月の夜のつぶやき

2014年01月15日(水) どうなっているんだ?

心って、なかなか回復しないものだね。
自分でも驚くよ。

義父母からのこちらに来たいという話。
まだ未定。
先の話しすぎて、夫の予定が立たない。

あの電話のとき、夫の声がはずんだ。
そうだよね・・・、と思う。
当たり前だよ。
親をあちこち案内したい、
旅をプレゼントしたい、ってずっと言ってる。
義母とこじれる前から聞いている。

でもね、それが実行になると
私は帰省時よりも逃げ場がない。
ずっと車や宿で一緒なんだ。

帰省のときは、どこかへ外出するから
一緒にいる時間が短くなる。
それは、初めは義母への負担軽減のためだった。
義母の本音はわからないけれど、
母は食事の心配がいやだとよく言っていたから、
泊り客というのは外出してしまうのがよいと思っている。
ねんじりとどこにも行かない泊り客はしんどい、と
そう思う母の気持ちは当時よく分かると思っていた。
私だって、泊まる人が来たらそうだろう。

一緒にいる時間が長ければ、
何か事件が発生する可能性が高まってしまう。
そういう点で、私は義母のことを信頼できていない。
絶対にまた何かいうだろう、と
勝手に否定的な予測をしてしまう。

よく、浮気された配偶者がいう。
再構築、と。
相手との信頼関係の崩壊、という意味では
私と義母の関係も一緒だ。

最初はプラススタートだった。
最初から嫌いな人なんていないだろう。
今、それは例えるならマイナスにまでなっている。
マイナスからの回復。
時間かかるよな。

またいやなことを言われる、
夫がいないときに無視されるかも?とか
そんな猜疑心みたいなものがふくらんでいる。

一時期引っ込んでいて、
もう回復できたかな、と喜んでいたけれど、
結局これはループの中だ。
前にカウンセリングで言われたこと。
螺旋のように、また同じような状況に陥るかもしれない。
でも、それは、完全に元に戻ったわけではなくて、
らせん状なのだから少しずつ浮上していけるんだ、と。

今、その意味を実感している。
また戻ってきた。
どうなるんだろう、この後。
どう脱するんだろう。

普通に義父母を迎えられるだろうか。
何事も本当に起こらないだろうか。
案外、再会してしまえば平気?

いや、それはありえないよ、と
もう一人の私が警戒している。



2014年01月10日(金) それは傲慢なのかも?

義母との問題。
こうして綴ると、やはり私は義母からの
私が誠意あると感じるような謝罪を望んでいるみたいだ。
そうなのだろうか。
あんな文章を書いたということは、
多分本心はそういうことなんだろうな、と思う。

それって、傲慢だね。
「謝れよ! こっちの気が済むように謝れよ!」って。

でも、なんていうか、
難しいんだよね、心の整理が。
適切なタイミングで適切な言葉をもらえていれば、って。

でも、仕方ないよね。
だって、向こうはそれほどの大ダメージを与えたなんて
これっぽっちも思ってないんだから。
心を病みかけた、なんて想像もしてない。

どうしたいんだろうね、私。



息子でよかったね。

4年大出ているのに、こんなことも知らんの?

車、これで半額になったね。

蒼月ちゃんが行ったから、おばあちゃん死んだんとちゃう?

蒼月ちゃんの髪長いから、
お風呂の排水詰まったらあかんから気をつけてね。

(見張っていたらトイレに入ってもすぐに出てくるから)
便秘してるんやろ?



やはりこの辺はすごくすごく嫌だったんだよね。
祖母の件は引き金に過ぎない。
それまでに積もり積もったものが決壊しただけ。
どれも悪意ないっていうはず。
多分、本当にそういう「つもり」だろう。
無意識の嫌味、さらりと嫌味をいうのが癖?

どうしたらいいのかな〜
分かっていて腐りかけの白菜を送ってこられたこととかも、
どうでもいいことではあるかもしれないけど、
やっぱり嫌だしね。

心の問題。
相手がどうであれ、こちら次第では大事にはならない。
こちらが適切に自力で処理できるなら。
そして、そのスキルを私はまだ身につけていない。
ここが問題なんだろうね。

義母の言葉、いじけて解釈してしまう。
悪意変換機能はオフにしたいけれど、
コントロールできていない。

嫌な人間だろうな、私。

1回帰省を抜いただけで
「長く会ってないから何を話したか忘れた!」
なんて嫌味を投げつけてくる義母。
細かすぎることがたくさん。

でも、そうだとしても!
変わるべきは私。
もっとタフに。
もっと自由に。
もっと明るく。
相手に依存しないで、自分で解決しよう。
きっと、できるようになる。
そのために、小さいことでも積み上げていこう。
小さいことが重なって壊れかけたけど、
同時に同じように小さい積み重ねて防御しよう。
きっとまた何か起こる。
残念だけど、このまま平和が守られることはない。
だから、備えよう。
きっと、できる!




2014年01月09日(木) 謝れば許されるのか?という考え方

某所で、失言をした人間が謝ったからといって、
それで全てが許されるわけではない、という意見がある。

確かに。
謝ればそれで終わりかというと、違う。
「ごめんやで」といわれたからって、
それで全てがサーッと流れて行ったりはしない。
それは、失言の内容と程度によるのだ。

私の心もまだ落ち着いてはいない。
なのに、こちらに遊びに来る、という義母に
ちょっと疑問を感じてしまう。
義父主導かもしれないけれど。

どうして遊びに来れるのか?
こう思う私がいるのは事実だ。
この夏は、なんとか自分に折り合いつけて
帰省しようと思っていた。
いつまでもここにいじけているわけにもいかないし。

改めて思う。
一回の言葉だけでこうなったわけではない。
一番最初に悲しみを思い出すのは、
やはり「息子でよかったね!」といった義母の言葉。
娘なら帰省してこないもんね、正月に、みたいな。
そういう気分なのよね、と未だに許せないのかもしれない。
フタをしてきたことだったけど、
出発はここなんだね。

何かある度に沈黙を続けてきた私が悪い。
義母の失言癖はきっと治らない。
そういう発想の人なんだろうし、
古い家制度の中でその習慣をまだ持ち続けているのだろう。

だから、必要なら応戦することを
自分に許可しないといけないのだ。
自分が自分を積極的に守ることを禁じてどうする。
言いたいことをいえれば、
それだけでも状況は変わるだろう。
今度こそ、本当に、おとなしいだけの人をやめよう。
本当の私はそんな人間ではない。
いろんな人との関わりの中で、
なぜかいつも我慢する選択ばかりを選んできた。
まちがっている。

謝れば許されるのかよ!とどこかで思っている。
あんな謝り方で!と。
本当に今後も収まらないなら、
どんだけ苦しんできて、そして今も傷が痛むのかを
はっきりと伝えよう。
私には痛む心があるということを。
怒れないような弱い人間ではなく、
ただ、遠慮して我慢して、一人で歯をくいしばっていたんだ、と。

最悪の場合、その旅行には同行できないかもしれない。
私の心の具合次第では、2泊くらいはするだろう旅行を
とても無事に過ごせるとは思えない。
だって、2泊3日、ずっと逃げ場なく一緒にいないといけないのだから。
狭い車の中で、助手席で前だけ見てればいいのか?
それはいけない、と思ってしまう。
もしかして、こんな発想自体が自虐的でダメなのか?
でも、いろんなことを我慢するのが大人なのではないのか?

あぁ、結局私はまだ何もわかっていないんだね。



2014年01月07日(火) 結局・・・

メインのブログに書けないことを
こんな風にしてここに綴り続けてしまう。
こんな文章、人目に晒すべきなのか?と
疑問を抱えつつも、書いてしまう。
誰にも話せないから、かな・・・

某所の悩み相談に考えさせられる。
結納とは、そのお金で娘を買った、ということらしい。
歴史的にはそうなのかな。
たしかに、祖母の実家の話を聞くと、
怒りが込み上げるほどに昔はひどかったみたいだ。
労働力としての「嫁」。
川で洗濯していて骨折したら、
使えない娘で申し訳ない、とその母親がしばらく滞在して
家事の労働を請け負ったという。

私の親も結納を嫌がった。
人身売買みたいだからしたくない、と。
結納をしないことで両家納得したはずなのに、
どうしても義父がお金を払いたいと言い続け、
私の両親は頑として受付ずを貫き、
はさまれた夫は困ったと思う。
新生活資金ということで、ようやく落ち着いたのだった。
でも、名前は「袴料」だったようで
意味合いは完全に生活準備資金ではなかったようだ。

実の娘のように大事にします、という言葉は
どうやら世間的には信じてはいけないことらしい。
純粋に外交辞令に過ぎない、と。
不運かな、わが父方の祖父はそれに実を伴わせた人だった。
そんな祖父を持つ私、そんな義父を持った母、
そんな父親を見た私の父。
その言葉を「ありがたい」と思っていた。

大事にしてくれないことはないけれど、
扱いはやはり古い感じのままで
行けば家事労働力としての役目を期待されている。

某所では、それは実子である息子の役目。
嫁だから、ではなくて息子の妻として
客人待遇であってしかるべきと言う人もいる。
それは極論かな、と思うところもあるけれど、
やはり私の親が私を気遣ってくれるように、
義父母が私を思いやってくれるような扱いはない。
母の「いつも休めないんだから、楽しなよ」という言葉。
やはり嬉しい。
かといって、「ありがとう、じゃあ、怠けさせれもらうね」
と寝ているわけでもなくて、一緒に何かしらしているけれど。

嫁を使えよ、という内容を義母に言う義父には
やはり旧態然としたものを感じるし、
所詮、それほどのものなんだね、とひがんでしまう。
きっと、実の娘なら違うだろうからね。
現に、息子には休め休め、と言っているから。

これって、やはり世代の違いなのかな。
地域性もあるのかな。
義母の、嫁たちに片付けは丸投げでいいや、
という態度も悲しくなる。
本音はやはりそれなんだね、と。
最初の頃は偽っていたんだね、と。

結局、かなしいんだよね。
いつか変わるのかな。
いつか、私の先生みたいに
どんなことがあっても

ありがとう
元気でいてね

という思いだけを送ることができるだろうか。

全ては自分の内面で起きることという。
この黒い感情も、外からどんな刺激が加わろうとも、
自分次第では生じることがないという。
そうありたい。
そうなりたい。
平和でありたい。
でも、今はまだ悲しみの中だ。



2014年01月06日(月) 今年はどんな年になるのだろう

少し回復、というか
回復途上にあると確信した去年。

この冬の長い休みは帰省せずの正月。
すごく静かで、気楽に過ごした休みだった。

年末、夫の実家へ恒例の義父への贈り物と
お菓子を箱に詰めて送った。
一昨年の末も同じことをして、
30日に届いた荷物に対して、31に日にお返しが来た。
家庭菜園の野菜と牛蒡や蓮根の使った半端。
自家製餅(鏡餅と雑煮の)と干し柿とかみかんとか、
加えて鏡餅の飾り方の雑な説明書。
あまりにもざっくりな参考にならない手書きの煮しめのレシピ。
ちょっと傷ついた。
煮しめも作れないと思われているようで。
鏡餅の用意も出来ないと思われているようで。
すでに購入済みだったし、その辺も勝手に不快に思った。

この冬。
夫に任せていたら31日に到着するタイミングになった。
そして、お返しも「何もいらん」の言葉で何も送られてこなかった。
ちょっとほっとする自分。

義父からのお礼電話では、春に遊びに来たい、と
そんな希望を伝えられたという。

そうだなぁ、しばらく訪ねていないし、
息子に会いたいんだよなぁ、と思う。
私たちの家には泊まらないで旅館に、と考えてくれているらしい。
そうだなぁ、前回は辛かったからなぁ、と思い出す。
あちこち案内した後で、夕食を作る時間的な余裕も体力もなかった。
1日目は煮込んだものを作っておいたけれど、2日目は外食を考えていた。
でも、あっさりと却下されてしまった。
残り物でいいと、強く言われて出したものの、
煮詰まっていて味が濃い、といわれてしまった。
お金がもったいないから、これでよかった、ともいわれたけど。
そんなことを、私はまだ忘れられてないんだよね、どうやら。

だから、旅館でいいならありがたい。
もちろん、部屋は別だよね。
お風呂も義母と一緒には入らない。

こんなことを考えてしまう私。
かなしいね。
どうしても、うまく感情を処理できていない。
でも、そっちが来ないなら、こっちが行くよ、って、
理由を分かっていないんだろうね、行かない理由を。
自分が察してちゃんになっているのは自覚する。
まだ数ヶ月あるし、きっと間に合うと思う。
自分の改善も。


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