やるきまんまんの日記
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2003年09月18日(木)

めっちゃかわいい。


はじめて、眉毛をほめられた
はじめて、声をほめられた



2003年09月03日(水)

by s

勝手ながら少しお返事を書かせてください。

愛とか喜びとか幸せなんて自分には無縁だと思う。
でも本当はすごく求めてしまう自分もいて
それをどうしてもどうしても必要としている自分もどこかにはいて
でも得られないんだって知ってる。
だから求めてしまう自分を殺したくなる。

そんな気持ちになることが私にはあります。
それがaさんと同じ気持ちか私には分かりませんが・・・

必要、なのかな。
私には、わからない。
もしも生きるために必要なものがあるとしたら
本当はたったひとつで
それは自分自身、なんだと思います。

あなたの思うそれが得られなくても
いいんじゃないかな。
誰からも与えられなくても
いいんじゃないかな。
いまはそのままで
いいんじゃないかな。

なんとなくそんな気がしたよ。


by a

自分自身とは
何を読むか、誰と関わるか、どんな映画を見るか、といったことから
立ち現れるとしたら
「たったひとつの自分自身」だけでは生きてはいけないのでは?

私たちはもう既に他人や社会と切り離れて生きてはいけないのならば
得られなくてもいいとか
与えられなくてもいいとか
思うことは無理なことでは?
思えるとしたらそれはもう社会と切り離されて生きている仙人か
死人なのではないか?


by s

お返事どうもありがとうございます。

aさんのおっしゃることも、なるほどその通りだと思います。

私は、「自分自身」とは、「自分と自分の関係」「自分と他人の関係」のふたつで成り立っていると思うのです。
自分で自分を許したり、好きになったり、そういうことから自分をつくっていくこともできるし、
他人に許されたり愛されることで、自分を愛し自分をつくっていくこともあると思います。
けれどわたしが思うのは、自分で自分のこと憎んだり嫌っているとき、
どんな他人から愛されたとしても、その声は届かない、ということです。
気付かなかったり信じられなかったり怖くなったり、なんだかんだと自分から遠ざけてしまうように思います。
だから他人の存在よりも自分の存在のほうが先かな、というのが私自身の実感です。

でもきっと人それぞれいろんな方法があると思うし、他人を通して自分を知るのも真実だと思います。

こういうことをふまえたうえで、
「得られなくてもいい」「与えられなくてもいい」って言ったのは、
いま在る自分をそのままに許してもいいのでは、ということをあなたに問いかけたかったのです。

私はあなたのおかれている状況や、細かい心境やいろいろな想いについて全く知りません。
なのでこんな返事であなたの想いに寄り添えているのか少しはがゆい感じがします。
あなたのこと何も分からないなりに書いてみました。もしも誤解などがあったらごめんなさい。


2003年09月02日(火)

生きるために愛や喜びや幸せが必要ならば
死んだ方がましな気がする


2003年09月01日(月)

なんか痛々しいことが続く
失恋する人がいれば
胸をきる人もいる
痛々しくて、こっちもつらくなる

人間は複雑に出来過ぎたんじゃないのか
もっと単純な構造で良かった気がするぞ



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