無責任賛歌
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| 2002年10月27日(日) |
そりゃテレビは全部宣伝でしょ/DVD『ほしのこえ』/DVD『100%の女の子』/DVD『刑事コロンボ 仮面の男』ほか |
サンデープロジェクトを見てたら、「北朝鮮のプロパガンダだ」とか、またなんだか鬱陶しい声がしてたので、つい目を向けてしまう。 横田めぐみさんの娘さんであるキム・ヘギョンさんへのインタビューをフジテレビが行ったことに対して、議員の人たちが怒っているらしい。 様子が分らないので、ネット検索などをしてみると、要するにヘギョンさんに涙ながらに「どうしてここに(祖父母が)来られないで、私が質問ばかり受けなくてはいけないのですか。おじいさんとおばあさんに会いたいんです。お母さんが日本人だからといって、日本には行けない」などと訴えさせたのが、北朝鮮の「仕込み」だと言うのである。 政治屋さんと我々庶民の感覚の乖離は随分感じてきたことではあるが、北朝鮮が全体主義国家である以上、中学生とは言え、その思想信条が国家に準じていることは初めからわかりきってることである。こちらからインタビューしに行って、その内容がこちらの意図したものにならなかったからといって、プロパガンダだというのはチト頭が悪過ぎないか。 常識で考えて、「お爺さんお婆さんに会いたい」「でも自分は日本に永住できない」というのは当たり前の反応である。私の母の故郷は台湾だが、だからって「おまえも台湾に永住しろ」と言われたら困る。絶対困る。来週の『プリンセスチュチュ』が見られなくなるではないか。 インタビュアーはだいたい、まだほんの子供であるヘギョンさんから何が得られると思っていたのだろうか。仮に北朝鮮が何かをヘギョンさんに「仕込んで」いたとしても、それは大局に影響するものではない。それに気付かぬフジテレビと朝日新聞もアホだが、その政治とはなんの関係もないことを北朝鮮を非難する口実にすりかえて利用しようとする日本の政治屋さんたちのイヤラシさの方が、見ていて気持ちが悪くなってくる。 いや、こう書くと北朝鮮を擁護してるみたいに取られそうなんで、付け加えておくが、ヘギョンさんは横田めぐみさんの娘ではあっても、日本人ではなく北朝鮮人なのだということを忘れてはいけない、ということなのだ。もし、彼女を日本に永住させたいということであるなら、それは彼女を日本人として「再洗脳」し、北朝鮮とは完全に断絶させ、北朝鮮をまさしく「悪の枢軸」として認識させるということになるのである。 あの国がろくでもないことはわかるし、そうしちゃイカンと言うつもりはないが、でもそこまでしてヘギョンさんを日本に連れて来たいと考えている人たちの心情というものが私には解らないのだ。もしそれが、「日本人の血がヘギョンさんに流れているから」という理由であるなら、それは下らないなあ、としか思えないのである。ヘギョンさんには異母兄弟もいるんでしょ? 父親もいるでしょ? 家族の意志を無視しておねえちゃん一人を日本に引き取ろうって、それ、「拉致」って言わない? 帰国した五人の、北朝鮮に残された子供たちの引き取り問題もあるよなあ。彼らには向こうでの生活、友達や恋人もいるかもしれないけれど、そういうのを一切無視して、つれて来ようって感じで動いてるよねえ。今度は日本がやり返すことになるわけだね。目には目を、「拉致」には「拉致」をで。ま、政治はキレイゴトですむことではないから、それがあの国に対する日本のカードとして利用されて行くことはもうどうしようもないことなのだろうけれど、「政治に正義はどこにもない」ということだけは認識しといた方がいいんじゃないかね。
読んでない本やDVDが山積してるので、ともかく見まくることにする。 まずは新海誠監督作品、DVD BOOK『ほしのこえ』。以前『アニメージュ』で巻頭特集まで組まれていた、「たった一人の手になるCGアニメーション」である。 アニメージュ・ライブラリーの第1弾という触れこみだけど、第2弾の予定があるんだろうか。気になるのはオビに「石原慎太郎絶賛!!」とあること。これって宣伝としてはかえってマイナス効果になりゃしないか(^_^;)。「この知られざる才能は、世界に届く存在だ!」って、アンタがアニメの世界知らないだけでしょ。個人でアニメ作ってる例なんて、実験アニメの世界じゃ昔からザラにいるぞ。でもオタクじゃなきゃ、日本のアニメって、スタジオジブリとポケモンとサザエさんしか知らないってのが普通のレベルなんだろうしねえ。 それはそれとして、問題は作品の出来映えだ。 ……いいよ、これ(T∇T)。 わずか24分の作品、けれどそこに凝縮された思いはまさに「永遠」だった。
近未来。 宇宙人(タルシアン)の侵略から、地球を守る選抜メンバーに選ばれた少女、ミカコ。恋人のノボルに別れを告げて、ミカコは宇宙からノボルの携帯にメールを送り続ける。 戦場は太陽系を離れ、はるか銀河にまで広がる。ミカコのメールは、既にノボルのもとには届かない。そして、ウラシマ効果で二人の年齢も刻々と離れて行く。 そして、最後の戦闘。 16歳のミカコは、25歳のノボルに、最後のメールを送る。
すれたSFオタクなら、このネタが既成作品のいくつかにインスパイアされていることはすぐに気がつくと思うけれど、それでもやはりそこには静かな、そしてムネが絞めつけられるような切なさがある。 タイトルは「ほしのこえ」だが、実際に見ていて一番印象に残るのは、空と、雲の描写だ。二人が地上に一緒にいたときに見上げた空、ノボルが遥か彼方のミカコに思いを馳せて見上げた空、ミカコが見下ろした地球を覆う空と雲、青空、夕焼け、入道雲、鰯雲、飛行機雲……。 それは風景であって風景ではない。二人の心を映し出す鏡だ。そして観客は、その鏡に映った自分の心も見ることになるのである。
しげに『ほしのこえ』を見せながら、「これ、全部一人で作ったんだってさ」と言ったら、「ヒロインの声も!?」と驚かれた。んなワケあるかい(-_-;)。 でも、ノボルの声は新海監督自身なんである。
DVD『100%の女の子&パン屋襲撃』。 昨日の『ビリィ★ザ★キッド』に続く山川直人監督の自主制作短編映画。原作は村上春樹である。 たしかこの『100%の女の子』を私は、公開当時から間もなく深夜テレビの短編映画特集かなにかで見ている。そのときには主演が室井滋だったことに全く気付かなかった(『ビリィ』よりも以前の作品だから当たり前である)。 冒頭の「ある晴れたカンガルー日和の朝、原宿の裏通りで僕は100%の女の子とすれ違う。たいして綺麗でもなく、素敵な服を着ているわけでもない。しかし50メートルも先から僕にはちゃんとわかっていた。『彼女は僕にとっての100%の女の子なのだ』と」というナレーションとともに、コマ落としで室井滋が向こうからやってくる。まさしく彼女は「綺麗でもない」。だからこそ、このナレーションにはリアリティがあった。 恋は要するに思いこみである。 その思いこみが男女間で双方向に向いていて、お互いがそれを自覚している状態を「幸せ」と呼ぶ。まさしくこの『100%』は、恋の本質を言い当てた物語であるのだが、同時に100%の恋がいかにして崩壊するかを描いた物語でもある。 「100%の恋でも壊れちゃうの?」との声にはこう答えよう。 「でも恋って『思いこみ』だから、100%と0%は、実はイコールなんだよ」と。 だからこれは「悲しい話」なのである。 『パン屋襲撃』は観念論が現実によって打倒される物語を観念的に描いた作品(^o^)。つまりメタギャグなんだけれど、このギャグ感覚ってなかなか理解してもらえないんだよね、私は好きなんだけど。
DVD『刑事コロンボ ハッサン・サラーの反逆“A CASE OF IMMUNITY” 』。 原題の「IMMUNITY」ってのは「免除」という意味だけれども、主人公のハッサンが、外交官特権で捜査の対象から外されることを指す。それをコロンボがいかに追いつめて行くがか今話のミソ。 イスラム社会がアメリカナイズされることに反発する人物を犯人に仕立てたことで物議をかもした作品。よく発売できたな(^o^)。
もう一本、『刑事コロンボ 仮面の男“IDENTITY CRISIS”』。 原語タイトルは心理学用語で「自己認識の危機・自己喪失」の意味。コロンボシリーズ最多出演のパトリック“プリズナー”マッグーハンが二重スパイ・ブレナー役で登場しているが、彼がなぜ二重スパイになったのか、ということがあまりハッキリとは描かれない。そこにこのタイトルの意味を深読みしてみるのもちょっと楽しそうである。 てっきり未見だと思ってたけど、しげと一緒に見ていた。記憶力に関しては私のほうがしげよりよっぽどアテになると思っていたが、そろそろ逆転現象が起きつつあるようである。しげの記憶力レベルは特に向上してなくて、私がボケだしただけかもしれんが。 本話には他にも被害者役にレスリー“裸の銃を持つ男”ニールセンや、CIA本部長役でデビッド“『奥様は魔女』のラリー”ホワイトが出演。ホワイトの声優は表記がないけれど、耳で聞いた感じでは『奥様は魔女』と同じく早野寿郎氏が担当しているように思える。記録はキチンとして欲しいよなあ。 マッグーハンの声は『祝砲の挽歌』に引き続いて佐野浅夫が担当。水戸黄門なんかやってるときは優しいお爺ちゃん、という印象だけれど、声優をやらせるとコワモテだったり渋く固い印象を与える演技が多く、これはなかなかマッグーハンに合っている。 実はこの話には翻訳に関する問題点が一つある。 それは、マッグーハンが自らの罪を認めたあと、ラストのコロンボとの会話なのだ。これが放送当時から「意味不明」ということで、コロンボファンにとっての「謎」となっているのである。 まずは額田やえ子女史によるテレビ版での翻訳。
コロンボ 「笑い話があるんですが」 ブレナー 「ぜひ聞きたいね」 コロンボ 「ある日、ポーカーとね、マージャンが賭をした」 ブレナー 「どうなった?」 コロンボ 「前半はポーカーが有利」 ブレナー 「ところが後半…逆転」 コロンボ 「……その通り」
つまり、「これのどこが『笑い話』なの?」ということなんである。 そこで、オリジナル英語版に当たってみると、これが全然違うのだね。
Columbo "Would you like to hear something funny?" Brenner "I'd love to." Columbo "Today, the Chinese, they changed their minds." Brenner "Did they, again?" Columbo "They're back in the games." Brenner "in the games....mah-jong." Columbo "mah-jong."
昔のノベライズ版(二見書房サラ・ブックス)での訳(三谷茉沙夫訳)を参照すると、比較的原語に忠実ではあるけれども、これもまた微妙に違っている。
コロンボ 「ブレナーさん、笑い話があるんですよ」 コロンボはブレナーの背中に話しかけた。 ブレナー 「ほう? ぜひ聞きたいね」 コロンボ 「きょう、中国人が気を変えたそうで、ゲームに参加するそうです。」 ブレナー 「ゲームに? マージャンのだろ?」 コロンボ 「わかっちゃいましたか」
最新版の二見文庫では、ついにこのやりとり自体がカットされてしまった。どうも何が言いたいのか、訳者がお手上げになっちゃったらしい。それでもプロかよ(-_-;)。 『刑事コロンボ』のファンサイトである『安葉巻の煙』では、「ブレナーの部屋で麻雀牌を見たことがアリバイ崩しのヒントになり、それを皮肉った」とか「mind-change と mah-jongg の シャレなのではないか」など、いろいろな説が披露されているが、実はこれ、この部分だけ切り取っちゃうからワケが解らなくなるんである。
ブレナーは自分のアリバイ造りのために、朝方書いた原稿を、殺人のあった昨夜に書いたと主張した。ところが、昨日書いたはずの原稿に、今朝初めてニュースになったばかりの、「中国のオリンピック不参加」のことが書かれていたのである。 つまり「ゲーム」というのは「オリンピック」のことを指しているのである。「中国人が気を変えた」というのは、「今日になってまた中国がオリンピックに参加する気になった」とコロンボは言ったのであるが、これは当然ウソ。ブレナーは、「君は『ゲーム』としか言わなかったが、それが『オリンピック』のことだと思わせたいのだろう。けれど、そのゲームってのは『麻雀』のことじゃないのかね?」と、コロンボの「引っ掛け」を見抜いて言ったのだ。 ところが、見抜いたつもりのブレナーはハッと気付く。これはつまり「中国人は気を変えたりしない」という意味でもあるのだと。「二重スパイ」として、祖国を裏切り、共産圏に情報を売っていたブレナーに対して、これはキツーイ皮肉になる。会話の流れから考えれば、そういうことだとすぐに気付きそうなものだ。 どうして「ポーカーとマージャンの賭け」なんてヘンな訳になっちゃったのか、理由は定かではないが、多分、“something funny”を「笑い話」と解釈しちゃったから、何かこれが粋なアメリカンジョークかなんかだと勘違いしたんじゃなかろうか。 これを「ヘンなことがあったんですが、聞きたいですか?」と訳しときゃ、別に誰もまよいはしなかったと思うんだがねえ。額田さんの翻訳は名訳として知られているけれども、これは結構トンデモな訳だったと思う。
2001年10月27日(土) どこまで行くのかな、クラリス……天神まで行きました(-_-;)/DVD『STACY』ほか 2000年10月27日(金) 頼むから一日12時間も寝るのは止めて/映画『少年』ほか
| 2002年10月26日(土) |
確信犯だったのか柳美里/DVD『ビリイ★ザ★キッドの新しい夜明け』/『新暗行御史』第四巻(尹仁完・梁慶一)ほか |
ついうっかり書き忘れていたが、しげの初心者マークがついに外れた。 なんだか永遠に初心者ってイメージがあったんだが、時間は確実に流れているのである。流れてるだけって気もするが。 今、初心者マークはウチの玄関のドアに二つ並んで張りつけられています(^o^)。
柳美里のデビュー作『石に泳ぐ魚』の改訂版が刊行されることになったとか。 改訂前の小説は、主人公のモデルとなった女性のプライバシー、名誉などを侵害したとして、出版差し止めの最高裁判決を受けたのだが、その際に指摘された「問題の箇所」を全て書き換えたそうで、こうなるとあの裁判は改訂版を出すための布石だったのかなとカングリたくなる。『脱ゴーマニズム宣言』と同じ手だね。 モデル女性の弁護団は「話題性を逆手に取った商業主義だ。女性の苦しみをこれ以上増やさないためにも、出版を自制すべきだ」と訴えているそうだが、当の女性は「もうこの件には関わりたくない」とも言っているらしい。 原告側はこの改訂版についても出版差し止めを求めたが、一審判決で棄却されたという経緯がある。となれば最終的に出版を止めることは出来ないんじゃないかな。裁判自体は原告の勝訴なんだろうけれど、実質的には柳さんの勝ち、ということなんだろう。なんだか後味が悪いな。 とりあえず出たら買って読んでみましょうかね。
しげは職場の飲み会で朝帰りである。っつーかいつも朝帰りなんだけれど、今日は9時過ぎまでどこぞで遊んでたらしい。でも今日はAIQの集まりもあるんだけど、からだ持つのか……と思ったら早速寝室でイビキをかきはじめた。「寝る時間がない」とかしょっちゅう言ってるが、家事がいっこうに進んでないことからそれが全くのウソであることが解るのである。 だからいい加減でテメエが血塗れにしたオレのパンツ洗えって。
DVD『ビリイ★ザ★キッドの新しい夜明け』。 1986年にパルコが製作したスーパーエキセントリック&キテレツな映画がついにDVD化。 いや、これはマジで欲しかった待望の一枚。誰もが認める傑作というのでなく、思いっきりカルトなんだけれど、公開当時からこれは私のフェイバリットムービーのベスト3に入ってるのである。それにしてもまさかこんなマイナーなのが21世紀に復活してDVDになるとは思ってもみなかった。これに出演している役者さんたち、今は有名になっている人が多いけれど、当時は殆どが無名のド新人だったのである。 おハナシもちょっとマトモじゃない。 高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』『虹の彼方に』『ジョン・レノン対火星人』をベースにしてるというタテマエにはなっているが、実際は山川直人監督の暴走大爆発なオリジナル脚本である。 国籍不明の酒場「スローターハウス」(こりゃ間違いなくヴォネガットへのオマージュだろう)は今しも横行するギャングたちに狙われていた。主人公、ビリィ・ザ・キッドは自分を用心棒として売りこむが、既にそこには6人の用心棒たちが集められていた……。
はい、これが『七人の侍』のパロディだってことは分りますね。けど、問題はその集まった七人にあるのです。 ビリィ・ザ・キッド以外の時代考証無視&国籍不明のその6人とは! 宮本武蔵! サンダース軍曹!(あのテレビドラマ『コンバット』のですよ) マルクス・エンゲルス!(カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが合体したそうな。確かに「マルクス・エンゲルス」を一人の人間だと思ってたバカな大学生ってよくいたよな) 104!(電話番号案内の「104」です。「人じゃないじゃん」って、人なんだよこの映画では。番号案内は便利なのでなんでもできるそうである。……って意味不明) 中島みゆき!(なんで中島みゆきが用心棒? なんて理屈で考えてはいけない。演じてる方は下記を参照。中島みゆき本人も気に入っているとか) 全くなんなんだよ、このデタラメさは! ここで引いちゃうマジメな人にはこの映画、絶対に楽しめませんね。宮本武蔵が眼光鋭く酒場の床掃除してるオカシサ、ピンときてほしいんだけどねえ。 ……え? 用心棒が6人しかいないじゃないかって? だからマルクス・エンゲルスは一人で二人なんだってば(^o^)。しかもこいつらマジで強いのよ。中島みゆきですら(^o^)。
「スローターハウス」にはほかにも様々な人々がやってくる。果たして彼らの中にギャングはいるのか? ってハナシなんだが、ここでちょっとその豪華なキャストを列記しよう。これだけ見ててもクラクラしてくるんである。
ビリィ・ザ・キッド…三上博史(初主演) シャーロット・ランプリング…真行寺君枝 中島みゆき…室井 滋 マスター…石橋蓮司 宮本武蔵…内藤剛志 マルクス・エンゲルス…戸浦六宏 サンダース軍曹…加藤善博 104…石井章雄(=ラサール石井) ハリィ・キャラハン…原田芳雄 ブルース・スプリングスティーン…塩野谷正幸 レオニト・ブレジネフ…浅葉克巳 テイタム…オーラ・ラニ ZELDA…ZELDA(高橋佐代子・石原富紀江・小嶋さちほ・小澤亜子) 旧日本警察の巡査…神戸 浩 ヒイラ・モンスターの老婦人…北林谷栄 牧師…海琳正道(みたま・まさみち) 金子光晴のイエス・キリスト…山口晃史 あやしい男…細川俊之 ポパイ…日比野克彦(アニメキャラでなく、雑誌である) ポパイのガールフレンド…遠藤京子 177…郷田ほづみ(天気予報である) 佐々木小次郎…鮎川 誠 近所の針小棒大おばさん…木内みどり・北村 魚(きたむら・とと) パンクボーイズ…メトロファルス(伊藤ヨタロウ・バカボン鈴木・光永“GUN”巌・岩瀬“チャバネ”雅彦・ライオンメリィ) 某国立大教授…栗本慎一郎(当時は現職) 女子大生…井上明子 ヒイラ・モンスターの老婦人の夫…奥村公延 ライアン…マーク・オリアーニ ドイツ将校…ゲオルグ・マティス ハリマオ…平田純一 旧日本海軍の水兵…立原繁人(=徳井 優) MP…肥後克広(ダチョウ倶楽部) ぶりっ子の客…清水よし子(ピンクの電話) 製氷機の運送屋…有園芳紀 ニュースキャスター&ナレーター…三宅裕司 機動隊員…小倉久寛 高橋源一郎…高橋源一郎 その他のエキストラ…劇団七曜日
三上博史の出演は、これ以前にはポール・シュレイダーの『ミシマ』があるが、残念ながら日本未公開。実質、これが映画デビュー作となった。軽薄でお調子者でロリコン(・・;)のビリィを、今じゃ考えられないくらいに軽〜く演じていて楽しそうである。 真行寺君枝も『蘇える金狼』などのチョイ役出演はあったものの、これが本格的な役者としての出演第一作。「ぼけぇ!」のヒトコトがステキだ。 室井滋は『やっぱり猫が好き』の前の出演で、ぴあフェスティバルなどで名前は出ていたものの一般的にはやはり無名。戸浦六宏さんは「滋」という名前から男だと思い込んでいたらしく、どう見ても女なので困惑したそうな。 内藤剛志は『戦場のメリークリスマス』『ヒポクラテスたち』などの出演があるが、ブレイクするのはもちっとあとの『家なき子』から。 ラサール石井や三宅裕司、小倉久寛らについては説明の必要もないだろう。みんな当時は新人だったのである。キリコ・キュービィまで出てるんだもんなあ(^o^)。 ほかにも珍しい人が出てるみたいなんだが、何しろ字幕が英語(つまりアルファベット)なもんで、全員はとても解らない。ダチョウ倶楽部の肥後さんや徳井優さんなんか、出てたの今回見直して初めて気付いた。清水よし子もまだ無名で黙って 突っ立ってるだけで、字幕に名前も出てこない。どこのカットに出てるか探してみよう(笑)。
ベテラン陣もみなさん大活躍。 石橋蓮司さんがそれまでの悪役専門からコメディ演技に転向したきっかけになったのがこの映画や『遊びの時間は終わらない』あたりだろう。「オレにはここを離れられないわけがあるんだ……娘が転校したくないって言うのよ」……アンタ、ちょっと前まで悪霊島で猟銃ぶっ放してなかったか(^_^;)。 戸浦さんは『日本の黒い霧』で学生活動家を演じたセルフパロディを実直に好演。死ぬ時ちゃんと赤旗がバックにはためくのである。「マルクス・エンゲルスは死んでも、弁証法的唯物論と唯物史観とマルクス経済学と共産党宣言は死なないぞっ!」……死んだって、とっくに(^o^)。 原田芳雄や北林谷栄などは多分自分が言ってるセリフが何を意味してるのか(観念的なセリフが並べられてるだけでもともと意味なんてないのである)全く分かってないと思しいが、にもかかわらず、そこにリアリティを持たせている演技力はさすがだ。私はこの北林谷栄の演技は『ビルマの竪琴』以上だと考えているんだけど、賛同者いないか。 そしてびっくりしたぞ神戸浩。神戸浩に初めて出会った時の衝撃、これはとても言葉では表せない。「あまくない、あまくないぞぉー」「かねこみつはるって、まだいきてましたっけ?」。神戸さんと主に絡んだのは、原田さん戸浦さんだが、この芸達者の二人にして、どう演じたらいいかわからなくさせてしまったあの独特の個性。往年のタコ八郎もかくやというあのボケ演技、トロンとした目に半開きの口、テレッとした喋り、私はこの人がホントに知恵遅れなのかヘンな人なのか病気なのか演技なのか全然知らないのだが、ともかく「面白い」としか言いようがないのである。ああ、いったいこの人の面白さをどう表現したらいいのか。無理やりたとえて言うなら、生チャーリィ・ゴードン! もっとも神戸さんに天才になった時のチャーリィは演じられないかもしれないが。「そうねー。まあねー。だいたいねー」。
ZELDAの歌う主題歌『黄金の時間』も珠玉の名曲。 あの清廉な声、なのにどこか切なく、そして聞く者に元気を呼び起こす不思議なメロディーライン。
もはや これまでと あなたを見失ったのは サハラの砂漠 あれから 私はずっと あなたを探しつづけている 鬱金の夜が明けるまで 闇の毛布にくるまって 黄金の時間(とき)は止まったまま 風の嘆きだけを残す 太陽が焦げつき 海があふれ 風がヤキモチを焼く 地球のどこかにあなたが隠れているはず だから…… こんなに陽射しのよい日には 遊び相手が欲しい 帽子と双眼鏡を持って 消えてしまったあなたに会いにゆくの
(耳で確認してるので歌詞にちょっと間違いがあるかも。全歌詞を知ってる人がいたら教えてください) 「黄金の時間」とはルイス・キャロルの「黄金の午後」をモチーフにしているのかもしれない。しかし何よりもこの言葉が胸を打つのは、これが、寂しいくせにそれをオクビにも出さず地球を経巡る覚悟をした少女の物語であるからだ。これだけ壮大な、一つの叙事詩と言ってもいいほどのラブソングを、私は他に知らない。うう、聞くだに泣けるぜ、くそう。人を愛するってんなら、ここまでやらなきゃなあ。 でもどこのカラオケ屋に行っても入ってないんだよこれが(T.T)。
ここまで完璧に私のシュミに合った映画というのはそうそうない。ああもう、この映画について語り出したらもう終わんないこと解りきってるから、このへんでやめよう。 でも最後に一つ、美少女好きな人には嬉しいお知らせ、マスターの娘・テイタム役のオーラ・ラニちゃんにはきっと思いっきり萌えられると思いますよ。いやもう、ちょっとナマイキなところはあるけれど、サラサラの金髪にまん丸な瞳とおハナがかわいーのなんの。どこをどうしたら石橋蓮司からこんな可憐な(しかもなぜか外人)の女の子が生まれるというのだ(^o^)。
寝腐っているしげを叩き起こして、赤煉瓦記念館へ向かうが、寝惚けたしげ、道を間違えて5分遅れて到着。 チケットとチラシが完成、ノルマが今年も課せられたわけだが、さて、どうやって捌こう(-_-;)。職場の人間はアテにできなあいしなあ。トモダチも少ないしなあ。……何を自分で自分を淋しくするようなこと言ってるかな(T∇T)。 会議のあとはいつもの居酒屋で飲み会、食うだけ食う。なんだかやたら喉が乾くのでウーロン茶ばかり追加。 やっぱりぴんでんさんのヤンキー化計画が話題に上るが、ヒキョーなぴんでんさん、嫌がる獅子児さんまで巻きこもうとする。でも二人で金髪でユニット組んだら、ちょうどローレル&ハーディみたいで似合いそうだが(^o^)。
マンガ、尹仁完原作・梁慶一作画『新暗行御史』第四巻(小学館/サンデーGXコミックス・580円)。 前巻あたり、ちょっと話がダレ気味になってたけれど、ミス黄(ファン)の登場が一気に沈滞ムードをふっ飛ばしてくれましたね。おねえ様、ステキだわあ♪ 一粒で二度美味しいというか、純情可憐な眼鏡ッ娘とせくしいだいなまいとなねーちゃんを演じ分けるとはなんという芸達者。クラリスと峰不二子の合体バージョンって……そんな人間おるか(^_^;)。
2001年10月26日(金) それは愛ゆえの殺人か/『孤島の姫君』(今市子)ほか 2000年10月26日(木) さすがに櫃まぶしは英語字幕になかった/映画『ラヂオの時間』ほか
| 2002年10月25日(金) |
巨とか貧とか実はさほど気にしてない。ホントよ/『敬虔な幼子』(エドワード・ゴーリー)/ドラマ『時をかける少女』(内田有紀版)ほか |
私がとある劇団の代表みたいなものをやってることはこの日記の読者でいらっしゃれば先刻ご承知であろうが、その辺の付き合いもあって、ほかの演劇関係者と会話をすることがある。 ちょっと差し障りがあるので、どこの誰とは言えないのだが、今日、ある役者の女の子とお喋りする機会があった。その子と知りあったのは別に演劇関係の場所ではなかったのだが、役者独特のオーラを発していたので、すぐにそれと知れた(^o^)。長年、その道にいると同族はピンと来るものである。演劇関係者とオタクは特に。本職の関係者は全く分らないんだけどね(^_^;)。 その子は役者をやりながら、イラストなんぞも描いていて、某ゲーム雑誌に投稿して常連さんになっているとか。ネットでもあるHNで徘徊していて、プロのマンガ家の方々ともやりとりをしているのだそうな。どうやら役者よりもそちら方面でタツキを立てて行きたいらしく、役者を辞めてしまうのはチトもったいないのだが、それはまあ、その子の選んだ道だから仕方がない。 それにしても演劇やってる女の子って、やたらオタクが多いが、某サイトで近頃話題になっていた「独身オタクが結婚するためにはヤンキーになればいい」というネタ、そんなハードなハードルを越えるようなことをせんでも、芝居をやればいいのである。女の子は余るくらいいるし、別にこちらが節を屈せずとも、相手は既にオタクだ。何をためらうことがあろうか。 もちろん、そんなオタクにとって天国のような環境であっても、問題がないわけではない。つまり、天国なものだから、たいていの女の子は早々と誰ぞのお手つきになってしまうのである(「差し障り」と言った意味の一端をご理解頂けただろうか)。 けれど大丈夫。熱しやすく冷めやすいの例え通り、芝居やってる女の子は、様々な役を演じて様々な恋を経験するように、私生活でも一人のオトコに飽きたらまた次のオトコに乗り返るのである。そのココロとココロの隙間を狙えば、独身でお悩みのアナタでもチョイといいカモが……。 ちょっと話がヤバくなってきたな(いつものことだが)。本気に取る人があると困るので、「これは冗談です」とちゃんと言っておこう(^_^;)。ね、言いましたからね、「冗談」だと。仮にアナタが役者の女の子にコナかけて手ひどくフラレたとしても、当方は一切関知しませんので悪しからず。
役者としてのその子は、実は男役しかしたことがない。タッパが高い、ということもあるのだが、実はその、ご本人には悪いのだが超絶的にムネがないのである(これもまた「差し障り」の一つとお考え頂きたい)。 演劇仲間のもう一人の女の子に、今日、その子がムネのことでからかわれたのである(ちなみにもう一人の子は超絶的にムネが「ある」)。と言っても、会話の口火を切ったのは私であるが。 「女の子は大変だよなあ。土台骨格が違うんだから、男役になるのは無理があるし、ムネにサラシ巻かなきゃなんないし」 途端にムネあり子が(^o^)、 「あ、でもこいつなんか簡単ですよ(と例のムネなし子を指差して)、そのまんま男役できますから」 私が慌てて「……それセクハラ発言じゃ……」と言いかけたら、ムネなし子が堂々とないムネを張って、言ったのである。 「自慢じゃないが、サラシを巻いたことなど一度もないっ!」 ……そりゃ確かに自慢にならんのとちゃうか。っつーか、何を言い放ってるんだか。
それにしても、役者っていいなあ、と思うのはこういう肉体的なハンデ(と言っていいのかどうか)を逆に武器にできるところだと思うのである。チビにはチビの、デブにはデブの需要というものがちゃんとある。映画やドラマが美男美女ばかりで作られていたらこんな味気ないものはない。ブスの中にあってこそ美人は映えるのであって、美人女優ばかり集めたらドラマが派手になるかと言えばさにあらず、かえって地味になってしまうものなのだ。 だから役者は常に自分を客観的に見ていなければならないし、「私ブスでよかったわ、だってブスの役が出来るんですもの」くらいの気概は欲しい。というか、そういう心構えなくして役者ができるはずもない。 おかげで芝居の現場ではタブーとなる言葉は極めて少ない。端から見れば「ナニを話しとんじゃ」と言いたいくらいアブない言葉が飛びかったりしてるときもあるが、それが「自由」ということでもあるのである。
思わず「いいねえ、『ムネなし』なんて言葉でも自由に言い合えて」と呟いたら、ムネなし子は冷ややかに言ったのである。 「あ、男が言ったら腹立ちます。凸(`、´メ)」 あ……さいですか(・・;)。
一昨日、博多駅で本を買いこんだばかりだけれど、まだ買い損ねてる本があったので、天神を回る。しげはまた「疲れてるから」と付き合わない。 やっぱさー、近所の小ぢんまりした本屋じゃなくてさー、フロアーがどど〜っと向こうの壁が見えないくらい続いててさー、そういうとこで本棚をいつまでもいつまでもいつまでもボケ〜っと眺めてるのが好きなんだけど、それはしげも同じだろうとは思うが、ペースがやっぱり微妙に違うんだろうな。ペースを合わせるためにはある程度相手を「忘れる」技術が必要なのだが、不安神経症のしげにはそれが一番苦手である。 いや、しげだって結構私のことを忘れることはあると思うが、忘れてしまうことが自分が忘れられることに繋がるんじゃないかと思ってしまうのだろう。「忘れたらまた思い出せばいいじゃん」と気持ちを切り替えられればいいんだろうけど、しげがそういった心の修業ができるようになるまで後何年かかるのであろうか。 福家書店で本、LIMBでDVD。 LIMBが店内の模様替えをしていて、以前は奥まったところに階段があって、そこにアニメコーナーがあったのだが、フロア全体がフラットになっていて、アニメも棚の1コーナー、という形になっている。もしかして万引き対策か、これ。確かに以前はアニメのコーナーって陰に隠れてて暗かったんで、明るくなったのは改善されたと言っていいのかもしれない。けど、いかにもオタクな連中が狭い空間で肩寄せ合ってた以前の雰囲気も嫌いじゃなかったんだが、店にとっては迷惑だったんだろうな(^o^)。 旧『刑事コロンボ』DVDシリーズは、今月にて完結。未見の作品も二、三混じっているので、一気に見るのはもったいない。チビチビ見て行こう。
『プリンセスチュチュ』11.AKT 「ラ・シルフィード」。 さあ、いよいよ最終回までカウントダウンだ。 チュチュへの想いが募るみゅうとは、エデルさんから受け取った美しいペンダントをチュチュに贈りたいと思う。しかしそのペンダントにはクレールの呪いが……。 その事実を知らないまま、あひるは、チュチュに変身してみゅうとの前に現れる。ペンダントをみゅうとがチュチュに手渡した途端、チュチュはペンダントの「呪い」にとらわれ身動きができなくなる。 クレールはおもむろにみゅうとの胸から「愛する心」を抜きとって……。 サブタイトルの「シルフィード」ってのは風の精ジルフスのことだけれど(ゲーテや小栗虫太郎読んでるとこっちの名前のほうがピンと来るのよ)、バレエ曲の『ラ・シルフィード』から取ったものだろう。婚約者があるにもかかわらず風の精に恋した少年が、それと知らずにシルフィードに呪いをかけてしまい、彼女を殺してしまうお話。チュチュが呪いをかけられるシチュエーションはそのままだが、その呪いの正体はクレールの「嫉妬」。 いやあ、怖いわこの設定。「誰かのものになるくらいなら心をなくしてしまったほうがいい」ってクレールのセリフ、恋愛ものにはよくあるセリフだけれど、人形のように戻ってしまったみゅうとを背中から抱きしめながら言ってる姿見てるとマジで怖い。 って似たようなセリフ、昔誰ぞに言われた気が……ああ、いやいや(^_^;)。 ともかく来週に注目だ!(なに怖がってるのか)
エドワード・ゴーリー(柴田元幸訳)『敬虔な幼子(The pious infant)』(河出書房新社・1050円)。 柴田氏の解説にもある通り、物語は一見、信心深い子供がその信仰活動の末に天に召されたお涙頂戴話のようなのだけれども、どうも一筋縄でいかないというか、そう単純に理解するわけにはいかないような雰囲気が漂っているのは、ゴーリー作品についてはいつもながらのこと。 本来この作品は、本国では「レジーナ・ダウディ」の変名で出版されたものだが、ラストのイラストの墓標に、しっかり「E・G」と作者ゴーリーのイニシャルが刻まれているところに彼の「したたかさ」が見て取れる。
1,三歳になって間もなく、ヘンリー・クランプ坊やは、自分の心が邪であること、にもかかわらず神様は彼を愛し給うことを知りました。 2,坊やはじきに、多くの聖句や聖歌を覚えて、いつも一人で唱えておりました。 3,あるとき波間から鴎が舞い上がるのを見た坊やは、「御覧、あれを!」と妹のファニー・イライザに言いました。「僕が死んだら、あの鳥のように天に昇るんだよ」 4,貧しい不信心者が邪神にひれ伏さぬよう小銭を恵んでやろうと、坊やは日々お菓子も食べずに過ごしました。 5,両親を心から愛し、自分に何か出来ることはないかと、朝に夕に訊ねておりました。 6,優しい善良な坊やでしたが、時に悪魔に誘惑されてしまうこともありました。けれどそんな時も、己の罪をひしひしと感じて、やがて心から悔いるのでした。 7.坊やが階上で一人跪いて祈る姿が、よく見受けられたものでした。 8,ある日曜日、氷滑りをしている男の子たちを見かけて寄って行き、「何と浅ましい、聖書も読まず安息日を無為に過ごすとは!」と窘めました。 9,妹のファニー・イライザをたいそう可愛がり、妹が癇癪を起こすたびに、この子の魂が果たして救われるだろうかと、深く憂うのでした。 10,書物に目を通しては、神の名が軽々しく触れられているたびに、念入りに塗り潰したものでした。 11,四歳になって五か月が過ぎたある冬の午後、坊やは自分のパンプディングを、恵まれない未亡人の許へ届けに出かけました。 12,帰り道、大きな黒雲が現われて、大粒の雹が激しく降ってきました。 13,その夜、坊やの喉が痛み出し、翌朝にはそれが命取りの病となっておりました。 14,今際の際に、「神様は僕を愛してくださり、僕の罪をすべて許してくださいました。僕は幸せです!」と坊やは言って、枕に頭を横たえたました。顔からは血の気が失せ、その身は二度と動きませんでした。 15,ヘンリー・クランプの小さな体は墓の中で土に還りましたが、魂は神の御許に昇って行きました。」
これまでの柴田さんの訳は、我田引水的か、あるいはよく意味が分らないままに適当に訳してる印象があって好きになれなかったのだが、今回は特に難しい言葉もなかったのかまあまあの出来。 それでも、“he fell back pale and still and dead”を「枕に頭を横たえたました。顔からは血の気が失せ、その身は二度と動きませんでした」なんて訳すのは粉飾のし過ぎだし、言語のテンポを無視してるなあと思う。「枕」なんて単語、どこにもないぞ。言語のムードはもっとあっさりと「坊やは青ざめて静かになって死にました」って感じじゃないのかね。
それにしても、このヘンリー・クランプ坊や、側にいたら絶対ヤなやつだと思う。イラストを見れば分るが、両親は初めこそ坊やをニコニコと見つめているが、だんだん関わらなくなっていき、坊やが喉を押さえてても背中を見せて無視するようになるのである。消極的な子殺しの話ですな(^o^)。 坊やの押しつけがましいところや説教グセ、妹を猫かわいがりするとことか寒さで死ぬとこなんか、やたらと宮澤賢治にイメージがかぶるんだが、敬虔な宗教者って、洋の東西を問わず似ちゃうものなんだろうなあ。「僕が死んだら、あの鳥のように天に昇るんだよ」って、ほかの人間は救われないってか。独善的なやつほど自分の独善性には気がつかないってことの典型である。 結局これって、「宗教にハマったやつはさっさと神様に責任を取って引き取ってもらおう」って話じゃないのかね(^_^;)。でもこの絵本が秀逸なのは、宗教者自身がこれを読んだら、まず100%、「ああ、ステキな話だねえ」と勘違いするだろうってことだ。「いい人って早死にするものなのよねえ」とかなんとか言いながらな。 まあ現世のことは悪人に任せて、いい人はどんどん天国に行って頂きたいものである(^o^)。
昨日ツタヤで借りてきた1994年CX版『時をかける少女』を見る。 今見るとキャストがすげえ豪華だ。 内田有紀…芳山和子(都立羽田西高校二年生。バスケットボール部部員) 袴田吉彦…深町一夫(和子の同級生) 河相我聞…浅倉吾朗(和子の幼なじみの同級生で実家は銭湯) 森本レオ…芳山勉(和子の父で空港の整備士) 吉沢京子…芳山静江(和子の母) 安室奈美恵…芳山美代子(和子の妹) 佐藤B作…福島隆司(和子の担任。バスケットボール部の顧問) 森口瑤子…小松沙織(羽田西高校の英語教師) 筒井康隆…藤原正道(和子の家の近所の寺の住職) ドラマは、初め、教室で福島先生が問題を当てるために座席表を見て行くシーンから始まる。このときのカメラワークがスバラシイ。佐藤B作の指の動きと目線の移動、内田有紀が振り返る顔、机を追って後ろに移動するカメラ、そして最後尾の席には……。いやあ、リキ入ってるわ。南野陽子版のクソぶりに比べると「ただのテレビドラマには終わらせない」ってスタッフの気概が見られるね。 内田有紀は声が上ずる癖はあるが熱演。原田知世の弓道着姿もよかつたけれど、内田有紀の体操着姿もいいぞ。とりみきさんがこれにもハマっちゃったってのはよく分る。 それに、大林宣彦監督版を強く意識しているドラマ造りになっているのは見方によってはマイナスポイントだろうが、設定が細かく付与されてリアリティが増してる分、よくなってるところも多々ある。特に、真相を知った和子が一端は一夫を拒絶するのはいい演出である。記憶を勝手に操作されてるのに、それでも「好き」って言えるようになるまでには、やっぱりある程度悩むプロセスが必要だよね。ラストが未来の和子を描くのも大林版と同じだけど、安易に一夫を再登場させなかったセンスも個人的には大林版より上に思える。 ただ、福島先生と小松先生の不倫話と、筒井康隆のゲスト出演は余計だったな。やっぱ関西訛り抜けてないし、ヘタだよ、筒井さん(^_^;)。それから手と手を繋いで超空間を飛ぶのはハズいからやめようね。f(^^;) ポリポリ。 さあ、あと見てない『時かけ』は、中本奈奈版と安倍なつみ&「モーニング娘。」版だけだ! って、見なきゃならんのかよ。
『乱歩 妖しい女たち』と『金田一少年の事件簿・魔術列車殺人事件』についてはもう書いてる元気がない。『乱歩』はそのうちコーナー作る気でいるから感想はそのときでいいや。『金田一』は鈴木杏の可愛さを見るためだけに借りたので、ま、あんなもんだということで(^o^)。
2001年10月25日(木) わが名はロドリゲス/映画『眠狂四郎人肌蜘蛛』『旗本退屈男 江戸城罷り通る』ほか 2000年10月25日(水) 今日は三度も昼寝した。やっぱ体変だわ/『冬の教室』(大塚英志)ほか
| 2002年10月24日(木) |
多分、心の壁を作ってるのは私の方なのだろうが/『空前絶後のオタク座談会3 メバエ』(岡田斗司夫・山本弘)ほか |
仕事で半日出張。とある会議に参加。 ホントは一人で行く予定だったのだが、例のちょっと心に悩みをお持ちの同僚の女性が、急に「私も行きます」と言い出す。いや、プロジェクトの一員でいらっしゃる、というよりは企画者の一人であるので、それは別におかしいことではないのだが、今日いきなりそんなこと言い出して通るものかどうか。 ……通りやがるし(-_-;)。 一つ企画を通すのにも書類が揃ってないとか、上の連中、いろいろ融通利かないことも多いくせに、なんでこんなに簡単に話が進むのだ。下っ端の私じゃ話にならんと判断されたか。 ともかくねー。ご一緒しましたけどねー、別にヘンなことはありませんでしたけどねー、まあ、30分で終わるお話し合いが、1時間半かかったとだけ言っておきましょうか。私もそのクセあるから、人のことは言えんのだが、同じことを三度も四度も繰り返して話すのはやめましょうよ。しかも中身仕事と関係ないことばかりだし。これまでも仕事上で実のない愚痴を聞かされてきたけど、出張先の相手にまでそれを延々とやるか。アチラさんも事情はご存知なのだが、ちょっと閉口してたぞ……って、それを私が止めなきゃなんなかったんだろうけれど、でもさあ、心の弱い方に向かって何が言えようか(T∇T)。 昼食も今日はその方とご一緒である。 出張先の近所のスパゲティの専門店に入ったのだが、食事を注文する前に勘定を払おうとするし(どうやらチケットを予め買うものと勘違いしたらしいが、なぜそう勘違いしたかは不明)、食事中もやはりクドクドと愚痴を聞かされ続けるし、この人ホントに大丈夫だろうか、という気がしてくる。 でも以前みたいに、「あの人を殺して私も死ぬ」とかスゴイことは言い出さなくなってきているので、少しホッとしてはいる。心が弱いだけで、性格の悪い人ではないので、なんとか頑張ってほしい。できれば私を巻き込まないで(←外道)。
疲れ果てて帰宅したあとすぐ寝る。夜になってようやく起きて、しげと「ツタヤ」に行く。 こないだからしげは、渡部篤郎主演の『ストーカー』を探していたのだが、ようやく見つけて、それをレンタルしに行くことにしたのだ。私はテレビでざっと見ていたので今更興味はない。ついでに内田有紀版の『時をかける少女』とか鈴木杏版の『金田一少年の事件簿』とか佐野四郎・川島なおみの『乱歩』とか見損なってたテレビドラマの類を借りてもらう。レンタルは「返さなきゃならない」強迫観念と、「どこに行ったか解らなくなる」恐怖で滅多にしないのだが、けれどDVDになかなかならないからいたし方がない。……それに見始めるとホントにキリがなくなっちゃうからなあ。既に遅いかも(^_^;)。
DVD『アベノ橋魔法☆商店街』4巻。 第8話から第10話までを収録。第8話『ときめけ! アベノ橋☆学園商店街』は恋愛シミュレーションゲームのパロだけれど、作画レベルまでゲームに合わせてヘタレにするこたなかったんじゃないか(^_^;)。しかしこうしてパロられたもの見ると、恋愛ゲームがどれだけ男の欲望に迎合することのみで成り立ってるかってのがよくわかるな。世間ではゲーム脳がどうのこうのと騒がれているが、もともと恋愛ゲームにハマるやつの脳がどうかしてるのである。 もちろん私も昔ハマったぞ、『センチメンタルグラフィティ』に。あのゲームの最大の欠点は、えみりゅんとのシミュレーションで「『りゅんりゅん』言っててウザッタイから殺す」というコマンドがない点だと思うがどうか。 10話の『ぽわぽわ(はあと)アベノ橋☆メルヘン商店街』は、知人の島田賢志君が原画で参加してる回。と言っても見てもどの絵画いてるか分らんな。本人の絵は結構クセがあるけど、もう以前より随分上達してるだろうし、多少線が歪んでても作画監督が修正してるだろうし(^_^;)。彼ともまた連絡取れたら取りたいんだけど、HNのままじゃ私が誰だか分らないだろうしなあ。
岡田斗司夫・山本弘『空前絶後のオタク座談会3 メバエ』(音楽専科社・1680円)。 毎回読んでてワクワクする座談会シリーズ、これでまた『史上最強』シリーズと同じく三部作が出揃ったけれど、こちらはまだまだ4・5と続くんだろうなあ。タイトルは『ヨイコ』『ナカヨシ』と来てたんで予想していたけれどもやっぱり『メバエ』。他愛無いことだけれど当たると嬉しい。次は『ヨウチエン』と予想する人が多かろうが、意表をついて『ヒカリノクニ』ってのはどうだ。特撮座談会ならピッタリだと思うが。 それでは各座談会について簡単に感想。
�.�ートゥーン徹底大研究(ゲスト・眠田直) 見てたなあ、ハンナバーベラ。つまんないと思いながらね。眠田さんも指摘してた通り、子供のころ、『トムとジェリー』のクオリティの高さに比べて、『ドラネコ大将』や『大魔王シャザーン』や『電子超人Uバード』や『宇宙怪人ゴースト』はどうしてこんなにつまんねえんだ、とか思ってたからなあ。映画とテレビの差……と言っても、映画だって『トムとジェリー』はリミテッド・アニメなんだけどなあ。やはり予算をケチれば駄作しかできねえってことなのかな。 当時の番組、全部主題歌歌えるけどだからと言って本気で面白がってたとは言えない。昔のアニメファンはつまんなくても放映されてたアニメは必ず見てたのである。『チキチキマシーン猛レース』がマシだったってのもまさしく設定のみの面白さだったからなんだね。
�⊃�玩フィギュア徹底大研究(ゲスト・海洋堂専務取締役・宮脇修一) 「日本人はフィギュアが嫌い」という宮脇さんの言葉には注釈が必要だろうなあ。嫌いというよりは人形に求めるクォリティが日本人の場合高過ぎるのである。二次元のマンガキャラを人形にすることなど、土台不可能なのだが、その不可能を求めてしまうのが業というもの。手先の器用な日本人は量産化された人形にまで名匠の作る唯一無二のワザを求めていると言っていい。 だから「百鬼夜行」シリーズで、人間のフォルムを必要としない妖怪に目を付けたのはいいアイデアだと思ったのだが、気がついたら世界名作だのタイムスリップだの松本零士だの手塚治虫だのにまで手を広げているのである。それでもほかのメーカーに比べればディテールやシチュエーションには格段に凝ってるのだが、しげなどはそれでも「似てない」とヒトコトで片付けちゃうのである。 あのダン・エイクロイド好き好き大好きどうにでもしてよ〜ンのしげが、ブルース・ブラザースの人形だけは絶対に買おうとしない。日本の技術にすら満足しないしげにしてみれば、海外の似ても似つかないクソフィギュアなどただのパチモンにしか見えん、ということなのである。 こんな客は多分日本中にゴマンといるだろう。私のように「ここまで頑張ってりゃ充分」なんて優しい客はそうそういないのだ。海洋堂さん、大変だよな。とりあえず「手塚治虫」は『ワンダー3』が出るまで集めますんで。
�B膕�獣徹底大研究(ゲスト・開田裕治) 「怪獣」について語れるゲストもたくさんいるだろうが、「画集」という形でその思いの丈を語ってきた開田さんはかえって「言葉」で語る機会が少なかったように思う。 平成『ガメラ』の「元気玉」(みんな『ドラゴンボール』が元ネタみたいに言ってるけど、みんなのエネルギーを集めるっての、『太陽の王子ホルスの大冒険』の昔から、やたら使われてるネタだぞ)やプラズマ火球が許せるかどうかって問題については、実は私も「どうでもいい」派だ。手首切って血まで見せといて、中身がエネルギー体って矛盾してるじゃん、というのが岡田さんの主張みたいだけれど、手の部分は肉体で腹の部分には横ちょに「エネルギーふくろ」があるってことでいいじゃん(^o^)。物語の構造自体をぶち壊すほどのミスじゃないし。 けど、怪獣映画いかにあるべきか、とか、怪獣のリアルさについての談義も誰かと思い切りやってみたくはあるんだよなあ。けどマジで何十時間も甲論乙駁状態になっちゃうのが予想されちゃうから怖くて口にできないんだけれども。「怪獣映画全肯定」か、「第一作『ゴジラ』以外全否定」とう極論を私が口にすることが多いのも、そう言っといたほうが論争にならずにすむからである。
�ぅ�ンダム&ガンプラ徹底大研究(ゲスト・バンダイホビー事業部・川口克巳) 意外に思われる方もいらっしゃるかもしれないが、私はガンプラには全くハマらなかった。『ガンダム』で好きだったのは、ドラマだったりフラゥ・ボウだったりセイラさんだったりミハルだったりマチルダさんだったりララァだったりするもんで(^_^;)。私の好きなメカって、やっぱり「流線型時代」だからさあ(^o^)、部品がやたらゴテゴテしてるのって、ダサイとしか感じないのよ。川口さんの名前もこないだ読んだ『少年マガジン』のガンプラマンガで初めて知ったし。 でも私より下の世代の人って、やっぱりガンプラから入ったって人多いんだよなあ。ミノフスキー粒子の設定知らないで堂々と『ガンダムファンです』って言いきれちゃうやつもいるんだからなあ。いや、ガンプラファンがみんなそうだとは言わないが、本編見ないでファンだって称するやつが多いのも事実なんで、実はフィギュアのファンってのを私はあまり信用してないのである。ジオラマ作って、「これはガルマが落ちた時のザクとガンダムの位置を画面からシミュレートしてみたものです」って語れるレベルの人なら立派だけれどもね。 『オトナ帝国』の万博シーンで泣けるかどうかって件も含めて、オタクの感覚の断絶って、昭和40年生まれを境にしてるんじゃなかろうか。 だからこそかえって、下の世代の人で昔のアニメとか特撮に興味持ってくれる人がいると嬉しくなってしまうのである。もちろん、その時代を生きてきた感覚まで実感することは不可能だろうが、温故知新を厭わぬことこそこそ普遍的なオタクの資質だと思う。 っつーか、「古い作品だから見たくない」なんて考えの持ち主はフンコロガシ以下だと断言していいと思うが反論は認めないのでそのつもりで(^o^)。
2001年10月24日(水) こぉのー、むねのとぉきーめきぃー/『彼氏彼女の事情』12巻(津田雅美)ほか 2000年10月24日(火) 年取ったシワをCGで消すってのは無理?/ドラマ『ウルトラセブン・地球より永遠に』ほか
| 2002年10月23日(水) |
『ハリポタ』ホントに面白いか?/『呪いのB級マンガ 〜[好美のぼる]の世界〜』(唐沢俊一&ソルボンヌK子監修) |
職場で若い子から、「今日は『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』の発売日ですよ」と教えられる。イカンイカン、すっかり忘れていた。積読にしちゃいるが、一応全部初版で買っちゃいるので、買い忘れないでいようと思ってはいたのだ。 それで仕事帰りに「本屋に連れてってくれ」としげに頼んだら、「おれはアンタのパシリじゃない」と文句を垂れられる。つい、二、三日前も、私が車の中で鼻歌を歌ってたら、「俺が運転してるのになんでアンタが楽しそうにしてるんだよ」と因縁つけられたが、何をそんなにイラついてるんだろうか。どうやら仕事がメチャクチャ忙しいらしい。かと言ってヤツアタリされても迷惑だ。 「四の五の言わずに連れてけこのアマ」と、チョイと鼻に指突っ込んで、奥歯ガタガタ言わせてやってドテっぱらに穴ぁ空けてカツブシを突っ込んで言うことを聞かせる。
博多駅バスセンターの紀伊國屋書店、『ハリー・ポッター』がそこら中に山積。昼間、天神を回って買い物をしたというしげの話によると、「天神コア」あたりでは、一階フロアで叩き売りまでしてたそうである。バナナか。口上の一つでも聞いてみたいものだ。 そこまで売れてるというのは(売ろうとしているのは)、やはりどこか異常に思える。近来にないベストセラーになっちゃった理由がどうも判然としないのだが、逆に理由なんてたいしてないのかもしれないとも思う。読書が日常の習慣となっている身にしてみれば、『ハリー・ポッター』もたくさんの本の中の一冊に過ぎないのだが、そうでない人にとってはやっぱり面白いんだろう。トバし読みしかしてないんでよくわからんけど(^_^;)。 でもなあ、あまり若い人がこういうのばかり読んでるのもどうかと思うんだけどなあ。例えば受験生の場合、特に弊害があると思うけどね。読書感想文とか、みんな『ハリポタ』だと、点数はどうしても辛くなるだろうし。面接試験とか、「最近、何か読みました? あなたも『ハリポタ』? ふ〜ん、そうですか。じゃあ、お次の方」ってなもんで、あっさり落とされちゃうかも。 けれど、今はどこの古本屋に行っても全くその姿を見ない『ハリポタ』シリーズだけれど、3年後にはひと棚全部『ハリポタ』で埋まることになりそうだよな。どうせ「本なんか読まなくても生きていける」とか考えてるど畜生どもがベストセラーだってんで、仕方なく買って読んでるのが殆どだろうからな。そう考えると、これだけ「売れてる」ことが本自身にとってはかわいそうなことのようにも思えてくるのである。
もう一冊、近所の本屋には全く置いてなくて苦労した唐沢俊一監修『呪いのB級マンガ』もゲット。新刊だってのに平積みされてなくて、棚に2冊しかなかった。紀伊國屋は、唐沢さんの新刊には比較的好意的で、新刊休刊を問わず常時サブカルコーナーに平積みされてるのだが、この本だけは別扱い。ご本人の著作も面白いのだけれど、こういうプロデュース本も唐沢さんの真価が発揮されてると思うので、もっと読まれたらいいと思うんだけどなあ。澁澤龍彦本もあまり売れてなさそうだし。
晩飯はロッテリアでチキン。 しげがイライラしてたのは、やっぱり昼間なにやら車のグッズを買ってて寝てなかったせいらしい。帰宅すると、夜仕事に出るまで3時間ほど寝るが、日頃は寝つきの悪いしげがバタンキューである。ああ、ホントにそんなに疲れてるんだったら、ドテっぱらに突っ込むの、カツブシじゃなくて明太子くらいにしといてやればよかった(なんのこっちゃ)。
先日からLOTTEの『銀河鉄道999』フィギュアを集めているのだが、海洋堂の香川雅彦原型制作なだけはあって、シチュエーションがスバラシイ。今日はようやく一番欲しかった鉄郎の母ちゃん(星野加奈江)をゲット。これが雪の中、機械伯爵に撃ち殺された瞬間の苦悶の表情をフィギュアにしているという通好みというよりは子供向けに何を作るっとんじゃ(^_^;)、という物である。もちろん私はこういうのが大好きだ(まあ、えっち)。 まだ鉄郎と車掌さんを揃えてないけど、もうこれで充分。好きなのが手に入れば、あまりコンプリートには拘らないのである。
マンガ、唐沢俊一&ソルボンヌK子監修『呪いのB級マンガ 〜[好美のぼる]の世界〜』(講談社・1680円)。 ついに出たまるまる一冊好美のぼる本。世に唐沢俊一ファンは多かろうが、こういうプロデュース本まで楽しんで読んでる人はやっぱり「ケッタイ」な部類に入るんではなかろうか。なんだ私か(^_^;)。 唐沢さんやK子さんがプッシュしているからと言って、じゃあ「好美のぼるは面白いよ!」と人に勧めることができるかと言うと、それはやっぱりちょっとためらわれるところなのである。ただ、それは好美のぼる作品が必ずしも「つまらない」せいではない(読んでつまんねーじゃん」という感想を持つ人が多かろうとは思うが)。 大衆が消費する文化にも様々な質があって、マンガにおいても、作家性やアーティフィシャルな面が強い作品もあれば、マンガ表現の職人技を見せてくれるもの、ただひたすら荒唐無稽でナンセンスなものなどがあって、その全てをひとくくりにできるものではない。好美のぼるを始めとする貸本マンガや、オヤジマンガ、エロマンガ、4コマ専門誌などは確かに粗製濫造ではあるのだが、ある意味「どうせ読み捨てなんだから何やってもいい」という「デタラメさ」や「自由さ」もそこにはあるのである。そこに常識では考えられないすっとぼけた笑いも生まれてくるのだ。ジャンプマンガを始めとする少年マンガにはシバリが多すぎて、突き抜けた面白さってのはないからね。 収録作品の『毒香水』、轢き逃げされて顔をメチャクチャにされた少女が、復讐のために麻薬の入った香水を犯人の少女たちに贈って廃人にしてしまうのだけど、いくらクスリが切れて苦しいからって、フツー、女の子が犬のポーズを取って「ウーッウーッウーッ」とヨダレ垂らして唸ったりはしません(^_^;)。一応少女マンガなはずなんだけど。 しかもラスト、全ての復讐を果たして高笑いした主人公、次のコマで「この手でとうとうやったのになぜ寂しいんだろう」とか言っていきなりクビ吊って死ぬし。間が無いっつーか、「あと1ページしかなかったのでとりあえず結末つけました」っつーか。 そんな好美さんがライバル視してたのは、手塚治虫だそうである。まあ、先日の『ロック・ホーム』について書いたことでもあるが、初期作品は手塚さんも思いっきり適当でアンチクライマックスな結末つけてたから、確かに同列に並べてみること不可能じゃない。けれど、劇画に対抗するようになって以降、格段にドラマとしての厚みを重ねていった手塚さんに比べて、好美さんは全く変化しなかった。でもこれはこれで「一切の迎合が無い(いや、時流への迎合はあるんだけれど、全て「好美流」に昇華されている)」という点でスゴイことなんだけれど、その偉大なるマンネリを理解するには、世間はもちっとマンガの持つパワーについて学習せねばならんと思うのだ。 好美のぼる、タダモノではないのだよ。
2001年10月23日(火) 凡人礼賛/DVD『エイリアン9』2巻/『魔獣狩り』(夢枕獏・木戸嘉実)ほか 2000年10月23日(月) 浮かれたホークスファンは情けない/アニメ『犬夜叉』『人造人間キカイダー』第2話ほか
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
☆劇団メンバー日記リンク☆
藤原敬之(ふじわら・けいし)
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