JERRY BEANS!!

2003年03月27日(木) 私を疲れさせるもの

妹の話は本当に聞いているだけでストレスが溜まる。

妹の彼氏は本当にロクデナシだ。
何より誰より考え方が狭くて、融通が利かなくて、そのくせプライドは
人一倍高く、自分勝手で、自分より下の人間を見下し、自分より上の
人間の才能は認めない。おまけに付け加えれば、仮性包茎野郎でもある。

私は、頼まれても、恋人どころかお友達は無論、知り合いにもなりたいと
思う事が出来ない。もっとも、彼もそうそう簡単なバカではないから、
心を許している自分の彼女の前でなければここまでボロを出しはしないの
だろうけれど。

彼の悪口を妹口から聞くたびに、私はストレスが溜まる。

それと同時に、何故彼女がこの男といつまでも関係を続けているのか、
続けていられるのかの方が疑問である。誰よりダメなのは、この状態を
維持しつづけている妹の方かも知れない。

一緒にいる時は、嫌なところを見ないようにすれば大丈夫だと彼女は言う。
一日のうちに、一緒にいる時間はわずか3時間だから耐えられる、とも言う。

だけど私にはわからない。一緒にいる時に本人を見ないようにする。
一緒にいられるわずか3時間の間にそこまでして我慢してまで付き合う事に
なんの意味があるんだろう?それって、果たして幸せなんだろうか。

幸せでもなく、不幸でもない変な時間と関係が楽しいんだろうか。
それでも彼女はそれを維持し続け、私に愚痴をこぼし続ける。
私の疲労は止む事がない。せめて、「それでも好きだから仕方が無い」という
一言だけでも、聞く事ができたなら、少しは報われるのだけれど。



2003年03月24日(月) 年齢と入れ物

子供の頃は、年を重ねるのが待ち遠しかった。
私は早く大人になりたかったし、子供同士の馴れ合いにも、
大人からの「子供扱い」にもうんざりしていた。

20歳を越えて、年だけ重ねてもどうしようもない事がある
と知って、やはり早く大人になりたいと思った。

24歳になって、4年も経ったのに20歳からあまり成長しない自分に、
私は焦った。25歳はなんとなく区切りのような気がしていた。

20歳を越えてから、「大人になりたい」という願いはいつしか、
「すれただけの大人にはなりたくない」という思いと並行して頭に
浮かぶようになった。子供でいたいという相反する気持ちもあるのが
もどかしい。

年老いることは苦しいと、漠然と感じてはいるけど、それは単に
老化することしか得られないことへの不安だと思った。

中身がないままに、もしくは、中身を失いながら、
入れ物の外側だけが退廃して行くのが怖い。

だから、生きてゆく為にふたつの目標を立てた。
ひとつは「これから先、なりたい自分の形を考える事」。
ふたつめは、「絶対にこうはなりたくないものも同時に考える事」。

このふたつを思うならば、30代も怖くないと思った。



2003年03月23日(日) リアリティの欠如

ニュースで流れる戦争に関する意見は様々だ。

だが、反戦の理由に「戦争は悪い」とか「平和」とかを軽軽しくあげる
人を見ると、なんとなく胸につかえるものがある。それはそれとして
事実だが、では果たしてその簡単な理由を総理が考えなかったと
思うだろうか。

「平和」という言葉は決して軽くない。

私も自国の歴史を多く、かつ正確に知らない方だろうから、あまり
大きく言えたものでもないが、現在の日本の「平和」は、国民が勝ち取った
「平和」ではない。他人から与えられた平和、既に存在した平和の上で
のうのうと育った我々(戦後に育った人などを中心とする)に、はたして
その言葉を軽く口にする事ができ得るのだろうか?

勿論、戦争によって失ったものやその爪跡を知る人達に、その言葉は
決して軽くないことは言うまでもない。ただ、感情論で反戦を口にする
人があまりに多いのではないか、という事が気になる。そんな人に軽軽しく
「世界平和」などと言って欲しくはない。24時間テレビに参加するのと
同じ気持ちで世界が救われるなら、戦争も武力行使も起こりはしないのだ。

正直、日本のとるべき道や、今後の世界情勢など、私にはわからない。
もしかしたら米国への支持や援助という意志選択は間違っているのかも
知れない。だけれども、近視眼的、感情的な単純な意識から口にされる
反戦の言葉、自国の政府、リーダーへの軽軽しい気持ちからの反対の声
は、いやだ。聞くのがつらい。訴えるものに欠けて、感情だけが喋るように
見える。

他の国でも同じなのだろうか。少なくとも他国の反戦デモには、参加者に
強い信念を感じる。ニュースに映る日本の彼らには、戦争のリアリティ
も、痛みのリアリティも、平和のリアリティも薄いように見える。

自分の国に対する、知識も誇りも持たない人間の反対の声に、
どれだけ真実は詰められているんだろう。賛成も反対も、我々は深く考え、
その上で意見を言える人間でなければならないと思う。

本当は、無知と無教養こそが、争いを招くのではないだろうかとも思う。



2003年03月19日(水) 少女の不安

少女は何故、自分の心を他の人に占めてもらいたがるんだろう。
ときめいてキラキラした物で自分を埋めたがる。
自分自身の作り上げた特別な他人の模造品で心を埋めたがる。

あの人にこうして欲しいとか、自分をこんなふうに扱って欲しいとか、
本当に大切なのは、そんな自分自身の願いであるにも関わらず、
その自分自身には何もないのだと他人にアピールする。

本当に、カラッポなのは誰なんだろう。

少女の胸は、余計な心配と不安で一杯だ。
みせかけにカラッポのそれを埋めるのは誰なんだろう。
彼女の特別扱いする他人には出来ない事だ。
少女は本当はエゴで一杯のその胸を隠すように、無欲の宣言で
自分と他人を誤魔化すのが好き。

少女は、そんな自分に気付くのが、本当は一番怖くて不安だ。



2003年03月18日(火) 思い出誕生日

3月18日は、子供のころに好きだった人の誕生日だ。

好きだと思う事が素敵だと思ってた頃の話。
可愛らしい馬鹿さ加減がほどよく全身にまわってた頃の話。

それでも、あの胸の躍るような一日は忘れる事が出来ない。
ただ、この日がその人の誕生日だという事を本人の
となりのクラスに居る私が知っているという、それだけの事実。
そんな小さな事ですら私は、それを知らない他の人に対して
わずかな優越感を抱いて自分自身にほんの少し満足する事ができた。

それはまるで、あの人と共通の秘密事ができたようで。

3月18日は、そんな思い出の日付。今では、通りすがる人の
香水の残り香ほどに、私の頭の後ろをさらりと通り過ぎるだけの
思い。



2003年03月16日(日) 時明かぬ間

今年になってはじめて実家に足を運んだ。
留学から帰って来てからまだ挨拶にも帰っていなかった。
だいぶ遅くはなったが、新年の顔みせも兼ねた帰省だ。

最近は、実家に帰るたび祖父母に確実な老いを感じて
とても切ない。それでも話すたびにこぼれる笑顔が
唯一の私の救いでもある。

この町自体も、ずいぶんと時の流れが遅い場所なのだが、
その町の中にある私の家の、父の部屋は、本当に時が
止まっている。…父が亡くなってから、誰も手をつける事が
出来ないのだ。五年経った今も、誰ひとりそこをいじる気に
なれない。おそらく祖父母が亡くなるまで、このまま
この部屋の時は明けないのだろう。

実家において、全ての人がこの部屋の時間を無視している。
以前のように不必要に過去を振り返りはしないけれど、
この部屋の時間が本来流れるものだという事を、無視している。
私は、いつかこの部屋の時が明けるのを待っている。



2003年03月15日(土) グリコヨーグルト健康

「グリコヨーグルト健康」のCMを見ると、死にたくなる程、
生きるのが嫌になる。…擬人化されたヨーグルトが、生まれて
育って、家族を作るところでCMは終わるのだけど。

このCMを見ると、本当に、なんと言ったらよいのか解らなくなる。
世界一くだらなくて、悲しい「マーク」としてだけの人生を
見せられるからだ。マークとは、すなわち象徴の意。

ある程度想像できる、平凡なだけの成長が、私をイラつかせる。
ただ生きて、育って、老いて、いつかは朽ち果てる。
このCMは、そういう暗い未来を私に想像させるのだ。

このヨーグルト自身は大好きなだけに、悲しい。
とても保守的なCMだと思う。そしてどことなく淋しいのは
なぜだろうと、自分自身に、問い掛けてみる。



2003年03月13日(木) ひとりぼっち

時々自分がとてもひとりぼっちになったように感じる。

いなくなった父を恨む気持ちは微塵も無い。
だけど、あとほんの少し生き長らえてくれていたら、
変わっていたかも知れない来なかった未来を思うと
ほんの少し哀しいだけなのだ。

私は、無条件で掌を頭に乗せてくれる父がとても好きだった。
他のどんな人に嫌われても、この手があれば大丈夫だと思った
頃もあった。…薄れて行く暖かい手のぬくもりが、
だんだん哀しい気持ちに変わって行く。落ち込む時はいつもこうだ。

いつかは離れてゆく恋心ではなくて、
次第に疎遠になる兄弟の縁でもなくて、
ゆっくりと媚びを売る母親からの執着でもなくて、

私の欲しいのは無条件の掌だけだ、と、思う日がある。



2003年03月12日(水) 貧乏な日本

今日は職探しの為に職業安定所、別名ハローワークに行ってきた。
お目当ての職の募集について相談に行ったのだった。

まだここに来たのは3回だけなのだが、いつも不思議に思う事がある。

職安に来るのは、転職希望者か無職者な訳なんだけど、ここに来る人
は意外とお金があるような格好の人(若者〜中年くらい)が多い。

無職なのに、どうしてヴィトンのバッグを持っているんだろう?
無職なはずなのに、どうして身繕いがブランド物でバッチシなんだろう?

とか。…今日は相談の順番待ちの間、目に映る人達を見ながらそう言うこと
ばかり考えてた。

日本は豊かになったはずなのに、精神的には全然豊かではないのかも知れない。
人間としての外側ばかりが発展した気になって、洗練された気持ちに
なっているけれど、一番肝心な所は貧乏な頃のままなんじゃないだろうか。

この頃、日本の将来を心配する人がとてもたくさんいる。
だけど、一番心配なのは、経済的なことでも、うわっつらだけの、世界の中での
日本の立場でもなくて、この国の中から薄れてきている、日本人らしい精神と
文化と教養だと私は思う。

何か、根本から、間違っているんじゃないかなぁ、と、私も含めて、
全ての人に対して何となく思った。



2003年03月06日(木)

先日友達と、躾や教養について話をした。

私は、箸の使えない女はどんな美人でも嫌いだ。
私自身は、顔だって十人並みだし、器量も人に言えるほど良くない
けど、箸はちゃんと使えるし、ご飯の前にはいただきますの挨拶
くらいこなせる。

昔女子大に居た頃、学食でご飯を食べてた時は他の人の食べ方や箸の
使い方なんて気にならなかった。…他の誰もが、普通にそんなことは
こなせていたからだ。けれど、地元に帰ってきて国立大に来てから
学食に行った時は、女のくせに(男でもそうだけど女は特に)箸も
使えなくて、食べ方もがさつな人をたくさん見てびっくりした。

人にとって一番大事なものは心や信念であると思うけれど、かといって
他をおろそかにしていてもいけないよな、と最近思う。

若い女性用の雑誌を読んでいると時々「正しいマナー講座」みたいな
特集が組まれていることもあるけど、それを読んで大事な時だけ
正しいように取り繕っても、本当に躾や教養を持った人に出会ったら
そんなものはすぐに一朝一夕のものだと見抜かれてしまうだろうな、と思う。

私の彼は正しく箸を使えない。いつかこの人と子供を作ったら、その子と
一緒に正しい箸の持ち方を勉強してもらおう、なんて最近私は目論んでいる。



2003年03月01日(土) Comprecated

「私の夢は、好きになった人とずっと幸せに暮らすことなの」
なんて言葉を、少女漫画の主人公の科白のような事だと馬鹿にするかも
知れないけれど、私は今でも本当に心からそう思う。

好きな人と幸せに暮らす事って思ったより簡単ではなくて、
歴代の少女漫画家が過去の少女漫画に言ったように、
主人公に言わせてきたように、物事は成就したあとの方がずっと
難しくて、そして成就した後どうしたらいいのかなんて
誰も教えてくれなかったって、…人生は、本当にそれのくり返しだ。

人間関係も、ただ幸せに、なんて簡単には出来ているわけもなくて
ただ幸せになりたいだけなのに、誰もが幸せにっていう、丸く収まる
いい解決法もなくて、それを考えるだけで頭が一杯になってしまう。

ただ、物事を上手く丸めようとしても何ひとつ上手く行かないから、
ただ目の前にある複雑な問題から目をそらす事が上手くなって行く。

なんで、なんだろう。

「私の夢は、好きになった人とずっと幸せに暮らすことなの」
それを叶えることをずっと夢に見てきたけど、本当にそれが叶う日が
来るんだろうか。この問題が、ただの少女漫画の終わりとしてだけ
じゃなくて、現実に続くものとして実感したい。誰もが描いた夢の
形こそは、いつでも単純なものばかりだと言うのに。現実は皮肉なものだ。


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