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2003年12月31日(水) 「今年1年を振り返って」職場崩壊を言い当てた?「浅草の母」恐るべし。

今年1年を振返ってみると、実に色んな事がありました。


職場が無くなったり・・・、

職場が無くなったり・・・


職場がなくなったり・・・・(汗)


って、実は12月の中旬、私の働いている今の職場が
来年の上旬に無くなる事になったとの話を本社から
聞かされました。

あまりに突然の事にしばし呆然・・・。

今現在、私は本社が運営するショップで販売の仕事を
しているわけですが、諸事情により、この春閉店する
こととなりました。

ショップを閉鎖するにあたって、本社からは年明けからは
営業に来てくれとの声をかけてもらったわけですが正直
かなり悩みました。
ってのも、営業なんて生まれてこの方、一度もやった事が
ない私が既に30歳になってるのにも関わらず一から勤まるのか?
って不安があったからです。

それに他にも結構不安はあって・・・

口下手な私で勤まるのか?(汗)

とか

酒が弱い私が勤まるのか?(滝汗)

とか

飲みの席が大嫌いで、いつも何かしらの理由をつけて
飲み会等に参加しない引き篭もり児のような私なんかが
取引先のお偉いさんを接待出来るのか?(爆)

等々・・・、

おおよそ営業には向いているとは思えない
性格の私で果たしてやっていけるのであろうか?
という不安がムクムクと頭をもたげて正直
真面目にかなり悩みました。


・・・でも、実は一番悩んだのが、このまま独立して
自分で仕事を始めようかって事でした。
前々から、30代になったら自分で何かを始めたい。
会社なんて小さくても良いから、自分で何かを
築いたっていう証を残せるような事をしたい。
って思いがあったんです。

それに正直な話、お金も稼ぎたいです。
三流サラリーマンが一生かかって稼げる、お金なんて
たかがしれているし、それらを築き上げる為に一生の
大半を会社に捧げる気には到底なれないんです。

・・・2億円?・・・3億円?

一流のプロ野球選手が1年で稼ぐお金を
40年以上かけて稼いだって、生活費等を
払い続けながら貯金して結局手元に残るのは
一体いくらなんだろう?

そう考えると、一生が虚しく思えてくる。

それに「学が無い」「お金も無い」「一流の企業でもない」
そんな男、どこに行っても見向きもされないだろうし(笑)
優しさや愛情だけじゃ、好きな人を幸せにする事も出来ないんじゃないか?
誰かを心から好きになってもお金が無きゃ幸せになんて出来ないんじゃないか?
って最近は強くそう思う事があります。

世の中、お金じゃないって言う人もいるけど、
お金がないと、出来ないことだって沢山ある
ことも事実だと思う。

今の小泉さんや自民党がやってる政策を見てればわかるけど
日本の将来は暗く厳しい時代に突き進んでいるわけで・・・、
将来、一部の強者(金持ち)が多くの弱者を(貧乏人)を
支配する二極化の時代が到来することは目に見えている状況。

仮にこのままサラリーマンを続けてアパートの1つや2つでも買って
将来、歳をとったら、その収入で暮らすのも悪くはないとは
思うけど、独立して自分個人が社会の中でどれだけ通用する
のかを試してみたい。
(まぁ、独立するにしても、投資目的で
アパートやマンションは買いたいなって思うけど(笑))

で、結局、独立しようか、営業に行こうか物凄く悩んだんですが、
数週間前、悩みに悩んで営業でお世話になろうって結論を出しました。

ってのも独立せずに営業に行こうって思った決め手になったのは、
自分自身、自分に対する甘えがあったからなんです。
今の職場は結構ヌルイ職場で、かなりその辺の甘えが通用したんですね。
だから居心地が良くて今まで居座ってしまったんですが・・・(汗)

一方、うちの本社の営業は、とにかくどの部署よりも
厳しく、精神的、肉体的なストレスは他の部署の非じゃ
ないくらい激しいんです。

私の転属される部署は営業は営業でも特殊な部署で
個人を相手にって事ではなくて、対「会社」相手に
交渉を進めるという、とても重要な部署で交渉次第で
会社の売上は年間何億も左右するし1つのミスで
何千万円もの損失を出してしまったりもして・・・(恐)
そんな極限のプレッシャーの中に自分の身を置いて、
もう一度、自分自身を鍛え直してから、独立しても
遅くないんじゃないか?って思ったんです。

それに、どんな仕事をするにしても営業は仕事の
基本だから将来、自分で何かをやるにしても、
きっとその経験が役に立つと思うんです。

童話「うさぎと亀」じゃないけど、歩みは遅くとも
一歩一歩、確実に歩みを進めていけば、きっと自分の
思い描く未来にたどり着けるって思うんです。
・・・その為の回り道を2〜3年、してみようかな?
って思ってます。
営業のノウハウ、人脈、交渉術、そういった物を自分の
血として肉として一回り大きくなってから独立しても決して
遅くはないと思うんです。
それに仮に営業をやってみて自分自身にプラスになる物や、
吸収出来るものがないと感じたら別に半年で止めてもいいわけだし(笑)

そんなわけで年明けからは、営業として本社勤務をする事に
なり、今までの比ではないくらい忙しい日々が訪れることと
思います。
もしかしたら、日記の更新も相変わらず停滞してしまうかも
しれませんが日記は止めないんで来年も宜しくお願い出来れ
ばと思います。
普段、日記に仕事や、それに付随する愚痴を殆ど書かないのは
ここが現実逃避の場所だからなんですが、これからはストレスに
負けて愚痴の1つや2つ書いてしまうかもしれませんが・・・
許してください(笑)


28日の日曜日、父親の墓参りをしてきました。
新年を迎える前にお墓参りをするのは我が家の恒例の行事です。
父の墓前を前に年明けから新たな職場で働く事を報告しました。

本当は色んな悩み事や苦しい事、将来の事、不安な事とか沢山
聞いて欲し事とかもあって、問い掛けてみたんだけど・・・
当然だけど、やっぱり何の反応もなかったです(汗)
ビールもちゃんと買って備えたんだから、枕元くらいには
出てきて相談に乗れよ!!って感じですが(笑)

なんの気兼ねなく悩みや苦しみを打ち明けられる
父親が生きてたらって思うけど、ないものねだりを
してもしょうがないわけだし・・・来年一生懸命
頑張るから見守っててねって誓うと共に自分自身に
頑張ろうって言い聞かせました。

来年は辛い事とか沢山あると思うけど、どんな辛い事があっても

「武富士の営業よりはいいだろ?」


を合言葉に頑張りたいと思います(笑)

忙しない毎日であっても、笑顔を忘れずに
明るく楽しく過ごせればいいなって思ってます。

そして、一年後の2004年12月31日。
一回り成長した自分になって、またこの場で
一年の報告を出来たらいいなって思ってます。



それにしても思い返すは、春に浅草で出会った占い師
「浅草の母」の言った言葉です。

詳細

『そして、あなたは将来30歳を過ぎた辺りから
新たな道を切り開く事になるでしょう・・・・・・。


30歳を迎え今まさに、そのとおりの展開に
なり始めているんです(驚)

いやはや、マジでビックリです。
また今度、悩み事の相談があったら「浅草の母」
に会いに行こうかな?
って、名刺も貰ってなければ名前も知らなかった(爆)

なにはともあれ、明るい未来が
待っている事を信じて頑張りまっす!!

・・・とりあえず、まずは楽しく正月を過ごして
英気を養います(笑)



それでは皆様、良いお年を〜♪






2003年12月28日(日) 幽霊テレビ

家にある居間で使ってるテレビが遂に逝きました。
購入してから、かれこれ15年以上。

最近では画像が突然乱れたり・・・、

真夜中に突然テレビが点いたり・・・、

ボリュームが突然上がったり・・・、

チャンネルが勝手に変わったり・・・、

知らない人が我が家に泊まったら、きっと間違いなく
ポルターガイストや幽霊の仕業だなどと言って顔を
引きつらせて逃げ出すであろうくらい最近の我が家の
テレビはおかしな状態になってしまいました。


年末は、面白い番組の宝庫です。
紅白だってあるし、ボブサップと曙が戦うK1だってあるし・・・、
年明けには新春かくし芸大会だってあるんです。
そんな楽しい年末の特番を、こんなイカレたテレビで
見るわけにはまいりません。

そんなわけで、コレを機会にと先日30インチの
大画面液晶テレビを購入いたしました。

正直、我が家なんてウサギ小屋程度の大きさだし
そんなにデカイ画面のテレビを買わなくても良かったんだけど
どうせ買うなら、大画面がいいだろうって事で今流行りの
30インチ液晶テレビを購入したわけです。

テレビが来たのが一昨日。
早速、ダンボールから出し配線を済ませ、スイッチを入れて
テレビを見たら、余りの綺麗さに口をあんぐりとあけた
間抜けな顔のままの状態で数分間、画面に魅入ってしまいました。

正直、大画面液晶テレビは超お勧めです!!!

こんな綺麗な大画面で大好きな映画を見たら
さぞかし素晴らしいんだろうな・・・(嬉)

そんなわけで、今年の正月は、この大画面で
大好きな映画を観まくる事にしました。

あれも観たい。これも観たい。
コレを機会に見逃していた作品から
名作に到るまで一気に観たいと思います。

・・・あぁ、今からDVDの映画鑑賞三昧の
年末年始が待ち遠しいです。

・・・って、アレ?

確か冒頭で紅白やK1を観たいって
言ってたような気が・・・(汗)



2003年12月25日(木) 心肥大

先週、祖母が重大な病気に掛かっている事が判明しました。
病名は「心肥大」だそうです。

・・・ことの発端は11月。
祖母が息が苦しいと言い出すようになりました。
「きっと風邪だろ」
最初は、みんながみんなそう思い楽観視していたのですが、
一向に具合が良くなる兆しが見えず、辛い状態が何週間も
続いていたので祖母もさすがに息苦しさに耐え切れず
病院で精密検査を受ける事になりました。

その検査結果が出たのが先週、息苦しさの原因は
「心肥大」という病気のせいであることが判明しました。

心肥大とは読んで字の如く、心臓が肥大してしまう病気だそうです。
心臓が肥大してしまうと、それだけ心臓に負担がかかり
全身に血液を送るのに力を要するので、心肺機能が弱り
心筋梗塞や心不全になってしまう可能性が高くなるんだそうです。

詳しい検査結果が出たのは数日前だったわけですが、
医師からは

「この状態では、もう治療法もなく
 いつ心臓が止まってもおかしくない状態です」

そう言われたんだそうです。
それだけ病状は進行しているんだそうです。

既に祖母の心臓は心肥大の限界を超え、心臓の弁の動きもおかしく
心筋梗塞を起こしかけており、いつ止まってもおかしくない
状態なんだそうです。
本来なら入院して安静にしてなければいけない程の病状なのですが
今は胸の苦しみ等がないとの理由で家で普通に暮らしていますが、
心臓自体は、いつ止まってもおかしくない状態なんだそうです。

今まで病気らしい病気をした事がなかった祖母だったので
これには、激しくショックを受けていたみたいで、以降
食べ物も喉を通らない状態になってしまいました。

確かに、いつ爆発するかもわからない時限爆弾を体の中に抱えて
生きることが、どれ程の恐怖か・・・私には想像出来ない恐怖を
今、祖母は経験している事と思うけど、私自身一体どう励ませば
よいのやら、わかりません。
父の時もそうだったんだけど、病気で弱ってる人を励ます事ほど
難しいことはないなって、今回改めてそう思いました。

そんな私に祖母がふと、父の事を引き合いに出し
ガン告知されるのと心肥大でいつ死んでもおかしくないって
言われるのとどっちがいいかね?
って聞いてきました。

私は、とっさに「心肥大の方が良いに決まってるじゃん」
っと言いましたが、それは偽らざる私の本心でした。
末期ガンだと告知されて、既に手術も出来ない状態であった
にも関わらず家族に弱い所を見せなかった父の姿を思うと
祖母の心肥大は、心不全や急性心筋梗塞等、になる可能性は
一般の人よりも高いものの、安静にしていれば何年も生きられる
可能性があるように思えたから・・・。

でも本人にしたらガンであろうが心肥大であろうが、
辛い事に変わりはなく、今思えばなんの励ましにも
なっていなかったなって反省したりしています。


祖母は現在82歳。
82歳って聞くと普通はヨボヨボのおばあちゃんを想像してしまうかと
思いますが、うちの祖母はそんな事がなかったりします。
髪を茶髪に染め、背筋もシャンとしていて、動作も機敏で
とにかく元気で頭も体もしっかりしていて、年齢より10歳は
若く見えるような人だったりします。
実際、75歳まで保険会社で仕事を現役でしていたほど活発な人なのです。
・・・なんって言ったらいいんだろう?
雰囲気的には森光子みたいな感じって言えば分かってもらえるかもしれません。

そんな元気な祖母だから、今回の件では落ち込みようが半端では
ありませんでした。
最近は土地やら金やら・・・自分が死んだ後の遺産相続のことを
しきりに気にして言ってるけど、そんな事は誰も望んでなくて、
家族はみんな、何年も何十年も、ただ長生きして欲しいって
それだけを願ってます。

身内の自分が言うのもなんだけど、うちの祖母は
不思議な人で人を惹きつける魅力を持っています。
家族も、田舎の親戚も、友人も知人も、常に皆
祖母を慕い、祖母の下へとやってきます。
私たち家族や親戚も、それぞれ色々と問題を抱えてはいますが
祖母がいるから結束出来ている部分があります。
間違いなく祖母は常に私たちの中心にいます。
そんな祖母がいなくなったら・・・。
考えただけでも暗く寂しい気分になってきます。

時代は常に流れてて、生きてる以上は皆、やがては
死という現実に向き合う時が来るのは仕方のないことだけど、
やっぱり最愛の人がいなくなるのは寂しいです・・・。

私も今年で30歳。
今までの人生の中で身内の葬式に何度か立ち会いました。
小学校の時に父方の祖母と母方の曾祖母が亡くなりました。
20歳の時に母方の祖父が亡くなり、26歳の時には父と
父方の祖父が亡くなりました。


最近は楽しかった昔の事をふと思い出す事があります。
小学生の頃、夏休みに母方の祖父の家で父と祖父が
野球のナイター中継を見ながら楽しそうにお酒を酌み交わす
傍らで、庭で無邪気に花火をしていた頃の思い出。
毎年のようにみんなで行っていた家族旅行。
父方の祖父の家に1人で泊まった時のこと。
私に慣れない手つきでトーストを焼いて目玉焼きを
作ってくれた優しい祖父の姿。
毎年、美味しいお節料理を食べさせてくれた父方の祖母。
強く優しく厳しく頼りがいがあった父との数々の思い出・・・。

その時々の楽しかった日々は今でも私の記憶の中に
しっかりと刻み込れています。

2003年現在、慌しい毎日の中にあっても未だに
ふと、その頃の楽しかった日々の思い出が心をよぎる事があります。
その度に物凄く切なく悲しい気持ちになってしまいます。
楽しかったあの頃に戻りたい。
何の不安もかかえずに、何の疑問も抱かずに
ただただ楽しかった、あの頃に戻りたい。

・・・そんな現実逃避をしたところで、過ぎ去った過去は戻らずに
時間はこうしてる今も少しづつ未来へと流れていく。
過去を振り返ったって何にもならないことくらい分かってるけど
ふと、過去に戻りたいと無性に思ってしまうことがあります。

・・・でも過去に戻れない以上、楽しい未来を思い描いて
前向きに未来に向かって歩いて行くしかないんだろうなって思うし
きっと前向きに生きてれば、楽しい未来がやって来るって思って
生きていきたいって思ってます。
不況であったり、高齢化社会であったり、年金問題であったり
戦争であったり、事件や事故であったり・・・不安や悲しいことも
世の中には沢山あるけど、楽しい未来を思え描いて生きていれば
誰にでも、きっと楽しい未来がやって来るんだって私は信じてます。


祖母は12月25日に、めでたく82歳の誕生日を迎えました。
今年は誕生日プレゼントに真っ赤なパシュミナのストールを
プレゼントしてあげました。
派手好きな祖母だけあって、物凄く喜んでくれました。
こんな何気ない幸せが、これから何年も何年も続いたらいいな・・・。
これからも祖母孝行を出来たらいいな・・・。
そう思いながら「おばあちゃん。長生きしてね」
って心の中で呟きました。





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