JERRY BEANS!!

2002年05月31日(金) 私の悲しみ

何を言ったらいいのか、解らない。
一人で居ると変な夢ばかり見るので。

最近ずっと、何故か毎朝5時半に一度目が覚めてしまう。

眠っていたいのに、何故目は覚めるのか。

…多分、この家を出て行くまでこの悩みは解消しないんだろうと
なんとなくは解っているけれど。

…私は、この家を出る理由がどこかに落ちてないか探す。
けれど、細めの希望など手繰り寄せれば直ぐに切れてしまって。
早くこのいらない絆を、血が吹き出るほど半狂乱にちぎり取ってしまいたい
のに、私は何故それをしないんだろう。

理由も、ほんの少しだけ解る。

臆病なのは、今の生活と自分を取り巻ものの変化が怖いだけ。

急な坂道を転げ落ちるように、階段の13段目が急になくなってしまうように、
黒い布に顔を覆われた時のように、不安が胸に疼くからなのだ。

未だに他人が苦手です。
人が単に嫌いなのです。
だけど一人は怖いのです。
私を不愉快にするものが怖いのです。
彼らが笑うのが怖いのです。
自分が一番しがらみにこんがらがって関わっているのが怖いのです。

本当はいつもここから逃げ出したいと思っているのに。


…私がここを更新しているかぎり、私は変われずに居るんだろうと思います。


いつかこうして文字を書かなくても良くなるなら。…そう思って、
今日も夜と孤独をやり過ごしているのです。

どうしてこんなに悲しいのでしょう。

湿っぽくはないのだけれど、いつも胸の中が乾いていて、とても冷たいのです。



2002年05月30日(木) 体の中身

電車の中から外を眺めて、脳みその中身を外に放してあげる。

私はだんだん腐って行く。

思考と肉体と。その両方。

少しずつ腐るのが自分でもわかるのが悲しい。

それは、少しも怖くは無くて、ただ緩い実感だけが感じられる。

電車が緑の稲の葉を揺らして、その横を通り過ぎて行くのを、

私は見ながら腐って行く。

思考も肉体も。そのどちらも止められない。誰にも。私にも、あの人にも。



2002年05月25日(土) 雷鳴

雷は怖いと、女はそういうのかなぁ。
本当に?
初めて見た時、私は雷があんまり綺麗で、大きな音には驚いたけれど
怖いとは思わなかった。
空から空気を伝って土まで届く、蜘蛛の糸のような細い細い稲光も、
空を大きく割る光と音も、とても素敵に思えたけど。

雷が「怖い」のは、他人から知らない間に植え付けられた価値観。
女の子なら、そして小さく震えながら男の影に隠れるのが理想に近いと、
誰が言ったのかは、知らない。何処で聞いたのかも。

綺麗な星空をみて、「綺麗」と言う時、貴方は「自然」というものに
感動できると、人から思われるだろう「自分」に酔ってないかな?
言葉には、嘘があるのに。
言葉はいつも嘘のふくみを孕んでいて、少なくとも自分の口から
出る言葉には、必ず幾ばくかの「作為」が絡んでいるんだろうと、私は思う。

口を開いて出るのは、何の意味も無い言葉か。
レプリカのような。擬似の言葉か。

雷が鳴る時、空から土に届くような、そんな言葉があるといい。
細い蜘蛛のような稲光が一面を覆い尽くすように、何かそういうもので、
思う気持ちが伝わればいいのに。音と光と。貴方が見て、解るように。



2002年05月21日(火) 嫌な事

気をつけていないと、書く文章が全て愚痴になりそうだと、常に思っては
いるけれど、どうしようもなく心を乱そうとするのは幸福よりむしろ
人に向かう嫌悪感が私には断然多い。その中でも他人より何より、
血の繋がった人というのが、一番私の心を濁すのだから不思議である。

私はみっともないものが好きだ。

それは、努力して、悪あがきする人のみっともなさもあるし、
努力しない楽観主義のみっともなさもある。私はそのうちのどちらも好き。

私が嫌いなのは、あるひとつの現状という目の前のものにたいして、
努力もしなければ楽観的にも考えずに、不満だけをたれる人だ。
何がしたいのか解らない。我慢はしたくないし、良いようにも考えない。
だったら、どうしたいの?と、思う。…目の前にある自分が不快だと考える
事柄について、文句を言うだけでは問題は解決しない。

自分を取り巻く環境が悪いのは、自分がその根底に居るからだと考えた方が
ずっと良いと思う。と、いうのも、そこにある不快な環境を、良くするのも
更に悪くするのも、その人がその事柄に対してどう働きかけるかで、
いつだって変化するからなのだ。

それをしないで、表向きの格好だけや、頭だけで考えてたって、考えた事は
人に伝えなければならないし、何かを伝えるには言葉を使わなきゃならない。
言葉を使うにはその人に近付かなきゃならない。やれる事、やる事はたくさん
あるのに、それをしないで文句を言っても何も始まらないのである。

私はこういうことをここのコラムには散々書いてきたのでもうとっくにマンネリ
なのだけど、それでも、私のことを悩ませる人たちはいつもいつも、絶えず
そのまま変わらないので、本当に、ここに愚痴でも書きたくなってしまうという
訳なのだ。…そういう家庭内の人物について、私は家族という分類分けを外す事で
今日までなんとかやって来て、おそらくこれからもそうして生きていくんだろう
なと思う。それ故私はひとりなのである。…昔々、家族がまだいた頃は、
少しでも現状を良くしようとして、奔走していたころもあったのだけど、
そういう事が何ひとつ効果の無い事に気付いて辞めてしまったのだ。

その人は、体裁の為にプライドがある。だから、私がどれだけ言っても効果が
ない。それはとてもとても淋しい事だけど、本人がいいと思っていることを
変えるのには、想像を絶する努力が必要だ。そして私は頑張れなかった。

好きになろうと努力はしたけれど、「好き」にはなれなかった。
そのかわり、「好きでも嫌いでもない」という微妙な感情が沸き起こった。
そしてそれ以来、そのままその気持は、私の心に放ってあるのだ。

私にとって嫌な事とは、その「好きでも嫌いでもない」人たちが、私の心を
濁そうとする事。そして濁ってしまう事である。



2002年05月20日(月) エゴ

本当は、自我というものがあって。
普段はきちんと頭を隠しているんだけど、私のそれも時々、顔を出す。

あのね。
それはいつも少し変な所で顔を出すので、少しだけ、困っているのだけど、

私は、「結婚しよう」と言う台詞なら、男からじゃなくて自分から言いたい。
そんで「あ?ああ、いいよ。」くらいな返事が返ってきたら幸せだ。
一生付いて行こうと、きっと思う。変な意味じゃなくて。
「あなた」は、私が貰ってあげる。

だって私は、男の人に貰われなくったって最初から一人だから。
だけど男の人は自分の家の血と親に飼われているも同然だと、私は考えている。
だから本当は、女の人より男の人の方が、ずっと不自由なんじゃないのかしら。

だからそういう何処までも付いてきそうな、因縁のような臍の緒のような、
粘っこい胎盤の残りかすのようなものは私が断ち切ってあげられたらと
おこがましくも考えてしまう。どうして、男の人はいつもいつも苦悩して
いるのかしら。どうしてなのかなぁ?

いいトコばっかり格好つけようとしなくていい。くだらない問題の決断や
くだらない縁の切り目など、私が代わりにやらせて貰えたら幸せ。
日常のどうでもいいことなど、全て背負ってあげるから、万が一に何かあった
時だけ私を守ってくれたらそれだけで幸せ。それは、私のエゴでしょうか。



2002年05月19日(日) 淋しくて泣く

私が淋しいと感じる時。

一人の時ではなくて、男と一緒にいて、気持が伝わらないと気付いた時。
世の中の全てが私にとって煩わしいものに感じた時。

あなたが私のせいで「辛い」と感じている時。

私が淋しいと言う時、それは文句では決してないのだけれど、
彼はそれで苦しくなるので、私は「淋しい」と伝える時は
気をつけながら上手にそれを伝えなければならない。

私はただいつも、都合のいい事を伝えたいと思うだけなのに。
でも、ただ、都合の悪い事は伝わらなければいいと思うだけで。

それは、ともかく。
ただ、「淋しかった」と言うだけで彼を苦しめてしまうのなら。

そう思ったら勝手に涙が出てきた。私としたことが、涙を流す時は
なんて、情けなくてだらしないのだ。

男に負けるのは嫌い。女に負けるのはもっと嫌い。

でも、自分の感情に負けるのは、なんでこんなに気持がいいのかしら?
なんて考えて、彼のヒザに頬を乗ながら気持よがっているなんて。

弱くて自分勝手で単純な私。そんな自分が割りと嫌いじゃない。



2002年05月18日(土) とげのある手

いばらに囲まれて眠ったフリを続ける女。

とげの生えた手で男を抱く。頬に触れる。唇に触れる。

傷だらけの男の肌から、真っ赤に、毒が吹き出る。

彼女はこの世で一番、醜く、そして美しい。

彼はこの世で一番悲しくて、幸せな顔で。

とげのあるその手をそっとその手で包む。

彼女はそれが一番悲しいと。涙も出ずにその手を千切る。


二人の恋は、自分への愛と葛藤。



2002年05月17日(金) 贅沢な悩み

生きていて、あれが欲しい、これが欲しい。
人の欲などキリが無い。

今は不況だとか、政治が悪いだとか色々皆は言う。

そして、お決まりのセリフを吐き出しやがる。

「自分は、人並みの生活さえ出来ればいい。」
「最低限の暮らしさえ出来れば満足だ。」

でも、私は知っている。そういう人ほど欲が深い。でしょう?

だから私は、今時分の「そういう系統」の俗々しい番組は見ないように
している。…貧乏人の、貧乏な心の内を見つめていると、こっちまで
心の貧乏になりそうだと、思う。自分の欲求がまるでないもののように
扱うその心。…欲からでる生活のほとんどを、世の中のせいにしたいのは、
自分を見つめたくないからだろう。

人には、欲求がある。

私は、毎日ぐっすり眠りたいし、可愛い洋服は欲しいし、快適に暮らしたいし、
美味しいものだって食べたいと、いつもいつも思う。だから、それを
しようと思って、生きようと、思うのだ。…生きるというのは、そういうもの
でしょ?…本当に最低限でよいのなら、全て欲を抑えて、吉田兼好のように
どこかの庵に篭って生活したらええねや。我慢。したくないの。
ただそれだけでしょう?私は恵まれている。だから、あんまり窮に貧した人の
気持などわかるわけも無いけれど、彼らのほとんどは、ただ「日常に追われる」
というフリにしか、私には見えない。

今の世の中は、不満と同じだけの贅沢な悩みで埋まっている。



2002年05月09日(木) 幸せとふたり

出会ったとき、幸せだった?
付き合い始めたとき、幸せだった?
慣れてきて、幸せだった?

過去の話はたくさんあるけど、

私は、何も言わない毎日の中で、いつも「今日」が
一番幸せだと思いたい。

過去はどうでもいい。
明日は、わからない。

だから今が一番幸せだと、思いたいし、そう感じる。

会えなくて辛いだなんて言おうとは思わない。

それよりは、どうして会いたいのか考えたら、
君の事が好きだからなんだなぁ、って気付いたよって伝えたい。

幸せとふたり。二人分で、ようやく私はひとつです。



2002年05月08日(水) 実感

私の一番欲しいものは実感。

今生きている実感。
今そこに居る実感。

触るもの、見るもの、感じるもの、思うもの、全てが本物であるよう、
全部本物であるよう、それだけの為に。

くだらないを事考えたり文字を綴ったり、本を読んだりしながら、
私の感じるものが全て本物なのかどうか、確かめる術を探す。

けれど本心では、そんな術は見つからないといいと思う。

知りたいのはやまやまだけれど、全てが「本物」でなかった時に
私はどうしていいのか解らなくなると思うから。

本当は、生きてると思いながらそうではなかったりする。

時々躰から精神が、眉間の溝から出て行ってしまうような気がして怖くて、
拳をぎゅっと握り締めて、感覚をただ頼りに「生きてる」事を納得させる
日々。…私が恋愛というものにいつも夢中なのは、恋や愛がその恐怖心を
一番麻痺させる事を知ったから。…愛や恋が、本当に人に必要なのかは
解らないけど、少なくとも私には、一番知りたくないこと、その事自体を
考えなくてすむから、一番一番、しなくてはいけないことのような気がする。

私は、生きていることを尊いと思うけれど、本当は、怖くてたまらない。
今ある全てが消え去るときが来ることを考えるととても一人でいられなくて。

一生懸命目をつぶって、光を無視して、暗闇も無視して、ただただ自分の中の、
「何か」にひたすら閉じこもる。もう一度中から外に出たいと思うまで、
意識を内側に内側に。…そんな時が私は一番辛い。ヒシヒシと指先が震え
手の甲から何かが切れてきそうで。

あなたの暖かい体温と、小さな色んな音色は、そういう恐怖を和らげてくれる。
私が感じなくていいことを、無視できるように没頭させてくれる。

人が音楽を愛するのには、無音が怖いから?

私は、彼の、まばたきの音で、またここから実感に帰る。



2002年05月04日(土) 「心」と「手」

今でも好きな人が居る。初めて付き合えてから、記憶の端っこに居続ける人。
一番昔の、恋人。

その子とは付き合って一年もしない間に会わなくなってしまって、
結局何もしないまま、恋人からただの他人になった。


あの子と一緒に居た時私が使ったのは、いつでも「心」と「手」。


いつもいつも、心も手も、どちらもその端が、彼とチリチリ触れるだけで。
だから、あの人がどんなふうに女に触れるのか、私は知らない。

二人の距離は、永遠に縮まらない、長い長い平行線の下、未来と過去と現在、
三つの時間が絡まって、その上を、人の列車が行き来する。


…今の私が使うのは、「心」と「躰」。だからもう二度とあの続きは、無い。


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