■2005年1月18日、SUPERCARが解散を発表しました。 いつかは来る日だとは思っていたけれど、 まだ、実感がわかないのが正直なところです。
■私がどれだけSUPERCARの音楽を愛していたかを知る何人かの友人からは 「大丈夫?」というような連絡を頂き。 SUPERCAR解散→るびは大丈夫かな? と連想していただけるなんて この上なく光栄であります(笑)
■大丈夫か?と言われると、正直そんなに落ち込んでいないのです。 でも深く考えていないだけで、これからじわじわ来るんだろうなあ… 自分の気持ちを確認するためにも、この文章を書いています。
■第一報は当日の13時少し前。Bさんからのメールでした。 ちょうど仕事のお昼休憩に出た直後に届いたメールで、 開くと事実がひとことだけ書かれていて、 その瞬間、時間が止まったように感じました。 まわりの時間も、そして自分の中の時間や 血とか筋肉とかそういうものの動きもすべて止まったように感じた。 考えるより早くBさんに折り返し電話を入れて、詳しく教えてもらいました。 何か頭の中に浮かぶというより、頭の中が真っ白になりました。 落ち込む、とか、ショック、というより、無になる感じ。
■ちょうど2年くらい前に、DCPRGの菊地さん発の「スパカ解散」デマが出回って (菊地日記にSUPERCARの名前が出た時に「解散なんですってね、お疲れ様でした」 と追記され、大騒ぎになったものの、当時から解散の噂があったスパカのそれを 知人からおそらくうわの空で聞いて、その噂が脳内で事実に変換されてしまい うっかり日記に書いてしまったためと後日判明。) その菊地日記のそれを見た瞬間は本当に心臓が止まったかと思うくらいに驚いて。 それから心臓がバクバクいい出して、涙が出てきて…と、 そりゃもう酷く動揺したもんだったんだが、 どうやらその時に「スパカ解散」で使う分の動揺は使い果たし、 「いやあいつきてもおかしくないんだ」と逆に心構えができたせいか 思ったより淡々と、第一報からの数時間を過ごした。 まあ、聞いた後にも仕事をしていた、というのが一番大きいとは思うのだけれど。
■でも、仕事を終えて駅までの道のりをぼんやりとひとり歩き出した途端、 理性ではなく感情の部分で、ぶわーっと突然涙が溢れてきた。 頭では何も考えちゃいないんだけど、感性の部分が勝手に泣き出した感じだった。 ああ、終わっちゃうんだなあ、と思った。
■SUPERCARとの最初の出会いは、実は覚えていない(笑) 名前を知ったのはたしかJAPANの誌上だったような…若いなあと思った記憶が(笑) 話題を呼んだ「スリーアウトチェンジ」も普通に聴いていて、 汚れの無いポップだなあ…まぶしいなあ、と。 正直なところ、ファーストだけでハマるには、私は少し年をとっていた。 少しヒネたものや、狂気を感じさせる音のほうが好きだったのだ。
■そんな私の意識が一気に彼らに近づいたのは、一枚のシングルからだった。 「Sunday People」。 この気持ち良さはなんだ? 気持ちにピッタリくるのはなんだ? 相変わらず私にとっては汚れのない存在だったけれど、 この1曲でそれだけではなくなった。 そして、その次にリリースされたアルバムで、私はまさしく運命の出会いをする。 『JUMP UP』。 こんなにも、心がひきこまれるように、よりそうように感じたアルバムは初めてだった。 その音はどこまでも私にやさしくて、 そして彼らを私にとって特別なものにするのには十分だった。 このアルバムは今でも私にとってとても大切な音楽のひとつで、 心がささくれた夜にはそのとげとげしさを取り除いてくれている。 何度、やさしくしてもらったか、わからない。
■そしてそれだけではなかった。 SUPERCARは私に、新しい音楽の楽しみ方を教えてくれたのだ。 それは私にとって革命と言うべきくらいのもので、 おそらくSUPERCAR(とナンバーガール)に出会わなかったら その後の音の好みは全く違ったものになっていたと思う。
■2000年11月22日、アルバム『Futurama』をリリース。 このアルバムはそれまでのSUPERCAR観や、思い込みなどを引っくり返すものになった。 特に10曲目の「Karma」から11曲目の「FAIRWAY」への流れ、 それをよく私は“20世紀最後の奇跡”と呼んだけれど、かなり本気でそう思っていた。 そしてそのアルバムツアーで、彼らはそれまでの持ち曲を一切鳴らさず、 曲と同調する映像を背景に流しながら、 本編を『Futurama』の16曲だけで構成するという賭けに出た。 その賭けは後から考えてみれば特大の当たりで、 アンコール1曲目で披露された初期の代表曲「Cream Soda」との落差が 後日喧喧諤諤の賛否両論を招いたのも無理はないくらいの「当たり」だった。 その覚醒は私にとっては目からウロコで、 言ってみればハロが突然ガンダムになってしまたくらいの驚きだった。 その変化は私にとって嬉しく楽しいもので、 そして、その後もまだ「革命」は続いたのでした。
■2001年5月にリリースされたシングル「Strobolights」。 この曲はもう、まさしく青天の霹靂(意味はちょっと違うけど)だった。 「言葉」が音楽のひとつとして機能してたのだ。 それまではどちらかというと頼りなげな歌を披露していたフルカワミキが、 神々しいまでの母性を手に入れて、 まるで雲の切れ間から差し込む光のように、やわらかに歌った。
2愛+4愛+2愛+4愛-sunset+4愛+2愛+4愛+2愛+4愛+2愛+4愛-sunset +4愛+2愛+4愛+2愛+4愛+2愛+4愛-sunset+4愛+2愛+4愛+2愛=true heart!
歌詞カードにはこう書かれていた。 吃驚した。 でも、その言葉は音に乗った途端にまるで魔法のように響いた。 うわー。なんじゃこりゃーー。ありえねーーー!!!! と、笑いが止まらなくなった。 この曲をはじめて聴いた時のショックと歓びは忘れられないなあ。 言葉が意味を持ちながら楽器のようにもなるなんて! 歌にとっての詞=メッセージ、としか解釈できなかった私にとっては そりゃあ天変地異並みの驚きだったのだ。
■そして、あれは忘れもしない、私にとって初めてのフジロックだった2001年、その2日目。 ナンバーガール@GREENを終えて、猛ダッシュで向かったRED MARQUEE。 そこで聴いた「White Surf style 5.」が、 私の価値観をいい意味でぶっ壊してくれたのでした。 以下はその時のレポより。
スーパーカーの音は決して力ずくで連れていくって感じじゃない。音にヤられて動けないって感じでもない。そうじゃなくてあの独特のフワッとしていてでも確かな音、その上でもっと踊れ!って伝わってくるような音なんです。それが最大限に発揮された瞬間が「White Surf 〜」のブレイクの時に見えました。感じました。アタマの中でパーンと何かが割れたんです。スーパーカーの音と、みんなの歓声と共に。 それは、今まで私が持っていた音に対する価値観みたいなものが壊れた音かもしれない。考えるものじゃない、感じるものなんだよ、って。 …というのは後になって考えたことで、その時の私はただただひたすら踊っていただけなんですけど(笑)
この時は本当に、頭の中で何かが割れた音が聞こえたんだよね。よく覚えてます。 “音は聴くものじゃなくて感じるもの”と、この時初めて身をもって感じたのでした。
■そして、更なる決定打が、その年の冬にあったEXTRA TOUR。 2Daysの二日目に、またしても生まれて初めての感覚を体験したのでした。 以下はその時の日記より。
今日 生まれて初めての体験をしました
「身体がリズムになる」という感覚です
アタマとカラダがまったく別物になりました リズムに反応して体が勝手に動くのです アタマで違うこと考えてても 「あ 私の身体がリズムと一緒に脈打ってる」 って感じでガンガン動くのです よく作家さんとかが 「自分が作ったキャラなのに勝手に動き出して…」 なんて言うけれど あれに近い! 「自分のもの」というよりむしろ「自分」なのに それがもう「個」として動いてるんです! うーん なんて言ったらわかるかな〜♪ うまく言えないあの感じ〜♪ そうだ!
「『私』が『音楽』と一体化した」
って感じかしら!
ムリヤリ文字にするなら、 「耳ではなくて体で音楽を聴いた」という感じかなあ。 この日の興奮も、昨日のことのように覚えてます。 「Karma」で踊って首振りすぎて、つりそうになったんだっけなあ(笑) 音が本当に気持ち良くて、このまま永遠に続けばいいのに!と思いながら 壊れたおもちゃのように(笑)踊り続けたのでした。 「YUMEGIWA LAST BOY」なんて、誰も元の持ちパートじゃない楽器で演奏してて ありえない!って思ったけれど、出てくる音がとにかく気持ち良くて、 そんなことは全然問題じゃなかった。 音とあんなにもひとつになれるなんて! 歌詞がなくてもこんなにも伝わるなんて!
■2001年のSUPERCARは、こんなにも私の価値観を気持ち良く壊してくれた。
■そして2002年4月にリリースされたアルバム『HIGHVISION』。 その、音の美しさに、涙がこぼれた。 私は音をいろいろな言葉を使って表現しようと試みるけれど、 「美しい」と表現したのは、SUPERCARだけのはず。 そのアルバムツアーも、そんな美しさに満ちていて。
以下はその時の日記より。
そしてこの日も「STARLINE」からスタート ひとすじの照明が静かに舞台を照らします そして サビの部分に来た瞬間 わずかな照明だけだった舞台が突如 昼のような明るさを帯びました 「どうして」なんて理由はありません ただそれだけで涙が出てきました 美しい音が美しい光とともにそこにありました
この2日間で個人的に最大のクライマックスだったのは この最終日の「AOHARU YOUTH」でした ピアノの旋律と ナカコーとミキちゃんの声 青白く降り注ぐ光はまるで この世のものとは思えませんでした 心臓が静かに音をたてて 鼓動もリズムに合わせて鳴っていたような気がしました 「天国ってこんな場所かもしれない」とさえ思いました 身体が震えました
ライブの最後を飾ったのは前日同様 アルバムでも最後の曲「SILENT YARITORI」 15分にも及ぶそれはとても幻想的で 音がしているのにまるで音が無いような 静寂が音に変化したような そんな空気の中 私は動くことも出来ずにじっと聴いていました 曲の終わりと共にライブも終わりを告げ 静かにメンバーが舞台から去り ステージを照らしていた光が消えると 暗転の中「I」がSEとして流れ出しました メンバーが去ったとき アンコールを求めて拍手をしていたお客さんも手を止め 動きもせずに音を聴いていました 暗転していた場内が 少しずつ 少しずつ 明るくなっていきました それはまるで夜明けのようでした 舞台を見たら 天井の小さな照明が まるで星のようにまたたいていました その「星」も「夜明け」の明るさに消えていきました
あまりのせつなさに涙がこぼれそうでした。
音がしているのにまるで音が無いような 静寂が音に変化したような。 そんな経験は、その後もできていません。
■気持ちいい、とか、優しい、とか、美しい、とか、 言葉にするととても簡単なように思えてしまうけれど、 聴いていて全身の力がぬけてゆくような、 自分の部屋のベッドのおふとんにくるまって眠りに落ちる瞬間のような、 安心しきって心のガードがゆるくなった、そんな気持ちにさせてくれる音だった。 そして、そんな音を出してくれるのはSUPERCARの他にはなかった。 唯一無二の存在になった。
■そしておそらく、CDを一番聴いたのが、SUPERCARだと思う。 レコードで言うところの「すりきれる」くらいに、聴いた。 だから、シングル「BGM」以降のリリースがCCCDになったのは、本当に悲しかった。 けれど、友人の好意によって、アナログの音源を貰い、 2004年2月にリリースされたアルバム『ANSWER』は聴くことができた。 本当に嬉しかった。 そのアルバムは、店頭で試聴した時から泣けてしまったのだけれど、 そのツアーもまた然りで。
以下はその時のレポより。
今回のこの「YUMEGIWA LAST BOY」では、 「音の中に自分が溶ける」という感覚を得ました。 もう音を聴いている、というよりは、音の中に居る感覚。 むしろ自分が音の一部になっているような… だったらどんなに幸せだろう。 その音を対象として何かを感じる、というよりも もう考えるなんていう概念も無くなってしまってる状態だった。 (略) 現実なのに、夢をみているような気分だった。 こんなにゆるやかで、やさしくて、美しい、やわらかな何かに包まれたような時間が 現実として存在してるなんて。 意識を通らず、感覚として身体が泣いているのを感じた。 最後の音が消え、メンバーがステージから去り、 場内が明るくなりかけてSEとしての音が流れてもその場からしばらく動けなかった。 頭の芯までふにゃーっと崩れていたようだった。
本当に、SUPERCARの音が大好きだ、と、いつも思っていた。
■だけど、その音がとてもあやういバランスの上に成り立っていることは薄々気づいていたし、 長く続くバンドではないというのは無意識のうちに理解していた。 特に『HIGHVISION』以降は “いつ終わってもおかしくない”という気持ちと背中合わせだったように思う。 そして、『ANSWER』や「LAST SCENE」というタイトルの作品が出たり、 『ANSWER』ツアーが終わった後のフジロックが必要以上に(と感じた)お祭りムードだったり、 いつもあるSUPERCAR企画のイベント「High Booster」が去年は無かったり…
今から考えれば、予兆はいくらでもあったのだ。
■私がライブレポを書く時は、 まずライブを見ていると頭の中に絵が浮かんできて、 その絵を文字に訳しているようなところがある。 SUPERCARはその絵がいつも鮮やかで、文字の起こし甲斐があるものを見せてくれた。 最初の頃は(ライブだけではなく音源も含めて)ポップな絵だったのが、 あれよあれよと言う間に目を引く映像になり、 いつしかそれは単なる絵というよりも3Dのように変化をしていった感じがある。 それは本当に美しくて、綺麗で、まぶしくて、素敵なものだった。 リアルタイムで聴くことができて、本当に幸せでした。 絵は、私の中では完成品にとても近いものになっていると思います。 だから、今回の解散にもさほど抵抗はない。 でも、いつかは来ると思ってはいても、 それでももうちょっと、またもうちょっと、 もう少し、あと1枚描いてくれるかな? と、かすかな期待、奇跡を望んでた。
■解散が発表になった夜、最新作からさかのぼってアルバムを聴いていた。 不思議とそれでも実感はわかなかった。 だってそれは私にとって日常で、おそらく今後も変わることはない。 彼らが解散したって、私がこの音を聴くことには変化はないのだ。 ただ、新しい音がもう聴けないということや、 それを楽しみにするということがなくなるだけ。 だから、解散するということに対して、まだ深い何かを感じ取れないのかもしれない。 今は、静かな気持ちの中に居る。
■おそらく、私が深い寂しさに襲われるとするなら、 ラストライブを見た時か、または終わった後だろうと思う。 あの、全身で感じたたくさんの新しい感覚が今後はもう無い。 それに、身体で気づく時だと思う。
たくさんの新しいことを、ありがとう。 伝えられるものならば、そう伝えたい。
□BGM:Talk Talk/SUPERCAR
|