つぶやきDiary
何気ない日常のつぶやき
聞きに来て下さってありがとう。

2006年09月29日(金) 秋の鎌倉




鎌倉へささやかな一泊旅行をしてきました。
アクアラインを使って車で・・・本当は鎌倉は電車の方が便利なのでしょうが、母親と一緒だったもので、初めて車で行ってみました。
早いものですねえ、アクアラインまで来てしまえば、あとは鎌倉まで1時間足らずで着いてしまうのですから。びっくりです。

母親がやはり途中で疲れてしまうもので、有名どころを数箇所しか回れませんでした。
昨日は鶴岡八幡宮、長谷寺、高徳院(鎌倉大仏)。
お天気がよかったせいか、平日なのにかなりの人が歩いていました。
長谷寺、けっこう好きなんです。以前に行ったのは、もうずいぶん前になりますが。
金色の荘厳な観音様も、境内の様子も、どこかなつかしい。
そうそう、山門前にある「邪宗門」と言う喫茶店、これも昔のままでした。
コーヒーのいい香りとレトロな店内、ほっとするひととき・・・

その後、鎌倉大仏に行ったのですが、なんとその帰りにうっかりデジカメを道に落としてしまい、そのまま動かない。
うわ、まいったなあ、壊れちゃった(:_;)
昨日一日分の写真は、すでに撮り終えてはいたのですが。
うむむ、かなりショックでした。

気を取り直して、今日は北鎌倉へ回りました
円覚寺と東慶寺。幸い、円覚寺には駐車場もあり、ゆっくりと見ることができました。
北鎌倉の雰囲気が大好きです。円覚寺も東慶寺も、派手さはありませんが、しみじみとした趣きがあり、周りの環境も静かで、空気が澄み渡るよう。
久しぶりに訪れることができて、本当によかった。
帰りもアクアラインから、あっと言う間に千葉県へと帰ってきてしまいましたが、なんとなく鎌倉の空気を心に吸い込んできたような気がして、しばらくぼーっとしてしまいました(笑)

ささやかな秋の小旅行でした。
(上の写真は鶴岡八幡宮、下は長谷寺です)




2006年09月21日(木) あれ? 咲いてる・・・




数日前、出かけようとすると、ふと赤い色が目に入りました。
あれ、何だろう?と、家の裏の方をのぞいてみたら・・・なんと彼岸花が咲いています。
え、どうして?と思ったのは、確か去年までは咲いていなかったから。
はて、これは面妖な・・・と、時代劇なら言いそうですが(笑)
彼岸花って球根ですよね。種で育つ花なら、何かの拍子に風で飛ばされてきて、とも考えられるけど、球根となるとなぜなぜ?です(^^;
まさか、今まで咲いていたのに気がつかなかったなんてことは・・・でも、母親も咲いたことにびっくりしていたのだから、それはないと思うのだけど。
二人して「不思議だねえ」と首をかしげて(^^;
でもまあ、咲いているんだもの、これも何かのご縁でしょう(笑)

さらに、あれ、と思って振り返ったのは、空気の中にあの独特の甘い香りを感じたから。
え、まさかもう?と、いささか貧弱な枝先に目をやると・・・
うわ、咲いてる、ホントに(^^; そう、金木犀です。
ちょっと早くない?、早いよね、と自問自答しながら(笑)
でも、たわわとはいかないまでも、間違いなく金木犀がささやかな花をつけているのでした。
この木はとってもけなげで、何も世話をしてあげられていないのに、毎年がんばって花を咲かせてくれます。
よくよく見ると、あちこちの枝にもうかなり花が開いている。
金木犀の花越しに空を見るのは、大好きです(*^^*)
なぜか、とっても幸せなひととき、と思えてしまいます。
今年は早いねえ、と思わず木に話しかけてしまったりして(笑)

彼岸花と金木犀、真っ赤な炎のような色彩と、ほのかに甘い香りと・・・
我が家もすっかり秋だなあ、なんて。
ちょっと意外な秋の使者たちに驚かされましたけど(笑)





2006年09月20日(水) 「うつくしい子ども」石田衣良

石田衣良さんの本を読んだのは、これで二冊目です。
少し前に読んだのが、テレビドラマにもなっていた「下北サンデーズ」。
貧乏だけど、夢だけは大きいと言う小劇団を舞台としたお話で、ちょっと笑えたり、切なくなったりしながらも、ほわっとしたものが残りました。

今回読んだ「うつくしい子ども」、少年犯罪がテーマになっているので、その点ではかなり重い。
ニュータウンで発生した9歳の少女の殺人事件。しかも犯人として逮捕されたのは13歳、中学1年生の少年。
そして、その兄である中学2年生の少年を主人公として、物語は進みます。

突然、弟が殺人犯と言う、予想もしなかった恐ろしい現実をつきつけられた少年。
兄弟の下には、殺された少女と同級生の妹もいます。
妹のショックも計り知れない。
もちろん両親も、あまりの出来事に動転するばかり。
一瞬にして壊れて行く「幸せな家庭」。混乱、悲しみ、怒り、恐怖、様々な感情に振り回されながらも、少年は「逃げない」ことを決意する。
自分はこの事件から、この現実から逃げられない、ならば何もかもしっかり見ようと思い、自分は何ができるんだろうと考え、考えた末、なぜ弟があんなことをしたのか、理由を探そうと決意する少年。

事件を扱った記事やニュースなど、本当なら避けたいであろう情報にしっかり目を通し、様々な批判や意見を自分なりに読み取り、さらに弟の生きてきた足跡や考えを辿ろうと、校内でもあれこれ調べ始める。
その様は、少年の持つ素直さや家族への思いやり、犠牲になった少女への哀悼、そして思いがけないほどの芯の強さを感じさせ、心を打つのです。
そして時には、もしかしたらこの少年はどこか達観しているのでは、と思わせるような不思議な静けさをも、素直さのベールの下に垣間見せる。
植物が大好きで、その分野に関してだけは誰よりも詳しい、そんな少年だからこそ、物事を自然にまっすぐ受け止めようとできるのかもしれない。
ふと、そんなことをも思ってしまいました。

犯人の家族となってしまったことで、少年は様々な嫌がらせや悪意にも直面します。
それは少年自身や家族はもちろん、事件の後も変わらず少年と接し、何かと力になってくれている友達にも及ぶのでした。
それでもめげずに、事件の真相に近づいて行こうとする。この辺りは、ミステリー仕立てにもなっています。
やがて明らかになった思いがけない真実も、そして事件の最終的な結末も、どうしてこうなってしまったのだろう、どうしようもなかったのだろうかと言うやりきれなさを残します。

犯罪に走ってしまう子供の心の闇の部分、それがいつどんな原因で生まれてしまうのか、どうしたらその闇から引き戻せるのか・・・
考えても簡単に答えは出ないのでしょう。
現実問題として、今の世の中に少年犯罪が増えていることを考えても、ますますやりきれなさは募ってきます。
けれど、読み終えて、暗澹たる思いに沈みそうになりながらも、救いとなるのは主人公の少年のけなげな勇気。
そして、自分たちも嫌な目にあわされ、傷つきながらも、ずっと少年を支え続けた仲間たちの友情。
殺伐たる暗さの中で、このささやかだけど確かな救いが、なんとも爽やかな光のように感じられました。

この小説のタイトルである「うつくしい子ども」。
これは少年の母親が、少年の弟や妹が幼い頃に言った言葉でした。
「この子はうつくしい子どもだわ」と。
そう、弟と妹は美しい顔立ちの子供だったのです。
でも、兄である少年は顔立ちも地味な上、頬に盛大なニキビがあるため、ジャガイモの「ジャガ」とあだ名されていました。
母親は、少年のことは一度も「うつくしい子ども」とは言わなかった。
けれど、読み終えて思ったのは、まさにこの少年こそ本当の意味で「うつくしい子ども」なのではないだろうか、と言うことでした。

降ってわいた悲劇にも、自分の心の様々な葛藤にも、周りからの重圧にも押しつぶされまいと必死に向かい合い、つらくても逃げないと決意する。
気負いよりも、むしろ素直さが形を変えたようにさえ感じさせるその勇気。
殺された少女のために、毎週欠かさずお墓に野の花を供え、「ごめんなさい」と手を合わせて涙ぐむ、その朴訥な優しさ。
時には、相手の心の闇を救うために我が身を犠牲にしてもよいと思ってしまう純粋さ。
そして絶望しそうな中にも「あきらめちゃいけない」と自分を立て直す強さ。
いつのまにか、そのけなげな姿に感動して、応援している自分がいました。
少年の清々しさが、読後もしんみりと心に残っています。



2006年09月14日(木) 「ねじの回転」恩田陸

夏中、ずっとはまっていた「ブレイブストーリー」をようやく抜け出して・・・(笑)
さて、次は何を読もうと探していて、目についたのが恩田陸さんの「ねじの回転」でした。
ファンタジーの次はSF、と思ったわけでもないのですが、そう、「ねじの回転」はしっかりSFです(^^;

実を言うと、SFものはいまいち理解力が追いつかない私(笑)
同じように不思議系でも、ファンタジーものは不可解なことでも、「まあファンタジーだからね」と割り切ってしまえるのですが、SFとなると、つい「なんでそうなるの?」みたいに、あれこれ考えこんでしまいます。
きちっとそれぞれの謎のピースが、自分なりの解釈の枠に収まってくれないと、すっきりしない(^^;

特にこんがらかって結局わからなくなるのが、タイムトラベルが絡むもの。
時間をさかのぼることによって生じる、過去と現在と未来の出来事の原因やら変化やら、まさに思考の糸があっちでもこっちでも絡み合って・・・(^^;
理解に苦しむくせに、妙に惹かれるのも、またこの類のお話なんですけどね、困ったことに(笑)

さて、「ねじの回転」、まさにこのタイプの、私の思考がこんがらかってしまうタイプのお話でした。
すでに、タイムトラベルが可能な世界と言う設定になっています。
過去の忌むべき歴史を変えることを、国際的レベルで行ってきた世界で広まった、致死率の高い病。
その原因が、歴史を変えてきたことにあるのではないかと言う説に従って、歴史を元の形で再生させるプロジェクトが進んで行きます。
その最終のターゲットとなったのが日本での二・二六事件。

プロジェクトチームは、当時のその事件の関係者数人を協力者として選び出し、二・二六事件をもう一度再生しようとするのですが・・・
なぜか歴史と不一致の事柄が起こってくる。そこにはいったい誰の意志が働いているのか。
事件に係わった青年将校や、プロジェクトチームのメンバーたち、それぞれの思惑や不安、さらにメインコンピューターに紛れ込んでいるらしいハッカーの存在など・・・歴史再生は何度も不一致になり、その度にやり直しになる。

限られた時間の中で、行ったり来たりする歴史、微妙な食い違い、焦りや苛立ち、策謀が飛び交います。
恩田さんて、こんな本格的なSFも書くのねえ、と感心しながら、いったいどんな結末が待っているのか、と言う興味で最後まで引きずられて読み終えました。
で、思ったこと、やっぱり私の頭はSFものを正しく理解して、心から楽しむには向いていないのかも(笑)
面白かったことは面白かったのですが、どこかすっきりはっきりしない、とことん理解できてはいないぞ感(なんだ、それは?)が残ってしまうのです。
えーと、だからここの原因が、後にこうなって、でもあれはどうなったの?こっちは結局何だったの?、みたいな(笑)

もしかしたら、ひとつには私が二・二六事件についての知識があまりなかったこともあるかも(^^;
今回、この本を読むに当たって、とりあえずネットで事件のことを調べてはみたのですが。
そう言えば、事件の当事者の青年将校さんが実名で登場します。しかも、この物語を動かして行く重要な役回りで。
歴史再生の協力者として、事件の起こる数日を何度も繰り返さなければならない青年将校は、その中で、もしかしたら自分の手で歴史を変えられるかも、と思い始めます。
その揺れ動く心理や強い信念、行動が生々しく描かれていて・・・(^^;

もちろん歴史を題材とした話を書く場合、当然実在の人物も登場しますが、それが遠い歴史であればあるほど、人物像は自由に書けるのではないかと思います。
けれど、70年前と言ったら、まださほど遠い過去とは言えない。
おそらく子孫の方もいらっしゃると思うと、けっこう勇気のいることですよね。

おっと、話がそれました(^^;
感想、いまいちよくわかっていないんだけど、面白かった(*^^*)
わぁ、なんていいかげんな・・・m(__)m
たぶん、こういう謎があっちこっちに残っている感覚も、また楽しいと思っているようではあるのです>自分σ(^_^;
しばらくは、この謎で悩むのもいいかな、なんて(笑)
きっと、SF好きな方はかなり楽しめる一冊だと思いますよ(^^)v



2006年09月12日(火) リンクの行方

最近、リンクのページを更新したこともあり、あらためて今までのリンク先をチェックしてみました。
そう言えば、リンクさせて頂いたものの、その後たまにしかお邪魔しなかったり、すでに行き来がなくなったりしているサイトさんもある(^^;
どうしても、いつも行くサイトさんて限られてきてしまいます。

そんなわけで、リンク先をひとつひとつ辿ってみたら・・・
すでに存在していないサイトさんが、いくつもみつかりました。
もしかしたらアドレスが変わっただけ、と言うサイトさんもあるかもしれないけれど。
でも、サイト名を入れて検索してもみつからなかったり。
閉鎖してしまったのだろうなあと、思うと寂しいですね。
特に、自分がサイトを開いた最初の頃にリンクして下さったサイトさんが、閉鎖してしまっているのは、時の流れをも感じ、管理人の方が今どうしていらっしゃるのだろう、としみじみしてしまったりもしました。

「閉鎖しますので、リンクを外して下さい」と連絡があったサイトさんは、そのようにしてありますが、そうでないところは、どうしようかと迷った挙句、リンクはそのままで「閉鎖中」と言葉を添えさせて頂きました。
もしかしたら、また何かの拍子に再開するかも、なんて言う淡い期待を持ちつつ・・・

素材サイトさんの中にも、リンク先に見当たらなかったところが多くて・・・(^^;
でも、こちらはアドレスが変わっていて、検索したら新しいアドレスがわかったところも、けっこうありました。
ちっょとほっとしましたけど(笑)
やはり、リンク先は時々でもちゃんとお訪ねしてみなくては、と反省。



2006年09月09日(土) 記憶の中の道

母親の友達がずっと体調が悪いと言うことで、なんとかお見舞いに行きたいと以前から母に言われていました。
ちょうど今日は大安だし、母も私も時間が取れたので、思いきって車で出かけました。
なぜ思いきってかと言うと・・・まあちょっと遠いと言うこともあるのですが、そこは私が中学の頃まで住んでいた町。その後、今の町に引っ越してきたのですが、あれ以来訪ねるのは初めて。
なんと○十年ぶりに、昔住んでいた町を訪ねたのでした(^^;

そう言えば、最近はあまりないですが、以前は時々あの町や住んでいた家の夢を見たものでした。
それは、不思議ななつかしさと、ちょっぴり物悲しさを誘うような夢。
子供時代を過ごした場所と言うのは、独特の郷愁のようなものが漂っているのでしょう。
いつか実際にもう一度訪ねてみたいと思いながら、その「いつか」がいったいいつになるのか、あまり実感がなかった。
車で行けば2時間程度、行こうと思えばさほど苦になる距離でもないはずなのに・・・
きっかけがなかったこともあり、なんとなく行くのが怖かったり(?)もして、ずっと気にかかりつつも、記憶の中だけにしまわれていた町でした。

一応地図は用意したものの、現地に近づいてからは、ほとんどは記憶にたよって車を走らせました。
子供の頃の思い出が詰まっているはずの町や道、まるでタイムトリップをするようで、ちょっとドキドキしながら(笑)
でも、そんなドキドキのそばから、記憶の中にある道とどこか違う、微妙なぶれのようなものをも感じる。
田舎なので、長い年月のわりには、さほど大きな変化はないようだったのに、「あれ、この道こんなに細かったっけ」とか「こんなに近かったのかな」とか、自分の記憶のあいまいさに苦笑してしまいました。
長い間、何度も遠い記憶を辿っているうちに、「こうだったはず」と言う理想的な道が、頭の中でできあがっていたのかもしれません。
それに、子供の頃歩いたのと、今車で通るのと、感覚が違うのも当たり前ですよね(笑)

お見舞い先の母のお友達も、思ったよりお元気そうで安心しながら、次はいよいよ昔住んでいた家のお隣さんのお宅をも訪ねてみました。
そこへの道筋もこれまた、「ん? おかしいなあ、あの頃と違う」(^^;
もっとずっと曲がりくねっていて、遠かったように思えてたのに。
またもや、見事に記憶は裏切られました(笑)
お隣さんのお宅も新しくきれいな家になっていましたが、なつかしい方々と再会することはできました。
残念ながら、私が住んでいた家はなくなっていて、まったく別の家が建っていました。これも当たり前(笑)

子供の頃の思い出は、あくまでも自分の記憶の中でのみ輝いている。
あの道も、あの家も、あの風景も・・・いくつかのなつかしいシーンの欠片が、鮮やかに思い浮かぶけれど、それを今の町に探そうとしても、たぶん無理なことなんだなあ。
思い出は思い出のまま、大切にしまっておいて、時々その輝きを楽しめれば、それでいいのかもしれない。
そんなことを思いながら、家路に着きました。
なんとなく、無意識のうちに自分の心の片隅に居座らせていた、「昔住んでいた町」への呪縛(笑)のようなものが、すっととけたような気がしました。



2006年09月07日(木) 秋の花々

ひまわりやおしろい花など、まだ夏の花もがんばっている中に、そろそろ秋の花がお目見えし始めました。

道端の花壇などによく見かけるようになったのがコスモス。
ピンクや白、紅色など、緑の中にぽつぽつと咲いている様は、すっきりと涼しげで、満開の時とはまた違った秋の風情を感じます。

そして、あれっと気づいたら、なんとすでに葛の花も咲いている。
あ、萩もだ、と予想以上に早い季節の流れに驚いています。
そう言えば、秋の花って紫系がぱっと目につきます。
桔梗やリンドウ、ちょっと赤が強くなるけど、葛や萩も赤紫と言えるし。
もちろんコスモスみたいに爽やかな色合いもあるけれど(笑)

紫系の花たちは、どちらかと言うとひっそりと言う風情でありながら、しっかりと存在感を持っています。
葛の花も萩の花も、咲いている様はもちろん散った花びらも美しい。
桔梗やりんどうは、静けさの中に秘めた強さを感じさせる花です。
あの花たちを見ていると、日本の秋っていいなあとしみじみ思ったりする今日この頃なのです。


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