ノエルの日記
日々いろんなことがあるよね。

2005年08月28日(日) チャリティについて(hydeさんの気持ち)

今日はラルクアンシエルのライブに行って来た。
ライブ中にhydeさんがチャリティについての話をした。
たとえば今回のホワイトバンドのような大きなチャリティの話は
当然hydeさんにも来ていた様だった。私もなぜhydeさんは
参加しないのだろうと思っていた。
集められたお金の行方が不透明すぎるとの事で
「自分はチャリティが大きらい」だったと。
hydeさんのお知り合いがインドでボランティアをやっていた時に
インドまで渡る事の出来た善意のお金のほとんどが現地で采配している
お偉い人達の車になっていたりするらしい。本当に貧しい人達に渡るお金が
少なすぎて「お前がお金持ちになってもチャリティなんてしない方がいい」と
言われた事があるらしく、それ以来チャリティを信じなくなったとの事だった。

けれど最近チャリティにお金を払う人達の意見として
たとえ99パーセントが搾取されたとしても1パーセントが
貧しい人達に渡るんであれば募金する。と言う話を聞いて
心が揺れたそうです。

私がいつも思うのは、私が「たくさんの金額が出せない」
「直接持って行けない」と言うのがある。
たとえ搾取されても少しでも届くのであればよしとする。
嘘の募金箱だったとしても、自分は強制されてお金を入れたのではない。
自分の意思でこの人に任せたのだから、その後の使い道については
その団体や、その人に任せるしかない。と、思っている。

hydeさんは「がちがちに人を疑って非難するより、少しでも役に立てばと
募金するお前らを本当に純粋だなと思う、折角の善意のお金のために
もっとしっかりしたルートを作る必要があると、そう思う。」
と、とても真剣に話したのにはちょっと驚いてしまった。
もともと「反戦」を心に持っているhydeさんだから、もし
何かの活動を始めるのだったら、いつでも協力しようと思った。

そして、強制的に払わされている税金の行方の透明性のほうが
もっともっと問われるべきなんじゃないかと思った。



2005年08月15日(月) ◆終戦記念日

俳句の世界で「終戦記念日」「終戦忌」は秋の季語になる。
「他人事のように黙する終戦忌」
これは去年の句会に出した俳句だが、この句を読まれた先輩達の
何人かが「自分達の中では“終戦忌”ではなく“敗戦忌”である」と
おっしゃられた。
そう、日本は負けたのだ。
なぜ負けたのかは歴然としている。

先日教育テレビでゼロ戦を設計した人、操縦していた人、
ゼロ戦と戦ったアメリカ兵の話を放送していた。

ゼロ戦は優秀な戦闘機だったが、それは初めての出撃の時だけだった。
以降ゼロ戦は何度か改良するも上層部の命令で防御策をとらなかった。
アメリカの戦闘機ヘルキャットは優秀なパイロットを守るために
防弾ガラス、燃料タンクへの分厚いゴムの装着、操縦席背面への鉄板防御、
翼には自動消火器まで設置。
それはマンパワー(戦闘に行って帰ってきたものは経験をつんでいる)を
大切にするやりかた。
日本はどうだ、防御すると全体が重くなり本来のゼロ戦の軽やかな
動きが出来なくなるから防御は無し。という人の命を軽んじるやり方。

アメリカは墜落したゼロ戦を研究、すぐにそのもろい防御がばれてしまう。
燃料タンクを狙えばすぐに爆発してしまう戦闘機。
おもしろいように撃墜する事が出来てしまった。

日本も墜落したヘルキャットを研究、あまりの防御策に
設計者たちは驚いた。
「防御策が必要なり」に耳を傾けたのは山本五十六だったが
その話し合いの結果を上層部に伝えに行く途中で戦死。
ゼロ戦設計者は声を大にして防御を訴えるが上層部は却下。
「大和魂でなんとかできる」様なことを言われる。
そしてゼロ戦は特攻の役目を負わされる事になる。

ヘルキャットと戦ったゼロ戦パイロットは
「撃っても撃っても墜落しない」と言っていた。
日本は既に資源も無く戦える環境ではなかったはずだ。

サイパンで見た戦後そのまま残されている戦車も小さくて薄っぺらくて
「これで戦わされたのか」と胸が痛くなった。

真実を見ようとしない、正しいことを認めない
兵士の命を重んじない、責任をとらない。

何より、今何が出来るか、将来はどうなっていくかの判断が出来ない。

最低の上層部は戦後もそのまま育ち続けている様に見える。



2005年08月13日(土) ◇ずぶぬれ〜!!!

今日はちょうちんを持って父親を迎えにお墓へ行った。
日中の暑い時間を避けてやや夕方に家を出た。
お墓までは歩いて10分くらいだし、この明るさなら大丈夫かと
傘も持たずに出てしまった。
明日お坊さんがお経をあげに来てくれるので、ミミリンは昨日
トリマーさんでシャンプーしてもらってすっかり綺麗になっている。
夕方のお散歩もかねてミミちゃんも一緒にお墓まで行った。

ちょうちんにロウソクを灯して、帰りはじめたとき
「ゴロゴロ〜・・・・」
「雷だ、早く帰ろう」と母
「あ、降ってきちゃった、大粒だ!!」と私。
その2分後にはバケツをひっくり返したような大雨。
運悪く今歩いている道沿いには雨宿りが出来るような場所は
まったくない・・・・。きゃーーーといってる間にずぶぬれに。

ここまで濡れたらもうどうでもいいやとそのまま家まで歩いて帰ることに。
せっかく綺麗になったミミリンもあっという間にずぶぬれ。
家に帰ったら、取りこんでいかなかった洗濯物もずぶぬれ。

ちょうちんの灯は消えちょうちんの中に水がたまってるし。
「この灯は消えても父ちゃん無事家についてるのか??」
よくわからないけど帰ってきてることにしてお線香をあげる。

少ししたら雨はすっかり上がってしまった。
もうちょっと遅く行けばよかったんだね〜、等と話しつつ夕食。
その後また雨が降り出す。
ミミリンの夜のお散歩の頃には小ぶりになったけど
またその後降っていた。

昔は夕立が降ると気温が下がったけど、最近は湿度が上がるばっかりで
全然気持ちよくならない。
夕立というよりは「スコール」という感じだ。

半分亜熱帯になりつつある日本の今後はどうなるのだろう。



2005年08月07日(日) ◇高校野球

夏といえば高校野球なのだが、私はあまり見ていない。
プロ野球を見慣れていると、あの一生懸命さがかわいそうで
見ていられなくなる。この試合で負けたら次はもうない・・・
でも、必ずどちらかは負けなくてはならない。
負けちゃったほうのチームの最後にエラーしちゃったとか
打てなかったとかの選手の今後が心配になるというのもある。
で、全然見ていないのだけど、ここのところの異常気象ともいえる
猛暑の中で甲子園はさぞかしきついだろうなぁと思う。
しかも太陽が真上にある真昼間に試合をしているから
観客だって具合が悪くなろうというものだ。

そこで「大阪ドーム」での高校野球開催を提案したい。
のだが、球児にとっては甲子園が「聖地」だからなぁ。
この際だから甲子園をドームにしちゃえばいいかも。
出来るくらいならもうとっくにやってるのかな。
立地の条件などでドームに出来ない理由とかあるのだろうか。

阪神も優勝へまっしぐらだし、ここはひとつ球児の為にも
甲子園をドームにしてやってくれないだろうか。



2005年08月06日(土) ◆原爆の日

今日は広島に原爆が落とされた日で「原爆の日」だ。
朝8時15分に黙祷が始まる。
関東のこの地域でも放送が流れ黙祷を促していた。
母親とテレビを見ながら黙祷をした。

核の廃絶を、戦争のない世界を。

この60年間、争いのない時間は1秒だってなかったと思う。
いつもどこかで戦争や内紛が起きていた。
この先もそれは変わらないのかもしれない。


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