心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2002年10月31日(木) もうすこし霊性について

どうして、人それぞれに「ハイヤーパワー]が異なっていて良いのか?

(人それぞれ、ってことかな)。

いままであまり深く考えてこなかった問題です。
ある人と話をしながら(といっても対面でも電話でもなくIMでですが)、霊性に関する話をしていましたら、その人の言うに「霊性=愛」であるというのです。

「愛を比べることができますか?」

できようはずもありません。 どちらの愛が素晴らしいか、なんて設問はナンセンスです。霊的な成長が、自分を愛し、他を愛するための階段を上る作業ならば、それを比較することは愛情を比較することになってしまいます。ステップ2と3で、しっかりハイヤーパワーを見つけ(自と他を愛する能力を身につけ)、その後に、4と5をやらなければ「かえって苦しくなる」場合もあって当然なのかなと思ったりします。AAやグループそのものをハイヤーパワーにしていることの限界でしょうか。
日本のAAは「霊性」とか「ハイヤーパワー」を語ることを忌避する傾向が少なからずあります。でもそれは、12のステップにとって欠かすことのできない重要な事柄なのです。そんなことを、気づかさせていただきました。ありがとう。


2002年10月30日(水) たわごと?

仕事の合間にネットを見ることは多いのですが、さすがにネットサーフィンは飽き飽きしているので、最近はニュースを読んでいることが多いです。 この頃はどの新聞社も速報を出してくれているんで、お金を払わなくてもニュースに困ることはありません。 (おかげで、活字新聞は解説記事ぐらいしか読まなくなってしまいました)。 社によって報道の詳細が違うところもあり、メディアを信用することの危うさを教えてくれます。

今日のニュースには、こんなもの も紛れ込んでいました。
僕も女の子二人の親でもあるので、こうした記事を見ると本当に暗い気分にさせられます。あまりの陰惨さに怒りを覚えることもしばしばです。 無論そうなると仕事に身も入りません。しかし考えて見ると「自分に責任がないとわかっている場合の怒りほど楽しめるものはない」という警句にそのままあてはまります。 「怒りをもてあそんでいる」と言われれば、まさにその通りに違いない。
犯罪を裁くことは社会を維持していくために欠かせないことで、これは致し方ない、当たり前のことです。しかし、「うめくように泣いているのに、耳栓をして寝た夫婦」は、精神の病気だったのでしょうか? そんなことはありますまい。 聖人でもない「当たり前」の人間が、状況の中でなる病気が「霊性の病気」でしょう。 人間としても思いやりや、誠実さ、自と他のバランス、そうした大切なものを失ってしまう病気。霊的な病気の発露のひとつとして依存症となり、そこからの回復において「霊性を何より第一の価値とする」と決めた僕たちは、発露の違いはあれ同じ「霊的な病気」の仲間を裁いたり、非難したりすることはやはり避けねばならないし、そうした行為は結局はブーメランのように戻ってきて、僕ら自身をすぐに傷つけてしまうのです。 (その証拠に仕事になってないし)

先行く仲間の残してくれた警句に感謝しながら、3人のために少し祈り、仕事に戻りました。そんなわけで、今日はすこし神妙に過ごしたのでした。
「世界が愛と善で満ちるほかはない」という言葉は、宗教家か夢想家のたわごとだと片付けていた過去の自分がかなり恥ずかしいです。 まあ、世界の一員として、ともかく自分の回復を考えねばなりません。



2002年10月29日(火) 商談

隣県の大きな工場へ商談に行ってまいりました。 半日以上時間を費やしたのですが、こちらの見積り額と顧客の予算の間に2.5倍ぐらいの開きがあるので、時間の無駄ではあるのですが、こうした無駄の積み重ねが商売には必要不可欠なのだということは、若いフリーランサーのころには判っていなかったわけです。数千人が勤める工場では、皆さんまじめに働いておられます。「みんな、まじめですね。 仕事中にインターネット見ている人なんでいないですよ」というのは、居眠りが得意な同僚の言葉。

僕もメーカーの下請工場に引き抜かれて勤めていた時期がありました。
「僕なんか、こんなとこに居たらうつ病になっちゃいますよ」
「もうなっているじゃないですか」
(別に工場に勤めたからなったわけじゃないけど)。
きっちりとした管理体制の敷かれた会社では、僕みたいな半端者は勤まりません。かといって、フリーランサーとして自分で自分を管理できたかと言うと、それも無理でした。今、自由とは言っても過酷さでは他に負けない職場で、特に厳しく管理されているわけじゃないけれど毎月給料をいただけるだけ働けているのは、何か「不思議な力」のおかげなのでしょう。

うつ病だと肩こりが激しいという話はありますが、そうは言っても妻の肩こりは尋常じゃありません。眼の周辺が原因のような気がしたので、眼科医に行って来るように話をしたのですが・・・。はたして(眼病ではなかったものの)「それで車を運転したらマズいだろう」という視力でした。
「メガネ店にメガネを注文してきたよ」と言われて、(メガネのデザインは僕にも相談してくれても良かったのではないか?)と、思うのは配偶者としてわがままがすぎるでしょうか?


2002年10月28日(月) 復帰中です

やっとパキシルの効果が復帰したようです。 ともかく、朝起きて、仕事に行き、ミーティングに行って帰ってきました。 若干睡眠が浅いのが難点ですが、「トシのせい」と言われそうなので黙っていましょう。「ブレンド(両方の薬を飲む移行期)を設けなかったのは失敗だったかな。 また、今度調子のいいときに試して見ましょう」と医者に言われましたが、なんか、(あなたの気にしているのは、僕の Quility of Life じゃなくて、遅漏がパキシルの副作用かどうかじゃないんですか?)という反発を持ってしまったりしました(僕も興味はあるけど)。

先月、若い女子社員が突然辞めてしまい、困っていたのでひとり採用されました。
隣接の業界の経験者ですので、即戦力ではあるのですが、とりあえずは電話の取次ぎから始めてもらうしかありません。 便を図るために、現在の受注案件や顧客のリストや、技術陣の名前・席順などを紙に書くことにしました。 記入漏れがないか男性陣に回覧しているうちに、席順表にいたずら書きが始まりました。 最初は「→乱暴者」「→いじめっ子」とかでしたが、何周もするうちに「エロゲー大好き」とか「昼間は寝ているので起こさないで」とか「嫁さん募集中、花ムコでも可」とかになり、最後はとても女性には見せられないシロモノになってしまいました。
ちなみに、僕のところには「変態」「放置」「ロリロリ」と書かれていました。
帰ったら、配偶者がうつで寝ていました。



2002年10月25日(金) ビデオゲーム

京都の花札屋が出したゲーム機に、セガのゼビウスというゲームが移植されたと聞いて、おもちゃ屋に「ふぁみこん」とやらを買いに行ったのは、大学生のころでした(年がばれますね)。
最初に作ったのは、違法コピーしたゲームのROMで遊ぶための基盤だったかな。サルのように遊びましたとも。 缶ビール片手に、一日十数時間遊んでいました。そのうちゲームのプログラマーと言う職業についてしまって・・・。コンピューターゲームなんて一過性のブームだと思っていた人たちからは、泡沫的な職業だと言われたんですが、「そのうち生まれたときからビデオゲームがある環境で育った子供たちが大人になって、いろんなことがガラっと変わっちゃいますよ」なんて予言めいたことを抜かしていたのですが・・・。

実際に「いろんなこと」が変えてしまったのは、ビデオゲーム世代がどうこうじゃなくて、「いい大人たちが、いっせいにインターネットやらでパソコンにかじりついている」現象のほうだったりするんで、僕の予言はすっかり外れてますが。
ビデオゲームも制作費がかかるようになって、プロデューサーが資金と人を集めてきて、集団作業になったあたりから、映画と同じような産業になってしまってツマらなくなってしまいました。だいたい、ハードメーカーの許可がないとゲームを作ることすら不可能な仕組みは、いただけません。たとえば、目の見えない人向けに音だけのゲームを作ろうと思っても、S○NYもM$も花札屋も首を縦には振ってくれないのです。

今我が家には、ビデオゲーム機はひとつもありません。
周囲を見渡しても、どうやら人間ビデオゲームを15年か20年ぐらい遊ぶと、飽きてしまうようです。



2002年10月24日(木) 低空飛行

何もする気になれなくて、横になっていると、さして眠くもないのに眠ってしまって、気が付くと何時間かが過ぎている・・・。 そんな生活を二日ほど送ってしまうと、すっかり昼夜逆転してしまいます。仕事に戻ってみても、集中力はどこに行ってしまったのか。横になって本を読もうにも、活字の意味が頭に入ってきません。
まあ、仕方がない。



2002年10月21日(月) 諦めました

さすがに諦めました。 ルボックスの効果が出てくるまで、社会生活を維持できそうな見通しが立ちません。本当は月曜である今日、医者を訪れて薬を元に戻してもらうよう、お願いするつもりだったのですが、東京への出張がどうにも外せず(技術的な問題ではなくて、人間関係のしがらみで)、行ってきました。
真性のうつ状態と違って、なんだかムラがあります。 お昼ご飯とか、おいしくていっぱい食べちゃったり、けど、記憶が減退して一日がとびとびだったり、初めての土地なのに、地図もろくに見ずに走ったり・・・。

なんとか、夕方のミーティングまでに、信州へ戻ってこれました。
でも、ミーティングで半分以上寝ていました。 徹夜明けでのミーティング以外では、寝るなんてめったにありませんが・・・。
下痢がとまりません。 朝方のセキ、鼻水も残ったままです。明日・明後日と休ませてもらうつもりです。



2002年10月20日(日) サーバー依存

掲示板(OTD)が死んでいます。 二郎さんところの掲示板も止まっているところを、サーバー障害に間違いないでしょう。はたして、たまちゃんにおかけした迷惑も、本当にOTDのせいでなかったのかどうか・・・
障害情報を読もうにも、bbs.otd.co.jp自体が反応なしなので、障害なのか予定されたメンテナンスなのかもわかりません。 もっとも、お金も払わずに使わせてもらっているんで、OTDに文句を言ってはかわいそうですが。
しかし、オンラインのコミュニティーは、それを収容している(たいていは営利会社の)サーバーに依存しちゃうんですよね。



2002年10月18日(金) 「できる」ことへの苛立ち

綱から落ちました。
こうも如実に薬に反応してしまうと、自分でも笑ってしまうほかはないのですが、パキシルの効果が切れると同時にウツにはまっております。
ウツであること自体はそれほどツラいことではないのです。 つらいのは「ウツなのに、何かをしなくてはいけない」という状態です。 ウツでも、なにもせずに足のつま先だけをず〜っと眺めていてもいいよ、と言われれば楽なんですが、金曜日の朝は当日提出しなくちゃ行けないレポートが1枚も書けていない事実に頭を抱えていました。
この業界、納期遅れ・締め切り破りは珍しいことじゃありません。 でも・・・当日の朝になって「できません。間に合いません」と言い出すのは、さすがに反則です。 レポートを書くのを引き受けたときには、まさかこんなひどい状態になるとは思わなかったんですが、それは言い訳です。
もっと辛いことは、「やればできそう」なことです。 もっと深刻な状態なら、仕事なんかしている状態ではないのでしょうが、それほどひどくないことは自分でもわかるのです。この「やればできる」ことこそ、自分をイラつかせることはありません。飲んでいた頃も、「酒は止められる」という事実に何度イラつかされたことでしょう。

というわけで、不機嫌を撒き散らしながら出勤し、「このレポートを書き上げるまでは、他の仕事はしない」と宣言して、取り掛かりました。 お昼過ぎには7ページの報告書と見積書が書きあがり、日内変動でウツの気分も改善すると、陰鬱な気分を放散することで、周囲を当惑に巻き込んで、暗い満足を得ていた自分を、反省するのでした。



2002年10月17日(木) ルボックス

今日の下ネタなので、「そういう話は嫌い」という方は読み飛ばしてください。
ひいらぎはうつ病なので、予防のためにも坑うつ剤を飲むことが必要です。
前に飲んでいた薬の副作用がでてきたので、7月にパキシル(パロキセチン)というSSRIに変えました。目立った副作用もなく、(やっぱ新世代の薬は Quality of Life が違うね)と喜んでいたのですが、しばらくするとちょっと気になる症状があらわれました。
(気のせいかな)と思っても症状は消えません。 (加齢のせい)という理由にはしたくありません。年齢が理由の症状はちょっと違うような・・・。

疑問は8月にあった仲間との話で氷解しました。 彼も同じ薬を飲んでいました。

「勃起するんだけどイカねぇ(射精しない)んだよ」
「おお、お前もか」

さすがに、こんなことはミーティングでも話せません(もう書いてるけど)。9月になって医者に相談しました。 「それは遅漏というやつですね」。薬の分厚い本に目を通しながら、先生は「うん、確かに数は少ないけど、載っているね」「もっとも、治験でもこうした症状はなかなか表面化しないこともあるから、もっと数はあるかもしれない」

解決策は薬を変えるしかありません。といっても、SNRIのトレドミンとはあまり相性が良くありません。SSRIで試してないのはルボックスだけです。ルボックスがきちんと効いてくれるかどうかは、飲んでみないとわかりませんし、もっと困った副作用がある可能性もゼロじゃありません。 主作用に問題がある(効かない)せいでの薬の変更には迷いがありませんが、副作用が原因での場合は、リスクをどう評価するかが焦点となります。

「すこし悩まんでみます」

2週間後「変えてください」。 男の脳はセックスのことしか考えていない、と言われますが、僕の脳は・・・そんなわけで、ルボックスに切り替えました。前の薬の効果が切れ、次の薬の効果が出るまで、綱渡りの時期に入りました。


2002年10月15日(火) 遅れて届いた手紙

帰宅して机の上を見ると、一通の封筒が届いていました。
中身はその方の属される地区の委員会の議事録と、転居の案内と、手紙でした。転居の件は、前回の電話で片がついたはずだし、手紙の内容も、長野でのラウンドアップ開催の立候補についてと、長野から評議員立候補についての件で、ふたつとも既に結果が伝えられているはずのものです。
議事録を見てみると、もう済んだラウンドアップの実行委員会の日程表が書かれていたりして・・・(何か変だな)と思って、切手の日付印を見ると(日の桁はつぶれて読めませんでしたが)8月の下旬でした。

この手紙が通常どおりに僕の手元に届いていれば、転居先を巡るトラブルも2ヶ月早く終息していたはずですが・・・、まあ「誰が悪い」という犯人探しはやめましょう。ご当人も「もう済んだことだから」と言って、許してくれたことだし、言い訳は不要です。封筒を手にしながら笑ってしまいました。 その笑いは、ミーティングで時々起こるあのクスクス笑いによく似ていました。


2002年10月14日(月) おやすみだ〜

祝日なので、ミーティングはお休みです。
祝日は市内の施設が、夜間休みになってしまうので、代替の会場と言うのも探せなくて、休みになってしまうのです。 最近は月曜日が祝日になる仕組みが増えたので、これが連続すると、しかたなく別の曜日を取るのですが、今回は一回だけなので休みです。
普段なら、月曜日にやっている別の会場まで行くんですが、ちょっと今回はお休みです。

見慣れない月曜日のテレビ番組たち。 水戸黄門てまだやってたんだ。 まさかこの人が・・・。もともとテレビは野球とニュースしか見ないんですけど、夕食時とかに家族と一緒にテレビに向かうので、他の曜日の番組は覚えがなくはないのですが・・・。
(しかし、なんでテレビを見ながらご飯を食べるのはOKで、新聞読みながらはだめなんだろう)。

うろ覚えですが、この前、部落問題に取り組んでいた人々が解散したというニュースが流れていました。(お疲れ様)



2002年10月13日(日) 金の工面二日目

不要なPCパーツは、インターネットオークションで売ろうと思っていたのですが、パーツの数と、入金の確認やら発送やらの手間を考えると、面倒くさくなってきてしまったので、中古ショップへ売りに行きました。 値段という点からみれば、ネットで売ったほうが若干良いのでしょうが・・・(良くても一万円かなぁ)と諦め気分で査定をまっていましたら、1万7千5百円という値段を提示されたので、そのままサインしてしまいました。
こうもあっさり目標付近まで到達してしまうとは思わなかったので、油断してカラーインクジェットプリンター2千円也を買ってしまいました。 まあ、どうせ買う必要があったので、悪くはないのですが。

子連れでフリーマーケットに行っていた妻が帰ってくるのと交代に、今度は僕が子供たちを買い物に連れ出しました。家電店でホイールマウスを安売りしているのを発見、しかも貯めたポイントだけでもらえました。プリペイド携帯もcdmaOneに換えてくれるというので、auショップまで行きました。渡されたのは、144Kbpsで通信できるカラー液晶の最新機種でした。普通の携帯は、2年以上前に1円で買ったのを機種変更もせずに使っていると言うのに、プリペイド機がこんな良いのになるなんて、なんか切ないです。
最後にレンタルビデオに寄って、ハム太郎とさくらを借りて帰りました。

ああ、なんか違うサイトの日記になってしまいました。



2002年10月12日(土) あなたが飲んでいたころは・・・

最近になってようやく、「あなたが飲んでいたころは・・・」という話をされても、困ってしまうことがなくなってきました。 ミーティングでどれだけ話をしても、それは自分が話す話だから良いのであって、自分が過去どうであったかを、他の人が話すのを聞くのは、なんだか断罪されているみたいで、とってもつらかったのです。
特に母がつけていた5年日記というのは凶悪で、2年前、3年前の自分が、同じ日になにをやらかしていたか、克明に記録されているわけです。 年月がその呪縛を解き放ってくれたときは、本当にほっとしました。
別に、相手は責める気持ちがあって過去の話をしてるわけじゃないのでしょうが、叱責の雰囲気を感じてしまうのは、「言い訳したい自分」がまだいたからでしょうね。

ゆっくり寝ようと思っていたのに、いつもと同じ時間に目がさめてしまうのは、なんだか悲しいです。
不要なコンピューターパーツやら、本やらを処分しようと、整理を始めたのですが、眠くて昼寝してしまいました。というわけで、今日の稼ぎは0円です。



2002年10月11日(金) 金の工面一日目

手持ちのお金と、昨日借りた2万円をあわせて、振り込みにいってきました。
振込みには手数料がもっとも安価な郵便局へ出かけました。 空っぽのはずの通帳をみたら、二千円ちょっと残っていました。 2300円ゲット。
そういえば、通帳がどっかに行ってしまって、使っていない口座が二つあるはず。それぞれ千数百円ぐらいの残高だと郵便局からはがきが来ていたので、来週再発行してもらって早速下ろそう。
「金銭の正しい使い方が終わった先から、金銭の誤用が始まる」とどっかに書いてあったけど、今日の出費は誤用かな。

ああ、3連休か。 ひさしぶりです。でも、子供たちはふたりとも風邪を引いているので、お出かけの予定もありません。日曜日に妻が出かけるので、子供の面倒をみる約束ですが、レンタルビデオでアニメ映画でもみようかな。月曜日には、脱穀のあとの稲わらの処理に呼ばれる可能性があったりして。

まあ、あてにされない気楽さも良いけれど、あてにされる苦しさも良いものかな。
うつ病もちなんで、いつもそう思えるわけじゃあありませんが。



2002年10月10日(木) 借金しました

その仲間とはすれ違いが多くてなかなか会えないので、確実に会えるスケジュールのミーティングをねらって出かけていきました。(僕の知っている範囲の)AAでは、大事な用件は電話や手紙で済ませずに、なるべく直接会いに出かける風習?があるような気がします。 といっても、自宅を知るわけもないんで、その人の居るミーティングまで出かけていくわけです。 そして、ミーティング前後の数分で話はすんでしまうのです。

帰りに実家によって夕食を食べさせてもらうついでに、母に2万円借りました。
横島君な目的に使うので、家族にはちょっと言えないお金です。「貸して*あげる*」のじゃなくて、「貸して返してくれる」のなら、と貸してくれました。まあ、年内に返してくれればいい、とも言われましたが、来週の木曜日に耳をそろえて返すと返事しました。はたして、ひいらぎは一週間で2万円かき集めることができるのでしょうか?
一週間は「金の工面日記」になっちゃうかもしれませんね。



2002年10月08日(火) 行って来ました大阪

お昼ご飯は、サービスエリアのチャーシューメンになってしまいました。
かに道楽の動くカニをみて感動しました。片道4時間半ぐらいかかったでしょうか。 でも僕がハンドルを握ったのは、3割ぐらいだけ。しかも、往復各一時間ぐらいずつ、眠らせていただきました。この移動中まどろんでいるのは結構好きなんです。 熟睡しないんで、頭の中は妄想が駆け巡っているわけなんですが。帰りは雨が激しくなったのと、日曜の脱穀の筋肉痛が出始めて(トシを感じますね)、かなり疲れました。

家に帰って、風呂に入り、食事をする直前(僕がもっとも機嫌が悪い時間帯)に、遠方の仲間から
電話がかかってきました。「転居の話は、何度も連絡したんだけど」というお叱りでした。僕としては、仲間からの転居の通知はすぐに住所録に反映しているんだから、住所が古いままなら転居の通知がきていないという論理だったんですが・・・転居は2年前だったそうです。 当然(何度も)通知をもらったのも2年前だったはず。そして、2年前というのは「失われた9ヶ月」があった年です。
データのバックアップを取らずに危険な操作を行って、パソコンのデータを根こそぎ失い、最後にとったバックアップは9ヶ月前のもの、というソフト屋としては、恥ずかしくて人には言えない自損事故があった年です。 つまり、住所録は更新したけれど、そのデータを失ってしまったわけで、それをすっかり忘れて人のせいにしていたというわけです。
悪いのはすべて僕だったわけです。 ごめんなさい。
事実に気が付いたのは、電話を切った後でしたので、謝った言葉には気持ちが入っていませんでした。でも、あらためて電話をするということもしません。 きっと、来月会う機会がありますから。果てしなく許してもらえるということは、実は大変厳しいことだなと感じたのでした。



2002年10月07日(月) 教訓

早く寝ることが幸せにつながることもある。
幼いころから母に言われた言葉が、なんとなく実感となって感じられたりします。明日は大阪まで日帰り。中学校の修学旅行で京都・奈良へ行ったきり、岐阜の大垣より向こうにいったことはありません。 未知の都市「大阪」。映画「ブラックレイン」とか見てると、すごいぞ大阪。 (完全に偏見)
残念ながら、行けるのは枚方までです。 「まいかた」と読んで、大恥をかきました。だって、横浜の人がそう読んでいたんだもん。コ・ドライバーで大阪出身の人と一緒に行くので、昼ご飯は関西らしいものをいただく予定です。



2002年10月06日(日) 脱穀してきました。

最初から農協に供出するつもりだった田は、代理耕作を頼んでいるので、コンバインで処理済みです。
今日やったのは、自家消費用の天日干しのぶんだけです。 でも理由は知りませんが、追加で供出することになったので、5俵ほど用意しました。 最近は米の値段も知りませんが、これで5万円ぐらいにはなるのかな? 実家は機械も新しいのは買わず、古いのをだましだまし使っています。 苗も種から育ててるし、薬代がもったいないから減農薬で(現実問題として無農薬は無理)、その5万円はそのまま収入にできるのでしょうが、これがもっと積極的に農業をやる人で、機械を買ったりすると、そのローンに大半が消えていくのでしょう。

一年間の総労働量からすれば、米なんて買ってきたほうが絶対お得です。
じゃあ、なんで手伝ってまで続けているのかというと、この安曇野の田園風景を次世代まで残したいという気持ちもあります。 以前県の北部の街を訪れたとき、国道の両側に耕作放棄された田が延々と続いていて、その風景がとても寂しく悲しかった。 ひとつの田が耕作放棄すると、周囲が迷惑するんですが、皆でやめちゃえば文句を言う人もいないのかな。

あと、一年中ブラインドを閉めて、蛍光灯の下で仕事をしている人間にとって、肝臓がグリコーゲンを分解するまで体を動かせる数日でもあるんです。 まあ、実際の営農は、兄と母がこまめにやっていてくれて、僕は無料で動員できる労働力に過ぎないんですが。



2002年10月05日(土) ね、ねむい

妻と上の娘は朝から運動会に行ったので、下の娘と小児科に行ってきました。
昨夜は、近くの踏み切りで工事があって(というかここ数週間ずっとやってるんですが)、うるさくて眠れませんでした。 眠いです。 熱があるくせに外で遊んでるし。

ひさしぶりにこのサイトのアクセスログを見てみました。
技術的な話とか、ホームページ作成に興味のない方には、つまらない話です。すみません。この前のZDNetのニュースでは、ブラウザの95%がウィンドウズ標準のIEだそうですが、それはこのサイトにくる人も同じようです。 Netscape-Mozillaは市場では3%なのに、こちらでは4%。 Macintoshユーザーは2%。 残りは全部Windowsで、Linuxはちょぼちょぼ。
VGA(640x480)解像度のユーザーは無視できる数に減りましたが、800x600のSVGAユーザーはまだ全体の2割ぐらいいますから、デザイン上の留意は、今後も続けないといけないでしょうね。色数で言えばHigh Colorのユーザーが全体の5割弱と多いので、微妙な色にこだわってみても、見る人の画面には再現されていない可能性が大ですね。

これから夜まで寝かせてもらいます。 明日は、脱穀。


2002年10月04日(金) 一週間を振り返って

火曜日:用があって台風の中ミーティングに行きました。
水曜日:主治医受診。 新しい坑うつ薬の「男にしか関係ない」副作用について話。
風邪が抜けないのか、体調不良なので早く帰宅しようと思うものの、結局いつもどおり。ノバのレッスンを休んで、ごろごろしていたら下の娘が、飴を喉につまらせて、救急へ行くはめになりました。
木曜日:さすがに限界なので、夕方早退して、家で寝ていました。でも、夜半前にに目がさめて、あとはいつもどおり。
この週末は稲刈りのあとの脱穀の予定が入っていましたが、実家の兄が土曜は仕事だということで、明日はゆっくり休めることになりました。しかし、実は明日は娘の保育園の運動会なのです。
でも、さすがに休ませてもらうことにしました(というか、ハナから期待されてなかったりして)
週末なので、夜間の当番医はないのに、近くの救急病院からは小児科医がいなくなって、子供を受け付けてもらえなくなりました。 下の娘がまた熱を出しているのですが・・・。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加