心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2007年09月29日(土) 静かな喜び

パシフィックリーグを日本ハムが二年連続で制し、テレビでビールかけの様子やダルビッシュ投手のインタビューが放映される夜、楽天イーグルスファンも静かな喜びを噛みしめていました。

現在65勝72敗(勝率.474)で4位、最下位のオリックスバファローズとは3ゲーム差。楽天が残り5試合に全敗すると65勝77敗で勝率.458、一方オリックスが全勝しても63勝76敗で.453と、楽天を上回る可能性がなくなりました。
今日イーグルスが勝ち、バファローズが負けたことで、<球団創設3年目にして初めて、最下位脱出が決まった>のです。一年目が38勝97敗、二年目が47勝85敗でしたからね。

今年はフェルナンデスもよく打ったし、山崎武は38歳にして本塁打・打点のトップにいます。草野も活躍したし、何より投手田中まーくんの加入が大きかった。いろいろな選手を語れるということはファンとして喜びです。

そういえば野村監督はヤクルト時代、1年目が5位、2年目が3位、3年目が優勝でした。今年は3位にはもうなれませんが、来年はなんとかAクラス入りし、ポストシーズンを勝ち抜いて日本シリーズに出て欲しい・・・などと妄想を広げています。

妄想といえば、眠れずに横になっているときは妄想が広がります。男子高校生のような健全な(?)妄想の世界が展開しているときは、概ねにおいて精神状態は良好であると思われます。調子が悪いときは、暗くてじめじめした囚われがあります。

ホームグループのミーティングに遠来の仲間あり。終了後に皆で食事をしました。
土曜日のミーティング出席も、おそらく今年いっぱいになるでしょう。


2007年09月26日(水) 二番底

底付きとは、酒をやめる気になる瞬間でしょう。
(ひいらぎ的解釈では、やめたい気持ちが飲みたい気持ちを上回る瞬間だと思います)。
それまでは、アルコール依存症という病気で苦しくて、助けて欲しかったとしても、酒をやめる手助けが欲しいわけじゃなく、酒をうまく飲ませてくれる手助けを探しているのです。うまく酒を飲むとは、酒を飲んでトラブルが起きないことです。

やがて、どうやってもうまく飲めないことに気が付き、さらに自分では酒をやめられない(また飲んでしまう)ことに気づき、酒をやめる手助けを求め始めます。求める相手は、家族だったり病院だったり、自助グループ(AAや断酒会)だったり。

そこで酒が止まり、生きるのが楽になっていきます。

心の「ある部分」は酒をやめただけでは回復しません。しかし、酒は止まって生きるのも楽にはなっていますから、ことさら回復していない部分に光を当てて、その部分の回復の手助けを受けようとは、なかなか思わないものです。

しかしいつかは、その「ある部分」こそが生きていく上での苦しさそのものだと気が付く時が来るのでしょう。その時にAAメンバーであれば、ステップという手助けを求めるのだと思います。それが二番底、生き方の底付き、本当の底付きです。
AAに来ない人が、どういう二番底を経験するのかは知りません。
酒をやめる底付きと、生き方の底付きと、同時に経験する人もいれば、何年も離れる人もいるし、死ぬまで最初の底付きしかない人もいるでしょう。

本当の底付きを経験すれば、本気でステップを「やりたくなる」ものだと思います。つまり「ステップ使って楽になりたい」気持ちが「このままでいいや、ステップ面倒だし」という気持ちを上回る時が来るんだと思います。

どちらの底付きも、めでたいことには違いないと思います。


2007年09月25日(火) 回復の順番

心は体の内側にある、というのは何となく理解できる気がします。
心をくるんでいるのが体である、とも言えます。

AAでは依存症を、身体的・精神的・霊的な病気と表現します。霊的な部分とは、心のさらに内側、人間の中核にあるものです。

回復の順番は、霊性→精神→身体の順だとされます。ちょっと見には、身体(禁断症状が取れる)→精神(心の憂鬱が取れる)→霊性(生きがいが感じられる)という順番だと思ってしまいがちですが、あくまで霊的なもの、心、体の順番だそうです。

250人のガン患者の生活歴を調べた研究では、まず子供時代に緊張した人間関係があり、成人後は充実した仕事や人間関係で生きがいを感じ、やがてそれを失って絶望したところにガンになった、というパターンが多かったそうです。
これをもってして、霊的な部分が脆い場合、外部との関係で生きがいが与えられても、それを失って再び孤独と絶望がやってきたときに、体も心も病み始めてしまう・・、と考えるのは早計でしょうか。つまり、病は人間の内部からやってくるという考え方です。

昔の人は、病は気から、と言ったものですが、気(心)のさらに奥の魂の部分の病みを取り除くのが、健康への道ではないかと思います。

ステップを使って一番奥の霊的な部分が回復すると、次に心が回復し、そして体が健康になる。そうすると体の外部との関係から緊張が取れて、金銭とか人間関係においても回復していく、というのがAAの回復モデルです。

経済的回復は、霊的回復より先には来ない、というのも、この線に沿って考えると分かりやすいと思います。


2007年09月24日(月) 間違う権利を保障する

2000年アメリカ・カナダ評議会報告書より
ロイス・F GSO退職にあたっての言葉からごく一部を抜粋

1977年にGSOのスタッフになったとき、当時の所長のボブ・ヒッチンスにこう尋ねたことを思い出します。AAにとっての将来の不安材料は何か、それについて彼はどう考えているかと。ボブは“厳格になること”をおおいに心配していると答えました。また、1986年の評議会で、元所長のボブ・ピアソンが話したお別れの言葉のなかでも、彼はAAの中で“厳格さ”が増すと、つまりつまらぬあら探しのような質問に対して、かんぺきな回答が要求されるような事態が増えたら増えただけ、AAは大きな危険にさらされるようになると話していました。

もちろん私たちは12の伝統、概念、順守事項に要約されたAAの原理にしっかりとしがみついていく必要があるのは当然のことです。けれども、その“厳格さ”は、自分は間違っていないという一人よがりの思い込みに乗じてはいないだろうかということです。新しく来た人がミーティングで自分のことをどういう病気だと言ったからとか、抗鬱剤を服用しているメンバーはバースデイを祝うのにふさわしいかどうか、などということが問題として取り上げられるとき、私たちは自分の手で、命を救われたAAの集まりからアルコホーリクを追い払っているのではないでしょうか。

GSOに対してAAの伝統をもっと“強要”するようにと要求してくる人が増えています。ビルだったら一体どう対応しただろうかと思うのです。彼をよく知っていた人たちによれば、ビルは心が広く、寛大で、寛容だったといいます。そして彼のお得意のせりふは「どのグループにも間違う権利があるんだ」というものだったと。AAの中での間違いは、おのずとそのなかで修正されていくのだという強い信念をビルは持っていたのです。

(略)今、AAのプログラムとAAに対する私の中の信頼感はかつてないほど強力なものです。20年前、当時引退したGSO所長のボブ・ヒッチンスが彼の40年のバースデイで私たちのグループで話をしてくれました。(ボブが酒をやめたのは1940年で、ビルの死後6年間GSOの所長をしていました)。その中で、その40年間にAAそのものはほとんど、それどころか、まったく、変わらなかったという印象があると話していました。
それは今も同じだと私は信じています。ステップ、伝統、順守事項、概念、これらのものは65年前にさかのぼっても、いつの時代も、現在と同じように、貴重で、分かりやすく、実践に役立つものです。それらのものはすべてが、ミルトン・マックスウェルが強調したように、一つの霊的な織物の一部なのです。たとえメンバーやグループがその文章を一字一句暗唱していなかったとしても、それらの原理は、理解され、意識されています。

(略)評議会メンバーである私たち――評議員、常任理事、スタッフは、――アルコホーリクス・アノニマスの中できわめて重大なリーダーシップ的役割を取っています。けれど私たち評議会メンバーが道に迷い、AAのメッセージを運ぶ私たちの活動の中にいつも溢れる、簡潔さ、人を排除しないこと、共通感、愛情といったものを見失うようなことがあったとしても、その評議会メンバーに“AAという船を沈める”力などありません。そんなことができる力のある人間はどこにもいないのです。AAの集まりそのものが私たちを正しい道に引き戻してくれるか、あるいは私たち評議会メンバーが無視されるかのどちらかでしょう。

(以下略)

〜AA日本ニューズレター85号掲載の文章より


2007年09月23日(日) 近況

ソフトバンク携帯は、バッグの中に放り込まれたまま、全く使われていない無駄な状態です。とはいうものの、26ヶ月は契約し続けねばならない縛り付きです。トホホ。

テレビ到着しました。
パネルの画素数は1,366×768ですから、フルハイビジョンはおろか、普通のHD放送すらドット・バイ・ドットでは映りません。パソコンのモニターではなく、テレビですからそこは気になりません。てゆーか、アンテナ繋いで見るまで、地上波デジタル放送がHD放送(1440×1080i)だなんて知りませんでした。640×480だとばっかり思っていたのです。

稲刈り終了しました。
自家消費分だけ天日干しにしています。自然乾燥のほうがお米が美味しいから、という理由ではなく、コンバインによる収穫(と乾燥)を頼むと高いからです。

関係ないですが、相手が死んでいるから、二度と会えないから、ステップ9の埋め合わせができない、とは思いません。「会おうにも会えない相手も人もいるだろうが、そういう相手には正直な手紙を書く(p120)」。
たとえば死んでしまった人に手紙を書くことに、何の意味があるのか? ステップ9は相手に許してもらうためにするのではなく、自分の回復のためにするのですから、相手が読んでくれるかどうかは関係ないはずです。
したがって、「埋め合わせのできない相手」なんてのは存在しないことになります。会えないという理由をつけて先延ばししているだけです。

といっても、僕はまだ死んだ父に手紙を書けていません。だから強いことは言えません。まあ、スポンサーになると、自分がやってないことでも、やらせなきゃならない時も出てくるんでしょう(で、後であわててやると)。


2007年09月22日(土) 「リスク上等!」でないとねえ

恋愛相談に乗るほど経験豊富なわけじゃありませんが・・・。

恋愛の告白って「好き」って言えば済むだけの話じゃないですか。難しいことはないと思いますが。

気持ちを自分の心の中だけに秘めているときは、何のリスクもありませんが、言葉に出してしまうとある種のリスクは避けられません。たとえば僕が誰かを口説いたとして、その女性が、

「私、ひいらぎに口説かれたのよ。あの男、あんな変な顔をして、いったい何考えてんだろうね!わはは」

などと吹聴して回られたら、結構凹みますな。仮に首尾良く恋愛関係に持ち込めたとしても、物事には終わりがありますから、こっぴどい別れ方をしようものなら、腹いせ(?)にどこで何を言われるか分かったものじゃありません。

結婚というゴールがあっても、その先に夫婦げんかが待っています。「友達に相談」という名目で、いろんなことが家庭の外に漏れていきますし、ことによるとブログで全世界に向けて発信されちゃったりします。「夫婦げんかは犬も食わない」と言いますが、対岸の火事ってやつですから。

一人でいれば、そういう傷つき方は避けられるのでしょう。でも、納得して一人でいるんだったら、それも良いのですが、傷つくことが怖いから避けているだけなら、やはり淋しいのじゃないでしょうか。

何もしなくても、いつか可愛くて心優しい女性が目の前に現れて「あなたが好き」と言ってくれるという、実現性皆無の夢を見ているうちに、着実に年を取っていってしまうものです。年を取ると落ち着くなんて言いますが、体も心も衰えて、好きになるのが億劫になるだけでしょう。そうなったら遅いですよ。

ともかく、自分だけ安全圏に隠れていて、恋愛の美味しいところだけ食べようなんて、無理な話です。どーんと告白して、ばっさり断られて、経験値を積んだらよいのじゃないでしょうか。

え? 全然勇気づけてない? 否定的なことばっかり言ってる? ま、がんばんなさい。

「結婚する前は両目を開けて、結婚したら片目を閉じて」相手を見ろ、なんて言いますが、酔っぱらっているときは両のまなこが酒で曇っているわけで・・・。なまじ素面になってしまうと、いろいろ見えすぎて誰とも結婚できなくなる例もあるみたいですから、何が幸いなのかは分かりません。

ひょっとすると女のほうも、ぼーっとしていても、急に目の前に甲斐性のあるいい男が現れて「好きじゃー」などと言ってくれるのを待っているのかも知れませんね。女になったことはないので、分かりませんが・・・。


2007年09月21日(金) 領収書

ソブラエティ1年目に「金がない」という悩みをAAスポンサーに相談したら、返ってきた答えは「家計簿をつけろ」でした。
ステップ4・5と同じだというのです。まず自分の状態をしっかり把握しないと、修正もできないから、なんとなく金を使って、なんとなく足りないと言っているようではダメだと。
というわけで、家計簿をつけ、公共料金の請求書・領収書のたぐいはパンチ穴を開けてファイルしました。

その後、多少経済状態が改善すると、もう家計簿はつけなくなってしまったのですが、領収書のファイリングだけは続けていました。

一度、過剰請求を見つけて、何ヶ月分かさかのぼって返してもらったことがあります。

電子メールが普及する前は、AAメンバーとのやりとりは電話か手紙でした。郵便箱を開けて手紙が入っているのを見つけるのは、実に嬉しいものでした。それがないときは、JSOやセントラルオフィスからの書類でも、NTTや携帯電話の領収書と同封のパンフでも、ないよりマシでした。

最近のメンバー同士のやりとりはメールが主ですし、届く郵便物は「片づけねばならないこと」の類なので、郵便受けを開ける楽しみは、以前ほどではありません。

何のために領収書をファイリングしているのかも、意味不明になってきました。若干の資源節約のために、領収書や明細はWebで参照するサービスの申し込みをしました。


2007年09月20日(木) あなたのスポンサーではないのだが

目の前で起きていることが、どうしても納得できない、という気持ちは分かります。
もし神様がいるなら、どうしてこの人に罰を与えないのだろう、と思ったりするわけですね。「配慮に欠けていた」ってのも含めて、自分に落ち度はないし、相手が悪いとしか思えなくて・・。いつかこの人は罰が当たるだろう、いや当たって欲しいと思ったりして・・。

でもそれは「私は間違っていない」、「もし神様がいれば私に賛成してくれるはずだ」という思い上がりですよ。

もっと言えば、「私は正しいのだから、神様は私の判断に従うべきだ。だから早くあの人に罰を下しなさい」と思っているわけです。
いつの間にか、自分が神様より偉くなって、命令を下したがっています。AA流の言葉で言えば「神の役を演じて」います。自分=神になっています。

世間において「自分は神だ」と主張する人間は、一般にキチガイと呼ばれます。それが「自分の古い考え」の狂気です。これにつける薬はステップ2。健康な心に戻してくれると書いてあるでしょう。

自分がアル中だと気がつかない人は、酒をやめようとは思いません。同じように、自分の考えの狂気に気がつかない人は、正気に戻してもらおうとは思いません。だから、自分の考えで苦しむのはひとまず良いことです。きっとたぶんね。

自分の考えでは、どうにも間違いとしか思えないことでも、神様の視点で見れば実は正しいことなのかも知れません。僕らは神のように全知全能ではないので、目の前で起きていることの正しさが理解できなくても、しかたないことです。諦めましょう。

それよりも神様はすべて良くしてくださると信じ、今日起きたことにもきっと何か意味があると信じ、罰をあてて欲しい人に頭の中を占領させるのはやめて、今夜はぐっすり寝ようではありませんか。

いくらミーティングに出続けていても、そういう考え方は意識して努力しないと身に付きません。3年後にはきっと自分が変わっていると信じて続けていきましょう。そうすれば自分のことだけで十分忙しいはずですよ。


2007年09月19日(水) 仲間の力じゃないんだよ

ソーバー1年目に一冊の本を何度も読みました。
(いや、ビッグブックじゃなくて)

加藤諦三という人の本で、巻頭にこんなことが書いてあります。

人間は二つのことが大事である。
一つは、自分を尊敬し、自分を大切にすること。人にどう思われるかではなく、自分が自分をどう思うかが大切だ。
もう一つは、人間は他人との関係が大切である。意欲の源泉は他人との関係にある。

それに続いて、「この二つのことは、お互いに矛盾するではないか」と主張する若者の話が出てきます。僕もこの若者と同じように感じていました。自分を大切にすれば他者との関係はぎくしゃくするし、関係を大切にすれば自分を犠牲にするしかない。だから二つのものを同時に大事にはできない、と感じていたのです。

わがままを貫き通すか、そうでなければ自己犠牲の連続。そういう二者択一の人生を生きるのはとても辛いことです。でも、子供の頃からずっとその生き方を続けてきたので、ほかの生き方があるなんて知らなかったのです。
だが、知ってしまいました。知ってしまえば、別の生き方がしたくなる。要するにステップ1と2です。

関係ない話ですが、ステップ2をすっ飛ばして、ステップ4・5を済ませた人は、その次のステップ6に至ったときに、矛盾を抱えます。「性格上の欠点を神に取り除いてもらう」と書いてあるのですが、ステップ2を迂回してきていますから「神に取り除いてもらう」事ができません。
しかたないので、一生懸命「自分で取り除こう」とします。それも無駄にはならないでしょうが、いつの間にか人生が「自己犠牲の連続」になりがちです(経験者は語る)。そのうち「ステップって辛い」とか言い出しますから。
その時には、いったんステップ2まで戻った方が良いです。

例えば「仲間のおかげ」という言葉を使うのをやめる。だって「神様のおかげ」ですから。


2007年09月18日(火) 燃費の話、薬の話

ハイオクとレギュラーガソリンを混ぜて給油し、燃費の変化を探る実験の途中報告です。まだ7回しか給油していないので、何かハッキリしたことを言えるほどのデータは集まっていません。それでは面白くないので、無理に何か言うとすると・・。
ハイオクとレギュラーの価格差は、僕の近所では約7%です。そしてレギュラーガソリンにすると、燃費が7%ほど悪化しています。つまり、経済的効果は出ていません。普段の走行には影響ないものの、ここ一番では出力の低下を感じることもあります。
これから冬に向かって気温が下がっていくと、空気の密度が上がり、吸入酸素量が増えるので燃費が向上します。だから、毎回ハイオクとレギュラーの比率を変えながら、データを積み上げていきたいと思います。

うつ病の治療のために飲んでいる薬は、昨年10月の記録が残っています。
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20061018

トレドミン(塩酸ミルナシプラン)については変化がありません。たぶん一生この量(50mg×2回)を飲むのでしょう。
レスリン(塩酸トラゾドン)の量は半分に。
ロラメット(ロルメタゼパム)は減らした後に、ワイパックス(ロラゼパム)に変更。さらに1mg錠を半分に割って出されるところまで減っています。
アタラックスP(パモ酸ヒドロキシジン:通称アタP)は、50mgから25mgに半減し、実は勝手に服用を中止しています。次回止めてもらいます。

夜は5時間眠れればせいぜいで、あとは目が覚めてしまって眠れません。けれど、昼休みに机に突っ伏して寝ているのを除けば、仕事時間中に眠くて困ることは無くなりました。精神状態が悪いと寝付けないこともありますが、棚卸しと祈りが効いてくれます。睡眠の質が改善してくるのが分かります。

医者はだいぶ薬が整理されてきたとは言うものの、最終的には寝るための薬(残ったロラメット)を廃し、トレドミンとレスリンをうつ病の再発防止用に維持量飲み続ける状態に持っていきたい・・・しかも来年あたりまでに。と自分で勝手に治療計画を立ててしまっています。

睡眠薬を切ってうつ病がぶり返しては元も子もなかったので、減薬には霊的状態の改善がどうしても必要でした。長い時間がかかったものの、ようやく睡眠薬と手の切れる未来が、実現可能なものとして見えてきた感じがします。
これも霊的な道具のおかげです。


2007年09月17日(月) 自分の頭で考えろ!

改めて別に書いてもいいのですが、忘れないうちに。

まずルールを求めるのはやめなさい、ということです。
法律という社会ルールは、確かに犯罪を減らすけれど、犯罪常習者を更正させる能力には乏しいものです。依存症者も同じで、酒を飲まないというルールを守れた試しがありません。そもそも、何でそのルールを作る必要があったのか、原理原則のところから根気強くやっていかなければなりません。

ステップや伝統も、ルールではなく、原理原則です。守らなくても、処罰はされません。ただ、AAメンバーが大きくステップからそれ続ければ再飲酒と死が、AAグループが大きく伝統からそれ続ければ、グループの消滅が待っているだけです。

だが、人はルールを求めたがります。その方が簡単だからであり、考える手間を省けるからでしょう。

AAのオープンミーティングで、AAメンバー以外(アル中以外)の人に話をしてもらうかどうか、って問題もその一つです。

「アルコール以外の人には、オープンミーティングといえども、話はしてもらわない」のが正しいという人もいます。でも、それはルールですね。

アメリカのAAミーティングでは、話し出した人がアルコール以外の人だと分かった途端に司会が話を遮り止めてもらうところがある・・ていう論拠を出す人もいます。でもそれは、アルコールとそれ以外で分けているのと違うのです。

伝統5ではAAはアルコールの問題に専念しろと書いてあります。アルコホリズムと、そこからのAA流の回復手段だけを分かち合うのであれば、家族の人や別の依存症の人にAAの回復の話ができるわけがない、というのは分からないでもありません。(そう主張する人でも、なぜか医者の話はありがたく聞いたりする不思議)。

だが、それを言い出すのなら、AAメンバー自身も話の内容を吟味しなければなりません。アルコホリズムとその解決=ステップです。昨日も書きましたが、決して「今日辛いことがあって、ここへ来て打ち明けて楽になった」という癒しの話じゃありません。そこまで厳しい基準を自らに課して初めて、「それ以外の人」にも厳しい態度で臨めるのではないでしょうか。これがルールでない原理原則です。

前述のアメリカの話は、AAメンバーであろうと無かろうと「アルコールの話に限ってくれ」といって遮られてしまう、という話であります。

だが原理に100%沿って生きられる人はいません。AAメンバーだってヌルい話はしてしまいます。だからこそルールはナンセンスなのです。少なくともAAの中では。

まあ、ルールを作るのは個々のグループの勝手で、「自分に甘く人に厳しいルール」で原理から外れたからといっても、処罰がないのもAAであります。

常に伝統やステップの原理に照らし合わせて考え(Think! Think! Think!)、同時に現実は原理どおりにはできないことも受け入れる。清濁併せ呑むことが求められる、それがAAでしょう。てゆーか、世の中なんでもそうでしょうけど。


2007年09月16日(日) 後からついてくる

埼玉のサービスフォーラムから帰りました。
明日は町内会のバスハイクで、三鷹のジブリ美術館であります。

「ステップは後からついてくる」と良く言われたものです。
これは、ステップは意識的に取り組まなくても成し遂げられる、という意味ではなく、AAの中で飲まない生活を続けていれば、いつか必ずステップに取り組もうという意欲が生まれるはずという約束の言葉です。言外に、AAの中にいる限りステップは避けて通れないのだよ、という脅しも含まれている気がします。ともかく、AA=ステップであるという合い言葉です。

最近その言葉が聞かれなくなった、と言う人がいました。
ステップなんぞやらなくても、とりあえず酒をやめていることはできますから。そして、ミーティング場に「回復」ではなく、「癒し」を求めて集まってくるのかも。今日こんなことがあって辛かった、でもここで話せて楽になれました、なんて話ばかりしているのかも知れません。まあ僕の想像に過ぎません。
それにしても、いつか必ずステップはやらねばならない、という覚悟というか、共通理解が失われつつあるのだったら、怖いことです。

話変わって、AAスポンサーから
「誰もあなたを縛り付けて、無理矢理口に酒を流し込んだ人はいない」
と言われたことがあります。

誰かのせいで酒を飲んできたのではなく、自分で飲んできた、ということです。
じゃあ、好きで飲んできたかというと、病気だから飲んできたわけです。

誰かのせいにしたがる、あるいは自分は酒が好きなんだと言い張る、そういう逃げ口上を防ぎ、病気と正面から向き合うための助言だったのでしょう。

仲間の訃報が届きました。僕が初めてAAミーティングに行ったときに、その会場にいた一人です。僕が知っている頃、彼はいつも「ここじゃないどこか」を探しているように見えました。その彼もついに行くべきところを見つけたのかもしれません。

「自分に正直になる能力さえあれば回復する」(第五章)


2007年09月14日(金) 疲れたのでテキトー

HA、肥満アノニマスは、経験と力と希望を分かち合って共通する問題を解決し、ほかの人たちも肥満状態から回復するよう手助けしたい、という男女の共同体である。
HAのメンバーになるために必要なことはただ一つ、肥満をやめたいという願いだけである。会費もないし、料金を払う必要もない。われわれは実質的に何も活動していないのである。
HAは、いかなる宗教、宗派、政党、組織または施設にも縛られていない。また、どのようなダイエット方法にも、治療方法にも、支持も反対もしない。
われわれの第一の目的は、肥満の解消であり、他の人たちも適正体重を達成するよう手助けすることである。
(HAは某メーリングリストミーティング上に存在する、AAメンバーの有志の会です。実質的活動はありません)

閑話休題。

ここの下のニュース検索が、またまた偏りを見せている気がします。チューニングをやり直さなければ・・と思いながらもほったらかしです。それにしても、いろいろマイナーなニュース媒体から記事を引っかけてくることに感心します。
ライブドア・ニュースが、ホリエモン騒動の時に、あちこちのニュース媒体から契約を解除されてしまい、困ったあげくにマイナーな媒体と多く契約し、その影響がまだ残っているってのが真相のようです。
次の改造では、どこの検索で引っかけたのかも表示する予定。

閑話休題。

世の中には二種類の人間がいる。片方は、世の中の人間を「〜する人間」と「〜しない人間」の二つに分類したがる人であり、もう一方はそんな分類をしない人。もちろん僕は後者。

閑話休題。

サービスフォーラムは土曜午後一時開始のようです。午前九時に出れば間に合いそう。明日は天気が良さそうですから、運動会は土曜日に済んでしまいそうですね。


2007年09月13日(木) try levitation

「人生は近くから見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」
Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.

人の不幸は蜜の味、という言葉がありました。
笑いの本質は、偏見と差別である、という言葉もありました。

他人事だから笑っていられるのであって、当事者であれば(あるいは巻き込まれていれば)笑ってなどいられません。

でもそれは言葉を変えれば、自分が悲劇の主人公である間は、笑っている余裕なんか生まれないってことです。自分が苦しいときには、自分しか見えていない、クローズアップで見ていますから。もう少し自分から離れて見てみなさい、ということです。

「神の視点から見る」というのは、なかなか難しいことです。
その代わり、10メートル上から、今の自分を見下ろしてみます(try levitation)。実際それをやるには幽体離脱でもせにゃなりませんが、気持ちの上ならいつでもできます。
そうやって見てみれば、つまらないことにカリカリして、きりきり舞いしている自分が見えてくるでしょう。それが神の視点です。

ロングショットで見れば、自分自身のことだって喜劇です。つまらないプライドさえ捨てれば、昔のことを笑って話せるようになるのと同じで、今の自分のことだって、離れて見ればもっと余裕を持つことができるはずです。眉間にしわを寄せていれば、運だって逃げていきますから、緊張を解いてゆっくり寝ることです。

そんな理由で、僕らはミーティング場で気楽に自分の話ができて、また人がくすくす笑っても気にならないのです。辛いときは、自分のことを笑えるようになるために行くのでしょう。

冒頭の一行は、チャップリンの言葉です。


2007年09月12日(水) テレビとラグビー

ラグビーのワールドカップフランス大会。フィジー戦を見ていましたが、途中で眠くて寝てしまいました。

国別ランキング18位の日本ですが、本大会ではもう十数年も勝ったことがありません。そもそもアジア地域でラグビーは盛んではないので、予選突破はほぼ確実なのですが、強豪国との力の差は明らかです。一つ前のオーストラリア戦は3−91の大敗でした。
起きてニュースを見たら31−35で惜敗。残念です。
NFLも開幕して、深夜の放送から目が離せない日々が始まりました。

話は変わりますが、テレビを買ってしまいました。
これまで使ってきたのは、妻が抽選で当てたものです。10年ほど前、近所に葬祭センターができたときに、見学者全員に粗品プレゼントというキャンペーンをやっていて、その粗品目当ての義父母に連れて行かれました。葬式費用を生前に分割払いしておく制度の宣伝をやっていましたが、当面死ぬ予定のない僕は契約する気などさらさらありませんでした。
が、妻がくじ引き景品一等の21型テレビデオを引き当ててしまいました。
もちろん、生前分割払いの契約もせざるを得なくなりました。もう払い終わりましたけど。
あそこが倒産しない限り、僕の葬式はあそこでやるんだろう、ということは分かります。

そのテレビ、数年前にチューナー部が壊れてビデオ再生専用機になってしまいました。
チューナーを外付けしてテレビを見ていたのですが、だんだんそれも調子が悪くなってきました。で、ジャスコの家電売り場で液晶テレビを見ているうちに、買い換えることになってしまいました。来週末に届く予定です。

さてさて、AAミーティングの参加ってのは、スポーツで言えば基礎トレーニングみたいなものでしょうか。


2007年09月11日(火) 卒塔婆携帯

先日八王子から帰ってくる際に、貨物列車の機関車が故障して立ち往生した影響で、特急電車が遅れました。JRでは二時間以上列車が遅れると、特急料金を返してくれる仕組みになっています。
僕が特急券を買ったのは午後9時過ぎで、列車が八王子駅に到着したのが11時前だったので、2時間は経過していないのですが、もともとその列車は6時半に新宿出発の電車だったことが問題で、いつ切符を買ったかは不問のようでした。
といっても、出札のところで払い戻してくれるわけではなく、切符にはんこをついてくれて、翌日以降にみどりの窓口へ持ってくるように言われました。

で、週末に自宅近くの駅へ行きまして、二千円あまりをウハウハと懐に入れたのですが、ついでに滅多に寄らない駅ビルの中を徘徊してみることにしました。

そして、ソフトバンクモバイル(SBM)の店に入ってしまいました。
SBMについて知っていたことは以下の通り、
「ホワイトプランという料金プランを使えば、月々980円の基本料金のみでSBM携帯どうしは話し放題。ただし、午後9時から1時までと、他社携帯や固定はかえって高額」
 →SBM携帯にだけかける2台目にすれば980円ですむ。
「端末代は高いが、割賦制度を使えば分割で支払えて、(2年間解約できない縛りを受ける代わりに)その代金は割引になる」
 →安い機種を選んで2年使う覚悟をすれば、端末代は不要。

冷やかしのつもりだったのに、いつの間にか「端末選択モード」に入っていて、毎月980円ならまあいいか、と契約してしまいました。実際には事務手数料3千円弱が必要だったり、Eメールを使うと+315円だったりして、980円ぽっきりではすみません。
さらに使い勝手をよくしようと、様々オプションサービスを追加していくと、実はずいぶん高額になる・・というYahoo!BBの時に見せた「孫さんマジック」は健在であります。

電話番号は、090-6000-XXXX、メールアドレスは xxxxxxx@softbank.ne.jp です(伏せ字部分は現在のau携帯と同じ)。鞄に入れっぱなしで、ちっとも使っていないのであります。


2007年09月10日(月) 続きものである自分

人間は過去から未来へ向かって生きる連続体ですから、過去を無視して今日を生きるわけにはいきません。

精神病院に入院中のアル中患者さんで、「依存症ということを意識しすぎると、自分は苦しくなってまた飲んでしまう。だから酒のことは忘れて生きてゆきたい」と言う人がいます。

気持ちはよくわかるのですが、人間そう簡単に過去を忘れることはできません。気持ちの上では過去を忘れられても、心の奥深い部分、脳みその特定の部分には、過去がしっかりと刻まれています。

僕は小学校の1年生の時に自転車に乗る練習をしました。毎日練習し、よろけて藪に突っ込んで怪我をしたりしながら、2週間ぐらいで何とか乗りこなせるようになりました。一度乗れるようになってしまえば、最初になんであんなに苦労したのかと思うぐらい、すいすいと乗れるものです。
大人になって、もう何年も自転車に乗っていなくても、体(つまり脳)は自転車の乗り方を忘れません。久しぶりに乗れば、しばらくヨタヨタするかもしれませんが、あっという間に昔のカンを取り戻して、上手に乗れるようになるでしょう。自転車の乗り方を忘れることはできないのです。

お酒も同じことで、たくさん飲めるようになるまでには、多少の苦労もあったことでしょう。でも練習の成果があって、ぐいぐい飲めるようになったわけです。そして断酒を決意しても、酒の飲み方を脳は忘れてくれません。
何ヶ月、何年か酒をやめていて、久しぶりに飲み出せば、なるほど最初は「コントロールされた飲酒」だとか「節制された飲酒」という、へなちょこな飲酒をしているでしょうが、アル中としての本格的な飲み方を取り戻すまで、そう時間はかからないでしょう。

酒の飲み方だけじゃなく、人間関係の反応の仕方とか、感情や考え方の偏りも、子供のころから積み重ねてしまったものを、忘れようとしても簡単には捨てられません。

だからこそ「棚卸し」や内観をして、過去の行動が現在の自分にどう影響を与えているか分析しなくてはいけません。このときに大事なのは、罪の意識や自責を持ち続けないことです。罪の意識を持ち続けることは、それを行った過去の時点での自分を回復させたいという気持ちの現れです。
過去が回復すれば、現在の苦しみも消えてくれるでしょう。でも、過去を変えることができない以上、現在を変えていくしかありません。

(できるはずのない)忘却を望んだりせず、罪の意識で自分を律しようともしない。それが今の自分に責任を持つということでしょう。


2007年09月09日(日) 一人では気づけないかも

AAミーティングにやってきた頃、僕は「酒の飲み方がひどくなったのは、ここ1〜2年のことだ」と言っていました。実際には10年以上アル中ライフを送ってきたのですが、そのころの自覚は「悪くなったのはここ1〜2年」という感じ方でした。

それももっともな話で、それ以前には僕の酒の飲み方を、毎日とがめる人はいなかったのです。いつも体調が最悪で、飲んだ酒ですらゲロゲロ吐いている状態でも、それは単に酒を飲んだ結果だという言い訳が成り立ちました。酒は好きで飲んできたのだし、ひどい生活ではあったけれど、サラ金にも手を出さずに生活費を工面してこれたという自負もありました。

それでも行き詰まって、自殺未遂を機に実家に戻り、精神病院への通院、入院、依存症という診断、と1〜2年でドタバタ進んでいきました。

そうなると、いままで詳しいことを知らずにいた良心も、なんとか僕の酒をコントロールしようと、口やかましくもなりましたし、酒の匂いがしないかチェックしたり、持ち物検査をしたりと、いろいろ小うるさいことを始めました。

飲むのをとがめられるようになって、初めて「飲み方がひどくなった」と認識できたわけで、一人で飲み続けていたら、なかなか気づかなかったでしょう。家族がいても、飲むのをとがめられなかったら、同じように気がつかないと思います。

家族がとやかく言ったから病気が進行したのではなく、ずいぶん前に病気になっていたのに、自覚がなかった(病識がなかった)だけの話です。ずいぶん前からアルコールに対して無力だったのに、認めてこなかっただけの話でもありますね。


2007年09月08日(土) 金曜のこと

伊豆半島に上陸した台風は、本州を北へ抜けていきました。
会社の創立記念日パーティーというのがあり、参加は義務ではないのですが、出なかったら出なかったでいろいろ問題が発生するのが会社勤めというものであります。おまけに、僕がいてもいなくても良いような会議が本社で設定されました。

できれば行きたくない・・と思ったものですから、木曜の晩は中央道も中央線も不通であるので、不通の時間が長引いて「交通機関の都合で本社に到達できない」という結果を、ついつい神様に「ね、お願い」とばかりにお願いしてしまいました。

金曜の朝は、まだ特急と高速道路は不通のままでした。「今日は行けるかどうか分かりません」と電話して、内心うぷぷっと噴きながら、こりゃ遅れた仕事を片づけるのに都合がいいわい、とほくそ笑んでいました。が・・、やがて窓の外には晴天が広がり始め、高速通行止め解除の知らせが来てしまいました。
解除直後の大渋滞を抜けて、神奈川へ。

夕方からのイベントは、パーティーといっても立食パーティーであります。どうして立食パーティーで、あんなにたくさん酔っぱらいが出るのか不思議な光景でした。参加する前には、嫌だな、面倒だなと思っていても、その場に行ってしまえば、知っている人と話をしたりもして、それなりに意味は出てきます。
そう、AAのイベントに行くのと同じで、行ってそこで人と会うと何かが違ってきます。
とわ言うものの、ここは酒の席ですから、極めてつまらない人間的な言葉も飛び出します。しかし、静かに笑ってやり過ごせるのはありがたいことです。こういうときに、自分という人間が変化してきたことに気づかされます。トロ3貫食べたし。

往路が車なら、復路も車だと信じていたのですが、ドライバーはすでに飲んで顔が赤くなっていました。「どうすんだよ」と聞くと、「えー、宿取ってないんですか?」と問い返されました。マジ? 今から宿を取るのは面倒です。上司に相談して最終の「あずさ」で帰ることにしました。
飲み会を途中で抜け出して帰るのは慣れたものです。

町田の駅で、最終あずさの指定席を買おうとしたら、駅員に止められました。「中野の駅でポイント故障、それから機関車が故障して大月方面は不通です」

ああ、神様に「交通機関止めてください」とお願いしたばっかりに、電車が止まってしまいました(希望より12時間遅かったけど)。やはり、自分のためにお願いを祈ってはいけないのでありましょう。とりわけ、わがままなことは。

とりあえずスイカ(カード)で改札を抜けて八王子を目指そうとしたら、自動改札にとおせんぼされました。駅員に5分待たされたあげく、「カードの故障ですね。取り替えは明日にならないとできません」という結果でした。

鉄路が復旧して、豊田に止まっていた特急が八王子駅のホームに入ってきたのが11時近く。会社の近くの駅に着いたのが1時。出払ったタクシーを長々と待ち、会社の駐車場で自分の車に乗り換えて、家に着いたらもう3時近くでした。

おかげで「ビッグブックのスポンサーシップ」の日本語版を最後までゆっくり読めました。体はとても疲れたけれど、ともかく頭には来ずに一日過ごせました。それが何しろ一番ありがたいことでした。自分のために祈ってはいけない、とりわけそれを公言してはますますいけない、という教訓を得て。


2007年09月06日(木) 給油と野球と台風

さて、ハイオクにレギュラーを混ぜる実験を始めたのですが、それ以前に100%ハイオクの時点での燃費を計っておかないといけません。
満タン法で2回給油し、約70Lで約700Kmを走行しました。実燃費10Km/Lですな。
「えー!? そんなに燃費が良いの?」という声が聞こえてきそうですが、走行距離の大部分が(田舎の)高速道路を使った通勤で占められているせいです。最近は少々大人の運転を心がけています。定速走行を続ければ、ストイキ点付近での燃焼が続いて、カタログデータ並みの実燃費が得られることもあります。
(佐久のオープンスピーカー図へ下道で往復した分も入ってます)。
現在ハイオク:レギュラー比が50:50ぐらいですが、体に感じる変化はありません。燃費はどうなるか、次の給油待ちです。

さて、我が愛する楽天イーグルスは、現在パリーグの4位におります。チーム創設以来ずっと最下位だったのに、うるうる涙ものです。その4番バッター、お雇い外国人のフェルナンデス選手が、ホームランを打つたびに発表する談話がちょっと面白いので紹介します(ようするに今日は自分で考えて雑記を書く気合いがないのです)。

「人生には悪いときが必ずある。でも、心を静かに保て。暗い中にも明るい光が見えてくるはずだから」20号ホームラン

「人生とは野球そのもの。とにかく楽しむべきだ。それはなぜか。人生には悪いときが必ず来るけど、それに対してわれわれは何もできないからさ」19号ホームラン

「自分で選んだ道ならば、それを愛さなければならない。人生の80%は仕事。オレは野球が大好きなんだ」18号ホームラン

台風は伊豆半島付近に上陸したようです。明日は神奈川の本社で打ち合わせの予定ですが、果たして中央道は通れるのでしょうか。できれば、夕方の設立記念日パーティーと合わせて休みたいところです。ね、神様お願い(わがまま)。


2007年09月05日(水) カミングアウト

職場でアルコール依存症をカミングアウトはしていません。
現在の会社に就職するときに、面接で言っておこうかと思っていたのですが、その段になると他のことに気が行ってしまい、気が付いたら面接が終わっていました。といっても、前の会社から一緒に移った人間が3人いますし、そのうちの一人は僕の入院も知っています。

いろんな公共施設を禁煙にして悪名高い「健康増進法」では、会社は社員の健康状態の把握に努めること、という条項があるそうです。ところが会社が金を出して健康診断をやっても、個人情報保護法が壁になって、病院から情報がもらえません。
そこで、病院から情報をもらっても良い、という承諾書を提出させられました。まあ、それは別にかまいませんが。

で、健康診断の問診票に既往症の欄があるので、そこには他の病気と並んで「アルコール依存症」という病名も書くことにしています。問診では医者の「でも飲んでないんだよね」という質問にYesと答えています。だから、会社側は僕の病気を知っているはずです。おそらく直属の上司も、その上の上司も知らされているでしょう。だが、そのことは話題になったことがありません。

AAのことも(前の会社から一緒の連中も含めて)まるで分かっていないようであります。あえて説明しようとも思いません。

ただ、以前にAAのサービス関係で2泊3日、例え非常事態であっても、どうしても休日出勤どころか、基本的に電話連絡もなしで済ませたいことがありました。もちろん、その時期に仕事が火を噴かないよう努力もしましたが、念のために同僚に「この日あたりはどうしてもダメだからお願い」と頼んでおきました。
しかし、その時の事情の説明も、理解はしてもらえなかったようです。

なんか妙な誤解があるようで・・・。
僕は「夜どこかへ行ってなんかボランティアとかやってるらしいよ」という噂になっていて、そのおかげで全国どこへ行っても「知り合い」がいる変なヤツ、ってことになってるみたいですが、実害がないのでそのままにしてあります。


2007年09月04日(火) ひとつの principle たくさんの steps

西海岸アメリカ帰りの複数の仲間に「ステップは人それぞれ、原理は一つ」と教えられました。AAの原理は一つでも、ステップの解釈やり方は人それぞれで良いんだと。だから、先日の書評した本の中身は「ジョーのステップ」ということになるのでしょう。

それから、7月のAOSMでは「いろんなやり方の中で、たまたまあなたがそれを選んだことが、ハイヤーパワーだ」という考え方に出会って納得しました。

いろんなやり方があっても、根本の原理は一つで、その原理さえ信じていれば、やり方の違いには振り回されないですむと思うのです。そりゃまー、人のやり方を見て、そんなやり方でうまくいくのかよ、という反発は毎度思いますけどね。

「これこそが本物のステップのやり方」だとか、「これぞまさにAA」ってやり方があってくれれば、実にありがたいでしょう。そんなものを見つけたら、僕も歓声をあげて飛びついちゃうかも知れません。でも、そんなものはありません。
「真正のAAってのは、本の中にしかない」ってのが、現在のAAの了解事項です。本当にそうなのかどうかは分かりませんが、そう言うことにしといたほうが良いってのが、AAの知恵なんでしょう(特定の回復者をあがめるよりも)。

日本語訳では「本質」という言葉になっていますが、スピリチュアルな体験の<エッセンス>とは「自分より大きな力の存在を意識すること」だとあります(付録供法そういう目的地へと方向が向いているのなら、どの道を通っても同じ場所へ着くんじゃないでしょうか。

ハイヤーパワーはまず仲間を通して働くので、何であれまずミーティングに通わないと話になりません。でも、いつまでも仲間や、仲間の集まり(AA)をハイヤーパワーにしておくわけにはいきません。それだとどこかでステップが止まってしまいますから。どの道であれ、歩かないことには、前に進みません。


2007年09月03日(月) ハンドルうんちく

パソコンを電話回線で結んでネットワークを作り、文字を使ってコミュニケーションをすることが始まったのは1980年前後でした。それはちょうど完成品としてのパソコンが市場に出回り始めた時代でもありました。
それまでのパソコン(マイコン)というのは、回路設計からプログラムまで自作が必要な「敷居の高いホビー」でした。同じような趣味である「無線」から流れ込んできた人が多くいました。おかげで、初期のパソコン通信の世界は、無線を趣味とする人の文化がたくさん流れ込んできていました。

その例の一つが「ハンドル」です。handle を辞書で引くと「名前」あるいは「ニックネーム」という意味があります。

無線で交信する際に、本名では長くてわずらわしいし、識別信号では憶えにくい、そこで短いニックネームを使ってお互いを識別するようにしたのです。パソコンでの掲示板やチャットにも、ハンドルが使われるようになりました。

ハンドルについて何かルールのようなものがあるわけではありません。しかし「識別」を目的とする以上、いくつかの暗黙の了解があります。

・ハンドルは自分で名乗る
  →他の人が勝手にあだ名をつけるわけにはいかない。
・同じ場所では他の人と重複しない
  →別人と間違えては周りが困惑する。
・ころころとハンドルを変えない
  →別人だと勘違いすれば周りが困惑する。

これを逆手に取ることもできるわけで、たとえば他の人と同じハンドルを使って混乱させる(なりすまし)、複数のハンドルを使い分けて意見を誘導する(自作自演)、頻繁にハンドルを変えて別人を装う、などなど周りを困らせれば嫌われる原因になります。

ハンドルといえども、同じものを長く使い続ければ、その人と固く結びついてもはや匿名とは呼べなくなります(コテハン)。どんどんハンドルを使い捨てて匿名を維持するやり方もあります(捨てハン)。そもそも名前を使わないのが普通の巨大匿名掲示板もあります。

現実の世界でも、まじめな雰囲気の場所と、くだけた雰囲気の場所があって、それぞれに暗黙の了解も違うように、ネットの世界でも、場所によってふさわしい行動が変わってくるでしょう。


2007年09月02日(日) できることをする

とあるメーリングリスト(ML)で、メールによるオンラインミーティングが行われています。そのチェアを一年間担当して、先月末で任期が切れたところです。

今日は地元のAA地区のセミナーに、朝から参加していました。以前はAAのセミナーと言えば、廊下の喫煙スペースに人だかりができ、そのまま廊下で雑談にふける人が参加者の1/3ぐらいいた気がします。健康ナントカ法ができて、公共施設の館内でたばこが吸えなくなると、部屋の中で真面目に話を聞いている人の割合が増えた気がします。

さて本題。

回復とは人に何かを与えられるようになる過程だと思います。
飲んでいるアルコホーリクは、自分の渇望を満たすことが最優先になっています。回復とは、自分が「欲しい、欲しい」を連発するのをやめて、人に何かをあげられるようになることではないでしょうか。そして人に差し出すものの中で、物とか金というのは(実は)それほど惜しくないもので、時間とか愛情のほうが分け与えにくいものです。

何にせよ、人に何かを与えれば、自分の取り分は少なくなります。だからこそ、その行為を「自己犠牲」と呼ぶのでしょう。一見それは損に思えるものの、実は取り分を確保して手放さなかった場合より、(他のところで)補ってあまりある恵みが回ってくるわけです。このことはあまり難しく考えず、「情けは人のためならず」という言葉どおりで良いと思います。

しかし、なんでも自己犠牲ばかりしていれば良いわけではありません。
いつも誰かのわがままを無理に我慢して受け入れ、時間や愛情を与え続けたあげく、最後になって「もう我慢できない」と爆発して何もかも投げ出してしまうようでは、相手のわがままと大差が無くなってしまいます。もちろん、愛情とは我慢比べではありません。

ハビエル・ガラルダという人の 『自己愛とエゴイズム』 という本の中に、それを解決するのは自己主張だと書かれています。

それは「自分の水差しを葡萄酒で一杯に満たす事だ」と書かれていますが、酒が飲みたくなるといけないので「きれいな水で一杯に満たすこと」と言い換えましょうか。

自分の水差しから、皆のコップに水を注いであげる親切をして回ったあげく、最後になって自分の飲む分がないと恨み言を言い出すのは回復ではありません。水差しを満たす行為が自己主張です。

AAの先ゆく仲間を見ていれば、(自己犠牲の精神がある一方で)言いたいことを言い、やりたいことをやっている姿に気がつきます。それは一見わがままに見え、回復が足りないという誤解を生む事もありますが、まさに水差しを満たす行為を続けている姿です。

しかし、時には自己犠牲と自己主張が自分の中でぶつかり合うジレンマに陥ってしまうこともあります。その時は、良心の声に従えばよいのだそうです。ですから、僕らは自己犠牲・自己主張という表面に現れる「行動」のステージに留まらず、もう一段深い「良心」というステージでの回復を求める必要がでてきます。


2007年09月01日(土) ハイオク(その3)

JISの決まりでは、ハイオクガソリンのオクタン価(RON値)は96以上と定められています。エンジン側にも多少のマージンがあるようで、95以上なら良さそうです。実際に販売されているハイオクガソリンは、オクタン価98〜100程度だとか。

一方、レギュラーは89以上と定められていて、実際に売られているのは90〜93ぐらい。

さて、ここでハイオク50:レギュラー50の比率でガソリンを混ぜたら、どうなるでしょうか。仮にオクタン価がそれぞれ98と92だった場合、混ぜた結果は95になるはずです。うまくすると、エンジンはこれもハイオクガソリンだと思ってくれるかもしれません。
そうすれば、点火時期が変わることもなく、燃費が落ちることもなく、若干ガソリン代が節約できるのではないか・・・。

実際これを行動に移そうとしても、有人のガソリンスタンドしかなかった時代に実行するには、かなり顔の皮を厚くしないといけません。いくら僕でも、スタンドの店員に「満タンで。ただし半分ハイオク、半分レギュラーでね」とは頼めません。

しかし今やセルフのスタンド全盛です。そしてセルフのスタンドでは、どれだけ給油するか1リットル単位で指定できる店も珍しくありません。素知らぬふりをして半分レギュラーを入れることも可能かも知れません。

よし、これは「半分レギュラーガソリン代節約計画」を実行に移す条件がそろったのではないか・・・。ふふふ。そう思っているわけですよ。満タン法で燃費の推移を見守るにしても、実験の結果が出るには半年は条件を変えながら続けないといけないでしょうが。

最後に、ハイオク指定の車にレギュラーガソリンを入れても、走ることは走ります。しかし、ノッキングしやすさは、気温・水温・負荷によってころころと変わりますから、いくらノッキングセンサーをつけてアンチノック制御をしていても、ノッキングは起きてしまうでしょう。それに、5度以上も進角遅角を制御するには時間もかかります。エンジンの耐久性を考えるなら、ハイオク指定車に100%レギュラーを入れるのはやめたほうが無難だと思います。

レギュラー50%でも、それなりのリスクを背負った実験ですから、同じことを試すにしても自己責任でお願いします。

(この項おしまい)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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