ヒビワレ。
 
 ■月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。やがて、今となる未来の歌。
 ■直リンクはしないでね〜
 ■ひとりごと「echo」はこちら
 ■食べ物ログは「echo+」として。こちらにわけました。よろしくです。
 ■ライブ日記「パーフェクト・ソング」はこちら
 ■「一般人にもわかるモーニング娘。(&ハロプロ)」まとめサイトはこちら
 ■はてなはじめました。ヲタ話増量中。むしろそれのみ。IDはRubyで。

   

2005年01月27日(木)  RENEW / RELEASE
http://www.cablenet.ne.jp/~echo76/rwl/index.html
サイトリニューアルしました〜
見た目変えただけですから半日で終了。
でも疲れたんで寝る。おやすみなさい。
(1:32 AM)

--------
■つーわけで、去年の夏くらいからやりたかった個人サイトのリニューアルがようやく完了。
やる時は一気に片付けるタイプなので、
モサムが忙しい間は手をつけられず、
ようやくできてスッキリしたー。
でも中身は全く同じですが。

■一方で思い悩んでるのがファンサイトのほう。
モサムに対する思い入れ、愛情はむしろ増す一方なんだけど、
あのサイトの立ち位置というものを考えると非常に納得がいってない。
本当はもっとインタラクティヴなものにしたいのだけれど、
自分の力が及ばないせいか、点ばかりで線にならない印象。
「線」という意味では年々リアクションがなくなってゆく一方にも思えて。
ぶっちゃけ、ブラックホールにボールを投げつづけてるような気分。
たとえば、うちがなくなったとしても、
情報はきっと某巨大掲示板に集まるだろうし、
そうなってくると意義は?意味は?って思ってしまうのです。
まあ、掲示板オンリーの時代から数えるともう4年目だし、
ベクトルを変える時期(もしくはスランプに陥ってる時期)なのかなー。
ファンサイトの運営って難しいです。


■相変わらずスーパーカーを聴きつづける毎日。
まだ、JAPANのインタビューは読んでいない。読む気になれない。
読むのが怖い。
読んだ人の日記などを見ているだけでもおおまかな内容はつかめて、
それはもうだいたい想像のつく内容でもあって、
悲しい気持ちになるってわかっているのでやっぱり手は出せない。
スーパーカーの公認ファンサイトの管理人さんが
個人サイトの日記で思いを綴っていて、
公認ゆえ普通のファンよりも内側を見てしまっているゆえ、
リアルでヒリヒリしてしまい、家でCDを聴く気になれないんだそうだ。
自分と真逆だなあ、と思った。
私はあまりパーソナルな面に興味を持たずに音に触れていたので、
(興味を持たなくてもなんとなく気づいてしまう面もあるけど)
管理人さんが特に「不協和音が聞こえた」と表現する「HIGHVISION」などは
この上なく美しい音に聞こえた。
知りすぎることは決していいことじゃないんだなあ、と改めて実感。
「ANSWER」が出た時、先は長くない、と悟ったとのことだけれど、
今、こうして結果が出た状態で改めて聴くと、
「ANSWER」は本当に終末の音楽だなあと、今更ながらに思った。
静寂だったり、悟りだったり、回顧だったり、記憶だったり。
CCCDの所為もあり聴けたことが嬉しくてしょうがなかったアルバムだったけれど
(この間はてなに書いた去年のヘビロ音源には入れなかったけれど
 それは自分でCDというパッケージとして購入しなかったから。
 実際にはベスト3に確実に入る聴き方だった)
その嬉しさが、密かに浮かんだ不安を隠してしまったんだろうなあ。
今聴くと「SIREN」などはとても生々しくて、
目を閉じた時に自分の心臓の音だけが聞こえて、
目を開けたら自分の姿さえも聞こえなくなってしまったかのようだ。

■それにしてもSUPERCAR解散でいろいろな文章を読んだけれど、
一番あー、これに近いかも、と思ったのは、こんな文章だった。

これは非常に寂しい。ハスキンの解散を知らされたときにはなかった胸の痛みがある。バンドの解散でこの気持ちを感じたのは久しぶりだ。例えるなら、高校の部活で最後の公式戦が終わって、このメンバーで同じように試合をすることはもう二度とないのだということを認識しようとするときに味わう感覚。この「二度とない」という感覚だと思う。そしてこれは、スーパーカーの楽曲だけでなく、スーパーカーというバンドそのもの(というかナカコーか)に対して親近感を持っているからこそ生まれる感覚だと思う。SUPERCARの新曲はもう二度と生まれないのだ。これはソロ活動で埋め合わせできるものではない。



■ナカコーは、「解散で失うものは何もない」と言い、
それに対してインタビュアーの山崎さんは「あるよ、きっとある」と言ったそうだ。
もう、この一文を見ただけで、いろいろな思いが巡って、泣けてきてしまう。

■今回の解散で思い出すのはKATZEの解散。
音楽性などは全く違うけれど、背景などはとても近いと思ってしまう。
あの時真実を知って感じたショックはとても大きかった。
その後、彼らがまた同じ場所で音を鳴らすのに十数年がかかったわけだけれど、
ナカコー、ミキちゃんとジュンジくん、コーダイがまた音を通わせる日は来るんだろうか。

■寂しいなあ。


■他にもいろいろ書きたいことがあったんだけどなんかブルーになってきたのでこのへんで寝る。


2005年01月19日(水)  SUPERCAR解散によせて。
■2005年1月18日、SUPERCARが解散を発表しました。
いつかは来る日だとは思っていたけれど、
まだ、実感がわかないのが正直なところです。

■私がどれだけSUPERCARの音楽を愛していたかを知る何人かの友人からは
「大丈夫?」というような連絡を頂き。
SUPERCAR解散→るびは大丈夫かな? と連想していただけるなんて
この上なく光栄であります(笑)

■大丈夫か?と言われると、正直そんなに落ち込んでいないのです。
でも深く考えていないだけで、これからじわじわ来るんだろうなあ…
自分の気持ちを確認するためにも、この文章を書いています。


■第一報は当日の13時少し前。Bさんからのメールでした。
ちょうど仕事のお昼休憩に出た直後に届いたメールで、
開くと事実がひとことだけ書かれていて、
その瞬間、時間が止まったように感じました。
まわりの時間も、そして自分の中の時間や
血とか筋肉とかそういうものの動きもすべて止まったように感じた。
考えるより早くBさんに折り返し電話を入れて、詳しく教えてもらいました。
何か頭の中に浮かぶというより、頭の中が真っ白になりました。
落ち込む、とか、ショック、というより、無になる感じ。


■ちょうど2年くらい前に、DCPRGの菊地さん発の「スパカ解散」デマが出回って
(菊地日記にSUPERCARの名前が出た時に「解散なんですってね、お疲れ様でした」
 と追記され、大騒ぎになったものの、当時から解散の噂があったスパカのそれを
 知人からおそらくうわの空で聞いて、その噂が脳内で事実に変換されてしまい
 うっかり日記に書いてしまったためと後日判明。)
その菊地日記のそれを見た瞬間は本当に心臓が止まったかと思うくらいに驚いて。
それから心臓がバクバクいい出して、涙が出てきて…と、
そりゃもう酷く動揺したもんだったんだが、
どうやらその時に「スパカ解散」で使う分の動揺は使い果たし、
「いやあいつきてもおかしくないんだ」と逆に心構えができたせいか
思ったより淡々と、第一報からの数時間を過ごした。
まあ、聞いた後にも仕事をしていた、というのが一番大きいとは思うのだけれど。

■でも、仕事を終えて駅までの道のりをぼんやりとひとり歩き出した途端、
理性ではなく感情の部分で、ぶわーっと突然涙が溢れてきた。
頭では何も考えちゃいないんだけど、感性の部分が勝手に泣き出した感じだった。
ああ、終わっちゃうんだなあ、と思った。


■SUPERCARとの最初の出会いは、実は覚えていない(笑)
名前を知ったのはたしかJAPANの誌上だったような…若いなあと思った記憶が(笑)
話題を呼んだ「スリーアウトチェンジ」も普通に聴いていて、
汚れの無いポップだなあ…まぶしいなあ、と。
正直なところ、ファーストだけでハマるには、私は少し年をとっていた。
少しヒネたものや、狂気を感じさせる音のほうが好きだったのだ。

■そんな私の意識が一気に彼らに近づいたのは、一枚のシングルからだった。
「Sunday People」。
この気持ち良さはなんだ? 気持ちにピッタリくるのはなんだ?
相変わらず私にとっては汚れのない存在だったけれど、
この1曲でそれだけではなくなった。
そして、その次にリリースされたアルバムで、私はまさしく運命の出会いをする。
『JUMP UP』。
こんなにも、心がひきこまれるように、よりそうように感じたアルバムは初めてだった。
その音はどこまでも私にやさしくて、
そして彼らを私にとって特別なものにするのには十分だった。
このアルバムは今でも私にとってとても大切な音楽のひとつで、
心がささくれた夜にはそのとげとげしさを取り除いてくれている。
何度、やさしくしてもらったか、わからない。


■そしてそれだけではなかった。
SUPERCARは私に、新しい音楽の楽しみ方を教えてくれたのだ。
それは私にとって革命と言うべきくらいのもので、
おそらくSUPERCAR(とナンバーガール)に出会わなかったら
その後の音の好みは全く違ったものになっていたと思う。

■2000年11月22日、アルバム『Futurama』をリリース。
このアルバムはそれまでのSUPERCAR観や、思い込みなどを引っくり返すものになった。
特に10曲目の「Karma」から11曲目の「FAIRWAY」への流れ、
それをよく私は“20世紀最後の奇跡”と呼んだけれど、かなり本気でそう思っていた。
そしてそのアルバムツアーで、彼らはそれまでの持ち曲を一切鳴らさず、
曲と同調する映像を背景に流しながら、
本編を『Futurama』の16曲だけで構成するという賭けに出た。
その賭けは後から考えてみれば特大の当たりで、
アンコール1曲目で披露された初期の代表曲「Cream Soda」との落差が
後日喧喧諤諤の賛否両論を招いたのも無理はないくらいの「当たり」だった。
その覚醒は私にとっては目からウロコで、
言ってみればハロが突然ガンダムになってしまたくらいの驚きだった。
その変化は私にとって嬉しく楽しいもので、
そして、その後もまだ「革命」は続いたのでした。

■2001年5月にリリースされたシングル「Strobolights」。
この曲はもう、まさしく青天の霹靂(意味はちょっと違うけど)だった。
「言葉」が音楽のひとつとして機能してたのだ。
それまではどちらかというと頼りなげな歌を披露していたフルカワミキが、
神々しいまでの母性を手に入れて、
まるで雲の切れ間から差し込む光のように、やわらかに歌った。


2愛+4愛+2愛+4愛-sunset+4愛+2愛+4愛+2愛+4愛+2愛+4愛-sunset
+4愛+2愛+4愛+2愛+4愛+2愛+4愛-sunset+4愛+2愛+4愛+2愛=true heart!



歌詞カードにはこう書かれていた。
吃驚した。
でも、その言葉は音に乗った途端にまるで魔法のように響いた。
うわー。なんじゃこりゃーー。ありえねーーー!!!!
と、笑いが止まらなくなった。
この曲をはじめて聴いた時のショックと歓びは忘れられないなあ。
言葉が意味を持ちながら楽器のようにもなるなんて!
歌にとっての詞=メッセージ、としか解釈できなかった私にとっては
そりゃあ天変地異並みの驚きだったのだ。

■そして、あれは忘れもしない、私にとって初めてのフジロックだった2001年、その2日目。
ナンバーガール@GREENを終えて、猛ダッシュで向かったRED MARQUEE。
そこで聴いた「White Surf style 5.」が、
私の価値観をいい意味でぶっ壊してくれたのでした。
以下はその時のレポより。


スーパーカーの音は決して力ずくで連れていくって感じじゃない。音にヤられて動けないって感じでもない。そうじゃなくてあの独特のフワッとしていてでも確かな音、その上でもっと踊れ!って伝わってくるような音なんです。それが最大限に発揮された瞬間が「White Surf 〜」のブレイクの時に見えました。感じました。アタマの中でパーンと何かが割れたんです。スーパーカーの音と、みんなの歓声と共に。
それは、今まで私が持っていた音に対する価値観みたいなものが壊れた音かもしれない。考えるものじゃない、感じるものなんだよ、って。
…というのは後になって考えたことで、その時の私はただただひたすら踊っていただけなんですけど(笑)



この時は本当に、頭の中で何かが割れた音が聞こえたんだよね。よく覚えてます。
“音は聴くものじゃなくて感じるもの”と、この時初めて身をもって感じたのでした。

■そして、更なる決定打が、その年の冬にあったEXTRA TOUR。
2Daysの二日目に、またしても生まれて初めての感覚を体験したのでした。
以下はその時の日記より。


今日 生まれて初めての体験をしました

「身体がリズムになる」という感覚です

アタマとカラダがまったく別物になりました
リズムに反応して体が勝手に動くのです
アタマで違うこと考えてても
「あ 私の身体がリズムと一緒に脈打ってる」
って感じでガンガン動くのです
よく作家さんとかが
「自分が作ったキャラなのに勝手に動き出して…」
なんて言うけれど あれに近い!
「自分のもの」というよりむしろ「自分」なのに
それがもう「個」として動いてるんです!
うーん
なんて言ったらわかるかな〜♪
うまく言えないあの感じ〜♪
そうだ!

「『私』が『音楽』と一体化した」

って感じかしら!



ムリヤリ文字にするなら、
「耳ではなくて体で音楽を聴いた」という感じかなあ。
この日の興奮も、昨日のことのように覚えてます。
「Karma」で踊って首振りすぎて、つりそうになったんだっけなあ(笑)
音が本当に気持ち良くて、このまま永遠に続けばいいのに!と思いながら
壊れたおもちゃのように(笑)踊り続けたのでした。
「YUMEGIWA LAST BOY」なんて、誰も元の持ちパートじゃない楽器で演奏してて
ありえない!って思ったけれど、出てくる音がとにかく気持ち良くて、
そんなことは全然問題じゃなかった。
音とあんなにもひとつになれるなんて!
歌詞がなくてもこんなにも伝わるなんて!

■2001年のSUPERCARは、こんなにも私の価値観を気持ち良く壊してくれた。

■そして2002年4月にリリースされたアルバム『HIGHVISION』。
その、音の美しさに、涙がこぼれた。
私は音をいろいろな言葉を使って表現しようと試みるけれど、
「美しい」と表現したのは、SUPERCARだけのはず。
そのアルバムツアーも、そんな美しさに満ちていて。

以下はその時の日記より。


そしてこの日も「STARLINE」からスタート
ひとすじの照明が静かに舞台を照らします
そして サビの部分に来た瞬間
わずかな照明だけだった舞台が突如 昼のような明るさを帯びました
「どうして」なんて理由はありません
ただそれだけで涙が出てきました
美しい音が美しい光とともにそこにありました

この2日間で個人的に最大のクライマックスだったのは
この最終日の「AOHARU YOUTH」でした
ピアノの旋律と ナカコーとミキちゃんの声
青白く降り注ぐ光はまるで この世のものとは思えませんでした
心臓が静かに音をたてて
鼓動もリズムに合わせて鳴っていたような気がしました
「天国ってこんな場所かもしれない」とさえ思いました
身体が震えました

ライブの最後を飾ったのは前日同様
アルバムでも最後の曲「SILENT YARITORI」
15分にも及ぶそれはとても幻想的で
音がしているのにまるで音が無いような
静寂が音に変化したような
そんな空気の中
私は動くことも出来ずにじっと聴いていました
曲の終わりと共にライブも終わりを告げ
静かにメンバーが舞台から去り
ステージを照らしていた光が消えると
暗転の中「I」がSEとして流れ出しました
メンバーが去ったとき
アンコールを求めて拍手をしていたお客さんも手を止め
動きもせずに音を聴いていました
暗転していた場内が
少しずつ 少しずつ 明るくなっていきました
それはまるで夜明けのようでした
舞台を見たら 天井の小さな照明が
まるで星のようにまたたいていました
その「星」も「夜明け」の明るさに消えていきました

あまりのせつなさに涙がこぼれそうでした。



音がしているのにまるで音が無いような
静寂が音に変化したような。
そんな経験は、その後もできていません。


■気持ちいい、とか、優しい、とか、美しい、とか、
言葉にするととても簡単なように思えてしまうけれど、
聴いていて全身の力がぬけてゆくような、
自分の部屋のベッドのおふとんにくるまって眠りに落ちる瞬間のような、
安心しきって心のガードがゆるくなった、そんな気持ちにさせてくれる音だった。
そして、そんな音を出してくれるのはSUPERCARの他にはなかった。
唯一無二の存在になった。


■そしておそらく、CDを一番聴いたのが、SUPERCARだと思う。
レコードで言うところの「すりきれる」くらいに、聴いた。
だから、シングル「BGM」以降のリリースがCCCDになったのは、本当に悲しかった。
けれど、友人の好意によって、アナログの音源を貰い、
2004年2月にリリースされたアルバム『ANSWER』は聴くことができた。
本当に嬉しかった。
そのアルバムは、店頭で試聴した時から泣けてしまったのだけれど、
そのツアーもまた然りで。

以下はその時のレポより。


今回のこの「YUMEGIWA LAST BOY」では、
「音の中に自分が溶ける」という感覚を得ました。
もう音を聴いている、というよりは、音の中に居る感覚。
むしろ自分が音の一部になっているような… だったらどんなに幸せだろう。
その音を対象として何かを感じる、というよりも
もう考えるなんていう概念も無くなってしまってる状態だった。
(略)
現実なのに、夢をみているような気分だった。
こんなにゆるやかで、やさしくて、美しい、やわらかな何かに包まれたような時間が
現実として存在してるなんて。
意識を通らず、感覚として身体が泣いているのを感じた。
最後の音が消え、メンバーがステージから去り、
場内が明るくなりかけてSEとしての音が流れてもその場からしばらく動けなかった。
頭の芯までふにゃーっと崩れていたようだった。




本当に、SUPERCARの音が大好きだ、と、いつも思っていた。



■だけど、その音がとてもあやういバランスの上に成り立っていることは薄々気づいていたし、
長く続くバンドではないというのは無意識のうちに理解していた。
特に『HIGHVISION』以降は
“いつ終わってもおかしくない”という気持ちと背中合わせだったように思う。
そして、『ANSWER』や「LAST SCENE」というタイトルの作品が出たり、
『ANSWER』ツアーが終わった後のフジロックが必要以上に(と感じた)お祭りムードだったり、
いつもあるSUPERCAR企画のイベント「High Booster」が去年は無かったり…

今から考えれば、予兆はいくらでもあったのだ。


■私がライブレポを書く時は、
まずライブを見ていると頭の中に絵が浮かんできて、
その絵を文字に訳しているようなところがある。
SUPERCARはその絵がいつも鮮やかで、文字の起こし甲斐があるものを見せてくれた。
最初の頃は(ライブだけではなく音源も含めて)ポップな絵だったのが、
あれよあれよと言う間に目を引く映像になり、
いつしかそれは単なる絵というよりも3Dのように変化をしていった感じがある。
それは本当に美しくて、綺麗で、まぶしくて、素敵なものだった。
リアルタイムで聴くことができて、本当に幸せでした。
絵は、私の中では完成品にとても近いものになっていると思います。
だから、今回の解散にもさほど抵抗はない。
でも、いつかは来ると思ってはいても、
それでももうちょっと、またもうちょっと、
もう少し、あと1枚描いてくれるかな? と、かすかな期待、奇跡を望んでた。



■解散が発表になった夜、最新作からさかのぼってアルバムを聴いていた。
不思議とそれでも実感はわかなかった。
だってそれは私にとって日常で、おそらく今後も変わることはない。
彼らが解散したって、私がこの音を聴くことには変化はないのだ。
ただ、新しい音がもう聴けないということや、
それを楽しみにするということがなくなるだけ。
だから、解散するということに対して、まだ深い何かを感じ取れないのかもしれない。
今は、静かな気持ちの中に居る。


■おそらく、私が深い寂しさに襲われるとするなら、
ラストライブを見た時か、または終わった後だろうと思う。
あの、全身で感じたたくさんの新しい感覚が今後はもう無い。
それに、身体で気づく時だと思う。



たくさんの新しいことを、ありがとう。
伝えられるものならば、そう伝えたい。








□BGM:Talk Talk/SUPERCAR


2005年01月15日(土)  快方にむかいつつある私の日記
■まる二日ひきこもり生活を送ったので、だいぶ風邪はよくなりました。
しかし、昼に寝ると夜眠れなくなるねー。夜中に目がさめてこまった。

■それにしても日記って書かないと書き方を忘れてしまうー。

■あ、ネット不接続時期から滞ってた食日記ですが、
最近ようやく更新が追いつきました!
http://yaplog.jp/ruby_wl/
最近の分は、わかる限りお店のデータも入れてます。
なので、「○○に行ったらなにを食べたらいいですか?」
というご質問の場合は↑を見てもらえば無問題という(笑)

■えーと。1週間なにがあったっけ。
てか風邪ひいてたから結構おとなしくしていたような。
風邪ひいたというといろんな人から「今回おなかは大丈夫?」と聞かれます。
やはりあの去年のくだしっぷりは皆様にも印象的だったのでしょうか(笑)

■そうだ前々回の日記に書いた、娘。追加メンバーは該当者なしで。
はてなにも書いたけど、妥当な結果だったかと。
春以降は10人娘。だー。久々の少人数。
それでも世間にとっては多くて区別がつかんのだろうなあ。
そういえば一般人にもわかる娘。が、紺野さん以降で止まってる。
今こそやるしか。

■そんな娘。が3月にはじめて地元に来るのです!
これは見たい〜〜〜!!しかしチケが取れなそう…
そこでご協力頂ける皆様にお願いです。
先行予約にご協力いただけないでしょうか?
(以下自分用のおぼえがきもかねて)

e+プレオーダー 1/17(月)12:00〜1/20(木)18:00
 
@ぴあプレリザーブ 1/15(土) 12:00AM〜1/26(水) 9:00AM

3/5の昼→3/5の夜→3/6の昼→3/6の夜、席はファミリー席で、という優先順位です。
(一般席だと見えないかもなのです…)
枚数は一応 2枚で。 →訂正 1枚です〜!
宜しくお願いしますー!
行けるといいなあ……


■この間もちらりと書いたけれど、10日はライブ始めで、
移転新装オープンした横浜BLITZへはじめて行って来た。
しかしその前に折角みなとみらい線に乗るし…と、中華街へ。
久しぶりだったなー。ひょっとして10年ぶりくらいではなかろうか。
で、美味しい中華を食べて、その後はじめてシーバスに乗った。
これは山下公園からBLITZのそばまで走ってるもので、
この日はすごく寒かったのだけど、なぜかシーバス乗船中はあたたかくて
桜木町あたりがとてもよく見えていい景色でした。






■そしてBLITZへー。
完売後にモーサムが発表になったというのに、
ふたをあけたらMO常連様が皆揃ってたというのには笑った(笑)
しかも、誰もオークションとか使ってなかったんだっけ?
愛があればなんとかできるものですな(笑)
初めて行ったBLITZは、あんなに何も無い場所に作ったのにもかかわらず、
えらく通路やロビーがせまいつくりで。
ソールドアウト公演だとロッカーが無くなりますなあ。
あと、まさしく非常口を確認しておかないとなんかあったときには怖いかも。
という印象をうけました。
中はAXくらいの広さ。それならわざわざ横浜に作る意味はあったのかなー。
ライブはPAの横で見たんだけど、びっくりするくらい音がイマイチだった。
でも前のほうで見た人の評判はさほどでもなく。
PAまわりがイマイチだなんてめずらしいですな。
自宅からも遠いし、今後よっぽど見たい公演じゃない限りは避けるハコかもです。
MOは新年1発目らしく楽しく見せていただきました。
とにかくAXがあまりによかったので、その後どうしても比較して
「足りないなあ」的な感じをひきずったらどうしよう、
とちょこっと思っていたのだが、
幕張、この横浜と、イベントならではの楽しさを十分感じさせて頂いてるのでいらぬ心配だったよう。
Bさんも書いてたけど、あのメニューの流れはそろそろ飽きてもいい頃なのに、
全然飽きないのがすごい。またかーって全然思わない。
やっぱり、「HELLO」ツアーの頃とくらべてバンドとしての力が相当増したのを感じる。

■個人的にはタケイさんがベースストラップをおろしたと同時に、
Rちゃんと目が合ったのが最高にウケました(笑)
2004年は「hang song」がキーポイントになった年だったと思うのだが、
その中でも個人的に大きなヤマみっつ、
エゾ(タケポリス)とAX(hang song大覚醒)と幕張(最大会場での演奏)のいずれも
Rちゃんのリアクションを見てるんだよなーということに気が付いた(笑)
そりゃあ目も合いますなー(笑)

■で、audio activeがすごく良くて(久々に見たらめちゃめちゃストライクになってた!)
なんかもうそれでチケ代の元をとってしまった気になってしまい(苦笑)
次のバンドが苦手だったこともあり、ロビーに出たら、
相談もしてないのに知り合い皆大集合(笑)
結局酒の誘惑に勝てず呑みに行ってしまいました(笑)
ノーウェーイな乾杯を何度もしてたら酔っ払い…
翌日ひどい二日酔いで頭が痛かったのだが、
今考えるとあの頭痛は二日酔いではなく風邪だったのだという(苦笑)

■そんな@横浜BLITZライブネタでの某様のレポがツボにハマりました。
無断転載御免(笑)

セッティング中に「スティールパン出てきたよ」と言うので、
どこのパンか、はたまたルパンかと思ったら
あれだ、リトルテンポがつかってるやつ。
かくし芸大会とかでアイドルがやりそうなやつ。

もうこの4行のなにもかもがツボでした(笑)

■そんなこんなで風邪っぴきだったのでおとなしくしていた今週。
体調激崩れしたのがちょうど一年前だったので過敏にもなります(苦笑)
今のところ、今年になってからはおなかのちょうしもいい感じ。


■いきなりですがお正月に局地的に話題だった、おぞうに話。
関東→すまし、角餅
関西→味噌、丸餅
この境界線はどこに?ということだったんだが、
名古屋に住むA様のお雑煮は上記関東風、
奈良に実家があるCタソ家のお雑煮は関西風と。
ならその中間の三重が境界線か!どっちだそれは!
ということになり、三重に住むNちゃんに聞こう〜と思っていたら、
亡くなった母方の祖母が三重出身だということを翌日に知り。
そんな三重県出身の祖母のお雑煮は、味噌&丸餅だったそうな。
というわけでお雑煮の国境は三重と愛知の間にあるらしいということがわかりました。


■この間スターバックスに行ってカフェモカを頼んだら、
「マグカップでおつくりしてもいいですか?」と聞かれた。
そんなこと言われたのはじめてで驚いたのですが、
エコロジーの一環かな?と思い、是非ともお願いしたところ、
普段の紙カップで飲むのよりもとっても美味しく感じたー。
家でくつろいでいる感覚になれました。あれは良い。


■話が出来て本当に良かったと思う。

■「大人になる」ということは、許容範囲が広くなることかもしれないと思った。
年を経れば経るほど、世界は広くなり、知ることも多くなり。
そうすると子供の頃のようにすべてが好きではいられなくなってくる。
その、自分の中の幅をどこまで広げられるか?

考えてみると、10代の頃の自分は物凄く潔癖だったと思う。
許せないことがたくさんあった。
でも、それなりに年を経て、
世の中や人にはそれぞれ事情ってもんがあって、
「しょうがない」ことがたくさんある、ということを知ってきた。
10代の頃なら絶対にイヤだったことが、今は全然問題なかったりもする。
しょっちゅう死にたい死にたいと思ってた中高生が、
今はそれなりに生きることも楽しいかもと思ってる。
あと10年経ったら、また広がってるのかなー。と。
そうであればいいと思う。

今回の件は、自分の幅の狭さを知り、
そして、少しは広げられたと思う。

完璧なものなど存在しなくて、
そこを目指して生きていくのだから、
失敗はつきものだ。
ゆっくり歩いて生きたいと思う。
もっと強く、優しくなりたい。


■載せ忘れてた。
12月31日、大晦日の「どーももーど」、
日付が変わる直前の画像がかわいかった〜♪




いつもは22時には寝てしまうどーも達ですが、
この日ばかりは夜更かししていたようです(笑)


2005年01月12日(水)  一年中風邪を引いているような私の日記
■ふしぎです。
どうして家から一歩も出ず、ひきこもっている状態にもかかわらず
翌朝起きたらノドが痛いのですか…?(涙)
かみさま、私はなにもしておりません。
ああ…なんか寒気もしてきます。って今日は寒いのか。ふつうか。
なので今日は早く寝ます。ってもう25時ですが。

■最近いろんな人に
「去年の今ごろひどい下痢だったよねー」とか
「なんかお腹痛いとかいうとナ●タちゃん思い出すよ」とか言われます。
光栄です。苦しんだ甲斐あるというものです。
そうです、ちょうど一年前です…あのウイルスがわたくしめを襲ったのは。

結婚式で
美味しい料理が
全く食べられなかったのが
今でもくやまれます。

しかし、年末に一年分の日記を読み返したら、
なんとUNCOネタの多い一年だったことか……!
年明けの腹痛に始まり、フジでの赤犬、赤犬、赤犬…
ってほとんどが赤犬にまつわる話ですけど。
こんなに一年でUNCOにからんだ話を書いたのははじめてでしょう。

なんか、自分が女として大切な何かも、
ウイルスにやられてしまっているような気がします。
今年は健康でありたいです。
赤犬には行きますけど。

■この間のライブ始めは楽しかったっすー♪
MO友さんたちとの飲みで芋焼酎と梅酒サワーを両手に持ち、
交互に飲んでたら悪酔いしますた…
おかあさん、都会のお酒はやっぱり私につめたいです。

■今さらですが眞鍋かをりの日記が最高すぎて、
一気に自分内ランキングの上位にのぼりつめております。
http://manabekawori.cocolog-nifty.com/
このマニアック感がたまりません。ツボつきまくりです。
今後はハロプロと並ぶイキオイで推していきたいと思います。

■などと今日はちょっと影響うけぎみで書いてみました。
今度こそ寝ます。おやすもなさい。


2005年01月08日(土)  気づくと寝ている私の日記
■ああいかん。また日記書かないクセが。
お正月前後仕事があまりに慌しく忙しく、
そして睡眠時間が減少気味だったのでぼんやりしたかったー。

■職場のKさん(20代後半女子・ハードロック好き)が面白い。
お正月に皆が「あけおめー」「ことよろー」と挨拶をしてるのを見て、
「はー、初めて聞きました。最近の若者はそうやって挨拶するんですね〜」と。
いやあKさん私よりも若いのに(笑)


私「メールが普及してきたここ数年でよく聞くようになったよー」

Kさん「そうなんですか?」

私「あけましておめでとうございます、今年も宜しくお願いします、
だと文字数多くなるけど、あけおめことよろ、だと少なくすむじゃん」

Kさん「あーなるほど!私、TVとかではやってる言葉なのかと思ってました」

私「残念!とかみたいな?(笑)」

Kさん「そうですそうです(笑)私、TV見ないから知らなくて」

私「あーじゃあ“メイビー”とか言われても『え?』って感じだったりとか(笑)」

Kさん「そう!まさにそうなんですよ!友達に『メイビー?』って言われて、
わかんなくて普通に『リアリー?』って返しちゃいましたよ」

私「(爆笑)Kさんかっこいいわ〜(笑)」

Kさん「最近再放送見てやっと意味わかりました(笑)
今なら『メイビー?』って言われたら『マストビー』って答えますよ!」


よりによってマストビーかよ!(笑)
しかもKさんはあの最終回を見て感激したらしいです。
Kさん絶対にいい人だ(笑)


■今度の月曜の新潟救済イベント@横浜BLITZが今年のライブはじめです!
と言ったところ、某KMさんに「例年より遅くないですか?」と言われた。
そうだっけか?と思い、ここ数年のライブ始め日を調べてみました。

1998-02-18 OASIS@日本武道館
1999-01-17 THEE MICHELLE GUN ELEPHANT@横浜アリーナ
2000-01-14 ギターベイダー/メロディオンズ/syrup16g/木下理樹@渋谷NEST
2001-01-14 the pillows/モーサム/popcatcher/マーブルダイヤモンド@下北沢CLUB Que
2002-01-16 ART-SCHOOL/モーサム/KING BROTHERS@新宿リキッドルーム
2003-01-10 HIFANA/ROVO/mono他@新宿LOFT
2004-01-10 KING BROTHERS/WRENCH/MELT BANANA/ENON/BATTLES@新宿LOFT

というわけで、ここ数年、1月一桁日台にライブに行っていないことが判明。
ていうか、全体的に1月って行ってるライブ少ないんだよなあ。
12月にたくさんあって、その反動か休んでる人が多いようで。

しかしこの並びを見てるとしみじみしてしまうなあ…
98年オエイシスって(笑)大合唱祭りだった時ですね。
この頃は人生で一番ライブに行ってなくて、コレクタースと民生しか見てない頃なので
ライブ始めが2月ですよ。
99年のミッシェル。この頃はアリーナでスタンディングなんてありえなかったよなー。
今じゃ普通になってしまった。すごいことだわ。
そして、この日はおじいちゃんの命日であります。ライブ終了と同時に亡くなったのでした。
今でも、おじいちゃんはミッシェルライブが終わるのを待っててくれた、と思ってます。
ちなみに、このときを最後に横浜アリーナには行ってなくて、
この次に訪れたのは去年秋の娘。コンでした(笑)
2000年はなにげなくすごいメンツですな。でもお客さん全然いませんでした(笑)
この直後にART-SCHOOLが結成されたんでしたっけね。
メロディオンズ、解散しちゃったなあ。「手紙」が好きでした。変で。
01年はもうモーサムがかなり面白くなってきてた頃。開戦前夜みたいな雰囲気だった。
ポップキャッチャーも解散しちゃったっけ…結構好きだったんだけど。
02年はジャパン企画の出演者非公開のやつ。
モーサムが多分出る!という、犬のような嗅覚を元に行ったら本当に出た(笑)
でもこの日の主役はキンブラマーヤだったっけなあ。
笑いすぎてリキッドのカウンターたたいて、置いてあったカップが転がり落ちました。
03年はオールナイト。ROVOで幸せなライブ始めだった!最前列!
去年はPEAK WEEKでした。ライブはじめはキンブラちゃんで楽しかった〜。

って結構覚えてるもんですねー。
今年はイベントのトップバッターがモーサムなので、
まさしくモーサムでライブはじめを迎えられます。幸せー!!

■で、今年2本目のライブは赤犬ワンマン@CAYなのですが
(横浜取れなかったらこれがライブはじめになるところだった…orz)
そのチケットを購入してきた時の話。
ローソンでチケットを取り、発券したのですが、
このライブのゲストは知る人ぞ知る森下くるみ嬢。
(つーか男子は知ってても女子は知らないと思うが)
実は音楽にものすごく詳しい彼女、このライブでDJをするのですが、
そのローソンで買ったチケットには「森下くるみ」の名前が入ってるのですよ。
で、購入した時に取り扱いしてくれた店員さんが
だいたい20歳前後の男子だったんですが、
そのチケットの文字をじーっと…一瞬ではあったが確かに凝視してたと。
で、受け取ってから気づいたんだが、

多分店員男子はそんなに音楽とか聞いてそうなタイプではなかった
  ↓
そんな感じの人に「赤犬」と言ったところでわかるまい
  ↓
なので、彼の視線はおそらくチケットの「森下くるみ」の文字へ
  ↓
「なんで女性が森下くるみの名前が入ってるチケットを買ってるんだ?」

………あ、ありえるありえる(汗)
多分、彼からしたら、私は何者だっつー話でしょうねえ…(遠い目)
(森下くるみがわからない人は人に聞いたりせず、
 検索サイトで探してみましょうね!
 ただし踏むリンクはお気をつけて。)


■ここ最近の面白いリファラー(検索ワード)特集。

・大友 おかん リコーダー
  →リコーダーは栗原さんですよ!ってかなんで「おかん」?(笑)

・夢 かなえたろか ギター
  →最初爆笑したが、多分あの番組のことですね。ふふ。面白かったあれは。

・あっちバー  コスプレ
  →うわーまた来た!ってかコスプレとか更に加わってるし!!
   なんですかあっちバーって! 超気になるってば! なぞは増すばかり。

・禁止のhなマンガ
  →……(腹かかえて笑)
   ってかなんでこの日記そんな単語でひっかかるわけ?!(汗)


■今ジャパンカウントダウンの2004年年間チャートをやってたんですが、
年間3位の柴咲コウの「かたちあるもの」って曲をはじめて聞きました。
これってそんなに売れた曲だったの?マジで今まで知らなかったんだけど…
2位はOレンジレンジの「花」、これは知ってる。
なんでかってーとめざましで映画のCMやっててそれに使われてるから。
1位はケンヒライでした。よかった知ってる曲で。

■てか年末のサザン年越しで「ミスブランニューデイ」やったんだってねえ。
あれはほんと名曲だと思う。あの、80年代前半くらいまでのサザンが好きです。


■今年の目標は「健康」。
去年、実は仕事を休みすぎてるので、そのへん改善したいです。
まだはつもうで行ってないや。健康健康って祈ってこよう。
内面的には、もっと思いやりのある人間になりたいです。
前進を。

■さー明日のハロモニ。で新しい娘。がきまるぞー。
仕事なんでリアルタイムで見られないから、
全員合格じゃない限りは私にネタバレメールとか送らないでくださいね☆


2005年01月03日(月)  新年早々更新頻度が上がらない私の日記



あけましたおめでとうございますー。




今年もよろしくお願いいたします。

■もう三が日も終わりですねえ。
とはいえすでに2日に初仕事してきましたけども。
今年は上司の上司が見当違いなことをしでかしやがったせいで、
鬼のように忙しくて泣きそうでした。
やっぱり正月は家にいるにかぎる。
お正月っていいよねえ。昼からお酒呑んで酔っ払って、
眠くなってこたつでくわーとか寝てても怒られないんだもん♪

■それにしても年末は雪が降ってびっくりでしたー。
29日と31日? 吹雪いてましたよ。
両日とも仕事をしてたんですが、仕事場の窓から見てると
雪が上から下に向かって、ではなく、下から上に向かって舞ってるんですよ!
そして仕事を終えて外に出ると銀世界…
雪が降るという風景は好きなんだけど、
雪が積もる、というのがとってもイヤなのです。
なぜなら、自宅と家の間の交通手段が自転車だから。
積もられると自転車乗れないんだよーーー!!
「え、バスとかは?」って思うかもしれないんですが、
我が町は坂が全く無い町でして、皆自転車に乗るんですよ。
(だから狭い区域にたくさん自転車屋があって、皆やっいてけてる)
だからバスに乗らないため、いつまでたってもバスが増えない。
どのくらいバスが無いかというと、朝は1時間に1本あればいいほう。
週末の終バスはなんと18時台です(苦笑)
なので、バスがアテにできない。だから雪が降ると困る(苦笑)
29日はさほど積もらなかったんで無事に帰って来れたんだけど、
31日は結構つもってたので、もう、駅から家まで自転車引いて歩きですよ。
ちなみに、自転車なら10分くらいの道のりですが、歩くと30分です orz
帰りならまだいいですが、朝30分も歩いてられません!
おもえば雪が降って素直に喜べなくなった時に
「あーもうオトナになってしまったのね私…」と思ったものでした。
まあそんな雪も思ったより早く溶けて、
2日の初出勤の時は余裕で自転車乗れました。
というか、走ってる車とか全然いなくて、
雪がない車道とか走り放題でした。正月休みバンザイ!(やけ)

■そんな年末は29日にTOKYO No.1 SOUL SET@リキッド、
そして30日だけ休みをもらい、
ジャパンのカウントダウンイベント@幕張、
そしてその後Wヘッダーでゆらゆら@リキッドに行ってきましたー。
いやー楽しい2日間だった!

■ソウルセットは同じ去年の年末の新宿リキッド以来。
ソウルセットが出てくる前の、1時間×3人=3時間のDJは正直つらかったけど
(フロアもあんまり踊ってる人いなかったもんなあ)
待ち焦がれたソウルセットは相当にヤバかったですよ。
ソウルセット、というと昔のバンドだと思ってる人も多いみたいだけど
あんなにかっこいいライブをやるバンドはそうそういないよ!
↑にも書いたけど、なにせライブが1年ぶりとかなのに、
どうしてそんなに久しぶりに集まってバーンと音を出して、
あんなにもスキマ無くかっこいい音が出せるのだ?
この人達にはブランクとかっていうものはないのか(笑)
バンドが1年集わず一緒に音を出していないってのは相当大きいと思うんだけど
全くそんなマイナス要素を感じさせない。
つい何日か前にもフルスケールのライブをこなしてると言われても信じられる息の合い方。
そして何よりドラマティックという言葉が良く似合う!
音も、空気も、リリックも、スケールが他のバンドとかと全然違う。
かっこよすぎて涙が出たよー。「なんなのこれ?(泣笑)」って感じで。
本編ラストの「Jr.」でそれはピークに。
もう固まって、口ポカーンな感じで、でも涙目っていう(笑)
お客さんの盛りあがり方もハンパじゃなくて、
盛りあがり方も場合によってはライブにプラスになったりマイナスになったりすると思うんだけど
この日は明らかに前者、ライブの大きな力の一つになってた。
あんなに幸せなハンドクラップとか、久しぶりに見たよ。
会場中央のミラーボールがぐるぐると回って会場中を緑の光でうめつくして、
会場中が何かに向かってひとつになってるって感じた。
何百本とライブを見てるけど、今回みたいに
「あー、一体感ってこういうことだよね。」と感じさせられたのはそうそうない。
感性って人それぞれで、同じものを見ても捕らえ方って人それぞれだけれど、
あの瞬間にあそこにいた人達のそれは、おそらく非常に近かったような気がする。
ライブが終わって、一緒に見てたQさんと言葉にならない状態で「〜〜〜!!!」みたいな会話を(笑)
ライブ中にも喜びの余りと思われる奇声を発してる男性とかいたなあ(笑)
いまだにあの時の「Jr.」が頭の中で鳴りつづけてます。
最高でした。
あー今年こそツアー、そしてフェスへの出演を!!

■そしてその余韻をいい感じにひきずりつつ、幕張へ。
もうさすがにジャパン系イベントに対して積極的になれる年齢じゃないし、
南船橋あたりで既に自分がいることに違和感を覚えまくりだったのだが
(もうお客さんの空気があきらかに「違う」…
 やっぱりあれに馴染めるのは10代〜20代半ばまでだろう)
せっかく年末のこんな遅い時期までMOがライブをやってくれるのだし、
ZAZENはアヒトくんが最後だし、で、行ってみた。

■基本的にフェスは気が向いたままに行動するので、ひとりでフラフラしてるほうが気楽。
まずは誰にも連絡をせず、おなかがすいてたのでサワディー(嬉!)のタイラーメンを。
あーやっぱりフェスっていうとこの味だよなー。
がっつりおなかを満たしたところで、本日アポを取る必要があったBさんに連絡。
ここからがこの「フェス」の始まりだったといっても過言ではない(笑)
Bさんと電話がつながると、宴会の真っ最中だと言う(笑)
そこに向かうと、BさんやRちゃん、h先生など大集合で、
テーブルの上には酒やら食べ物やらがどっさりと(笑)
あきらかにこの人達移動する気ないだろう、というくらい(笑)
そしていきなり日本酒と海苔を渡され、
「新しい海苔の食べ方を開発しました!」と、
いろいろな食べ方で次々に海苔が(笑)
ひととおり海苔を食べたところでZAZENが始まる時間です、と、
皆しょうがなく?片づけをはじめ、あっという間に移動。すげえ早さだ(笑)
しかし気づいたら全くBさんとの所用が済んでなかったのだが(笑)、
まあまたあとでいいやーと、ZAZENよりも10分スタートの早いコレクターズを見るため
一旦皆と別れてギャラクシーステージ(小さいほう。以降Gステージ)へ。

■一瞬だけ!と思ってたのに、なんと聞こえて来たのは「僕はコレクター」!
うっそーマジで1曲目ですかーーーー!! と大喜びで前へ。
もらった日本酒もいい感じに効いてきて(笑)めっちゃいい気分。
その後も「TOUGH」「HEATWAVE」と、ありえないセットリスト!!
ちょいと1曲のつもりで寄って〜いつのまにやらなんとかでーみたいな感じで、
結局30分以上いてしまった(笑)
日本酒で判断力が鈍くなってて、たのしいしいいやーって感じでもあったんだが(笑)
個人的に歌ものをあまり聴けなくなってしまったんで、足が遠のいてたんだけど
やっぱりザコレはいいわーと再認識。ワンマン行きたいかも。
そして、こんな流れで行ったらきっと最後は「世界を止めて」だろうなーと思いながらも、
(そして実際そうだった)
やっぱりアヒトくんのラストZAZENは見なくては・・・と、後ろ髪引かれつつ、
アースステージ(大きいほう。以降Eステージ)へ。

■当然ZAZENのステージは既に佳境に入ってたのだけれど、
会場が広すぎるせいなのか、自分が酔ってるせいなのか(苦笑)、
気迫と、最後だというリアリティはあまり感じられず。
距離が遠かったせいもあるとは思うけれど、
まあ、あのナンバガ@札幌がディフォルト設定になってたらしょうがないのかも…と思った。
自分的には思ったよりもあっさりと終了。
でも最後の「ドラムス、アピートイナザワンティ!」にはさすがにグッときたなー。
自分としては、ナンバーガールからの大きな区切りを迎えた瞬間だったと思う。

■そして、再度Bさんに連絡を取ると、私のほうが休憩スペースに近かったので
「宴会」の場所取りしておいてくださーいとの事。
適当に場所を取っておくと、じきに皆さん集合。
ようやく所用をすませ、流れでそのままそこに居ることに。
(気づいたらh先生が私の分までトランプを用意していた(笑))
多分、ここからモーサム始まるくらいまでが時間的に一番濃かった(笑)
なんかいろんなお酒を呑んだりごちそうになったり、
Bさんに指南していただいてみなと屋のおいしいうなどんとか浜汁とかハム焼きとか食べたり、
海苔やラムネやヨーグルト頂いたり点取り占いしたりババヌキしたりとか(爆)
やーBさんまわりの人は場を楽しむことにかけてはプロですな(笑)
居ることに違和感を感じてた会場だったのに、一気にそんなんなくなりました。

■で、モーサム始まるぎりぎりまで遊んで。
ここで点取り占いとかをまたやってたんだけど、
Rちゃんがモーサム前にひいた占いが、

びっくりさ
せてやるか
ら待ってい


だった時には一同感激&爆笑の嵐!!!(笑)
点取り占いにタケイが宿っている!と盛りあがりつつ、
食べかけのうなどんを持って歩き食いしながらGステージへ(爆)
隣のRちゃんはトレーにお酒をたくさん並べて持ち歩き、まるでウエイトレスのよう(笑)
あたりにそんな人はまったくいませんでしたが(笑)
で、GステージではUさんやm姉に偶然バッタリ!さすがモーサム(笑)
そしてRさんやエゾぶりのU子さんにも!
そして自分は呑み過ぎててもう超いいきぶん(笑)
日本酒カクテル「初雪」やビールなどを更に飲みつつ
セットリストを覚えきる自信が無いままモーサムスタート(笑)
ライブはとにかく楽しかったなー。もうほんとに今年の集大成って気分だった。
あの広い場所で「hang song」とかやられた日には!(笑)
幕張ダンスホールって感じで、なんかこんな広い場所でも出来るようになったんだなーって
酔っ払いながらに感慨深く(笑)
そういえばこの日、セッティングの段階で「hang song」の打ち込みが流れてきて、
今日はやるんだ!とわかった途端のRちゃんの笑顔が本当にステキでした(笑)

■MOライブ後にはチケットのやりとりをすることになってた方と待ち合わせ。
初対面の男性の方で、多分私と年齢はあんまりかわらないくらい?
くるりと100sを目当てに来られたそうなのだけれど、
初めてモサムを見てすごくよかった!と言われてなんかとても嬉しくなった。
3列目で踊りまくったそうで、この方もすごくいい笑顔をしてた(笑)

■その後MOチームの皆様と合流。
フジロック再びな様子で休憩エリアに集う(笑)
ノーウェーイな感じで乾杯(笑)
またもや初雪。うまーい。ほんとこれうまいよー(笑)
このへんの記憶もはやなし(笑)
だんだん恵比寿に行くのが面倒になり(爆)、このままじゃいかんと
同じ幕張→恵比寿コースのUさんに何としてもご一緒してもらおう!と勝手に決意。
(誰かが一緒なら行けるだろうという他力本願きわまりない発想)
そして、日本酒の思い出がいっぱいの幕張を後にしました。
あ、記憶はないんだけど、食べたものはよーく覚えてます。
みなとやのイカ焼きとかべっこう焼きとか。
べっこう焼き超うまかった… さつまあげみたいなのに枝豆がぎっしりはいってるやつ。
焼きたてでほかほかのをしょうが醤油で。クーッうまーーーい!!(思い出した)

■そしていい気分でUさんと恵比寿へ。
「ザ☆ピ〜ス!」は本当に名曲だとかそんな話をした記憶が
なぜか今突然思い出されました(笑)
ふたりともまだ飲みたい気分だったのだががんばってリキッドへ(笑)
着いたらちょうどゲストバンドが終わり、セッティング中でした。いい頃合。
(しかし私達はといえば「まだあと1杯のめたなー!」とか言っていたような(笑))

■ゆらゆらも年の最後にふさわしい熱演!!
ギッシリ満員で一日動きまくったあとだけに、足が疲れきって
ひざから下に日本酒がたまってるみたいだったのだが(笑)
その泥酔効果も手伝い(笑)ほどよいトリップ感に。
何曲か、わー前に出て踊りたい!みたいな曲があったんだけど、
立錐の余地なしだったのでそれが出来なかったのが残念。
「星になれた」がフジに引き続きすごくよかったー。頭グルグルした。

■酔いながらも翌日の仕事に行けるか心配だったのですが、
奇跡的に二日酔いも全くなく、無事働いてきました。


■そんな感じの年末2日間でした。
私と一緒にいろいろ楽しんでくれた皆様、どうもありがとうー!
とりあえず今は初雪が忘れられなくて困っております(笑)

■大晦日はお仕事のち家でゆっくりTV。
紅白リアルタイム中継を今年もやったので、それはヲタ日記へどうぞ。
(つくづくヒマ人だわ… いやヒマじゃないのに)
紅白は吉澤ひとみさんの美しさにクラクラでした。
そして今年もどーもくんがハロプロ勢と一緒に登場!嬉しかったね〜。
ベストアクトは気迫の歌声森山良子さん、
まるでPVのような美しさを生で演出した浜崎あゆみ、
さすがの企画力の氣志團(ネタ仕込み最高)、
そしてとにかく感服だったマツケンに(笑)

■そして、年越しは彼氏さんと電話をしつつ、
テレビ東京のボレロと共に。
オーケストラがボレロを演奏していたのだけれど、
0時ぴったりに曲が終わったんですよ!あれは感動したー!


■そんなこんなの年末年始でした。
しかしやっぱりこの数日はいつも読んでるテキストサイトも
更新してないところとかけっこうあるなあ…
それだけ皆帰省したりしてるってことなのですね。
実家な自分はいろんなところ更新しまくってたので
ぼちぼちのぞいてみてくださいー。
ライブ日記には2004年の音楽生活のまとめもUPしましたー。
http://d.hatena.ne.jp/high_speed/
しかし肝心なファンサイトの更新が全然終わらない… orz
今週末までには!



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