心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年08月31日(日) 日曜集会

朝7時半起床。ふたつ峠を越え、新幹線の走っている街へ。片道2時間のドライブ。
日曜朝の国道は、輸送便のトラックが走っていないので、快適でした。

一日張り詰めた気持ちで居ました。でもテンションが高すぎたのか、普段は会うことのない仲間と会話を交わしたり、情報交換することもなく一日が終わってしまいました。この点は反省。

今日の集まりにしても、先週の日曜日のにしても、本来的に12番目のステップ活動の一部です。でも、12ステップを行うときに得られるはずの、心の底から湧きあがるような喜び(か何か)が得られないのはなぜなのでしょう。例えば誰かのバースディミーティングに行きあわせたときは、「おめでたいな、良かったな」という気持ちが生まれるものです。でも、こうしたビジネス的なミーティングから、喜びを発見することが(僕には)難しいのです。でも、おそらく問題は僕の側にあるのでしょう。

帰りは一転トラック便の間に挟まれるようにして帰ってきました。さすがに疲れてしまい、帰ったらそのまま寝てしまいました。

処方薬の袋が軽くなってくると次の診察が近いな、と感じることができるのですが、今回はなんかまだ重みがあります。調べてみると、「朝食後」に飲むはずの薬に「朝夕食後」と書かれていました。朝しか飲んでいなかったので、処方量の半分しか飲んでいなかったわけです。医者に「実は気がついたのが日曜日でして・・・」と正直に説明できればいいのですが、なんとなく後ろめたかったり、(薬は少ないほうがいいな)という気持ちがあって、言いそびれたりすると、処方される量と、飲む量が違ってしまって、なかなかに困った事態に陥ってしまうわけです。

レーザー複合機のトナー切れの警告ランプがついています。買ってからまだ2000枚なんて刷っていないような気がするんだけど・・・最近は家族が「便利なコピー機」として勝手に使うので、消費量が増えているのかも。


2003年08月30日(土) 藁をもすがる

日々のアクセス数が、7月の中旬の水準に戻ってきました。やっぱり夏休みの影響でしょうか。

突然パソコンのマウスが壊れてしまい、慌てて買いに走りました。前のマウスは5年ぐらいは使ったでしょうか。新しいマウスは、光学式で無線です。光学式は嬉しいけれど、無線はやっぱり微妙にレスポンスが悪いです。ほんとうに微妙な話なので、パソコンで絵でも描く人以外は気にならないでしょう。僕も絵は描きませんが、アイコンとかビットマップは作ります。

WSMの翻訳もようやく再起動しました。
薬を変えるのと同時に、なるべく行動するようにしたのも良かったかもしれません。

イチゴの株分けができたので、鉢をベランダから庭に下ろしました。ベランダは日当たりが良かったけれど、庭は半日しか日が当たらないので、ちゃんと育つか不安です。それでも、買ってきたときには3株だったイチゴが、現在10株で順調に行けば、来年には30個ぐらいの収穫が望めるのじゃないか、と子供と一緒に喜んでいます。

夜になり、子供たちが「この夏は一回も花火をやっていない」と訴えたので、だって花火買ってないじゃんと反論したのですが、先日子供祭りで配られた、わずか10本ばかりの花火を出してきました。仕方なしに、夕立の後で、淋しく花火をしました。

手に入れるのが遅くなったのですが、「バック・ツー・ベイシックス」(基本に帰ろう)の日本語訳が送られてきました。プリンターのトナーが切れそうだったので、インクジェットプリンターで印刷したので時間がかかりました。ざっと目を通しただけですが、いままで得ていた断片的な情報から想像していた延長線上のものでした。そりゃ、都会のAAはいまのままでも別段困りはしないだろうけれど、これから田舎へ田舎へとAAのメッセージを運んでいくためには、「ともかくミーティングに出なさい」だけではダメなのは明白です。
僕のような立場のものにとっては「藁をもすがる気持ち」なんですよ。自分が生きていくためにはね。


2003年08月29日(金) 人生休み休み

娘が小学校から下痢ピー菌をもらってきたらしく、僕を除く家族全員が下痢で苦しんでおります。いろいろ主婦の仕事が降りかかってくるのはやむを得ないとしても、食卓がおかゆばっかりになってしまうのは、何とかならないものかと思ってしまいます。僕は普通のご飯なんですが、おかずがありません。フランクフルトソーセージ一本をおかずに食事をしております。
子供の頃に、百科事典を読んでいたのですが、そこにラバとかラクダの解説に「粗食に耐える」と書いてありましたが、いまの僕がまさにそんな状態です。

新しい坑うつ薬が効いてきたようです。といっても、別に新薬ではありません。ノルトリプチリン(商品名ノリトレン)という伝統的な三環系抗うつ薬です。さっそく副作用の「口が渇く」とか「眠気」とかが出てまいりました。「口が渇く」ほうですが、ミーティングで5分もしゃべっていると「喉がガラガラ」になります。これは次第に症状が治まっていくでしょう。「眠気」のほうは、お昼寝(時間は夕方だけど)をすやすやしてしまう有様です。車の運転とか「十分に気をつけましょう」と薬と一緒にもらった紙に書いてあります。とても気持ちよく眠くなるのですが、これも次第に治まるでしょう。でも、SSRIではこういう症状はなかっただけに、ちと残念であります。一方パキシルの副作用はまだ後を引いています。
眼圧を上げる副作用もあるようなので、一応マメに眼科のほうも通うことにします。

難治性のうつと付き合うということは、坑うつ薬と付き合うということであり、ということは副作用とも付き合わなくちゃならないということです。でも、もうそれにも慣れました。人生休み休みという感じです。


2003年08月28日(木) 仲間が増えない?

もし、あなたがビッグブック(「アルコホーリクス・アノニマス」)をお持ちなら、xxivページ(文庫版では16ページ)を開いて読んでみていただきたい。1955年当時のAAの様子が描写されています。
そこには

・AAにやってきて残った人の50%はすぐに酒が止まり、残りの25%はスリップを繰り返したものの酒が止まった。残りの25%にも改善があった。
・来なくなってしまった人の3分の2は、後になって戻ってきた。

と書かれています。はたしてこのことが、今の日本のAAに当てはまるでしょうか。
答えは「ノー」でしょう。75%の回復率を成し遂げているグループが日本のどこにあるのでしょう。そして、去っていった人のほとんどは(いまのところ)戻ってきてはいません。
本来だったら、どんどん増えているはずのAAメンバーが、この十年間で数百人しか増えていません。どこへ行っても「仲間が増えない」という悩みばかりが共通です。

なぜ仲間が増えないのか? ということに関して、いろいろなことが取りざたされましたが、よい改善案が実行され、仲間が増えたという話は聞いたことがありません(増えてもまた減ったという話は聞くけど)。

結論から言ってしまうと、1940年代〜50年代にアメリカで大量のメンバーを生み出したAAプログラムと、現在の日本のAAのプログラムが「根本的に違っている」ではないかと言いたいのです。
ビッグブックを中心に、12のステップを個人的に分かち合うのがスポンサーシップであり、そこでは霊性というものが大切にされたのが、もともとのAAプログラムだったとするならば、現在のAAはミーティング中心で、「ともかくミーティングに出なさい」と言うばかりです。
本来12ステップのリード役であったはずのスポンサーが、スポンシーの生活のこまごましたことにまで口を出すようになり、ステップの分かち合いはもちろん霊的な目覚めについての話ができないでいるのです(僕も出来ないけれどね)。

1年未満でAAを去っていく人たちは、ステップといえば難解な本を読むミーティングを数回体験すればよいほうであり、またスポンサーを得る機会もろくに与えられず、何度も出てくる「神」という言葉に不信を抱いたまま放り出されていくに等しいのではないでしょうか。
スリップしてもスリップしてもAAにかじりついてくるような、そんな泥沼を這いまわれる人たちしか助からないのが、いまの日本のAAではないかと思うのです。

実はこの文章は、とある私信の内容に沿ったもので、ここに書いてはマズかったかもしれません。でも、仲間が増えないことへの対策として、これだけしっかりとしたビジョンに初めて出会ったので、その感銘をおもわず書いてしまいました。すみません。

ゼネラルサービスの役割もその期間の3分の1を過ぎました。その役割へのモチベーションを維持するのも大変なのですが、役割が済んだ後に自分が何に取り組んでいくのか、何をやる必要があるのか、おぼろげながらも見えてきた気がします。やはりスピリチャリティというものを大切にしていく必要があるということです。
(珍しく30分以上時間がかかってしまった)。


2003年08月27日(水) 車検

車を車検に出しました。納車は9月中旬だったのに、車検は8月末まで・・・。なんか変な気もするけれど、おそらくディーラーの8月売上が足りなかったのでしょう。ひと月ぐらいなら笑って許してあげましょう。

昨年一年(というか今年の春まで)売上トップ車種を争ったH社とT社。当然販売店に課されたノルマも厳しく、自己登録もずいぶん行われたようです。じゃあ、新古車が年明けから大量に出てくるかと思っていたら・・・、特にそういう話も聞きませんでした。どうなったのかな、と思っていたら、あちこちのディーラーが新古車を新車と偽って売ってしまっていたというニュースが流れてきました。おそらく、たいていのディーラーがこれをやったのでしょう。

ローンを組んだ場合は、それが完済されるまではディーラーの名義になっています。だから、新車でも新古車でも車検証を見ただけでは区別はできません。車検の時期が3年より数ヶ月短いだけ・・・。露見したディーラーは、自賠責と重量税の差額を返還し、謝罪して回ったというけれど、それで皆納得したのでしょうか。数千円といえども詐欺とよべるかもしれません。それに、新古車だとすれば最初からある程度値引きされた価格が提示されるのがふつうですし・・・。

ともかく車検で2日間車がなかったので、仕事に行くのに困りました。ほんとうはこの時期に出張しているはずだったので、車ナシでも困らない予定だったのです。昨日は駅前まで歩いてタクシー(990円)、今日は2時間に一本しかないバスを使いました(200円)。

車を所有するためには、車本体の値段も払わなくちゃなりませんが、日々の燃料費、それに油脂類の交換、ワイパーやバルブなどの消耗品、駐車場代、各種税金、任意保険などで、年50万円ぐらい必要だと、以前計算したことがあります。仮に300万の車を買って6年乗ると、合計600万円費用がかかります。年100万円。
実はタクシーとバスを組み合わせて使ったほうが安上がりなのかも・・・。

でも、夜中にミーティングに行くには必需品であります。10月になったらETCを買うぞ!


2003年08月26日(火) とても眠い

日々雑記ので「調子が悪い」と書いていますと、いろんなところで(メールでも)ご心配いただきまして、ありがとうございます。

月曜日に医者に行って相談したところ、とりあえず薬を変えてみることにしました。去年から使っているパキシルという薬ですが、たいへんよく効いてくれて副作用も少ない(SSRIだから?)のでしたが、最近は主作用の効きが悪くなり、副作用(男の下半身への影響)も無視できない状態でした。以前副作用のほうを原因に、薬を切り替えようとしたのですが、失敗しております。今回は主作用のほうが原因なので、切り替えへの踏ん切りは簡単につきました。

別にパキシルが悪いとか、効かなくなる薬とかじゃなくて、僕の脳内の物質分泌の状態が刻々と変わっていっており、薬のほうがその補助をしくれなくなると、別の薬が必要になるというふうに考えています。たぶん、今回の薬も来年ぐらいには切り替えているでしょう。

この新しい薬がとても眠いのです。そんなわけで、月・火と一日中(会社でも)寝ているありさまでした。(日曜に強行軍をした反動もあるかもしれません)。
やっと水曜になって自力で起きられるようになったので、押している仕事のほうに取り掛かろうと、前向きな気持ちで仕事にでてきて、これを書いております。



2003年08月24日(日) 東京は暑かった

午前五時半起床。というか眠れませんでした。
バスの中でもなかなか眠れず、眠れた頃には山梨のサービスエリアでトイレ休憩、そしてまた眠れぬままに新宿へ。今回の場所は、新宿に近くて助かりました。それにしても、暑かったです。なんといっても湿度が高いのが最悪。駅から数分歩き出しただけで、じわりと汗が湧き、それがいっこうに乾きません。べっとりとした感触のままに代々木のオリンピックセンターへ。

算数オリンピックと同じ階でした。みんな子供達がめがねをかけているのが印象的でした。ずいぶん前から半数以上の子供がメガネをかけるようになっているのに、ドラマに出てくる子供は(ほとんど)メガネをかけていません。ドラマと現実が乖離している一例でしょうか。

午前・午後とも発言量が多過ぎる自分を発見。でも、何も言わずに帰るのはイヤなんですよ。せっかく片道3時間半以上かけて行くのだから。
終了後、WSM・ASOMの日本語通訳をしてくださっているDさんと会話をしました。

3時20分にオリンピックセンターを開放され、そのまま仲間と話をしながら新宿へ。たった十数分片手に荷物を握り締めていただけで、手のひらが赤く腫れてしまいました。昔は重いバッグを手に電車で移動していた僕も、すっかり車で安楽をすることを決め込んでしまって、手のひらすら軟弱になってしまったというわけです。

時間がありすぎるので、涼しいヨドバシカメラの中で時間つぶし。でも何も買わず。デパートへ移動。どうせ帰りのバスの中も眠れないのだから、気楽な読み物(皇室の経済)と小説を買いました。

うつで調子が悪いとか言いながら、強行軍を行ったおかげで、帰宅後はヘロヘロ。睡眠不足が原因の激しい頭痛と、倦怠感でいっぱいで、何も手につかずに寝てしまいました。まあ、過労が睡眠を呼んでくれる良い例です。それに「自分の決めた範囲のことはやった」という達成感が少し安らぎを与えてくれます。「やった」ことが現実にどれだけ意味があったか、を考えると、まったく無力という言葉がふさわしいのですが。


2003年08月23日(土) 土曜

今週は二日出勤しただけでした。土曜も出勤しないし。

午後2時起床。車のディーラーがお客様感謝デーをやっていたので、車を持ち込んで(実は先日予約しているのですが)、今日車検を予約したことにして、エンジンオイルとフィルターの無料交換(の権利)をもらいました。実際の交換は来週の車検の際にやってもらうことにして、店内をうろうろ。景品とアイスクリームとジュースをもらい、子供にはオモチャをもらって、遊具スペースですこし子供を遊ばせて帰りました。ティッシュももらったかな。これで今週末は「子供を外に連れて行った」実績にしてもらいましょう。

990円のヘアカットに行きました。今までは駅前の1,580円が一番安かったから、590円お得かな。でも、土曜日の市内の渋滞の中を車で移動したので、お得感はいま一歩です。ついでにカー用品店に寄って、ETCの車載機を見ました。安いものだと工賃込みで17000円ぐらい。最近は高速を使う機会も減り、ハイウェイカードは使わなくなったので、いつも現金で支払っています。運転席で、ズボンの後ろポケットから財布を出したり入れたりするのは面倒なのですが・・・、なんかこんなものを付けてしまうと、逆に高速道路使用に歯止めがきかなくなりそうで怖いです。


2003年08月21日(木) 「うつ」の波間

どうも7月末から「うつ」の波間にいるようで、その谷間にどぶんとはまったように、3日間休んでしまいました。無理して出勤すれば、出勤できないこともなかったのでしょうが、たぶん状態は悪化する一方だったでしょう。そして、無理をしたところで、誰も誉めてはくれないのです。みんなそれが当然だと思って、もっと重石を乗っけてくるだけの話です(なんか被害妄想的)。
努力は必要だけれども、努力することに酔ったらいけないのです。でも、何でもいいから酔っ払っていたいアルコホーリクですから、なかなか生き方が変わるものでもありません。

2年前に、うつで2ヵ月半休んでいるのですが、その時ほど悪い顔はしていないと言われました。でも、そのさらに前に、一ヶ月以上調子が悪いことは何度もあって、一回などは、日ごろなかなか会わない仲間から、

「お前は最近会わないけれど、どうしんたんだ。調子悪いのはミーティングに行かないからだ。AAから離れようと思っているならそれは危険な賭けだ止めておきなさい。こんど飲んだら死ぬかもしれないんだ・・・」

うんぬんと続く心配ともお叱りとも受ける手紙を受け取っちゃいました。これを読んだときには、大変頭にきたものですが、今でも手元にとってある大切な手紙です。

最近はあんまり仲間に手紙を書かなくなっちゃいました。たまに会う人に近況報告しようとすると、「ああ日記読んでるよ、うんうん」などと言われて拍子抜けしたりする次第です。
明日は仕事にいこう。

関西OAと、かお君のサイトへリンクを張りました。


2003年08月18日(月) 天気図

ふと天気図を見るとまるで梅雨時のような図になったままです。今年の夏は結局、はっきり梅雨が明けないまま終わっていくのでしょうか。(それでも記録上は明けたことになってるはず)。

高校生のときは、山ほど天気図を描きました。といっても、生のデータから描いているわけじゃなくて、ラジオの気象情報(プサン・南南東・風力3・11ヘクトパスカル・26度・天気晴れ・・・とか延々言ってるやつ)を聞きまして、天気図用紙に線を引き、高気圧や低気圧や前線を配置するという作業です。
NHKの中波第二放送で日に3回、短波で日に2回放送してくれます。なんでこんな放送をしているかというと、農夫や漁師の人、それに登山家や野外で作業をする人などは、天気も関心事だけど、風の強さや向きなども欠かせない情報だそうなのです。例えば農薬を散布したり、海へ出たり、ロープで高いところからぶら下がったり・・・。
もちろん、気象庁は風の予報もしてくれるのですが、どんなスーパーコンピューターよりも、地元の人の天気図を読む経験のほうが、局地的な予報は正確なのだそうです。天気図をFAXで配信してくれるサービスもありますが、なんといってもラジオはタダだし、電話線の届かない場所でも役に立ちます。

人に頼まれて、録音したテープを聞きながら何十枚・何百枚と天気図を描いても、それで予報をしたり仕組みを理解したりしなければ、気象予報士にはなれないのでありました。

どんな天気でも構わないのですが、コメが花を咲かせ実をならせる季節ですから、このまま天候が悪く推移すると、不作になるでしょう。不作でもコメの値段が極端に上がったりはしないものですが、同じ値段で食べられる米の味は確実に落ちることになって困りものです。


2003年08月17日(日) 休み明け

たった5日間の休みではありましたが、すっかり生活のリズムが崩れてしまいました。「月曜日は仕事の能率があがりません」などと悠長なことを言っていられる場合ではないのですが、なんとなく睡眠不足のまま一日が過ぎてしまいそうです。

ずっと家族と一緒というのも、それなりにストレスフルなものです。休みになれば「ああしよう、こうしよう」という予定も立てていたのですが、ほとんど出来ませんでした。翻訳はちっとも進まないし、それにいらだってもしかたないし・・・。Winsockの勉強が出来ただけでも、良しとしましょう。

角川のNPO商標登録問題とか、米の不作だとか、集中力のないときに書いておいた予備原稿があるのですが、新聞とかに取り上げられてしまうと、日記にアップするのもどうかなぁと躊躇ってしまうのでした。

今日は時間があればミーティング。


2003年08月16日(土) 予備校

HTMLの編集には、いつもFrontPage 98を使っています。こいつはWindows 95しか動かないノートPCでも動いてくれるのが良い点で、あとは特に良い点はありません。サイト全体を管理させることもできるのですが、余計なフォルダやファイルを作りまくり、挙句にサーバー上にも余計なファイルを作り、さらにはセキュリティ上の問題まであるという傑作です。したがって、一ページずつ編集するという方法で利用しています。おかげで、もっと新しいバージョンに移行しようという気にはとてもなれません。
98の編集画面はHTML 3.2しか理解しない上に、スタイルシートの機能も働かないので、IEなら3.0、NNなら4.7でどう見えるか判ってよろしいのですが、いまどきそんな古いブラウザーを使っている人はほとんどいないでしょう。(あをねこさんのサイトはIE 1.0でも見られたので立派だと思う)。

その前はAdobeのPageMilを使っていたのですが、「こんなものを箱に入れて売るな」と言いたくなるシロモノでした。

そこで今回、以前より「これは良い」とうわさを聞いていた、IBMのホームページビルダー7を入手して使ってみました。まだ慣れていないですが、これは確かになかなか良いですね。初心者から、HTMLソース編集にこだわるミドルユーザーまで広くカバーできるでしょう。(本格的なものを作ろうとする人はマクロメディアのやつかを買ってね)。ただ、やっぱりMS独自の機能というのがあって、FrontPageで使えるテクニックが、ビルダーには理解してもらえないという悲しい「MSの呪い」から抜けられません。
そこらへんの問題を解決するまでは、編集ソフト乗り換え計画は頓挫したままなのでした。

僕がもし編集ソフトを入手しなければいけなくなって、売り物に手を出さないことに決めているなら、たぶんNetscape 7に付属してくる編集機能を使うでしょう。

おたっきーな話でスマソ。


2003年08月15日(金) 実家へ

実家へ行ってまいりました(ひいらぎは婿養子)。
子供の相手はババ(つまり僕の実母だ)にまかせて、ひたすら寝ておりましたとさ。


2003年08月13日(水) 貯蓄

先日新聞の貯蓄に関する記事を読んでいたのですが、僕の属している「貯蓄残高200万円以下」という最下階層は、実は日本人の中ではなかなかに少数派だったのですね。大人になってから、すぐにアルコホーリクになった僕ですから、酒を止めて定期預金が作れたときは感動だったんですが、それもやはりささやかな喜びだったようです。(しかし、4000万以上の貯蓄を持った人間が8%といるとは思わなかった(数字はうろ覚えですまん))。やはり、経済的な回復は霊的な回復より先にはやってこないのか?

もっとも、単なる労働者であっても、二十歳すぎからこつこつ貯金をしている人と、十年以上収入のほとんどを、酒およびその他の快楽につぎ込んできた人間とでは、自然と差がついて当たり前なのでしょう。
一番貯金がたまるのは、子供が小学生のときだとか。それはこれからの数年間なんだけど、はたしてどれぐらい貯められるものなのか、それとも食い詰めてしまうのか? もう車を買い換えようとは思わないけれど、じゃあ、3年で車代ぐらい貯まるかというと無理でしょう。だって、借金はこつこつと返せるけど、貯金はこつこつと・・・できるのが普通の人か。

実はルーターを買い換えてしまいました。だって、月末にはBフレッツが来るんだもの。やっぱり古いルーターじゃ、光ファイバーのご利益がないじゃないですか。だから、これからその設定をするのです。
こうして、浪費によって貯蓄は増えないのでありました。



2003年08月12日(火) 深夜のコンビニ

深夜、空腹で眠れなくなることはわかっていたのに、食料を買っておくのを忘れてしまいました。
しかたないので、パジャマから着替えて近くのコンビニに買い物に行きました。
別にパジャマのままで行ったって構わないのですがね。そういう人もみかけますし。でも、妻が嫌がるのです。それは飲んでいた頃の僕の行動がトラウマとなって彼女の心に残っているのかもしれません。

深夜1時過ぎ、もう地方都市の街角はひっそりとしています。酔っ払いが何人か騒ぎながら歩いていきました。それと、若い女性とすれ違いました。女性が深夜に一人歩きしても大丈夫なぐらい、日本は平和なのであります。パンとジュースとチップスとフルーツゼリーとカップラーメンをレジで清算していると、背後に小柄な人影を感じたので、振り返ってみました。小学校低学年の女の子が、「おろしなめこそば」を持って立っていました。親と一緒なのだろうと店内を見回してみましたが、居るのは僕と店員と彼女ばかりです。しかも、妙に思ったのは、彼女がパジャマ姿だったからです。パジャマは清潔そうで、彼女の顔は眠そうに見えたけれども、他に異常は感じられませんでした。
彼女はそばをカウンターに置くと、店員に千円札を差し出しました。その態度も、店員の対応も慣れた様子で、不自然なところはひとつもありません。コンビニの外に停まっている車もなく、僕は小学生が深夜にパジャマ姿で出歩いても安全な日本について考えながら帰ったのでした。

最近近所にマンションがいくつか建ち、街の様子も少しづつ変わってきています。


2003年08月11日(月) 予備校

世の中には僕と「どうしてもウマがあわない」人がいるらしいのです。
幸いなことに家族と「どうしてもウマがあわない」ということもないです(少しはあるよ)。AAのなかは、ウマがあおうが、あわなかろうが、例えけんかしようが「一緒にやる」以外の選択肢はないので、そりゃもう田舎のムラの濃密な人間関係の中に居るのと同じで、「それが運命」と思って受け入れるほかありません。

問題なのは仕事なんです。これは金が絡むだけあって難しい側面があります。商売も適正な利潤と誠実さが一番というのは理解しているのですが、世の中必ずしも、そういうふうに考えている人ばかりとは思えません。自分が不運だなと思うのは、「人の抱えている問題を、コンピューターを使って(解決可能なら)解決してあげる」ことで生計を立てる職業を選んでしまったということです。

すべてのことをコンピューターで解決できる、なんて甘く考える人はイマドキいません。だから、最初に「これとそれとあれを解決する」という取り決めをして、それにお幾らという値段がつくわけです。
ところが未来は予測できないもので、たいてい何か「予測もしていなかった問題」というのが起こるのです。それがこちらに責任がある場合には、残業+土日返上とかいう最悪の事態になっても、その対応をして、挙句に自分の会社からも相手の会社からも文句を言われるという筋道です。
が、これはそんなに悪くないシナリオです。

相手側で問題が発生した場合、相手が対策に追われるということになるのですが、運の悪い場合には「誰がどう見たってこれは無理だろ〜ぉ」という問題もあるわけです。彼らが何とかできないと、その矛先はどうしたって僕のほうを向いてくるわけです。「何とかしてくれ」と。
僕に答えられることは真実だけで、「時間と金の両方が必要です」。人間が労働した成果物なんだから、ゼロの時間でできるわけはないのです(だったら残業なんて不要だ)。そうすれば当然費用もかかってくるものです。新しい部品が必要になれば、それを注文しても明日届くわけじゃありません。

相手が経験豊富だなと思う場合は、お金も時間も若干の余裕を残している場合です。きっとたくさんのトラブルで痛い思いを重ねてきたのだろうな、と思わせる人です。
世渡り上手だなと思う場合は、「金はないけど、何とか助けてくれ頼む」と泣き付いてくる場合です。ようは自尊心に訴えるわけですね。こちらの仕事のスケジュールに空きがあれば、恩を売っておくのは悪くない話です。
最悪のシナリオは、ともかく怒鳴り散らして何とかしようとするタイプ。相手だって商売をしてるんだから、時間=金であり、無料で何かを手に入れるのは難しいのは分かっているはずです。が、とりあえずゴネにゴネて「ゴネ得」を狙ってくるのです。が、ここでそれを許してしまうと、次も同じ手を使ってくるので始末が悪い。
こういう人に恩を売っても絶対帰ってこないです。「次の仕事はないと思え」と言われても、口に出してはいえないけれど(もうお付き合いは勘弁して欲しいし、金のないやつは客じゃないよ)と思ってるから、それで折れるわけもありません。すると怒る怒る。
こういう客に限って「もう出入り禁止な」とか言っときながら、新しい仕事を回してよこすから困り者です。そして、断る権限は僕にはない、という次第。

やれやれ。愚痴を聞いていただいて、すみませんね。


2003年08月10日(日) 山梨のラウンドアップ

富山へ、そして台湾へという出張の予定が、8月下旬〜9月中旬というスケジュールが伸びて、9月中旬〜下旬。ひょっとすると最悪十月にかかるという可能性が出てきました。仕事は遅れ気味だったので、その点では助かるのですが、ミーティングの維持では仲間に苦労をかけてしまうし、最悪山梨のラウンドアップに参加できなくなってしまいます。

福岡のサービスフォーラムに行くか、それとも山梨のラウンドアップに行くか考えに考えたのですが、結論としてはラウンドアップに行くことにしました。来年には長野でラウンドアップが企画されていることもあり、自分がどこで何を必要とされているかを考えた上での結論です。
申し込みたいけど、先立つものがありません。18,700円はラウンドアップの費用としては決して高くはない(2泊3日、中日の昼食込み)とは思うのですが・・・。山梨からだったら、土曜の深夜に帰ってくるという作戦もありかな。
僕としてはラウンドアップはひさしぶりなので楽しみであります。特に昨今、AAのイベントに泊まりで参加していないし・・・。「AAのイベントに行きたいので、お金をください」と妻に頭を下げるのもやなんだよなー。「そうやって、一人で出かけていればいいじゃない」とか言われるのがオチだもんなー。



2003年08月09日(土) 日記風

12時起床。大雨。1時昼食。
2時出社打ち合わせ。3時半退社。
ヤマダ電機をうろつくも何も買わず。
4時、ラーメンを食べるために市内を徘徊するも、この時間に開いているラーメン屋なし。
5時、自宅でインスタント焼きそばを食べた後、昼寝。
6時、こどもたち児童館より帰る、昼寝おしまい。雨やむ。
7時、お風呂。
8時、夕食。
10時、珍しくちゃんとこども就寝。パパ仕事ときどきAAの書類いじり。

第4日曜日の予定が空けられることが確定したので、地域委員会で東京に行く高速バスの切符をネット予約したのですが、サーバーが混んでいるのか、一連の手続きに30分ぐらいかかりました。夏休みで照会が多いのかなぁ。


2003年08月08日(金) らりほー

やっと週末にたどり着いたという感じの一週間でありました。

今週は(メッセージも含めると)週に3回ミーティングに出てしまいました。いや、久しぶりのことです。が、その代償も大きかったです。雨の夜のドライブってのも疲れたんですが、暑かったのも影響したでしょうね。木曜は仕事に30分遅れてしまったし、今日などは午後2時出社という大名出勤でありました。
諸事情あったとはいえ、これは失敗であります。

すっかり夏ばてしております。ここ数日ミーティングに行かなかった日は、夕方から夜までいったん寝ないと体が持ちません。それでもまた朝まで眠れるし、ついでに夜まで寝られるかもしれないという勢いで、だるいです。

お盆を過ぎればヒグラシが鳴くようになって、夜は涼しくなるでしょう。そうなれば、ゆっくり眠れるようになって・・・、あと2週間ほどのがまんがまん。



2003年08月07日(木) 道楽

きっぱりと宣言しておきますが、「心の家路」は Just Fun ただ面白いから、つまり道楽でやっております。そこに崇高な使命感などありません。しかし、仕事やら地方性などで、なかなか豊富にミーティングにいけない僕にとって、様々なことに考えをいたす時間を与えてくれる大事なものでもあります。

AAのミーティングを維持したり、ついでに他のグループのミーティングに顔を出したり、病院メッセージで出かけていったり、いずれも「面倒っくせー」と思っております。ましてや「委員会」などというと、その気持ちはいや増して「あー、やだやだ」と思っていたりする、という真実は隠せませんね。
じゃあ、なんでそんなこと続けているのかというと・・・。

今日はちょっとスケジュールを間違えて、他の人が輪番の担当のときに病院メッセージに行ってしまいました。疲れていたから、その間違いに気づいた時点で帰ってしまっても良かったのですが、せっかくガソリン燃やしてここまで来たのだから、とメッセージに参加しました。

若干僕より年上の人で、僕と一緒に入院していたことのある人ですが、ここ数ヶ月ミーティングに顔を出していないので、少々心配している人がおりました。そして、メッセージの会場に彼は患者として現れました。

普段はあまり気にしていない事実ですが、僕はAAを道楽でやっているわけではありません。そんなもんだったら嫌になったらすぐに止めているでしょう。でも、続けているのは不思議でもなんでもなくて、命だとか、(比較的)健康な生活だとか、家族と一緒に暮らすこととか、仕事にありつけるだけの信用だとか、そういうものを「何とか最低限維持していくために」、僕にとってAAのプログラムは欠かせないものなのです。

AAのプログラムには「ここまでやっておけば、とりあえず大丈夫ですよ」という線など引いてありません。だからどこまでやっても、「よしこれで安心だ」というわけにはいかないのです。これをなおざりにして、他のことに手を出す余裕などなかなか与えてもらえません。

与えつづけていかなければ、手元からなくなってしまう恵み。


2003年08月06日(水) 伝統と真の伝統

最近になってよく言われるようになったことは、同じような12のステップを使っているからといって、AA・NA・OAなどなどの回復のプログラムが同質であるとは、誰にもいえないということです。確かに、それらの12のステップ・12の伝統は似通った言葉を使っているかもしれないけれど、それらのステップは個人に解釈の自由を与えている以上、これが正当というものはありません(一方で、12の伝統は議論による収束が必要なものですが)。
人の集まりですから、それぞれ「主流の考え方」というものが出来上がるでしょう。だからこそ、それぞれの12ステップグループの間には、プログラムの解釈の違いが生じて当たり前なのです。そして、それは「同じである必要はまるでない」ということです。
AA以外の12ステップグループが、AAの経験を踏まえていることは確かです。そして、それらの多くが(すくなくともアメリカにおいては)クロスアディクトを持ったAAメンバーによって始められたのも事実です。でも、AAが別のグループの回復のプログラムの品質を保証することはしないし、そんなことそもそもできっこないということです。

ただ、AAはAAプログラムの品質を維持する必要はあるのです。そのためには、個人の解釈の自由が制限されるのは当然だというのが、伝統一に沿った考え方です。自分の考えていることを述べ伝えるのに、「一人のAAメンバーとしての意見であって、AA全体を代表するものではない」ということは明らかにする必要があります。あくまで自分の意見を主張するよりも「多くのAAメンバーはこう考えている」ことを紹介するほうが役に立つし、謙虚であるということです。そこに(私は反対意見であるが)と付け加えるのは自由かもしれないけれどね。

じゃAAのプログラムとは何かというと、それは結局ビッグブックの中に書かれていることであります。ビルとボブと、当時の百人あまりのメンバーに起こった出来事を、広めていくということです。ビルたちは「議論の余地があることは承知している」と書いていますが、結局ビッグブックは変更されたことがありません。AAは最初の100人と同じ事を繰り返すのが「回復のプログラム」です。

日本のAAは中間施設と共に成長してきました。それが有効だったことはAAの成長が証明しています。しかし、10年余り前から「メンバーが増えない」ということが繰り返し言われてきています。そして、現在の日本AAが継承してきたものは、「最初の100人」とは違うものであろうという指摘がされています。
だから、日本語の伝統という言葉のイメージのもつ「日本のAAの伝統」ではなくて、グローバルなAAの中にあって「伝統一」を実践して、日本のAAのプログラムを原点に戻す必要があるのではないか、という意見です。
しかし、こうした考え方が、日本のAAの中では主流ではないことも、言い添えておく必要があります。


2003年08月05日(火) 疲れたよー

昼間から「なんか疲れたなー」という感じでありました。たぶん冷房病でしょう。暑いのも嫌いだけど、冷房も嫌い、でもどっちか選べるなら冷房。でも冷房で調子が悪いのは許してね、というわがまま勝手な人間であります。

それでも仲間のバースデイに参加しました。往路、すごい雨が降ったあとなので、「梅雨明け以降夕立がすごいなー」と思い、もう降らんだろうし、時間も余裕があると思って、高速のサービスエリアでラーメンを食っておりました。テレビでは豪雨と大雨警報のニュースをやっており、「これはまずいことになったかな」と思って、慌てて外に出てみたら、すでに大雨でありました。

ハイドロプレーニングにおびえながら先を急いだのですが、命をかけるほどのことでもあるまいと思い直し、のんびり遅刻していきました。帰りは国道でしたが、こちらも雷雨の中。

眠い。もう寝る。(日付は変わっているけど)。


2003年08月04日(月) 暑さ寒さもひがみのもと

タイトルに意味はありません。
さて、こんなこと(ってどんなことだ)にならなければ、僕は今ごろ、長野AAの20年誌を各種インタビューなどによって書き進めていたはずです。長野のAAは、埼玉県のメンバーらによってメッセージが伝えられ、1983年に上田市でステップミーティングが開かれたのを始めとしています。83年12月には、長野グループが誕生し、次第にミーティング場を増やし、長野市を中心に月曜から土曜までの毎日のミーティングと、日曜日の病院メッセージを抱えるまでに成長します。しかし、これだけの陣容を維持する人数に欠け、ミーティングは週3日に、メッセージは病院側の受け入れ態勢の変化と共に形骸化します。

この頃、大学病院の医師であったS先生が、アルコール依存の治療には自助グループが必要という新年から、断酒会、AA、その他のグループの育成にあたりました。86年7月には小諸グループが、翌87年3月には佐久グループが誕生するのですが、比較的短期に形骸化します。背景には、この地方にAAを名乗り、ミーティングハンドブックも使うものの、他のグループと交流しないグループが(すくなくとも)二つ存在した影響があったと思われます。これらのグループの情報は、AAの記録に残っていません。小諸・佐久グループはAAの歴史から消え、合流して非公式に浅間グループとして存続します。

これらと前後して、88年4月には諏訪グループが誕生します。小諸・佐久グループが復活するには92年9月まで待たねばなりません。96年7月には松本グループが、98年3月には駒ヶ根グループ(後に南信州)が誕生します。
サービス活動については、月1回の長野グループのビジネスミーティング(上田)が、そのまま長野地区のビジネスミーティングとなり、後に地区集会と呼ばれるようになります。今から思えば、インターグループ集会でした。その後「代議員制度」と「委員会」などの形式が、他県と同じように整うのは98年度からです。

21世紀になって2002年5月らいでんグループが誕生、2003年4月安曇野グループが誕生します。この間に、ちのグループが誕生して消え、小諸グループは二度目の消滅を迎えています。

僕がつながった頃のメンバー数は10名と言ってもよかったでしょうが、現在では(数えてませんが)40人ぐらいいて、今は増加傾向にあると思います。もっともこれも、グループ数や会場数と同じで、長い目で見れば(人の回復と同じように)波があるのでしょうから、また減るときもあるでしょう。

80年代から活躍したメンバーたちは、すでに老境に入り、ほうっておけば真実は記録に残らずに消えていくでしょう。だから、彼らがまだ元気なうちにそうした過去をまとめておきたかったのです。「成年に達した」などとは言わなくても、昔話を聞いてみたい・・・。しかし、神は私に別の任務を与えました。おそらく、僕が思っているほど、過去の記録は重要ではないのでしょう。

手渡していくべきものは、先人の努力ではなく、AAの原理なのだから。


2003年08月03日(日) 暑い、暑いぞー

梅雨明けして本格的な夏がやってきました。昨日は休日出勤をしまして、エアコンいれて「う〜さぶ」などと言っていたんですが、今日はそういうわけにもいきません。
長野は涼しいだろうとお思いでしたら、そりゃ大間違いで、内陸部なんで温度が上昇しやすく、東京などより気温が高いこともしばしばです。でも、海に近いところと違って、湿度が低いぶんだけラクであります。

さすがに自室では暑いのでパソコンを一台止めました。しかしもう一台の「暖房パソコン」のせいで、部屋の気温は急上昇です。CPUの温度は60度弱と春先と同じなんですが、ケース内の温度がついに50度弱になってしまい、換気ファンが全開運転しております。おかげで、50度弱の空気が大量に吐き出され、体温より高い室温のなかで、WSMの翻訳をしております。

だいたい、週末に少しずつこなしているのですが、30分翻訳しては飽きてネットを巡回し、30分やってはまた駄文を書き、30分やっては子供と遊ぶという具合ですから、なかなか進みません。
でも、お盆前半ぐらいで終わらせて、その後は別件の翻訳に取り組みたいと思っているのです。


2003年08月02日(土) 夏祭り

今日は夏祭りでありました。花火祭りでありまして、もとは花火の音をとりまして「どんどん」と呼ばれていたそうなのですが、戦後旧陸軍駐屯地に米軍が進駐してきたときに、音は「BOMB」だろうという話になって、「Bomb Bomb」すなわち「ぼんぼん」と呼ばれるようになったそうです。祭りの最高潮は、市内を流れる川の水面で破裂させた花火が半球形に広がる様です。
全部うそです。ごめんなさい。
実際には、カーニバル式の踊り祭りで、踊る人間のほうが見る人間より多いという祭りです。辻々で飲み物が配られ、渡された紙コップの中が茶色いからウーロン茶かなと思うとビールであり、透明だから水かと思うと日本酒だったりするのです。
いや、これも全部聞いた話で、本当かどうか知りません。
だって、このお祭りは8月の第一週の土曜日にやることになっていて、月の第一週にはAAの地区委員会があるものですから、その前身のインターグループ集会の頃から、可能であれば欠かさずそっちに出席してきた僕は、どんな祭りなのか詳しくは知りません。
委員会が終わる頃と、祭りが終わる頃とほぼ一緒の時間のようで、市内に帰ってくるときには、酔っ払いが道路に飛び出してこないか気をつけないといけません(これは本当)。

ホームページに「リンク集の充実を目指す」とか書いてますから、たまにはリンク集の管理をすることにして、「呉みなとグループを追加しました」。

そういえば、広島市って人口300万都市なんですね(さっき見たテレビでやってた)。東京近辺と、この人口30万の地方都市と、生まれ育った鉄道も国道もない人口1万人の町しか知らない僕にとっては、ちょうどイメージのつかみにくい規模であります。


2003年08月01日(金) ABSI発刊

『ビルはこう思う』が出版されました。1,500円で、例によって一般の書店では手に入りません(AAは出版社ではないからです)。ビルの精選文集です。ビルの晩年に、彼が書いた文章の選集として、さまざまなAAの本や手紙から抜き出され、手直しされた文章です。
ビッグブックや12&12を読まずに、いきなりこれを読むというのは反則なんじゃないかという気もしますが、もともとAAの本はすべて「繰り返し読む」ことが前提ですから、一日に1ページずつ読める本は、手軽でよいかもしれません。少なくとも何も読まないよりもずっと良いでしょう。

もともと1967年に原書が出版されたときには、The A.A. Way of Life(AAという生き方)という題名だったのですが、その後 As Bill Sees It に変更されました。この日本語タイトルがなかなか最後まで確定しませんでした。4個の単語とも中学校で習うでしょう? だから、少しでも英語の心得がある人は、その人なりの考えがでるのです。未訳だった頃の仮題は「ビルの見解」。最初に関西で訳されて「ぶどう樹」に載ったときは「ビルの思い」(だったんですか?)。公式な翻訳の仮題は「ビルの言葉」。さらに案として出されたものは、「ビルの見方」「ビルが残したかったもの」(彼の最後の著作だから)「ビルが見たもの」「ビルのことば」「ビルの思い」。どれも誤訳というものはないでしょうが、最後は「こう思う」に決まりました。
副題は「AAの生き方」です。

酒を止めるというAAだけではなく、生き方としてのAAに興味のある方は、ぜひ一部お求めください。JSOか各COへ(宣伝モード)。

そういえば『今日を新たに』という本の原題は Daily Reflection で、そのまま訳すと「日々の投影」となります。これは一日一ページずつ、AAのテキストからの抜き書きが書かれ、それがAAメンバーの心にどう映ったかをそのメンバーが書いている選集です。ちなみに reflection には黙想とか熟考という意味もあります。原文のニュアンスを伝える訳をとなると難しいですね。

最近の商業出版は、原著者の題名への苦労など無視して、いかに売るかだけで題名を決めちゃうので、面白くないですね。昔は名訳が多かった<『長いお別れ』とか(long goodbye)。

道具90を更新しました。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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