心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年10月31日(金) 眠気吹っ飛ぶ

毎夕毎夕眠いです。夕食を食べてさっそく寝ようとしたら、妻から「風呂に入ってから寝てくれ」と言われたので、しかたなく風呂に入り、すると中途半端に眠気が取れてしまったので、パソコンを起動して何かしようとしたら・・・・電源は入るのですが、起動しません。何度リセットしても、電源を入れなおしてみても、起動しないものはしません。BIOS画面すら出ずに、HDDのアクセスランプがつきっぱなしです。

そういえば、最近起動時にキーボード関係の意味不明なエラーを出していることがあったので、気にしていたのですが、まさか故障の前兆とは・・・あちこちいじりまわし、CMOSメモリクリアという技で復活できたのはめでたしめでたしなのですが・・・、根本の原因は不明のままです。また、いつ調子が悪くなるか不安です。

さて、「AAも原書で読めば感じるところがあるのか」という話を掲示板のほうで頂きました。

僕なりにお答えしましょう。「あんまりないです」

日本語にまだ訳されていないものに接することができる、という点では確かに利点がありますが、重要なものはほとんど日本語に訳されています。そして、すでに訳されているもので、翻訳の質が極端に悪いというのはそうありません。確かに日本語として読みにくいものはあります。それは、翻訳に必要なのが英語の読解能力+日本語の記述能力だからであり、両方を兼ね備えたAAメンバーってのは数が限られているからです。僕も前者の能力についてはそこそこだと思っていますが(うぬぼれ?)、後者の能力については自信はまったく持っていません。

あえて、日本語訳の質が悪いAAの本を挙げてみるなら「12の概念」が読みにくさでは最悪。次が「成年に達する」。いずれもあんまり売れない本です。数がはける本は、何らかの形で翻訳の改訂が行われますから、質も少しづつ向上していきます。今の出版局は、誤字脱字・誤訳超訳をまめに直していく方針のようです。

そんなわけなので、僕が日本語のAAの本で理解できない部分を、原書であたってみても、やっぱり理解できないケースがほとんどです。それは自分がまだその段階まで成長していないからだと思っています。もちろん翻訳の質に疑問を感じる場合もあるのですが、(富山出張のときにやってみたように)自分なりの翻訳を考えてみても、単に自分に読みやすくなるだけで、質が向上するというわけでもありません。
ただ、これからやってくる人のためにも、もっと全般に読みやすい本にしていくべきだとは思っています。

さて、「翻訳されていないもの」に接することができる幸せは存在します。ただ、それを自分ひとりの恩恵にしておいたら、何にもならないというのがステップの教えるところです。なので、呻吟しながらそれを翻訳して、恥ずかしながらもインターネットに公開したりしているというわけです。人々がそれを恩恵として感じてくださるかどうかは、僕の問題ではなくて受け取り手の問題だと考えることにしています。でも、フィードバックはいつでも歓迎です。


2003年10月30日(木) 老舗はえらそうだ

Wally P.のBack to Basics(B2B)とHow to Listen to Godという本が手に入りました。B2Bのほうはすでに日本語訳があるのですが、いちおう原文も押さえておきたいという理由と「安かったから」という理由で買ってしまいました。ちなみにB2Bは、ニューヨークのAAのGSOから「改訂の提案」を受けて第2版となっています。

実は台湾に行く前に注文して、でかける直前に届いていたのですが、いそがしさにまぎれて忘れていた次第です。注文して3日後ぐらいに届いたので、びっくりしてしまいました。送料も$9.50とお安くなっております。いつも最低一週間は待たせるくせに、$40以上送料を取る某社とはえらい違いであります(もっと安いポスタルサービスを使えよ! だいたいあそこは「船便」を指定しても航空便で送ってくるし、ぶうぶう。どうせ買ったって、すぐ読むわけじゃねーんだから、何ヶ月先に届いても同じなんだよ!)

仕事がヒマになってきたので、勤務中にも関わらず「こころの科学」とか読んでいます。「依存性のない物質の乱用や、行為の繰り返しに対しては依存症という言葉は使えない」 どこで線を引くか、かなり明確なので納得してしまいました。

ところで前の段落で、ひとつしか例を挙げてないのに「〜とか」という言葉を使ってしまいました。けれど、最近はNHKのアナウンサーも原稿を読まずにしゃべっているときには使っているので、もはや日本語として定着したということでしょう。日本語IMEが「ら抜き言葉」を平然と変換してくれる時代です。「正しい日本語」なんてものがあるとは信じないけれど、時代とともに言葉も代わっていくことを実感します。

最近は、夕方眠くて1〜3時間ぐらい寝てしまうこともしばしばです。そのぶん夜更かしして、睡眠不足でまた夕方眠いという悪循環です。


2003年10月29日(水) 道程

誉められても素直に喜べない自分がいます。疑心と誤ったプライドが原因でしょうね。

相手は本心から誉めているのか、それともからかっているだけなのか。それから、いちいち儀礼的な賞賛に舞い上がっていて「単純な人物」と思われたくないという意識もあります。ほめる・けなすで簡単にコントロールされたくないという反発もあるかもしれません。

Keep it simple というのがAAのスローガンです。ま、AAの独占物ではありませんが。さらに、Keep it simple, stupid の頭文字をとって KISS という略語にしたりします。「単純にしろよ、この間抜け野郎!」というわけです。

感情も単純でありたいですね。ようするにバカでありたいということでもあります。変に屈折したくない。でも、ひねくれ者の自分がいます。

「率直に行こう、率直に。気取るのは良くないことなのだ」とドン・キホーテも言っています。

他から「バカにされたくない」というプライドが、プラスの方向に働いて成長できる自分であるならば、今ごろ大成功して安泰な生活をしているはずです。毎日に呻吟して生きている現実が、「バカにされたくない」というプライドがマイナスにしかならない自分を証明しています。
どう思われたって、僕は僕であり、僕は僕でしかないのだ。

でも自分ひとりでは「そんな僕で十分なのだ」という自己肯定ができないのです。ミーティングに行き、話を聞き、自分の話をすることで、かろうじて社会生活を営めるだけの自己肯定を手に入れているのです。

ところがミーティングに行くには車を維持したり、ミーティングそのものを維持するためにお金を出したり、つまり先立つものはお金なのです。そして、お金を手に入れるためには働かなくてはならないので、(しかたなく)働いているというわけです。
働くことに喜びを感じないわけではないけれど、「労働は社会への奉仕の機会」と思えるほど成長も回復もしていないのです。だから、いやいや働いている部分があるのです。「奉仕の機会」と思えるには、まだまだ長い道程が必要なようです。


2003年10月28日(火) トレードオフ

日本人の顔は丸いですね。みんな「たまご」のような形状をしていて、やっぱり民族差ってものがあるんだなぁーと実感します。

午前中は精神科医受診。僕はパキシルからノリトレンへの移行をしていると思っていたのですが、一向にパキシルを切らないので、そこを聞いてみました。「副作用はあるだろうが、やっぱりパキシルは捨てがたい」と言い、両剤併用を続ける方針だそうでした。僕としてもパキシルを毎日2錠飲んでいた頃に比べれば、今は副作用も減っているので、どうしてもどうしても他のものへ転換したい、というほどでもありません。このまま続けることになりました。でも、パキシル+ノリトレン≒トレドミンという選択肢はないものかなぁ。
自律制御を失ってしまった僕の脳内物質バランスは、医者との緊密な連携プレーによって、かろうじて社会生活を維持できるレベルに保たれているのです。

市内で一番大きな本屋さんへ寄って、20日発売のマンガ雑誌をやっと入手しました。ついでに、朝刊の一面の下に広告の出ていた「こころの科学」の「拒食と過食」特集号を買いました。さらにTOEICの受験雑誌もあったので買ってしまいました。

断酒会の会報「かがり火」を読んで思ったのですが、「これからは多剤乱用者が増える」という予言は当たるでしょうね。アメリカではすでに都市部を中心に、若年層のアルコホーリクの中で、純粋にアルコールだけが問題の人の割合は低下しつつあるという報告があります。日本の社会現象もアメリカの後追いをしている部分があります。エクスタシー(バツ)の流行は田舎にも及んでいます。非合法ドラッグで行き詰まった人々は、合法なドラッグであるアルコールへの依存へと簡単に転換します。そうした若者達がたくさんAAにたどり着いたときに、「ここはAAなんだからなるべく薬物の話をしないでくれ」とは言えなくなるでしょう。

ファミレスの10%割引券が手元にあったので、家族全員で食事に行きました。子供はふたりともりんご病にかかっているのですが、ほっぺが真っ赤になっている頃には、もう伝染力はないのだとか。

スキャナーが新しくなったので、新聞記事を追加してみました。(たぶんそんな面倒なことは誰もしないだろうけど)拡大画像を以前の記事と比べていただくと判ると思うのですが、ずいぶんキレイにスキャンできるようになりました。画像処理技術の進歩でしょうね。カラーの画像でも、色バランスが向上しています。

記事の内容ですが、なまじアディクションに通じているぶんだけ、お酒をたくさん飲むからアルコール依存症だろうという思い込みが激しくなりがちなんですが、うつ病の症状のケースもあるのです。当然酒をやめても、問題はまったく解決しません。当然飲みつづければ、依存症を合併することになるのですが、アルコールのケアだけでなく、うつ病の適切なケアもしていく必要があります。せっかくお酒も止まって、生活も再建途上だったのに、自殺で亡くなってしまったAAの仲間がいました。僕はもっと力になれたはずでしたが・・・。

明日からまた仕事です。行きたくありません。
うつ病と腰痛は似ているところがあります。古い話なんで例えも古いのですが、「腰痛の人の治療は、腰に負担をかけないことが大原則だ。しかし、患者にも生活がある。薪を割らなくちゃ燃料がない人に、薪を割るなと言うのは意味がない」。
働かなくても収入があって家族全員が健やかに生きていけるなら、僕は仕事なんかすぐ止めちゃうでしょうね。でも、僕にはAAが必要で、ホームグループまでの道程も長いのです。結局、僕はうつ病とアルコール依存症のふたつの治療のトレードオフの中で生きているわけです。できるなら生涯働きたいと思う心もあるしね。


2003年10月27日(月) 自分の一部

「あなた自身が意識しているかどうかはわからないが、『心の家路』のひいらぎは、実際のひいらぎが見せたい自分だけを見せているにすぎない」と、実際のひいらぎを知る人に言われたことがあります。

否定できないところがきついなぁ。別にウソをでっち上げて書いていることはない(と思う)けれど、ある種の情報を隠したり、情報をあいまいにして別の可能性へと推測を誘導したりすることは、無意識にせよ、意識的にせよやってることは認めないわけにはいきません。ま、『心の家路』は道楽でやってることですから、許してください。

今日は18日発売の雑誌を買いに本屋さんへ行きました。おもにLinuxやUnix(りなっくすやゆにっくす)の雑誌を買っていたのですが、今月から一冊だけに絞ることにしました。なぜかというと、たくさん買っても読まないからです。なぜ今までたくさん買っていたかというと、「今は読んでいるヒマはないけど、いつか必ず読んで全部知識にしてやるかんな」という(自分に対して)見栄っ張りな部分があって買っており、その結果が本棚を占領したり、読まずに捨てられたりしていたわけです。
もっとお金を有効に使おう、と思って技術書のコーナーに向ったのですが、なぜか『ホームページアクセスアップの鉄則』とかを買ってしまいました。道楽にも金がかかるもんですね。

出張手当が支給されたので、さっそく電器屋に浪費に行きました。イメージスキャナーの新モデルが安かったので思わず購入しました。「他店より安くします」という宣伝文句どおり、近くの電器屋さんよりちょっとお得な値段になっていたのも敗因であります。ついでに会員カードに溜まった二千数百円相当のポイントも使うことにしました。そんなわけで、支払額が暗算できない状態で言われた額をレジで支払い、すこし思案しました。レシートを見つつ、

「あの、これ売り場には9,800円て出てましたけど、10,800円で打たれてますが・・・」

まず値段の確認が行われまして、そしていったん返金、どっかに電話してPOSのデータ修正の依頼、そして修正された値段で再度購入、という手続きが済むまで十数分、レジの前で立ち尽くしていました。AAミーティングが始まる時間も迫ってくるし「もう買うのやめて帰っちゃおうかな」とも思ったのですが、もう保証書にハンコがついてあるし、たぶん9,800円というのも先週末の特別価格のPOPを取り忘れただけなんだろうな・・・とか思案しながら、待っていました。

明日は代休。


2003年10月26日(日) 帰国

無事土曜の朝(といより昼)の厳しいミーティングを経て、全員で昼食をともにして、とりあえず今回の仕事は終わりになりました。とは言っても、僕には宿題が残されており、他の面々にもそれぞれ宿題を持ち帰ったので、まだお金を払ってもらうのは早いのではあるのですが・・・。

ともかく午後3時から自由時間になったので、電脳街まで買い物に行きました。目的はパソコンの部品なのですが、目的の品は秋葉原より一足先に品切れでした。しかたないので違法コピーのDVDなどを購入しました。木村拓也主演で、車椅子の女性との話は・・・「ロング・バケーション」だと思って買ったのでしたが、あとで見てみたらピアノ弾きの話で、目的の品は「ビューティフル・ライフ」の間違いでした。あとゲームCDで「鋼鉄のガールフレンド2」を購入。

夜は商社の人が気を利かせ(すぎて)くれて、(台湾の)国立藝術院の雑技と京劇を見に連れて行ってもらいました。考えてみれば僕は、能も歌舞伎はおろか、落語ですら見たことはないのです(除く地元落語家)。夜店でマンゴスチンとでっかいライチーを購入したものの、翌朝マンゴスチンを割って食べようとしたら中身が腐っていました。マンゴスチンの時期は6月とかですから、なにか怪しい品だったのかもしれません。どちらの果物も台湾では採れないもので、輸入品にすぎないのだとか。
空港で初めてEvery Little ThingのCDを買いました。こちらは正規品なのに398圓(3.3倍すれば日本円)と、安いのですが、日本への持ち込みは違法だそうです。

朝にホテルを出てから10時間半で我が家に到着しました(名古屋の税関は無事通過しました)。郵便物もメールも溜まっていました。電話の国際ローミングの通話料は4000円ぐらいですみそうです。会社や自宅までかけたことや、毎日インターネットへダイアルアップ接続したことを考えれば、端末から契約料から含めて2万以内で済んだのは安かったと考えるべきでしょう。現地でGSMの携帯を買うにしろ、auの海外対応機に機種変更するにしろ、たぶん同じぐらいはかかるでしょうから。

各種掲示板なども一週間も目を通していない訳ですが、これからゆっくりと追いついていこうと思っています。二郎さんのところは「神について」で盛り上がっていたみたいですね。

仲間から電話。envyという単語と、紐帯という言葉を覚えました。


2003年10月24日(金) 善さ

自らの無力を認めつつも、さらに「やる気」(ステップ3)を求められる。AAのプログラムとは難しいものだなと思います。

水・木・金と深夜までヘビーな仕事が続きましたが、明日土曜は午前中に(たぶんヘビーな)会議をやって、午後からは解放されそうです。明日の話にもよるのですが、おそらくもう一度台北に来ないといけないでしょうね。

考えてみると、前回台北に機械を持ってきたのが2年半前です。その夏に長い休みをもらい、夏の終わりからWebで日記をつけ始め、そして半年後にホームページが公開されたというわけです。いろんなことがあったあの一年から、もう2年もの時間が流れてしまったのかと思うと感慨深いです。

今年の夏に、東京でのAAの委員会に出席していたら、ある方から「(遠くから)ご苦労様ですね」と言われたのですが、僕はなんと応えるか少しだけ思案したあとに「道楽でやっているわけではないですから」と返しました。そうしたら、その方は「そりゃそうだ」と笑っていらっしゃいました。

AAも、楽しいことより辛いことのほうが多いです。だから、道楽(趣味)でやっているのなら、そんなに何年も続けられるわけがありません。仕事だって楽しいことよりも、辛いことのほうが多い、いや人生だってそういうものです。でもそれぞれ、ちゃんと意味があるようにできています。

AAのプログラムは「誠実さ」とか「善良さ」というものを人に求めています。「善さ」よりも「快さ」を求める生き方、苦ではなく楽だけをひたすら追い求めていく生き方は、かならずどこかで破綻するのです。そこまで極端でなくても、どこかにもっと「良い人生」があるように感じて、今の自分をありうべき自分として受け入れられなければ、それは自己欺瞞であり、現実の「善さ」の恩恵を無視しているのでしょう(うつ病のひとには、こういうのが多いですね)。

この年齢になると、自分がいつまでも生きていられるわけじゃないことが、はっきりしてきます。それがいつまでかは神様でしかわからないでしょうが、限りある時間をどう有効に使うかを考えたときに、「気持ちよいこと」よりも「道楽にはなり得ないAA」を、大切にしていきたいのです。

まあ、AAのプログラムがしんどいかどうかはともかく、AAそのものはしんどい存在です。なぜならそれは「人の集まり」であり、人間関係が苦手なアルコホーリクにとって「人の集まりがしんどくないはずがない」のですから。


2003年10月22日(水) マーフィーの法則どおり

例によってマーフィーの法則どおりに、「富山でではなく台北まで機械を持ってこなければテストできない部分」に重大な障害が持ち上がっています。まあそれが僕の担当のところではないだけに気楽であるのですが、おかげで僕の仕事がまったく進まなくなってしまいました。
立っていただけの一日でした。

と書いたところで昨日は寝てしまいました。今日は反省を活かして、一日椅子に座っていました。昨日よりはする仕事はあったのですが、基本的には特にすることもなく夜10時半まで待っていました。金曜日までにすべての仕事を終わらせて、土曜日は半日ぐらい台北の市内観光でもしよう、と話していたのですが、とても実現しそうにありません。

テレビも日本の番組に中文の字幕をつけたのはたくさんやっているのですが、もちろんすべて録画です。リアルタイムに見られるのはNHKの海外向けテレビだけで、これはニュース以外は見てもあまり面白くありません。日本から持ってきた本は、ビッグブックの文庫サイズ版一冊だけという潔さなので、しかたなくそれを夜に読んだりしています。

以前POPFileという迷惑メールフィルタリングソフトを紹介しました。僕は一日にざっと40通ぐらいのメールを受け取るのですが、8割は邪魔な広告メールです。以前はアダルト関係の広告が多かったのですが、最近は debt free とか clean credit card とかの怪しげな金融関係のメールが多くなっています。
ベイズ推定という手法を使って分類するのですが、迷惑メールかどうかを学習させるほど、だんだんお利口さんになってくれます。

僕の唯一の上司である零細企業の社長は、自分のところに来た意味不明のメールを、なんでもかんでも僕のところに転送してよこすのですが、そういったものも、きちんと意味のあるもの、ないものにPOPFileが分けてくれるようになりました。たとえば、商社の人が送ってきた「先日のご商談ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします」という、たぶんカットアンドペーストで送ってきたメールも、きちんとSPAMに分類してくれます。


2003年10月20日(月) リザーブの間違いだ

昨日の雑記に「ホワイト」と書いてあるのは「サントリーリザーブ」の間違いです。駅のキオスクで見て、改めて自分の間違いに気がついた次第です。あまりウィスキーを好んで飲まなかったので覚えていなかったのです(と言い訳)。

好んで飲んだのはジンとかウォッカなどのスピリッツ(火酒・酒精)のたぐいです。タンブラーになみなみとジンを注ぎまして、それをゴキュゴキュと飲み下しますと、胃のあたりが急に暖かくなって、その暖かさが上へこみ上げてきます。それと一緒にセブンスターに火をつけまして、深く吸い込んで吐きますと、この世のものとは思われない快感に襲われるわけです。
ふた口めからは、ひと口めほどの快感は来なくなり、3度・4度と続けるうちに泥酔の酒へと変わっていきます。あの快感を得られるのは一日に一度だけで、しかもある程度健康でないとその快感は戻ってこないのです。
毎日深酒をし、24時間アルコールが抜けず、胃腸が荒れて痛んでいるような状態では、最初の一杯は何の快感ももたらしてはくれません。ただ「次の酒にありついた」という安心感だけがあるだけです。それでありながら、心の奥底ではあの「たまらない快感」を再現しようと追い求めているのです。

飲み過ぎるために飲み始めるのではないのに、気がつくと飲みすぎているというのがアル中の不思議なところです。

あの「次の酒を求める」強い強い欲求は、いまでは薄まってしまいましたが、あの「欲しい」感覚を凌駕するほどの、別の欲求はいまだかつてありません。女の体を求めるにせよ、金を求めるにせよ、空腹で食物を求めるにせよ、あの「酒の飲みたさ」の強さにはかなわないでしょう。

台湾のコンビニもずいぶん品揃えが豊かになりました。1月1日からコンビニのビニール袋が1圓(日本円で3〜4円)の有料になったそうです。「くれ」と言わないと、品物をごろんと渡されるだけです。袋はもったいないので次回も持参します。おかげで、街路のごみのポイ捨てがずいぶん減ったという話です(ごみも袋と一緒に持ち帰るから)。


2003年10月19日(日) 昔話

飲んでいた頃も出張には行っていました。トラブルばかりでしたけど。

東北の角館に3泊4日で行ったときが一番ひどかったです。移送した機械が正常に動いているかどうかをチェックするだけの仕事だったので、夜は飲みすぎ、昼は二日酔いでうんこ座りして寝ていました。3日目の朝に、もう帰っていいよ、と言われたので、昼に角館から特急電車に乗りました。ひとりですから、気兼ねなく車内販売の「サントリーホワイトの水割り」の缶を飲みだしました。
東北新幹線のなかで隣に座ったおじさんも酒好きの人で、飲みながら話が盛り上がったのですが、なぜだか理由は憶えていないのですが、東京駅につく頃には、口も聞かないほど険悪な雰囲気になっていました。
新宿駅で、午後6時発の「あずさ」にもう少しで乗り遅れました。7時の列車も、8時の列車もあるので、ここはゆっくり腰を据えて待つことにして、「ホワイトの水割り」と週間少年誌を買って、ベンチに座りました。自分の意識の中では20分ほどしかたっていないはずなのですが・・・ぼんやりしているところへ、駅員から「今日はこのホームからの発車はもうありませんよ」と言われて我に帰りました。9時の甲府行きの電車すら出た後だったのです。
それでも深夜には夜行の急行電車があるので、それで帰ればよかったのでしょうが、なぜだか「居ても立ってもいられない」感情の波に押し流されていました。(この「じっとしていられないイライラ感」は、飲むのをやめたあとも何年も僕を苦しめましたのですが)。
特急券を破り捨てて改札を出ると、新宿駅西口のタクシー乗り場に向かいました。そして、何を思ったか、長野県までタクシーに乗って帰ってきてしまったのです。翌日領収書を見たら7万円を越えていました。社名で領収書をもらってはあったのですが、この金額ですから経理に出せるわけがありません。どうやってこの7万円を穴埋めしたのか憶えていません。
後で聞いてみると、仕事のほうも実はトラブルだらけだったのですが、客のほうが追い返したのだそうです。

これ以来、出張にはかならず誰か付き添いがつくようになり、一人で出張させてもらえるようになるまで3年ほどかかりました。


2003年10月18日(土) 行ってきます

仕事は間に合いました。
台湾に行ってきます。26日には帰ります。


2003年10月17日(金) 信じるようになった

そういえば新潟のオープンスピーカーズで『信じるようになった』を買ったのでした。原書の Come to Believe も真っ赤な表紙の本なのですが、日本語のも真似たように真っ赤な表紙であります。一年のバースディのときに仲間からプレゼントしてもらったのでしたが、その後誰かにあげてしまったらしく、手元にありませんでした。そのくせ原書のほうは買った覚えもないのに2冊もあるのです。

なぜ仲間が僕の一年のバースディにこの本をプレゼントしてくれたか思い出しました。9ヶ月ぐらいのときから、僕は自分のハイヤー・パワー(神)を探しつづけていたのでした。ミーティングでもそんな話を繰り返していた憶えがあります。そこでAAメンバーが、僕の助けになればとこの本をプレゼントしてくれたのでしょう。
ですが、当時の僕にとっては、この本の内容は「絵空事」としか思えませんでした。そして、ハイヤー・パワー探しは9ヶ月ぐらいで飽きてしまい、その後は締め切りつきのステップ4・5がやってくるまで、僕の回復は停滞するのでした(いや、後退していたのかもしれない)。

今から思えば、僕は「何かが僕を正気に戻してくれる」と信じることなど、とてもできなかったのでした。飲んでいなければ自分はマトモな人間であるという幻想を、まさに死の門の中まで追いかけていくつもりだったのでした。無理もありません。多くの日本人と同様、僕も「神の実在を証明することもできないし、不在を証明することもできない」という信念に固まった<不可知論者>だったのです。
自分にとって最高に位置付けるべきものは、自分の「自我」であり、人生が良くなるにせよ悪くなるにせよ、それは自分が自我に従って行動した結果なのだ・・・そのように本当に信じているなら、自分の行動の結果を後悔して日々を煩悶として過ごすことなく、失敗しても堂々として恥じない暮らしを送っていけただろうと思うのです。でも、現実の自分は、自分の行動の結果を受け入れることができず、苦しい思いを何年も続けたのでした。そんな苦しい人生に意味など見い出しようもなかったのです。

「自我の敗北」がやってくるまで、「信じられるもの」など与えられるはずもありませんでした。そして、完全な敗北を通してこそ、新しい強さを与えられるということは、ステップ1とまったく同じであるということも理解しました。そして、この敗北もステップ1と同様に、日々のケアが必要なのだということも。

赤い本を読んでいると、「うんうん、僕もそうだった」と頷いてしまいそうです。そして、ソブラエティと同様に、「信じるものがあるのが当たり前」の日々がやってくるのです。でも、信仰を持ったからといっても、あいも変わらず僕は生臭い俗物であることに、何の変わりもないのですけれどね。


2003年10月16日(木) アル中のプログラム・入院のプログラム

窮地に追い込まれている。というほどでもないのですが、困った事態に陥りました。来週日曜日に持っていく予定のプログラムが、うまく動作してくれないのです。例によってなおざりな動作検証で「動いたから、これからも<動くはず>」と思い込んでいたのですが・・・「動くはず」≠「動きます」であることを思い知らされています。まったく、もう20年以上プログラムを組んでいるのに、同じ失敗を繰り返してばかりいます。
今夜も入れて、まだ夜が3回と昼が2回ありますから、なんとかなるでしょう。

と言いながら、夕方から病院メッセージへ行ってきました。他のアディクションの人からは「アル中は病院に集まってくるからいいよね」と言われたことがありますが、それは確かにそうだと思います。ただ、集団を相手にした「メッセージ活動」というのは決して効率は良くないシロモノです。AAのプログラムはスポンサーとスポンシーという一対一の関係の中で最大の効果を発揮するのでしょう。
それと、2ヶ月〜3ヶ月という長期の入院が必要なのかどうか、僕は懐疑的なのです。禁断症状として重い抑うつ傾向が出たり、社会生活が崩壊しているような人を除けば、たいていのアル中さんは急性期の一週間から10日ぐらいの「解毒入院」さえ受ければいいといっても極論ではないでしょう。もちろんそれでは、またすぐに飲んでしまうでしょうけどね。でも「入院して酒を切る」→「またすぐ飲む」という繰り返しの中で、「自分がアルコールを支配しているのではなく、アルコールが自分を支配している」ということに気づくことに意味があるのです。

もっとも医療の立場から見れば、治療の成績というのも無視できないのだとか。確かに退院してすぐ飲んでしまうのであれば、何のための入院なのか意味付けが難しいでしょう。しかし長い入院に、退院後の(ケアレス)断酒期間を長引かせる効果があったとしても、それは底つきまでの期間を長くしている効果しかないわけで、病気の進行を遅らせる単なる「対症療法」に過ぎないわけです。
例え3ヶ月の入院のおかげで7年間ケアレスで飲まないでいたとしましょう。「3ヶ月の入院で教育効果を上げたからこそ7年間飲まないでいられたのだ」という論に意味はありません。最終的に飲んでしまうのであれば、本人にとっても家族にとっても、その年月など吹っ飛ぶぐらい再飲酒というのは大きな破壊力があるわけですから。

ただ、そういう話を医療側の人間に向かって言うわけにはいかない立場に、僕は立っているのです。で、こういうところでガス抜きをしていたりするのですね。


2003年10月15日(水) my meaning of life

要件があって電話したのにつながらない・・・料金未払いで止まっているのであります。固定電話が未払いで止まるようなやつは携帯電話なんか持つな!、と言いたいところですが、僕も飲んでいた頃はしょっちゅう電話が止まっていました(もっとも当時は携帯電話なんてなかったけれど)。ライフラインの中で、料金未払いで一番早く止まるのが電話です。次がガス、水道、最後が電気。重要度が高いものほどなかなか止めない仕組みになっているわけです(さすがにNHKは止められなかったけど)。電話は振り込むとすぐ復旧してくれるけど、水道はなかなか来てくれなかったです。

近未来(ではなくなったけど)を描いたマンガ「パトレイバー」を最近読み返したのですが、携帯電話という存在が一切出てこないのですね。アニメ「エヴァンゲリオン」では、携帯電話?と公衆電話が混じって使われています。現実世界では、携帯電話があたりまえになって、固定電話がなくて困るのは金を借りる類ぐらいでしょうか。
ちなみに9月の携帯電話の請求が来ました。(基本料金とか別にして)通話料9,346円というのは我ながらびっくりであります。富山出張が続いてさびしかったので、ついつい携帯で長電話してしまったというわけです。もっともそうした諸々の事情を金銭で補償する「出張手当」というものを会社からもらっているので、文句があるわけじゃないのですけど。

11月上旬に台南へ行かなければならないかもしれません。自分で自分のことが決められないのです。仕事にせよAAにせよ家にせよ、その他のことにせよ、僕は必要とされるところへ行って、必要とされることをこなしていくだけです。余計なこともたくさんしているでしょう。飽きれば「うつだ」とか「充電」とか言い訳しながらどこかでサボっているでしょう。僕は必要を満たすためにこの世に生まれてきたのです。特別な意味は必要ありません。It's my meaning of life.


2003年10月14日(火) 通院と眠気

朝は通院。パキシルからノルトレンへの移行をしている最中なのですが、処方期間中に出張が毎回はさまるため「様子を見る」ためにパキシルがなかなか切れません。僕の場合には、薬を切るとたいていリバウンドが来るタイプなので、行動不能になってもかまわないタイミング(つまり業務がヒマなとき)を狙って薬を切る必要があります。医者とも長い付き合いになってきたので、そこらへんはたがいに説明の必要もありません。
「最近は、うつで調子が悪いのか、それとも単に疲れているだけなのか、区別がつかないときがあるんです」という質問に対し、「うつ病の人は黄色信号が無くて、気が付いたら赤信号になっているという人が多い」と説明を受けました。なんか答えになっているような、いないような。過労とうつは違うと思うのですが、両者の間に線を引くのは難しいかもしれません。

鬼平犯科帖ではしょっちゅう「夏は人々の眠りが浅いので盗賊がなりをひそめる」という記述がでてきます。逆に秋・冬・春は人の眠りは深いもの。夜更かし組みの僕ですら、なんだかんだで7時間寝ていることも多い日々がやってきました。それでも昼間眠いのです。眠い原因が、疲れにあるのか、うつが出ているのか、薬の副作用なのか、それともVDT作業者特有の症状なのか・・・。たぶん、パソコンを使うのをやめ、夜9時間眠り、薬を飲むのをやめて1ヶ月もたって眠ければ、それはうつが原因なのでしょう。でも、そんな悠長なことはやっていられないのが現実です。

実は、富山から帰ってきてから残業というのを(ほぼ)していません。必要な仕事はすべて業務時間内に済ませるようにしているのです。おかげで、仕事の密度が大変濃くなってしまいました。残業しないということを考えること自体がうつ病患者的なので自分でも笑ってしまいます。それで余った時間は寝ることに費やしているのだから、時間を有効に使っているのかはなはだ疑問です。


2003年10月13日(月) Meaning of Life

両腕の痛みが抜けず、体がだるい一日でした。おそらくは、脱穀の疲れと昨日の疲れが重なった結果でしょう。眠いなぁと横になると、時間がどんどん過ぎていきます。

オープンスピーカーズ会場にて拾った財務の話題
・年間献金額の上限は不要
1987年のアメリカカナダ評議会の勧告で、個人の献金は年間$1,000(現在のレートだと日本円で10万8千円)までと決められています。AA出版物の購入を含めれば年間10万円を越えているメンバーはかなりいるかもしれないけれど、純粋に「献金」を一ヶ月1万円しているメンバーがどれぐらいいるのでしょうか。意外といるのかもしれない。
・広報用に使う出版物を割引して欲しい
今年も取り上げた話題ですが、配布側は二重価格になるからと否定的でした。一方でBOX916が400部以上無料贈呈されていたりしています。有形の財産である「出版物の在庫」をどう分配するかというルールが決まっていないのが原因でしょうか。

アルコール以外で入院している仲間のお見舞い。前回に引き続き980円の散髪。
まさかヤクルトが広島に連敗するとは思いませんでした。これで残り2試合を連勝しても巨人を上回る可能性がなくなりました。それでも同率3位を狙って欲しいところです。僕のセントラルリーグはまだ終わっていません。

生きていくのは苦しいけれど、それでも人生には意味があるという事実を噛み締めた3日間でした。


2003年10月12日(日) Back to Basicsを読む

バック・トゥー・ベイシックス(基本に戻る)という本があります。現在のAAはミーティング偏重主義で、AAが始まった頃の回復のプログラムからは離れてしまった、だからオリジナルの形式に戻ってみようと唱える人たちがいるわけです(日本の話ではなくアメリカの話ですよ)。ある意味復古主義的な側面を感じる話ではあります。

で、この本を元にして、日本でこの形式のミーティングを開こうという人たちがいます。たった4回のセッションで1〜12のステップをひととおりこなしてしまい、棚卸しも済ませるし、埋め合わせの準備もできて、「霊的に目覚め」ることもできる・・・。これを週に1回のミーティングだとすれば4週間で、あるいは一泊二日のプログラムで終了してしまうというのです。今の日本のAAの主流とはあまりに大きく違った提案です。

ところがこの本が、AAの評議会承認出版物でないどころか、そもそもAAの本ですらない、ということを理由に、「これはAAとは違うものなのではないか」という異論を差し挟む人もいるわけです。

さて、僕もこの提案について自分の態度を決めなければならないと思っていました。ただ、少なくとも「この本を読んでから態度を決める」ことだけは決めていました。というのも、反対を唱える人から、この本のどこが非AA的であるのかという点を聞いたことがないからです。彼らは単なる「食わず嫌い」なのかもしれない、という可能性も否定できないわけです。何しろ(自分も含めて)アルコホーリクは、常に12のステップに対する反発を心の中に抱えているからです。

とは言うものの、メールで送られてきたそれはA4版で68ページもある大作?であり、まずプリントアウトすることすら躊躇われていたわけです。実は、今日は新潟のオープンスピーカーズへ行ったわけなのですが、朝プリントアウトしたものを持参して、間にちょこちょこと読み進めていた次第です(不真面目)。後半は自宅に戻ってから読みました。

中身の大半はビッグブックからの引用です。その名前のとおり、ビッグブックに書かれているとおりに12のステップを(スポンサーと一緒に)踏んでみるという提案そのものでした。オックスフォードグループの「絶対性」について言及があるところを除けば、珍しいところはありませんでした。
確かに、すでに用意された表に書き込むという形式のステップ4は特異に感じるかもしれませんが、(少なくとも僕の周囲では)「4に決まった形式があるわけじゃない。どんな形式でもかまわない」と言われているわけですから、フォーマットがあることは問題ではないでしょう。
僕自身が、この運動に直接参加して盛り上げていこうという気には(まだ)なれないのですが、「長く停滞している日本のAAを成長に導くために、何でも新しいことをやってみよう」という気概にはもろ手を上げて賛成できるのであります。現状維持=後退、というのがアルコホーリクの回復や自助グループの現実なのですから。

彼らの目が輝いているのか死んでいるのか、それだけは自分の目で確かめてみたいと思うようになりました。


2003年10月11日(土) 収穫のとき

午前中1時間半、午後3時間の労働で脱穀を終了しました。あてにしてはいけないと判っていながら、それでも天気の週間予報を信用してしまい、この休み3日間は晴れが続くものとばかり思っていました。いつの間にやら気圧の弱い谷に入っているようで、すでに雨が降っているところもあるというのが驚きです。
僕が、明日新潟に行きたいがために、12日の予定だった脱穀を今日に早めてもらったのが幸いしたようです。

毎年同じ田んぼの収穫を自家消費米にしているので、収量の変化というのを追うことができます。今年は20袋と半分でした。昨年は21袋と半分でしたから、たしかに今年は「若干の不作」なのでしょう。過去最高は24袋でした。
この田んぼは、一時期休耕田として畑作に使われていたことがあります。そこで親父が野菜を作っていたのですが、野菜というものは平らな地面では栽培できません。排水を良くするために畝を作り、その上に野菜を植えるのが普通です。畝の間の溝には雨水が流れ、それは毎年深くなっていくわけです。
もう10年ほど前になるでしょうか、皆でタイ米を食べたほど不作のときがありました。その翌年は米増産の掛け声がかかり、親父は休耕田を稲作用に戻すことに決めました。ところが、凸凹の畑をトラクターでかき回してみても、なかなか完全に平らには戻らないものです。おかげで、当時週末は完全に酔っ払って布団にこもっていた僕が、スコップと鋤簾(じょれん)を渡されて、泥田の中を這いずり回る羽目になってしまいました。五月の連休の熱さと禁断症状で猛烈に汗をかき、悪寒に震えながら、世の中のすべてを呪っていたことを思い出します。「あぜに酒瓶を隠しておくんだった」と一日じゅう繰り返し繰り返し考えていました。

毎年その田んぼで農作業をしながら、今しらふでいられること、そして体がしんどくないことを感謝しています。もっとも、そのぶん年は取ってしまったので、体がつらい部分もあるのですけど。


2003年10月10日(金) 前回は1ヶ月だった気がしたけど、今回は半年だ

Bフレッツの工事は無事に終わり、ADSLの解約も済みました。ADSLの時の月額料金が(マイライン割引こみ・専用線)4,805円、Bフレッツの月額料金が5,700円ですから、およそ900円コストアップになったわけです。これで、月々のNTTへの支払いは固定費だけで1万円を超えることになりました。もっとも、スポンシーがいなくなって以来、自宅から電話をかけることは珍しいので、通話料金というものは滅多に発生しません。

昨日、新グループ発足から半年という話を書きましたが、JSOから「順調にミーティングを運営されていることと思います」という文章つきで、新グループへのサービスとしてパンフレット一式が届きました。どういう基準で選ばれているのかは不明ですが、どちらかというと「回復」よりは「一体性」と「サービス」に偏っているでしょうか。

・AAサービス・マニュアル
・スポンサーシップQ&A
・AAグループ(すべてはグループから始まる)
・絵で見る12の伝統
・絵で見る12の概念
・44のQ&A
・ビギナーズミーティングを進めるにあたって(サービス・ガイド)
・アノニミティをご存知ですか?
・関係機関の皆様へ
・AAに御用は?(12の質問)
・ミーティングハンドブック

それと2001年のメンバーシップ調査の結果とグループハンドブック。

きちんと分けておかないと、すぐに自分のと交じり合ってしまうでしょう。


2003年10月09日(木) 変わらぬ一日

富山に行っている間はホームグループのミーティングに出られなかったので、実に一ヵ月半ぶりの出席になりました。月に二回しかないというのは「少なすぎる」のかもしれませんが、平行して病院メッセージも続けていかなければならず(隔週でやっている)、最近地元を離れて仕事をするようになった僕にとっては精一杯の量です。4月に始まってやっと半年、12回のミーティングが行われて、新しい半年が始まりました。

週末の準備として、ガソリンを満タンにしました。土曜日は実家で脱穀(籾粒を穂から取る方ね、籾殻を取るやつじゃないよ)、日曜日は仲間と待ち合わせて新潟のオープンスピーカーズへ。第3日曜日に日本を出て、第4日曜日に戻ってくる予定なので、地域委員会には出席不能です。新潟の地区委員会に年内にもう一度行きたいと思っていたのですが、今月はそんなぐあいだし、来月の第3日曜は地域集会、12月はたぶん地域委員会が一週繰り上がるので、今年新潟に行くのはこれで最後になるかも。



2003年10月08日(水) キンモクセイ

キンモクセイの枝をいただきました。庭木にしておくには育ちすぎるとかで、毎年この時期にいただくのです。いただくのは月曜日と決まっていて、月曜日にはミーティングがあり、ミーティングに女性が来ると差し上げてしまうので、なかなか我が家にはたどり着きませんでした。今年は月曜日に女性の参加者がなかった(オープンだったので家族の方は見えていたけれどね)ので、新聞紙にくるまれたそれが我が家に届けられました。
不要なところをもらっているだけなので、贅沢は言えないけれど、もっと虫が食っていないところが良かったなぁー、と思うのですが、キンモクセイは見るのではなく、匂うものですから、姿にはこだわらないことにしましょう。しかし二日たった今夜は、すでに花はしおれ、匂いも薄くなったような・・・、それともこれは「鼻が慣れた」せいでしょうか。

そういえば、先月地面に降ろしたイチゴの鉢ですが、残っていたランナーを切り取らずに残しておき、先を地面につけておきました。ひと月たったら今見ると、地面についたところに子株ができています。5月の子株は、園芸用の土を与えられ、3ヶ月日光を浴びて育っているのですが、9月の子株は普通の地面と、秋の日の弱い太陽しか与えてもらえません。冬は越せないかもしれません。


2003年10月07日(火) だまされやすい人々

妻が「わたし今度仕事することにしたの」と言うので、また何かにだまされているのだろうと思っていたのですが、「何か金は払ったのか」とたずねたら「ぜんぜん」と言っていたので、とりあえず様子を見ていました。今回は「ワープロの文書を手書きにする」というものだそうです。さすがに彼女も少し学習したのでしょう、相手の会社の名前をGoogleで調べて見たようです。結果、数万円の「教材費」を支払う必要があり、そしてこちらで作業した結果については「ミスが多い」という理由でロクに報酬を支払ってもらえないというパターンで、契約者の泣き寝入りを狙う「内職商法」だとわかりました。なので、断りの電話を入れているようなのですが、断りきれるかどうか・・・。

前回は、データ入力(という名目の)会社で、30万円ほどの教材費を支払いました。結果届いたのは、益にも害にもならない大量の本と、数年前のソフトが10本ほど、それに「検定試験」用の原稿でした。この原稿と言うのが「既にワープロでキレイに整形されている」もので、OCRで読むことだってできそうなシロモノでした。その会社からの文面ではクーリングオフ期間は切れているようでしたが、消費者センターに電話してみたら「ともかくクーリングオフの申し出をしてみなさい」と言われました。クーリングオフができないのなら、消費者センターに届けを出すと言ったら、あっさり応じてくれました。
場合によっては型落ちのパソコンを高価に売りつける業者もあるとか・・・。

テープ起こしやらデータ入力やらの、「誰にでも出来る」ことで在宅で月に数万円の収入が得られる・・・という宣伝文句で教材を売りつけ、実際に仕事はほとんど回ってこないという商法が後を絶たないのは、それだけ「ヒマな時間を金銭に転換したい人」が多いせいでしょう。

でも、(練習すれば)「誰でも出来ること」というのは単価の安い仕事にしかならないのです。手書き原稿のワープロ打ちの仕事を例にとってネットで検索して見ました。個人やグループでやっているところでは、一文字0.5円が相場でしょうか。400字の原稿用紙に300字書いてあるとして、それを入力して150円。3万円を手にするためには月に200枚こなさないといけません。しかも原稿の受け・戻しのために宅配便を使うコストもかかります。

これを仲介業者を経由して売上をピンはねされるとしたら、どうがんばったって月に1万円になれば良いほうではないでしょうか。

JSOのスタッフが、手書きで寄せられた原稿をワープロ打ちしているという話も聞きますが、できればそういう作業は外注に出して欲しいところです。そんな単純作業の給料を払うために献金を集めているわけじゃないのですから。逆にBOX916の編集では、同様の作業をいつも同じボランティアスタッフがこなしていると聞きます。それでは疲れてしまうのも当たり前です。

お金をどう稼ぎ、どう使うかも、考えねばならないのでしょうね。(と浪費家が言ってもだめか)。


2003年10月06日(月) 経済難民

掲示板の書き込みと、新聞記事(北朝鮮からこの5年間で3千人以上が脱出した)を読んで考えました。3千人という数字は亡命者の数としては、ほんのわずかな数字なので、実際にはもう一桁か二桁は上なのでしょう。

日本という国は決して理想的国家ではないけれど、はたして日本人の中に「日本を脱出」したいと願う人々がどれだけいるでしょうか。本当の意味で脱出したい人々は、合法的な手段でそれを成し遂げるでしょう。シドニーではワーキングホリデーで滞在している若者に会いました。当時あの国は高校卒業者の2割がそのまま失業保険給付者になるという話でしたが、それでも移民の受け入れは止めていませんでした。
台北の若者達は「車を持ちたい・家を持ちたい」という経済成長願望が強く、日本やアメリカへの憧れも強かったものの、では移住したいかというと、そうではないようでした。
腹が満ちたあとも悩める悩みは、腹が満ちない悩みとは別の次元のものらしいですね。

PHSが宅配便で到着。Bフレッツの宅内工事が一日繰り上がって今日完了しました。しかし局側の工事が終わっていないので、開通は明日の晩からかな。


2003年10月05日(日) PHS購入

ラウンドアップについてはレポートを書いたので、そちらを見てください。
朝7時30分起床。朝食後、さよならセレモニーに参加。睡眠不足なので、途中のサービスエリアで仮眠をするつもりだったのに、LOVE PSYCHEDELICOを聞きながら車を走らせるうちに、なんとなくハイになって自宅までノンストップで着いてしまいました。

駅前の電話ショップへ行って、PHSを購入しました。国際ローミング対応で在庫のある機種は、新しい機種で値段も(新規契約なのに)12,800円となかなかに高価だったのですが、他に選択肢が無いのでそのまま契約しました。手渡しする準備ができるまで1時間以上待ってくれ、と言われたので宅配便で自宅に送ってもらうよう手配をお願いしました。パソコンとつなぐケーブルについては、値段や価格を調べる必要があるので、また後日にしました。

火曜日にはBフレッツの光ファイバー工事が入るというのに、部屋の障子は破れたままだし、中も散らかったままです。でも、もう気にしないことにしました。私は散らかった部屋に対して無力であり、それをコントロールできるという妄想を振り払うことにしたのであります。


2003年10月04日(土) 運動会不発

10月の19日から26日まで台北出張が確定しました。ホテルからダイアルアップ接続はできるので、日記ぐらいは書くかもしれませんが、他の人のサイトは見に行かないでしょう。

困るのが現地での移動通信手段です。以前10日ぐらい滞在したときは、名古屋空港でGSM携帯をレンタルしていったのですが、1万数千円を支払った覚えがあります。現地でプリペイド携帯を買うという手段もあるのですが、前回は8万円ぐらいしたので諦めました。最近は端末が2万円ぐらいだそうですので、選択肢の一つではあるかも。ただ、有効期限が半年だそうなので、しょっちゅう台湾に行く人でないと高い買物です。

無難なのはPHSを契約して、国際ローミングすることです。基本料が安いこと(一日100円)、それにデータ通信ができて値段も比較的安い(40円/分)のです。着信が無料なのも助かります。ただ、日本に帰ってからPHSをどうするかが問題です。そして、最大の問題は今後、台湾南部に行く予定があるのに、台北近辺では使えないことでしょうか。

auの国際ローミングとか、いっそのことFOMAに買い換えるとか(FOMAカードでGSM携帯が使用可能)いろいろなアイデアがありますが、そうそうしょっちゅう海外に行くわけではない(と願いたい)ので、とりあえず日曜日にラウンドアップから帰ったらPHSを買いに行くことにしようかな。

娘の運動会ですが、初めは快調だったのですが、娘が途中でお腹が痛いと言い出したので、運動会はリタイアして小児科に行って帰ってきたところです。さて、ラウンドアップへでかけますか。



2003年10月03日(金) RU前

朝11時起床。食事して、電気屋にKVM(キーボード・VGA・モニタ)切り替え器を買いに出かけました。いままで高性能のものは高くて手が出なかったのですが、こちらのものが3,980円で売られていたので購入。2台のPCの配線をいぢくりまわして体力を消耗。

昨日に続いてJSOに電話。常勤のスタッフは3人とも福岡のフォーラムへ行っているという話。他の仲間も今日から始まる山梨のラウンドアップに移動を開始したようです。

話は変わって、僕のメールアドレスはネット上に公開してあります。会社から仕事用にもらったアドレスも同様です。メールアドレスの自動収集ソフトにひっかかるのでしょうか、迷惑メール(SPAM)が毎日数通ずつやってきます。多少なりともそういったものを排除しようと、POPFileを導入してみました。さっそく百数十のメールを与えて、SPAMかどうか学習させてみました。結果は上々・・・なんですが、一部のAAメンバーから来たメールがSPAMに分類されてしまったので、再学習を繰り返しました。どうやら彼らの書く文章はSPAMに似ている部分があるらしい・・・のかな。

眠くなったので、午後4時から昼寝。起きると午後7時でした。
今回のラウンドアップはディジカメを持ち込んでみることにしました。もちろん、顔が写っている写真は公開できないのですが、飲まないアル中たちが集う収穫祭とはどんなものか・・を窺い知ることができるようなシャッターチャンスに恵まれるかどうか・・・。


2003年10月02日(木) うたたね大好き

出張している間に季節はすっかり秋になってしまいました。半そでのワイシャツは仕舞いこんで、長袖のを出してもらいました。社用車のカローラバンには車外温度計がついていなかったので、先日行った金沢(松任)が何度だったのかは不明ですが、高速道路の温度表示では、金沢付近のあの夜の温度は8度。富山県にはいると次第に温度が上がって最後の温度計は16度でした。
ついこの間までTシャツと短パンで寝ていたのですが、すっかり寒くなってパジャマが不可欠となり、毛布一枚だけだった寝具に掛け布団が加わりました。

残念ながら身体のほうがこの温度変化についていけないらしく、肩こりと頭痛が復活しました。たぶん、出張の疲労も残っていることでしょう。
朝起きてみたら、ストレッチをする気にもなれないほど肩がこり、ひどい頭痛に耐えなくてはなりませんでした。筋緊張性頭痛の薬として、医者から頭痛薬(ロキソニン)と筋緊張緩和剤(テルネリン)を処方してもらってあります。朝からロキソニン60mgを1錠、テルネリン1mgを2錠飲みました。普通の状態でこれだけ飲むと、確実に30分以内に寝てしまいます。しかし、痛いときに飲むと眠くならないのです。
たぶん、痛くないのに頭痛薬を飲むようになったら、それは乱用なのでしょう。

薬でごまかすような生活も良くないので、明日金曜日を代休にさせてもらいました。
子供が寝るまで(僕の布団がひけないので)、ちょっと座布団の上に横になって一休み・・・したら夜の2時半になってしまいました。


2003年10月01日(水) 帰長

午前中は長野に向かって移動。9月10日から始まった富山シリーズはこれで終わることになります。

途中の公衆電話でJSOの所長さんに電話しました。依頼事項が一件と質問が3件。

Q「サービス機構を示す逆三角形の図の中に、JSOの下に出版局とBOX-916委員会が置かれているものがあるが、JSOとこのふたつの機関との関係を教えて欲しい」
Q「なぜ出版局が、WSM報告書とAOSM報告書の翻訳までやっているのか?」
Q「財務の状況はどんなものか?」

昼に会社に着。たまには定時で退社。睡眠不足なので布団にもぐりこんで、起きてみたら11時でした。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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