無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年01月22日(火) 探偵小説の終焉/渡辺啓助『亡霊の情熱』/『サトラレ』1巻(佐藤マコト)

 朝刊に探偵作家・渡辺啓助(わたなべけいすけ)死去の報。
 19日午前0時35分、死因は肺炎、享年101歳。
 ……誤記ではない。本当に101歳で死んだのである。
 そして、ついに、日本で最後の探偵作家が消えた。
 森下雨村、小酒井不木、江戸川乱歩、甲賀三郎、横溝正史、木々高太郎、浜尾四郎、夢野久作、小栗虫太郎、大下宇陀児、水谷準、城昌幸、海野十三、綺羅星のごとく輝いていた戦前の探偵作家のたちの最後の一人が、まさしく天寿をまっとうしてこの世を去ったのだ。
 この高齢にもかかわらず、渡辺啓助は、決して忘れられた作家ではなかった。 時折、新作の短編、エッセイすら発表していたのである。
 100歳を迎えた昨年、『ネメクモア』という短編集が編まれ、新装版『創元推理21』はその創刊号を渡辺啓助・温の兄弟作家の特集に充てた。
 探偵小説ファンはみな思っていたのだ。
 ロマンの時代はまだ終わっていない。
 明治は、大正は、昭和初期のモダニズムは消えてはいない。
 まだ、われわれには渡辺啓助がいる。
 上記の作家たちの作品群をむさぼるように読んでいた中学・高校生時代を送ってきた私にとっても、渡辺啓助の存在は、まさしく「希望」であったのだ。

 追悼の意味を込めて、前記の『創元推理21』に再録された渡辺氏の『亡霊の情熱』の筋を紹介する。

 野瀬は女学校の新任教師。
 美少女、門馬ユリの相談に乗るうちに、教師と生徒の壁を越えて、お互いに恋心を抱くようになった。
 しかし、あくまで自分の立場に固執する野瀬は、その態度をなかなか決めかねていた。門馬もまた、自分の本心を野瀬に打ち明けられずに人知れず悩む。

 そこへ、門馬に恋する年下の少年、氷室が現れた。
 門馬は、ついに野瀬に自分の気持ちを告白し、氷室の誘いを断ると言う。
 動揺する野瀬。
 「僕は貴女の組主任ですから、貴女に代わって先方の少年に断ってやりましょう」
 しかし、それが恐ろしい悲劇の発端となろうとは、そのときの二人には知る由もなかった。

 氷室に会い、その情熱と真摯さに触れて、思わず知らずライバル心にとらわれてしまう野瀬。
 勢いで自分は門馬の婚約者だと告げてしまう。
 衝撃を受ける氷室。
 絶望の色が少年の顔を覆い、彼は通りがかった列車に身を投げた。

 やがて、野瀬と門馬は結婚する。
 初めは逡巡していた野瀬であったが、門馬の言葉が野瀬の決心を固めさせた。
 「嘘を吐いて、出鱈目を云って、あの人を自殺させたんですか、先生は――」
 野瀬は門馬の肩を掴んで言う。
 「僕は教師の臆病を捨てて結婚しよう。そうしてあの少年の亡霊と潔く戦おう」

 しかし二人の結婚生活はうまくいかなかった。
 ほんの少しの野瀬の冷淡。
 それが門馬に言ってはならない言葉を吐かせた。
 「あんな犠牲――あんな酷い犠牲を払ったくせに」
 野瀬は自分たちが氷室の亡霊にとらわれていることを知った。

 ある夜、門馬は何かに憑かれたように、氷室が自殺した鉄道のそばに佇んでいた。
 必死に取りすがる野瀬。
 振り切って飛びこもうとする門馬。
 列車が寸前に近づいてきた時、ほんの一瞬、野瀬の脳は混乱した。
 そして、野瀬は門馬を掴んでいた腕を放した……。 
  
 渡辺啓助の非凡さは、このときの野瀬の心理に、後悔も恐怖も一切なかったことを淡々と描写している点にある。
 恋する者同士、情熱的に結ばれた二人、そうであっても、その愛が永遠に間断なく続くものではない。
 ほんの一瞬、それこそ一刹那で通りすぎるごくわずかな時間、二人の間に底の見えない裂け目が生まれることがある。
 意識する間もないほどの時間であるので、多くの恋人たちにとって、そのような裂け目はなかったものとして忘れ去ることが出来るものである。
 しかし、まさしく悪魔のごときタイミングで、その一瞬が現実に二人の仲を引き裂いたとしたらどうだろう。われわれはそこで後悔に打ちひしがれるであろうか。
 ……いや、かえってわれわれは気づいてしまうのではないか。
 自分の情熱、愛情、嫉妬や憎悪、われわれの心そのものが我々を苦しめる元凶であることに。
 そして、それらから解放された瞬間こそが、われわれに真の自由と安心を与えてくれることに。
 渡辺啓助の目は、その一瞬を一も見逃していなかったのである。
  
 新聞記事には「1929(昭和4)年に雑誌『新青年』に『偽眼のマドンナ』を発表しデビュー」とあるが、補足説明が要るであろう。
 一つはこのデビュー作が、女優岡田茉莉子の父でやはり美男俳優として知られた岡田時彦の名義で書かれたこと(つまりゴーストライターだったわけね)、タイトルの読み方が「いれめのまどんな」であることだ。
 作品リストをあいうえお順で並べる時、間違えて「き」の項に入れちゃう人、多いんだよね。
 作家・故渡辺温は弟(もうすぐ創元で文庫全集が出る予定)、画家・渡辺東は娘。

 
 仕事が長引いて帰りが遅くなる。
 その旨、しげに連絡を入れるが、しげ、風邪が本格的に悪化してきたらしく、電話口でぜいぜい言っている。
 「……ごめん……げほげほ!……一人で……タクシーで……がほげへごほ!……帰ってきて……ぐへげひぶぺ!」
 なんか聞いてるだけでアワレになってくるな。
 あんまりかわいそうなので、せめてほか弁でも買っていってやろうかと、近所の「ほっかほっか亭」に寄ってみるが、こういう時に限って「改装中につき閉店」である。
 お約束な展開だなあ。
 仕方なく、コンビニ弁当をいくつか買って、それですますことにする。
 しげはコンビニのよりほか弁の方が圧倒的に好きなのだが、この場合、諦めてもらうしかない。
 私も家事をする元気はないので、夕食は「Coco一番屋」でカレーを食ってすます。
 そこで読んだスポーツ新聞で、映画監督倉田準二氏の訃報を知り、茫然。なんでこう、連続して好きな人が死ぬのだ。

 倉田準二(くらた・じゅんじ)21日午後7時15分、肺炎のため死去、72歳。
 先日CSで見た、人によっては時代劇の最高傑作とまで評する『十兵衛暗殺剣』はこの人の監督。
 けれど私たちの世代が一番親しんでいたのは、なんといってもテレビシリーズ『仮面の忍者赤影』であろう。……ちゃんとDVD買ってるよう。
 敵忍者の奇抜な設定や、破天荒なストーリー、独特の映像センスなど、様々な魅力が語られているが、私はなんといっても役者さんたちの演技を見るのが大好きだった。
 まだ映画が本編と呼ばれ、テレビシリーズに出る役者は軽蔑されていた時代、それでも新人や大部屋の役者さんたちが手を抜かずにエンタテインメントに徹して演じていた忍者たち。
 ……甲賀幻妖斎の天津敏さんも、暗闇鬼堂の原健策さん(松原千明の父ちゃんと言ったほうが今は通りがいいか)も、魔風雷丸の汐路章さんも、雲間犬彦・猿彦の二見忠男さんも、もう鬼籍に入ってしまった。
 もちろん、白影の牧冬吉さんも。
 有名スターの死に涙する人は多かろう。
 けれど、脇役一筋の人たちの死に対して、世間はどうしてこうも冷淡なのか。
 よく知らない、というだけならまだマシで、ないがしろにし、蔑みの目で見ている人間がどれだけ多いことか。
 牧冬吉の出演映画はたった12本である。
 倉田準二の監督作品もわずか12本。
 あれだけテレビでたくさんの時代劇を撮ってきた人が、映画の監督としては「つなぎ」にしか使われなかった。日本映画衰退の原因はそんなところにもあったんじゃなかろうか。

 それにしても新聞記事に「東映京都撮影所に所属し、『十兵衛暗殺剣』『飛び出す冒険映画』『恐竜・怪鳥の伝説』などの映画を監督」とあったが、『飛び出す冒険映画』ってサブタイトルだけじゃん。肝心のメインタイトル『赤影』が抜けてるぞ。配信元のミスがそのまま各紙に載っちゃったんだろうけど、誰も気づかないんだろうなあ、こういうミスは。
 淋しいなあ。


 マンガ、佐藤マコト『サトラレ』1巻(講談社・530円)。
 出来のよくない映画版を見ていると、絵が必ずしもうまいとは言えない原作マンガがえらく傑作に見える。
 ……と比較して誉めちゃかえって失礼だね。
 設定に難はあるものの、これは立派な佳作である。
 やはり「思念波が他人に漏れてしまう」という「サトラレ」のアイデアを考えついたことが何よりもスバラシイことだ。
 何しろ「サトラレ」は究極の正直者なんだから、必然的に周囲は「悪人」たることを運命付けられているようなものである。自分が「悪人」であることを押しつけられて落ちついていられる人間などいるわけはない。そこにドラマを作り出す余地はいくらでも生れてくる。
 ……美味しい設定だよなあ。
 もっとも作者は1話ごとに途端の苦しみを味わってるみたいだけれども。
 様々な環境で、たくさんの「サトラレ」たちが自分が「サトラレ」であることを気づかされずに活躍している。
 映画がほぼ一人のサトラレのみをフィーチャーしてドラマを作って行ったのは、2時間の映画として完結性を持たせるためにはごく自然なことだったろう。けれど、ドラマ的には多種多様なサトラレがどのように生きているのかを1話完結式で描いていく原作マンガの形式の方が、圧倒的におもしろい。
 映画のベースになった、西山幸夫・里見健一のエピソード以外にも、サトラレゆえに子供たちの間で孤立していく少年・野口浩くんや、思考を読まれながらも棋士の道を進もうとする少女・片桐りんの話を映像で見たかった読者も多かったのではないか。
 難しいかもしれないけれど、映画の続編を見たくなっちゃったぞ。
 監督、モトヒロから別のやつに変えて。

2001年01月22日(月) 月曜の朝は仕事に行きたくないのよ/『キノの旅3』(時雨沢恵一)


2002年01月21日(月) 妻の寝相と丈夫な膀胱/『夜と星の向こう』(今市子)ほか

 早朝出勤、今日もしげを起こさにゃならんかと思っていたら、私より早くしげが居間に……と思ったら、単に寝つけず徹夜してただけだった。
 またかい。
 別に起きてたからって朝飯の用意とかしてくれてるわけじゃないんだよなあ。
 夫は淋しいよ。『ここだけのふたり!』の「妻」ですら料理は自分で作るというのに。
 しげ、「寒気がする、風邪引いたかも」と鼻をグズらせているが、そんなことは当たり前である。毎晩、夜中に布団を全部蹴っ飛ばして、ハラ丸出しで寝ているのだから。
 私が気づくたびに掛けてやっても、丸めこみ、そのあと放り出す。風邪引くのも自業自得ってもんである。ああ、でも寝苦しい妻の身を夫が案じてやるところまで『ここふた』そっくり。
 妻って、「バカである」だけで絶対、得してるよな。


 昨日あれだけ寝て、夜も寝たのに寝足りない感じ。
 睡眠のサイクルが狂ってるせいもあるかもしれないが、それにしてももうちょっとゆっくりしたいものだ。早朝出勤や残業が続くと、本当にウチでは寝る時間しか取れなくなるので、なんとかしたいんだけれども。


 仕事が早目に片付き、ちょっと早く帰れそうだったので、しげに連絡を入れて「迎えに来れる?」と聞いたら、「来れん」と一言。でもそのあと追加の仕事がバタバタバタと入って、結局、定時の帰宅。
 何度ウチに連絡を入れても返事がないので、仕方なくタクシーで帰ると、しげは爆睡。なんだか午前中も買い物していたとかで、ホントに寝てなかったらしい。「寝られる時には寝ておく」というコントロールができないから、しげは気がついたら「24時間爆睡」なんてバカなこともしちゃうのだ。……でもそれでよくトイレが持つよな。

 私も疲れているので、そのまま夜まで寝る。


 仕事から帰ってきたしげに誘われて、めしや丼で夜食。
 つーか、晩飯食ってなかったっけ。
 新発売の「水餃子定食」を二人で頼むが、私はまあ美味しいと思ったのに、しげは「餃子の皮が厚い」と残してしまう。スープにトマトが入っていたのも気に食わなかったらしい。
 でも、飯がまずいって、単に風邪で鼻と舌がバカになってるだけじゃないのかな。
 しょうがなくしげの分まで食う。
 ……ああ、また腹が出て来たよう。しばらく体重計にも乗ってないが確実に80キロ越してるだろうな。


 帰りにファミリーマートで買い物。
 今週の『少年ジャンプ』8号、『ヒカルの碁』だけ立ち読み。
 ……『ヒカ碁』、ずいぶん後ろのほうに行ってるなあ。佐為がいなくなったのと、ヒカルの背が伸び過ぎたんで、人気が落ちたんだろうか。
 けれど、展開は果たしてクライマックスが来るのか、それとも新しい流れが始まるのか、というムードで久しぶりに盛りあがってきている。
 ヒカルの中の佐為の存在についに気づいたアキラ、果たして彼が真にライバルと見なすのは佐為なのか、今のヒカルなのか。


 マンガ(雑誌)『アワーズガール No.5 今市子大総集編【夜と星の向こう】』(少年画報社・630円)。
 これも去年出た雑誌だなあ。しげが本の山の中に隠してたので、ずっと読めなんだ。
 16年前に火事で死んだはずの「兄・龍一(リュウイチ)」が「施設」から帰ってきた。
 手放しで喜ぶ両親とは裏腹に、「弟・立一(リュウイチ)」は、兄の挙動に不審を抱く。電車を見ても驚く、文明をいささかも知らぬような態度、彼を追っているらしい「敵」の存在、彼を守護する役割を担っているらしい山椒魚(?)の化身・玄。
 やがて母親も、龍一は本当に自分の息子なのかと疑いを抱き始めるようになる。「施設」には龍一を育てた記録もなく、連絡をくれた係員も実は死んでいたのだ。
 やがて、立一の前に姿を見せ始める謎の女。「お袋様」と呼ばれ、龍一を16年間育てたらしい彼女の正体は何なのか。
 いきなり龍一を殺そうとした「町田のおばさん」は、立一たちともみ合った挙句に弾みで死んでしまう。しかしその肉体には「お袋様」の生霊が入りこんで蘇えり、立一たちを監視するようになる。
 ……なんだか筋だけ書いてると思い切りホラーなんだけど、これを細かいギャグでつないでるのが今市子さんの語り口のうまいところなんだよねえ。
 ギャグの一つだけでも紹介したいところだけれど、コマ運びと密接につながってるので、そのへんがムチャクチャ難しいのだ。

 初めて両親に会う龍一、「お父さん、お母さん!」
 でも自分たちに顔が似てないと困惑する両親、「あ……そう?」(「あ、そう」じゃねーだろ、自分の息子に!)
 二人に抱きつこうとする龍一、「十六年ぶり……!」
 玄と龍一を間違えたことを思い出した両親、「俺はなんかあっちのほうが息子って気が…」「あ…うん、私も」
 泣く龍一。「…なんか僕、来ちゃいけなかったみたいですね」(……アワレだ……)
 ううむ、文字で書くとやっぱりこの微妙な間のギャグが伝わりにくいなあ。

 で、これから、いよいよ佳境か……ってところで「つづく?」……総集編で「つづく」ってありかよ! いずれ単行本は出るんだろうけど、カラーページ、ポスター付きが特典の、まあ、悪くない買い物ではあります。

2001年01月21日(日) 日曜の夜は出たくないのに/『トガリ』(夏目義徳)1巻ほか


2002年01月20日(日) それでもアニメだけは見る/DVD『名探偵ポワロ エンドハウスの怪事件』/『フルーツバスケット』3・4巻(高屋奈月)ほか

 日曜の朝、今日はなんとか目覚ましを壊しもせず、8時に目覚める。
 目覚めたと言っても、夕べの夜更かしでアタマはふらふらしているので、『仮面ライダーアギト』の50話を見終わったあと、練習に出かけるしげの車に乗せてもらって、コンビニで飲み物の調達。
 帰宅するなり、また仮眠。でも『コメットさん☆』の始まる9時半にはまた目覚めてくるのだから、業が深いというかなんというか。
 てっきり今日が最終回、と勘違いしていたがまだ一週あった『アギト』と『コメットさん☆』、でもそのわりにはどちらも今一つ盛りあがりに欠けるように感じてしまう。

 『アギト』、2、3回見逃してるうちに、美杉家の人たちはどこかに行っちゃってるわ、G3−Xは北条が装着してるわ、氷川は左遷されてるわ、翔一はレストランのねーちゃんとなんかいい仲になってるわ、今までの話はどこへ行っちゃってんのよ、オイって感じの展開。
 いやまあ、見てなかったこっちが悪いんだけど(いつの間にか木野さんも死んでたらしいし)。
 50話も引っ張っといて、テーマが「アギト」=「ニュータイプ」で、新人類を認めるのか認めないのか、って程度の話なら、やっぱりこれ、『仮面ライダー』じゃなくて『イナズマン』じゃんってことになっちゃうぞ。もしそうなら、アギトのデザインはもっと生物的に、せめてアナザーアギト程度のものでないと、所詮は「仮面」被っただけって感じにしか見えない。
 いきなり翔一の彼女(真魚ちゃんはどこ行ったんだよう。しかも今度の女が「可奈」って……「マナカナ」かい)の顔がアギトになったの見たらさ、まるで「顔だけコスプレ」なんだよな。こんなん笑うしかねーって。

 『コメットさん☆』第42回『サヨナラの仕方』。
 最終回1話前、メテオさん主演の巻。
 ……いや、このパターンになるってことは分ってたよ。なんたって、「さよならするには辛すぎる」んだから。でも、やっぱりやるかなあ、「記憶を消してサヨナラ」。記憶に残してもらえないって淋しさって生半可なもんじゃねーぞ、あんまりあっさりと結末つけてほしくないけどなあ。……これも打ちきりの余波かな。

 メテオさん、星国に帰らなければならないということで、イマシュンとの思い出を強引に創り、風岡夫婦にも幸せになる為に旅立つと別れを告げて、記憶を封印。メテオさんの存在は(コメットさんも含めて)「イマシュンの心の中のマドンナ」ということに。……ああ、そんなふうに「夢」でササッと終わらせるなよ、演出にもう少しタメ持たさんかい! せめて、ふっとイマシュンに空を見上げさせてよ、そこに見えるはずのないメテオさんの面影なんか見せてよ、「今のはなんだったんだろう……」とか呟かせたりとか……。クサかろうがなんだろうが、「愛」の演出ってのはそれくらい大上段に振りかぶったっていいんだよ!
 ああ、もう、頼むからリメイク作ってくれ! 前田亜季主演の実写でいいから!(でもそんときゃメテオさん、誰がやるんだよ)
 今話の発見。メテオさんのあの「ダメだったらダメだったらダメなのよ!」ってリフレイン口調、やっぱりお母さん譲りだったのね。
 ……モデルは誰なんだ。劇作家・演出家の鐘下辰男さんもこんな喋り方するけど。「うんうんうんそうなんだそうなんだそうなんだ」。
 それとも、もしかしたら古川太一郎か。「あらま、これまたそんなことしちゃったりしちゃったりなんかして」。


 またもや睡魔に倒れて、昼過ぎまで爆眠。
 体が重いので風呂に入って汗を流し、またもやゴロ寝。
 日記だの原稿だの、溜まっているのに手をつける元気がないまま、ダラダラとDVDなど見て過ごす。


 DVD『名探偵ポワロ エンドハウスの怪事件』。
 原作は、早川ミステリ版では『邪悪の家』のタイトル。ってことはこのドラマ版『ポワロ』は創元推理版に依拠してるつもりのかな。
 原題は“Peril at End House”で、直訳すれば『岬荘の危機』ってところ。ストレートな邦題が多いクリスティー作品の中にあって、このまま訳すと確かにちょっとインパクトが弱い感じかな。でも『邪悪の家』は凝り過ぎってもんだ。
 原作は未読だったので、純粋に犯人当てを楽しむつもりで見たのだけれど、傑作の評判とは裏腹に、ミスディレクションがうまく利いていなくて、早々に犯人が分ってしまって拍子抜け。犯人の見当がつけば、動機もトリックも芋づる的に見えてくる。
 ただ、これは吹替版で見たせいがあるかもしれない。
 だって犯人の声が、あのヒトなんだよ(ミステリーのエチケットとして、誰かは明かしません)。「善人ぶったフリしてやがるけど、絶対犯人だよな、コイツ」って気がしてしまうのだ。……日本の役者って、層が薄いから(-_-;)。
 仮にもミステリだってことを吹替演出のスタッフも意識してだよ、キャスティングにはもっと気を使ってほしいもんなんだけどねえ。

 南イングランドに休養にやってきたポワロは、エンドハウスの美しき女主人、ニック・バックリーと知り合う。ところが、彼女はこの数日で、三度も命を狙われていた。そしてなんと今度はポワロの目前で,何者かがニックを狙撃した。ポワロは自ら謎の解明に乗り出すことを決意するが、名探偵の注意も虚しく、人違いか、パーティの最中、ニックの従妹マギーが射殺されてしまった。殺人者の魔の手は更にニックに忍び寄って行く……。
 途中、あまりにも謎の糸口がつかめないために、ヘイスティングスが根を挙げて、ゴルフをしに逃げようとするシーンがあるが、これはNHK放送の吹替版ではカットされていたもの。確かに本筋には関係ないとこだけどさ、こういうとこがドラマの美味しい部分なんで、できるだけテレビ放送の際もカットは少なくしてほしいんだけどねえ。
 アテレコテープがないために、その未放映シーンだけ、字幕スーパーになるんだけれど、予算をケチらずにちゃんと声優さんにアテてほしかったなあ。わざわざ大枚叩いてDVDBOXまで買ってるんだよ? 『コロンボ』はそうしてるんだし、できないことないと思うんだけどなあ。


 『サイボーグ009』第14話「再会の地で」。
 予想通り、原作の「ベトナム編」は、設定を008の故郷、ムアンバ共和国(原作じゃどこかボカしてたなあ)に移殖。ちょっと『黄金のライオン編』なんかも混じってるかな。
 現実にベトナム戦争が終わっている以上、舞台を変更するのはやむを得ないとしても、戦争の描き方があまりにも単純に過ぎないか。独裁者と独立戦線という単純な二項対立じゃ、結局は加害者と被害者、正義と悪との対立としか戦争を描けないのではないか。原作の凄さは、政府軍にもベトコンも、どちらにも正義はないとした点にあったんだけどなあ。
 「ベトナム編」は、後年、宇宙にまで舞台を広げることになり、「死の商人によって改造されたサイボーグ」という本来の設定が意識されなくなっていったことを考えると、もっとも『009』らしいエピソードだったと言える。なのに、アニメ版はそのあたりの描写が、カルピスウォーターを更に水で薄めたような表現に留まってしまった。……「ベトナム編」のプロローグの「戦争は人間の宿命なのだろうか?」というナレーションは、ぜひともピュンマに語ってほしかったんだけどなあ。それともラストに回したのか?
 ウンババ大統領(このネーミングもなんとかならんか)の「独裁」ぶりも全く描かれないのはどういうわけか。虐殺のシーンなんかはやっぱりテレビコードに引っかかるのか。DVDで出すなら、止め絵のカットでもいいから、実際にベトナムで行われた虐殺や空爆も描いてほしいもんだが。
 ついでに言えば、「サソリとカエル」の詩の朗読も。


 マンガ、高屋奈月『フルーツバスケット』3・4巻(白泉社・410円)。
 ああ、ちょうどアニメ見て、初めておもしろいなあ、とか思ったあたりだ。
 もちろん、綾女さんとゆーか「あーや」の高校時代のエピソードのことね。
 もっとも、長髪を咎められて「実は私は王族なんです」と校長を言いくるめようとするシーンや、歓楽街にしけこんだ生徒を弁護しようと「ボクに欲情したまえ!」と嘯くシーン、好きなんだけど、演出的には、アニメの方がずっとおもしろかった。
 これはギャグとしては誰でも思いつくネタなので、「間」が肝心なのである。高屋さんのコマ割り、残念ながら今一歩。
 あーやへの「アホかー!」のツッコミを、校長ほか二名にだけさせてるんだけど、そのせいでその場にいたほかの人たちの反応はどうだったの?(小さく描いてるけど)という疑問が起きてしまって、笑いを阻害している。
 そこを大地丙太郎監督は、一瞬で場のムードがどん底に落ちる演出をキチンとしていた。
 アニメ版、ずいぶん原作を補完していたのである。
 しかしこの「あーや」のキャラ、誰かに似てるなあ、と思っていたら、川原由美子『前略・ミルクハウス』の「涼音さん」なのだ。つーことは透は「芹香」か。……そっくりじゃん!
 そーかそーか、なんかいまいち『フルバ』にハマれねえ、とか思ってたら、川原由美子の二番煎じだったからか。いや、そう言っちゃ高屋さんに悪いかもしれないけれど、「十二支」の設定がなけりゃ、「男ばかりのいる家に貧乏な少女が転がりこむ」って設定、まんまなんだもの。
 高屋さんが『ミルクハウス』読んでることは間違いなさそうだし、『ミルクハウス』との差別化を図ろうとして、かえってストーリーに無理が生じてるところがあるのかも。うーん、こうなると、草摩一族にダークな影を落としている当主・慊人をいかに演出するかが、この先の展開が面白くなるかつまらなくなるかの分かれ目になりそうだな。

2001年01月20日(土) 英雄、果つる島/映画『アヴァロン』ほか


2002年01月19日(土) ハルオ再び/『ルパン三世 公式magagine』3号(モンキー・パンチ責任編集)ほか

 ああ、やっと土曜日。
 仕事が半日で終わるってだけで、どうしてこんなに気が楽になるのだろう。
 まあ、「明日から休みかあ、仕事が出来なくてツライなあ」なんて感じるのもどうかしてるが。
 でも、ウチの職場そんな感じのやつ多いし。
 おまえらみんな安藤昌益か(←知ったかぶりギャグ)。

 朝、起きてみると、しげが起きてパソコンをしている。
 「夕べ寝てないのか?」
 「うん、寝つけなくて」
 いつものことだが、何かイベントごとがあるとなると、しげは興奮して寝られなくなる。
 今日は午後から『ハリー・ポッター』を見に行って、そのあと、夜はエロの冒険者さん宅で『シベリア超特急』の上映会をする予定なので、眠れなかったらしい。
 「半日だけでも寝とけよ、カラダ持たんぞ」
 と言い置く。
 けど、これですんなり寝てくれるならこっちも気を使わずにすむんだが、たいていそうはならない。
 私を心配させたり面倒かけさせたり、自分にかまってもらうためなら、私の寿命を縮めてもいいと考えてるバカなしげのことだから、きっと寝ないんだろうなとタメイキをつく。

 案の定、仕事が終わって、職場に迎えに来てくれたのはいいのだが、しげは「眠い眠い」を連発している。
 「なんだよ、やっぱり寝てなかったんかい」
 「うん、なんか寝つけんやった」
 「どうすんだよ、映画」
 「行くっちゃろ?」
 「いや、その予定だったけど……。無理やろ?」
 「でも、今日行かなかったら、またいつ行けるかわからんよ?」
 「でも、行ったら確実に寝るやろ。今日は上映会もあるんだぞ。カラダが持つわけなかろうが」
 「……そうなんよ。上映会の方が絶対体力使うんよ」
 「……今日は帰って夜まで寝てよう」 

 というわけで、『ハリー・ポッター』鑑賞はまたしても延期。
 昼間は二人してひたすら寝てこますのであった。

 2時に寝て、7時にしげを起こす。
 いったん寝入るとへたすりゃ24時間寝つづけるやつだから、たかだか5時間寝たくらいでは、「ふにゃー」とか「みゃんまー」とか意味不明なことを口走るばかりで、いっかな目ざめようとしない。
 「おいコラ、今日は上映会だぞ、起きんかい」
 「うーん、アンタ一人で行ってきいよ。オレが行っても誰も喜ばんよ」
 「バカ言ってないで起きろ!」
 しょうがなく、布団を引っぺがして叩き起こす。
 こういう、どうでもいいことで手を掛けさせるんじゃないよ、まったく。

 車に乗って、一路エロの冒険者さん宅へ向かうが、まだ寝惚けているのか、しげ、やたらと車線を間違う。
 もう何度も通った道だというのに、この記憶力のなさはなんなのだ。
 「私ってばか?」
 と自己批評しているがその通りだ。
 自覚してんなら改めてほしいものだが、やっぱりばかだからそれもできないのだろう。 


 エロさん宅にお集まりの今日のメンツは、しおやさんにZUBATさん。
 『シベリア超特急』、前にも書いたが「ダブルマーダーバージョン」「ハンガリーバージョン」「アメリカンバージョン」の三つがある。
 だいたい、公開時の諸事情でカットされたとかいうのならまだしも、予め同じ映画で三つもバージョンを作ってるってこと自体、水野晴郎の「ハルオセンス」が光っているとしか言いようがない。
 更に言えば、「完全版」もあるみたいなのよ。完全版DVDが出たらそれも買えと言うのかハルオ。しばいたろか、こいつ 凸(-~~- )。

 「で、どれ見ます?」
 エロさん、即座に「そりゃ、どんでん返しが二つあるやつでしょう」と仰る。
 果たしてあれを「どんでん返し」と言っていいものかどうか、正直なところ、判断に困る。
 しかし、やはりあの、青天霹靂、傍若無人、茫然自失、驚天動地、粗暴乱雑、吃驚仰天、疲労困憊のラストを見ずして『シベ超』は語れまい。
 と言うことで、どんでん返し「アメリカンバージョン」を上映。

 上映中はもう、みなさんでツッコミの嵐である。
 「え〜っと、今、出て来た女は誰ですか?」
 「さっきの○○○○人ですよ」
 「……どうして××人の部屋に?」
 「××人に変装してるんです」
 「……顔、違うじゃないですか!」
 「髪染めてるじゃないですか!」
 「染めたら化けられるんですか! △△△が残ってるじゃないですか!」
 「だから、あとでその△△△のせいでバレるんですよ!」
 「じゃあ、今はバレてないんですか!」
 「だって変装してますから!」
 「だから顔が違う〜〜!!」
 『シベ超』とはそういう映画である。
 ZUBATさんは菊地孝典が出るたびに「木野さ〜ん」とエールを送っている(『仮面ライダーアギト』で木野役を演じているのである)。
 ZUBATさんの話によると、菊地さんのフィルモグラフィーには『シベ超』の記載がないそうだが、やはりキャリアからは外したくなるのだろうか。
 ともかく、チャチなセット、適当な設定、ご都合主義&意味不明なストーリー、私も見るのは二度目だけれど、みなさんと一緒に見るのでなければやはりツラかったろう。
 そして、ついにあの「ダブルどんでん返し」。
 「これはつまり……ということですか?」
 「ええ、ですから、この……は、……だってことなんですよ」
 「えっ?! てっきり……ということかと……」
 あまりにも衝撃が強すぎて、見るものが自分の心の中で、もっと納得のいく筋を構成しようとするあまり、「どんでん返し」の意味が掴めない者(しげのことだけどね)も出る始末なのである。
 ハルオ君がねー、「ネタは言わないでください」って言ってるから書かないけどねー、レンタルでもいいから『シベ超』見てみてくださいよー。世紀のケッ作であることは絶対絶対何はなくとも保証しますからー(←ナゲヤリな口調)。

 上映後、誰ともなく漏らした「ええもん見せてもろたわぁ〜」の声が、虚空に響くのであった。

 近所の居酒屋に移動して、今見たばかりの『シベ超』について、侃侃諤諤の大論争。店の人は「なんじゃありゃ」と思ってたんではないか(^_^;)。
 エロさん、「いやあ、ただつまらないだけだったらどうしようかと思ってたけど、楽しめました」……誉めすぎ誉めすぎ(^_^;)。
 しおやさんが「シベ超じゃなきゃ、見に来ませんよ」と仰るのを聞いて、オタクというものは本当に病膏肓、と苦笑。
 「あの変装に誰も気がつかないとはなぜなんだ」
 「多羅尾伴内なんじゃないですか?」
 「いや、多羅尾伴内も初期はあそこまでひどくなくてまともですよ」
 「そう言えば金田一耕助も……」
 気がついたら、話は南郷次郎や金田一耕助ほか、探偵映画の話にシフトしてしまっている。
 オタクの話はホントに脈絡がない。
 「で、『シベ超』2作目もあるんでしょ?」
 「ああ、ホテルでの殺人ってやつですね」
 「3作目も作ってるとか」
 一抹の不安が私にはある。
 全ての『シベ超』の上映会を、今後もすることになるのだろうかと言うことだ。
 ……やはり上映会の前はたっぷり昼寝をして、体力を温存させておかねばならぬようだ。
 やれやれ(-_-;)。


 居酒屋を出て、しおやさんと別れたあと、まだ何となく遊び足りない気分で、ほとんど徹夜の覚悟で、カラオケになだれこむ。
 とは言え、土曜の夜で、どこのカラオケボックスも満杯。
 「シダックス」は30分待ち、「とん珍かん」は20分待ち。
 それでもなんだかみんなエネルギーが有り余っている。
 しげも私も、体調は必ずしもよくなかったはずなのに、気分だけは無闇に高揚している。1時間だろうが2時間だろうが待ったるわい! みたいな気分になっているのである。
 結局、「とん珍かん」で20分待って、アニソンが少ないDAMに当たってしまったのに、ありったけのアニメソングを歌いまくる。
 しげが『魔女っ子メグちゃん』や『思い出がいっぱい(『らんま1/2』)』を、私が『スナフキンの唄』や『ガンバの冒険』なんかを歌うと、「この二人のレパートリーはわからん」とZUBATさんからからかわれてしまう。結構オーソドックスなつもりだけどなあ。
 エロさんとZUBATさんが、『愛・覚えていますか』を同時にエントリーしたのには笑った。こういうシンクロニシティと言うか、「間」の合い方、オタク同士には往々にして起こるのである。
 エロさん、ボイスチェンジャーで女声にして歌おうとしたが、機械の故障か全く変わらない。仕方なく、ZUBATさんと二人で合唱。
 男二人でリン・ミンメイかよ、と笑うなかれ。あのころの中高・大学生にとって、『マクロス』がただのアニメでなく、まさしく青春のバイブルであったことは間違いのない事実なのだ。
 ラスト、『帰ってきたウルトラマン』を歌うころにはエロさん、すっかりダウン。多分、何を歌ってたかも覚えていないのではないかな。

 お二人をご自宅までお送りしたあとの帰り道、しげがいきなり「腹が減った」と言い出す。
 「……今、食ってきたばかりだろう!」
 しげ、おもむろに、
 「……足りないもの」
 しげ、しおらしく見せようと、居酒屋では食うのを控えていたのである。
 この日記でしげがどれだけ大食漢であるかは暴露済みだと言うのに、何を今更。
 で、フォルクスに寄って、私はサラダバー、しげはステーキ。
 たっぷり腹に肉を詰めこんで満足なしげなのであった。


 モンキー・パンチ責任編集『ルパン三世 公式magagine』(双葉社・500円)。
 あ、いつの間にか3号目だと?
 しまった、2号目を買い損ねてるなあ。雑誌形式の本だから、もう古本屋で探すしかないなあ。
 単行本は単行本で買ってるのだけれど、特集記事や雑誌未収録作品など、この手の本にしてはずいぶん企画が充実してるんで、欠けなく揃えたかったんだけどなあ。
 巻頭はモンキー・パンチと江川達也の対談。
 それ自体はたいした内容はない(とゆーか裏話はたいてい知ってることばかりな)のだけれど、一点だけ、モンキーさんが「パイロット版のルパンの声、広川太一郎さんなんだよね」と言ったのに対し、江川さんが「スナフキンの声じゃないですか!」と言ったのは間違い。
 広川さんがアテてたのはもちろんスノークで(「はた、言うなれば……だったりだったりして」)、スナフキンの声は西本裕行。今日歌ったばかりだから間違いない(^.^)。
 モンキーさん、江川さんに「ルパンの監督やってみないか」と持ちかけているが、案外、実現したら面白くなるんじゃないか。少なくとも峰不二子のチチが盛大に揺れて揉みしだかれるだろうことは間違いないし(^o^)。
 実際に江川さんのイラストポスターが付いてんだけど、もう、峰不二子のエロいことといったらないのよ。乳輪でかいし(^^*)。

 いつもの山上正月の漫画版の総集編以外にも、島本和彦・安野モヨコ・細野不二彦・末松正博のイラストエッセイ、イタリア版ルパン、東京省(←作者の名前だ)のデジタルコミックなど、読み応えがある一冊。
 一番つまんないのが、原作者モンキー・パンチの3D−CGイラストってのがちょっと情けないかな。

2001年01月19日(金) DESERT MOON/『パタリロ!』(魔夜峰央)71巻ほか


2002年01月18日(金) バンパイアの夜/『ビッグマックプリーズ!!』(小屋一平)/『光の島』1巻(尾瀬あきら)ほか

 今朝もトイレに行ったら、食事の量減らしてるってのにまた血便。
 と言うか内容物がないから、血がただ流れるだけなんだよねえ。
 いったいどこまで続くんだろうか、この下血道は。
 ……こういう言い方するとなんか『子連れ狼』の「冥府魔道」みたいね。違うか。
 貧血を起こしているので、眩暈が激しい。
 もともと立ち眩みがしやすいほうなんで、できるだけ動かないようにしたいのだがそうもいかない。けれど、仕事をしていて生汗が出てくるに及んで、ああ、これ以上はもう無理だと判断して、仕事は午前中で早引け。

 帰宅したあと、ひたすら寝る。

 しげが仕事から帰ってくるのを待って、ブックセンターホンダへ。
 「……もう12時回ってるじゃん。本屋はもう閉まってるだろ?」
 「知らんやったん? ホンダ、時間が2時までになったやん」
 それは初耳だが、実にありがたいことだ。
 実際、私のように目が悪い人間にとって、昼日中の太陽光はちょっとキツイのである。
 夜の闇はしっとりとしていて親切だ。
 人の多い街中をしげと二人で歩いていても、我々は群集の中の二人を演じるしかないが、夜は世界がわれわれのものになる。
 夜はどうして8時間ほどしかないんだろう。
 せめてあと4時間あれば、眠って夢を見るほかにも、目覚めたまま夢を見ることができるのに。
 ……しかし昼間は貧血を起こして、夜に動き出すって、ホントに吸血鬼だよな(^_^;)。

 ロイヤルホストで食事。
 腹の調子が悪いので固いものは食べない。
 期間限定のポークシチューがあったのでそれを注文。
 しげ、なにやらステーキみたいなのを頼んでいたが、それ以外にも、サンドイッチを追加注文している。
 腹が減っていようが満腹であろうが常に口淋しいのはやっぱりココロの病気ではないのか。
 しげの希望は「出来るだけたくさんの種類の食べ物をおなかいっぱい食べること」であるのだが、だったら自分で料理がうまくなればいいのに、その努力は一向にしようとしないのである。
 料理のレパートリー増やすことが出来たら、小遣いアップしてやってもいいんだが。


 小屋一平『世界おもしろ比較文化紀行�供.咼奪哀泪奪�プリーズ!!』(心交社・1575円)。
 大げさなこと言うかもしれないけど、このシリーズ、200年経ったら、この時代の『奥の細道』たりえるんじゃなかろうか。
 第一作の『トイレはどこですか?』はまだ読んでないんだけれど、この二作目のおもしろさから推測するに、やはり相当な傑作である気がする。
 その国の文化を説明するのに、その国固有のモノを挙げたエッセイは数多い。
 日本で言えば、神社仏閣、フジヤマゲイシャにスシテンプラ、マンガやアニメにテレビゲーム、時代は変われど、そこに我々はどこか「ジャパン・アズ・ナンバーワン」のナショナリズムを見出していたりする。
 ぼったくりバーやホテトル、公衆便所の落書きやロリコンアニメに「日本らしさ」を見出そうなんて考察はあまりなされない。
 「マクドナルド」や「コカコーラ」だってそうだ。
 このアメリカ資本であることがハッキリしている文化、ある意味、世界中を文化侵略していると言ってもいいものを、「その国の文化の産物」として見て行こう、という試み、これってこれまで皆無だったんじゃないか。
 チキンタツタって日本だけのバーガーだったんだよなあ。そりゃ「竜田揚げ」なんだから当然だったんだが、そう指摘されないと、いちいち意識するものでもない。
 中国の「黒胡椒バーガー」。
 韓国の「プルコギバーガー」。
 スペインの「マック・エキストラ」。
 ギリシアの「マック・ロイヤル」。
 インドの「マハラジャマック」。
 タイの「サムライポークバーガー」(笑)。
 冗談で書いているようだが、こういうのがホントにあるのである。
 それを著者はまさしく「そういうものを食べる」ために旅をし、マクドナルドが普及して行く様子、店の間取りや各国の接客の違い、生活習慣に至るまで、微細に自分の眼で確かめて行く。
 以前は発砲プラスチック容器に入れられていたビッグマック、今は簡易包装の紙の箱に変わっているが、あれの発祥がドイツだったとはなあ。
 ともかく1ページめくるごとに新発見、再発見の連続である。
 この本もまた、身近な、見過ごされやすいものにこそ我々の真実が潜んでいるとする、「考現学」の一書と言えるだろう。……一行知識がずいぶん増えたなあ。
 あ、マクドナルドについて触れているのは第一章で、第二章は各国の「コカコーラ」です。……ファンタ・ストロベリーって日本でもどこかじゃ売ってそうだけど。 
 

 マンガ、森口豁原案・尾瀬あきら漫画『光の島』1巻(小学館・530円)。
 基本的に尾瀬あきらという人は誠実な人なんだろうな、とは思う。
 日本酒の未来を憂えたり、三里塚闘争の意味を改めて掘り起こしたり。
 かつて『バビル2世』のコミカライズをしていたころがウソのようだ(『初恋スキャンダル』ですら、もう過去の履歴から消したいのではないか、この人は)。

 今回のマンガも原作となるルポルタージュがある。
 読んだことはないが、森口豁(もりぐち・かつ)という人の『子乞い・沖縄孤島の歳月』(凱風社・1890円)がそれだ。
 基本的な話はマンガ同様、日本復帰後、過疎化が進み、一時は人口が20人台にまで落ち込んだ小島、鳩間島(マンガでは唄美島)の小学校を維持するために、島民たちが島外から子供を呼び寄せるという、いささか乱暴な方法をとった過程が描かれているらしい。
 「乱暴」とは言っても、島民にとっては切実な意味を持つ。
 小学校が廃校になれば、行政に見捨てられ、廃村が決まるということだからだ。
 「ムリヤリ呼び寄せられる子供の人権はどうなるのか」との批判ももっともではある。しかし、「島の未来」を考える時、「なりふりかまってはいられない」というのが実情だったのだろう。
 廃村が決まって、島を退去したからといって、残された人々が生きて行ける保証はない。行政はそこまで面倒は見てくれないからである。

 ルポルタージュはその沖縄行政の杜撰さを告発するような内容になっているらしいが、尾瀬さんはそこまで踏み込んで書くつもりなのだろうか。
 今の所、マンガは沖縄の自然を豊かに描き、まずはそこに生きる人々の心の葛藤と、困難を乗り越えようとする強い意志と、優しさとを描いている。
 それはそれで実に爽やかな印象を与える。
 たった二人の小学生、光と由美。
 体の弱い由美が、両親と別れて落ちこむ光を慰めるシーンや、島に来たことの意味を確かめるように走るシーン、その姿には素直に感動してしまう。

 しかし、それでも一抹の不安を覚えずに入られない。
 似たようなテーマの高畑勲のアニメ、『おもひでぽろぽろ』が、無批判な「田舎賛美」に堕してしまったのと同じ轍をこのマンガは踏みはしないか。
 人の生き方はさまざまであるはずなのに、絶対的な「正しさ」を求めはしないか。
 全く逆に、たとえ子供を利用しようとしてでも島の未来が大事というオトナのエゴイズム、それを開き直って描くような、「正しい生き方をしているものなど誰もいない」という視点で今後のストーリーが展開されていくのならば、このマンガ、とても面白いものになっていくんじゃないかと思うのだが。


 マンガ、ヒラマツ・ミノル『アグネス仮面』1巻(小学館・530円)。
 『1・2の三四郎』再び。
 描き手は違うが、そんな印象のマンガだ。
 しげと結婚した十年前、テレビでプロレス中継を見ようとした瞬間、「アンタってプロレス中継見る人だったの?!」と蛇蝎を見るがごとく毛嫌いされ、隠れプロレスファンであることすらやめてしまった私にとっては、なんとも「なつかしさ」すら感じてしまう。
 なんたって時代設定が「昭和51年」だよ。
 まだ我々がアントニオ猪木に夢を持っていられた時代だ。
 あの「アントニオ猪木対モハメッドアリ」の異種格闘技戦が行われたのが昭和51年6月26日のこと。……かじりついてたよなあ、テレビに。
 あの迫力のカケラもない猪木のアリ・キックですら、梶原一騎が「アリのフットワークを防ぐには最高の技」という解説をマジで受け取っていたのだ。……だからチューボーだったんだよう(-o-;)。

 主役は海外武者修業から帰ってきた山本仁吾。
 ところが所属していた大和プロレスは、帝日プロレスのマーベラス虎嶋に乗っ取られていた。
 大和最後の刺客として虎嶋に挑んだ山本だったが、赤子の手を捻るように返り討ちに会う。
 そして、ムリヤリ「アグネス仮面」という名のマスクマンにさせられてしまうのだ。
 「キミの故郷はどこですか?」
 「埼玉県だ!」
 「埼玉県はブラジルに近いな!」
 「近いわけないだろ!」
 「福島県よりブラジルに近い!」
 「うっ…確かにそれはそうだが」
 「それじゃあキミをブラジル出身と言っても間違いではないな」
 「ぜーんぜん違うっ!!」
 でも、これで「アグネス仮面」にされちゃうんだからなあ(^o^)。
 でも案外、現実のタイガーマスクもウルトラマンもウルトラセブンも獣神ライガーもこんなノリで生まれたんじゃなかろうか。
 プロレスは夢である。
 たとえそのほとんどがヤラセであり八百長でありショーであったとしても、それが芸として完成されていれば、それを評価して何が悪かろうか。
 ……だからたまにはプロレス見せてくれよう(ToT)。もうゴールデンタイムでやることなんてないんだからさあ。

2001年01月18日(木) はな゛がつま゛ってくるしい/アニメ『ジャックと豆の木』ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)