無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年10月14日(日) 新番紹介、大トリ!/アニメ『サイボーグ009』第1話「誕生」

 オタアミ当日まであと41日! 41日しかないのだ!

 しげもよしひと嬢も起き出す前に、朝もはよから休日出勤。
 ……って、ホントに6時半だってのに自転車飛ばして山越えだぜ。いったい何の因果でこんな目に(TロT) 。
 バタバタしててつい寝ているしげの髪の毛を踏む。
 「いたあい!」と悲鳴を上げて一瞬アタマを起こしたが、またそのままパタン、と倒れて目を閉じたので、多分、夢だと思ったであろう。

 そんなわけで、よしひと嬢にはご挨拶もできなかった。
 まあ、またそのうち遊びにくることもあろうから、せいぜいよしひと嬢の喜びそうな映画やなんかを録画して用意しておくことにしよう。
 実を言うと、今回も三船敏郎主演の『戦国無頼』とか『赤毛』とか、準備してはいたのだが、チラリともお見せできなかった。そりゃ『ナジカ』とか見せてたからだろうって、そうなんだけど(^_^;)。以前から「黒澤明の『野良犬』見せてください」なんて頼まれてて、うんうん頷いてたのに、その約束も未だに果たしていない。
 よしひと嬢も、日頃映画を見たくてもなかなか見に行けないことも多いようなので、せっかくの機会をムダにさせてしまったようで、申し訳ないことであった。

 昨日の日記では触れ損なってたことであるが(っつーか疲れて書ききれなかった)、実際、よしひと嬢の会社、残業が多くて、録画したビデオもなかなか見られないくらい忙しいらしい。
 でも残業の中には「勉強会」とか称するタダ働きもあるそうなので、結構アコギな職場みたいだ。
 なんでもそこの社長は会社の真ん前に、今時「二宮金次郎の銅像」をおったてるようなアナクロ爺さんだということだが、よしひと嬢が「ポケットマネーで建てたって言ってるけど、それ、会社の売り上げだろーが!」とここ数ヶ月ずっと怒り続けているのである。

 まず間違いなく、この「二宮金次郎像」ってのは、薪しょって片手に本を持ってる姿だと思うが、さて、実在の二宮尊徳が子供のころホントにこんなことしてたのかというと、これがイマイチ定かではないのである。
 というのが、このイメージが世間に広まったのは、実は1891年(明治24)、尊徳の門人の手になる彼の伝記『報徳記』を読んで感動した作家、幸田露伴が、少年少女向けの「少年文学」の中で表した伝記『二宮尊徳翁』の中に、絵入りで薪を担いで読書する金次郎像を提示したことがきっかけになっているのである。
 この話が国定教科書の修身の教材として採用されたことで、世間一般にひろく知られるようになって、半ば国策的な形で全国の小学校の校庭に金次郎の銅像がたてられることになったわけだ。
 幸田露伴という人は、ともかくマジメ一徹な人で、歴史に取材した小説を書く場合でも、原典に信憑性がなかったりすると筆を折っちゃうような頑固なところがあったから、このエピソードも事実なのかも、と一瞬思っちゃうのだが、それがどうも違うらしい。
 なぜかというと、ジョン・バニヤンの宗教書『天路歴程』の1886(明治19)年の翻訳版の挿絵に、背中に大きな荷物を背負って本を読んでいるクリスチャンの少年の姿が既に登場していたからである。
 実際、「文章として」尊徳がそんなことしてたって記録はないんで、言い替えれば、そんなイメージだけが先行してるものにノせられて「精進」をスローガンにしてるような奴は、相当アタマの中身がとろけてると判断してまず間違いないと思われる。
 ……でも、よしひと嬢の職場、最近業績が上がってるらしいのだ。果たしてホントに何かの御利益があったのか、それとも鰯の頭もなんとやらの効果であるのか。


 昼過ぎには仕事を終えて帰宅したのだが、どうにも頭が重く、そのままぶっ倒れて寝る。しげはどうせ練習で遅かろうから、唯一ゆっくり出来る時間だ。
 目が覚めて見るともう夕方。
 ちょっと慌てたのは、今日が新作『サイボーグ009』の第1話の放送日だったからだ。いやはや、危うく録画し損ねるところだった。
 一読三歎、いや、一見百歎と言うべきか、殆どハズレばかりの新番の中で、掛け値ナシの傑作、過去の全ての009映像化を凌駕したことは間違いない。
 興奮して即座にオタアミ会議室に感想を書きこむ。
 (以下引用、ご参照のこと)



 やってくれましたよ、キャラデザイン&作画監督の紺野直幸さん、この、原作そのままの絵柄で(といっても、ベースは多分『エッダ編』の頃)、あのアングルとアクション!
 サスペンスフルなドラマを堪能させていただいた30分でした。

 原作マンガをご存知ない方はいらっしゃらないでしょうから、ネタバレを気にする必要もないとは思いますが、一応ギリギリの線で書いておきますと、第1話が原作と最も違う点は、原作にあったOPの、ブラックゴーストの陰謀の描写、001から008までが誘拐されるくだりが丸々カットされていることです。
 もっとも、このOPエピソードは、原作自体、後から追加されたもののようですが。
 ですから、アニメの第1話は、009の改造、脱出、襲いかかるロボットや戦車、戦闘機との戦い、001のテレパシーによる誘導、仲間たちとの出会い、ギルモア博士の拉致、と続きます。
 いや、ここまでの話をダイジェストに陥ることなく、凝縮して描いた脚本の腕は、称賛に値するものでしょう。何より原作を好きだって思いが伝わってくるのがいいのですよ。

 ああ、特にあの伏線張りまくりのセリフ・セリフ・セリフ!

 001のテレパシーの導く通りに逃げているのに、なぜか敵に襲われ続ける009、「どうして……? 君の言うとおりに逃げてるのに……」
 001はアッサリと、「ごめんごめん。君の能力をもっと見たくて、敵のいるところにワザと連れてったんだよ」
 ……ああ、そういうやつなんだよ、001は!(^^)
 「会ったら君をぶん殴ってやる!」と言う009に、「殴れないと思うよ」と笑う001。
 やっぱりグループのリーダーと言うのはこれくらい人非人であることが絶対条件ですね♪
 爆発する戦闘機から落下する009を救ったのは002。
 このときの二人の会話が……ああ、すごい(初心者には)さりげない伏線!

 既に原作を知っていて、001の正体も、『ヨミ編』のラストも知っているオトナにとっては、これらの伏線、バレバレではあります。
 でも本作で初めて『009』に接した子供たちは、たとえばこの第1話のラストで、あるいは十数話を経て、あたかも「ウルトラマン」第1話と最終回が見事に連続したときのように、「ああ、アレにはこんな意味があったのか!」と感動するのではないでしょうか。
 009はもうブラックゴーストの戦闘員(←人間)に「化け物」呼ばわりされています。サイボーグたちの悲しみを語る伏線も既に張られているのです。

 ちょっと不安材料を口にすれば、どうやら009の設定が「少年院を脱走した」わけではないらしいことや(回想シーンに「ボクは神父さんを殺してない!」のセリフあり)、第2話の予告編が全部止め絵であったり(ウワサではまだ出来ていないとも)、裏番が“俺ももう見てないのになんでまだ視聴率が高いんだ”「海産物一家物語」だったりと、この先原作の改変やテコ入れ、番組の継続自体の危機は訪れているような気がいたしますが、スタッフのみなさんもそれは先刻ご承知のはず、きっと後は「勇気だけ」で乗り越えてくれるだろうと期待しています。

 それにしてもスカールが若本規夫ってのはちょっと濃すぎるんじゃないか。でも中間管理職って言ったら「カッコつけだけ」であんなもんなのかな。
 首領の声はできたら劇場版第一作の山内雅人さんのように、リアリティのある渋い声がいいのだけれど。



 オタクでない人のためにちょっとだけ注をつけておくと、「勇気だけ」は、原作『ミュートス・サイボーグ編』での009のセリフ。
 けれど出来ればこのままレベル落とさずに『中東編』や『移民編』も原作を余り改変せずにやってほしいなあ。
 もひとつ言わせてもらえば、絵面だけのキャラに引かれるんじゃなくて、こういう「魂」を持ったキャラに目をきちんと向けるアニメファンがもっと増えてほしいぞ。マジで。


 帰ってきたしげ、いきなり「スシ食いたい!」と言い出したので、二人で近所の回転寿司屋へ。私はもうカネがないので全てしげのオゴリだ。
 なんて情けない夫だろうとお思いの方もおられようが、そうではない。
 私はちゃんと自分の分の食料を買い置きして、冷蔵庫に入れているのだが、気がつくとしげが肉だのなんだのを勝手に食いつくしてカラにしてしまっているのである。
 ……私は何を食べればいいのだ。
 自分の分は自分で買って作れと言ってるのに、しげはこういうことをしょっちゅうやらかしてるのである。回転スシの10皿や20皿で返せるものではないのだ。
 というわけで遠慮なくタカる。久しぶりに食いすぎた感。……明日はまた絶食せねばなあ。

2000年10月14日(土) 「野草」刈りと漂泊者と生ベルばらと/『あこがれの遠い土地』(トーベ・ヤンソン)ほか


2001年10月13日(土) 封印/第三舞台『ファントム・ペイン』(鴻上尚史作)/アニメ『カスミン』第1話

 オタアミ当日まであと42日! 42日しかないのだ!


 すっかり書くのを忘れてたけど、この人のことを書かないではいられない。
 10月9日、映画監督、ハーバート・ロス氏、死去。
 死因は詳らかではないが、ここ数ヶ月、入退院を繰り返していたとか。
 享年74歳。

 CNNは「映画『愛と喝采の日々』のハーバート・ロス監督、死去」と伝える。
 もともとバレエの振付師から出発した経歴をメインに、バレエ映画を数多く撮ったと紹介。
「バレリーナのノラ・ケイさんと結婚したが、ノラさんは1987年にがんで死去。1989年には、故ジャクリーン・ケネディ・オナシスさんの妹リー・ラジウィルさんと再婚したが、10年後に離婚した。」とも。
 代表作として挙げられていたのが、『チップス先生さようなら』『ボギー!俺も男だ』『グッバイガール』『ニジンスキー』『ダンサー』『フットルース』『摩天楼(ニューヨーク)はバラ色に』『マグノリアの花たち』など。

 まあ、一般的にはそういう認識だったのだろう。
 でも、私にとってのハーバート・ロスは、上記の作品の中では『ボギー』くらいしか面白いと思ったものはない(っつーかほかのは余り見てないんだが)。

 それよりも、ロス監督といえば、脚本家ニール・サイモンとの名コンビであったことを明記しておかねばなるまい。
 調べてみると、『サンシャイン・ボーイズ』を初め、5本もある。『カリフォルニア・スイート』『グッバイガール』『わたしは女優志願』『キャッシュ・マン』……あはは、ニール・サイモンのファンみたいなことを日ごろ言っときながら、私の見てるのが最初の一本だけだ。情けないなあ。
 でも、その1本だけでもこのコンビのスゴさは充分語れると思う。
 『サンシャイン』はいわゆるバックステージものなのだけれど、私自身はこの作品はチャップリンの『ライムライト』を越えたと思ってる。ウォルター・マッソーとジョージ・バーンズのかけあい漫才は楽しかったし、二人だけの幕切れがイキだった。三谷幸喜が「東京サンシャインボーイズ」を立ち上げたのも本作へのオマージュだろうが、逆立ちしたって敵うもんじゃないのである。

 いや、それよりも更に、私のロス監督フェイバリット・ムービーは、実はこの一本なのだ。

 『シャーロック・ホームズの素敵な挑戦』。

 ……あえて原題を書こう。“The Seven-Per-Cent Solution(7%の溶液)”。
 これは、いわゆるホームズシリーズの「正典(キャノン)」ではない。映画評論家ニコラス・メイヤーによるパスティーシュ(贋作)小説、『シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険』の映画化なのである。
 ホームズがコカインの常習者であったことは正典にも記載のあることだが、原題の7%溶液というのは、このコカインの濃度のことを表している。このコカインがホームズの頭脳にどのような影響をもたらしたか。
 それを解き明かすのがなんと、実在の精神分析医、シグムント・フロイト!
 ホームズが実在の誰それと会った、という贋作は数あれど、私はこの「フロイトVSホームズ」が、山田風太郎の『黄色い下宿人』(夏目漱石VSホームズ!)と並ぶ傑作だと信じて疑わない。
 ホームズに扮したのは、ニコル・ウィリアムソン、腺病質のホームズをキッチリ演じていた。後に彼は『刑事コロンボ/攻撃命令』でホームズを彷彿とさせる役を演じ、擬似「コロンボVSホームズ」の夢も叶えてくれることになる。……アンタ、知ってるかい? 吹き替え版の声優は平田昭彦だよ!?
 Dr.ワトスンにロバート・デュバル、マイクロフト・ホームズは『OO7/ダイヤモンドは永遠に』で三人目のブロフェルドを演じたチャールズ・グレイ、モリアーティ教授はアッと驚くハムレット名優、ローレンス・オリヴィエ。
 しかしなんと言っても感動なのは、フロイトがもう一人のクルーゾー警部、アラン・アーキン!

 つまりこの映画、「クルーゾーVSホームズ」でもあるんですね(^o^)。

 ラストのオッカケはまんま『キートン将軍』へのオマージュ、果たしてこれはシリアスなのかコメディなのか、けれどともかく数あるホームズ映画の中でもむちゃくちゃ面白いという稀有の傑作なのだ。

 ロス監督はやはりアチラの職人監督、役者の芸に注目する目には確かなものがあったのだと思う。観てない映画もまだまだ多いし、DVDを少しずつでも集めて行こうかな。
 少なくとも『サンシャイン』と『ホームズ』が出たら絶対買うぞ!


 今日はよしひと嬢が泊まりに来るので、仕事から帰るなり、部屋の中を大片付け。でも対して間がなく、トイレ掃除も風呂掃除も取りかかれないまま、タイムリミット。
 博多駅で待ち合わせして、私、しげ、よしひと嬢の三人でメルパルクホール福岡へ。
 開場30分前に到着したが、既にホール開場を行っていた(並んでいる客が多いのでそうしたのであろう。メルパルクは、そういう配慮を殆どしないところなので、鴻上さんの指示かも)。
 周りを見まわした感じでは、ジジババ(私と同年輩以上)は殆どおらず、だいたい20代〜30代のお客さんばかり。てことは旗揚げ当時は小学生以下って子供ばかりなわけで、世代交替してるんだなあと実感。
 どちらかというと、カップルや女性客の方が多い感じ。

 今回の公演は、第三舞台『ファントム・ペイン』。
 20周年記念&10年封印公演だとか。最終公演がオハツ、というのもなんだかなあ。
 デビュー当時から注目してて、鴻上尚史の脚本も『朝日のような夕日を連れて』以来結構買いこんで読み耽り、ビデオなんかでもよく観てた第三舞台だけれども、実はナマで観たのはこれが初めて。
 理由は簡単で、ビデオで観た舞台の様子が、脚本から想像される面白さの半分も面白さを伝えていなかったからだ。芝居が、演出が、学生演劇の延長でしかなかったのだ……って、そりゃ早稲田の学生演劇だったんだから当然なんだけれども。
 もちろん、若さゆえのパワーを感じてはいた。
 それまでの演劇には見られなかった様々なガジェット、たとえばマンガ、たとえばアニメ、たとえば特撮、そういったものを作品中に散りばめることによって、「ああ、この人はボクたちと同じものを見てきている」、そう感じて共感もした(同じようなことを渡辺えり子や野田秀樹もやっていたが、鴻上尚史のほうがより我々に“近かった”)。
 けれど同時に「何か違う」という思いもしていたのだ。
 それはつまり、鴻上さんという人が基本的に「青春野郎」であった、ということに起因しているのだろう。
 鴻上さんには、世の中にたくさんの「許せない」ことがある。それは例えば、「演劇が世間的に認められていない」なんてことも含まれるのだが、ともかく、世の中の矛盾、いい加減、適当なこと、そういうものにたいする怒りを結構露わにしちゃう人なのだ。
 鴻上さんの発言は、だから時として、年下の私から見てすらとても青臭くなることがある。
 教育問題について発言し、「学級崩壊を起こさないために20人学級を実施せよ」なんてことを言ったりする。いや、教育に関する発言、鴻上さんは結構たくさんしてるのだ。

 ……多分、鴻上さんは、演劇の道に進まなければ、教師になりたかったのだ。

 『ファントム・ペイン』は、鴻上さんのかつての作品同様、様々な映画や演劇の影響を受けて作られている。
 もちろん、『朝日』以来、全ての作品に影を落としているサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』は言わずもがなだが、もう一つ指摘しておきたいのは、黒澤明の『赤ひげ』だ。
 青年医師が、頑固一徹な老医師の指導の下、心を閉ざした少女の治療に成功する物語。実はこの二人の関係は、医者と患者のそれと考えるより、教師と生徒のものとして見たほうが理解しやすい。
 『赤ひげ』にこういうシーンがある。
 青年が少女に薬を飲ませようとするが一向に飲んでくれない。
 ところが、老医師「赤ひげ」が匙を差し出すと、初め同じように抵抗していた少女がやがて薬を飲んだ。
 いったい、赤ひげはどんな「魔法」を使ったのか。
 何も使ってはいない。赤ひげはただ匙を差し出し続けただけだ。つまり、「何もしなかった」。

 鴻上さんは教師になりたかったのかもしれない。しかしなれたとして、「よい」教師にはなれなかったろう(「よい教師」なんて概念自体、空中楼閣だが)。 なぜなら、鴻上さんには赤ひげのように「何もしない」ことが出来ない。
 何かをしなければならないと思いこんでいる。
 そして、何をすればいいか、正しく「よい教師」への道が見えていたからだ。
 しかし、これが大いなる罠なのであって、目の前に見える道は、それがどこへ続く道であろうと、決して最善の道ではありえない。
 それが現実だということを、「青二才」の鴻上さんは未だに知らないのである。

 「ファントム・ペイン」とは、「幻肢痛」のことである。事故などで失われた四肢がまるであるように錯覚すること。切断面の神経が圧迫されているために起こる錯覚だ。それをタイトルに選んだ理由について、鴻上さんはこう語っている。

 「例えば、ひとり旅とか、グループ旅行の思い出とかは延々語られていくわけだけど、別れた人と行った旅の思い出は二度と語られないと思うんだよな。
 そういうのはもちろん俺にもあるし、誰でもある経験だろうと。じゃあ、その語られなくなった言葉は消えてしまったのか。いや、もしかして、ふたりが共有していたモノに閉じこめられているだけかもしれない。もし、そのモノに込められた“語られなくなった言葉”を読みとることが出来る人物がいたら……」

 気がついているのだろうか、鴻上さんは。
 そんな人物の存在自体が「幻肢痛」であるということに。

 『スナフキンの手紙』の続編として書かれた本作は、「争いのない」平成の現代日本に飛ばされてきたパラレルワールドの人々が、かつての仲間たちと邂逅を果たすところから始まる。
 かつて、この世界に飛ばされるきっかけとなった、インターネット上のサイト「やんすネット」を通じて語られていた謎の言葉、「スナフキンの手紙」。
 それが、この世界にも「ある」というのだ。しかも、その言葉が語られているサイトの名は「やんすチャンネル」。
 彼らは、その管理人に会おうとするが、彼は今まで20年も自室に「ヒキコモリ」の状態でいた。パラレルワールドの人々は彼を外に引き出すため、ヒキコモリの部屋を前にしての、「岩戸神楽」を試みていく……。

 ……お客さんはね、ここから大いに盛りあがってたのよ。
 役者たちが次から次へとヒキコモリくんを呼び出すための方法が楽しくて。
 「楽しいことをすればいいんだ!」
 カンケリ、サッカー、フルーツバスケット、ミュージカル、etc.……。
 どれもヒキコモリ君の心には届かない。
 ……届いてないのに、どうして観客はああも笑えるか?
 いや、笑ってていいんだよ。
 ヒキコモリくんも、そして舞台で飛びまわってる役者たちも、そして実は観客たちも、みんな「舞台」という名の部屋に引きこもってる人たちなんだから。

 私がどうにも不快に陥ってしまったのは、このときのミュージカルシーンで、役者全員が唐突に「一緒に滅びましょう」と歌ったことだ。
 このセリフは、ヒキコモリくんに投げかけられたセリフでもあるが、観客に投げかけられたセリフでもある。
 それで一気に気持ちが覚めていった。
 なぜ、私があなたたちと一緒に滅びなければならないのか?
 コトバを逆転させようと、本質的な意味は変わらない。このセリフにあるのは陳腐な共同体幻想であって、鴻上さんがやったことは、「私たちと一緒なら幸せに慣れるよ」と誘うただの「宗教の勧誘」にすぎない。
 そして、カーテンコール、「信者」たちがあちこちで立ちあがり拍手を送る。
 ……彼らの中のどれだけが、「一緒に滅びましょう」の意味に気付いたというのだろうか?

 だからこその封印、ということなのであろうか。
 劇団が封印されるだけではない。
 観客もまた、「第三舞台のファン」という立場を追い出され、どこかに閉じ込められるのである。
 かつて、第三舞台の芝居に熱狂し、公演のたびにかけつけていた同世代の客たちは、今、殆どいなくなっている。
 小劇場ブームは、結局、一過性の流行現象でしかなかった。
 オトナになり、演劇を生活の必需品とする習慣の消えた人々、言わば、劇団との共同体幻想を持ち得なくなっている人々は、とうに第三舞台から離れているのだ。
 劇場に足を運ばなくなった彼らこそが、「語られなくなった言葉」なのだ。
 彼らが姿を消したのは、鴻上さんが「言葉をないがしろにしてきたツケ」だとは言えまいか。 

 しげやよしひと嬢はそれでもまあ満足したようである。
 「役者がみんな『芝居が大好きだ!』って感じがいいの。第三にストーリーなんか期待してない」
 と誉め言葉になってないことを口にするしげ。
 役者の何人かについて、自分たちの芝居と比べて、あれこれ見習わなければ、などと話し合う。
 特に、今度私が書いた脚本の中に登場させたヤツとよく似たキャラがこの『ファントム・ペイン』にも出てきたもんだから、「あんな風に演じればいいんだよねえ」などと某くんへの愚痴を言うよしひと嬢。
 ……なんかシンクロしてんなあ、とつい思っちゃったのは、その「よく似たキャラ」を演じてたのが、私の高校時代の友人で、池田成志というやつだったからだ。すごく親しいというわけでなくて、普通の友達の間柄だったので、卒業後特に連絡をとってはいなかったが、間に知り合いを介在して、今でもちょくちょく近況を聞いたりしてはいるのである。
 ……本人も役がらそのまんまなやつなんだけどね。


 帰りにロイヤル・ホストで三人で食事。
 よしひと嬢、会社の悪口を言いまくる(笑)。
 大分疲れがたまっていたので、タクシーにでも乗ってさっさと帰りたかったが、いかんせんそんなカネはない。
 ……パンフレットがなあ、DVDつきで、3600円もしやがったんだよ。……こういうときは、別売りにするもんじゃないのか?


 帰宅して、慌ててトイレ掃除、しげは風呂の準備。
 こういう時、結局汚いほうを私がやるのだ。つくづく性格の悪い女房に引っかかっちまったなあ。

 録画しておいたNHK教育の新番組アニメ『おいでよ! ヘナモン世界 カスミン』第1話を見る。
 全く前情報ナシに録画したんだが、なんと、『クレヨンしんちゃん』の元監督、本郷みつる氏だったのだった!
 更に更に、キャラクターデザインは『おじゃ魔女どれみ』シリーズの馬越嘉彦、制作は『To Heart』のオー・エル・エム。どういうわけだか「ヘナモン監修」に荒俣宏(^o^)。つまり「ヘナモン」ってのは妖怪なわけだ。
 こりゃ結構強力な布陣ではないかな?
 なるほど、日常的な描写がなかなか細かくて上手い。主人公の春日カスミがベッドにポンと横たわるときに足なんかが投げ出される感じ、華奢な重さが感じられててすごくいいぞ。
 両親がアフリカに行くことになったカスミの下宿先は、なんとオバケ屋敷だった、って設定はありきたりなんだが、そういう細かい描写で見せる。少なくとも、これまで観てきた新番アニメのなかじゃあ、出来は格段にいい。
 ……でも気がついてみたら、毎週楽しみに見てるアニメが段々少女ものに傾いてきてるなあ。
 あ、いや、別にちっちゃな女の子が好きだからってワケでは(^_^;)。

 『ヒカ碁』『ナジカ』をよしひと嬢に見せる。
 やはり原作ファンなだけあって、『ヒカ碁』はお気に召さなんだご様子。
 後は疲れてみんな眠る。……久しぶりに私はイビキをかいたらしい。また鼻詰まりが再発し始めたかな?

2000年10月13日(金) 病気自慢と白髪三千丈と……ね、眠い/映画『レッド・ブロンクス』


2001年10月12日(金) それはそれ!/『ゲッベルスの贈り物』(藤岡真)ほか

 オタアミ当日まであと43日! 43日しかないのだ!


 朝方、随分涼しくなっているのだけれど、日中、陽射しが指すとじんわり汗ばむ日が続く。
 今日、やっとワイシャツを長袖にしてみたのだけれど、暑い暑い。明日からまた半袖に戻そうと決意。
 

 仕事が忙しいので、無理やり息抜きの時間を作って本を読む。
 こういう時ほど本がどんどん読めてしまうのはなぜだろう。時間がゆっくりある時にはたいてい居眠りしちゃうのに。

 藤岡真『ゲッベルスの贈り物』(創元推理文庫・672円)。
 創元推理文庫が、90年代に入って才能のある新人さんをどんどん発掘してくれてるのはミステリファンとして単純に嬉しく思う。
 先日読んだ青井夏海の『虹の事件簿』も面白かったし。
 この藤岡真のデビュー作も、1993年に一端発表されてすぐ絶版になったものだとか。こういう「幻の」ってヤツは当然「幻」になるだけの理由があるわけで、傑作か超駄作かそれを確かめてやろうって思うだけでもココロがワクワクしてくる。
 著者は博報堂に勤めてて、VOW者でもあるそうで(^o^)、いかにも「怪作」っぽい気配だ。
 タイトル見ると、何かスパイものか何かかなんて思っちゃうでしょ?

 実際、物語は、ドイツ降伏、ヒトラー自殺直後のUボートの中から始まる。海軍大佐、飛良泉英雄に与えられた最後の任務は、最終兵器、コードネーム「ゲッペルスの贈り物」を日本に届けること……。
 でも次の章で、おハナシはいきなり現代日本に飛ぶ。
 人気俳優、剣城直樹が、その秘密の恋人、真弓にビルの28階から突き落とされ殺される。
 更に次の章、人気爆発中の謎の女性アイドル、「ドミノ」の正体を探るように命令されたプロデューサー、藤岡真のところに真贋いずれとも判別し難い情報が次々にもたらされる。
 メディアにビデオテープのみが送りつけられ、一切姿を現さない「ドミノ」とはいったいナニモノなのか?

 ……どうですか?
 三つの、何の関わりもなさそうな出来事が段々一つに収束していく……ミステリーではよく使われる手ですね。既に最初の3章で、トリックは仕掛けられています。
 多分、ミステリを読みなれてない人は引っかかっちゃうんじゃないかなあ、と思いますが、先にちょっとご注意申し上げておいた方がいいでしょう。

 この作品に散りばめられたトリックは、どれもこれも、「かなり」インチキです。

 っつーか、トリックのためのトリックであって、必然性がない。マジメなミステリファンなら絶対怒るだろうなあ。

 ミステリの「アンフェア論争」は、クリスティの『アクロイド殺し』以来、様々な作品で論議されてきたことだけど、たいていそこで問題になったのは「叙述のトリック」、つまり犯人ではなく「作者」が読者にトリックをしかけてもいいものかどうか、ということだった。
 私は基本的にそれは構わない、と思っている。つまり、作者が読者にトリックを仕掛けなければならない必然性があった場合だ。
 そう考えると、『アクロイド』には「アンフェア」な部分などこれっぽっちもない。
 横溝正史の『本陣殺人事件』は、叙述のトリックを仕掛けないと、犯人の仕掛けたトリックまで露見してしまう危険性があった。これも「必然性」があったと言えよう。
 しかるに、この『ゲッベルス』には、それが全くないのだ。あるのは、作者の「意表をつきたい」願望があるばかり。これじゃとてもミステリとは言えない。これはただの「イタズラ本」だ。
 だから、最初の一章で、「これは作者にマトモなミステリを書く気がないな」と気付いてしまえば、後は殆どのトリックが芋づる式に露見するようになっている。

 ……もう、ある程度ネタバラシしちゃうけどね、いきなり「ゲッベルスの贈り物」なんてもの大仰に持ち出してきて、そしてその正体を明記しない、なんて、これで「謎」を提出した気になってるのがちゃんちゃらオカシイのだ。
 そんなもの存在しないに決まってるじゃないか。
 そんな最終兵器が実在してるんなら、どうしてドイツは自分たちでそれを使わなかったのだ。
 冒頭からトリックにもなってないトリックをカマしてくるあたり、この作者、相当ミステリってものをナメてるのである。っつーか頭がかなり幼稚。
 だからさあ、「犯人」をいきなり登場させてたら、そこにトリックがありますよ、と自分で宣言してるようなものじゃないの。ミス・ディレクションでタネのあるほうに注目させてどうすんのよ。
 いや、そのへんはともかくさあ、これ、時代設定が1993年ってことになってるけど、この時点では絶対不可能なトリック使ってるのよ。森博嗣の『すべてがFになる』にもそういう欠点があったけど、ハナからミステリ書く気なんてないなら、「これはミステリではありません」って明記しとくべきだと思うがな。
 だから、結論として、これはアンフェア以前に「インチキ」な作品なのだ。そのインチキさを楽しもうと思って読めば(つまりはトンデモ本ですわな)、まあそこそこの出来だとは言えようか。

 ……なのに、存外この作品、「本格ミステリ」として評判がイイらしいんだなあ。どこが?
 ただのバカミスで、笑い飛ばしながら読んでやりゃいいんじゃないかと思うんだけど。新本格が流行ってからっていうもの、読者のレベルも落ちたのかなあ。

〔付記〕

 六年も前の文章であるが、作者の藤岡真氏が、自身のブログでこの記述についての怒りを表明しておられるのを発見した。
 それについては、2007年8月9日の日記で「訂正」を記しておいたので、こちらにも転載しておく。

>「坊主憎けりゃ(2007/07/14)

> 曝してやるぜ。
> 九州でオタクアミーゴというイベントを仕切っている藤原敬之という男が、己のHPで書評を書いているのだが、これが惨憺たる代物で、頭と性格の悪さが如実に出ている。

> これは、そいつが書いた、『ゲッベルスの贈り物』の書評だが、後にも先にも、これほど無礼千万なものは見たことがない。
> 千野帽子さんがブログの、5月29日のエントリでも言っているように、素人だからといって何を書いても許されるわけではないのだ。
> 前々から苦々しく思っていたが、いい機会なので貼っておく。

> 馬鹿が書いた文章の見本のようなものだ。」

 『ゲッペルスの贈り物』の書評を書いて、ずいぶん時間が経っているのに、またどうして今更、という気もするのだが、タイトルを見て納得した。ああ、藤岡氏は私がまだオタクアミーゴスの関連者だと思っているのだなと。藤岡氏はと学会のメンバーでもあったので、唐沢俊一氏への怒りがこちらにも飛び火した、ということらしい。私が唐沢氏の腰巾着の一人か何かだと思っておられるのだろう。
 そこんとこは完全な誤解なので、記しておかなきゃならないだろうけれど、もう何年も前にAIQとは縁が切れている。今頃になっていきなり「袈裟」扱いされても困るのである。第一、AIQにいた頃だって、ただ所属してただけであって「仕切ってた」なんてことは全くない。
 私は今も昔も、唐沢俊一氏の「著書」のファンではあるが、それにしたところで別に「唐沢信者」というほどではない。AIQにいた頃だって、いや、その以前から、唐沢氏の著書に間違いが多いことは日記で結構指摘しているのである。
 AIQに入ったのだって誘われたからであって、自分から進んでではないのである。というか、よく入れる気になったと今でも思うが、恐らく私の日記をよく読んでいなかったのだろう(苦笑)。

 それはそれとして、私の書評に対する藤岡氏の怒りは感情論としては理解できるものである。誰だって、自分が精魂込めて書きあげた作品を頭ごなしにつまらんと言われたら、腹が立つだろう。
 かと言って、読者だって、作者に阿って誉めた文章だけを書くしかないなんてリクツがあるわけでもないので、つまらないと感じたものはそう書くしかない。腹を立てるなら立ててください、としか言いようがないのである。

 更に言えば、藤岡氏は、千野帽子さんのブログを引用して(ここの部分だろう→「素人はなにを言ってもよくて、作家は素人に反論できないと考えている人がいるようですが、ウェブだろうが商業媒体だろうが、原稿料が発生しようがしまいが、著名人だろうが無名人だろうが、人に見えるところで発言する以上は批判されることは折込み済みのはず。作家に弄られるのが嫌なら感想などネットに公開するな。」)いるが、私は別に自分の文章に対して反論がないなんて考えているわけではない。
 逆に、千野さんと全く同じことを、これまで何度も日記に書いてきている(もう一つ、付け加えるなら、作家さんに喧嘩を売るために書いているわけでもない)。

 だから、こうして藤岡氏に私の文章を晒されても全然構わないし、それどころかまさしくこんなドシロウトの馬鹿な文章に「馬鹿」とマットウな評価を下してくれたことについて、逆に驚きと言うか、読んでくれていたのかとありがたくさえ思うのだが、私ごときにありがたがられたところで藤岡氏には迷惑なことであろう。
 こちらが素直に喜んでいるのを今度は阿ってくるのかとまた誤解されても何なので、このまま怒っておいていただくしかあるまい。
 従って、『ゲッベルスの贈り物』についての再反論もするつもりはない。

 藤子・F・不二雄氏が、『エスパー魔美』の一エピソードで描いていたと思うが、「作家が作品を描く。批評家がそれを貶す。作家がその批評を見て怒る。それでおしまい」なのである。 (2007年8月10日記之) 


 仕事から帰ってみると、しげ、ようやく病院に行って、セキドメの薬をもらってきていた。
 「注射打ってもらったか?」
 と聞くと、
 「熱はないから」
 と、またウソをついて逃げていた。昨日は「熱があるよう」と泣いていたくせに。
 今日になって熱は引いたと言いたいのだろうが、だったら病院だって行かなくていいんじゃないか。ともかくなにをやるにつけても一足も二足も遅いのである。

 帰りがけにコンビニに寄って弁当を買ってきてやったのだが、しげもほか弁を買っていた。
 マンガを買うときなんかもそうだが、結構お互いに考えがシンクロして、買い物がかち合うことが多いのである。それを回避するためには出来るだけ仲を悪くしてた方がいいのかもしれない。でもそうすると、今度はお互いに何も買わないで、一日ずっと日干しってことにもなっちゃうので、なかなかうまいこといってくれない。
 とりあえず、しげの食べ残しを食べる。
 かつとじなどの丼もの、胃にもたれるナァ。


 ビデオで仕掛けておいた『明智小五郎シリーズ� |懃畸法抔�る。
 当然、再放送で、本放送は1989.11.15。もう10年以上前だ(森尾由美が探偵助手をやってるくらいだものなあ)。
 明智小五郎は小野寺昭で、これほど知性を感じさせない明智は、『D坂殺人事件』の郷ひろみとタメを張るほど。にやけた好青年の明智なんて毒にも薬にもならんわ。
 他のキャストもなべおさみの浪越警部といい、畔柳博士の本郷功次郎といい、気の抜けた芝居しかしていない。いや、何より脚本が何も考えていない。ミステリをやりたいのかサスペンスをやりたいのか、狙いがなにもないのだ。
 ……2作で終わったのも当然だよな。


 しげが仕事に出かけた後、漫然と金曜ロードショー『マスク オブ ゾロ』を見る。
 劇場で見たときは、初代ゾロの妻がどうしてロリータじゃないんだとか、原作との違いに目くじら立てつつも、それなりに楽しんで見てたので、まあ、吹き替え版には特に注目してなかった。
 ところがどっこい、なかなか面白いキャスティングしてくれましたねえ。
 主役のアレハンドロ/2代目ゾロ(アントニオ・バンデラス)には森田順平、ドン・ディエゴ/初代ゾロ(アンソニー・ホプキンス)には樋浦勉。
 いや、主役陣はいいのよ、驚いたのは敵方のドン・ラファエロ・モンテロ(スチュアート・ウィルソン)、これをアテレコしたのが野沢那智!
 ……おわかりですか? かつて『アランドロンのゾロ』を吹き替えしたのは、もちろん、ドロンのフィックス俳優である野沢さん。つまり本作は、新旧ゾロの対決バージョンになっていたのですよ!
 いやあ、野沢さんの切れまくった悪役ブリの凄まじいこと。
 「ムぅスメを殺すとでも、おもぉったくわァ!」
 アンタ、その演技、時代劇だよって、こりゃアチラの時代劇だったか(^^)。
 こういうイキなキャスティングがあると、吹き替え版もなかなか捨てたもんじゃないと思えるのですな。


 今月からCSキッズステーション『アニメぱらだいす』がリニューアル。パーソナリティーが飯塚真弓から野川さくらに変わった。
 ……って、別に声優オッカケなんてやってないんだってば。
 『吠えろペン』の島本和彦がゲストに出ていて、なんでもない言葉でも力説すれば名ゼリフになる!」と力説していたのに大笑い。
 「それはそれ!」って、大ゴマで言われりゃ確かに納得するものなあ。これが言霊の力ってやつ?
 「『ふとんがふっとんだ』ってギャグだって、普通の布団が風で吹っ飛んだと思って描いても面白くない。高級羽毛布団がダイナマイト百本で吹っ飛んだと思って描くとスゴイ迫力が……私は何を言ってるんでしょうね?」
 いや、島本さんは何を言っても「許す!」。

 同じくキッズステーション『鉄人28号』26話「ロビーの最期」。
 う〜ん、ちょっと自信がないが、ドラグネット博士の声、巌金四郎じゃないかなあ。……わかんない人のために言っとくと、黒柳徹子の大センパイでNHKで声優指導をしていた大重鎮、昔の東映動画にはしょっちゅう出ていて、『西遊記』の牛魔王や『わんぱく王子の大蛇退治』の火の神なんかを演じてる。
 こういう昔のアニメは資料が散逸してることが多いんで、聞き取りで確認するしかないのだ。
 ……『鉄腕アトム』のハム・エッグが江幡高志さんだったって知ってた?
 正太郎がドラグネット博士を追いつめる時、「博士はガラス窓は実験の失敗で割れたと仰いましたが、ガラスの破片が部屋の中に落ちているのはどうしてですか?」と問詰めるあたりは、さすがは少年探偵。っつーか、そんなすぐわかるウソつくなよ、博士のクセに頭わりーぞ。

 この26話から、あの『彼氏彼女の事情』でも有名な正太郎マーチに歌詞がついたらしい。
 でも曲が先にあったせいか、どうにもメロディーにうまく乗っていない。……曲は好きなんだがなあ。歌いにくいよなあ。
 『アトム』も歌ってる上高田少年合唱団が合唱してるんだが、サビの部分(「ぼくは正太郎 まけるものか」の部分)がボーイソプラノなのは、さすがショタコンの元祖♪ 今聞いても萌える同人女が出るんじゃないか(^^)。
 『独立少年合唱団』(美少年好きはぜひ見たまえ)には、正太郎マーチを歌わせればよかったのだよ。
 さあ、サビの部分は裏声で歌へ!

 進め 進め 空へ海へ 進め 進め チャンスだぞ
 鉄人 ぼくらについてこい 力あわせ ガオーと進め
 ぼくは正太郎 まけるものか

 急げ 急げ SOS 急げ 急げ ピンチだぞ
 鉄人 ぼくらがついてるぞ 力あわせ ガオーと進め
 ぼくは正太郎 まけるものか ぼくらは仲間だ 正太郎進め

2000年10月12日(木) 乳の電話と江戸のエンコーと胃袋女と/『十時半睡事件帖 おんな舟』(白石一郎)ほか


2001年10月11日(木) なぁじぃかは、知ぃらねぇどぉ♪/『ナジカ電撃作戦』第1話「華麗なるエージェントは 一輪の薔薇と共に」ほか

 オタアミ当日まであと44日! 44日しかないのだ!

 ホントにないのだ。
 うーむ、この「エンピツ」には既に5万人近い方が登録されているというのに、誰か一人くらい、「オタアミに行くよん」と仰る方はいらっしゃらないのかなあ。
 ……いや、登録されてる方は5万人でも、この日記に目を通されてる方はせいぜい数十人程度だろうってことはわかっちゃいるんだけどさ。
 エリア検索をすると、福岡に住んでらっしゃるって登録されてる方が90人くらいおられるようなので、いっそのこと全員にメール送っちゃおうかなんてことすら考えちゃったのだが、すんでのところで留まった。
 イカンイカン、またちょっとココロがどこかにイキかけてるぞ。
 

 仕事、更に遅くなる。
 でも実はこれが苦痛ではない。
 私は自分の職業について、社会的な観点からいえば、ハナクソほどの価値もないと考えているものであるが、だからこそ社会にはなくてはならないものだとも思っているのである。
 いわゆる「無用の用」ってやつだね。
 自分が今「ムダなことをしているなあ」と感じることが、とても快感だったりするのである。


 見損なうといけないと録画しておいた、WOWOWアニメ『おとぎストーリー 天使のしっぽ』第2話「トラウマなんて、こわくない! 」。
 やっぱりというか、早くも2回目にしてドラマ展開は第一話の拡大再生産。
 キンギョのラン、インコのツバサ、ハムスターのクルミに続いての新登場はネコのタマミ。赤ん坊少女じゃないのか(^o^)。
 猫だから当然金魚もインコもハムスターもかなわない、ってところがミソか。……でもそう考えると、12人出るというペットたち、同時期に飼ってたわけではないようなので、飼い主の悟郎、ホントにペットを短期間で殺しまくってたんだなあ。それが守護天使となって転生って……復讐の間違いじゃないのか(^^)。


 帰宅が8時だったってのに、しげが帰ってきたのもその直後。
 帰るなり、「熱がある」と言って倒れこむ。
 やはり具合が悪いまま自動車学校に行って、しかもその足で立て続けに鴉丸嬢たちと芝居の練習をしていたのだ。
 そんなんどうして中止にせんかなあ。
 「鴉丸さんちでバファリンもらったから」
 いや、あのね、それが周囲に気遣わせてるってことじゃんかよ。
 自分がメイワクかけてるんだって認識自体、できなくなってるのか。もう、熱で頭がイッちゃってるのだろうな。
 ムリする必要のないことでムリをすればそれはムリじゃないって見なされちゃうものだ。っつーか、私はもうそう見なした。
 それでも今日は仕事が休みだそうで、睡眠だけは取れる模様。
 だったら、私に絡んで来ないで、さっさと風呂入って寝てろ。
 最近の説では、寝冷えさえしなければ、風呂に入るのは風邪によいそうだし。でもしげの寝相はとてつもなく悪くて、かならず掛け布団を蹴飛ばし、ヘソを出して寝るので、まず確実に寝冷えするのだ。
 ……明日も風邪は治ってないな。


 CSキッズステーション『ナジカ電撃作戦』第1話「華麗なるエージェントは 一輪の薔薇と共に」。
 疲れても疲れても今日も新番を真夜中に見る私ってとっても健気(んなわけあるか)。
 ああ、でもこれはスゴイです。
 チラッと噂は聞いてましたが、これは確かにスゴイ。
 監督があの西島克彦ですよ、『うる星やつら』(「ROCK THE PLANET」のOP)の、『プロジェクトA子』(宮崎駿に「セーラー服の美少女が機関銃ぶっ放すようなアニメ作ってちゃダメだ」と言われて「営業妨害だ!」と叫んだ)の、『炎の転校生』(世界初のOLAなんて誰が見てるってんだ)の西島克彦。
 ……まあ、マトモなアニメにゃなるまいとは思ってたが、これはなんですかあ?
 ただひたすら美少女のパンチラを見せるだけのアニメじゃんか!

 いや、ストーリーがないわけじゃない、とゆーか、シナリオ自体は超シリアス(『蒼い瞳の銀鈴』のもりたけし)なだけに、このパンチラ(っつーかパンモロ)度の異常な高さとのギャップがありすぎるのだ。
 一流の調香師で、実は秘密組織のトップエージェント、柊七虹香(ひいらぎなじか)。今回の任務は大富豪のマダムが誘拐した美少女の救出。
 愛機ハインドを駆り、厳重なセキュリティ網をかいくぐり、マシンガンを手にしたメイド達が守る城に忍び込むが、そこで救い出した少女は……。
 このノリはもう、『電撃フリントGOGO作戦』か『スパイ大作戦』かって感じで、本格的スパイアクションというキャッチコピーは伊達じゃない。これが本家OO7そのままってわけじゃなくて、ちょっとC級なお色気アクションっぽくなってるところが実にイイのだ。……『ハニーにおまかせ』もちょっと入ってるかな?
 ……だいたい、動きやすいジャケットで潜入しておきながら、城に忍び込む段になってミニスカとタキシードに着がえるってのはなぜなんだよ(^^)。
 ところどころ雑な作画もあるが、概ねレベルは高い。音楽も明らかに60年代スパイアクションを意識したジャズ(『カウボーイビバップ』もそうでしたな)。こうなるともう至れり尽せりといった感すらある。
 ラストは、任務を終えたナジカのもとに現われるあの誘拐された美少女。しかし、その目の光は……。
 この続きは次回のナジカタイム、ナジカチャンネルで! ……ロイ・ジェームスでした♪

2000年10月11日(水) スパイと台湾論とこげぱんと/『こげぱん』(たかはしみき)ほか


2001年10月10日(水) 新番レポート復活!/アニメ『テニスの王子様』&『ヒカルの碁』第1話

 オタアミ当日まであと45日! 45日しかないのだ!


 残業が段々増えてきたけれど、まあ、今が1年で一番忙しい時期なので仕方ないかな。
 おかげで本がじぇんじぇん読めないのはツライが。
 ちゃっちゃか仕事片付けて慌てて帰宅したけれど、『スクライド』も『シャーマンキング』も『X』も見逃した。
 ……どうしてビデオを仕掛けて置かなかったのかって?
 それがねえ、昼間やってた、古谷一行版『病院坂の首縊りの家』の再放送を仕掛けてたのよ。駄作だって知っちゃいるんだけどさ。


 『テニスの王子様』第1話「王子様現る」。
 うわあ、すげえタイトル(^^*)。
 思わず『新機動戦記ガンダムW』の第1話を思い出してしまったが(あれっスね、「ヒイロは……星の王子様?」っていうリリーナ様のぶち切れてるセリフのことです)。
 本編中、ホントに「あれはテニスの王子様さ」のセリフがあってのけぞる。原作は読んでないのだけれど、多分元からあるセリフだろう。……まず間違いなく『ガンダムW』見てるな、原作者。
 これで制作がサンライズだったら笑えるんだけれど、トランスアーツってとこらしい。うーむ、今まで余り聞いたことない。何作ってたのかなあ。
 作画はまあこんなもんかってレベルで、テレビアニメとしてはごく普通。
 でもテニスボールが時折はっきりデジタルって判っちゃうのはマイナス要因。ボールのスピード感や空気を切る感じが全く表現できていないぞ。
 『キャプテン翼』も予告編見たかぎりじゃサッカーボールをデジタルで動かしてたけど、なんでもかんでもCGだのデジタルにすりゃいいもんじゃないって、いい加減気付けよなあ。
 「効果」のない技術はただの手抜きだ。

 ストーリーは良くも悪くもジャンプアニメ。
 主人公の越前リョーマ(すごいネーミングセンスだねえ、こりゃ)にバカでヤンキーな高校生が絡んできて、そいつをテニスでコテンパンにするって展開も定番と言えば定番。
 けれど、「テニスマンガ」といえば誰もが真っ先に思い出すであろう『エースをねらえ!』、あの存在が余りに大きすぎて、少女マンガはおろか少年マンガでも、「これは面白い!」と言えるテニスマンガがなかなか生まれてこなかったことを考えると(『テニスボーイ』なんか、全部読んでるはずなんだが、筋ほとんど忘れてるくらい印象が希薄)、真っ向勝負の本作はなかなか勇気あるアニメ化と言えるんじゃないか。
 だいたい『エースをねらえ!』って本質的にはテニスマンガじゃないし。
 エアチェックまではしないけど、キッチリ「テニスアニメ」している本作は意外な拾いモノになるかも。


 『ヒカルの碁』第1話「永遠のライバル」。
 原作の小畑健さんの絵の魅力をどう伝えたらいいだろうか。
 『ヒカ碁』を読んでる人に対しては言わずもがな、全く読んでいない人や、このアニメで初めて『ヒカ碁』を知った、という人に対して、「原作はあんなもんじゃないよ」と言ったって、さて、原作ファンのヒステリーと思われかねないのがツライ。
 でも、ホントに「あんなものではない」のだけどね。
 原作は、静止画でありながら、その一枚絵から登場人物の息遣いさえ聞こえてきそうなリズムというか、「間」を感じさせてくれる絶品。
 作られた「間」で成り立っているアニメじゃあ、あの「空気」はとても伝えきれない。
 ……そうだなあ、覚悟してたことではあるけれど、やっぱり、「空気」が希薄なんだよ。アニメには「物語」はあっても「空気」がない。

 1話にまとめるためだろう、原作と違って、ヒカルの爺ちゃんの登場はなし。 Aパートで佐為との出会いが慌しく描かれ、Bパートではもう塔矢アキラとの最初の勝負だ。
 30分番組としてドラマを構成するための改変だろうけれど、そのせいで、ヒカルと佐為の出会いがアッサリしすぎてしまったキライがある。
 ……幽霊に取り憑かれちまったってのに、もう少し葛藤があったっていいんじゃねーか?
 でもこのへんは実は瑕瑾だ。

 一番の問題点は、やっぱりというか、「囲碁のシーンが盛りあがらない」点にある。
 専門用語の解説を省いて、勢いを殺がなかったのはいいが、肝心の作画がただのネット碁だ(-_-;)。碁石の重みがまるでないのな。おかげで「音」が全く聞こえてこない。
 声優について言えば、ヒカルの川上とも子はありきたりで個性に欠ける。そのせいでドラマを作り損ねてる部分が結構大きい。
 所々、声が上ずるような演技は、まるっきり「ウテナ」のときと同じだし、作画されてるヒカルの演技にも全く合っていない。
 「ミト」のときには一瞬、これが川上とも子? と思うくらい、ウテナの時とキャラを変えることができていたのに、今度のヒカルは明らかに「流した」芝居をしているのだ。
 ……なあ川上さん、アンタまだベテランって言うには、キャリアが全然浅いだろう? 流した演技するのはちと早すぎるんじゃないかい? もっと自分の演じてるキャラがなんなのか、考えて演技プラン立てろよ。
 佐為の千葉進歩は悪くはないって感じで、アキラの小林沙苗、意外に押さえた演技が光ってる。
 碁会所の市河さんは、また雪乃五月だ。
 なんだか最近、ヒロインときたら雪乃さんが使われてるが、ポスト林原めぐみを狙ってたりしてるのか?


 しげ、具合悪し。
 どうも風邪らしくノドが痛い、熱がある、気分が悪いとウルサイ。
 「んじゃ、明日病院に行けよ」と言うが、「自動車学校があるから行けない」と言う。
 またそんなウソを平気でつきやがる(`´メ)。
 自動車学校が朝から晩までやってるはずがなかろうが。
 合間に医者に行って、注射の一本でも打ってもらえる時間くらい、ないってことはなかろう。
 しげのバカタレは、本当は医者に行って、注射されるのが怖いだけなのだ。
 キサマは小学生か。
 そんなんで風邪を長引かせて、あまつさえ私にまで風邪を移すようなことをしでかされたらと思うと(実際、今まで何度もそんな目にあった)、それ以上同情する気になれない。
 医者に行かないなら勝手にしろ。その代わり看病はせん。
 自分で自分の首を絞めてるようなアホウに付き合ってなんかいられんわい。


 米が切れているので買い物に行く。
 生ビデオテープも残り少ないので買っておきたいのだが、連日帰宅が遅くなってるので、もう近所のベスト電器もヤマダ電器も閉まっている。
 仕方がないなあ、今まで録画したテープの中から、もう消してもいいものを選んでいくしかないなあ。
 ……で、それが選べるんなら苦労はないんだってば。
 牛肉が以前にも増して安くなっている。
 昨日の品が今日も売れず、一日に百円単位で値下がりしていっている。
 150gの国産牛ステーキが、一昨日600円だったのが今日はなんと400円。
 アメリカ産のカルビが400gで780円だから、それよりは高いが、今までボッてると言われてもいいくらいの高値だったことを考えると、すごい安値になってることは間違いない。「この肉は安全です」の張り紙もなんの効果もないようだ。
 ホルモンが200gで100円。これは絶対大安値。
 ギョーザが18個入りで150円。タダみたいなもんだ。
 世の中、バカが多いもんで、こんなにお肉が安く買えました。ああ、バカって素敵!


 自衛隊を派遣するための法制化が進んでいるが、「現地に行っても自衛隊にすることがあるのか?」なんて言い出すヤツが出る始末だ。
 はっはっは、笑っちゃうなあ、最初っから「役に立たないのはわかってるけど、とりあえず送り出しとかないと『国際貢献』したことにならないから」、って外面作るのが目的だったんじゃないのか。今更、内実まで伴わせようってのはゼイタクってもんだろう。
 小泉首相、国会答弁で「危険区域でないところに派遣」なんて、ますます「役立たずで何が悪い」に近い開き直り発言。いや、開き直りになってるって自覚すらないよな、ありゃ。
 言わずもがなだが、「危険区域」に行かなきゃ、補給も救助もできやしないのである。全く、何しに行かせるつもりなんだか。首相を責める野党だって、「対応が遅い」と文句つけながら、対応し始めたら、今度は足引っ張ってジャマしようというデタラメを繰り返している。
 楽しそうだねえ、みんな。


 BSNHK『チャップリンの殺人狂時代』。
 もう何度見たか分らないくらいだが、見返してみるといろいろ発見がある。
 ヴェルドー氏のラストのセリフ、てっきりあの有名な「一人を殺せば犯罪者だが、数万人を殺せば英雄だ」だと思い込んでいたけど、あのあとがあったのだね。
 死刑執行を前にして「ラム酒はどうだ?」と看守に薦められて、いったんは断るヴェルドー、ふと思いなおしてグラスを手に取り「いや、頂こう、まだ飲んだことがなかった」。
 ……こっちのほうがもしかしたら、「解りやすい」前のセリフより、ずっと「重い」のではないか。

2000年10月10日(火) 失敗合戦と治らないケガと異父兄妹と/『ムーミン谷への旅 トーペ・ヤンソンとムーミンの世界』



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藤原敬之(ふじわら・けいし)