たりたの日記
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2003年05月31日(土) ハーブに熱いお湯を注いで

深夜、庭に下りて暗がりの中でハーブを摘む。
レモンバーベナ、レモンバーム、スペアミント、フェンネル。
湿った夜の空気の中にそれぞれのハーブたちの香りが立ち上る。
この時期の出たばかりのハーブは柔らかくてみずみずしい。
摘んだままのハーブをさっと水で洗い、ティーポットに入れ、その上から熱いお湯を注ぐ。
美しい緑色がさらに鮮やかなグリーンに変る。
3分もするとハーブの匂いが立ちこめ、お湯は美しい緑色に変る。
フレッシュハーブティーの出来上がり。

フレッシュハーブティーはそれぞれ一種類つづのハーブで作ってもいいし、2種類、あるいは3種類のハーブを混ぜてブレンドにしてもいい。レモンバームには鎮静や発汗の効果があり、フェンネルには消化促進、ダイエット効果、ミントには清涼感という具合にそれぞれに特徴があるので、どの効果も期待したい時はできるだけたくさんのハーブをブレンドする。
味を楽しみたいのならレモンバーベナのお茶が一番だろうか。

ローズマリー、セージ、ローレル、セージ、紫蘇、そしてほとんど雑草と同じ扱いを受けているどくだみもみんな熱いお茶を注いで香り豊かで身体に良い働きをするハーブティーとして飲むことができる。
そうやって作ったお茶を冷たくして飲むのもまたいい。
ハーブティーがおいしい季節になった。





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2003年05月29日(木) 今日落ち込んでいるのはPMSのせい?

私は人付き合いが甚だしく悪い。そんな気がする。子どもの時から仲良しグループでみんなと同じように波長を合わせるのが苦手だった。でも一人で取り残されるのは淋しいから、何とか無理にでもそのムードや話題に合わせようとする。そうするとむさむさと余計に淋しくなった。

そういうことを繰り返している内に一対一以外の関係から無意識のうちに遠ざかる傾向ができてきた。一人に向かってなら話せる話が3人、4人となれば、どういうわけだか心が閉じてしまう。というより、自分の出し方が分らない。そこで放つ自分の言葉がもうどこか真実でない感じがする。

子どもの時ははずされたくなくてひたすら八方美人を励行することで、そこを切り抜けてきたが、もうそれも止めてしまった。仲良しグループのようなものがないことに何も不自由を感じない年齢になってきた。表面的なところではなく、確かなところで理解しあえる関係を築いて行きたいと思う。

なんだか珍しく落ちているなぁ。もう子宮は無くなっているからその時がいつなのか、さっぱり分らないが、この不安定さはきっとPMSなんだろう。
そ、ホルモンに支配されている。
さて、こういう場合は何のハーブがいいんだったっけ。




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2003年05月27日(火) 湖に浮かぶ1000の島

見渡す限りの広い海のような湖をフェリーで行った

行く先々にぷかりと浮かぶ小さな島々

またひとつ、またひとつとすれ違う

その島にはちゃんと家が立っていて

小さな庭には花も咲く

そこには人が住んでます


ぐるりと水に囲まれて

少しこわくはないかしら

それでも朝 

目覚めた寝室の窓から

陽にきらめく水面がとびこんでくるのはいい

夜びは月や星星が暗い波にゆれるのはいい



そんなにも水とちかく

そんなにも人からはなれて

そんな暮らしがあることの不思議

いつの日か、10日だけ

湖に浮かんで過ごしてみたい



*「たりたガーデン」今回の表紙はそんな不思議な島の写真
 カナダのオンタリオ湖の北、1000アイランズです




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2003年05月24日(土) 母の姉を訪ねる

子どもの頃、母から母の姉の話しを良く聞いていた。それも一度や二度ではなく、繰り返し聞いていた覚えがある。当時は何も不思議には思わなかったが、なぜ母はまだ小さな娘相手に自分の姉のことを繰り返し話したのだろうか。母より10才年上の頼りに思っていた姉が東京にお嫁へ行き、淋しかったのかもしれない。わたしに話しながら姉のことを思い出していたのかもしれない。話しを聞くうちにまだ見ぬ母の姉、つまり私の伯母をわたしなりに心に描いていた。

さて、当時の私の家の壁に美しい女の人のリレーフの壁飾りがかけてあった。
白いベールからのぞく流れるような美しい髪、目は伏せていて、首をかすかにかしげてる。白い首の下には金色の十字架の首飾りが光っていた。それは幼い私が知り得る最も美しい女性の肖像だった。母はそれをマリア様だと教えてくれた。なんでも母の姉は結婚するまでは福岡の大学病院で看護婦をしていて、母が姉を訪ねた時、カトリック教会の礼拝に連れていってくれたそうだ。そのマリア様の壁飾りはその時、姉から買ってもらったものらしかった。

「教会ではね、みんなレースのベールをかぶってお祈りするのよ」と、母は何かうっとりするような調子で話していた。教会でレースのべールをかぶってお祈りする母の姉...。私は教会学校へ通ってはいたが、父も母もキリスト教徒ではなかった。それなのに、わたしや弟が教会学校へ通うことを親たちが奨励していたのは、母が姉に連れられて教会へいったことがあったからだったのか。家には仏壇もあったが、わたしにとっては、マリア様の壁飾りのあるところが最も神聖な場所、サンクチュアリだった。

話しにだけ聞いていた伯母に初めて会ったのは私が高校一年生の時、世田谷の伯母の家を訪ねた時だった。伯母は母に似ており、また従兄は私の母に似ていると思った。親戚というものと無縁に育ってきたから、親や兄弟と他人との間に位置する人たちがいるということを初めてのように理解したのだった。

結婚して埼玉に住むようになってから、それまで一番遠くにいた伯母や従兄達が一番近い親戚になった。そして時折り、伯母夫婦を訪ねるようになった。伯母には母の様子を伝え、母には伯母の様子を伝える。二人とも旅をするには身体が丈夫ではなく、もう10年ほども会っていないのだ。そして年を取るごとにお互いのことが気にかかるようになっているようだ。

今日は母と伯母の郷里佐賀を訪ねた時に買ってきたお土産を持って、久し振りに伯母を訪ねた。いっしょに行っていた夫が伯母と私を交互に見ながら、同じ目をしているねと言う。そうだとすれば、何か穏やかで、優しい空気をまとっている伯母のように年を重ねることができるのかも知れないと思った。




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2003年05月22日(木) 南の魔女から東の魔女へ

まいへ

はじめまして
「西の魔女が死んだ」という本の中であなたに会いました。

まい、出会いっていうのはいつも突然やってくるけれど、どこかでプランされていて、それは偶然ではなくて必然だという気がいつもしています。振り返ってみると、あなたに会うまでに、いろんな目に見えないステップを通って来たことが分るわ。

死んで魂だけになった西の魔女の取り計らいかもしれない。

こうして書いていると、わたしの頭の少し右上あたりから、「アイ ノウ」って言う西の魔女の声が聞こえてきました。
やっぱりね。

ある時、人に普通の人と少し違った近さを感じることがあります。
それは必ずしも血が繋がってるとか、同じふるさとの出身とか、同じ世代だとかではなくて、見たことも、話したこともない人だったりもします。さらにはこの世にはいない人である場合も。

まい、そう、あなたに不思議な近さを感じているけれど、あなたは本という世界の中に生きていて、みんながファンタージーと呼ぶ世界に住んでいる。いわば体のない魂(スピリット)だけの存在。

こんな手紙を書いてもあなたからのお返事はもらえようもないのに、それでも書きたいという気持ちが起こるのは、私もまたこの生きている世界とは別のところにあるファンタジーの場所ともいうべきところで、あなたにもそして西の魔女にも、また他にもたくさんのスピリットたちと交流できることを知っているから。

まい、わたしがあなたに書きたかったこと、それはこんなに「ほんとう」のことをよく話してくれたわという感謝です。

それが「童話」だから誰もその不思議に文句はつけられない。そもそも童話って不思議なものだと誰もが認めているからね。

でもね、わたしは子どもの時からファンタジーには2つの違うものに分かれると思ってきました。ひとつは書いている人が普通の大人で、少しも不思議の世界に生きていないのに、子どもを喜ばせようとして頭の中で創りあげた世界を書いているお話。もうひとつは書いている人が不思議の中に生きていて、それをそのまま書いたお話。

そういうファンタジーに出会った時は、読み進むうちにその「ほんとう」にわくわくしてしまう。「あぁ、胸にしまっておいたわたしの世界がほんとうにここに広がっている」って。「こんなほんとのこと書いちゃっていいのかしら」となんだか、どきどきもしてくる。

そうして、そういうファンタジーはわたしの中にあるファンタジーの世界に入りこんできて、ひとつの場所を新たに作る。

CSルイスの「ナルニア国」もゲド戦記の「ゴント島」も、たとえそのストーリーのディティールはおおかた忘れてしまっていてもその場所はいつまでも消えないでそこにあるわ。

まい、わたしがお風呂の中でいっきに読み上げたあなたの世界が、「ナルニア国」や「ゴント島」と同じようにわたしの中で場所を作ったことを知りました。

ガラスの上に書かれて指文字がわたしもはっきり見えたんだもの。少しも涙は出てこなかったけれど、お腹のあたりが熱くなってきて、西の魔女も、東の魔女であるあなたもわたしの場所で生きはじめたことが分ったわ。これがどこに繋がるのか、今はまだ見えないけれど、きっとどこかへ、何かへ繋がるとそんな予感もしています。

そうそう、西の魔女からあなたが教えてもらった「上等な魔女」になるためのレッスンはとても参考になります。またミントやセージのハーブティーをたくさん作って、それを植物にかけて虫から守る方法も。庭のミントやセージがもう少し伸びてきたら、作ってみよう。

では、東の魔女まい、西の魔女へよろしく。
楽しく修行に励むとしましょう。


南の魔女より




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2003年05月19日(月) 楽しくなくっちゃあ、○○の手習いは

昨日からピアノをどうやって学ぶか、英語をどうやって勉強するかということが、HPの話題になっている。中年というのは若い頃うんざりしてきたはずの勉強や稽古事をまた心新たに始めたくなる時期であるのだろう。わたしのジム通いや、ダンスがまさにそれ。〜せねばならないというところがはずれれば、昔はいやでたまらなかったことが案外楽しかったりする。

BBSでは、ピアノにしても英語にしても毎日少しづつでも続けていくのが王道だということになった。さて、後は毎日やるか否か。こういう時、オーディエンスがいるというのは効果がある。「今日は最低10分はピアノの練習をし、英語の勉強もする」と宣言すれば、PCに張り付いている時間を多少削ってもピアノの前に座ろうという気になる。家事をさっさとやっつけてできるだけ時間をつくろうという気が起こる。

さて、無事ピアノの前には座ったが、さて何を弾こう。難しいものはいけない。がっかりして挫折感ばかりが残る。昔やった教則本もよろしくない。しかられた場面が思い出され、いらぬトラウマに支配される。

あった、あった。こういう時のためにいつか本屋で見つけておいた楽譜があった。「Healing Piano Music ヒーリング音楽でリフレッシュ・癒しのピアノ」というタイトルがついてる楽譜。買ったばかりでまじめに開いてもいなかった。目次を見れば、TVドラマの主題曲からミュージカル、ジャズ、アイリッシュフォーク、ポップス、ゴスペル、クラッシックとおおよそほとんどのジャンルをカバーしている。しかもバイエル程度で弾けるように簡単に、それでいて和音などはけっして単純ではなく、気持ちよく弾けるようにアレンジがほどこしてある。さすが癒しのピアノ。運動でいえば、ちょうどストレッチのようなもの。特にハードな体力やスキルはいらない。それでいて体に効く、あのストレッチ。

ビル.エヴァンス、エルトン.ジョン、フォーレ、ショパンと好きな作曲家のものを選び出して弾いていく。なんとその楽譜の中には我が師匠、波多野睦美&つのだたかしの「サリー.ガーデン」も入っていた!すっかりこの楽譜に乗せられてしまった感があるが、練習とまではいかないにしても楽しいピアノタイムであったことには間違いない。

さて、モードはかなりお勉強とはかけ離れてしまっている。いくら英語の学習をやるといっても、ここで昔のビジネス英語のテキストを取り出す気はしない。ペーバーバックを読むという気分でもない。何かアーティスティックに英語をやりたい。

そうそう、こういう時のために、この前、ジュンク堂で見つけて買っていた本がある。斉藤孝氏の「からだを揺さぶる英語入門」という本を取り出す。シェイクスピアの「ジュリアス.ジーザ」や、ネルソン.マンデラのスピーチ、ウイリアム.ブレイクの詩「The Tiger」など、声に出して読むと心地よい英語が選ばれていて後をつけて朗読の練習ができるよう、イギリス人による朗読のCD付きだ。

斉藤氏が主張する、身体で英語を表現するというアプローチを面白いと思う。日本語は日本語の、英語には英語の言葉と結びついた身体の動きがある。氏は英語的な身体を「メリハリの利いた、抑揚のある身体性。緊張と弛緩の振り幅の大きな身体が、英語的な身体の根幹にある」と書いているが、分るような気がする。

子どもたちにマザーグースなどの詩を教える時、ダイナミックな身体の動きとともに発音させるとイントネーションやリズムがそれらしくなることを経験している。何よりも日本語とは違う身体の動きの中で英語を発音することが大切なのだと感覚的に感じていたことではあった。この教材は英会話の練習にはならないだろうが、英語のリズムや音の持つ勢いを身体で体得するには良い教材だと思う。何より朗読が好きな私は自分用の教材として気に入った。ここから教え方のアイデアも浮かんできそうだ。

さてピアノも英語も問題はこれから。なかなか気持ちにぴったりくる教材を見つけたのはいいとして、これを相手に毎日練習するかどうかである。




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2003年05月18日(日) 「わたしはまことのぶどうの木」 を描く

今日の教会学校のお話のテーマは「わたしはまことのぶどうの木」、(ヨハネ15章1〜10)だった。イエスは様々な教えを抽象的な言葉に寄らず、当時の人々の暮らしの中にころがっている事象を借りて、視覚的なたとえで話した。そのみごとなメタファーは、子ども達にとっても忘れられない映像となってその心のスクリーンに映し出されるに違いない。わたしの場合がそうであった。

小さい頃、教会学校で聞いた「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」という言葉はひとつの消えない絵になって心に焼き付いた。そして豊かに実を結ぶという言葉がいつの間にか言葉を越えて、自分を前へと進めていく力にさえなっていった。


教会学校の礼拝の後の分級、私の担当は幼児と小学校低学年だ。礼拝で聞いたお話を別な形でもう少し身近に引き寄せるのが分級の役割と心得ている。まずホワイトボードぶどうとその枝の絵を描く。数年前、友人と山梨でぶどう狩りをした時に聖書のぶどうの木のたとえを初めてのように理解したが、その時に見たぶどうの木を思い出していた。そのぶどうの木は、一本の木から無数の枝がどこまでも伸び、その枝、枝にはみずみずしく実ったぶどうがぎっしりとついていた。あの時枝からもぎとっては口にふくんだ甘いぶどうの味。木が根から吸い上げる養分と水が枝枝に送られ、その実にまでゆきわたっているという話しをする。また植物をうまく育てられる人のことを「緑の指を持つ人」っていうんだよなどと脱線もした。

それから子ども達に一枚づつ紙を渡し、ぶどうの木を描かせる。子ども達は思い思いに木やたくさんの枝やぶどうの実を描いていく。雨や太陽を描く子どももいる。木の下にはちゃんと自分を描いている子もいる。描いた絵をみんな披露し合っている時、ひとりの女の子が「ほら、緑の指」と言って親指を高く差し出した。かわいい親指の真ん中は緑色のマーカーで染められていた。
「ほんとうだ。Tちゃん、きっとうまくお花が育てられるよ」と私が言うと、
そばで見ていたTちゃんのお母さんがすかさず
「それじゃ、今日、ミニトマト植えようよ、指が緑色のうちに。」と持ちかける。

うんと考え込んでしまってとうとう何も描けずじまいだったK君は私が描いたぶどうの木の絵を喜んで持って帰った。彼だって心の中では描いているのだ。そばで見ていたお母さんとお父さんは気がかり立ったかもしれないが、無理に絵にする必要もない。

さて、遠い昔、小さかった私の心に焼きついたぶどうの木が今日、子ども達の心にも留まっただろうか。


*************************

ヨハネ15章1〜10    (新共同約聖書)

◆イエスはまことのぶどうの木
15:1 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 15:2 わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。 15:3 わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。 15:4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。 15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 15:6 わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。 15:7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。 15:8 あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。 15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。 15:10 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。




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2003年05月17日(土) 「アンネのバラ」が開いた

HP「たりたガーデン」の表紙に今年一番に咲いた「アンネのバラ」の写真を載せた。一昨年の冬に取り寄せた苗を植え、去年初めて咲いたバラが今年もまた咲いた。散ってしまう前にその姿を残しておかなければと、雨が上がったばかりの庭に飛び出して、ともかくカメラの中に収めたのだった。芸術的に写そうなどと考える暇なく、記録することだけを考えてシャッターを切った。

そんないい加減な心根で撮った写真にもかかわらず、そのバラは写真の中で生き生きとその命を現してくれた。この写真をうっとりといつまでも眺めながら、これはきっと私の庭に咲いたバラだから特別なのだろう。他の人の目にはどこにでもあるバラなのだろうと思っていた。ところが、何人もの方たちが、メールで、あるいは掲示板でこのバラのことを誉めてくださった。

このアンネのバラがどうして私の庭にやってくることになったか、まだ日記には書いていなかったかもしれない。遡れば、2001年9月11日のあの同時多発テロの直後、平和を望む人たちが意見を交換する「小さな声」のメーリングリストに参加した。私の書いた2001.9.11の詩も載っている「小さな声」の冊子は、朝日新聞の天声人語でも取り上げられた。そしてそのメーリングリストのメンバーに「アンネのバラ友の会」のNさんがいらした。Nさんを通してアンネフランクを偲ぶこのバラの存在を知ったわけだ。 

アンネのバラはベルギーの園芸家が、アンネ・フランクの思い出のためにと、アンネの父、オットー・フランク氏に贈ったバラで、1971年京都のクリスチャンの合唱団がイスラエル演奏旅行中にフランク氏と偶然出会い、その後の交流と友情の証として翌年のクリスマスに、フランク氏から京都の嵯峨野教会に10本のバラの苗が贈られたが、その1本が翌年の春、奇跡的に花を咲かせ、これが日本でのアンネのバラの起源となった。 アンネのバラはその後、接ぎ木で増やされ、全国の教会、学校、平和施設等に送られているとのことだった。

バラのように消毒や手入れが必要となる花はあまり私の得意とするところではなかったが、その平和の使者が私の庭にやってくることを夢みて、N氏に苗の手配をお願いしたのだった。植え付けにあたっては「アンネのバラ教会」のHPで学び、分らない点は教会にメールで何度か質問した。そのつど教会の牧師が丁寧に質問に答えてくださり、多少日当たりは悪くても地植えが良いという言葉に励まされ、初めてバラを地植えに挑戦したのだった。

去年の5月、待望のバラが咲いた時には本当に嬉しかった。そして2年目、バラはすっかり根を張り、株もいくらか大きくなった。全く消毒を施さなくても成長したと喜んでいたが、今年は一つ目の花が開いたところで蕾が2つ一夜のうちに虫から食べられていた。残る蕾を守るために消毒のスプレーをかけながら、花としてもこんな殺虫剤を振りかけられるのは不本意だろうが、咲かないうちに食べられてしまうよりはいいでしょと話しかける。でも花としてはどちらがいいのかは分らない。

この4月、15年振りに佐賀の伯母の家を訪ねた。そこには94歳になる伯母といっしょに住んでいる身体の弱い従姉がいるのだが、彼女が珍しいものを見せてあげるといって見せてくれた鉢植えのバラが「アンネのバラ」だった。遠く離れていて、しかも15年も会っていなくて、二人が同じ花を育てているということが何か感慨深かった。帰り際、その従姉はしばらく前に出版したという「おりがみ」という詩集を私にくれた。これまでも何冊か彼女の詩集を手にしてきたが、その度に彼女の持つ言葉の深さと繊細さに共感を覚えてきた。新しい詩集をめくるとそこには花のこと、自然のことが多く綴られていた。わたしのテーマとも言える「命の源」という言葉が彼女の詩の中にもあった。同じ喜びと悲しみがそこに流れているような不思議な近さ。
従姉の家の植木鉢の「アンネのバラ」もきっと今頃、開いていることだろう。そして彼女は日がな一日そのバラを眺めながら言葉を紡いでいることだろう。




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2003年05月15日(木) 朝ごはんに君を食べたい

朝、眠りから覚めて、まず食べたいものは何だろうか。
きっと人それぞれ食べたいものは違うのだろう。

わたしの場合、ここ1年くらい、朝ごはんはバナナと決まっている。食品に対して恋心を持ってしまうという奇妙な習性がわたしにはあるが、たいてい半年ほどで醒めるところ、このバナナとの蜜月は珍しく長く続いている。

手のひらにひんやりとするバナナをのせ、一筋皮をむくと、ナイフで切り取りながらそのままシリアルボールへ入れる。その上にとろりとしたカスピ海のヨーグルトをかけ、ドライフルーツやナッツやオーツが入ったミューズリーというシリアルを振り入れる。もちろんバナナは減農薬の高原バナナ。
バナナとりんご、バナナとオレンジ、バナナとぶどうといった具合にたいていどんなフルーツと組み合わせても相性がいい。全くいい人格(?)してる。

固いドライフルーツやナッツとねっとりした柔らかなバナナ。ヨーグルトの酸味とバナナの甘さ。これを常食するとご飯やパンはもう食べたくはない。
ミューズリーはかなり固いのでよおく咬まなければ飲み込めないから自然とゆっくり時間をかけて食べることになる。食べているうちにお腹もいっぱいになり、不思議と腹持ちがよい。そしてカロリーは決して高くない。

なぜこうも食べ物の話題になってしまうのだろう。夜中過ぎまで起きていて血糖値が下がってきているからだ。寝る前にバナナを一本食べるかどうかさっきから迷っている。




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2003年05月14日(水) アマゾン、今回は上出来でした!

我が家の青年Hは相当の金欠病と見える。母の日は携帯メールで済ませたのはいいとして、レポートの課題書籍を買う金がないと無心に来た。

財布を取り出しながらいくらなのかと聞けば4000円という。いくら洋書にしても課題図書にそれほど高価な本を指定するだろうか。何の本かと問えば「Chrysanthemum and the Sword 」えらく難しげな本のようだが、Chrysanthemumは菊の花のこと。なんのことはない、かの有名な、ルース ベネディクトの「菊と刀」の原本だ。アメリカ人が日本について書いた書いたいわば比較文化のクラッシック。翻訳本は文庫本にもなって普及しているこの本がペーパーバックで買えないなどとは考えられない。ペーパーバックであれば、高くて20ドルくらいだろう。それが4000円とはちと高すぎる。
「どこでその本見つけたの」とまだ財布からお金は取り出さずに追求を続ける。
「紀伊国屋に電話で聞いたら、在庫があるって、それで4000円くらいらしい。」
ちょっと待った。日本の本屋で洋書を買う場合、私の感覚だと不当に高いと感じることがままある。そりゃあ、本は重いから送料や手数料を入れるとそういう価格設定にもなるだろうが、今どきは直接アメリカの本屋にメールで注文したり、アマゾンのようなアメリカのネット本屋から買うという方法があるではないか。おい、おい、若者、しっかりしろ。

さっそくネットで調べるとアマゾンでのこの本が1545円で買える、1500円以上は送料無料だから、消費税を入れて1622円だ。しかも1〜2日以内に発送とある。
即注文。しばらくすると只今発送しましたというメールが届き、そして今朝、まだHが寝ている時間にドアベルが鳴り、アマゾンから注文の本が届いた。はやっ!まだ注文してから24時間経っていないというのに。しかしなあ、表紙に切り傷とか製本がひどいとかそんなこともあるらしいからとおそるおそるダンボールのパッケージを開ける。果たしてその中からは新品のぱりっとしたペーパーバックが出てきた。見れば定価は15ドル。それ
が1545円というのはどういうことなのだろう。アメリカは本にもディスカウントがあるから、こういうお得なこともあるわけだ。
アマゾン、今回はおみごと、見直したわ!
いえ、以前、中学生の英語クラスに使うためのDVDを注文したものの待てど暮らせど来なくて、とうとうラスには間に合わず、レンタルビデオ屋に走った。それ以来アマゾンへの信頼をすっかり失っていたのだった。

「H,起きなさいよ〜、本が届いたよ〜」
Hは寝ぼけ眼をこすりつつ早いねえ、と素直に感心している。

「へっへ、どんなもんだい、感謝しなさいよ。本代はあんたのレポートということにしてあげる。書いたら一部コピーして渡すこと、いい!」

母は恩を売ることも忘れない。




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2003年05月13日(火) 「整理整頓」と「ダイエット」って似てません?

ほんとうに久し振りに「整理整頓モード」に見舞われてみると、整理整頓ってつくづくダイエットに似ていると思う。

若い頃から何度もトライしてみて、そのうちすっかりあきらめてしまったダイエット。しかしこの年になって成功した。いや、まだ油断はできない。成功しつつあるというべきだろう。

しかし、このダイエット、やってみると実に気持ちがいい。運動で余分な脂肪を燃焼させる。不必要なカロリーを撮らないようにする。身体に必要な熱量と栄養素に気を配る。これだけのことで身体の線も動きもシャープになる。脂肪が筋肉に変れば、若い頃よりも体力に恵まれる。なにより気持ちや生活そのものが変化する。

ここ数年、家の中、自分の身の回りに不用なものをどっさりくっつけていることへの不快さが募っていた。しかし、整理整頓に取り掛かる気分はいっこうに訪れず、その不快さがかえってその状況を悪化させていた。ダイエットが挫折する時の「毒を喰らわば皿まで」の心境は整理整頓にもいえる。

さて、どういう気分の変化からか、めでたく「整理整頓モード」に入れたことはよかった。しかし挫折しないためには作戦が必要。ダイエットと同様、決してすぐに効果を期待しないこと。毎日そのモードを持続させること。自分の身体に不必要なものがどれほど身体を蝕んでいくのかをイメージトレーニングするごとく、不要なもので詰まった自分の生活環境がどれほど精神的に負担を与えているかを繰り返しイメージする。そして、脂肪を燃焼させるがごとく、時間を使って少しづつ事を進める。

ここで禁物なのは「見ないようにしよう」と現実から目をそらすこと。
根性のない私は若い時分からウエストの線やおしりの線が明らかになるような服は一切拒み、だぶだぶで上から下までストンとした服に我が身を隠していたものだった。しかしあれがいけなかった。今のようにぴっちりしたジーンズにウエストのくびれたシャツを着ていれば、鏡にいやでも現実の姿が映る。その度にこのラインは美しい、このラインは何とかせねばとチェック機能が働くではないか。

同様に、押入れの戸があれば見えないとばかり、その中に何でも突っ込むというのがそもそもの私。確かに戸があれば、中身は見えないが、その整理整頓されていない中身は知らないうちに心を圧迫するものだ。そしてだぶだぶの服を着ながら際限なく過食するのと同じ精神状態を引き起こす。それが嵩じれば、だぶだぶの服や戸では隠しきれない事態が待っている。

さて、この家の中にあるすべての不用なものを排出し、すべての物の位置がきちんと定められ、把握できる状態に持っていくというのが到達点。考えてみれば、食欲との葛藤がないだけ、ダイエットよりは簡単な気もするが。さてどうだろう。乞うご期待!




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2003年05月12日(月) ごつい手が差し出すピンク色の封筒には

かつて母というものもやったと、近頃はそういう感覚でいるので、今日が「母の日」と知ってはいても、もう自分とは関係ないことのように感じていた。

それだから、朝早く、2階から降りてきた次男がそのごつい手でわたしの目の前にピンク色の封筒を突き出した時には、「何なの?」という反応をしてしまった。
「母の日おめでとう」
そうだ、今日は「母の日」で、わたしはまだ母だったのだ。

ピンク色の封筒の中には薄いピンクに濃いピンクのカーネーションが5つ貼り付けてあり、リボンやハートやら細かい細工のしてある、きれいな母の日のカードが入っていた。カードの内側の右半分はぎっしりと言葉で埋まっている。

いえ、母の日や誕生日に子ども達からカードをもらったのは初めてのことではない。子ども達が小学生の頃にはそれなりににんまりと笑いがこぼれてしまうような手作りのカードをいくつももらってきた。

でも、このピンク色のカードに特別な感慨を抱いたのは、もう子どもとはいえない青年が母親に言葉を綴ってよこすという行為に、反抗やはにかみやそういうことからすっかり自由になったオトナの姿をちらりと見たから。彼が過ぎ越してきた月日の流れを想ったから。

「スクランブルエッグ作れるんだ。」
そういうと彼はフライパンに卵を2つ割りいれ、塩と胡椒を振って手早くスクランブルエッグをこしらえた。
「なかなかのもんじゃない。」
それは初めて彼が自主的に調理したものだった。

家を出て、教会へ行く電車に乗り込んだところではたと気が付く。
あのスクランブルエッグはわたしへのトリートだったのだと。
いつも母の日の朝には朝食の準備をする父親を真似て、父親に代わってその仕事をしたのだと。




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2003年05月10日(土) 整理整頓モードに入ってます。あぁ、健全!

深夜の1時45分。
これほどの夜更かしはそれほど珍しくはない。たいてい1時頃までパソコンに向かっていることの方が多い。
珍しいのはこんな夜中まで家事をやっていたこと。朝からずっと休みなくである。
1年に1度あるかないかくらいの頻度で「整理整頓モード」に陥る。いったんこのモードに入れば、台所から本棚からクローゼットからすべての整理整頓に取り付かれる。一日ではとても終わらないから3、4日はどこにも出かけないで篭ってその仕事をやり果せたいところである。ところが2日続きでフリーになる時はここ1年ほとんどなく、いえ、作ろうとせず、寄ってこのモードに入ることができないまま、整理整頓のできていない気持ち悪さをずっと抱えてきたのだった。

そのモードが今訪れたのは、息子の受験や引越しが終わり、舞台も終わり、新年度の生徒たちとの顔合わせも終わったからなのだろう。何にも縛られていない。何のノルマもないというのが、このモードに入るための必要最低条件なのだ。

昨日は衣類の選別や冬物も洗濯などで終わってしまったが、今日は我ながら良く働いた。食料品をストックしている戸棚のものをすべて出して、点検。食べるのを忘れてしまっていた麺類や粉類、乾物、調味料。賞味期限の切れているものもあり、この先食べる見込みもないものはすべて処分する。そもそも買い置きの量が多すぎるのだ。ついつい生協で先に先に注文するのが良くない。今週は生協の注文もしていないから、ストックの食料をできるだけ使ってしまおう。

お次はピアノの上、集めた人形やたくさんの写真のフレーム、CDやMDやカセット。これでは装飾ではなく単なる物置。みんな一度ピアノの上から下ろして埃を払い、レイアウトのやり直し。どれほどの時間もかからないことなのに、なぜこうもほおっておけたのだろうと思ってしまう。そうそう、整理整頓モードとかお掃除モードとかに切り替わっていなければ、細かいところへ気持ちが行きとどかないのだ。

本だなから本を全部取り出し、選別と並び替え。印刷物やファイルをすべて点検。もういらなくなった資料がゴミ袋2袋分。いらないものがすっかりなくなった本棚の中で本たちもここちよさそうに見える。キープ、キープ、このここちよさをキープすることと我が身に言い聞かせる。

しかし、まだ手がけたのはリビングルームだけ。それぞれの部屋や押入れをすべて整理するまで、何とかこのモードが持続してほしいものだ。
あぁ、そうすれば、きっと日常が変るのだ。




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2003年05月09日(金) ジャズにのって寿司たちはくるくると回転していた

最近は、家族4人で外食することもなくなり、焼肉の食べ放題などとはすっかり縁がなくなった(数年前は育ち盛りの子ども達と張り合って食べたものだったが)ファミレスさえもあまり選ばない。だいたいが夫と2人。ジムに行く前とか買い出しの帰りとかに手っ取り早く食事を済まそうというノリだから、もめることもなく、ラーメン屋か回転寿司ということで話しが決まる。回転寿司はヘルシーだし、量も自在に調節できるし、ダイエットを心がけている我々にとっては便利な食べ物だ。わたしはガリが事の他好きなので、作るとすれば手間隙かかるこの生姜の甘酢漬けが食べ放題というのはある意味寿司より魅力がある。

昨日、「ここにしようか」と車を止めた回転寿司屋は初めて入る店だった。店に入るなり、これまでに行ったことのある回転寿司屋とはちと赴きが異なることに気づく。まず店構えが黒を基調にしたシックなデザインで、壁やカウンターや待合席は天然木を意識的に使っている。寿司屋というよりはしゃれた洋風居酒屋の感じ。店内は薄暗く、間接照明が落ち着いた雰囲気を出している。これが行き過ぎるとまたイヤミなのだが、あくまで回転寿司屋の気安さを失っていないところで成功している。そして、あれっと思ったのが店に流れている音楽。それはジャズだった。

最近はジャズを流しているラーメン屋はそれほど珍しくなくなったが、ジャスの流れる回転寿司屋は初めてだった。音楽は空気を作る。そこにジャズが流れることで、寿司というこよなく日本的な食べ物が伝統や文化といったものからすっと解き放たれ、ひとつのエスニック料理のようなテイストが生まれる。日本の外から日本を見たような感覚。実際、そこには肉や野菜を使ったユニークな創作寿司がお皿にのっかって楽しそうに回転していた。ニューヨークのビレッジの寿司屋をくぐった時の新鮮な印象を思い出した。

「ラーメンとジャズも合うけど、寿司とジャズも合うよねえ。」
「演歌よりかよっぽど合う。」
と我々はすっかり気をよくしたが、しかし、これは単に夫も私も演歌が嫌いでジャズが好きだからであって、演歌好きのジャズ嫌いという人であれば、
「どういうわけで日本の食い物に日本の音楽を使わないんだ!」と苦々しく思うのかもしれない。
ま、我々としては、健康的で安く、その上雰囲気も悪くない食べ物屋を新しく見つけることができてよかった。

そういえば今日はつくしんぼ保育室の遊ぼう会。保育園児と英語とジャズというなかなかない組み合わせだ。

Be a wind .
Be a butterfly.
「風になろう、今度はちょうちょよ」

2歳児、3歳児のおちびさんたちがWさんの弾く即興のジャズっぽいフレーズをバックに、風になったり、ちょうちょやみつばちになったりしてくるくる回転しているのはわくわくする風景。

ついでに今書きながら聞いている音楽はEddie Higging Trio の「Dear Old Stockholm」
ピアノとベースとドラムの軽やかで優しい音が独りの夜を豊かに満たしてくれる。




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2003年05月07日(水) 夜の庭、花たちは話しをしているに違いない

昨夜もそして今夜も、夜の12時頃、ひとり庭に出て、しばらくの間そこにある椅子に座っていた。光りのほとんどない庭は花も木もみなシルエットになってその生き生きした色や形は見ることができない。それなのに昼間の植物にはない魅力がそこにはあって、なかなか立ち去れないでいる。

夜の植物の魅力。今朝の掲示板の書き込みの中でPさんが植物が言葉を理解するということについて書いていたが、植物たちは深夜にはよりいっそうかしましく話しをしているのではないかとそんな気がしてしまう。というのも、夜の庭には昼間の庭にはない、ひとつの空気があるからだ。この空気のことをどう言葉にすれば良いのだろうか。なにかなまめかしい、濃密なエネルギー。きっと植物たちはこの時間、たのしくおしゃべりしたり、愛を告げたり、演説をしたりと熱い思いで過ごしているのだろう。

今夜は風が強い。はなみずきの枝に吊り下げているウインドチャイムが風の微妙な動きを微妙な音に変える。だからこのチャイムの音は風の作り出す音。
しばらくその音を楽しんだが、今夜はチャイムを木の枝からはずす。夜中じゅう風に吹かれて音を立てれば、眠りをさまだげられる人もいるかもしれない。
花や木がこのウインドウチャイムの音を気に入っていることは知っているが。



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2003年05月05日(月) コンビニで柏餅を買ったこどもの日

今日が子どもの日だったということを思い出したのはドライブの途中、コンビニに立ち寄った時だった。次男のMと私の分のペットボトルのカフェオレと、ハーゲンダッツのアイスバーを2つづつ買ってお金を払う時、レジの横に柏餅が山積みになっていた。

「おっ、柏餅。うまそっ!」
「そうだ、今日は子どもの日だったね。柏餅も菖蒲湯も忘れてた」
そういいながらそこにあった柏餅を2つ取って加える。
「おにいちゃんはもう20歳越したからいいとして、君はまだ子どもだったもんね。」
そう、年齢からすればMは20歳まであと2年はある。しかし、この春、大学生になり親元を離れて寮生活をするようになった彼はもう子どもの日の柏餅がそぐわないような風貌を呈している。縦も横もぬうっと大きく、故意に伸ばしたあごの不精髭のためか、ついこの前まで高校生だったようにはとても見えない。

今日は連休で家に初帰省をしていたMを夫と私とで寮まで送っていったのだった。寮に取り付けるお下がりのエアコンとコタツ、夏布団やタオルケット、そして米や食料品を車に詰め込んで。

公団住宅のような鉄筋のアパートメントハウスが立ち並ぶ学生寮は木々に囲まれた静かなキャンパスの一角にあった。一年間の部屋代と共益費が合わせて17万という破格に安い寮費の割りには、6畳の一人部屋でベッドと机と洗面台が付いている部屋はなかなか居心地もよさそうだ。4階のその部屋の窓からは枝を広げ、新緑に覆われた大きな木が話しができるほど間近に見えている。入り口のドアを開けたままにしているとさわやかな風が通り抜けていく。

部屋は予想していたよりも小奇麗に片付いてはいるが、ラックの上に無造作に置かれた食器類や、食品を見ているとつい、片付けたくなって整え始めると
「お母さん、何にもさわらない。口出ししないって約束だったじゃない。」
とぴしりとやられる。
これをこうして、あれをこう置いてとアドバイスしようとしてもMは聞く耳持たないといった様子。
「好きなようにやるから」と頑固だ。
「しかたない。私が住むんじゃないんだものね。好きなようにやるといいわ。」とわたしもあきらめは早い。

学生の頃、惨憺たる夫(まだ夫ではなかったが)の部屋を片付け、住み易くしてあげた時、彼はこんな風には言わなかったが、そこが母親と彼女との違いなのだろうか。それともMが父親よりさらに頑固だということだろうか。こうなれば、彼が素直に言うことを聞く彼女が早く現れて欲しいものである。

ともあれ、クーラーを取り付け、こたつを組み立てるとずいぶん部屋らしくなった。その後、車でジャスコまで行き、カラーボックス、簡易掃除機、食器の水切り、米びつなど、あれば便利なものを買い足す。これで多少快適さが増したはずだ。もう当分ここへ来ることもないだろう。

毎日ご飯を炊いて自炊しているというが、今日はいったい何を食べるのだろう。聞けば友達のところで食べるか友達が来ていっしょに食べるかで、一人で食事することの方が少ないという。そういえば、わたしもそんなもんだった。
いよいよはじまったね学生生活。
ふっと淋しい。




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2003年05月04日(日) 心を見張ることもガーデナーには必要です

夫の実家では家の回りの草取りをした後、去年の夏に私が植え込みをしたままになっているプランターの植え替えをした。

去年植えた花のうち、宿根草のベコニアとランタナは株もずいぶん大きくなり、花も咲きはじめていた。花手鞠も無事だ。さすが宮崎、メドウセージは冬の間も枯れずに葉をつけたまま冬を越したようだ。私の家の庭のメドウセージは春になるとまた土から顔を出すものの、冬にはいったん枯れてなくなってしまうのに。


今回夫の実家のプランターに新たに植えたものはブルーサルビア、アメリカンブルー、八重のインパチエンス、アイビーを2種。それから花手鞠やベコニアの枝をいくつも切ってを挿し芽にした。今度夏に来る時には株も大きくなり、花をたくさん咲かせていることだろう。病気の義父が花の成長を楽しみにしてくれることがうれしい。

さて、今回の帰省では私の実家でも夫の実家でもガーデナーの仕事をしたのだったが、帰宅してみると我が家の庭の春の花たちには惨事が訪れていた。旅に出る前はばたばたしていて花への気配りを全く欠いていた。いつもだったら次男に水遣りの練習をさせ、バイト料を前払いして、植物のケアを頼み、出先からも電話で指示するほどだったのに、今回は夫に水遣りは頼みはしたものの、どういうわけか、花のことがあまり頭になかった。夫は水を遣ったというし、実際、雨の日も多かったわけだから、これほど徹底的に枯れるというのはちょっと考え難い。今までにないような枯れ方を見ながら花を枯らしてしまったのは私だと思う。私の思いが花に注がれてなかったせいだ。心が別のところへ向いていた。たとえば携帯から親指で日記を書くとか、そういうことに。
花たちに悪くて泣いてしまった。

くよくよしていてもしかたがないので今日は午後、花の苗を買いに行った。この際、夏の花に植え替えてしまおう。
毎年植える、サフィニア、ペチュニア、ベコニア、インパチエンスを数株づつ買って、パンジーやチューリップの後のプランターに植え込む。そしてメキシメキシカンセージはラティスにもたれかかるようなかっこうで地植えにする。秋の終わりごろには2メートル以上にもなって美しい薄紫色の花をたくさんつけることになるだろう。

パセリとバジルの苗も植え付けをした。バジルは種も買ったが芽が出て苗になるまでには一ヶ月以上はかかる。それまでは苗の葉っぱを少しづつ摘んで料理に使うことができる。バジルのパスタにバジルのサラダ、バジルに明け暮れる夏ももうすぐだ。

そう、植物への愛情がどこかへ行っていた。犠牲になってしまったパンジーやバラたちのことを心にとめてガーデナーの心意気を取り戻さなくては。

夫の実家の日めくりにあった言葉がふと甦る

「力の限り見張ってあなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから わく」
( 箴言4章23節 )

花たちのことが配慮できる時は自分の心をしっかり見守ることができている時。心を見張っていない時は花のいのちさえ守れない。




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2003年05月02日(金) 草をむしりながら広げてしまった大風呂敷

母が生まれ育った生家を訪ねる。私は15年前に祖母の初盆に来たきりだ。久しぶりに伯父や伯母や従兄達に会う。

広い座敷の一角に大きな仏壇があり、まずその前に座って線香をあげるというのがこの家の、そしてそれを継承している母のしきたりだ。母は今でも子供の頃教えられた通り朝は一番に入れたお茶と炊き立ての御飯を仏壇に供えている。母が子供の頃から朝に夕に手を合わせ、信仰心を培われたその仏壇に私もまた手を合わせた

しかしこの家で親から子へと脈々と受け継がれてきた信仰を私は受け継がなかった。21歳の時キリスト教の洗礼を受けたのだ。当然親は反対し、悲しんだ。

確かに親と子で信じるものが違うというのは不幸な事なのかも知れない。それが先祖崇拝であればなおさらのこと。死んだ者は家族の供養によって浮かばれるというのだから、親不幸と思われてもしかたない。しかしそれでも譲れないものがある。

ここ日本に於てはキリスト教徒は僅か1パーセントにも満たない。マイノリティーもいいところだ。幸い憲法で信教の自由が保証されているからいいようなものの、それでもしばしば不理解や誤解にさらされる。

多くの日本人は自分は無宗教だと言いいながら様々な宗教行事を行う。冠婚葬祭に伴う一連の仏教行事も神社への参拝も日本人なら当然するべき事として常識の範中に入れられてしまう。
しかしこれはりっばな宗教行為であってかなり個人的なことなのだ。

日本人が自分達の宗教心に無自覚である以上、異なる宗教や信仰を持つ人間を理解し受け入れることは難しい。そしてこれはアメリカ人にも言える。しばしば習慣と信仰がいっしょくたになっている、悪いことには愛国心とキリスト教をセットにしてしまっている。

信仰とは何なのかを自分の頭で理解し、自分の心で確認していくのでなければどんな宗教も間違いに走る。それぞれの神の名の元でどうどうと殺し合い、破壊しあう。人間は進化してきたはずなのに、間違いを犯し学習してきたはずなのに、宗教がらみの醜い争いは後を絶たない。

宗教は山の頂上を目指して各々がことなる登り口から異なるルートをたどって登っていくようなものでどの宗教も突き詰めてゆけば一つの神にたどり着くとする考えがある。以前「宗教的多元論」というタイトルで日記に書いたが、遠藤周作氏が主張するその考えに基本的に私も賛成だ。

「私はどこから来てどこへ行くのか」という問いを携えて一人山頂を目指して登る時、その上り口である宗教が何であってもそこに争いや反駁は起こらずに共感と理解が生まれると信じている。

問題は山頂を目指して登り続けているかどうか、まだ到達しない山頂があることを信じているかどうかだと思う。登ることを止め、これこそが正しいと神を自分の都合のいい場所に引きずり下ろす時、そこに反駁が起こる。戦争が起こる。

あぁ、どうしよう。とんでもない大風呂敷を広げてしまった。こんなはずじゃあなかったが。

明日2日にはここ夫の実家を出て帰路に着く。今日は一日庭の草をむしり、花の植え替えをした。手を働かせながら、頭は昨日書いた続きをしきりに考えていた。草と格闘する時間がたっぶりあったので考えは取り止めなく広がってしまった。




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2003年05月01日(木) オ-ブンから取り出したばかりの熱い言葉で

親指で書く日記にも慣れてきた。ノートに走り書きする方がまだ早いという事は分かっている。それなのにあえて頭に浮かぶ言葉をそのまま活字に置き換えようとするのには理由がある。書き写しがいやなのだ。打ち出す言葉や走り書きする言葉は言ってみればオ-ブンから出したばかりの焼き立てのパンのようなもの。身体の熱いところに沸き上がってきたものをできるだけ早く冷めないうちに文字に置き換えなければと思うから一筆書きのような勢いも生じる。ところが一旦外に出した言葉をそっくり移し替える作業はとても退屈。もう熱が冷めているので、その言葉を発した時と同じテンションでは綴れないからだ。でついついまた別の熱にあおられて書いていけば始めに意図したものとはえらく違ったものになってしまう。
そうかと言ってこういう書き方が決してほめられたものでないことは十分承知している。しかし性分なのだからしかたない。

さて、今私は私の実家を出て夫の実家へと向かっている。同じ九州とは言っても言葉もその土地の持つエネルギーも違う。そしてまた家風と言うべきものもことごとく違う。
しかし私の実家と夫の実家のどちらのエナジーが自分のそれに近いかといえばむしろ夫の実家の方なのだ。

それは信じているもの違いから来るのだろうと思っている。夫の家は祖母の代からのクリスチャンホーム。一方私の母はかなり信心深い仏教信者だ。いや正確に言うなら仏教がすっかり日本で再形成された先祖崇拝を中心とする日本仏教といわなければならないのかもしれない。

今回の帰省の目的が母親の墓参りに付き合うことだったから、それはそのまま母のそして母や父の実家や親戚の人間が共通して大切にしている宗教行事に付き合うということだった。
つづく




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