心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2001年10月31日(水) 月末

午後3時ぐらいまでに仕事が終われば、信州に帰ることにしたでしょうが、午後5時すぎ、という中途半端な時間で開放されました。無理すれば帰れないこともありませんが、荷物はホテルの部屋の中だし、これから帰っても遅くについて、朝から出社というのもしんどい、という結論に達しました。仕事は、まだ気の抜けない状態ですが、それでも「10月いっぱいで一通り完成させる」という目標の90%ぐらいは達成したでしょうか。
ともかく長い10月の出張は終わりです。

今夜はホテルに泊まって、明日は一日移動日としました。「海が見たい」という若い同僚の願望に沿って行動することにしましょう。なんと言っても、僕が「長い夏休み」を取った6月半ばから8月終わりまで、この仕事をリードしてきたのは彼なのですから。



2001年10月27日(土) 東京タワー見物

結局土曜の昼まで仕事して、茨城を発ったのが午後一時でした。
秋葉原に寄ろうと思っていたのですが、今日は土曜日・・・混んでます。あそこは土日に行く場所ではありません。若い同僚は、「秋葉原以外にどっか見物するところないですかねぇ」と言うのですが、僕だって、東京にいた頃は飲んでいたばかりで、遊び歩いてはいなかったんで、行って面白いところなんて知るわけありません。
「東京タワー」という案が浮かびました。そう言えば、東京タワーにのぼったのは小学校の時の一回だけです。確か下に蝋人形館があって・・・。
浜松町の駅で降り、コインロッカーを探しますが、見当たりません。

「あんまり大きな荷物を抱えてうろちょろしてると、おのぼりさんぽくて嫌だ」

だから、荷物はコインロッカーに押し込めて・・・と思ったんですが、考えてみると東京の人が、東京タワー見物に行くはずもないので、気にしたことはありません。タクシーに乗っていくと途中に大きな門が見えました。「ありゃなんすか?」と、タクシードライバーに尋ねると、「増上寺、徳川の菩提寺ですよ」と教えてくれました。
さて、東京タワーのコインロッカーに荷物をいれ、820円の払って150mの展望台まで登りました。自分でも意外なことに、楽しくなってしまって、だいぶはしゃいでしまいました。あれが皇居だとか、富士山見えないねとか。展望台からは、階段を歩いて降りることができます。残念ながら蝋人形館に寄っている時間はなくなりましたが、スタジオジブリのグッズを売っているお店があったんで、ハンカチを2枚ほどお土産に買って帰りました。僕が茨城出張が続いているあいだ、バスケットは車のあるメンバーに押し付けるように頼み、会場を空けるのはスポンシーに頼み、司会は隣のグループの女性にたのみました。彼女は、前回の台湾出張のときにも世話になりました。
一枚は彼女にわたそうと思います。



2001年10月25日(木) 帰るのが・・・

土曜になっちゃいました。秋葉原によりたいなぁ。


2001年10月24日(水) 初めて茨城でミーティング

仕事はあいかわらず忙しいです。夜8時半ぐらいまでやってます。というか、普通この進捗状況なら夜半過ぎまでやっていたって不思議はないのですが、不景気で就業制限でもあるのでしょうか、8時過ぎると打ち切りです。今日はスタッフの方の送別会があるから、という理由で5時で終わりになっちゃいました。今日が木曜日だったら、隣の駅の近くでミーティングをやっているのに・・・しかし、実は木曜以外の日のスケジュールも調べてありました。どこで夕飯を食べるか相談している同僚に、「友人に会いに行ってくる」とだけ言って分かれました。
電車に乗って一時間ほどで、水曜日のミーティング会場のある駅につきました。タクシーの運転手さんに「住所はここ。たぶんカトリックの教会だと思う」と伝え、着いてみるとワンメーターの距離でした。
女性がチェアパースンをしている独特な雰囲気の会場でした。(といってももし彼女が僕らの会場にきたら「変わってるねぇ」と言うでしょうけどね)
酒臭い息を放つ新人さんもやってきていました。
僕もでろんでろんに酔っ払ってミーティングに行った過去があるので、決して彼のことを責められません。でも、皆「来週は24時間酒を切ってからおいでよ」と言ってましたね。

日本中どこへ行っても会場があるのがありがたいです(ない県もあるけど)。夕闇の中に、AAの看板がかかり、仲間のいる部屋の明かりをみつけると心底「ホッ」とします。誰も知っている人がいなくても、心が温まります。

帰りは駅まで仲間の車で送ってもらいました。少しでも休もうと、特急に乗って帰りました。ラーメン屋で夕食。外面的に捉えれば、肉体がこれだけ疲れているのなら、ホテルで横になって体を休めるべきなのでしょう。でも、苦しかった何かから開放された気分です。



2001年10月20日(土) 帰ってきました

結局水戸のミーティングには出られませんでした。
というか仕事に火がついて、しかもそれに油を注ぐ決断を下してしまい、暗惨たる気持ちで帰ってきた次第です。また、来週も出張です。午後2時から仕事の打ち合わせをし、4時過ぎに抜け出して、仲間と温泉→ミーティングという計画を立てたのですが、「今日は行けない」とすげなく断られてしまいました。
前々から話をしてあったわけじゃなく、車中から携帯で電話しての話ですから、断られてもあたりまえなんですが、ちょっとしょんぼりしたのも事実です。
実際には打ち合わせは夕方までかかり、仕事を抜け出せたのが6時半。それから電器店によって買い物をし、峠を越えてミーティングに行くのはとてもしんどく感じられました。行かない言い訳は山ほど言えます。疲れている・ご飯を食べている暇がない・どうせこれから行っても間に合わない・・・でも、2週間もミーティングから遠ざかって心が荒れている事実は隠しようがありません。高速を使っても、結局30分遅れでした。
人数の少ない、なにも特別なことのないミーティングでしたが、とても「ホッ」としました。仲間の話を聞いているうちに、僕の中で何かが変わりました。

「僕は信じている。何を信じているのか自分でも判らないけれど、ともかく何かを信じている」、隣の仲間がうなずいてくれます。そして「性格上の欠点」が自分を苦しめているのを認め、その欠点を「自分で取り除ける」という考えに固執していたことも理解しました。それを取り除ける力は自分にはないことも。

久しぶりに会えた仲間もいました。僕は知らなかったのですが、彼は別の病とも闘っている最中でした。何もいえませんでした。昼間の仲間に、「帰ったら電話する」と約束していたのですが、途中で寄り道して遅くなり、夕食と風呂をすませたら12時をまわっていました。彼から留守電が2件入っていました。明日電話して謝らないとね。



2001年10月14日(日) また、茨城へ出張です。

日曜日の日記ですが、これを書いているのは月曜の朝3時です。7時には起きて、特急電車で茨城へ向かわないといけません。大きな出費を強いられましたが、それでもノートPCと一緒ならあまり苦にならないというのが・・・
今週は結局一回もミーティングには出ませんでした。来週も多分(木曜の水戸に行けなければ)、無理でしょう。また土曜に戻ってきたときに、隣のグループの会場に行くのが精一杯でしょう。

実は、メインサイトの作成中のデータを収めたZIPディスクが、破壊されてしまいました。幸い、前回の茨城出張の際に、あちらでも更新しようと全部ノートPCにバックアップしてあったので、実質的被害は一週間分にすぎないのですが、精神的ショックは大きかったです。ああ、眠い(というか)疲れた。

グループの仲間からも電話があり、留守の間は心配するなと言ってもらえました。ありがとう。仲間。



2001年10月10日(水) トンネルの中

今月後半のスケジュールについて、仲間とメールで打ち合わせしました。基本的に僕はもう、ホームグループのミーティングも、病院メッセージ関連も今月一杯は全滅です。そのかわり、週末は隣のグループのミーティングになるべく出るようにするつもり。でも、今週はどうなるかわかんない。
過去の経験からすると、ミーティングから離れて10日ぐらいすると、

「ソブラエティの質が悪くなる」

傾向がでてきます。
「質が悪い」っていう表現はわかりにくいかもしれませんが、感情の安定を失う方向へ行きやすいのです。



2001年10月08日(月) JSOよりパケット到着

JSOからニューズレターと常任理事会の議事録が届きました。これはグループの代議員宛に定期的に送られてくるものです。知らなかったのですが、6/14にNHK教育の「人間ゆうゆう」と言う番組でAAのことが取り上げられたそうですね。その後一週間JSOは電話での問い合わせの応対に追われたとか。やっぱりメディアの力は大きいですね。アメリカのAAも新聞などのメディアの協力を得て成長してきたわけですから、日本でもそうした行動が取れるとよいですね。

え? おまえがやれ?

すんません、グループと病院Mの維持で精一杯でして・・言い訳ですね。ごめんなさい。それとJSOが土日の業務(第4土日)を再開したのもうれしいニュースです。東京の大メンバー集団によって支えられている関東甲信越のオフィスは年中無休です。田舎者の僕たちも、そこの地域に組み込まれているおかげで(たいした献金をしなくても)その恩恵に与っているわけですが、他の地域のオフィスのマンパワーや財政状態を聞くと、やっぱりJSOが多くを補う必要があるのでしょう。

あとニューズレターのほうからは、ニューヨークGSOの二人がJSOを訪れた話が興味深いです。実名を伏せる(アノニミティ=無名性)は「活字・電波・映像」の分野についてであって、AAの内部では(必要があると判断すれば)実名を明らかにする必要があるということ。最近日本独特の「ニックネーム」に関しての議論もありますし、実名を使う仲間も増えています。もちろんアメリカでも日本でも頭文字1文字しか名乗らない仲間も沢山いるわけでそれで当然なんですが、サービスの分野などで、必要な権限を与えられる人間が身元を明らかにするのは、考えてみれば社会の常識でもあります。
僕も、AA用の名刺は実名部分が大きく、ニックネームはつけたしという形に切り替えました。



2001年10月07日(日) どうでもいいこと

この日記のホームサイトの名前はもう決まっていて、次第に中身も出来上がりつつあります。じゃあ、出来上がったぶんだけアップロードしろよ、という話になるのでしょうが、「それなりに中身が整うまで見せたくない」というのが粘着質の性格というか、アル中的執着心というか。
多分「それなりの中身」だと、自分が思っても、周囲から見たら駄文の累積でしかないのでしょうが。
悩んでいるのは掲示板のほうのタイトルです。仮題は「一緒にやろうよ」なんですが、月並みで気に入ってないのです。
明日も休み、家族は朝からお出かけのようですが、僕は骨休みさせてもらいます。



2001年10月06日(土) まとめて更新

来週はこちらにいられることになったので、隣のグループの仲間にお願いしておいた病院でのミーティグにも出られそうです。その仲間の負担になっているといけないので、「無理なら、僕が行けるから」と伝えに行くことにしました。電話でも済む用件ですが、やっぱり顔を合わせるほうが何かとうまくいくのはAAに限りません。前回ここの会場に来ていた人が、退院したそうでやってきました。もう、朝から飲んでいるそうです。
本人がそれを口に出せるんだから、この会場の雰囲気が悪くない証拠です。でも同席した奥さんの語った「酒を飲んだ本人の言った言い訳」の内容には思わず、皆くすくす笑ってしまいました。

なぜ笑うのかって? みな、以前に自分たちが飲むのに使っていた言い訳ばかりだったからです。
「どうやって酒を止めていいかわからない、教えてほしい」と本人がおっしゃっていたので、ミーティングが終わったあとで「24時間プラン」の話をしてみました。でも、彼の興味をひいたのは「何年たっても、女房と親は信用しない。10年以上経った仲間でも、同じ不平をこぼしている」といったところでしたけど。



2001年10月05日(金) 戻ってきました

茨城出身の仲間から「勝田はいいところだよん。特に駅前が」と言われていたんですが、確かに「よいところ」です。駅前は歓楽街で、パブやら居酒屋やらでいっぱいです。仕事が終わるのが早くて8時まえ、遅いと10時近くですので、こちらのミーティングにいける時間ではありません。
でも、一応調べはしてあります。木曜日の水戸会場が19:30〜。地図もマップファンのを切り出してノートPCのなかです。木曜に仕事が早くあがれたら、一駅隣の水戸まで行くつもりでした。しかし、木曜日が一番遅かった10時近くというやつでした。
8時過ぎると普通の定食屋さんとかは、あんまり開いていません。仕事仲間は「やっぱ一杯飲みたい」人たちなので、居酒屋でワッとおつまみを頼んで、それを夕食代わりにすることになります。ソフトドリンクを頼むときは、大きな声ではっきり伝えないと誤解のもとです。以前、ウーロン茶を頼んだのに、出てきたのはウーロンハイ(焼酎のウーロン茶割り)だったこともありました。
仕事がストレスフルなこともあって、食べることがストレス解消手段となる面があるのでしょう。普段より沢山食べてしまいます。居酒屋の料理は味が濃くて脂っこいからおいしく感じ、ついつい食べ過ぎます。当然太ります。昔だったら頬に付いた肉が、いまは全部腹部に付くようです。しかたない・・認めようじゃないですか、中年に差し掛かりつつあることを。



2001年10月03日(水) 水戸

仕事で水戸にきています。正確には、その隣の駅前ですが。
来週は長野に戻って作業できる予定だったのですが、それもどうなるかわかりません。会社にもノートPCが何台かあるのですが、仕事の都合でしかたなく自前で用意した人間が(僕を含めて)3人います。全員がThinkPadです。こうして、ホテルのデスクでノートPCから携帯電話経由でこのページを書いているのですが、通信費もばかになりません。ホームサイトの立ち上げは11月になりそうです。

早ければ仕事が8時前に終わるので、木曜日の水戸会場に間に合うかも。
でも、どうせ何度もくるんだから、明日は無理はしないでおきます。



2001年10月01日(月) 今月最初で最後?のホームグループMT

明日から出張という状態で、じたばたしても始まらないので、定時+αぐらいで会社を出ました。今日は、いつも使っている公民館(を含む複合施設)が文化祭で使えないので、街の中心部に近い公民館(を含む複合施設)でやることになっていました。会場使用料は、どこかの公民館で「減免申請」が通っていれば、どこを借りてもタダにしてもらえます。ここの公民館は、地理的にとても便が良くて、防音とかもしっかりしていて良いのです。ただ、欠点は駐車場が有料なこと。会場についてみたら、まだミーティングが始まるまで30分ほどあったので、コンビニまで買い物に出かけました。ターミナル駅に近いところなので、飲み屋さんの多いところです。さすがにこういうところを歩くのに「平常心」てわけにはいかないですね。

コンビニからの帰り道に、隣のグループの女性の仲間とばったり会いました。パルコで買い物してきたそうです。僕より年上でも、やっぱ女性は女性ですね。というか、僕がファッションにこだわらな過ぎるのでしょうか。久しぶりにホームグループの司会をしました。病院からの外泊組も含めて10人近い人数となりました。今月ホームグループのミーティングに出るのはこれっきりになりそうです。
駐車場代は1000円近くでした。さすがにここにミーティング場は移せないなぁ。



もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加