心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2005年05月31日(火) 申立書

久しぶりに会社のメールアドレスをチェックしました。
セキュリティがきついので、OutlookExpressなんかは使えません。
でも僕はOutlookExpressがお気に入りなので、会社用のメーラーは滅多に起動しません。開くと8通ぐらい溜まっていました。

8月8日に君の健康診断を予約してあるので○○病院まで出頭するように、という内容がありました。とりあえず8月までクビにはならないようです。

労働安全衛生法だと、会社は健康診断の結果を記録しておかないと決まっているようです。でも、4月から個人情報保護法が施行されたので、病院は診断結果を本人の同意がないと会社に知らせることが出来なくなりました。なので、同意書を書いて送ってよこせというので、オークションの送品のついでに郵便局へ行ってきました。
いつも笑顔のおねいさんは、今日は忙しそうに事務仕事をしていて、会話は交わせませんでした。残念。

上司から「お加減はいかがですか」というメールがあったので、そういえば1月に会社に報告に顔を出して以来、ぜんぜん詳しい経過を報告していないことに気付き、メールで20行ぐらい書いて送りました。そうしたら、6月中旬に本部長という人と一緒に面談することになりました。「あせらずに治療してください」とありましたが、宝くじでも当たらない限り焦りがなくなることはないでしょう。

宝くじを買ったことを人に教えると当たらない、というジンクスを持っていたのですが、以前ここに書いたら1万円が当たったので、今回も新宿で1枚だけ買ったことを報告しておきます。

ちなみに「縁起を担ぐ」というのは、良いことが起こるようにという意味と、悪いことが起こらないようにという両方の意味に使いますが、「験を担ぐ」というのは、悪いことが起こらないようにという意味にしか使わないんだそうです。だから、宝くじ買った報告は「縁起担ぎ」で、僕がハンカチを毎日忘れないのは「ゲン担ぎ」ですね。

障害者年金の申立書というのを書いています。
書き方の本も売られているようですが、三千円もするので買う気になれません。
しかし、どう書いていいかわかりません。
この前、年金をもらうようになったという東京の友人のアパートはとっ散らかっていて、出した時に取っておいたコピーが出てこないという話であります。それでも医師に書いてもらった診断書のコピーは見せてもらいました。

介助と援助は違って、援助は「助言や指導」ということになります。援助がないと食事を取らない、援助がないと身辺の清潔保持が出来ない、援助がないと金銭管理が出来ない、援助がないと他人との対人関係ができない、援助がないと身辺の安全保持が出来ない・・・、周囲の人の助言がないとまともにできないって意味だったら、ぜんぶあてはまるような気がするんですが・・・。

うつ病だけでは通らない、という話も聞きますが、ググってみると結構うつ病だけでもらっている人もいるようですね。まあ、どうせ年金だけで暮らすことも出来ないわけですから、いつかは働きはじめないといけないわけです。

いつまでも働きはじめなかったら・・・それは宝くじが当たったんだと思ってください。


2005年05月30日(月) ぼんやり

起きると午後3時を過ぎていました。
隣では妻が一個6円の内職をこつこつとやっています。

「あまりに気持ちよさそうに寝ていたので、起こすのに忍びなかった」

そうでありますが、せめて午前中には起きたいところです。
会社に厚生年金・健康保険立て替え分20万円を送金しなければならないのに、もう3時過ぎではどうにもなりません。

ネットオークションをやっているので、ネット上で24時間稼働している銀行にも口座を持っています。郵便貯金だって、深夜の10分間を除けば24時間、インターネットか携帯電話で送金が出来る時代であります。なのに、我が家の主な家計を置いている地方銀行と来たら、振り込みは午前9時〜午後3時までというのを、がんとして変えようとしません。

副業のほうでやっと1200円の利益があがりました。これじゃ妻の内職のほうがずっと効率がいいです。「金銭の正しい使用が終わったところから、金銭の誤用が始まる」とはビルの言葉であります。なんか誤用のほうが多い自分であります。今年は申し訳ないけれど、バースディ献金はしません。申し訳ありません。

なぜだかわからないけれど(勘違いらしい)、仲間のバースディが一週間早く行われました。「ともかくミーティングに出続けて、仲間に会い続けることだと思う」とご本人のお話でした。

いまの自分は心の平安という言葉とはかけ離れた場所にいます。安心して生きることがいかに難しいことか。


2005年05月29日(日) 飲まないオフ会(もしくは散漫な一日)

マザーボード上のCMOSバックアップ用の電池を抜いて、10分経ってからもういちど電池をセットして電源を入れたら、素直に立ち上がりました。お約束のやり方なんですが、これに気が付いたのが午前3時でした。

朝は7時に起きて、朝食はコンビニのサンドイッチ。
高速バスに乗るのは久しぶりですが、今回不安だったのはお腹の具合が悪かったことです。幸い途中のサービスエリアでの休憩が普段10分のところが15分になってくれたこと、それにトイレがすいていてくれたおかげで、なんとか高速バスのなかで悶絶する羽目になるのは避けられました。

知らないうちに新宿駅に「新南口」なんてのができていて、街の様子もすっかり様変わりしてしまっていました。オフ会と言っても、やっぱり雑談するだけなんですけどね。その雑談がなんとなく楽しい。

思えばパソコン通信時代に、知り合いのBBSのオフ会に出かけては、喫茶店で生ビールの大ジョッキをしこたま飲んで正体をなくしたあげく、アパートまで送り届けられるなんていう大迷惑野郎だったこともあるわけです。あれから長い時間がたったのだなと思いました。

新宿アルタ前も何年ぶりでしょうか。歌舞伎町も。

そして西口のヨドバシカメラで玄人志向の部品を買うと、またバスに乗って帰ってきました。
帰りも途中のサービスエリアまでは寝ていたのですが、そこから目が冴えて眠れなくなりました。
(そろそろ働きたいなぁ)
なんてことを、久しぶりに思うのでありました。

バスを降りて松屋で牛焼き肉定食を食べました。そして、ピンサロの呼び込みをかわしつつ我が家に帰り着くと、お腹がまたいたくなったので、トイレに駆け込みました。
まったく不健康な痩せ方であります。


2005年05月28日(土) 抑うつ(その2)

今日も9時間以上寝たのに、まだ眠いです。

娘との約束があったので、庭でバトミントンをしました。といっても下手っぴだし、風も吹いているしで、全然ラリーが続きません。僕にとっては苦行に等しい作業なんですが、娘たちは楽しそうであります。
しかし、日頃から体を動かしていないせいで、10分か15分もやったら息が上がってしまいました。「パパ体力なーい」と娘に責められました。

庭のイチゴが、今年最初の一個の収穫を迎えました。娘たち二人がそれを分け合って食べて「すごくあまい」という感想を言っていました。

郵便受けをのぞき込むと、会社から封筒が届いていました。「○月○日までに業務に復帰できない場合には解雇する」という呪いの言葉が書かれているのではないかと、おそるおそるあけてみたら、毎月5万円ほどの社会保険料その他の立て替えが4ヶ月分たまっているので、会社の口座に振り込むように、という総務からのお知らせでありました。

水曜→木曜→金曜→土曜と、だんだんウツの具合が悪くなっていっている気がします。原因は小遣い稼ぎにはじめた副業でありましょう。それのおかげでせわしなく、何かに追われるような日々を送ってしまい、せっかく休職している意味がなくなってしまいました。

具合が悪いので、夕方までまた寝てしまいました。

母が以前「いざとなったら、手持ちの株を売ってでも金を貸してあげる」と言っていたので、それを頼りにすることにして電話をかけました。株は配当があるが、定期預金は利回りが悪いので、定期を崩して貸してくれるといいます。なんだかすごく悪いことを頼んでいる気になってしまいました。
1月に計算したときには、無収入で休んでいるのも5月末が限界という結論でした。少し親から金を借りたり、臨時の仕事をしたりして、多少の余裕は出たものの、いよいよ限界にきたという感じです。
医者の反対を押し切ってでも、再来月あたりには仕事に復帰しないとならないようです。

体がしんどいので、明日のオフ会は休みたい気持ちもあるのですが、人と会えば気分が変わることもありますし、どうせ移動はバスが運んでくれるので、少々無理をしてでも行こうとおもっています。僕の顔に笑顔がなくても心配しないでくださいね。

千葉のほうではAAのラウンドアップが行われていて、そこからのメールが届きました。今の自分にはなんだか遠い世界の出来事のようにしか思えません。

何が災いしたのか、パソコンの起動に5分もかかるようになってしまいました。気になるけど、のんびり原因究明している時間もなさそうです。


2005年05月27日(金) 抑うつ

9時間以上寝たのにまだ眠いです。

ゆっくりとですが障害者年金の申請の手続きを進めています。
東京で初めてかかった精神科のクリニックにはカルテが残っていなかったのですが、こちらの病院のカルテの最初のページにしっかりとした紹介状が貼り付けてあったので、これを診療録として「受診状況等証明書」というのを書いてもらえました(いわゆる初診証明)。
この代金3千円は現金書留で送って欲しいという添え書きがあったので、実に十何年ぶりかに現金書留を出しに郵便局に行きました。

現金書留の封筒が20円というのは昔と変わらなかったです。ネットオークションの品物の差し出しなどでしょっちゅう顔を出している郵便局なので、もうすっかり窓口のおねいさんとは顔見知りになってしまいました。しかし、
「今日は朝は天気が良かったのに、急に曇って来ちゃいましたねぇ、雨にならなければいいんですが」
とか突然言われても、世間話になれていない僕としてはなんと答えていいやら・・・。
「今度天気の良い週末には一緒にドライブにでも」とでも言えばいいのでしょうか?

郵政改革に対する僕の意見をここで書くつもりはありませんが、もし僕の本名をご存じなら、ググってみてください。7年も前に投稿した意見がまだ掲載されていたりします。うーん、インターネット恐るべし。ものいわばくちびるさむし。
小泉首相は、都市部の郵便局は整理統合するという意向のようです。現に我が家から歩いていける距離に郵便局が三つ(も)あります。僕の行く局と、妻の行く局は違います。僕はもちろん、先ほどの愛想のよくて、僕のことを憶えていてくれるおねいさんのいる局へいくわけであります。
僕は、たとえば封筒には切手を貼らずに局に持ち込んで差し出すことにしています。するとおねいさんはわざわざ記念切手を貼るのであります。そうすることでその局の記念切手の売り上げがわずかでも上がることになり、熾烈な局間の競争に一歩先んずることができるというわけです(大げさだなぁ)。

初診証明が取れたことで、その日から一年半後を認定日として申請することが可能になりました。そのころは酒を飲みながらでありましたが、精神科の病院に通院を続けていたので、そこに頼んで診断書を書いてもらうことは可能です。
もしそれで認定されれば、その日までさかのぼって年金が支給されることになります。実際には年金の請求権は5年で時効を迎えるので、5年分が支給されるだけですが、それでも大きな金額です。
もう代替わりしたドクターからの伝言では、あなたの場合にはD(うつ病のこと、統合失調はS、アルコールはA)だけだし、その後一般の会社にも就職しているから、診断書を書くのは難しいとありました。
病院のソーシャルワーカーさんに相談しても、認定される可能性は低いだろうし、認定されるよう症状を重く書くことも出来ないという話でありました。ぶっちゃけ「診断書はいくらなのか」という疑問には、8,400円という答えが返ってきました。安くはないけれど、思っていたほど高くはありませんでした。一応妻とも相談した上で、書いてもらうよう依頼をしました。電話口で僕が「無理だとは思いますが・・・なるべく・・・」と言って口ごもっていると、ソーシャルワーカーさんは「重めに書いてもらうようにね。頼むだけは頼んでみますよ」という返事でした。(くれば万馬券だなぁ、と内心思ったりして)。

診断書ができるまで1〜2週間。その後、今のクリニックの先生に現状の診断書を書いてもらって「事後重症」での申請をあわせてすることになります。ともかく、申請をすませるまではおとなしく休んでいるつもりでいますが、その後は働きたい気分が強いです。

僕自身、申請が通る可能性は低いと思っています。

ちなみに、他にもふたつの精神病院に入院しているので、診療履歴を書くために問い合わせの電話をしました。片方の病院は(僕は途中で姓が変わっているので)当時の身分証明と、現在の身分証明書のコピー、それに返信用封筒を同封して送ってくださいという答えでした。もう一方は、特に本人確認をするでもなく、あなたの入院日は何年何月何日、退院日は何月何日と教えてくれました。
たしかに後者のほうが便利ではあったのですが、最近どこの医療機関に行ってもポスターが貼られている「個人情報保護の・・・」というスローガンはやっぱり建前だけだったのかと暗澹たる思いをしたのも事実であります。

昨年・一昨年とバースディのプレゼントに花束をもらいました(残念なことに今年はもらえませんでした)。ドライフラワーとなってパソコンの上に飾られています。でも、きちんとした手順を踏んでドライにしたわけじゃないので、ポロポロとこぼれてきます。
レーザープリンターの印刷に所々黒いシミが出るようになったので、メーカーのサポート係に言われるままに感光ドラムまでむき出しにしてみたら、ドライフラワーのバラの花びらがはさまっていました。堅い花びらで傷ついたドラムは、アルコールで拭いても元には戻りませんでした。
サポート係の親切なおにいさんは、ドラムは消耗品ですよ、2年も使えば長い方ですよとなぐさめてくれましたが、当面秋頃までこの調子の悪いプリンターとつきあわざるを得ないという事実は変わらないのでありました。


2005年05月26日(木) お風呂

米野よ、お前もっとバッティングをなんとかしないと、古田の代わりは務まらんぞ。

小遣い稼ぎの副業のほうは、なんだかうまくいかないです。結果の金銭を気にしすぎると、仕事と変わらなくなってしまいます。プロセスを楽しむようにすれば、趣味になるのでしょうか。

我が家は毎日風呂に入っています。水道代を負担してもらっている義父母からは「二日にいっぺんにしたらどうか」というお小言をいただいたこともありますが、やっぱり入らないと気が済まない自分であります。

元々生まれ育った家が、毎日風呂に入る習慣の家でした。戦前は大地主だったようで、風呂の準備などは住み込みの小作人の役割だったそうです。毎日風呂に入るというのはかなりの贅沢であったようです。
農地改革があって没落した後も、この「毎日風呂」という習慣は残り、子供の頃の僕は薪風呂の火の管理や湯加減を任されていました。考えてみれば、あのころは子供が家のことを手伝うのが当然でありました。今でも長野県の小中学校には1学期、2学期、3学期の真ん中に短い休みが残っている学校があります(なくなったところも多い)。それぞれ「田植え休み」「稲刈り休み」「寒中休み」と呼ばれていました。
学校を休んで農作業を手伝いなさいという主旨でしたが、僕の頃には実際の農繁期と時期がずれてしまっていて、あまり意味はありませんでした。
寒中休みってのは、節分の頃に「あんまり寒いから学校も休み」という休みであります。まあ、年平均気温が今より2℃も低かった時代の話ですから、今の長野がそんなに寒いと思わないでください。

話がそれました。で、実家の風呂は「沸かし直し」と言って、水を換えずに2日〜3日と風呂に使いました。当時の僕は「バスクリン」という入浴剤は、風呂の残り湯の濁りをごまかすための薬剤だと思っていました。
農家を大きくやっている家では、汗をかくので「沸かし直し」でも毎日風呂に入るところ多かったようですが、勤め人の家は「あまり体を使わないから」週に2回というところが多かったです。

東京でひとり暮らしをしていた頃は、ずっと風呂なしのアパートだったので、飲んだくれて銭湯に行けない時の汚れはひどいものでした。長野に戻って、両親と同居するようになり、また風呂の習慣が戻って清潔になりました。しかし、いつも酔っぱらっているし、肝臓が悪くて体がだるいので、風呂にはいるのは大変面倒な作業で、親にうるさく言われるのが苦痛でたまりませんでした。独身最後の頃は、風呂の習慣も崩れて週に2〜3回ぐらいだったかもしれません。

結婚した相手は毎日入浴して、洗髪も毎日する人でした。僕は洗髪なんて週に2〜3回で十分だと思っていたのですが、温かいお湯を頭にかけると目の疲れや肩の張りが楽になるようで、毎日洗髪することになりました。いまも風呂にはいると、血の巡りが良くなって、気分が良くなり、ついつい夜更かしする原因のひとつになっています。

だいぶ前のBOX-916の記事に、「私は疲労を取るのは、睡眠、入浴、飲酒の三つしかないと思っている」という言葉がありました。僕もそうだなぁと思います。相変わらず睡眠障害もあり、飲酒も出来ない自分としては、風呂は(面倒だけれど)楽しみのひとつであります。

兄家族と母の二世帯住宅として建て直された実家の風呂は、24時間の循環風呂であります。広々と大きなその風呂をうらやましいと思うこともありますが、冬場は寒さがこたえるので、我が家のちいさなユニットバスのほうがお気に入りであります。

仕事を抜け出してスーパー銭湯でのんびり過ごしている、というお気楽なメールをもらってそんなことを考えました。


2005年05月25日(水) 放送大学

くっそー、松坂めー。(ミーティングの前後に野球中継を聞いています)。

掲示板で放送大学の話をだしてしまいました。
僕は大学中退なので、学士は持っていません。以前はそれがコンプレックスだったのですが、最近ではそれほどでもありません。

「どこの大学だったんですか?」と興味本位で聞かれることがあるのですが、「地名の付かない国立大学がふたつだけあるんですが、その片方」と言ってはぐらかしています。旧帝大でも駅弁大学でも東京六大学でもないことがわかると安心するのか、それ以上質問を重ねてくる人はいません。

宝くじの一等でもあたって、生きていくために働かなくても済むようになったら、大学にでも入り直して勉強したいなぁと思うのですが、所詮妄想であります。
もし仮にそうなったとしても、計算機学や情報数理は選ばないでしょうね。この分野は日進月歩。大学で教えているのは化石のように古い学問であるか、超数論のようにスーパーでのお買い物には全く役に立たない理論であったりします。

でも、いつかは学士を取りたいなぁという願いをつなげてくれる存在が放送大学であります。関東ではUHFで勝手に放送していますから簡単に見られますし、SkyperfecTVのチューナーだけ買って、契約しなくても見られる無料コンテンツのなかでは唯一役に立つ番組であるとも言えます(え? ショッピングチャンネルのほうが役に立つって?)。契約はしないがチューナーだけ買いたいと言ったら、電器屋の店員さんはどんな顔をするでしょうか?
我が家のケーブルテレビにも放送大学は届いております。

金銭的にも時間的にも余裕が出来たら、科目履修生になって地道に単位を取得していき、十年でも二十年でもかかって卒業する・・・という夢は夢で終わるんだろうなぁ。

たとえばおもしろそうだと思った授業をビデオに撮っておいても、ぜったい見ないですから。

ちなみに科目履修生なら入学金と1科目分の授業料をあわせて1万6千円です。入学は無試験なので、これだけのお金を払えば「国立大学生」という地位が手に入ります。JRの学生割引も受けられます。しかし、なんと言っても高価な(何万円も、何十万円もする)ソフトウェアのアカデミックディスカウントを受けられるという利点はあります。
たとえば僕が今起動しているVisual Studio .NETを新規購入すると123,900円ですが、学生証を見せるだけで24,360円にディスカウントされます。
(まあ僕の場合には小学生の娘に買いに行かせるという手もありますが・・保険証でいいんだってさ)。
携帯電話も学生割引がありますね(これは小学生はだめなんだそうです)。確定申告で勤労学生控除も受けられる・・のかなぁ。

明治政府は民主政府ではなかったけれども、お金がない中で日本中のあちこちに学校を建てて教育を普及させた。それが今の日本の土台を築たんだって話をしていたのは、司馬遼太郎だったでしょうか。

国民のほとんどが字が読めて書けるというのは、これは実はすごいことなのでしょう。

「ビッグブックと12&12を総ルビにしたらどうか」という意見を言ったら、「細部に泥濘するよりも全体をつかむことが大切」という意見をちょうだいしました。

初めてミーティングで指名されて12の伝統を読んだ時に、「われわれのリーダーは奉仕をになわされたしもべに過ぎず」と読んで訂正をされ、顔を真っ赤にしたのを今でも憶えている僕であります。


2005年05月24日(火) プログラミング

何が悲しゅうて、休職中にVisual Stadio .NETなんかを自宅のパソコンで起動して、仕事モード全開でプログラミングにたずさわらなくてはならないのか?

品物をどこかから少しでも安く手に入れて、ネットオークションで売って、わずかの利益を稼いでいる人を俗にテンバイヤー(転売屋)といいます。僕も小遣い稼ぎにテンバイヤーをやってみることにしました。そこは技術者たるもの、若干の付加価値を加えて、多少利益らしい利益をだせるようにしたいものですが・・・。
どんな商売でも、最初は仕入れから始まるので、僕の(家計ではなくて僕の)貯金の残高は底を突きつつあります。このまま計画倒れになる可能性もなくはありません。やれやれ、いつだって僕は狂っているのであります。

僕はパソコンにはYahoo!メッセンジャーをインストールしてあって、パソコンの電源が入っている時は、たいていログオンしております。以前は「心の家路」のホームページにIDを載せていたこともあって、チャットをしてくる人も何人かいらっしゃいました。

でも僕はパソコンをいじるのが趣味なので、しょっちゅうWindowsのリブートをやります。すると、相手のメッセンジャー上では僕がログインしたりログアウトしたりが頻繁に表示されるという、きわめてうっとうしいことが起こることになります。
というわけで、たいていの場合は「無視リスト」の中に入れられてしまっているのではないかなぁ、と想像しています。

でも僕にとっては、オークションの状態を見張ったり、野球の途中経過を見たりと、Yahoo!メッセンジャーの存在は欠かせません。

今夜たまたまメッセンジャーのリストを見ていたら、以前の僕のAAスポンシーがログイン中だったので、チャットを仕掛けてみました。最近すっかりAAはお見限りなので、どうなっているのか心配していたのですが、とりあえず飲まずに元気でいることが判明したので一安心であります。

日本にいるEnglish Speakerたちは、Skypeというインターネット電話によるミーティングをすでに始めているようであります。AASkypeMeetings.com。日本語でもこういうのはじめたいねぇと思っているのですが、思っているだけでなかなかやる気になれません。
でも、ビッグブックの第4版には face-to-face でも、modem-to-modem でも、ひとりのアルコホーリクがもうひとりのアルコホーリクと経験を分かち合う時に、回復は始まると書いてあります。文字によるコミュニケーションには制限がすごくあるように思うので、ボイスミーティングってのをいつかはやってみたいものであります。

去年までは神宮球場のヤクルト戦は、Yahooがインターネットラジオで中継してくれてたのですが、ソフトバンクが球団を買ったせいで、今年から中継されなくなってしまいました。


2005年05月23日(月) 凶兆

英文のメールが舞い込みました。
SPAMなら英文のも珍しくありませんが、文字コードセットがBIG5である場合には、たいていは例の台湾の会社であります。

それは機械のトラブルを伝えていました。
この前、直しに行ったやつじゃなくて、一昨年に納入したものでした。
しかも、僕の書いたプログラムじゃないし。

実はそのとき3本プログラムを書く必要がありました。全部自分で書いても良かったのですが、一人で台湾に行くのは淋しかったので、当時「会社を辞めたい」と公言していた若い社員を無理矢理説得して、その中の一本を書いて貰いました。
「仕事で海外出張に行ったって言えば、転職先でもハクが付くよ〜」というのが、口説き文句でありました。おかげで彼の退職は半年近く伸びてしまったのですが・・・。

結構そのときは楽しかったです。下町の食堂で皆で夕食を食べていたら、頼んでいない料理が出てきて「変だな」と思いながらも食べてしまい、半分以上減ったところで隣のテーブルの客の料理だったことが判明しました。でも誰も怒るでもなく、食いかけの料理がテーブルを移っていきました。相手も「謝々」とか言っていたし。
車を運転していたSさんが、バックする時に後方確認を怠って、バイク数台をなぎ倒してしまったこともありました。我々は「やっべ〜」とか思ったのですが、彼は"No Problem"と言ってバイクを起こすと、平然とその場を去ってしまったのでありました。
(タクシーなんかもボコボコにへこんでいるのも珍しくありません)。

そして、その一本のプログラムの調子が悪いのであります。
自分の書いたものでないプログラムを読むのは好きではありません。人のプログラムを読むのが好きなプログラマーなんていないでしょう。他の人が考えた論理を、プログラムから逆に推論して導かなければならないわけですから。

妻は「また台湾?」「また仕事?」「またお金になるの?」と浮ついたことを言っていますが、僕の心の中はこんな事態を招いた運命を呪う気持ちでいっぱいであります。

何が嫌だって、英文のメールに返事を書かなきゃいけないのがいやです。


2005年05月22日(日) サイトの管理

掲示板「ぶどうのつるのように」には、時折「逆援助の交際」だとか「無料で出会い」だとかの投稿があります。
以前は、こういうものがあっても「ミーティング会場の隣の部屋から聞こえてくる雑音」と同じと見なして、いちいち削除することもありませんでした。
しかし最近はソフトウェアを使って機械的に投稿していくパターンが多く、ほったらかしておくと掲示板の半分が「高級セレブ女性とのおつきあい」みたいな記事で占められてしまうことになります。(もちろんそんなものに連絡を取っても、こっちのメールアドレスを収集されて迷惑メールが山ほど来るようになるだけですから、ご注意を)。

しかたがないので、こつこつと削除しているわけであります。同一IPからの連続投稿を禁止するとかの処置をサーバー側でやってくれれば助かるんですが、そういう投資をするほど掲示板システムでは利益がでていないのかもしれません。

『電車男』のように掲示板の記事を他に利用して利益を出すというビジネスも考えられなくはありません。掲示板もライブドアに売り払われたことだし、「ぶどう」の中身を勝手に利用されても困るので、念のため利用規約を読みに行ってきました。

まあ、そんな条項はありませんでしたが・・・。

読んでいて気がついたのですが、禁止事項の中に「公序良俗に反する目的若しくはその虞のある目的で使用すること、又は公序良俗に反する情報を第三者に提供すること」というのがあって、さらに次の条文に「前条に該当する内容が掲示板上に書きこまれた場合、すべての管理者は当該内容を書き込んだ利用者に注意を促すとともに即刻その内容を消去する責任を負います」となっています。

う〜ん、最初からこうだったかなぁ。こんなに管理者の責任が重く設定してあったか良く憶えていないのでありますが、まあともかくこれからは「まめに削除」することになります。

AC・摂食障害のRYOKOさんのブログ「閑中忙有り」へのリンクを追加しました。


2005年05月21日(土) ノートパソコン

妻用のノートパソコンを購入したのは、僕が初めて台湾へ渡航する直前でした。
もちろん会社には外で仕事をする時のためのノートパソコンがあるわけなんですが、少々型が古かったのと、(マウスの役割を果たすのが)キーボード中央のトラックボールという設計が気に入らなかったので、自分専用のを用意するつもりになったのでした。

当時「ソーテック」というメーカーが安さを売り文句にパソコン業界に進出してきた頃で、僕の住む街にもソーテックのお店が出来ていました。ノートパソコンが12万円というのは、(今なら12万円は普通の値段でしょうけど)当時としては破格の安さでした。廉価版のために、液晶がTFTでなくてSTNだったり、軽量化の工夫がなくてずっしりと重かったりと、安かろう悪かろうではありましたが、「12万円なら買っちゃうよーん」と、出来たばかりのソーテックのお店で、買って帰りました。

パソコンの箱を抱えて帰宅した僕を迎えたのは、妻の厳しい目つきでした。
「その箱はなに?」
「き、君へのプレゼント」

仕事が忙しすぎて、そのノートパソコンにWindows2000やら開発ソフトやらをインストールしている暇もなく、結局会社のノートパソコンを持って台北へ行くことになってしまい、ソーテックのノートPCは、そのまま褄の所有物へと変わってしまいました。
それが西暦2000年のことであります。

さて、今年の5月5日の日記にあるように、妻が「えっくすぴーじゃなきゃ嫌だ」と言い出したので、しかたなくWindows XPのインストール作業にかかりました。でもHDDの容量が4GBでは、XPと一太郎とメールソフト云々を入れると容量不足であふれてしまうだろうと思い、HDDの交換をしようとして・・・見事に失敗し破壊してしまいました。
メーカーに修理を出しても良かったのですが、その前に「なるべく直しておこう」と思っていじっているうちにどんどん破壊してしまって、修理に出すと何万円かかるかわからない状態になってしまったので、メーカー修理は諦めました(だいたい修理見積もりだけで1万7千円は高すぎるぞ!)。

それから僕は妻のと同型のノートPCで、動作しなくなって「ジャンク品」と呼ばれるようになったものを都合4台買い集め、それから使える部品を集めて3台の完全動作するパソコンを作り出しました。バラしては組み立て、バラしては組み立てを繰り返すたびに、だんだんと習熟し、メインボードの交換にも30分もかからないという立派な「パソコン組立工」になってしまいました。

さて、実際に5年前のパソコンにXPをインストールしてみると、動作が重くて(遅くて)使い物になりません。Meというので我慢してもらうことになりました。これだったらHDDの交換なんてしなくても良かったのに・・・。

3台のうち1台は妻に返し、1台は子供たち二人が教育ソフトを動かす共用パソコンになり、もう1台は僕の手元に残ってapacheとsambaを動かすために働いてくれることになりました。
そして動かない2台はジャンク品として売られていくことになります。

そのうちにこのパソコンの分解・組み立て・オーバークロックを開設したサイトでも作ろうかと思っています。


2005年05月20日(金) 年金申請書類

障害者年金の申請用紙をもらいに社会保険事務所に行ってきました。
クリニックのソーシャルワーカーさんも「あなたの場合はウツだけだし、かなり働いてもいるので、申請が通らない確率も高いですが、やるだけやってみましょう」ということになったからです。

年金を申請するのには心理的抵抗感も強かったのですが、同じようにウツで年金をもらっている人から「あなたは働いて税金も年金も納めてきたんだから、自分が苦しい時にもらうのをなんで遠慮するのさ」と言われて踏ん切りがついたってこともあります。
実際に収入がないのもつらいしね。

僕がはじめて精神科の門をくぐったのは、平成3年8月に起こした自殺未遂の結果でありました。かつぎこまれた救急病院で「眠れない」と訴えたところ精神科を紹介されました。ひとつは武蔵野赤十字病院でした。でも、調布から武蔵境の駅まではバスで行かねばならず、バスに乗る気にはなれなかったので、歩いていける調布市内の開業医を選びました。
(もしこのとき武蔵野赤十字に行っていたら、人生はまったく違っていたかもしれません)。

この開業医の先生に「初診証明」という、このときに病気になって医者に行ったという証明を書いてもらう必要があります。先日電話して聞いたところ、ざっと古いカルテをあたってみたけれど、すぐには出てこなかったそうであります。カルテが出てくるか、それともその先生が書いてくれた紹介状がこちらの病院のカルテに残っているので、それを元に書いてもらえるか、これがまず第一のハードルであります。

飲んだくれのフリーランサーで、健康保険料も国民年金も納めていない時期があった自分ですが、このときはなぜかある会社の契約社員ということになっていて、会社が年金を納めてくれていたようで、「年金未納で門前払い」というのは避けられました。数ヶ月受診が前後していたら、どうなっていたかわかりません。これには偶然以上の何かを感じたりします。

それから、その紹介状を持っていった地元の精神病院に3年近くお世話になるのですが、この最初から一年半の時点での診断書を書いてもらう必要があります。
そして、いまの主治医の現状の診断書を書いてもらう必要があります。

診断書というのは保健医療と違うので、医者は自由に値段を決められます。年金と障害者手帳を同時に申請した友人の話では、医者から診断書代金5万円を請求されたそうであります。だから、今回もどれだけかかるかは分かりません。そうやって何万円という金をかけて申請しても、確実に通るという保証はどこにもないのであります。

申請の準備も、3月の下旬から始めて、やっとここまできただけです。これから先どれだけかかることやら。それに、申請してから数ヶ月待たされるのも当たり前ですし。

「自立」だとか言っても、生活していくのにお金は欠かせません。子供たちのことも考えると、どこからでもいいからお金を引っ張ってこなくちゃなぁ、というのが正直な気持ちであります。


2005年05月19日(木) 総合病院へ

総合病院の内科に行きました。
「結核ではないか」という僕自身の疑念をはっきりさせるためです。

なぜ今日までずるずる延ばしてきたかというと、もし結核であって、痰の中に菌が混じっていると即入院ということになることが結核予防法で決まっている、ということを聞いていたからです。本当かどうかは知りません。知りたくない真実というのもありますから。

一方で、「自分は結核菌をばらまきながら生活しているのではないか」という恐れがあったのも事実です。

うかつに病院に行って、即入院てことになったら、せっかく自分のバースディミーティング用にケーキも予約して金も払ってあるのに、やだなぁという、まったくわがまま勝手な理由で、ここまでひっぱってきてしまいました。

待合室で待っていると、体温計を渡されました。36.9℃というのは微熱の範疇にも入らないかもしれませんが、普段の体温が35℃台の僕にとっては1℃以上高いわけです。なんだか不安になりました。

医師の問診の後、血液を抜かれ、胸部レントゲンを撮影しました。血液検査の結果が出るまで待っていてくれと言われて、1時間ほど待っていました。
「このまま入院になるのかなぁ」
とぼんやりと考えました。たこさんみたいにパソコン持ち込み許可してくれないと、椎名誠の『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』みたいに「もだえ苦しむパソコン中毒者地獄の病室」になっちゃうかもしれません。いや、パソコンはOKだとしてもネット接続はどうするんだ?
AirH"の端末は買ってあるけど、契約するためには、また伊那谷の田んぼの真ん中のケータイショップまで行かなければなりません。それも無理っぽいなぁ。
結核だったら、傷病手当出るかなぁとか、馬鹿なことをいろいろ考えていました。

医者に呼ばれて緊張しながら検査結果を聞きました。レントゲンはきれいなものだそうです。血液検査も、「確かに何かの感染症にかかっているのでしょう、ちょっと正常値を超えているのがあります」。しかし、「結核の心配はまるでない」そうでありました。

「薬は何日分欲しいですか?」

という医者の質問には、大げさにしてなくてもすぐに治るよというニュアンスが感じられました。「一週間」と答えると、「良くなったら途中での飲むのをやめてください」と言われました。

正直言って、ほっとしました。

精神科・眼科・皮膚科・内科と4つから薬をもらっているので、「お薬手帳」を持つように薬局で勧められて、持つことになりました。

メッセージ先の病院へ移動し、駐車場でラジオを1260KHzにあわせて宮城放送を聞いていました。仙台フルキャストスタジアムでの楽天・ヤクルト戦を聞くためです。そうしたら、この病院周辺でのAA立ち上げに大変尽力して頂いた病院スタッフの人が駐車場を横切っていくのを見つけました。

話を聞くと、ろくに予算も付いていない県の事業のために毎日出向生活を送っているのだそうです。この人も自分のやりたいことをやるために就職したはずなのに、いまは別のことをやらざるを得ないわけで、仕事って難しいなと改めて思いました。
昔話に話を咲かせているうちに、病院メッセージには遅刻してしまいました。私語が多かったけど、みんな正直な気持ちが伝わってきてなんだか楽しかったです。

川島はプロ発完封かな。小野はもうちょっと打てるようにならないと、古田の代わりにならないぞ。


2005年05月18日(水) いろいろ

我が家の電話はISDN(INS64)を使っています。これは以前インターネット接続にISDNを使っていた頃のなごりなのですが、ダイアルインなどのISDN特有の付加サービスを使っているせいで、割高なのはわかっていてもアナログ電話に戻せません。
電話の保安器がある場所の近くにISDNの終端機器(TA)を設置したおかげで、そこから我が家の電話機まではアパートの外壁に沿って10メートル以上の電話線(モジュラー線)が伸びています。

木造家屋の中に長い電線を置くと、雷が鳴っている時に、雷誘電という現象が起きて電線に電気が流れます。ましてそれが壁の外を這っているとなればなおさらです。終端機器のポートは意外に誘電に弱く、近くに落雷があるとたいてい壊れてしまいます。
壊れて電話が使えなくなれば、もっと真剣に対策をするのですが、中途半端な壊れ方をするので、本腰を入れて雷対策をしようという気になれません。現象としては、外線がかかってきたときに、電話をオフフックすると、その瞬間に電話が切れてしまいます。たった0.何秒の通話ですが、それでも相手には10円課金されてしまいます。
外から携帯電話で自宅にかけると、「トルルル」と鳴っていたものが、いきなり「ツー」という話し中音になり、通話料金10円と表示されます。これはなかなか腹立たしいです。
2回続けてかけると2度目はちゃんと通話できます。慣れというのは恐ろしいもので、これが当たり前の状態だと思ってしまいます。
中古のTAを買ってきて取り替えるという消極的な解決方法を3〜4回やったのですが、近所に落雷があるたびに壊れるので、もうそろそろうんざりしてきました。

保安器と電話機が離れた家のために、無線で接続するTAがあったので、オークションで競り落として、今日取り付けました。これであの腹立たしさから逃れられるはずです。
そのかわり、停電すると電話がまったくかからない家になってしまいました。

先日書いた、処置入院になっている仲間に面会にいってきました。もちろん本人に会おうとしても無理なので、一緒に閉鎖病棟に入院しているAAメンバーに面会するという名目です。
我が家の本棚で遊んでいた、一番分厚いビッグブックを一冊持って行きました。前半よりも、後半の個人の物語が何か彼の刺激になってくれればという期待をもってです。それから、タバコを3箱ずつ。

彼とは僕がAAグループを作ってからのつきあいで、断続的に4年ほど一緒に活動したでしょうか。しかし、今日会った彼に当時の面影はほとんどありません。なんとなくぼんやりとした感じで、目も言葉も焦点を結んでいません。
処置入院は1年半で解けたものの、医療保護入院はまだ続いていて、保護者が付き添わないとAAミーティングへの外出もままならないのだそうです。その保護者というのが僕で良ければ、休職中のうちは、一番近いミーティングまでは付き添ってあげるよと請け合ったのですが、彼は医者の許可が下りるかどうか心もとなさそうでした。(そして、僕の心の中にも面倒くさいという気持ちがなくもないのが真実です)。
30分ほど昔話をしました。出てきた名前の大半は「現在消息不明」でありました。
AAミーティングに出て、聞いて話すことに時間をかければ、彼の痴呆にも似た症状は消えていくのだろうと思います。しかし、退院の許可は下りそうにないし、たとえ退院したとしても彼を受け止める受け皿は今の社会にはほとんどないでしょう。
「懲役のほうが良かったなぁ」という話もしました。
なんだか切なくなって病院を後にしました。彼が「個人の物語」に興味を持ってくれたのが唯一の救いです。

AAミーティングでは僕のバースディミーティングをして頂きました。他グループから、それから病院からの人も加えると、十数人のにぎやかなミーティングになりました。去年は6人のミーティングで、そのうち3人はほかのグループからのゲストだったことを思えば、増えています。なによりもそのことが僕にはうれしいことであります。
いろんな要因が重なっているとは思いますが、僕としては個人の経験談だけの分かち合いだったのが、ビッグブックを輪読しての分かち合いに変えた頃からの変化のように思っています。

僕は自分では色紙を回さないくせに、若い仲間が僕の色紙を回してくれて、ネットでしか触れあったことのない仲間や、遠くてなかなか会えない仲間の言葉をもらってきてくれました。今夜それは僕の元に届きました。ありがとうござました。
それから、色紙を回してくれた仲間に礼を言ってないや。今度言っておかなくちゃ。

こちらの主宰の方からゲシュタルトの祈りについての訂正情報をいただきましたので、更新しました。

「出会えないことも、出会えることと同じぐらいに素晴らしい」

今夜の僕は、この言葉をかみしめています。


2005年05月17日(火) 風邪が治らない

地区委員会の議事録を整理したり、オープンスピーカーズのチラシの文章を書いたりで、もう今日はこれ以上文章は書きたくありません。といいながら書いている不思議な自分であります。

以前に結核かもしれないという話を書きました。
3月に引いた風邪が、4月に医者に通って良くなったものの、連休の台湾行きで疲れが出たのがどっとぶり返しています。
主な症状は咳と痰です。

結核について少しだけ調べてみました。

・長引く咳(2週間以上)・・・○
・タンが出る・・・○
・胸痛・・・×
・長引く微熱・・・×(低体温)
・長引く倦怠感(体がだるく、活力が出ない)・・・○・・だけどウツもそうだし。
・体重減少・・・×(だな)。

ちょっと微妙な線かもしれません。でも鼻水が出たりするのはやっぱりただの風邪かな。もうそろそろ諦めて、また医者に行くようにしたほうがいいのかもしれません。

といいながら、薬局で、免疫を活性化させるという「細胞賦活用剤」などというものを三千円も出して買ってしまいました。林原生物研究所という名前がものものしい会社のブツであります。まず50mg錠を一日一錠。効かなければ二錠。だめならさらに100mg錠を二錠という指定であります。

「服用後、数日間で活力感、食欲増進、便通、利尿などが起こる」とありますが、いまのところ顕著な変化はありません。この薬の困ったところは「空腹時に服用」と指定があることです。いままで、空腹時服用の薬を飲む習慣なんてないものですから、お腹がすくと何かを口にしちゃったあとで、「あ、薬飲まないといけないんだっけ」と思い出す今日この頃でございます。
自分でもくだらないことをやっているなーとは思いますが、まあ買っちゃった薬だし最後まで飲んでみようと思います。

6月15日までの診断書を書いてもらって会社に提出しました(郵送)。相変わらず会社からは電話の一本もかかってきません。来月か再来月あたりには復帰しないと、会社に立て替えてもらっている社会保険費用の支払いが一ヶ月の給料額を超します。
夏には車検もあるし、困ったものです。

そういえば、10年世話になった前の会社でも、正式採用になったとたんに、二回続けて精神病院に入院したんだっけ。よくクビにならなかったものであります。今度の会社でも、入社早々のトラブルを帳消しにするには2年も3年もかかるでしょうけど、まあなんとかなるかなという気がしています。


2005年05月16日(月) 監禁

若い娘を監禁する犯罪がふたつほど公になっています。公にならないのを含めればいったいどれだけあるのやら。女子高生を数ヶ月監禁しても、監禁した方の親がお金持ちだったりすると、たっぷり謝罪金を払ったりなんかして、裁判で執行猶予のついた判決が確定しちゃったりしています。新聞紙面をにぎわしている犯人たちは、なんとなく貧乏そうで、そこらへんが公になるかならないかの分かれ目だったりするんじゃないかと、勘ぐってみたりします。

台北で不正コピーのソフトを買ってきたことがあると言う話は以前に書きました。普段日本では恥ずかしくて買えない「美少女ゲーム」も5本ほど買ったことがあります。そのうち2本は監禁して調教というような内容だったかな。まあ、「こつこつやって積み上げる」という作業が嫌いな自分ですから、監禁した少女をこつこつ調教するなどという作業を積み上げる根気もなく、ほったらかしになってしまいました。

しかし、そういう商品が存在すると言うことは、そういうものを欲するマーケットが存在するということです。ゲームが現実に実現できない願望の代替手段かというと、必ずしもそうではないことは明らかな訳で、美少女ゲームのプレーヤーの多くは普通に社会生活を送っているのでありましょう。
棚には美少女ゲームがぎっしりという男でありながら、かわいいリアル彼女を持っているという男もいることだし。
だが、中には現実と仮想の境界が曖昧になっちゃう人もいるのが困ったものであります。

昔あるAAメンバーに、あなたはキレやすいから、これからもずう〜っとAAに通い続けたほうがいいよ、と言ったことがあります。そのとき彼は「はいはい」と良い返事をしていたのですが、家を建てたりして仕事に熱心になったとたんに顔を見なくなりました。
次に彼の消息を聞いたのは、精神病院に入院したという話だったので、面会に行ったのですが、その許可はおりませんでした。しばらくその理由は分からなかったのですが、同じ病院からAAに来てくれたメンバーの話から、彼が酔っぱらって警官を殴ったこと、心神喪失を理由に裁判を受けさせてもらえず不起訴になって、精神病院に処置入院になったこと、そしてその期間は5年とあらかじめ決められていることなどが明らかになってきました。

近親者でないと面会はできないそうなので、後日別のAAメンバーを面会に訪れることにして、ついでに彼に会ってこようと思いました。閉鎖病棟に何年も入っていたおかげで、拘禁症の症状がでているようであります。一日の大半をベッドにもぐって過ごしているようです。「ひいらぎは元気か?」というのが僕に届いた伝言でありました。

刑法39条は多くの人の「裁判を受ける権利」を奪っていると僕は考えています。もし彼が(おそらくは)実刑をくらっていたとしたら、元気に刑務所で懲役に服していることでしょう。少なくともボケた人のような日々をベッドの上で無為に過ごすことはなかったはずであります。(そのかわり彼の属する一族は、身内から前科者を出さずに住んだのかもしれませんが)。

拘禁症とまではいかないが、長年精神病院を住処にするうちに、病院の外で社会生活を送れなくなってしまった人々はたくさんいます。英語でホスピタリズムという病名がつけられています。統合失調症の症状が枯れた状態とは別で、本来精神的には健康を取り戻しているはずが、3食昼寝付きの環境に心身が過適合してしまって抜け出せなくなるという症状でしょうか。。
「どこの病院にもある話だ。解決の方法があったら教えて欲しいくらいだ」と、正直な勤務医に話を伺ったことがあります。
監禁とは過酷な体験であり、だからこそ刑罰に使われるのでありましょう。

またバースディのプレゼントを郵送でいただきました。ありがとうございました。
こうして外で勝手なことを言っていられる状態に感謝であります。


2005年05月15日(日) 日曜

車のディーラーの「お客様感謝デー」というのにでかけました。
僕の担当の女性が4月で退社してしまったので、後任の営業の男性の顔を覚えに行くのが主な目的でありました。オイル交換2,000円。
8月には車検であります。つまりこの車も買って5年経つということです。5年で4万5千キロは、この車のオーナーとしては短い方だと思います。

睡眠不足で頭痛がしたので、午後はまた寝てしまいました。

アルコール依存とは全く関係ないけれど、どっかに書いておかないと絶対に忘れちゃうので、ここに書いておきます。

---

Windows MeのWindowsUpdateにおいて、KB828026が何度もインストールされる問題の解決方法

現象:
Windows MeでWindowsUpdateを行うと、毎回「Windows Media Player の URL スクリプト コマンド機能の更新プログラム」がインストールされる。自動更新をONにしている場合は、毎日このインストールに悩まされることになる。

原因:
KB828026が正常にインストールされないのが問題のようです。

解決方法:
msdxm.ocx と wmp.dll のバージョンを確認し、古いままの場合は削除あるいは名前を変更して、WindowsUpdateを実行する。

手順:
[スタート]-[検索(C)]-[ファイルやフォルダ(F)...]
▲侫.ぅ襪泙燭魯侫ルダの名前に Msdxm.ocx を入力。
[検索開始(S)]ボタン
い澆弔った msdxm.ocx を右クリックして、一番下の「プロパティ」を選びます。
ゥ廛蹈僖謄ウィンドゥの「バージョン情報タブ」を選んで、項目のリストから「製品バージョン」を選び、表示された製品バージョンが6.4.7.1128であるか確認します。
違っていた場合は、プロパティを[OK]ボタンで閉じて、msdxm.ocx を右クリックして「名前の変更(M)」を選ます。
Ε侫.ぅ詭召 msdxm.old にでも変更します(削除しても可)。
Ъ,法Wmp.dll について◆銑Г魴り返します(wmp.dllのバージョンは正しくは9.0.0.3075)。

Windows Updateを一回実行し、再起動します。
(必要ならさらに一回)実行して、再起動します。

参考URL:
Windows Media Player の URL スクリプト コマンド機能の更新プログラム
http://support.microsoft.com/default.aspx?scid=kb;%5bLN%5d;828026

Windows Media Player 6.4、7.1 または 9 Series for Microsoft Windows Millennium (KB828026)
http://www.microsoft.com/downloads/details.aspx?displaylang=ja&familyid=e864688c-b176-4d3c-be67-211de4bf9bd0

Windows Update(KB828026)のアップデートについて
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1355552


2005年05月14日(土) ビルはどう思った?

AAの本に『ビルはこう思う』という書籍があります。
AAの「書籍」はほとんどが、ビル・Wの著作によるものであり、この「ビルはこう思う」という本は、いわばビルの言葉の選集といったところでしょうか。
最初は、"THE A.A. WAY OF LIFE"(AAの生き方)という書名だったのですが、その後"AS BILL SEES IT"という名前に改題されました(なぜだかは知りません)。僕は元の題名のほうが好きですが。

AS, BILL, SEE, IT ともに中学高校で習う英語で出てくる単語ですから、英語に詳しくない人でもそれなりに意味をくみ取れる題名であります。だから、「ビルはこう思う」という題名が決まった時には、「なんでそうなるの?」という疑問を持たれた人も多かったと聞きます。

僕は最初に"As Bill Sees It"という書名を見た時に思い浮かんだ日本語は「ビルの見解」でした。ちょっと堅いですね。最初に関西でNさんが「ぶどう樹」に翻訳を部分的に載せた時は「ビルの言葉」という題だったと聞きます。実は邦題は、決まるまではずいぶんと紛糾したのでありました。
最後まで残った候補のリストがあります。

・ビルはこう思う
・ビルの見方
・ビルが見たもの
・ビルのことば
・ビルの思い

どれも、甲乙つけ難しであります。

『今日を新たに』という本もあります。僕はこの邦題があまり好きではありません。現代は"DAILY REFLECTIONS"。ページの上半分にビルの書いた文章があって、ページの下半分に(たくさんの応募の中から厳選された)それぞれ別のAAメンバーの文章が載っています。つまり、AAの回復のプログラムが、それぞれのAAメンバーの心にどう映った(reflect)かであり、はたまた上と下の文章が鏡像(reflection)となっているという意味でもあります。
このreflectionという単語が、邦題に反映されていない気がして、ちょっと寂しいのであります。Reflectionを黙想とか感想とかいう意味にとれば、日々新たに熟考するという意味であるのかもしれませんが。でも、じゃあお前ならなんて訳すんだと聞かれても、なかなか良い訳は思い浮かびません。

今後出版が予定されている本は、Pass It On(手渡していくもの?)、The Language of the Heart(心の言葉?)、The Homegroup - Heartbeat of AA(ホームグループ、AAの息吹くところ?)なんかであります。

英語の得意な人は、邦題を考えてJSOに送ってあげてください。


2005年05月13日(金) ハルシオン

僕の子供の頃は、テレビドラマで自殺というと睡眠薬をたくさん飲んでというのがお決まりのシーンでした(そりゃ、飛び込みも飛び降りも首つりもあったけどさ)。
昔はバルビツール系の睡眠薬を使っていたので、大量の飲むと死に至るのでありました。

いまはベンゾなんとか系という睡眠薬が主流で、こいつはオーバードーズすれば体に良くないけれど、それだけが原因で死んでしまうということはまずないでしょう。睡眠薬自殺は昔のものになりつつあります。

アルコールを睡眠薬代わりに使っていた人は、酒をやめるとたいてい不眠になります。AAの書物の伝えるとおり、アルコールだけが問題という人の不眠は、薬など使わなくても数週間すれば自然とリズムが体に戻ってくるといいます(実際に深い睡眠が戻るまでには数ヶ月かかるといいますが)。
しかし、酒をやめはじめの数週間は、長期型の禁断症状によって、不安だとか緊張に悩まされる人も多く、そこへ不眠も重なると、ついつい昔の寝酒の習慣が出てしまうという訴えにも真実味があります。だから、精神科医が睡眠薬を処方したとしても、不思議ではありません。
おそらく一番一般的なのは、ハルシオン(トリアゾラム)ではないでしょうか?

ハルシオンは「キレがいい」と言われるぐらい寝覚めの良い薬で翌日に残りません。単純な不眠症にはよく処方される薬だと言います。効いている時間の長さで、短期型・中期型・長期型と分類される睡眠薬の中で、ハルシオンは超短期型と言われるほど効いている期間の短い薬です。
だから、飲んだらすぐに布団に入って寝てしまうと言うのが正しい使い方です。薬が効いてきて、(ちょっと酒に酔ったみたいで気持ちいいかな)なんて思って起きていると、そのうち効き目が切れてしまって眠れなくなります。そこで、「次の日の分も飲む」とか「二倍・三倍の量を飲む」ということをやり始める人がいるわけです。
本来は安全な薬だと言われますが、ハルシオンの乱用になっているケースは少なくないのでしょう。医者も「効かなくなった」と言われて安易に量を増やすのが問題だと思います。
さらにその上に酒をやめる気がない人だったりすると、電話しても昼は酒飲んで寝ていて、夜はハルシオン飲んでラリってるということになりがちで、そういうケースを量産してくれる病院もあったりして困ったものであります。

そんなわけで、ハルシオン=怖い薬という思いこみが僕の中にできあがっていたのでした。
でも、最近いろんな人の話を聞くと、ハルシオンで2年、3年と安全に過ごしている人も少なくないことを知りました。そういう人は「すぐ布団に入る」を実践しているようであり、過去の僕のように酒と一緒に飲むというようなことは決してありません。
そういう過去があるので、ハルシオンは処方してもらえずロラメット(ロルメタゼパム)を飲んでおります。

くわしいことはAAのパンフレットに譲りますが、アルコールの問題しか抱えていない人は睡眠薬に頼るのをいつかはやめたほうがいいというのがAAの姿勢であります。しかし一方で、向精神薬を必要とする病気も抱えている人が混じっているのも事実で、そういう人から処方薬を取上げる権利を持ったAAメンバーは一人もいません。AAはアマチュアの集まりであります。

処方薬というとリタリン依存という話があがります。欧米ではもう使われなくなったリタリン(塩酸メチルフェニテート)ですが、日本ではいろんな病気、とりわけ重篤なうつ病の治療薬として使われています。かなり重いうつの状態からも気分を持ち上げる効果がある薬として使う医者もいますが、依存性が高いので僕の主治医は「絶対処方しません」と言っています。でも、友人に聞くと「うつ状態でも仕事しなくちゃいけない時のために頓服でもらっている」というから医者それぞれであります。
闇では一錠数百円から数千円で取引されています。うつで休職前は、よっぽどこいつに手を出して危機を乗り切ろうかと考えたものですが、やめておきました。酒でスリップはしなかったものの、薬で入院や離婚を経験した人の話が僕にブレーキをかけてくれたのでしょう。AAの仲間のありがたいところであります。

薬の話を書き出すととめどがないので、この辺にしておきますね。

台北のコンビニで買った、台北市内地図はオークションでは売れませんでした。


2005年05月12日(木) 娘の将来

TBSのホームページの盗用問題のニュースを聞いて、(人間苦し紛れになるとなんでもやるだろうな)と思ったのは僕だけでしょうか。毎日更新しないといけないという重圧のなかで、いつかはバレると分かっていても、ついついそこらへんからネタを拾ってきてしまうのは、人間の気持ちとして分からなくもありません。
でも、新聞社でないにしても、仮にもマスコミに採用された人間なんだから、そこらへんは職上場の倫理を守ってもらわないと困るなぁという感じであります。

さて、僕には二人の娘がいますが、遺伝的には長女のほうが僕の特質をよく受け継いでいると言えます。髪の毛がストレートの剛毛であることや、国語より算数が得意であること、肩こり体質であることなどなど。お彼岸に実家に親子3人で行った時も、おばあちゃんの水虫を移されて帰ってきたのは、僕と長女で、次女は水虫にはなりませんでした。

僕は、おやつに食べるお菓子として、柿ピーだとかさきイカなどの、いわゆる「酒のおつまみ」のたぐいが好きで、いまもそうしたものを食べています。甘いもの専門の次女に比べ、長女は、(甘いものも好きだけど)イカの足だとかが好きであったりして、「こいつは将来酒を飲むようになるだろうなぁ」と親に思わせるのであります。

さて、夕方時にクロネコヤマトの宅配がやってきたので、「はて、オークションでなにか競り落としたりはしてなかったし、amazon.co.jpも慎んでるし」と思ったら、ウィルキンソンのジンジャーエールが2ダース届きました。妻は懸賞にでも当たったかと思ったそうであります。

緑色のすてきな小瓶であるので、子供たちも飲みたい飲みたいの大騒ぎであります。しかし、ウィルキンソンを飲んだことがある人ならおわかりだと思いますが、これはジンジャーが効いていて、ちょっと子供の飲めるものではありません。
でも、飲ませないことには納得しないだろうと、ひとつ瓶を開けて、コップに注いであげました。

次女は一気に飲み干して、次の瞬間、流しに水を飲みに走っていきました。
長女は、少しずつ飲むと「なんだかお腹がぽかぽかと暖かい」と、なんだか酒飲みのようなことを言うのでありました。やれやれ。

FDDドライブとblog開設のお返しとはいえ、2ダースはちょっと高かったんじゃないかな?

台北の光華商場で買ったSDRAM PC133 CL2 256MBのメモリは、オークションで2,300円で売れました。


2005年05月11日(水) Stood at the turning point

僕は最初は自分のバースディを5月6日と申告していました。それが病院を退院した日だと思っていたからです。でも、よく考えてみると退院する時に、自分で会計を済ませた記憶があります。入院していたのは県立の病院ですから、祝日は休みです。その日は振り替え休日だから、その日であるわけありません。
3月9日に入院・5月6日に退院という記憶が間違いで、3月6日に入院・5月9日に退院というのが正解でした。

ところで、AAではバースディ用に色紙を回す地域があります。時には色紙の代わりに『今日を新たに』という本をプレゼント用に用意して回し、「どうぞご自分のバースディの日付のところにメッセージを寄せてください」と言われることがあります。
『今日を新たに』をお持ちの方は5月9日の日付のページを開けてみてください。そこは文字が多くて空白が狭いページであります。メッセージを書こうとしてもとても窮屈です。同じ日付のバースディの人が先に書いてあったりすると、「いったいこのページのどこに書けばいいんだぁ」と内心叫びたくなるくらいです(ここらへんがうつ病患者的ですね)。

ある時、ある人が、退院してはじめてAAミーティングに参加した日が「自分のAAプログラムが始まった日」であり、自分のバースディです、と言っているのを聞きました。そこで僕も、退院後にホームグループのミーティングにはじめて出た5月11日をバースディにすることにしました。Daily Reflections(今日を新たに)も11日のページは広々としていて、この日付は僕のお気に入りであります。

バースディとは別に僕は「自分のAAプログラムが始まった日」として印象に残っている日付があります。3月6日の入院直後から焦っていた僕は、僕は医者に「退院させろ」「転院させろ」とうるさく詰め寄っていたのですが、医者はまったくとりあってくれませんでした。そこで作戦を変えて、「病院からAAに通わせろ。そのためには自動車が必要だから、家から持ってくることを認めろ」という要求に変えました。
精神病院に入院中の患者に車を運転させるのさえとんでもない話である上に、しかも帰りは消灯後だという「病院始まって以来の破天荒な要求」を僕は押し通しました。

自宅に車を取りに行く許可が出たのが、入院2週間後の3月20日でした。車を取りに帰るついでに、AAミーティングに出てくる予定でした。しかし、JRの乗り継ぎに予想より時間がかかってしまって、予定よりはるかに遅れ、ミーティング会場に着いたのは午後8時59分でした。
いつもだったら、まだミーティングが続いていてもおかしくない時間でしたが、その日はたまたま参加者が少なかったのか、時間が早く終わったらしく、もう誰もいませんでした。
会場の教会の前の駐車場に車を駐め、僕はセブンスターに火をつけると、それを根本まで吸い終わるまでひとつのことを念じていました。

(ミーティングには間に合わなかったかもしれない。でも、僕はここまで来る努力をしたんだ。それは間違いない。今日から僕のAAプログラムが始まるんだ。今日を僕のターニングポイントの入り口にするんだ。誰も見ていないし、証人もいない。でも今日から始まったんだ。それだけは確かなんだ)

誰も見ていなかったかもしれませんが、きっと僕のハイヤーパワーは僕を見守っていてくれたのでしょう。いまでも僕は、相も変わらず、ターニングポイントを回り続けているのであります。

(この話はもう少しボリュームをふくらませて、個人の体験記に収録するかもしれません)


2005年05月10日(火) 結核?

前の会社では、毎年4月の時期に健康診断をしていました。
市の医師会のやっている検査の費用を会社が負担してくれたのでした。品目は、身長・体重・視力・聴力・血液検査・胸部レントゲン・血圧・問診・聴診・尿検査・心電図でありました。

酒のやめはじめの頃は、なかなかGOTが下がらなくて、血液の結果にはいつも印がついていました。それもやがては正常値に戻り、たばこもやめた僕は、健康診断ではいつも「A=健康体」を維持していたのでありました。

いまの会社に雇用される前に、健康診断を受けてくるように言われて、同じメニューの健康診断を昨年秋に受けました。これが僕の受けた最後の健康診断であります。

1月に通院している精神科医のクリニックで血液検査を受けた時に、異常値が多くてそれで休職となりました。4月には会社の健康診断が行われたはずですが、休職中の人間にはお声はかかりませんでした。

今週になって、いきなり義父から「レントゲンを撮るかね?」と聞かれたので、何のことかと思ったのですが、市の事業で結核の検査をしてくれるのだそうです。といっても、胸部のレントゲン撮影をしてくれるだけなんですが、30才以上なら無料なので参加しました。朝早起きなのでつらかったです。
結核予防法というのがあって、その一環としてやっているのだそうです。

3月に風邪をうつされて、4月になってもよくならず、ぜほぜほやっていたので、仕方なく内科医に通って抗生物質と咳止めを出してもらって、なんとか4月下旬には症状が落ち着きました。しかし、台湾に行って疲れてきたのか、一気に症状がぶり返して、咳も出ますし、痰も出ます。

(こいつは、ひょっとすると結核かもしれないなぁ)と自分でも思うのであります。

AAメンバーの中には結核持ちが結構います。普段肉体的に健康で免疫系が強力な時には、結核に感染していても、菌はおとなしくしていて症状は何もありません。でも、体力が弱るといきなりぜほぜほやり始めるのであります。
感染していても免疫が働いていて発病しないというのは、たとえば水虫の白癬菌だとか、胃潰瘍のヘリコバクター・ピロリ菌とかと似ているかもしれません。
まあ水虫やピロリは通院でも除菌できますが、結核菌の除菌には入院が必要なのだとか(だからみんな分かっていても除菌しない)。

「痰の検査もするか」と聞かれたので頼んでおきました。はたして僕も結核持ちの仲間入りをしてしまうのか、単に不養生が続いて風邪が治らないだけなのか、いずれ明らかになるでしょう。


2005年05月09日(月) AAの薫り

掲示板でLUNAさんから、台北のAAも同じAAの薫りがしたのではないかというお話がありました。

「そのとおりであります」

言葉は通じなくて、何を言っているのかさっぱりわからなくても、そこにいるのは見慣れたアル中さんたちでありました。

「そうだと思っていたけど、やっぱりそうだった」

のであります。なにがそうだと思っていたかというと、たぶん同じ雰囲気がするだろうと思っていったのであります。そしてその通りであったからです。

日本での経験で、たとえばAAのオープンスピーカーズとか委員会とかに参加するとします。駅から歩いて会場まで歩いていきます。すると、(この人はAAメンバーじゃないのかな)という感じの人が前や後ろを歩いていたりします。
そうすると、だいたい3分の2ぐらいの確率で、その人はAAの会場へと一緒にたどりつくのであります。

年寄り、若い、男、女、ソブラエティの短い、長い、もろもろに関係なく、AAメンバーがまとっている雰囲気があります。いや、もっと広げると、それはアルコール依存症という病気のもたらす何かのオーラのようなものなのかもしれません。
ひょっとしたらそれは、依存症でない普通の人には分からないのかもしれません。

なんとなくそれに「スピリチャリティ(霊性)」という言葉を使ってみたい気もしますが、あんまり自信がありません。

都会のミーティングに出てきたという仲間の話を聞いて、それから掲示板の記事を思い出して、なんとなくそんなことを考えた次第です。


2005年05月08日(日) My Name is Bill W.

JSOで所長から Drunk という映画の話をうかがったので探していたら、途中で見つけたのが "My Name is Bill W." というテレビ映画でした。1989年のもので、ビル・ウィルソンの伝記みたいな内容のようです(想像)。飲んでいた20代から、AAの発展を見るまでを追っている(ようです)。
アマゾンの価格は2,191円というから決して高価なものではありません。が、問題は在庫がないということであります。

中古品(マーケットプレイス)の値段はなんと14,800円。足下見てるなー。

ではアメリカのamazon.comはどうかと探してみると、こちらはもちろん在庫切れ。でも中古品の値段は良品で30ドル台です。しかしよく考えてみると、字幕なしのものに、いまそれだけの値段を出すだけの価値があるかどうか・・・。
でも、古本道の先輩から「見つけたときに買っておかないと、後からいってももうないよ」という格言をいただいているからなー・・・。

掲示板のほうにも書きましたが、10年20年たつと、新刊は出版社の在庫からも消えます。(いや最近は本の2〜3年で消えるか)。以前は、そうした絶版本は、ものによっては低下の何十倍もの価値をつけたものです。
いまでも、そうした稀覯本のたぐいがなくなったわけではありません。

でも、インターネット古書店の登場で、たいていの絶版本も根気よく探せば、そこそこの値段で手にはいるようになりました。マット・スカダーの活躍も追えるというものです。
一方で、コレクターズアイテムの値段はあがるばかりであります。

物欲に流される前に、「それが本当に自分が欲しいものであるかどうか」見きわめる力が必要とされているのでありましょう。

特定のキーワードを入力しておくと、番組表からそのキーワードが含まれる番組を勝手に録画してくれるというソフトがあります。とりあえずそれに「マイ・ネーム・イズ・ビル」という単語を登録したのでありました。


2005年05月07日(土) タイヤ交換・お祭り・ノートPC

実家では田植えが行われているようですが、体調が悪いので今回は休ませてもらいました。

といいながら、うつ病には「頭を使わずに体を使う作業がよい」という言葉に従って、スタッドレスタイヤの交換をしました(今頃かよ)。4月でも悪天候の夜は峠路が凍ることがあります。というのは理由づけで、単に面倒くさいから先延ばししていただけですが。

タイヤの保管場所が車庫の天井というのが難点でありまして、20キロ以上はあるであろうタイヤを上げ下げするだけでうんざりしてしまいます。

午後には母から電話があって、田植えは無事終わったという話でした。いまは自家消費分だけ作業して、あとの田んぼは農協に代理耕作を頼んでいるので、それほど大変な作業でもなくなりました(だから僕が行かなくてもそんなに大変じゃないんだよと自分に言い訳)。

義母と話をしていたら、「太ったわねー」と言われました。義母は一番太っている人であります。僕もそのお仲間入りをしてしまったというわけです。そこまでは笑い話だったのですが、「毎日食っちゃ寝しているから太ったでしょ」と言われて、(そいつは因果関係が逆だ。ストレスで過食?で太ったのが原因でドクターストップがかかったのに。いまは少しずつでも痩せているのに)と思ったものの、心の中にしまっておきました。

夕方から近くの神社のお祭りに子供と行きました。毎年この週末は田植えにでかけており、実家で夕食をごちそうになるのが好例だったので、このお祭りに参加するのは初めてであります。
僕は金魚すくいに挑戦したのですが、取れたのは弱った金魚一匹であり、その夜のうちにご臨終してしまいました。子供たちもそれぞれ1回ずつやって、おまけの金魚を合計3匹連れて帰りました。
その金魚はメダカの水槽に同居しております。ちなみに3匹いたメダカは、えさをやり忘れたら共食いしたらしく、いつのまにか一匹になってしまっています。

ノートパソコンのジャンク品が届いたので、2台のノートパソコンをバラして1台を組み上げました。無事Windowsが立ち上がって良かったと思ったのもつかの間、CD-ROMが動いていない(ドライブは動いているけどWindowsもBIOSも認識しない)ことが判明しました。分解と組み立ての作業を明け方まで繰り返したものの、結局できあがったのはCD-ROMのないノートPCでした。座って作業を続けたせいで腰が痛くなってしまいました。
ネットで調べてみると、この機種はCD-ROMを認識しないトラブルが多いのだとか。
ジャンク品あさりはまだ続くのであります。


2005年05月06日(金) 遺伝病?

すっかり風邪が悪くなってしまいました。
電話してくる人みなに、「鼻声ですね」と言われます。

精神病院にて同室に入院していた人から電話がありました。毎年この時期(退院した時期)とお正月前後に話すぐらいで、あまりつきあいもないのですが、久しぶりに話すのは楽しいものであります。
あのとき一緒に入院していた人たちの中で、その後なんとか無事にやっているのは、この人と僕、それから同じ盆地の中で断酒会の会長をしている人の3人だけになってしまいました。(もちろん、再入院の後にソーバーになった人は何人もいますが)。
断酒会はやめてしまわれたそうですが、病院の組織した自助グループ(?)とは関係を持っているそうであります。
病院は南信、僕は中信と、信州の中でも違う場所なので、あのとき一緒に入院していた人のその後について僕は詳しくありません。が、地元であるこの人の話では、すでに多くの人が鬼門に入られたとか。飲んでいるアル中の平均寿命は52才とも55才とも言いますから、当たり前かもしれません。

ジジとババだけの生活に、ゴールデンウィークということで、子供や孫が訪れて大酒を飲むと明るい声で話されたので、「アルコール依存症の人の子供は、他の子より4倍依存症になりやすい」という研究結果の話をして冷やかしてしまいました。僕も人が悪いです。
(ちなみにアルコール依存症の親のところへ養子に行っても、それほど依存症になりやすくはならないそうですから、依存症が子供の頃の家庭環境の問題が原因であるとする説は弱いです)。

親がアルコール依存症という人は、機会的飲酒をするならともかく、ストレス解消のために習慣的に酒を飲むのは避けた方が絶対に無難です。アメリカでは3代続けてAAメンバーというのも珍しくない話だとか。

糖尿病は遺伝病ではないですが、親戚に一人も糖尿病の人がいない人は滅多に糖尿病にはならないものです。逆に身内に糖尿病の人がいる人が、暴飲暴食をすると糖尿病になりやすいわけで、「なりやすい体質」+「環境や行動」のふたつが組み合わさって発病するわけです。

鬱病も「なりやすい体質」+「環境や行動」であり、依存症もまた同じであります。ただアルコール依存症は、「4倍しか違わない」という点で「誰でもなりうる病気」であるとも言えます。

使っていなかったPentium 90MHzのノートPCに急遽Windows 98SEをインストール中。


2005年05月05日(木) ノートパソコン破壊

やっちまったー。

WindowsXPを入れるのに4GBのハードディスク(HDD)では容量が小さすぎるだろうと、HDDの交換を思いつきました。10GBのHDDが僕のWindows95ノートに使われているのですが、さすがにWin95で10GBは使いきりません。そこで、この10GBのをXP用に、4GBを95用に交換することにしました。

ノートパソコンも分解するのは割と簡単であります。昔のゴツいのは、手順も複雑だったんですが、最近のは製造工程を簡単にしてコストを安くするために、バラすのも組むのも簡単にできるようになっています。

で、Sotecのノートの分解を始めました。
ノートパソコンがハマグリのようにぱっくりと口を開けます。
がしかし、ハードディスクを固定しているベゼルは、どうしてもキーボードを取り外してからでないと外れそうにありません。であるものの、キーボードの外し方がなかなかわからないのです。
ここらへんで、注意深く作業を進めれば良かったのですが、作業を依頼した当人である妻は、隣で高いびきをかきながら昼寝中であります。なんとなくイラついた僕は、力業にでることにしました。「バキバキ」。

ノートパソコンと液晶ディスプレイの間は、たいていフレキの線でつながれています。これは折れやすいので、どちら側かで取り外せるようになっているものです。このフレキを切らないように、ちゃんと取り外してから作業すれば良かったのですが、ついつい面倒くさがってそのまま作業した結果、さきほどの力業の時にぶっちぎってしまいました。

ノートパソコンは起動するものの、液晶ディスプレイには何も表示されません。
メーカーの修理受付に電話して、明日取りに来てもらうことになりました。修理見積もりまでに一週間、それから修理に一週間。もし見積もりだけで修理しなくても、手数料が最低1万7千円。

どうせだからと、ハードディスクの交換は続行しました。なんとかバラし方のコツがつかめたのがもう夕方。CRTをつなげば映るので、リカバリーCDから、Win98と一太郎をインストールして「これで修理代が2〜3万ですむなら高い勉強代だと思って諦めよう」そう思いました。

しかしそこで変な色気を出してしまいました。「フレキの基盤をセロテープでつないでみたら、液晶も映るんじゃないか・・・」

30分後、起動すらしなくなったノートパソコンを前に呆然とする自分がいました。
メインボードまで交換になったら、修理費はいったい何万円になるのか・・・。

冷静になるのに何時間かかかりましたが、同じものをオークションで競り落とせば数千円であります。買うのであれば、売ってバランスをとらねばなりません。こうして台湾行きですこし中断していたオークション熱が再発しそうであります。

ちなみに、水で洗ったウルトラベースは相変わらず不調のままであります。

フィリップの法則:「四輪駆動は、普通の車より救出が困難な場所で立ち往生する」


2005年05月04日(水) 疲労

月曜・火曜と自分では元気なつもりでしたが、今日(水曜)になって一気に疲れがでてきました。

ひとつには胃腸の疲れでありまして、お腹を下しております。ちょっとウツっぽいけれど、これはメンタルな面よりも、体調によるもののほうが大きいのでしょう。

子供たちはPHSやら、パソコンソフトやら、新しい「おもちゃ」が増えたので、それらに夢中であります。パソコンのセキュリティ設定は厳しめにしてあるので、ActiveXコントロールなんかが実行できません。そのたびにソフトが止まってしまうので、呼ばれる羽目になります。いっそのこと、もう一台ぐらいCD-ROMのついたノートPCがあったらいいんじゃないかと考えるのですが・・・(ため息)。

『親父の小言』を眺めたりしながら横になっているうちに夕方になりました。
疲れているから、正直言ってAAミーティングを休みたい気分であります。しかし、手元にはBOX-916(AAの月刊誌)があって、これを届けないと予定通りBOXを使ったミーティングができません。
そんなわけで、重い体を引きずってミーティング会場に行ったわけです。

疲れているのは顔で分かるそうであります。でも、ミーティングが終わると、心が軽くなって、顔も明るくなってきます。それも見れば分かるそうであります。

実家によって、母に台北の話をしました。おみやげは買ってこない約束だったので、それは問題なかったのですが、「明日、前の会社の社長さんに資料を返しに行く」と言ったら、「お礼に台湾でおみやげを買ってくれば良かったのに」と言われました。
言われてみればそうであります。まあ、ジャスコの菓子折かなにかでごまかすしかないでしょう。
でも、さすがにそこら辺は親は人生の経験が豊富であるな関心してしまいました。まあ、『親父の小言』なんか読んでいたせいかもしれませんが・・・。

妻が自分のノートパソコンの調子が悪いのは、Windowsが98なんて古いバージョンが入っているからだと言って「XPをインストールしろ」と迫られました。女は感情の動物であります。「ハードウェアとOSにはバランスというものがあって、2000年に買ったこのPCには98がもっともふさわしい」というような理屈が通じるわけもありません。
とりあえず今夜は勘弁してもらいましたが、明日はそんな作業でつぶれそうです。

台北に行くに際し、僕のThinkPadにはウルトラベース(ドッキングステーションと呼んでもいいし、クレードルと呼んでもいいし、台座と呼んでもいいです)を装着していきました。DVD-ROMドライブを仕事で使う可能性があったからです。
でも、仕事が終わってしまえば、台座がついているのはじゃまなだけです。だから、それは外して鞄の着替えの奥へとしまい込んで日本へ帰ってきたのでした。
荷物を開けて驚いたのは、ボディーソープのキャップがゆるんでいて、ウルトラベースがボディーソープだらけになっていたことです。ティッシュで拭いて、ウェットティッシュでぬぐったんですが、泡が出るばかりでぬるぬるが取れません。

試しに本体のPCを装着してみるとピーピーとうるさい警告音が鳴ります。おそらく接触不良なんでしょう。これじゃ使い物になりません。

どうせ新しいのを買わなければならないのなら、その前にひとつ試してみたいことがありました。「水で丸洗い」です。

まえに、テレビで「調子の悪い家電製品を水で丸洗いすることで修理してしまう名人」を見たことがあります。電気製品の水をかけるのは御法度であるのですが、それは通電状態での話(ショートしちゃうからね)。水で洗ってキレイにして、それを完全に乾かす手段は、理屈にあっています。

で、さっそく実行しました。電源もDVDドライブもじゃぶじゃぶ水をかけました。5月の太陽の光の下で乾かして、さきほど電源を入れてみたら、無事直っていました。ラッキー。だからといって、調子の悪いパソコンを水で洗うようにはお勧めしませんが。


2005年05月03日(火) スクリプト・キディ対策

1月くらいからでしょうか、ホームページに対して変なアクセスが見られるようになりました。
ホームページだけで、他のページにアクセスする様子はありません。アクセス元のIPアドレスは、日本ではなくて海外のあっちこっちに漫然と散らばっています。ただなんとなくプロキシーサーバーっぽいところが多いなあという感じは受けます。いわゆる「匿名串」というところをランダムに使っている感じです。

リファラー(アクセス元)には、xxxとかpussyとかいう単語が入った海外のアダルトサイトが入っています。もちろんそんなサイトが「心の家路」にリンクを張ってくれているわけではありません。
User Agentもそれっぽいブラウザー名をランダムに選んでいる感じです。

いわゆる「いたずら」なんでしょうが、www.ieji.orgが集中攻撃を食らっているかというと、そういう感じでもありません。数で言えば一日に10〜20くらいです。www.ieji.orgを収容しているサーバーには実は600以上のドメインが収容されているので、どこか他のドメインに対する攻撃のとばっちりを受けているんじゃないかというのが、僕の予想です。

副作用としては、毎日のアクセス数が10〜20ぐらい水増しされてしまう(スクリプト・キディも訪問者と言えなくはないと思うけど)のと、毎月の統計のリファラーランク上位にアダルトサイトが並んでしまうことぐらいでしょうか。

対策なんていつだってできるさ、と思いながら、先延ばしの天才は今日まで解決を先延ばしにしてきました。これからはアクセス数が実数(?)に戻るので、すこし数が減ると思います。あと連休中なんかは数が減るんですよね。皆さん会社からアクセスされる人が多いのかな(あと大学とか)。以前はお昼休みにアクセスのピークがあったんだけど、今は朝9時台に山があるんですよ。始業早々に「日々雑記」とかを読まれるのでしょうか?

昨日19万円の教材を買った妻が、今日はクーリングオフのはがきを書いています。こちらが妙に騒いで刺激しなければ、落ち着いて冷静な判断が下せるのでありましょう。辛抱して待つということの大切さを教えられております。はがきだと不達のおそれもあるので、FAXでも送っておきました。

その教材の代わりに、電器店で小学生向けの学習ソフトを買ってきました。妻のパソコンを姉妹で取り合ってけんかになるので、しかたなく僕のノートPCを提供しました。ただ、肌色動画とかも入っているので、運用には十分注意しなければいけないのであります。

体の疲れがとれないので、夕方まで昼寝しました。
そして新しくできた会場(新設じゃなくて移転だけど)へ顔を出しました。
帰り道に仲間とメールのやりとりをしているうちに、内容がだんだん辛辣になっていってしまって、「あなたの性格的欠点が」などというメールを送ってしまいました。そんなメールを送るほうに性格的欠点があるのは自明であります。
でも、性格的欠点は自分で直すものじゃなくて、神様が取り除いてくれるものだから、無理して怒りを抑え込んでうつになってみたりするのは愚かしいことかもしれません。

憎たらしかろうが、気に入らなかろうが、つきあって行かざるを得ない。それがAAの仲間のいいところであるのでありましょう。


2005年05月02日(月) 遠方より来たる

昨夕の特急しなのの中で電話をもらい、電波状態が悪かったので、帰宅したら折り返しこちらからかけるという約束をして切りました。でも、帰宅したらすっかりそんなことは忘れてしまいました。
だから、今朝早く(=9時)から電話でたたき起こされたとしても、それは自分が悪いのであります。その電話は、ミーティングに参加者が増えることを予告していました。

電話を切ってからお昼まで寝ました。その間に、妻が訪問販売業者と19万円の小学生向け教材の契約を結んでしまいました。「僕は反対だ」という意見は言ってみたものの、彼女が「自分の貯金から払う」と言われるとそれ以上抗弁できません。結婚前に彼女が形成した財産は、彼女の専有物であります。一方飲んだくれの自分には、結婚前に財産などなにもありはしませんでした。

さて、足が水虫であるにもかかわらず、僕は台北にいる間中、靴下と革靴を履いていました。毎日薬を塗っていたものの、高温多湿の条件は白癬菌に味方したようです。長女と一緒に皮膚科に行きましたが、医者は僕の足を見るなり「困った足だね」と言いました。一ヶ月かけて改善してきた症状が、後戻りどころか、最初より悪くなっています。
抗生物質を毎日一粒飲むことになりました。

さて台湾で活躍してくれたPHSですが、いつもだったらここでPCカード型のに戻してしまうのですが、長女がそろそろ携帯電話を持ちたいというので、音声電話のままにして普段は彼女に持っていてもらうことにしました。毎月千円の出費増になりますが、まあ安心料というところでしょうか。
ちなみに、番号は070-XXXX-YYWZという覚えやすいパターンであります。

体はだるかったのですが、いつもどおり月曜のミーティングに出かけることにしました。
東京で顔見知りになったKさんというAAメンバーがいるので驚いてしまいましたが、実家が長野で帰省のついでだそうです。長野のミーティングには初参加なのだとか。

アフターミーティングのお誘いがあったので、ファミレスで11時近くまでお茶してしまいました。彼は仕事をしていて、奥さんがいて、子供もいて、ステップもまめにやっていて、AAのことに熱心で、僕はひとつの理想像として彼をとらえている部分があります。そういう部分を抜きにしても、AAのことに熱心に取り組んでいる人と話をするのは楽しいものであります。
(誰がミーティングに来たとか来なかったとか、そういう話は書かないんだけど、今日は特別ね)。

いろいろ試みたいことはあるものの、いまは体を休めることが一番優先でしょうね。
(とは言いつつも、明日もミーティングに行く予定)。


2005年05月01日(日) 台北(長野へ)

朝はチェックアウトのために、こちらの会社のSさんがわざわざ来てくれました。
こちらの会社では、社長と副社長とSさんの3人が英語を話すことができます。本来Sさんは経理の人なのですが、外国からの人間の応対をするうちに社内のこと全般に詳しくなって、社内での地位も向上したようであります。

台北にはFM100という英語の放送局があって、ニュースや天気予報、歌などを英語で流しています。Sさんの車に乗せられていると、うすらぼんやりと世界情勢がわかります。そして、台湾にとって日本がさして重要な国でないことも理解できます。(ちょうど野党の人物が大陸を訪れている時期でもありました)。

松山機場という国内線の空港に連れて行かれ、そこで国際空港へのバスに乗せられました。バス代はタクシー代の10分の1であります。

おみやげは買わない予定でしたが、子供用にTシャツを買いました。ラウンジのPCで「心の家路」にアクセスしてみました。英語版のWindowsでしたが、ちゃんと日本語も表示できて、日本語IMEも使えました。どの言語のWindowsを買っても、他の言語が使えるというWolrd Wide Binaryという考え方は、もっと評価されてしかるべきだと思うのであります。

なるべく現地通貨を残さないように両替して、小銭はユニセフの袋に入れました。そういえば、昨夜のAAミーティングでは、献金箱もなく、献金袋が回ってくることもなく、ミーティング終了後に会計係が集金していました。100元札を出したら、「ひとり50えん」と言われておつりを返されてしまいました。

僕は飛行機でも列車でも、窓側より通路側の席を好みます。トイレに行くのに人にどいてもらわなくてすむし、アテンダントや販売員に声をかけやすいからです。でも、たまにはと思って窓側の席にしてもらいました。でも、途中は空が見えるばかりで、特段おもしろい見物はありませんでした。

飛行機が遅れることも考えて、特急の最終便を予約していたのですが、定刻通りについたので2時間以上名古屋で時間が余りました。みどりの窓口の長い列に並んでいたら、「列車の変更は自動券売機でできます」と駅員が教えてくれました。便利じゃないかJR東海。JR東日本もそうなっているのかな? おかげで、2時間待たずにすみました。

長野は雨が降っていて寒かったです。旅の間じゅう鞄の中に入っていたトレーナーを出して着ました。JRの窓口では、全身黒ずくめの少女が「新宿まで一番安い切符をください」と駅員に言っていました。家出少女じゃないかと心配になってきます。

台湾のガイドブックには「80年代以降急速な経済発展を遂げた台湾では、女性の働く場所も増えて売春宿は消えた」と書いてありました。でも、豊かなはずの日本でも歌舞伎町や吉原があります。暴力団員に捕まった中学生の家出少女が、二週間で20人の客を取らされていたという新聞記事もありました。台北でも「男性理髪店」という大きな看板を掲げながら、なぜか昼間は閉まっている店がたくさんありました。

帰宅すると、社会保険事務所から「傷病手当不支給決定の通知」が届いていました。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加