TENSEI塵語

2002年11月30日(土) 楽譜に怒る

先週の日曜日にHPで市吹で使うための楽譜を検索していたときに、
「ハリー・ポッター」のメドレーをやってみようと思いつき、
さっそくサントラ盤を買いに走って、聞いてみて、
プロコフィエフを思わせる、しかもプロコフィエフよりもオーケストレーションの入念な
音楽がおもしろかったので、早速注文しておいた。
こういう楽譜にはがっかりすることがおおいのだけれど、
演奏難易度が普通より高めということもあり、
「交響組曲」と冠せられているところからも、かなり期待していたのである。

その楽譜は早速火曜日に届いて、あまりの早さに感心したが、
スコアをパラパラめくっただけで、もういろいろな箇所に落胆していた。
交響組曲と題しながら、シンフォニックな楽しさが想像できなかったのだ。
おもしろい曲もあっという間に終わってしまって、これではおもしろさが味わえない。
それでも、実際に音を出してみないと本当のところはわからないものだが、
きょうそれを団員に演奏してもらったら、本当に予想通り落胆ものだった。
スコア面は素人目にはつまらなく見えても、吹奏楽界に名を馳せるスミスさんの
編曲だから、そうひどいこともあるまいとたかをくくっていたのに。。。
(もっとも私自身は、この人の曲のどこがよくて演奏されるのかわからないのだが)

50分ほど悪戦苦闘した結果、こう叫ばざるをえなかった。
「この楽譜、作りかけなんじゃないの?!!」
また後でいろいろ書き足して完成しようと思ってたのに、
うっかりそのまま出版してしまったとしか思われない。
この程度の編曲で、完成品として値段をつけて売り出すなんて信じられない。
手違いで、作りかけのまま印刷し、売り出してしまったに違いない。
オーケストレーションに最も不満で、作りかけだと判断した理由なのだが、
曲の選び方、メロディーの扱い方についても、不満はいくつもある。

先々週までの3週間ほど、「ロード・オブ・ザ・リング」の楽譜と格闘して、
どうしてもなかなか全体としておもしろくならなくて、落胆していた。
そして、きょうのはもっとひどい出来、というより、未完成品と思わされたのである。
こんなんでなぜ金が取れるのか不思議である。
素人が趣味で編曲したのと大差ないではないか(劣っているかも)。
著作権料も安くはないだろうに、それも無駄づかいしているようなものだ。
以前にやった「タイタニック」でも「スターウォーズ エピソード1」でも、
途中まではがまんしてそのまま使ったけど、ラストの部分を入れ換えた。
アメリカの出版業界はいったいどうなってんだ、と大がかりな怒りにまで発展する。
我々には買って演奏するまで中味を確認しようがない、
それを大々的に宣伝して(少なくとも「交響組曲」は誇大広告だ)、
実は中味がこんなんでは、詐欺、ぺてん、大泥棒である。

しかも、なんとか使えるようにならないだろうか、と頭を悩ませ始めて、
休日をつぶすことになる、、、まったくひどいやつらである。
これで金儲けしているプロなら、もっとしっかりやれぃ!!
誠実さもない上にセンスも乏しいやつらめ!!

つまらない楽譜を団員に試奏してもらった時は、はなはだ不愉快になるのである。
試奏してもらわなければ何も確かなことはわからないから、必要悪とはわかっていても、
貴重な週1回の練習を無駄にさせてしまったな、と申し訳ない気分にさせられるのだ。
しかも、今後どうしたらいいか、途方に暮れ、混乱してしまうのだ。
「ハリポタ」に時間を費やしすぎて、30分しかなくなった残り時間は、
なぜか聞こえてくる音も冴えないし、半ばやけ気味みたいな練習になってしまった。
あ〜あ、、と、やりきれない思いばかりが残った。



2002年11月28日(木) 定期考査の害

きょうから期末考査が始まった。
採点に追われないうちは、わりとのんびり過ごせるありがたい期間である。
私の担当のテストは来週の月曜日と最終の水曜日にあるので、
日曜日までは採点させてもらえず、のんびり過ごすしかないことになる。
この採点の仕事がここ20年近くの間、イヤでたまらなくなっているので、
のんびりの後には、地獄的な数日間が待っていることになる。
毎度のことながら、「テストのない国に行きたい」と、
昔から受ける側の決まり文句だった言葉を、受けさせる側も叫ぶことになるのである。

実際、試験を作るところから、時間に追われて採点するのはかなりの労苦なのである。
定時制にいた2年間は生徒が少なかったので、この仕事もまだ楽しく思われた。
全日制にかわったら、毎回膨大な採点攻めで、1年もしないうちにイヤになった。
その前任校では、5回の定期考査の合間に、課題考査・実力考査が入っていて、
特に国・数・英の3科目はそこから抜けることがない。
年間に10回も一斉テストがあるということは、ほぼ月1回のペースである。
ひとつの試験の処理をひーひー言って終えたと思ったら、
数日の後には、次の試験の準備をしなければならないようなペースである。
教員の側から言っても試験地獄と言いたくなるような状態である。

試験を行う意義が、「成績を出すため」という一面に凝り固まりがちである。
特に生徒の意識がそうなりがちで、勉強しないのに成績だけは気になる、
ひどくなると、あてずっぽうの馬券買いのように一喜一憂する生徒が増えている。
確かにその成績は、就職にも進学にも進級判定にも利用されるようになるわけで、
生徒の気力を少しでも上げるために、教師も成績云々を強調する羽目になるのだが、
定期考査は本来、ある期間の学習内容を復習する機会である。
長年試験試験で振り回されていると、生徒だけでなく、教師もそれを見失いがちになる。
成績を出すためだけだったら、やはりこの労苦はばかばかしい。
こういう試験に頼るよりも、毎時間何らかの提出物を課して、
その提出状況や内容で、日々の活動のみで判定したいものである。
(これはこれで大変な労苦であるが、実に正直で実質的なものである)
しかし、一定期間の授業を1度しっかり復習し直してほしいと思えば、
そのための緊張を伴った状況作りのために、定期考査は有効な手段であると言える。
合格点など、改善したいところはいくらかあるけれども。。。

しかし、「世の中に絶えて試験のなかりせば」と言いたくなる要因は、
問題作りや採点の労力のためばかりでなく、まだ他にもあるのである。
たとえば、先日までのSの長欠の際、もっとも頭を悩ませる大元にあったのは、
試験はどうするんだ〜? という問題であった。
試験が学年統一であれ、担当教師独自のものであれ、定期一斉テストの形式は、
授業の進行をさまざまに拘束するのである。
試験のためにこれだけやっておかなきゃならないとか、
ここまで進んでおかなきゃならないとか、そういう制約に縛られることになる。

さらには、学力も学習意欲も低い生徒が集まっているところだと、
試験で生徒が答えやすい問題を想定した上で、そこから授業内容を考え、
授業をしっかり受けて復習すれば試験に対処しやすいように授業を進めねばならない。
国語のような教科では、きわめて曖昧な上に範囲の定かでない領域を扱っているので、
こうした配慮が特に必要になってくるのである。
こういう配慮をしていると、確かに真面目な生徒には歓迎される。
この辺がわかりにくいと、真面目な生徒でも途方に暮れてなすすべを失う。
けれども、そうした配慮が、かえって授業内容をつまらなくさせているのである。

これは、きょう試験監督をしながら思いついてメモしたことを基に書いた。
定期考査から脱却したい、脱却せねば、と長年思いながら、
それはまったくもって容易なことではないのである。



2002年11月26日(火) ゆとり月間?

通勤途中のカーラジオから、CMの合間に、
「あなたはとげとげ○○(?)になっていませんか?」とCMが流れた。
とりあえず「とげとげてん」と聞こえたのだが、よくわからない。
まあ、要するに、ゆとりをなくしてとげとげしくなってないか、という意味らしい。
11月は(いつの間にそんなことが決まったか知らないが)ゆとり創造月間だと言う。

何言ってんだぃ、って感じである。
11月は今年中で1番とげとげしく、心のゆとりを欠いた月間になってしまった。
その元凶だったSは、昨日もきょうも普通に勤務してくれている。
金曜日に有無を言わせず来させなかったらどうなっていたかと、冷や冷やもんである。
でも、今までのように、これで安心していてはいけないのだ。
2度とこういうことがないように、何か手を打たなければ。。。

とげとげカリカリの3週間の反動か、昨日ときょうで作るべき試験ができてしまった。
来週水曜日の試験である。
こんなに早く用意してしまうことなど、めったにないことである。
ゆとり月間ともゆとり週間ともいかなかったけれども、
少なくとも今度の日曜までは、数日間のゆとりがありそうである。

それにしても、なーんにも知らないうちに、○○の日だの、○○デーだの、
○○週間だの、○○月間だの、、、いったい誰が制定してるんだ???



2002年11月24日(日) 学習意欲低下問題

朝日新聞が今朝からまた学習意欲低下についてのシリーズを始めた。
「くもん」が行ったアンケート結果で、学年が高くなるにつれ
学習意欲が低下しているというデータも特別に紙面を割いて載っている。

昔だって、そう勉強の好きな子どもは多くなかったはずである。
勉強なんて、嫌いがあたりまえ、好きになれる子は幸運な子だと私は思う。
勉強嫌いの子だって、何もかもやれと言われるのが嫌いな子がほとんどで、
いわゆる勉強は嫌いでも、特定の分野については勉強熱心という場合が多いだろう。
ただ、そのゆとりも与えられない子は、ますます勉強がつまらなくなって行く。

昔は勉強嫌いが多いことはそれほど問題にされないで、それなりに対処されていた。
それが最近問題にされるようになったのは、「ゆとり教育」なるものへの反省、
TVゲームやケータイの普及、大学生の学力低下問題、
不安定な将来設計(目標・夢を抱きにくい社会)、、等々の問題のためだろう。
また、最近への途中経過として、荒れる学校と落ちこぼれ問題があって、
勉強しない子に対して目を向けるようになってきたという過程がある。

そして、精神科医の和田氏が、昨今の精神科医らしからぬコメントを寄せている。
「外からの圧力を強めた方が現実的な対策になる。
 受験競争や詰め込み教育型の強制力は必要だろう。
 親や教師は勉強する子には褒賞を、しない子には罰を与える
 〈あめとむち〉を有効に使うべきだ」
まぁ、要するに、以前の価値観に戻れ、というわけである。
しかし、批判が高まって崩したところに戻すのはたいへんなことだろう。
しかもこの人の場合、「学習意欲低下の主因」を「学歴社会の幻想の崩壊」と
とらえているのに、どうやって受験競争に駆り立てようというのか。

私が思うに、「学歴社会の幻想の崩壊」というのはおとなの思い込みであって、
学習意欲低下の原因は、それ以前の目の前にあるもののためである。
TVゲームはおもしろすぎるし、次から次へと多彩である、
ケータイは使い始めたら手放せない、
TV番組は見始めたら見続けてしまうようにいろいろ工夫されている、
漫画の本も際限なく新しいものが出版される、、、
要するに、心奪う楽しみが氾濫しているのである。
特にゲームとケータイは、勉強する暇をなくさせてしまうのである。
その上、小学校でも中学校でも宿題が減った、というよりは、
小学校などは、自由に家庭学習をやるという形になってしまった。
何をするかは自分で決めなさいでは、決められなくて目先の楽しみに走るのが当然だ。

和田氏の言うように、子どもたちへの圧力は必要である。
幼少時からの道徳的な事柄の圧力はもちろんのこと(こちらの衰えがより問題だ)、
学習面での圧力も必要である。
それはたとえば、小学校低学年のうちから、授業のノート(または教科書の該当個所)を
家庭学習帳に毎日写すことを習慣づける、という方法でもいいのである。
その上で、興味を持った自由学習が加わってもいいのだが、
帰ってから復習しなさい、のような曖昧な指示よりも具体的に日々復習することである。
その復習が、機械的なものに終わってしまうか、内的発展を伴うものであるか、
個人差はあるだろうけど、機械的でもかまわないのである。
復習することによって、次の授業に入りやすくなり、理解も深まるから、
学習意欲低下も、学力低下も緩和されるのである。
将来の夢だとか見させるよりも、現実的に学習内容をわかりやすくする、
しかも、子ども自身の理解力を高める方策を考えるべきである。

英語力についても批判の多いところだし、実際私自身も会話はまったくダメである。
読み書きする英語から、話せる英語、使える英語、生きた英語へ、と言われ始めて、
AETなどの導入も行われ、小学校からそれも始められているが、
要するに、基本的な教育政策がなってないから、英語力が拙いままなのである。
私は中2ぐらいまでは、日常英会話の授業のみでいいと思う。
もちろん、話す、発音するだけでなく、書くことも行うのだが、
その代わり、その授業の1クラスは、多くて8人くらいまでである。
今の4〜5倍の英語教員と部屋が必要になる。
でも、それくらいの頻度で話したり発音したりしなければダメである。
現状のように40人では、聞くだけレッスンで終わってしまうのである。
一斉に発音する、という方法は、ある種の生徒にはそれで十分でも、
ズルをする生徒にはなんの甲斐もない、そしてそういう生徒は日ごとに増えるものだ。
8人以内の小単位での英語教育を続ければ、英語嫌いはほとんどいなくなるし、
読む力のしっかりした下地も作られることだろう。
もちろん、高校でも、Reader の授業と並行して継続してほしいものである。

教育政策側は、机上で理論ばっかりいじくって悦に入っているが、
現場を現実的に変えないことには、なんの解決にもならないのである。

朝日の連載が続いている間、さらにまた同じ問題で書かざるをえなくなるだろう。



2002年11月22日(金) 復帰への第1歩

Sの話を終わりにできるかどうかは、月曜の朝にかかっている。
きょう彼は、3つの授業のうちの2つに出た。3週間半ぶりである。

朝学校に行くと、Sは朝1時間分の年休を取っている。
それは、本来ならそう悪い話ではない。
きょうのもともとの時間割は、2、5、6時間目にあるので、
2時間目からはしっかりと授業をやるぞ、という決意のようにも見える。
ところが困ったことに、時間割変更で、1、2、5時間目となっているのである。
やれ困った、1時間目の授業をどうしようか。。。
昨日教頭にSの時間割を変更されたままにメモして渡しておいたのに、
ちゃんとその旨伝えてくれなかったのかしらん、と思って教頭に問い質した。
「奥さんからの電話で、また朝から吐いてるらしい」
溜息つかざるをえない。
でも、2時間目に来るそうだから、それだけでも吉報なので、
1時間目をどう凌ぐか悩んでいると、電話が鳴って教務主任が出た。
「教頭ですか? ひとりは1日出張で、もうひとりは今出張に出ましたよ」
で、代わりに電話を受けたようである。たぶんSである。
「そうですか、、、困りましたね、、、どうしたらいいんでしょう、、?」
などと煮え切らない応対をしている。
結局、私に助けを求めてきた。

「2時間目から行くつもりだったんですけど、体調がすごく悪いんで、
 どうしようかと思いまして、、、」
Sがあまりにも気弱な声で訴えるのを聞いてしまうと、つい怯んでしまうけれど、
ここはもう一歩もゆずれない場面である。
きょうの2時間目の授業をやらないと、試験前に1時間しかなくなってしまうことを
説明して、きょう休んでしまうと来週も試験も大変なことになることを説明した。
それでもSが同じことをくり返すので、怒鳴りたい気持ちをぐっと抑えて、
教卓に座って自習させながら時々説明してあげる程度でいいから来てください、
とお願いすると、ようやく、わかりました、という返事が返ってきた。

1時間目の自習監督だけ手配して、授業に行き、途中で生徒に課題を与えて、
Sが来ているか確認のために職員室に行った。
「事務室には、1日休みって書いてあったよ」とある先生が私に言った。
えっっ??どういうことだ?? と、事務室に確認に行く途中の階段で、
力なく階段を上ってくるSとすれちがった。
「やー、ご苦労さんでーす」と陽気を装って声をかけると、
彼はお詫びを言いながら、今にも泣き出しそうな顔である。
事務室で確認すると、それはさっきの電話の時、1日休むと言ったので、
それなら教頭にも話すようにと職員室に電話を回し、教務主任がその電話を取って、
それが私のところにも回ってきたのだが、事務室では結論を知らずにいたので、
彼の申し出通り、年休1日と記したのだそうである。

職員室の喫煙室に戻り、Sの後ろ姿を見ていると、ちょっと不憫にも思われてくる。
彼の席に行って、
「ごめんねー。時にはやっぱり生徒中心で考えなきゃいけないときもあるから、
 無理させてしまって、、、」
「時には」じゃないやい、と自身に文句言いつつも、
彼の不満はちょっとでも排除しなきゃいけないと思って、声をかける。
2時間目の開始時間が来て、彼は職員室を出て行った。
少し遅れて、私も職員室を出て、後をつけながら生徒指導室から彼の様子を見た。
今、授業する教室の前だ、、戸を開けた、、、入った!! 万歳の瞬間である。
3週間以上ものブランクのあとで教室に入る苦渋の思いは、
経験はないけれども想像に難くないので、見ている方も緊張の一瞬だったのである。

もしも彼がホントに精神的に病んでいるとしたら、その治療は、
しばらく仕事を離れて専門的な治療に専念するか、
逃げないで飛びこんで行くか、どちらかしかないのである。
安易に染まって逃げ続けていたら、病状は悪化するばかりである。
彼はきょう復帰への第1歩を踏み出したけれど、本当の関門は月曜の朝である。



2002年11月21日(木) 明日こそは

Sの話が続いてしまうが、この件はできるだけメモしておきたいのである。
6月の日記をザーッと見たら、ほとんどSのサボりについては書いてなくて、
サッカーと野球のことばかりである。それを悔やんだのである。
この日記は覚え書きなので、TENSEI塵語なのである。

今朝学校に着いたら、年休欄にはSの名がないのに姿が見えないので変だと思った。
やがて教頭が私のところに来て言うには、朝課題の用意だけして、
課題の説明をするために私を待つと言ってたのに、いなくなっちゃった、と。
課題はきょうは2つとも教頭が行くと言ってくれた。
実にありがたいことである。
きょうは国語科にもうひとり欠勤がいて、その自習監督もあったからである。
このきょう休んだ人は、昨日どうにも体が思うようにならなくて、
それでもSのために休むことができなくて、自分で自習にしてしのいでいた人である。
昨日、「休んでもいいよ」と言ったのだが、「大丈夫。出てきます」と言っていた。
それでも休まざるをえなかったのである。
こちらの自習監督は、私が2時間とW女史1時間でしのいだ。
Sのために働くことに、ほとほと嫌気がさしているだけのことで、
Sについては「腹立ってしょうがない」と憤慨しているW女史でも、
他の人のためであれば、できるだけのことはしてあげようと誰でも思っているのだ。

もうひとつ教頭が言うには、試験はちゃんと自分で作る、だそうだ。
やれやれ、ほっと一安心、、ではあるが、
そのためには2時間はちゃんと授業でまとめてもらわねばならない。
もしも明日、Sがきょうと同じ行動をとるとすると、教頭から言って貰わねばならない。
明日を逃すと、試験前に1時間しか授業できないクラスができるということを。。。
帰りがけ、教頭にSのあと4日分の時間割表を渡して説明しておいた。
これでも明日の授業をさぼるようなら、驚くべき神経の持ち主と言わざるをえない。

それにしても、きょう課題の用意だけはしに来たということを聞いて、嬉しかった。
少しは成長が見られる、と。

それにしても、こうして逃げてばっかりいると、ますます教室に入りづらくなる。



2002年11月20日(水) 来たのに帰るとは!

今朝、Sが予定通り来ていた。やれやれ、、、昨日の解放感の完成だ、、と思いきや、
私のところに来て、お詫びとお礼、、とまではまあまあだったが、
「まだ回復しないので、もう1日2日休みたいので自習お願いします」
ん? ・・ム、、、ムムムッ、、、ムムムムムッッ、、と、ちょっとこらえて、
「そりゃ、ホントに病気なら自習もしょうがないけど、課題を自分で作って、
 監督の先生も探して自分で頼んでください」
そう文句があるはずないんだよね。
出てきた以上、自分で課題の指示をして、休息するなり帰るなりする人もある。
しかも、きょうは行事の関係で3時間目のひとつだけじゃないか。
だいたい、3週間も、たとえ病気で入院したにせよ(半信半疑である)、
何もかも放っぽりだして人任せにしてしまえるのが異常である。
入院した日にもちゃんと意識があったくせに。。。
クラスの生徒がどうしてるか、自分の授業がどうなってるのか、
まったく気にならないとは、いったいどういう神経をしているのだろうか?
そうして、きょうも、お詫びとお願いだけしたら、何もしないで帰るつもりだったのだ。
お詫びもお礼も、いかに心のない、形だけのものであるかが露骨である。

驚いたことに、朝の読書タイムとSTも、お人好しの副担の先生に行ってもらって、
自分は職員室に残っている。
せっかく来たんだから、クラスの生徒の様子を見、身の上を説明してくればいいのに。
これも、担任にあるまじき行為ではないか。
私が読書タイムから職員室に戻ると、彼はしぶしぶ課題の印刷をしていた。
場当たりの、単なる漢字プリントである。
その合間に、今までの自習の内容を説明したり、問題プリントの解答を渡したりした。
1週間後の試験までに、授業でやるべきことの予定を立ててもらわなきゃいけないのだ。
最低限の仕事はしろよー、というわけである。

1限目の授業を終えて職員室に戻ってみると、Sの姿はない。
課題はどうしたのかと思って、最初、私のところにぽんとおいてあったら許さん、
と思ったけど、なくて、忙しい教務主任の机の上に発見された。
お人好しの副担で時間割係の先生に押しつけて帰ってしまったらしい。
その時間割係が、教務部でその時間のあいているところへ無造作に割り当てたわけだ。
何の配慮もない。
「安易に引き受けちゃダメだ。優しくすりゃ図に乗るだけなんだから」
と、おとなしく善良な時間割係を叱りつけてしまった。

それにしても、ここまでのSの態度は、教室に行きたくない、学校にいたくない、
明らかにそれだけの思いの表れではないか。

教頭のところに行って、Sからの休暇の申し出はあったのかを尋ねてみた。
「いませんか?」と意外なような、予想的中のような複雑な表情。
朝のやりとりの様子を報告した。
教頭の話では、朝、職員室の入り口のところで彼は泣いてたのだという。
出勤して来るのにも、奥さんがついて来なければならなかったのだという。
迷惑をかけている思いが強くて、心が壊れてしまっているようだ、という。
そんなことを聞いても、もはや何の同情も湧かないのである。
逃げの一手、自分だけラクしたいというわがままな甘えん坊にすぎない。
本当に不登校という病気なら、教員は不可能である。
わがままな甘えん坊でさぼっているなら、不適格教員である。
「要するにそれは、教員はムリだということじゃないですか?」
と、教頭にはっきり言っておいた。
教頭が彼に同情的なのは、問題を大きくしないためと、
自習課題を作ったり、自習監督に行ったりしないからである。
我々としては、こんなやつのために余分に毎日あくせくするのもつらいし、
何よりも、自習課題を持って教室に行って、生徒と接するのがつらいのである。
年間2、3回ならともかくも、十数回も行っていると、
後ろめたい思いにとらわれるのだ。
たとえ1カ月休まれても、日頃から熱心に仕事している人が闘病生活に入ったのだったら
いくら忙しくなろうとも、みんな協力的になれるのである。
そういう事態は今までにもあったけれど、誰も本人を責めたりせずに善処していたのである。

1日2日休みたい、と言っていたから、明日もサボりと決め込んでいることだろう。
明日の課題までは彼は用意して帰っていない。
この辺が、彼がいかに甘ちゃんかということを物語っている。
さぁ、明日どうするか、考えなきゃいけない。



2002年11月19日(火) 慌ただしい1日

朝出ようとしたら、ゴミ出し日なのにまだゴミを集めてないことに気がついた。
これをすると、出るのがいつもと同じか、いつもより少し遅くなりそうだが、
大急ぎでゴミ出しをして車に走るところから慌ただしい1日は始まった。
いつもより2、3分遅くなったが、この時間帯の2、3分は遅れが増幅するのである。
踏切だの幼稚園バスだのの関係で、2分遅れが10分遅れにもなりうるのである。
普通に行ってもそうなのに、今朝は最初の川沿いの道の渋滞が長かった。
ここでこれ以上遅れると、2分が15分、20分の遅れにもなりうるのである。
たしかにその渋滞は痛手だったけれども、その後は選んだ道がすべてうまくいって、
なんとか間に合うことができた。
この時間ならこちらの道、あの信号のタイミングならこの道、というように、
確実ではないけれど、データとの勝負で実にめまぐるしく計算するのである。

長欠のSは、明日には出てくるという連絡が入っているので、
Sの授業の課題監督はきょうで最後とはいえ、きょうは割り振りがなかなか難題だった。
胃検診日で、何人もの先生が午前中3時間ほど抜けてしまうので、
そこら中に課題監督やら時間割変更があって、割り振りに難儀してしまった。
緊急の大仕事を抱えている人にむりやり行ってもらったり、
空き時間がなくて悲鳴をあげている人にむりやり行ってもらったりした。
私も、2クラス同時監督をしなければならなくなった。
電車が大幅に遅れて、生徒の集合がまちまちなので、朝、急遽授業の内容を変更して、
特別にプリントを印刷しなければならなくなった。
少ない空き時間には、アンサンブルコンテストの文書の封筒づめである。
とにかく、いろいろと混乱の多い、バタバタの1日であった。

5限目が終わり、自分自身のきょうの授業が終わると同時に、
3週間に渡るSの自習も終わり、大イベントを終えたような解放感に包まれた。
ちょっと涙ぐんでしまうほどの解放感だった。
(ちゃんと明日来るかどうか確信も保証もないのだけれど、
 そう信じないと生きてはいられないような心境なのである)

けれども、また新たな厄介ごとが、、、である。
日曜日から、時折歯の激痛に悩まされていた。
昨日歯医者に行きたかったけれど、Sの課題の整備に追われて行けなかった。
きょうの昼、耐えがたい痛みに襲われ、その痛み方も頑なに凝り固まっているようなので、
解放感の中、早退させてもらって、歯医者に行った。
歯を自分で見た感じでは何ともないように見えるので、
痛いわりには軽い虫歯だろう、すぐに痛みからも解放されるだろうと期待してたのに、
かなり長い時間思いっきり神経をいじられて、涙の出る思いをした。
麻酔をしてもらっても、やはり痛い。
内部が炎症を起こしてぐしゃぐしゃになってる、などと言われた。
もう神経が全部死んでてもいいはずだが、半分くらい生きてる、
もっと神経を殺さなきゃいけない、消毒もしなきゃいけない、、ということで、
明日も行かなきゃならないし、しばらく通うことになるそうである。
歯医者は中学高校時代の仲間で、私がなかなか医者通いできないことを知ってるから、
何とか短期決戦に持ち込もうと頑張ってくれたのだが、あきらめたようである。

一難去ってまた一難だが、一難が本当に去ったのか、明日の朝までわからない。



2002年11月18日(月) 新鮮なタンゴのCD

先週の金曜日にCD屋に寄った際、「小松亮太ライヴ・イン・東京2002」を買った。
その場で見て、何となく期待して買ってしまった、早い話が衝動買いである。
最近、加古隆(ピアノ)のアルバムでバンドネオンの響きに魅せられていたので、
このバンドネオン奏者のアルバムを聴いてみたくなったのである。
正確に言えば、4人のバンドネオン奏者と弦楽合奏とピアノでのタンゴである。
それを今夜聴いたのだが、実にこれもまた刺激的な演奏である。
タンゴなんて陳腐なもの、と若いころ聴きすぎて食傷気味だったのに、
このCDといい、少し前に買った葉加瀬太郎(バイオリン)のタンゴアルバムといい、
実に新鮮で刺激的で情熱的ななタンゴを聴かせてくれる。
こういうのは確かに金で買ったのだけれど、金で買えないものももたらしてくれる。

それに引き換え、昨日手に入れた「日本の吹奏楽レパートリー第8巻 飛天の舞」は何だ。
「飛天の舞」とはいかにもゆかしき題名ではないか。
どんなに美しく幻想的な曲かと思いきや、まったくわけのわからん曲である。
併録の伊藤康英の「交響曲」なるものも、まったくわけがわからない曲である。
かろうじて真島俊夫の「三つのジャポニズム」は一応聞ける曲だったけれども、
職業意識でやっとこさ耐えられる程度のもので、そんなに心に入るわけではない。
解説は各曲をほめちぎっているけれど、誇大広告、あるいは詐欺である。



2002年11月17日(日) 道案内の日

中3の息子(以下「T」と記す)が卒業後に行きたいという学校の見学&試験日だった。
各種学校という分類に入るのだろうか、そういうことはよくわからない。
週1回だけ通う学校で、高校ではない。高校には行かないでここだけにしたいと言う。
小5の時から不登校になり、4年余りろくに学校に行っていないから、
親としては、積極的に何かをやりたいといってくれただけでも、
その可能性がたったの1%以下でも、何かの変化に役立ってくれればありがたい。
高校に行きたくないのに無理に行かせるのは本人にとって不幸だ、と、
日頃から言ってることは、自分の子どもにも同じく当てはめるのである。
これからいろいろあって行きたくなったら行かせればいい。

名古屋がその会場なのだが、岐阜の繁華街にひとりで行ったことがないので、
会場の場所の確認だけ付き添ったのである。
それだけすませたら、後はすべてひとりでやれ、と放っぽっておいた。
ひとりで外食経験もないけれど、昼食もひとりでとるように言っておいた。
いろいろと心配はあるけれど、せっかく本人が自分の思いで脱皮を計っているのだから、
そう何もかもサポートしてはいけないのだと、自分に言い聞かせた。

その間私は、ヤマハで楽譜を物色しようとして納屋橋に向かい、
そこの映画館で「トリック 劇場版」が始まる直前だったので、まずそれを見た。
店回りだけで6、7時間も潰すのは困難だし、Tの見学時間3時間の間は、
TからのSOS電話が入る気遣いが皆無だったからである。
「トリック」は、全体のストーリー自体は、テレビドラマ同様くだらないものだけれど、
細部が実におもしろい。
ヒロイン山田奈緒子のセリフが実に好ましく笑える。
脚本が、言葉の彩をうまくとらえて、驚くべきユーモアを提供してくれる。
いつもの手品トリックだけでなく、今回の映画では、
横書きの文を縦に読むという暗号の妙味を見せてくれたのがおもしろかった。

映画後、昼食をとっていたら、Tから電話が来て、「終わった」という。
意外な電話である。電話嫌いで、自分からかけるなんてことはほとんどない。
声もいささか弾んでいるようだ。
昼食をとるのが不安そうだった(中学生の癖に保護者なしで飲食店に入っていいのか、
と思ってるわけである)が、その会場のそばにマックがあるのを見てたので、
いざとなったらそこですませるだろうと、自分で対処させた。
ちょっとかわいそうかな、と思わないでもないけれど、
ライオンが我が子を崖から落とすほどの試練ではないのだ。
きょう私がついて行ったのは、道に迷って棒に振らないようにするためだけで、
その他のことは、何もかも自分の選択だぞ、ということを明確にしておかなければ。。。

ヤマハで吹奏楽譜ひとつとCDを2枚買って、喫茶店でくつろいでいたら、
試験会場で待機しているTから電話があって、試験の時間が予定より遅れたそうだ、
などとわけのわからないことを言う。
変だな、と思って、禁を犯して試験会場に行って会って話を聞いてみると、
4時40分から試験のはずなのに、1時間遅れるそうだ、と憤慨して言う。
まだ4時10分なのである。
まだ時間来てないよ、といっても、そんなことはない、5時も過ぎた、と言う。
ん??? と考えてみて、時計進んでない? と聞いてみて、時計を出させてみたら、
きっちり1時間先を表示していたのだった。。。

ま、いくらか波瀾もあり、この見学&試験で本人がめげるかも、と心配していたけれど、
わりと楽しげに試験から帰ってきたので、とりあえずはホッとしている。
問題はこれからだ。
道案内はまだまだ始まったばかりなのである。




2002年11月15日(金) 寝酒と寝ドラマ

GTO(全12話)を見終わった。
終盤は、愚かな教頭が文部省の官僚藤堂にのせられて、鬼塚と理事長を退職に追い込み、
喜んだのも束の間、全校生徒の登校拒否に遭い、藤堂がさらにそこにつけ込んで、
学園がライバル校に吸収合併されることになり、教頭も他の教員も失職。
いよいよ学園が取り壊されるという時に、鬼塚はクラスの生徒と校舎に立てこもる。
テレビでも報道され、大騒ぎの中、鬼塚は生徒たちと何をしようとしているのか?
火薬の袋を運ぶ場面もあって、ちょっと不気味である。
反鬼塚派だった他の教員たちも、テレビ報道をきっかけに目覚めて、
玄関に座り込んでの取り壊し阻止運動を始める。
しかし、ついに乗っ取り側が強硬策に出、
座り込んでいた教師たちと強行突破側との校門付近での大乱闘となる。
その大乱闘の中にも、鬼塚と生徒たちは校舎内に立てこもったまま現れない。
このあたりで、彼らが何か驚くようなことをするはずなのだが、、と思ってると、
夜空に打ち上げ花火がいくつも上がる。屋上かららしい。
大乱闘が静まる中、屋上に姿を見せた鬼塚が、学園祭の垂れ幕を下げる。
それまで校外で見守るしかなかった他の生徒たちも一挙に校内になだれ込む。
鬼塚がクラスの生徒と校舎に立てこもったのは、学園祭の準備のためだったというわけ。。

今週はほぼ毎晩寝る前に1、2話ずつGTOを見てきた。
寝るのが遅くなってしまうし、寝酒も増えてしまうので、健康上よろしくないが、
不登校教師Sへの怒りがこみ上げて眠れないよりはうんと健康的であろう。
こういう情緒不安定な期間は、中途半端な寝方をすると、
怒りだの憤懣など被害妄想などが頭の中をぐるぐる回って眠れず、
結局夜中に起き出して明け方まで飲み続けるなんて失敗も過去に多いのだ。
そういうときは、毎日の生活のリズムがめちゃめちゃになってしまうのだ。
横になったらあっという間に眠れるという状況を作らなきゃいけない、
というのが、一種の強迫観念のようなものになってしまっている。
寝酒の悪習も、過去のいくつかの精神的な危機の中で作られてきたものである。
困ったものだが、ふだんはできるだけほろ酔いで寝られるように心掛けてはいる。
とにかく今週は、あーおもしろかったーー、、、すやすや、、という眠りが必要だった。

今夜は、明日は休みなので、Sへの怒りもひと休みである。


(けれども、解放感のために飲み過ぎた。
 疲れも溜まってて、書き終わったころに一挙に睡魔に襲われた。
 書いたのに、登録しないままうっかりPCを終了してしまったので消えてしまった。
 翌日になった今、昨夜書いたものを思い出し思い出しして復活させてみたが、
 どうもすっきりまとまらない)
 



2002年11月12日(火) GTO、あのころ、、

先々週、GTOのDVDを手に入れたのは、菜々子さまの映像確保のためである。
それを先週の終わりごろから少しずつ見ているのだが、評判どおりおもしろい。
レンタルで借りて見始めたときは、時間が見つけられずに第1話の途中まで見たきり、
返却してそのままになってしまった。
その時は、学校というところを、しょうもない教員の巣くうところみたいに
極端に描いているような印象が強くて、好感が持てなかったためでもある。
そりゃ、どうしようもないやつも時にはいるけれど、
しょうもないことを躍起になって生徒に強いたりするおかしなことも時にはあるけれど、
こんなにひどいところじゃないぞ、というわけである。
菜々子さま夫妻誕生のきっかけとなった大切なドラマだと思っても、
その後わざわざ借り直して見ようという気は起こらなかった。

このドラマがリアルタイムで毎週放映されていたころ、子どもたちは見ていたようだ。
夕食のころに、「きょうはGTOだよ」と姉と弟が確認したりしていた。
な〜〜んにも知らない私は、それを聞くたびに、
「GTOって何や? グレイト・トイレット・オマルか?」と言って、顰蹙買っていた。
そのころは菜々子さまの存在もまったく知らずにいたのである。
ああ、何と無邪気で罪深い冗談を言っていたのだろう。
父がそのグレイト・トイレット・オマルに今ハマっていることは、家族の誰も知らない。

ちなみに、私が今GTOにハマっているのは、菜々子さまのためだけではない。
いまのGTOに対する思いについては、まだ別の機会に書くとしよう。



2002年11月11日(月) なんか違うような。。。

昨日風呂上がりにたまたまテレビをつけたら、学力問題を扱ったNHKスペシャル。
途中からなのでなかなかわかりにくかったが、某高校での「夢探し」の取り組みらしい。
進路指導の目玉になっているようだ。
夢を見つけられないために学習意欲が低下しているから、
夢を見つけることによって学習意欲を高めようという趣旨なのだろうか?

確かに目標はないよりあった方がいいだろうけど、
目標が定まりさえすれば学習意欲がかき立てられるということは、稀にしかない。
将来何になりたいかというハイレベルな目標でなくても、
○○大学に行きたい、○○高校に行きたいと強く望んでいても、
それが学習意欲につながるとは限らない。
志望校の学校の写真を壁に貼っておいて、それが励みになりうるのは、
勉強の波に乗れているときで、勉強できない限りそれは単なるポスターにすぎない。

学習意欲は「わかる」「楽しい」「楽しみ」によってかき立てられるのだろう。
勉強することによってわかる、知らなかったことを知るのは楽しい、
そういう味をしめることによって意欲を増していくのである。
そうして今度は、今はよくわからないけど、
だんだんわかるようになるだろうという楽しみ、期待がそれを増幅する。
そういう味がわかるようになるまで、イヤだろうがなんだろうが、
詰め込みだろうが押しつけだろうが、勉強を体験し続けるしかないのだ。
残念ながら、終始受動的な者は、この楽しさを知ることがない。
これはもう、こういう構造なのだから、いかんともし難いのである。

将来何になりたいか、どういう職業に就きたいか、
それを考えるのは無意味だなどと言うつもりはない。
けれども、最近はやけにこういう意味での進路指導が過熱している。
数年前から「あり方、生き方」なんて言葉が指導要領などに登場し、
最初はとうとうこういう倫理学的な問いかけが盛り込まれたかと喜んだのに、
実はそれは進路指導の徹底というところを狙っているらしくてがっかりした。
そんなもん、中・高時代に決められますかいな、と言いたいところである。
本当に決めて邁進できる者は稀である。
ちょっと考えてみるくらいのことはもちろんしてもいい。
けれども、それこそが学習意欲に結びつくみたいな発想は、幻想に過ぎないのである。
あまりこんなことに学校があくせくする必要はないように思われる。

昨日の番組で、ある生徒が、いろいろ体験した末にこんな抱負を語っていた。
まだ将来の夢は固まってはいないけれども、
「何になりたいかよりは、何を知りたいか、それを考えていきたい」
これだ。これこれを知りたい、これこれをわかりたい、これこれを学びたい、
そういうものを見つけることが大切なのだ。
また、そういう刺激を与えることが我々の仕事なのだ。

どうも、どんどん世の中が実利を求めて世知辛くなってるなー、と
これは長年のもどかしいような思いである。


これとはまったく別の話だが、きょう運営委員会に出てきた話である。
教頭2人と学年主任3人と生徒指導主任と教務主任で構成されている委員会から
授業の秩序を正す(グチャグチャな授業がある。私語に悩まされることも多い)ための
方策として、というか、そのための最初の手始めとして出されたのが、
チャイムと同時に教室に入るキャンペーンなのだという。
もうアホらしくて話にならん、という印象で受け取らざるを得ない。
確かに教室に入るのが遅い生徒はいるし、席に着くのが遅い生徒はいるし、
時間通りに動け、っていうのは正しいことだけど、
授業を始めても生徒の方は休み時間と大差なし、ではまったく意味がないではないか。
これは付帯事項としてつけ加えるか、または、
実質的な授業開始から終わりまでが正常化されてから徹底した方がいいだろう。
この学校運営の核に相当する面々が集まって、授業中どういう点に留意するべきかとか、
こういう場合にはこういう指導をする、ということを煮詰めるのならわかるけれど、
あまりに瑣末で形式的なことを大々的に押し出すもんだから、
ばかばかしくて文句言い始めたのだが、会議の時間もほとんど残ってないし、
私自身も突然の提案にあって、考えがうまくまとまらない。
問題のポイントがまったく外れているぞ、ということは明らかなのに。。。



2002年11月09日(土) 母の合唱コンサート

きょうは母が長年属しているおばさん合唱団の定期演奏会だった。
2年に1回のこの演奏会の時には、妻と娘もついてきて花束を運んでくれる。
もう75歳にもなっていて、隅っこで歌っている程度だけれど、
ほとんどこの団の誕生のころから在籍しているので、希少価値みたいになってるようだ。
他にもいろんな合同合唱や公募制の合唱にも加わったりして忙しくしている。

井戸清輔という合唱指揮者が30年も見てくれているので、着実に進化し続けている。
ヴォイストレーナーもいるし、20年目の伴奏者もいる。
コンクールにも出て、なかなか全国まで行けないと言っていたけれど、
今年は何のコンクールだったか、全国まで行けたようだ。
まあ、一応、どこにでもあるようなおばさんコーラスよりは、
かなりハイレベルな合唱をめざしている女性合唱団なのである。
40代が若手というほどの高齢な合唱だけど、おばさん臭い声はあまり聞こえない。

きょうの演奏曲は、宗教曲が1曲(5篇)、金子みすずの詩の曲が3曲、
新川和江の詩の曲が2曲、それから、休憩をはさんだ後半がおもしろかった。
後半の最初は「通りゃんせ」「金比羅船船」「南部牛追い唄」だったが、
尺八のアドリブ的な演奏と伴奏で、この尺八が一級品に聞こえた。
すばらしい音色である。特に、低音部の響きにゾクゾクするような魅力を感じた。
合唱の間に入り込んでも、ぜんぜん負けていない。
経歴を見たら、ひろおかわざんという人で、映画音楽も担当したことがあるという。
後半の後半は、「この空を飛べたら」「無縁坂」など4曲で、
こちらはピアノ伴奏にヴァイオリンソロを伴って、これも新趣向。
ヴァイオリンソロはイマイチだとしても、企画としては成功だろう。
私も、吹奏楽の演奏会にどのように吹奏楽とは違う音色を入れようかと腐心するたちである。

全体に、時間が知らぬうちに過ぎてしまう演奏会だったので、よかったが、
気になるのは、次の市吹の練習のための時間である。
娘を家に届けて、それからまた岩倉に走らなければならない。
駐車場を出る渋滞に巻き込まれては何時になるかわからないので、
終演と同時に駐車場にダッシュして、急いで車を出し、
やや遅れて急ぎ足でたどり着いたふたりを駐車場の通路で拾って、
ようやく群衆の姿が目立ち始めたばかりの駐車場をサーーッと脱出したのだった。

寒い日で、冷たい雨が時々降ってくる、雪の心配もしなければならないほどだったが、
会場は満席で、毎度ながら、おばさんパワーを感じさせられた。
ま、このレベルのコンサートなら義理で来ても得したという感じだろう。



2002年11月08日(金) 冷酷な心

今朝、起きてから、何をする気にもなれないまま、ぼんやりしていた。
老人のように早寝早起きのHP仲間が早朝にHP更新したりカキコしたりするので、
それを回ってチェックするのが朝の日課なのだが、それもせずにぼんやりしていた。
きょうもまた、Sに対する腹立ちやイライラと格闘しなきゃいけないかと思うと、
何もかもがイヤになってくるのである。もちろん、仕事になんか行きたくな〜い、である。
でも、やらなきゃいかんことを増やされているわけだから、行かないわけにいかない。

気がついたらもう出かける時間になっていたので、慌てて出かけようとして、
あれあれ、珍しいことに今朝は娘がまだ起きてはいないではないか、と、
それを声かけて起こすのに少し時間を取られたりして、車に走ったけれど、
いつもよりかなり遅い出発となってしまった。ピンチである。
昨日は、定刻に出たけれど、途中、いろんな車に行く手を阻まれたりして、
ラストスパートが運よくクリアできたおかげでぎりぎりセーフしたけれど、
朝起きたときから怒っていたりするとろくなことがないね、と結論した。
Sには罪がなくても、すべてSのせいだ、となってしまうわけである。
今朝のも、自分の罪なのに、何もかもあいつが悪いんだということになってしまう。
結局今朝も、何とか巧妙に走ってぎりぎりセーフしたけれど、怒りの肥料にはなる。
そういう自分を客観的に眺めて、ますますイヤになり、
それでも自分の思いがどうしようもないのを自覚して、さらにますますイヤになる。

朝の職員打ち合わせの後、教頭が私のところにやって来て、すまなそうに言う。
「昨日の検査で潰瘍が見つかったそうです」
そうですか、たいへんですね、大事にしてあげないとね、などという思いは微塵もなく、
この上潰瘍だと?!! どーするつもりなんだぃ! という思いが渦巻く。
それで入院が延びるとは思わないけど、それを楯にまたずるずる休むかも、
という恐怖に襲われる。
普通の同僚が病気で倒れてもこんな風には思わないけれど、
いちど破裂した心はなかなか修復できないものである。
わかっていても、こらえてみようとしても、やっぱりダメなのである。

ある先生にその話をしたら、
「潰瘍のひとつやふたつは、(誰にでも)ある!」とこともなげに言っていた。
「そうだねー、医者に行く暇がないから見つからないけどさー」などといって、
それから潰瘍談義に入って、談笑していた。

5限目に自習監督に行ったクラスはSの担任のクラスで、
授業によってはグチャグチャになることがよくあるらしいクラスだが、
大鏡の一節の書き写しをやらせたら、ひとりも寝ずに(驚異!)静かにやっていた。
途中、職員室に戻ることが2回あったけれど、相変わらず静かに書いていた。
終わってから、ある男子生徒のそばに男女3人ほど集まって、あと3行ほど残ってるのを、
励まして書かせていた。ふだんあまりこういうことをしない生徒らしい。
書き終わったら、周りの子が拍手をして、本人は照れくさそうに笑っていた。
実に楽しい光景である。
よくよく見たら、彼が用紙の書く欄を間違えていたので、
せっかく珍しくがんばって書いたのに〜〜、というわけで大爆笑になった。
ふだん行かないクラスにこうして顔出してみると、いろいろおもしろいこともある。
それとSへの怒りとは別物なのである。



2002年11月06日(水) 不登校教員(2)

で、昨日の話であるが、その前に先週のことを書いておかなければ。。。
彼は先週の水曜日に久々に休んだ。
その日は、1日限りであることを虚しく願いながら、自習課題の手配をした。

自習課題の手配とは、課題プリントを考えて用意して、時間割とにらめっこしながら、
自分も含めて空き時間になっている先生に監督を割り振って頼んで回るのである。
頼むのもつらいものであるが、頼まれる方もなかなかつらいものである。
いやむしろ、頼まれるつらさを知っているから頼むのがつらくなるのである。
はっきり断られたら、自分が2時間監督に行くこともある。損な役回りである。
実際、何時間目の空き時間にはこれとあれをしようと予定していることが多いので、
突然それを潰されたら途方に暮れるような事態にもなりうるのである。
けれども、たいていの教員は、1日2日のことなら、持ちつ持たれつということで、
しょうがないなぁ、と言いながらも好意的に協力しあうものである。
多少長期の入院になっても、病気ならしょうがないし、
自分の身にも起こりうることである限り、忙しくても我慢して協力しあうものだ。

木曜日も彼は欠勤だった。
首が動かなくなって、病院で2、3日で治ると言われたから、来週は出る、と、
電話の内容を教頭が教えてくれた。
もうこの辺から怒りでわなわな状態になるのである。いつもの手だからである。
とりあえずこう言っておいて、来週の頭には別の理由が現れて、2週間に及ぶのである。
これで3年目、年2回ずつ同じ手で苦しめられてきたのである。
けれども、彼の宣言は今のところ、金曜までということになっているので、
そのつもりになってそっとしておいてやるしかない。
下手に文句でも言って、それが刺激になって仕事に出られなくなったなんて言われては損だ。

で、昨日の話である。
朝職員室に入ったら、さっそく教頭から報告があった。
起きてから吐いてばかりできょうは休む、明日病院に行く、とのことだった。
今年の6月の時と同じである。
そうして、医者にしばらく行かない方がいいと言われたから休む、となるのである。
9割り以上予想していたことだったが、これで、ぶちっっ、と忍耐の緒が切れたのだ。
すぐに職員室から電話しようとして、職員打ち合わせ前でうるさくなってきたので、
生徒指導室に行って電話して、本人が出るや年上の相手に怒鳴りつけてしまった。
もう誰も自習監督行ってくれないよ、プリントも作りようがないよ、
みんな、腰が痛い、足が痛い、風邪ひいてる、頭痛い、憂鬱だ、と思いながら、
我慢して出てきて、4つ授業やったり会議に出たりして、
その上何日も、人の分まで働かされたりしては、たまったもんじゃないよ。
生徒はもう放っとくよ。ぐちゃぐちゃになるよ。放っといていいの?
出てこられないのがホントに病気ならしょうがないけど、
ホントにそんな病気なら休職するか退職するしかないんじゃないの?
・・・で、とにかく、今すぐ出て来てください、と強く言ってガチャンと切った。

それからしばらくして教頭に電話がかかってきて、とにかくきょう病院に行くから、
という話であった。
おのれ、またもや医者のお見立てを楯に何日も休む気だな、許せん!とますます怒り心頭。
とてもまともに授業ができる精神状態じゃないな、困ったな、と思いつつ、
授業に行っても、始めてしまえばいつものとおりできてしまうのが不思議である。

夕方、思いがけない報告に遭った。奥さんが持ってきた診断書である。
急性腸炎のため入院加療14日を要す、とある。身体の疾病であった。
普通なら、それを気の毒に思い、今朝の暴言を恥じ、後悔し、詫びるところだが、
そんな気は微塵も起こらず、まんまと逃げ込まれた、してやられた、と
腹立たしいばかりである。そして、約2週間をどうしのぐか、悩ましいばかりである。
入院も、医者と結託して避難場所を作っただけだ、そんなコネでもあるんだろうと、
もうそんな風にしか彼を見られなくなってしまっているのである。

学校を出てから、今後の課題の相談と入院確認のために病院に寄った。
見舞う気持ちなど毛頭ない、単なる課題の相談である。
病室に着いたら、ちょうど点滴の取り替えのようだったが、
それを見ていても、単に猿芝居でもしているようにしか見えない。
課題の相談をし、それ以外は何も話さず、きわめて事務的に、おだいじに、と言って、
終始不機嫌な表情のままで、怒りを露わにして、退散してきた。

断っておくが、私がひとりの人物をここまで徹頭徹尾悪く見、悪く言うのは、
教員になってから初めて、いや、生まれて初めてかもしれない。
それも、彼が本当に不登校だと判断できたのだったら、こうまで悪くは言わないだろう。
しかも、これで3年目とはいえ、教科主任という立場でなかったら、
これほど怒る必要はなかったかもしれない。去年も確かに怒っていたけれど。。。



2002年11月05日(火) 不登校教員

不登校予備軍の教員は、想像以上に多いだろうと想像するが、
そのほとんどは、仕事だからとこらえて、日々勤務している。
意に反してちょっと一生懸命になったりすると、案外いいこともあったりするので、
そんなささやかな喜びを支えに、自身の不登校傾向の心と闘っている。
本来仕事とはそういうものである。
好きで選んだ仕事でも、仕事となると好きとばかりは言っていられなくなる。
仕事とは本来イヤなことばかりで、イヤなことをするから報酬があるのである。
好きなことをするときは、我々はお金を払うものである。
好きなことを楽にしてお金までもらえるなんて、稀にしかないことだろうから、
妙な幻想を抱いてはいけないのである。

ところが、ごくごく稀に、お金をもらいながらイヤなときは働くのをやめる奴も、
不思議だけれど存在するのである。
自分の仕事を長期間人にやらせて、平然として自分の報酬を得るのである。
恐ろしい奴である。
本当に病気であれば、それは誰にでも訪れる恐れのあることなので、
持ちつ持たれつで協力し合うのは当然である。
ところが、この男の場合は、春と秋にそれぞれ2、3週間ずつ、
仕事に行きたくなくなって休むということを、10年以上も続けているのである。
それを、ちゃんと有給休暇の枠内できっちりと危なげなくやり通している。
こういう計算や打算の働くのは、病気ではない。
本当に精神の病だったら、そんな計算よりも病気の方が勝つものである。
計算できているうちは病気ではない。
病気になったら、どう考えても、頑張ろうとしても、体が動かなくなるものである。

それなのにこのSYという男は、俺は病気なんだと駄々をこねたりするそうだ。
ホントにそれが病気なら、教員には向かない、教員失格だから、退職すればいいのだ。
生徒も教員も迷惑なことこの上ない。
本当に不登校なら、生徒も続けられないし、教員も続けられないのだ。
大体において、不登校の教員なんてのは矛盾概念ではないか。
それを、俺は精神の病人なんだと威張れるのが異常である。
校長や教頭に逆らったとかいう理由でクビにするなんてのは言語道断だと思うが、
こういう奴を10年以上もクビにできないでいるというのはなぜだろうか?
教員として不適格な上に、常識も知らないのである。
仕事に出ている間はバリバリと生徒を指導しているかというと、
真面目な生徒に「いてもいなくてもぜんぜん変わんないよ〜」と
笑顔で平然と言わせる程度のものである。
私だったら、生徒にそんな風に言われたら、教員を辞める。
さらには、試験範囲も少なくなって嬉しい、とさえ言わせているのである。

・・・きょうのできごとを書こうと思っていたのに、
ここまででまたますます怒れてきたので、明日に回す。
とにかく、こういうわがままな休み方をする教員がいると、
我々の多忙を増幅するだけでなくて、生徒の指導も厄介なことになるのである。



2002年11月04日(月) 太陽神と一体化するファラオ?

さっきまで、ピラミッドの謎解明番組を見ていた。
解説部分の合間に、ピラミッドを作る再現ドラマが挿入されるがおもしろかったから。
以前感心した公共事業説も取り上げられていたが、
今回の目玉は、何のためにピラミッドはあの構造で作られたか、という点だった。

ピラミッド内部には、王女の間、大回廊、王の間がある。
王女の間の偽扉、大回廊のやたらと高い天井、王の間の石の箱が謎のキーワードとして
取り上げられ、さらに、ピラミッド外側の地下から発掘された船もヒントとなる。

ファラオの切望した魂の永遠の生命は、太陽の姿に託され、太陽神信仰となる。
太陽神信仰は、太陽に向かって飛ぶ隼と、力強い蠕動運動をする蛇をシンボルにする。
太陽神ラーは船に乗って、この世である昼と、あの世である夜を行き来する。
ファラオは、この太陽神ラーと一体化したいと願望した、という話になる。

ところで、今回の謎解きの1番のきっかけは、ピラミッドの入り口が、
四角錐の一辺の真ん中ではなく、わずかに東寄りにずれていることである。
左右対称に美を見出したこの時代の感覚にしてはおかしなことだという。
東寄りにずれているとしたら、東寄りにある王女の間、大回廊、王の間と対称的な位置に
同じものがダブって作られているのではないか、という仮説が生まれた。
調べてみると、実際、王女の間の壁の向こうに空洞があるのだという。
実際に掘って確認したわけではないけれど、たぶん仮説は正しいということになった。
つまり、今発見されているのと同じ空間が、西寄りにも存在するというのである。
そしてまた、もう一艘の船が東西対称的な位置で発見されたのだという。

そこで結論(仮説)である。
ファラオとピラミッドの設計者は、こういう構想のもとに建造したのだろうと言う。
死後のファラオは、太陽神とともに朝東の空に昇る。
そして、太陽から離れ、ピラミッドに飛んできて、王女の間に偽扉から入る。
エネルギーを消耗しているが、大回廊で蠕動運動をすることにより力を取り戻す。
そして王の間に入り、石棺の中でエネルギーを蓄える。
太陽が西に傾く午後に入ると、ファラオの霊は西側に移動する。
そうして、日没近くにピラミッドを出て、太陽に帰って行く。
こんな風に太陽神ラーと一体になって旅をしようとしたのだろう。
ピラミッドに帰るのは、エジプトの民衆に証を示すためである。

これはあくまでも、ファラオと設計者の構想ということだろう。
それでも俄には信じがたいが、こういう説を聞くのはやはり楽しい。
そのために、大回廊の天井は高く作られているのである。



2002年11月02日(土) 本番前夜の思い

明日は2回ステージで振らなければならない。
まず、昼に江南で尾張地区吹奏楽祭の混成バンドで3曲(約30分)振って、
夕方には岩倉で、岩倉市民音楽祭での市吹の演奏が3曲(約15分)。
混声バンドが終わったらすぐに岩倉に走って次の本番に備えるパターンである。

曲目は次のように決まっている。
【混声バンド】
1、アルフレッド・リード作曲「オセロ」(全5楽章)
2、ソーラン節 ロックヴァージョン
3、エル・クンバンチェロ
【岩倉市吹】
1、利家とまつ オープニングテーマ
2、ど宴会えきすぷれす
3、ど演歌えきすぷれす 第3番

近頃、胃の痛い思いをさせてくれてきょうも落ち着かない思いにさせてくれているのは、
この混声バンドの演奏の方である。
とにかく、90人も集まってくれて、初心者も少なからず混じっていて、
練習回数もたったの6回である。
完成度の高さは望まないにしても、まだ無難に通せた試しがないのである。

こういう合同バンドの本番を振るのは、私は大嫌いである。
意思の疎通がうまく行かないので、なかなか煮え切らない演奏になる。
混声バンドのトレーニングを10年続けてきたのは、
本番の苦痛をプロの箕輪氏がうまいこと取り繕ってくれるからである。
箕輪氏さえ文句を言わなければ、それで十分役割を果たせることになる。

ところが、今回は、明日・明後日と2回ある吹奏楽祭のうち、
明日は箕輪氏が新潟のバンドの演奏会で来られなくなり、
しょうがなく私が振らないわけにいかなくなった。
そうなると、今までは、本番はどうなってもプロの威厳でごまかせていたのが、
ごまかせる何ものもなくなるので、たいへんなことになるわけである。

明日、昼休みに練習を1時間ほど許されているけれど、どんな練習をやるのが効果的か、
それを決めるのも一苦労で、きょうもあれこれ考えては、まだ結論が出ていない。



2002年11月01日(金) 松井ついにFA宣言

朝、ラジオのニュースで聞いたときは、まさか、、、とショックだった。
けれども、もう今は、がんばって来い、という気持ちになっている。

松井が、できれば大リーグに挑戦したがっているだろうということはわかっていた。
けれども、巨人が勝つこと以上に松井が打つことを楽しみにしていたファンとしては、
生涯、巨人の松井です、ときっぱり言ってくれることを期待していたのである。
巨人は、松井がいないと勝てないようなチームではない。
けれども、松井が大リーグに行ってしまえば、
松井の活躍も巨人の勝利も、どちらも喜びが減ってしまうような気がするのである。

けれども、たった十数時間のうちに、気持ちはかなり変わっている。
大リーグが夢だったのなら叶えてあげたいし、
日本ではできなかった活躍をしてほしいと思う。
そう思う裏には、やはりあの高校野球時代の5打席5四球という悲劇の思い出があり、
シーズン中の多すぎる四死球の記録がある。
松井はあまりにもかわいそうだ、悲劇のヒーローだ、というのは、
ほとんど私の口癖のようになっている。


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