TENSEI塵語

2006年02月28日(火) キャスト・パズル バロック

先日注文したキャスト・パズルが届いた。
昨日銀行振り込みしたのだが、その夜には発送完了のメールが届いていた。
日曜月曜は定休日と書いてあったのに、驚くべき迅速な対応である。

届いた3つのうち、最初に取り出したのはバロックである。
やり始めてみて、こりゃ初めて買うには難しかったかな、と後悔した。
同じ動きを繰り返すばかりで、なかなか新しい動きを見つけられない。
1回の挑戦が数分から15分くらいとして、3度挑戦して進展なし。
しかし、4度目には、なぜかいろいろな動きができるようになった。
かなり初期状態からの変化が見られる、、、が、ぜんぜん見通しが立たない。

先日、友人ので遊んだときもそうだったけれど、
やりかけのパズルにはついつい無意識に手が伸びるのである。
風呂上がりにも、ついつい手が伸びて、また試行錯誤を始めたら、
1分も経つか経たないかのうちに、みごとに外れてしまった。
実に快い第一目標達成である。
しかし、そこに至るまでの道筋はさっぱりわかってない。

キャスト・パズルというのは、外したらおしまいではない。
最初の状態に復元できて、初めて解いたと威張れるのだ。
先日大いにてこずったデビルも、復元は容易だった。
しかし、今夜のバロックは、復元するためにまた30分余りを費やし、
そして、やはりその復元への道筋がまったくわからない。
ただめくら滅法にいろいろ動かして行くうちに元に戻っただけのことだ。
もう少しの間、このひとつで遊べそうである。

それにしても、この精妙な作りに感心しないわけにはいかない。
絶妙な曲線・太さ・形状。。。
どうイメージし、どう試行錯誤したら、このような精妙なものができるのか?
TVゲームの作者に抱く畏敬の念を、
このパズルの作者たちにも抱かなくては。。。



2006年02月27日(月) 妖怪を楽しむ

今夜は「妖怪大戦争」の特典盤を見た。
大いに期待はずれだった。
ショートドラマはもともと期待してないが、くだらなさすぎる。
大いに期待していた妖怪大図鑑は、グロテスクな造形が多すぎる。
グロテスクな姿は実写よりも、漫画の方がいいものだ。
つまり、いつぞや見つけた水木しげるの妖怪ワールドの中の
「妖怪大辞典」の方が落ち着いて楽しめる。

結局、2枚もある特典盤の中で、もっともおもしろかったのは、
「神木隆之介の『妖怪大戦争』な夏休み」という、
主役の坊やに焦点をあてたメイキング映像であった。
ますますこの子役の演技力に驚かされたし、撮影のからくりもわかってくる。
〈機怪〉と闘う場面では、空いてなしで演じている。
それでいてあの演技ができるとは大したものである。
それに、姉と電話で話す場面は、私も映画を見ながら感嘆したが、
スタッフたちも撮影後感嘆の声を揚げていた。

私は昨夜の塵語で、妖怪大戦争という題に疑義を書いたのだが、
関係者たちも、ちっとも戦争でない、妖怪たちは人が好い、等と言っている。
制作者たちの考えが一視聴者に素直に伝わったのだから、
この映画は成功していると言えるだろう。

西洋の妖怪については深く考えたことはないが、少なくとも日本の妖怪は、
日常生活のさまざまな不安の中から生み出され、語り継がれて来た存在だ。
日本の平凡な庶民と共に生きている仲間なのだ。
人間が、物や環境に対して謙虚だった時代の産物である。

それで、映画の中の川姫のセリフを思い出した。
不要になったら自分をあっさり捨てた人間がとても憎い! と言う。
じゃあ復讐しろ、と加藤保憲がけしかけると、川姫はこう答える。
復讐というのは人間のすることだ、私はそこまで堕ちたくない。。。
だから彼女は、川に溺れた子どもを助け、タダシにもついて行くのだ。
報復だとか仕返しだとか、そんなことばっかし考える〈偉い〉人たちに
教えてやりたいセリフだ。

妖怪が登場する場面で一番おもしろかったのが、ろくろ首の場面である。
籍をした途端に、頭が堕ちたと思ったら、それが首の伸び始め。。。
宣伝用に使われたTVスポット3種のラストに、これが使われていて笑えた。



2006年02月26日(日) 今夜は「妖怪大戦争」

TVで予告編を見たときに、これ見たーい、と即座に思った。
けれども、映画館に見に行く暇がぜんぜん見出せなかった。
見たいと思ったのは、小学校時代の関心の名残だろう。
あの頃は、漫画の月刊誌にも読み物のページが多く、
妖怪の話題もしばしばで、特集が組まれたりもしていた。
怪獣好きだった私(笑)は、当然妖怪にも興味を持った。
妖怪すごろくなども作った。
何と、B紙1枚に、10円玉くらいの○を複雑な経路になるようにつなぎ、
10コマ前後にひとつの割で大きめの四角を入れて、そこに妖怪の絵を描き、
簡単な紹介と、いくつ進むとか戻るとかの指令を書いたりするものである。
何日もかけて根気よく作ったものだが、実際のゲームもたいへんだった。
そんな子どもの時の思いが今も生き残っていて、予告編で、
妖怪たちがひしめき合っている実写を見たら、わくわくしてしまったのだ。

妖怪大戦争というので、妖怪たちが人類に戦争をしかけるのか、
邪悪な妖怪たちの群れと平凡で平和な妖怪たちとの戦争か、と思っていたら、
どちらも違っていた。
妖怪たちは、長年のイメージどおり、のどかな平和主義者たちである。
戦争をしかけるのは、古代に日本民族に滅ぼされた先住民族の怨念が蘇った
魔人、加藤保憲という名前の存在ということらしい。
手下は、鳥刺し妖女アギただひとりだけ。
あとの戦士は、加藤とアギが捕獲した妖怪たちを、大怨霊ヨモツモノの力で
人間が廃棄した物の怨念を混ぜ合わせて作り出すロボットの如き悪霊である。
それらの強敵に、主人公のタダシ坊やが単身で挑んで行く。
もちろん、数体の心ある妖怪たちの援助を得ながら。。。

物語自体はアホらしい部分が多いのだが(角川映画の個性だ)、
とても楽しめる映画だった。
妖怪たちは徹頭徹尾、のどかで呑気だ。
いよいよ戦争という場面でも何も知らず、お祭り騒ぎではしゃいでいる。
そして、妖怪が登場すると、やはりワクワクしてしまうのである。

タダシ坊やが驚いたり怖がったりするのが、とてもかわいい。
これは名子役だなぁ、、、と思ったら、「ハウル」でマルクルの声を
演じていた少年だという。
あのマルクルにも感心していたのだが、こんな子どもがやっていたとは、、!

どちらかというと、特典盤のメイキングや妖怪大図鑑の方が楽しみである。



・・・それにしても、アイスホッケー、目が離せないじゃないかー。
あまりにも速すぎる。点はサッカーよりも取りにくそうだ。
これだけ書くのに2時間もかかっちゃったよ。



2006年02月25日(土) ミュージカル映画「シカゴ」を見た

先日、楽天のい〜でじで小型の保冷温庫を見つけて注文した。
これが税込でも8500円くらいの品である。
1万円以上だと送料がかからないので、念のため、他に何か掘り出し物は、、
と探しているうちに、「シカゴ」のプレミアムボックスを見つけた。
9800円の初回限定版が半額である。
特典盤だけでなく、おまけグッズがいくつか封入されているやつである。
普段はこんなのは買わない、しかも、まだ知らない映画である。

以前からこの映画を見ないといけないと思っていた理由は、
ミュージックエイト社の輸入楽譜カタログに吹奏楽譜があるからである。
市吹の演奏会用の曲を常に発掘し続けなければならないのだ。
そう思いながら、忘れてしまっていた。
で、たまたまそこで商品を見つけたから、解説を読むと、まず、
2002年度のアカデミー賞最優秀作品賞、助演女優賞、美術賞、
衣装デザイン賞、音響賞、編集賞の6部門受賞作だという。
それに、多くのレビューに共通する意見が、
話は単純だが、ミュージカルの場面は実にみごとだということだ。
それで、スペシャル・エディション盤をを買う場合の値段とざっと比較して
そのままそれを購入して、送料無料を狙うことにした。

届いてさっそくこの映画を見てみたわけだが、
たしかにこのミュージカル場面の数々はすばらしい。
自由自在の画面構成である。
音楽は、私の体質に合いにくいジャズばかりであるが、すんなり入ってくる。
ミュージカル場面に入ると、衣装も背景も華やかなショーになって、
その音楽と振り付けを見ているだけでも楽しいが、
その合間に、現実の場面も挿入されたり、物語の進行場面も挿入されたり、
実に油断のならない作りになっている。
まさに、最優秀編集賞ではないか、と同年の他の映画と比較しなくても、
その構成力と編集力に感心させられた。

しかし、、、作品賞ねぇ、、、??
それほど内容のある映画なのだろうか?
監獄にいる女が、金と名声にしか目のない弁護士(リチャード・ギア)の
手腕によって、マスコミを利用して人気者になって、
裁判を有利に進めて無罪放免となって、、、という展開は驚きではあるが。。
題名が「シカゴ」となっているところを見ると、
シカゴというのはそういう街だという要素が散りばめられているのだろうか?
たいへんわかりやすい物語なのに、
最優秀作品賞受賞などと知ってしまったために難解な作品になってしまった。
これはやはり、メイキングなどもしっかり見てみないといけない。

それにしても、封入グッズのシガレットケース、これはまぁいいのだが、
網タイツなんてどうすりゃいいんじゃ〜。
ま、確かにこれは、映画の象徴的なアイテムではあるだろうけど。。。
ハードカバーの厚いシステム手帳、、、2004年の日付入りだ。
日付など入れないでくれぃ。
はて? システム手帳の映画の中での意味は? とこれも難解だ。



2006年02月24日(金) キャスト・パズル

きょうやった仕事と言えば、通知表書きぐらいのものである。
1学期に、ちょっと意地を張った感じで評定と欠課時数をゴム印にしたので、
やたらと時間がかかった。
特に、3学期になると、入試関係の欠席もあって、欠課時数が複雑だ。
もともと欠席の少ない生徒の集まるクラスで、1・2学期は0が多かったが、
きょうは、昼まで3時間近く費やしてやっとそれだけ終わった。

昼からは、入試の志願変更の店番で、事務室につめていた。
結局、客は誰も来ず、ほとんど暇を持てあましていた。
通知表の残りを全部終わらせることができた。

悲しいことに、きょうの通知表書きのように、長時間専念していると、
耳元でそれを脅かす声が聞こえるのだ。
今そんなことをやっていていいんかぃ? という類の声である。
そして、考えを巡らす、、、きょうなど、どう考えてもこれを終わらせる、
それ以外にないことを確認してから始めた仕事なのに、
あれこれ改めて考えを巡らせて、安心して作業を続ける、、、という具合。
この1年、短い空き時間しか許されてなかったし、
何か仕事を始めても中断して別のことをやらざるを得なくなったりした、
そうしていつもいろいろな仕事を貯めこんでいた心的状態から抜け出せない。
そして、夕方帰宅するころには、明日も出校しなきゃいけないし、、、
などと、なんとなくそんな観念にとらわれている、、、そんなはずはない、
明日来てもやることなどないはずだ、、、でも、何か不安だ。


夜、気晴らしに二角取りで遊んでいるうちに、
先日の4つの知恵の輪、、、という名称ではなく、キャスト・パズル
(亜鉛ダイキャストで作られた鋳造パズル、ということらしい)
感触が思い出されてきて、1時間ほどあれこれ物色して、
1個680円で売っている店で3つ買ってみた。
先日、かなり悩まされた1つと同じレベルのを2つと、
最高に難しいレベルのから1つを選んでみた。



2006年02月23日(木) 「ザ・グリッド」を見終わる

昨夜は書きかけで眠ってしまったようだ。思い出して書き足しておいた。

「ザ・グリッド」は1時間半ずつ、3日間で見た。
何と悲しい物語であろうか。。。
このドラマ自体はフィクションであるが、テロは世界各地で起こっている。
このフィクションは、現実の縮図のようなものである。
これが現実だとしたら、世界はいったい何をやっているんだ! 
という悲しく憤ろしい思いにとらわれるのだ。

テロの首謀者ムハンマドの卑劣さには怒らずにはいられない。
彼のせいでどれだけの人間が死んだか、、、彼が採用した者たちも。。。
彼は、その死が天国へと開かれていると説く。
それでいて、自身の死だけは恐ろしく、じたばたして、生きながらえる。
ただ、登場人物のムハンマドはこういう卑劣でしかない男で、
何のためにこの9カ国にもまたがる大規模なテロを計画したのか、
どうも動機が明瞭でない。
現実世界のテロの根元を理解するために、
もう少し掘り下げてほしかったところだ。

このドラマでは、さまざまなイスラム教信仰者が描かれている。
テロ行為=イスラム、どころか、テロリストは少数派なのだろうと思う。
兄弟でも正反対の生き方をする姿も描かれる。
対テロ合同捜査チームに加わったCIA中東担当分析官のラザも
イスラム教徒で、テロ阻止のためにすばらしい仕事をする。
しかし、そんな任務につきながら、完全に信頼されているわけではない。
定期的に査問を受け、嘘発見器と対話しなければならない。
誰よりも博愛主義者で、銃弾よりも言葉を大切にする人物なのに。。。
ヨルダンで、洗脳され自爆テロの駒となっている子どもたちに
彼が説得する場面は、このドラマの圧巻である。
もっとも誇らしく、そして、、、もっとも悲しい場面である。

プロデューサーのインタビューによれば、
スタッフにイスラム関係者がいなかったので、
イスラム教徒の生活を描くのにたいへん苦労をしたそうだ。
確かにそういう面での物足りなさが残る。
けれども、第1話を見たときに思ったように、
テロを巡るイスラム社会をかなり多角的に描いている点はすばらしいと思う。
プロデューサーはさらに、報道の陰に生身の人間がいることも伝えたかった
と言っているが、まさにその通りだと思った。



2006年02月22日(水) 石頭たち

私がパズルだのゲームだのが好きである。
きょうも、ここに律儀に通ってくれている橋本さんと昼食をとった折に、
年末に出しておいたマッチ棒パズルを叱咤激励して(笑)解かせた。
また、そのついでに彼がそのころ出した問題が立体ヴァージョンだったが、
その平面ヴァージョンの答えを発見した。
昨日会った友人がやらせてくれた4種の知恵の輪は、
最初の一番簡単だというのはちょいとてこずって、
外れた後も、何度もその原理の解明に努めなければならなかったけど、
続く2つはほとんど苦労なくして外して、
4つ目はたいへん苦労したけど、何とかクリアして、
まだまったく外せないでいた買った本人を泣くほど悔しがらせた。

答えが用意されているのだから解けないわけがないと希望を持って取り組む。
しかし、どう考えてもどうにも進めなくなることも多い。
そこに必要なのは、発想の転換である。
うまく発想の転換ができると、するっと答えが出る。
何でこんなことに気づかなかったのかと、それまでの愚かさというか、
固定観念に縛られていた自身の偏狭さを思い知らされる。
それが楽しい。
パズルやゲームの楽しさは、その発想の転換の妙味である。

誤解されないよう断っておくが、標題の「石頭たち」というのは、
橋本さんや、その知恵の輪で遊ばせてくれた友人のことではない。
その2人は、たまたま解けない問題があったというだけで、
いつも柔軟に、しかもバランス感覚のいい思考をする人たちである。
「石頭たち」というのは、職場の教員たちのことである。

転勤してから3年経ち、ひとつの学年の生徒たちを連続して詳しく見てきて、
前後の学年の様子を垣間見て来た。
その上で、進路指導が行き詰まっていることが明らかだと思った。
行き詰まったら発想の転換をするしかない。
自分でも具体例を用意して、新たな方策を考え合おうと先日から訴えている
のだが、どうも反応がかんばしくない。
私が急場しのぎに考えた案よりいい案を出してほしいのに、
私の出した案を蹴散らして旧来の路線に戻す意見しか出ないのだ。
本当に悲しいことだ。

進路指導というものを、学校教育のそう重要なものと考えてない私が、
こんなことに悩むのは、皮肉なものである。
そんなに進路指導が大事なら、もっと現状に即して考えたらどうですか?
と、提言しただけのことである。
進学指導って、そんなに大事かぃ?
○○くんが一流国公立大学に受かったというと、石頭教員たちは大喜びだ。
我々の教育の成果だ、とか言ってね。。。
でも、その優秀なる○○くんが、冷酷非情で上役にぺこぺこ言いなりに
なるしかない、官僚や政治家や会社幹部におさまってしまったら、
その教育は失敗だったのだよ。

本当は高校教育の第一ではないのに、そうなってしまっているのは、
生徒や生徒の親の期待する項目のナンバー1になってしまっているからだ。
なぜか、いつの間にか、そんな風潮がはびこってしまったのである。
私の高校時代はそうではなかった。
一応実力テストや模擬テストも行われていたし、指定の課題も出された。
けれども、あくまでも進学は生徒個人の問題であったらしく、
3年生の11月になってもあやふやだった私に、先生は干渉しなかった。
補習などというものもなかった、部活を引退しろなどということもなかった。
それがいつの間にか、どれだけ進学させるかが学校の価値になってしまった。
おかしな世の中であるが、こうなってしまった以上あがいてもしょうがない。

それだったら、もっと企業的な努力をしたらどうかと思うのだ。
もしも、あの石頭たちの集まる学校が企業だったら、とっくに倒産してる。
社長にあたる学校長がこの3年間がんばって取り入れてきたことといえば、
周辺の各校がやっていることをそのままつけ足してきただけだ。
面談の時に、この学校独自の企画をしないのかと尋ねたら、
まずはとにかく他校と同じ状態にすることだ、それは他校もやってるから、
本校でもできる、新しいことをしようとすれば職員に苦労をかける、と。。。
こういう社長の経営する会社はさっさと倒産することだろう。
その下で働くものは虚しくなるばかりだ。




2006年02月21日(火) 「ザ・グリッド」を見始めた

といっても、これは1話1時間半の全3話である。
「24」と同じフォックスが作ったドラマで、
9.11テロやイラク戦争後の設定でテロとの闘いを描いたものなので、
興味を抱いて買ってみたのだ。

第1話を見た限りでの感想を書いておこう。
凄まじく速い場面転換で、よく考えながら見ないとついていけない。
しかし、当初うろたえたほどには、難解でない。
人物もよく認識できないまま、次々に新しい場面に移っていくので、
最初は、これは誰だっけ? と考えることも多かったが、大分慣れてきた。
場面も、イギリス・アメリカ・カザフスタン・エジプト・スイス・
ナイジェリア、、、と、実に広範囲にコロコロと移動する。

さいわい、少なくとも第1話を見る限り、
「24」ほど冷や汗をかかなかったし、血が頭に昇らなかった。
言い方を変えれば、もの足りなかったということにもなるが、
なんでかなー、、と考えてみると、捨て身の活躍をする人物がいないからだ。
しかし、「24」の緊張感が異常なので、それと比較してはいけない。
同じ程度の緊迫感を求めるのでなければ、このドラマもおもしろいのである。

なにしろ、かなりリアルである。
アルカイダ元司令官ムハンマドなる人物がテロを企て指揮をする。
それに同調する教徒がビンラディンのビデオを見ていたりする。
アメリカでのイスラム教徒がどう生活しどんな待遇を受けているかも垣間見。
とりわけ、イスラム教徒にもいろいろな立場の人がいることを細かく描き、
また、欧米vsイスラム世界についての議論も、言葉少なながら、
多角的に論じあっている点が、このドラマのいい点だろう。




2006年02月20日(月) Mac Book Pro

もう長いことPCの新調はまったく考えなかった。
窓機も1台くらい持ってないと不便だと、1年3カ月前にちびのVaio を
買ったけれど、iMac はしばらくは今の環境で十分だと思っていた。
だから、情報にもまったく疎い状態で2年半ほど過ぎてきたのだ。

先週の金曜日に楽天のMac 店からのメルマガで、
「iMac (Intel Core Duo) 」という文字列を見てびっくりした。
な、、なんでマックがインテル、、?
嘗ての常識では、仇みたいな企業ではないか。。。
(ところが、きょう知ったところでは半年前に提携して大騒ぎだったそうだ)

インテル・マックというだけなら、驚いただけで終わっていたのだが、
興味を惹かれたのが、インテルの「コア・デュオ」搭載というところだ。
先日、Vaio のタイプFに、これを搭載しているのがあるのを知って、
これは凄まじく速いのではないか、今までのXPでは見られない、
それにノートとしては考えられないようなきびきびした動きをするのでは
ないかと、非常に期待してしまったのである。
しかしこれは、コンプマートに見に行ったけれど、
残念ながら店頭に置いてなくて見られなかった。

土曜日にそのiMac を見に行って、ちょっと触ってみたら、速い!!
すぐに、これ欲しいっ!! と思ったけれど、
今持っているiMac を手放す気はないし、置き場所がないから断念した。
帰ってから、実際のところこの速さはどんなものだんだろうと、
アップルのサイトに行ってみたら、
ノートでもコア・デュオ搭載機が発売されていることを知った。
ノートなら勝ってもいいかも〜、と9割方買う気になってしまった。
今までのG4ノートに比べ、速さ4倍、
クラフィック・パフォーマンス8倍とまで書いてあるのだ。
おー、待ってたぜー、という感じである。

きょうそれを触りに、帰りに店に寄ってみた。
確かに速くなったな、、とは思ったのだが、隣のG4ノートも触ってみて、
比較してみると、体感的にはそれほど顕著な違いを感じない。
(G4ノートも、この2年余の間に進化してきたのだろう)
ますます薄型になって、ますます味わい深い容姿をしているが、、、
このインテル・マック・ノートの上位機種を買うと30万円余である。

2年半ぶりにマックの雑誌を2冊買って帰って、
このインテル・マックについての評価を読んでみた。
確かに、最初からバンドルされているアプリケーションの処理速度は
速いようだが、ユーザーがインストールして使うものになると、
かえって遅いものもあり、まだ対応していないものも多いらしい。
店頭に置いてあるのは、余計なものが入ってないので速さを感じて当然だが、
やはりこれも、革命的な製品が出たときの問題点を相変わらず抱えている
ということだ。

新製品に安易に飛びついてはいけない、というのは、
私の経験したさまざまなケースから出てきた戒めであるが、
今回もやはりその戒めに従うべきケースのようだ。
なければ困るという状況ではないし、1年以上は様子を見るのがいいだろう。
アップルの、また新たな過渡期なのだ。



2006年02月19日(日) 定演1カ月前

年1回の定演の1カ月前で、きょうは恒例の1日練習があった。
帰るころにはもうくたくたで、夕食後3時間も眠ってしまった。
3時間眠ってすっきりしすぎて、深夜になった今困惑しているところである。
ま、明日から私は職場では窓際族状態(うれし!)だから、
寝坊したら休暇もらっちゃえばいいんだけどね。。。

例によって、定演の宣伝をしておこう。


第23回岩倉市民吹奏楽団定期演奏会  3月19日 午後1時半開演
  於 岩倉市総合体育文化センター 入場無料   指揮 私、である。

【第1部】


1 タラモア卿              カール・ヴィトロック 作曲

2 ミュージカル「ラ・マンチャの男」セレクション
                         ミッチ・リー 作曲

3 Foojin − 雷神               櫛田 てつ之扶 作曲
                                                                                 

【第2部】

1 ブラック・マジック・ウーマン         明光院 正人 編曲

2 スウィング・ジャズ・メドレー          岩井 直博 編曲
   茶色の小びん〜イン・ザ・ムード〜ムーンライト・セレナーデ
   〜ビューグル・コール・ラグ〜シング・シング・シング

3 情熱大陸                    遠藤 幸夫 編曲                              
4 宮崎アニメ・メドレー                                  
   五月の村〜さんぽ(「となりのトトロ」より)   森田 一浩 編曲   
   君をのせて〜抗夫(「天空の城ラピュタ」より) 真島 俊夫 編曲
   人生のメリーゴーランド(「ハウルの動く城」より)小島 里美 編曲

5 時代劇絵巻      星出 尚志 編曲
   ああ人生に涙あり(水戸黄門)〜銭形平次 〜大江戸捜査網のテーマ
   〜大岡越前のテーマ〜暴れん坊将軍オープニングテーマ(旧)

6 モーツァルト・ポップス・シンフォニー      佐橋 俊彦 編曲
   交響曲第25番〜40番〜41番「ジュピター」



2006年02月18日(土) カラープリンターが全滅

定演のプログラムの曲目と曲解説の原稿を渡すために印刷しようとした。
これはそのまま写真製版で印刷されるので、レーザープリンターでは粗い。
カラープリンターは家に5台ある。
私だけでも、レーザープリンターと併用している複合機と
コンクール等の持ち運び用の小型のがある。
ところが、去年からノズルの詰まりが治らなくて困っている状態だ。
それで、階下のiMac につないであるプリンターで作業をした。
ところが、これはきれいに印刷できるけれど、薄い青筋が何本も入るのだ。
年賀状を印刷したときは数枚を除いて青筋なしでできたはずだが、
あれはなぜだったんだろう、、、と思っても、今回は青筋が消えない。

モバイル用のバイオでファイルを編集し直して試みても改善がない。
ドライバの不具合のせいではなく、プリンター自体の不具合らしい。
娘の部屋のバイオにつないであるプリンターは私が昔使っていたものだが、
最近はちょっとかすれぎみで良好でないと言う。
坊ずの部屋に置いてある複合機にモバイルバイオをつないで印刷しようと
ドライバをダウンロードしたが、何故かダウンロードされてなく、失敗。
それでもう、市吹に出かける時間が来て時間切れになってしまった。

それにしても困ったものだ。
坊ずの複合機だけはまだ×と決まったわけではないので全滅とは言えないが、
4台はクリーニングを何度しても改善できない状態である。
娘のはもともとかなり古いからという理由になるかもしれないが、
あとのは、使う機会が少ないからと言えるだろう。
日常の印刷はどうしてもレーザープリンターに頼ってしまうからである。
うーん、、、修理に出すべきか、買い換えなきゃいけないか。。。




2006年02月17日(金) 松岡圭祐「催眠」

3週間ほどかかったかな? ま、ホントにたまにしか読めなかったから。。。

多重人格障害の女を気遣う精神科医嵯峨の奮闘物語である。
病院の経営方針や警察の捜査、精神医療に対する誤解や先入観に妨げられ、
嵯峨はなかなかその女に近づけない。
終盤になってようやく警察の理解も得、治療を進めて行く姿が感動的。

多重人格障害という精神障害についてもさることながら、
催眠療法ということについても、
我々が教えられてきた誤った観念を是正してくれる。
精神分裂症というものについての嵯峨の説明も興味深い。

女が精神分裂症に陥り、さらに多重人格を行き来するようになった
はるか過去の要因に、小学生になったころから両親に突き放された点がある。
両親は、おでん屋の経営が忙しかったのである。
快復しつつある彼女が、両親の作ったおでんの弁当を美味しそうに食べる。
晩ご飯はいつもこれでした、と彼女が言う。
いつも同じものばかりで飽きませんでしたか? と嵯峨が問う。
「全然。家で、みんな一緒に食べてたから、なんでもおいしかった」
という彼女の返答が心に響いた。

さあて、、、このシリーズをすぐ読み続けるか、
それとも、この小説で得た知識をまずまとめておくか、、、?
この部分は必要なのか? と冗漫に感じられるところもあったが、
たいへん興味深い話だった。
まずシリーズを読み続けるのが賢明だろうな。



2006年02月16日(木) 学力論議

「ゆとりの教育」が学力低下を招いた、という議論は浅はかで短絡的である。
そもそも、その「ゆとり」とは何だったのか?
授業時間数を減らし、詰め込む知識量を減らすというだけのことだったのか?
そうではなく、それは、考える子を育てるという意味だったはずだし、
感じる子、さまざまなものと触れ合う子、さまざまな問題を自ら解決する子
を育てるということであったはずだ。
学力の基本は思考力・感受性・探求心による問題解決能力だから、
そういう意味では「ゆとり」のある教育は決して間違いではない。
ゆとりのない生活は、思考力も探求心も鈍らせてしまうからである。

しかし、詰め込み否定に偏りすぎて、繰り返しと訓練がおろそかになった。
宿題も、昔のドリルよりも、自由課題が多くなった。
自由課題自体は悪いことではないが、それがすべてではない。
教えるべき基本のことはしっかり教えなければならないし、
反復練習もやはり欠かせないのだ。
問題なのはわけもわからず知識だけ与えたり訓練を課したりすることなのだ。

総合学習なるものも、型どおりの授業とは異なるものをめざしたが、
昔の生徒会活動、自治活動の方がうんとレベルが高い。
総合学習の実践報告の中にはすばらしいものもいくつかあるにせよ、
授業という形で徹底しようとしたために、かえって形骸化する傾向である。
もっとも個性を尊重すべきことは、
授業という画一化されやすい方法を採ってはダメである。
ただでさえケチケチ財政で、教員数を節約しているのだから。。。

私は、学力低下は社会的要因の方が大きいと思う。
ゲームや漫画の氾濫、そして、それが子どもたちにも手に入れやすいこと、
そして、TV番組の進化、、、これらは要するに経済活動である。
あ、ケータイのさまざまな機能というのもある、
つまり、そういう営利重視の企業が、ターゲットを低年齢化しているのだ。
多くの子どもたちは忙しくて勉強どころではないのである。
一方で子どもたちの学力向上を願いながら、
他方で子どもたちを食い物にしようと日夜研究を重ねる企業もいるわけだ。
そして、日本の指導者たちは、子どもたちの問題よりも、
経済界の競争を鼓舞することに忙しい。

要するに、基本的な考え方が曖昧な上に、
政策上の一貫性に欠けているのが、学力低下の本当の理由である。



2006年02月15日(水) とりあえずの解放

3年生の登校はきょうまでである。
あとは今月末に卒業式予行のために登校し、翌3月1日が卒業式である。
長年そういうことになっている。
もともとは、2月の中旬ごろから私大の入試ラッシュになって、授業が
成立しなくなるので、2月の後半を登校しなくてもよい日にしたのだろう。
けれども、私大の入試日程はどんどん早まってしまった。
私の高校時代でも、多くの私大が2月の前半に入試をやっていた。
高校卒業時に受験した早稲田は2月末だったので、
私は2月の1日からもう学校を完全に休んで勉強に専念し、
卒業式にいきなり登校して高校生活を終えたが、
浪人してから受験した上智は、最初の外国語学科が2月10日ごろ、
次の文学部の試験が14日・15日ごろだった。
今はもう少し早まっているようだし、
多くの私大の入試日程は2月の上旬にひしめいている。
早い話が、現状では、国公立を受験しない生徒のほとんどが、
2月の上旬に学校を休んで受験に出かけるのである。
だから、今のように登校しなくてもよい期間を設けるのなら、
本当は、2月の最初から中旬までにして、
その後卒業式まで登校させた方が実質的である。
そういう長年の変化に対応して、臨機応変に方式を替えようとしないのは、
固定観念に縛られやすい教員世界の頭の堅さもあるかもしれないが、
2月下旬の1・2年生の学年末考査との関わりなど、
いろいろと煩わしい段取りの問題も付随して生じているためだろう。

というわけで、昨日で3年生の授業が終わった。
今年は、この授業・補習・講座等のために、泣きたいほど忙しかった。
ついに待ちに待った昨日が来て、それらからは解放された。
しかし、昨日からきょうにかけて、その多忙のために手抜きしていた仕事の
つけが回ってきて、ばたばたと右往左往するはめになった。
校誌と図書館報の2つの印刷物が、印刷前の最終入稿に入っている。
きょうは挿入する写真の準備にあたふたした。
明日は推薦入試の面接やら選抜会議の仕事で1日拘束されるだろう。
明後日は出張もあるし、、、日曜日は市吹の1日練習だし。。。
なかなかのんびりできる日は訪れないものだ。
けれども、精神的にはかなり気楽だ。それが何よりもうれしい。
物理的な時間の拘束よりも精神的なゆとりの方が、はるかに強いのである。
ま、あんまり現実的に時間に追いつめられても困るけどね。。。




2006年02月14日(火) 学力って?

トリノオリンピックを見ようと思っている狭間に、
NHKの「明日を読む」という解説番組があり、そのまま聞いてみた。
「学力低下と授業改革」というような内容だったからである。
小学校の授業数増や、小学校での英語の授業について議論されてるようだ。
ゆとり教育の否定ということが主眼のようだ。
国際的な学力テストの成績が奮わないことから出てきた反省だ。

こういう議論が続いているけれど、学力とは何かという定義がない。
学力とはこういうものだ、子どもたちにこういう力をつけてほしい、
そういう前提がはっきりしていない。
だから、考えることが支離滅裂な上に、予算もなしで済ませようとする。
頭だけで現状打開を図るだけで、真剣に何とかしようとしていない。

まー、今夜はもう眠いので、この辺でやめておこう。



2006年02月13日(月) PUZZLE HOUSE

ある人からメールが来て、パズルハウスというサイトを教えてくれた。
こらぁ〜、教えるなーそんなもん! 困るじゃないか〜(`ε´) 
見に行かないわけにいかないじゃないかー!

ショックウェイブのゲームサイトが、Mac 不対応になって久しい。
いくつか気に入りのゲームがあったのだが、まったく遊べなくなった。
買ってダウンロードしたゲームはできるが、
勝手にコンテンツを保存したものもまったく表示されなくなってしまった。
たまの気晴らしに「二角取り」をやろうと思ってもできないのはさびしい。
Mac にも対応できるようにするというメッセージもあったが、
なかなか修復されないままである。

パズルハウスに行ってみたら、多くのゲームが並んでいる。
真っ先にあるのは、「鮫亀雀」という消し物ゲームだ。
ちょっとやってみたら、これはちょっと追及してみる価値がありそうだ。
「四川省」というのを開いてみたら、これが「二角取り」だった。
ショックウェイブほど凝った作りではないが、動きは軽快だ。
ちょっとした気晴らしにはこれで十分だ。
「夜遊び主婦」というパズルもあって、がんばってみたけれど、まだできん。

「ペントタイル」というパズルは、いくつかのピースを組み合わせて、
指定された図形にきっちりと嵌めるというパズルである。
私はこういうのが好きなので、10問ほど遊んでみた。
3つ目の問題がどうも解けないのだが、不可能というはずはないと信じて、
もうちょっと追及してみるべきだろう。

それぞれがどんなパズルかを確かめるだけでもしばらく遊べそうだ。
まったくもう、こんなサイトを教えてくれた困ったちゃんを恨むしかない。



2006年02月12日(日) こりゃいかん!

風呂上がりにTVをつけたら、スノーボードを見るはめになった。
今までちらっとしか見たことのない競技だったが、つい見てしまった。
アメリカのショーン・ホワイトの演技に驚嘆してから目を離せなくなった。
この競技は良し悪しがわりとわかりやすい。

続いてアルペンスキー。
こちらは、見ているだけではなかなか良し悪しがわかりにくい。
しかし、標高1キロ近い長いコースを、20人近くが2秒以内の違い。。。
日常生活だったら、1秒以内の誤差なんてまったく問題にならないのに。。。

とにかく、もう寝なければ。。。



2006年02月11日(土) 社民党の「反省」

朝日新聞の2面の右上に、
「小選挙区賛成『誤り』 勢力の激減原因と反省 党大会で見解発表へ」
という見出しで記事が載っていた。
なーーにを今さらーー、である。
あれから10年余り、事前に懸念した以上に弱体化してしまったではないか。
正論というものが表に出にくい政界になってしまったじゃないか。
自民vs民主などというニセの二大政党制が、そう呼ばれているじゃないか。

で、小選挙区制に反対して処分された19名のうち、
9名の処分を撤回して名誉回復するのだという。
ま、党内の仲間内では重大なことかもしれないが、
我々にしてみれば、今さらそんな反省にいったい何の意味があるのだろうか?

あの時の社会党の路線転換の責任は重い。
みごと首相の座を手に入れて、笑みを浮かべて記者会見する村山爺さんの
顔に唾をひっかけてやりたくなったのは私だけではないだろう。
彼にはあの頃悪魔が取り憑いていたのだろう。
もう日本の社会はどうしようもないところまで来てしまっているし、
小選挙区制である限り、大きな改善は望めないのだ。
ぜったいに成立させてはいけない悪報だったのだ。
成立させてしまえば一巻のおしまい、と素人さえも不成立を祈願してたのに、
今さら「誤りだった」と言われても、ぼーか、と言うしかない。



2006年02月10日(金) あだち充

あだち充は、私に漫画の本質のようなものを教えてくれた漫画家である。
それについては既に書いた

私にとって漫画界のあだち充というのは、クラッシック作曲家のマーラー、
女優界の菜々子さま、歌姫界のサラちゃん、〈既に死去した作家〉界の太宰、
などと同様に、2位以下を寄せつけないほどの最愛の漫画家である。
漫画界の先駆者のひとりであり、老舗にもなっている手塚治虫も及ばない。

きょう、図書館の本の今年度最後の注文表を作った。
最後に2万円とちょっと余ったので、「タッチ」「H2」の全巻を入れた。
もちろん、自分のためでなく、推薦図書として入れたのである。
漫画というもののお手本であり、目標とすべき基準だからである。
もちろん、彼にも失敗作はある。

今連載中の「クロスゲーム」も、またまた野球漫画であるが、
実におもしろく味わい深い。
連載開始後程なくして(単行本の1巻の終わり)寵劇的な涙を経験する。
その後の展開も実に楽しみだ。
毎週土曜日の市吹の前の夕食時に、喫茶店で少年サンデーを取り、
これと「メジャー」と「コナン」を読むのが習慣のひとつになっている。



2006年02月09日(木) 「ショーシャンクの空に」

ぜんぜん知らない映画だったのに、みんなのシネマレビューで、
平均点ランキング7位だったか8位だったか、、、あれあれ、
今確認に行ったら2位になってる上に、投稿ランキングも1位ではないか!
以前このサイトを見たときは、これほど上位には来ていなかったと思うが、
内容が刑務所の中の話ということで、見る意欲がなかなか湧かなかった。
でも、先日安いDVDを見つけたので買っておいた。
なかなか2時間半という時間はさけないので何日も放ってあったが、
今夜は時間的にも精神的にも余裕があったので見ることにした。

これは実に緻密な作りの映画だ。
あのサイトの平均点ランキングは、非の打ち所の少ないものが上位になる、
その構造がよくわかる気がした。
辛口民間批評家が、揚げ足取りに近い難癖をつけることが多いからだ。
確かにケチをつけるべきところが見当たらない。
あえて言えば、ナレーションが多すぎることぐらいだ。
驚くべき物語なのに、不自然を感じさせない。

刑務所内での横暴、、、アーヴィンにとっては裁判自体も横暴だったが、
それに対するアーヴィンの沈着で緻密な行動。。。
これ以上は書かない方がいいだろう、とにかくいい物語だ。
刑の意味という点でも、鋭い問題を投げかけている。



2006年02月08日(水) 昨日の続き

きょうは「チャーリー、、、」の特典映像を見た。
これはそれほどおもしろいものではなかったけれど、
リスの調教の苦労がおもしろかった。
特典映像のトップがこのリスなのだ。
ただでさえ調教が難しいそうだが、
何十匹も鍛えるのだからよほどたいへんだったのだろう。
それでも足りないので、ロボットも作り、CGも駆使し、たいへんなことだ。
それからまた、ウンパルンパの役の苦労話。。。
うーん、なるほど、、、確かにこれらの要素は苦労が多いわなぁ。。。

この映画の、工場に招待されるチャーリー以外の4人の子どもは、
チョコレートを卑しく食べてばかりいる食いしん坊のデブ、
何でも1番にならないと気が済まない高慢ちきな空手娘、
欲しいものは何でも買ってもらえ、手に入れないと気が済まないわがまま娘、
確率計算で1発で当たりのチョコを手に入れた知識偏重の生意気坊主である。
もう、どこをとっても腹立たしくなる子どもたちに描かれている。
それをウォンカがしっかりと懲らしめてくれるのがうれしい。
ちょっとかわいそうにもなる感じの懲らしめ方なのだが、
ま、殺したり抹殺したりするわけではないから、ちょうどいいでしょう。
そう自然と受け入れてしまうほど、いや〜〜ながきどもなのだ。

それに対し、チャーリーは、極めて貧しい家庭ながら、
どの人物も心温かい、両親と2組の祖父母のもとで育っている。
そのチャーリーが、長年父親、そして家族というものへの思いを
閉ざしてきたウォンカの頑なな心を溶かしてしまう。



2006年02月07日(火) 「チャーリーとチョコレート工場」

これはもう、映画ならではの映画と言えるだろう。
この映画のジョニー・デップは、今まで見た中でもっともすばらしい。
「みんなのシネマレビュー」で、口うるさい民間批評家たちの辛口批評を
いくつも読まされていたけれど、私はあまり文句をつけたくない。
楽しいし、内容のしっかりした映画だと思う。
予想していたのとはまったく違う要素がいくつもあって意外だったけれど、
かえって、予想していた以上にメッセージを持った作品だと思う。

この映画のテーマは、要するに〈家族愛〉だろうか。
チャーリー以外の4人の困ったちゃんたちは皆懲らしめられてしまうけれど、
それらの子どもはある面で卓越したところを持っていても、
親子関係は決して良好とはいえないか、破綻している。
ウォンカの工場も、両親を捨てた果ての産物だった。
しかし、ウォンカも、結局は家族の絆に目覚める。

ウンパルンパ族の雇われ人たちがみな同じ顔をしているのに笑えた。

(もう眠いので寝よう)



2006年02月06日(月) ゴルゴ13

きょうは2つの文章を仕上げた。
校誌に載せる今年度の図書部の活動についての文章と、
図書館報に載せる、読書感想文についての文章で、
なかなか書けないでいたのを、何とかきっかけを見つけて書き終えた。
やっつけ仕事のような感じで、得心のいくものではないのだが、
もう印刷所に送るリミットが来ているから、これでホッとするしかない。
疲れたので、もうこれ以上文章を書く気力がない。。。


昨夜、TVの「情熱大陸」で、劇画家さいとうたかをを見た。
見忘れないように録画予約もしておいたが、11時にTVの前に座った。
かねてから想像していた、事務所の分業体制を見せてもらえた。
さまざまな無名作家が原作を送ってくるという点が驚きだった。
それをどのように作画していくかという点がますます興味深かった。
リアルであることを求めて、執拗に資料を用意する様子も紹介された。
「ゴルゴ13自体が荒唐無稽なんだから」
それ以外の者は極力リアルでないと、、、とさいとうが飄々と語る。。。

見終わって、やっぱり無性に全巻が欲しくなった。
今まで何度、古本屋で既刊全巻揃いを買おうと思ったかしれない。
インターネット通販に慣れてからも、数回、
購入決定ボタン寸前まで行って、最後のポチッがなかなかできずにいた。
欲しい、全部読みたい、いつでも全部読めるようにしたい、
けれども、置き場所に困るのだ。
もうとっくに100冊を越えて、140冊近くになっているのだ。
しかし、昨夜は137巻を3万円弱で売っている豊田市の古本屋のサイトで
ついに購入決定ボタンを押した。
我が家に置けなければ、しばらくの間、司書室に置かせてもらおっとf^_^;

ゴルゴ13」という作品は、今年で37歳だろうか。。。
私はその間、喫茶店のビッグコミックで読んだり、
単行本を買ったり簡易単行本やビッグコミックの特集を買ったりして読んだ。
酒で酔った帰りには駅でゴルゴ13を家って読みながら帰る時期もあった。
最愛の漫画家あだち充とはまったく対照的なジャンルであり作風でもあるが、
余情の上手さという点でだけは共通していると思う。
また、ゴルゴ13は、冷徹にして正確無比な狙撃屋として描かれているが、
その冷たい視線の無表情な沈黙の奥に人情をのぞかせるところも魅力だ。
その点では、最愛の時代劇「木枯らし紋次郎」とも共通する。
もうひとつ、ゴルゴ13を語る場合に欠かせないのは、
世界情勢の裏部分を垣間見させてくれる点だ。
そのための資料が蓄積された資料室も、昨日のTVはちらっと見せてくれた。



2006年02月05日(日) アヴェ・マリア

昨夜、市吹に行く前に夕食をとった店で、アヴェ・マリアが流れていた。
カウンターテナーの声らしい、ゆったりとしたテンポのアヴェマリアだ。
何か、、不思議な感じ、、、これはどこかで聞いたことがある、、、
それだけでなくて、何か切迫したような雰囲気まで漂って響いてくる。。。
いつ聞いたんだろう、、、どこで聞いたんだろう、、、誰の作品だろう、、、
これを聞いたのは、何か、コーラスっぽい雰囲気か、重唱だったか、
何かそんな感じがするけれど、確かじゃない。。。
エンヤみたいな声? いや、違うなぁ、、、アバにもこんな感じのが
あったような気がするが、違うなぁ、、、でも、クラッシックじゃない、、、
そうだ、もっと速いテンポで歌って、、た、、よう、、、、なー、、、

おぼろげな記憶を掘り起こした瞬間の感覚というのは、不思議だ。
謎の部屋の前に立って、一気にドアを開けて部屋の全貌を見渡せたみたいな。
それまで到底会えそうになかった人物が、いきなり目の前に現れたような。
とにかく、ある瞬間に突然、そのアヴェ・マリアが、
韓ドラの「天国の階段」で何度も流れていた曲だと気がついたのだ。
何という驚き。
あのドラマのオリジナルだとばかり思っていたし、
こんなにしみじみと歌われる曲だとは思っていなかったからである。
ドラマでは、決定的場面というようなところで何度も使われていた。
非常に印象的な歌で、シューベルトやグノーのより傑作じゃないか、
気の利いた曲を作ったもんだ、と感心してこの曲欲しさにサントラも買った。
ドラマを見ていたとき、途中で何度も憂鬱になりながらも、
挫けず見続けられたのは、この曲のおかげだったのかもしれない。

しかし、原曲があったとはね、、、誰の作った曲だろう、と検索してみた。
なかなかヒットしなかったが、
「『天国の階段』でも使われていたカッチーニ」と書いている人がいた。
初めて聞く名前の作曲家だ(いかにもありそうな名前だけど、、)。

さらに、「カッチーニ」で検索してみたら、
カッチーニのアベマリア」というサイトがあった。
そのページの4つの窓の一番右の聖母マリアのところをクリックしたら、
抑揚も何もないが、ストリングス音のミディ演奏が聞けた。
(私もよくやるような遊びをやってる人がいるんだなぁ、と感心した)
そのメインのページではビアノ音の演奏が鳴っている。
これを書いている今も、そのピアノ版演奏を流して聞きながら書いている。
そのサイトの紹介によると、昨日私が聞いたのは、スラヴァという歌手か?

昨夜から今夜にかけてのこの出会いも、ひとつの劇的な出会いだ。



さーて、きょうも1日高校生相手に、よくわかってない曲の指導をしたから、
めいっぱい疲れたぞ。
朝出かける時からして、道路がわずかな雪でつるつるに凍っていたから、
スタッドレスでも何度も発進時に滑って、たいへん緊張した。
たいてい、緊張はしながらも楽しんで運転するのだけれど、
今朝は、心底怖いな、という思いが去らなかった。
国道21号以南に至ったらようやく雪がとけていて、ホッとした。



2006年02月04日(土) 久々の雪だ

きょうは、出校して仕事しなきゃいけないような気もしていたが、
いろいろ算段して、何とかなると判断して、のんびり家で過ごした。

3時からシャラポアvsヒギンズ戦を見た。
シャラポアが完敗したのは残念だったが、ヒギンズの上手さには感心した。
シャラポアは、先輩女王を前にして、女王の座を守らなければ、、、と、
精神的圧力に負けていたとしか思えない。
以前に3回ほど見た、粘りと、ライン際のポイントがきょうは冴えなかった。
まったくヒギンズに翻弄されていたという感じがした。
そういえば、きょうは一打ごとの叫びが少なかった。
自分の方が上でなければいけないという意識が強すぎたのだろうか?
ヒギンズが怪我で退いてから、シャラポアが台頭してきたのである。
ここで負けたら、自分の今までの躍進が嘘になる、と思ったのであろうか?
きょうの悔しさをバネに、もっともっと成長してほしいものだ。
そんなにマスコミサービスして、他の仕事する必要はないんだよ。
我々は、テニスをしているシャラちゃんが好きなんだよ。
マスコミはたいていバカだから、そんなのに踊らされちゃダメだ。

夕方外に出たら、空気が久々に本格的に冷たくなっていた。
こりゃ今夜は本当に降りそうだと思っていたら、市吹の帰りに降り始めた。
久々に、細かい雪の降りしきる中を走るのは楽しかった。
しかし、明日の朝は部活の練習で出かけなきゃならない。
厄介なほど降らなきゃいいが。。。



2006年02月03日(金) 「ビューティフル・マインド」を見た

数学者ジョン・ナッシュをモデルにした映画である。
およそ40年間に及ぶ統合失調症(妄想分裂病)との闘い、
それを支え続けた妻の姿。。。

妻役のジェニファ・コネリーに参った。
とりわけ、ジョンが再び幻覚に取り憑かれて深刻な状態に陥ったときの場面。
「何が本当か、、、」
ジョンの頬に手をあて、ジョンの手を自分の頬や胸にあてさせ、
「これは本物、、、夢と現実を区別するのは、頭でなく、、、」
そして、ジョンの胸に手をあてて、
「ここかも。。。 私は信じたいの。人間の力を超えたことだって可能だと」
こう語るジェニファの表情は、百万弗の表情だ。
後からここだけ4度も繰り返し見てしまった。

ラストはノーベル賞授賞式である。
ジョンはステージでこう挨拶する。
「私は数を信じます。〈理〉を導く方程式や理論、一生をそれに捧げて、
 今問うのは、論理とは何か、〈理〉の定義とは、、?
 答えを追って、私は理学的また哲学的世界を旅し、幻覚にも迷い、
 戻りました。
 そして、ついに学んだのです。人生で一番重要なことを。
 謎に満ちた愛の方程式の中に、〈理〉は存在するのです」
そして、客席の妻を見つめ、「君のおかげだ」と結ぶ。

それにしても、この4、50年の物語を2時間ほどで描くのは短いぞ。
そう感じてしまうのは、たった1日の物語を18時間かけて描くドラマに
慣れてしまったせいであろうか?
もうひとつ、、、
理論に関するセリフが、何一つ理解できなかったのが悲しかった、、(-。-;)




2006年02月02日(木) エンディングの歌

今夜は夜中までいくつかの仕事をした。
午前0時近くなったが、何か見てから寝たくなった。
こういう場合に最近見ていたのは「トリック」である。
映画はたいてい2時間以上かかるので、練るのがうんと遅くなる。
ある種のドラマは1時間でやめられなって、下手すると明け方になる。
「トリック」なら、2話連続でも、1話でやめられる。
これは山田奈緒子と上田教授のやりとりが好きなので、
ドラマ自体にはクビをかしげたくなることがおおいから、抑制が利くのだ。
仲間由紀恵は、この奈緒子役と、auのCMがよい。
「ごくせん」のヤンクミより、この山田奈緒子の方が好きである。
NHKの大河や深刻なドラマに出てきても、ほとんど魅力がない。

このドラマは、品がないし、展開やからくりに杜撰なところが多い。
下ネタがちょいちょい現れたり、2人の刑事が下品に騒々しすぎる。
つまり、かなりアホらしい場面が多いのである。
エンディングの映像も、非常に凝った発想で作られているが、気に入らない。
しかし、エンディングに流れる鬼束ちひろの「月光」が格調を上げている。
コメディーのこのドラマに、哀感を漂わせて締めくくるのだ。
このエンディングは、飛ばしたり省略したりするわけにはいかない。

エンディングの歌のよさ、で、すぐに思い出すのは、
キムタクが検事役をやった「ヒーロー」の「Can You Keep A Secret?」だ。
毎回毎回、ドラマの余韻の中で流れてくるこの曲にたまらない感慨を覚えた。
同様に思い出すのは、火曜サスペンスの初期の「聖母たちのララバイ」。

他にもあったように思うが、すぐに思い出したのはこの2曲である。
オープニングの曲にもいいのがいろいろあったが、今夜はここまで。



2006年02月01日(水) ジグゾー・パズル

朝刊の「声」(投書欄)に、ラファエロの「アテネの学堂」の絵に、
先駆者たちの息吹を感じるという思いを綴った文章があった。
この人が毎日見ている「アテネの学堂」はジグゾー・パズルなのだそうだ。
2000ピース以上の大きなもので、家族で1カ月かかったという。
これはおそらく、私が持っているものと同じで、3000ピースのものだ。
客間、といっても、ほとんど楽器置き場のようになってしまっているが、
その本来応接間であったはずの部屋に飾ってある。

20年ほど前、ジグゾー・パズルを熱心にやっていた時期がある。
ほとんどは、西洋の名画である。
今書いたラファエロの「アテネの学堂」の他に、

ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」(2000)
       「春」(2000)
ダ・ヴィンチ 「最後の晩餐」(2000)
       「モナリザ」(500)
ブリューゲル 「バベルの塔」(1000)
アングル   「ラ・グランド・オダリスク」(1000)
       「泉」(1000)
ルノワール  「テラスにて」(1000)
       「イレーヌ・カン・ダンヴェール嬢」(1000)
ドガ     「舞台の踊り子」(500)
歌劇「トスか」の舞台となった「サンタンジェロ城」(2000)

生活破壊の恐怖に怯えながらも、のめり込んで充実した毎日を送っていた。
しかし、こういう絵画を扱ったジグゾー・パズルは少なかった。
もうこれ以上、苦労して作りたいような絵柄は見つからなかった。
その上、前任校に赴任した18年前からは、部活が本格的に忙しくなった。
それ以来やっていない。
時々、妻が取り組んでいるのを手伝って叱られたぐらいのものである。

ジグゾー・パズルは魔性の魅力を持っている。
ピース数が多ければ多いほど、つまり図柄が細分されているほど、
日々の、そして、1ピースごとの喜びや達成感が大きい。
毎日、少しずつ形を成して行く喜び、
ぜんぜん見当のつかなかった1ピースがちょっとした勘で嵌ったときの喜び、
きわめて単純な仕組みながら、実に魅力に満ちたゲームなのである。
あのころもし塵語を書いていたなら、毎日がパズルの報告になっただろう。
そして、今のように写真も載せられたなら、
ここまで進みました、の写真もちょいちょい載せたに違いない。

ジグゾー・パズルそれ自体がとにかく楽しかったが、
それだけでなく、上記の絵画を隅々まで鑑賞する機会になった。
何千回も元の絵画を見つめつつ、ピースを選定するのである。
画集などを長時間眺めるよりも、はるかに微細に細部に目を凝らすのである。
それも、繰り返し繰り返し。。。
それもまた、楽しい勉強になった。

また、そのころはよく、部分と全体ということについて考えた。
ピースの模様をどう見ても、その場所に入るとは思われない、
ところが試しに入れてみると、しっかり嵌って、図柄も周りに溶け込むのだ。
ピースの図柄自体は何の変化もしない。
ところが、ピースが単独で存在するときと、周りのピースと一緒のときとは、
ピースの色合いも模様も、変わってしまうように思われるのだ。
それは、すごい驚きなのである。
それは、そのピースの意味が変わるということである。
ちょうど、音楽の「ドミ」という音の進行が、
「ドミソ」の中にあるか、「ラドミ」の中にあるかで、
正反対の意味を帯びるのと同じことだし、
さまざまなメロディーの中に頻繁に現れながら、
その都度違った様相を帯びているのと同じことである。
もっと大胆なことを言えば、それだけを取ってみれば、
万人が認めるに違いないほどの真理であったとしても、
その状況全体の中にその真理を置いてみると、
必ずしも真でないということも大いにあり得るというわけだ。

とにかく、ジグゾー・パズルというのは、
さまざまなものを見させ、考えさせてくれる、良質な玩具なのである。
・・・うーん、、また何か作りたくなってきたぞ。


 < 過去  INDEX  未来 >


TENSEI [MAIL]