無責任賛歌
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| 2002年07月21日(日) |
アニソンしか歌えないわけじゃないけど/DVD『千と千尋の神隠し』/『吼えろペン』5巻(島本和彦)ほか |
朝はまた寝過ごして、『ぴたテン』だけチラリと見る。もう『ハリケンジャー』も『龍騎』も『どれみ』もどんな展開になってるかわからんなあ。 買ってきたばかりのDVDをともかく見ようと鑑賞。と言っても今回買ったのは昔見たことがあるものばかり。 DVD『白蛇伝』に『少年猿飛佐助』。 東映動画の第一弾、第二弾であるが、今見返すと、ここまで画面に奥行きがないものかと驚いちゃうね。もう画面がヒキばっかし。当時のスタッフの技術じゃそれが限界だったんだろうけれど。 デジタル技術の何がアニメを革新的にしたかというと、奥から手前への動きを容易にしたってことに尽きる。逆に手描きアニメでありながら「奥行き」の動きを縦横無尽に展開して見せていた『わんぱく王子の大蛇退治』や『太陽の王子ホルスの大冒険』がどれだけ凄かったかってことなんだよなあ。ドラマ的にもこの二作は現代のアニメと比べてみても少しも遜色がない。っつーか、このあたりのアニメを見てなくてアニメファンを名乗るのはモグリというものである。 それはさておき、当時はまだ「声優」というものがほとんど専門化されていなかったから、声アテはもっぱら映画俳優に頼っている。 『白蛇伝』が森繁久彌と宮城まり子の各々十役(!)によることは有名だが、『少年猿飛佐助』も、真田幸村が中村賀津雄(現・嘉葎雄)、夜叉姫が杉山徳子、おけいに松島トモ子、おゆうに桜町弘子、三好清海に岸井明、戸沢白雲斎に薄田研二と超豪華……ってこれがどれだけ豪華なのか分る人ももうほとんどいないんだよなあ。私なんか「岸井明や薄田研二が声優やってる!」って小躍りしちゃうんだけどもね。アニメとして面白いかと言われると、資料的価値の方が高いと言わざるを得ないけれど、まあ『白蛇伝』は森繁と宮城まり子の歌がたっぷり聞けるから(^_^;)。
昼、カラオケ「シダックス」で食事。 アニメの新曲もそろそろ入ってるんじゃないかと思って覗いてみたが、それほど増えていない。 しげと二人だけのときはできるだけ今まで歌ったことがない歌を練習することにしているのだが、しげ、今日はアニメから離れて懐かしのドラマのテーマソングをチョイスしている。「懐かし」とは言っても、なんだかんだ言ってやっぱり私とは十以上もトシが離れているので、『青いうさぎ』なんて私から見ればバリバリの「新曲」を歌ったりしているのである。 私もそれに対抗してドラマ主題歌を歌ってやろうと思ったが、カタログを見ると『なんたって18歳』くらいしか歌えるのがなかった。……古い歌も載せてくれよう、私ゃ『雑居時代』(そよ風のように、生きてゆきたいの♪)とか『パパと呼ばないで』(花はなぜ咲くの、いつか散るのに♪)とか『水もれ甲介』(水もれ、こうすけぇ、水もれ、こうすけぇ♪)とか大好きだったんだよう……ってみんな石立鉄男のドラマじゃん(^_^;)。 結局やっばり特撮、アニソン縛り。それでも久しく歌ってなかった曲をできるだけ選ぶようにする。戦隊ものはあまり熱心に見てなかったのだが、それでも『デンジマン』あたりまでは何とか私もソラで歌える。やっぱり夕方から朝の放送に移ってからは丹念に見られなくなっちゃったからなあ。
久しぶりに『サイボーグ009』を見る。 ここ2、3回見逃してたから、展開がどうなってるかと思ったら、サブタイトルが付いてて「ミュータント戦士編」。原作にそんなのあったっけ? と思って見たら、これがなんと『移民編』。 ……そうかー、なるほど、アニメ化にあたって微妙に妥協点を図った結果がこういうことなのか。 原作はもう、サベツに引っかかるってんで、未来人がミュータント化してるって設定は改変されてしまっている。それをなんとか復活させようとした結果が「ミュータント=エスパー」って設定なわけだね。苦肉の策かもしれないが、締めつけのキツイ中で、これはぜひ評価したい。 ガモ=ウイスキーをここで絡めてきたのも、いいアイデアだね。原作じゃプロローグに登場したっきりだったのをメインに据えたのは、前回のアニメ化の時が最初だけれど、使い方としては今回のほうがずっといい。 ……けれど、この設定だと「時空間漂流民編」にはうまく繋がらないんじゃないかなあ。それともアレは「海底ピラミッド編」と合わせて「天使編」への繋ぎにするつもりなのかなあ。 これからの展開を予測するのも、旧作原作ファンのタノシミなんで、今度のアニメが初めてって人はご勘弁ね。
さて、今日は私にしてはちょっと珍しいテレビ番組を取り上げる。 爆笑問題が司会をしている『決定!これが日本のベスト100』という番組だ。好きなテレビアニメだの懐かしソングだのをともかく「100」集めて、わずか一時間で放送してしまおうというかなりムチャな番組である。 この手の番組は、かつてはたいていスペシャルで2時間ないし3時間の枠を取って、クリップではあってもそれなりの分数を取って紹介していたと思う。それがこの番組は毎週1時間に100本。ゲストのコメントなんかも入るから、だいたい一本あたり10秒から20秒。ほとんどこれでは紹介にすらならない。よくもこんな番組が成立するものだ……というのは我々トシヨリの感覚で、多分、今の視聴者は何分も時間をとっての紹介なんて見たくもないのだ。
今日の特集は「あの人は今」。 いやはや、ヒドイなんてレベルじゃないね(-_-;)。 例えば仮面ライダー2号・一文字隼人役の佐々木剛氏の紹介など、戦闘員との対決アクションと変身ポーズを取らせただけで、インタビューも何もなし。あとは「今も舞台で活躍しています」のナレーションがかぶって終わりである。 一応、この番組は視聴者からのアンケートに基づいて編成されているらしい。ということは「仮面ライダーの人って今どうしてるの?」と気になった人が世間にゃかなりの数、いたということだ。 しかし、引退したり転職している人ならばともかくも、佐々木氏は療養期間があったとは言え、バリバリの現役なのである。ファンならば佐々木氏が今も活躍中であることを知っているし、特にファンでなくても、ちょっとネットや図書館で調べれば、すぐに消息は分ることだ。なのにどうして佐々木氏の名前が挙げられねばならないのか。投票した連中は断じて佐々木氏のファンではない。ただの「冷やかし」である。 そんなアホの投票に追従して、佐々木氏をまるで「忘れられた人」扱いでたいした解説もつけずに紹介することがどれだけ非礼であるか、スタッフには分らなかったのだろうか。わかんなかったんだろうなあ。 「仮面ライダーの人って、今どうしてるのかなあ」 「舞台やってるみたいよ」 「ふーん、そうなんだ」 ここで得られた情報で会話できることと言ったら、せいぜいこの程度じゃないか。世間話のネタにすらならない、とても情報とは言えないものを与えることにどんな意味があるってんだ。 わざわざ会場まで連れて来られたゲストもいるが、「アラジン」は確かにブランクがあったが、どうして「伊藤つかさ」が連れてこられにゃならんのか。別に『金八』と『鞍馬天狗』のあと消えたわけでなくて、ずっと俳優続けてたぞ。そんな詳しいことを知ってるのはオマエだけだと文句つけるやつがいるかもしれないが、しょっちゅう土ワイや舞台に出てた人が「忘れられた」レベルであるわけがない。無知な連中が投票してるだけの話なのである。 こうなると、こういう番組を作ってること自体「犯罪」じゃないかという気がしてくるね。 あとさあ、桜庭あつことか横山弁護士の消息知りたがってやつがいたみたいだけどよ、そんなもん知ってどうするんだよ。それこそ世間話のネタにすらできんだろうが。 「ねえねえ、横山弁護士って、今、年金暮らしなんだって!」 「……それで?」 虚しくないのか。 鹿児島で隠棲してる野呂圭介さんが、スタッフに向かって「よく見つけたねえ」と笑っていたけど、こんなアホな芸能界に野呂さんはもういたくなかったんじゃないかね。ドッキリカメラの人としか野呂さんのことを見ることができない人間ばかりが大きなツラしてる今の芸能界じゃ、そりゃ居場所はなかろうよ。
DVD『千と千尋の神隠し』をフランス語バージョンで見る。 『もののけ姫』のDVDは英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、広東語、ポルトガル語と多彩だったが、『千と千尋』はフランス語のみ。 ディズニーと提携している以上、英語版だって作られてるはずなのに、どうして収録しなかったのかなあ、発売までに間に合わなかったってことはないと思うんだけれど(“Spirited away”=「連れ去られ」のタイトルで公開されてるはずである)。 『もののけ』のときは、外国語はどうにも純日本な作品世界と合ってないような気がしていたのだけれど、『千と千尋』とフランス語はそれほど違和感がない。 けれど、『もののけ』のときもそうだったのだが、外国語版のキャストが全く字幕に出ないので誰が声をアテているのか皆目分らないのはなんとかしてもらえないものか。外国人キャストに対してもあまりに失礼である。 それはそれとして、静謐なイメージの日本語版千尋=柊瑠美と、やや甘えん坊的な声のフランス語版千尋=「誰や」との比較をしながら見るのはなかなか面白い。柊さんは恐怖を感じながらも自分の心を見失わないでいる感じだけれど、フランス娘は(こんな書き方しなきゃならないからキャストちゃんと書いとけってんだ)ひたすら怖がって回りになんとかしてもらいたいって感じだ。あくまで感じだけど。こういう役の捉え方の違いに、「異界」に対する日本とフランスのイメージの違いが現れてると考えるのは考え過ぎかな。 フランス語タイトルは“Le Voyage de Chihiro”=「千尋の旅」。 ご承知の方も多いと思うが、フランス語では“h”を発音しない。従って「チヒロ」は「チィロ」と発音されてるんだけれど、なんかペットみたいでおかしいような可愛らしいような。「ハク」は当然「アク」になりますな。どっちかというと「ク」にアクセントがあって「アクー」って感じ。本名は「ニギハヤミコハクヌシ」じゃなくてなぜか「アクアク」になってた。なんだかポリネシアかどこかの神様みたいね。 ほとんどのキャラが日本語の名前通りだけれど、「カオナシ」だけはフランス語に翻訳してあって“Sans Visage”、英語なら“No Face”。まんまですな。フランス語版でもカオナシは原音のまま喋ってるんだけれど、この声優誰だ。テロップに表記がないからわかんないんだけど、ハク役の入野自由の二役か?
ああ、あと予約特典の「ハクのおにぎりフィギュア」は不恰好でした(-_-;)。 宮崎監督が実際にオニギリ握ってる写真がついてるんだけど、これをありがたがるやつ、いるのかね。糸井重里(こいつがこのオマケの発案者だよ)がまた「オニギリは、働くこと、食べられることの価値のシンボルです。それはひいては『生きること』の価値をたたえることにもつながっています」とかいい加減なこと書いてやがるけれど、「オニギリという食べ物は世界で一番いやらしい」といくたまきは言ってるぞ(by『パイが好き』)(^o^)。
マンガ、島本和彦『COMIC BOMBER 吼えろペン』5巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。 おお、16年ぶりに日の目を見た『燃えるV』最終回! ……もう誰も知らんな、『燃えるV』。 『炎の転校生』に続いて島本和彦が昭和61年に『少年サンデー』で連載してた“作者自称”テニスマンガなんですけどねえ、いやもう、これが『ほのてん』のノリのまんまで描かれてたものだから、もう全然マトモなテニスマンガじゃなかったのよ。『エースをねらえ!』のファンが読んだら激怒するんじゃないかってくらいのもので(『エース』がマトモなテニスマンガか、という意見については、まあそれはその、アレですから)。 何しろ主人公の狭間武偉、初登場時は全くテニスを知らないただのケンカ野郎。それがなんかイキオイでテニス界に乱入して最終回では全仏全英全米全豪の4大タイトル全てに優勝するというムリヤリ展開である。テニスマンガなのになぜか必殺技とか出てくるモノ凄さ。「垂直(バーチカル)ボンバー」はともかく、「スパイダーガッデム」(ボールをたくさん投げる)なんて、実際の試合に使えねーじゃん……と思ってたら、高速スピードで手を動かして可能にしてやんの。ムチャっつーか、既にテニスじゃない(^_^;)。 人気がなくて1年で連載終了しちゃったんだけども、私は好きだった。……でも作者にとっては封印したかったマンガらしい(このあと島本さんは『とつげきウルフ』の連載もコケて『サンデー』から離れる)。 作中、島本……ああ、いやいや、炎尾燃がアシスタントたちに向かって叫ぶ。 「おれはその時、ボクシングマンガを描きたかったのだよ、実は!」 「同じ時期に同じ雑誌でほかのマンガ家がボクシングマンガを連載していたとしたら!?」 「だから、おれはテニスを通じてボクシングを描くしかなかった!! しかたがなかったんだ!!」 ……血の叫びである(^_^;)。当時サンデーのボクシングマンガって言ったら、六田登の『陽気なカモメ』あたりかなあ。作風違うから気にすることなかったと思うけど、これがオトナの事情というヤツなんでしょうね。でもテニスマンガじゃなくても、ちゃんと島本さんしてるから恥ずかしがることないと思うんだけどなあ。 恐ろしいことにこの『燃えるV』(作中では『ウインブル首領(ドン)』)を読んでテニスプレーヤーを目指した愛田風美(モデルは杉山愛か?)から電話が炎尾プロにかかってくる。「先生が私の『生みの親』なんですよ!」 そんなこと言われても……と誰しも思うであろう。それがよっぽどメジャーな作品ならね〜、苦笑するくらいですむだろうけれど、なんたってもとが『燃え……ウインブル首領』じゃあねえ(^_^;)。愛田も愛田だ、それじゃまるで『GOGO!レッドソックス』読んで野球選手目指したり、『キックオフ』読んでサッカー選手を目指すようなものではないのか。 結局、なりゆきで打ち切りにあった連載の「真」の完結編を描くハメになった、炎尾、なんと「主人公が実は女だった!」と設定を変えて愛田に差し出すが……。 「なんか結末を見たら、べつにどうでもよくなっちゃった! あんなマンガ!! 今、私は大人になったんだわ! ありがとう炎尾先生!! ありがとうございました、結果的に!!」 ……ああ、痛そう(хх。)。ホント、自分の身を切りながらギャグ作ってるよなあ、島本さん。自虐ギャグってのはもう少しチクチクくるものだけれど、島本さんの場合は自爆しまくってるからなあ。ほかにもこの巻、過去のマンガの滑ったネタを全て「妖精さん」のせいにしてたり、ここまで自分を切り売りするかってネタが続出。少し煮詰まってきてないか、島本さん。 しげはこういう作者が自分自身をあえて貶めるギャグがホントに好きで、椎名高志の『GS美神』でも、「まさかもう一度アニメ化!?」「それはない、それはないんだよ……」「ああっ、血の涙!」ってギャグを見て大口あけて笑ってた。人間として最低なヤツだということがよく分るなあ。 気がついてみたら、『吼えろペン』ももう5巻。『サンデーGX』の中では一番厚く熱い連載になっているけれど、もしかしたらこれが『ほのてん』を越えた島本さんの代表作になるかもしれない。つーか、既に巻末の広告では「島本和彦21世紀の代表作!!」とアオリがついているぞ。いいのかホントに。
2001年07月21日(土) やたら長長文になっちゃいました。すみません/『裏モノ見聞録』(唐沢俊一)ほか
| 2002年07月20日(土) |
漫画映画復活!/映画『猫の恩返し』/『ああ探偵事務所』1巻(関崎俊三)/『美女で野獣』1巻(イダタツヒコ)ほか |
午前中はひたすら寝る。 朝のアニメがなかなか見られなくなってるけれど、ビデオに録ってても見る時間がないからなあ。やっぱり早起きしてしっかり見るしかないのである。 昼になって起き出してきたしげが、「今日はどこか出かける?」と聞くので、「今日は映画に行くんだろ? 『猫の恩返し』」と返事すると、「な〜んだ」とつまんなそうな声。 「映画行くの、なんかいやかよ」 「そうじゃなくて、映画は映画で別にデートがしたいと」 結婚して10年だってのに今更「デート」もくそもねーだろと思うが、それくらいしげの交際範囲が未だに狭いということなのだ。普通に主婦やってたら、亭主ほっぽらかして休日は出歩いたりしててもおかしくない。 それを思うと、なんだかんだとケンカしながらも休日はたいてい一緒に過ごしているというのは、結婚生活を続けていく上での秘訣かも知れない。 つまりトモダチ少なくしたほうが夫婦は円満にいくということなのである。意外にこれ、真理じゃないか。
昨日の「ルンバルンバ」が忘れられないのか、昼食はまた「びっくりドンキー」。 昨日は二人でトールサイズを分けたが、今日はしげ一人でスモールサイズを頼む。けど、スモールでも結構大きいよ。しげがまた嬉しそうに飲むんだよね、これを。食欲が人生の幸福の98%ってやつは悩みがなくていいよな。 しげはいつもハンバーグディッシュを頼む。ハンバーグとご飯が分けてなくて一つの皿に盛ってあるのだが、このほうがしげには面倒臭くなくてよいのだろう。あるいは「お子様ランチ」のイメージがあるので嬉しいのかも。どっちにしろ発想が子供である。 私はオトナなので、普通に焼き皿に乗ってるのを頼む。パインバーグステーキというやつだが、昔はこの果物と肉を一緒に食べるという発想についていけず、食わず嫌いであった。ところがあるときこれを食べてみたら果汁が肉汁と程よく混じって甘酸っぱく、実に美味い。考えてみたらカレールーとかにもリンゴ汁入れたりするから、不味いはずはなかったのだ。やはり好き嫌いはよくないね。 最近知ったのだが、この「びっくりドンキー」、経営してる会社「アレフ」っていうのね。もちろんあの「オウム真理教」の「アレフ」とは何の関係もないのだけれど、ホームページ覗いてみると表紙にいきなリ「オウムとは関係ありません」と書いてある。ほかにも「狂牛病にはかかってません」とか、いろいろ言い訳しなきゃならないことがやたら多いみたいで、ここんとこ随分苦労している様子である。 多分、店でも客にそのこと聞かれることあるんじゃないかな。そのための「返事マニュアル」とかもあったりして。わざと「おたく、オウムと関係あるの?」とか聞いてみたい気もちょっとするが、さすがに意地悪すぎて聞けないなあ。誰か心臓に毛が生えてるやつ、聞いてみないか。
AMCキャナルシティ13、到着して見ると、映画の上映時間までにまだ2時間ほど間がある。とりあえずチケットだけは買ったものの、さて、その間、どうやって時間を潰すか。 「先に天神回っていい?」 「いいけどどこ回ると?」 「LIMBで予約してたDVD買うだけだよ。あとはせいぜい福家かな」 「それくらいなら……」 「2時間しか時間がないし、予めどことどこ回るって言っとかないと、必ずあとで『ああ、もう間にあわ〜ん』とか文句言うやん」 「なん、それ」 そうなのである。しげはともかく「時間恐怖症」で(ともかく怖がるのが多いやつだね)、映画が始まる1時間前くらいに現場にいないと落ちつかないのである。私だってギリギリの時間までブラブラしようって気はないが、1時間映画の前でぼーっとしててどうするのか。 「3軒も4軒も店を回る気はないよ。一つの店に30分かかるとしたら、2軒で1時間、往復の時間に30分、だいたい30分前には映画館に帰ってこれるやろ」 ここまで細かく説明して、やっとしげを納得させる。
ベスト電器のLIMBでは予約しておいたDVDを数枚購入。 しげ、ダン・エイクロイドが出演しているという『ハリウッド・アドベンチャー』を注文しているのだが、これがまだ届いていない。自分ばかりDVD買いやがってと私をジト目で睨むが、そんなん私のせいではない。 福家書店を回った時点で、時間まであと40分ほど。 「ちょうどいいかな、時間まで」と呟くと、しげ、泣きそうな声で「間に合わんよ、来るとき30分かかったもん」と愚痴る。 「そんなにかかんねーって」 口ゲンカになったら、それこそ時間のムダなので、さっさと歩き出す。
天神からキャナルへは、川沿いの道を通って、まあその、お休みどころを抜けて行く道が一番の近道である。私がさっさとその道に入ったら、しげだけツイと離れて、脇の公園を通る道に行ってしまった。 女性ならそういう道を通りたがらないのは自然だと思われるかもしれないが、あいにく、しげに成人女性の心理は当てはまらない。単に怖がりなだけだね、多分。昼日中で変な客引きもいないし、気にすることはないと思うのだが、逆に静かだからこそ、何かが出てきたら怖いとかなんとかアホなことを考えているのだろう。何が出るんだよ、言ってみろ。 わざわざ戻ってしげを追いかけるのも面倒なので、先にキャナルの前でしげを待つ。遠回りと言ってもせいぜい1、2分しかタイムラグは生じないので映画に遅れる心配はない。 遠くから歩いてくるしげを見ると、全く太ったエンペラーペンギンそっくりである。誇張ではなく、しげは外またで、前に足を出すのではなくてやや垂直気味に落としながら歩くという、ややこしい歩きかたをしているので、ホントにそんな風に見えるのである。荷物を何も持たないし(持ってるのは当然私だ)、キョロキョロと視点は定まらないし、着てる服はファッションセンスのカケラもないし、なんかもー、見た目全く○○○○なんだよなー。 オイ、すれ違ってる人、怖がって避けてるよ。本人気付いてないし(-_-;)。やっぱり私が側にいてやらないと、補導されかねないよな、こいつ。 時間は3時過ぎ、上演の15分前だったが、公開初日のわりに客はそれほどでもない。しげ、「みんな天神東宝の方に行ってるのかなあ」と言う。多分そうだろうと思うが、映画館の質はキャナルの方が上である。天神とキャナルだったら、キャナルの方に行くな、私は。あまりそういう拘りは今時の映画ファンにはないのかなあ。
『ギブリーズ episode2』及び『猫の恩返し』。 スタジオジブリ、世代交代なるかの第1弾(本当は『耳をすませば』がそうなる予定だったんだけど、近藤喜文監督亡くなっちゃったから)。森田宏幸監督、相当プレッシャーがあったんじゃないかと思うけれど、まずは無難にそつなく監督をこなしましたって印象かね。百瀬義行監督のほうは、『となりの山田くん』をの徹を踏んで失敗してるところがある。まあそれは「商業アニメ」としての失敗であって、「実験アニメ」としてはこれでもいいんだけども。
最初の『ギブリーズ』、はっきり言って子供たちは退屈している。わずか十数分のアニメでそう感じさせるんだから、一般的には全くつまんないのだ。 1、「オープニング」 ジブリ作品のいつものオープニング、トトロと小トトロとがクルッと回転して、野中くんがノートパソコンを打つペン画に。ジブリの文字がギブリになる。「GHIBLI」の発音がホントは「ギブリ」であることのギャグだけれど、まあ楽屋落ちだわな。何のことか分らない観客も多かろう。 2、「お昼」 野中くんと奥ちゃんの「どこでお昼食べる?」ってだけの会話を完全3DCGアニメ化。でも『山田くん』のとき以上にCGにする必然性全く無しの、動きが気持ち悪いだけのアニメ。キャラクター自体が紙粘土をぺたぺた張り合わせた感じで、違和感ばかりが目立つ。……実験アニメだねえ。ここでやっとタイトル登場、『ギブリーズ』。 3、「カレーなる勝負」 カレーショップトシちゃん(このきゃらだけいしいひさいちの鈴木敏夫キャラ。ただし、鈴木さんとは別人という設定)での、野中くん奥ちゃんゆかりさんの辛さ勝負。これもCG作画だろうけれど、最近のでディズニーキャラをやや深くしたような微妙な立体感を持たせている。3Dではない。 煮たぎったカレーの泡立ち流れる表現はモノスゴイが、これもCGのムダ遣い(^_^;)。ゆかりさんの声をアテてる鈴木京香の声がもうすっげー色っぽい。こういう声を聞くと、声優専門の役者養成って違うよなあ、という気になる。 でも、ゆかりさんが口から火を吐いて地球を何周もするシーンは時間が長過ぎ。全体的に百瀬監督の演出、間のとりかたが頗るヘタである。 4、「ダンス」 線画によるメイン3人のダンス(まんまや)。 アングルも動きも凝ってるし上手いんだけれど、やっぱり実験アニメ。このあたりで会場の子供たちが親に「まだ終わらんと?」と言い出した。そりゃそうだよ、だっていくら衣装を変えたりしてもさあ(裸になったりバレエの恰好したって笑えるものではない)、ただ無意味に3人が踊ってるだけだから。 5、「美女と野中」 見て一発でわかる、うつのみやさとる作画。全く、技術のある人をムダ遣いさせてるよなあ。私はこの人の作画見てるだけで満足なので、話に中身がなくてもOK。電車の中で野中くんが眠りこけた美女に寄りかかられてドキドキする話。 6、「初恋」 映画として見た場合、まとまってるのはこの一本のみ。水彩画やパステル画風の絵が交錯して、見ていて心地よい。ただ、懐かしい初恋の思い出にジンとくるのはやっぱり大人で、子供はもうみんな愚図っている。……商業公開する気なら、ほかのエピソード要らないから、これだけブローアップして公開した方がいいよ。 7、「エピローグ」 一番手抜きに見える、マジックか竹ペンで描いたようなラクガキ風アニメ。でもこれも実は手がかかってるんだろうなあ(^_^;)。話は米ちゃんが退社するときにすれ違う人々と挨拶するだけ。 高橋先輩が出て来ないかと思って見てみたけれど、掲示板に「食事」と書かれてただけだった。それでも『エヴァンゲリオン』に続いての出演である。めでたいめでたい。鈴木敏夫さんの後ろにいた人は眼鏡かけてなかったから別人だな。 8、「エンディング」 スポットライトの中、蛍ちゃんが「ギブリーズ!!」と声をあげて終わり。声は篠原ともえだがハスキーなイメージがあったのにかわいい声である。するってえといつものアレは作り声か。 しかし、実験アニメを堂々と劇場公開した勇気は買うが、これで客に見せられるモノになってると思ってるあたりが問題だなあ。
さて、メインの『猫の恩返し』。 原作のキャラと、これまでの東映動画系列のキャラとの間を取ったようなキャラデザイン、さて、どう動かしてくれることかと思っていたが、これがまあ、よく動く動く。日常の微妙な動きも、後半の冒険活劇も、これまでの宮崎・高畑作品で培ってきたノウハウを、若いスタッフたちが着実に身につけていることがわかって、まずはめでたい。 いやもー、私は、冒頭、目覚まし時計を押さえるハルの手の重みの表現を見ただけで感動しちゃったよ。ハルの仕草は、少女マンガのヒロインとしての最も理想的な動きを、リアルに表現したものと言っていいのではないか。『耳をすませば』よりも線に強弱がなくなり、随分整理されているのだけれど、その分、動きに力を入れたって感じだね。実際、その滑らかな動きは、ここのところ宮崎作品に「固さ」を感じていた身にしてみれば実に心地よい。 ストーリーが日常を描く前半と、猫の国での後半とで分裂しているのが欠点とは言えるが、これは原作の罪だから仕方なかろう。アニメとしてのイメージを見せてくれていることで、その程度の瑕瑾は気にならなくなる。 何より嬉しかったのは、この物語が『長靴をはいた猫』の現代版であったことだ。ある意味狂言回し的な役割でしかなかった『長猫』のペロに比べ、本作のバロンは、ハルを救うために走り、飛び、戦う、ピエール以上に活躍するもっともヒーローらしいヒーローである。 いやあ、カッコイイよ、バロン。男爵の高貴さ、というよりもシャーロック・ホームズの凛々しさだね、彼の魅力は。バロンに抱きかかえられて塔の階段を昇っていく最中にハルが「このまま猫になってもいいかも」って思ったの、私、共感しちゃったくらいだから。猫だろうと関係ないね、宮崎版『名探偵ホームズ』のカッコよさがここにはある。 ハッキリ言うけど、「カッコよさ」という点ではジブリ作品中、これが最高傑作だ。ラストに至るまで『長猫』のリメイクっぽいことにマイナス点をつける人もいるだろうが、肩肘張った辛気臭いアニメばかり延々と見せられてきた身にしてみれば、理屈抜きの大エンタテインメントを作ってくれた森田監督に大感謝である。 宮崎さんに高畑さんよ、こういうのを見たかったんだよ! もうエコだのなんだの作品に盛り込むのやめてくれ。あんたたち程度の才能じゃ、とても映画にゃできないモチーフなんだから。 しげはハル役の池脇千鶴の声がイマイチだったみたいだけれど、少女マンガのヒロインとしてはきちんとハマってる。「これは違うだろう」ってキャストが一人二人はいた今までのジブリアニメと違って、みんな、キャラを掴んでるよ。袴田吉彦のバロンは『耳をすませば』のときの露口茂より若返ったけれど、これも妥当だろう。何より、猫王の丹波哲郎! 『クレヨンしんちゃん 爆発! 温泉わくわく大決戦』での本人役(^o^)もよかったけれど、今回のロリコンエロオヤジ猫もいいわ。ハルを息子のヨメにするのがダメなら、自分のヨメにって、こんなの少女マンガのキャラじゃないって(^_^;)。悪役が憎みきれないやつと言うのも『長猫』以来の伝統だわな。 あ〜、『スターウォーズ』の20倍は面白いから、みなさんも見てね。
マンガ、関崎俊三(かんざき・しゅんみ)『ああ探偵事務所』1巻(白泉社/JETS COMICS・530円)。 だから「探偵」ってタイトルに付いてるだけでどうして衝動買いしちゃうかな(^_^;)。 あー。本格ミステリではありませんでしたね、いや、タイトル見た瞬間、ギャグだろうな、とは思ったけれども。けれど買って損した感はなし。それどころか、なかなかツボを抑えたシチュエーションコメディになってるよ。 タイトルの「ああ」って、感動詞だと思うでしょ。それがさにあらず、探偵事務所の名前なんである。電話帳の一番最初に載るから付けたって、発想が亜愛一郎だねえ。主人公の探偵妻木(名字だけで名前がないあたりがハードボイルドっぽいね)は推理オタクで、依頼人の素性を勝手に推理してはことごとく外して、胡散臭がられている。今日も「失踪した兄を探してほしい」と依頼してきた井上涼子に「あなたは音楽教師をしている。声の発声もいいし指の爪をきっちり切ってある」と断定する。でも彼女はただのOL。妻木の推理が幸運にも的中し(普通は「まぐれ当たり」というのだ)、事件が解決した後も、ビンボーであまりに哀れな妻木のために涼子は「ボランティア」でOLの傍ら、探偵事務所の助手をすることになる。 探偵の情けなさぶりと、それをサポートする助手って図式が、松田優作の『探偵物語』の路線だなあ、とは思うけれど、毎回の事件に工夫が凝らされていて、本格推理的興味には欠けるけれどもなかなか面白い。 「見合い相手の弱点を調査する」 「公園のラクガキ犯を捕まえる」 「刑事の覗き現場の証拠を掴む」 「ペットのペンギンを探し出す」 「盗まれたアニメセルを取戻す」 などなど。普通の探偵マンガと違うところは、犯人がまあなんというか、筒井康隆の言う境界の方々ばかりだというところでしょうか。だからネタ的にはギャグだけど、結構都会の陥穽っつーかリアルなとこ突いてるんだよね。たとえば公園のラクガキ犯は自称「天才アーチスト」で、自らの芸術性を世間に知らしめるためにやってたわけだ。実際には暴走族のラクガキとレベル変わんないんだけど、本人だけはそうは思ってないという。いるよね現実に(^_^;)。 お宝アニメセル盗難事件のアニメは、往年の名作『ヒマラヤの不思議少女ナマステ』(おいおい)。ネーミングはどうかと思うが、アニメスタッフがみんな人間の基準から少しばかり離れた顔をしているいうのは、意外に偏見ではないかもしれない(~_~;)。やっぱオタクって世間的には境界の人って思われてるんだよなあ。 作者、ジャンボ鶴田と同窓だったそうだけど、となると結構トシ行ってるんじゃないか。このマンガの前にもいろいろ作品発表してるみたいだけれど、気がつかなかったな。やっぱりまだまだマンガの世界は奥深い。 数少ない読者のみなさま、私が興味持ちそうなマンガがあったら、教えて下さいませな。
マンガ、イダタツヒコ『美女で野獣』1巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。 え〜、女子高生による「ファイトクラブ」マンガです。 いやあ、イマドキたった一言で中身を解説できるマンガも珍しいなあ。もう理屈抜きにただそれだけのマンガ、テーマもメッセージもつゆとてない完全快楽主義的エンタテインメント。……ってこれだけじゃいくら何でもあんまりかな。もう少し説明を続けよう。 飲んだくれでヤクザの用心棒で乱暴者のゴクツブシの父のせいで借金地獄に喘ぐ女子高生にして古流武術鬼首流の時期当主、一茜(いちもんじ・あかね)。またもやオヤジがこさえた借金百万の返済ができずに途方に暮れる彼女の前に現れた謎の女子高生、中島克美。「百万円は私が持つわ」。組長の娘と名乗る克美に誘われるまま、茜はとある映画館の地下秘密闘技場で「女子高生のみのキャットファイト」にエントリーされてしまう。一度だけ、一度だけの勝負と会場に降り立った茜に、格闘技の天才美少女・チャンピオン毒島リリカの猛攻が……。 ……うーん、あらすじ書いたら、これ以上、もう書くことない。もちろん面白いんだけれど、批評を拒絶するマンガってのもあるのだよ。
2001年07月20日(金) 一人で見る映画/映画『千と千尋の神隠し』
| 2002年07月19日(金) |
踊る大脂肪/映画『MIB�供戞拭悒錺ぅ蛭如”�雲児たち』3・4・5巻(みなもと太郎)ほか |
残業で帰りが7時を過ぎる。 これはいきなりでなく、以前からわかっていたことなので文句はない。私がいつも文句をつけてるのは、いきなりの変更がやたら多すぎるからである。必要がある残業ならちゃんとしますって。手当てでないけど。 しげにもそのことは言っておいたので、しげもいつものように愚痴は言わない。
雨の中、夕食は久しぶりのハンバーグレストラン「びっくりドンキー」。ここしばらく、しげが「行きたい行きたい」とうるさかったので、やや遠方ではあるが足を伸ばす。 注文はシチューハンバーグにびっくりコーラ。ここまではいつもと変わらないが、新メニューで「ルンバルンバ!」という飲み物がある。 なんで「!」が付いているのかよく分らないが、メニューには「アイスキャラメルマキアート」とある。なんだよマキアートって、牧伸二が描いた絵か。 見た感じ、コーヒーの底にキャラメルミルクが沈んでいる感じ。 こういう見たこともないものには興味を惹かれてしまうので、二人で頼んでみる。で味わいはどうかと言うと、まあ美味しいと言えば美味しいか。ストローで、底に沈んでるキャラメルミルクを飲んでるうちは甘くて、それがコーヒーのところに来ると苦く変化する。一粒で、ああいや、ひと飲みで二度美味しいってコンセプトなわけかね、この飲み物は。もっとも混ぜて飲む人もいるだろうから真偽のほどは定かでないが。甘ったるいのが嫌いな人は混ぜて飲むのがいいだろうね。 でもやっぱり疑問なんだけど、どうして名前が「ルンバルンバ」? 何かコーヒーの中で踊ってるのか。でそれが腹の中で孵化し、ハラを食い破って……。 しげ、これが気に入ったのか、「また今度飲もうね」という。まあしげの厚さ30cmの腹肉なら食い破られることはあるまい。……そうか! 揺れて踊るのはハラ肉だな!? 確かにこの店、肉は豊富にあるし甘いデザートもあるし、しげにとっては至福のレストランだろう。ハンバーグ以外のサイドメニューもいろいろあるし、いい加減「王将」と「めしや丼」に飽きてきたので、もう何度か通うくらいなら私も反対ではない。 また毎日「びっくりドンキー」通いになったらいやだけど。
AMCキャナルシテイ13にて、映画『MIB�供淵瓮鵝Εぅ鵝Ε屮薀奪�2)』。 バリー・ソネンフェルド監督は『ワイルド・ワイルド・ウェスト』の汚名を返上できるか? ってあたりを期待して見に行ったけど、そこまでは行かなかった感じね。悪くはないけど面白いというほどではない。意外性、まるでないんだもの。 冒頭、いかにもパチモンなSF番組の司会者(『スパイ大作戦』のピーター・グレイブス!)が現れ、「宇宙人は地球に飛来しているのです」、と矢追純一よろしく視聴者に語り掛けるシーン、これがよくできている。60年代に放映されたって設定なんだろうけれど、飛んでる宇宙船はチャチィわ、宇宙人のコスチュームはゲテゲテだわ、60年代テイストが横溢。けど、この映画で一番面白いシーンがここだけなんだよね。 前作で相棒K(トミー・リー・ジョーンズ)と別れたJ(ウィル・スミス)、仕方なく別の相棒と組むけれど、それがブルドッグ型宇宙人(パグ犬って言ってるけど、ブルドッグとどう違うのさ)のフランクってアイデアがイマイチ頂けない。要するにジャー・ジャー・ビンクスでうるさいだけの邪魔者、コメディリリーフになりきれてないのだ。私にはギャグがすべりまくってるように思えたんだが、来場してた外人の客はやたら笑ってたなあ。私が英語のギャグが分らない点を割り引いても、アチラさんのギャグセンスも昔に比べて低下してきてないか。 ストーリーはいたって単純。 強大なパワーを持つ宝、「ザルタの光」を求めて地球にやってきた狂暴な宇宙人サリーナ(ララ・フリン・ボイル)。その宝の行方を知っているのは前作で記憶を消されたK。彼の記憶を取り戻しすために、Jとサリーナの追っかけが始まる……って話。 基本ラインはそれでいいんだけど、無駄なエピソードが多すぎてKの記憶が戻るのに時間がかかりすぎ。それがサスペンスに繋がってるんなら悪い展開でもないんだけれど、それがイマイチ希薄で効果をあげていない。襲われる対象を、Kと、サリーナを目撃したヒロインのローラ(ロザリオ・ドーソン)とに分割させちゃったのが脚本の求心力を弱めているんだね。 で、オチが実は「ザルタの光」はローラ自身だったってのはハッキリ言って意味不明。ローラの何がどうなってて「惑星を破壊するほどのパワーを持ってる」って言うの? それにサリーナ、そんなもん手に入れなくても、オープニングで惑星破壊しまくってるんですけど(^_^;)。 更にわからんのが、ローラが実は、Kとかつて恋に落ちた宇宙人ロラーナとの間に生まれた娘だってこと。……あのー、ローラを演じてるロザリオ・ドーソン、黒人なんですけど、白人と宇宙人が子供作ったら黒人になるんですか? しげにこれ話したら、「どっかが黒いんだよ、あの宇宙人」って言われた。どこが黒いのか教えてくれ。 結局「ザルタの光」がどういうものなのか分らないままローラは宇宙に旅立って終わり。なんだか『MIB�掘戮離廛蹈蹇璽阿世姥�せられて終わっちゃったって感じ? でもこれで『�掘戮�今回の話となんの関係もなかったら怒るよ、私ゃ。吾妻ひでおじゃないんだから。 サリーナ役のララ・フリン・ボイル、どこかで見た顔だと思ったら『ツイン・ピークス』に出てたんだね。随分老けたよなあ。 帰宅して、ふとパソコンの前を見ると、並べておいたフィギュアが全部裏返しされている。特に『あずまんが大王』のキャラは全部奥地に行ってて姿も見えない。 もちろん、これは全部しげの仕業であって、小人さんのイタズラではない。 思うに私がおーさかや榊さんを見ながらデヘデヘしてたのでヤキモチを焼いたものであろう。まるで本屋に並んでた高千穂遙の本を全て逆に入れ直した相原コージのようなマネを(『かってにシロクマ』を酷評されて怒ったとか)。 別にこの程度でしげを怒ったりはしないが、なんかやることがいじましいよなあ。いちいち元に戻すのもめんどくさいのでそのままにしているが、キングギドラや鉄人28号やブラック・オックスやアントラーやメガギラスや死神博士やイカデビルや砂かけ婆や釣瓶落としやサキエルや惣流・アスカ・ラングレーがみんな背中向けてるってのはなんか不気味な風景である。
マンガ、みなもと太郎『ワイド版 風雲児たち』3・4・5巻(リイド社・各680円)。 番外編(つーか書き残し編)『宝暦治水伝』を3巻と4巻に分けて途中収録。 薩摩藩家老・平田靱負と傳馬屋十兵衛との「腹芸」のシーンは何度読み返しても泣ける。こういうのが「日本人の美しい姿」ってやつなんだよ。直情径行な特攻隊物語やら、ワールドカップの応援程度で「日本人」を感じる精神の貧弱さと比べてみりゃいい。今、「二十万両の香典」を出せる人間がどこの世界にいるかね。武士の誇りを捨てて、命を賭して仕事にかかれる人間がどこにいるかね。 再読だからあまり細かい感想は書かないけれど、4巻から始まる「蘭学者編」は、この『風雲児たち』の(今のところ)白眉である。歴史を紡ぐものが人の思いであることを知っている人には、必読の書だ。さあ読め。
雑誌『せりふの時代』24号、特集が「アチャラカ復活!」。 アチャラカがいつ復活したんだと突っ込みたくなるようなタイトルだけれど、まず、「アチャラカって何?」って若い読者もいそうだなあ。けれど、これ説明し出すと、もうこの日記の規定字数使い切っても終わらないよ(^_^;)。 まあ戦前の浅草発祥の理屈抜きのドタバタ喜劇、と思ってください。これでも識者の方からは猛反駁がありそうだけどさ。
矢野誠一の寄稿『おかしくて、哀しくて』、最近見た舞台、『ダブリンの鐘つきカビ人間』を酷評して、「中途半端な才気に頼った勝手気ままなお遊びとしか思えない貧弱な舞台」とまで断定している。 さて、この『カビ人間』であるが、後藤ひろひと演出によるG2プロデュース公演、第3弾である。前作『こどもの一生』『人間風車』が面白かったし、今回は友人も出演しているので(多分そいつのせいでつまらなくなってるとは思うが)、ぜひ見に行きたかったのだが、九州公演は北九州は小倉、しかも平日にしか公演がなく、断念せざるを得なかった。それがここまでの酷評を受けたとなると、果たして「笑いとは何か」という、これも語りだしたらキリがない問題について考えざるを得なくなる。 矢野さんが「舞台を創っている側も、享受する側も、本当に面白いものを知らないで過ごして来たことに対する、ごくごく素直な同情心が湧いてきた」と仰る感覚はわかる。自分の文章が「菊・吉爺い的な自慢話に堕ち」るんじゃないかと心配しつつも語らないではいられないその心情も。 ただ、その「面白いもの」の例として挙げられているのが、1963年に自動車事故で物故した八波むと志の“舞台”なんだから、40代以下の人間は、困ってしまうのだ。だって「見てねーよ」としか答えられないんだから。私も「脱線トリオ」の記憶はほとんどない。これが映画なら、見てないのは若手の怠慢、「すみません」と謝らなきゃいけないんだけどね。 それでも私は、戦前の軽演劇の残留をエノケン、ロッパや森繁久彌、三木のり平、渥美清といった人々の映画に触れていることで、矢野さんの言もさもありなん、と類推することができる。けれど、それすらもない若い人々にとっては、反感しか抱けないのではないか。どうかすると私の同世代の人々でさえ、彼らの芸に対してあまりに無頓着な暴言を吐くことが少なくないのだ。 ナンシー関さんですら、森繁を「現在の視点」でしか論ずることができなかった。そりゃ確かに今あの人は老害を晒しているが、ナンシーさんの文章を読むと、昔からあの人がつまらなかったように錯覚する。橋田壽賀子は確かに昔からつまらなかったが、森繁さんは違うのだ。映画を見ない、舞台を見ないナンシーさんの批評の欠陥がそこに露呈している。 同じように三木のり平を桃屋の江戸むらさきのCMでしか知らず、渥美清を寅さんでしか知らない人間に向かって何を言っても無駄だろう。知識の多寡ではない、芸に対する見方、笑いに対する感覚があまりに貧弱過ぎるのだ。「本当に面白いものに触れたことがない」と矢野さんは仰るが、果たして「本当に面白いもの」に触れてもその価値を見出せることができるかどうか。 八波むと志さんは、私が子供のころに体験しなかった喜劇人の代表のような人である(ほかにもシミキンとか市村ブーちゃんとかいるけど)。その至芸は、同じ脱線トリオの由利徹に嫉妬を抱かせるほどで、ために脱線トリオは解散したとの説もある。映画にも出演しているが、主演は少ない。こないだ録画した『雲の上団子郎一座』に出演しているが、いつものことでビデオの山のどこに行ったかわからない。こんな日記書いてるヒマがあったら、探し出して見なきゃなあ(^_^;)。
今号では、若手の役者、喜劇関係者たちに、「この人こそ喜劇王」という人の名を挙げてもらってるのだが、これが特集に迎合したかのような答弁ぶり。これが本当なら、喜劇界の将来も明るいのだが。
いのうえひでのり→先代博多淡海 市川染五郎→花菱アチャコ 上杉祥三→花紀 京 小松和重→周星馳(チャウ・シンチー) 近藤良平→マイケル・ホイ 春風亭昇太→渥美清 鈴木聡→萩本欽一 喰始→三木のり平 原田宗典→ローワン・アトキンソン ブルースカイ→手塚とおる マギー(ジョビジョバ)→三木のり平 松尾スズキ→ジム・キャリー 松村武→ビンス・マクマホンJr. 村上大樹→松尾スズキ 八嶋智人→花紀 京
マジメな回答を避けて(心情的には分る)、WWEのオーナーを挙げた松村武を除けば、「本当に面白い喜劇を見たことない」のは小松和重、近藤良平、原田宗典、ブルースカイ、村上大樹の五人だけと思うがいかがか。鈴木聡の萩本欽一ってのも今の人にはわかんないだろうねえ。これはもちろん『欽ドン』のころではなく、「コント55号」時代の『帽子屋』などのコントを挙げての意見なので、納得なのである。個人的な意見の差はあるにしてもよ、チャウ・シンチーに「喜劇王」の称号を与えるのはいくらなんでも早すぎるだろうって。
筒井康隆と別役実の「アチャラカ対談」、昔、東京の三百人劇場で見た筒井さん作の『三月うさぎ』、あれ、最初は筒井さんが主演の予定だったそうな(実際に演じたのは『踊る大走査線』の北村総一朗)。自信がなくて断ったそうだけれど、じゃあ、今、役者をやってるのは自信があるのか(~_~;)。まあ、あの時演じててくれてたら、相当な珍品になってたと思うけれど。 筒井さんの戯曲の最高傑作は、活字でしか読んだことないけど、『十二人の浮かれる男』、これに尽きます。三谷幸喜の『12人の優しい日本人』と比べてみると、どちらがより「喜劇」の本質に迫ってるか、一発でわかりますよ。
2001年07月19日(木) 天ブラサンライズ/『吼えろペン』1巻(島本和彦)/DVD『サウスパーク無修正映画版』ほか
| 2002年07月18日(木) |
芸能界の宿便/『名探偵コナン』38巻(青山剛昌)ほか |
野村沙知代が浅香光代と渡部絵美を相手取って、名誉毀損の民事訴訟を起こしたとか。 ハズしてねえよなあ、と感心しながら笑っちゃったのだけれど、これは野村沙知代が自分のキャラをハズしてないということであって、世間的には今更またサッチーミッチーかと、どうにも困ってるんじゃないかと思う。 何しろ、これを報道しているスポニチの記事からして、サッチーの肩書きは「元タレント」である。アレがタレントだったかどうかも疑問だけど、「元」だぜオイ。そうまでして肩書きをつけなきゃならんのかと思うが、ニュースの送り手としても困ってるんだろうな。 はっきり言っちゃえば野村沙知代なんて、もう終わっちゃってるのだ。というか、終わらせたいのよね、世間はもう。なのにまた出てくる。しかも以前と全く変わらないキャラで。これはもう、「困ったねえ」としか言えないのではないか。さっきからほかの表現がないかと考えてるんだがあとは「参った」くらいしかない。いや、降参したわけじゃないからやっぱり「困った」だね。うーん、困った(~ー~;)。 昔はみんな、サッチーに対して本気で怒ってたんだろうと思うのだ。彼女が嫌われ始めた始まりが何だったかはもう忘れたが、経歴詐称疑惑だのなんだのあったよね。個人的には豊島園かどこかのCMで水着になったとき、あの人絶対誰かに刺されるぞと思ったが、意外に世間は寛容であった。もっとも、あんなのと刺し違えて人生棒に振るバカもそうそういまいが。 問題はそこなのである。 誰もがサッチーを悪役の象徴として見てはいたが、さて、ではアレが悪人として大物であったかというとそこまでは言えない。RPGでアレがラスボスだったら、倒す前にそのゲーム買わないと思う。倒してカタルシス覚えるかって言ったら、覚えないね。まず、ゲームに費やした数時間が人生の無駄であったと実感するだけだろう。 要するに、アレって「クソババア」の粋を一歩も踏み出ちゃいないのだ。あんなのの講演会になぜかオバサン連中が集まってたってのも、ババアんとこにババアが群れてたってことなんで、不思議でも何でもない。傍若無人で自分が正義、他人を蹴り倒してトンズラこくババアはそのへんにだってゴマンといるし、多分、今、コギャルとか呼ばれてるバカオンナどもも数年後にはそうなる。で、残念ながらこいつらは法律では取り締まれない(-_-;)。手を出せば傷つくのは自分のほうだということもよーく解ってる。 だから、サッチー、ミッチーの争いは、視聴者にとっては渡りに船だったわけだ。毒をもって毒を制す(^o^)。スポニチの記事、浅香光代の肩書きも「タレント」だったぞ。無知ではあるが、サッチーと同列にしか見られてないってのも事実だ。ネコの首に鈴をつけるのを別のネコにしてもらった感じか。 最終的に脱税というコツブな罪で起訴。っつーか、元々たいした悪人じゃないんだから、これが限度だろう。それでも世間はホッとした。溜飲が下がるというより、「やっと終われる」感が強かったのではないか。 マスコミもつい悪ノリしすぎていたのだ。 時代は常に悪役を必要とする。現実に巨悪というか、ほんまもんの悪役はホレ、おソトを見回せばいくらでもいるのだが、ホンモノに噛みつくのは怖いからできない。だからサッチーだのムネオだの、コツブで叩きやすいキャラを用意して妥協する。ビフテキが食えないから吉野家の牛丼でガマンするようなもんか。 でもそんなのって、言ってみればただの虫抑えだしね〜、長持ちゃしないしさせるわけにもいかないのよ。なのに腸のどこかに宿便みたいに残ってたものだから、早いとこ流したかったんだよねえ、マスコミは特に。 けど、流しきれなかった(^_^;)。おかげで屁が臭い臭い。祭り上げたマスコミもすっかり持て余して、その臭い屁にやられているのだ。で、私ゃそのマスコミの「困った」ぶりを見て「いい気味だ」と思ってるのである。どーでもいー悪人を仕立て上げて、もっと責めなきゃならない悪人を見逃してきたツケがちょっとだけ回ってきてるのだ。少しは困って屁を嗅いでろや。
昼、同僚たちと季節外れの慰労会。 近所の寿司屋から出前を頼むが、久しぶりに食う回転でない寿司はやっぱり美味い。 2500円のワリにネタが小さい気はしたが、まあ、それは言いっこなしか。
今日もしげ、ハラを壊して迎えに来ない。 どうしてこうもしげがハラを壊すかと言うと、太っているからである。 近年、しげの体型は著しく紡錘形をなしつつあり(ディバインですな)、当然のことながら、ハラの部分が最も外気の影響を受けやすくなっている。 シャツはハラとの摩擦によって徐々に薄くなり、そこへ風が当たるものだから、しげのカラダの中で最も体温が低くなるのがハラなのである。 寝ているときは更に顕著で、布団との摩擦でシャツは容易に捲れあがり、鏡モチ三段がさねのハラが毎晩お供えされることになる。 これでハラを壊さなかったらウソだ(^_^;)。ハラ巻き買えや。 そんなアホしげであるが、ほっとくわけにもいかないので、コンビニでファイブミニほかハラ薬を買って帰る。なんか親切しすぎって感じ?
なんだかもー、書きたくもないニュースがまた一つ。 女優の戸川京子さんが亡くなった。しかも自殺。 夕刊見たときにはお姉さんの戸川純の間違いじゃないかと思ったが、間違いなく妹さんの方だ。理由は分らないけれど、発作的なものじゃないのかなあ。あの姉さんをほっといて先に逝くってのがとても信じられない。 特別、ファンだったってわけでもない。何のドラマに出てたかと思い出そうとしても、こないだ見た『ケンちゃん』シリーズ再放送に子役で出てたなあ、ってくらいのもので。ああ、最近では『ガラスの仮面』の紫のバラの人の秘書さん。原作じゃ超美人なんだけど、戸川さんだと少しキャラが弱くなってないかとかシツレイなこと思ってたなあ。お姉さんと違って、個性的な役は似合わない人だったような印象なのである。 なのに、やっぱりショックを禁じえないのは、伊藤俊人さん、ナンシー関さんに次いで、戸川京子さんまでって印象があるからだろう。30代後半、40歳になったばかりでの死なのに、あまり夭折って感じがしない。みんな、どちらかというと、人生にくたびれて、何かふっと心に穴が空いた瞬間に死が襲って来たって感じなんだよ。 私も自殺を考えない日はない。これは本当で、子供のときからの習慣みたいなものである。いろいろカラダにケガだの病気だの持ってると、これは自然なことなんで、あまり深刻に取られても困るのだが、それでもこうして生きているのは、生きてる人との絆がどうかってことより、「生きてる理由もないけど死ぬ理由もないしなあ」といういささか消極的な理由だったりする。交差点なんかで、「ここで一歩踏み出したら車にはねられて死ぬなあ」とは思うけれど、それを思いとどまっているのは、死ぬのが怖いってことより、周囲やあとに残ったものたちに「事件」を提供してやるのがばかばかしかったりするからだ。私ゃ自分の人生の意味をいちいち他人に云々されたかないからね。私の人生のモットーは「できるだけ意味のない人生」だから、人知れず死んでくのがいいです。「あれ、あの人って生きてるっけ死んでるっけ」。そう思われるのが理想なんだよね。 こういういい加減な生き方してるほうがかえって死なないものなんであるよ(^_^;)。 戸川さん、もしかしたら一生懸命生きてきて、なんかふと「人生の意味」なんてこと考えちゃったのではないか。もしそう考えさせるきっかけが、お姉さんの存在だったりしたら悲しすぎるんだけれど。今は戸川純さんがあと追いなんかしないことを祈るばかりだ。
テレビで『サトラレ』を初めて見るが、展開はほとんどオリジナルみたいね。 設定さえあれば原作どんな風に改変してもいいっていう傲慢さが表れてるみたいで幻滅。神田うの、何の役なんだ。 これ見てるのって、本当に原作ファン? オダギリジョーファンは見てんだろうけど。
マンガ、青山剛昌『名探偵コナン』38巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。 なぜか表紙のコナンのコスプレはスタン・ハンセン。本編でプロレスが題材になってるからだろうけど、ハンセン知らない人にはイカレたカウボーイにしか見えないんじゃないかね。 さて、もう毎回ツッコミしてくれと言わんばかりの『コナン』なんだけれど、今巻もどこから突っ込んだらいいものか(^^)。 でもねー、最近はもう、『コナン』に関しては読んでも感想書かないですましちゃおうか、という気もしてきているんである。いやね、この日記読んでる人で、本気で立腹してるコナンファンがいて、クレームが凄くって……というのはウソで、もう毎回書くことが同じになっちゃってるからなんだよね。一応、ミステリのマナーに則ってトリックを具体的に書かないようにして批評してるんだけど、それだとおおざっぱな感想しか書けないから、変化のつけようがないんだよ。 概ね「動機が弱い」とか「トリックがちゃっちい」とか「トリックが物理的に不可能」とかで、要するに「幼稚」ってこと。 そんなに貶すんなら、読まなきゃいいじゃないかと言われそうなんだけれども、「幼稚」ではあっても、「卑怯」じゃないから読むわけですよ。青山さんが新本格などに毒されていない、昔ながらのミステリファンだってのは、巻末の「名探偵図鑑」に取り上げられている探偵たちのほとんどが、1950年代までのミステリ黄金期に発表された作品に登場しているものからチョイスされていることからもわかる。「犯人はあの人だ!」でヒキを行うのも、エラリー・クイーンの「読者への挑戦状」の故智に倣ったものと受け取れる。青山さんのミステリ作家としての創作態度がフェアであることは間違いないのだ。
問題はねえ、挑戦状を送られたってさあ、「どうせ適当な動機で適当なトリックで適当な犯人なんだろ?」って結末が予測されちゃってマジメに受け取る気になれないってことなんだよねえ。 えーっと、まんしょんのいっしつから、だいじなだいじなかけじくがなくなりました。それまでそのへやのおばあさんが、おひなさまのひなだんにさわっていました。さて、かけじくはどこにかくされていたでしょう? ……このトリックを見抜けない読者がいると思いますか? 私ゃもう、見抜きたくもないです。青山さんが読者を小学生のみに限定しているのならともかく、いくら何でも幼稚過ぎる、という批判が出てもしかたがないよ、これじゃ。だいたい、こんなの、警察がすぐに見つけちゃうからコナンの出番なんてないって。 周囲の人間をみんなバカにして、一人だけ名探偵に仕立てるなんて、一番安易な方法だ。いっぺん純正なコナンファンに聞いてみたいんだけれども(私の周囲にいるコナンファンはたいていただのアホなんで参考にならん)、ミステリとしてあれを評価してるのかね? まあ『探偵学園Q』よりマシだってことは認めるけどね。
黒の組織とはまた接点が切れちゃいましたねー、これでもう50巻だって60巻だって行っちゃいそうな気配ですね〜。サンデーの連載の中では最長不等距離を達成しそうですかね。まだ『おそ松くん』は抜いてないと思うよね?(誰に聞いてるんだ) ちょっと笑ったのは、雛壇の事件のときに、少年探偵団の連中にコナンが、「どうして大人相手に喋るときだけ声のトーンや口調が幼くなっちゃうんですか?」「不気味だぞおまえ」と突っ込まれているところ。 作者が意識してるかどうかは知らないが、これ、アニメ版の高山みなみ批判になってるぞ(^_^;)。本人がこのエピソードのアニメ化のときにどう感じるか、聞いてみたいもんだ。
裏表紙折り返しの名探偵図鑑、もうネタが尽きてきたのか、「黒門町の伝七」。 いきなり「『よよよい、よよよい、よよよいよい、めでてえな!』と二本締めで事件解決を祝う」とか書いてるけど、それ、テレビだけの設定で原作にはないんだってば。イラストも中村梅之助の似顔絵だし。 こういういい加減なこと書かれると、青山さんのミステリファンぶりも底が浅いよなあって感じしちゃうよね。まあ、「原作は陣出達朗でなくて捕物作家クラブ」って書いてるところはよく知ってたなあって思ったけど。
マンガ、青山剛昌原案・平良隆久プロット・阿部ゆたか・丸伝次郎まんが『名探偵コナン特別編』15巻(小学館/てんとう虫コミックス・410円)。 一応こちらは完全に子供向けだろうから、トリックがチャチでも文句はつけないよ。モノによっては本編より出来いいのもあるし。 ただ、子供向けなら子供向けとして、殺人の表現と動機などの扱い方にはもちっと気をつけてほしいようにも思うけれど、あまりそのことを強調すると、モラルでがんじがらめにしちゃうことにもなりかねないから、あまり言わないでおこう。 あとは特別編らしく、もう少しゲストをうまく使ってほしいってとこかな。新一の父ちゃんや小五郎の奥さん、せっかく出したのにあまり目立ってなかったぞ。
2001年07月18日(水) 夏到来! ……って暑いだけだって/『夢の温度』(南Q太)ほか
| 2002年07月17日(水) |
それさえも平穏な日々/『脱ゴーマニズム宣言』(上杉聰)/『潜水艦スーパー99』(松本零士)ほか |
朝、目覚めたときには、空はカラリと晴れていたのである。 いつものように、冷蔵庫を開けて牛乳を飲む。 いつものように、便所で血便を搾り出す。 いつものように、しげのロドリゲスに乗りこんで、職場まで運んでもらう。 ここまではなんの変哲もない一日の始まりであった。
車から降りて、職場の玄関の階段を上ろうとした途端、それは起こった。 そのとき、私は窓を背にしていたのだが、それでも一瞬、世界がまっ白になったのを感じた。 閃光。 間髪を置かず轟音が空気をつんざく。 まさに青天の霹靂だった。 思わず階段からコケ落ちそうになったが、なんとか踏み止まった。振り帰ると窓の外は突然の豪雨、それこそ「雨が降る」なんてレベルじゃない、水滴どころか濁流が天から降り注いでいる。 職場のあちこちから悲鳴が聞こえる。突然の雷鳴は、大地震に見舞われたかと錯覚するほどのショックを我々に与えた。 向後10分ほどは仕事にならなかったね。
とはいえ、これも典型的な夏の通り雨で、午後になるころにはウソのようにカラッと晴れあがっちゃったのだが、ふと気づいたのは、なぜこんな突然の気象の変化が起きるのか、その物理法則を全く知らないってことである。 いやね、雨が空気中の水蒸気が重くなって降ってくるって理屈はわかるよ、けど、なんでこう、いきなりドバッと降ってくるのか。まるでホントに空にカミナリ様がいてだよ、雲をギュウッと雑巾搾ったみたいなんだよね、これだけ一気に、しかも大量に落ちて来るんだから。正しいリクツよりなにより、そういう「手作業」が空で行われたと言われたほうが、感覚的には納得できてしまうのだ。
京極夏彦みたいなことを言ってしまいそうになるが、つまりは「妖怪」の類は文化的には「実在」しているのだ。科学的な知識がどんなに増え、それが常識になろうと、我々は目の前にあるもの、実際に耳にしたもの、触れたものを実態と感じるようにできている。そしてその感覚に従ったほうが、実は我々は幸せなのではないか、という気持ちにもなってくる。 地球が太陽の周りを回ってるんじゃないよ、太陽が地球を回ってるんだよ。 人間は神様が作ったんだよ、類人猿から進化したんじゃないんだよ。 生半可に科学の知識があると、かえって、西原理恵子が電車やバスの中で飛び上がっても置いてかれないのはなぜ? なんてことで一生悩むハメになるのである。 「愚か」であることが「徳」であるとは、そういうことなのだろう。 それにしても、この豪雨の中、ロドリゲスで帰るしげは大変だろうな、と思っていたのだが、実際、前もほとんど見えない状態だったらしい。それでもなんとかウチに帰りつきはしたものの、途中、山と山の谷間の坂道が水没して、車が動けずに困ってたそうな。 ……って、職場からその坂道に差し掛かるまで、掛かっても7、8分のはずだ。そんな短時間で水没。どれほどの豪雨だったか、分ろうというものだ。 しげ、迎えに来た車の中で、「あんたのせいでひどい目にあった」と悪態をつく。 「なんでオレのせいになるんだよ、天災だろ? 当たるなよ」 「アンタに当たらんで誰に当たるん」 「誰にも当たらなきゃいいだろ!」 ……やっぱりいつもの会話である。
晩飯はどうしようか、の問いに、しげ、またしても「王将かめしや丼」と答える。私はもうナゲヤリである。 「いいよ、もう、めしや丼で」 「なん、好かんとやなかったと?」 「好かんでも行くとやろ? だったらもうオレ、メニューの右端から順番に食ってくからいいよ、それで」 「なん、それ」 しげ、声を出さずにぐふふと笑っているが、バリエーションのない外食ほどつまらないものはない。せめてしげが買い物や後片付けしてくれる程度の手伝いをしてくれるんなら、毎日違ったメニューの食事を作ってやるくらいのことはするんだが。……って、既にしげに料理を作らせようという発想がなくなってるなあ(-_-;)。 で、めしや丼でこないだ食ったメシの隣にあったのは「ウナギ定食」なのであった。しげはチキン南蛮定食。しょっちゅうこればっかり食ってるが、よく飽きねえよなあ。美味しいと感じる味覚が多分、通常の人間の十分の一程度しかないのだろう。
しげ、またもや私が作ったブレンド茶に文句をつけ始める。 苦くて飲めないというのだが、苦いのがお茶だ。こいつはカレーライスの甘口ですら「辛い」と文句つけるやつだから、お茶の微妙な味わいなど分るはずもない。 「美味いじゃん、グァバ茶」 と言っても、いっかな受け付けようとしない。 「グァバ茶以外のお茶を作ったら教えて」と言う。 「ワガママだよ、オマエの」と言い返すと、 「オレだってアンタに煮え湯を飲まされてるんだからね」と反駁。 「……ちょっと待て、なんだよその『煮え湯を飲まされる』っての。言葉の使い方が変だろ?」 「違ってないよ、ホントに『煮え湯』飲まされとうっちゃけんね」 「いつだよ、言ってみろよ!」 子供の喧嘩である。
しげから今朝見た夢の話を聞く。 私も最近よく変な夢を見てはいるのだが、起きるとたいてい忘れている。私以上に記憶力のないしげはそれこそすぐに忘れてしまうのだが、今日はたまたま覚えていたそうな。 「あのね、ビールを注いでいたら、足りなくなって、樽買いすることにしたと」 それだけ言って、しげ、にこにこ笑っている。いつまで経っても続きがしげの口から出て来ないので、シビレを切らして問い返す。 「……で?」 「それだけ」 「……そんなん聞いてどうしろってんだよ!」 誰か、しげとどうやったら会話できるか、教えてください(T∇T)。
今年の新作ゴジラが『ゴジラ×メカゴジラ』になることは聞いていたが、その正式な製作発表が16日に行われた。 ヒロインはなんと釈由美子である。こりゃ、『修羅雪姫』の熱演が買われたのかもな。驚いたのは、そのコメント。 「この役が来るまでゴジラを見たことがなくて最初は実感がわきませんでしたが、過去の25作全部を見て、なんてすごい大作なんだろうと思いました」 いや、驚いたのはゴジラ映画を今まで一本も見たことがない、ということではない。若い世代の女の子ならそれも仕方がないことだ。それより役作りのためかもしれないが、過去の全作を見たってことだ。当たり前と言えば当たり前なんだけれど、実際にはそこまでするアイドルはあまりいないぞ。しょっちゅう天然みたいに言われてる釈由美子だけれど、意外に根性あるんじゃないか。 ゴジラシリーズのヒロインって、昔の「右往左往タイプ」からだんだん「戦うヒロイン」に移行してきているけど、前作がイマイチだっただけに、もしかしたら今回゛一つの頂点を極めることになるかもしれない。 いや、ヒロインだけ期待しても仕方ないって文句ある人も多いと思うけどね、じゃあ、他にナニに期待して見に行くっていうのよ(^_^;)。
アニメ『ヒカルの碁』第四十局『白星の行方』。 ヒカル対伊角の対局、決着編だけれど、どうも伊角の作画が冴えない。 今回も主要スタッフは外注っぽいな。原作の人気を越える作画や演出をしていくのが大変なのは分るけれど、プロ試験中の作画なんだから、もう少し気を入れてほしいものである。
CSチャンネルNECOで映画『どら平太』を再見。 全く、何度見てもイマイチだなあ。いい役者といい演出だったら、ずっと面白くなるのに、この脚本。市川崑監督、撮り方がとことん暗いよ。これはもっと明るくさっぱり撮らないと。
上杉聰『脱ゴーマニズム宣言 新装改訂版 小林よしのりの「慰安婦」問題』(東方出版・1260円)。 「出版差し止めにはなったんだから勝訴だ」と小林さんが言いはっていた例の批判本だけれど、改変していた部分をもとに戻して再出版したのだから、もう小林さんのほうはもう一度この本を訴えても勝ち目はない。さて、今度は小林さんはどう言い訳をするつもりだろうか(多分しないだろうけれど)。 著作権法におけるマンガの引用権が明確に認められた点については、この判決はもう諸手をあげて賛同を示したいことだ。小林さんの『新ゴーマニズム宣言』での反論はもう支離滅裂、常軌を逸していると言われてもしかたがない慌てぶりだったものね。それもしかたがないところで、この本、小林さんの慰安婦についての論がことごとくいい加減で、資料の誤読、牽強付会ぶりをいちいち指摘していてそれが実に的を射ているからだ。これに再反論するのはなかなか難しいわなあ。
では、本論である「慰安婦」問題についてはどうか。 小林さんの(他にも同じこと言ってる人いるけど)「慰安婦は商行為」という論理は、たとえそれを認めたとしても補償の対象にならないとは言えないだろう。商売してても、使用人がヒドイ待遇受けてたら補償せにゃならんでしょうに(^_^;)。 それに「軍の関与はなかった」というのは当時を知ってる人が聞けば一笑に伏すしかない暴論。もとからそこに娼館があったのならともかく、軍部が来ることになって建設し、軍人しかそこを利用してなくて、行軍にも付いて行かせたんだから、軍の関与がないわけないじゃんか。まだ生きてる人がいるんだから、こういうすぐバレるウソをついちゃいかんよねえ。 と言うことで、同じ博多出身で身贔屓したい小林さんではあるけれど、慰安婦問題に関しては小林さんの意見に賛同はしがたいのである。
けれどじゃあ、上野さんの意見に全面賛成、というかというと、そうでもないのだ。論理が破綻している点では、実は上野さんの文章も相当ヒドイ。 例えば、肖像権の問題について、「公的場にいる安倍(英)氏のような者が表現の対象となることは許されるべきだ。しかし、私的な一個人を描く場合には、おのずと限度というものがある」と主張するのはそりゃそうだと思う。けれど、その「私的な一個人」の例として、川田龍平、佐川一政、麻原彰晃、梶村太一郎、佐高信、糸圭(すが)秀実、西部邁、鳩山由紀夫を挙げてるのはどういうわけなのか? この中に一人でも「私的な一個人」がいるのか? もともと、この上野さんは小林さんを自分たちの陣営に取り込もうとして失敗した左翼の人だから、イデオロギー先行の思考をするところが多々あって、このあたりの論理の破綻も、まずは「小林批判」をしなければならないってアタマがあって、よく言葉を吟味しないで論を組みたてたための齟齬だろうと思われる。私ゃ左翼の人達が本気で慰安婦問題を考えてるとは到底思えない状況を知ってるので、こういう我田引水な文章にぶち当たると、またかい、と思っちゃうのだな。
細かい批判をしていったらこれもキリがないから、総論的に言っちゃうけど、「従軍慰安婦」と言うのは当然いたのである。否定のしようもない事実であり、日本の罪だ。それは間違いない。 では、カミングアウトした朝鮮人慰安婦への国家補償がなぜできないかと言うと、これもちゃんと歴史を知っている人間なら自明のことなのだ。それは別に「補償はもう終わった」ってことじゃなくて、それをやりだすと「日本人慰安婦の補償はどうなるか」って問題が浮上しちゃうからなんだよねえ。 日本のおばあちゃんたちの中には、今もなお、あのころの慰安婦たちが生きていて、それをカミングアウトしないまま暮らしているのである。もう過去の傷に触れてほしくないと思っている彼女たちに、周囲に悟られないように補償だけをするというのは不可能なことだ。日本人慰安婦への補償が始まれば、当然、好奇と偏見の目に晒されることになる。そんな目に会うくらいなら、黙って死んでいったほうがいい、そう考えるのが日本人の精神性なのである。白黒ハッキリさせないと気がすまない朝鮮人の精神性とは天と地ほども違う。 日本、朝鮮双方の意志を満足させられる方法は存在しない。だから、よくないことは分っていても、日本人への補償ができないように、朝鮮人への補償もできないのだ。どんなに非道であっても、国としての立場はそんなものだ。 朝鮮人に憎まれることを覚悟の上で補償を拒絶せざるをえないのは、日本という国が未来永劫贖罪できないまま背負って行くしかない業なのである。 「なら、朝鮮人にだけ補償して、日本人はほっとけ」と言いだすヤツもたまにいるけど、そうなるとこれがもう戦後補償や差別や迫害云々の問題ではなくて、単に日本に「復讐」したいって低劣なレベルの主張でしかないことが顕在化しちゃうよね。それはやっぱりしちゃいけないことなんだよ。 誤解を招きそうだから、これもハッキリ書いておくけど、私は「朝鮮人慰安婦に補償をするな」と言いたいのではないのだ。補償はしようよ、やったことはやったことなんだから。国にできないことなら、「民間補償」しか手はない、そう考えてるんである。日本人なら、そのことはすぐに見当がつきそうなものなのだが、それでもあくまで「国家補償でなきゃダメ」って主張する人たちがいるんだよねえ。それは、やっぱり「左」の方々なんであって、イデオロギーや政治的な立場で発言してるだけなのである。そのことを隠して、「善意」を振りかざしている上野さんの偽善性が、私はどうにも好きになれない。 やっぱり「小林よしのりに賛成する人間も反対する人間もトンデモ」って法則は成り立っちゃうんだねえ。
マンガ、松本零士『潜水艦スーパー99』(秋田文庫・760円)。 どっひゃあああ! まさかこんな「古典」まで文庫で復活とは、長生きはするもんである。なんたって初出が1964年の『冒険王』だよ。この日記読んでる人で、連載読んでた人間、どれだけいるって言うんだ。私だって連載時には読んでない。子供のころ“貸本屋”で当時の単行本、サンデーコミックス全二冊を10円で借りて読んだ。ははは、ざっと30年前ですな。 松本零士と言えば『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』と思いこんでる若いファン(と言ってもそれすらオタクん中じゃ旧世代になっちゃってるけどよ)には「松本零士って海洋モノも描いてたの?」とびっくりした方もおられるでしょうが、私たちの世代には、『ヤマト』以前にはこっちのほうが松本さんの代表作だったんですよ。しかも当時、海洋モノでは小沢さとるという大御所がいらっしゃって、『青の6号』『サブマリン707』と傑作を連発してたんで、松本さんの『スーパー99』はどうしても二番煎じの印象が強かった。 松本さんがブレイクしたのはむしろ『男おいどん』のような四畳半モノで、初期のSFものはことごとくコケてたんですよ。そのころの印象が強いもので、私などはどうしても松本さんはSF作家としては二線級、と思いこんじゃってたんですね(ホントは『ヤマビコ13号』のような傑作を描いてたんですけれど子供のころは知らなかった)。 『ヤマト』の本放送だって、第1話見て、「なんだ、『スーパー99』のリメイクじゃん」と思って、最終回まで見なかった(今でも『ヤマト』はたいした作品とは思っていない)。松本さんって凄いなあ、と考えを改めるようになったのは、その代表作たる『男おいどん』をSF化した『銀河鉄道999』を読んでからなのだね。イヤハヤ、松本さん以外の誰に、「大宇宙の大四畳半」なんて呆れたイメージを思い付けるものか。
『スーパー99』に話を戻せば、実際、ストーリー展開や細かい設定、ネーミングなどに、後の『ヤマト』のモチーフとなったものが随所に見られる。西崎義展との原作者争いで負けちゃったのが不思議なくらいである(まあ、『ヤマト』を宇宙に飛ばすってアイデアは西崎さんのだから、しかたないけどね)。 ナチス・ドイツの流れを汲み世界征服を企む秘密組織・ヘルメット党の侵略から地上を守るために、科学者である父の開発した新造潜水艦スーパー99に乗り込む少年、沖ススム。誰かと誰かを合体させたような名前だけど、こっちのほうが当然元祖(^o^)。「侵略者を撃て」ってのは定番だとしても、敵はやっぱりドイツ系になるんですねえ。昔から思ってたことだけど、ドイツ人が『ヤマト』や『銀英伝』見たら本気で怒りゃしないか(『銀河英雄伝説』のドイツ語タイトルのスペルが間違ってて、ドイツ人から『銀河狼伝説』になってたという指摘があったことはなにかで読んだことがあったが)。 総統の名前がルドルフ・ヘチだなんてのも、もう少し工夫のしようはなかったのかって文句つけられそうだけれど、60年代のマンガ家のネーミングセンスは概してこんなもんなんだよね。 けれど冒険モノとしては定番なだけに、古い作品であるにもかかわらず前半は読んでて実に面白い。分割潜水艦なんてアイデア、今でも使えるよ。けれど、後半ラスト近く、「真の敵は海底人ゼスだった」なんてムリヤリな展開にしたのはいただけない。必然性もないし、しかももともと地上侵略の意志はなく、人類とは共存したかったというのだから、敵に設定する意味もない。物語を完結させようとするとボロが出る松本さんの悪いクセもこのころから現れていたのである(^o^)。
2001年07月17日(火) 何年ぶりかの酒の味/『水木しげる貸本漫画傑作選 悪魔くん』上下巻
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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