無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年07月05日(土) 同情でもいいから少しはくれ(T∇T)/DVD『山村浩二作品集』/『沈夫人の料理人』1巻(深巳琳子)ほか

 朝っぱらと言うか、真夜中にいきなりしげ、鴉丸穣を連れて帰宅。
 私は当然寝こいていたのだが、折悪しく素っ裸であった。
 いや、風呂あがりでそのまま寝ちゃったんでそういう状態だったのである。慌てて居間から寝室に逃げ込んだのでナニを見られはせなんだが。
 鴉丸嬢、「イイ男なら『きゃあ、セクハラ♪』ですむけど、中年オヤジじゃただの痴漢だよねー」と身もフタもないことを言う。別にナニも見せとらんだろうが(-_-;)。
 「男だって、若い女の裸と、中年デブ女の裸とだったら、若い方がいいでしょ?」
 そりゃそうかもしれんが、だから私ゃワザと見せてるわけじゃないだろうが。セクハラも痴漢もしとらんぞ。

 しげがなんでまたいきなり予告もなく鴉丸嬢を連れてきたかっていうと、部屋の掃除のためなのであった。実際、部屋の中にゴミ袋が十数個溜まっていたのである。
 日頃から自分で片付けておけばいいものを、何かと言い訳ばかりしてサボっているからこんなふうに人に頼ることになるのである。一体何人の犠牲者を巻き込めば気がすむのか。たいがいでやめろと言い聞かせていたのにまた性懲りもなく同じ失敗を繰り返しているのである。
 以前、結局片付けを手伝わされたときに、「もう今後は一切、掃除は手伝わないぞ」と言明してあるので、ひと片付けできるまでは隣室で待機する。つーか、裸なんで出ていけないのだが(-_-;)。
 しげに「着替え持ってこいよ!」と言っても無視される。明らかなイヤガラセで、むかっ腹が立つ。鴉丸嬢が浴衣を見つけてきて寝室に投げこんでくれたので、ようやく着替えられて居間に出られるが、睡眠中にいきなり起こされたので、体調も芳しくない。どっちにしろ片付けを手伝える状況ではなく、しげと鴉丸嬢がゴミ袋をえっちらおっちら運んでいくのを横目で見ながらウツラウツラ。

 ようやく片付けが終わったあと、さて、鴉丸嬢を車で送って行こうか、という段になって、今度はしげが落ちる。あまり寝てないのかもしれないが、おかげで鴉丸嬢、帰るに帰れない。仕方がないので、しげが起きるまで、鴉丸嬢とホームページの原稿の話などして時間稼ぎ。
 鴉丸嬢がクトゥルーのファンだったとはつい先日まで知らなかった。もっとも彼女も『退魔針』でその存在を知った、ということだから、ラブクラフトのこともあまり知らないのである。
 だもんで、ついまた悪いクセで要らぬウンチクなどを披露したりする。
 「小説は読みにくいものもあるから、映像から入った方がいいかもしれないけど、クトゥルーの映画化って、ロクなのがなくってねえ、『ダンウィッチの怪』なんて怪物の造詣がダサイし、『ネクロノミコン』もねえ……。『インスマウスの影』なんて、主演が佐野史郎だし」
 こんな調子である。なんか、思い返すだに恥ずかしいな。
 いろいろ説明するより原典にあたってもらった方がいいよな、どこかに国書刊行会の『真・ク・リトル・リトル神話体系』が転がってたはずだがと探してみるが見つからず、『幻想文学』のバックナンバーも書庫の奥に埋まっていて取り出せない。ようやく見つけたのが創元推理文庫の『ラブクラフト全集』の5・6巻と、矢野健太郎の『邪神伝説シリーズ』(^_^;)であった。これだけでも少しは面白いかと思ってお貸しする(文庫は寄贈した)。いや、ほかにも某K女史の『魔○○○伝』というのもあったんだが、クトゥルーのファンになってもらうのにこれほど不適当なものもあるまい(^o^)。
 とりあえず5巻には『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』や『ダニッチの怪』などが収録されてるから、つまんないということはないと思う。ホントは『インスマウス』や『クトゥルフの呼び声』も読んでほしかったんだが。

 駄弁っているうちに、なぜか鴉丸嬢と「政治」の話になる。
 といっても、鴉丸嬢の疑問は「世の中のオトナって、どうして悪いことばかりするの?」という子供っぽいものである。
 ハタチを過ぎた女性がこういうことを言い出すこと自体、どうかという批判は簡単なんだが、人にはそれぞれ事情というものがある。
 単純な二項対立の中に自分を置いて自らを「善人」に規定する意識は、私の一番忌み嫌うところであるが、それなくしては自らの行動を規定しえない人もいることも事実ではあるのだ。彼女のプライバシーをここで明かすことはしないが、彼女がともすれば極めてステロタイプな「正義」にすがる傾向があるのは仕方のない面はある、ということなのである。
 「政治家がおカネ儲けばかり考えてるのっておかしいじゃない。政治家って、みんなのためにいるんだから、おカネなんて要らないって人がなるべきじゃないの?」
 「そんなやついねーよ」
 笑って否定してしまったが、鴉丸嬢のような理想主義者には、世の中というものはいつの時代でも生きにくいものだ。いや、彼女自身もそれには気づいていて、わざと悪人になろうとしている面もないではないのだが、どうしてもそうなりきれないのは、「悪を許す」心情が、彼女の場合、ヘタをすれば自我崩壊に繋がりかねない事情があるからだ。
 彼女のような子にはホントに幸せになってほしいんだけどなあ、難しいよなあ、其ノ他君がもうちょっとしっかりしてるといいんだけどなあ。


 2時間ほどしてしげが目覚めるが、起きるなり「腹が減った」。
 自分の腹具合のことより、鴉丸嬢を待たせたことの方を悪いと思わんかな、こいつは。
 鴉丸嬢を送って行くときに、「アンタも食事する?」と聞く。
 ああ、しげは忘れているのだ。今日は私の通院の日だということを。当然、尿検査、血液検査があるのだが、そのためには朝メシ抜きで行かなきゃならないのだ。夫の体調よりも自分の食欲の方が優先するやつだとはわかっちゃいたけど、どうにもやりきれない。
 文句を言ってやろうかとも思ったが、もしかしてギリギリで気がつくかもしれない、と一縷の期待をかけて、一緒に付いていく。
 もちろん、しげにそんな期待をするほうがバカなので、鴉丸嬢を送り届けたあと、ロイヤルホストに入っても、しげは脳天気に「何食べる?」と聞くのであった。
 「食べれるわけないじゃん。今日検査だし。先週から言っといたろ?」
 「……じゃあ、店出る?」
 またなんでそんな言い方をするのか。ここで一言「ごめん」と言えれば、コトはすむのだ。会話するのもイヤになって、あとは無言。


 日が昇った頃に、内科と眼科をハシゴ。イヤなハシゴである。
 病院への行きがけはしげに送ってもらったのだが、そのまましげは練習に直行するので、帰りは一人で帰るしかない。となると、両目とも点眼してしまっては前が見えなくなってしまう。だもんで、今日の検査は右目だけにしてもらうつもり。
 本当は左目の状況も確認してもらおうかと思っていたのだが、しげはやっぱり自分のことだけで頭がいっぱい、私の状況なんて何も考えちゃいない。
 こちらもいちいちしげに期待するのはムダだとわかっちゃいるので、今日は右目でこの次は左目と交代で見てもらうしかない。
 しげにそのことを告げたら、またヒステリーを起こして、「練習休んで付き添えばいいやろ!」とか言い出す。こういうのが一番迷惑なんである。血の巡りが悪くて人のコトを気遣えないのは仕方がないとしても、そのことを指摘されて逆ギレするのは最大級のバカである。こうなると「お前には何も期待しないよ」としか言えないし、顔も見たくなくなる。
 病院の近くの信号で停車した時に、無言で勝手に降りる。案の定、しげはそのまま練習に行く。だったら、最初から付き添ってやろう、なんてことを口にするものではない。腹が立つよりも、もうすっかり気が抜けてしまっている。


 内科での検査結果は相変わらず悪い。
 体重が落ちてきているおかげか、血糖値自体は少し下がっているのだが、目の状況を考えると、一気に落とし過ぎてもよくないのだそうだ。薬の効果も今一つないようならば、次回から量を増やそうかと言われる。イヤとは言えんがホントにクスリづけの生活になりそうなんだなあ。
 眼科の方も、毎週通院して瞳孔開かされて光を当てられまくるのは結構苦痛なのだが、明日、目がどうなるかわからんのだからこれも仕方がない。
 相変わらず右眼に紐はぶら下がってるままだし、何だか視界の下の方に影みたいなものが見えるときもある。主治医の話によればこの影がだんだんとせり上がってくる感じになるそうだが、さて、その進行をどれだけ食いとめられるものなのか。
 「とりあえず進行は止まっているようですね」
と医者は言うのだが、その舌先で「でももう少しレーザー治療をしておきましょう」と言う。進行が止まってるならどうして再治療の必要があるのか。
 で、また何発打たれるのかなあ、と漫然と数えてたら336発である。先週より百発多いんだけど、どうしてですか。いや、実際に聞いたりできないけど。
 しげのこともあるので、終始沈んだ調子で治療を受けていたのだが、医者はどうもそれを勘違いしたようだ。なにしろ、少しは痛みを感じてたはずなのに、私はずっと無言だったのである。特に聞きもしなかったのに、「先週の続きですから、改めてレーザーの治療費は取りません」と言う。
 いや、オカネの心配をして沈んでたんじゃないんですけど(-_-;)。
 ただ、もし請求されても唯々諾々と払ってた可能性はあるので、そう言ってもらえて安心はした。
 実際は治療後右眼の奥がズキズキ痛むので、眼帯を受付でもらう。これも無料サービスなんだけど、これくらいのことでもありがたいなあ、と感じてしまうのは、それだけしげの愛情のウスさに、心が疲れてしまっているからであろう。

 そのまま帰宅しようかとも思ったが、先週天神に行き損なっていたので、眼帯を着けたまま、ベスト電機LIMBや福家書店、ジュンク堂を回る。たまに「この人なに?」という感じで眼を逸らす人がいるが、眼帯くらいで不審人物扱いされるのはいやなものである。もっとも、素でもそんな眼で見られることがあるのはもっと業腹なんだが(~_~;)。
 福家書店のブックカバー、ずっと手塚治虫シリーズなのだが、『ブラック・ジャック』『鉄腕アトム』『リボンの騎士』に続いて、新しいのは『ぼくの孫悟空』である。黄色い地にアニメキャラの孫悟空の顔が線画でどでかく載っている。映画公開に合わせてるためだろうが、これは原作の絵柄でやってほしかったな。裏表紙が映画のポスターそのまんまなのもちょっとジャマだけど、全体的なセンスは悪くない。もうマンガの方は持ってるんだけど、このカバーをつけて全集版で揃えたいって気にはなる。映画自体は上映繰上げとかで、宣伝もロクにされてないようだけど、ヒットしますかね。
 食事もついでにしようかと、天神コアの食堂街に行ってみたら、こないだしげと食事したランチバイキングの店が潰れて普通のレストランに代わっている。って、開店してそんなに時間経ってなかったと思うけど。これだから、「いつかこの店に行こう」じゃなくて、思い立ったときに行っといた方がいいのである。


 夕方、父から電話。
 なにごとかと思ったら、「お前、網膜剥離はどげんや?(=どうなんだ)」
 実は父には眼のことは全く話していなかった。話したところで何がどうなるものでもないし、心配をかけるだけだからである。一瞬、医者が父に伝えたのかなあ、と思って(父も同じくそこに通院しているのである)聞いた。
 「なんで知っとうん?」
 「しげさんから聞いたったい」
 また、しげか(-_-;)。
 そう言えば、こないだ、しげから「父ちゃんには目のこと言わんと?」と聞かれた時に、「言わんよ」とだけ答えていたのだが、その時ハッキリと「親父には眼のことは話すなよ」と口止めしておくべきだったか。
 私が悪いのかもしれないが、普通、こんなことは言わなくてもわかってくれそうなものである。……という常識が通用しないのがしげなんだよなあ。いったいあれがどこまで馬鹿なのか、もうとても私の想像力の追い付くところではない。
 しげが私のことを心配して、父に眼のことを話したんだろう、などと好意的に考えるのは間違いである。アレにそんな気遣いをする能力はない。全くない。状況を面白がって言ったのに決まっているのだ。
 父はともかく「何で言わんやったとや」と責めたてるので、弁明にこれ努める。
 「別に隠しとらんて。治療が一応すんでから言おうと思っとったんよ。治れば別に何ちゃないやん。レーザーで剥離抑えてもらったけん、もう治っとう」
 「ああ、レーザーか、そりゃよかったたい」
 なんだかレーザーが万能であるように父は思っているようである。それで納得してくれるなら、特に問題はない。


 帰宅したしげに、「なんでオヤジに眼のこと話したとや?」と聞いたら、「だって話題がないし」と答えやがった。
 なんかもう言葉もない。
 しげを嫌ってるわけではないから、何か聞かれりゃ答えはするけど、私の方から積極的に会話する気が失せていくのはどうしようもないことである。


 次回の『ゴジラ』のヒロインが吉岡美穂になったとか。
 グラビアで見かける程度で、動いてる彼女は『逮捕しちゃうぞ』くらいしか見てない。だもんでどの程度演技ができる人なのかよくは分らないけど、『ゴジラ』シリーズはもう私の中では「全く期待しないで見にいったら少しは楽しめる」レベルにまで下落はてるから、誰がヒロインやろうとどうでもいいや。


 DVD『山村浩二作品集』。
 予約してたのに、LIMB、取り置きを忘れてやんの。現物が店頭にまだあったからいいけど。これが多いから、だんだん紀伊國屋の方ばかり利用するようになるのだ、しっかりしろよ。
 ようやくアヌシーグランプリの『頭山』(英題はどんなかなあ、と思っていたがまんま「Mt.HEAD」であった)を見ることができたわけだが、「落語の映像化」という点ではこりゃどうかな、という面もないわけではない。
 もともと「映像化できない語り」のナンセンス性にこそあの落語の魅力はあるのである。最初あの落語を聞いた時には私は笑うより先に呆気に取られた。「頭の上の花見」ってどうやって? オチなんて、どんな絵か浮かばねーよ、普通。仮に私が笑ったとしても、それは脳を揺さぶられた結果の狂気的な笑いになっていたことだろう。
 しかも語りは三味線の国本武春。落語の語りとは似て非なるもの。「落語」を期待すれば多分肩透かしを食らう人も出てくるだろう。
 立川談志あたりは「なんだあんなもん」と言うんじゃないかな。『幕末太陽傅』も「落語じゃねえ」と言い切った人だし。そう言えば立川志らくは『キネ旬』で微妙な誉め方してたなあ。「すばらしいけど、ほかにも映像化したい落語はいっぱいある」とかなんとか。
 けれど「アニメーション作品」として見た場合、これはやはり第一級の作品である。花見客がミニサイズになっちゃう絵は原作を知ってると陳腐だが、初めてこの話を見る観客にはそれだけで充分ショッキングだろうし、オチの映像化はまさしく「映画」になっている。ああ、アレを流用したか、と映画ファンならすぐに見当がつくけど、その流用の仕方が卓抜なのである。
 所詮は原作の「解釈」にすぎない、という批判も可能だが、その解釈がまた別の想像力を観客に喚起する効果は確かににあるから、これはこれで成功作と言っていいのではないか。


 DVD『サイボーグ009 第2章 地上より永遠に6』。
 今巻から『地下帝国ヨミ編』。
 封入パンフを見てたら、設定の中に「赤面するバン・ボグート」があったんで笑う。そんなシーン、どこかにあったっけ。そう言えばこないだ『快傑ハリマオ』を読み返してたら、しっかりボグートが出て来てやっぱり悪役を演じていた。まあ全ての石森作品を読んでるわけではないのでなんとも言えないが、少なくともギルモア(ドンゴロスの松)とボグートは少なくとも二度、戦っているわけである。
 本放映時から完成度は高かったので、リテイク部分はあまりなさそうな印象。ああ、このクォリティで全話が制作されてたらなあ……。


 マンガ、深巳琳子『沈夫人の料理人』1巻(小学館/ビッグコミックス・530円)。
 中身についてはオビの惹句をそのまま引用(手抜き)。
 「中華料理の一皿に立ちのぼる妖艶なる主従関係! 美食のエロス! この世の何よりも食べることの好きな奥様・沈夫人と、この家に買われてきた天才料理人・李三。時は明代中国。奥様は退屈していた。『私に何を食べさせてくれるの?』」
 つまり『妖異金瓶梅』料理版って感じですね。沈鳳仙夫人が藩金蓮で、李三が応伯爵の役回り。才能があるのに苛められる李三が健気ながら哀れを誘う。もちろんその哀れっぷりがおかしいんだけど。
 この高飛車なお嬢様・お姫様なんかに翻弄されるって物語のパターンも随分昔からあると思うけれど、これを精錬した傑作が谷崎潤一郎の『痴人の愛』だったり沼正三の『家畜人ヤプー』だったりする。もちろんこのマンガがそこまでどぎつくなることはないのだけれど、そういう「匂い」がこのマンガをして他の凡百の料理マンガと一線を画する結果になっていると思う。
 まあ、苛められないと伸びない才能ってのもあるわな(^o^)。

2002年07月05日(金) 金曜で〜とだ。一応/映画『マジェスティック』/『気になるヨメさん』1巻(星里もちる)/『クロノアイズ』6巻(長谷川裕一)
2001年07月05日(木) 疲れてるとかえって饒舌/DVD『アリオン』ほか


2003年07月04日(金) 私は多分ちょっと本気で怒っている/『放送禁止歌』(森達也)

 ニカウさんが亡くなったそうです……って、覚えてる人もなかなかいいトシになっちゃいましたねえ。
 1980年の映画『ミラクル・ワールド ブッシュマン』は、輸入会社も予想しなかった大ヒットを飛ばしたけれども、「神様の落し物であるコカ・コーラの瓶を拾ったブッシュマンが、神様のところに返しにいく」だけの単純なストーリーがなぜか当時の人たちの心を打ったのですね。私も見に行きましたが確かに普に「面白かった」記憶はあります。
 科学的、人工的な現代文明にどっぷり使った生活してるとね、ふと「これでいいのかな、何か我々は『自然』に忘れものをしてきてないかな」なんて気になっちゃう時があるんですねえ。でもって、何年か置きに起こるそんな「自然回帰ブーム」にちょうどマッチした感じでその手の映画がヒットするんですよ。その典型的な例。
 でも今、同じものが作られてもさてヒットするかどうか。だって今や日本じゃその手の映画を恒常的に提供し続ける「スタジオジブリ」って映画会社がありますから(^o^)。
 宮崎駿がその名声の第一歩を示すことになる『風の谷のナウシカ』の漫画原作を描き始めたのが、その2年後の1982年。実際、ジブリ作品を除けば、この手の映画がヒットしたのって、『ブッシュマン』が最後じゃなかったか。
 あとで「あの映画は実はヤラセだ」とか批判が出たけど、ドキュメンタリーじゃなくて劇映画なんだから、こんな的外れな批判はない。それくらい日本人の「自然」願望は歪んでたとも言えるのである。

 ニカウさんは、1日にまきを拾いに出たまま戻らず、捜しに出た家族が草原で死んでいるのを見つけたという。推定59歳。


 さくら出版のマンガ原稿流出事件について、テレビレポーターが元社長に取材していたのを見る。と言っても本人、姿は現してない。
 「その件は弁護士を通じて」とコメントしてあとは沈黙ってのはまあ、分からないでもないが、そのあと更に弁護士に取材したら、「それは犯罪の話になるので言えない」って……。言ってるじゃん(^_^;)。
 つまりはアレが全部「不正流出」だということを認めちゃってるってことではないのよ。となりゃあ、そのへんの事情を「まんだらけ」が一切知らなかったって言い訳はちょっと成り立たなくなってくるね。
 インタビューに答えてた弘兼憲史さんも「あれは盗品」と明言されていたけれども、これから先、裁判で係争していってちゃんと原稿がマンガ家さんの元に戻ってくることになるのかどうか。結論が出るのに時間がかかった場合、その間に二重流出が起こりはしないだろうか。
 ゴタゴタする前に、「まんだらけ」社長が原稿を返す度量を見せてくれたらいいんだけれど、なんかテレビで見たこのおっさん、洗脳されてた頃の蓮○薫さんみたいな顔してて(例えがよくなくて申し訳ないが、なんか目がイッちゃってんだもの)、アテになりそうにないのである。高飛車なモノイイをするわけでも倣岸な態度を取るわけでもないのだけれど、「原稿をほしいのであれば買い取っていただくということで」と淡々と喋ってるあたり、一筋縄ではいかないような雰囲気なのである。「管理が悪いのはマンガ家と出版社の責任」って、出版社はともかく、マンガ家は違うでしょう。出版社に「原稿返して」と要求しても返却に応じてくれなかったんだから。それが分らないはずはないのにいけしゃあしゃあと言ってのけるあたりが、「わかってやってる」度が高いと思うのである。
 ああ、ほんなこつ、誰か大金持ちが原稿全部買い戻して、マンガ家さんたちに無償で返してくれないものだろうか。
 ……って、それじゃ問題の根本的解決にならんことは重々承知してるのだけれども。


「WEB現代」の『あなたとわたしのGAINAX』が面白い。
 第2回「ゼネラルプロダクツ」で、ガイナックスの統括本部長の武田康廣氏へのインタビュー、それなりの長さ(12分)をかけているので、「あの頃」の歴史を思い出して懐かしさに浸れる。
 と言っても、私は学生で貧乏で、とてもSF大会に参加できる余裕はなく、アニメ誌の記事を見ては、「ああ、自分たちよりちょっと年上の人たちがアマチュアなのにこんなスゴイことやってるんだ」と、「DAICON3&4」のOPアニメーションの趣味っぷりに感激していたものである。
 既にこのフィルム自体もSF大会などごく限られたイベントでしか上映されなくなっているので、「幻」と言ってもいいと思うが、オタクという言葉が発生する以前の、「アニメファン」の原石の輝きのようなものがアレにはあった。「美少女とメカ」はもちろん性のメタファーではあったが、何かまあ、そこに我々はアマチュアならではの「純」なものを見出していたのだ……と思う。
 と、言葉を濁さねばならないのは、その象徴として「吾妻ひでお」という、その「純」なもののウラにしっかりナニな部分を内包したキャラクターを使用していたということがあるのであるが。
 実際、イマドキの若い人に「あのころの吾妻ひでおは『最強究極絶対不滅純情可憐聖俗合わせ持つ美少女』を描いていたのだ」と言っても信じてもらえないかもしれない。

 ま、それはさておき、武田さんの「権利」に関する話はためになるし(『王立』も『ナディア』もガイナックスが権利を持ってないってのには驚いた)、ゼネプロからガイナックスへ至る険しくも楽しい道程は、これまでいろいろ書かれてきたものを思いだしながら読むとある意味感動的ですらある。
 けど、私が一番ツボにハマったのは次のくだり。

> もちろんキャラクターは売りたい。しかし、いかんせん、そのう、なかなか難しいんですよ。たとえば今“萌え”の路線が流行っているからといって、そういう作品がガイナックスでつくれるのか。何回挑戦してもそれは無理だろうと。妹が何人も出てきて「お兄ちゃーん」とかいっている作品を、ウチがつくれるかというとそれは無理だと思います。
 (中略)
> 山賀なんかは「王立宇宙軍」に出てきたリイクニが美少女だと思っていたくらいで、感覚はずいぶんあやしい。「おまえそれはないだろう」(笑)。確かに乳は揺らしてましたけどね。「トップをねらえ!」でも、最初はずいぶんと乳を揺らしている女の子が出てきましたけど、結局山賀がつくった作品の世界に監督の庵野がのめりこんで、とてもハードなSF作品になった。あの作品の場合、そのバランスで絶妙に面白くなった。作品をつくるということはそういうことだと思うんですよ。会社としてこの路線で行く、と考えても結局つくりたいものしかつくれない。

 「アヤナミは萌えキャラちゃうんか」、というツッコミは妥当ではあるまい。一見かわいらしいキャラデザインの美少女になら誰にでも萌えるファンにとっては『エヴァ』のキャラも『シスタープリンセス』や『らいむいろ戦記譚』の妹キャラも全部いっしょくたなのかもしれないが(でも本当に「妹ブーム」なんてあるのか)、やっぱり「背負っている物語」が違うのである(設定の多寡ではない)。
 陳腐な言い方になって申し訳がないのだが、「ドラマ」ってのはそこに「人間」がいなきゃどうしようもないのだ。「人間が描けなければドラマにならない」というのは否定のしようがない事実なんで、そうでないアニメや映画に魅力は生じない。ドラマのない作品にも魅力があると思っている人たちは実は作品以外のものを見ているので、それは全然作品を誉めてることにはならないのである。

 も一つ笑ったのが、注釈に付いてた「萌え」の解説。

> 『萌え』

> '90年代中盤から後半にかけておたく文化の中で生まれた用語。誕生当時は漫画やアニメ作品、ゲームなどにおける少し変わった、「なにか心にひっかかる」キャラクターやストーリー、世界設定などに対して用いられていたが、やがてキャラクターの魅力をあらわす用語として定着した。一応はアニメ、漫画作品の年少の美少女キャラクターに対して発生する恋情、もしくはキャラクター設定に関する特定のバイアスに対して使用される用語ではあるが、その概念は完全に固定されていない。たとえば『ドラえもん』におけるヒロイン、しずかちゃんを「萌えキャラ」と表現して良いか否かなどの命題は、人それぞれに解釈が存在する。

 「なにか心に引っかかる」とは随分微妙な言いまわしだけれど、対象についてじゃなくて、萌えてる本人の一つタガがふっとんんじゃってる状態を表してる部分もあるんじゃないですかね、これには。いや、若いアニメファンも結構見てるけど、「萌え」なんて用語使ってる人間って、イタイ中でも最大級にイタイ人たちだけですよ、ホント。やっぱねえ、マトモな神経持ってる人間なら、たとえ仲間うちであっても他人に理解できる言葉を使いますから。
 あと、「しずかちゃん」の件ですが、原作後期の絵柄のしずちゃんとか、渡辺歩作画監督のしずちゃんならまあ萌えるってのも分からなくはないんですよ。けど、ほかのはどうなんですかね。たとえば冨永さん作画のしずちゃんじゃないと萌えない! なんてんだったら、それは確かにちょっとねえ、どういう人ですかアンタは、と言いたくなりますが。


 今日も終日雨。
 残業で帰宅はまたまた10時過ぎ。帰りが暗くなると、バスの中でも本が読めなくて本当に退屈してしまうのである。今現在、私の主要な読書時間帯は、食事中とトイレ中と入浴中とこの通勤時間帯なのだから、日の明るいうちに帰りたいものなんだが。いや、残業も1時間くらいなら文句ないんだけど、恒常的に2〜4時間ってのはあんまりだがね。
 ボーナスも今度から下げられるしなあ(額面は上がるのだが、税金が余計にかかるので実質目減りなのである。なんでこんなインケツなことしてくれるのか)。労働意欲を欠けさせることばかりどうしてするのかな。


 森達也『放送禁止歌』(光文社/知恵の森文庫・680円)。
 著者はテレビドキュメンタリーの監督である。オウム真理教事件のドキュメンタリーである『A』の監督さん、と言えば、ああ、と思いだされる方もおられようか。
 本作は、タイトルにもある通り、いったん発売されながら、放送には「不適切」とされて今や耳にする機会の失われてしまった歌謡曲について、その「放送禁止」に至った顛末をテレビ番組にした時のメイキング本である。
 岡林信康『手紙』『ヘライデ』『チューリップのアップリケ』『くそくらえ節』『がいこつの歌』、三上寛『夢は夜ひらく』、頭脳警察『世界革命戦争宣言』、丸山明宏『ヨイトマケの歌』、北島三郎『ブンガチャ節』、なぎらけんいち『悲惨な戦い』、高田渡『スキンシップ・ブルース』『自衛隊に入ろう』『生活の柄』、山平和彦『放送禁止歌』『大島節』『月経』、ザ・フォーク・クルセイダース『イムジン河』、高倉健『網走番外地(1965年版)』、泉谷しげる『戦争小唄』『黒いカバン』、赤い鳥『竹田の子守唄』……。
 さて、これらの曲を実際に聞いたことのある世代は40代以上だろう。
 私とて、遠い記憶の彼方のものが殆どで、岡林信康のものにいたっては、一曲も聞いたことがない。ただ、これらの曲が「放送禁止歌」であるという「知識」は持っていたつもりだった。その「禁止」された理由も、性的な表現や差別的な表現が引っかかったんだろう、と漫然と考えていたのである。
 問題はその「引っかかった」というのが「何に」ということである。
 多分、たいていの人が「放送コード」というものがテレビ局の内規か何かにあるものだと信じていると思う。ところが著者は、取材の過程で「そんなものはない」という事実を発見してしまうのだ。
 一応、「規制」の主体となるものとして、民放連が1959年に発足させた「要注意歌謡曲指定制度」というものはある。しかしこれはただのガイドラインに過ぎず、強制力はないばかりか、1983年に廃止されてもいるのである。更に言えば、実際に「放送禁止」されている『網走番外地』『手紙』『チューリップのアップリケ』『イムジン河』『自衛隊に入ろう』『竹田の子守唄』などはこの一覧表に全く記載されていない。また、「どこか」から「糾弾」があったという事実もない。
 要するに「放送禁止」の実態は、放送局側の「疑心暗鬼」に他ならないのだ。
 「この曲は、もしかしたら放送しちゃヤバいんじゃないか」。
 その「思いこみ」が勝手に「放送禁止歌」を作りあげていったのである。

 「傷つく人の気持ちを考えて」とは差別を問題とする人権派の人たちがよく口にすることではある。しかし実のところ、放送業界での「禁止用語」というのは単なる言葉狩りにしかなっていない。『手紙』などは歌詞を読めばどう解釈したところでこれは「差別に対する怒り・告発」としか読めまい。それが「放送禁止歌」になってしまう点に、現実として差別を温存する土壌が存在しているのである。
 「糾弾」を行っているとされる某団体は、よく「文脈を捉えて批判するのならともかく、安易な言葉狩りはしていない」と主張している。本書でも、著者の森さんがその団体の役員の人に「放送で○○・○○という言葉(最大級の差別語とされているもの)を使っていいですか?」と質問したところ、「使い方には留意してください」と了承している(実際の放送には使用されず)。
 けれど、その団体が放送局の「勝手な自主規制」について積極的に改正を求めたなんて話は殆ど聞こえてこない。某団体は、『手紙』が放送禁止の憂き目にあっていることに対して、果たして抗議の姿勢を示したことがあったのだろうか?
 更に言えば、いつぞやの某作家の断筆に関する討論番組で、当時のその団体のトップの人が「○○・○○という言葉は聞くだけでイヤだ」と発言したのを私はしっかり覚えているし、録画もしている。文脈どころか、それは「発言」自体を封印させかねない「圧力」であり、「言論統制」以外の何物でもなかった。
 こんな態度で、どうして「表現の自由を脅かすつもりはない」などと言えようか。結局あの団体も一枚岩ではなく、人によって時によって言ってることがコロコロ変わるのである。放送局側が難癖つけられることを恐れてコトナカレに走るのもそこに原因がある。
 放送局側の弱腰について、糾弾はされてしかるべきだろうが、一番の問題は「被害者ヅラした加害者」である某団体であろう。過度の糾弾がかえって差別を助長し、わけのわからない後続の糾弾組織(「かわいいコックさん」まで黒人差別だなんて言ってるバカ親子とかな)を乱立させた原因になっていることを彼らは少しは自覚しているのだろうか。
 文句があるなら、「放送禁止歌などを想定している放送局を糾弾する」声明でも発表してからものを言え。

 最後に、岡林信康の『手紙』の歌詞をここに引用する。私の意見が間違いと思うのなら、まず、この歌詞に対する批評から始めてもらいたい。

> 私の好きな みつるさんが
 おじいさんから お店をもらい
 二人いっしょに 暮らすんだと
 うれしそうに 話してたけど
 私といっしょに なるのだったら
 お店をゆずらないと 言われたの
 お店をゆずらないと 言われたの

> 私は彼の 幸せのため
 身を引こうと 思ってます
 二人はいっしょに なれないのなら
 死のうとまで 彼は言った
 だからすべて 彼にあげたこと
 くやんではいない 別れても
 くやんではいない 別れても

> だけどお父さん お母さん
 私は二度と 恋はしない
 部落に生まれた そのことの
 どこが悪い どこがちがう
 暗い手紙に なりました
 だけど私は 書きたかった
 だけど私は 書きたかった

2002年07月04日(木) 丼より皿/『快傑ズバット大全』(ブレインナビ)ほか
2001年07月04日(水) 喉が異常に乾くよう/DVD『少年ドラマシリーズ ユタとふしぎな仲間たち』ほか


2003年07月03日(木) 遊ぶ女/『BURAIKEN』(唐沢なをき)/『超役立ち法律大事典』(行列のできる法律事務所)ほか

 ここんとこずっと雨が降り続いていたが、珍しくも今日は朝から晴。
 ……と思ったらやっぱり昼ごろから天気が崩れ出して、雨になるのであった。梅雨と言えば梅雨らしいんだけど、沖縄の方で「梅雨明け宣言」したの一週間くらい前じゃなかったか。梅雨前線、えらく留まってるなあ。

 仕事が溜まってきてたので、少し早めに家を出て片付けようかと計画、昨日のうちに、しげにもそう伝えておいた。
 「明日は早いから、仕事が終わったら早く帰って来いよ」。
 これはもちろん、早く帰ってきて少しでも寝ておけ、という意味である。しげの仕事自体は2時には終わるのだから、すぐ帰ってきて寝れば5時間は寝られるのである。それを「次に入る人が困るから」と残業して(ここまでは仕方がないかなとも思う)、それからあとカラオケに行ったりデニーズやジョイフルで駄弁ったりしているから寝る時間がなくなるのだ。でもって、帰ってくるなり「眠いから送れない」と言って、夕方まで10時間くらい寝てしまう。当然、家事なんて何一つしない。
 ちゃんと言っといてもどうせ遊んで帰ってくるんだろうな、と思ってたら、やっぱり朝帰り。今日こそは早めに帰ってくるだろうとつい期待して、私も3時ごろまで待ってたものだから、肩透かしされてあまり寝ていない。結局、カラダがよく動かずに早出もできず。節々の痛むカラダをむりやりタクシーに乗っけて職場へ。全く、迷惑ばかりかけやがるんだからな。

 これだけ遊んでおきながら、その上しげは「どこか旅行にでも出かけん?」とか私に甘えてくるのである。
 今、私が旅行に出かけられない状態だということもすっかり忘れているのだ。
 こういうことばかりされていると、ホントに「しげはいないもの」という前提で生活を考えなくてはいけなくなる。
 それでいいとはしげも思っちゃいまい、と思いたいのだが、結果としてそうせざるを得なくなるのは事実。それ、ちゃんとわかってんのか?
 もしかしてしげは、内心、私がホントに今の仕事をやめてくれればとか思ってんだろうか。
 十何年も一緒にのたくってんのに、気持ちはいつまで経っても伝わらないんだなあ。


 帰宅して、テレビのチャンネルを回したら、偶然「クイズ常識の時間」でアニメ特集をやっている。
 西村知美が身重なのにゲストで呼ばれてるが、何だか呼ぶ方も呼ぶ方だし出る方も出る方という気がする。まあいいけどね。
 クイズ自体はアニメファンには常識みたいなものなので、西村知美だけがどんどん答えていくのが笑える。それにしても、アニメの実写版を紹介して笑いを取ろうっての、昔からよくやってたけど、笑うより先に私ゃイタイんだけどねえ。で、毎回『ルパン三世念力珍作戦』が引き合いに出されるのはどうかなあって思うんだが。そんなに次元大介の田中邦衛ってヘンかね。原作じゃそんなにダンディってわけでもないぞ、次元(特に初期)。


 ホームページの更新もできれば毎日やっていたいのだが、そんな時間も体力もない。
 「マンガの笑セリフ」を今日までで一気に3回、更新したことはしたが、意外とこれ、体力使うんである。何たって、書庫の中から本探してこなきゃなんないから(^o^)。あまり新しいマンガだとみんな読んで知ってるし、そろそろみんなの記憶の彼方に去りかけてるのを選んでおきたいんだけれども。
 ああ、でもほかの工事中のコンテンツもなあ(~_~;)。


 マンガ、唐沢なをき『BURAIKEN』(エンターブレイン/ビームコミックス・756円)。
 描きおろし14ページなんてのを入れてくれるから、また買わなきゃならなくなっちゃったじゃん。やっぱ結構アコギだと思うぞ唐沢さん。
 実は私は唐沢なをきの代表作は『カスミ伝』シリーズとこの『BURAIKEN』だと思っているのである。理由はどっちも時代劇のパロになってるからなのだな(←この言質は『赤富士』とかについて描くときには簡単に入れ代わるので信用しないように)。
 こんなのたいしたパロじゃなかろう、と仰る方にヒトコト。主人公血煙今日四郎の元ネタは当然、眠狂四郎なんだけど、彼の円月殺法は、刀を回して相手を催眠術にかけ、その隙に斬るという、時代劇小説中最も華麗だけれど同時に最も卑怯なワザでもあるのである。
 それをパロるんだから、当然その剣は「もっと卑怯」でなければならない。そこで「ウンチク垂れて相手が混乱したところを血祭りに上げる」、という技が完成したわけだ。こういうアイデア勝負の作品が昔は多かったよなあ、唐沢さん(遠い目)。
 描きおろし新作は確定申告&七人の侍パロだけど、以前の連載と「全く同じ」展開なのが嬉しい。この「変わらない」ってこと、なかなかやれるものではないのよ。つい奇を衒って「平成版」とかにしちゃうマンガ家さん、多いでしょ。
 それにしても、リアルなエロマンガにはイマイチ萌えないのに、こういうマンガキャラがナニされまくってるのの方がナニだってのは何でなんでしょうね。


 マンガ、魔夜峰央『パタリロ西遊記』6巻(白泉社/花とゆめコミックス・410円)。
 もう6巻まで来ちゃいましたね。『パタリロ!』も今まで何度か長編シリーズがあったけれども、まさかこれが最大長編になるとは思ってなかった。人気あるんだろうか。
 原作に結構依拠してた前巻までとうってかわって、今巻はミステリ仕立てのものが多い。とは言っても、もう「あの作家のあの作品からそのまんま持ってきました」ってのばっかりなのはどうかと思うけど。しかも『パタリロ!』本編で使ったことあるトリックばっかだし。
 魔夜さん、もしかして自分がかつて同じ作品描いたことあるの、忘れちゃってんじゃなかろうか。そういう可能性高そうだよなあ。


 行列のできる法律事務所・編『超役立ち法律大事典』(日本テレビ・1050円)。
 こんなのまでつい買ってます(^_^;)。中身はテレビで放映されてたのそのまんま。あれ見てると、裁判なんて弁護士の匙加減一つだなあ、という気がしてきて、ちょっとしたことでも裁判沙汰にはならん方がいいよなあ、という気にさせられることが多い。でもそれって、詐欺師に一番つけこまれやすい心理状態なんだよね。あまり弁護士間の諍いを見せないでほしいようにも思うんだが。
 まあ、買ってどうこういう類のものでもないんだけど、中のマンガ描いてるのが若林健次さんだったもんで、ついね。今イチ売れないでこんな仕事もしてたか。そのうち学習マンガに行っちゃわないかちょっと心配である。

2002年07月03日(水) 妻のどこまでも広い背中/『デボラがライバル』1・2巻(多田かおる)/『20世紀少年』9巻(浦沢直樹)ほか
2001年07月03日(火) 頭痛のせいでネカマ風(-_-;)/『黒衣 ―KUROKO―』2巻(高橋葉介)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)