心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2009年11月30日(月) mil 原点回帰運動について(その4)

ここで日本ではなくアメリカの事情に目を転じます。

アメリカのAAは1990年代にメンバー数の減少を初めて経験しました。その事情についてはジョー・マキューの本の紹介に書いたので、ここでは簡単に済ませることにします。

AAのミーティングでは問題とその解決方法の経験が分かち合われます。問題とは例えば酒のこと、酒をやめて生きていく上でのトラブルです。解決方法は、そのトラブルを12ステップを使ってどう乗り越えたかです。当時のGrapevineの記事を読むと「誰も解決方法を話さず、問題ばかりを話し、みじめな気持ちを分かち合っている」と書かれています。二十世紀後半のAAは水で薄めたワインのように効き目が落ちていました。

ニューヨークのAAのオフィスには過去の文書がアーカイブされています。ワリー・Pはそのアーカイブを調査し、1940年代・50年代の成長期にAAがどのような姿をしていたかを明らかにしました。彼は当時のビギナー向けのミーティングとして、1時間のミーティング4回で12ステップすべてをこなすプログラムを復刻しそれを本にまとめました。
ビッグブックを教科書として使って「ステップを教える」ことは、実際初期のAAで行われて成果があったにもかかわらず、現在のAAメンバーにはそんな簡便な方法は受け入れがたかったのでしょう。12ステップは非常に難しくて時間がかかると信じていた人たちにとって、たった4時間で一通りステップができるのは衝撃的でした。当然それは批判の的となり、さらにワリー・PはAAの前身のオックスフォード・グループの原理を強調し、AAとは別団体を作ろうと画策していると非難されました。にもかかわらず、ワリー・Pの「バック・ツー・ベーシックス(基本に帰ろう)」は全米や海外に広がりました。

日本でもこれを試そうという動きが起こり、ワリーの本の翻訳が進められ2003年の秋に一泊二日で12ステップをこなすイベントの広報が配られました。これが予想以上にヒステリックな批判を浴びてしまうのです。僕もその騒ぎのせいでビッグブック・ムーブメントに巻き込まれたわけですが、その騒動は後年までムーブメント全体への後遺症として残ってしまいます。

「そんなインスタントなステップに効果はない」と断じる者もいれば、自分より先にステップを進める者がたくさん現れることへの恐怖を述べる者もいました。しかし、一番声が大きく影響が及んだのは「ワリーの本はAAの本ではないから、ワリー個人の解釈をAAの原理だとして広めてはならない」というAA純化主義の意見でした。

実は1980年代から90年代の日本のAAでは「AA純化運動」とも言うべき活動があり、「純粋にAAではないもの」の排除が行われました。それが治療施設マックとの分離であり、P神父が訳した各種の本の廃棄であり、バースディメダルなどの非公式化でした。その時代を経験した人によれば、何ごとにも行き過ぎがちなアルコホーリクのご多分に漏れず、「AAではないもの」に対してはかなり強権的な圧力が加わったようです。AAを本来のAAらしくという思想は良かったものの、その実施が政府的活動になってしまったのは当時のリーダーたちの誤りでした。そして後になって、ビッグブック・ムーブメントの人たちがそのとばっちりを受けることになったのです。

批判を浴びることにうんざりした人たちは、1年あまりでワリーのテキストを使うことをやめてしまいますが、そのオックスフォード・グループ譲りの「絶対性」を愛するメンバーは今でも確かに存在します。

さらに続きます。


2009年11月29日(日) mil 原点回帰運動について(その3)

話は21世紀に移ります。2000年に新しいビッグブックが発行されると、当然それを引用しているミーティング・ハンドブックも改訂せねばなりません。しかし、これがすぐには実現しませんでした。AAの惨状はミーティング・ハンドブックを使っているからだという論を唱える人たちがおり、彼らはミーティング・ハンドブックの発行をやめ、ビッグブックへ移行することがAAを改善する手段だと考えました。しかし、一冊70円の小冊子を三千円以上するビッグブックに換えることは、多くのグループには耐えられない財政負担でした。結局新しいハンドブックが印刷され、それがグループに配布されました。

その時になって初めて、今まで慣れ親しんできた「12のステップ」「12の伝統」「序文」の文言まで翻訳が改まったことを知った人は多かったようです。そんな話は聞いていなかったぞ! 元の方が良い、というヒステリックな意見がわき上がり、その騒然は1〜2年収まることがありませんでした。

こうしてAAの表側で紛糾が続いている頃、裏側?では静かに別の動きがありました。日本のAAではとてもじゃないが自分は回復できない、と見切りを付けた人の中で、経済的に余裕のある人たちや、死にものぐるいの人たちが、回復できるステップを求めてアメリカに渡り「本場」のAAを体験しようとしました。

もちろん彼らの皆が回復できたわけではありません。しかし中にはスタンダードなAAプログラムをつかみ取り、それを日本に持ち帰った人も現れました。彼らは日本のAAの中で、ある者は静かに、ある者は派手に活動を始めました。

そうした活動が目立ってくるのは2002年頃。それと同時に新しい日本語版のビッグブックの売り上げも伸びていきます。

問題なのはステップを持ち帰ったメンバーの数が少なかったことです。1対1のスポンサーシップを使って時間をかけて伝えていたのでは、伝達は遅々として進みません。ちょうどAAがオハイオ州アクロンで始まったときのように、どうやって回復を広く伝えるか、というジレンマに悩まされたのです。


2009年11月28日(土) mil 原点回帰運動について(その2)

さて、1990年代のビッグブックにまつわる話をしましょう。

ビッグブックはAAのステップのやり方や伝え方を書いた本で、一番基本的な本なのですが、当時のAAではビッグブックはほとんど使われませんでした。かわりに使われていたのは、ミーティング・ハンドブックというわずか16ページの小冊子でした。多くのメンバーは、それがビッグブックの抜き書きだということも知りませんでした。
(現在でもミーティング・ハンドブックは広く使われ、それしか使っていないグループもあります)。
ビッグブックの代わりに使われていたのは、12&12という本で、この本はビッグブックの補遺であるために重要な事柄が抜けている難点がありました。さらに、日本のAAで現実に行われていたステップのやり方が、(ミーティングで12&12を読んでいるにもかかわらず)この本の内容からも外れていたのです。その点で、日本独自のステップのやり方を「12&12のやり方」と称するのは正しくありません。

日本のAAが12&12をメインに据えたのは、日本でAAを始めたM神父とP神父の選択の結果だったことは明らかです。しかし彼らはその動機について語らずに亡くなったので、その真意を知ることはもうできません。ビッグブックが最初に訳出されたのが1977年、12&12は1979年なので、「12&12しかなかったから」という伝承は誤りです。
日本語版ビッグブックの初版にP神父が加えた「訳者註」は、その後の版から削除されていますが、それを読むとP神父がまだ酒をやめてないのに宗教にかぶれたアルコール中毒者に手を焼いていた様子がうかがえます。これはP神父が伝道組織で活動していたことと関係あるのかも知れません。依存症者が宗教に走ってもろくな結果がでないことは、現在の僕らも経験することです。P神父は、信じることよりも酒をやめることを優先するように、とその文章で勧めています。(宗教ではないけれど)信仰を強調しているビッグブックを使用をP神父がためらったのは、そうした事情があったのではないか、と思われます。

ビッグブックを使うあたって、その翻訳の品質が問題となりました。12&12のほうが後に訳されたということは、それを訳したP神父の頭もより回復し、翻訳にも慣れていたことを意味します。おまけに12&12は1990年代に翻訳が改定され、読みやすい文章になっていました。
一方ビッグブックは初期の訳のままで、これを何とかしようという話になりました。原文の持つニュアンスや雰囲気をより正確に伝える文章が望まれました。ちょうど日本のAAが始まって20年を迎える節目に、評議会という意思決定機関が作られ、その第一回でビッグブックの翻訳改定を進めることが決まりました。
それから紆余曲折がありましたが、担当者の努力もあって2000年に翻訳改訂版が出版されます。これによって多くのAAメンバーがビッグブックの存在を知り、実際それを手にしました。その影響は無視できません。この翻訳改定がなかったならば、現在のビッグブック・ムーブメントもなかっただろうと断言できます。

また別の努力もありました。
1990代の終わり頃、ある埼玉のメンバーが「ハンドブックという狭い窓を通してではなく、ビッグブック全体に触れよう」と提唱し、各地のAAラウンドアップでビッグブックを読んで分かち合う一連のミーティングを開催しました。この運動はそれほど長続きしなかったものの、一部のメンバーの中に「やはりAAはビッグブック」という意識を植え付けました。

こうして、現在のビッグブック・ムーブメントの種は1990年代に蒔かれました。


2009年11月27日(金) mil 原点回帰運動について(その1)

現在日本のAAや、他の12ステップグループで広がりつつある「ビッグブック・ムーブメント」について、なぜそれが起こってきたか、という観点からまとめて書いておこうと思います。

僕がAAにやってきたのは1995年、再飲酒を経て翌年からAAのメンバーとしてアイデンティファイしています。だから、それ以前のことは、伝聞や資料から得た情報を元にしています。

1990年代は、日本のAAが停滞を始めた時期です。日本のAAは1975年に東京で最初のグループがスタートし、関東から全国へと順調に広がっていきました。しかし、10年、20年を経ると、ある傾向がはっきりしてきました。それは、AAグループの数は増えているものの、1グループあたりのメンバー数は増えておらず、逆に減ってきている可能性が指摘されたのです。
もちろん、大きなグループも小さなグループもあって良く、どのサイズが適切だとは言えないのですが、グループとしての成長がないのも困りものです。
その原因はどこにあるのか、はっきりしていました。

AAを知ってやってきても、1回か数回ミーティングに出席しただけで来なくなってしまう人はいつの時代にもたくさんいます。AAにずっと残る人のほうが少数派です。変化はそのAAに残った人たちに起こりました。5年、10年とAAを長く続けられる人が減り、せっかく酒が止まったのに1年、2年ぐらいでAAから去っていく人が増加したのです。

AAから離れた人たちがすぐ再飲酒するわけではなく、中には長期間断酒が続く人もいます。けれど多くは長くとも数年までの間に再飲酒し、ふたたびAAに戻ってくるか、あるいはAAと無縁の飲んだくれに戻ります。
こうしてAAのドアを1〜2年単位で入ったり出たりする回転ドア現象が起こるようになりました。グループの中に長く残る人は一握りで、他のメンバーは1年か2年で総入れ替え、ということが起こりました。またいったんメンバーが増えたグループも、数年後にはすっかり数が減ることもありました。
これでは、グループあたりのメンバー数は増えていきません。

数年でAAを去り、しばらく後にまたAAに戻ってくる。それは自己選択の結果であり、本人の責任だという考え方がありました。要するに彼らが本気になれないのは、「まだ苦しみ足りないから」だと考えられていたのです。実際、何度もAAを出入りして、人生の時間を無駄にしたあとで、ようやくしっかりしたAAメンバーになった人たちの存在が自己責任論を後押ししました。

しかし、AA側にも責任があるのではないか、と考える人たちがいました。ただ、AAが以前とは変わってしまった、悪くなった、と嘆く長老たちはいても、何が問題なのか、どう改善すればいいかはハッキリせず、「ともかく今まで以上に一生懸命AAをやるしかないだろう」という根性論が多かったように思います。

1990年代というのは、あることが指摘され始めた時期でもありました。
日本の大多数のAAメンバーは、日本のAAしか知りません。しかし中には、仕事や家族の都合で海外と日本を行き来する人もいれば、外国のAAメンバーが日本に長期滞在することもあります。その人たちから「どうも日本のAAは、他の国のAAとは違う」という意見が出されました。中には「日本のAAはAAとは呼べない別物だ」とまで極論する人もいました。

僕は1980年代に日本でソーバーを得た人たちを何人も知っています。彼らはAAをやりながら、なにより人生を楽しんでいる(つまり「回復」している)のは確かだと感じられました。彼らのやった12ステップに効き目があったことは確かでしょう。ただし、そのステップがなかなかうまく他のメンバーに伝えられなかったのだと思います。

1〜2年で人がAAを去っていくのは、彼らがAAで酒はとまったものの「回復」を得られなかったからです。逆に言えば、それはAAが彼らに回復を提供できなかったからであり、彼らの後の再飲酒はAAの怠慢と責められても仕方ありません。海外と隔絶し独自の進歩を遂げた日本のAAは、(酒をやめさせるということはともかく)ステップを伝え回復をもたらすという点で、その有効性を失っていたのです。
回転ドア現象とグループメンバー数の停滞はその現れでした。

(続く)


2009年11月24日(火) 燃える○○

人体発火現象というのがあります。
人間の体が突然燃え上がるというオカルト現象で、人間の体だけが燃えて周囲は火事にならないあたりがますますオカルトな話です。現在では否定されていますが、少し前までは真面目に信じている人がいたようです。詳しく知りたい人は「人体発火現象」なり「人体自然発火現象」でググってください。

19世紀のアメリカでは、この人体発火現象はアルコールが原因だと考えられていたようです。つまり、燃えたのは飲んだくれ(つまりアル中)だったという説です。

小学校や中学校の理科でアルコールランプを灯けたのを思い出すまでは、アルコールが燃える液体だってことを忘れていました。そういえば飲んでいた頃、角砂糖にウィスキーを染みこませて燃やして遊んだことがあったっけ。

燃える液体であるアルコールをたっぷり含んだアル中さんの人体は燃えやすい、と考えたのでしょう。実際には寝タバコや消し忘れの照明ランプを倒して火事になったものの、主の周辺しか燃えなかった(でも主は焼死)ってパターンが多かったようです。

エチルアルコールは代謝によって断酒後数日で体から排出されていきますが、その影響は長く残ります。断酒後1〜2年は「まだエチルアルコールが体内にたっぷり残ってるんじゃないか」と思わせるぐらい燃えやすい人もいるわけです。
そう、ちょっとした一言ですぐカァ〜っと燃え上がっちゃって、断酒系掲示板なんかすぐ炎上です。みっともないったらありゃしない。まあメンヘルの板はどこもそうか。
しかも揮発性の悪い掲示板だと、その炎上痕が5年も10年も残ったりして。

ひいらぎ、お前も以前は恥ずかしいこと書いてなかったかって?
そうですな、掲示板に書くときは5年後10年後にその文章を自分で読む可能性も考えなくちゃいけません。それ以前に飲まずに生き残らなくちゃなりませんけど。


2009年11月23日(月) mil 禁酒法とAAと霊性(その2)

アルコール依存症の本を読むと、まるでAA以前にはグループが存在しなかったのように書かれていることもありますが、AA以前にもたくさんのグループが存在しました。それが消えていったのは何かの欠点があったからです。「12の伝統」はそうしたグループの経験が反映されています。

AA以前のグループは、二つに大別できます。とても宗教的なグループと、宗教性を取り除いたグループです(AAはその中間です)。

何をやっても酒がやめられなかった末期のアルコール依存症者が、(例えば留置所の中で)突然の衝撃的な宗教的体験を経て神の存在を実感し、人格が作り替えられて酒の必要をまったく感じなくなり、以後実際に飲まずに過ごす・・ということが、あちこちで起きていたようです。この宗教的体験による人格の再構成を「回心(reform)」と呼びました。宗教的指導によって他のアル中さんに回心を作り出そう、というのが宗教的グループの骨子です。

AAのビッグブックでも、精神科医のユングがローランド・ハザードに対して「君のような見込みのない患者は、宗教的体験しか治療法がない」と言って見放す場面があります(彼は後にオックスフォード・グループに参加して回復し、その経験がエビー・Tを通じてビル・Wにもたらされる)。

神が嫌いな(つまり大部分の)アル中さんたちにとって、宗教というだけでハードルが高くなります。また宗教者の立場からも、熱心に宗教に取り組んだ善人にもごく一部にしか起きない宗教体験が、だらしない飲んだくれに普遍的に起こせるはずがない、という批判が浴びせられました。

AAも創始者ビル・Wの「霊的体験」というのが発端になっています。タウンズ病院の個室に入院していたビルが突然白い霊光に包まれ意識が作り替えられる体験は、「ビルのホットフラッシュ(あるいはホワイトフラッシュ)」と呼ばれ、ビッグブックでは第1章に書かれています(成年に達するにも再度書かれています)。ビルも先達たちと同じように宗教的体験によって目覚めてグループを始めたわけです。

ただし、現代の研究者たちは、このビルのホットフラッシュは「病院の薬の副作用で幻覚を見た」と結論づけています。当時アルコールの離脱治療に使われていた薬(ベラドンナなど)には有害な副作用が多く、幻覚を見ることは珍しくありませんでした。

幻覚を見て「自分は気が狂ったのではないか」とビルに相談を受けたシルクワース医師は、何が起きているか重々承知の上で(!)「これは私も本で読んだことがある。霊的な体験でアルコールから解放される現象だ」と元気づけてビルを励ましています。もしここで医師が「ああそれは薬の副作用ですね。別の薬を出しましょう」と言っていたら、AAは絶対に始まらなかったのでしょう。ビバ!シルクワース博士。

ビルは後年、シルクワース博士が「それを幻覚だと言わなかった」ことに対して謝辞を述べています。女性最初のメンバーであるマーティ・Mも、ティーボウ博士から同じ説明を受けています。う〜ん、ナイス。時代が下るとともに劇的な霊的体験をするAAメンバーの比率は下がっていきますが、それは向精神薬の進歩が反映されているのでしょう。

ビッグブックにも名前が登場するウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』は、20世紀初頭のベストセラーでした。僕はこの本を最後まで読めていませんが、霊的(宗教的)体験には決まった形がなく「なんでもあり」なんだということが分かります。ビルはこの本をエビーから渡されて読んでおり、自らの体験を霊的なものと解釈する根拠になったと思われます。

AAがオックスフォードグループから受け継いだプログラム(降伏、告白、自己点検、賠償、人の手助け)は、ビルのような霊的体験を人為的に引き起こすための手段だと考えられました。実際現在でも12のステップを行っていく過程のどこかで(たいていはステップ5か9)、神の存在を感じるメンバーは少なくありません。ただしその震度はビルの体験とは比べものにならないほど穏やかで平凡なものです。

ビルのような「突然の、天地がひっくり返るような変化」はごく一部の人に限られ、大多数は「いろいろな教育」によって「時間をかけてゆっくりと」変化が与えられていきます。AAでは前者を「霊的体験」、後者を「霊的な目覚め」と呼び習わしています。

ビッグブックの初版では12番目のステップは「これらのステップを経た結果、私たちは霊的体験をし」だったものが、「私たちは霊的に目覚め」に変更になっています。また、巻末にゆっくりとした変化が普通であるという文章が付け加えられました。

AA以前のグループでは宗教体験がアルコール依存症者を救済すると考え、伝道と回心に重点を置きました。しかし、宗教体験が起きる人が限られているという難点がありました。AAでも初期のメンバーには似たような体験があったものの、時代が下るとともにそれは脇に押しやられ、メンバーの大多数は12ステップによるゆるやかな効果によって回復するようになりました。

AAのプログラムの特色は、劇的な宗教体験がもたらす回心と同質のものを、12ステップに取り組む日々の努力によって徐々に(やる気さえあれば)誰にでも実現可能とした点にあるのだと思います。そしてプログラムを宗教から完全に切り離した、ということも大事だと思います。


2009年11月19日(木) mil 禁酒法とAAと霊性(その1)

アメリカの禁酒法は1920年に施行され、1933年に廃止されるまでの間、酒の醸造、移動、販売が禁止されました。所持したり消費するのは禁止されていなかったので、今の日本で麻薬や覚醒剤が禁止されているほど厳しくはなかったわけですが、法律を作った動機は似たようなものでした。

例えばイスラム教が飲酒を禁じているように、どんな飲み方であれ飲酒そのものを悪と捉える道徳観念が当時のアメリカにあり、それが禁酒運動や禁酒法を作っていった、と僕は思っていましたし、僕以外にもそう思っている人が意外に多いこともわかりました。

たしかにそういう側面も確かにありました。しかし、禁酒運動が当時社会的問題になっていたアルコール乱用への対策として誕生したことも見過ごせません。アメリカは建国以来ずっとアルコール禍に苦しんでおり、19世紀後半には酒のせいで治安が悪化するほどになっていました。今の日本が麻薬や覚醒剤を禁止するのと同じ動機で、(清国がアヘンを禁じたように)アメリカはアルコールを禁止したわけです。

それはまるで「親戚のアル中おじさんが酒をやめられないので、親戚一同で禁酒した」という感じで、問題なく酒を飲んでいた人々には迷惑この上ないわけですが、それもやむなしと思わせるだけの社会情勢だったのです。

「禁酒法を作ってもアル中はなくならない」と言う人もいます。実際ゼロにはならなかったのですが、相当減ったことは確かです。物理的に酒から隔離すれば断酒が継続できる人は結構いるのですね。それに新規にアル中になる人を減らすだけで十分効果があったのかもしれません。

禁酒法が何をもたらしたか? それは依存症治療施設の衰退です。禁酒法以前はアル中さんが多く社会でトラブルも多かったので、彼らを「何とかする」ための病院や収容所や治療産業が存在しました。効率的な治療をしていたとは限らないものの、困った人たちが頼るあてがあったわけです。しかし、禁酒法によってアル中さんが減ると、そうした施設もほとんどなくなってしまいました(社会資源の消失)。

酒の移動が禁止される中で、活躍したのはアル・カポネに代表される密売人でした。その商売は当然非課税で、そのぶん儲けも大きかったのです。1929年の世界大恐慌から始まった不景気からアメリカはなかなか抜け出せず、景気対策のためにすこしでも税収を必要としていました。税金は「取れるところから取る」のが基本ですから、贅沢品である酒の販売に課税するのは当然でした。こうして禁酒法は、たいした理念もなく段階的に廃止されました。
(と言っても、廃止されたのは連邦レベルの話で、今でもアメリカには「ドライ・カウンティー」と呼ばれる酒の販売が禁止されている地域がたくさんあります。また公衆酩酊(屋外で酒を飲むこと)は相変わらず禁止されています)。

アル中さんたちが「好きなだけ飲める」時代が戻ってきたわけですが、今度は彼らが困っても頼れる病院も当事者組織もほとんどなくなっていました。残っていたのは、一握りの金持ちだけを入院させる離脱治療の病院と、得体の知れない治療薬の通信販売、それと環境劣悪で治療などろくにない州立の精神病院だけでした。

誰も頼りにできない状況の中で、自分たちで何とかするために始まったのがAAです。つまり、禁酒法という社会的圧力があったからこそAAが生まれたと言えます。

しかし、アル中の当事者団体としてAAは初めての存在ではありません。建国以来アルコールの問題に悩んできたアメリカには、様々な団体が生まれては消えていきました。AAはそうした先駆者たちの経験の上に成り立っています。その中にはAAが大事にしている「霊性」ということも含まれています。

AAの霊性については、一般的には宗教の影響だと思われています。少し詳しい人はブックマン運動(オックスフォード・グループ)だと言うでしょう。しかし、AAが霊性を獲得するのは、もうすこし複雑な経緯が存在します。というわけで、この話は続きます。


2009年11月18日(水) ネガティブな認知バイアスの解除

今日の雑記は、こちら
http://blogs.yahoo.co.jp/psykoba/33667251.html
の文章の焼き直しなので、専門家の文章がお好きな方はそちらをどうぞ。

認知のネガティブバイアス、というのは、物事をネガティブに捉えてしまう傾向です。ちょっと前に二郎さんの水色の掲示板にも書きました。

人の顔写真をたくさん用意します。ある写真の顔は明らかに笑っていたり、優しそうで機嫌が良さそうに見えます。別の写真は、明らかに怒っていて不機嫌です。他の写真はその中間の様々なレベルです。つまり、曖昧な表情を機嫌が良い・悪いのどちらに読み取るか、という実験をします。

認知にネガティブバイアスがかかっている人は、曖昧な表情を「機嫌が悪い」と受け取る頻度が高くなります。

例えば、AC(アル中さんの子供たちが成人した後)の人たちには表情の読み取りにネガティブバイアスが観察されます。親(アル中)のご機嫌は変わりやすく、先ほどまで機嫌良くしていたかと思うと、些細なことで怒り出しみるみる機嫌が悪くなって、嫌なことを言われたり、夫婦げんかが始まったり、果ては暴力をふるわれたりします。だから、機嫌が悪くなりそうな徴候をいち早く察知して、逃げ出すなり親のご機嫌を取るなり対策を取らねばなりません。そのためには親の表情の些細な変化も見逃してはいけません。子供の頃からそういう鍛錬を積んだ結果、大人(AC)になってもその癖が抜けず、親でない他人の表情を見てはハラハラする日々を送ってしまいます。
(親の機嫌急降下癖は、酒をやめてもすぐには改善しない、ということもあります)。

表情だけに限らず、他の人の言葉や行動全般にネガティブに受け取ってしまいます。たとえば出勤して同僚に「おはよう」と言ったのに、相手が返事をしてくれなかった、あるいは返事が生返事だっただけで、同僚がこちらのことを嫌っているのではないか、と恨みを持ってみたりします。

ネガティブバイアスは、アル中さん本人にも、その家族にもあります(だからこそ些細なことで機嫌が急降下するわけです)。また、うつ病の人など、他の精神の病気にもあります。不安障害なんて認知バイアスそのものかも。

で、上記の記事では、抗うつ薬を飲み始めると2〜3週間なんて言わずに、すぐにもこのネガティブバイアスの改善が見られるという話になっています。そして、そのバイアスの消失がうつ病を改善するという説を立てています。
(昨日のダウンレギュレーションの話は、この話の前ふりでした)。

自分の認知にネガティブなバイアスがかかっている、ということを意識することは大切だと思います。相手の表情・言葉・行動をネガティブに(悪意を持っていると)解釈してしまうと、心の中に恐れ(不安)が発生します。恐れは恨みを呼び、恨みが外に向かえば対人攻撃になって人間関係を険悪にし、内に向かえばうつ症状となって、ネガティブバイアスを強化する悪循環となります。

掲示板やブログのコメント欄などでつまらぬ争いが起こるのも、発端は些細なコミュニケーションギャップであることがほとんどです。つまりネガティブな認知バイアスを持った人たちがトラブルを起こしているわけです(メンヘル系の特徴)。

相手の言葉や態度に「カチン」と来たときも、不安に襲われたときも、相手が悪意を持っている(こちらを嫌っている)わけではない(かも)と相手の言動を評価しなおしてみることが必要です。そして「なぜカチンと感じたのか」を自分の側の問題として探ってみます。それは例えば相手の態度に「上から目線で嫌な印象を感じる」程度のことでも、試してみると効果があります。

そして、相手に多少の悪意があったとしても、それを受け流すだけの余裕があればよりベターです。暁仙和尚が言ったように「人には馬鹿にされていよ」というぐらいでちょうどいいわけです。


2009年11月17日(火) ダウンレギュレーション

人間の体内では神経細胞から隣の神経細胞へと刺激が伝達されていきます。
隣の細胞へと刺激を伝達してくれる機構が「シナプス」です。伝達する側の細胞のシナプスから「神経伝達物質(ニューロトランスミッター)」が放出され、受ける側のシナプスの「受容体(レセプター)」に吸収されることで、細胞をまたがって情報が伝達されていきます。

ホルモンの場合には、伝達物質を放出する細胞とそれを受け取る細胞が離れているのに対して、神経伝達物質の場合は隣り合った細胞(つまり局所的)に働きます。

脳は神経物質の塊で、そこで活躍する神経伝達物質がモノアミン類。合成経路で書くと
ドパミン→ノルアドレナリン→アドレナリン
セロトニン→メラトニン
ヒスタミン
(他にもある)

覚醒剤を使うと脳内でドパミンがさかんに放出されます。(なので覚醒剤中毒の症状は、同じようにドパミンの調整障害である統合失調症の陽性症状に似て幻覚などを伴う)。このドパミンシャワーが覚醒感の元であろうと推測されるわけです。

覚醒剤に限らず、人が気持ちいいと感じる物質(アルコールや麻薬や向精神薬)、あるいは行動(買い物やギャンブル、山登りでも!?)で、ドパミンが放出されます。この頻度が高いと、情報を受ける側の細胞(シナプス後細胞)が受容体の数を減らして、刺激を受けにくくなります。するとドパミン神経系全体が興奮しなくなり、以前ほどの快感を感じなくなります。そこで人はより強い刺激を求めて、より多くの酒を飲んだり、より多くの買い物をしたり、より高い山に登ったりします(そして高尾山じゃヤダと言い出します)。

これが依存症の「耐性」の形成です。病気が悪くなる過程。その実体は、シナプスの受容体の減少(これをダウン・レギュレーションと言う)です。

ダウン・レギュレーションが起きていると、依存物質が体内にある状態でバランスが取れているので、酒が体から抜けると不調になります。これが離脱症状です。週末に山歩きに行けないと不調になるのもそうでしょうね、きっと。

話は変わって、うつ病には抗うつ薬という薬が出されますが、抗うつ薬が効果が現れるまで2〜3週間かかると説明されます。なぜすぐに効果が出ず、2〜3週間かかるのか? その説明にダウン・レギュレーションが使われます。

うつ病の人の脳ではセロトニンの量が減少しています。抗うつ剤はセロトニンがたくさん出るようにする薬・・・ではなく、セロトニンの再吸収を阻害する薬なのだそうです。
シナプス前細胞から放出されたものの、受容体に結合できなかった(余り物の)神経伝達物質は、再びシナプス前細胞に吸収されて再利用されます。(つまり、シナプス間隙の伝達物質濃度は自動的に下がるようになっている)。
セロトニンの再吸収を阻害することで、シナプス間隙にはセロトニンがたくさん存在する状態が続きます。それが続くと、セロトニン受容体にダウン・レギュレーションが起こり、受容体の数が減ります。このダウン・レギュレーションが起こるまでに2〜3週間かかるのではないか、と考えられています。

クライマーズ・アノニマスの創始者になったりしないよう、山登りもほどほどにしてくださいね。二郎さん。


2009年11月16日(月) コントロールと神の続き

昨日は「自分が神だと思う」とはいかなることか、という話でした。
それは自分のコントロールの及ばないことまでコントロールしようとすることだ、という説明をしました。

では、なぜそういう行動を取るのか。その動機は?

基本的には、自分が無価値な存在だと感じているからです。内心では箸にも棒にもかからないダメ人間だと思っているわけです。もちろんそういう耐え難い感情は、防衛機制によって抑圧されているので、本人は日常は意識していません(でも時々浮かんでくる)。

自分はダメ人間ではない、と否定するためには、有能な人間であることを証明して見せなければなりません。本来人間の価値は(少なくとも自分自身には)証明不要で自明なはずです。けれど自分に自信がない人は、人から褒められ、認められ、評価されることで、自分の価値の証明を常に必要とします。

より多くの責任を引き受け、より多くのことが自分の肩にかかっている、となれば、自分の力量不足を感じずにすみます(一時的にですが)。

結果として自分のコントロールの及ばないことまでコントロールしようとする、つまり自分が神になるのです。人間が神になってしまうと、精神的に具合が悪くなって、神経症になったり、うつ病になったり、依存症になったりします(実際、今日の雑記の内容はうつ病の本のほぼ丸写しです)。スピリチュアルな手段がうつ病や神経症に効く、という根拠はここにあります。

他の人の問題にまで首をつっこむのは悪い傾向です。
他の人の抱えたトラブルの解決に集中していれば、自分の問題から目をそらせていられます。人の服を洗濯して、自分は汚れた服を着続けるようなものだからです。
スポンサーとしては「人のことに構わず自分のことに集中しろ」とアドバイスするのですが、具合の悪い人は「自分のことに専念する」のが大の苦手ときているのです。すぐに子供がどうとか、奥さんがどうとか、職場やグループの誰かがどうとか、ネットの掲示板の誰かを「あれではいけない。なんとかしなくちゃならん」という話が始まってしまうのです(宿題をサボって逃げ出す子供状態)。

ここで問題になるのは、自分の抱えているマイナスの感情が抑圧されて自覚できていないことです。うつ病やら依存症として表面に現れてきているのですから、精神的になにかしら具合の悪さが隠れているはずなのですが、自分が神だと思っている人は完全無欠な自己像を保とうとしますので、自力ではそれに気がつけません。

そういう人が変わるためには、どうしても他者の介在が必要になります。それはプロのカウンセラーかもしれませんし、素人のグループかもしれません。

自分が無価値だと感じるのは、自分でそういうレッテルを貼り続けてきたからですが、まず自分がそう感じていることを認めなければレッテル張りはやめられません。セルフ・エスティームを回復するためには、神の立場から降りるという降伏を経験しなければならないのです。うつ病や依存症の再発しやすさは、降伏のしづらさの裏返しというわけです。


2009年11月15日(日) OSMのスピーチを聴いて思ったこと

ハリー・M・ティーボー博士は、初期のAAに大きな影響を及ぼした人であり、12ステップが回復をもたらすメカニズムを精神医学の立場から解明した人でもあります。彼の文章に、

「内面ではアルコホーリクは、人からであれ神からであれどんなコントロールも我慢できない。彼はみずからの運命の主人であり、そうでなければならない。彼はその位置を守るために最後まで戦うのである」(AA成年に達する, p.470~)

というのがあります。アル中さんは、自分の運命を支配することを望みます。

12ステップには神という言葉が出てくるので、信仰だなんだと難しい話になってしまいがちです。僕は12ステップにおいて大切なことは「神を信じること」ではなく、「自分が神でないことを認めること」だと思っています。

だが、たいていの人は「自分は神だと思っている」とは自覚していませんし、そう言いもしません(神だと言う人がいたら病院に送った方がいいでしょう)。でも、ちゃんと神だと思っているのです。

物事には自分のコントロールの及ぶ範囲と、及ばない範囲があります。宝くじを買う行為は前者、それが当選するかどうかは後者です。自分のコントロールが及ぶ範囲は責任を引き受け、その範囲外は(神様の範疇なので)結果を受け入れるしかありません。そこにきちんと線をひく必要があります。仕事でも、友人関係でも、家庭生活でもそうです。線引きした自分側だけ責任を引き受ければいいのに、アル中さんはそうでないのです。

アル中さんは「がんばる」という言葉が大好きでもあり、大嫌いでもあります。なぜ大嫌いか。いままでも精一杯「がんばって」きたのに、アルコールのせいもあって惨めな状態になってしまった。成功するためにはもっとがんばらねばならないのか。もうがんばることに疲れている、というのが理由です。そしてまたがんばり出すときは、無茶苦茶がんばります。

失敗も成功も自分次第だと思っていれば、自分の運命を自分で支配できるという幻想にしがみついていられます。運命を支配する者=神だと思っているのです。まずその立場から降りなければなりません。

回復を取り上げてみてもそうです。自分が努力しなければ回復はしません(自分の範疇)が、回復には自分の力が及ばない部分もあります(神様の範疇)。これだけ努力したのだから、これぐらい回復していて良いはずだ、と思った時点でもうぶり返しているのでしょう。AC性の強い人ほど神様の立場から降りたがらない(範囲を超えて責任を取りたがる)傾向があるように思います。

僕がビッグブックでステップをやり直したとき、ステップ5の相手に頼んだのはビッグブックのステップの経験が全然ない職業宗教家のAAメンバーでした。彼は何度も「あなたは本当に自分が神様やってるよね」と繰り返してくれました。最初は僕も反発したものの、悔しいけれどステップ4の表はそれを明らかにしてくれました。

自分が神様をやっているうちは、他の神様なんて余計なちょっかいをしてくる邪魔な存在でしかありません。現人神が家庭や職場にいたら、周りの人が困っちゃうのであります。


2009年11月13日(金) 自分が作った壁

僕はAAに来てから10年近く、スリップ(再飲酒)は飲酒欲求(渇望)に負けて飲むものだと思っていました。飲みたくて我慢できなくなった人が飲むものだと思っていました。だから、「飲みたくてたまらない」状態にならないように気をつけていればいいし、AAもそのためのものだと思っていました。

実際そのように酒を飲んでしまった、という体験もミーティングではずいぶん聞きますから、そう思って当然だったかも知れません。自分より長い仲間が「そういうのはスリップって言わないんだよ」と言っても聞き入れず、じゃあどういうのがスリップなんだよ!、と言い返すぐらいの態度でいたのです。

その仲間の言葉を今の僕の言葉で言い換えれば、それは「再」飲酒ではなく前回の飲酒の続きをやっているだけだ、という感じでしょうか。

我慢でも何でも酒をやめ続けていると、あの強迫的な飲酒欲求は次第に静まっていきます。もう酒を飲む必要はないと感じるようになります。では必要のない酒をなぜまた飲んでしまうのか? よくよくAAメンバーの話を聞いてみると、確かにそういう(真の?)再飲酒をした人の体験がきちんと話されています。10年間それに気づかなかったのはなぜか?

それは僕の耳が(実際には脳が)そういう体験談をシャットアウトしていたからでしょう。アル中の耳とは不思議なもので、自分の意見を否定するような材料は拒むようにできています。

時間はかかったものの、僕のその心のファイヤーウォールを乗り越えて、真実が脳に届く瞬間がやってきました。例のジョー&チャーリーが書いた "A Program For You" という本に書かれた内容が、僕の心の壁にひび割れを作ってくれました。ようやく光が差し込んだわけです。

でもそんな本を読まなくても、同じことはビッグブックの「医師の意見」と2章と3章あたりに、繰り返し繰り返し繰り返し、くどいほど書かれています。僕はそれまでにもビッグブックを何度も読んでいたにもかかわらず、そこに書かれた真実を見落とし続けました。それはなぜか?

自分の考えを否定する言葉は無視していたからです。疑問に思っても質問すらしてみませんでした。ここでも僕の脳にはファイヤーウォールが張り巡らされ、光が届かない状態だったのです。

僕にビッグブックを一緒に読むスポンサーがいれば、僕の10年をずっと短く短縮できたかも知れません。だから僕はスポンシーと一緒にビッグブックを読むことにしています。説明をしながら読み進めていくと誰もが「同じことが繰り返し書かれている」ことに気づきます。ビッグブックを書いた人たちが、それだけ強調する必要があると思ったから繰り返し書かれているのでしょう。それはスポンサーがスポンシーにステップ1の一部として必ず伝える必要がある中身だと思っています。

その瞬間アル中は「今度こそはふつうの人並みにうまく飲める」と考えます。その時に「前の飲酒が自分にもたらした屈辱の記憶」を忘れているわけではありません。ただその記憶も、依存症の知識も役に立ってくれません。理性による断酒が潰える瞬間です。

多くのアル中さんたちは、自分の理性を信じています。他のことはともかく、ことアルコールに関してはアル中の理性は役に立たない。そのことを認められないアル中さん達を僕は笑うことができません。自分もその一人だったからです。

人間には三種類あると思います。

一つめは、他人の失敗を見て自分の将来の危険を避けられるタイプ。
二つめは、その失敗が自分の身の上に起こってようやく学ぶタイプ。
最後は、自分の失敗からも学ぶことができないタイプ。

自分自身を一番目のタイプだと思っている人は進歩できないわけです。そう思うのがまさに「アル中的思考」だからです。僕も含め、ことアル中さん達は全員三番目のタイプだと思って間違いありません。


2009年11月11日(水) 「神」って?

先日AAの病院メッセージでのことです。
この雑記はAAメンバーでない人も読んでいるので、ざっくり説明すると、AAメンバーが病院を訪問して患者さんと話をすることです。普段のAAミーティングの形式でやる場合が多いと思います。Grapevineを読んでいたら、take meetings to hospital/rehab という一節があったので、海の向こうでも同じことをやっているのでしょう。

ハンドブックの序文・3章・5章を読んで、参加したAAメンバー全員が話をし、余った時間で患者さんに話をしてもらいました。その中の一人が、「このパンフレットに神という言葉が出てきますが、神って何ですか?」という質問をされました。

質疑応答になってしまうと分かち合いにならなくなってしまうので、質問は後回しにしてもらって、終わった後で個人的に話をすることにしています。「AAは宗教とは無関係だ」と言っても、そういう人の疑いは晴れません。そこで、手短にこんな話をすることにしています。

どうして人は教会や神社で結婚式を挙げるのでしょう。どうして人が死ぬとお坊さんを呼んで葬式をするのでしょう。七五三や受験のお願い、あるいは初詣に神社仏閣に行きます。それはなぜか?

世の中には人間の力ではどうにもならないことがたくさんあります。日本人は古来から、生きている人が幸せになるためには(死んだ人が安らぐためにも)、人間の努力だけでは足りないことを知り、神や仏を頼ってきました。あなたもそれを強く意識しなかったかもしれませんが、初詣には行ったことがあるでしょう。それが信仰心というものです。

ただ、日本人の多くは信仰の「ブランド」にこだわりをもたないので、七五三は神社、結婚式はチャペル、葬式はお寺なんてことになります。AAも同じで、あなたがどのブランドの信仰を持っているか、あるいはなにも持っていないか、まったく意に介しません。どこか特定のブランドに押し込められるのじゃないか、と心配する必要はまるでありません。

ただ、酒をやめていくのに自分の力だけでは足りない、と考えはAAの基本です。あなたが反発を感じているとしたら、そちらのほうではないのですか?


2009年11月09日(月) 解離の話(その3)

小西さんの話の後半、DVの被害を受けた人に見られる解離性障害について。

もし動物が恐怖を感じることができなければ、危険な場所に留まり続け、生き残ることができないでしょう。恐怖は必要な生存本能です。人間も、例えば高い場所や暗い場所は怖いし、ナイフを振り回している人からは逃げようとします。これは動物的な脳の機能です。

そして危険や恐怖は、人間の心に強く残るようになっています(その方が生き残れる確率が高まるから)。恐怖を感じる危険は暴力だけではなく、恥をかく、大きな力の前に無力感を感じるのも恐怖体験になり得ます。

恐怖感は時間が経つと次第に減衰していくのが普通です。しかしそれは危険を離れて安全な場所にいるからです。逃れられない暴力にさらされ続けると、恐怖が「学習」されてしまい、その過剰な恐怖に対応するメカニズムが成立します。それが解離です。

道路にはセンターラインがあり、日本ではその左側を走ることになっています。車を運転する僕らは、反対車線を走る車がいきなりセンターラインを越えて飛び越してこない、と信じています。だから、かなり気を抜いて運転しています。人間の社会には、そのように無条件に信じなければならないことがあり、信じなければ生きていけません。

例えばセンターラインを越えて飛び出してきた車と正面衝突して重傷を負ったとすると、その恐怖でセンターラインが信じられなくなります。いつ反対車線の車が飛び出してくるか分からない、とても緊張した状態を強いられます。そういう事故が、その人の身に繰り返し起こったらどうなるでしょう。もうハンドルを握ることすらできなくなって不思議ではありません。

家庭という密室の中で、繰り返し暴力、無力感、屈辱を味わってきたDV被害者の解離症状を理解するキーワードは「学習された恐怖」です。

僕らは「いきなり人が殴りかかってきたりしない」ということを信じています。けれど、それが信じられなくなれば、駅でいきなり殴られるかもと思えば電車に乗れなくなる、というような行動の障害となって現れます。

トラウマを持つ人は、明日が来ることを信じられません(明日を信じられないのはトラウマを持つ人に限りませんけど、それはともかく)。例えば地雷が埋まり、銃弾が飛び交う戦場で育った子供は、親しい人がいきなり死ぬ経験を繰り返します。とんでもないことがいきなり起こる暮らしを続けてきた人は、「自分は早死にする」「先のことを考えても無意味」という確信を持つようになります。

明日がないのであれば、計画を立て努力しても無駄です。それが、何事にも真剣味が感じられない無気力な姿勢となって現れます。しかしそれは、やる気のなさではなく、脳が恐怖を学習した結果です。

小西先生の講座は、どちらかというと援助職向けでしたので、回避的で無気力な姿勢が、やる気のなさではなく、解離の症状であることを理解することが大事だ、ということが強調されていました。

治療者向けの話ではないので、どのように対処するかはごく簡単に触れられたのみでした。恐怖や不安を否認したり避けたりすることから、認識すること、コントロールすることへ。恐怖から逃げる方向ではなく、行動の制限を減らし自由を獲得していくことが、自己評価を上げることにつながるのだそうです。

例えば車の運転の例で言えば、運転は無理でも、自宅の車庫でハンドルを握ることから始めたり、夫が包丁を振り回したせいで、包丁が怖くなって料理ができなくなった女性が、小さなナイフを使うことから始めるなど。専門家向けの集中講座への言及もありましたが、さすがにそこまでの興味はありません。

解離の症状を、やる気のなさと誤解しない、というのが今回学んだポイントでした。

(この話は今回でおしまい)


2009年11月08日(日) 解離の話(その2)

小西さんの話の後半、DVの被害を受けた人に見られる解離性障害の続き。

パワポの資料を丸写しですけど。

「よく誤解される解離症状の表現形」

・人ごとのようで、真剣みが感じられない/へらへらしている

 酷い暴力を受けたにしては真剣に悲しんでいるように感じられず、診察室でもへらへらしている。→ショックを乗り越えたわけではなく、真剣味がないのは危ない状態。

・淡々と合理的にしゃべるが、行動が合理的でない/感情がないようにぼうっとしている

・(事件に関する)大事なことなのに覚えていないという/都合の良いことだけ覚えているように見える。

・事件について話し合おうとすると、具合が悪くなってしまう/別の話になってしまう/話せない

 →事件の話をしているのに別の話にすり替えてしまう。あることに全く触れられない。しかし知的能力はまったく損なわれていない。

・約束の当日、具合が悪くなる/電車を乗り過ごしたと言うが重大さが感じられない

 →それが無意識に行われる。離婚調停で家裁に行かなければならないのに、「忘れて」いたりする。それが極端に心証を悪くすることも。

・重症感があり、ヒステリー様の症状(歩けない、手が動かない、被害に「意味がある」痛みが感じられるなど)がある。

 →転換性と言われるゆえん。

解離が疑われた場合には、それが解離症状か確かめるのが鉄則で、それを自分ではどう感じているか確認する。感情がない(事件を怖いとか怒りを感じない)、記憶がとぎれていることを自覚している、自分が自分でない感覚や自分を別のところから眺めている感覚(離人感)、事件を思い出そうとすると記憶にふたをされた感じ、あるいは体の不調が起こる。


2009年11月07日(土) 回復研究会の集会

中央道始点の高井戸インターには入り口がないことを毎度忘れてしまいます。気がついて、第三京浜→環八→世田谷通り→狛江通り→調布インターと走りました。横浜から効率的に中央道に出る道があったら教えてください。

で、集会の感想。
「ひいらぎさんは、長野から高みの見物でいいですね」と言われましたが、離れているから見えてくることもあります。関東の連中の喧噪に巻き込まれたら、見えることも見えなくなったりするかもしれません。

ビッグブック・ムーブメント、あるいは基本に返ろうという運動は、2003〜04年ごろから盛り上がってきました。その頃からやっている人たちは、もう5〜6年やっているわけです。今回もその人達の姿を見て感じたことは、あの頃の力みや焦りが消え、自然体でやっているという印象です。

あの頃は、日本のAA(を含む12ステップグループを)今すぐ全面的に変えちゃろうという、大それた夢をみんなが心の中のどこかに秘めていたような気がします。それは、

「歯車を一度に全部逆回転させることはできない」(12&12 p.96)

という、当たり前のことが分かっていなかった、ということかもしれません。個人の回復の途中でも同じことが起こりがちですけど。

現実はそんなに簡単には変わらない。地道に実績を積み上げるしかありません。そろそろ、その「実績」がそれなりに積み上げられてきて、ゆっくりだけれども確実に広がって定着しつつある。「ああこの路線でいいんだ」という手応えをみんなが感じ始め、それが気負いを消してくれたのではないか。そう思いました。

今はビデオをDVDに録画する時代で、ディジタルなので何度コピーしても劣化しませんが、僕らの若い頃はビデオテープをダビングするしかありませんでした。先輩がナイスなビデオを持っていれば、頭を下げてそれをダビングしてもらいました(おたくがビデオデッキ2台持つのは珍しくなかった)。そうやって人から人にダビングが繰り返されていくと、次第に映像が歪み、色が乱れ、「写っているのが日本人かガイジンか分からない」ような状態になってしまいました。

おそらく日本のAAのステップの伝達に起こったのも、同じ現象ではないか、と僕は推測するのです。人から人に伝えられていく過程で、ずいぶん違ったものに変貌してしまったのではないかと。三十数年前に始まった頃はそれなりに原形を保っていたものが、伝えられているうちに歪んでいった。役に立つ変化もあったけれど、総じてAAは魅力を失っていったのではないかと、問いたいのです。

だから研究会の集会は、ビッグブックうんぬんよりも、「ステップをきちんとやりましょう」とか「12ステップグループはステップで問題を解決する人の集まり」という、とても基本的なことの再確認の場になっていた、と思いました。

ジョー・Mに言及すれば、彼は「スポンシーにビッグブックを使ってステップを伝える」ことを強調しています。ダビングを繰り返すのではなく、マスターのビデオテープから直接ダビングすれば劣化しない、当たり前のことです。日本のAAは「AAは伝言ゲームになってはいけない」という経験を得たということでしょう。

基本に忠実に取り組む、というこの当たり前の動きが、アルコールだけでなく、ギャンブルや薬物や感情のグループ、さらに家族のグループに広がっている現状は、とても頼もしく思えます。

あと細かな感想は、年数のファクターは無視できないな、ということ。ステップに真面目に取り組めば回復は早まるけれど、それでも十年分の回復を一年で成し遂げるってわけにはいきません。十年分回復するには十年が必要、と思いました。(けれど、十年経っても一年分しか回復していないってことはあるかも)。

12ステップのプログラムは、スポンサーからスポンシーに直接手渡されていきます。会場では伝える相手(スポンシー)を求めるスポンサー達が手を挙げていました。

「ひいらぎさんは手を挙げないのですか?」と聞かれ、
「今手一杯なんです」と答えました。

まあ田舎で地道にやっています。

田舎は静かで、いろんなことに巻き込まれずに済んでいいのですが、刺激が足りないとせっかく渡してもらったものもさび付いてしまいます。いろんなスピーカーの人の話が良いrefreshになりました。


2009年11月04日(水) 解離の話(その1)

乖離の話ではなくって。

小西さんの話の後半は、DVの被害を受けた人に見られる解離性障害の話でした。
解離性障害は、逃れられない暴力的な被害を受けた心が、その耐え難いストレスを、記憶や感覚の異常に「転換」したものと考えられています。DV被害者、虐待された子供、犯罪被害者などの話には定番とも言えます。

DSMの解離性障害の項目には、
・解離性健忘(以前は心因性健忘)=外傷やストレスに関わる記憶がなくなる。
・解離性遁走(以前は心因性遁走)=突然生活の場から離れ、その間の記憶がない。
・解離性同一性障害(以前は多重人格性障害)=いわゆる多重人格。
・離人症性障害=自分のことをまるで外から傍観しているように感じる。

さらに、IDC-10には、
・解離性昏迷、トランスおよび憑依障害、解離性運動障害、解離性知覚麻痺が載っています。

なんとか連合とか協会を、英語で association といいます。これは associate (連携する、関連する)という言葉の派生です。dissociate はその反対で、分離している、切り離されているという意味です。解離性障害の「解離」は dissociative で、本来人間は過去の記憶や、自分の体の感覚やコントロールは、全部が一体となって感じているものですが、その一部が「切り離されて」しまっていることを示します。

例えば解離性健忘であれば、子供の頃虐待を受けていた人で小学校の頃の記憶がすっぱり抜けているとか、性犯罪の被害や銀行強盗の人質になった人が、その間の記憶をまったく失っている、ということが起きます。DV被害者の場合には、DVを受けている間の記憶を失うことが起こります。

小西さんのセミナーで配られたパワポの印刷と、その書き込みを元に、解離の勉強のために、メモの清書が次回も続くのであります。


2009年11月03日(火) テレビで聞いたネタ

古今亭志ん生の言葉にこんなものがあります。

 『人間には、うぬぼれてぇものがあります。
  他人の落語を聞いて「こいつは下手だ」と思う時は、
  その相手は自分と同じくらいなんです。
  「こいつは俺と同じくらいだ」と思ったら、
  相手の方が自分より上手いんです。
  ですから「こいつは自分より上手い」と思うようだったら
  もう天と地ぐらいの開きがあるってぇことです』

さすが噺家だけにうまいことを言います。
同じことは、人生のいろいろな分野で、数値化できない何にでも当てはまります。

例えば家路っぽくするならば、「他人の落語」を「他人の回復度合い」に置き換えてみれば、もうそれで、それっぽい言葉のできあがりです。

 同じアル中の言葉を聞いて、「こいつ回復してないな」と思う時は、
 その相手は自分と同じくらいなんです。

ほらね。

数値化して比較できないからこそ、うぬぼれの入り込む余地がある、というわけか。

まあさすがに「いくらなんでも、こいつより俺の方がマシだ」ってのも、あることはありますが。まあ、それはそれ。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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