無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年02月16日(土) 伏字伏字伏字伏字〜、伏字大行進、ヤァ!/映画『A*P*E』/『Heaven?』3巻(佐々木倫子)

 ああ、やっと土曜日。
 急ぎの仕事がないので、有給を取って休む。
 昼までぐっすり。
 なんかいろいろ夢見たみたいだが忘れた。

 昼1時半から、TNC(フジテレビ系)で、みのもんた司会の法律番組『ザ・ジャッジ! 得する法律ファイル』の再放送があってるのを漫然と見る。
 ホントにこの手の番組増えたよなあ。そんなに訴訟国家になっちゃったって印象、ないんだけれども。
 けれど、こないだ見た『訴えてやるゾ!』ほどには面白くないな。
 爆笑問題のギャグでなんとかショー化してるけれど、扱ってる事件自体はそんなに判断に迷うほどこムズカイシイものじゃない。
 不倫相手の男の妻から慰謝料を請求された、払わなければならないかって、当たり前やん。こんなん相談してどうすんの。
 それに「太田のそーっとやってみよう!」とかいうどうでもいいコーナーまである。デパートの商品売り場のベッドコーナーでどこまで寝てられるかって、こんなん法律問題でもなんでもないやん。
 

 外に出るのが面倒臭いので、しげに食事を作ってくれるように頼んだけれど、ノラリクラリと反応しない。
 しかたなく、「あんかけラーメン作ってやろうか?」と言うと、顔全体でにぱあっと笑う。人に何かをさせて自分はしたくないという人間の最下層にいるヤツだ。
 それでも生き物は大切にしなさいと親から薫陶を受けているので、インスタントだけれども、あんかけに卵と豚肉、醤油を加えて増量、あんかけラーメンとあんかけ丼にしたてて、二人で食う。
 2人前分のラーメンをしげは一人でペロリと食うが、作ってもらって嬉しいなら、自分も人に作ってやる喜びを覚えろよな。


 夜8時から、AIQの会合……っつっても実質、飲み会だけど。
 次回開催の予定が未定なので、当面、何かを早急にせねばってのはないようだ。
 代表のエロの冒険者さんに「秘蔵映像の紹介なんかできませんか?」と提案してみるが、あまり気乗りではない様子。オタクアミーゴスのお三方にトークを交えて紹介してもらえれば、面白いと思うんだけどなあ。
 エロさん、ぴんでんさん、ウチのしげと、こないだもお邪魔したエロさんちのご近所の居酒屋になだれこんで、テンプラの盛り合わせやら、土筆の卵とじやらをサカナに、なんかもー、ちょっと大きな声では言えないような話をたっぷり。
 エロさんの○○○○○○が、実は○○○○○で、○○○なっちゃったとか、ぴんでんさんから聞いた話で、○○○○○○の○○○は、実は○○○○○○○の○○○○○○と○○てて、○○○○○○○○であるとか。
 さすがにこれはヤバイんで、日記には書かないつもりだったんだけど、お二人から「伏字で書いて下さい」と頼まれたので書く(^^)。どうぞご自由にご想像下さい。……しかしなんでみんなこんなに伏字がスキなんだ。

 じゃあ、私も伏字で書こう♪
 いつものごとくカラオケに移動することになって、お二人をしげの車に乗せての移動中、酔っ払ったぴんでんさん、突然、「有久さんは○○○○○○○○○○○○○○か?」と聞いてくる。
 血相を変えたエロさんが、「いきなりおまえはなんちゅうことを聞くんじゃ!」と激昂。
 「いいじゃないですか、聞きたいし」とにこやかなぴんでんさん。
 すかさずしげが「○○○○○○○○○?」と答える。
 今度は私が「お前は何を言うとんじゃ!」と吼える。
 ぴんでんさんはおお喜びで「ああ、やっぱり○○○○○○○○○○○!」。
 まあ、カンのいい人にはどういう会話かお分かりだろうが、私もにこやかにこういう会話が出来るようになったとは、オトナになったんだなあ♪ と思うんである。

 カラオケでは例によって例のごとくアニソン・特撮ソング縛り。
 ぴんでんさんが『ワイルド7』に『マシンハヤブサ』の望月三起也2連発(つーか、これだけしかないよな)をかませば、エロさん、対抗して『赤影』を二度入れて歌う(いや、単に入れ間違えただけなんだけど)。
 しげも定番で『宇宙刑事ギャバン』とか歌ってたけど、もう一つの定番、戦隊シリーズは歌わなかったなあ。ぴんでんさんが歌うと思って遠慮したんだろうか。
 実際、私もオタアミの方々と歌いに行くときには、それぞれにお好きな歌があるだろうから、できるだけその辺を外して歌うようにはしてるんである。……そういや、『マジンガーZ』ってほとんど歌ったことがないなあ。あれは思い入れが強すぎて歌うと泣いちゃうので歌えないんだが(^_^;)。
 しかしどのカラオケ屋に行っても、どうして『コメットさん☆』は(毎回言ってる)。


 DVD『A*P*E』。
 1976年製作の米韓合作映画ってことだから、まさしくあのリメイク版『キング・コング』公開に合わせて急遽でっち上げられたパチモン映画なんだろう。
 冒頭、いきなり海上の船が爆発し、そこに閉じ込められていた巨大ゴリラが逃げ出す。
 既にこの時点での特撮がへにょへにょのはにゃはにゃなんだけれど、もう河崎実の『地球防衛少女イコちゃん』レベル。いや、これでも誉めすぎか。
 ミニチュアバレバレの船が炎上して、海に逃げたゴリラ(泳がずに歩いてたから浅瀬なんだろう。浅瀬でランデブー!)、そこへやってくる巨大ザメ!
 このサメも一目でラバーで作ってるだけなのがバレバレなんだけど、あとでゴリラの縮尺見ると、ミニチュアから判断して、どう小さく考えても2、30メートルくらいの身長はあるんである(もっとも、ゴリラのサイズ自体、画面ごとに伸縮してるが)。となると、このサメも優に20メートル……ジンベエザメだってそこまでデカクねえぞ。
 で、こいつとくんずほぐれつの格闘……どころか、ゴリラは動かないサメ持って振りまわし、襲われてるフリにやっつけてるフリの一人相撲してるだけ。
 ……ドリフのコントにあったよなあ、こんなの。

 深夜の波止場の倉庫街に上陸したゴリラ、何にハラを立ててるのか、倉庫をメチャメチャに破壊。しかも落ちてたドラム缶を観客に向かって投げる投げる。
 ……ここで、この映画、実は公開当時3−D立体映画として作られてたんだろうってことが分るんである。多分、赤線と青線(まあやらしい)が入ってて、セロハンつけたメガネをかけて見るようになってたんだろうな。
 この倉庫のロングシーン、構図から言って、『ガメラ対バルゴン』によく似てるんだが、これからあとの特撮シーンも、特撮映画に限らず「なんかこれ、どこかで見たな」的なシーンが続出するのだ。しかもそのマネっぷりがオリジナルに比べるとかなりしょぼい。合間合間に必ず「立体」シーンが挿入されるんで、ドラマのテンポが崩されてしまうことも夥しい。

 もう、この時点で映画自体の出来は見当がつくんで、もう筋を紹介しても余り意味はない感じなんだが、一応概略だけを書く。
 冒頭のシーンを全く無視して、アメリカの有名女優マリリン・ベイカー(頼むからこんな露骨なネーミング、やめてくれよう)が来韓。それを追うように恋人のトム・ローズ(なんかこれも野球選手をイメージさせるネーミングやね)もやってくる。
 撮影中もイチャイチャしまくる二人だったが、当然のようにゴリラはマリリンを見つけてさらっていく。
 国防軍が出動し、どこぞの採石場で(^o^)繰り広げられる大攻防戦!(のつもりなんだろうな、しょぼいけど)軍が攻撃を加えている間に、トムはマリリンを救い出す。
 しかし、マリリンをソウルの軍司令官の家に匿ったのもつかの間、どこから金髪女のフェロモンを感じ取るのか、ゴリラは見事にマリリンを見つけ出し、また採石場に連れていく。
 で、トムは再び軍の攻撃の合間を縫って、マリリンを救出し(全く同じ展開やんけ)、ゴリラは全身、浴びるように銃弾を受けて死ぬ。
 ラストカットは沈む夕日のハレーション(^_^;)。

 え〜、ツッコミどころは満載なんだけどもな、例えば韓国軍の演習フィルムを流用したらしくて、ヘリコプターや戦車は全部ホンモノなんだが、それがゴリラと戦うシーンがほとんどないとか(陸戦兵士がライフルと手榴弾で戦ってんである。)。
 ドラマシーンの半分はトムとマリリンのラブシーンか、軍司令官と在韓米軍との電話での会話だとか。
 この、「アメリカから俳優わざわざ呼んだんだから、出演シーンを多くしてやんなくっちゃ」的なムダなシーンの続出が(というより、それだけで成り立ってる)、見ていてともかくダレるんだよ。だいたい、アメリカ俳優ったって、2線級、3線級のヘボ役者なのは見ていてバレバレで、曲りなりにもラス・タンブリンを使った『サンダ対ガイラ』とは比べるべくもない。
 ネットで検索してもこいつらの出演作、テレビドラマのチョイ役がチラッとある程度だものなあ。せめて女優がよ、色っぽいとかかわいいとかなら、どんなクダラン映画でも、見ててそれなりに楽しめるんだけどさ、トウの立ったただのオバちゃんだもの。ナンシー・アレンを崩して二重顎くっつけたような。
 サービスのつもりか知らんが、映画内映画で撮ってるやつがエロ映画でさあ(そんなんわざわざパッキン女優連れてきて撮るなよ韓国)、下着にガウン一枚で男に襲われまくって(出演シーンはほとんどそのスタイル)悲鳴を挙げて谷間とふとももとパンツを見せまくるんだが、見ててこれほどエッチ心をそそられないエロシーンも珍しい。
 他のシーンも、筋が単純だから、同じカット、似たようなシークエンスを繰り返して尺を伸ばすばかりで、ドラマが全く存在しない。ソウルの街は全てダンボール製で、採石場の岩は全て発砲スチロール。特撮レベルは『ウルトラファイト』か『行け!ゴッドマン』かそれ以下。
 もう、「とほほ」と言うしかない。
 これは断言出来るが、ウチの劇団で製作費十万円ぽっちで、デジカメで撮影しても、これより百倍はマシな映画作れる自信があるぞ。ミニチュアは紙とリカちゃんハウスで充分、着ぐるみなんかいらない、巨大カイジュウはよしひとさんちで飼ってるネコ使えばいいし。タイトルはもちろん『C*A*T』。三日で撮れるな(^o^)。

 調べてみて驚いたんだが、この映画の監督のポール・レダー、あの『ピースメーカー』『ディープ・インパクト』のミミ・レダーの父つぁんなんである。
 このポール・レダー自身、出たがりなのか予算節約のためなのか、映画に映画監督役で出演してるんだが、娘のミミ・レダーも(当時20代前半)、インタビューで父の仕事の照明助手などをちょくちょくやってた、と答えている。ということ箱の『A*P*E』もミミ・レダーが手伝ってたのかも……?
 そうかあ、この映画が、パニック映画をいつかは自分も撮る! と彼女に決意させるインスピレーションの源泉になって、ミミ・レダーに『ディープ・インパクト』を撮らせたのかあ……ってんなわけあるかい。


 マンガ、佐々木倫子『Heaven?』3巻(小学館・1400円)。
 随分前に買ってたんだが、しげが部屋のどこかにほったらかしたまま、適当に山積みした本の中に紛れこんじゃってたので、今まで読めなかった。
 ……他にも『攻殻機動隊2』とか『陰陽師』10巻とか、どこに行ったかわかんない本がゴマンとあるんだがな。探し出して横にどけといてもそれがまた移動させられるので、いつのまにやらまた行方不明。
 もう、窓をつぶして本棚にぶちこむしかないかなあ。

 それはそれとして、この第3巻、「ビッグコミックスプラス1シリーズ」ということで「特製ロワンディシー仕様ミトンセット」というのが透明ケースに入って付いている。
 割高だとわかってても、こういうフロクには弱いんだよなあ。使う予定もないのに買っちゃうのだ。……銭がたまらんはずや。

 それはそれとして(こればっかや)、本編の内容だが、相変わらず主役の伊賀君に恋の芽生える気配もなく、ただただロワン・ディシーでの苦労の日々が描かれている。トレンディドラマだったら、主役がドジを繰り返しながらでも、同僚の女の子と恋に落ちる……という展開が必ずあるもんなんだが、だいたいこのマンガの舞台になってる「ロワンディシー」ってフランス料理屋、ハナからウェイターしかいない。
 唯一いる女性はオーナーの黒須仮名子だけれど、確かに本作のヒロインであり美人ではあるのだけれども、その場のノリだけで料理店を経営しているというキャラクターだから、恋が芽生えるはずもない。
 今巻も、フランス料理店だってのに、客が「箸出せ」「お茶出せ」「コーラ出せ」「ひじきの煮物出せ」と理不尽な要求をするのに従業員がいちいち答えて行く健気な話(そういう客、ホントにいそうだよな)とか、大雪に降り込められて客ともども右往左往する話とか、覆面記者の来訪にみんな怯える話とか、墓場でジイちゃんの幽霊に会う話とか(レストランと関係ないやん)、ストーリー展開だけを見たら、とても青年マンガとは思えない。どっちかっつ―と、ご家族みんなで楽しめるシットコムではないのか。
 ……のわりにはなぜか荒俣宏氏が東京路上観察会の人として顔出し出演している。何なんだろうね、これは。

 考えてみたら、少女マンガ時代から、佐々木さんは純粋な恋愛ものを描いたことが殆どないんだよな。恋愛を題材にしていても所詮は「勘違い」だったり「誤解」だったり、ともかく登場人物の性格がみなどこか歪んでいて、マトモな「恋」に発展する余地がないのだ。……もしかして佐々木さん、「恋愛嫌い」?
 活動の場が青年誌に移ったのも分らないではない。
 まあ、おもしろいからいいけれど、色気がちっとはほしいなあ。キャラクターそのものはエキセントリックで個別認識はできるんだけれども、下手に絵柄が整ってるせいで、登場人物の一人一人の印象が希薄になっちゃってるんだよね。これが惜しいところなんである。

2001年02月16日(金) なりたくて病気になってるわけじゃないやい/舞台『トランス'98』ほか


2002年02月15日(金) ニンニクの家/映画『がんばれ!ジャイアン!!』/『キノの旅V』(時雨沢恵一)ほか

 仕事が混んでないので定時に帰れるようになった。
 ありがたいありがたい。

 今日はどこにも寄らずに帰宅するつもりが、結局「マルちゃん」に寄って二人でうどんを食う。
 ところが、しげの目当てのコロッケは売りきれている。
 仕方なく、しげはチクワを食って誤魔化している。
 かわいそうなので、私が頼んだ肉うどんの肉を分けてやる。
 それだけじゃ物足りなかったのだろうか、しげは帰りにコンビニに寄って、おからと餃子を買って食った。
 また、この餃子、いったいニンニクをどれだけぶち込んだものなのか、食ったあとのしげの口が異様に臭い。そりゃもう、田口ランディの『コンセント』で「口から死臭を漂わせる男」ってのが出てくるが、あんな感じか。
 もう、たまらなくて部屋の中を逃げまわるハメに。
 風呂に入って、歯を磨けって言ってもなかなかそうしないのはやはりイヤガラセだろう。普段は私に対して「歯は磨いた?」とウルサイくせによう。
 おかげで部屋中がニンニク臭くなる。
 ……この匂い、消えるかなあ。


 KBC(テレビ朝日系)アニメ『早春! ドラえもんスペシャル』見る。
 今日の目玉はオタク人気の高かった『がんばれ!ジャイアン!!』。
 岡田斗司夫さんが『オトナ帝国』と並んでプッシュしてた作品なだけに、そんなにいいのかと見てみたが、確かに佳作ではある。
 でも藤子さんが亡くなるまで、30面下げて堂々と『ドラえもん』映画を毎年見に行ってた身にしてみれば、素直に出来がイイって言いたくないところがあるんだよねえ。
 これまでの『帰ってきたドラえもん』や『のび太の結婚前夜』、『おばあちゃんの思い出』などの短編をリメイクしてきたのは、はっきり言えば、長編が藤子原作を離れてレベルダウンしちゃったのを補うための苦肉の策って感じが強い。事実、「長編より併映の方が面白い」と感じてた人、ネットを検索してみても意外に多いのだ。

 確かにこの映画、見所はたくさんある。
 最初の5分で、その「動きのよさ」にまず感心しちゃうね。
 ジャイ子のマンガを取り上げて、からかいながら逃げるジャイアン。
 信号でちょっと立ち止まり、足踏みしてまた脱兎のごとく走り出す、その作画のタイミングのよさ! クルリと後ろを振り帰り、ジャイ子との距離を測り、追い付かせるように見せかけてまたパッと距離を空ける。
 何がスゴイって、こういう軽やかな動きをジャイアンにさせるために、今回の映画版では、普段のテレビシリーズより「幾分痩せさせて」いるのだ! おまえはロバート・デ・ニーロか、ジャイアン!
 美術もここまでやるかってくらいに凝ってる。
 何しろ、剛田酒店の内部が、卓袱台はあるわ、テレビはチャンネル式だわ、小津安二郎か! ってツッコミたくなるくらい、昭和40年前後を再現しているのだ(もともと時代の変化の緩やかな物語だけれど、今回は特にあの時代の部屋の中の「薄暗さ」まで再現している凝りよう)。
 そういう技術とか演出とか、細部で惹きつける要素はたくさんある。
 けどねえ、やっぱり「藤子不二雄じゃなくなってるじゃん」ってとこも同じくらい随所にあるのよ。
 ストーリーは『シラノ・ド・ベルジュラック』をベースに(なぜかトキワ荘系のマンガ家さんでシラノ好きって人多いね。手塚治虫、石森章太郎、赤塚不二夫、みんな『シラノ』を一回は描いてる)、マンガ家の卵であるジャイ子と茂手モテ夫くんの恋の成就をジャイアンがサポートするって話だけれど、原作の方、それほど「感動」を押し売りするような話ではない。「結構いいとこあるぞ、ジャイアン!」って程度の話なのね。
 でも、そこが藤子さんの作劇の「抑制」が利いていて粋なとこなんだけれど、映画にするとどうしてもその「抑制」のタガを外してしまうことになる。今までの短編シリーズも、映画にするためのやむを得ない脚色だったとはいえ、「クドイ」のである。
 みんなに散らばったジャイ子の原稿を集めてもらったけれど、3枚足りない。けれど、ジャイアン、「全部そろったよ」と嘘をついて、ただ一人、雪の降る街を原稿を探しまわる。確かに感動的なシーンではあるけれど、この「自分の力で誰にも頼らずやらなきゃ」っての、『帰ってきたドラえもん』のときののび太をジャイアンに移殖しただけだし。っつーか、このパターン、『ドラえもん』シリーズではあまりに多すぎて、今更映画でこのネタ使って感動呼ぼうとするなよ、とちょっと腹立たしくなるのだ。
 しかも今回は、原作の藤子マンガがあるにもかかわらず、改めて「映画用の原作マンガ」まで藤子プロに描かせている。……それは、違うんじゃないの?
 だから、確かにアニメとして佳作なのは認めるけれど、たとえて言ってみれば、「『ルパン三世 カリオストロの城』って、面白いけど、モンキー・パンチのルパンじゃないよね」ってのと同じ感想を抱かざるをえないのだ。
 でも長編シリーズに比べりゃもう、はるかにスバラシイ。
 長編もオリジナルやるんじゃなくて、他の藤子作品をベースに「ドラえもん化」するとかさ。そういうこと考えてくれた方がまだいいな。ほら、『UTOPIA 最後の世界大戦』とか『海の王子』があるじゃんかよう。
 やれよシンエイ動画。

 岡田さん、『BSマンガ夜話』に出たときに藤子さんをフレドリック・ブラウンに例えたりしてたから、『ドラえもん』の原作、結構読んでるはずなのに、実のところ思い入れは少ないんじゃないかなあ。まあ、褒めてもらってるんだから嬉しいんだけど(って、自分が藤子ファンの代表みたいな言い方してんじゃねえよ)


 時雨沢恵一『キノの旅V ―the Beautiful World―』(メディアワークス/電撃文庫・535円)。
 オビに「一応言っとく ――さよなら。」なんて書いてあるから完結編かと思った。読んでみると別にこれで終わりってわけでもないみたいね。もっともいつどこで終わってもおかしくないシリーズではあるけど。
 ああ、しかしこのセリフが出てくる第四・五話の『英雄達の国』……作者、思いっきり遊んでるんだよなあ。
 2話連続のこの話、もうサブタイトルが“No Heroes”“Seven Heroes”ってなってるの見ただけで、私なんかは、ああ、と思っちゃったんだけど、もう若い人にはなんのことだかわかんないんじゃないかな。

 キノが訪れた廃墟の町。
 しかしそこには「人」がいた。そして、キノはいきなり銃の襲撃を受けた。
 身を守るために応戦するキノ。
 一人……また一人、敵を倒して行く。
 七人。
 そして最後の敵を倒したとき、その男は言う。
 「俺たちは英雄になれなかった……帰って来たらみんないなくなっていた……せめて最後ぐらいは英雄として……」
 そのあと「勝ったのは俺たちじゃない、村人たちだ(いなくなってるけど)」とか言い出すんじゃないかと心配しちゃったよ(^_^;)。

 つまり時雨沢さん、「キノVS荒野の七人(あるいは七人の侍)」がやりたかったんだね。
 禿頭の男。
 背が一番低い男。
 口の回り中髭の男。
 筋骨たくましい大男。
 帽子を深くかぶった男。
 痩せて長身の男。
 大きなリュックを背負った男。
 もう歴然としてるよな(^_^;)。
 でも生き残るやつが誰もいないのが作者の皮肉なんだろうか。

 第八話「用心棒」に出て来た「師匠」ってのは、キノの師匠の若き日だろうか。それともまさか成長したキノ?
 こうやって伏線張った以上、『キノの旅�此戮呂舛磴鵑判颪�れるのだろう。次作をまた期待したい。  


 マンガ、鬼頭莫宏『なるたる』8巻(講談社・530円)。
 中学生編が始まって、暴力シーンやえっちシーンも増えてきたかな、と思われる『なるたる』だけれど、鬼頭さんの絵、一般的に言われている「暴力マンガ」のイメージ(まあ、原哲夫あたりを想起してください)とは程遠い。
 線は細いし、別に血がだくだく流れるような描写はない。キャラクターはみな肋骨ねーんじゃねーかと言いたくなるくらいの細身だ。鬼頭さんの描く女の子に巨乳はいない。一番チチがあるのは女装したのり夫かも(^o^)。
 でも、妙にリアルなんだよね。
 小沢さんの操る“龍の子”に襲撃されたシイナ、思いっきりグーで顔殴られるけど、もう頬骨が陥没してんじゃないかって言いたくなるようにイタイ絵だ。
 小沢さんの回想シーンも、エロというよりまず先に、見ていてイタイ。
 シイナ襲撃に失敗したあと、小沢さんが壊れていく姿もやはりイタイ。
 どうしてそんなにイタイ絵ばかり、イタイ物語ばかり書くのかというと、やはり「痛み」なくして人生ならんやという小泉純一郎みたいなことを作者が考えているからだろう。

 シイナの母、玉依博士は述懐する。
 「繁殖をしない龍の子は生命体ではない。しかし、生物を必要とし、原子を再構築して生物以外の物質を作り出せる。ではなぜ生命だけは作れないのか。
 生命とはなにか? 死とは何だ?」
 ようやく明確な「コトバ」として、作品の中心テーマが語られた印象だ。
 「命」や「魂」、それが本作の重要なモチーフであることは間違いないが、しかしストーリーは必ずしも一般的なイメージでの「生命の賛歌」なんて方向には向かっていない。
 今しがた書いた通り、このマンガはあまりに「イタイ」のだ。
 既に何人もの人間が死んでいる本作だが、実は死んだ人間よりも生き残った人間たちのほうがどんどん傷ついているのである。身も心も。

 生は死を意識したときに初めて相対的なものとして概念化される。
 だとすれば、龍の子が「死」の象徴であることは必然ではないだろうか。
 「生」は「性」であり、われわれは「性」の営みによって「生命」を生み出すのだが、それは同時にわれわれが「命」を外部に投げ出すこと、即ち我々自身が「死」に一歩近づくことに他ならない。
 このアンビバレンツに作者は答えを出していこうとするのだろうか。
 それはある意味、とてもツライ、徒労になりそうな心配すらあるのだけれど。

 折り返しに作者のコメントが載っている。
 「『差別用語』を禁じることで問題は解決できるのでしょうか。
 言葉が『差別』をしているわけではありません。
 そこに、その意味を付与してるのは、人間の意識なのですが」
 もちろん、「言葉」に責任を転嫁することによって、自らの差別意識を糊塗しようというのが、「言葉狩り」の正体である。だから鬼頭さんの書いていることは至極マットウなことなのだが、なぜ、今、こんなことを「作者コメント」として書かなければならないのか。
 作品が作品なだけに、その「表現」について、どこかから「横槍」が入ったりしてるのかもしれないなあ。
 『アフタヌーン』はその作品ラインナップからしても作家に自由にものを描かせている雰囲気があるので、おそらく大丈夫だとは思うけれど、どうでもいいことで「連載打ち切り」になんてことにはならないでいてほしいものだ。

2001年02月15日(木) 携帯綺譚/『雨柳堂夢咄』5巻(波津彬子)ほか


2002年02月14日(木) 夫でも義理チョコ。……夫だから?/アニメ『七人のナナ』第6話/『金田一耕助の帰還』(横溝正史)ほか

 ははは、バレンタインだ、バレンタインだ。
 進駐軍のバレンタイン少佐が、飢えた日本の子供たちにチョコレートを配った日だ(c.ゆうきまさみ)。
 しげからは一応、例の高さ10センチの「円柱」チョコをもらったが、包丁で切ってもカケラが出るばかりで、うまく食えない。
 舐めるしかないのか、こいつは。
 でも其ノ他くんがもらったという、直径20センチの「チョコボール」もらうよりはましかもしれない。……もうそれって既に「バレンタインチョコ」の範疇を越えてるって。
 ともかくその「ボールチョコ」に比べるとちっちゃい「円柱チョコ」、義理チョコのうちの1個なんだけど、「義理」っつーより「量産型」と言ったほうが相応しいような気がしたぞ。
 全く、これだからオタクは(+_+)。


 昨日よりは少しはマシだけどやっぱし眠い。
 薬がホントによく利いてるわ。
 でもだったら血便もそろそろ止まってほしいもんだが。
 相変わらず、出ちゃ止まり、出ちゃ止まりの繰り返しなんである。
 おかげで、トイレの便器、すっかり血塗れで、っつーか、血塊がこびりついていて、取るのにひと苦労するのである。しかも、何度拭いても、次の日にはまた血便が出るので、結局、エンドレスになっちゃうんである。
 今日もしげから「血を拭けよ」と命令されるが、こっちも気がつかないことはあるのだ。それより何より、汚れてたら自分が拭こうって発想はないのか、この女には。


 晩飯はまたまたまたしげの誘いに乗って、「一番カルビ」。
 てっきりまた肉が目当てかと思ったら、「白玉黄な粉ソフトクリームが食べたいとよ」。なんだ、今日はデザートがメインか、と一瞬そう思ったが、でもそれは別に「肉を食べない」という意味ではなかったよな、と気がつく。
 いつもいつも「肉が食いたい、肉が食いたい」だと、ホントの餓鬼のように思われると表現を変えたかな?
 でも「目的物」をカモフラージュした気になってて、実は全くそうはなってないってのが、いかにもしげらしい。
 でも席に座ってみると、しげの目当ての「白玉黄な粉ソフトクリーム」は期間限定商品でもう作っていない。
 今の限定商品は、「いちごソフト」である。
 実は私も「白玉黄な粉」、ちょっとほしいなと思ってたのだが、ないなら仕方がないと、「いちごソフト」を注文。
 ……あとで気付いたが、品がなけりゃないで、別に無理に頼む必要ないんじゃんか。そんなに「白玉黄な粉」に惹かれてたのか、私。
 これじゃしげを笑えんなあ。

 セット頼むより単品の方が安上がり、とロースにホルモン、鶏もも肉といつもの定番を注文。でもこれも定番だが、赤身肉はよっぱりしげ一人が、ほぼその全てを食いつくした。
 しげが食い終わって「おなかキツイ」とうめくのもいつもの定番。
 そりゃ、肉は三人前頼んだしな。で、全部食ったしな。胴回りが2倍になるのも当然だよな。
 精算時にまた2割引券もらったので、そのうちまたしげに誘われるだろう。
 しげの「肉ロード」は永遠に続くのである。


 アニメ『七人のナナ』第6話「受験番号623! 深夜ラジオで大騒動」。
 まあ、623(ムツミ)が326(ミツル)のパロだってことはわかるけど、DJとかやってんのかな? ただのイラストレーターかと思ったけど。
 ともかく6話まで見てきて、今川監督、ありとあらゆる「受験ネタ」をやりたいんだな、ってことが見えてきた。
 受験の時期って、なぜか深夜ラジオにハマるんだよねえ。今の学生がどうかは知らないが、私は「谷山浩子のオールナイトニッポン」と「アニメトピア」がココロの友だった。……なんてオタクの定番(^_^;)。
 今はあまり聞かなくなったよなあ。ラジオまでチェックしてたら、本気で寝る時間がなくなっちまうし。おっと、先にストーリー紹介しとかないと、何のことやらわけがわからんな。

 抜き打ちテストで赤点、教頭先生からイヤミを言われて落ち込んでしまったナナ。
 深夜、気分転換にラジオを聴いていると、人気DJ623の番組の中で、「Y・K」君という男の子からのFAXが紹介される。
 なんとそれは、ナナのことを励ましている内容だった。もしかして「Y・K」って、「優一・神近」?
 嬉しさのあまり、ナナは番組に「Y・K」くんへの感謝の返事を送るが、623がついうっかり「鈴木ナ……」と本名を呼んでしまったために、深夜ラジオを聞いていることが教頭先生に知られてしまい……。

 後半、ナナが「受験生はみんな同じ思いをしながらがんばってるんだ」と切々と語るシーン、今川監督としては感動的なものにしたかったのかもしれないけれど、 残念ながら「泣かせる」演出って、実は今川監督、そんなに得意じゃない(本人がどうやら得意だと思ってるらしいところは勘違いも甚だしいんだけど)。
 演出過剰、ご都合主義、つまりは「やりすぎ」て白けるってことなんだよね。『ジャイアントロボ』も毎回感動の押しつけで、7話も続くと、ちょっとばかし食傷気味になって、泣く気も起こらなくなってた。
 今回も、ナナに「決め」のセリフを喋らせようって意図は判るんだけど、そこまでの展開がいささか強引。さっきまでできなかった数学の問題が、ちょっと「やればできるよ」と言われただけで、ホントにいきなりできるようになるし。
 ……プラシーボ効果ってことなの?
 んな妙ちきりんな展開されても客はついてこれねーって。誰も今川監督に「感動もの」を作ってもらおうなんて考えちゃいないんだから、素直に「アニメ界の島本和彦」を目指してほしいもんである。

 あと、エンディングで623の声優が「?」になってるけど、石田彰じゃないのか。神近くんと二役で。イントネーションがそのまんま「歌はいいねえ」とか言い出しそうだったぞ(^^)。


 CSで『キャプテンウルトラ』『サクラ大戦』『南くんの恋人』『パワーパフガールズバレンタインスペシャル』と立て続けに見るが、これ全部の感想書いてたら字数オーバーしちゃうので省略。
 来週の分に2話まとめて書けたら書こう。
 まったく、毎回どうしてこんなに書きまくってんだろうかね。


 横溝正史『金田一耕助の帰還』(光文社文庫・680円)。
 あああ、横溝の横溝の、金田一の金田一の未読短編を読める日がまさか来ようとは……!
 21世紀万歳!(何のこっちゃ)
 実際、今年は横溝正史生誕100年。ということは亡くなってもう21年も経っちゃったのか。
 横溝正史死去を聞いた途端、
 「おおお、『女の墓を洗え』は!? 『千社札殺人事件』はどうなるの!?」と思ったものだったが、ついに予告されていたそれらの新作は、書かれざるままに終わってしまった(T-T)。
 横溝正史が恐ろしいのは、古稀を迎えてなおその創作意欲が衰えないばかりか、レベル的にも『悪霊島』のような、細部に至るまで目の行き届いた佳作を執筆していたところで、『象は忘れない』みたいな腑抜けたものしか書けなくなっていたクリスティーをはるかに凌駕している。
 まさしく、名実ともに「探偵小説の鬼」だったのである。
 だからこそ、社会派推理全盛の昭和30年代、横溝氏が意気消沈していたことが今更ながら悔やまれる。遺作と言われている『上海氏の蒐集品』だって、この時期に既に書かれていたまま、雑誌掲載のアテがなかったものだ。
 ああ、この時期「探偵小説のロマンは消えていませんよ!」と横溝正史を叱咤激励する編集者がいてくれたら……。
 だから、私はたとえラリってるトンデモ野郎でも、角川春樹は大好きなんである(お近づきになりたくはないが)。
 彼がいなければ、『仮面舞踏会』『迷路荘の惨劇』『病院坂の首縊りの家』『悪霊島』の、晩年の四作、横溝長編の中でも上位に位置する長編群は生まれなかった。
 ギリギリではあるが、なんとか間にあった。
 そして、現在の、横溝ブームを源流とする新本格ブーム、更には『金田一少年の事件簿』以降のマンガのミステリブームも当然、起こりえなかった。
 ……コラ、そこの「コナンくん萌え」のオタオンナ、君のオタクライフは、それくらい横溝正史と角川春樹の恩恵の上に成り立ってんだぞ、「えーっ、でもそんなムカシの作品なんて難しそうだしー」とか言わないで、原作読みなさい。
 『本陣殺人事件』『蝶々殺人事件』『獄門島』『夜歩く』『八つ墓村』『犬神家の一族』『悪魔が来りて笛を吹く』『不死蝶』『女王蜂』『白と黒』『悪魔の手毬歌』、どれ一つとして駄作はない。JETのマンガなんかで代用させるなよ。

 この『帰還』は、一度短編として発表されたものの、後に長編化されたために、全集にも文庫にも収録されていなかったものを探し出して収録したものだ。横溝作品は手に入るものはなんでも、それこそ角川文庫はコンプリート、時代小説・捕物帳に至るまで読みまくった(でもまだ『朝顔金太捕物帳』とかは読んでない)私だが、さすがに原型作品は雑誌を捜すしかなく、2、3篇しか読んでいない。
 こんな企画が通る日がまさか来ようとは、本気で生きててよかった。つくづくそう感じる。
 確かに長編版に比べれば完成度は落ちるのだが、それでも『壺の中の女』(長編版は『壺中美人』)のトリックが違っていたりと見所は多い。
 『毒の矢』『渦の中の女』など、今のネット環境のチェーンメール、迷惑メール
の問題を先取りしている。昭和30年代の作品でありながらモダンなのである。
 金田一耕助シリーズは、一般的には岡山県を舞台にした地方モノの人気が高いが、実は彼の特徴の一つとして、「都会の孤独者」って面が明確にある(そりゃあんな汚らしい和服姿でいちゃ、都会じゃ浮くわな)。
 この短編集に収められたものは殆どが東京ものだ。
 都会の奇を猟る、まさしく初期の明智小五郎にも通ずる金田一耕助の、テレビや映画のイメージとは全く違った「本当」の姿を、堪能してもらいたい。

 解説の書誌もなかなかキチンとしてるのだが、『支那扇の女』は同タイトルの短編が原型、と書いてあるのはちょっと違う。
 もともとは『ペルシャ猫を抱く女』(「キング」昭和21年7月号)という短編があって、それが、
 →『肖像画』(「りべらる増刊」昭和27年7月号)
 →『支那扇の女』(「太陽」昭和32年12月号)
 →『支那扇の女』(東京文芸社刊/昭和35年7月)
 という過程を辿ったものだ。これは既に中島河太郎氏の研究で判明していたことだし、解説の浜田知明氏も先刻承知の事実なのだから、ちゃんと記載しておくべきである。
 ……横溝オタクは多いからな、こういうことにはちゃんとしとけよ、光文社。


 マンガ、久保田眞二『ホームズ』2巻(集英社・620円)。
 あ、考えてみたら、1巻はネットカフェで読んだんで買ってないや。
 しまったなあ、買わなきゃならんかなあ。
 ムードはいいんだけどねえ、ホームズのキャラクターもいかにも「らしい」し。もっともそれは作者の力っつーより、ベースにしてるのがNHK放送のジェレミー・ブレット主演版だからだろうけど。
 とゆーか、この作者、そのテレビ版しか見てない可能性だってあるな。
 今回、ついにあのモリアーティ教授が登場するんだが、彼を「赤毛連盟事件の黒幕」としたのは、そのNHKのグラナダテレビ制作版なんである。その設定をそのまんまこのマンガでも踏襲してるけど、その一点だけでも版権が生じないかなあ。
 ……黙ってりゃわからんか。
 あ、でも巻末の口絵のホームズはピーター・カッシングっぽい。
 いっそのこと、1巻ごとに別俳優のホームズを登場させるってのはどうだ。
 ウィリアム・ジレットのホームズ、ジョン・バリモアのホームズ、ベイジル・ラスボーンのホームズ、クリストファー・リーのホームズ、ピーター・クックのホームズ、クリストファー・プラマーのホームズ、イアン・リチャードソンのホームズ、チャールトン・ヘストンのホームズ、ロバート・スティーヴンスのホームズ、ニコル・ウィリアムソンのホームズ、岸田森(これが言いたかった!)のホームズ。

 ミステリとしては、今回もまあこんなもんかいな、という程度の出来。
 まあ、当時のイギリスの雰囲気をマンガで味わうって考えた方が楽しめるかな。
 けど、喋ってる言葉は英語のはずなのに、“Lucifer”をどうして「ルチフェル」と発音するのだ。敬虔なクリスチャンは日常でもラテン語を使うのか?
 「リュシファー」か「ルシファー」って発音しろよ。

 ……関係ないが、多分、生え抜きのシャーロキアンならば、今、アフガンあたりに取材に行ってるジャーナリストに知り合いがいたら、帰国するのをウズウズとして待っていることだろう。
 もちろん、「君はアフガニスタンに行っていましたね?」と言うためである(言わずもがなだが、ワトスン博士はホームズに会う前に軍医としてカンダハルに着任してるんである)。
 

 マンガ、佐藤マコト『サトラレ』2巻(講談社・530円)。
 きわどいシチュエーションで毎回よく描いてるよなあ、佐藤さん……と思ったが、この話って基本のストーリーラインは「相手にバレないようにことを運ぶ」って昔ながらのシチュエーションコメディなんだよね。
 「自分が魔法の国の王女様であることをバレないようにする」
 「自分の婚約者がニセモノであることをバレないようにする」
 「自分の家がホントは貧乏であることをバレないようにする」
 でも『サトラレ』が面白いのは、その「バレないようにする」ってのが、本人が懸命になってるんじゃなくて、周囲が、しかもその「本人のために」行おうとしてるってことだろう。
 だから物語の印象がとても「優しい」。
 しかしそれはこの物語を成立させる重要な要素であると同時に、物語を根底から破壊してしまう危険すら孕んでいる。

 里見健一も、木村浩も、星野勝美も、大槻翔も、片桐りんも、西山幸夫も、自分がサトラレであることは知らされてはいない。
 もちろんそれは彼らが「天才」であり、社会的に保護される価値があると見なされているからである。
 しかし、それはあくまで「政府」や「自治体」「会社」などの組織の論理なのであって、そういった「天才性」を抜きにして彼らサトラレを守ろう、とする周囲の人々の活躍によって物語は紡がれていくのだ。
 それはまさしく、映画版を見たときにはクサイな、と思った「サトラレだって人間です」というセリフ、彼らにたとえ「天才」という価値がなくたって「人間」という価値がある。そこに物語の論理が依拠しているからにほかならない。
 だからこそ、ここに最大の問題も生じてくるのである。
 「サトラレ」が「人間」ですらなくなったらどうするのか?
 つまり「人間」としての価値すらなくしてしまったら。
 大槻翔が「殺意」を抱く物語、話は随分あっさりと終わってしまったが、これ、そんなに簡単に結末つけられるテーマではないのではないか。
 「サトラレ」が天才ではなく「ただの人」であったら、あるいは「人でなし」であったら、それでも「彼らを守る」物語は作れるのか。
 ……ただのシチュエーションコメディで終わらせるにはちょっとハード過ぎるモチーフを内包している。でもそのことに作者自身、すでに気付いているはずだ。だから、里見健一と木村浩という二人のサトラレをついに「接触」させた。
 果たしてこの結末はどうなるのか。

 木村浩が自分のことをサトラレであると知る物語、あるいは西山幸夫と小松洋子の間に生まれた子がサトラレであった場合、洋子は夫と子供のどちらを選ぶのかという物語。
 その二つの物語のどちらかが、このシリーズの最後になるのだろう。
 単純に考えれば、この物語の結末は悲劇でしかありえない。
 しかし佐藤さんがここまで描いて来たのはすべて彼らサトラレを「守る」物語だった。
 だとすれば、どんなに乗り越えることが困難な設定であっても、決してアンハッピーエンドにはしないという決意をしているはずだ。
 その決意に揺るぎがないことを願う。

2001年02月14日(水) だから初心者なんだってば/『わが師はサタン』(天藤真)


2002年02月13日(水) たくさん書いてるけど半日は寝ている(^^)/『ギャラリーフェイク』24巻(細野不二彦)ほか

 さて、今日もマジメにお仕事お仕事。
 なのに仕事中、何度も落ちる。
 下手をしたら机に向かっただけで落ちる。
 別に寝不足じゃないしなあ。たっぷりとまではいかないが、最低でも6時間は寝てるのに、なぜなのだ。
 ……と思ってたら、ふと、理由に気がついた。
 ここんとこ、薬をマジメに飲んでいるのである。
 おかげで、あれだけ続いた下血もようやくなくなっているのだが、今度は薬の「副作用」が出たというわけだ。
 何しろ、ウトウトとして眠るってんじゃないからねえ。
 気がついたら寝ている。いや、寝てるんだから気付いてない(^_^;)。
 きっとアレだろうなあ、私が寝てる間に職場のみんな、「またこいつ寝てやがる」とか思ってるんだろうなあ……と思っていたのよ、また疑心暗鬼になっちゃってさ。
 そしたら、ふと、寝ている私の横で同僚の会話が。
 「……起こしましょうか、有久さん」
 「いや、具合が悪いんよ、そっとしといたげよう」
 仕事があるのに、私が寝ている間、その仕事は同僚がせねばならないというのに、気遣ってもらえるなんて!
 すぐに起きて仕事をせねばと思ったのだが、今度は涙が出てきて顔を上げられないのであった。
 あ、5分後には何もなかったかのように目覚めて仕事に戻りましたので、ご心配なく。ホラ、マジメでしょ?

 
 車で迎えに来てもらったしげに頼んで、職場の近所の本屋に寄ってもらう。
 買い損なってた今月の『アニメージュ』と『ニュータイプ』を購入するためである。
 「貧乏でもアニメ雑誌買うおカネはあるんやね」と、しょっちゅうしげからイヤミを言われてるのだが、今日はなぜか無言のまま。
 ついに諦めたか。いや、まずそんなことはありえないので、何かを企んでる可能性はある。これは注意せねば。……ってそれも疑心暗鬼かも。

 メシをどうするかでしげと口論。
 相変わらずつまんないことでケンカする夫婦だ。
 と言っても要するにしげが優柔不断で、「おいしいもの食べたいけどおカネが減るしぃ」とかいうアホな悩みに私が怒ってるだけである。
 うどん屋のマルちゃんに入って、おのおの注文をすると、全く偶然に同じメニューを注文してしまう。いか天うどん、コロッケのせ。
 我々夫婦は、果たして気が合ってるのか合ってないのか。
 そのまま注文するのもシャクなので、さらに追加でエビ天を頼む。
 けど結局そのエビ天も、二人で分けて食べるのであった。
 ……なんだかなあ。


 帰宅して、早速アニメ誌に目を通す。

 『アニメージュ』3月号。
 松本零士の語る「宇宙戦艦ヤマト復活」なんてのは、「おいおい、もうヤマトが成功するかどうかにアンタの情熱はジャマなだけだよ、次世代のアニメーターとかにまかせな」と言いたくなるが、松本節はもう留まるところを知らない。
 「今作は最新の科学的知見に基づいて描くつもりです。たとえば宇宙が一つでないことがわかっていますが」……って、パラレルワールドのこと?
 そう言えば、最近パラレルワールドの実在の可能性を示唆した論文が『ネイチャー』誌に発表されたとかなんとか聞いたことあるような気はするが、所詮は仮説だろ?
 「わかっています」ってなんで断言できるんだよ。それに、「パラレルワールド」の概念なんて最新の知識でもなんでもないぞ。
 ヤマトは新作でも迷走しそうである。
 ……でも私、やっぱり見に行っちゃうんだろうなあ、性懲りもなく。

 こないだこの日記に悪口を書いたばかりの(^o^)大森望氏のエッセイ、東浩紀氏の『動物化するポストモダン』を容赦ないくらいにコキ降ろしている。
 東氏は、「90年代のオタクたちにとっての文化とは、『キャラ萌え』だけで、作家や作品は関係ない」って主張してるんだけど、大森氏にはそれが「どうして?」と疑問なんである。
 東氏の著作はまとまった形で読んだことはないので、明言はしにくいが、散見する文章から見ても、ちょっとトンデモがかってるように思える。なんつーかね、思いついたことをあまり検証しないでそのまんま口にしてる感じなんだよねえ。まあ、私の文章にもその傾向があるんでわかるんだが(^_^;)。
 ガンダムファンとエヴァファンの違いを、前者が「ガンダム世界を精査し充実させる」人たちだったのが、後者は「デザインや設定にばかり関心を集中させていた」人たちに変わって行った、と東氏は書いているらしい。
 まあ、そういう人たちも一部にはいるかもしれないが、それがそれぞれの世代の「代表例」のように、東氏が断定して書いていたとしたら、そりゃどうだろうか、と大森氏が疑問を持ったというのも理解できるのである。
 大森氏は「キャラ萌え」などは単に「作品評価軸の多様化・細分化」に過ぎないんじゃないかと喝破してるが、その方がすんなりすべての現象を説明できる。単純なことをコムズカシク説明して、いかにもアタマがいいように見せかけるというのはアタマが悪いことの証明なんである。
 評論家ってさあ、オリジナルな意見を吐いているようでいて、実はマスコミだの、自分の取巻きだのに迎合した付和雷同的意見を述べさせられてる例って多そうなんだけど、そのわかりやすい例じゃないのかな、東氏の場合は。

 庵野秀明監督の次回の「実写」映画、『流星課長』の製作、順調に進んでいるらしいことが伊藤伸平氏のマンガレポートで紹介されている。
 アニメ化でなく実写でって考えたのは、アニメにしたってしりあがり寿さんの絵じゃ「萌え」られないと考えたからだろうか(^o^)。
 けど主演が「松尾スズキ」ってのもイメージわかんが。
 「自動ドアのマリア」が「小日向しえ」って誰だ。ちゃんとケツはデカイのか。「ほほほほほほほ!」と笑ってくれるのか。興味はつきんが絶対ヒットはしないな。まあ、『エヴァ』の余韻はまだ続いているし、まだあと数年はペケ企画を立てても庵野さん、暮らしては行けるだろう。
 奥さんにも収入あることだし。
 ……そういや、どうして「安野モヨコ」だったのかなあ。
 やっぱり『フリクリ」で安野モヨコの絵柄パクったあたりから、実は既に関係が進んでいたのか。でも今までウワサのあったみやむーとかセガールのムスメよりも「オタク的」に思えて、なんか納得しちゃうんだよね。だって所詮、声優や俳優って、オタクに消費されるイメージの一つではあっても、オタクそのものじゃないもん。
 やっぱり実作者どうしってのがお互いを理解しあえていいかもね……って、だったらあさりよしとおの離婚はどうなるのだろう。片方が同人系っつーか「やおい」だとダメってことか(^_^;)。
 
 毎年恒例の「アニメグランプリ」のとじこみハガキ、もう十年くらい送ってないが(それまでは送ってたんかい)、今年は『オトナ帝国』があるのでちょっと迷っている。
 アニメファンったって、統一的な「ガンダム」ブーム、「エヴァ」ブームは過去のものだし、ファンのシュミはもう多様化しちゃってる。
 あるアニメのファンが、別のアニメファンを罵倒することなんか日常茶飯事だし、自分もアニオタのくせに、アニオタ男を毛嫌いするような簀巻きにして玄海灘にぶちこみたくなるようなクソ同人女も存在する。
 ……ハタチを半ばも過ぎてもアニメや特撮が好きなんて言ってるやつはよう、どう転んだってフツーのビジネスマンとかビジネスウーマン、爽やかで優しいスポーツマンとか、夫に尽くすヤマトナデシコなんかとの縁はできねえんだよ。いちいち相手を選んでんじゃねえや、ナニ様のつもりだ。……おっと、話が逸れた(^_^;)。
 どうせグランプリは『千と千尋の神隠し』、そうでなくても『最遊記』とか『フルーツバスケット』あたりになるんじゃないかって思うんで、一票投ずるのもアホらしいっちゃアホらしいが、「それでもやはり一票を投じてみたくなる」ファンがいるのかどうか、気になるのである。
 要するに、『アニメージュ』のファン層が今どのへんにあるのかがわかるんだよね。けれど、『オトナ帝国』1位が無理でも、せめてベストテンには入ってほしいし、『コメットさん☆』や『サイボーグ009』が上位に行かなかったら、こりゃ本気で「今のアニメファンって、何を見てるんだ?」と言いたくなるのだよ。ああ、この程度の薄いドラマで感動できてしまうくらい、自我がヨワイんだなあって、寂しくなっちゃうのよオジサンは。  
 
 『ニュータイプ』3月号。
 「金子修介の東京電影公司」が最終回。
 「監督・金子修介はヒットメーカーということになっているが意外にコケてる」とか自分で書いてるが意外でもなんでもないぞ。つーか中ヒットはあっても、興行収入30億行こうかなんて大ヒットは今回が始めてじゃないのか。
 だいたい、マトモな特撮ファンなら、今度のゴジラ、なぜ特技監督を立てなかったか、と言うこと、もっと文句を言ってもいいように思うんである。神谷誠は後に追いやられ金子修介、金子修介、金子修介。更に言えば、特撮B班監督を受け持った『メガゴジ』の手塚昌明監督、クレジットすらされてないぞ。これ、本人は納得してるのか。
 金子監督自身の演出能力は、やはりいろんな意味で穴がある。
 発想自体は面白いが、一つ外すともうヘタレ、画面構成能力とドラマを盛り上げる編集能力に欠けるってのが金子修介の昔から今に至るまでの変わらん特徴だ。いったい自称金子フリークってやつぁ、ちゃんと『1999年の夏休み』とか『咬みつきたい』とか『上海パラダイス』とか『卒業旅行』とか見てきてものを言ってるのか。
 今回の映画も、「そのカット割りは、シロウト同然の切り返しのミスはなんだ!」ってのが随所にあるぞ。ドラマがつながってないのになんでみんなそう感動できるんだか。やっぱり「今までのゴジラ映画があまりにひどすぎるので相対的によく見えてる」「併映のハム太郎に対する身びいきから誉めてる」特撮ファンの屈折した心理が映画の評価自体を捻じ曲げてるよなあ、という印象が強い。オタクの「巧みの眼」はどこに行ったんだよう。
 ……あ、何度も言うけど、それなりには面白かったんだからね。今度の『ゴジラ』。まあ、『ガメラ3』程度にはだけど。

 『鈴木伸一のアニメ街・ラーメン横町』、ついにあの幻のスタジオ・ゼロ製作『鉄腕アトム・ミドロが沼』がDVDBOXに収録されることが決まったそうな。
 知ってる人には有名なんで、書かんでもいいことなんだが、藤子不二雄(F・A)・石森章太郎・つのだじろう・鈴木伸一各氏の手になる珍品。鈴木氏も謙虚に「作品の出来映えはともかく」と仰ってるが、なあに、TVアニメ創世記の作品はどれも大同小異、視聴者が想像力を駆使して見なけりゃどれもこれも見られたものではない。
 それが復活するだけでも嬉しいのだから……だからもう、DVDBOXなんて買えないんだってば(T∇T)。

 久しぶりにグラビアに『超時空要塞マクロス』の飯島真理が登場。全く古いオタクはすぐこんなところに引っかかっちまう(^_^;)。
 PCゲーム版『ギャラクシーエンジェル』の主題曲を歌うための来日(知ってる人は多いと思うが、今はアメリカで活動してるんである)なんだそうな。
 ああ、でも小じわは増えてるが老けてねー! ぱっと見、四十過ぎに見えないよ。一時期『マクロス』の名前を嫌ってた時期もあったみたいだけれど、『マクロス』ファンに自分が支えられてきたという自覚を持って活動されてるということで、これは嬉しい。人間がホントに充実した活動が出来るのって、そういう経験を経た四十歳以降なんだよなあ。
 自戒。


 『目撃!ドキュン』、元ピンクレディーのミイのインタビューを放送、「解散の真実は!?」なんてCMが流れてたんで、かつてピンクレディーがウチの近所の野球場で『サウスポー』を歌いに来たとき自転車をかっ飛ばして見に行ったという恥ずかしい過去を待つ私としては見ないわけにはいかない。
 でもミーちゃん(四十過ぎの人に「ちゃん」づけもどうかと思うが)の回答が
「あんまり覚えてない」。
 なんじゃそりゃああああ!
 アメリカから帰国してたら、話題がなかったマスコミが勝手に解散説流してて、おかげで疲れ切ってた二人、解散を決意したんだそうな。
 ……マスコミの罪ってやっぱデカイよなあ。


 アニメ『ヒカルの碁』第十八局「アキラ対sai」。
 うーん、作画は安定してるんだけれど、音楽のつけ方がちょっとなあ。
 闇の中からsaiの手がすっと出てくるあたりの音楽がともかく派手。ここはもっと静かに、冷たく心に突き刺さってくるような演出をしてほしいんだけれど。
 けれど後半は音楽・作画ともに安定。
 監督がかみやさんに変わって着実にスキルアップしてるな。ええこっちゃ。
 「saiはヒカルかも!」とパソコンルームに飛び込んできたアキラの前でヒカルが見ていたネットの画面は、原作ではジャンプのホームページだったけれども、アニメではマンガのものに変更。
 これは将来版権がどこかに移っちゃったとき、放映できなくなることを恐れての措置かな?


 『ヒカ碁』を見たあと、疲れ切ってそのまま熟睡。
 おかげで『ウンナンのホントコ!』、24時間恋愛の結末を見損なったので、気になって(気にするなよ)目覚めたあとネットで検索してみると、女のほうが「男の人の気持ちが本当かどうか分らないから」という理由で100万円を選んだらしい。
 なんかネットじゃ女の不実に対して非難轟々だが、やっぱりヤラセだったんじゃないかね。仮にヤラセでなかったにしても、たかが24時間あっただけの、しかもテレビの企画で知り合った人間どうしに「愛」を求める視聴者の心理もどうかと思うが。
 予め「テレビのショー」として見ていただけのくせに、自分の思い通りの結末にならなかったからって何をいきりたってんだかね。
 いいじゃん、女が愛よりカネを選ぶのは『金色夜叉』以来の日本の伝統だってば。


 某マンガ家さんからメールが届く。
 詳しいことはその方に迷惑が掛かるかもしれないので書かないが(ああ、そこのあなた、勝手に誰のことか詮索しないように)、お元気そうだったので嬉しい。
 ちょっとびっくりしたのは、その方のHPを覗いてみて、そのマンガ家さんの知り合いの知り合いが私の知り合いであったことに気づいたことだ。
 そのことはマンガ家さんご本人にお伝えはしていないのだが、これって、いわゆる「ともだちの輪」ってヤツ? 人間、ホントにどこでどうつながってるかわからんもんだよなあ。


 マンガ、細野不二彦『ギャラリーフェイク』24巻(小学館・530円)。
 急にコピーを多用するようになったなあ、細野さん。
 美術界の「ブラック・ジャック」(^^)、藤田玲司の活躍を描くこのマンガ、当然、その話の中に世界中のかつての名画が多数紹介されてきていたのだが、実際にある絵画でもこれまでは細野さん自身が模写することが多かった。
 それがコピーに切り替わったのだから、これって、「引用」として認められたってことなのかなと思う(いちいち転載許可もらってたら、カネがいくらあっても足らんはずだ)。
 だとしたら、これはめでたいことだ。
 世の中には、実作者のくせに、自分自身の作品を勝手に引用されたり、解釈されたりするのはイヤだなんて言い腐ってるおおバカヤロウがゴマンといるが、いったん自分の手を離れたからには、それは万人のものなのである。
 だいたい完全なオリジナル作品なんてこの世にゃあるまいが。作品の中に「神」を出したらみんな教会に著作権料を払わなきゃならないのかよ。
 批評も引用も、新たな作品を作るプロセスなのであって、明らかな「剽窃」「盗作」とは一線を画してるのだ。細野さんが名画を「引用」しているのは許容されて然るべきである。

 面白かったのは、7話「美神法廷」。
 アルブレヒト・デューラーの贋作を真作と偽って売った容疑で、裁判にかけられることになったフジタ。そして検察側の鑑定証人として呼ばれたのは旧知の三田村小夜子館長だった。
 日頃、フジタに対してライバル意識の強い彼女だけに、フジタに不利な鑑定をするのではないかとサラは心配するのだが……。

 絵画の「真贋論争」ってのはシロウトの私の関知する世界じゃないんだが、実際、何度かこのマンガでも扱われてきた話題ではあっても、その評価って結構揺らいでいた。たとえば「巌作が真作よりも優れていたら、どう評価するか?」とか。映画『国士無双』だあね。
 この話も実のところ「真贋判定」といった鑑定から言えば、三田村館長の下した判定は納得しがたい点はある。デューラーのモノグラム(イニシャルの組み合わせ)は明らかにニセモノ。しかし「絵」そのものはどうか?
 「ニセモノというにはこの絵には“品”がありすぎる」
 ……これ、マジメに考えたら根拠にはならんよなあ。
 でも、『何でも鑑定団』見てて、たまに思うことではあるが「これはニセモノ」と言われたものでも、実にイイ味出してる絵があったりするのだ。
 要は購入した者が「ホンモノ」と思って満足できりゃいいんじゃないのかね。投機目的で絵を売買してたようなかつての日本企業の腐れアタマどもの手から、「ホンモノ」の絵画がどんどん流出していることだけは、バブル崩壊のよい点だったのかもしれないね。

 あ、それとコトバの単純なミス。7話の最後の方で、フジタが「押しも押されぬ」と言ってるけれど、これは「押しも押されもせぬ」あるいは「押しも押されもしない」が正解。もちろん、「揺るぎもしない」という意味なんであって、「押しも押されぬ」なんて日本語としての意味すら通じてないよ。

2001年02月13日(火) 明日寂しい思いをする人は読まないで下さい/『コロンブスの航海』(J.P.チェゼラーニ)ほか


2002年02月12日(火) 気がついたらマヨラー(笑)/『ブギーポップ・アンバランス ホーリィ&ゴースト』(上遠野浩平)/『大秘密』(W・パウンドストーン)

 もやしマヨネーズに凝っちゃってるので、仕事帰りにしげとスーパーに寄って、もやしを買い込む。
 けど、このなんでも調味料は「マヨネーズ」って人、最近増えたらしいんだよなあ。
 通称「マヨラー」って言うらしいけど、おかしかないか?
 いや、その行為じゃなくて、文法が。
 どうせ和製英語なんだろうけれど、「〜を好きな人」って言い方なら、単語のあとに“ian”とか“er”とか“ee”をつけるんじゃないのかね?
 だから「マヨネージャン」とか「マヨネーザー」とか……。
 やっぱ語感が悪いか。でも「マヨラー」だっていかにもバカ臭いぞ。
 第一「ラ」音なんて、「マヨネーズ」って単語のどこにもないじゃんか。
 せめて「マヨナー」って言えんのか。

 ちょっとここで面白い考察をさせてもらうと、この「〜ラー」という言い方、いわゆる「アムラー」とか「シノラー」の流れなんじゃないかって考えることもできるってことなんである。
 「マヨラー」って言い方には、あまり後ろ向きな感じがない。だいたい自分で自分のことをそう呼称してたりするんだから。
 つまりはこれって「ファッション」の一つなんであって、「私は安室奈美恵が好きなの〜」ってレベルで「私、マヨネーズしか食べられない人なの〜」って言ってるんじゃないのか。
 偶然、「安室」のロ、「篠原」の「ラ」がラ行音だったから、「ラー」という言い方が定着しちゃったんじゃないか。
 でも、オタクの誰もが一度は思うのは、「『アムラー』も『シノラー』も、怪獣の名前みたいだよな」ということであろう。オタクの10人中6人が「ケムラー」を、3人が「ベムラー」を、1人が「デスラー」(^o^)を思い浮かべたろうことは想像に難くない。
 もちろんここで、実際にアムラーの外見も……なんてことを言っちゃうと、迷惑メールがどっと押し寄せてくることになるので書かないのである。
 

 晩飯はスーパー前の「マルちゃん」でうどん。
 しげは月見うどんコロッケ、私はカレーうどんコロッケ。
 そんな濃いもの食って、もやしダイエットはどうなった(笑)。


 夜、東京のこうたろうくんに緊急の電話。
 ゴールデンウィークに公演予定の『シティボーイズミックス presents パパ・センプリチータ』のチケットの予約を頼むかどうかの確認。
 「一枚頼むよ」ということだったので、ホッとする。
 実は上京した時にはこうたろうくんの家に泊めてもらってることが多いのだが、そのたびに「シティボーイズに全く興味がないのに付き合いで一緒にいてくれてるのかなあ」とか、「ホントは「たかが芝居のためにわざわざ上京?』なんて思ってるんじゃないか」とか考えてて、ドキドキものだったんである。
 いや、彼がそんな人ではないということはわかっちゃいるんだが、疑心暗鬼というか自意識過剰というか、小心者はつい考える必要もないことも考えてしまうのである。
 電話をしている最中に、こうたろうくんが突然、「ちょっと待って、今こっち地震で『揺れてる』から」
 「……エッ!?」
 もちろん福岡は微動だにしていないから、一瞬、状況がつかめなくてきょとんとする。それにこうたろうくん、非情に冷静で、口調が少しも乱れていないものだから、ますますどの程度のものなのか解らない。
 慌ててテレビを見ると、確かに関東地方で地震の速報。時間は午後10時44分。
 関東地方を結構広範囲で襲っている。東京は震度3くらいだが、地方によっては震度4、5のところも。……掘建て小屋とかだったら、倒壊してるのもあるんじゃないか。
 こうたろうくんが電話口に戻って来たので、思わず「どうだった!?」と聞いてしまったが、どうにかなっていたら電話口に出て来ないって(^_^;)。
 「子供が起きてきちゃったよ」と、こうたろうくん、笑ってるが、こんな時、やっぱり真っ先に子供のことを心配するんだなあ、とホロリ。
 用件は一応終わったのだが、必然的にそのあとの内容が濃いこと。
 そこまで書いてたら、この日記の字数制限をオーバーするので省略(^^)。


 夜中にまたまたチャット。
 私も私だが、どうしてこの某掲示板には毎夜毎夜(昼もだけど)人が集まるのだ。みんなそんなに寂しいのか。
 いや、これは揶揄ではなくてね、チャットやメールなど、ネット通信の弊害を説く人は多いもので、それはそれで理解できないことでもないので、参加する以上は「自分の心の慰め」のためにチャットに集まってる方々を利用しちゃいかんなあ、と自戒しているわけです。
 それにしても「某掲示板」なんてまどろっこしい書き方、そろそろやめたいんだが、この日記では私の職業を隠しているが、アチラではもうバンバン正体明かしまくってるので(けど福岡に住んでるのはヒミツ)、二つがつながっちゃうと、パズルを解くように私の正体に近づかれてしまうので、まだまだヤバイのである。……ったって、固有名詞はどこにも出してないのになあ。
 職場に基地外さんが多いと、こんなことまで気を使わなきゃならんのが面倒くさいことこの上ないのである。


 上遠野浩平『ブギーポップ・アンバランス ホーリィ&ゴースト』(メディアワークス/電撃文庫・578円)。
 『ブギーポップ』シリーズも第10作(11冊)。
 時間が前後しつつ、わずか三年から五年程度の間の出来事を十作も書くというのはなかなか大変じゃないかと思うが(少し整合性も怪しくなってるし)、まあ、もともと「本筋」というのがある話じゃないから、いっか(^^)。
 考えてみたら、「外伝」だけでストーリーを続けていくってのも、ウマいアイデアだよな。「とりあえず今までの話は横に置いといて、新しいキャラで始めます」ってことも出来るんだし。
 というわけで、今回もいきなりの新キャラ登場(^o^)。

 駐車場で自転車を盗もうとしている少女、濱田聖子を偶然見かけた高校生・結城玲治。
 未来に何も希望を持たない彼は、気まぐれで「こっちのほうが速いぜ」とスクーターを盗み、聖子と一緒に逃亡する。
 しかしそのスクーターにはどういうわけか、プラスティック爆弾が仕掛けられていた。
 運よく爆発からは免れた二人だったが、その爆弾を仕掛けたらしい謎の男たちに追いかけられるハメになる。
 男たちの車を盗み、更に逃亡を続ける二人に、カーナビの画面に突然現われて語りかけてきた包帯だらけのイタチのCG“スリム・シェイプ”。
 イタチは二人に、いたずらっ子のように告げる。
 “ロック・ボトム”。それは世界の敵たる兵器。その解放を阻止すること。
 「世界の運命は君ら二人の肩に掛かっているんだぜ」……。

 ある意味、このCGイタチの「スリム・シェイプ」の方が、タイトルロールの二人より目立っちゃいるんだが、実のところこのキャラクター造型はそう深いものではない。彼の正義感(?)は、そのバックボーンになっている設定のわりにはいささか浅薄だ。
 やはりなんといっても魅力的なのは、ホーリィこと濱田聖子と、結城玲治ことゴーストの「俺たちに明日はない」コンビ(^^)。
 うん、ホーリィはいいわ、なかなか。
 「いつかあたしが、なんていうか――うまくやれる時が来る。あたしはどっかでズレてるけど、それがいつか、ぱちっ、とうまくハマるときが来るのよきっと」
 こういう根拠のない自信を持ってるやつって、現実には単なる妄想家だったりするんだけど、物語の中なら人生に前向きなキャラってことでヨシ。
 そのあとでちゃんとゴーストから「そんなことばっかり言ってるから、カスみてーな男にばかり引っかかるんだよ」って茶々入れられてるし。
 この二人にボニーとクライドのイメージが重ねられてるのはハッキリしてるんだけれど、そういうルーツ探しは本作の場合、あまり意味はないな。これはかつての映画へのオマージュでもなんでもない。
 なんだかなあ、みんなうんざりしてると思うんだよねえ、男と女がそこにいりゃあ、必ず惚れた腫れたの話になるってのが。
 恋人、しからずんば他人、みたいな両極端でなきゃ許せないのかね。でも、そうでない男女ってのを書いてみたい、読んでみたい、という欲求が、90年代のクソつまらんトレンディドラマの残骸の果てに生まれてきてるんじゃないか。
 恋人でも友達でもない、全く偶然の係わり合いで誕生してしまった、「犯罪者」コンビ。それがホーリィ&ゴースト。できれば今後のシリーズにも出演してほしいけど……難しいかな。
 もちろん、ブギーポップ・宮下藤花に炎の魔女・霧間凪もちょびっと登場するが、あまり出さなくても話作ることが出来たんじゃないかってくらいに今回は番外編的。
 しかし、『歪曲王』『ペパーミントの魔術師』の寺月恭一郎がどうしてあんな「遺産」を残したのか、いかにも意味ありげに登場してきてほとんど何もせずに去って行った雨宮世津子こと“リセット”はこれからのストーリーにどう絡んでくるのか、だいたいこの「世界の敵」との戦いに終わりはあるのか、など、伏線が増えるばかりで、10巻を費やしてもまだまだ先が読めない。
 でも、できればせめて20巻くらいで抑えてくれないかな、トシヨリにはこうも増え続けるキャラの名前を全部はとても覚えられないし。『大菩薩峠』じゃないんだからよう。


 ウィリアム・パウンドストーン/田村義進訳『大秘密 ―噂・都市伝説・憶測の真相あばきます―』(“BIG SECRET”/早川書房ハヤカワ文庫・693円)。
 マクドナルドがネコの肉使ってるとかミミズの肉使ってるとか、マコトシヤカな(そうかあ?)都市伝説はたくさんあるけれど、その中にはアメリカ経由のやつも結構多い。
 その真相を調査しようってのがこの本の趣旨なんだけれど、まあ、面白いことは面白いが、マジメ過ぎて「ツッコミを楽しむ文化」を持つ我々日本人としてはちょっと物足りなかったりする。

 「ケンタッキー・フライド・チキンには11種のハーブとスパイスが使われてます」という宣伝文句がウソだってことを、食品研究所に依頼して確かめさせてるんだけど、これってただの詐欺じゃないのか。
 11種類どころか、その材料は次の通り。
 鶏肉・油・スキムミルク・卵・小麦粉・塩・黒胡椒・グルタミン酸ソーダ。これだけ。……結論。ケンタッキー・フライド・チキンは下北沢の一般ご家庭でも作れます(^^)。

 ほかにもコカ・コーラのレシピとか、郵便物をただで送る方法とか(でもこれは注意深い郵便局員なら見抜くと思うぞ)、嘘発見器に嘘つく方法とか(残念でした。この方法はもう八十年も前に江戸川乱歩が考案してます。その方法の欠陥も含めてね)、ユリ・ゲラーの超能力のヒミツとか、サブリミナルCMに効果はあるのかとか、題材そのものは興味深いんだけど、「そんなんわざわざ説明されんでもわかる」ってネタも多いんだよねえ。
 結局は読み物なんだから、ただ、「アレはインチキだ!」って叫んだリ、そのインチキさを説明するだけじゃなくて、「そういうインチキを考えつきたくなる人のココロの面白さ」にまで、思いを致してほしいものなのである。

2001年02月12日(月) 来年の『ゴジラ』はあるのか/『アニメージュ』『ニュータイプ』3月号



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藤原敬之(ふじわら・けいし)