげは何も信用することはできないのだ。 しげはやはりまだ「怖がって」いる。人の心を受け入れることを。その深淵に触れることを。 でもそれをする、と約束をしてしげは私と結婚したのだ。しげのことだからそんなことはすっかり忘れてるのかもしれないが、まずその努力をしないで私に何かを求めても、私は永久に答えることはできないのである。 ともかく「形」に左右されるの、やめようよ(-_-;)。
マンガ、冨樫義博『HUNTER×HUNTER』��17(集英社/ジャンプ・コミックス・410円)。 相変わらずトーン使わないし、白っぽくて雑な印象なんだけれど、さすがにグリード・アイランド編もクライマックスが近づいてきたせいか、それなりに面白くはなってきた。っていうか、本誌の方でチラチラと今後の展開を見てるせいもあるけど。 カードかどうのこうのってのは実は全部読み飛ばしてるのであるが(^o^)、キャラクターの心理の流れに緊迫感が生まれてきてるのがまだこのマンガを読ませている原動力だろう。 けれどヒソカがどんどんいいやつに見えてくるのはどうかな、まあ、まだここぞ、というところで残虐になってくれるんじゃないかと期待してるんだけど。
2002年06月08日(土) いろいろあって書ききれねー/『あずまんが大王』4巻(完結/あずまきよひこ)/映画『少林サッカー』 2001年06月08日(金) 子供の命は地球より軽い/映画『ハンニバル』
| 2003年06月07日(土) |
なんだか盛り沢山な日/映画『腰抜け巌流島』/DVD『怪獣大戦争』ほか |
ホントは今日は出勤してほしいと頼まれてたのだが、そうそう休日出勤ばかりしていたら、カラダが持たないのである。 もともと休みなんだから、休んでなんの悪いことがあろうか。 というわけで、朝寝をするつもりが、目覚めたら七時。なんか数時間寝ただけで起きちゃいました。カラダがやっぱり仕事人間になってるのかなあ(それはないない)。
DVD『怪獣大戦争』、コメンタリーは土屋嘉男さん。 もちろんこの映画にはX星人の統制官として影の主役を演じていらっしゃるのだが、コメントは「俳優、土屋嘉男伝」といった内容で、デビューから黒澤映画への出演、例のUFOの話と、いやまあ、面白い話がいっぱい。もちろんそれらの多くは黒澤明関連の本や土屋さんのご著書などにも紹介されているものではあるが、やはり「語り」を交えられると一味違うものを感じる。 土屋さんのデビューのきっかけが太宰治からの「君は俳優になりなさい」の一言だったというのは初耳だった。こういう重要なことが自伝に書かれてないとは思えないから、多分私は読みおとしていたのだろう。「ほんとはあの人が俳優になりたかったんだよねえ」という太宰評はいかにも的を射たものという印象だ。
実のところ私は、土屋さんのお名前を知ってからも、『地球防衛軍』のミステリアンや、この『怪獣大戦争』のX星人の統制官が土屋さんだとは長らく気付かないでいたのだ。黒澤映画の利吉や森半太夫が、別の映画で宇宙人とは、あらゆる役を演じるのが役者の仕事だとは言え、あまりにイメージが違いすぎたためである。「あんなお面かぶって顔の見えない役をやるなんて」という周囲の揶揄は当時からずっとあったようだが、土屋さん自身が「やらせてください」と本多猪四郎監督に頼みこんで出演することになったという話を何かで読んだときには、涙が出そうになった。怪獣映画をバカにしないで出演してくれる役者さんは、今でこそ増えはしたが、当時は珍しかったに違いないのである。そのあたりのことも今回のコメンタリーで語られている。
土屋さんのご著書にも書かれていることだが、私が大好きな、黒澤さんと本多さんにまつわる一エピソード。黒澤さんが土屋さんに語ったという、本多さんについてのコメントである。 「猪(いの)さんの映画って、怪獣が襲ってくると、みんな大八車引いて逃げ出すだろ。でもそれをちゃんと交通整理してる警官がいるんだよねえ」 「監督ならどう演出しますか?」 「そりゃ、警官は真っ先に逃げるよ。……でもね、あれは猪さんの良心なんだよ」 近年のゴジラ映画にどうしても飽きたりなく感じるのは、この「良心」の欠落にあるのではないだろうか。
あと、「統制官の演技はシェークスピア風」だとか、「X星語はドイツ語やイタリア語っぽいものの中に芥川龍之介の『河童』語を混ぜた」だの、「ニック・アダムスは撮影中ずっとダイエットしていて、しょっちゅうズボンを上げるのがくせになっていた」とかいうこぼれ話はどれも楽しい。しかし、あの賛否両論甚だしい「ゴジラのシェー」の発案が土屋さんだとは知らなかった。土屋さんファンの身としても、いくらなんでもそれはちょっとどうかと言いたいような、「でも土屋さんが言ったんならなあ」と弁護したいような、痛し痒しの心境である。 土屋さんももう76歳である。『ゴジラVSキングギドラ』に出演したあとは、Vシネマや『水戸黄門』のゲストなど、数作の出演作しかない。お年を考えれば無理のないことではあるが、東宝、次のゴジラにでも出演依頼をしてくれないだろうか。
しげから、急ではあるが「よしひと姉様、また泊まりに来るよ」と聞いたので、こりゃ今日は夜更かしになるだろうと、昼のうちに仮眠。 練習を終えて、夕方、しげ、よしひと嬢を連れて帰宅。ちょうど、『腰抜け巌流島』をBSで放送中だったので、主役の宮本武蔵役の役者を指して、「これ誰だかわかる?」と聞いてみる。 「……どこかで見たことあるような気はするんですけれど」 「森繁久彌だよ」 「……ああ、言われれば」 昔の映画の方に馴染んでいると、今の爺さんの森繁の顔の方が「老けたなあ」としか私には思えないのだが、やはり若い人には昔の顔の方が「若いなあ」になるのだろう。つくづく自分が年を取ったと感じることである。 と言ってる私も、佐々木小次郎のヒゲを生やしてない大泉滉のつるんぺたな顔には違和感を感じてしまうのだが。大泉滉は子役時代の『風の又三郎』のときの美少年ぶりと、『赤影』のアヤシイ宣教師との間にギャップがありすぎて、私の中ではその間がミッシング・リンクになっているのだが、これはちょうどその間を埋めるものか。 しかし当時の森繁、飛んだり撥ねたり、よく動いているものである。 ナンシー関さんは、まず確実にこのころの森繁映画を見てはいなかっただろうが、見た上で貶すなり批判なりをしてほしかったと思う。そうすれば時代観察としての意味以上のものが書けたと思うのだが。
食事は諸岡のロイヤルホストで。 よしひと嬢、口内炎が出来ているので汁ものは避けたいと言っていたのに、グラタンやシチューを頼む。やっぱり「いたた」と涙を流しながら食べていたが、そうなるとわかっててどうして目先の欲にとらわれるか(^_^;)。 しげと私は、定食メニューを。最初しげは「スパもほしいし、これもあれも」と悩んでいたが、結局メニューを一つだけに絞る。最近、ようやく「我慢すること」を学習したようである。 食事をしながら雑談をしていたのだが、そのうち、ホームページのコンテンツの話になる。よしひと嬢に、イラストを何か描いてもらえないか聞いてみたのだが、最近しばらく描いていないとか。 「『名探偵コナン』は描ける?」 「あの絵はちょっと……」 しげが「他力本願」と突っ込む。でも私が描くとこいつは「自画自讃」と文句をつけるのだ。どうすりゃいいんだ。 『名探偵コナン』を批判してることについても、しげの舌鋒は厳しい。 「なんでそんなにトリックに拘るの? まずはストーリーじゃん」 「トリックにだけ拘ってたりしてないよ。プロットもストーリーもキャラクターもチグハグだし、まず殺人の動機が一番いい加減だって言ってんだよ」 「でも口を開いたらすぐに『ミステリーとして』って言うけど、読者は『面白いかどうか』だけで、いちいち『コナン』がミステリーかどうかとか考えてないって」 「それはそれでいいんだよ、オレが『ミステリーとして』っていうのは、その言葉を使えば他の細かいめんどくさい説明をしなくても通じる相手がいるからで、『話が面白いかどうか』って意味でなら同じなんだし。だいたいおまえは『コナン』面白いの?」 「ひまつぶしに読むのにはちょうどいいよ。けど、読みながらいちいち『ああ、この事件のトリックはこうで、犯人は誰だな?』とか考えないよ。アンタの読み方って、物語を読んでるんじゃなくて、『クイズマニアがクイズを解く』見方になってるじゃん」 「そういう描き方をあのマンガがしてるからだよ。『ミステリーとして』読まれることを意図してることがはっきりしてるのに、ファンがみんなそこんとこは無視して、新一の蘭への愛がどうの、平次の和葉ヘの愛がどうのって、そんなとこだけ見てるほうがよっぽどおかしいよ」 「……そんなに好きなん?『コナン』が」 「好きじゃなきゃ、単行本41巻全部買って、特別編も19巻まで全部買って、映画も毎年必ず見に行って、ムックまで買ったりせんわ!」 ……いや、自分で言っててもバカだと思う。そりゃ、わかっちゃいるのだ。 私は『コナン』の話のチャチさや既成作品からのパクリの多さや、ミステリそのものに対する作者の志の低さにばかり腹を立てているのではなく、どちらかと言うとファンサイトを開いてる腐女子の「ものの見方の狭さ」の方に憤りを感じていたのだ。 でも、更によしひと嬢から聞いたのだが、『コナン』のヤオイ本というのもちゃんと存在してるようなのである。 「誰と誰だよ。小五郎とコナンか」 「いや……大坂の方にいるじゃないですか」 「……平次とコナン? ああ、いや、平次と新一か」 「いえ、平次とコナンで」 「コナンと? 攻めはどっち?」 「コナン君のほう……かな?」 イカレてるとしか思えないが、考えてみたらこんな話をまだ日も落ちてないのにロイヤルホストで堂々と喋ってる我々もそうとうイカレているのである。 他にも、海外作品の翻訳がどれだけ雑か、などといった話など、多々。 よしひと嬢、「久しぶりにたくさん喋った」と言ったけど、そんなに彼女の会社は、コミュニケーションの少ないところなのだろうか。
帰宅は9時。しげは昨日の夜に出勤してから、丸24時間寝てないので、もう限界が来ている。風呂の準備だけを何とかして、寝床に転がりこんでキュウ。 せっかく時間があるので、よしひと嬢に、まだ見ていないという黒澤明のDVD『天国と地獄』を見せる。 10時を回ったころ、愛上嬢から電話が入る。ラクーンドッグさんのメアドを聞きたいということだったのだが、生憎私は知らない。しげは寝こけて起きてくる気配がないので、困っていると、よしひと嬢が教えてくれた。明日の練習のことで鈴邑君が連絡を取りたがっていたそうである。 愛上嬢、「あとで遊びに行っていいですか?」と言うので、どうぞどうぞと答える。私も夜更かししてお相手できるのは土曜の夜くらいのものである。 『天国と地獄』の終盤のころ、愛上嬢来る。本が山積になっている部屋に三人は、少々どころか大変手狭なので、何とか椅子を空けてそこに座ってもらう。愛上嬢は、黒澤映画を見るのは初めてだとか。地上波のテレビじゃ黒澤映画を流す機会も少なくなっているから、それも仕方のないことか。 見終わったあと、よしひと嬢、感極まったように「面白かった……。久しぶりに面白い映画を見た……。『マトリックス』なんて見ても仕方ない。キアヌはカッコよかったけど」と呟く。どういう比較の仕方なんだか、よく分らないが気に入ってはいただけたようだ(^o^)。 そのあと、『天国と地獄』のメイキング、押井守実写作品の一部などを見せたころには時計は1時を回っている。「さすがにもう寝ないと」とよしひと嬢は寝床に引き上げ。 愛上嬢もしばらくパソコンで私の日記を見ながら笑っていたが、じきにご帰宅。予想外に賑やかなサタデーナイトになったことであった。
チャットを覗くと、鍋屋さんがせっかくトンデモ本大賞に行かれたことを書き込みされていたのに、待ちぼうけをくらわせてしまっていた。申し訳ないことである。金・土・日の夜は、必ずしも顔を覗かせられるとは限りませんので、そのへん、ご了承願います。m(__;)m
『時代劇マガジン』vol.3(辰巳出版・1260円)。 あっ、2号買った覚えがないのに3号が。これだから本屋には足繁く通わないとって思うな。 特集は『魔界転生』と『あずみ』だけれど、キャストインタビューなんかはあまり面白くはなくて、これまでの山田風太郎映像化作品コンプリートの方が資料的に読んでて面白い。やっぱポルノ映画化がほとんどなんだなあ。さすがに小学生のころにそんなのを見るのはムリなんで、ほとんどが未見。かと言って、これから博捜して見るというのも(^_^;)。 ここ数年、映画でコンスタントに時代劇が作られるような状況が生まれたおかげで、こういう雑誌も生まれる。時代劇ファンとしては嬉しいのだが(あのね、80年代のその年に見た時代劇が『里見八犬伝』だけ、なんて状況から考えたら今は天国ですよ)、それでも時代劇が本当に面白かったのは、戦前から戦後の昭和30年代までだったんだよなあ、と、この雑誌を読んでるとつくづくそう思う。新旧の映画紹介が載っているから、比較しちゃうとどうしても「昔の作品の方がよかったよなあ」と思ってしまうのだ。 快楽亭ブラックさんが、『傑作時代劇文豪列伝 陣出達朗の世界』と題して片岡千恵蔵主演の「遠山の金さん」について語っているのだが、 「千恵蔵の金さんとテレビの金さんの決定的な違いは悪役の知能だ」 「遠山の金さんシリーズがすばらしい法廷ドラマであることがわかる」 「『はやぶさ奉行』と『さくら判官』がお勧め」 と、何だか「我が意を得たり」な意見が綴られていて嬉しくなる。 普通、キャラクターのイメージは最初に出会った役者のそれで決定づけられてしまうとはよく言われるが、言っちゃなんだが、そりゃドラマを見ることもできないアタマの悪い連中の言いぐさじゃないかって気がしてくる。私も「金さん」に出会ったのはテレビ版の中村梅之助版が最初だが、そのあとで片岡千恵蔵の映画版金さんを見たら、それ移行の金さんは全て消し飛んだ(ついでに言えば、水戸黄門も月形龍之介を見ちゃうと他のはどうにもねえ……)。 年に何作も作られていたプログラムピクチャーなのに、ドラマの「密度」が違うのである。
2002年06月07日(金) 野良犬は革命ごっこの夢を見るか/映画『血とバラ』 2001年06月07日(木) MURDER IS EASY/『詩的私的ジャック』(森博嗣)ほか
| 2003年06月06日(金) |
ココロさみし/映画『愛してる、愛してない…』 |
最近、職場で気疲れすることが多いので、ささやかな憩いを、ということで、職場の机の上に手塚治虫のミニフィギュアを置く。 例の食玩(と言ってもお菓子が入ってないから既に食眼とは言えないのだが)のシリーズ第2弾のやつで、モノは『ふしぎなメルモ』である。赤ん坊メルモ、普通のメルモ、おとなメルモと三体が同時に立ってるんだけど、前シリーズと同じで、出来はいいがキャラ自体は全然、手塚治虫の絵に似ていない。でも見てると何となく和んでくる。決してメルモがパンチラで目をつむってキスしようとしてるように見えるからではない(^o^)。 私の職場を考えると、そんなモノを置いてたらちょっと問題が起こりそうではあるのだが(どんな職場だ)、目立たないよう、ものの陰にちょっと置いているだけなので、上司には見つからないであろう。 ……しかし困ったねえ、「癒し系」なんて言葉、大っ嫌いなのに、いつの間にか「癒されたい病」に罹ってるよ。
居残り警備を終えて、天神に直行。いつもはしげと一緒なので、車で比恵まではすんなり行けるのだが、今日は一人、バスと地下鉄を乗り継いでなので、時間はギリギリ。食事をするヒマがない。空腹を抑えながら天神東宝で、映画『愛してる、愛してない…』を見る。 『アメリ』で大ブレイクしたオドレイ・トトゥ主演の、これがまた何と言うか、見事にハートを射抜かれちゃった大感激の大傑作。ところがどこがどうよかったかを語ろうと思ったら、これくらい難しいものもない。 このタイトルを映画を見終わったあとで考えてみると、実に上手いつけ方だと言えるんだよねえ。原タイトルは“A la folie pas du tout(心より狂気をこめて)”なんだけれど、それよりずっといいなあと思う。でもその理由がまた、一切説明できないんですよ、これが。 いや、筋そのものは「途中までは」なんとか語れるんだけどね……。
ヒロインは画学生のアンジェリク。明るく、元気な彼女は、絵の技術も個展を開けるくらいの実力で、賞も取って未来は明るく開けているように見える。デッサン中にモデルの顔をつい好きな人の顔にして書いちゃうようなおちゃめなところもあるけれど、夢見がちなのは恋する乙女のセオリー。 そんな彼女の恋の相手は心臓外科医のロイック。でも、彼には奥さんもいて、今度は子供も生まれるとか。でも、アンジェリクはめげたりしない。 あの人の心が、本当は私にあることを、何より私が知ってるもの。 夜は一緒にパーティで、二人だけの時を過ごした。休日は公園で、あの人の姿をスケッチした。それなのに……。最近になって、彼が私との約束を破るようになった。約束の場所には現れない。二人で行こうって誓ったフィレンツェ旅行も当日になって、キャンセル。あの人、もしかして奥さんの元に……? 「もう、あんな男とは別れたほうがいい」って、友達のエロイーズも、私に片思いしてるダヴィッドも忠告してくれる。けれど、もう、私の恋は止まらない……。
えー、これを読んで、まだ映画を御覧になってない方は、原タイトルの「心より狂気を込めて」って意味が、アンジェリクの募る思いを表現したものだとお思いでしょうか。 そして二人の恋の結末がどうなるのか、それがこの映画のクライマックスになるのではないかとご想像されますでしょうか。 ……だから、それから先が何にも言えないんですよう(T∇T)。なんで言えないかすら言えない。この映画に関するいくつかのサイト見たら、そのへん書いちゃってるのがあるんで、もしこれから見に行こうって人は、できればそういう事前情報も入れないで見てほしい。そして見て、「驚いて」ほしいんですよ。 アンジェリクのオドレイ・トトゥはともかく素敵です。見た人の中には「あんな女はなあ」と仰る方もいらっしゃるかもしれない。でも、彼女を通して描かれているのが「愛」の本質であることに疑いはない。アンジェリクを愛せない人間は、愛を知らない人間だと言ってもいいでしょう。 何が何だか訳わかんないでしょうが、しょうがないんです。禁じ手だけど、あえてこう言わせて頂きましょう。「ともかく見ろ!」 ほてから、チャットでこっそりささやきあいましょう(^o^)。 でも、もうすぐ公開終わるんだよなあ。もう少し早めに見に行っておけばよかった。
映画が終わって、腹の調子が悪かったので、トイレに駆け込み。 これで5分ほど時間をロスをしたので、一本、地下鉄に乗り遅れる。これが響いて、乗り継ぎ予定の最終バスにも乗り損なう。 となると、あとは家まで歩いて帰るしかない。30分ほどかかりはするが、タクシー拾ったんじゃ、せっかくレイトショー割引で映画代を浮かせたのに、意味がない。まあ、運動不足を解消するつもりで歩き出す。
途次、半分ほど来たろうか、突然、黒い車が道寄せして私のそばに停まった。 いったい何だ、マフィアがCIAが私を攫いに来たのかと、車をよくよく見ると、何のこたあない、しげの車である。中を覗くと、しげはリンガーハットの制服を来ている。しかし、この道はリンガーへ行く道ではないはずだが。 「どうしたん? こんなとこで」 「いや、ちゃんと『今日は映画に行く』って言っとったろうが。お前は何しよん?」 「食材が切れたんで、他の支店に取り行きようと」 「ああ、じゃあ、また店には出るん?」 「……タダ働きだけどね」 また居残りして勤務時間外まで働いているのである。あとの人が忙しくなるのが心苦しいからと言うのだが、優しいんだかお人好しなんだか。でも、その優しさが私に全く向かないのは何でだ(-~~- )。 「じゃあ、乗せてけ。腹減ってるから、お前んとこでメシ食う」 「ちょうどいいね、新メニューも出とうよ」 というわけで、同乗して、食材を貰いに店をぐるりと回り、しげの店まで戻る。 考えてみたら、こんなふうに偶然出会えるなんて、滅多にあることではない。しげは内心、「赤い糸」とかなんとか思ってんじゃないか。でも、私は基本的に人の縁は信じるが、それとて過剰に運命論を唱えたいわけではない。たまにこういうことがあると嬉しいねえ、程度のものである。 だって、こんな偶然が毎日あったら、かえって怖いではないか。それって、単に私がしげにストーカーされてるだけだって(^_^;)。 店では蒸し鶏ちゃんぽんと冷麺を注文。「餃子もいかがですか?」と店員さんに聞かれるが、いくら腹が減っているからと言って、さすがに餃子までは食えない。でもおでんは食った(^o^)。 蒸し鶏は美味かったが、冷麺はゴマダレを頼むつもりでつい醤油味を頼んでしまったので、失敗。醤油のほうは苦手なのである。
帰宅して、チャットを覗いてみるが、既に1時を回っていたので、さすがに誰もいない。まあ、休日前はこんなこともあるということで、待たせてしまった方々にはご容赦いただきたいのである。
2002年06月06日(木) つまりシロクマって保護色?/『愛はめんどくさい』(まついなつき)/映画『原子怪獣現わる』ほか 2001年06月06日(水) フォークって民謡って意味なんだが/『メトロポリス』(手塚治虫)ほか
| 2003年06月05日(木) |
なんかタイトル思いつかん/『キカイダー02』5巻(石ノ森章太郎作・MEIMU)/『ヒカルの碁』22巻(ほったゆみ・小畑健)ほか |
また今朝もしげにいきなり起こされる。 「なん、これ!」 という、しげの怒りと憤りと憤怒と激怒と激昂の怒声である。 寝惚けてまた「な、なに?」とからだを起こす私。 しげが凝視しているのは、テレビの画面である。 映っているのは、夕べ仕掛けたチャンネルNECOの『サクラ大戦 轟華絢爛』である。ちょうど6話のオープニングが始まったころで、サクラが桜吹雪の中で刀を振りまわしている。 「『サクラ』……しかも6話?!」 この日記を長く読み続けていらっしゃる奇特な方ならご存知であろうが、しげは藤島康介が嫌いである。あかほりさとるはもっと、蛇蝎のごとく嫌っている。そこまで嫌わんでもいいんじゃないかと思うんだが、嫌いになっちゃったものは仕方がないのである。 それはいいんだが、私が藤島関連、あかほり関連の話をするだけでも機嫌が悪くなるし、ましてや私が「サクラ萌え〜」なんて言ったりすると(言わんが)、後頭部めがけて石や矢やハンマーが飛んでくるのである。 私も命は惜しいので(^o^)、あまりしげの神経を逆撫ですることばかりするのもなあ、と、「サクラ関連のものは買わないから」と約束してたのである。でもまあエアチェックするくらいはよろしかろう、と油断したのがマズかった。でもやっぱ神経、細か過ぎるぞ(-_-;)。 なんとかしげをなだめはしたものの、実は今晩もまた『サクラ』があるのである。なんかまたネチネチ言われそうだなあ……。
翻訳家の厚木淳氏が5月19日に胆管がんのため死去していたことが判明。享年73。 氏の翻訳したエドガー・ライス・バローズの『火星』シリーズは、5年前から改訳・合本が出ていたが、これが最後の仕事となったものか。名実ともに「バローズの翻訳者」として亡くなられたことになる。 火星シリーズは第一作しか読んでないので、とても熱心な読者とは言えない。なにしろ初読の印象が「宇宙ののらくろ」だったのである。フリークな方が聞いたら激怒しそうな感想だが、当時は(例によって中学校の図書館が出会いである)そう思っちゃったんだから仕方がない。まだまだガキで、武部本一郎画伯描くデジャー・ソリスの美しさにもさほど惹かれなかった(つーか、多分私が読んだヤツは現行の絵ではなかったと思う。訳も厚木さんだったかどうか)。 今読み返してみると、スペオペの原典と言うより、「男の妄想」の実現を試みた作品のようで、なんだか面映い。翻訳は適度に読みやすいが、デジャー・ソリスのお姫様口調などはやはり時代がかっていて、島本須美の声で聞いたら思わずイッちゃいそうな(おいおい)。 先日の井上一夫氏に続いて、子供のころから親しんでいた訳者の方の訃報である。寂しさを感じないではいられない。
件の詐欺メール、大流行の模様である。そんなんに引っかかるやつっているんかいな、と先日の日記に書いたが、ネット検索してみると、三千万円を騙し取った例もあるとか。 でもって、そのとき送りつけたメールの数が七万通。一通の請求額が約三万円である。ってことはなにかい? 七万人中の千人が、あんなバレバレの詐欺メールの内容を信じちゃったということになるんかね。こないだ「百人に一人もバカがいるものかな」とか書いたけど、それどころか「七十人に一人」という高確立でバカはいるのである。これって、ご近所で、「詐欺に引っかかった人」を見つけることが確実にできる数値なんだよねえ。まさに「石を投げたらバカに当たる」のである。 基本的に騙すやつの方が悪い。それはその通りだ。けれど、騙される方のこの腰砕けぶりはいったい何なのだろう。コトナカレ思想が日本人の精神に巣食ってるとしても、どうにも腑に落ちない。か、カネが絡んでいるのだぞ、しかも三万円。た、大金じゃないか。なんでそんなに簡単に振り込みができるのだ。それとも、不況不況と言いながら、実はどの家も三万円くらいポンと出せるくらい余裕があるのか。こ、こんちくしょう、庶民のフリして騙しやがったな(←言いがかりである)。 でも、仮にあの文面を信じちゃったとしても、どうして警察や法律事務所に相談しないのかね。いや、まずは知人友人、家族なんかに相談しないか。そうすりゃ誰かが、「それ、詐欺ですよ」と教えてくれるだろう。 バカっつーより、これもまた、コミュニケーション不全症候群の一例のように見えてしまうのである。しかし被害者に対して全く同情できないって状況もおかしいよなあ。
しげが、アマゾン・コムでダン・エイクロイド&ジム・ベルーシ(ブルース・ブラザーズではない)の新譜CD『Have Love Will Travel』を入手。こないだLIMBにも注文してたが、待ちきれなかったようだ。LIMBからも届いたらどうするんだろう。 「先に聞いたらダメよ!」とクギを刺されるが、私はそういう面白くない意地悪はしない。寝ているしげの耳元で怪談を囁いて、悪夢にうなされる顔を見て喜ぶとか、無邪気なイタズラくらいのものである。 けど、ちょっと驚いたのは、封書が私の宛名で届いたことである。名前に拘るしげにしては珍しい。初めは誰かが私の名前を騙って、ヘンなものを送りつけて来たのかと思ったが、考えてみればそんなことをしそうなヤツもしげしかいないのである(^_^;)。 しげも忙しくて、自分のホームページの更新も長らくないのだが、私はあの結構くどいウンチクが好きなのである。またテレビの前にかじりついて、ビデオをコマ送りしながら画面の隅々からデータを見つけ出そうとするオタクな姿を、木陰からそっと見守って「しげ……」とか呟いてみたいのだが(^o^)。
晩飯はスパゲティーをカレーで炒めて食う。 すき焼きのタレをちょいと絡めるのがミソ。けど作るのは簡単でも炭水化物は取りまくりなのである。しげと一緒に食事を取ることがままならなくなってきたので、完全自炊をマジで考えねばならなくなっているのだが、もっと安くて低カロリーでしかもボリュームのある食事メニューはないもんかなあ。
夜のチャットの番人を始めてそろそろ一週間になるが、なんとかペースを掴めるようになってきた感じか。 家事をしたり日記書いたりしてれば、どうしたってチャットに入るのが10時くらいになってしまうが、翌日の仕事のことを考えると、午前様にはなれない。1、2時間の番人が限度である。 その程度のささやかなチャットであるが、毎日どなたかが来てくださっているのはありがたいことである。けれどそのたびに話題になるのが、「男ばかりで暑苦しいチャットだなあ」(^o^)。 しげが仕事で同時参加できないのが(仕事に行ってなくてもパソコンを同時にネットに繋げられないので、できないのだが)残念だけれど、あいつもチャットには飽きちゃったみたいだからなあ。一時期は私よりも頻繁にやってて奨めてたくらいなのに。 よしひと嬢にも先日「チャットに来ない?」と誘ってみたのだが、「反応が遅くて」と遠慮されてしまった。ウチのチャット、なぜかやたら開くの重いんで、ゆっくり考える時間はあると思うのだが。愛上嬢のとこのパソコンは壊れたまま放置しているそうである。鴉丸嬢はもともとパソコンを持ってなくて、其ノ他君ちのパソコン借りてしか使えない。 そういったわけで、なかなかうちの女性陣はチャットに(というより私のホームページ自体に)来てくれないのだが、決して私が彼女たちに嫌われているわけではない(と信じたい(T∇T))。 でもまあ、私んとこは日記、掲示板も含めて、たまに2ちゃんねらーに覗かれたりしてるので、発言をからかわれたくないなあとか考えてる人にとってはちょっと参加しづらい面があることは事実である。「なに書かれたっていいや」という度胸は必要だろう。私は平気でも、そうでない人にまで参加を強いることはできないから、それは仕方がないのである。
今日も鍋屋さんから教えて頂いたのだが、ある掲示板にて私のことが「秘密警察長官」とか揶揄されていたらしい。特高のイメージなのかな。なんか『アドルフに告ぐ』のハム・エッグを思い出して、ウケちゃったのだが、実際にはその掲示板に参加したことはないし(そこでからかいの対象となってる某掲示板の方には何度か書き込みをしているが、それとて定連になるというほどの回数ではない)、もう見飽きちゃっててあまり覗いてないのである。それがどういうわけか、一部の人には私のことが忘れられずに意識されているらしい。 そこの掲示板の人たちが某掲示板を揶揄していたのと同じ行為を私もしていたのだから、基本的には発言する場所は別でも共闘していたようなものである。だからアチラが私をからかうというのは内ゲバをするようなものなのであるが、さて、私を嫌っているらしいその方たちは、そのことを認識しているのかどうか。もちろんそんなに人数が多いわけでもなさそうである。誰かが私をからかってもほとんど反応がなくてスルーされてしまうことからも、私に拘ってる人間がごく少数であることは分かる。だいたい、私のような無名人を叩いたところで、何かカタルシスが得られるとも思いにくい。 となると、そこまで私に執着する動機がなんなのか、ということを勘繰ってみたくなる。 思えらく、その私の批判者の方、実は未だにもとの某掲示板に定連として入りこんでいるのではないか。でもって、そこの管理人さんのファンのフリをしていて、その実、ウラで名前を隠して散々揶揄や批判を繰り返しているのではないか。私に執着するのも、定連としてそこにいたときに、猿呼ばわりされた恨みがあるのかもしれない。 憶測だけでたいした根拠もないが、恨まれるのもネットで好き勝手ものを言おうと書きこみを始めたときに覚悟したことであるので、何と書かれようと全然構わないし、期待に答えて(^o^)、なにか感想でも日記なり掲示板なりに書いてもいいのだが、なにしろ「秘密警察長官」くらいでは、具体的なものが何もないので、この程度のことしか書けないのである。「人間のクズ」と書かれても、それは当たってるから否定できないし(^_^;)。 なんか叩きがいがない人間だとは思いますが、私が別んところで話題にされると、しげがやたら喜ぶんで、今後もご贔屓にお願いいたします。m(__)m
マンガ、石ノ森章太郎作・MEIMU画『キカイダー02』5巻(角川書店・567円)。 表紙のビジンダーを見て、「こんなのボクのビジンダーじゃないやい」と言うのはやめよう。これはMEIMUさんのビジンダーなんだよね。まあやっぱり気持ち悪いとは思うが、ロボットが実際に我々の生活の中に入って来て、慣れてくりゃこれでも「美しい」ってことになるのかもね。 何となく01編に突入。でもプロフェッサー・ギルはまだ生きてるし(死んだのはクローンという設定)、原作でも曖昧だった「シャドウ」の正体とのカラミとかはどうなるんだろ。だいたい全10巻くらいを想定してるのかな。 ココロを持たないらしいイチローを操るミツコはもう全くマッド・サイエンティスト。こんなにのボクのミツコじゃ……いやいやいや。
マンガ、ほったゆみ原作・小畑健『ヒカルの碁』22巻(集英社/ジャンプ・コミックス・410円)。 ジャンプの連載の方は休止中だけれど、第1部の長さを考えると、やっぱり打ち切り、仕切り直しの印象が強い。やっぱり佐為がいないとダメってことなのかな。 少年マンガとして見た場合、どのキャラクターにも余裕がなくなっていて辛い。今や倉田くらいしかギャグメーカーがいないんだもんなあ。佐為とヒカルの掛け合い漫才がどれだけこのマンガの雰囲気を和ませていたか。いや、今だって「青年マンガ」としては充分面白いんだけれども、どうしても「佐為復活」までの場つなぎ話にしか見えないのがつらいんだよねえ。 こういう勝負ものの最大の敵はマンネリとかワンパターンとか言われようが、やっぱり自分を育てた父であり師匠なんである。その「師」である佐為が消えた以上、いくら高永夏がヒカルの前に立ちふさがっても「小物」にしか見えない。普通のマンガならそんなことにはならないのだが、『ヒカ碁』の場合はあまりにも佐為のキャラクターの完成度が高すぎた。 安易に生まれ変わりとかで佐為を復活させてほしくはないけれど、キレイに第1部で終わっておけばいいものをわざわざ第2部まで続けたんだから、何としてももう一度盛り上げてほしいものである。
『月刊ガンダムエース』7月号。 月刊化されて、なんだか「もう出たか」って印象だね。 安彦良和『ガンダム THE ORIGIN 』、ランバ・ラルとアムロの邂逅まで。途中、フラウ・ボゥがヒステリー起こしっぱなしだけど、これがもう、全然かわいくない。昔のフラウ・ボゥはもっとこう、なんつーか、怒っててもその、少女らしい健気さというか、そんな雰囲気が漂ってて「こんなフラウを困らせるアムロって超ワガママ!」とか腹立ててたものだったが(^o^)。 今回の収穫(?)は、「ホワイトベースの食堂には麦茶がある」ってこと。飲んでたのはハヤトだったから、当然と言えば当然なんだけど、ホワイトベースに麦茶はやっぱし違和感あるよなあ(~_~;)。 トニーたけざき『ガンダム漫画』、タイトルが「金髪さんはGメカがお好き? TVと劇場の間で」。『オリジン』が劇場版に準拠した形になっているので、恐らくは登場しないであろうテレビ版メカに対するレクイエムのつもりでもあろうか(^o^)。なんたって、テレビ版と劇場版(と小説版まで)をちゃんと読んどかないと、若い人には何が面白いか、チンプンカンだと思われるからである。いやもう、「Gファイター」って言っただけで笑うしかないものねえ、あれは(^_^;)。でもってザクレロまで出るのよ(^o^)。
2002年06月05日(水) 人間失格かな、やっぱ/『『鉄人28号』大研究』(飯城勇三)/『ちょびっツ』3・4・5巻(CLAMP) 2001年06月05日(火) 一日本しか読んでません/『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』(長谷川町子)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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