心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2011年12月22日(木) 閑話二題

日本とアメリカの両方のAAミーティングに出た人の話です。

アメリカでは、AAのビギナーは1年間はミーティングで話をせず、他のメンバーの話に耳を傾けるように言われます。子供の頃から自己主張することを訓練されてきたアメリカ人は、AAミーティングで話をさせると自己主張するばっかりで他の人の話が耳に入ってこない。これでは回復できないから、まず1年間は人の話を聞いてもらう。

一方、日本のAAミーティングでは、ビギナーでもどんどん話をするように促されます。日本人は自己主張することが苦手で、特に中年以上の男性はそもそも主張するべき自分の意見すら持っておらず、社会の意見に流されているだけ。自我(self)を取り除くには、まず取り除かれるべき自我を育てなくちゃならない。

こうして見ると、日米の文化の違いが分かって面白い・・という話でした。僕はアメリカのAAには出たことがないので、「へえ〜」と言うばかりですが。

さて話は変わって、wired.jp にこんな記事が掲載されていました。

Facebookは「人間的なつながり」を壊すか
http://wired.jp/wv/2010/11/12/facebook%e3%81%af%e3%80%8c%e4%ba%ba%e9%96%93%e7%9a%84%e3%81%aa%e3%81%a4%e3%81%aa%e3%81%8c%e3%82%8a%e3%80%8d%e3%82%92%e5%a3%8a%e3%81%99%e3%81%8b/

通信手段が発達していなかった頃は、友人と連絡するためには直接会いに出かけるか、使者を遣わすしかありませんでした。やがて郵便が手紙を運んでくれるようになり、電報や電話が生まれ、さらには電子メール、TwitterやFacebookと、人と人を結ぶ技術は発展していきました。

これによって僕らは人間としての限界を突破し、常に多くの友人とつながっていられるようになりました。Facebookユーザーの平均「友だち」数は、世界平均が130人、日本では108人だというニュースがありました。もしコンピューターネットワークがなかったら、100人の友人を持てる人がどれだけいるでしょうか。

しかしJonah Lehrer氏の記事では、どんなに熱心なFacebookユーザーであったとしても、信頼を寄せる親しい友人の数は数人に限られ、これはFacebookがなかった時代とちっとも変わっていないことを指摘しています。

「情報伝送のコストが非常に低くなっているため、われわれはより多くの知人と接触するようになっている。しかしそれは、われわれがよりたくさんの友人を持っているということを意味するわけではない」

技術革新は(親密さを築く)人間の能力を拡大するには至っていない、ということなのでしょう。


2011年12月20日(火) 助けにくい人たち

あまり雑記を更新しないままだと叱られるので、軽いテーマで。

昨夜はステップミーティングでした。ステップ12。どうやって新しく来た人にAAのメッセージを運んだらいいか。もしそれが分からないのなら、自分がAAに来た頃に、どうやって「先ゆく仲間」から助けられたか思い出せばよいのです。たぶん忘れているでしょうけれど。

AAの序文はこういう文章で始まっています。

「アルコホーリクス・アノニマスは、経験と力と希望を分かち合って共通する問題を解決し・・・」

共通の問題とは何でしょう。ミーティングにやってくる人は、男もいれば女もいます。職業も学歴も家族構成も様々で、どこに共通点があるのか。

僕が初めてAAグループに属したとき、そこには3人のメンバーがいました。一人の男性は中卒のヤクザで両手の小指がありませんでした。彼はキレると、男が二人がかりでないと止められない「狂犬」と呼ばれた男でした(後に彼は僕のAAスポンサーになってくれた人であり、まさに恩人です)。もう一人の女性は、彼が精神病院入院中につかまえた奥さんで、やっぱりアル中でした。もう一人の男性は、高速道路のサービスエリアにおみやげ物のお菓子を補充して回る職業でした。年若く世間知らずだった僕は、そんな職業があることを初めて知りました。

そこに僕がやってきました。ビックブックには「私たちはふつうなら出会うことさえもなかった者同士だ」とありますが、まさにそんな感じでした。いったいこの4人にどんな共通点があったのでしょう。

彼らは「かつてどのようであったか」。つまり酒を飲んでいた頃はどのようだったかを話してくれました。僕もたいていの人と同じように、最初の頃は「自分はこの人たちほど重症じゃない」と思っていたものですが。

でも、何ヶ月か経った後に、「もう俺たちは気持ちの良い酒なんて飲めないんだぜ」と言われたときに、僕もその通りだと認めざるを得ませんでした。飲み始めの早い時期は気持ちの良い酒を飲めたのですが、飲んでいた最後の頃は、確かに酔っぱらいはするのですが、全然気持ちよくありませんでした。それでも酒がやめられませんでした。そして、いまは飲んでいなくても、やがて酒に手を出す可能性が高いことも認めざるを得ませんでした。

AAにやってくる人は「アルコールの問題」を抱えています。それが「共通の問題」です。ミーティングではそれを話さなくちゃなりません。

酒がやめられないと言う人もいるでしょう。また飲んでしまったという人もいるでしょう。そういう人をAAメンバーは叱ったり、説教したりしません。かわりに「私もあなたと同じだった」と言うのです。でもいまは飲んでいないことは相手にはわかるでしょう。すると相手は「どうやって問題を解決したのか」と疑問を持つようになります。アドバイスに効き目が出てくるのは、それからです。

AAミーティングは「自分の背中のほくろを見る作業」だと言われます。背中のほくろは直接見ることはできません。自分の顔だったら鏡を使えば簡単に見られます。けれど背中のほくろは鏡を使っても難しい。2枚使えば良いと言われるかもしれませんが、実際やってみるとこれが意外と難しいものです。

だから僕らは、ミーティングではつまらないプライドという服を脱ぎ捨てて、自分の背中を相手に見せるのです。つまり飲んでいた頃の過去の話をします。「ほら、俺の背中はこうなっているんだぜ」と。すると相手はこう思うかも知れません。「あいつの背中がこうなっているのなら、俺の背中も同じかも知れない」。

自分の抱えている問題というのは、それほどまでに直視するのが難しいものです。だから、こういった技法が必要になるのです。

9月に松本俊彦先生の講演を聞きました。依存症者は援助希求能力が低いという話でした。援助を求める能力が低い。助けてくれと言えない人たちです。

これから年末は町に酔っぱらいが増えます。酔っぱらいに「大丈夫か?」と尋ねてみれば、「らいじょうぶ、らいじょうぶ、れんれんらいじょうぶ」という答えが返ってくるでしょう。全然大丈夫じゃないのにね。でもこれは酔っているからだとお考えかもしれません。

じゃあ、酒をやめたばかりのアル中に、助けは要らないかと尋ねてみれば、どんな答えが返ってくるでしょう。「大丈夫です。酒は一人でやめられます」。これが援助希求能力の低さです。しらふになっても全然変わっていません。助けにくい、助けづらい人たちなのです。

(松本先生の話はこんな話じゃありませんでしたよ、念のため)。

AAメンバーである僕らも、酒はやめているとは言え、まだまだ幼稚で過敏なところは抜けきっていません。だから、相手が深刻なアルコールの問題を抱えているのに、それを軽く見ているのに出会うと、イライラしてしまいます。ついつい、それを指摘し、アドバイスし、時には説教をかましたくなります。でも、相手はそれを受け入れる状態にないってことを忘れてはいけません。

とは言うものの、時には具体的なアドバイスがなければ、前に進まないこともたくさんあります。僕らはアドバイスを与えるときは、スポンサーシップという一対一の関係を結びます。スポンサーはスポンシーのソブラエティの実現に積極的に関わっていきます。スポンサーをやってみるとわかりますが、スポンシーは酒を飲んでしまったり、AAをやめてしまったり、時には死んでしまうこともあります。

スポンシーが飲んだときに「もっと別のやり方をしていれば」と思ったり、死なれたときに「あいつの死には俺にも責任があるんじゃないだろうか」と悩まない人はいません。だからスポンサーは相手のことを真剣に考えてアドバイスをします。それは、イライラを解消するために、つい口をついて出てしまう皮肉とは180度反対のものです。

お分かりでしょうか。僕らは新しい人たちに「教え」たり「導い」たりしたくなってしまいます。けれど、相手の準備が整っていないうちに、そんなことをしても無駄なばかりか、時には有害です。それ以前に、相手に自分の背中を見せてあげなくちゃなりません。つまり「共通する問題」を分かち合うのです。

僕らはAAにやってきたときに、どのようにして仲間に助けられたか、しばしば忘れてしまいます。人というのは不思議なもので、ずっと昔から今の自分だったような気がしてしまうものです。でも、そうじゃなかったはずです。もっとヒドい状態だったはずです。それを忘れているから、新しい人に余計なことが言えるのです。

飲んでいた頃の話ができなくなったら、AAメンバーとして新しい人の手助けをする能力を失ったことを意味します。今日起きたことや、今週起きたことをミーティングで話している場合じゃありません。そういう人は自分にしか関心がありません。

僕らが相手にしているのは援助希求能力の低い人たち、助けにくい人たちであることを忘れてはいけません。僕ら自身がかつてはそうだったことを思い出しましょう。そんな僕らに対して、先ゆく仲間たちは、辛抱強く僕らが分かるまで、「共通の問題」について分かち合ってくれたのではありませんでしたか。それとも、もう忘れてしまいましたか。

かつては目の前の相手と同じだったという事実、それを分かち合う言葉こそが、医師にもカウンセラーにも持てない、当事者たる僕らにだけ与えられた特別な力であることを忘れないで。

だから僕らは、相手を手助けしようとするときに、飲んでいた頃の自分はどうだったか、という話をすることから始めるのです。12番目のステップとはそうやってやるものです。物事には順番があり、まず最初に問題について分かち合うのです。相手がいつ背中のほくろに気がついてくれるか。そのタイミングを知っているのは神様だけです。あなたが神様にかわってそのタイミングを決めてはいけません。

そういう説教臭い話をミーティングでしたのです。


2011年12月15日(木) Think Insights で「心の家路」を見る

2ちゃんねらーは「高齢で低学歴」 グーグル「Think Insights」に暴かれてしまった
http://news.livedoor.com/article/detail/6081001/

というニュースを読み、じゃあ 2ch.net じゃなくて、ieji.org(「心の家路」のドメイン)を入力したらどうなるか・・を調べてみました。

Google の doubleclick ad planner による推定

ドメイン:ieji.org

ユニーク ユーザー数(Cookie による推定値) 10K
ユニーク ユーザー数(ユーザー数) 7.1K
リーチ 0.0%
ページビュー数 53K
合計セッション数 14K
Cookie あたりの平均セッション数 1.4
サイトの平均滞在時間 5:20

年齢
 35-44才 48%
 45-54才 52%

性別
 男性 55%
 女性 45%

学歴
 高校卒業 34%
 大学卒業 66%

世帯年収
 3,000,000-4,999,999円 68%
 5,000,000-5,999,999円 32%

他の利用サイト
 wt.tiki.ne.jp 311.8x
 nsknet.or.jp 31.6x
 synapse.ne.jp 28.8x
 tiki.ne.jp 19.7x
 health.goo.ne.jp 7.6x
 mhlw.go.jp 5.2x

さすがに2ちゃんねるとはずいぶん違った結果になっています。

チキチキインターネットはたぶん二郎さんのサイトでしょう。あとはGooヘルスケアや厚生労働省のサイトが目立ちますが、ほかはわかりません。

Google経由で「心の家路」を訪問するユニークユーザーが一ヶ月に約1万人(推計)。

年齢層は中年、男女比はほぼ半々、大卒の人が多く、世帯年収は全平均よりやや低めかな・・というのが「心の家路」をご覧になっている方の平均的プロフィールでしょうか。

もっともこのGoogleによる推計がどれほど当たっているか、という問題は残りますが。


2011年12月12日(月) 愛という言葉を使わない

土曜日は高速バスで新宿に出て、その足で埼玉県川口に移動して、リビングライブラリーというイベントに参加しました。

これは人間を「生きている本」として貸し出す図書館という試みで、何らかの誤解や偏見を受ける可能性のある人たち、例えば障害者や性的少数派、ホームレスなどなどの人の語りを聞きます。講演会などと違うのは、聞き手がごく少人数であることと、話の途中で質問を挟んでも良いということです。社会に存在する無知や偏見をとても地道なやり方で取り除こうとする試み、と言えるでしょうか。

リビングライブラリー
http://living-library.jp/

今回は午前中1枠(30分)しか参加できなかったので、どの方の話を伺おうか迷ったのですが、買い物依存症の人のお話しを聞かせて頂きました。

受付でカンパを含めて500円払ってから財布の中を見ると、千円札1枚と硬貨少々しか入っていませんでした。しまった財布の中身を確かめずに出てきちゃった。これで昼食と夕食をまかない(帰りの切符はあるからいいけど)駐車場の料金も払わねばなりません。その日は何とかなったのですが、翌日AAの病院メッセージに行く途中で、スポンシーと会い、ガストでメニューを広げたところで、財布の中に全然金がないことに気がつきました。う〜む。

まさかスポンサーに昼食代貸してくれと言われるとは思わなかったでしょう。次の時に返しますね。

さて、全然関係ない話ですが、「ひいらぎさんは愛という言葉を使いませんね」と言われることがあります。

もちろんそれには理由があります。愛という言葉はアディクション領域で頻用するには危険すぎるからです。

例えば、依存症の家庭にはしばしばDV(ドメスティック・バイオレンス)があります。身体的暴力に限らず、精神的な暴力や言葉による暴力も含みます。DV夫たちは、妻に暴力をふるったのは「愛しているからこそ」だと主張します。いたらない妻、ダメな妻に「きちんとして欲しい」からこそだったと。身勝手な愛が暴力や強制を正当化してしまっています。

同じことは、親による子供の虐待にも言えます。しつけがエスカレートして虐待に発展する背景には、「この子がこのまま大人になったのでは将来困るだろう」という親の愛があります。

アディクションの領域でも、例えば覚醒剤での服役を終えて家に戻った息子に対して、親たちが「反省させるため」と称して暴力的懲罰を与えた話や、家族に借金の尻ぬぐいばかりさせるギャンブル依存症者を家から締め出した話など、いずれも愛すればこその行為です。

または愛情という言葉が、女性に対し、男性への盲目的な献身と自己犠牲を強制する装置として使われる、という批判はフェミニズム領域から繰り返し出されています。

(愛情そのものではなく)愛もしくは愛情という言葉は、暴力性を帯びる危険を常にはらんでします。愛という言葉によって、暴力や理不尽な強制が正当化されてしまうからです。

先日のギャンブル依存に関するテレビ番組では、家族を愛するがゆえに借金の尻ぬぐいを繰り返す過ちが紹介されていました。

愛は崇高なものだとされています。だからこそ、愛は正しく、その言葉に反論することは許されない、という雰囲気があります。虐待されても親に従えない子供は「親の愛情を感じ取れない子供」とされ、飲んでいるアル中夫に尽くせない妻は「夫を愛していない妻」とされてしまいます。

だからこそ、僕らは「愛」という言葉を使わずに語らねばなりません。

医療であれ、福祉であれ、行政であれ、愛という言葉は持ち出さないようにしているのにお気づきでしょうか。例えば介護の仕事はキツいわりには賃金は安くなっています。それが「愛」とか「献身」という言葉で待遇の悪さを覆い隠すようになったら、それはもう単なる労働搾取になってしまいます。

もちろんアガペーであれエロスであれ、愛そのものについて語るときは愛という言葉を使わざるを得ません。しかし、使わなくて良い時に、愛という言葉を持ち出す人は、何かしら別の目的を隠しているものです。愛ほど崇高でない、もっと現世的な利益を追求する人が「愛」という言葉を使いたがります。愛、愛と騒々しい人にはお気を付けあれ。愛情あふれる人であったためしがありません。(この文章にも愛という言葉はいっぱい出てくるのですが)。


2011年12月10日(土) ネットワークやらノットワークやら

最近ある相談機関からアディクション関係の事例について相談を受けています。公的機関は必ずしもアディクションに対応するノウハウを持っているとは限らないので(というか持っていないのが普通)、個々の事例についての助言を求めらています。もちろんそれによって収入が発生するわけでもなく、仕事の休み損ということになるのですが、こちらからもスポンシーを送って相談に乗ってもらったりしているので、お互い様です。

僕はアマチュア(非職業的)活動なので法的な守秘義務を課せられているわけではありませんが、それに準じたものはあると思っています。だから詳しく書けませんので、概略だけ。

ある方にアディクションの施設に入所していただく話が進んでいます。ダルクという名前を出しても構わないでしょう。施設長さんは受け入れオーケーだと言って下さっているし、ご本人も承諾済みです。でも、この話がずいぶん長く停滞したままで、入所に至っていません。

その理由は、施設を退所後の生活がデザインできていないからだそうです。退所後にどこに住み、およそどんな仕事をし、どんな生活をするか、そのために何をすれが良いか。その目処を付けずに、ただ施設に入所させるというのは無責任であり、そういうやり方はしたくない、とその機関の方はおっしゃります。なるほどプロフェッショナルだなと納得しました。

僕らはついつい「○○さえやれば良くなる」という考えに陥りがちなので、気をつけなければならないと思います。「12ステップさえやれば良くなる」とか「あそこの施設に入れば良くなる」とか。その考えは幻想に酔いたいだけですね(酔いたいという意味では全然治ってないわけだ)。もちろん12ステップは大事であり、そこから多くの人生が再スタートしていったのは事実です。でもそれはスタートにすぎない、という視点を失ってはいけないと思います。

前述とは別の施設長さんの話ですが、その方が10年余り前に施設を始めたときには、各地に同様の施設を作り全国展開する未来を思い描いていたそうです。アルコホーリクとしてその野心にはとても共感できます。それが実現すればきっと各地で多くの依存症者が助かることでしょう。素晴らしいことじゃありませんか。

でも、その構想は途中で諦めたのだそうです。それはなぜか。

入所してくる人の抱えている問題は、アディクションだけとは限りません。ほかの悩みも抱えているのが普通です。もちろんその困難の内容は人によって違いますから、すべてに対する解決を、ひとつの施設だけで提供できるわけがありません。他の機関や施設に協力を仰いでいくうちに、地域に根ざした回復資源のネットワークが出来上がりました。何年もかけて作り上げたネットワークこそが、その施設の強みだというのです。

この話を聞いたとき、選択と集中というビジネスの基本を思い出しました。強みを生かすためには全国展開より地域性。理にかなった戦略です。

僕の住む長野県には前述のダルクのみでアルコールの施設がありません。だからアルコールの人は県外の施設に入所することになります。県外の施設から戻ってきて、地元に無事に定着できた人は数えるほどしかいません。いずれも「力のある」人たちです。むしろ、施設終了後もその周辺にとどまった人のほうが、順調にやっている率が高いように見受けられます。東京や神奈川のAA会場に行って「長野から来ました」と発言すると、実は俺も長野出身なんだという告白をしばしば聞くことになります。

そうなる理由は、施設にとどまるうちにその人の困難をサポートするネットワークができて、施設周辺にとどまるメリットが大きいからでしょう。逆に地元に戻ってくると、AAこそあるものの、その他のサポート資源を失ってしまうために、回復の維持が難しくなってしまいます。地元でネットワークをコーディネートしてくれる支援も得にくいのが現状です。

AAスポンサーとしても、スポンシーにより多くのサポート機関を紹介できねばならないと思っています。そのためにはネットワークを構築しなければなりません。しかし信頼に基づいた関係を作るためには、前述の相談機関との関係のように、「お世話になってます」という顔の見える間柄を地道に何年もかけて作っていくしかないのだろうと感じています。営利企業のサラリーマンをやりつつ、空いた時間にそれをやるのはしんどくないと言えばウソになりますが。

田中康雄先生によれば、ネットワークではまだ弱く、ノットワークでなければならないとか。


2011年12月08日(木) 豊川一家殺傷事件について

この雑記ではあまり時事問題を取り上げませんが、今回は

豊川一家殺傷の長男に懲役30年 名古屋地裁支部判決
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011120790151544.html

を取り上げます。

15年間ひきこもり状態だった30才の長男が、回線を解約されインターネットが使えなくなったことを恨んで両親や同居の弟一家を包丁で襲って殺傷、自宅に放火した事件です。とりわけ1才の姪まで殺害したことは凶悪とされ、地裁の判決は懲役30年でした。

長男(被告)はネットでの買い物の借金が200〜300万円あったとされています。ひきこもり状態で無職の被告になぜ多額の借金ができたのか。それは父親名義でクレジットカードを作って買い物をしていたからだそうです。また、ワイドショーでのレポートなので信憑性は不明ですが、父親の給料は長男が管理し、父親に5万円、母親に4万円渡し、残りを全額長男が使っていたとされています。

長男は中学卒業後、菓子製造会社に1年ほど勤めたものの退職。その後はひきこもり状態。他に新聞配達の次男が同居(事件時は外出していて無事)。さらに、事件の一年前には三男が派遣切りにあい、内縁の妻と1才の娘(長男にとっては姪)を連れて実家に戻ってきました。その頃からトラブルが急増。姪の夜泣きにキレた被告が怒鳴り声をあげ、男同士の口論が絶えなくなり、しばしば警察が呼ばれました。

ネットではアイドルの写真集やアニメのDVDを購入。さらにネットオークションで人に競り勝って落札することに熱中したといいます。手に入れたのは、壊れた家電製品や段ボール箱100個など無用のもので、家に届いてもほったらかしだったといいます。

事件の数日前には、長男が父親の身分証明書を使って銀行口座を開設しようとしたために、110番で自宅にパトカーが呼ばれていました。

父親は借金が増えるばかりで口座引き落としすらままならなくなり、ネット接続を解約しました。この判断が、相談を受けていた警察の助言によるものなのかどうか、そこは曖昧でハッキリしません(させたくないのかも)。

ネットという「ライフライン」が使えなくなったことに逆上した長男は、深夜に懐中電灯を片手に家族を包丁で刺して回り、放火、血まみれの姿で燃える自宅を眺めているところを逮捕されました。生き残った家族は検察求刑時のインタビューに「死刑にして欲しい」と答えています。

・・・

さて、この事件をどう読み解けばいいのでしょうか。

アディクション的な解釈では、長男はインターネット依存であり、買い物依存だということになります。そして、家族が長男に買い物を許してきたのは「イネイブリング」という間違った対応であり、それによって依存症が進行して深刻化、ついには家族が生活を防衛しようとネットを切断したことが最悪の結果を招いた、ということになるのでしょうか。

アルコール依存に対比させれば、家族が酒や金を与えたり、(自分で稼いで飲んでいるなら)その他のトラブルの尻ぬぐいをすることで、本人が自分問題を直視せずに飲み続けることを可能にしている、という「イネイブリング理論」です。家族が手助けを拒否することで、本人が問題に直面化できるという理屈です。

ところがこの事件にはこれが当てはまりません。捜査と裁判の中で、被告(長男)は発達障害であることが明らかになっています(自閉症と知的障害)。障害の詳しい内容は報道されていませんが、ネットへののめり込みには自閉的特性が関係していることは明らかです。また、買い物にブレーキをかける力の弱さは、知的な弱さが影響しているでしょう。こういう人をアディクションとして扱って、依存症治療の枠組みに入れてもなかなかうまくいかないという報告は最近あちこちからあります。

(間違ったやり方ではありましたが)家族が手助けしなければならないのには、本人の能力不足という理由があり、手助けすること自体を「イネイブリング」とはとうてい呼べません。

必要であれば入院治療を経た上で、自立支援の福祉施設で生活訓練を行い、生活自立を目指すことが正しい対応でしょう。おそらくは小学校・中学校時代は普通学級だったのでしょうが、特別支援学級のほうがふさわしかったのかもしれません。

第一審では、検察側が殺意と完全な責任能力を主張して無期懲役を求刑。弁護側は、けがをさせるつもりで殺意はなく、責任能力は限定的で心神耗弱状態だったと主張しました。判決では完全な責任能力を認める一方で、「誰にも障害に気付いてもらえず、支援を受けられなかった。家族の行為が結果的に被告を追い詰めた」という事情を酌み、無期懲役を選びませんでした。その量刑が相応しいかどうか、僕にはわかりません。

皮肉なことに、この長男は凄惨な事件を起こすことで、障害を見つけてもらい、支援を受ける見通しが立ちました。あまりにも遅すぎる発覚、遅すぎる支援ではありましたが。

アディクションの世界にいる僕らはこの事件からどんな教訓を読み取ればいいのでしょうか。

一つは、××にのめり込んでいれば××依存症、という単純な図式を捨てることです(例えばパチンコのめり込んでいればギャンブル依存症とか)。人が何かにハマるのには様々な理由があります。アディクションである場合もあれば、違うこともあります。そして違っているのに、アディクションの図式を当てはめた支援を行うと、本人のためにも、家族のためにもなりません。

もうひとつは、そろそろイネイブリング理論は有効性を疑われるべきだろうということです。少なくとも単純に手助けをやめれば良いとは言えなくなっているのではないでしょうか。最近の新しいアディクション治療では、周囲の関与を求める傾向になっています。

さらにもう一つ。家族にも支援が必要となる可能性です。両親の二十数万円の収入を長男が管理したと聞けば、暴力によって家族を支配していたのだろうと想像してしまいます。しかし実は両親が金銭管理が苦手で、数年前より長男に管理をまかせており、ATMを操作させるために父親が長男を銀行に連れて行くこともあったとされています。両親にも援助が必要だったわけです。

小学校時代の長男は学校ではしゃべらず、イジメやからかいの対象にされ、家庭での虐待やネグレクトをうかがわせるエピソードもあります。中学になるとゲームやパソコンに熱中。卒業後は菓子製造工場でパンを包装する単純作業を黙々とこなし、働きぶりを評価されたものの、1年後に後輩たちが入社してくると指導ができずに仕事を辞めてしまいました。その後見つけた仕事は、最初に30万円を支払うと仕事を紹介してくれるという詐欺に近いもの。それに失敗したことが、社会に背を向けてひきこもりを選ぶきっかけになりました。

どこかで支援が入っていれば事件は防げたように思います。もちろんその支援は、ネット依存症や買い物依存症という視点からのものではないはずです。


2011年12月06日(火) 趣味と回復

先週末土曜日は、関西アルコール関連問題学会の京都大会で「アディクションと発達障がい」という分科会に話題提供者として出席していました。なぜ僕ごときが呼ばれるかと言えば、アディクションと発達障害の関係について取り組んでいる人が全国的にまだまだ少ないからに他なりません。

質疑応答の時間に、子供の発達障害を扱っている人が質問をされていました。子供はアディクションにはなるとは思えないので、発達障害の情報を求めに来られたのでしょう。その「少しでも多くの情報が欲しい」という気持ちが、僕にも分かるようになってきました。

アディクションからの回復には様々な手段が提供されていますが、結局一つのことを目指しているように思われます。断酒会のひたすら酒害体験を話すことでも、AAの12ステップでも、アミティの手法でも、どれも自己洞察の深まりこそが回復という点は共通です。目指すことが一つならば、いろんな手段に手を出すより、一つのやり方に習熟するほうが明らかに良いです。

ところが発達障害というのは千差万別です。そりゃ診断名はアスペルガーだADHDだLDだと分かれていますが、抱えている特性(能力の凸凹)は人それぞれで、別個の対応をしなくてはなりません。個別対応、個別支援が合い言葉になります。目の前の人にどんな手段が合うかを考えるためには、たくさんの情報に触れる必要が生じてきます。

その分科会で リカバリースペース みーる の取り組みが紹介されていました。みーるはアディクションの人も、発達障害の人もいる通所型の施設です。興味深かったのは、「べてるの家」の当事者研究の手法を取り入れていることです。

当事者研究については活字でしか知らないので、あまり詳しく説明できないのですが、自分で自分のことを(つまり当事者が)研究するという手法です。自分の抱えている困難を自分で解明し、その困難(病気)に自分で名前を付け、ホワイトボードなどを使って自己開示し、どうやってその困難を乗り越えていくか仲間からの提案を受け話し合いながら、解決策を見いだしていく・・というやり方です。生活上の困難という問題に着目したとき、その人の医学的な病名(統合失調症とか発達障害とかアディクションとか)はもはや意味をなさなくなります。

そのみーるのスタッフの山崎さんという方との雑談の中で、「アスペルガーの人は、孤立を望んでいるように見えて、実は内面は淋しくて、人との関わりを望んでいるんですよね」という話ですこし盛り上がりました。人と触れ合いたいのに、触れ合うことが苦手でもあることが彼らのディレンマです。淋しさゆえに人の集まるところに出かけていき、でも人と一緒にいても触れ合った気がしない不全感があり、精神的に疲れて帰ってきて「もう二度と行きたくない」と後悔しつつ、でも淋しいからしばらくするとまた行きたくなる、というサイクルを繰り返しているように観察されるのです。

淋しくても一人でいることを選ぶ人もいるでしょう。疲れても人と関わることを望む人もいるでしょう。どの立ち位置を選ぶかは、その人の人生の選択と言えるのかも知れません。

ただ発達障害の人には一人で楽しめる趣味を持つことは役に立つと考えています。趣味の中には人数が集まらないとできないものもありますが、一人でできる趣味もたくさんあります。山へ登るのも、魚を釣るのも、写真や絵も、スポーツ観戦や観劇や映画鑑賞、ジムで体を動かすのも、泳ぐのも良しです。定型発達の人は人に気を遣い遣われることが心の疲れを癒しますが、発達障害の人は気を遣ったり遣われたりする場でかえって疲れしてしまうことが多いのです(特に自閉圏の人は)。一人で楽しめることを持つのが大切です。

とある施設にAAのメッセージ活動にお邪魔したとき、「趣味を持つことは断酒の役に立つか?」という質問が出されました。当然答えは「役に立ちません」でした。ことアディクションに限れば、この答えは真です。趣味を持つことに自己洞察の深まりは期待できませんから。趣味がいけないわけではありませんが、大事な時期には回復に時間を割いたほうがその後の人生が違ってきます。しかし発達障害の人だったら、趣味を持つことは断酒の維持に役立つと思います。(ただ趣味さえあればいいってもんでもありませんが)。

人は誰でも淋しさを抱えており、人と交わりたいと願っています。しかし、人と一緒にいても心が触れ合っている気がしない不全感が、アスペルガーをはじめとする自閉圏の発達障害の人の淋しさを際立たせています。どこへ行っても、自分はここの仲間に入れていないかも知れない、という不安に付きまとわれているように見受けられます。おそらくは情報選択能力の問題で、押し寄せる情報の中から「私はあなたを受け入れていますよ」という情報をすくい取ることが苦手なのだろうと解釈しています。

京都から東京に移動し、日曜日午前中は某12ステップ勉強会。午後は吉祥寺の成城大学で開かれたJDDネット(日本発達障害ネットワーク)の年次大会を聴きに行きました。お目当ては就労支援と高等教育の就学支援。その話はまた後ほど。


2011年12月01日(木) 司会者の心得・ブルーカード

Twitterのほうで、ちょこっとだけ話題になっていた件です。

僕のつながった頃のAAでは「司会者の心得」というリーフレットが使われていました。

紙の片側には「オープンミーティングの場合」とあり、司会者がミーティングの前に読み上げる形式でした。その内容をざっと紹介すると、「ここで話されたことはすべて個人の意見であって、AA全体を代表するものではないこと」、「ここで話されたこと、会った人のことは、この会場内にとどめておく」、「出席者のプライバシーを保護するために、写真撮影、テープ、メモはご遠慮下さい」というのが主旨です。

紙の反対側は「クローズドミーティングの場合」。こちらはミーティングの締めくくりに読むもので、「話されたことは、すべて個人の意見であって、AA全体を代表するものではない」というのと、「持ち帰りたいものだけを持ち帰り、それ以外はこの場に置いていって下さい」とあり、さらに「うわさ話や陰口が私たちの中に無いように」とあります。

なぜこの「司会者の心得」が使われるようになったのか。AAサービスの生き字引みたいな人に尋ねてみたところ、ずっと以前のAAで、プライバシーが守られない深刻なトラブルが起こり、注意喚起のために善意のメンバーたちが作ったリーフレットがやがて広まったものだ、と聞きました。まだ関東のセントラルオフィスができる前だったので、リーフレットはJSOで扱われるようになり、それがあたかもAAの共通認識であるかのような印象を与えたのであろう、ということでした。

そもそも、写真撮影、テープ、メモの禁止がAA共同体の意見として決まっていたわけではないし、自助グループとはそういうもの、という認識を広める意図があったわけでもありません。もちろん、AAのような個人的な事柄がシェアされる団体の中でプライバシーという人権を尊重することは大切で、AAの様々な出版物の中でもそのことは繰り返し強調されています。

ところが、AAの中でプライバシーのことばかり言っていられなくなった事情がありました。1990年代にはセクハラが社会問題として取り上げられるようになり、1999年には職場のセクハラ防止が法律で義務づけられました。社会全体がセクハラ・パワハラ防止に傾いている中で、AAも社会の動きと無縁ではいられませんでした。

当然ミーティング会場でセクハラを受けた人(主に女性)からは、被害の訴えがあちこちから出されてきました。AAは警察機構や懲罰制度を持ちませんから、できることと言えば、せいぜい皆で話し合って注意喚起するぐらいですが、それすらも満足にできない状態でした。というのも、「ミーティング場であったことは、外には持ち出せない」と言い張って、都合の悪いことを隠蔽する体質ができあがっていたからです。これでは話し合いすらできず、被害者は泣き寝入りするしかありません。

人は様々な権利を持っておりそれがバランス良く保護されねばなりませんが、どうやら当時のAAではプライバシーという人権だけが突出してしまい、その他の人権が軽視されるような事態になっていたのです。プライバシー偏重体質に「司会者の心得」も一役買っているのは明らかでした。

その頃、アメリカのAAでは、ミーティングの前に読むために「ブルーカード」という紙が作られている、という情報が入ってきました。これも1枚紙のリーフレットで、片側がオープンミーティング用、反対側がクローズドミーティング用となっています。ただ、その内容は日本の司会者の心得とは異なっています。

僕はアメリカのAAミーティングには出たことはありませんが、聞くところによれば、1970年以降AAには様々な「AA以外の」様々な考えが持ち込まれるようになったそうです。薬物依存やACの人たちが参加し始め、その人たちはアルコールとは違う問題について話し始めました。また解決手段も、ゲシュタルト療法やインナーチャイルドや承認欲求うんぬんという話が増えていきました。(とりわけアルコール依存と薬物依存を区別しない施設が、アルコホーリクでない人たちにAAを勧めることに批判がありました)。

結果として、AAにやってきた人が、ここはアルコールのグループなのかどうかとまどうようになり、12ステップに触れる機会も減っていきました。そして1990年代になるとメンバー数の減少が始まりました(アメリカの話)。AA全体が目標を見失って迷走を始めてしまったため、アルコホーリクがAAで助からなくなっていきました。そこで singleness of purpose(目的の単一性)といったスローガンが掲げられ、AAを本来の方向に戻す動きが始まりました。

ブルーカードもその目的に沿って作られたもの(1987年)で、「AAの目的は一つ」であることを強調した上で、オープンミーティングでは「アルコールの問題だけ」、クローズドミーティングでは「アルコホリズムにかかわることだけ」が分かち合われるようにAAメンバーに呼びかけています。

日本でも同じことが問題となっていました。日本で1975年に始まったAAは、当初順調にメンバー数を伸ばしていったものの、1990年代から明らかにその伸びが鈍化し、停滞が始まっていました。AAが本来の目的から逸れ、メンバーたちがアルコールの話や12ステップの話をすることが少なくなっていました。

日本の全国評議会の決議として、「司会者の心得」を廃し、ブルーカードの翻訳を採用することが決まったのが2003年のことです。こうしてブルーカードは司会者の心得に変わり、日本のAA共同体を代表する意見として採用されることとなったわけです。だからと言って「司会者の心得」の使用が禁じられたわけではありません。使い続けたいグループはどうぞご自由にという扱いになりました。単に「司会者の心得」の内容がそのグループにローカルな意見であり、AA全体を代表した意見ではなくなったということです。

話はこれだけで終わりません。

近年になって、アディクションフォーラムやアディクションセミナーという催しが全国各地で開かれるようになってきました。その内容は、講師を招いて講演をしてもらったり、様々なアディクションの当事者が体験を語るオープンスピーカーをやったり、自助グループや回復施設が模擬ミーティングを開いたりするのが一般的でしょうか。社会に向かってアディクションの情報を発信することで、無知や偏見を取り除き、新しい人が回復資源につながりやすくする効果を狙っています。

とはいえ、一般の人たちはなかなかアディクションには興味を持ってもらえません(身内に当事者でもいない限り)。わりと来てくれるのが、医療・看護・福祉の学生さんたちです。将来自分の仕事に役立つと思ってのことですし、理解のある人がそうした分野に増えることは歓迎すべきことです。ところが、その人たちは「学び」のために来ているわけなので、ノートにメモを取るのが当然だと思っています。

ところが、壇上で話をしている当事者のほうは、自分の話がメモを取られることにまったく慣れていません。さらには、新聞やテレビの取材もお断りだったりします。社会に向かって情報を発信するという目的と齟齬が生じています。

どうしてこうなってしまったのか。(AAには断酒会という先達はあったものの)、AA以外の様々なグループが「AAのやり方」を一つのモデルとして取り入れていったことは疑いもありません。その中の一つに「何が何でもメモは禁止」という誤解も含まれています。慣れ親しんだやり方を変えるのは誰にとっても簡単ではありません。この問題の解決は容易なことではないでしょう。

ずっと以前にAAメンバーたちが、自分たちの問題を解決するために作った一枚の紙が、アディクションの情報を発信するための足枷を作ってしまったわけです。プライバシーの保護と、情報の共有・発信とのバランスはどこに置けばいいのか。そのことを議論する(できる)人たちすらほんの一握りです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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