JERRY BEANS!!

2001年12月26日(水) ワンルーム

テレビの電源を切った時、四角い灰色のブラウン管には
冷めた顔で空を見つめる自分が映っていて、そんな自分の居る
ワンルームの部屋の中が、急に鍵のかからない独房に思える
瞬間がくる。

それを人は、孤独だとか虚無だとか、そう言う名をつけて呼んでいる
らしいのだけど、それは、違う。それの本当の名前は、「現実」。

現実ほど退屈で繰り返しばかりの日常は無くて、それは浮き沈みのない
エンターテイメントで、そんなつまんない物のために、私達は毎日を
過ごして、時間を超えて、少しずつ肉体を蝕んでいる。

止められないのは、砂時計の砂や、彼氏とのラブラブな時間でもなく、
そんな事を考える脳みその電波交換だ。

ワンルームは、それを可能にする静かな独房。



2001年12月25日(火) 水の玉

涙は一粒だけでは落ちてこない。

一粒流して止められるなら、きっとそんなに悲しくないんだろうな。
だって。…水が流れる仕組みは、まるで糸でつながれた玉みたいに、
ひとつ、玉を引っ張れば、次の玉。その玉がまた次の玉を引っ張って、
それが重なって連続的に落ちてくる、というものだからだ。

涙もきっと、そうだろう。

一粒だけで止められるなら、きっとその人の涙腺はとてもきつく締まって
いるんだと思う。そんな嘘の涙なら、そんなに大きな価値は無いね。

泣き続けると、瞳と頭が痛くなる。
そして、疲れて、眠って、また起きて。私はそれを繰り返して行く。



2001年12月23日(日) 平日マニア

今日は誕生日でした。もう別にめでたい感じもないので
良いのですが、こういうのを覚えてくれてる人が居るのって、
意外と幸せだな、と思います。電話くれたり、メールくれたりした人、
ありがとう♪ …なんてね。照れくさいな。

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ところで、この時期はどこそこ、混雑していて大変。
せめて私は記念日くらいはゆっくり過ごしたいと思っているんですが、
世間様はそうは行かないようで。Xmasもカップルは忙しそうだし、
告白のイベントとかも考えてたりするんでしょうか。
そんで、わざわざ人ゴミに紛れて。ご苦労様だなぁ…、と思ってしまう。

私は元来人ごみの嫌いな性質なので、こういう時は家にいるのが一番好き。
出来れば家でゴロゴロしながら、好きなお酒でも飲んで酔っ払って
寝てしまいたい。私にとっては、平日だって充分幸せなのです。
幸せを感じるのには、平日か、特別な日かなんて区別はない。
いつだって、好きな人と居られれば、それで幸せ。



2001年12月20日(木) 可能性のある夢

もしかしたら、叶うかも知れない夢の話が好きです。

現実に起こりそうな事で、その可能性を秘めた幸せな未来の夢が見れるのは、
今が満ち足りているせいでしょうか。そうだといいな。

幸せな話は、私を幸せにする。
不幸な話は、誰もを不幸せにする。

だったらやっぱり、幸せな話がしたいと思うのです。
そして出来れば、それが叶いそうなことであったら、尚更に嬉しい。
悲しい噂はもうこりごりだし、そんな自慢も辟易している。

ビロードのような夜の帳。月影には星の光。私の中にある精一杯に綺麗なもので、
あなたの世界が埋め尽くされますように。そう願って布団を被る。


冷たい体の、あなたとわたし。



2001年12月17日(月) 命日

父の命日で、お墓参りに行った。

この時期は、ここ数年ずっと雪で、今回も雪がちらちらと

降ってきて、睫毛の上に落ちて、乗る。


去年は積雪が30cm位あって、お墓に辿り着くまでが大変だった。

雪かきをしながら進んで、冷たい指を悴ませながらお祈りをした。


今年は、雪は数センチで済んだので助かった。冷たい墓石の上の

雪を払う。石を磨く。わたし、もう今年で24になります。


気持ちも、想いももう届かないけど、それでも今年も考える。

止まりそうな時間を、雪がゆっくりと、押し流す。



2001年12月15日(土) 悲しみの手前

誰かを愛していると感じる時、私は幸せだと思う。

誰かに愛されている時、私は幸せだけど、少し哀しい。

私はこの人を淋しくさせるかも知れない。この人は私を好きだから。


それでも、止められない。

切なさも、殺せない。幸せは、悲しみの一歩手前にある。




2001年12月14日(金) クリスマス

あの年のクリスマス、私は窓の外に降り続く、灰色の雪を見てた。

あんなに悲しい冬はもう二度とない。


もう会う事もないあの人。家族の全てが目を閉じて想う人。


花を咲かせるカサブランカ。

消えない涙。

いつか私は、あの石の下に居る父に会いに行く。

あなたが愛した全ての人が、今もあなたを愛しています。心から。



2001年12月13日(木) 始まりと、終わり

誰かを好きになる気持ちは、半永久的な気持ちだと思う。
けれど、誰かと心が通じてしまったら、そこからサヨナラまで、一体
どのくらいかかるんだろう。

結婚式の時、二人は神にまで契約を確認してもらうけれど、その契約ですら
ほんの少しの気まぐれや、長い長い時間の経過によって分かたれることもある。
永遠に続くものなど、この世に何ひとつ無いのに、なぜひとは恋や愛を
忘れることなく追いかけるのだろう。それも、止める事も出来ずに。

私も恋をするし、彼も恋をするだろう。冷める速度と戦う事が愛なのかな。
いや、それもまた違うんだろうけれど。

一番切なくて楽しいのは、恋の始まる予感。

一番やるせなくて悲しいのは、恋の終わる予感。

二人の間に漂う空気の色が変わる瞬間が怖くて、私は平気なふりをする。



2001年12月12日(水) 純粋なもの

大人になるから、無くしちゃいけないものもある。
それは、既にあるものだったり、自分で見つけないと無いものだったりも
するけれど。

日々の目標や、心の休息地を持たない大人は、ただ、時の過ぎるのを
やり過ごすだけで、それは見ているだけでもやるせなく感じる。
彼らはきっと、死ぬのを待つだけなんだろう。ああ、悲しい。

酸素をすって、二酸化炭素を吐き出す。酸化するだけの生命体。それだけ。
時間を垂れ流す。生きてるだけの人。それだけ。

そんなの悲しい。

生きてて、楽しい? 生きてて、嬉しい? 生きてて幸せ?

そんなの、誰だって、楽しくて嬉しくて、幸せだから生きてるんじゃない。
楽しみたいから、嬉しくなりたいから、幸せになりたいから
生きているんだと、そう思わなくて、どうしてやって行けるんだろう。
だから、何も無い人は見つける努力を怠ってはならないのだ。
純粋なものは、全て自分の中にある。他人の中には決してない。
他人に答えを委ねては、いけない。



2001年12月08日(土) ねじりん棒

今日は、キスを拒まれた。
それだけ。たったそれだけなんだけど、なんだか驚くほど
落ち込んでしまった。私は、いつも自分の人間のサイズに満足しているような
素振りをしているけど、本当はね…。って、ここまで言いかけておいて、
ああ、らしくないから止めとこうか、とかも思うんだけど。

好きな人にキスを拒まれたくらいで、何も落ち込む事無い筈なんだけど、
ただそれだけのことで、その一回だけで、全部否定されたような気すらする。
機嫌が悪いだけ⇔でも本当は飽きられたのかも。
たまにはそう言うときもあるよね⇔でも持続性の気持ちだったらどうしよう。
こんなことで、自分がダメになるとも思わないけど、だけど、
頭の中で、自分を甘やかす言葉と追い詰める言葉が、同時に溢れて
同時にねじれて、交錯する。

あはは、女なんてそんなもんでしょ。そう言ってせせら笑う自分と、
バカね、だから最初から言ってたのに。そう言って一瞥する私。
それでいて、元気だしなよ、とか何とか言って、自分を元気付けようとする
私とかも居たりして、面倒くさいし、なんだか悲しい。
男の人に捨てられること。想像するだけで怖い。私はバカだけど、
男の人のことは、信じたいと思う。だけど、その余計な気持ちが、
かえって私を不安にさせる。



2001年12月07日(金) 作られた人

私は偽善や嘘が嫌いだ。

それがないと生きて行けないのは、もう知っているけれど、

何でも無い時にまでそれを持ち出して来るのには耐えられない。


小学生の頃、授業参観や道徳の研究授業が大嫌いだった。

家の人間が来るというだけで、生徒はみんな借りてきた猫のように

イイコちゃんになるし、先生は先生で、それがいつもの様子であるかの

ように、嘘の態度を振舞うのだ。研究授業では、普段は使わない紙でできた

説明用の小道具まで用意しちゃって、全然いつもの様子なんかじゃない。


先生の、親や偉い先生に対する媚びた笑顔が嫌いだった。

生徒たちの、普段のガキ臭さを一掃したような偽善面が嫌いだった。


だから私は、授業参観のときは特に、いつもと同じように、椅子の背もたれ

に体重をかけて座り、足を前に投げ出しながら、ギイギイと椅子を鳴らして

授業を受けた。今思うと、嫌なガキだったと思うけど。当時の私には、

みんなが揃って急変するその様子が、なんとも気持ち悪くて、今にも

吐き出しそうだったのだ。どうして、みんなそれが平気でいられるのか、

その方がずっと不思議だった。そんな小学校時代を送っていた。

さすがに、低学年を上がる頃には、そんな気持ち悪さにも耐えられるように

なったけれど、それでも、今、あの偽善的な空間に放置されたら、今度は

耐えられる自信が無い。


年齢を重ねて、授業参観というものも無くなって、そういう場面に出会わなくて

良くなったけど、せめて、普段の生活にくらいは、そういう偽善から離れて

いたいと願う。けれど、あの時、偽善や媚びの厚顔を不思議に感じなかった

人たちは、いつの間にかその顔が“普段の顔”になっているのだ。


そんな彼らは、まるで作られた人のようで、機械の人形のようで、

あやしい操作を施された人のようで、怖いのだ。



2001年12月06日(木) 男たるもの

この世の中には男と女がある。

そのうち、私は、いきがる男というのが最も嫌いである。

彼らは男だというだけで、女より上位に立ったつもりになって、

言いたいことも言いたい放題で、そのくせ大した事のひとつもこなさないのだ。


冗談じゃないぜ。


そんな男に、「女のくせに」なんて言われてたまるか。と、よく思う。

女の子は、男の子より弱い。だけどそれは体力的にであって、

精神的な強弱は、男女の性別には関係ないものだと私は思う。


男だったって泣いてもいいし、人間的に弱い所見せられたって、私は

全く構わない。男らしさは、そんな事には関係ない。

けれど、男というものは、こうあるべき!なんて、良く解らない標準を

作って、それに従う為の虚栄を張って、根拠もなく女をバカにしだす奴が、

この世には居るから、不思議で、ムカついて、不愉快で仕方が無いのだ。


口先ばっかで虚栄を張る奴、どっかから聞いた情報だけが全ての奴、

何でも知ってなきゃ気が済まない奴、色々いるけど、じゃあ、この人たちは

一人だけでぽつんとどこかに放置された時、一体何ができるのか。


良くわかんない付加価値を自分にくっ付けるよか、自分の本質に関わる

何かを磨く方が、よっぽど素敵だと思う。シンプルでない物に、ごてごてした

飾りを付けても、全然カッコ良くない。


口先ばっかの男は趣味じゃないし、よく解らない自慢話を聞くのも嫌いだわ。

何にも出来ない駄目男にまで“男の沽券”なんてのがあると思ったら大間違いだ。


体裁を保つ為の表層ばかり繕うよりは、いざという時だけで良いから、

頼りにされる男でいてよ。

男も女も、本質だ。芯がしっかりしてなきゃ何も光らないのだ。



2001年12月05日(水) 女たるもの

私はブスが嫌い。だってブスって、本当は、見た目が問題なんじゃなくて

中身が酷いんだもん。努力を嫌う事、人を批判する事、文句をいう事、

全部辞めようよ。かと言って、見た目だけ磨いて中身が小学生ってのも

勘弁してね。女の子は、女に生まれたその時から、男よりたくさんの事を

しなくちゃいけない運命なんだと私は思ってる。人に選別される事も含めて、

色んな事を簡単に諦めないように。女は、自分が思ってるほど弱くない。

だから、男に媚びてる暇は無い。


女たるもの、強く、そして美しくないと。

ブスとオバチャンは紙一重。

それだけは気をつけようと思う。



2001年12月02日(日) 身体と精神

身体と精神は常に一体で居て欲しい。
だから、私は身体の欲求は我慢しないようにしている。
お腹がすけばご飯を食べるでしょ。それと同じだ。
あんなに気持ちのいい事、しないでどうして平気なんだろう。
私は、気持ちが良くてボンヤリする目で、一生懸命彼の顔を見るのが好き。
それと、前髪が落ちて、よく見えない彼の目を探すのが好き。

セックスと言う時、人は性器の結合ばっかり考えがちだけど、
本当にエロティックなものって、そういう部的なものじゃなくて、
例えば、靴を履く彼女を斜め上から見つめる彼の視線の流れとか、
彼女のピアスに絡まった髪を解く男の指のもどかしさとか、
乾いた唇を舐める時の彼女の舌の紅さとか、そういう間接的なもの
から既に派生しているものだと思うんだよね。

だから、急にやろうって言われても結構駄目だったりして、そういう
“これから起こることに対するゾクゾク感”のようなものを、
ちゃんと作れる人でないと、いい恋は出来ないなぁって思う。


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