心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2006年09月30日(土) スリップ

ある種の人々は、AA(や断酒会)とまったく無関係でも、無事に飲まないで生きていけます。5年とか10年とかのある程度長いスパンでみれば、そういう人はごく少数になってしまうでしょうが、それでも確かに存在してはいるのです。
何年間か通った後、AAを卒業してしまう人は多くいます。これもある程度長いスパンで見れば、彼らの多くは病気がぶり返してしまうものの、ある程度の数は無事に生き延びます。そのことは、僕がもらう年賀状の内容からもうかがえます。

自分がそういう「AAのサポートなしで無事にやっていける人間」であるかどうか。
それを事前に知る方法はありません。だから、試してみるしかないわけですが、相当分の悪い賭でもあります。とてもそっちに賭けてみようって気にはなれません。

1年後に飲んでも、10年後に飲んでも、結果は変わりません。長く飲まなければ、再飲酒しても軽くすむってことはありません。

自分の飲酒がコントロールできてないのを認めるのでさえ、多くの依存症者が嫌がります。ましてや、断酒という贈り物に感謝している自分が、いとも簡単にそれを投げ捨ててしまうとは、認めたがらなくて当たり前です。

短期間に再飲酒を繰り返し、なかなかお酒が止まらない人は、実は入院もしていないし、自助グループにも十分に通っていない事例が多いです。本院の言い訳はいつも同じで「時間がない」というわけです。
そうするとハイヤー・パワーは、その人から仕事だとか家族だとかを取り上げてしまいます。今度は「時間がない」という言い訳ができなくなって、やっと回復に向かうというわけです。

いったん安定した断酒にたどり着いた後で、自らケアを中止してしまう事例でも、プロセスは同じだと思います。時間がないと言いながら、自助グループから遠ざかり、スリップする。再び自助グループに戻ってこれれば幸いです。でも、条件が変わっていなければ、また同じことを繰り返すだけです。
仕事や家族や社会的立場を取り上げられるまで、変わらない人もいます。

ハイヤー・パワーに取り上げられる前に、自分で自分の生活を見直すことが必要なんだと思います。仕事や家族が問題なのではなく、自分が変えたくない何かが邪魔していることが多いものです。


2006年09月29日(金) cod と liver

先週は5回AAミーティングに行けたとおもったら、今週はまだ一度も行っていません。明日土曜日も脱穀のために実家に泊まりがけで行くので、今週は一度もAAに参加せずに終わるのでしょう。
それは単に自分がミーティングに行けてないというだけでなく、自分以外のアル中さんと一度も会うことがなく、話すこともなく、一週間が過ぎていってしまうことを意味しています。
もちろん、コンピューターネットワークの向う側には、たくさんの人々がいることは分かるのですが、そういう人たちが僕に「自分自身を見つめることを強いる」ことは、あまり無いのであります。

ミーティングで「たら」「れば」を話しても仕方ないよ、とはスポンサーに言われたことです。もし、依存症になっていなかったら・・・あの時の仕事をまだ続けていたかも知れない、とか。もし、別の親の元に生まれていれば、とか。もっとストレスのかからない人生を選んでいれば、とか。

「もし〜だったら」にはまり込む気持ちは「後悔」でしょうか。
後悔だとすれば、そこには悔しい気持ちがあるのでしょう。その悔しさは貧乏くじを引いた悔しさと同じですね。世の中にはそのような不幸にぶち当たらずに、幸せに暮らしている人も多いだろうに、なぜか自分は不幸の割当量が多いように思われるわけです。

そのように、自分を哀れな運命の犠牲者と位置づけるのは、一種の「逃避」だと思うようになりました。「たら」「れば」を繰り返すのは、自分は現在の人生には絶対満足したくないと宣言するようなものであります。
別の自分にはなれないのですから、それは幸せになりたくないと言っているのと同じになります。自分以外の誰かが、自分を幸せにする義務がある・・・なんだけれど、その誰かはまだ現れないみたいなので、とりあえず現実からの逃避を繰り返すのが楽な道であります。

人が「たら」「れば」を話しているのを聞くのは、心地よいものではありません。でも、自分が同じ事をしているとはなかなか気付かないものです。

まあ、たらちりもレバニラも好きであります。


2006年09月26日(火) 伝説のワタシ

おお、雑記のネタがないときに、救世主が。

伝説のあなた

「伝説のあなた」とは?
あなたの伝説を読む事が出来ます。
運が悪ければ生まれてすぐに死んでしまいますし、
運が良ければいつまでも生き続ける事ができるかもしれません。
すべてはあなたにかかっています。
さぁ、名前を入力して、あなたの伝説の扉をあけてみてください。。。

・・・

「ひいらぎ」の伝説

桃から生まれた ひいらぎ。

というのはウソで、本当は、

やっと「テレホーダイ」に加入、しかし番号を間違えて翌月5万円の請求書に落ち込む。

が、3日で飽きて投げ出す。

21歳にして「しゃらくさい」の「しゃら」の謎を解いたひいらぎは神童と呼ばれる。

27歳、降格処分になり、三年間派出所勤務。その後湾岸署に戻る。

J9のメンバーに加わり、ビリー ザ ショットと呼ばれる。

ひいらぎは42歳で、念願のスチュワーデスになった。

しかし父はそんな娘を許すはずはなかった。

47歳のとき、見合いをするため事前に会場へ下見にいきウエイトレスに横恋慕。もちろん見合いは破談。

ある日突然現れたもう一人の自分と死闘の末、刺し違えて命を落とす。享年51歳。

・・・

おお、アル中の平均余命っぽいぞ。

なぜ、突然もう一人の自分が現れるのか考えてみました。
「過去に戻って自分を殺してやろう」とタイムマシンで未来からやってくるのであります。これぞタイムマシンのパラドックス「自分殺し」。
もちろん、自分が将来そうすることは分かっていますから、「しゃらくせえ、返り討ちにしてやるぜ」という気分で待っているわけですな。

それにしても、シャラって強烈に臭いますよねぇ。


2006年09月25日(月) 腹減った

「腹減った」と「テラコッタ」はどこか似ているような気がする・・・。

お腹がすいたので、カップヌードルを食べるためにお湯を沸かしています。
春ぐらいから、夜食をカップラーメンから春雨ヌードルに変更していました。味が薄いものは食べた気がしないので、チゲ(っぽい)味のを主力に、ときどき担々麺(っぽい)味のを食べていました。
まあそれで、200〜300キロカロリーづつ節約できたわけですね。

でもさすがに飽きてきました。やっぱり普通のカップラーメンは美味しいですな。体重も再び増加に転じているかもしれません。

東京のアパートで暮らしていたときは、自炊をしていませんでした。だから、食事は全部外食か、コンビニでした。
夜に家に戻ってくる途中で、食堂に寄って夕食をすませようか、それとも、ほか弁かコンビニで何か食べるものを買って帰るか・・・、そんな思案をしているうちに自宅まで着いてしまうのでした。
24時間酔っぱらっているぐらい毎日飲んでいましたから、食欲なんてものはありません。ただ、空腹感を癒すためだけに食べているのでした。外食もコンビニも面倒くさくなるわけです。

でもアパートの部屋の中で、空腹なのは不快であります。重い腰を上げて、もう一度食事のために外出しようと試みるのですが、もはや尻に根っこが生えて腰があがりません。
そう言う場合にどうしたか・・・、ドライジンをコップに満たして飲むのでありました。すると、空きっ腹に火酒が染みわたって、胃がかっと熱くなってくるわけです。これで元気出して外出しようとするのですが、毎日飲んでいるので酒の回りが速く、すぐに泥酔して「晩飯なんてどうでもいい」気分になってしまうのでした。

翌朝はひどい二日酔いと飢餓感で目が覚め、目の前のコップに残っていたジンを飲み干すのであります。当然朝食なんて食べられたもんじゃありません。重い体を引きずって仕事に行き、結局まともに食べるのは昼食だけでした。
そうやっているうちに、体重は四十数キロまで落ちました。痩せたかったわけではないですが。まあ狂気ってやつですね。

それが今や、お腹に余分な脂肪を蓄えるまでになり、夜食に何を食べるか腐心しているというわけです。根元が見えないし。


2006年09月24日(日) 道州制

新首相は「道州制」導入に熱心ななんだと聞きます。
道州制ってなに? とおっしゃる方も多いと思います。僕もよくは知りません。というのも、道州制とはこういうものだと決まった形があるわけじゃないのです。
ただ、いろんな話に共通しているのは、都道府県を廃止して、それより大きな「道」または「州」という単位の行政単位を作るというアイデアです。
どういうメリットがあるのかよく分からないのですが、新しい税金の使い道を作ろうという意図を感じますね。国も地方も借金をしまくって、もうこれ以上借金はできませんよ、これからは支出を抑えて地道に返済してください、と言われているわけです。そこで新しい行政単位を作って、そこに借金させればいいだろうという考えでしょうか。だとすれば、まるで息子の名義で借金をする父親であります。

それはともかく、道州制では全国を10個くらいに分割します。北海道と沖縄はそのまま道になり、あとは東北・北関東・南関東・中部・関西・中四国・九州といった感じ。東北と九州をそれぞれ南北に分けるかどうか、東海と北陸を分けるか、中国と四国を分けるかで、いくつかバリエーションがあります。

長野県はどこに入るかというと、たいていの案では北関東の仲間です。
茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・長野県という集まりで、埼玉が抜けて新潟が入ったりする案もあります。北関東州の州都はどこになるのか? やっぱ埼玉でしょうか(埼玉が抜けた案では高崎?)。
長野県の北東の方から埼玉に行くのは簡単です。新幹線か関越道でいけばいいのです。でも、中南部から中央線か中央道で行くと、いったん東京に出てから埼玉に向かうことになります。

そもそもなんで、関東がひとつの州にならないのか。経済力で他の州と格差が大きくなってしまうので、分割せざるを得ないのだとか。もっとも、北関東と南関東に分けず、東京とそれ以外という案もあります。

名古屋との結びつきが強い南部を除けば、長野県が「北陸の仲間」だとか「東海の仲間」という意識は薄いです。まして「北関東」という意識はありません。あえて言えば東京圏の最外縁部という意識でしょうか。

いっそのこと、道州制導入時に長野県を分割してしまおうという案もあります。ただし、その場合、北半分は北陸へ、南半分は東海へってことらしいです。

政治家には、もっとほかに考えるべきことがあるんじゃないかと思います。


2006年09月23日(土) リハビリ

日本ではアルコール依存症に対して「リハビリ」という言葉は使いません。

rehabilitation を辞書で引いてみると、to help sb to live a normal life again after an illness, being in prison, etc. 病気、服役のあとで、ふたたび普通の生活に戻るのを助ける、という意味です。

依存症の治療は病院を退院したところで終わりになるんじゃなく、その後も長いリハビリの日々が待っているわけです。なだいなだの本では、それを「養生」と呼んでいます。

養生=病気・病後の手当をすること。

リハビリに失敗すれば、病気が再発する=再飲酒となります。ただ、アルコール依存症は治癒することがないのですから、「再発」という言葉にはいつも違和感があります。完全に治らないのですから「ぶりかえし」と呼ぶ方が合っていると思います。
何年経ってもぶり返す可能性はあって、それは死ぬまで続きます。

だから、AAメンバーが飲まずに亡くなったという話を聞くと、悲しみの感情とともに、「無事に目的地に着いて良かったね」という感情を共有することになります。

アメリカの治療施設には、alcohol rehabilitation center という名前を使っているところがたくさんあります(一般名詞は treatment center?)。ここではランダムに選んだあるリハビリセンターの、一日のプログラムを転載してみます。

午前
  6.30 起床
  6.40 祈り
  7.00 〜 8.00 ヨガ・黙想
  8.00 〜 8.45 髭剃り・風呂
  9.00 〜 9.30 朝食
  9.30 〜 9.50 沈黙の時間
 10.00 〜 11.15 セラピー・セッション
 11.15 〜 11.30 お茶
 11.30 〜 12.45 ステップワーク・内省
午後
  1.00 〜 1.30 昼食
  1.30 〜 3.00 休憩
  3.15 〜 3.30 お茶
  3.30 〜 4.15 考え方と感じ方
  4.15 〜 5.00 オーディオとビデオのセッション
  5.00 〜 6.45 レジャー(ゲーム)
  7.00 〜 8.00 AAもしくはNAミーティング
  8.00 〜 9.00 レジャー(TV)
  9.00 〜 9.30 夕食
  9.30 〜 9.45 テレビニュース
 10.30 消灯

最近、桃や梨や葡萄をよく食べます。子供たちは大好きです。
買ってくる場合もありますが、親戚からもらうものも多いです。なにかお返しをしなくちゃと思うのですが、田畑を耕していないので作物は採れません。どうしたものか。
それにしても、食べ物の贈り物というのは素晴らしいです。食べればなくなってしまうところが素晴らしい。


2006年09月21日(木) Think Think Think

プロ野球のシーズンも終わりに近づいています。
僕が愛する楽天イーグルスは、ここまで129試合を消化して、43勝82敗4引き分け。勝率.344です。一応イチローの打率は上回っています。
残り6試合を全勝しても50勝に届かないですが、ファンとしては満足しています。首位と33.5ゲーム差ってのも、別にパリーグじゃ珍しくないです。
正直言って、58勝ぐらいして欲しかったのですが、岩隈もパワーズもいなかったのだから仕方ありません。去年はこの二人の投手であわせて16勝したのに、今年は岩隈の1勝だけ。差の15勝を足せば58になる計算です。
ふつうこんな成績だったら監督はクビでしょうが、他にやる人もいなそうです。

勝つことだけが喜びであるなら弱小球団の応援などしません。以前の阪神タイガースは比類ないほど弱かったし、千葉ロッテが日本一になるなんてロッテファン以外は信じてませんでした。そゆことです。

ファンとは言っても仙台まで応援に行けるわけもなく、ラジオと新聞とスポーツニュースという狭い窓を通して見ているだけです。今年は長野で対スワローズ戦があって、古田との師弟対決を楽しみにしていたのですが、仕事が炎上して見に行けませんでした。

そういえば、監督ノムラは11月の日米野球の監督を仰せつかっているのだとか。ナガシマは脳梗塞のリハビリ中ですし、オーも癌の手術から復帰していません。人材がいないのでしょうか。ホシノ? 誰でしたっけ? ああ、ノムラの残した資産で優勝した人ね。
今年はメジャーリーグ側も気合いが入っていそうで、今から楽しみです。(だって、日本シリーズ関係ないんだもん)。

話は変わって、今週は月曜日から毎日AAミーティングに出ています(今日は病院メッセージ)。自慢するほどの事ではないですが、最近の自分では珍しいです。まあ、たまたまです。
今頃毎日出たところで、大して変化があるもんじゃありません。最初の1年か2年の心がまだ柔らかいうちに、どれだけたくさんミーティングに出て、どれだけ人に会い、どれだけ話を聞くかが大切なんだと思います。それがその人の資産になって、後々支えてくれるでしょう。

今日の表題は、AAのスローガンなんですが、日本では余り使われません。

「酒をやめるより大切なことがあると思うなら、言ってみなさい」
・・・
「じゃあ、酒を飲みながらそれができるか、考えてごらん」


2006年09月19日(火) 厳罰化

こんな話はニュースサイトの解説記事にいくらでも載っているのでしょうが、まあ雑記もネタ不足なんで。

元来刑法は、故意による犯罪は重く裁き、過失による犯罪は軽く裁く傾向があります。
例えば殺人の最高刑は死刑です。判例では、3人殺せばたいてい死刑、1人なら最高でも無期懲役、2人が境界線らしいです。それに対して過失致死は罰金刑しかないので、刑務所にはいることはありません。
何でこんなに違うのかといえば、刑法が定められたのは明治四十年代。複雑な機械が普及した時代ではなく、日常生活の中で過失で人が死ぬことなんて考えられない時代だったからなのだそうです。

業務上過失致死ってのは5年以内の禁固懲役。業務ってのは仕事に限らず、日常生活で繰り返し行うこと全般が含まれ、車の運転も入ります。なぜ普通の過失致死より、業務上のほうがずっと重いのかというと、危険な機械を日常的に使う人間には、大きな注意義務が背負わされているのであります。
車を運転して人をひき殺してしまった場合は、この業務上過失致死(業過)罪に問われることになるます。

泥酔して車を運転し、事故を起こして人を死なせる事件があっても、最高で5年の刑にしかならないのは「軽すぎる」という意見があって、新設されたのが「危険運転致死傷罪」。こちらは最高刑が20年と、人生を棒に振るには十分な刑でありました。これは過失じゃなくて、故意だよと(準故意犯)。

しかし、この「危険運転致死傷罪」には意外な落とし穴があったのです。
危険運転に問うには、飲酒運転だったことが証明されないといけません。そこで、事故を起こしても被害者の救護なんて行わずに現場から逃走してしまう人間が現れました。そして翌日酒が冷めた頃に警察に出頭します。そのころには呼気にアルコールが入っているわけもなく、危険運転致死からは逃れられるわけです。
業過が5年、ひき逃げが5年。併せて10年になるかというと、そうはなりません。併合罪はいちばん重い罪の1.5倍までですから、7年半が最高刑。20年の約1/3で、ずいぶん「お得」です。

福岡で子供3人が死んだ事件では、犯人は壊れた車で現場から逃走を試み、さらに友人に水を持ってこさせて大量に飲み、飲酒をごまかそうとしました。

こういう「逃げ得」の事実が知れ渡って、結果としてひき逃げの件数がそれまでの2倍、約2万件に増えてしまったのだそうです。

それで今度はひき逃げの罪を重くするんだそうです。8年ぐらいにすれば、業過とあわせて10年ぐらいの量刑が増えるとか。まあ、ひき逃げは故意犯だからなぁ。

それにしても、なんというか「いたちごっこ」であります。救護があれば助かったはずの命が失われた場合だってあるでしょうから、被害者にとっては殺人に等しい行為で、厳罰もやむを得ないのかもしれません。そうして厳罰化のあげくに、やっぱり飲酒事故が減らなかったりすると、今度は全部の車にGPS付きのドライブレコーダー搭載が義務づけられる日がくるのかもしれません。


2006年09月18日(月) 断酒会

病院内での「断酒会」ってものには結構な回数出席しましたが、まああれは病院のプログラムにすぎません。
地域の中でやっている断酒会に出席した回数は5回ほどでしょうか。

地元でAAミーティングを始めるときに、近隣の断酒会に挨拶回りに行きました。3会場だったかな。それから入院中の知り合いに会いに2〜3回、別の会場に行ったこともあります。
男の本人ばかりでしんみりとやっている断酒会もあれば、ほとんどが夫婦者で、奥さんたちがお茶を入れてくれたり漬け物を出してくれたりというところもありました。
AAを始めるんですよと言えば、「そうかお互いにがんばって発展しよう」と励ましてくれるところもありましたし、敵意むき出しってところもありました。まあ、一昔前の話ですから。
おじ(い)さんたちばかりで、女性の本人は少なかったです。まだアメシストの会は存在していませんでした。

人々の話の内容はまったく覚えていませんが、「体験談に始まり体験談に終わる」と言われるとおり、体験談に終始しているという印象だけは残っています。
たぶん毎回同じ話をしているんだろうと思ったりもしました。でも、当時僕が通っていたAAは人数が少なくて一人20〜30分は話したので、人の話を聞いていれば「ああ、またあの話か」「今度はこの話か」と思いながら聞いていたぐらいなので気になりませんでした。
親への恨みを1年間話し続けたというAAメンバーがいましたが、同じ話を1年間続ければ、恨みも何かに昇華してしまうのかもしれません。自分を苦しめている感情とそこまで徹底して向き合っていれば回復もするだろうと思います。ここでも「中途半端は何の役にも立たない」ってことでしょうか。
まあ、どこにでも従順なふりをする人はいるもので、自分を変えたくないのだけど、疎外されるのも嫌なので、とりあえず人と同じ言葉を話している人もいるわけです。それはAAも断酒会も変わらないんでしょう。

断酒会に出席するたびに、大学ノートを差し出され、住所と名前と電話番号を書くように求められました。AAのやり方に慣れた人間にとっては、戸惑うばかりでありましたが、断る度胸もありませんでした。それで何があったわけでもありませんが、翌年正月に知らない人から年賀状が届きました。いったい誰なのかしばらく思案したのですが、たぶん断酒会の会長だろうと結論しました。
自助グループには伝搬性が必要なんだと思います。断酒会にしてもAAにしても、同じような自助グループにしても、福音を広めようという動きがなければ、次第に縮小均衡の道をたどるようであります。その年賀状にそんなことを考えました。

断酒会とAAと似たようなのがふたつあるのが良くないと言われた時期もありました。
断酒会に誘われれば「私には断酒会は合わないのでAAに行きます」と断り、かといってAAに行くでもない人が出始めたのです。(AAのほうには、もう来ませんと断りに来る人は滅多にいないんですが)。AAが断酒会に出席しない言い訳に使われているってわけで、断酒会の人からも、病院の人からも「困ったもんだ」と言われたりしました。やがてそういう言い訳をする人は、元々どっちにも行きたくない、いやそもそも酒がやめたくないんだと理解が広まるにつれて、無用な軋轢も減っていきました。

新潟から長野に来て、また新潟に戻ったAAメンバーが、長野に残した荷物の整理に来ていると聞いて、挨拶もかねて峠の向こうのAAミーティングへ出席しました。
この3年間で、僕に何らかの霊的変化が起こりました。彼との出会いが重要な要素であったことは間違いありません。だから一言感謝と思ったのですが、別れ際に出た言葉は「機会があったら、また会いましょう」だけでした。
新潟市より向こうに行くことは滅多にありません。でも、必要があれば、また会わせてもらえるでしょう。それでいいのだと。


2006年09月17日(日) 10万ヒット御礼

ホームページの最下段に置いてあるアクセスカウンターが10万を超えました。僕がどんな風に力んでみたところで、一人で成し遂げられるはずもなく、これもすべて訪問してくださる皆様のおかげであります。ありがとうございます。

一番下には、ホームページを設置した時に借りた外部カウンターがそのまま置いてあります。そちらのほうは13万ぐらいです。その外部カウンターがまともに動作しない時があったので、業を煮やして自作のカウンターをくっつけてしまったのでした。それから2年半です。

「心の家路」全体からすれば、頻繁に更新されるページは<日々雑記&ニュース検索>ぐらいのものです。そこと掲示板を除けば、他は多くても月に数回の更新、少ない時には2ヶ月更新がなかったりします。

最初にサイトを開いた時に、掲示板と日記(日々雑記)は別の場所に置いてありました。雑記を置いたのは、更新の少なさをごまかすため。掲示板を置いたのは、掲示板とかメールアドレスの公開とか、そういうフィードバックの機能を持たないとヤフーのディレクトリに登録されにくかったからです。

日記はとりあえず1日分だけ本体に取り込んだし、掲示板もなんとかしました。最初の頃に「いつかは統合する」と書いておいたのですが、だいぶ時間がかかったものの、その公約?も実現できたと思っています。
あとは、日々雑記の過去記事を本体に統合したいところです。
しかし実は、それはどうしようか迷っています。

雑記のほうは依存症だとか自助グループのことばかり書いているわけじゃありません。違う話のほうが多いです。そういう文章を大量に本体に混ぜてしまうと、Googleとかの検索エンジンにとってはあまりよろしくないようです。
だから、雑記の過去記事は統合しないで、別の所に置いたままにしておこうと思っています。先月そこのお金を1年分払いました(900円)。

雑記の副題は、今は縮めてしまって「飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常」になっていますが、以前はそれに「自助グループへの諦念混じりのつぶやき」という言葉が続いていました。単に長すぎるから削っただけです。

今後も自助グループがらみのいろんな事にぶつぶつ言って、ドライドランクっぷりを晒していきたいと思っています。よろしければ、今後ともおつきあいください。

日ごろの感謝をこめて。

ひいらぎ拝


2006年09月16日(土) 何が承認出版物?

AAには評議会承認出版物ってものと、そうじゃないものがあります。
NYのGSOや、東京のJSOが、承認出版物ばかりを出版しているわけじゃありません。そこのところが、どうも勘違いされていると思うのであります。

なにが承認出版物なのかアメリカカナダではハッキリしています。とうの本の中に、Confference Approved Literatureと明記してあります。それが書いてないのは、違うわけです。ビッグブックや12&12のほかに、細かいパンフレット類まで、表示されるべきものには、きちんと書かれています。

当然アメリカの評議会は、本の内容を承認しているわけです。だから、ちょっとした本になると3年も4年もかかっています。同じ本でも、AAグレープバインから出ている本は承認されないようです。
グレープバインはAAメンバーからの投稿で成り立っており、そのひとつひとつの投稿がAAプログラムを正確に反映しているかどうか、評議会は判断しないってことでしょうか。この点ではビル&ボブも特別扱いされておらず、The Language of the Heart(心の言葉)という分厚い本は、すべてビルの書いた記事だけで成り立っていますが、Approvedの文字はありません。
GSO側でも承認出版物でないものを出しています。その多くはサービス関係であるか、グレープバイン由来であるか、定期刊行物ですが、「伝統のチェックリスト」とかが入っていると言ったら意外でしょうか?

日本の場合には、何が承認出版物なのか、ハッキリしていません。
「アメリカカナダの承認出版物を日本語に翻訳したもの」については、異論はなさそうです。できあがった翻訳はアメリカの送られ、質がチェックされてOKが出れば、契約書にサインしてようやく出版になります。そういう手順を経て、英語が日本語に置き換わっただけで中身が同じだと担保されるわけです。

日本の評議会は、アメリカの承認出版物は全部翻訳すると決めています。はたして、アメリカ・インディアンのためのパンフレットまで日本で出版することに意味があるのかわかりませんが、ともかく決めた以上翻訳はするんだそうです。
評議会の決定はそれだけサービス機関を拘束するほど重いのです。

日本語オリジナルの本はどうなのか? 「回復への道」のような。
少なくとも中身が評議会で承認されたことはありません。そんな能力もありません。この本がAAのプログラムを正確に反映しているか判断しろって言われても困るでしょ。毎年「この本を出します」という出版計画だけを承認しているのです。
できないことはしない、それも良心の実践なんでしょう。

ミーティング・ハンドブックは、いろんなAAの本からの抜き書きですが、文章が書き換わっているし、編纂されたものを承認出版物というのは無理があるでしょう。そう呼びたいという気持ちも分かりますが。

BOX-916とか精選集も、AAグレープバインと同じ理屈で、個々の記事の中身について評議会がどうこう言う事じゃないでしょう。

そもそもどれが承認出版物なのか、ハッキリ決めごとがない。そして「承認出版物に準じる」ものが、数的には大量に出ている。AAグレープバインやBOX-916は、明らかに違う。

AAのプログラムを改変せずに伝えていくってことは大切なことです。でも、「AAミーティングでは評議会承認出版物だけを使う」なんて言い出す前に、サービススポンサーに質問してみるべきですね。知らないことは恥じゃありません。質問しないことが恥ずかしいんです。サービス活動にだって専用相談相手は必要ですよ。

僕も承認出版物は大切だと思います。だから、ミーティングハンドブックのように、AAプログラムのごく一部だけを抜き出した特異なものは、JSOで出版するのは止めるべきだと思っています。使いたければ個々のグループで使えばいいんです。承認出版物だけを使うなんてルールはないんですから。


2006年09月15日(金) やっと余裕が

久しぶりに真面目に働いていました。
というか、普段から真面目に働いていれば、こんな目には遭わないんですけどね。
お盆明けから次第に涼しくなっていくにつれ、暑さで参っていた体が少しは楽になるかと思いきや、逆にしんどくなっていきました。
昼間は汗だくになる暑さで、夜になるとTシャツと短パンでは風邪をひきそうな気温に下がります。そういう気温差に体がついて行けなかったのでしょうか。脆弱であります。

一週間五日のうち二日半を休むようなことをしているうちに、仕事がどんどん遅れていきました。納期を延ばしてくださいと言い出せないまま、「その日」がどんどん近づいて来てしまいました。おかげで徹夜であります。
こんなことになるんだったら、毎日こつこつとやっときゃ良かった。毎度そう思うのですが、そのようにはならずに20年以上、この仕事をしています。

もちろん、僕以外の仕事も着々と遅れています。

機械同士を接続してみたものの、全然通信ができません。要するに、機械どうしが意思疎通できないわけです。
人間どうしが意思疎通できない時は、気持ちがギスギスします。そして、機械どうしが意思疎通できない時も、やっぱり気持ちがギスギスします。もっとも、機械は気持ちを持っていないので、ギスギスするのはそれを管理している人間どうしですが。
大切なのは、忍耐と寛容とセルフチェック。原因を相手に探し求めると、どっかでお返しをもらいます。機械が壊れていることは滅多になく、たいてい人間の勘違いです。
そういうインターフェース部分が5ヶ所もあって、さすがに時間がかかりました。

機械屋さんの工場では5時半に全員が帰ることは滅多にないです。でも、どれぐらい遅くまでやるかの流儀は会社によって違います。7時過ぎに「もう今日はこれで上がりましょう」と言う会社もあれば、8時に全員で夕食を食べに行って、さあこれからが本番だぁって会社もあります。
始めていく工場だと、それがどっちなのか、朝から気になります。やっぱり7時までと、日付が変わるのではペース配分が違いますから。

おかげで山を越し、週末はゆっくり眠れそうです。


2006年09月12日(火) 孤独な病気

昨日の Murder is Murder ですが、書いた後で Killer is Killer だったかもしれないと思い出しました。

福祉事務所のケースワーカーの話として伝わってるものがあります。
アパートで孤独死をする人がいます。その現場に行ってみると、ほぼ必ず酒瓶がころがっているんだそうです。
別にアルコール依存症と決まったわけでもありません。けれど孤独死と酒瓶はセットなんだそうです。

一般にはアルコールが孤独をいやしてくれると考えられているのでしょうか。
現実生活の憂さをアルコールが晴らしてくれるのは確かです。ただし、アルコール依存症になる人は、その開放感が普通より強いという仮説があります。飲んだときの開放感がたまらないから、もっと多くの酒を飲みたくなり、そしてやがて依存症になるという説です。酒を飲んでもあんまり気持ちよくならない人は、依存症にはなりにくいわけです。まあ、そういう相性はアルコール以外のもの全般にあてはまるのでしょうけれど。

どうして人より開放感が強いのかについては、より強いストレスを受けている場合と、ストレスが強くなくてもストレス解消が下手な場合が挙げられていました。自分を振り返ってみると、僕は高ストレス下にあるから酒で癒すことが必要なんだと自分に言い聞かせていましたが、単にストレス解消が下手だったのに過ぎないのでしょう。

人口の2割ぐらいがアル中だったら、飲んでいたころの自分もそれほど孤独や不安を感じなくて済んだのかも知れません。でも実際には、アル中は高校の同級生に一人いるかいないかぐらいの率です(計算いい加減です)。

飲み過ぎてしまう自分の弱さを理解できる人間なんていないと思っていました。どこへ相談すればいいかも知りませんでした。いや、実際には相談先はいっぱいあったはずです。命の電話で病院やAAを紹介されたという仲間もいました。ともかく104へ電話して、最後はJSOの番号にたどり着いたというツワモノもいました。でも僕は、自分の悩みはどうせ誰にも理解できないだろうと、決めてかかっていたのです。

そうやって、僕も孤独と酒瓶をセットにして抱え込んでいたのでした。


2006年09月11日(月) Murder is Murder

Cannes Lions というコマーシャルの国際コンペがあります。
カンヌCM大賞とか、カンヌ国際広告祭とか、インターナショナル広告フェスティバルとか、いろんな和名がついてます。毎年、各国から応募されたCM作品の中から、グランプリがひとつ、あと金賞と銀賞がいくつか選ばれます。日本の作品も選ばれています。

以前は受賞作をストリーミングで無料で見ることができました。
各国の国内向けのCMですから、当然言葉は日本語じゃありません。でも、画面を見ているだけで伝わってくる面白さがありました。残念ながら、現在は有料になってしまいました。
以下は、無料だった時代に見たものの記憶です。だから、結構違っているかも知れませんが・・・。記憶に脚色も着いてるだろうし(と予防線を何度も張る)。

で、中には言葉が分かってもさっぱり理解できないものもあります。
Murder is Murder というのもそのひとつ。

CMが始まると、人相のすごく悪い男がカメラに向かってしゃべっています。顔にも体にも傷跡があるあたりが、いかにも凶悪常習犯という印象を与えます。
彼は、顔の傷を指さして「これはトイレで同じ囚人に襲われたんだ」、胸の傷を指して「こっちは食事中に」、腕の傷を指して「こいつは寝ているときにやられたんだ」。
「どうだい、刑務所ってのはひどいところだろう。あんたも入りたいかい?」
最後に画面に Murder is Murder と出ておしまいです。

解説を読まないと何のCMなのかさっぱり分かりませんでした。
これは、オーストラリア政府が飲酒運転撲滅キャンペーンの一環として流したCMで、その標語がMurder is Murder(殺人は殺人だ)。
ナイフで刺し殺そうが、拳銃で撃ち殺そうが、飲酒運転でひき殺そうが、殺人は殺人だというのです。政府がそういうショッキングな言葉でキャンペーンをしなければならないほど、彼の地の問題は深刻だってことなのかもしれません。

日本でも今日から「飲酒運転取り締まり強化週間」が始まったのだとか。

伝聞情報ですが、テレビ局が飲酒運転の番組を作るそうで、セントラルオフィスに問い合わせがあったそうです。番組の構成を考えるために、飲酒運転の事故の経験が欲しいらしいです。自分の経験が役に立つかも知れないと思った仲間は、AA関東甲信越セントラルオフィスまで電話で問い合わせていただきたい。


2006年09月10日(日) 痴情派デジタル

この田舎でもテレビ地上波のデジタル放送が始まります(NHKはすでに始まっています)。
でも、それに合わせてテレビを買い換える予定はありません。

何のメリットがあるか分かりません。
ゴースト信号がなくなるというのはメリットかもしれません。
録画したビデオテープを棚に並べることを趣味にしていたころなら、絵がキレイになると小躍りして喜んだかも知れません。アニメだと特に目立ちますからね。しかし、今は録画なんて滅多にしません。

ハイビジョンには用がないし、貧弱な双方向通信に興味もありません。
ハイビジョンじゃなくても画面がキレイになると言われても、実際にはそんなに高いビットレートの放送が行われているわけじゃないし、動きの激しいサッカーなんかのスポーツ中継ではブロックノイズも目立ちます。

悪名高いコピーワンスの仕組みは、今年から来年にかけて見直しが行われそうです。
録画したもののコピーを制限するんじゃなくて、コピーしたものの再生に制限がかかる仕組みが有力だそうです。これなら家の中で何度コピーしても良いわけですから、まだましと言えるでしょう。
問題なのは、すでにコピーワンス機能を搭載して売られてしまった録画機がどうなるかです。ファームウェアの書き換えで更新できる機械もあるでしょうが、もはやメーカーのほうで古い機種のサポートなんてしたくない場合もあるでしょう。
そうなったら、新しい録画機を買い直さないといけません(そんな義務はないけど)。

中継所の数も1万5千局から1万局に減る予定です。減った5千局からの電波を受信していた世帯では、いずれテレビが見られなくなるわけです。新たに共同受信設備を作るしかないのでしょうが、その費用の個人負担もかわいそうな話です。
そして、どうやっても地上波が受信できなくなる世帯も10万以上になるとか。インターネットを使ったブロードバンドで解消とか言っていますが、テレビの電波が届かない場所に、ADSLや光ファイバーが届くわけがありません。
結局のところ、BS2の内容を地上波の総合と同じに(サイマル放送)にしてお茶を濁すんじゃないかと思われます。

我が家のテレビが買い換えられるのは、5年後のアナログ停波の時でしょう。その頃には小型テレビはみんな液晶になって、テレビの上で猫が丸くなっている情景も過去のものになるんでしょう。


2006年09月08日(金) ニュース検索

このページ の下の方にあるニュース検索。自作のPerlスクリプトを、cronで4時間おきに走らせています。

検索の対象は、毎日新聞・日刊ゲンダイ・朝日新聞・日経新聞・ヤフー! ニュース・Google ニュース・livedoor ニュース。
読売や産経が嫌いなわけではありません(好きでもないですが)。このふたつは検索にgooのエンジンを使っていて、検索結果に意図しないものが混じることが多かったので、とりあえず最初に見送ったまま、ほったらかしになっているだけです。

苦労したのが、新聞(ニュースサイト)の検索方法や、検索結果の表示が、しょっちゅう変更になることでした。ニュースサイトがどうやって読者に記事を検索させるか、試行錯誤していたのに付き合わされたという感じです。
そのたびにPerlのスクリプトを手直しする羽目になりました。最近では変更されることはめったになくなりました。

複数のサイトを検索しているので、どうしても同じ記事が複数引っかかります。見出しが大体同じで、日付が同じ記事はまとめることにしています。が、「大体同じ」という判断をプログラムにさせるのは難しいのと、新しいニュースは時間単位で違うので、どうしても似たような生地が大量に並んだりします。

検索クエリーも試行錯誤しています。単に「アルコール依存」で検索してもいい結果がでてこない場合があります。たとえばGoogleの検索は「アルコール 依存 OR 中毒 -燃料 -急性 -メチル」でやっています。でも、ブラジルなどでガソリン代わりに自動車に使われているアルコールの話と、景気が何か(アメリカ国内の消費とか)に「依存」しているっていう経済記事が引っかかったりします。

ギャンブルは、「ギャンブル 依存 OR 中毒 -プロクター」。
プロクターという言葉をはじいているのは、プロクター・アンド・ギャンブルという名前の会社の記事を除くためです。日本では「P&G」という名前のほうが知られているでしょうか。

年々検索に引っかかる記事数は増えています(統計は取ってないけどそんな気がします)。依存症問題が近年急激に深刻化しているとも考えられないので、病気として、社会問題として認知されてきた結果ではないかと思っています。
あと著名人の依存症に関する記事が増えたこともあるでしょう。

RSS配信など、いろいろ試してみたいこともありますが、手を出せずにいます。


2006年09月07日(木) 「底つき」について

依存症からの回復には「底つき体験」が必要なのだと、良く言われます。
ヘイゼルデンのカタログを見ていたら、hitting bottom という言葉と一緒に、ショックを浴びて何か大切なことに気が付いた人のピクトグラムが描いてありました。

底つきとは何なのか、それぞれの人の、それぞれの体験があって、その人なりの「底つき」への理解があるはずです。何が正しくて、何が間違っているとは言えません。

だから、これは僕の「底つき」への理解です。
底つきとは「気付く」体験なのだと思います。

アルコール依存症は否認の病気なのだと言います。最初の否認は、自分には酒の問題はないという主張です。自分の飲酒はトラブルを引き起こしてはいないし、仮に誰かが迷惑しているとしても、「やめようと思えばいつでもやめられる」んだから、何も問題はない・・・と。
突き詰めて言うと、「飲みたいから飲んでいるのであって、やめられないから飲み続けているわけじゃない」という主張でしょう。

そうは言っていても、人は様々な理由で酒をやめます。
周囲の圧力に屈したからかもしれません。入院したから。一大決心をしたからかもしれません。いろいろです。
やがて、もう一度飲む時がやってきます。
人は再飲酒の理由を考えるものです。なにしろ、まず自分が納得できる言い訳を考えなくてはいけませんから。どうしても飲みたくて我慢できなくて。あるいは、ふと気が付いたらもう飲んでいた。あるいは、状況に流されて飲まざるを得なくなった。
客観的な事実はひとつです。「病気だから酒を飲んだ」

「やめようと思ってもやめられない。やめる能力がない」
そのことに気付くのが「底つき」なんだと思います。
だから、最初の再飲酒のときに「底つき」を感じることもできたのでしょう。でも、僕の場合には、道ばたの石にけつまずいたぐらいにしか感じられませんでした。ああ、アル中の妄想のなんと深いことか。

やがて病気に罹ったことを認め、助力を得て、酒をやめる人もいます。
酒をやめることは大切です。まず酒をやめてみないと、第二の底つきはやってこないですから。
第二の否認は「自分には酒以外の問題はない」というやつです。
いろいろとトラブルはあるけれど、それも何も「酒を飲んでいたのがいけなかった」という理由付けがあって、今後飲まなければ物事は良い方に進むはずだと信じているのです。

実は何年飲まないでいても、苦しさが和らぐことがなく、相変わらず生きるのが辛かったりします。飲まないでいるって素晴らしいと自分に言い聞かせながら、本当はそれは嘘だと感じているのです。

対人関係で、不安になったりイライラしてみたり。自分の境遇にいつも不満を持っていたり。何をやっても面白くなかったり。どこの職場に移っても、必ず一人はやな奴がいたり。
こういう自家製の不幸について、格好の言い訳があります。
「自分の悩みはありふれているのだ。世の中に悩みのない人間などいない」

酒を飲んでいた頃は、世の中の大半の人は酒飲みであると信じたかったわけです。実際には、毎日飲む人は少数なんですが。第二の否認にも同じ言い訳がでるにすぎません。

やがて、いつか気が付く=底を突くときがくるでしょう。
酒をやめたくなかった本当の理由は、生きるのが辛かったからだと。飲み出す前も、飲んでいる頃も、止めた後も。

第一の底つきで「酒をやめたい」という願望が生まれたように、第二の底つきでは「幸せになりたい」という願望が生まれるはずです。
最低限の金銭や、最低限の身の安全がなければ、幸せはとても難しくなります。でも、それがあっても不幸なのは、もはや「誰か」とか「世の中」のせいではないよね。
お金はいくらあっても困らないけれど、どれだけ酒を飲んでも飲み足りることのなかったアル中が、どれだけ金を手にしても足りないですよ。

自分には幸せになる権利なんかないんじゃないかと、疑ってませんか?


2006年09月06日(水) 掲示板の話

8月のトピックというと、新掲示板システムへ移行したことが挙げられます。
旧掲示板にはうんざりするくらい広告書き込みが多かったのでした。国内から手動で書き込まれている件もありましたが、ほとんどが海外からのものでありました。
アクセス元のIPアドレスは逆引きできないケースが多く、そのIPアドレスをAPNICのwhoisで調べると、たいてい韓国へとたどり着きました(一部中国本土)。そのたびに、ネットマスク込みでアクセス禁止リストへ追加していくのですが、所詮はいたちごっこでした。
韓国人がやっているのか、それとも韓国のサーバーはセキュリティが甘くて踏み台にされやすいだけで他国人がやっているのか。本当のところはわかりません。

世の中には、APNICのデータから韓国に割り当てられているアドレス群をリストし、それを使って韓国からのアクセスを全部禁止した人もいます。暇人ですね。
2ちゃんねるも、逆引きできないアドレスからの書き込みは禁止になってしまいました。一部国内でも巻き添えを食った人もいるでしょうが、このほうがスマートです。

新掲示板に移行してからは、1件広告書き込みがあっただけです。世界でひとつしかない掲示板のために、わざわざ専用のコードを書くスクリプト小僧もいないのでしょう。

まだまだ不都合が隠れていると思いますが、新しい掲示板をかわいがってやってください。よろしくお願いします。


2006年09月03日(日) ぶつぶつ

AAのイベントに出かけようとしたのですが、子供に「お腹が空いた」と言われてしまいました。
ママは起きてきません。冷凍庫に冷凍ピザが眠っているはずです。本来自分の夜食用にと思って買ったものですが、あれは2枚入っているから、1枚は残るか・・・。
と思って開けてみると、知らぬ間にもう1枚食べられていました。
残ってた1枚を電子レンジに放り込んで出発。

オープンスピーカーズの会場にいられたのは1時間半ぐらいでしたでしょうか。
3人のスピーカーの話を聞き、いろんなひとに挨拶し、言葉を交わし、握手をし、色紙に一言書き、少し本を買って帰ってきました。
遅れてくる人も多いし、途中で帰っちゃう人も多いです。
入院していたときの看護師さんに久しぶりに会いました。

午後からは小学校のイベントに。父兄が校庭に模擬店を開き、チケットを持った子供たちが列を作るというイベントであります。授業参観と違って、父親を連れてきている子供が多いので、自分だけ浮いている感じがしなくていいです。親の役目は、ただ子供について回るだけですが。
「パパ、ちょっとこれ持ってて」
「パパ、お金出して」
「うーん、どれにしようか迷っちゃうな」
とほほほほ。それじゃ、男を買い物につきあわせている女だぞう。
待ち時間が長く、すみっこのほうで座って休んでいると怒られるのも共通です。

夜食にピザを食べようと思ったら、もうありませんでした。当然か。
ぶりぶり怒りながら子供のお菓子を食べちゃいました。


2006年09月02日(土) 間違い

たまには土曜日のAAミーティングに行こうと、シャワーを浴び、車を出して、時間がないので高速道路に乗りました。
やがて広域情報の電光掲示板があり、そこには「花火大会混雑」の文字が浮かんでいました。
花火大会・花火大会・・・はて、何かあったような。

そういえば、花火大会で今日のミーティングはお休みなのでした。しまった、すっかり忘れていました。このまま花火を見に行ってしまおうかと思いましたが、帰宅が2時になったら明日の朝困ります。

しかたないので、高速を降り、パソコン売り場でインクカートリッジを買い、スーパーでジュースを買って帰りました。
カートリッジ3本で6千円。

帰宅してカートリッジを交換してみたものの、マゼンタの色が出ず、カラーの印刷をすると、人の顔がぜんぶ黄緑色になってしまいます。10回くらいヘッドクリーニングの手順を踏んだのですが、いっこうに改善しません。
いつもは2〜3回のクリーニングで良くなるのですが、ヘッドが乾いた状態で放っておいたのがいけなかったのかもしれません。

hpの説明書を見ると、そう言う場合には「ヘッド交換」と書かれていました。なるほど、自分で交換しろと言うわけですか。
自分で交換できるのなら、その前に自分でヘッドを壊してしまっても、誰にも怒られないというわけですね。

というわけで、ヘッド交換の手順を踏んで、古いヘッドを取り出しました。インクの吐出口をティッシュペーパーで拭いてみると、マゼンタ色のインクが固まってこびりついていました。ティッシュでごしごしこすって5分後に作業完了。
そのヘッドをもう一度取り付けて、ヘッド交換の手順を終わりました。

ごしごしやったせいで壊れてしまっても、どうせ交換しなければ直らないのであります。プリンターは新しいヘッドを取り付けてもらったと信じて、いそいそと自動調整にいそしんでいます。
それが終わって、テスト印刷すると、見事にフルカラーが復活していました。
印刷された人の顔色も、地球人の顔色に戻っています。

新しいヘッドを買うのは当分先になりそうです。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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