月の夜のつぶやき

2013年08月30日(金)

日付が1日早いけど、書きたくなったから書く。

読み返して、気がついた。
ここ数ヶ月、同じことを繰り返して書いている。
余程、嫌なことだったんだね、と思う。
書いたことを忘れて、また同じことを書くなんてね。


私、深読みの人。
私、いろいろ考えすぎの人。

母の日と父の日のハザマに
宅急便が届いたらどう解釈しますか?

ただ、それがベストなタイミングだった。
そうかもしれない。

スルーされた母の日だったから、
父の日はせめて何かしてね、というメッセージ?
あり得ないとはいえない。


全く分からない。
多分、私、深読みの人。
そんないやがらせをする人が近くにいたから、
そうかもしれない、って警戒してしまう。


とりあえず、同じくハザマにお返し。
初めてのお返し。

陰険かな?
なんだか自分がわからなくなる。
どう振舞うのがいいのか。
よく分からなくなる。

私、考えすぎの人。
そして、それで周りのひとを傷つけているんじゃないといいけど。

ごめん。

あぁ、でもね、もしこれが
私の直感が伝えたことだったら?
その真意を読み取ってしまっていたとしたら?




過去のことを思い出して、
突然にやりきれなくなります。
誰も傷つけたくないけど、
自分のことも傷つけたくない。
我慢だけでは何も為すことができないんだよね。



2013年08月29日(木) 重いよ

父から、以前父自身が非常識と言っていた時間に電話。
父からだから尚更、緊急の電話かと思ってしまったが、
結論から言うと、「会いたいから来てくれ」だった。
両親揃って、本拠であるところの家に戻ってきていた。
両親は今、そもそもの家を空き家にして、
別の場所に期間限定で住んでいる。
父の仕事の都合である。

たしかに、前回会ってから約1年になる。
しかし、たった1年くらいでそんなことを言ってくるとは。
これまでも、親が重いな、と思うことはあった。
車で気軽に行かれない距離に両親が住むようになり、
「会えないなぁ」と言っているのは知っていた。
でもね、それって夫の実家の状況と全く一緒なんだよね。

以前と何が違うかというと、
それは自分に実家に週末に比較的気楽に移動できたから、
夫の方に帰省した後には、私の方にも行くようにしていただけ。
そして、連休があると1度は連泊しに行っていた。
いつも週末だけだと、ゆったり過ごせないから。
私としては夫の実家に毎回長期休暇を使うことになるから、
そこは連休を使うことでバランスをとろうとしていた。

当然のように「長期休暇に夫の実家に来る」ような扱いになり、
その他にも理由はあって私が反発を始め、
夫の実家にも行かない休暇も増えた。
私の実家にも、なんだか行かないままで終わることもあった。
でも、それでやっと、私たちは自分たちの本拠でゆったりできた。
それぞれの親のためにバタバタと過ごすだけではなくて、
ゆっくりと、あるいはだらだらと過ごす時間。
こうしたかったんだよね、と実感もした。

こちらは結婚して離れたと思っている。
離れて暮らす以上、仕方ないと思っているところもある。
でも、親は違うんだよね、多分。
あちらは淋しさが増してきているということだろうか。

今、私は自分の課題と向き合っている。
親の希望をアタフタと実現することをやめたいと思っている。
だから、そういう時期だからこそ、
今回の父の電話は重かった。

自分に会いたくて電話をくれる人がいるのは、
本当にありがたいことだと思うのだけれど、
いつもいつも私たちが住む町を素通りして行くばかりで、
そしてこうして突発的に自分に時間ができたから、って
台風が接近している時期ではあるんだけれど、といいながら
出来たら夫婦揃って週末に来てくれないかなぁ、とは。。。

相変わらず、私の発想も病んでいるなぁと思う。
夫は私よりも優しくて、なんとか移動できないか?と
検討してくれている模様。
電車よりも車で行った方が融通が利く、と今朝言っていた。

夫には、これまでの私のような実害はない。
義理の親にあたるし、気遣ってくれるのだろう。
私の親の少々精神的に弱いところを知ってくれている。
ストレスと淋しさから、あんな電話をかけてしまったのだ、と。

「そんなにへたってるの?」

という夫の言葉。
たしかに、あんな電話を朝掛けてくるほどに
へたっているということなんだろうと思う。

でもね〜〜〜〜〜
それって「来い」ってことでしょ?と思う娘。
週末ダメなら、お前だけでも来い、ってね。
お願いという形の強制は、これまでも多くて、
だからこんな反応になるんだろうな。

といいながら、私も台風の予報円とにらめっこしている。



2013年08月27日(火) 伝えることの大切さ

あぁ、言葉不足だったなぁ、と思った。

どうして夏の帰省ができない気持ちだったか。
それを夫と話してみた。

夫としては、もう全ては終わったと思っていたようだ。
それは、私が去年の帰省の帰り道にこう言ったから。

「もうふっきれたよ。心配させてごめんね。」と。

しかし、それはこういうことだった。
祖母のことに関しての義母との問題について、と
内容は限定されていたのだ。
夫としては、その夏の滞在中に新たに起きたことも
何もかもがそこに含まれていたと思っていたか、
新車購入をめぐる義母の発言の諸々も、
大した問題でもないと思っていたのか、
どちらにしても、完結したと思っていたようだった。
違うんだよ、と説明した。

祖母をめぐる一件については、その通り。
諦めがついたんだよね。
でも、その他の嫌味とか、
冷たい態度とか、
露骨に息子だけが興味の対象みたいな振る舞いとか、
失礼この上ないと思う行動とか、
そういうのがいくつも発生してしまった夏で、
それらのことについては、なにもまだ解決できていない。

要するに、去年の夏の出来事は
私の中ではまだまだ引っかかり続けていて、
つまり、そこにはこれまで一応隠しているつもりだったらしい
義母の本音がダダ漏れな状態があって、
私には、分かっていたことだけど、やっぱりね、というものだった。

義母から何かの言葉を期待しているわけではない。
本当に。
もう、そういうのを相手に期待して、
被害者顔だけしているつもりはない。
ただね、うまく過去のことにできないから、
こうして私も心身に不調がでるようなことも起きてくるのだ。

頭痛とか、吐き気とか、めまいとか。

私は脆いかもしれない。
正直言って、自分が一番驚いている。
もっといやな目にはあってきた。
それでも、こんな風に体に症状が出ることはなかった。
我慢できていた。
なのに、なぜ最近はこんなにいともたやすく
体調を悪くしてしまうのだろうか。


これが、本当の私?
強くなんかなくて、耐性が高いわけでもなくて、
無理やりそうやって我慢しないと生きて来れなかった?
今、無理な我慢が不要になって、
自分で自分を愛しく扱おうと思うようになって
こんな風に変化してしまったんだと思う。

私の周りの人々に対しても、
そして、自分に対しても、
適切なタイミングで、適切な言葉で状況を説明するのは大事だ。
それを改めて感じた。
そうでなければ、不要の誤解が生じてしまうのだ。



2013年08月14日(水) 悲しいんだよね

いろんなことは落ち着いてきていると思うけど、
でも、本当は悲しみが深すぎて、癒えてないみたいだ。

夫の大事な家族。
嫌いではいたくないと思う。
だけど、そうやって数年我慢してきて、
結局はこんな風にぐちゃぐちゃになってしまった。

原因は、義母、義兄、そしてその妻、がほとんどだ。
そして、義兄夫婦の行動を快く思っていない義母が、
チクリチクリと義兄夫婦を牽制したり、
それに応酬があったりして、
その場にいるのが辛いんだな、と思う。
自分に向けられたものではなくても。

義兄が結婚する前は、もっと平和だった。
でも、だからって、この義姉が原因ではない。
義姉も変な人だけれど、
義母も時々義父も、息子かわいさが強すぎて、
見ていると嫌な気分になる状況が発生する。

私たち夫婦に直接それは向けられていないけれど、
なんか辛いと思う。

1年ぶりに訪ねると、嫌味を言われた去年。
言いたいことを言いたいタイミングで言い放って、
義母は大満足かもしれないけれど、
言われた方はたまらないよ。


なんで私は我慢していたんだろう。
その場を荒らしたくなくて、かな。

もし今度の年末に帰省したら、1年半ぶりくらい。
また嫌味を言われるんだろうと思う。
残念だけれど、そういう人だろうから。
その嫌味、言われていない現段階で気にかけるあたり、
私も病んでいる。

心の悲しみが大きすぎて、
まだどうしたら立ち直れるのかがわからない。
何かのきっかけで激しく落ち込んでしまう。


どうして息子夫婦は嫁の実家になつく?という
姑の立場からの相談投稿を読んだ。

そんなの、簡単だ。
息子の実家に行くと、嫁として労働を期待される。
嫁の実家に行けば、嫁の両親はその義理の息子をもてなしてくれる。
わざわざ人に尋ねるまでもないことだ。

娘婿にお節を作らせるか?
娘婿に食器を洗わせるか?
娘婿に・・・・

いくらでも出てくるさ。
要するに、それが嫁と婿の違いさ。

嫁ってなんだよ!
自分の息子たちが大事にされているか、
それだけが重要事項みたいなのってなんだよ!

私の両親も夫が一緒だともてなしてくれる。
おいしいお店でごちそうを食べさせてくれる。
別に、力仕事をしてもらおうとか、って待ち構えてなんかいない。

一緒にいりこの下処理してもらおうと思って、と
その作業は肩がこるから辛いのよ、って義母に言われたとき、
なんだかすごくゾッとした。
私って、そういう存在なんだね、って。
母なら、わざわざそんなことを要求なんかしない。
娘の肩こりをむしろ心配してくれるだろう。
袋いっぱいのいりこを準備して、
一体義母はどんなことを考えていたのだろう。
結局、
「そんなことせんでいい」
という夫の言葉で終わってしまった。
夫がその日は私を連れ出してくれた。

つまり、そういうことだよね。
なぜ息子たちは嫁の実家になつくのか?って言われたって、
結局、そういうことが息子夫婦も嫌だからだよね。
自分の妻のことを大事にしようと思う息子が多い、ってことだよね。

シュウトメってなんだろう、と思う。
こういう問題が起きているとき、
それを理解できないシュウトメの心の内が
全く私には理解できない。

こんな風に以前の出来事を思い出すとき、
私のこころはすごく落ち込んでしまうし、
悲しみがまたこみあげてしまう。

たとえ、それがどんなに傍目には細かいことでも。



2013年08月12日(月) 帰省せず

今年の夏、どこにも移動しないことになった。

「仕事しないといけない」

と夫が突然言った。
盆休みに出社するつもりなのか…

そもそも本当に間に合わないのか、
ついこの前まで帰省するつもりだったみたいだから、
私の「限りなく決定に近い保留」宣言に
そんな風に予定を変更してくれたのかはわからない。
出張などが続いてしまったから、
本当に仕事をしないといけないのかもしれないけれど。

仕事が理由だったり、
夫の疲労が理由だったりで帰省しないのは
義父母も納得してくれる。

やはり私だけがここに残るのは、
夫としては受け入れられないのかな、とか考える。

暑中見舞いへの返信も
朗らかに「書くよ」と言った。


なんか、夫に負担かけてるのかな、と思う。
でも、いろいろと葉書の返信のこととか
帰省のこととかを考えていたら、めまいがしてしまった。
猛暑のせいかもしれないけれど、
なんだか夫の実家と兄夫婦のことを考えると
そんな風に体調に変調をきたすことになってしまう。







2013年08月06日(火) 最善とは

夫がどう思っていたかは分からない。
でも、話の相手が「もう行くつもりって感じでしたよ」
というような話しぶりで帰省を語ったのは確かだった。

その日、

「帰省するそうですね、って言われて驚いたよ」

と言ってみた。
事実だ。文字通り。
本当に驚いて、それがもう既定とは思ってなくて
相談してないよね、何も、と思ったのだ。

相談がないということは、
私にとっては自分を否定されたことにも等しくて、
かなり傷つく。

何の言葉もないということは、
存在価値が無に等しいといわれたように感じるみたいだ。
そう感じてしまうのは明らかに行き過ぎであり、
そしてそれは私の問題だ。

今回の帰省の話は、どういう気持ちの会話だったか分からない。
ただ、私は伝えた。
驚いたということと、それについて考えたけど、
涙が流れてきてしまって、どうやら無理だよ、と。
とりあえず、保留にしている。
でも、多分、この保留は「行けない」という返事になる。

なぜか、今年初めて、義兄から暑中見舞いがきた。
夫婦連名の宛名と差出人。
誰宛?というならば、やはり夫宛に義兄から、だと思う。
代筆だとしても。
返事は夫が書くよね、といったら、イヤだといった。
葉書や手紙が苦手な人だ。

これは義姉の字だし、この文章もそうだ、という。
だから、返事は嫁同士でお願いしたい、ということらしい。
大体、兄弟に代筆の暑中見舞いって?と思う。
意地悪かもしれないけれど、年賀状は兄弟で送りあっているのに。
結婚数年後、突然義姉がそういう気分になって書いたのか?
義姉のことも、実は今はかなり好きでないので、
その字も文章も好感が持てなかったこともあって、
返信したい気持ちにならない。

こんな私の拒絶。
葉書1枚くらい書いてくれてもいいのでは?と
夫の言葉。
同じ言葉をお返ししたい、と伝えた。
代筆とは、基本的に失礼なもの、と教わった。
父は、余程時間に余裕がない年の年賀状以外、
母に何かの代筆を頼んだことはなかった。

そんな親を見て育ってしまったからか、
代筆することにためらってしまう。
でしゃばりみたいだと思うし、
やはり本来書くべき人が書かないのは
先方に失礼だと思ってしまう。

帰省の件と、この暑中見舞いの件。
どうしようもない私の拒否反応。

カウンセラーの先生には言われた。
今は辛いかもしれないけれど、
でも、このこと(義母の暴言ともいえる言葉に端を発した心の落ち込み)に
今回しっかりと向き合ったから、
こうして今悩んでいられるのはよかったことだよ、と。
また我慢していたら、もっと後に
もっとひどい形で表面化したかもしれない、と。

つらいことへの耐性がないわけではない。
長く、いろいろなことを我慢し続けてきた。
それに疑問を抱いてしまってからだろうか、
今までのように静かに我慢していられなくなった。
私の子供のときからのいろいろなこと。
理不尽な思い。
そういうのがこみ上げてきて、
自分が泣き叫んでいるかのように感じた。

そして去年、
祖母が死んだのは私がお見舞いに行ったからじゃないのか、と
義母にいわれたことがきっかけで、
義母に対しての一切の許容の限界を超えた。
とはいえ、去年の夏もほとんどを何も言えないままに帰って来てしまった。
だから、また、こんな風にくすぶりが止まないのだと思う。
適切に自分の不快を伝えられないと、
こんな風になるんだね、という経験。

あぁ、だから私の母は姑の死後2年ほどしてから
突然に鬱になってしまったんだな、と思う。
長く、嫁いびりに耐えてしまったから。
とはいえ、母は巧妙に姑との接触は減らしていたようにも思うけれど。


どうしたらいいのかな、と思う。
どうしていったらいいのかな、と。

自分が思っていたよりも、ずっと重症のようだ。
夫に対しても、きっと十分に現況を伝えられていない。
自分でも分かっていないのだと思う。
一体、どうなってしまったのだろう。
どうしたらよいのだろう、
何がもっとも良い選択なのだろう、と考える。





2013年08月02日(金) 何が「当然」といえるだろうか

お盆が近くなってきた。
私の心は、まだ落ち着いていない。

夫は実家に帰省することに疑いがなかったらしく、
夫以外の人から「帰省するそうですね」と言われて驚いた。
なんの相談もまだしてないよね、と。

その日、自分に尋ねてみた。
「行けるかな?行っても大丈夫かな?」
と。

答えは早かった。
涙と吐き気が解答だった。

そうだよね…。
まだ辛いという気持ちはあるよね。
また同じ思いをしたくないよね。
毎年、行くと必ずいやな思いをして、
それでもなんでもない顔して我慢してきたよね。

そう、誰が悪いって、私が悪い。
その場その場でちゃんと伝えなかったのだから。
でも、「いやだ」という選択肢が
去年までの私にはなかったんだよね。
そんなこと、許されないと思っていたから。
いやなこと言われても、ね。

カウンセラーは言う。
いやなことを無理にしなくていい、と。
少なくとも、今の私には無理はしてほしくない、と。

なんとなくわかる。
帰省するんかな、やっぱり…と思ったときの
どうしようもない気持ちの不安定さ。

「やだやだやだ!!」

と思い切りの反発。
子供じみているのだけれど、
正直な反応がこれなんだ。


理由は簡単。
義父以外のメンバーがそれぞれに不快を提供してくれて、
私は遂に、滞在中に頭痛が出るようになってしまった。
そして、ひどく頭痛がして辛くなり、
他の人に先に入浴してもらっている間に休んで小回復しても、
気にしてくれるのは義父だけ。
義母は言葉だけ「先に寝ていいよ」とか言って、
こちらの返事も様子も待たずに、
愛息子である私の夫の方に体ごと向き直って、
「それで・・続きやけどね」
と、会話に戻ってしまったほどだった。

要するに、明らか過ぎる行動での表明だろう。
こんな憎たらしい嫁なんかどうでもいい、と。

また、言われてないことを推測しているけれど、
あんな露骨な態度はなかったと思う。

他にも、
「**(夫の名)らはおつりを返さん、って?」と。

バーベキューの買い物を私たちが毎年している。
義父が先にお金を渡してくれて、おつりは取っておいていいよ、と。
お駄賃と夫は理解していて、それで話はついているはずだった。
義父と義母の間に説明が不足しているのが事実。
だけど、すごくこれは嫌味だと思った。
「そんなことないよ」と夫は返していたが、
義母は納得していない。
短すぎて、義父も夫も真意はどちらも伝えていないだろう。

補足する気も起きなかった。
不愉快極まりなかった。
返すべきお金を返していないでしょ、と言われたわけだ。
これでもめないのは、血のつながりがある人だけだろう。

もう、義母とは終わったと思っている。
脱輪して傷が入ったから夫の新車の価値が半額になった、とか
そういう心無い言葉もくらった。
納車2週間で大事な車に傷をつけて落ち込んでいるのに、
そんなことをいう人なんだ。

祖母の死のときの言葉もそうだし、
義母とはそういう人なんだ、とあきらめるしかない。
あきらめた上で、どう付き合っていくのか。

ここに書いていないいろんな些細なことも重なっている。
だから、無理なんだ。帰省は。
吐き気と涙が出てきてしまう私の魂の答え、と言ってもいいと思う。
夫の大事な親だから、とか
年にほんの数日のことだから、とか
嫁として当然でしょ、とか
いろんな世の中の「常識」があるけれど、
今年の私はまだ無理なんだとしかいえない。
私の精神が病みかけている。

これを圧して行けば、行かれないことはない。
でもね、それは危険な賭けになると思う。
夫は、多分まだ事態をきちんと見てくれていないと思う。
夫が思うよりもはるかに、私は重症なんだと思う。
多分、本当は私自身すら現況をきちんと把握してないんだ。
まさか、吐き気と涙の返答がくるなんて
あの自問をしたときは予想もしてなかったんだから。







2013年08月01日(木) どうするか…

こまかいことがいろいろあって、
なんとなく考え事が多い気がする最近。

夏の帰省。
どこかで夫は当然帰省すると思っていたみたいで、
そのことを夫ではない人から聞くことになった。
ありうるんだけど、なんか複雑な感じ。
そう思った。

そっか、帰省するのか、夫の実家に行くのか。。。
受け入れられるのかな、と自問してみた。

答えが返ってきた。
吐き気と、流れる涙だった。

そっか、行きたくないんだよね、当たり前だよね。
去年の夏は、いやなことだらけだったもんね。
悲しい思いをしたもんね。

あえて、そのいろいろな出来事は書くのはやめる。
どんな些細なことであっても、
もう限界まで我慢していたらしい私の心には、大きなダメージだった。

また、きっと同じ思いはするんだと思う。
だって、毎回だから。


義兄もわがまま、その妻もどうしようもない。
義母は失言の人。
そして、私を煙たがっているか、嫌っているのは
本当は最初から分かっていたことだ。
義父は、優しさを向けてくれる。
ときどき古い考えが顔を出すけれど、
そんなに気にしていない。

要するに、義父以外は困った人々なのだ。

私もわがままかもしれないけれど、
いろんないやな人にこれまで出会っているけれど、
こんな風に「家族」という単位に組み込まれると、
なかなか難しい。

どちらにしても、私の精神は限界だと言い、
そしてだめだよ、やだよ!と泣いている。
そのことを軽視したら、きっと問題はもっと大きくなるんだと思う。
今なら、まだこの程度で済んでいるけれど、
母のように病んでしまうかも、と不安に思う。



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