JERRY BEANS!!

2001年05月31日(木) 生き方講座

人の生き方には色々ある。
それはその人によって違って、その人にしか出来ない
考え方や信念を、大抵の人が持っているのだと思う。

誰かが誰かに憧れているというのは、その人に無い部分を
他の人が持っているからなのかな。

あの人みたいになりたいとか、あんなふうに生きたいとか、
そう言うこと。

だけど知ってみると、それは案外もろいものだったりもして、
憧れていた人も、自分と同じ人で、だけど、目に見える形で
そこにあるものにはみんな弱くて。

何を基準に、何を目標に、何を求めて生きていけばいいんだろう
って、悩む事も多い。

…大事なのは、自分が何をしたいか、だ。
そんな単純な事を、人は物事を複雑に考えすぎて、忘れてしまう。

単純で明解な人生を。私は所望したい。



2001年05月30日(水) IN THE …

男とヤってる最中は、不思議と生きている感覚がある。
愛とかそう言うものを取っ払って、体が生きていると、
心底感じる瞬間だ。

体が汗ばむと、胸元につけた香水が熱気で香る。
手首につけた香水の香が、男の素肌を滑る時、私はわりと
幸せ。

気持ちいいな、と思いながら、そんな事を冷静に考える
自分が、結構好きだ。

髪をくしゃりとする時の指の動きが好きだ。
その人は、私の声が好きだと言う。

でもそんな事もどうでも良くなるくらい、くだらない愛に溺れて
ダメになるのも、悪くないのかも知れないと、そう思って、
今日も、眠ろう。



2001年05月29日(火) 海風と潮の香り

海が好きだ。
特に、晴れた日の海は、今時分は、風も心地よくて気持ちがいい。

ただ、海を見ている。
潮風にあたって、海の先の、先のほうを見ながら、
ぎらぎらと照り返す、波間の光に目を細めながら居ると

なんだかここに居ても良いんだなぁって思う。

深呼吸で潮の香りを吸い込んで、はぁ、と吐くとき、体の中の
悪いものが、すう、と海へ帰るようだ。

天気も良くて、学校もサボって、何もしないで海に居ると、
それだけで体が生き返る。

高校の頃、友達とケンカして、授業もばっくれて一人で海に逃げ出した時、
砂浜で海と空を見ながらうずくまっていたら、どこへ行ったのかも
知らないはずの友人と、その時付き合っていた先輩がやってきて、
遊んでくれた事を思い出す。

「どうして来たの?」

「…?何となく。」(笑)

ふたりとも、そう答えた。…私は、幸せになった。

海が好きだ。そんな不思議な事も、平気で起こるから。



2001年05月26日(土) 未来へ繋ぐもの

もしも、本当に出会う運命なら、きっと今ここで
さよならしても、きっとまた会えるのだと思う。

私は、弱くて、今の私を支えられないから、
あの人とふたりで居るのが辛くて、辛くて、
自分の中の全てが消えてしまいそうだと思った。

だから、次にあの人と出会うなら、心の強い人になって
もう一度最初から、最初にいいなって思ったあの瞬間
から、やり直そうと思う。その為なら、何を犠牲にしても
誰を傷つけても構わないと思うほどに、私はずるくて汚いが。

それでも、可能性にかけたい。

過去は清算して、そうして未来へ。繋ぐものを。

もしも、何より強い心で、あの人ともう一度向き合えたら、
その時は、何があっても大丈夫って言えるように
前を向いて生きていたいと思う。

これで、私は変われるから。きっと、今のこの決断が、
未来へ何かを繋いでいると思うから。

それまで、さよなら。ありがとう。



2001年05月24日(木) 未来永劫

君を永遠に愛している、だとか、ずっと一緒に居るよ、だとか
そういう陳腐な科白は、ハッキリ言って聞きたくない。
簡単な言葉の裏にある、安い約束なら、要らない。

人の心は移ろいやすくて、未来永劫、変わって行くものだから。
はかないからこそ、皆がそれを抱きしめているのだと思う。

私は、永遠に好きだとか、そういう嘘は付いた事がない。

そう言って、後で嘘になるのが嫌だからだ。もしも私がそう言う
時は、きっと本当に永遠に変わらないものに対してだけだ。
…しかし、そんなものは、そうそう、ない。

昔、いつだったか、私がそう言ったら、ある人は泣いてしまった。

けれど、私は、愛のようなもの、偽りの約束、約束された未来、
それまでの過去、そんなもの達はどれも要らないから、
ただ、今の気持ちと心さえあれば、それだけで生きていけるのだ。

そこに無い、口頭での約束や、冷たい左の指の拘束具よりは、
ただ、暖かな血の流れる、あなたの掌だけで、それを自分と
つなげるだけで、私はそれだけで幸せなのだ。

私の中で、未来永劫、変わらないのは、誰かとの愛ではなく、
ここにある、確かな私の信念。それだけは、永遠にこのままでいて
欲しいと私は思う。そうしてこのまま、いつでも、涙の暖かさに
感動できる自分で居たいと願う。



2001年05月23日(水) あなたを支えるもの

 一人で、泣いてる声がして、か細い声が聞こえてくる。

…さすがにこの年になると、淋しい時に淋しいと言ったり、
哀しい時に哀しいと言ったり、人に頼る事に、だんだん
不器用になってしまう。…本当は、淋しい時には淋しいし、
哀しければ涙も出るのに、どうしてみんな、それを秘密に
してしまうのだろう。

私は、この体と、この心と、たったそれしか持っていないけど、
もしかしたら、誰かの寂しさを、ほんの少し、埋めてあげる
事は出来るかもしれない。

誰かの涙を拭う指と、誰かの不安を聞く耳と、誰かの心に
響く声を、今、泣いているあなたに。

私は私のものだから、誰にもあげる事は出来ないけれど、
ほんの少し、淋しさを埋めてあげる事は出来るから、
だから、私は、あなたを支える、透明な管になろうと思う。

ほんの少し、君の背中を押してあげる、小さな追い風に。

そうしたら、君は、本当は自分の中にある、本当に自分を
“支えるもの”に気付くはず。…そうしたら、目に見えない
透明な私を、忘れて捨てていけば良いのだと思う。

あなたを支えるものは、あなたの中に。そんな自分の可能性を、
自ら忘れないで、見つけて大切にしていてね。

珍しく、私からあなたへの言葉。
それと、ほんの少しの心を、ここに…



2001年05月22日(火) 嫌なものは、ゴミ箱へ

 嫌なもの、邪魔なものや、都合の悪いものは、人はだいたい、
ゴミ箱へ投下する。自分の目の前から、そのもの自体を消そうと
する。…そうして、目の前から消えれば、そこには最初から
何もなかったような空間が広がり、罪悪感や不快感も、心から
消えて行ってしまう。

…だけど、問題はいつでもあり続ける。
本当は、見えなくなっただけで、必ずそこにあり続ける。

無くなった、気がするだけ。

汚い物は、見えなければいい。
ゴミが何処かで溢れようが、自分の身の回りが綺麗なら
それでいいの。…そう言って、みんなが何処かへ、汚いものも、
不快なものも、何処かへ寄せて、安心している。



2001年05月21日(月) 断片

 私は、父が好きだった。勿論、今でも大好き。ただ、彼はもう
この世にはいなくて、そうして、私の、たった一人の『父』に
なってしまったのだ。そのせいもあるのかどうか、どうやら私は
男の人というものに、父の面影を、断片的にではあるが、求めて
いるらしい。

どんなに小さな事でもいいから、私に父を思い出させてくれる人を、
私は求めている。…だけど、父は、自分の命を無くしても、子供は
絶対に守ると言ってくれるような、そんな人だったから、そんな人は
恋人として探してもなかなかいなくて、誰と出会っても、それは
父ではないのだから…それが哀しくて泣けてきてしまう。

私は、好きな人に、父を見ているんだと、そう気付いた時に
心の中で涙が溢れて、涙で前も見えなくなっていく。
見えない涙は、心をつたって、それが、胸を苦しくさせる。

もうさすがに、彼を思い出して泣きながら目を覚ます事も、眠れずに
泣き通す夜もやっては来ないけれど、だけど私は、まだまだ、
父を探して困って、ここに立ち尽くしている。

小さな頃から、心が傷ついて悲鳴をあげているような時は、それを
表に出せずに苦しんでいる小さな私に、父は、いつも何も言わずに
そっと掌で、頭を撫でてくれる。…胸をかしてくれる。
あの掌が、今は恋しい。

他のどんな人の掌より、それは暖かで、優しくて、超えられない
大切な絆だったのだ。

父が、祖父から受け継いだもの。私が父から、受け継いだもの。

絆は、まだ切れていない。ちゃんと、ここに、あるよ。
だけど、私は苦しいの。私はまだ、それを繋げる事が出来ずに、いる。




2001年05月20日(日) オトコギライ

 私は多分、オトコギライである。…人としての「男の子」や
「男性」は好きなんだけど、自分にとって特別な相手として
見た時の男の人は、どんなに好きでも、心の底から信用できない気がして
ダメなのだ。多分、この人も、私を置いて行ってしまうんだろう…。

そんな哀しい気持ちが心をよぎる。

この世で一番強いつながりは、私は血のつながりだと思っているから、
両親・兄妹だけは、どんなに普段は連絡しなくても、どんなに離れた
所にいても、いざというときは絶対力になってくれたり、支えて
くれる人だと思える。それに、そんな時は私も多分、身を削ってでも
助けに行ってしまうと思う。…だけど。恋人は、どうなのか?

やはり、信用できないのは、私が単に臆病だからなのか。

どんなに好きでも、その人も、自分と同じように、私より家族を
取るのかなあと思うと、怖くて怖くて仕方がない。かと言って、
彼が家族よりも、私を絶対に取ると言ってくれても、そんな事を言って
家族の絆をないがしろにするような人を、私は好きには
ならないから、やはり、これも、仕方がない。

何かから、吹っ切れない自分は、こういう時に、普段は絶対見せない
顔で臆病になってしまうのである。何が、そんなに怖いのか?

自分を他人に見せる事?それとも、誰かを信用するのが怖いのか…。

…どうして誰かを好きになるのかな。誰も好きにならなければ
こんなに悩む事もないというのに。でも、そんな人生は、甘くも
ないし、味もしない。

こんなどうでもいい事で、私は今日も悩んでいる。



2001年05月19日(土) 些細な事

 些細な事で、急に幸せだと感じたり、急に不幸だと感じたり、
人の心はあやふやだね。これは、自分にとって良い事なのか
悪い事なのか…?それを繰り返して行く事で、だんだんその
境目が不確かなものに変わって行く気がする。どっちだ?これは。

 最初はなんでも、小さく些細な事から始まって、そのうち
いつか、それも大きなことに変わって感じられるのかな。

不安でやるせない気持ち。
不毛だなぁ。

些細な事は些細な事、それ自体として受け止められるように
そういう回路をちゃんと働かせないと。怖くて前にも進めない。



2001年05月17日(木) あなたの手の先に

今を頑張る事と、未来を見つめる事。
それを別々に考えている人が居る。

だけど、今頑張っている事は、全てが
未来へつながっているのだと私は思う。

あなたの手の先に、見えるのは何ですか?

それは、荒れた掌でも、ささくれた指先でもなくて、
それこそがあなたの欲しがる未来では無いのでしょうか。

今ある自分を、今の現状を、今のあなたを愛せなくて、
それで手にする未来は幸せかしら…。

幸せを確信したくてはめる手錠は、そのままあなたの
未来を狭めてしまう。

人は、不自由が増えると安心するものだから。
選択肢が最初から狭められれば、努力をしない理由を
簡単に手に入れられる。そして、考えない自分を納得させる。

「これは仕方の無い事だったの…」

そうではなくて、したい事をできる人生を、
自分を愛せる一生を、
あなたの手の先に乗せられるといいと思う。私は。



2001年05月16日(水) 胸を流れるもの

胸に流れる音楽と血液と。
好きな物を見つめる時は胸が騒ぐ。

例えば誰かの濃い色の黒目の中身だったり、
優しい掌だったり、
綺麗な指先だったり、

好きな色だったり、
海だったり空だったり、色々あるけれど、

そういう時、胸の中に色んなものが流れていて、
それがキンコン、音を立てて音楽を聴いているようで、

とても気持ちがいい。
騒ぐ胸も、高鳴るものも、静かな音楽も。鼓動の音も。



2001年05月15日(火) 嘘と毒素と麻痺

…嘘をつくと、躰の中に毒素が溜まる。

しんしんと、静かに積もる雪みたいに。
ゆっくりと、泥だらけで真っ黒な塵が降り積もって行く。

指先は火照っているのに、頭は妙に冴えて、
躰も心も麻痺していく。

人の痛みに。自分の痛みに。
気付かない。          …フリをしている??

重ねた嘘は密度を増して、少しずつ私を壊している。



2001年05月13日(日) 欠片

 何かの欠片を集めようとして、欠片ばかり拾いに行って、
何かの欠片を強引に手にする度に、その満足感の裏側で
大切なものをポロポロ落としていってる気がする。

あとで後悔?

後悔ではないけれど、後には引けない。

何かが崩壊していく気がする。自分の中で。

自分が欠けていく気がしてならない。



2001年05月12日(土) The End Of The World.

珍しく英語で題目をつけたけど。…世の中には色んなお話が
あるけど、HAPPYな幸せ一杯の話よりも、陰湿で暗いお話の
方がリアリティを感じるのは私だけなのかな。

誰もが救われるという世界よりも、“誰も救われない世界”
の方が断然、リアリティを感じる。だいたい、誰もが救われる
世界って一体なんなんだろう。…ちょっと想像も、付かない。
でも、誰も救われないと言うのなら不思議と納得が出来てしまう。

誰も救われない世界、それは今のこの状態だ。
理由も無い消失感。

もしも全てが終わるなら、私は多分、開放される。
色んな悩みも、しがらみも、暗い過去も、ただの灰になって
消えてしまうのでしょう。

そう考えるこの脳みそが、少し、憎い。



2001年05月11日(金) 背徳者

 神様の決めた法律には色々なものがあって、例えば
自分に与えられた命を自ら絶ってはいけないとか、
与えられた性は変えてはいけないとか、色々あるのだけど、
所詮神様というのは、人の心の生み出した良心や善心の変化した
もので、それを意識するみんなが作り出した、戒律の象徴的存在
といえる。んで、その中で、それに逆らったからどうだ!というと、
社会的な問題を除けば別に何でもないのである。
だけど人の心の中には必ずなにか、そういう「みんなの戒律」に
反した時には、何らかの後ろめたさや、良心の呵責を感じるという
実に都合のいい回路が埋め込まれている。

そして、その回路はどうして働くのか?というと・・・、それは
ちょっと私にも解らないなぁ。けれど、誰かを好きになるのは
罪ではないと私は思ってはいる。キリスト教では、むやみに異性と
馬桑ってはいけないというきまりがある。今のように街中で
カップル同士でいちゃいちゃ、なんてのだって、もってのほかなんだよ。

だけど、誰かを好きになったり、交尾したいと思う気持ちは
衣食住の欲求と同等に置かれるべき欲求のひとつなんだって
事を忘れちゃいけないと思う。大事なものでないのなら、あんなに
気持ちがいいはずないもん。生きていく上で、辛い事や悲しいこと
を誤魔化して、忘れさせてくれる、大事な大事な動物機能なんだ。
脳みそはエンドルフィンだしまくって、心を健康な状態に戻そうと
してくれる。ありがたいなぁ。

恋は罪ではないのだよ。でも、ね。自分の心の中で、自分の理性が
悪とするものがあるなら、それは社会的な要素を抜きにして罪だと
言えなくも無い。誰かを好きになって、でもその人には他の配偶者
がいて、それの何が辛いかって言ったら、人から見てどうだとか、
それが背徳だとかではなくて、心の中で、自分の理性がそれを悪だと
しているから、「してはいけない事」をしている自分に対して
自分がツライと感じるからなのだと思う。そういう人の事も、好きに
なってもいいんだよ、本当は。自分を苦しめてるのは、自分なんだ。
私が私の戒律を違反しているのが、辛いんだ。そう、思う、今日この頃。



2001年05月10日(木) 名前を、呼んで。

 どんなに長い愛の言葉より、どんなに深い徳ある言葉より、
私は名前を呼ばれるほうが、ずっと、心にじん、と来る。

私は本名も「奈々」だけど、つまり、いつだってみんなが
本名で呼んでくれる、という事が結構嬉しいのである。

「ナナ」「ナナ」って、30回くらい言われたら、それだけで
ころっといくかもしれない。それくらい、名前は大切なもので、
生まれて、親から名前を与えられるということは、ここにある
自分の命を、この世に宣言されたという事と同じ意味なんだよ。
だから、そんなふうに誰かからもらった名前を、誰かに知られて
呼ばれるなんて、それはもう、自分の全てを預けたも同然なんだ。

色んなお話で、名前を呼ばれて答えたら瓢箪の中に吸い込まれ
ちゃうとか、名前を知られたら呪われちゃうとか、色々あるけど、
要するにある人を特定してその人だと判別する為に一番大事な
“言葉”というのが、まさしく名前という訳だね。…だから、
誰かの名前をちゃんと呼ぶっていうのは、実はものすごく呪術的
な要素が強くて、名前そのものが呪文の一部みたいになるのだと
私はそう思う。

だから呼んでね。

…昔の武士や侍が、戦う時に必ず自分の名前を名乗りあってから
戦うのもカッコよくて、憧れちゃう。やっぱり、名前は大事な
ものなんだね。


   



2001年05月07日(月) 嬉しい悲しい嬉しい

 時々、誰かを理解したいと思うときがある。だけど、ひと一人
理解するのはとても難しくて、知ることは出来てもそれは
全てではなくて、ただの一部分、一面でしかなくて、だけど
人はそれが見える物の全てであって、結局、解ってあげることは
出来ないのが悲しい。

 私は、今ここにあるもので全て満たされているわけではないけど
それでも自分の生き方をそれなりに愛していて、これで間違って
いるとも、合っているとも思わないけど、こういう生き方や
考え方は自分にしか出来なくて、人から見たらやっぱり解らない
モノなのだと思う。

同じように、自分とは別の人の考えや生き方だってそうで、
その人の考えを誰か他の人が理解するのは難しいのかもしれない。
だけど、だからこそ、何処かで自分と似た考えをする人を見つけ
ると、嬉しくて懐かしくて、居心地が良いと感じるのだ。

もしも自分の周りに、自分と同じ考えをする人しかいなくなったら、
私の周りは、窮屈で生き苦しいのかも知れない。それは苦痛だ。
だから、自分と違う考えをする人がいる事を感謝します。
そして同じ考えを持つ人がいることを嬉しく思います。

そんな人に囲まれているこの状況を、私は愛してやまない。



2001年05月06日(日) 不健康な心

 私は、不健康でアンバランスなものに惹かれ易いようだ。

バランスの取れた考えや思想を持つ人や、バランスの良い
食生活、バランスの良い運動をしている人は、美しくて
きれい。だけどどうしてなのか、世の中には、バランスが
悪くて、一極集中、思想の偏り、偏食にはじまり、アンバランス
な物のほうが多いのである。そして、そう言うもの多くは、ある
偏った分野に突出した才能をもっていて、自堕落な魅力で
人をひきつけてしまう。…勿論、私もその一人である。

ジャンクフードや徹夜、不健康な運動や生活。アンバランス
な物のある環境には、リスクを負っても手に入れたいと思わせる
ような、異色の魅力を放つ宝箱がごろごろしている。中身は
在ったり無かったりするし、中身も役に立つのか立たないのか
解らないヘンテコなものばかりなんだけれど、たまに、そう、
ごくたまに、特定の人にとっては驚くくらいの価値あるものが
眠っている事もある。それは勿論宝石や金塊など、一般に
認められるようなお宝ではないんだけど、そこに行かなければ
手に入らない特別なものだから惹かれてしまう。

そんな事を思う不健康な私は、やはり今日も不健康な生活の中で
自堕落な魅力に、溺れてもがく人波の中で、ふらふら流浪する。
不健康な探究心。



2001年05月05日(土) アマイ恋の話

 恋は甘いか?と聞かれても、答えはNO。恋をしたら、
胸の中に危なげなナイフを突き立てられたように不安で
恐ろしくて汗をかいてしまう。それが幸せなのかは
ちょっと分らないけど、少なくとも、甘くだらしない
味の物よりいい気がする。

神経はピリピリして痛い。けど、そうしていたい。

それが指先まで突き抜ける快感。それが私の恋で、
その向うにある所に安らぎを求めたいと思う。



2001年05月04日(金) 36度5分

 誰かに触れると嬉しい。
誰かに触られるのはちょっと怖いけど、
36度5分くらいの温度の生き物はとても私を安心させる。

どうしてかな。

掌で触れるだけでも、一時的だけど
誰かを幸せにできないかな。



2001年05月02日(水) カタチあるもの

 人は、形の無いものを何か形のあるものに置き変えて
表現するのが好きだ。
例えば、恋人への愛情は、指輪やネックレスで。
両親や友人への気持ちは、花束やその人の好きそうな物で。

心や気持ちは形が無くて、目に見えないから、どうにかして
それを表現しようとして、わかって欲しくて、
何かにそれを置き換えて安心している。だけど、
目に見えないものにカタチを与えるのは不可能だ。

何かに置き換えることで、わかって欲しくて苦しんでいる。

形のある物は、どうしても欲しかったら自分で手に入れられる。
私はそれより、私では絶対に手に入らない、形の無いものを
欲しいと思う。それは、信頼であったり、誰かの心であったり、
気持ちであったり、愛情であったりする訳なんだけど。

それが一番難しいことだったりする。


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