無責任賛歌
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| 2001年09月04日(火) |
虚構としての自分/『マンガと著作権 〜パロディと引用と同人誌と〜』(米沢嘉博監修) |
しげがパソコンの壁紙を私の写真にいきなリ変えた。 生活時間帯がすれ違いになっちゃって、寂しいのだろうけれど、自分の顔を見ながらパソコン扱うこっちの身にもなってみろってんだ。 ……キモいぞ。 もしかしたらしげ、定期入れにこっそり私の写真入れとくような真似してないだろうな。 ああ、背中が痒い。 スクリーンセイバーには「バカぁ!」なんて文字は流れてるし、いったいなにが不満なんだか。
今日の言いそこ間違い。 パソコンにずっと座りっぱなしの私に、しげが「何してんの?」と聞くので、返事をして、 「じっくり湯灌かけてるんだよ」 わはは、トフスランとビフスランだな。 めったに言い間違いをしない私だが、たまにはある。珍しいことなのでちょっと記録しておこう。 でも、言い間違いは無意識の願望の表れとフロイトは言っていたが、「じっくり湯灌」ってなんの願望を表してるってんだ。こんなもんでもリビドーの象徴なのかよ。 今時、フロイト学説信じてる心理学者もそうそういないだろうがね。
仕事に復帰して以来、職場ではいろいろと面白いことが起きているのだが、全部、私の職業がバレてしまうものばかりなので書けない。 こっそりどこかに書いておいて、私が死ぬ間際に公開してもいいのだが、そこまでするほどのネタでもないからねえ。 まあ、世の中にスネにキズ持ってない商売ってのもなかろうから、ちょっとくらいウチのネタバラシしたって構うまいとも思うし、内部事情を少しはリークしとかないと、どこまで図に乗るかわかんねえよな、ウチの職場ってコトもあるんだけどねえ。 でも、どっちかっつーとウチみたいな下請けの下請けみたいなところ一つ潰したって、オオモトがしっかりしてくれないことには何も状況は変わらんのだ。 だいたいウチは商売広げすぎなんだよ、客は年々減ってるってのに。 需要がないんだったら、思いきって、事業をもっと縮小した方が絶対いいよな。客の数だけの問題じゃなくって、質もどんどん落ちてっからさ、思い切ってムダな顧客を切ってくってのはどうかな? 半分でいいよ、今の。 もちろん、リストラも断行するのだ。そうすりゃ、予算も節約できるんだけどなあ。 え? 私がリストラされたらどうするんだって? そんときゃ更に下請けんとこ行くから平気。そっちは逆に人手が足りなくて困ってるみたいだから。 ……私の商売知ってる人にはのけぞるようなセリフだろうな(⌒▽⌒) 。
で、仕事は昨日から炎天下での作業だ。 大工さんみたいな仕事してますが、私の商売は大工さんではありません。さあ、何でしょう? しかし、病院にずっといたせいで全然気づかなかったが、真昼ってこんなに暑かったんだなあ。ちょっと遅目だけれど、ようやく日焼けし始めた。 かと言って、「健康美」になったってわけじゃないけどね。
残業のせいで、帰宅したのが午後8時。 外はもう暗い。夏も終わりなんだなあ。鳴いてるセミも、もうツクツクボウシばっかりだ。 帰り道、いきなり鼻の穴に向かってカナブンが飛びこんできて、スポッとハマる。ビックリして「フンッ!」と鼻息でふっ飛ばしたら、そのままカナブン、どこかに飛んで行った。 ……いや、ツクリじゃないっスよ。 こういう珍しいこともあるのだなあ。眼に小さな虫が入る、なんてことは経験した人もいるかもしれないが、「鼻の穴にカナブン」ってのはほとんどいないのではないか。 これぞ盲亀の浮木、優曇華の花、一生に一度あるかないかの稀有な出来事なのではないか。……ってたかがカナブンでなに盛り上がってんだろうね。
コンビニに寄って、今週の少年ジャンプ『ヒカルの碁』を立ち読み。 先週、読み損ねていたので、ヒカルの佐為探しの旅はどうなったのかと思ってたのだが、今週号を読む限り、結局見つからないままだったらしい。 ヒカルはすっかり囲碁への情熱を無くし、アキラが尋ねて来ても逃げるばかり。……見事に「力石なき後のジョー」になっちゃってるなあ。 ここまで物語を引いてるってことは、早期の連載完結はまずないのだろうけれど、だとするとこれからもなんとかヒカルに囲碁を続けさせなきゃならないわけだ。 それこそ『あしたのジョー』パターンで行くならきっかけはたいてい「強力なライバル」の出現ってんだろうけれど、それも芸のない話だなあ。 やたら陽気でラテンな碁打ちとか、傭兵経験があって、地獄を見てきた碁打ちとか、ジャングルで育てられた野性の碁打ちとか(^o^)、そんなんが出てきたら笑うけど。 今週号のラストでいかにもな感じで伊角さんが再登場したけど、ヒカルを碁の世界に引き戻すキャラとしてはちょっと弱いんじゃないか。でもアキラはまだ成長しきれてないしなあ。 もうこうなったら本因坊秀策を転生させるしかないんじゃないか。
唐沢俊一さんの「裏モノ日記」に、「公開日記」についての記述があった。 以前、私もこの日記に書いたことだが、この「公開日記」という形式に、こんなに書きがいを覚えることになろうとは我ながら予想もしなかったことなのだ。 「自分の日記を人に見せびらかすなんて、自己顕示欲の表れじゃないか」としたり顔に批判する人はいるが、そんなことは指摘されるまでのことでもない。 ……書き手自身が一番よくわかっとるわい( ̄へ ̄)。 自意識の塊みたいなやつだからこそ、自分の悪筆がガマンできずに、若いころは日記を書き続けられなかったんだい。
実際、現代のようにネット環境が予め用意されていて、かつ自筆で書く必要がない、という条件が揃っていなかったら、私自身、1年以上も日記を続けていられていたかどうか、わからない。 入院中、久しぶりに自筆で日記を書いていると、昔の羞恥心がまざまざと蘇えってきて、自分のヘタクソな字を見るのがとことん苦痛になってしまった。初めのころはそれでもノートに何ページも書いていたものが、退院間近の最後の数日なんか、メモ書き程度しかできなくなってしまったのである。 「ああ、もしこれが全部自筆のままで残るんだったら、途中でやめちゃってたろうなあ」とつくづく思った。 作家の高村薫さんも「ワープロなかりせば」と何かのエッセイに書いていたから、これは悪筆にコンプレックスを抱くものの共通の感覚なのだろう。
他の方々の日記を覗いてみても、「投票してくださいね」と書かれてあるものが多いのは、やはり「自分の書いているものを面白がっている人がいてほしい」という願望の現れであろう。 その気持ちはわかるのだが、読者にそんな期待をしてしまうのは、日記を書く上ではやはりマイナスになってしまうのではないか。 ……ちょっと説明がややこしくなるが、「読者とのつながり」を必要以上に強くしようとすることは、畢竟、せっかく作り上げた「書き手」としての自分の存在を危うくし、「生の自分」を曝け出してしまうことになりかねないのではなかろうか。 何度となくこの日記に書いていることだが、この日記での私は、現実の私とは微妙に人格が異なっている。別にこれはウソをついているということではなくて、「日記を書き続けるための人格」を仮構しているのである。 例えば、素顔の私は、さびしんぼうで傷つきやすい繊細な感受性の持ち主なのだが(コラ、そこで笑ってるのは誰だ)、もちろん、そんなヤワな神経で日記を書き続けられるはずもないので、この日記上においては、ゴーマンかつ無責任な人格に自分自身を設定している。 パソコン通信どころか、『あしながおじさん』や『ポケット一杯の幸福』の昔から、手紙など顔が見えない間柄では、自分の姿形や性別、立場などを偽ることはある意味ごく自然に行われていたのだ。 男なのに女のフリ、またその逆もあり。みなさんは私のことを今までの文章からオタクな中年オヤジだと思ってるかもしれないが、もしかしたらそんなのは全部ウソで、可憐な女子高生かもしれないのだぞ。 ……って、誰が信じるかい。 ξ^▽〆 おーっほっほっほっ。
でも、冗談ではなく、私のことを「本当は女の人じゃないですか?」なんて聞いてきた人も過去にはいたのよ。全く、「なして?」と疑問符が頭の上を飛び交っちゃいますよねえ。 しげに至っては私のこの日記を読んで、「この人、自分に『しげ』っていう奥さんがいるって妄想にとりつかれてる人みたいね」なんて言いやがるし。 じゃあ、そう言ってるお前は何なんだよ。『粗忽長屋』の熊公か。 ……そう言えば、AIQのエロの冒険者さんも、以前、某ちゃんねるで、女性と間違えられていたなあ(^.^)。 こうやって日記を書いているということは、ある程度は自分の実像を錯覚されてもしかたがないと覚悟せねばならないのだろうが、どうして「私は男だ」と全身で表現してるような文章書いてるつもりなのに「女だ」と思われちゃうかな。 もっとも、それで腹が立ったわけじゃないけど。あまり男がどうだ女がどうだなんてことに拘りたくはないんだよね。別にネカマになるつもりはないんで、自分のことを「男だ」って言ってるだけであってさ。 でも、私のことを女だと思いたがる人については別に否定はしません。想像は読者の自由であります。
「日記が続かない」現象が起きてしまうのは、まさしく、実像としての自分と、日記上に表された虚構としての自分、更には読者との人間関係をうまくコントロールできなくなった結果なのじゃないかと思う。 そのことを唐沢さん自身、「日記上の自分」を「世の中とのしがらみで言いたいことも言わず、思ってもいないことを言う、その世間的存在としての自分の声が本当の声なのではないか」と書いた上で、以下のように説明していた。 「公開日記を書くという作業は、その、本音と世間との距離や位置関係を、自分で確認する行為でもある。よく、公開日記が途中で中断されたまま残骸のように放置されているサイトがあるが、あれはそういう距離をうまくとれずにしまった結果だろう」 まあ、書き手が自分のことを「こんな風に思ってもらいたい」ってのはゴーマンだってことなんだよな。
夜、なんとなく物寂しくなって、外出。 しげと自転車で「ブックセンターほんだ」まで。 夜中、自転車に乗るのは夜目の効かない私にとってはちょっと危なっかしい行為なので、本当は避けたいところなのだが、買い損なってる新刊もあるので、探しに行くことにしたのだ。 行き道、突然しげが変なことを聞いてくる。 「……歌舞伎町で火事があったよねえ。こないだから気になってるんだけど」 「……何が?」 「東京のこうたろうさん、火事に巻き込まれてないかなあ」 思わずコケそうになる私。 「住んでるところが違うじゃんかよ」 「でも、台風が来てたときも、ちょうど書き込みとかなかったでしょ? 何か事故にあってないかなあって」 ……バカだよなあ。 その伝で行くなら、仮に私がハワイ旅行したとして、ロサンゼルスで地震が起きたら、津波で沈んでないかって心配しそうだよな。
本を買ったあと、ロイヤルホストで食事。 カロリーが高いものばかりだが、ステーキが意外と低く、500kcal程度しかない。今日は一日、仕事に追われて朝も昼も食えなかったので、思いきって頼む。 いちいちカロリー気にしながら食べるのっての、どうにも侘しいなあ。 こういうのがかえってストレスになりゃしないかと気になるぞ。
米沢嘉博監修『コミケット叢書―02 マンガと著作権 〜パロディと引用と同人誌と〜』(青林工藝社・1050円)。 2000年2月と11月、2回に分けて行われた著作権に関するシンポジウムを収録、解説したもの。 パネラーは、第1回がいしかわじゅん、高河ゆん、高取英、竹熊健太郎、とり・みき、夏目房之介、村上知彦、と、マンガ家・評論家中心。なかなか錚々たるメンバーだけれど、夏目さんの「引用」についての話を除けば、他の人たちの意見は感想の域を出ていない。「何がパロディで何がパロディでないか」というのは主観の問題なので、「法律上、どのように考えたらいいか」という視点で見た場合、あまり意味はないのだ。 以前から思っちゃいたが、いしかわじゅんと高河ゆんが、パアの両極だってことはよくわかったな(^.^)。 それに比べて、第2回は飯田圭、石井裕一郎、牧野二郎の法律家三氏に、マンガ家のみなもと太郎が疑問を呈する、という形式を取っていて、こちらはなかなか楽しめた。 感想を書き出したらキリがないが、一つ言えることは、これから同人誌を作ろうって人も、今現在作っている人も、いや、「創作」に携わっている人は、絶対に、この本(特に第2回)を読んでおく必要があるってことだ。
マンガのパロディ描いたり、ヤオイ本出したりしてる人は、「著作権」って聞くと、すぐにオリジナルのほうの著作権のことばかり考えて、自分たちの作品にだって著作権があるんだってことを忘れてしまいがちだ。 なんとなく「それは著作権に引っかかるから」なんて言葉をよく聞くから、これは描いちゃマズイんじゃないか、とか、ここまで描くとさすがにヤバイ、とか、ついそんな消極的な発想で筆が鈍ることが往々にしてあるけれど、でも、現実に日本で「パロディ」が裁判沙汰にまで発展したのは、いわゆる「マッド・アマノ」裁判一例しかないのである。 ……この件もかなり有名なのに、若い人は全然知らないんだよなあ。自分の半分しか生きてない人でも、話してるとこいつ、私の十分の一か百分の一しか生きてねーんじゃないかって思うことあるぜ。
マッド・アマノってのは人名だ。既成の写真をコラージュして、数々のパロディ写真を作ってきたのだが、そのうちの一つ、白川さんという写真家が撮った雪山の写真の上にでっかいタイヤと轍の写真を合成して、自然の雪山がいかに人間に蹂躙されているかを揶揄する作品に仕上げた。 それが結局はオリジナルの写真の著作権を侵害していることになる、と判決が下されたのである。
この判決自体、なんでやねん、と私などは怒りを覚えるが、百歩譲って、仮にこの判決を妥当なものだと考えたとしても、それで全てのパロディ、批評が禁止されたとまで敷衍することはできない。 なのに、我々はつい「サザエさんの性生活」を描いたら、「長谷川町子記念館」から訴えられるんじゃないか、とビクビクしてしまうのである。批評のための引用なら許諾はいらない。実はこれ、法律でちゃんと認められているのである。 確かに、誹謗、中傷、営業妨害目的のオリジナルの改竄は戒められるべきだろう。しかし、例えば、ある作品のパロディ本を描いたとして、それが誹謗の範疇に入るのか、批評の域に達しているのか、今書いた通り、その判例は「マッド・アマノ」裁判しかないのだ。 現実には、裁判に至る前にパロディを描いた方が謝ったり、示談に持って行ったりして、初めから「負け」ている。 それでほんとうにいいのか? という疑念が、第2回のシンポでは、法律家の方から出されているのだ。 「自信を持っているのならやってほしい。やってから(弁護士のところに)相談に来い」と、牧野さんは発言しているのだよ。
私個人はヤオイ本なんて全部クズと思っているが、だから「禁止せよ」「絶版にせよ」「もう描くな」なんてことを言うつもりは毛頭ない。たとえどんなにヒドイ内容のものであっても、批判の対象にこそなれ、出版差し止めなどを要求していいものではない。それが「言論の自由」ということだ。 その点で行けば、小林よしのりの『脱ゴーマニズム宣言』出版差し止め裁判は、小林さんにとっては自分で自分の首を絞めるも同然の訴訟だったと思う。……『新ゴーマニズム』の中でいろいろ言い訳してるけどねえ、結局、「引用する場合、もとの絵や文を改竄してはならない」点において出版が差し止められたんであって、『脱』が批評本であることは認められたのだから、『脱』の作者の上杉聡さんが改訂版を出せば、小林さんはもう何も言うことはできないのである。 同人誌作家たちも、自分のことを仮にも「作家」であると自覚しているのならば、こういうシンポジウムに積極的に参加するくらいの気概を見せてほしいものだ。主宰の米沢さんが嘆いていたのは、一番参加して欲しかったパロディ同人誌の作り手たちがみんなこのシンポに対して及び腰だったということなんだぞ。 ヤオイ本の作者たちがそのオリジナル作品を愛してるなんてのは、ウソだなあ、とつくづく思う。彼女たちが愛してるのは自分だけなのだ。 ……これ、「中傷」じゃなくて、「批判」だからね。
2000年09月04日(月) また一つ悪いウワサが……?/『マンガ夜話vol.9 陰陽師・ガラスの仮面』
| 2001年09月03日(月) |
変わるわよ♪ ……何がだよ/アニメ『こみっくパーティー』第1話ほか |
芥川賞作家、畑山博氏、肝不全で死去。66歳。 小説家としての畑山氏の作品は全く読んでいない。でも、その著作や言動には一時期やたらと触れた。 畑山氏が宮澤賢治の研究家としても著名だったからである。 1996年、宮澤賢治の生誕100年記念番組をNHKBSが放送したときには、総合ナビゲーターを畑山氏が務めていた。 語り口は実に朴訥としていて起伏に乏しく、お世辞にも見ていて興味を引かれるものとは言えなかった。けれど、たいていの宮澤賢治研究家が、宮澤作品の映像化に否定的だったにもかかわらず(天沢退二郎などは「失敗作」の一言で切り捨てている)、畑山氏は高畑勲作品の『セロ弾きのゴーシュ』を高く評価しているのが印象に残った。
一時期の宮澤賢治熱が去ったかのように、ここ数年、宮澤作品の映像化や特番はほとんど見当たらなくなっている。代わりに脚光を浴びているのが金子みすゞという印象がある。 なんだか世間が勝手に盛り上がって宮澤賢治を持ち上げ、飽きた途端に見捨てていったみたいで、長年のファンとしてはどうにも気分がよくない。『風の又三郎』にしろ『銀河鉄道の夜』にしろ、まだまだ評価が定まっているとは言いがたい。新たな解釈で映像化を試みてもいいのではないいか。 何より、『銀河』のほうは、未だに一度も映像化されたことのない、通称『ブルカニロ博士編』と呼ばれる初稿形もあるのだ。紛失した「天気輪の柱」の章を補完してみるという手もある。アプローチの仕方はまだまだ残っているだろう。
カムパネルラは決して自己犠牲に殉じていたわけではない、というのが私の昔からの意見である。ジョバンニをあの銀河鉄道に乗せたのが誰だったかを考えれば、カンパネルラの利己心が見えては来ないか。宮澤賢治を『雨ニモマケズ』の詩一つに集約して、自己犠牲、滅私奉公の象徴のように扱う観念主義、精神主義の徒は未だに多い。しかし賢治は、大いなる迷いの人であったし、自己の煩悩を制御できない人であったし、人を思うことを考えながら人から逃げていた人でもあった。 賢治が生きていた当時の花巻の人々の評価は「変人」なのである。変人の評価が100年や200年で固まるはずもないことだ。
畑山さんもなんとなく変人っぽい人だった。 今年は賢治の弟、宮澤清六氏も死去しているが、この人もどこか超然とした雰囲気の人だったようだ。 ほんの少しだけ昔の人だった親しい人々が、遥かに遠い昔の人になっていく。仕方のないことだが、寂しい。
今日から本格的に仕事を始める。 私が入院する以前からご病気でお休みしている同僚も、今月から復帰されると聞いていたのに、なぜか出勤していない。 「○○さん、どうしたんですか?」 と他の同僚に聞くと、 「来られないのよ」 との返事。 「まだ、ご病気が治られてないんですか?」 と聞いても、ハッキリした返事がなく、歯切れが悪い。 「……いつごろ戻られるんですか?」 「それが……わからないの」 「……復帰されるご意志はあるんですよね?」 「……実は、こないだ来られたのよね。みんなで拍手して迎えたんだけれど……そこでドラマがあってねえ」 「ドラマ? 何ですか?」 「……聞かないほうがいいわよ」 こ、ここまで引いて、何も説明してくれないとは(・・;)。 いったい何があったのだろう。やはり入院なんてしてると世の中の動きから取り残されちゃうのだなあ。
テレビで漫然と『名探偵コナン』を見ていると、女児誘拐の田中邦彦容疑者をさいたま市で逮捕のテロップが流れる。 ……臨時ニュースで流さねばならんほどのことかと、そのこと自体にビックリ。どうもこの事件、ワイドショーを含めたマスコミが、どう取り扱ったらいいのか苦慮しているような印象があるのだなあ。 幼い子供を誘拐しているわけだから、これはもう、立派な凶悪犯罪、ということで怒りたいところなのだろうが、監禁こそしたものの、女の子は無事解放されていて、イタズラされた形跡もない。 攫ったはいいものの、扱いかねて放り出した、というのが真相に近いところだろうが、そういう犯人の杜撰な計画、アタマの悪さというのが前面に出ていて、「凶悪犯」「知能犯」のイメージからはほど遠くなっているのだ。 つまり、「情けない」「アホな」犯人像っていう印象が強いせいで、マスコミは怒りの矛先を持って行きにくくなってるのじゃなかろうか。 先に捕まった藤田容疑者同様、こいつも美少女アニメオタクなんだろうが、そのことをやたら取り上げて「アニメと現実の区別がつかなくなって」という定番かつ陳腐な言質で批評した気になってるバカコメンテーターが続出してるのも、他にこいつらを責めたてる要因を見つけられないから、しかたなくやってることなんじゃないかな。 トチ狂ったニュースを毎日見せられるのも飽き飽きなので、犯人が捕まってくれてよかったよかった。これで続報もそのうち消えるでしょ。 ……それにしても、逮捕時には作業員をやってたっていう話だけど、履歴書も身分証明もなくて身元保証人もいないってのに、その会社もよく雇ったよな。 過去は一切不問ってのも偏見のないコトで素晴らしいのかもしれないけれど、最低限でも身分証明になる何かを提示させるくらいのことはしておかないといかんと思うがね。
晩飯は餃子を焼いて食べる。 しげにも半分分けてやるが、「どうしてくれるの?」と、とまどっている。 自分のメシは自分で作れ、と言っているから、まさか何か作ってもらえるとは思ってなかったらしい。 気まぐれであるが、考えてみたら、私が気まぐれでしげに優しくすることはあっても、しげが私に気まぐれで優しくすることはないのだ。 自分でも、どうしてこんなやつと一緒に暮らせているのかと確かに疑問に思うことはある。どこかに功利的な判断があるんじゃないかなあ、とは思うが、世間体を気にしてるわけでもないしなあ。 実はバカが好きなんだとは思いたくないが、ちょっとはあるかもしれない。 いや、私はだいたいしげのことを本気でバカだと思っているのだろうか? この日記でも、しげのことを百万遍、バカだバカだと書いているのだが、なぜそこまで書くのかと言われれば、確かに自分でもしげのことを一生懸命バカだと思いこもうとしているフシがある。 では本当はしげはバカではないのかと言うと、やっぱりどう考えてもバカなのである。
先日、しげから突然、「人って変わるの?」と聞かれた。 「変わるさ」と即答する。当たり前のことをなぜいきなり聞くかな、と思って「なんで?」と聞き返す。 しげは直接私の質問には答えず、「性格って、変えようと思って変えられるの?」と、質問し返してくる。 ああ、私がしょっちゅうしげに「バカを治せ。その忘れっぽい性格を変えろ」と言うものだから、そんなことが可能なのか、と考えていたようだ。 「変えられるさ」 「アンタも変えた?」 「変えたよ。環境が変わるたびに、性格何度も変えてきたよ」 「じゃあ、自然に性格が変わるってことはないの?」 「そりゃあるだろう。トシを取って、体が動かなくなりゃ、心が穏やかになることもあるし」 「……確かに、アンタ、変わったね」 「そうか?」 「昔に比べて優しくなった。昔ほど怖くないし」 なんとなく苦笑いを浮かべただけで、それ以上返事はしなかった。 ……なるほど、自分でもトシを取ったのだな、と思う。 以前ならここで「人をトシ寄り扱いするな!」と怒ってただろうから。 でも私はともかく、しげが更に穏やかになったら、バカが加速するだけなんじゃないのか。
なんだかよくわからなくなってきたので、この辺でやめるが、誰か、なんであんなやつと十年も夫婦でいられているのか、説明してください。
バカからバカにされると腹が立つと言うが、しげはしげのクセして私を時々バカにする。でも別に腹は立たない。 あそこまでバカだとかえって「よしよし、バカがまた何か言ってるね」で済ましちゃうからだろう。 CSキッズステーション『SAMURAI GIRL リアルパウトハイスクール』第6話を録画していると、しげが「これ、どこが面白いの?」と、いかにもバカにしたようなことを言う。 実は入院中、録画を頼んでいたのだが、2話以降をまだ見返していない。だから面白いかどうかなんてのはまだよく分らないんだが、とりあえずGONZOで後藤隆幸なんで録ってるのだ。面白さはともかくアニメ技術だけはいいもんな、GONZO。 作品にはいろんな見方があるので、そういう理由で見ることもあるのだが、しげにはそういうのが気に入らないようだ。 ……気に入らないって、そりゃお前の勝手じゃん。ダン・エイクロイド目当てだけで『パールハーバー』見に行ったやつにエラそうな批判される筋合いはないのである。
夜8時、しげが仕事に行く段になって、「3時まで起きてる?」と聞いてくる。 「俺に起きて待っててほしいの?」と聞き返すと、「いいや」と答える。 なら、最初から聞く必要はないのに、どうしてこういう見え透いたウソをつくかなあ。 でも当然、私は先に寝て待っててなんかやらないのである。これは意地悪でもなんでもなくて、明日仕事があるからだ。それを知ってて「起きてるか?」なんて聞いてくるしげの方がよっぽど性格が悪い。 だから、その性格を直せって言ってるんだってば。
CSキッズステーションで『こみっくパーティ』第1話を見る。 一部で話題になってたので、見てみる気になったのだが、要するに「ケイエスエス版『オタクのビデオ』」というわけなんだね。 同人誌だのコミケだのになんの興味もなかった主人公が、筋金入りのオタクな友人に引きずられて、同人誌の星を目指すという……書いててまるでアホみたいだが、そういう設定なんだからしかたがない。 笑えるような、ちとイタイような(^_^;)。 でも、オタクなら誰しも一度は辿った道である。 いきなりオープニングが『TO HEART』で始まったので、一瞬、「なんでマルチが?」なんて、放送を間違えたのかと思っていたら、主人公の夢なのだった。一見ベタベタな展開だが、さにあらず。この夢、後でわかるのだが、主人公を同人誌漬けにするためにオタクな友人がベッドに『TO HEART』の録音テープを仕込んで「睡眠学習」させていたのである。 ……こういう友人を持ちたくはないなあ。 しかし、アホなキャラクターを配置してはいても、「同人誌」を極めて肯定的かつ偏見のない視点で描いているのは、特筆すべきことではないか。 意外なくらいにマジメで、これ、本当に「コミケの星」ってタイトルに変えたとしても違和感がない。これはアニメによる『同人誌入門』なのである。昔は手塚治虫、石森章太郎といった人達が『マンガ家入門』って本を書いてくれてたけど、考えてみたら、今は、同人誌を作りたいと思ってる人たちに対して、技術的なノウハウだけでなく、心構えのようなものまで教えてくれる解説書ってものがない。マンガ家への入門書自体見かけなくなった(『コミッカーズ』は小学生には高度過ぎるし、技術に偏り過ぎている)。 これ、意外と拾いものではないかな。
『コミック伝説マガジン』No.2(実業之日本社・380円)。 おお、ついに『サイボーグ009』が三度目のテレビアニメ化。 10月14日からって、もうすぐじゃん! そこまで制作が進んでるとは思わなかったがなあ。報告はあっても、声優やスタッフの紹介がまるでないのが気になるなあ。 それに合わせる形で、今号のメイン作品も石森章太郎『009』。前回、手塚プロに新作『鉄腕アトム』を描かせるような暴挙はせず、『ああ、クビクロ』の再録。まあ、賢明な判断だろう。 前回の『アトム』、非難轟々だったらしく、手塚プロとの協議の末、新作は作らないことにしたそうな。……手塚プロも根性がないなあ。非難が来ることなんて、当然予測がついただろうに。この程度のことでやめるくらいなら、最初からやらなきゃいいのである。 たとえ批判されてもそれを跳ね除けられるくらいの傑作を書きゃいいだけの話なのに、それができないということは、もはや手塚プロに人材がいないということに他ならない。 まだ、『大長編ドラえもん』を書きつづけてる藤子プロのほうがマシなのかな。 『アトム』の代わりに再録されたのが『落盤』。全集でも、『手塚治虫ミステリー傑作集』でも読んだことがあるので、正直「またか」と思ったのだが、なんと、ラストがこれまで収録されていたものと微妙に違うのである。 しかも、今回のもののほうが断然いい(現物に当たってみてね)。 手塚治虫自身によって単行本用に書きなおされたものが今回の収録版だったわけだが、なぜ、全集のときには改稿版を入れなかったのかな。
マンガ、石森章太郎作・成井紀郎画『決死戦7人ライダー』(角川書店・2000円)。 かつて『テレビマガジン』に連載されていた『仮面ライダーストロンガー』を全編収録したもの。つまりは第一期『仮面ライダー』シリーズの最終作ということになる。 石森自身による原作がない以上、コミカライズとはいえ、これがもっとも正当な『原作』。でも初期のあだち充によく似た柔らかい線のキャラは、タックルはなかなか色っぽくてイイけれども、ストロンガーにはちょっとナンパな印象がくっついているのであった。 解説は一生懸命本作をヨイショしてるが、やっぱり子供向けの月刊誌では、深みのあるドラマ展開はできていない。 テレビ版の最終回も、実はショッカー以来の今までの敵は、みな同一人物の宇宙人であったという、いい加減なオチであった。 『ウルトラマン』世代が『仮面ライダー』にイマイチはまれなかったのは(でもライダースナック買ってたけど)、やっぱり、そういう脚本のチャチさにもあったんだと思う。
マンガ、吉原由起『ダーリンは生モノにつき』8巻(小学館・410円)。 やっと完結してくれたか。 いや、つまんないんじゃなくて面白くはあるんだけど、これ、批評のしようがないのだ。 と言うか、批評しようと思えば引用するしかないんだけどさあ。引用するのがめっちゃ恥ずかしいマンガなんよ、これ。 引用しなくたって、「ヤリたがりの若妻が夫を押し倒すマンガ」、と言えばこと足りるんだけどね。……だからどのギャグも全てナニとかアレ関係の話ばかりなわけよ。 ああ、でも頼むから、フェラ○オした後、陰○とザー○ンまみれのクチビルでキスを迫るような絵を描かんでくれ。オトコがどれだけそーゆーのを気色悪がるかわかるか。 ラストは子作りの話か。この話題が最後の最後に出てくるあたり、これまでの連載が「ただヤル」だけの話であったことを如実に証明しているであろう。
マンガ、田村吉康短編集『筆神』(集英社・410円)。 表紙絵だけを見て買った完璧な衝動買い。 ジャンプの読み切りマンガだから、どれもありきたりなんだけれど、表題作の『筆神』だけはまあ面白い。 設定は現代の『陰陽師』なんだよなあ。でも「書」の精霊、「トヨフデヒメ」の力を借りて悪霊退治、というところがちょっとした工夫で面白い。 ……もっとも、この「書が悪霊を封じる」という発想も、オリジナルってわけじゃない感じで、中国の古典あたりにルーツを求められそうだけど。
2000年09月03日(日) 警察も役所/『ら抜きの殺意』(永井愛)ほか
| 2001年09月02日(日) |
風が痛いから?/『新天地無用! 魎皇鬼』1巻(奥田ひとし)ほか |
あちゃ〜、また寝過ごして『パワーパフガールズ』、見逃してしまった。 DVDになったとき買えばいいじゃないか、とも思うのだが、たいてい外国アニメが製品化されるときには、版権の関係であろう、主題歌が収録されなかったり、声優が違ってたりして、ああ、やっぱりびでおにとっておくんだったと臍(「ヘソ」と読むなよ、「ホゾ」だぞ)を噛むことも多いのである。 『サウスパーク』も、WOWOW放送時のキャラクター紹介のオープニングと予告編がDVDはカットされてるものなあ。 『トムとジェリー』など、日本語版主題歌をフルサイズで特別収録してくれてるのはいいのだが、残念ながらバックの絵は日本で作画されたものではない。 なにより、ハンナ&バーベラ版の谷幹一のナレーション、チャック・ジョーンズ版の植木等のナレーションがどちらも入ってないというのは痛恨の極みである。あれだけリピート放送されてた作品がよもや幻になっちまうとはなあ。 ……来週こそはちゃんと早起きしようっと。 で、目が覚めたのはちょうど8時、『仮面ライダーアギト』が始まっていた。 長々と続いていた真魚ちゃんの、「もしかして、私が念動でお父さんを殺したの?」疑惑、引きに引いたけどようやくひと区切り。 ……だから長いんだってば。 真魚役の秋山莉奈って子、どうも超能力を持つ自分を持て余しているという悲壮感に欠けているので(というか「お芝居してます」って雰囲気がミエミエで)、見ていてツライものがあるのである。 まあ、それを言い出しゃ、他の役者もなあ……ってのは今更言わずもがなだけどさ。 今度の映画版、見に行くかどうか未だに悩んでいるのである。
『も〜っとおじゃ魔女どれみ/まぼろしのレシピをください!』、オヤジーデの声優さん、どうなってるかと思ったら、松尾銀三さんのままだった。 声に調子の悪そうなところも特にない。……ホントに急死だったんだなあ。
『コメットさん/ヒゲノシタの輝き』、やっぱりコメットさんにはお爺さんのお目付け役がいなきゃ、ということで新登場のヒゲノシタ。 声が大竹宏さんというのがオールドファンには嬉しい。 星ヂカラが足りなくて弱っているヒゲノシタにラバポーが恋ヂカラを分けてあげようとするのだが、「トシ寄りには恋ヂカラはかえって毒になる」という設定がなかなか(^^)。 「老いらくの恋」というのはやっぱりからだに悪いのかな。でもこのコトバの元になった石川達三が恋愛事件を起こしたのは確か彼が50代のとき。現代感覚だと、年寄りってほどでもないのだ。
栄養価を考えて今日から麦飯を作る。 袋に「白米と混ぜる」と書いてはあるが、どの程度の割合で入れればいいのか見当がつかないので、適当に入れる。出来あがってみると、少なすぎて麦の味も歯応えもまるでない。次回炊くときは、も少し量を多くしてみよう。 どうも私の世代だと、池田隼人の「貧乏人は麦を食え」発言が連想されてしまって、「麦食ってる」というと、つましいイメージがつきまとって仕方ないのだが、イマドキは完全に健康食の一つという名誉ある地位に押し上げられている。 でも、この「白米と混ぜる」ってとこがミソなんであって、結局は白米を底上げしてるだけなんじゃないのか。麦だけで炊いたらどんな味になるのか試してみたい気もするが、ちょっと怖いんだよねえ。
昼を過ぎてもしげが起きて来ないので、痺れを切らして叩き起こす。 今日は一緒に出かけようってときに限って、グズグズしやがるんだもんなあ。 まあ、目的が買い損なってるDVDを探そうっていうんだから気乗りがしないのもわかるが。 電動式自転車がパンクしたままなので、もう一台の普通の自転車に乗っていくことにする。 ウチは移動の手段が自転車しかないので、パンクのときのために、自転車を4台、用意しているのだ。 でもしばらく乗ってなかったので鍵をどこに置いたか忘れている。 「自転車の鍵、その辺にない?」とパソコンの前に座っているしげに聞く私。 「知らんよ、そんなの」と、ニベもなく答えるしげ。あたりを探そうともしてくれない。 私も慣れているので、こういう時はたいてい“しげの周囲に探しものがある”ことはわかっているのである。 ……昨日も「『J‐COM GUIDE』、その辺にない?」と聞いても、「知らんよ!」と答えていたが、実際はしげがその巨大なケツの下に敷いていたのだった。 ……少しゃ空気抜いて小さくしろよ、そのケツ。 で、パソコンのところに行くと、やっぱり鍵がテーブルの端に置いてある。 「やっぱりあったやんか!」 「なら、いいやん」 “ならいい”って問題じゃないって(-.-")凸 。
で、やっと乗った自転車も、空気が抜けててパンク寸前。 なんだかなあ。
天神に向かっている途中、しげがいきなり「アンタが喜ぶような悲しい話ししたげようか」と言い出す。 なんだその矛盾しまくったコトバは。 「……読んだよ、アンタの小説」。 今ごろ同人誌『オトナ帝国の興亡』の感想である。 ついこの間までは、「あんたの書いた小説なんか読む気がしない」なんて言ってたくせになあ。 あれ書いてる時は、劇団の脚本をほったらかして没頭してたから(と言っても足掛け二日、正味8時間くらいしか掛けちゃいないけど)、しげは自分がないがしろにされたような気分になってたのだろう。 心境の変化は、先日の日記に「しげを念頭において書いた」と記述したのを読んだからかな。 「泣いたよ」 「は?」 「アンタの書いたの読んで、初めて泣いたよ」 「……どうしたんだよ、いったい?」 しげが私の書いたものを読んで誉めるなんて、青天霹靂、驚天動地、吃驚仰天、天丼定食、天然電髪の出来事だ。 「ケンのセリフにあったじゃない。『一緒に花火を上げよう。いつまでも一緒だ』って」 ……ああ、確かに、そんなセリフを書きはしたなあ。 人形のようなチャコに、ケンが心を入れようとして言ったセリフだ。 けれど私はそれを非常に空虚なセリフとして書いたのだ。伝わるはずのないセリフをムリに口にしているような、だからあえて描写はしなかったが、そのときのケンは全くの無表情だったはずだ。 そのセリフで泣いたってのは、いったいどういうわけなのか。 「うらやましくって」 「なんで」 「だってアンタ、あんな言葉、言ってくれないもん」 ……ああ、また現実と虚構の区別がついていない。 現実にこんなセリフを女に向かって吐くヤツがいたら、そいつはタラシという以前に脳天がイカレてるぞ。 だいたい私が「花火を上げよう」なんて、どこから三尺玉を調達してくるというのだ。花火師の資格だって持っちゃいないのに、そんなことしようものなら即、逮捕だぞ。 私がしげに言ったことがあるのは、コンビニで売ってるような、ささやかな花火だ。 ……で、実際、花火をしたことだってあるけど、夏の夜のこととて、蚊に食われまくってムードもへったくれもなかったのであった。 「でもホントだね。泣くことと作品の出来とは関係ないって」 なんだとこのやろう(`m´#)。 「ああ、今、思い出しただけでも泣けて泣けて。……この『女泣かせ』!」 女泣かせって、コトバの意味が違うだろうが!! ……実はずっと昔も女泣かせな小説を書いたことはあるのだが、どうもそういうのって、一度書きだすとクセになるので、最近はできるだけ避けてるのだ。 それに私が「いい人」だなんて誤解されたりもするし。 全ての女性に言っておきたいが、この世に真実フェミニストなオトコなんていないよ。「男社会」を批判する女性闘士も、「白馬の王子さま」に憧れる夢子さんも、男に幻想を抱いている点では同じなのだ。 不即不離、オトコとは現実的な距離を保つのが利口な生き方だと思うよ。
けれど、これで昨日、しげがビデオ録画の邪魔をするようなイヤガラセをした理由がわかった。 現実の私がロマンチックでもなんでもないので、逆恨みをしていたのだ。 ……こんな理由でヤツアタリされてたら、マジで身が持たんわ(-_-;)。
9月15日はしげの誕生日なのだが、この間からしげは「パーティでもしようか」、などと持ちかけている。 「パーティって、誰か呼ぶのか?」 と聞くと、 「うんにゃ。二人だけ」 「二人だけってのを『パーティ』とは言わんぞ、普通」 なんて、おバカな会話をしていたのだが、今朝、ネットを覗いていたら、眠田直さんの「MINDY POWER」に、ちょうど15日、オタクアミーゴスのお三方が、山口きらら博に来られてトークショーをされるという記事があった。 詳しく見てみると、その日は他にも面白そうなイベントが朝から晩まである。
10:00〜 「怪獣元気伝説」 ▽開田裕治・増尾隆幸両氏による特撮トークショー。 14:00〜 「アコギな二人旅だぜinきらら」 ▽影山ヒロノブ&遠藤正明のアコギな2人によるアニソンライブショー。 16:00〜 「きららにオタク講座」 ▽「オタクアミーゴス」でおなじみの御三方によるトークショー。 場所は、やまぐちホール、入場は全て無料。
お三方のうちどなたかが「山口ギララ博」というシャレを言うだろうに500点(^^)。 何だかメチャクチャ混みそうな予感はするが、しげが列に並ぶのを厭わないでいてくれさえすれば、誕生日のイベントにちょうどいいんじゃないかなあ、などと考える。 天神への道すがら、しげに話をするが、案に反して、しげは今イチ気乗りがしない様子。 「……だって、それってデートじゃないじゃん」 「デートは結婚記念日にするもんだろう。誕生日なら、どこかに出かけようってだけで充分じゃんか」 「でも二人っきりでラブラブになれないしい」 「……じゃあ、何か? お前は波止場近くのホテルのラウンジで、港の夜景を見ながらディナーを楽しんで、『君の瞳に乾杯』なんて言われるのがいいってか?」 「うん!」 ……しげの死体が明日見つかったとしたら、犯人は私だ。
天神の昭和通には、「アニメイト」と「アニマップ」という2軒のアニメショップがあって、ほんの100メートルとは離れていない場所で競合していた。以前、山本正之さんのサイン会があった時に、しげは、車に撥ねられ松葉杖をついていたにもかかわらずムリヤリ出かけて行ったのが、アニマップの方である。 ところが、今日行ってみると「アニマップ」のほうは潰れていて、貸し店舗になっていた。 CDやDVDの種類、品数で行けば、「アニマップ」の方が断然多かったのである。 しかし、「アニメイト」のほうは、キャラクターグッズのコーナーがより充実していて、またコミック本の専門店としても機能していた。 同人誌用の画材道具も取り扱い、ないのはフィギュアくらいのもので、若いオタクなら、こちらに来る頻度のほうが高かろうということは、誰でも予測のつくことであった。 「アニメイト」の方が天神に近い、という地の利もあったにせよ、企業努力が足りなかったことは否めまい。アニマップは雑居ビルの一階で、上はミリタリー専門店のMGC、そちらから流れてくる「濃い」オタクも多く、そのほとんどはまあちょっと見コワイ感じのする男性、これじゃあ、同じオタクであっても、同人系、ファンシー系な女性のオタクは近寄り難い。 ウチのしげやよしひと嬢のように、ミリタリー系も嫌いじゃない、なんて女性のオタクは、そうそういないのである。競合し始めて数年、よく持った方ではあったか。
うーむ、でもアニメ系のDVDが確実に手に入る店が一軒減っちまったのは結構痛い。とりあえずDVD扱ってます、アニメも少しは置いてます、なんて店じゃダメなのだ。 ちゃんとワンフロア分のDVDのコーナーがあって、ちょっと古いやつでも置いてあって、ということになると、品数が一番多いのはやはり、天神ベスト電器の「LIMB」、それから天神「アニメイト」、博多駅交通センターの「GAMERS」くらいしか私は知らない。 これまで「アニマップ」はこの3軒を抜いて一番だったのだ。 ……結局、探していた『ハレのちグゥ』のDVD第1巻は「アニメイト」でも売り切れ。ついに即時購入を断念、「LIMB」で取り寄せを頼む。 『OH! スーパーミルクちゃん』の4〜6巻も既に店頭売りしてないしなあ。これもじきに注文しないといけないのかなあ。
天神イムズの「シズラー」から、しげ宛に「誕生日フェア、20%割り引き」のハガキが来ていたので、朝食兼、昼食兼、夕食をそこで済ます。 一日一食がカラダによくないことは承知しているが、しげとの生活時間帯が完全にズレていて、外食やコンビニ弁当が中心の食生活をせざるを得ない以上、こういうこともままあるのである。 せめてサラダバーで野菜を余計に食べるように気はつかう。
食事をしながら、さっき「アニメイト」で買ってきたマンガなどを読む。 アニメイトは透明なビニールカバーをつけてくれるのが有り難い。本のヨゴレが気になる私は、基本的にカバーを外さないのだが、そうなると中身が分らないので、いちいち背表紙にタイトルを手書きせねばならんのである。 人によってはオビを外し、カバーも外し、本体のみで本棚に並べる(そうすると、カバー付きよりも4、5冊は余計に入る)人もいるが、場所を取っても私はカバーをつけておくほうだ。しげには「どこに目当ての本があるか分らない」と評判が悪いが、本棚の整理をマメにしておけば問題はないのである。 本が見つからないのはしげがズボラで私がいくら整理をしても片っ端から崩していくからなんだよな。
マンガ、奥田ひとし『新天地無用! 魎皇鬼』(角川書店・590円)1巻。 「新」にする意味あるのか(^_^;)。 宣伝上はあるんだろうなあ。 OVAの新シリーズも始まるから「1巻」ということで仕切りなおしたほうがいいんだろうけど、テレビシリーズもあるわ、小説版も映画版もあり、それぞれが微妙に設定が違うってことになると、どうにもややこしくってしょうがない。 『プリティサミー』も入れたらどうなるんだ。 漫画版はOVA版の続きってことになってるようだが、第1期〜第3期シリーズのどの辺に入るのかよくわかんないし。 でも『天地』シリーズについちゃ、そこまで細かく気にしてるファンがいそうな感じがしないのだ。『天地』シリーズの、メジャーっぽいようでいて、どこか突き抜けていけない原因は、そのへんを分析していけばわかってくることなんじゃないか。 ぶっちゃけた話、これだけキャラを取り揃えてても、人気がホントにあると言えるのは砂沙美一人だけだろう。魎呼も阿重霞も、キャラが決まりすぎていて、これ以上どうにも動かせなくなっている。っつーか、この二人、まんまダーティペアだもんな。 結局「新」になっても今までの設定の反復再生産にしかなっていないのじゃ、新味はない。ホントにこの第3期シリーズで完結させたほうがいいよなあ。
マンガ、神坂一原作・義仲翔子作画『超爆魔道伝 スレイヤーズ 死霊都市の王編』(角川書店・590円)8巻。 原作の第一部にあたる部分がこれで完結。 “Lさま”もついに登場、さぞや喜んでおられることでしょう(って、原作ファンじゃないとなんのことやら分らんな)。 原作とはやや違った結末のつけ方だけれど、これは冥王フィブリゾに殺されたままではエリナがあまりにかわいそう、という作画の義仲さんの意向であるのだろう。それにこの結末なら、原作ではちょっとおマヌケだった“Lさま”、なかなか「粋」なお方だなあ、という好印象で終わる。 第2部がマンガ化される予定はなさそうだけれど、義仲さんも1巻のころより絵もグンとうまくなってきてるし、ちょっと期待はしたいのである。
帰りに「BOOK OFF」に寄って、千円引きのDVDをいくつか買う。 しげはこの間から宮部みゆきの『模倣犯』の上巻を探しているのだが、どこにいっても下巻しかない。まあ半年もすれば上下巻揃いで腐るほど並ぶんだろうけど。 でもそのころには文庫も出ちゃってる気がするなあ。
DVD『無限のリヴァイアス』第1巻、千円引きでも4000円。ちょっとボリ過ぎじゃねえのか、この値段。 テレビ放映時はほとんど見ていなかったので、今回が初見なのだが、1話見終わった時点で眠くなって寝る。 導入、現代の普通の少年の話かと思わせておいて、宇宙ステーションの全景を見せていくあたりの描写はうまいと思うが、主人公がすぐキレそうな雰囲気を漂わせているあたりや、妙にセリフ過剰な脚本が、なんだか『ガンダム』や『エヴァンゲリオン』の辛気臭いところだけまねしてる感じだ。 続きを買うかどうかはまだ未定。
2000年09月02日(土) 山本正之・あ・ごーごー
| 2001年09月01日(土) |
加藤夏季補完計画(笑)/『スペオペ宙学』(永井豪)ほか |
テレビのチャンネルを捻ると(とは言っても実際には捻らないんだが、リモコンのスイッチを換えると、なんて表現はどうにも実感が湧かん。これだから昭和30年代生まれはよう)朝っぱらから、ビル火災のニュース。 今日午前1時ごろ、新宿歌舞伎町の雑居ビル「明星56ビル」の3階、麻雀ゲーム店「一休」付近から、爆発音とともに出火、同店や、4階のキャバクラ「スーパールーズ」の客や従業員、44人が死亡。 事件そのものは痛ましいことだが、報道にどうも歯切れが悪いのは、この火災がガス爆発によるものなのか、ハッキリしないからのようだ。つまりは放火の可能性もある、ということだ。 そう考えて見ると、出火の時刻がちょうど1時(厳密に言えば0時58分)というのが臭い。 時限装置のようなものが仕掛けられていたのではないか。 現場検証の結果も出ていないうちに勝手な憶測をすべきではないのかもしれないが、「歌舞伎町」という胡散臭い場所で(昔はそうでもなかったんだがなあ)、火災が起きたのがフーゾク店も入っている雑居ビルってのがどうにも「いかにも」であって、あらぬ想像をかきたてられてしまうのである。 思わず馳星周の小説を思い浮かべたヒトも多くない? 報道を読み解くコツは、「なにがそこに語られてるか」ではなく、「なにが語られていないか」を見ることであって、この場合、「火災の原因の早期究明を」とニュースが声高に叫ぶほど、「原因以外のところに謎の本質があるのではないか」と思ってしまうのである。 ……なんか、歯切れが悪くて申し訳ないが、私の妄想の一つが当たってたりしたらマジでヤバイんで、この辺にしておく。 これがただの事故だってことが判明したら、笑い話の一つとしてその妄想をいくつかご披露できるかもしれない。
9月になって久しぶりの職場復帰。 長いこと同僚とも顔を合わせていないので、休んでいる間に席がなくなってないかとか、机の中に猫の死骸が入れられてたりしないかとか、「君、だれ?」と言われたりしないかとか、置いてたものが盗まれたりしてないかとか(小学生の意地悪かい)、いろいろと悪い想像をしていたのだが、全然そんなことはなかった。 いや、疑心暗鬼になってるみたいだけど、6、7年前に入院した時にはイヤミをさんざん言われたのよ。「忙しい時に休みやがって」とかなんとか。そのときは今んとことは別の職場にいたんだけどね。 今回は、多くの人から優しく声をかけていただいて、「ああ、今年は環境がいいなあ」と安堵すること頻り。 疲れやすかった以前と比べて、やや体調がよくなってるんだなあと自覚できるのは、椅子から立ちあがった時に立ちくらみがひどくないことである。しばらく仕事をしてみないことには分らないが、入院前のようにやたらと頭痛や吐き気に襲われたり、風邪ばかり引いたりしないようになってればめっけものである。
半ドンで帰宅して、しげに映画でも行かないかと誘うが、夜は仕事があるからと断られる。ほんだらばと映画は、明日、買い物ついでに行くことにして、パソコンに向かう。ともかくちょっとずつでも更新しとかねば。
「エンピツ」の日記をあちこち覗いているうちに、少しずつお知り合いの人も増えたりしているのだが、全く逆に、アレ? この人どこへ行っちゃったの? という方々もおられる。 「エンピツ」の登録番号をたどってみても、抜けが結構目立つのだ。 まあ、永遠に続くものなどないのだし、書き始めたはいいものの、仕事が忙しい、ネタがない、ネット上でイヤな思いをした、いろいろな事情でやめちゃった、ということもあるのだろう。 かく言う私自身、以前日記を書いていたところから、とある事情により、こちらに移転してきたわけだけれども、「敗北」したとは思っていない。 「栄誉ある転進」である。ε=(>ε<) プッー!。 何かモノを書こう、創造しようという人間が、「批判」に晒される覚悟なくしてやっていけるか、とは初めから思っていたので、「一時的撤退」を試みただけの話である。 その結果、鬱憤晴らしに書き始めた内容が、かえって膨大に増えてしまったので、今さら短くすることも出来ず(短くする気あるんかい)自分で自分の首を締めることになっちゃったのだが、それでも当初考えていた「たとえ書きこみが遅れることはあっても、一日たりと休まない」ことは実行できている。 「どうしてそんなに書き続けられるんですか?」とよく聞かれるが、実際にはまだ一年しか経っちゃいない。 なのに、「継続のヒミツ」なんてのを書くのもちょっとゴーマンでおこがましいのだけれど、最近、私が気に入ってる方々の日記の更新が軒並み滞ってるのを見ていると、なんだか寂しいので、いくつか私が書くときに気をつけていることをいくつか書いてみることにした。
まず、自分の書いたつまらないものなど、だれも面白がってないんじゃないか、なんて思わないことである。 前にも引用したことがあるが、森下裕美さんが『ここだけのふたり』の中でたきえに語らせていた通り、もともと「自分のつまらない日常だの家族写真だのを無理やり公開して見せつける」のがネット上の「日記」なのである。 つまらなければつまらないほどいいのだ。 それを読者に押しつけるという「状況」それ自体が、「日記」の面白さなのだから。
「今日はお天気。気分もはっぴい(*^▽^*)。 なんだか素敵なカレと出会えそうなヨ・カ・ン♪ うふふっ(はあと)」
……なんて日記があったら、私は心の中で作者に、即座にケリを入れて楽しむであろう。 そういう「楽しまれ方」を覚悟さえすれば、「つまらない」という批判にメゲることはなくなるのだ。
だいたい、日記随筆文学の泰斗、清少納言自身、書いてる内容は「あのね、あのね、雀の子がね、ちゅんちゅん鳴いて寄ってくるのって、可愛いのよ〜」って、現代の男が聞いたら、「それがどうした。当時の女ってのはバカか」としか思えないようなことばかり書いてるのである。 当時の男は、こんなバカ女が可愛く見えてたのかなあ、と思っていると、そこで反清少納言として登場してくるのが紫式部である。 同じ女でありながら(いや、だからこそ)「あんなのと私を一緒にしないで。私、清少納言ほどバカじゃないわ」と自身の日記に書くのだ。 ……今のネット環境と変わらないヤリトリというか、攻防を繰り広げていたのだ。
だから、「ネタがない」ということで苦しむ必要もない。 今日食ったメシ。 これだけでも、書こうと思えば原稿用紙10枚は書ける。 その気になれば、一日はネタの宝庫だ。
忙しくて日記の更新が滞りそうな時には、具体的な方法として、とりあえず、その日のうちに書こうと思っていることを先に軽くメモにしておくという手がある。そして、後でじっくり書くようにするのだ。 こうしておけば、二、三日書きこみが遅れたところで、そのメモをきっかけに何を書こうとしていたか思い出せる。
……エラそうなことばかり書いちゃってるけど、これ、日記を続けられなくなってる全ての方々へのエールだと思ってください。 ねえ、アナタ、イマドキのテレビなんて、『どっちの料理ショー』とか、カレーライスとラーメンのどっちが上か、って、人生になんの意味も寄与しない、どーでもいいことにウンチク傾けてケンカする番組の視聴率が高かったりしてるんですよ。 「くだらない」ことに価値があるってこともありまさあね。
……こう言ってる私だって、メゲることはしょっちゅうなのである。 原因は主にしげにあって、私が長く書けば書くほど「つまらない、長い、読みにくい」と文句ばかりつけてくるのよ。 「ちくしょう、なにくそ、負けるもんか!」と涙を流しつつ書き続ける日々。キーボードの上には涙が滲んでいると思ってくださいな(紙じゃないから滲まないなんてツッコミはなしね)。 私は諦めない。たとえどんな批判があろうと書き続けるだろう。 いつかしげに「よかったよ、今日の日記」と言われる日まで。 ……なんか、そんな日なんて永遠に来そうもない気もするが、そうなるとこの日記も永遠に続くことになると思うので、どうか今後ともご贔屓に。
それにしても、本当に私の日記のどこが面白くてみなさん来られているんだか。たいていの方は「エンピツ」のランキングから来られているのだが、毎日数名、「goo」や「Yafoo」で検索かけて来られてる人がいるのである。 O・ヘンリー『警官と賛美歌』なんてので検索かけられても、学術的なことなんて一切書いてませんってば。どうやらなにかの研究の参考になるかと思って来られてる方もいるようでだが、実状は、こういうおポンチな内容のサイトなので、なんとも申し訳ない限りなのである。 「加藤夏季」で検索かけてる人がいるのには大笑い(⌒▽⌒)。 確かに、最近、私の中での加藤夏季度が高いのは事実であるが、ここには画像なんてないぞ。何を期待しているのか。 それともこれは私に、ホームページ開設の際は、「加藤夏季の部屋を作れ」との神の思し召しか。 ……しまったなあ。こんなことなら、『燃えろ! ロボコン』、4話で録画するのやめないで、全話、録っておけばよかった。 ……って、本気で作る気かい(^○^) 。
で、リクエストに答えて、今日の加藤夏季(*^▽^*)。 今月のファミリー劇場の番組を紹介する『ファミナビ9月号』、チャイニーズルックの加藤夏季嬢、もう飛ばす飛ばす。 いきなり紹介してるのが『チャンピオン太』だぜ。 あのね、アナタ、今年16歳の小娘が、「役の上とは言え、あの力道山と死神酋長に扮したアントニオ猪木との対決が見られる貴重な作品!」なんて紹介してんだから! ……これはもう、ファミリー劇場のスタッフが、「加藤夏季オタク化計画」を推進してるとしか思えない。 「夏季ちゃん、いいかい? ただ番組を紹介するだけじゃナビゲーターとしては失格だよ。ちゃんと作品を見て、その作品を愛した上で、紹介してあげなきゃね!」 「はい、わかりました!」 「じゃあこれ、『チャンピオン太』のビデオ。明日までに見といてね(^v^)」 ……なんて会話がプロデューサーと夏季ちゃんとの間で交わされてるのに違いあるまい。 スタイルもいいしなあ、この娘。168センチだって? ちょうど釣り合いはいいな。……って誰とだ(^w^)。 『プレイガール』を紹介するってんで、画面の向こうから視聴者を撃つようなポーズを取ってくれてんだけどね、いやもう見事に射抜かれちゃいましたよ、私のハートを(>y<)。 『エコエコアザラク』『STACY』『羊のうた』と、立て続け3発の加藤夏季主演作品、全国のオタク諸君、これを見逃す手はありませんぞ。
今日の『ウルトラマンコスモス』、タイトルは『乙女の祈り』。 ……『怪獣一本釣り』のときも悪い予感がしたけれど、今日はアヤノ隊員が主役。……もう、チームEYESって小学校のクラスレベルの組織なのな。 みんなから「アヤぴょん」って呼ばれて拗ねるってのも、なんだかなあ、だけど、「カエルの騎士様」のマスコットに誓って、平和を守る決意をしたって、どういうキャラなんだ。 こういうのをオトメチックって言うのか? で、このアヤノ隊員が怪獣にとりつかれて夢の世界に閉じ込められちゃうわけだけど、その怪獣ってのが巨大ヒツジ……。 夢の怪獣だからって、そりゃ安易過ぎるってもんだよ。
日記の更新に追われて、なかなか録画しておいたビデオも見られない。 CSキッズステーション初のオリジナルアニメ、『SAMURAI GIRL リアルパウトハイスクール』も、今のところ録り逃さないでいるものの、全く見返せていない。 『青の6号』のGONZO製作の、『宇宙戦艦ナデシコ』のキャラクターデザイン、後藤圭二の新作なので、一応の期待はして今日も予約録画をしかけておいたのだ。 時間通りに始まったのを確認して、今日は録画しながら見ようかと思っていたら、今まで隣室で寝ていたしげが起きてきて、いきなりCSのリモコンでチャンネルを換えたのだ。 「な、な、なにするんだよ!」 ライン入力で録画しているので、そのチャンネルを換えられると、当然、録画自体も他のチャンネルに変わってしまうのである。 「……音を下げようとして間違えたんだよ!」 「だったら、テレビ本体のリモコンで音量下げればいいじゃないか! なんで遠くに置いてあるCSのリモコンをわざわざ使うんだよ!」 「どこにあるんだよ、テレビのリモコン!」 「おまえの目の前だ!」 ……なんだかなあ、ドジだバカだとは思ってたけどさあ、� 峅擦魏爾欧討いい�私に聞くのを忘れた」、�◆嵬椶料阿砲△襯謄譽咾離螢皀灰鵑鮓�つけられなかった」、��「ビデオが録画状態になっているのに気づかなかった」、�ぁ屮船礇鵐優襪伐士未離椒織鵑鮓�間違えた」、�ァ崋�分が悪いと解ってるのに謝るのを忘れた」。 ……ここまでバカを重ねるやつってそうそういるか?
最近、あまりにもバカがヒドイので今日はかなり本気で怒る。 別にビデオの録画ができなかったことを怒ってるわけじゃない。番組自体は明日も再放送があるので、そのとき録画し直せばいいだけの話だ。 こいつのドジが、日常生活のあらゆるところで私の足を引っ張っていること、更には周囲にとんでもない迷惑をかけてばかりいることが問題なのである。 保険証書は見つけられない、頼んでおいた家事を何一つやらない、病院じゃ周囲の迷惑も顧みずヒステリーを起こす、携帯の連絡先を親にも教えていない。 それらのドジをを全部「忘れてた」「気がつかなかった」で済まそうとしているのだ、こいつは。 自動車の免許も取ろうってやつが、こんなに不注意じゃ、マジで人を撥ねたりしかねない。人を殺しておいて「あ、失敗しちゃった」で済みはしないのだぞ。 人生に対する覚悟がなさ過ぎるのである。 せめて悪いことをしたと思って謝ることができれば、別に私もそこまで怒ったりはしないのだが、しげはこれまでの人生で「心から人に謝った経験がない」ので、やろうと思ってもできないのだ。 でも、できないですませられる問題じゃないぞ。
「お前、自分自身で反省したって証拠を見せられないのなら、これ以上、芝居も協力はできないからな」 芝居に関しては、しげもマジメにやってると思ってる人がいるかもしれないが、私から見たら全然である。入院中、私が考えてた音響プランを見もせずに帰ろうとしたこともあった。そのときの言い訳も「忘れてた」だ。 更に以前も、私の演出で芝居を作ろうとした時、真剣に役作りをするでもなく、ヘラヘラ笑ってばかりいたので、腹を立てた私が演出を降りたこともある。 しかも私が降りたワケを、メンバーにも正直に話せと言っておいたのに、「仕事で忙しいんだって」とウソをついていた前科もしげにはあるのだ。 「忘れてた」のは事実かもしれない。しかし、それが言い訳として成り立つと考えている根性が卑怯なのである。 なぜ先に「悪かった」という感情が生まれないか。 どうして自分の身だけを守ろうとするのか。 私に対してだけではない、自分以外の誰にも思いやりが持てていないのである。
……ちょっと、しげには猛省を促したいので、本気でしげが反省したと判断できるまで、私は今回の芝居から手を引きます。練習にも参加しません。 このことは、今、急に決めたことではなく、入院中にもしげに伝えていて、そのときもしげは初め一切謝ろうとはせず、こちらが本気で怒っていると解るやいなや、口先だけで「ごめん」と謝ってその場を誤魔化しました。 もちろん、その後のしげの生活態度は何一つ変わっていません。 反省したことも「忘れた」のでしょう。 つまり、しげが自分が反省したことを「忘れないようになる」まで、私の復帰は有り得ません。 でも、もともと私は「脚本以外で参加する気はない」と言っているのに、「人数が足りないから」という安易な理由でムリヤリ参加させられているのです。 劇団としてはもとの状態に返っただけですので、後をどうするかは演出の判断することです。
……今度はちゃんと理由をこうして書いたから、嘘ついて誤魔化すんじゃないぞ、しげよ。
マンガ、永井豪『スペオペ宙学』。 ほぼ、永井豪がギリギリ面白かったころの最後の作品かな。 少年サンデーに連載されてたのも、もう二十年も前だ。宇宙の学校に通うエッチ丸出しの男の子ドン宙太と、あこがれの姫君で、実はとてつもなく強い竜子・スカイウォーカーといった生徒たちが、煩悩だらけで人間離れした怪物のような先生たちと争いを繰り広げるって……。 昔読んでた時も驚いたけど、これ、宇宙を舞台にした『ハレンチ学園』のリメイクなんだよね。 実際、第一話からして、オシトヤカに見えた竜子が実は強かったってストーリーが全く同じ、身体検査を覗こうとするエピソードや、ヒゲゴジラ(本作ではホシゴジラ)を追放するエピソードなども、全部、原作にある。 丸ゴシ(本作では丸ゴリ)が女生徒を人質に立てこもる話がないのは連載が短期で終わっちゃったせいかも。でもラストはやっぱり「ハレンチ戦争」で幕。 ……いや、このラストは『ハレンチ学園』よりもずっと切ない。 ギャグマンガとして始めたものをシリアスで終わらせるということを永井さんはよくやってたが、読者のほうはどうにもやりきれない気持ちになることが多々あった。 『ハレンチ学園』しかり、『キッカイくん』しかり、『オモライくん』しかり。まるで「楽しいことって、続かないんだよ」って最後にヒトコト、言ってやらなきゃ気がすまないかのようだ。そういう資質の作家だ、と認識せざるを得ないのかもなあ。
2000年09月01日(金) 食って寝るだけの毎日も今日まで/ドラマ『横溝正史シリーズ・本陣殺人事件』ほか
| 2001年08月31日(金) |
おたくはセールス電話、おおくありませんか?/DVD『スペースカウボーイ 特別編』ほか |
8月も今日で終わり。 今年の夏は、ゆっくり休めたような休めなかったような。 でも気疲れ一つしないような生活を望むというのは現代人にとっては最高の贅沢だろう。現実には不可能な話だ。 そう言えば細野不二彦の『りざべーしょんプリーズ』に、忙しいホステスさんたちを、南の島で「何もさせないで」休ませるってのがあったなあ。でもそんな「楽園」を経験しちゃったら、現実に帰るのがイヤになっちゃわないだろうか。 私には、「南の島はこの世の楽園」とするような幻想は、全く興味を引くものではないのである。 尊敬する水木しげる御大がいかに「死ぬときは南の島で死にたい」と仰せられようと、一時期は熱狂的なファンであった原田知世が「ここが私の天国にいちばん近い島です」と言おうと(*^▽^*)、私の心に南洋への憧憬は生じない。 どんなに平和で悩みのない世界でも、活字と映画と漫画のない世界で暮らしたいとは思わないのだ。文明に毒された哀れな小人と思うなかれ。それがオタクの宿業なのである。
朝っぱらから父から電話。 昔、父の床屋で働いていた職人さんのお母さんが、健康食品の販売なんかをしているのだそうで、私が糖尿だと聞くと、「それはいけないわ、栄養が偏っているのよ、暴飲暴食しているに違いないわ、そのうち痩せ細ってガリガリになって血を吐いて死ぬのよ死ぬのよ死ぬのよ、そうならないためにはこの肝油を買うしかないわ、それしか生き延びる方法はないわ、きっとそうよ絶対そうよ、だから買ってね買ってね買ってね」と言って、その肝油とやらを置いていったそうである。 「すまんが、ヒマな時にでも店に寄って、もらって行ってくれんや」 「いらんわ」 なんだかなあ、知人やら、知人の知人やら、年に一度くらいはこういうセールスが舞い込んでくるのだが、この人たちは私との知り合い関係をやめたいのだろうか。それとも私のことを、いかにも騙されやすい世間知らずのお人好しのアホウの優柔不断の、ちょっとおだててやればすぐその気になって、なんぼでも買うたろか、店ごと持って来いやぁの、大バカ野郎のスカポンタンくらいに侮って売りつけようとしているのだろうか。 買わんて。
そんなことを考えていたら、更に電話のベルが鳴り、「瓦をお求めになりませんか?」
ウチはマンションじゃあ!
昨日に引き続いて『仮面の忍者赤影/金目教編』6、7話を見る。 前回までで霞谷七人衆のうち、悪童子、蟇法師、傀儡甚内は赤影たちと戦って破れている。 最後の、そして最強の七人衆として現れるのが夢堂一ツ目。 演じるは『蒲田行進曲』のヤスのモデルとしても有名な汐路章。甲賀幻妖斎の天津敏と並んで、もう一方の赤影の悪役俳優と言えるのがこの汐路さんなのだが、子供のころの私は、実はあまり汐路さんのことが好きではなかった。 というのが、汐路さんは第四部・魔風編で、頭領の魔風雷丸も演じていたのだが、これが実にひょうきんな役柄。悪の頭領のくせに部下の忍者たちに媚を売ったり、貫禄のないことったら。 悪役の真価とは、いかに貫禄と怖さを表現できるかにあると考えていた私には、汐路さんの演技はまるでオチャラケにしか見えなかったのである。 ……ガキだったとは言え、不明の至り、といはこのことだ。 そのころの私は、一ツ目も、第三部の根来編での夕里彈正(モデルは松永久秀か)もまた汐路さんであることに気がつかなかったのだ。あのひょうきん演技は、天津敏や原健策との差別化を図るための計算に他ならなかった。チンピラヤクザから悪大名まで演じ分けられる汐路さんの演技力あっての役どころだったのである。 夢堂一ツ目は全四部を通じて、最も妖怪的な忍者である。 全身が緑色、死神の持つような鎌をブーメランのように投げ、片目を巨大化させてその目から光線を発するなど、既に人間の域を越えていると言っていい。原作の夢堂典膳が盲目のクール・ガイだったのとは天と地ほども違う。 これはやはり、赤影の製作者たちが山田風太郎のファンだったということなのではないだろうか。 忍者一人一人に個性を持たすのは当然としても、ここまで妖怪にする必要はない。特殊な修業によって身体そのものを変化させることが可能になった、というアイデアは、それまで山田風太郎が唯一無二であった。 「これはいくらなんでもやりすぎだろう」というセーブがかからなかったことが『赤影』の長期放送につながったのだと思う。
しげが「本屋に行く」と突然言い出す。 「ああ、本屋に行くなら付き合おうか」 しげ、ニヤッと笑って、 「私と一緒がいい?」 ……延髄切りでも食らわしてやりたい気分になったが、ここで怒ってたらまた時間が無駄になる。 ニッコリ笑って、 「ああ、一緒がいいよ」と言う。 しげ、でへへへへーと笑う。 更に原爆固めでフォールしてやりたい気分にさせられるがガマン、ガマン。 「博多駅まで足伸ばさないか? ネットカフェにも寄れるしさ」 こないだからしげ、「ネットカフェに行きたい行きたい行きたい」と駄々をこねていたのだ。 しげ、どふぇふぇふぇふぇふぇ〜いと喜色満面。 ああ、こんなに単純な脳みそになれたらどれだけ幸せであろうか。
まず紀伊國屋に寄ろうと思っていたのだが、月末棚ざらえで店休日、間が悪いとはこのことだ。 一階上の「デジタルキャラクターズトータルショップ」……まあ、要するにマンガ・アニメ・ゲームの専門店なんだが、「GAMERS」に回る。 マンガを物色していると、カウンターのところに何やら小さな箱が。 ……「妖怪根付」?! こ、こ、こ、これはあの「百鬼夜行」シリーズのフルタの新作! 造形はもちろん竹谷隆之! ち、ちくしょう、前の第二期シリーズですら集めきれていないっちゅーのに、またこんなシリーズ出しくさりやがって! しかも今度は、前みたいに箱に穴が開いてあって、中の品が何かわかる、なんて親切なこともしてくれてない。 どうせどこぞの店では箱から外に出して揃えたものを2倍ぐらいの値段で売ったりするんだろうけど、そんな詐欺商法に乗りたくはないし、オトナ買いもなんかやらしくってイヤだ。 ……しかも「陰の巻」「陽の巻」合わせて、全24種類〜ぃ? 数学に強い人、全種類集めるためには平均して何個買えばいいか、教えてくんない?
自分で言っておいて失敗したなあ、と思ったのは、インターネットカフェ『POPEYE』、煙草が充満しているのである。 禁煙席もあるにはあるが、喫煙人口がやたらと多いので役に立たない。マンガ読むより、映画見てたほうが楽かなあと思って、DVD『スペースカウボーイ 特別版』を借りる。 字幕で見るか吹き替えで見るか迷ったが、クリント・イーストウッドの声を小林清志さんがアテているのを見て、吹き替えを選択。 説明の必要もなかろうが、イーストウッドの声をアテていた定番は故・山田康雄さんである。つまりこのキャスティング、ルパン三世のあとを次元大介が継いでいるわけで、恐らくその辺の事情もスタッフは鑑みてこの「友情のリレー」を企画したのだろう。 いささかその意図がわざとらしくはあるものの、これで声優さんが張りきらないはずはない。しかもジェームズ・ガーナー(久しぶりっ!)の声がまた大塚周夫さんと来たもんだ。あなた、声優さんにまで爺……失礼、超ベテランをあてるあたりが嬉しくってたまらない。当たり前のように見えるかもしれないけれど、下手したら若手に作り声させて出演量ケチる場合だってあるんだよ。 一応、基本的に私は映画を見るのは原音・字幕派なんだが(ヒアリングが得意なら字幕だっていらないよな)、吹き替えを否定するまでのことはない。 悪口言いたかないけどよ、字幕至上主義で吹き替え声優全般に対して、不当に貶めるような発言するやつは映画の本質も知らんノーテンパーだ。字幕と吹き替え、どちらが上かなんて単純比較ができるものか。どちらも長短があるのである。
で、肝心の映画。 キネ旬で1位取ったってえのが、さて、あのアホどもにこの映画の意味がちゃんと見えてんのかいな、とは思うけれど、実際、悪い出来じゃないのは確かだね。というより、結構な拾いものだよ、これ。 確か「地球の危機をなぜ爺さんに託さにゃならんか」と、その設定のムリっぽさにケチつけてたヒョーロンカがいたが、こういうのが典型的なバカなの。 だからもともとそのムリを見せるための映画なんだってば。 みんな気がついてないみたいだけど、基本的にこれ、純然たるコメディーなんだよ。それに気づかずに上記のような批判してたヤツは、例えば『ゴーストバスターズ』見て、「幽霊なんてこの世にいるものか」と批判するのと同じくらい、バカだってことだな。 勘違いしやすいのは役者がイーストウッド、トミー・リー・ジョーンズ、ドナルド・サザーランド、ジェームズ・ガーナーと芸達者を揃えているせいなのだろうな。誰一人としてコメディー俳優がいないのだもの。 だけど、ちゃんとコメディー演技してるんだよ、みんな。 あの、冒頭からちゃんとコメディーしてることに気がつかない? 1958年、空軍のパイロットでケンカばかりしているフランクとホーク。 人類初の宇宙パイロットになれるかとNASAの発足式の壇上に登るが、上司の「ご紹介しましょう、記念すべき栄光の宇宙パイロットです!」の声とともに、フランクとホークの“後ろ”から現れたのは、メスのチンパンジー! いや、確かにこれ史実だけどさ、別にホントに「なんでサルを宇宙に送るんだ」って怒ったパイロットはいなかったと思うぞ(^.^;)。 で、この二人、「おまえのせいで宇宙に行けなかったんだ!」と、その後“40年も”、ケンカし続けているのである。 バカだね〜。 この二人と残り二人を含めたチームの名前が「ダイダロス」ってのも人を食ったギャグ。これ、太陽まで飛ぼうとして“墜落”したイカロスの父っつぁまだがね。イカロスは落ちたが、ダイダロスは逃げ出したのである。 『マクロス』の「ダイダロス・アタック」の語源も当然これですわな。何だかこういう言わずもがなのこともつい書いちゃうのも、非オタクの人がこのページを覗いた時のためのフォローであるので、うるさいウンチクだなんて思わないでね。 で、老朽化したロシアの通信衛星を修理するために(あまりに旧式なので、修理のノウハウを知ってるのが「ダイダロスチーム」しかいなかったのだ。わあ、ウソっぽい設定♪)、フランクは「今度こそ宇宙に行こう!」とホークを誘うのだが、意地っ張りのホーク、「だれが今更!」とケンもホロロ。 諦めて残りの二人のところにやってきて、フランク、「ホークのクソ野郎のことは諦めろ」と報告したその後ろから「だれがクソだって? このジジイが」とホーク。 ……どこまで行ってもギャグじゃないの。実際、ギャグの数でその映画をコメディーかそうでないかを見分けるとしたら、この映画、オチに至るまで全編ギャグなのである。ああ、この映画を公開当時、イーストウッドのプライベートフィルムみたいなものかと勘違いして見に行かなかった自分自身の若さゆえの過ち(もちろんダイダロスチームに比べりゃ中年の私だって若手だ)、本気で悔しいぞ。 特に見せ場となるのは、ラスト近くの危機一髪のあたりではなく、爺さんたちがスペースシャトルに乗りこむために訓練に臨むところ。ここが最もギャグの数が多い。 マラソンして3キロ走っただけでバテて「ダメだ、もう走れん!」と言ってたのに、「あ、きれいなネーちゃん」のヒトコトで「何っ!」と走り出すジェリー。うわあ、マンガのような定番ギャグ。でも、これを演じるのがあの『マッシュ』の、『針の眼』の、『SFボディスナッチャー』(笑)の、サザーランドなのよ。みんな70歳になろうかってトシなのにこいつだけ今でも現役ビンビンという設定なのだ。上原謙かい。 フランクとホークがGショック体感装置に乗った途端、遠心力で顔のシワが伸びて若返るというギャグなんか大爆笑。これ、『スパイ・ライク・アス』でも似たようなギャグやってたけど、わざとらしくない分、『スペースカウボーイ』のほうに軍配を挙げよう。 ギャグを挙げ続けてたらキリがないのでこの辺で。少しはこの映画が「コメディー」であること、ご納得頂けただろうか。 だからあのリアリティのないオチについても、感動して泣いたヤツも、逆にシラケたヤツも両方いたかもしれないが、アレは「拍手」するところなのだ。……いいよなあ、「FLY ME TO THE MOON」♪ これ以上のネタバラシは控えるが(いや、実際に見ていただければ、これ以上にギャグはてんこもり、決して退屈はしないのでご安心を)ダイダロスの面々が、『トゥナイト』に出演するシーンがあって、特典映像のメイキングを見て驚いた。 あれ、脚本が全くナシの完全アドリブだったのだ。つまり、四人ともまんまその役になりきって演技していたのだ。 凄いぞ、この映画。 監督のイーストウッドが、初めこの企画に乗り気じゃなかったのに脚本を一読してやる気を出したってのも納得だね。 ああ、DVD買いたいのがまた増えちまったよう。
帰りにスーパーに寄って買い物。巷で話題の「とんとろ」を初めて買う。……話題の一品だけあって、ワンパック420円と高いけど(同じ量の鶏肉が200円前後なのでほぼ2倍)。 でも、ネギで塩焼きしてみると、確かにコリッとした触感が実にうまい。ちょっと塩味をつけすぎたが、味付けが特になくても、炒めるだけで充分美味しい。これはもしかしたらしばらくハマるかも。 ……また体重が戻らないように気をつけないとなあ。
DVD土曜ワイド劇場の江戸川乱歩シリーズ、『浴室の美女/死刑台の美女』見る。ホームページの「映像で見る明智小五郎」のコーナーを作ろうと(こればっかりや)購入したのだが、初期のころの土曜ワイド、結構ヌードに吹き替えを使っていたのだということがよくわかる。……こらこら、ドラマのどこを見てるんだ(^^*)。 女優さんが脱ぎたがらなかった、というより、テレビ的に自主規制してたんだろうな。夏樹陽子も、かたせ莉乃も数年後にはバンバン脱ぎまくるようになるし。 でもなあ、見てすぐ一発で吹き替えとわかるってのはいくら何でもどうか。 夏樹陽子は自他ともに認める超ペチャパイ、別名、男胸である(ひでえ言い方)。どれくらいペチゃかというと葉月里緒菜よりない。それが乳房のシーンになった途端、あるのである。 逆にかたせ莉乃は超巨乳である。確か1メートルあったのをなんぼなんでもと91くらいに少なめに発表していたとウワサに聞いた。……当時、こんな巨乳の吹き替えできるアダルト女優なんていない。で、ヌードになった途端、乳房がしぼむのな。1/5くらいに(笑)。 後年、この二人が脱ぎまくったというのは、理由は正反対でも、「アレは私のチチではない」ということを見せねばならぬと思ったからではないのか(笑)。
初期の土曜ワイド、実際吹き替えのチチばかりで客をバカにするな! と怒ってたのだが(当時私は高校生♪ ……いや、こんなもんですよ、色気づいたバカガキってのは)、珍しく生のヌードを見せたのが『幽霊列車』の浅茅陽子。 これもDVDを買いましたって、ヌード目当てで買ってるように思われたら困るなあ。これ、赤川次郎の新人賞受賞作(これがデビューと錯覚してる人が多いが、赤川さんのデビュー作はテレビ『非情のライセンス』の脚本である)の初映像化で、しかも監督は岡本喜八、自作の映像化のほとんどを「駄作」と言いきる赤川さんが唯一認めた傑作なのだ。 田中邦衛・浅茅陽子の探偵コンビに加え、岡本組の芸達者がズラリ揃ってもう壮観なことったら。内田朝雄、桑山正一、殿山泰司、今福正雄、天本英世、山本麟一、信欣三、小沢栄太郎、今や故人となった方が多いのが悲しい。なんと子役時代の『もののけ姫』のアシタカ、松田洋治までいるのだ。 例の浅茅陽子の入浴シーン、監督のインタビューで事情がわかったのだが、吹き替え女優がドタキャンして、「どうしようか」って言ってたら、浅茅さんが「あたしやるわよ」と言ったんだそうな。女優はこうでないといけない。 原作のミステリーとして弱いところも監督が補完、「ここは描写が足りない」と人物を掘り下げ、「だってそんな設定いらないもの」と、ムダな描写を省く。これだけ原作を批判され、書き換えられたら、原作者としては怒りそうなものだが、その「改変」が的確だったからこそ文句のつけようがなかったのだろう。 何10本とある赤川作品の映像化代表作を一本挙げろといわれたら、私はこの『幽霊列車』を挙げる。 ……ひとつだけ難を言えば、渡辺岳夫の音楽がちょっとだけ重いんだよなあ。
2000年08月31日(木) 耳掻きしてたら血が出た……/『心理試験』(江戸川乱歩)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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