たりたの日記
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2003年04月30日(水) 話すように書けばいいんだって

今度の旅のバッグに入れてきた本はIf You Can Talk,You Can Write という本だ。5年くらい前ブッククラブのカタログで注文した本だったが読まないままだった。それが今ごろになって旅の御供に選ばれるということは、やっとこの本の時が巡ってきたということか。確かにふむふむ、なるほど、そうなのかと、的確なアドバイスや励ましをもらえる。

書くということをテーマにしたエッセイや実用書の類は目にすれば読んでみるがなぜかアメリカ人が書いたものが好きだ。教えてあげましょうといった説教くささがなく、書いてる本人が書くことが好きでたまらないというのが伝わってくる。文に勢いやリズムがあって、読んでいてふつふつとなにか童心をかき立てられるような気さえしてくる。書くことへの恐れを捨てて自分になれ、というようなメッセージがあれば、そのための具体的なアイデアが提供される。著者はたいてい大学やカルチャースクールなどでwritingのワークショプやレクチャーをたくさんやってきている人だからまるで話言葉のように平易な言葉や言い回しで書かれ、何より「伝えたい」という熱意に溢れている。

さてこの本の作者 Joel Salzmanが一貫して主張していることはこの本のタイトルにもなっている「話すように書け」ということ。ちょうどジャズをやるミュージシャンのように湧きおこってくるものに身を任せ自由に書けと。

学校の作文の時間にこんな指導がされたら誰でも書くことの喜びを早い時期に獲得することができただろうに。
ところで私は話すように書いているかしら。かなり気ままに楽しく書いてはいるが。





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2003年04月29日(火) ルーツ探索ツアー

今回の帰省の最大の目的は母の墓参りに付き合って両親の生まれ育った土地を訪ねることだった。母はこの10年間一度も墓参りをしていないことがここ数年の間気がかりの種になっていた。しかし年数が経つにつれだんだん実家に行き辛くなり、それでまた年数が過ぎるという悪循だった。今回弟と私の予定が何とか一致し、ようやく母の念願がかなう運びととなったのである。

無事一泊二日の墓参りツアー、わたしにしてみればルーツ探索ツアーの旅を終えて戻ってきた。私としては伯父や伯母や従兄弟たちとの15年ぶりあるいは25年ぶりの再会を果たすことができたわけである。

親戚が周りにいないという環境で育った私にとってこの旅はある意味プレッシャーでもあったが、血がつながっている人達に次々に会っていくと、そこにいくつかの共通するものが見えてきて興味深かった。そしてそこに横たわっている私のルーツのようなものもまた見えてくるような気がした。


2003年04月28日(月) 宙吊りから解放されて

さて前回の続き。

こういう状況で遺書を書くなんてこれは私のサービス精神の旺盛さがなせる業なのだろうか、それとも単純におばかな早とちり?

いずれにしろ心配は杞憂に終わり飛行機は40分遅れで無事着陸し、私は予定通り恒例の寄り道、温泉行きを決行することができた。

別府北浜でバスを降りると真っ先に飛び込んできたのは海の匂い。雨あがりのためかその汐の香りはいっそう強く感じられた。

テルマスまで海岸に沿って歩きながら海のエネルギーを取りこもうと大きく息をする。曇り空の下海は青く美しいいつもの海ではないけれどそれでもかなたまで続く海を見ていると力がみなぎってくるようだった。。

毎日海辺を散歩できたらどんなにいいだろう。湖でも川でもいい、水のそばに住むことにあこがれるのは子供の頃は山に囲まれ、今は山も海もな関東平野の中に暮らしているからだろうか。
そんなことを思いながら湯上がりのほてった顔のまま、夕方の電車に乗り込み実家のある町へと向かった。その町は山に囲まれた美しい町。なつかしい山々の姿もまたうれしい。



2003年04月26日(土) 空の上でのサスペンス?

4月24日の羽田までことは前回書いたので、今日はその続きを携帯で書くとしよう。今日のノルマの大掃除と買物と夕食の支度は終わったことだし。

24日の13時25分が私の乗った飛行機の到着予定時刻だった。しかし着陸のため一旦高度を下げた機体が急に高度を上げ始めた。何があったのだろうと思っていたら悪天候のため着陸ができないので上空で天気の回復を待つというアナウンス。でも相手はお天気、いったい回復の見込みはあるのかどうか。困る!実は実家に戻る前、私は空港から大分駅までのバスを別府北浜でで途中下車し、別府湾を臨む健康温泉施設テルマスで海を眺めながら泳いだりスパに入ったり温泉に浸かったりの3時間を過ごす予定なのた。天気がへそを曲げている時間が長引けばそれだけ、この旅で純粋にやりたい唯一のことにかける時間が少なくなってしまうではないか。まったく気が気ではない。しかし飛行機がいつまでも上空を旋回していると次第に想像力も逞しくなってしまって温泉はともかく何とか無事に地上に戻して欲しいと命乞いをしたい気分になってきた。祈りもしたが、ちょうど開いていたノートに遺書まで書いた。もしかすると遺族が目にする遺留品のノートの最後のページに感謝の言葉が記されていたら少しは慰めにるかも知れない
と。

(親指で書く日記はしんどい。つづきは今度)


2003年04月24日(木) 舞台に蒔かれた種はごつい石だったが

昨夜は2時にベッドに入ったものの明け方までほとんど眠れなかった。ミュージカルの公演の前の晩ですら前後不覚の爆睡状態だった私にとってこんなことはまず珍しい。しかし予測はついていた。昨日のシアターXの特別公演「ある杖つき振りつけ師の畑の日記」の衝撃は確かに普通のサイズではなかったから。いったいそこからどんな芽が出てくるのか何が生え出そうとするのかは分からないまでもあの時舞台の上に蒔かれた石の形のごつい種はそれを見ていた私自身の内にも蒔かれてしまったことを知る。

羽田空港までの
電車の中、目は車窓に映る風景を追いながらも心は昨日の舞台での出来事の見ていた。
すると言葉が、たくさんの言葉が降りてきた。啓示のように。いつか見つけたひとつの方角。その方角と同じ方位を振りつけ師の杖は指しているように思った。

電車の中だというのに涙がはらはらとこぼれた。この種のことをいつか書こう。






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2003年04月23日(水) 自分の場所から離れることの憂鬱

花曇、少し肌寒い。午後から英語学校の仕事へ出かける。今日は2クラスのみ。その後、両国の「シアターX」へ、ミュージカルで振り付けを担当してくれた舞踏家Sさんの公演を見に行く。きっと帰りは遅くなるから
明日からの九州行きの準備や何かで日記は書けないだろうと、ここを開くことにした。

実は明日から10日間も家を空けるということが憂鬱な気分を引き起こす。旅をしたい、外国に長期滞在したいなどと口で言う割りには私は出不精。自分の家が好きなのだ。

いっしょにいて気分がいい人間、寝心地のいいベッド、ハナミズキが窓一杯に広がっているダイニング(この窓の側のテーブルが私が言葉を紡ぐ場所)、視覚に入って気分のいい色や形、好みの味の食品のストック、好きな音楽に好みの本。自分の気に入ったものだけが回りにあるこういう空間はここにしかないもの。だから憂鬱。ここから離れるということが。加えてパソコンと離れ、庭の花たちと離れなければならない。それにしてもこの傾向は年と共に強くなってくるような気がする。

ところでこの日記、なんとか携帯電話から交信してみようと思っている。昨日、練習すべく親指で日記を書いた。ずいぶんたくさん書いた時に電池切れとなり書いたものはすべて消えてしまった。というわけだから、果たしてうまくいくかどうか。同じく携帯からBBSへの書き込みも「接続できませんでした」という表示と共に敢え無く消えてしまった。
さて、さてうまくいくかどうか。

****************

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2003年04月21日(月) アメリカンハナミズキが誘ってくれたあるイースターの記憶

いつの間にかアメリカンハナミズキの花が開いている。きっと夜通し雨が降ったのだろう。花びらや葉にはしっとりと濡れているその姿が儚げでいい。少し肌寒い春の朝、イースターの翌日のこんな静かな朝がなにか心地よいと感じる。木の枝の先に広がった花は地面と水平に開いている。ハートの形をした4枚の花びらは中央が白く、ハート型の窪みの部分は淡い緑色。花芯は優しげな花びらとは不釣合いなほど、硬くしっかりした小さなまつぼっくりのような形をしている。あたりまえのことだが、その花にしかないひとつの完成された美しさ。

ヴァージニアに住む友人のベスのところでイースターの休暇を過ごしたことがあったが、あの時道の脇といわず、家々の周囲といわず、いたるところにピンクや白のハナミズキが咲いていた。聞けばこの花はヴァージニアの州花だというから、日本の桜のようなものなのだろう。ところで州花になるほどの花であるのに、その名前はドッグウッド(Dog Wood)。なぜ犬の木なんていう風情のない名前で呼ばれているのだろうと思っていたが、この木は材木としては使えないし、秋になると付く赤い実もすっぱくて食用になならないから、役に立たない木というところからこの名をもらったらしい。この木は日本にやって来ると花水木と美しい名前が付けられたのだから日本には良い印象を持ったに違いない。その姿形も西洋の花とは思えないほど日本的でこの風土の中に溶け込んでいるような気がする。確かに最近はこの木を街のあちらこちらで見かけるようになった。

そういえば、あの時、ベスの夫が牧師を務める教会の礼拝の中で彼女のオルガンの伴奏でヴァイオリンを弾いたのだった。楽器を持参したわけではなかったが、彼女のところに彼女の母親が宣教師の友人から譲り受けたという古い楽器があり、その初めて手にする楽器で弾いたのだった。深い良い響きを持つ楽器だった。その曲のタイトルも忘れてしまったが、確か十字架をテーマにした讃美歌だったような気がする。ほとんど練習も無しで弾いたのだったが、礼拝の後にみなさんから感謝され、一人のご婦人が私のところに来て泣きながらありがとうと言ってくださった時には何かはっとした。私の下手なヴァイオリンでもその方にタッチしたものがあったのだ。その時のしみじみとした喜びの気持ちが今になって蘇ってきた。

ハナミズキの4枚の花びらが十文字に開いているところからこの花はイエスの十字架を象徴する花だともベスから聞いた。死と甦り。イエスの復活の出来事を、そのことの奥義をわたしはまだほんとうには分っていない。けれど、そこから始まっていったとてつもなく大きな恵みを、この命が息づく季節の中で感じていたいと思う。




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2003年04月19日(土) その人固有の文や声があるように、その人固有の動きがある

文は人なりと言われる。その人の使う言葉、文章、不思議なほどその人の本質、またその人固有のエネルギーが伝わってくる。しかしまた、声やしゃべり方を聞いても「あぁ、こういう人なんだ」と、文章ではひろいきれなかったところまで分ったりする。そして、動き。その人固有のリズムや動きの何と個性的なこと。その動きがやはりその人を現していることがまた興味深い。

今日は教会でイースターエッグの色染めをした後、夕方カルチャースクールのダンスの発表会を見に行く。ジムでラテンエアロを教えていただいているM先生の率いるダンスチームの踊りを見るのが目的だった。日頃、インストラクターの動きになんとかついていこうと必死にその華麗な動きを目で追ってはいるが、ステージでのダンスを客席から見るというのは初めてだった。

ステージのダンサーの中にはM先生はもちろんのこと、ラテンのクラスをいっしょに取っている顔見知りの人も数人混じっていた。今日のエントリーはラテンではなく、フリーダンスといわれるもので、むしろ私が別のインストラクターから受けているファンクに近いものだった。

さすがM先生の動きは抜群に切れがいい。またきりりとした印象はアーティストだなあと感じる。私と同じ20歳の子どもがいるお母さんなんてとても信じられないほど見た目も動きも誰よりも若く見える。ピチピチと跳ねているようなさわやかな少年っぽい動きだと思った。

同じ振り付けで踊っていてもその動きはそれぞれ個性が見える。マスゲームのように全体が揃ったところに生じる美しさではなく、そこにその人固有のリズムや形があるからこそおもしろいと感じるのだろう。あえて言うなら、まねをしようという動きではなく、その動きがその人の中で自分の動きとして消化されている時、どんな人の踊りにも美しさと快さが生まれるような気がする。

ミュージカルで踊りのシーンを繰り返し練習しながら思ったことであるが、ダンスで大切なのはまねではなく、その人固有の動きを動けるようにになることではないだろうか。しかし、これはダンスに限らずすべてのことにいえることなのかもしれない。音楽も、文章も、絵も、いかにその人固有のものとして消化され、個性化されているかどうかが問題になるのだろう。




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2003年04月18日(金) カプチーノに不義理を働いてしまった今朝のキッチン

毎朝、起きぬけにノニジュースを30cc飲む。それからやおらやかんを火にかける。お湯が沸くまでの間、陶器のポットの上にやはり陶器のカリタをのせ、漂白していない茶色のろ紙を敷く。それからミルクを泡立てるためのガラスのシリンダーのような細長いコップにミルクを100ccほど入れレンジでそれを暖めたあと、ピストンのようなものをシャカシャカと60秒間動かす。するとミルクはふわっつと泡立ち3倍くらいに量が増える。お湯が沸くと丁寧にコーヒーを入れてカップに注ぎ、そのふんわりとしたミルクの泡をたっぷりとコーヒーにのせる。たまにココアパウダーを入れたり、シナモンパウダーを入れたり、またアイリッシュクリームを入れたりもする。このミルク泡たて器(1500円だった)を買ってからというもの、朝のコーヒーがだんぜん楽しくなった。元はただの牛乳である。それが泡になっただけで味も、なにより気分が違ってくるから不思議だ。泡って、顔を洗う時の泡にしろ、たまに湯船に仕立てる泡風呂にしても、なんだか幸せな気持ちを起こしてくれる。あのふわふわと優しげな感触が心に良く作用するのかもしれない。というわけで泡のコーヒーを私は朝一番の楽しみにしているのだ。

ところが今朝はちょっとばかり様子が違っていた。やかんにお湯をかけておきながら、やっぱりやめたとばかり、やかんをおろし、小さな鍋を取り出してそこにミルクを入れる。コーヒーをやめてミルクティーを作ろうというのだ。
Fさんのコラムで紹介されていたチャイという飲み物を昨日の夕食の後に試しに作って飲んでみたのだが、その飲み物の味がずっと頭に残っていて朝目覚めたと同時に飲みたいと思ったのだ。しかしチャイを入れながら、なにかカプチーノに対してひどい裏切り行為を働いているような気になり、「やっぱり朝はきまりのコーヒーでなくては」とばかりにミルクの鍋を下ろしてやかんをかけなおす。しかしやかんのお湯がしゅんしゅんと沸いてくるや、あのこってりと甘くスパイシーな飲み物の味が頭を占領しはじめる。「やっぱしチャイにしよう」カプチーノに対して多少の後ろめたさを感じながらも今朝はチャイを飲むことに決める。温まっ牛乳の中に紅茶の葉っぱを入れてゆっくりと煮出し、白いミルクが茶色に変ってきたあたりで火を止め、カップに注ぎ、蜂蜜を入れ、そこにシナモンパウダーを入れる。昨日はスパイシーなガラムマサラを入れたが、朝にはシナモンの方がいいかもしれない。

おいしい!甘いコーヒーや紅茶は苦手だったはずなのに、このミルクで煮出した甘い紅茶のこくと豊かさはいったいなんなの。泡のコーヒーとはまた違った豊かさ。イタリアとインドの違いなのかしらん。でも、この頭から離れない味っていうのがちょいとこわい。というのも私は以前納豆とミントに狂ってしまって、それがなければ生きてゆけないほどにはまりまくった。ああいう囚われはちょっと避けたいという気がするが、なにか危険な予感。




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2003年04月16日(水) Dがアナニス.ニンの本をくれたことの意味

しばらく読書に熱中できないでいた。出かける時にはバックの中に必ず一冊以上の本を入れてゆくのだが、開かないまま持ち帰ることが最近多かった。今日仕事へ行くバッグの中に入れていった本は「アナニス.ニンの日記」。ずいぶん前に夢中になって読んだ本だがしばらく開いていなかった。ふとまた読んでみたいとバッグの中に入れたのだったが、行きの電車の中で没頭してしまい、降りる駅を危うく通り過ごすところだった。前読んだ時よりもさらに彼女の言葉が浸透してくる。どの言葉も味わい深い。あの頃の私は単に読み手でしかなかったが、今は曲がりなりにも日記を、それも人の目に触れるところで書いているからだろうか。何より、ニンが日記というものへ自分を流し込むその気分が良く分かる。


フランスが舞台になっているので彼女はフランス人とばかり思っていたが、実はフランスに住むアメリカ人だった。しかし彼女の中にフランスの女性ならではのものを感じるのは彼女がパリで生まれ、11歳までをそこで過ごしたからだろうか。アメリカであろうが、フランスであろうが、私の生まれ育ったこの国とは似ても似つかぬ国であることは間違いがない。それなのに、彼女の言葉はあまりに親しく、私自身の内にある言葉と呼応する。

アナニス.ニンはヘンリー.ミラーとの交遊録を含む60年間に及ぶ日記で脚光を浴びたが、彼女はヘンリーと関係を持つ一方でヘンリーの妻である、自由奔放なボヘミアンのジューンにも惹かれ、強い影響を受けている。今手元にある日記は彼女の膨大な日記のうち、1931年から34年までのヘンリーとジューンに会った当時の日記で、映画「ヘンリーとジューン」にもなったものだ。

そういえば、アメリカに住んでいた頃、一番親しくしていた友人のDとニューヨークのバーンズ&ノーブルという本屋に入った時、彼女がそこでアナニス.ニンの著書を買い、本屋の中にあるカフェでその本の扉に私への言葉をとサインを走り書きしてからプレゼントしてくれた。Dはボヘミアンの芸術家を両親に持ち、ニューヨークのビレッジで生まれ育った人だが、私の生まれ育った世界とはまるっきり異なる世界に私はすっかり魅了されていた。10歳年上の彼女を心から慕い、また様々に影響を受けたが、自分の言葉を文章に綴るようになったのも「あなた自身の物語を書きなさい」と常々言っていた彼女の影響のような気がする。それにしても、彼女はあの時本屋でなぜ私にAnais Nin の「Delta of Venus」という本を選んだのだろうと何か分りきれないでいたのだが、今日アナニス.ニンの日記を読みながら、はっと閃いた。ジューンに寄せたアナニスの想い、それが私がDへ寄せていた想いと似ていることに思い当たったのだ。ニンはジューンに会うことで、自分を解放していったが、私もまた、Dと接触することで、私が知ることのなかったもうひとつの私を見出していた。そしてDは私が私自身の中にある頑なさ、また不自由さをなんとか振り払おうとしていることを認めて、それを助けたいと思ったに違いない。




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2003年04月15日(火) 母子感染は免れたようだけど

一説に寄るとユウトウセイビョウというビョーキがあってそれは母子感染するらしい。とするなら私は幼児期、学童期にその病気にみごと感染してしまったのかもしれない。子どもがよその親から、あるいは教師から誉められることが何より親を幸福にすることを察知してしまったためか、あるいは運動神経が甚だしく鈍く、ドッジボールを真っ先にぶつけられるような子どもであれば、教師からみんなの前で誉められたり、賞状をいただいたりすることでようやく自分の価値を認めてもらおうと苦戦したからか、幼いわたしはユウトウセイになることでこの過酷な子ども時代をなんとか生き延びる道を選択した。そして、それはそれで他から認められるという自分のポジションを確保することに成功はしたのだ。しかし、これがくせもので、このビョーキは何より自己を蝕んでゆく。本来の自分が出せないだけでなく、本来の自分が何なのか分らなくなる。ひたすら他からの評価に左右される。不評がことの他おそろしい。そしてまたユウトウセイは教師からは重宝されても、友人からはどこか煙たがられたりもし、何かと孤独なのだ。そしてそれがまた不安の種となる。

この症状を自覚し始めたのは中学校3年の時だっただろうか。その反動で高校生の時は教師批判、学校批判のリーダーよろしく、校庭でギターをかき鳴らしながらプロテストソングを歌っていた。しかし、それもかなりまじめに反抗するわけだから、それはそれでユウトウセイに変りない。そしてそのビョーキを温存したまま成長するはめとなってしまった。時にこの菌を保持していることを見破られたりする。きっと見破った人間もまたその菌の保有者ではないかと密かに疑っているが。

母子感染するらしいユウトウセイビョウはしかし、我が家の2人の男子には感染せず、彼らはみごとにその悪しき連鎖を断ち切ったもよう。彼らのかっこうだけみれば、誰しも「親の顔を見てみたい」というだろう。もう少し、身奇麗で頭の良さそうな格好をしてくれればいいのにと思いながら、どこかでこういう結果に安堵しているのかもしれない。彼らは全くもってユウトウセイではない。

でも彼ら、この社会の中でどんな風に生き延びていくんだろう。きっと私の思い描けないところで生きてゆくのだろうが。
悪いけど、後のことは知らないわ。好きにおやんなさいね。




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2003年04月14日(月) 宣言、脱ぎます!

脱ぐと言っても、HPに声や顔のみならず裸体までを晒そうっていうんじゃないので悪しからず。

確かに一年半前、ここにダイエット宣言をした時から10キロ減で、これはもうりっぱに、使用前、使用後のモデルにだってなれそうだが、そのモデルを買って出るつもりもない。

わたしが脱ぐのはファンデーション。
つまりすっぴん宣言というわけ。オトコの方は、あるいは化粧しないことを常にしている方にはこの決意がどれほどのものかちょっと分らないと思うが、これは私的にはちょっとした革命。

出かける時に、まずすることが顔の壁塗りと決まっていた。いえ、それが好きというのではなく、そうしなければならないと思い込んでいた。特に人と会ったり、仕事に行く時にはいわゆる身だしなみとして不可欠だと。肌の具合が良くないのであれば、塗って隠せば良いとばかりに。

ではなぜ、「脱いで見ませんか、ファンデーション」というキャッチに載せられてまんまとその気になったか。それでちょっとばかし高い化粧品をどんと揃えてしまったのか。

それはミュージカルでごいっしょしたMさんの影響。彼女60歳というのに肌はつるつるしかもすっぴん。20は若く見える。わたしは10は若く見えるといわれて嬉しがったりしていたがそんなもんではない。しかし、それが彼女の使う化粧品の故だと聞いても「そんなはずはない。それはあなたの肌が特別なのだわ」と内心思っていた。私のように若い頃からにきびに悩み、化粧品にはすぐかぶれるという難しい皮膚を持つ身としてはすっぴんのつやつやなんて望んだこともなかったから。せいぜい、負けない化粧品を見つけるのがせめてものこと。

ところが、ミュージカルの公演で一日中、あのドーランを塗りたくっていたにもかかわらず、肌が荒れるどころかつやつやしてるではないか。これはきっとドーランを塗る前と取った後にメーキャップ担当のMさんが用意してくれた秘伝の基礎化粧品で肌を整えておいたからだと思った。


それでMさんのお誘いを受けて、そのイナータスとかいう化粧品のフォーラムへ行ったのだが驚いた。その会社の64歳の創設者も、またインストラクターの方たちもみなすっぴんのつるつる。ファンデーションをつけていない素肌は自然で美しくみずみずしい。若い子たちがつるつるすべすべというのなら話しは分る。しかしそこにいたのは、みなわたしと同じかそれ以上の年齢の人達。これはいったいなんだ!

というわけで、「あなただって、こういうふうになるわ」と言われたその言葉を信じて脱ぐことを決めたという次第である。
今日で5日目。仕事も教会もデパートもすっぴんで。でもすでに肌のコンディションが良く、しわさえも消えてしまったかのよう。誰からも顔色悪いねとか、化粧もしないでどうしたの?なんて言われなかったし、ジムで運動している時も鏡に映ったわが面はいつもより若くみずみずしく見える。だいたい、ファンデーションなんて皮膚呼吸を妨げているわけだから皮膚に良いはずはないのだ。ただ素顔になるのが怖くて一枚面をつけていたのだ。

さて、さて、そもそも、私の方向というのは心をすっぴんにしてことがらに向かうということだった。いつの間にか身につけてしまったいろんな「らしさ」や窮屈な「枠」から自分をひょいと取り出して、本来の自分の顔をしようと思ったのだった。ファンデーションを脱ぐだけでなく、心に重ねられた薄皮もハラリ、ハラリとさらに脱いでいくのだと決意も新たな春。




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2003年04月12日(土) 違和感の起こらない他人を求める心

昨日HPの掲示板に2年前の6月に高橋たか子の著書について書いた日記のリンクを貼ったが、2年振りに自分の書いた文を読み返して、その時の自分と今の自分の変ったところと変らないところについて考えを巡らせていた。

高橋氏は小さい頃から、人に対して何かしらの違和感を感じ、出会う人との違和感をとおして、自分に目ざめ、他人に目ざめ、人間に目ざめ見つめることを、日々してきたという。そして、その出会いの貪欲さは、もしかしたら違和感の起こらない他人がどこかにいるのではないかという強烈な夢が彼女の一生を貫いていたからだとも。

私は彼女が語る言葉はまるで自分の内から出てきた言葉のようにことごとく共感する。2年前もそうだし、今でもそうだ。あの頃と今、何か違うものがあるとすれば、あの時点では書物の中に作家の中に高橋氏が言うところの「違和感の起こらない他人」を探していた。そうして共感できる言葉に会うと、その人の言葉ばかり浴びるように読んだ。高橋たか子もそんな一人で時折り、お風呂に浸かりたいのと同じような欲求から彼女の言葉に浸りたいと身体が欲するようだった。しかし、今、読み手として求めるだけではなく、書き手として、共感を持って読んでくれる人と出会いたいという「強烈な夢」が自分に起きていることを知る。文章だけではない。自分の作った歌に、また歌う歌に、そしてまた私という個に、違和感を持たない人をできれば共感を持ってくれる人を探し求めている。それは自分が曲りなりにも表現する者というところに立っているからだろうか。

今日、私が以前書いた日記が非常に胸に響いたと書いてくださったメールを読みながら、そんな自分を確認したのだった。そう、人と自分とは決定的に違う。違和感しかそこにはないはず。にもかかわらず、ある一点でクロスするのならば、その点ををもっと間近で見たい、その理由なりを知りたいと欲する気持ちが起こる。しかしそれこそが孤独のなせる業なのだろう。どこまで行っても一人でしかないという本質的な孤独の。




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2003年04月11日(金) 秘伝バナナケーキ、レシピいよいよ公開

なあんておおげさなタイトル掲げたけれど、これほど簡単なケーキはないかもしれない。それにもかかわらず、決まっておいしいと誉められる。またこれがなぜか年老いた親たちにも評判が良いので時折り宅急便で届けたり、帰省に際のお土産にもする。

このバナナケーキをかれこれ27年間焼き続けているのだが、そもそもこのレシピはまだ学生の頃、地区の青年会(年に数回、近隣のいくつかのキリスト教会から青年たちが集まる集会があった)のリーダーだったMさんから伝授された。彼女はアメリカの友人から教えてもらったというこのレシピで作ったバナナケーキとキャロットケーキをどっさり焼いて飢えた若者たちにいつもふるまってくれていた。スポンジに白いクリームや苺がのっかっているケーキしか知らなかったその当時の私はそのざっくりした、色の黒い、見た目はとてもおいしそうには見えない焼き菓子にカルチャーショックを覚えたのだった。まさしく赤毛のアンかなにかの小説に出てきそうなお菓子だったからだ。見た目とはうらはらにバナナの香りやにんじんの風味が生きており、シナモンの香りもすばらしかった。将来、家庭を持ったらこんなケーキを焼けるような主婦になりたいと当時の私はごくごく単純に、また素直に自分の将来とこのバナナケーキを結びつけたりしたものだった。この時の決意が今も後を引いているのか、教会で持ち寄りのパーティーがある度に、また人が多く集まる場所に行く度にこのケーキを焼いてきた。というか最近はめんどうくさくって、これしか焼かない。毎回違ったお菓子を焼いて持ってきてくださる方がいらっしゃると、見習わなければと思うのだが。

さて、一番最近では先週の金曜日に大量に焼いた。まずはこの日のデザートのトライフルの土台用に大きくて丸いクッキー缶に薄くして焼く。いつもはスポンジケーキの土台にするところを横着にもバナナケーキで代用し、このケーキ台の上に卵と牛乳等で作ったたっぷりのカスタードクリームを乗せ、その上にホイップした生クリームを重ね、上に苺とキウイを飾る。スポンジケーキよりもしっとりとしたトライフルになった。次に同じ生地を大きなドーナツ型のケーキ型に流し込み一度に焼く。これは翌日の朝食用とミュージカルの仲間用としてかなり大量に焼いた。

さて、朝食にバナナケーキを食べていると不意の来客。寮へ向かう次男を見送るために友人が3人わざわざ駆けつけてくれたのだ。朝の8時という時間、ざんざんぶりの雨の中、わざわざ電車を乗り継いで家まで訪ねてきてくれて、もう感激!すぐに家に入ってもらってこのバナナケーキとピーチの紅茶をサーブする。この女の子2人と男の子の若いお客様にもこのケーキはウケタ。少々量は少なくなったけれど、楽屋へも持って行き、みんなに食べてもらう。





毎度のことながら前口上が長くてすみません。
さてさて、いよいよ作り方です。

まずは材料から。(私はこの2倍か3倍の分量で作ります。なおすべてカップで計りますが、この場合1C=250ccのアメリカの計量カップ)


○バナナ        2〜3本
○薄力粉        500cc (2カップ)
○砂糖         250cc (1カップ)
○サラダ油       125cc (2分の1カップ)
○卵        2個
○ベーキングソーダ 5cc(小さじ1)少量の水で溶いて
○べーキングパウダー  2.5cc(小さじ2分の1)
○塩            2.5cc(小さじ2分の1)


手順

1、バナナをつぶしクリーム状にする。マッシャーを使えば簡単ですが持って  いないので私は皮をむいたバナナをビニール袋に入れそのままぐちゃぐち  ゃにします。ブレンダーだとあまりにも液体状になるのでやめました。
  
2、ボールにサラダ油と砂糖を入れ、ミキサーなどで混ぜ合わせる。
3、2に卵2個を入れされに混ぜるとまったりとしてくる。
4、3に1と少量の水で溶いたベーキングソーダと塩を入れて混ぜる。
5、4にベーキングパウダーといっしょにふるった小麦粉を少しづつ混ぜなが  らさっくりと混ぜ合わせる(あまりかき混ぜたり、こねたりしないこと)
6、生地を好みの型に流し、予熱したオーブンに入れ175度で40分から1  時間くらいで焼く。時間はバナナの量や型の形、またオーブンの機種で変  ってきますから、表面が良い焼き色になったら竹串かなにかを突き刺して  確かめてでださい。

これが基本ですが、私はこれにアーモンドエッセンスを加えます。またナッツ類を入れたりすることもあります。
お試しください。冷凍保存もできます。
なんだ、こんなに簡単なのと言われそうですね。実際、簡単です。男の方もどうぞトライしてみてください。




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2003年04月09日(水) ある日突然というのが好き

ある日突然、知らない方からメールが届く。そういう突然が実は私は好きだ。知らない人からというのもいい。そこで私も、かなり気安く、知らない人にメールを出す。その人の書いている日記になんとなく相槌をうちたくなったり、誕生日におめでとうと言いたくなったりした時に。返事は来ることもあれば来ないこともあるが、それは別にかまわない。時にはメールを出したこともすっかり忘れてしまうくらいだから。

つい先ごろ、突然のメールが来て、わたしはかなり愉快な気持ちになった。その方が私のおそらく一番好きな作家であろう高橋たか子を読んでる方だったということもあるが、それだけではない。それはその方が私に聞いたバナナケーキのレシピを教えることを私がめんどくさがったそのことを「嬉しがって」くれたから。やっぱりね、思った通り。高橋たか子が好きな人間はへその曲がり具合が似ているのだ。

書きたいことは書くが、書きたくないことに関してはことごとくものぐさ。私はかなりの筆不精でもある。これは読むものにも、あるいは人つき合いにも、すべてのことについて言える。どこか自閉的なのだ。普通に多くの人がこなしていることをどこかで拒否している。まめであるべきことにはことごとくものぐさで、まめである必要もないところでえらくまめなのである。たとえばこの日記とか、知らない人へのメールとか。

さて、実は今日の日記でその方の質問にお答えして、秘伝のバナナケーキの作り方をご披露するつもりでいたが、またにしよう。前置きを書いているうちにその気がなくなってしまった。マニュアルやディレクションを書くのはこのクリエイティブかつ気分屋なモードを別のモードに切り替える必要があるのだが、それがなかなかうまくいかない。書くとすればたとえレシピであってもわたしらしい表現で書かなければつまらないのである。つくづくへそ曲がり。




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2003年04月06日(日) もうステージは終わったのに、鳴り止まない歌がある。

ミュージカル「森のおく」の公演が終わった。いつかこの日記にも書いたパンフレットの文章の通り、本番では実際にそれぞれの人生というパズルがミュージカルというひとつの絵になっていくのを目の当たりに見るような感覚があった。そしてひとつの絵を創り上げたという達成感と充実感が打ち上げの席に満ちていた。これもまた美しい絵だった。

想いがたくさんある時にはそれを言葉にすることは難しい。そのどれかひとつを選ぶことで他のことが書けなくなってしまうから。さりとて何もかも書くわけにはいかない。ここはひとつ自分に正直になって今くり返し浮かんでくる絵とくり返し聞こえている歌のことを書きとめておくことにしよう。これはまた絵の中で私が受け持ったピースでもあるのだから。

「会えてよかった」の歌と踊りを猫たちや犬たちと歌い、踊る。私の猫たち、犬たち。本来けっして動物好きとはいえない私だが、舞台の上でごろごろところがるこの愛しい生き物たちへの愛しさが湧いてくる。動物たちの頭をなでる。動物たちが近寄ってくる。やがてこの踊りの最後の見せ場、たけるの歌に合わせて一列に並ぶとずっと溜め込むような小刻みの足踏みから♪会えてよかった君たちに♪と歌いながらダッと前に踊り出る。この時、突き上げてくるような情動があった。それに続くラインダンス、おもいっきり手と足を伸ばして。客席から見て揃っていたかどうかは定かではないものの、みんなと息があっている集中と心地よさはあった。やがてたけるも動物も舞台から去ってゆき、薄暗い舞台上にたけるのママ、私が一人取り残される。

踊りを踊った後でまだ息がはずんでいる。これから始まる長い「ママの嘆きの歌」無伴奏。私の声だけで350人の客を集中させるということにこれから初めて挑むのだ。呼吸を整えながら舞台の中心に向かってゆっくりと5歩歩みを進める。この歩みの中で、ママは楽しい動物たちとのかかわりから出て、自分の内側の世界へと移行していかなければならない。ママの声は心の一番深いところから出てくるものでなくてはならない。そしてこの宇宙の一番遠いところまで届くのでなければならない。5歩進むうちに気持ちを内に向け、さらに心の深いところへ降りてゆく。ピアノがこの歌の最初のフレーズを単音でゆっくり奏でる。深い音。そのフレーズの半分は俯いたままで聴き、残りは顔を上げて目より高い位置を見つめながら聴き、はじめに出す声に神経を集中させる。

「なぜ、猫たちや犬たちが」

聖歌のようなフレーズに乗せて、この言葉を静寂の中に放つ。歌うというよりは、問いかけのように。


「たくさんいると変だと言われるの」

ママの気持ちの中に押し込めた悲しさや怒りをさらに放つ。


「みんな生きるために生まれてきたのよ」

ふと目の前に砂漠の戦場が浮かび上がる。爆音、火をふく爆弾、逃げ惑う人々、死んでゆく子ども達。


「生まれて捨てられて苦しみと悲しみの中で死ぬなんてほんとうにむごいこと」

この歌で歌われている捨てら殺されていく小さな命と、今イラクで殺されていく命たちが私の中でシンクロナイズする。訴えは今戦争をしている人間たちへ、私たちへと向かう。


「わたしたちのところに来たらもう大丈夫、決して捨てたりしない」

この歌詞のところからはグレゴリオ聖歌のフレーズで歌う。癒しに満ちた美しいフレーズ。動物たちを愛しむ家族の情景がそこに立ち現れた。


「そうよ、そうやっいっしょに暮らしてる。それがなぜ許されないの」

ママの正しさと社会の正しさは折り合わない。受け入れられないことのもどかしさ、反発。社会への切なる問いかけ。


「子ども達はいじめられ、悪口を言われる」

子どもたちが犠牲になるほどやりきれないことはない。手で人の悪意を避けようとする動きをしながら歌う。


「この星はみんなが生きるためにあるの。みんな、みんなが」

いくつかのたたみかけるような問いかけの後、大きく息を吸い、空に向かって顔を上げる。そこは劇場の高い天井が見えるだけだが、その向こうに星ぼしが瞬く宇宙が広がっている。その遥かかなたへ腕を伸ばし、声をそちらへ届ける。これは私自身の祈りの歌。その歌を会場を突き抜けたこの地球のすべての命たち、そしてあの方がいらっしゃる遥か遠くの天へ届けるのだ。



脚本、演出のマオさんからミュージカルの曲のうち、9曲は作曲家の平岩先生に依頼するが、私がソロで歌う「ママの嘆きの歌」と森の中で仔猫を探す「どこにいるの仔猫」は私の作曲でと言われる。どこにいるの仔猫は作詞も私が書いたので言葉とメロディーが同時に出てきたが、ママの嘆きの歌はマオさんが作詞したものに曲を付けるという作業。その歌詞を読みながらマオさんとK市で会った頃のたくさんの動物を抱えてのマオさん家族の暮らし、そこに生じる苦しみのことを思った。私はその当時、何の手助けもできなかったことをずっと痛みに思っていた。その私がママの嘆きを、叫びを歌うことになにか罪悪感のようなものも感じていたから、その言葉が自分自身に突き刺さってくるように痛く、また重く、曲を付けるということの前で立ち止まってしまった。その時にふっと浮かんできたのが、ちょうどK市で暮らしてマオさんと接触があったころにくりかえし聞いたグレゴリオ聖歌のデウス.デウス.メウスという曲だった。アジテーションではなく、怒りや悲しみだけでもない、どこか宇宙に繋がっているようなこの歌詞が癒しに満ちたその聖歌に合うと思った。この旋律に乗せてこの言葉を歌えば、マオさんが表現したかったことが出せるのではないかとこのフレーズで歌ってみた。しかし歌詞の分量の方が圧倒的に多いので、その聖歌の旋律の他に教会の礼拝式文の中で歌われる詠唱のようなフレーズを繋ぎに使った。

この1年の間、いったいどれほどこの聖歌のメロディーをくちずさみ、またこの歌の言葉を歌ったことだろう。もうステージは終わったというのにこの歌はまだ私の頭の中で鳴り止まない。




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2003年04月04日(金) 忙しい一日も暮れて行く

明日はミュージカル公演の前日のリハーサル。そしてまた次男の引越し。発声練習と荷物詰めを交互にやり、芝居の練習をしながら、息子にあれこれと指示を出す。また4月末の九州への帰省のチケットも抑えておかねばと旅行会社に電話したり、航空券の予約をそたり。また今日は夫と私の誕生日、そして次男の入学祝の3つをいっしょにしてお祝いのディナーをする予定だったから、ケーキを焼いて、クリームをホイップする。普通なら買って済ませるところだが、明日息子が家を離れると思うと何とか手料理をと思ったのだが、またまた判断に誤りがあったような気がする。なんだかてんてこ舞いの一日だった。これに夫のアメリカ出張が重なるところだったと思うとぞっとする。が、それだけはなんとか免れ、明日は夫が息子を送ってゆき、セットアップも手伝うことができる。ほっ。引越しといっても机のベッドも寮にあるし、冷蔵庫などの大きなものはネットで注文し、寮に明日届くことになっている。食器や食品、衣類や寝具を車に詰められるだけ詰め込んで、後はまた週末に運ぶか送るがすれば良いか。九州や北海道へ行くわけではないのだから。さてさて、今日のうちに寝なければ。なんだか遣り残しがたくさんあるような気がしはするが、夜更かしは禁物。


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ところでミュージカルのチケットのことなのですが、
先日の日記で夜の部ががらがらなので来て下さいなんてお願いしましたが、おかげさまでチケットは昼、夜とも完売となりました。ご心配おかけしました。ところで、もしも、ここを御覧になって夜に来てあげようと優しい心を抱いておられた読者の方がおられましたら、夜の部も当日券がなくなってしまいましたのでごめんなさい。
それにしてもチケットって調節が難しいものなんですね。先ほど、少し遠くにいる友人から「昼の部に行くからね」とメールが入り、あわててしまいました明日、キャンセルがあればいいんですけれど。(汗)





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2003年04月03日(木) 誕生日の朝、バルバラのシャンソンが欲しい音楽だった

まだ今日の時間は辛うじて残っている。誕生日なのだから今日のうちに日記を書いておかなければ。時は待ってはくれない。

去年の誕生日の日記を開いてみた。ジムに入会したことが書いてあった。大の運動嫌いがどうした風の吹き回しだろうと書いていた。あの時点ではこれほどジム通いにハマるとは、またこれほど体力がつくとは思ってもいなかった。1年前を振り返れば、この1年の私の進歩たるや目覚しいものがある。今や駅のエスカレーターは使わずに階段を駆け上がる。駅から我が家までノンストップで走るのも平気。新聞の束を両腕で抱えることだって。ジム通いをそそのかしてくれたFに感謝だ。

さて、今朝の誕生日の朝、音楽は何を聴きたいだろうかと自分に聞いてみる。モーツアルトでも、バッハでもない。さりとてジャズの気分でもない。私が取り出したのバルバラの歌うシャンソン。私が一人暮らしを始めた頃にほとんど一日中聴いていた歌。身を切るような「独り」をさらに際立たせるような歌だった。

早く出かけていった夫と、昼にならなければ起きてこない長男。夕べは友達とオールナイトで帰ってこなかった次男。独りといえば独りではある。それにしてもなぜ、今聞きたい歌がバルバラなのだろう。そんなことを思いながらミルクを泡立てカプチーノコーヒーを入れていると「お母さん誕生日おめでとう!」と朝帰りのMが帰ってきた。今日はいつものマグカップはやめてイギリス製のティーカップにコーヒーとミルクを注ぐ。トーストの代りにチョコレートを練りこんだパウンドケーキ。眠そうなMが「この曲、いいね。独り暮らしに合いそう。この人のシャンソン買ってこようかな」などという。

そうか、私は独り暮らしを始めようとしているMの時を私の時のなかで生き直おそうとしているのだ。ミュージカルのことなどで忘れてしまっているけれど、心は子どもがいよいよ巣立っていくことに特別な感慨を持っているのだろう。親の元を離れてひりひりするような独りの世界へ入ってゆく子どもの気分と、この20年、また18年間、いつも傍らにいた子ども達のうちの一人がこの家を出てゆくことに軽いエンプティネスを感じている母の気分が同時に訪れているのだ。

昼すぎ、バックパックに台本をつっこみ、自転車で桜並木が美しいスポットへ出かける。樹齢80歳の桜の古木41本の並木道はまさに花のアーチ。見上げた空は桜の花のレースの向こうに見える。木の古い幹を撫で、そこに耳を付け、木の音を聴こうとする。木がその根から吸い上げている大地のエネルギーを私もまた自分の内に吸い上げようとする。花のまわりは大勢の人、歌っている人や騒いでいる人もいるのだから、私が木に寄りかかって歌や芝居の練習をしても文句は言われまい。しばらくの間、木に練習を見てもらった。

さて、もう時計は今日の日をすっかり過ぎてしまった。
バルバラのこの歌が終わったらここを閉じ、今日の日をお終いにしよう。




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2003年04月02日(水) 雨の中歩きながら歌ったのはいいけれど

今日は一日中絶え間なく雨が降っていた。普段ならこういう日は後ろめたい思いをすることもなく堂々と家に篭れると、家から一歩も出ない日を決め込むのだが、今日は一日中、よく歩いた。バックパックをひっかけ、傘を差して、あちらからこちらへと。まずはクリーニング屋、次に郵便局、美容院、耳鼻科、最後はスーパー。雨の日はあまり人も歩いていないし、車は窓を閉めているし、ひとり歩いていると戸外ではあっても何か閉ざされた感覚がある。誰も私を見ていない、聞いていないという感じ。そこで私は台詞や歌の練習をしながら歩いた。

今日は家に息子たちが陣取っていて朝のうちはしばらく発声練習などしていたものの、そのうち苦情が出ると思ったのでやるべき用事ごと外に出て、練習もそこでやってしまおうともくろんだのだった。雨に打たれる桜も風情があったし、身体も動かしたから良い運動になった。しかし、喉が痛い。この前は治っていたといわれたのに、また赤いと言われる。たっぷり歌った後で...後の祭り....こういうわたしのせっかちが災いの元になる....反省。

かりんのはちみつ漬けを買って帰った。なんとしても治さなければ。




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2003年04月01日(火) 花冷え

花冷えという言葉が好きだ。そして今日の夕方はその言葉が似合っていた。
この言葉は好きだが、いつもこの不意にやってくる春の寒さには裏切られたような気がして、あぁ、温かい格好をして出かけるのだったと毎年のように後悔する。

今日は仕事の打ち合わせがあるのでお昼ごろ出かけた。桜色(私の言う桜色は紫にも近い、くすんだピンクのことだが)のウールのセーターを着ていたもののなんだか暑そう。昨日ユニクロで買ったやっぱり桜色の長袖のTシャツにこれもまた桜色の薄手のカーディガンをはおる。秋から今まで、私はタートルネックのセーターばかり着ていた。素材は綿のシャツだったり、コットンのセーターだったり、またウールだったりするのだが、首がすっぽり覆われてないと落ち着かない。スカーフを巻いたくらいでは風邪をひいてしまいそうな気がするのだ。

ところが今日はえらく温かそうだったのでタートルネックはやめたのだったが、判断を誤った。長男がお土産に買ってきてくれた浅黄色のタイシルクのスカーフを巻いてはいたものの首の辺りから冷気が入ってきて体全体が冷えていくようだった。仕事の帰り夫と待ち合わせていっしょに電車に乗ったが、彼が買ってくれた缶コーヒーの熱さが手の中で心地よく、ようやく身体がほぐれる。冬には感じることの無いこの独特の寒さ。駅から家まで10分ほど歩かねばならない。私は寒さがいやなので自転車は夫に乗ってもらい、私は家まで走って帰った。体力がつくとこんなこともできる。

さて、今夜も息子たちは夕食がいらないらしい。もうじき7時。夫と車で夜桜を見に行き、ついでに食事もしようということになった。温かい格好さえしていれば、花冷えのする夜の花見も悪くない。




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