夢の記述...マオ

 

 

こちらですよぉ - 2002年11月28日(木)

昨日、ツレアイの母がきて私がやすんでいる部屋で一緒に就寝した。
明け方、その母が起き上がって廊下に出ていった気配がした。
(トイレなのだ・・・)と思って、眠ったふりをしていた。神経は、
何かあったらすぐ起き上がっていくつもりでそこに集中させている。
と、母が廊下を歩いて部屋に戻ってきた。(あ、大丈夫だった)と
ほっとして布団をかぶりかけたが、母は部屋を素通りして玄関の方に
行くではないか! 私は慌てて、「こちらですよぉ、ここですよぉ」
と大声で母を呼んだ。

ここで目が覚めた。自分の「こちらですよぉ」という声に起きたの
だ。目が覚めた時、母がまだそのあたりにいる気がした。
ツレアイの母は、もう大分前に他界している。
なぜかこういう夢をよく見る。

母は亡くなる二年ほど前に、三ヶ月間我が家で療養された。
ずうっと介護を続けておられたツレアイの兄の奥さんが体調を崩され、
当時さいたまにあった私たちの家に母にきてもらったのだ。
上の息子が高校二年生、下の息子が中学三年生の時だった。
その頃は犬は一匹だったが、猫がもうかなりの数いる時だった。
ツレアイの家は、父も兄もおじも従兄弟も男性はみんな医者で、
二千坪の庭に文化財指定になっている松の樹があるという家であった。
その家をたくさんの車夫さんや看護婦さんやお手伝いさんを含めて、
仕切っていた母は大変誇り高い人であった。
その母が、私の家の猫の多い生活や、生後すぐに実母を亡くし、男親に
育てられた私の、主婦のするべき仕事にまったく無能ぶりがどのように
うつるかと、ちょっと複雑な気持をもっての同居であった。
でも私は表向きはそんなことをおくびにも見せず、どちかというと、ズ
ケズケものを言い、さっさとマイペースで動くという形で、母の介護を
した。病院に毎日のように行ったが、そこでよく「実の娘さんと同居さ
れていいですね」と母は声をかけられた。病院の看護婦さんもそう言わ
れていた。私の遠慮のない母への態度が親密にみえたようだった。
やがて母が兄の家に帰る日がきて、その日、こう言われた。
「あなたは私を、用無しの年より扱いにしなかったね。気持がしゃんと
なる気がしたよ」
とたんに私はバァバァと涙を流してしまった。
母は、兄の奥さんに、「Kさんは(私のこと)、かわった子で、気は使う
んけど、姑じゃから遠慮するとか、そういうところはないのよ。あれで
かえって人間扱いされた気がした」というようなことを言われたという。
猫たちに対する様子をみて、優しい子だとも言われたという。
私はそれを聞いて、またバァバァと涙を流した。私は本当は、自分の主婦
としての無能ぶりや、気遣いが不完全な人間としての未成熟を恥じて、罪
悪感に苛まれていた。だから、それを責めたりしなかった母への感謝と、
何か人間として通じ合った気がして嬉しかったのだ。
奥様として完璧だった母は、本当は私の不出来はいたたまれないものが
あったろう。だけど、私が自分の不出来を充分承知で、懸命に尽くそうと
していた、そのことを信じてくださっていたのだと思う。

夕べ、久しぶりにその母が夢に訪ねてきてくれたのだろうか。









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なんとなくトホホな・・・ - 2002年11月22日(金)

夕べの夢は可笑しかった。今練習中のミュージカルが本番を迎えている
夢なのである。自分が舞台に立っている感触があって、その後、私はな
んと体重計に乗って、「お、痩せた、痩せた!」と喜んでいるのである。
そして目覚めたのだけれど、なんとなく、ミュージアルの成功よりも、
体重の方に気をとられている気がして、トホホな気分になってしまった。


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チャッポ シロッポ - 2002年11月18日(月)

二三日前に、猫が何匹か目の前にいる夢を見た。そのなかに仔猫が三匹
いた。その子達は、にこにこ笑っていた気がする。茶色の仔と、白い仔
をその夢のなかで抱いたら、とても痩せていて軽かった。
チャッポとシロッポに似てると思ったけど、あの仔たちは痩せていなかっ
たから違う仔だったのかもしれない。しばらく前に、ある家の庭で、痩せ
て細い猫をみかけて、(ずいぶん痩せてる・・・)と思ったので、それが
この夢になったのかもしれない。


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賑々しい - 2002年11月12日(火)

昨夜はひっきりなしに夢を見ていた気がする。
脈絡のない夢が断片的に現れる。
疲労感がこうした現象を起こさせるのだろうと思う。
でもいやな気分になる夢はひとつもなかった気がする。
わりと暢気な夢ばかりだった気がする。


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夢の記憶 - 2002年11月11日(月)

夢は、朝起きたときにすぐに書き留めておかないと忘れてしまうものと、
ずううっといつまでも忘れないものとがある。
ここ数日は、夢を見たかどうかも忘れている。


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支援 - 2002年11月05日(火)

今年の夏にあるイベントを開催した。それが縁で、県内のある町の議員さんと
友達になり、時々食事に出かけたり、メールのやりとりというお付き合いをさ
せていただいている。イベントは悪夢のような顛末になったが、いい友達がで
きて救われた、と思っている。
さて、その友人はとても誠実で有能な政治家だとお話をするたびに尊敬の気持
ちがおこるのだけど、そのせいか、昨夜、私は誰かを支援する演説をしている
夢を見た。支援する相手の人の姿はなく、でもどうも友達になった議員さんと
いうわけではなさそうなのだ。わが町の誰かだったような気がするのだ。私は
自分の町で、支援している議員さんはいないので可笑しかった。自分の町に、
信頼できる議員さんがいたらいいのにという願望の現れかもね。(あ、わが町
の議員さんがみんな信頼できないというわけではないです。ただ私が、そう思
える議員さんに会ってないだけです。)



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うたたね - 2002年11月03日(日)

ミュージカルの稽古の帰り、駅から家までの車の中で、(あぁあ、西武が
頑張ってりゃ、今日本シリーズ戦をラジオで聴けるのにな・・・)と心の
中でぼやいていた。それほど今年の西武、巨人戦を楽しみにしていたわけ
だ。それがあのアホカントクが松坂に拘るからあっという間に終わってし
まった。ホントに実際、四戦目に西口にかえて松坂が出た時、あ、負けた、
と思ったもんね。ツレアイにもそう予言したもんだった。・・・と、こん
なことはいいんだけど、車の中でそんなことを思って帰って、ツレアイに
食事を出し、家の猫たちに食事をやり、ふたつの森に入り、森の猫たちに
食事をやり、ねぐらにホッカロンをいれて、後今度はうちの犬たちに食事
をやり、そして遅い食事を私は一人でとり、新聞を見たり、テレビを見て
いたら、いつのまにか食卓にうつぶせになって眠ってしまった。
そのうたたねの中に、野球をやってる夢を見た。どんな試合だったか定か
でないのだけれど確かに野球をしている夢だった。
目が覚めてパソコンを開きこうして早速その夢のことをここに書いている。


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眠る - 2002年11月01日(金)

一昨日、何時だったか、時計を見なかったので正確な時間は
わからないままだが、ぐっすり眠っていると、ドッシンとい
う轟音(?)で目が覚めた。ツレアイがベッドから落ちてあ
たふたしている。三年前の脳内出血以後少しづつ痴呆が進ん
でいるツレアイは、こうしたことが時々ある。健康な時には
起こさない何かを起こす。というより、何事にも対処ができ
なくなって、なるがままになってしまっていると言った方が
正確かもしれない。
私はあわてて飛び起きて、どこか致命的に痛めた様子はない
かみたが、幸いどこもどうということはないようで、ツレア
イはすぐにベッドに戻り再び寝入った。朝起きてその話をし
たが記憶にないようだった。
だが、またこういうことが起きて、足腰がたたなくなったら
大変である。ベッドに柵をつけた。
このことが頭に残っていたのか、昨夜の夢は、ツレアイがベ
ッドで眠っていつ夢を見た。可笑しいのである。そのベッド
が絢爛豪華な立派なもので、ツレアイは王様のような風情で
心地よさそうに横になっていた。(笑)


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