心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2003年12月31日(水) 大晦日

月に2〜3回しか更新の無いサイトを、毎日訪れてくれる人というのは、おそらくは雑記を読んでくれているのだろうと察しています。今年もだいぶサボった日もあったけれど、なるべく毎日雑記を書くように心がけました。たぶん書くのをサボる日々が続けば、もう二度と書くことはなくなってしまい。サイトの更新意欲もなくなって、ほったらかしにされ、そしてサーバーのレンタル期限が終了すると同時に『心の家路』も存在を止めてしまうだろう・・という崩壊の構図が見て取れるからです。

AAミーティングへの出席も同じようなもので、「もうやめた」という決意で来なくなる人というのは多分少数派なんでしょう。2〜3回なにかの都合で行けない(行かない)ことが続いてしまうと、そのままなんとなく通うのを止めてしまう人が多いのじゃないかな。

サイトを維持しているのは、もうひとつ理由があって、エンジニアとしての技量を広げようという欲と楽しみがあります。今年は掲示板を設置しようとcgiの本を何冊か買ってきたのに、結局やらずじまいでした。携帯電話から見られるようにしようという計画もあるのだけれど、いつになったら実現するのか見当もつきません。

来年もきっとこの愚にもつかない雑記を書き続けていくでしょう。今年一年どうもありがとうございました。来年もぜひよろしくお願いします。


2003年12月30日(火) レコード

1000円のケーブルを交換すると、パソコンは無事に青ざめなくなりました。ヨドバシで買った安いDVD-ROMドライブは不用品になってしまいました。やれやれ。ついでに言うと(値段は秘密だけど)CD-RWドライブも買い換えてしまいました。
物欲の人に金を持たせるとロクなことはないですな。

LPプレーヤーが無事届いております。中国製ですげー安っぽい感じであり、アームを動かす仕組みがプラスチックの歯車で安っぽい動作音がしたり・・・。でもきちんと動くから不思議です。機械は単純明快なのが一番ですね。
問題は、レコードクリーナーがなくて、ほこりの多いレコードだとスクラッチノイズが激しいことでしょうか。

80年代、LPレコードがCDに置き換わっていく頃のことです。30cm45回転シングル盤というのが流行り、しかもシングルとアルバムではアレンジが違うという、小賢しい販売促進策が始まった時代でした。アルバムのほうは後日CDが発売されるのですが、シングルのほうはCD再発売がないものも多かったです。十数年ぶりでそういう音源を聞いていたりします。

アルコールで失った年月を取り戻したいという気持ちが心の奥に眠っているのかもしれません。そういえば、AAのメンバーは年齢よりも若く見える人が多いですね。「酒のせいで人生経験が切り取られてるからだよ」とは口の悪い仲間の言葉。


2003年12月29日(月) 細い道

世の中の誰も彼もと一緒に仲良くやることはできない。
この冷徹な事実に、僕は目をそむけてばかりいるのです。

みんなに気に入られたい。みんなと仲良くやりたい。みんなに歓迎して欲しい。

これがひっくり返ると・・・

どうして僕のことが気に入らないのか?
どうして僕と仲良くしてくれないのか?
どうして僕のことを歓迎してくれないのか?

そんなことが心のどこかに引っかかって消えてくれません。ある場合には僕は尊大に出てみる。逆にみんなに気に入られようと一生懸命がんばってみたりする。でも、事態はちっとも変わってくれない。悩みはいっそう深くなるばかりです。

誰にでも気に入られ、誰とでも仲良くなれ、誰からも歓迎される・・・そんな自分が世の中のどこかにいるような気がしてならない。その幻想をいつも追いかけている。

そんな超人のような理想を自分に押し付けるなんて、なんてわがままで、なんて傲慢なんだろう。もし他人から「完全無欠の自分を目指せ」なんて言われたら、僕はそいつを蹴っ飛ばすに違いない。でも、自分で自分に押し付けるぶんには、まったく気にならない当然のことだと勘違いしてしまうのです。

僕のことが視界に入っていない人もいる。僕は人に嫌われることもある。僕と係わり合いになりたくないと思っている人もいる。それだけのことなのに、何日も何年も落ち込んでみたりする。

人は励まされる必要がある。それは真実なんだけど、いつも優しい言葉ばかり探して投げつけているのは、相手にも自分にもプラスにならない。甘い言葉をかけてくれる人に、もっともっとと甘えていけば、いつかはしっぺ返しを食らうのは当たり前のこと。

傲慢の岩山と、自己憐憫の沼の間の、謙虚という細い道が私たちの歩むべき道だと先達は言いました。だがその道は余りにも細く、左足は沼に浸かり、右足は斜面にかかったまま、僕はずるずると歩いているのです。


2003年12月28日(日) Enjoy Life

深夜、寝ようと思って居間へ行ったら妻がテレビをつけっぱなしのまま寝てしまったので、スイッチを切る前にチャンネルを回してみました。アニメ専門チャンネルで、サイボーグが活躍する映画をやっていたので、思わず見入ってしまいました。終わって時計を見ると、午前3時になってしまいました。
エンドクレジットの最後に「押井 守」の文字を見たときには、ああやっぱりそうだったのかとうなずいてしまいました。アニメのタイトルは「攻殻機動隊」というやつです。ヲタクとしては一線を退いて長いけれど、その気持ちが消えてなくなったわけではないですな。

相変わらずWindowsが青ざめるので、原因を考えてみました。そういえばAAの用で東京へ行ったとき、新宿の西口の○ドバシカメラで「一番安いDVD-ROMドライブ」を買ったんだっけと思い出しました。やっぱり安物買いの銭失いというやつでしょうか、名も知らぬメーカーよりもやっぱ国産品だよね〜と、近所に買いに行きました。

買いました。

症状は変わりませんでした。

落ち込みました。

原因は古いケーブルにあると気がついたときにはもう夜になっていました。余計な7000円の出費にどよ〜んと落ち込んでおりました。
年賀状作成完了。休暇を楽しんでおります。


2003年12月27日(土) Windowsが青ざめる

早朝から昼まで6時間睡眠。

グループの会計処理をしました。この6ヶ月の献金を全部数え、JSOとセントラルオフィスに半分ずつ分けました。郵便局へ向かう途中で、ふと地区委員会への配分を忘れていたことに気づき、家へいったん帰って3分の1ずつに配分しなおして、また出かけました。
歳末の郵便局は、年賀状を出しにくる人だとか、僕のように年末の支払いを済ませる人だとかで混み合っていました。

なんとなくパソコンの調子が悪いです。こうして文章を書いている途中にも、突然「ブツ」という音とともに真っ青な画面に変わってしまいます(これをWindowsが青ざめると言います)。今日は何度リセットボタンを殴りつけたことでしょうか。

新種のウィルスが流行っているのか、メールを受信するたびにアンチウィルスが反応します。ウィルスといえば、今年はインフルエンザはどうなんでしょうね。酒を止めた後に一回インフルエンザにかかったことがありました。高熱が出て、手足が振るえ、汗がびっしょり、寝ていてもうなされてばかり・・・。でもアルコールの禁断症状に比べれば、たいしたことはなかったかな。逆に言うと、毎日がインフルエンザより酷い症状で、よくもまあ飲みながら生きていたものだなぁ、と過去を振り返ってつくづく思います。ああ、あの頃には戻りたくない。

最後の入院のときに、酒歴発表というのをやったのですが、掃除をしていたら、その手書き原稿が出てきてしまいました。あの頃の感じ方は、今とはだいぶ違うと思う部分もあるのですが、ちっとも変わっていない部分もあります。
面白いから、「心の家路」に収録しようとタイプしていたら、Windowsが青ざめました。もう、今日はやめやめ。


2003年12月26日(金) 大掃除

朝から会社の大掃除。窓拭きおよび床掃除。
リストラなどで人数が半分近くに減ってしまい、しかも今日も実務で社外に出ている人間がいるという状態で、完全に手不足なので、完全に手抜きな掃除でありました。
かかってくる電話の数だけはいつもと変わりありません。年末が押し迫っても営業という職業の人たちは、日々と変わりないようです。製造業の人たちは、今週は祝日があったこともあって、明日土曜までの営業のところが多いようです。サービス業の方たちは年末年始も関係ないといったところでしょうか。
欧米の会社のサポートサービスからは、もう一週間も前に「クリスマス休暇に入ります」というメールが届いています。旧正月の中華文化圏は年末年始は関係ないはずなのですが、輸出企業は輸出先(つまり日本など)が休みになってしまえば、開店休業状態だそうです。

年末調整でいくばくかの現金を頂きました。これが僕のAA活動の原資の一部となるわけです(ほかのことにも使うけど)。ふつうのオトーサンだったら、パチンコだとか競馬だとかに使ったりするのでしょうか? 僕はパチンコはやりません。あまりにも分が悪いからです。競馬で勝つには強力なデータマイニングが必要なようです。
以前、競馬を職業としている人たちに会ったことがありますが、彼らにとって競馬はギャンブルではなく、成果を出さなければならない「仕事」でした。リスクを最小限に抑える彼らの買い方は、ギャンブルというよりビジネスなのでしょう。彼らはそれで妻子を養い、確定申告もし、健康保険税も払っているのですから。

掃除のせいで早くも筋肉痛が起こり、キーボードをたたくのがつらいです。

リンク集に、れいさんの アルコール依存症者のつぶやきを追加しました。


2003年12月25日(木) くわばらくわばら

P共和国のF大統領は、憲法を変更して3選を目指した・・・が、結局は亡命。R共和国のP大統領も、やっぱり憲法を変更して3選をめざすらしい。
権力を持つ者はその座から降りたがらないというのは、人間に共通する傾向なのでしょうか。

日本のAAにも常任理事会というものがあります。trustee(信託を受けた者)を「常任理事」などとエラそうな肩書きに変えてしまうはどうかと思いますが、それは脇に置いときましょう。任期は4年で、これはAAの様々な役割の中で最長です。そして、当然任期は一回限りってことになっています。ところがこれには裏口があったりするわけで、それはきちんとしてた規定なんで、別に不正でも何でもないのですが・・・。
任期を終えても「あともう4年理事会に参加したい」と願う心は純粋なのかもしれません。でも、ハタから見ていると日本に亡命しているF大統領の顔や、いつも強張ったP大統領の顔が思い浮かんでしまうのは僕だけでしょうか。

権力はアルコールのように人を酔わせる(ことがある)。もちろん酔っている本人は「大丈夫、問題ない」と言うでしょうし、問題があることを指摘したら憤然として否定するでしょう。まったくアルコホーリクとは厄介な生き物です。

くわばらくわばら。


2003年12月24日(水) LPプレーヤー

LPプレーヤーを買ってしまいました(まだ確定じゃないけど、たぶん買うことになるでしょう)。現行品のなかで一番安いヤツです。ま、自分へのクリスマスプレゼントということで。

心なしか、街を歩く男女が手をつないでいる率が高かったような気がします。クリスマスイブだというのに、僕の心のなんとせわしないことでしょう。仕事も明日の木曜日でおしまいです。あさっては職場の大掃除だけ。だから、年内指定の仕事は明日までに片付けないといけません。昔のコマーシャルで「休みたいのに休めない」というフレーズがありましたが、当時は「なに猛烈を気取ってやがるんだ」と思ったものです・・・が、いざ自分がその立場になると痛切につらいですな。ともかく、あと二日で休みです。
休みになったら、布団と仲良しでいよう。


2003年12月23日(火) 単なる知識

ことわざに、喉もと過ぎれば熱さ忘れると言いますけれど、酒を飲んでいたころの苦しさというものは過去のものになりつつあります。あの絶望感であるとか、孤独感であるとか、一日の長さ短さとか、肉体の苦痛の連続だとか、それはもう言語による記号でしか思い出すことができなくなっています。
「飲めば必ずトラブルになる」ということも知識としても経験としても覚えてはいるのですが、それでも「ひょっとしら今度はうまく飲めるのでは」とか「治っていても不思議でない」という完全に非科学的な考えが頭の隅っこに顔をだすことだってもちろんあります。
まるで普通の人のように生きているような気になってしまえば(つまり自分がアル中でなくて、普通の人だと思うようになれば)機会さえ訪れれば飲んでしまっても不思議ではないでしょう。でも、飲めば破滅です。

「俺はもったいないから酒を止めてるんだ」と言った仲間がいました。せっかくお酒が止められた数年間があるのだから、それを無にするのは、あまりにも「もったいない」と。

悪いことが重なって「運悪く」スリップしてしまったという話を聞きますが、まあ「後から考えれば、ほとんどのスリップには原因があったことがわかる」と書かれていますから、スリップに偶然はないのでしょう。

でも、ソブラエティが始まるのに「運良く」ということはあるのかもしれません。たまたま良い条件が重なったために、しばらく酒を止めることができたという場合です。僕の場合もそんな僥倖のソーバーだったのかもしれません。あとは、そのしらふの生活をたまたま少し大切にするができただけなのかもしれません。
ソブラエティを大切にする人もいれば、粗末にする人もいます。粗末にしていれば、運の悪さに耐え切れない。それは僕も同じ条件です。

生活環境が安定しているほど、ソーバーを粗末に扱ってもドライは続いていくものです。変化にとんだ人生を送っている人ほど、きちんとプログラムをやっているなぁ、とソブラエティ評論家みたいなことを言ってみたり。


2003年12月22日(月) クリスマス更新

新宿駅の南口の前を走っているのが国道20号線「甲州街道」です。これは長野県まで続いていて、塩尻というところで国道19号線にあたって終わっています。19号線のほうは名古屋から長野まで続いています。高速料金節約のために、ミーティングの帰りはどちらかの国道を走っていることはよくあります。

一昨年だったか、その前の年だか、19号線で光ファイバー埋設工事を延々とやっていて、いらいらしながらそれを待っていた記憶があります。FTTHなんて何年先になったら実現するんだろうと思っていたら、今年は我が家に光ファイバーがやってきてしまいました。ヲタクとしての見栄+料金が安くなったというのが理由ですが、この料金は不正競争だという理由で是正勧告がでているという話です。もともと月一万円でも赤字だ!とNTTの誰かさんも言っていたっけ。でも、「これからは公正な競争のために、月額1万2千8百円いただきます」なんて急に言われたらどうしよう。

僕が生まれ育ったうちは、明治の廃仏毀釈で菩提寺がなくなってしまったため、神道をおがんでおりました。婚家は浄土真宗のおうちだったので、いちおう現在僕は仏教徒ということになっておりまして、法事のときなどは坊様のありがたい説法を聞いたりしております。
ではあるものの、平均的な日本人としてクリスマス・イブはローストなんとかとケーキを食べる習慣になっております。また平均的なAAメンバーとして、公民館に出入りするのと同じぐらいの気楽さでキリスト教会にも出入りしているわけです。
そんでもって、「クリスマスの夜ぐらい家族と過ごしなさい」とAAメンバーから説教をくらったり(提案とも言うけど)しているわけです。むぅ。

掲示板に「ゆり」さんの祈りの投稿があったのをきっかけに、求めと応えを追加しました。ありがとうございます。


2003年12月21日(日) いろいろなことが「今年最後になっていく一週間」

白い部屋の高い天窓は、冬の南関東の青く青く澄んだ空を切り取って見せてくれていました。僕が酔っ払っていたころ、東京の空はこんなにきれいだったのでしょうか? いや、年末年始だけ、空は本当の青さを取り戻し、がらんとした都市を見下ろしていたはずです。

ともかく東京行きはこれで「今年はおしまい」の予定です。
行きと帰りのバスの中ではゆっくり眠らせていただきました。

帰ると夜8時。
飲んでいたころに買って、今でも使っているラジカセを、パソコンについないでみました。実はLPレコードしか持っていない(というかCDで再発売されなかった)アルバムがありまして、そいつを何とかカーオーディオで聞きたいな、という希望を持っていたのです。昨今レコードプレーヤーが復権したとは言え、オーディオマニアでない身としては、たかだか数枚のLPのために高いプレーヤーを買おうって気にはなれません。
でもテープに録音しておいたヤツがあったはずなので、それをパソコンに取り込んでCDに・・・と考えたのですが、手元に残っていた十数本のテープの中にはありませんでした。以前、捨てちゃったのね。
(現在、中島みゆきのラジオ番組を録音しておいたのをWAV化しています)
久しぶりに趣味で遊んで楽しかった。


2003年12月20日(土) 冬の準備

自分のサイトがどんなキーワードで検索されてきているか、ということはサイト維持者にとって大きな関心事です。日記のシステムが新しくなって、どんなキーワードでヒットしたかわかるようになりました。笑ってしまったのが「大掃除+やり方」。年末らしいキーワードですが、残念ながらこの日記に書いてあったのは「生き方の大掃除」という言葉でした。

はてさて、午前中は5センチぐらい雪が積もったのですが、僕が寝ているうちに義父母が雪かきをすませてくれていました。ごめんなさい、いつも。
ちょうど良い時期だから、という理由でスタッドレスタイヤに交換しました。2台の車のタイヤ交換に1時間以上かかってしまいました。せっかくタイヤ交換したんだからという理由で、郵便局まで行きました。AAメンバー向けの年賀状の差し出し、それにセントラルオフィスとJSOに書籍の支払いです。帰りは圧雪や凍結面の上でわざとブレーキを踏んで車の挙動を思い出しました。

冬はあまり好きではありません。道路事情が悪くなるせいか、ミーティングに出席するメンバーの数が減ります。そして春になっても戻ってこずに、別の場所(病院とか)から現れる人もいます。年末年始は公共施設が休みになるせいで、ミーティングがお休みになる場合も多いし、いつもとは違う生活リズムになる関係もあるのでしょうか、お正月あけそうそうに「ありりりぃ」という話を聞く話も珍しくはありません。

仲間が減るということは、すなわち自分自身の危険が増すということでもあります。だからあまり冬は好きになれないのです。


2003年12月19日(金) どろどろ

どろどろに疲れ果てて、週末にたどり着いたという感じです。

年末調整の書類を出していないので、経理の人から怒られてばかりです。年末調整のお金は現金でいただけるので、千円亭主である僕にとっては貴重な現金収入であります(それはつまり、妻には内緒ということです)。
いちおうボーナスというものが出まして、「夏が出なかったんだからそのぶん上乗せ」などということもなく、出ただけ幸せという状態であります。
マイカーにETC装置をつけるという提案は却下され、「じゃエンジンスターターの買い替え」というのも却下されてしまいました。でも、この前ヤフーオークションでカーオーディオのCDチェンジャーを入手しているとは、敵は知るよしもあるまいです。

僕の受け取るメールの84%はSPAM(迷惑メール)です。だんだん増加傾向にあるのは仕方ないことなのでしょうか。以前はメールを携帯電話に転送していたのですが、いちいちうるさいのでやめてしまいました。SPAMフィルターのソフトを入れておりまして、これはメールの中の単語の頻度で分類してくれるものです。バイアグラとか○○○増大とか多重債務救済とかの単語を含むものは、日本語・英語を問わずSPAMとして分類するように学習させてあります。でも、たまに間違えてしまう場合もあって、特にAA関係のメールに「SPAMと勘違いされる」傾向があります。

だから、余裕ができると時々SPAMの箱をのぞいてみて、まっとうなメールを救い出さねばならないというわけです。クリスマスカード、ありがとうございました。気がつくのが遅くてすみません。


2003年12月17日(水) カミングアウト

今日、僕はカミングアウトしました。といっても会社の同僚一人に打ち明けただけですが。
もっともその人は、僕がアルコール依存症であることは先刻承知です。なぜそのことを知っているのかは判らないけれど、狭い人間関係の中で秘密が保てないことは仕方ないことです。
だから、カミングアウトした事実は「僕がAAメンバーであること」というわけです。

「僕が仕事と家庭以外に、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしていて、よく家族もそれを許しているなということに、疑問を持っているのじゃないですか? えへへ。その疑問にお答えしましょう」

と新しく出版された『AA早分かり』を手渡したのでした。彼はいくつか質問をし、僕はそれに答えました。結局のところ、僕はその集団の中で、人間関係を一から築くということを、何度も何度も練習して、相変わらずド下手ではあるものの関係を構築することが、とりあえずできるようになった、という恩恵を与えられたわけです。

それで、しばらく話をしたあと、話題は別に移っていきました。こうして僕の「初カミングアウト体験」はまあ成功に終わったわけです。

しかし、そう簡単に一日が「良い状態」で終わってくれるはずもありませんでした。不幸の訪れは、「問題の解決のために、年末の休み中に台北に来てくれ」という英文のメールでした。今週の初めから、その件で交渉を進めているところでした。僕は英語の話す・聞く・読む・書くの能力のうち、書くのがもっとも苦手なので、日本語で書いたものを商社の人に英語にして送ってもらっているのですが、返事はなぜか直接僕のところに届くのです。そして、その内容の強さに、滅入ってしまったというわけです。
相手は日本人じゃないから、ビジネスなら、こうして欲しいという希望は全部遠慮会釈なく言ってきます。だからこちらも、自分の都合の良いように、言いたいことを全部言っているわけです。

そして、家に帰って気づいたことは、僕は「トラブルの原因は僕の間違った判断にあった」という事実を認めざるを得ない状況に追い込まれて、交渉の相手ではなく「自分の不完全さ」に対して、怒りと軽蔑の気分を持ってしまったからこそ、落ち込んでしまったのだということです。
何のことはない「超人幻想」というやつに溺れていただけでした。誰だって間違えることはある。未来を見通せる人間などいやしない。シンプルな真実です。

ま、どうせ年末に行ってみても、準備ができていない以上、解決にはなりません。来月でしょうね。僕は2月にAAで大事な用を抱えているので、それに影響が出ないよう祈るばかりです。


2003年12月16日(火) 睡眠不足

なんだかんだ言って、睡眠不足の日々が続いています。すると、薬の副作用とかと無関係に「鼻血」が出ます。鼻の中からするする〜っと何かが流れ出そうとしたら要注意です。出てくるのは鼻水じゃなくて、真っ赤な液体です。くしゃみも厳禁です。後始末が大変だからです。
仕事中もティッシュペーパーを抱えながらパソコンに向かっています。
でも、鼻血が出てもすぐに止まっちゃうので、そんなに気にはならないのですが・・・。

人々に「鼻血出ちゃってさー」と話をして、「病気なの?」とか「まぁ、若いわね〜」とか、「最近はかぜがはやってるからな」?とか言われまして、「実は単なる睡眠不足なんです」と言うと、たいていは「今夜は早く寝なさい」と言われます。

僕も「早く寝ます」という約束をするんですが、約束をした回数だけ、その約束は破られるというわけで、すっかり周囲から「体調管理のできないヤツ」と見下されております。

ソブラエティの道具90に18を、リンク集にAA三島グループを追加しました。


2003年12月14日(日) あー、おなか痛い

92年のワールド・サービス・ミーティングの報告書を探しているのですが、なかなか見つかりません。JSOにはもう在庫はないそうです。10年前にグループとしてきちんと機能していて、報告書を受け取っており、それを10年間保存しておいた人、なんて滅多にいるものではありません。

自分の最後に退院した病院へメッセージ活動。往路は高速道路を使いすぎて、時間が一時間近く余ってしまいました。
病院というのは普通地元の人が一番多いのでしょうが、精神病院となると話は別で、地元の人が少なくなる傾向があります(長野県のような田舎だけかもしれないけど)。それはアルコール依存症でも変わらなくて、みんな地元で名の知れた「キチガイ病院」に入るよりも、距離のあるほうが少しはマシだと思うのかもしれません。まあ、みんなそれぞれに事情も違うでしょうから、いちいちたずねてみたりはしませんけど。
病院の近くでミーティングをやっていると、入院患者さんがミーティングに来たりして、けっこう良い関係が築けることもあります。でもそういった患者さんが、退院して戻っていった地元のAAミーティングにつながる率は結構低いものです。そうすると、「あそこのグループは何やってるんだ。ひきつける魅力がないんじゃないか」とやっかみたくなるのは、人間としての悲しい性でありましょうか。

今日は一日中「ごろピー」でありました(腸弱用語集参照)。往路は病院近くのショッピングモールで、復路は途中の市の文化ホールでお世話になりました。文化ホールのトイレはなかなか格調が高くてよろしかったです。自分にご褒美という意味もこめて、ラーメンを食べに寄りました。でも、午後の4時に開いているラーメン屋さんを探すほうが大変でした。

そろそろスタッドレスタイヤを履いた車も見かけるようになりました。でも、早くからスタッドレスを履く人は「よほど山奥」に住んでいるとみなされる傾向があるので、人並みでありたいものです(単に交換が面倒なだけだけど)。

年賀状の宛名印刷もトイレへ。今日は何回トイレに行ったことでしょう。それでも、最近のプリンターは信頼性があがっていて、ちゃんと見張っていなくてもきちんと印刷完了してくれました。


2003年12月13日(土) 気分はもう年末

高原の湖にあるホテルの前の道路には雪が積もっていました。そしてホテルに泊まっている人たちはスキーヤーでした。AAメンバーの車はノーマルタイヤでしたが、滑らずにすみました。
とりあえず、いつもどおりのラウンドアップはできそうな感じです。上野駅から茨城県の一番福島県寄りまで行くよりも、新宿駅から山梨寄りの長野県に行ったほうが近いんだよ、きっと。なんて言ったら春のラウンドアップ関係者に叱られてしまうかな。

帰りに自分の車にガソリンを入れようと思ったのですが、ちょっと逡巡している間にセルフのガソリンスタンドを通り過ぎてしまいました(ちょっと高めだと思ったのさ)。でも、その後ず〜っとスタンドがなくて、結局フルサービスのスタンドに入ってしまいました。5円差で約50リットルだから、約250円の差ですね。窓拭き賃に250円は高かったかもしれない。
それから、990円の散髪屋に寄って帰宅。

AAの文書などつつきまわしている間に夕方になりました。あわてて年賀状のデザインに取り掛かり、約10分で完成させたので、いわゆる手抜きであります。めったに使わない清書用カラープリンターは、めったに使わないだけあって使い方が判らず、説明書の入ったCD-ROMを探す羽目になってしまいました。
とりあえずAA関係用の四十数枚の裏は刷り上ったので、宛名のほうは明日の夕方にとりかかることにします。


2003年12月12日(金) あれもしたい、これもしたい

明日は来年の10月にやるラウンドアップのホテルの下見に行く予定です。
別に何時に行ってもいいのでしょうが、お昼時にかかると相手に気を使わせてしまうという問題があるので、午前9時集合だそうです。ああ、休みの日なのになんて朝が早いのだろう。まあ、それはともかく、朝方にかけて雨が降りそうなのがちょっと不安です。
アメダスのデータを見てみると、夜半前なのに県内は0度になっている地点もたくさんあります。このまま冷え続ければ、やばいかも。それに、ホテルはスキー場のふもとだったような・・・。でも、これからスタッドレスタイヤに履き替えようという気にはなれません。

この週末に、AAの仲間向けの年賀状を印刷したいと思っています。来週末は忙しいし、その次になるともう年末です。最近はぜんぜん会ってなくて、年賀状だけしかやりとりがない相手もいます。こうなると年賀状というのは「生存証明」みたいなもので、飲まずに無事に生きているぞ! と伝え合う手段のようなものです。
たとえコンビニで買って一筆書いただけのものでも、「おーい、生きてるかー」という掛け声となって、お正月をにぎわしてくれるのです。
(ま、出さないメンバーは出さないんだけどね)

霧が出てきたようです。気温が下がっても地面があったかいから雨が蒸発しているのですね。雪になっても道路上は解けてしまって、積もることはないでしょう。それでもスリップには気をつけなくちゃね。


2003年12月11日(木) 御礼

ホームページのアクセスカウンターが2万を越えています。1万になるときには毎日注目していたのですが、今回は気が付いたらもう2万千を越えていました。
なるべく目立たないように縦長のホームページの一番下に置いてあるってことと、自分はホームページはほとんど見ない(「僕の徘徊先」のページを使っている)せいです。

気にしているのは、アクセスカウンターの集計のほうで、こちらは毎日何人が訪れてくれたかを数えてくれます。これが増えた減ったと一喜一憂しているわけです。ここ数ヶ月は35〜60人ぐらいの数を上下しています。増減の理由は探れませんが、「土日は減る」「更新があったときは増える」「掲示板が熱いときは増える」という傾向があります。

時間別に見ると、23時〜1時が最も多いのです。0時か、日付が変わってから訪れるかで日別カウントが大きく変わってくるのでしょうね。次第に減っていって、明け方にゼロ近くになります。それから昼間はゆるやかなピークとなります。以前は昼休みはグラフが凹んでいたのですが(皆さん業務時間中に見てるのかな)、最近は9時前、昼休み、午後5時過ぎに小さなピークがあります。午後6時・7時は少なくて、それから夜中に向かって増え始めます。

ホームページの設計は「目次型」で、これは言ってみれば雑誌の表紙がそのまま目次になっているようなものです。デザイン面では不利なのですが、アーカイブ(資料館)を目指しているので、これでいいかなと。

最近は年末であることもあって、なかなかサイトの更新もままならず、更新されているところといったらこの「日々雑記」ぐらいで、あとは掲示板に少し動きがあるぐらい・・・。なのに毎日きてくださる方に感謝しております。

AAメンバー向け年賀状と、このサイトのお正月三が日特別バージョンのデザインを共通にして手間を減らそうという魂胆です。


2003年12月10日(水) ハッピバースデー・マイ娘

今夜は上の娘の誕生日をやりました。実際の誕生日は明日なのですが、明日はAAミーティングで僕は夜遅いので、一日繰り上げたというわけです。
下の娘も一緒に大騒ぎの一晩でありました。

「パパはなんで明日いないの?」と聞かれましたが、「いつも木曜日は遅くなるじゃない」と言って答えをあいまいにしてしまいました。パパがやっているAAというのは、英語に関係があるらしい、ということだけしか理解していないみたいです。当分はその誤解を守っていきましょう。いつか彼女も真実を知るときも来るのでしょう。

娘二人は、僕が酒を止めてから生まれましたから、僕が飲んでいるところを見たことがありません。だから、何のためにパパの帰りが遅くなるのか、実際のところはよく理解できていないでしょう。

いつ、どんなふうに伝えたらいいのか? 悩んだ時期もありましたが、最近は、時期が来ればハイヤーパワーが答えをくれるだろうと信じています。だからもう悩まない。


2003年12月09日(火) 真実は人を自由にする

僕は悲しい事実に直面しています。それは、僕の使っている部屋の面積(いやもう体積を問題にしたほうがいいな)は有限であり、新しいものを入れるためには、なにかを犠牲にしなくてはいけないということです。いままでは捨てるものは雑誌などで済んでいたわけですが、いよいよ狭くなってきて、たとえば仲間が時間をかけて書いた文書だとか、送られてきた郵便物だとか、そういったものを新聞紙と一緒にストックに突っ込むのはつらいことです。

それから、借りているだけで、早めにコピーして返さなければ・・というようなものもいくつかあったりして、せっかくコピー機も買ったのに、時間がないのは嫌なことだなぁと嘆くわけです。(業務用と違って家庭用は遅いのです)。

人間の生き方も同じようなもので、新しいものを入れるためには、過去の人生の残骸を片付けなければならないということでしょうか。例えば僕は、東京でフリーのソフトウェアエンジニアとして仕事をしていきたかったし、そのための能力も十分あると思っていたのです。酒が自分をそこから弾き飛ばしてしまっただけであると思って自分を慰めていたのです。しかし、自分の乏しい自己管理能力では、酒に足をとられなくても、走り続けられたかは疑問です。能力というのは生活力も含めた総合力なんだろうから。
まあ、今は家賃を払わなくてもいい住居を与えられていることに感謝しましょう。

新聞をめくっていたら幼児虐待の連載記事が目に留まりました。中にアダルト・チルドレンの言葉がありました。10年前のアダルト・チルドレンのブームが何を残したのかは僕にはわかりませんが、少なくともACという言葉を定着させた功はあると思います。


2003年12月08日(月) 月の光の下を走りながら

月曜日と木曜日は、僕はほとんど残業しないということが職場で定着しております。まあ、忙しければすくに消し飛んでしまうような暗黙の了解に過ぎないのですが、僕はこの暗黙の了解(というか既得権)を守っていかなければなりません。つまり、ミーティングに出るために職場から脱出しやすい状態を保っていかなければならないのです。
そのためには、他の日にはそれなりに「がんばって」仕事を片付ける必要もあり、月曜と木曜には夕方まで仕事が残らないように気を配っているのです。もっとも、僕の仕事は「ヶ月」単位で進む仕事ですから、仕事がきれいに片付いた状態で職場を後にすることなど珍しいのですが・・・。

月曜日はホームグループのミーティングではなくなったので、それほど気にかける必要ななくなったのですが、週2回よりミーティングを減らしてしまうと、おそらく辛くなってしまうでしょう。それは、仕事で出張していて何週間もミーティングに出られないでいると、だんだん神経がささくれ立ってくる経験から推し量れます。そんなわけで、フリーになった月曜日も、どこかのミーティングには出るように努めています。

有料トンネルを抜けながら、「自分はいったい何をしているのか」と考え込んでしまいました。それはつまり、なぜそうまでして時間と金と体力を使ってミーティングに出なくちゃならないのか? という疑問です。最初のうちは「自分が助かるため」だから自明です。その次には「他のアル中を手助けすることで、ソブラエティが得られる」というピンクの雲に乗っているわけです。そのうちその霧も晴れてくると、「だからといってそこまでする必要があるのか」という疑問に捕らわれるわけです。
これはとても常識的な考えですから大切にしないといけないと僕は思うのです。信仰とは感情に溺れることではなく、理性を納得させる必要があると。そして僕の理性の結論としては(過去の経験に照らして)「そこまでする必要がある」というわけです。感情では「めんどっくせー」と思っていても、仕事と同じで「好きであるか嫌いであるかともかくやる必要があること」をやっているのだと。

「自分ひとりじゃ助からないし続けられない。だから、他の人を引きずりこんでいくんじゃないか」と仲間が言いました。ほかの誰でもない、ただ自分のためにやる。そうやってAAは始まったし、これからも続いていくのでしょう。


2003年12月07日(日) カントリー・レポート

カントリー・レポートを書いていたら、朝になってしまいました。月曜日にディスケットを届けると約束した以上、日曜日には発送しないといけません。おかげで徹夜になってしまいました。途中、Word君が「ハードディスクがいっぱいで保存ができません」と泣き言を言い出すことが2回あり、結局作業を3回やり直す羽目になりました(ハードディスクにはたっぷり余裕があるのに変だね)。

評議会が行われるのは来年の2月だし、理事会の報告書などは来年1月に出されてくるものです。特に僕の担当している財務関係の資料などは、年度会計処理が終わるのを待たないといけないので、2月になってやっと手元に届く始末です。だから、僕のレポートぐらい1日ぐらい遅れてもいいのではないか、という考え方もあります。しかし、一応締め切りは11月の15日だったわけで、すでに3週間も遅れています。しかも、催促を受けて「月曜日にはディスケットが手元に届くようにします」と電話で約束してしまったのです。

僕は、AAの中で「仲間だから」という理由で甘えがはびこっていることが、良くないことなのだと考えるようになりました。その最たるものが宿泊イベントの当日キャンセルです。飲まなくなって何年も経っているのに、そういう常識はずれのことを平気でやらかす連中がいるわけです。人間だからやむを得ないことはあるでしょうが、キャンセル料金ぐらいはきちんと支払うべきです。そうでないと、その金額は皆の献金から補填されてしまうのですから。
AAはアルコホーリクの集まりだから、世間どおりにはいかないことも多々あります。相手もアルコホーリクだから許さなければならないことも多々あるし、自分も許されているのです。でも、AAだから世間と違う常識が通用するという甘えに浸ってはまずいのです。

普通、仕事で月曜に届けると約束したなら、月曜に届かないと信用にかかわります。できないなら、そんな約束をするほうが悪いわけです。だから、自助グループでも甘えに流されないように気をつけるべきだと思うのです。(すでに、3週間遅れている時点で、十分に甘えているわけだけど)。

お昼に目を覚まして郵便局に行ったものの、午前中で閉まっていました。しかたなく宅急便の営業所へ回りました。帰ってテレビをつけたら、ラグビーの早明戦をやっています。飲んでいたころは、テレビ神奈川の大学ラグビーの中継をよく見たものです。

激しいボディコンタクトがあり、15人という大人数の意思統一が必要であり、足の速さと筋力の強さ、それに80分を走りきる体力が求められ、複雑極まりないルールへの理解と、一瞬の判断力が作戦の成否を分け、偶然の要素が多く絡み合い、にもかかわらずミスは致命傷で、しかもたった一人のレフェリーにすべてを委ねてしまう。人間にあまりに多くのものを求めすぎるこのスポーツが僕は好きなのです(見るのが)。そしてサッカーや野球ほど、弱いものが勝つ余地がないという非情さも好きです。

明治は早稲田をよく追い詰めました。最後は1トライ1ゴール差まで持ち込みました。でも、勝利の女神は実力のあるほうに微笑むのでした。手に汗を握りました。久しぶりにテレビを見たけど面白かったです。


2003年12月05日(金) 一次電池

こちらのウェブマスターからそそのかされまして、Linuxをインストールすることにしました。中古を1万円で買ったノートパソコンがあるので、それにインストールすることに決めました。その前に、壊れてないか確認しようとしたところ、CMOSメモリーをバックアップしている内蔵電池が切れていることがわかりました。そういえば、このPCを使わなくなったのも、毎回起動するたびに再設定をしないといけない面倒さが原因でした。

ホームセンターに行って、定番のCR2032という電池を67円で購入しました(たいていはこれです)。マイナスのスクリュードライバーをくさび代わりにして、バキバキとノートパソコンを開け、電池をみつけて交換しようとしたところ・・・「なんじゃ、このでっけー電池は?」。
見たところはCR2というカメラ用電池に似ていますが、それよりでっかいし、3.6Vというのも妙な一次電池です。型番をGoogleってみると、電池メーカーが判りました。その会社の総務部へ電話をして「小売りしている場所を教えてください」と尋ねてみたのですが、メーカー相手にしか売らないと断られてしまいました。
もちろんノートパソコンのメーカーS社に頼めば電池ぐらい換えてくれるのでしょうが、電池が切れるぐらいですから、保障期間だって切れてます。往復の送料も含めると一万円ぐらいはかかってしまいそうな予感がします。

さらに探してみると、アメリカの電池小売店がネットで通信販売しているのを見つけました。でも、送料込みで$38ということはカードで支払うと五千円ぐらいになってしまいます。

型番は同じでなくても、3.6Vの一次電池なら何でもいいんじゃないか・・と探してみるのですが、なかなか小売のものはみつかりません。唯一みつかったのは、Macintoshというパソコンの内蔵電池がやっぱり3.6V。そしてそれは、市内のパソコンショップの片隅に見つかりました。1080円。

さて、これで来週ヒマな時間があれば、ひさかたぶりにLinuxに触れられるはずです。ただ、このノートPCにはCD-ROMドライブもLANもついてないというのが、若干問題ではあるんですが・・・。

Linux日記になったりはしないんで、安心してくださいね。


2003年12月04日(木) 睡眠不足

慢性的睡眠不足で眠いです。

昼間の仕事中も眠くて仕方なくて、デスクから立ち上がってフロアの中を意味もなくうろうろしていたりします。あんまり眠いから早く帰ると、今度は夕食の後がさらに眠くてたまりません。暖房をつけて、座布団のうえで心地よく眠りについてしまいます。起きると夜の10時か12時ぐらいで、あわてて冷めた風呂に入ったりして、それから細かいもろもろのことを片付けて、明日の準備をしたりしていると、夜の2時とか2時半まで起きていたりする羽目になるのです。
当然、翌朝は睡眠不足でさらに眠いです。この悪循環の繰り返し・・・。

「夕方眠くなるのは、薬の影響ってことはないですかねぇ?」と医者に聞いてみても、すげなく「生活習慣でしょう」と言われてしまいました。常識を使えば、そういう判断ですね。

今夜は早く寝よう(もう12時だけど)。そうすれば、睡眠不足も解消して、仕事も効率よくなって、空いた時間に仕事以外のこともできるに違いない(業務専念義務違反)。


2003年12月03日(水) コードウェーナー・スミスだっけ?

雑記を書くのも実は面倒なんだけど、多分僕の性格からして、いったん止めちゃったら再開はしないでしょう。止めないから続けていられるというか、走り続けている限り転ばないというか・・・。

毎月給料が入ると、お小遣いの分け前をもらいます。なるべく早く郵便局へ行って、3通の通帳に千円づつ預金します。その時財布の中にあった小銭もATMに放り込みます。そして来年僕のAAバースデイがやってきたら、中身はオフィスや委員会にバースデイ献金として渡すつもりです。今年のバースデイの時に、「バースデイ献金をしようと思ったけど、なかなか一度にたくさんするのは無理だね」という話をしたら、仲間が「バースデイ献金のための、自己貯金プラン」というのを教えてくれました。その時、たまった貯金は、すでに自分のものでなく、仲間のお金を預かっているだけなんだと思えばいいよとアドバイスされました。
月々千数百円ずつためた通帳の残高を確認したら、3通とも一万円を越えてました。「おお、3万円あるぜ、なんに使おう」と物欲がささやきました。「すでに自分のものではない」と考えろという仲間の忠告がなかったら、ちょっと危なかったかもしれません。

新聞で「世界の中心で愛を叫ぶ」という言葉を目にしました。「世界の中心で愛を叫んだ獣」ってなんだっけ? いやエヴァじゃなくて(あれは盗用だから)、元ネタのほう。

12月に入ったとたんに忙しくなってしまいました。今夜はPCに開発ソフト一式をインストール。あと、携帯電話のメモリ編集ソフトと地図ソフト、「筆まめ」、DVDオーサリングを入れればほぼ復旧終了かな。
ボビーがロッテマリーンズに復帰して、「こみー」を呼び戻したらしい。僕のほうは事務局の「こみー」からカントリーレポートの催促を受けました。もう締め切りを3週間も過ぎてるものね。

夜中に仲間と1時間半も電話してしまいました。仕事のことやらイライラがたまっていたので、ひさしぶりにすっきりしました。AAの表の部分がミーティングだとするならば、裏の部分は(たとえばスポンサーシップなど)の一対一の分かち合いです。両者のバランスは大切だと思います。


2003年12月01日(月) アドレス帳

朝8時起床、9時出社、会議、電話、見積書、昼食、掃除、メールの返事を書く、のっぺりとした午後、ノートパソコンのOSもXPにする、夕方に待っていたメールが届く。花丸うどん。AAミーティング、テーマは「酒」。今夜は画像編集関係のソフトインストールなど。

今回のミスで失ってしまったデータの中で、特に痛いのは「アドレス帳」でしょう。7月の段階のは残っているのですが、その後に連絡を受けたメールの変更やらFAX番号の変更が反映されていません。ここのところ2〜3年で、メールアドレスを気軽に変える人が増えてきました。

理由のひとつには、迷惑メールを助長してパケット代で大もうけをしていた携帯電話会社が、さすがに世間の非難を交わしきれず、かといって通信量が減るのも嫌だからという理由で、メールアドレスを変更し放題にしたのがあるでしょう。電話会社には一円の得にもならないワン切りのほうは、たった数ヶ月で撲滅に近い状態にまで押さえ込んだのとは、とても対照的です。いまや、携帯電話のメールアドレスは使い捨てになってしまいました。

もうひとつは、一時期はインターネット死刑まで受けたhotmailをMSが買い取って、こちらも使い捨て感覚のメールサービスを始めちゃったのが原因でしょうか。以前ならhotmailでメールを差し出そうものなら、「良識を疑う」という返事をもらったり、悪くすると相手のサーバーが受信拒否をされたり、さんざんだったのですが、いまやhotmailだからと言って差別されることもなくなりました。お金を払わない代わりに、多少の迷惑メールの受信さえ我慢すれば、メールアカウントがいくつでも取得できるのです。MSはhotmailのユーザー二十億人とか言ってますが、実数は何人であることやら。

時代は変わるものです。アドレス帳と「お気に入り」とメール仕分けルールのバックアップは自動的に毎日取るようにしたほうがいいかな。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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